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 その島は、ひとが足を踏み入れるのを拒んでいるようだった。

 瀬戸内海に浮かぶ岡山県の黒島は、本州からわずか1・5キロ先。小舟をチャーターして5分、浜辺には小型船が放置されていた。

 水をかぶり、エンジンがさびて赤茶けている。最後の住人となった中上裕陽(なかうえ・やすはる)さん(85)のものだった。2カ月前、ここを去った。

 島をめぐる取材をした7年前、「お迎えがくるまで、島の面倒を見る」と語っていた。この島に生かしてもらった。先祖の墓を、神社を、守りたいのだと。

 だが、体力が衰え、船の乗り降りが難しくなった。10月に瀬戸内市の本州側に移り、一日のほとんどをテレビの前で過ごす。

 無人になった島は草木が伸び放題だった。キャベツ畑は荒れ、長靴とタオルが干したまま残されていた。

 海を見渡す高台に出た。6基の墓が並ぶ。墓石がない。土台だけ。供えられたキクは赤や紫、黄の色みを失い、こうべを垂れている。近い将来、ここも草木に埋もれるだろう。

 年の瀬。かつては6世帯30人ほどが住み、家々がもちつきをして新年を待った。この12月。中上さんより先に島を出た、いとこの保雄さん(88)は無人の島から墓石を運び出した。ほかの元住民と同じように。

 「島のことは忘れにゃいけんですわ。諦めじゃな」

 本州側の家からは黒島が見える。生い茂る木々に覆われている。「島が、死んでいきよる感じじゃな」。もう、後戻りはできない。

 国が指定する有人離島は計255。その1割ほどが今後30年で無人になる可能性があるといわれる。

東京から車で2時間の場所に

 島だけではない。消えるとされる村もある。東京から車で約2時間の場所に。

 群馬県南牧(なんもく)村。村が生まれた1955年、人口は1万を超えていた。いま、1875人。65歳以上の割合は62%と全国一だ。

 総面積の9割を山林が占め、水はけの良さからコンニャクイモの栽培で栄えた。だが、品種改良で平地でも作れるようになると、ひとが離れた。もう一つの柱の養蚕も生糸の価格が下がり、すたれた。70年代のことだ。

 病院も薬局もなくなった。駄菓子屋や文具店、スナックも給食センターも。空き家は2割を超す。地元のひとたちは「夜はヒトより野生動物を見る方が多い」と言う。

 多くの村民が「村を離れた息子や娘に帰ってきてとは言えない」と語る。民宿を営む岩井武さん(59)もそう。「子どもの声が聞こえなくなった」

 小学生と中学生で計43人。この春、小学校の卒業式はなかった。少年野球チームは活動休止になった。

 岩井さんの3人の息子らは、東京や大阪、県内で最大の都市の高崎にそれぞれ居を構える。35歳の次男は高崎に一軒家を建てるとき、「いいか?」と聞いてきた。民宿を継がないことを意味していた。

 「別に、好きにすればいい」。そう答えた。「だって、これだけ子どもがいなかったら、孫たちにさみしい思いさせちゃうだろ」

 村も、あらがう姿勢は見せている。4年半前に就任した長谷川最定(さいじょう)村長(65)は、高齢者の流出阻止と雇用拡大の両立をめざし、特別養護老人ホームをつくった。子育て世帯への支援を整え、移住者は15~17年で30人。小学校の児童数は今年度、5年ぶりに増えた。手応えがないわけではない。

 ただ、村を支える役場職員50人あまりの半数ほどが村外に住む。それが村の現実を物語る。村議9人は平均72歳。来秋の選挙に若手が立候補する気配はない。

 村が建てたケアハウスで暮らす笠原佳年(よしとし)さん(98)は毎朝5分ほど、窓を開け、外を眺める。ひとのいない道、荒れる畑、増える墓に、思う。

 村は10年後、どうなっているのだろう。

 趣味の川柳の自信作を見せてもらった。

 《今日生きて 今日の若さは 戻らない》

 自らの人生のようにも、村のあり方のようにも思えた。

「自由」口にした少年 目を潤ます祖父

 富岡製糸場がある群馬県富岡市も、ネギやコンニャクで知られる下仁田町も通りすぎた先の南牧村に、ロイター通信やカナダのテレビ局が取材にきた。見出しは、同じ言葉だった。

 「消えゆくムラ」

 村から富岡市の高校に通う石井一冴(かずき)くん(16)は、「消えてほしくない」と言う。「ふるさとだから」

 朝5時15分に起き、祖父で村議の武男さん(78)の車で下仁田町にある駅に向かう。村には鉄道も国道もない。ふるさと納税の返礼品は、村の広報誌だ。

 けど、「帰ってくると安心する」。四季ごとに変わる風景がある。温かく声をかけてくれるひとがいる。

 それでも、将来、この村に住んでいるじぶんの姿は想像できない。「村外の方が職業の幅も大きいし、プライベートでも好きなことができそうだから」

 そして、こう言った。

 「自由になりたいから」

 取材のさなか、武男さんは黙って聞いていた。目がうるむ。どう感じていたのか、後日、たずねた。

 「村には数えるほどしか職がねえ。にぎやかにしてくれるような話があればいいけど、それもねえ。そういう時代なんだろう」

 村が消えてもいいとはだれも思っていない。でも、生き残るための解はわからない。「時代」という言葉にはあきらめがにじむ。

 ある村民はこう表…

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