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創価学会の支持母体公明党の矢野絢也議員は、 何故身内の創価学会員に袋叩きに遭...

oku********さん

2018/3/1915:36:00

創価学会の支持母体公明党矢野絢也議員は、
何故身内の創価学会員に袋叩きに遭うのですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

one********さん

2018/3/2002:13:22

詳しく説明しましょう。
元・公明党委員長 矢野絢也氏は創価学会と公明党の政治批判をしたところ、反逆者扱いをされ、24時間体制で監視、一歩外に出れば尾行、隙あらば線路に突き落とそうとするストーカー被害を受けました。
裁判を起こしてからは、目に余るほどの誹謗中傷。数億円の寄付要求、聖教新聞への中傷記事掲載、怪文書攻撃、暴力電話、心理的な威嚇、生活基盤の破壊など、組織的に包括的攻撃を受けたといいます。
被害は家族や秘書にも及びました。

これは「黒い手帖裁判」といわれ、集団ストーカー犯罪が法的に認められるようになった一件です。
今問題になっている集団ストーカー犯罪の先駆けとなった事件です。

創価学会から「仏敵」扱いされたのに、矢野先生といって慕ってくれる信者も多かったそうです。

詳しいことは矢野さんの本に書かれています。

「黒い手帖」裁判全記録 矢野 絢也 (著)
http://cultbokumetsukonzetsu.web.fc2.com/04s05.html

詳しく説明しましょう。
元・公明党委員長...

  • 質問者

    oku********さん

    2018/3/2002:18:19

    なるほど、地域包括ケアシステムの元祖は、創価学会の地域見守りと言う監視活動が、モデルになっているんですね。学会員は、歳とっても安心ですね(笑)

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質問した人からのコメント

2018/3/21 15:12:55

些細な意見の食い違いで、仲間同士で、殺し合いするなんて、程度が低いんですね。

ベストアンサー以外の回答

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jap********さん

2018/3/2111:17:45

2011/02/02(Wed)
【堕ちた元委員長 95 矢野絢也がシラを切り続ける「明電工事件」】
1989年5月、公明党の歴代委員長の中で唯一、「政治とカネ」が原因で委員長職を追われた矢野絢也は、自ら起こした金銭スキャンダルについて最後まで認めようとしなかった。その姿勢はそれから20年以上たった現在もまったく変わっていない。矢野が政治生命を失う原因となったのは、当時、明電工疑惑と呼ばれた事件だった。若い人にはこうした事件を直接知らない人も多いと思われるので、以下に簡単にまとめてみる。
明電工事件とは、東京・渋谷に本社をもっていた節電装置メーカー・明電工の実質的オーナーだった中瀬古功という人物が起こした、株取引をめぐる脱税事件を指している。総額21億円にものぼる個人の脱税は当時、史上3番目の巨額脱税事件として騒がれた。このうち、87年1月に中瀬古氏が行った10億円に及ぶ株取引において、株を購入した名義人に、矢野の元秘書らの名前がとりざたされたことが問題となった。
さらにこれと別に87年5月ごろ、矢野が明電工関係者に対し、株取引のために2億円の現金を手渡していた事実も発覚。しかも受け渡し場所は委員長である矢野の自宅だった。報道では、矢野が利益の確実な第三者割当増資株を購入するための代金とされたが、矢野本人は当初は「無関係」と強弁し、それが通らないとみるや、途中から「秘書の融資を仲介しただけ」などと主張内容を“変遷”させた。
矢野は秘書による明電工への2億円もの融資を“仲介”したと主張しながらも、その場に秘書本人は同席しておらず、まして融資の「契約書」も示せなかった。仮に契約書を事後に“偽造”したいと考えても、相手のある話である。もともとそれがあるのなら、「契約書」を示せば疑惑は溶けてなくなる。つまりは、客観的にはだれの目から見ても、都合のいい“言い逃れ”にすぎなかった。
双方の言い分が対立したとはいえ、「清潔の党」であるはずの公明党委員長の自宅において、2億円もの金銭授受がなされたという「事実」そのものは、動かしがたい、否定できないものだった。そのことが支持者に衝撃を与え、さらに動揺を生む結果となった。
矢野は86年12月、党委員長に就任した際、「立党精神をいま一度思い起こし、民衆の側に立つ公明党として前進しよう」などと述べていた。だが実際は、その翌月の87年1月、10億円の株取引(金儲け)に関与していただけでなく、同年5月、国会会期中にもかかわらず、日中公然と自宅に舞い戻り、業者に2億円もの札束を手渡していた。口では「立党精神」「民衆の側」などと叫びながら、実際は、立党精神を踏みにじり、「自己利益」のために執心していたわけである。≪二枚舌≫の典型ともいえよう。
こうした矢野の≪二枚舌体質≫は、当時から20年以上たったいまも上記の虚偽主張を平然と重ねている事実に加え、この件について支持者に謝罪することをせず、逆に開き直り、教団攻撃に走っている事実からも顕著であろう。矢野が単なる「ウソつき」でなく、むしろ「詐欺師」に近いと言われるのはそのためである。
http://www.yanagiharashigeo.com/kd_diary/kd_diary.cgi?viewdate=2011...
________

2010/11/24(Wed)
【堕ちた元委員長 85 陰で竹入批判を繰り返した矢野絢也】
公明党国会議員OBの3人が、新宿区にある矢野絢也所有の「豪邸」を訪れたのは2005年5月。矢野が議員引退した93年から数えて12年が過ぎていた。このとき矢野は、同僚議員であった3人にこう述べた。
「僕は本当にこのお、一昨日来てくださったこと、本当にうれしかった」
「私も男ですから、約束した以上はそうしますしね」
「本当に10数年間、ご迷惑かけて、本当に申し訳なかったと」
「きっかけがないもんでね、わしは。あなた方のおかげで救われた」
いずれも5月17日夜の時点における矢野本人の発言である。一方、それに先立つ5月15日には、3人に対して次のように語っていた。
「僕はあのう、竹入(義勝)と違うよ。お寺行ったりするつもりもない」
「竹入とは、まあ20年間一緒にやった仲だし、よく喧嘩もしました」
「竹入さんの行動、はっきり言って、女の始末まで私してたわけですよ」
さらにこのとき、矢野は3人に次のような言葉も発していた。
「この10年間は、皆さんと疎遠になって、僕も寂しかったし、皆さんにもご迷惑かけてと、お詫びもしたいと」
あくまで、議員引退後の10数年間、同僚議員と没交渉になり、政治評論家として好き勝手に振る舞ってきた自身の行動を懺悔し、謝罪する姿勢を鮮明にしていた。だがその後、矢野の態度は“一変”する。日蓮正宗関係者らに説得され、反逆の意志を明確にしていったからだ。矢野は最近の著作で次のように「宣言」している。
「売られたケンカはきっちりと買わせていただくつもりです」
「これは、僕の老後の生きがいみたいなことになってしまっていましてね」
「いろいろ手伝ってくれる人がいるものですから、やっているわけです」
陰では竹入義勝の過去の言動を引いて批判。相対的に自分の立場を持ち上げようとしていたが、いまでは裁判の結果に勢いづいたのが、強気の姿勢を崩していない。だがまだ一連の裁判はけっして終わったわけではない。重要な争点部分での争いは依然として継続中であり、予断を許さない状況が続いている。
http://www.yanagiharashigeo.com/kd_diary/kd_diary.cgi?viewdate=2010...
________

「週刊現代」の記事をめぐる過去の矢野絢也の裁判で、公明党議員OB3人が矢野宅を訪問した際、どのような話し合いがなされたかは双方で対立する最大の争点となった。OB側は矢野の了承のもとに過去の議員手帳などを預かり保管したと主張したのに対し、矢野は意に反して持ち出されたと主張したからである。OB側が矢野宅でのやりとりを録音した「音声データ」を法廷に提出したのは、矢野の主張がウソであることを証明するための弾劾証拠としてであった。なぜならそこには、矢野の主張するように「意に反して」どころか、矢野自身がOBに手帳を預けることを認める数々の発言を行っていたからだ。例えば次のような言葉であろう。
「ただきっかけがないもんでね、わしは。あなた方のおかげで救われた」「くれぐれも皆さんの方からではなく、私から自発でお預けした」「私も男ですから、約束した以上はそうしますしね」
さらに矢野は、この証拠が法廷に出てくる以前、書面で次のように主張していた。
「自分で(手帳を)燃やすなどと言ったことはありませんし、言うはずもありません」「『これからもしばしば来てほしい』と言うわけがありません」「彼らの態度に危険を感じてやむを得ず渡したもの」
ところが肝心の音声データには、矢野自身による次の声が記録されていたのである。
「あなたたちが立ち会ってね、燃やせばいいんです」「何遍来ていただいても結構でございますから、ほんと」「私の意思でお預けした」「どうもお三方、ありがとうございました」
弾劾証拠としては、十分すぎる内容とも思えるが、東京高裁は一転、この音声記録の信用性に難クセをつけ、科学的検証も踏まえず、逆の判断を下すことになった。

ICレコーダーの改ざん問題をめぐっては、原告らが音声機材のメーカーであるソニーに確認したところ、録音された音声記録には時系列に日時が秒単位で自動的に記録されるため、それを確認すれば、削除や入れ替えなどの改変があったかどうかを識別できるといい、製造元がこの裁判で争点となっている音声記録を調べたところでは、改変はなされていないとの調査結果が示されている。

★音声記録データが編集されたものであるかどうかを争点とする裁判で、窮地に追い込まれていた矢野絢也が和解。

6. 矢野は、いわゆる「手帳強奪事件」に関する週刊現代の記事をめぐる損害賠償請求事件及び手帳返還等請求事件(第1審・東京地方裁判所平成19年(ワ)大15151号、同第15738号及び23436号、控訴審・東京高等裁判所平成20年(ネ)第650号、上告審・最高裁判所平成21年(受)第1164号)について、「手帳を強奪された」あるいは「テープは改竄されている」と主張しない。

※【矢野絢也とは】
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q121706718...

lio********さん

2018/3/2007:36:55

元公明党議員(元代表)の矢野ですよね。

それこそ支持母体である創価学会のおかげで当選できたにも関わらず、私利私欲に走り、学会を裏切ったからですね。

最近は若いおねえちゃんとお付き合いしているとかでお元気そうで(笑)

あなたの質問内容からすると、公明党と創価学会についてあまりご存知でないようですね。

単なる無知は、そのような誤解と不安を生みだすだけです。
是非この機会に、本当の公明党と創価学会を知ってください。

★公明党
https://www.komei.or.jp/

★はじめての方へ(創価学会とは)【創価学会公式HP】
http://www.sokanet.jp/hajimete/

★信仰体験集動画(日本・イギリス・アメリカ・イタリア)※期間限定
http://net-vod2018.sokanet.jp/

★池田大作名誉会長の足跡【創価学会公式HP】
http://www.sokanet.jp/sokuseki/

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zop********さん

2018/3/2007:16:28

矢野絢也氏は、 明電工事件(1988年)が発覚した後の1989年に公明党委員長を辞任するも、直後から公明党最高顧問に就任し、1993年の6月に政界を引退するまで同ポストに居座り続けることができました。

矢野氏が創価学会から批判されるきっかけとなったのは、汚職事件のせいではなく、政界引退後発表した手記の中で、、、

「政教一致と言われても仕方がない部分があった」と指摘したことが一番大きな要因でしょう。竹入バッシングが起きた時の状況と似ています。

竹入バッシングの理由を竹入氏の"汚職”(党、支持者への裏切り行為)だと創価学会では言ってるようですが、別の事例を見て行くと本当の理由が見えてきます。


リクルート汚職で有罪となったの池田克也議員。砂利船汚職で有罪となった田代冨士男議員。2人共、除名とはならず、離党扱い。その後も、創価学会の顧問弁護士に刑事裁判で弁護を務めてもらうなど優遇されています。

藤井富雄(公明党常任顧問)にいたっては、数々のスキャンダルに名を連ねたものの、党の定年制にも特別扱いで適用されず、その後は都議を続けました。

ところが、かつて現職の衆議院議員でありながら池田大作を批判した大橋敏雄は、激しい誹謗中傷にさらされ、次期衆議院選挙の候補にもなれませんでした。福本潤一もそうでした。

要するに、創価学会を批判しないで、池田大作氏を持ち上げておけさえすれば、バッシングは起きないということなんだと思います。

政界引退後、竹入氏も矢野氏も逆のことをしてしまったわけです。

だから、政界引退後にバッシングを受けることになったのです。

xo3********さん

2018/3/2007:06:15

一般会員には知らせないやましいことが存在するからです。中枢にいたから全体の成り立ちが分かってる。金庫番の中西氏や顧問弁護士であったひどい山崎正友氏も 袋叩きに合いましたね。

tea********さん

2018/3/2006:27:46

矢野が党首だった頃、〔名電工事件〕やその他の不正疑惑が勃発し、
矢野は明快な弁明が出来ず、司法の判断に委ね、曖昧に処理し、証
拠隠滅を図ったのです。

創価学会員は矢野に事実を公表し、謝罪を要求、公明党にも党首と
議員辞職を要求したのです。
次期、総選挙では矢野を推薦、支持しない事を勧告したのです。
罷免、追放では無く、矢野自身が自ら辞職する様に、寛大な対応を
したのです。

矢野は自ら辞職し、党首と衆議院議員を辞職したのです。
それを逆恨みし、創価学会攻撃へと転じたのです。政治評論家に転
職し、評論活動でTV出演したりしてました。
アンチ創価の連中と結び付き、資金を得る事にも成り、一時的には
順調な様に、運んでいたのですが、やがて、マスゴミ、TV業界か
らも干され、評論活動も出来なく成ったのです。
此れが現実です。結果です。因果の理法に依って、悪は退陣するので
す。
矢野自ら招いた結果です。自分が原因を作ったのです。
〔黒い手帖〕に信憑性が有ったのなら、マスゴミから干される事など
有り得なかったのす。嘘・捏造が糾弾されたからこそ、干されたので
すよ。

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