日野富子は日本三大悪女の1人に数えられ、戦国時代のきっかけを作った女性です。こう書くと美貌の女性で富子をめぐって争いが!? と思われるかも知れませんが全然違います。
富子は室町将軍家とゆかりの深い中流公家に生まれます。夫は8代将軍足利義政。どっちかというとボンクラ系で政治が途中で嫌になり文化活動に専念した人です。東山に銀閣寺(正確には慈照寺)作った人ね。
富子は16歳で義政に嫁ぎ19歳で子を産みますが、子は1日で死亡。普通なら死を悼み、塞ぎ込むところでしょう。
しかし富子は、これを義政の乳母の呪詛だと主張し、彼女を流罪とした挙句に刺客を送ります。ついでに側室4人も追放。気の強さ満点ですね!
そこから富子は女子を2人産みました。
ところが男児が生まれない。ポンコツ夫は早く隠居がしたいため、出家していた自分の弟(義視)を還俗させ、次期将軍に指名。この時富子は25歳でまだ産める年齢でした。
こんなとき、お約束で生まれちゃうのが男児(義尚)。
富子は自分の可愛い息子タンを将軍さまにしたい訳で、かくして義視vs義尚の将軍争いに山名と細川などの対立も加わって1467年応仁の乱が勃発してしまいます。
京都を舞台に11年続いた挙句に決着がつかず、都は荒れには荒れ、将軍の権威は地に落ち、まさに人の世むなし……。戦国時代のキッカケにもなり一体誰トクなの?な戦いで富子はバッチリ得をしました。
- 富子は東軍側だったが両軍の大名に金を貸し付け、さらに米にも投資し莫大な富を得た
まぁ、そんなことしてりゃ夫との仲は冷え切ります。義政は隠居し、晴れて息子義尚が9代将軍となると、彼女は実質的な幕府のトップとなってしまうのでした。
そしてここでも富子は金を稼ぎます。
応仁の乱後、荒れた内裏の修復費を名目に京都の入口に関所を作り銭を徴収したのですが。
- 富子、関銭を懐に入れ私腹を肥やす→怒った民衆が一揆を起こし関所を壊す→富子、私財を守るため一揆を弾圧しまた関所をつくる
こんなことをしているので息子にも嫌われてしまいます。母を遠ざけ酒色に溺れた義尚は25歳の若さで亡くなりました。
息子の死には流石に凹んだ富子ですが、自分の権力を守るためにまだまだ動きますよ~!
応仁の乱で対立した義視に近づき、彼の息子・義稙を次期将軍に推挙。義稙は富子の妹の子、つまり甥でした。
かくして義視が後見人となり義稙が10代将軍になるのですが、跡目争いで散々争った相手と上手く行くはずがなく義視は富子の屋敷を破壊し領地を差し押さえます。義稙も富子に辛くあたり「自分が将軍にしてやったのに!」と彼女は激おこ。そこで何をしたかと言いますと……。
- 義稙の遠征中にクーデターを起こし、将軍をすげ替えた
もう好き勝手やり過ぎです。ありがとう!
富子はクーデターの3年後57歳で病死しますが、その遺産はなんと70億円もあったそうです。
こんな調子でも、実は大河ドラマのヒロインにもなった富子さん。ご興味のある方は「花の乱」を見て下さいね〜。
悪人度 ★★★☆☆
影響力(権力)★★★★☆
お金好き度 ★★★★★
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イラスト・文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
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【参考】足利義政/wikipedia 日野富子/wikipedia