3-15 軍法会議 その2
本日2回目の更新だぞ
法廷に控えていた海兵隊員が進み出て、まだ信じられないように呆けているハットン下級船員を両側から掴んだ。赤い装甲服の隊員に腕を掴まれ、初めてハットン下級船員は我に返ったのだろう。驚きの表情を浮かべて身を捩り、何かを叫ぼうとしたが、海兵隊は手荒な対応に慣れている。拘束用のマスクが一瞬で嵌められ、ハットン下級船員は沈黙を強いられた。
「連れていけ」
そう告げて立ち去ろうとするピアソン大尉の背中を、クイン大尉が鋭い声で呼び止めた。
「待て。ピアソン君!」
一瞬間をおいてから、ピアソン大尉はゆっくりと振り返った。
「なにかな。クイン君」
「……異議がなければと言ったな。ありもあり!大ありってやつだぜ!」
クイン大尉が食いつくようにピアソン大尉に抗議した。
「どういうことだ。そりゃ、あんまりだ。君の部下は無罪放免であの若者は鞭打ち72回だと」
「先に手を出したのは、彼かもしれんが、君の部下はハットンを六発も殴っている」
クイン大尉が指摘したが、ピアソン大尉は訂正した。
「七発だ」
「六発でも、七発でもそんなことはどうでもいい」
クイン大尉は、激しくかぶりを振って言葉をつづけた。
「鞭打ち72回だと?」
冷たい目をクイン大尉に向けたまま、ピアソン大尉はうなずいた。
「軍規では……」
「軍規などどうでもいい!いや、よくないが……」クイン大尉は深呼吸した。それから脳裏で言葉を組み立てる。
「君はこのちょっとした喧嘩の後始末に鞭打ち100回が値する懲罰だと本気で思っているのかね?」
クイン大尉の言葉にピアソン大尉は軽く肩をすくめた。
「異議があるなら、申し立てたまえ。幸いケンダル2等士官は、船の法務士官を兼ねている」
そう言ってから、ピアソン大尉は軽く顎を逸らした。
「それに君の発言は私に対する侮辱に値するぞ。クイン君」
「侮辱?どこがだ?」
何が侮辱だ。それがなんだ。今は若者一人の人生が変わるか否かの瀬戸際なんだぞ。
そう思ったクイン大尉は、カリカリして噛みついた。
「仮に私の部下から殴り掛かり、オベロン号の船員が私の部下を六回殴りつけたとしても、私は同じ判決を下しただろう」
そのピアソン大尉の言い草に、クイン大尉はもう我慢ならなくなって振り向いた。
「おい、ケンダル君!この分からず屋になんとか言ってやれ。君の部下だぞ」
ケンダル2等士官は、難しい顔をしたまま手元に視線を落としていた。
その態度は全力で関わりたくないと言外に主張していて、クイン大尉の怒りをますます強めた。
確かにケンダル2等士官は、見るからに厳格極まるピアソン大尉の恐ろしい顔つきを見て、表面には出さなかったものの関わり合いになりたくないと怖気づいていた。
ログレスの爵位貴族というのは兎に角、そこら辺の国の腐敗した特権階級とは、比べるのもおこがましい筋金入りの支配者であった。戦争時に庶民の十倍の死傷率を超えるのも珍しくない連中であるから、厳格さに関しては他の追随を許さない。
海賊と戦う時にはこれ以上心強い味方はおるまいが、怒らせた時にこれ以上恐ろしい相手もまた銀河系にはおるまい。
ピアソン大尉は、一千万人の死苦のもがきを味わった伯爵の孫である。迂闊に怒りを買えば、どんな災難が降りかかるか分からない。
大体、王立海軍の提督たちの恐ろしい逸話を少しでも知っていれば……任務に失敗した孫に軍事法廷で銃殺を宣告した提督すらいるのだ。ログレス貴族が判事を務めている時点で慈悲や憐憫など期待するだけ無駄だと分かりそうなものだが、ああやって伯爵の孫に食って掛かるクイン大尉の言動は正気とも思えない。王立海軍の判事。特にピアソン大尉のような性格の持ち主に対して減刑を求めるなら、クイン大尉は、ハットン下級船員の有用性。これまでの勤務態度の真面目な側面や経歴を指摘し、監督役を任命して、更生の可能性に訴えかけるべきであった。しかし、既に士官二人の口論は激しく熱を帯びており、ケンダル2等士官は口を挟むタイミングを逸していたし、クイン大尉が感情的になりすぎていて王立海軍の艦長2人の対立に巻き込まれるのも躊躇われた。
沈黙を守るケンダル2等士官を見て、クイン大尉は彼の怯懦を軽蔑したように露骨に鼻を鳴らした。それから、もう蒼白になって震えているハットン下級船員を指さした。
「見ろ、まだ尻の青い小僧だぞ。これくらいの年齢の時には、誰だってちょっとした失敗はするもんさ」
「であれば、今回の懲罰はねじれた大人になる前に更生させる最後の機会となるだろう」
ピアソン大尉が重々しく告げた。
「おい、考えてみろ!この若者にも家族がいるんだぞ。鞭打ち70回だと!?残忍な懲罰を受けて、訳の分からんことを呟いてうめくだけの廃人同然になった我が子を前に親がどう感じるか考えてみてくれ!」
少し考えてからピアソン大尉がうなずいた。
「少なくともハットン下級船員がこれ以上、軽々しく暴力を振るって哀れな被害者の親を悲しませることは減るだろう」
「この分からず屋め!君はなんて残忍な男なんだ」
興奮のあまり、クイン大尉は体を震わせながら歯噛みしていった。
「きっと、残忍な貴族の爺さんに鞭打たれて育てられたんだろうな」とクイン大尉が言った。
「君のお爺さんは孫をさぞ可愛がったのだろうね、クイン君」
「生憎と俺は片親でね」とクイン大尉は吐き捨てた。
「では、情緒教育に成功する為の機会すら与えられなかったと見える。しかし、それは君の責任ではないから気に病むことはあるまい」ピアソン大尉はむしろ優しげな口調で告げた。
恐ろしい沈黙が二人の間に舞い降りた。
「どういう意味だ。それは?」とクイン大尉がしわがれた声で言った。
ピアソン大尉は、クイン大尉を灰色の瞳で鋭く睨みつけたまま、冷笑を浮かべている。
睨みあう二人の王立海軍士官の間に、急速に敵意が醸成されつつあった。
ピアソン大尉とクイン大尉が睨みあい、法廷内に重苦しい沈黙が立ち込める中、何処からか間の抜けた声が響いてきた。
「入れてー。入れてー」
法廷の扉がトントンと叩かれている。僅かに頬を痙攣させてから、ピアソン大尉は目前のクイン大尉から視線を外すと、扉の傍らに立つ保安隊員に視線を向けた。
「何事だ?」
保安隊員が外をのぞき込んでから、当惑した表情でケンダル2等士官に告げた。
「モー・モフが来ています」
「モー・モフだと……」ケンダル2等士官が眉をしかめて呟いた。
「あいつが何の用だ?」
「大事な用件なの、いれてー」どこか暢気な響きの声は続いている。
二人の士官を窺うように見比べてから、ケンダル2等士官がうなずいた。
「入れてやれ」
どこか優しげな顔をしたカエルに似た異星人が扉から入り込んでくる。
「ケダ・モー。モー・モフよ」
「何の用だ?」とケンダル2等士官が渋い表情で尋ねかけた。
「プリシラを連れてきたのよー」
モー・モフと名乗ったカエル型異星人が扉の外に立ち尽くしていた若い娘を手招きした。
「プリシラは、この二人の暴力騒ぎに巻き込まれたウェイトレスです」とケンダル2等士官が補足したが、モー・モフが手を振った。
「待って。待ってほしいのよ。違うのよ」
「何が違うのだ」とケンダル2等士官。
「二人が喧嘩したのは、この子が悪いのよー。思わせぶりにしたのよー、原因があるのよ」とモー・モフ。
おずおずと入り込んだ若い娘は、涙目でうなずいている。
小柄なカエル型異星人の言葉はやけに間延びして聞き取りづらいので、会話は首からかけたラジオのような翻訳機の助けを借りていた。
軽く首を傾げたソームズ中尉が、法廷に進み出てきたカエル型異星人を眺めた。
「この者は?」ソームズ中尉とほぼ同程度の背丈のモー・モフは、精巧な人形のようにも見えた。
「下層食堂の料理人です」とケンダル2等士官が告げた。
「今回、暴力事件に巻き込まれたプリシラ・ペラエスのオベロン号就職時の身元引受人です」
ケンダル2等士官の言葉に、ソームズ中尉が冷ややかにうなずいた。
「身元引受人。エイリアンにしては信用がありますな」とソームズ中尉。
「モーは……彼は王立海軍に水兵として600年勤めています」ケンダル2等士官の言葉にソームズ中尉が軽く目を見張った。
小柄なカエルは法壇の前に進み出ると、ピアソン大尉を見上げた。
「ポアソン艦長。マクラウド中尉とハラーが、モーのことを保証してくれるの」
「マクラウド中尉やハラーとどういう関係かな」ピアソン大尉が尋ねた。
「ジャガイモを上げたのよ。カルサーム産のおいしいジャガイモ」
沈黙を守っているピアソン大尉にモー・モフは言葉をつづけた。
「マクラウドは、ご飯が美味しくないって言ってたね」
「……いかにもあいつの言いそうなことだ」モー・モフの言葉には説得力があったが、ピアソン大尉は冷ややかに言ってから通信端末でマクラウド中尉を呼び出そうとした。
しかし、何処にいるのか。通信が切れて繋がらない。
「マクラウド君め。通じないな」
次にピアソン大尉は、航海士の老ハラーに通信を繋げようと試み、こちらはすぐに繋がった。
「ハラー。モーというエイリアンを知っているか。カエルのような」
「へい、モー・モフがどうかしましたか?」
老ハラーは、モー・モフについて知っていた。二、三の問答の後、ピアソン大尉は、通信を打ち切ってカエル型異星人に向き直った。
「ハラーが君の人格について保証をした。よかろう。思うところを述べたまえ。モー・モフ」
ピアソン大尉の言葉にうなずいて、モー・モフはウェイトレスを腕で示した。
「口説かれたのは、この子が二人ともに気があるような素振りをしたのよー」
「……ふむ」ピアソン大尉が続きを促した。
「反省しているよー、自分が罰されてもいいと言ってるのよ」とモー・モフの言葉に女給のプリシラは涙目でうなずいている。
「……君が決めたまえ。グリーン」
ピアソン大尉が冷淡な口調で告げた。
「ハットン下級船員を告訴するかね」
「いいえ」エドの言葉に、ピアソン大尉は満足そうに深くうなずいた。
「ケンダル君。クイン君。グリーン3等水兵は、内々の処罰で済ませることに異議はないそうだ」
ケンダル2等士官が急いで言った。
「ハットンには然るべき処罰を下しますが、公式の記録には残りません」
「では、ハットン下級船員に対する暴行および公然の破壊行為は、女性を巡っての痴話喧嘩として賠償と譴責で済ませるのが妥当だろう」
ピアソン大尉が言って、海兵隊員に指示をした。
「海兵隊員。ハットン下級船員の猿轡を外したまえ」
猿轡を外されたハットン下級船員にピアソン大尉がくぎを刺した。
「ハットン下級船員。これからは、公共の場では身を慎むことだ」
どこか青い顔をしてハットン下級船員は肯いた。その様子を見てからピアソン大尉が視線をうつした。
「それとグリーン3等水兵」
「イエッサー」とエドが背筋を伸ばした。
「少しは身を慎め。貴様の女癖の悪さは、いずれ厄介ごとを招き寄せる」
「アイアイサー!肝に銘じておきます!」ホッとしたようにエドが笑顔を浮かべた。
「では、閉廷とする」ピアソン大尉が宣告した。
ピアソン大尉とクイン大尉は、互いに冷たい視線を向けあった。抜き差しならぬ対立の空気はもはや霧散していたが、しかし、そこには冷たい敵意が横たわっていた。しかし、対立の理由が消えた今、互いに受けて侮辱に拘って対決を続けるべきか。
少しだけ考えてから軽く頷きあって、二人の海尉艦長はほぼ同時に相手から視線を背けると、互いにもう一人の大尉が存在しないようにケンダル2等士官や他の乗務員たちに挨拶を交わしてから、法廷を後にした。
クイン大尉は、荒っぽくハットン下級船員の肩を叩いて笑いかけ、ピアソン大尉は無鉄砲な若者の上司であるケンダル2等士官に釘を刺すことを忘れなかった。
「おう、感謝するよ」モー・モフがよたよたと歩きながらピアソン大尉に寄ってきた。
モー・モフのでかい口を見ると人間でも丸呑みできそうで、ソームズ中尉は気分がよくなかった。
「司厨長いないと聞いたよ。モーは、ポアソン艦長のために料理を作ってもいいよ」とモー・モフが告げた。
「私の船に志願するということかね?」
ピアソン大尉の言葉に、カエル型異星人が頷いた。
「結構な話だが、君の料理の腕前とやらを私は知らない。それにだ……」ピアソン大尉は冷ややかに告げた。
「人は、食事の味などと言う何の益ももたらさない代物に労力を使うよりは、もっと有益な分野に対して想像力を割くべきだ。そうは思わんかね?ソームズ君」
今日は、モラレスが食事当番であると同時に、ピアソン大尉が歩兵たちと同じ食事を取ると決めた日であった。二人とも、食事をとり損ねており、あまり機嫌はよろしくない。もっとも、その理由は180度異なっていたが。
「そういう意見もあるかも知れません」
ソームズ中尉は、用心深く口にした。エドも海兵隊員たちも、沈黙を守っている。
部下の誰もがピアソン艦長が恐ろしくて口に出せない様子であったが、しかし、何か言いたげな視線が集中していた。
「ふん」
ピアソン大尉の気に入っているモラレスのオートミールは、どうやら他の乗組員たちには不評のようであった。一瞬で部下たちの一致した不満の兆候を読み取ったピアソン大尉は、不快そうに眉を寄せてから、渋々とうなずいた。
「よかろう。ソームズ君。ケダ・モー・モー・モフを志願兵として登録……」
言いかけたピアソン大尉の言葉をカエル型異星人が遮った。
「違うのよー」
「何が違うのだね?」
「ケダ・モーでモー・モフよ」とカエル型異星人。
困惑するピアソン大尉にモー・モフは言いつのった。
「ケダ・モーは名前で、モー・モフは名前なのよ」
「ケダ・モーでモー・モフである名前を志願兵の名簿に載せておきたまえ」
どうでもよくなったピアソン大尉が、肩をすくめてからソームズ中尉に告げた。
ジム・ヘインズ 海兵隊特務曹長
プリシラ・ペラエス オベロン号の女給
モー・モフ。カエルに似た異星人エモリアンの料理人。味覚は人類と共通。アミノ酸美味しい。
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