元帝国四騎士にして、現アダマンタイト級冒険者蒼の薔薇、レイナース・ロックブルズは知っている。
魔導王アインズ・ウール・ゴウンこそが、全ての神々の頂点に立つ存在であると。
彼女に苦難の人生を強いてきた悍ましい呪いは、魔導王によって解かれた。
歓喜と感謝の念から、レイナースは魔導王に祈るようになった。
驚くべきことに、信仰の対象を魔導王に替えても、彼女の信仰系魔法は問題無く発動した。
これにより、魔導王こそが信仰を捧げるべき神であることが証明された。
それと同時に、それまで彼女が信仰を捧げてきた神より高位の存在であることも証明されたと言っても良いだろう。
現世に顕現し、楽園を築くことに尽力する神と、天にあり、魔法を使わなければ力を貸してくれない神。
どちらを信仰するべきか、誰でも分かる。この世界は綺麗事だけで生きていけるほど甘くは無いのだから。
慈悲深き魔導王は、民の心の安寧を願い、他の神を信仰することを禁じてはいない。
それでも、他者を害するような、具体的には人間を生贄を捧げるような儀式は禁じている。
蒼の薔薇の一員として、レイナースがバハルス帝国に戻ってきたのは、帝国四騎士の一人、激風ニンブル・アーク・デイル・アノックが、ラキュースに丁重にお断りを告げた日から、数か月経ったある日である。
―バハルス帝国首都アーウィンタール、帝城の一室―
元四騎士の一人、レイナースは以前とはまるで違う表情を浮かべている。
見るものが自然と警戒を解いてしまうような、穏やかで優しい笑顔だ。
「久しぶりだなレイナース。息災か?」
自分をあっさりと捨て、我先にと魔導国に降った元臣下を迎える皇帝は―内心はさておき―笑顔で出迎える。
「お久しぶりです陛下。勿論、元気にしております。前回はお会い出来ませんでしたから、お目通りが叶って嬉しい限りですわ」
フールーダ同様、こいつも全く悪びれることが無い。
そういう我の強い人間ばかりを側近に取り立ててきた自分は、ひょっとして人を見る目が無いのかもしれない。
「それで? 今回はどういう用だ?」
「ええ、陛下には恩返しをしていなかったなと思いまして」
「恩返しだと?」
いきなりやって来て、恩返しをしたいなど、どう考えてもレイナースのやることではない。
これも魔導王が絡んでるのかもしれない。
「ふふふ、そんなに警戒なされないで下さい。私、こう見えてもそこまで恩知らずではありませんのよ」
魔導王の力を知ったと同時に、国を飛び出した奴が、何を言っているのか。
「それで? 俺にどんな恩返しをしてくれるんだ?」
「その前に、四、いえ、三騎士以外は御人払いを」
本当に信頼出来る連中以外には、聞かせられない話ということか。
嫌な予感しかしない。
聞きたくは無いが、聞かなければもっと悪い未来が待っていることは間違いない。
人払いをして、続きを促す。
「それで? 人払いさせてまで、何を伝えたいのだ?」
「ええ、ご存知と承知しておりますが、魔導王陛下は、信仰の自由を保障していらっしゃいます」
「そうだな。自分を崇めろとでもいうのかと思っていたが、驚くほど柔軟な御方だ」
「ですが、人間を生贄を捧げるような邪教の存在は認めてはおりません」
「待て、まさか、帝国の国内にそんな連中が居ると言いたいのか?」
人を攫って生贄にするような集団であれば、それなりの規模になる筈だ。
やりそうな連中は知っているが、帝国の重鎮も参加していることから、未だに潰してはいない。
「例の邪神を崇める連中か? だが、人間の生贄など初耳だぞ」
生贄と言っても、精々、鶏程度だった筈だ。
「ことはそれだけではありません。彼らは、自分たちが崇める神こそ、魔導王陛下だと思っているようです」
「何だと?」
予想通り、やっぱり悪い話だった。
まさか、宗主国の王を邪神扱いとは。
「ですが、魔導王陛下は非常に慈悲深きお方。決して生贄の儀式などは喜ばれません。もし陛下のお耳を汚すようなことがあればどうなるか」
「分かっているさ。すぐに潰すとしよう。バジウッド、人選を頼むぞ」
「了解しました。陛下、全員処刑すると考えて宜しいですな?」
帝国を守る為だ、数名は残しておきたい人材もいるが、背に腹は代えられない。
ジルクニフは首肯する。
「魔導王陛下は、皇帝陛下にご期待されておられます」
「そうか、それはありがたいことだ」
「ええ、魔導王陛下を妄信されていないことを、特に評価されておられるようです」
……やはり、魔導王には隠し事は出来ないか。
とはいえ、反旗を翻そうとしている訳ではない。
いきなり帝国を取り潰しということも無いだろう。
「陛下、今回の件は、早急に解決されることをお勧めいたします。」
「分かっているとも。可及的速やかに片付けるさ」
「魔導王陛下は寛容なお方ですが、守護者の方々はそうとは限りません。帝国を存続させる為にも、魔導王陛下の名を堕としめるようなことが無きよう、お気を付け下さい」
魔導王の臣下の殆どは、狂信的な忠誠を誓っている。
どれだけ温厚な者であっても、魔導王を侮辱した瞬間、豹変するのが当然と考えておくべきだろう。
それは、自分を捨てて魔導国に降ったこのレイナースとて例外ではない。
彼女は忠誠心が低いというイメージを持ったまま話をするのは危険と考えるべきだろう。
あの魔導王のカリスマの前では、狂信者で居られない者の方が少数派だ。
レイナースが退出した後、ジルクニフと三名の騎士だけが残った。
「やれやれ、これは帝国存亡の危機だな」
面倒臭そうに、ジルクニフが溜息交じりに呟く。
「魔導王陛下の政の力量は、私よりもずっと上だ。だからこそあの方は、民衆からの人気を、相当に気にしているようだな」
「あの絶対支配者がそんなことを気にされますかね?」
「為政者として考えれば当然だ。民衆に王であって欲しいと望まれることは、統治が非常に楽になるということだからな」
「そうすると、今回の件が表に出たら、相当に大きな問題になりそうですな」
「そういうことだ。この連中は、反逆者として処分するさ。まあ、今回だけはレイナースに感謝だな。確かに恩返しをしてくれたよ」
ともあれ、そもそも魔導王さえ居なければ、こんなことにもなっていないのだが。
偶には、この重たい気分が晴れる様な、良いことが起きないものだろうか。
ジルクニフはいつも通り、大きな溜息を吐き、また仕事に向かう。
―帝都アーウィンタール―
「終わった? レイナース」
「ええ、流石に皇帝陛下は話が早くて助かりますわ」
蒼の薔薇リーダー、ラキュースの質問に笑顔で答える。
今回の表向きの仕事は、レイナースに呪いをかけたモンスターの調査だ。
レイナースにかけられていた呪いは、
文字通り、命と引き換えに対象者に呪いをかける魔法で、同レベル帯で抵抗することはほぼ不可能。
魔法の仕様が大きく変容しているこの世界では、極めて危険な魔法だと言える。
レイナースが斃したのは、どのようなモンスターで、どうやってその魔法を習得したのかを調査するのが狙いだ。
しかし、レイナースにはもう一つの仕事が与えられていた。
それが皇帝を動かして、帝国内の邪神教団を壊滅させること。
そちらはほぼ完了だ。
後は優秀な皇帝がどうにかするだろう。
そして更にもう一つ、彼女自身の目的。
もし皇帝が魔導王に反旗を翻すつもりであるなら、刺し違えてでも首級を取ること。
自分にかけられた呪いを解いてくれた時、魔導王は領民の為に戦ってきたレイナースの行いを褒めてくれた。
両親も、婚約者も、呪いをかけられた自分を、まるで汚いものを見るように罵ったのに。
だが魔導王だけは違った。
「大切な誰かの為に、己の命を懸けること程尊い行いは無い」と言ってくれた。
自分の誇りを、魔導王だけは認めてくれた。
子供のように泣きじゃくる自分を抱きしめて、落ち着くまで「良く頑張ったな」と撫でてくれた。
その日、レイナースは、至高の神の為に、己の全てを捧げることを決意した。
―バハルス帝国首都アーウィンタール―
この日、男女二人ずつの四人組が帝都内を走り回っていた。
「どう? 何か手掛かりは見つかった?」
「駄目だ。誰も居ねえ、完全にもぬけの殻だ」
ようやく、双子の妹を連れて行った男の居場所を探し当てたのは良いが、既に別の場所に移動した後だったようだ。
手掛かりになりそうなものも、綺麗さっぱり片付けられている。
「まさか、本当に自分の娘を売るような親がいるとはな」
チームリーダーの男、ヘッケランが吐き捨てる。
「ごめん皆。私が家の恥とか考えずに、もっと早く相談してればこんなことには」
魔法詠唱者の少女、アルシェの両親はジルクニフの改革により、貴族位を剥奪された。
再び貴族に返り咲く為、日々浪費を繰り返していたが、借金が返せなくなり、二人の娘を売り飛ばした。
「アルシェには悪いけど、本当に信じられない最低の屑だわ」
「これが終われば、神の拳の味を教えるとしましょう」
ハーフエルフのレンジャー、イミーナと人間の神官ロバーデイク・ゴルトロンも怒り心頭だ。
これが森の中であれば、イミーナのスキルで追跡も出来ただろうが、街中ではそういう訳にもいかない。
どう探せばよいものか、途方に暮れていたところに、不意に声がかけられた。
「もし、そこの方々、少しだけお話を聞かせて頂けませんか?」
涼しげな声がする方を振り向いてみれば、端正な顔立ちの騎士が立っていた。
帝国でワーカーや冒険者をしているもので、この男を知らないものは居ないだろう。
「帝国四騎士の一人、激風殿がワーカー風情に何のようですか? 申し訳ないが、今は立て込んでるんで、後にしてもらえませんか?」
ヘッケランが苛立たし気に話を切り上げる。
いつもであれば彼なりにではあるが、丁寧に対応していただろうが、今は緊急事態だ。
「そのお嬢さんの妹君のことで、ご協力して頂きたいのです」
「妹たちのこと、何か知っているの? 教えて下さい!」
アルシェは、何か手掛かりでもあるのかとニンブルに縋らんばかりだ。
「落ち着いて下さい。貴方の妹たちの件は、一刻を争います。どうか、私に協力をお願いします」
「妹たちを助ける為なら何でもします」
「おい、アルシェ」
ヘッケランが止めるのも構わず、ニンブルに協力を約束するアルシェ。
普段は余り感情を表に出すタイプではないが、妹たちのことになると、まるで別人だ。
「誰が彼女たちを買ったのかは分かっていますが、その居場所までは突き止められませんでした」
アルシェは、折角手掛かりが掴めるかと思ったのに、また振り出しに戻ったのかとガックリと肩を落とす。
「大丈夫です。その為に貴方を探していたのですから」
そう言って、ニンブルはスクロールを取り出した。
「このスクロールには、
「つまりどういうことだよ?」
「落ち着いてヘッケラン。この魔法は、自分が知っている生命体を探知出来るの」
「ええ、私の友人が譲ってくれましてね。ですから、お嬢さんだけが手掛かりなのです。協力してもらえますか?」
そんなことは当然だ。
考えるまでもない。
二つ返事で了承し、すぐに魔法を発動させる。
―アーウィンタール近傍の
フォーサイトの面々と、ニンブル、そしてその部下たちは、魔法によって割り出した墓地へと到着した。
「生贄の儀式ってくらいだから、地下墓地だろうな」
流石に人間を生贄に捧げようとする行為を表でやる馬鹿はいないだろう。
いくつもある地下墓地への入り口から、正解を探さなければならないが、ありがたいことに、ある地下墓地への入り口には、禿げ頭で筋骨隆々、刺青の目立つ大男が立っていた。
「お前ら急げよ。まだ儀式とやらは始まっちゃいないが、時間はねえぞ」
意外なことに、この大男は邪神教団の用心棒という訳では無いようだ。
男が倒したのだろう、用心棒らしき連中が辺りに転がっていた。
「失礼ですが、貴方は?」
ニンブルの立場としては、男の素性を聞かないわけにはいかない。
「俺が誰かは聞くな。帝国を守りたいんだろ? 俺の主人のご慈悲を無駄にするなよ?」
その言葉で理解した。
帝国の皇帝に慈悲をかけられる者など、たった一人だ。
「感謝致します。貴方のご主人様にも、お礼をお伝えください。」
「ふん。じゃあな、上手くやれよ」
禿げ頭の大男、ゼロはそのまま去っていく。
時間を取られる政になど、出来る限り関わりたくは無いのだ。
唯でさえ、諜報が出来る人材が少なく、仕事が立て込んでいるのだから。
地下墓地を暫く進むと、広間に到達した。
ここで儀式を行おうとしているのだろうことは一目で分かる。
良く分からない魔法陣と、その中央に置かれた二人の少女。
その周りを取り囲むようにして祈りを捧げている異様な集団。
「クーデ! ウレイ!」
妹たちを見つけたアルシェが一目散に飛び出していく。
直ぐに騎士たちやフォーサイトも突入する。
程なくして、全員取り押さえることに成功した。
「皆さん、ご協力ありがとうございました」
爽やかな笑顔と共に、お礼を述べるニンブル。
「いえ、お礼を言うのはこちらです。本当にありがとうございました」
妹たちが眠っているだけと確認できたアルシェは、ようやく落ち着きを取り戻していた。
「帝国内の反乱分子の摘発にご協力頂いた皆さんには、皇帝陛下より、恩賞が与えられることになると思いますので、後日、改めてご連絡させて頂きます」
「反乱分子ですか?」
「ええ、そうです」
生贄の儀式で反乱分子とは、とても違和感があるが、気にしてはいけない。
世の中には、触れてはいけないことがあるのだ。
「分かりました。そういうことなら、楽しみにさせて頂きますよ」
首を突っ込んでも碌なことにはならないだろう。
ヘッケランはサッサと話を切り上げることにした。
…このワーカーたちが頭が回る連中で助かった。
もし、余計な詮索をするようなら、折角助けた姉妹毎、ここで始末する羽目になっていたからだ。
ともあれ、今回の件は魔導王の慈悲に感謝しよう。
―エ・ランテル王城、アインズの執務室―
「ご苦労だった、流石はソリュシャンだな。私の意図を良く理解している」
報告書に目を通したアインズは、優秀な部下に労いの言葉をかける。
邪神教団の件が明るみに出れば、折角築いてきた良い神様のイメージが損なわれるところだった。
帝国の重鎮も参加していることから、帝国内で内々に処理してもらうのが最良と考えていたが、ソリュシャンはきちんと理解出来ているようだ。
「勿体無いお言葉。私こそ、アインズ様のお役に立てる機会を与えて下さり、感謝しております」
「後で褒美を与えよう。欲しいものを考えておくが良い」
恐らくは前回と同様、一緒にお風呂に入りたいと言うのだろうが、
ソリュシャンは空気が読めるので、アルベドの前でそんなことは言わないだろうが、念の為だ。
「ありがとうございます。後ほど、お願いをさせて頂きます」
「うむ。それで、このワーカー連中はどうなった?」
「はい、アインズ様のご計画通り、皇帝の配下として雇われるようです」
ソリュシャンの報告によると、件の連中はワーカーにしては珍しく善良なチームらしい。
帝国の人材不足が深刻だというので、多少はマシになるだろうか。
それにしても、優秀な人材が魔導国に来てくれるのは良いのだが、まさか碌な引継ぎもしていなかったとは驚きだ。
全く、社会人として、元の職場に残る同僚の為に、ちゃんと引継ぎをするのは常識だろうに。
出来れば後を継ぐ後輩も育てておいて欲しいものだが、そこまでは一職員では難しいだろう。
前世で―今世でも―元の職場を放りだして魔導国に降ったフールーダは、社会人としてどうかと思っていたが、この時代の帝国では当然だったのかもしれない。
少し、フールーダの評価を見直さなくてはならない。
「それにしても、子供を愛さない親がいるのか」
報告書にあった二人の少女は、親に売られたらしい。
それも、自分たちが贅沢をする為の金が無いという理由で。
アインズの父親は早世している為、記憶にはない。
それでも、母親は貧しいながらも愛情を注いでくれた。
必死に働きながら、無理をして、比喩ではなく、命を削って小学校を卒業するまで育ててくれた。
アインズの中で、親というのはそういうものだ。
親から受け継いだ愛情は、己の子供に与えてやらなくてはならない。
「アルベド、ソリュシャン、シクスス来なさい」
本日のアインズ様当番のメイドを含め、この部屋にいるNPCを自分の前に並べさせる。
椅子から立ち上がり、三人の娘たちを抱きしめる。
「「「ア、アインズ様?」」」
三人の声が同時に上がる。
「お前たちは皆、私の可愛い子供だ。私の中に残った愛情は全て、お前たちの為にある」
きっと、愛しい子供たちがいるからこそ、自分は感情を失わずにいられるのだろう。
歓喜にすすり泣く子供たちを抱きしめながら、いつ以来だろうか、アインズは、自身の両親に思いを馳せていた。
ぺロロンチーノ「子供を愛するって良いですよね」
アインズ「えっ?」
ぶくぶく茶釜「もしもし、警察ですか? 変質者です」
たっち・みー「とうとうやったんですか? 話は署で聞きますよ」