フリードリヒ・ニーチェ
室町時代中期から江戸時代末期、15世紀から19世紀の400年間画壇の中核をなした画家集団がいる。狩野派だ。織田信長が上杉謙信への御機嫌取りに送った『洛中洛外図屏風』は歴史ドラマや漫画等にも登場するくらいには有名だ。
その屏風を描いたのが狩野派だ。狩野派には画材序列と言われる徒弟の教育方針があった。要は、何から書き始めるべきかという順番だ。山木から始まり、唐人物、花鳥、走獣で終わる。
唐人物というのは中国故事の人物画だ。そして、この唐人物画は武士社会で大ヒットした。当時の教育は中国の古典が一般教養だった。中国故事の人物画は武士達からすれば、今でいう漫画を読む感覚に近かった。しち面倒臭い漢字の羅列の中で故事に登場する人物伝は大活躍する戦記物や物語に等しかったであろうことは容易に想像できる。しかも、上級の武士なら皆知っている。今、ゲームやアニメ、漫画、恋愛小説等で盛り上がる私達と変わらない感性というものが存在していた。
なお、明治期の日本画家橋本雅邦の「木挽町画所」は狩野派の教育システムを詳細に書いている著作だ。日本画についてを学ぶ一助になった。
絵というものは奥深い。その国々の歴史や感性と私たちの感性が共鳴するところを見つけるという快感を味合わせることこそ現代の美術館や博物館が示していく道だと個人的には考えている。
さて、ここまでだらだら考えていたが大筋関係ない。端的に言って私は遭難した。
自然あふれる絵画の世界に私は閉じ込められた。
信濃金梅咲き乱れる綺麗な花畑に私はいる。
日本百名山の一つ笠ヶ岳を代表する高山植物の一つだ。私は岐阜県からのルートで登山を開始したが笠新道で笠ヶ岳を登ったわけではない。責任者は何処にいるか。…私のせいだった。
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聞いたことも軽く調べてもわからない山登りを布都御魂剣に強いられた。
仕方がなく創造主の片割れの住所の町を特定して直接乗り込んでみた。新幹線で二時間、バスで数時間の町だ。早朝に出て夕暮れについた。…もう田舎も良いところだった。運賃だけ片道一万五千円だ。宿代等含めれば貯めてきたアルバイト代は消し飛ぶだろう。全て終わったら布都御魂剣か組織とやらに調査費用等含めて請求することを決意した。
町に到着した私は土地の住所から調べ始めた。私は法務局と岐阜県の某町役所で聞き取り調査の結果、創造者の住んでいる山の場所は大よそわかった。
だが、航空写真もない、ググレアースにも出てこない未知の山だった。米軍基地並みの不自然さで黒塗りされていた。
たまたま配置換え等行われていない古参の職員達が対応してくれたからその山について一日で全て調べられた。…正直一週間は場所の特定にかかりそうなくらいには未知の土地だった。
町の担当者は7年前に税金関係で同じ山について相談しに来たという不審者をよく覚えていた。法務局の方が事務的な対応で全く覚えていないらしかった。その不審者は男なので探していた創造主の片割れではないと私は判断した。
だが、話を聞く途中、その男が少年か成人か思い出せずに職員が発狂した。私はこういうことくらいはあるだろうと落ち着いて対応できた。布都御魂剣は全く変わらない。野良猫が目の前を横切ったくらい興味なさげな反応だった。幸いなのが、発狂と言っても叫ぶとかではなかった。私たちはギリギリ周囲に不信がられなかったが、職員を落ち着かせるまで時間がかかった。
落ち着いた後、その職員はどう考えても他の自治体に住む私とその山との関連性が見いだせずに疑念を抱いているような顔だった。布都御魂剣が私の妹であると言い、自由研究でその山について調べている等と私は誤魔化した。なお、布都御魂剣は私の妹扱いに抗議したが、その辺は黙らせた。私が色々調べる為に用意していた関係書類等を見せれば納得が行く理屈なので問題なかった。
妹は私も通った日本有数のお嬢様学校の生徒だから職員に納得して貰えた。あの中学校なら夏休みの自由研究でやってもおかしくないとその後、疑問にすら思っていなかった。
布都御魂剣は中学生扱いに激怒した。煩い8歳児だと思ったが、私は空気を読んで何も言わなかった。麗人の布都御魂剣が怒るのは割と眼福ではあったが、洒落にならないくらい強いので謝罪や食べ物を与えて落ち着かせた。
なお、布都御魂剣は食べ物を与えると大人しくなる。どうも布都御魂剣は1年前まではイングランド北西部ウェスト・ヨークシャーにあるシティ・オブ・リーズというところにいたらしく、イギリス故に食事が不味かったらしい。
そこまで詳細な場所を私に教えて大丈夫なのか不安だったが、下手に勘付かせると私が殺されそうなので辞めさせられなかった。
曰く、組織を支配する姫君の我儘振りやお付きのメイドがレズで気持ち悪い。姫君の配下は大体狂人の魔術師で強大過ぎる組織なのまでわかってしまった。多分、世界征服等数日で可能な組織だ。布都御魂剣は流石に組織名や個人名等を漏らさない程度には思慮があった。
だが、要注意人物や団体を軽く教えてくれと私は布都御魂剣に言ってしまった。私的には岐阜県で遭遇しないように日本の要注意団体を聞いたつもりだった。布都御魂剣は世界の要注意団体を説明し出した。これは私の聞き方が悪すぎた。
アメリカの地下に幽閉されているとある大佐は個人で一個師団相当の戦力だの、チュニジアではルーマニアで生まれたチャウシェスクの落とし子達が世界に復讐するための秘密結社がある等は知りたくなかった。まだまだこの世界にはチートな狂人団体が山のようにいるらしい。私はこれ以上知ったら協力できなくなるから辞めて欲しいと布都御魂剣に伝えた。私から聞いておいて申し訳ないとも謝罪した。
…だが、それらを上回る狂人が1年前に死んだらしいことだけは教えられた。姫君はそいつが死んでからというもの荒れに荒れているらしい。何でも個人で姫君に喧嘩を売って勝ち逃げされたそうだ。なお、姫君は単身で国を滅ぼせる怪物でかつチートな配下と各国への影響力を持っているらしい。そんな奴が一年前まで日本に住んでいたという、恐ろし過ぎた。だから、そいつがおらず、姫君の癇癪している隙を狙って現在様々な狂人団体が勢力拡大のために蠢いているらしい。
布都御魂剣をあそこで奪い返していないと私の住んでいた自治体は消滅したらしかった。水爆が事故で投下された可能性すらあったらしい。もう布都御魂剣が誰かに奪われていることは姫君にはわかっているだろうとのことだ。…恐ろし過ぎた。
私に関しては布都御魂剣が庇うから問題ないと言われても、一蓮托生の運命が確定してしまった。
数日後、私は布都御魂剣に全力で媚びを売ろうと浅はかな考えで行動した結果、私達は遭難した。
幸い食料等は大量に用意してある。保存食なので布都御魂剣は手をつけない。というか刀なのに何故物を食べていたのか疑問だった。布都御魂剣はトイレにいかない。老廃物等ないので本来風呂に入らなくても良いらしい。刀に戻れば綺麗な状態で出現できる。羨まし過ぎた。
なので、水や食料以外の地図や携帯電話、電池等々は彼女に背負って貰っている。誰かに頼れない以上、この私の提案は素直に飲んでくれた。
刀なのに普通に持っていて大丈夫なのかという私の疑問に対して、一般人に気が付かれない偽装の魔術も展開できると布都御魂剣は言っていた。
『平凡な見せかけ/仮面』という魔術だそうだ。
私もやり方を教わった。妙な外見等には気が付かれなくなるが、頻繁に接していたら違和感を覚えることもあるらしい。神格や姫君等の超人には即座にバレるそうだ。最も、そんな存在との遭遇等、天文学的な確率らしいので問題ないそうだ。
遭難した私達は山を下るか無理やりにでも数日かけて山に住む布都御魂剣の創造主の一人と会うか悩んでいた。布都御魂剣はもう会わないことを想定していたので、詳細な場所を覚えていなかった。流石に近くまでいけばわかるそうだが、信濃金梅咲き乱れる花畑等見たことがないそうだ。
私はその言葉を聞いて疑念を抱いた。私も数日関わっただけだが、布都御魂剣は好奇心旺盛だ。本人というか刀は何も言わないがきっと迷子になって保護者に迷惑をかけたこと間違いない。
…と思ったが、その場合本体の刀に戻れば済む話だった。刀の精霊か何かかと思えば数キロ程度は問題なく行動できるらしい。攫われた団体も困り果ててあの出られない倉庫に監禁していたという話だ。担い手のいない状況であの鋼鉄の扉や壁をバレずに破るのは無理だったそうだ。
正直、団体様御一行が雑魚なので慢心していたら、茶髪のような術者がいて焦ったらしい。…普通に布都御魂剣を強奪できる団体な以上その可能性に気が付けと私は突っ込んだ。
遭難していると言っても余裕が私にはまだあった。担い手ということに関して私は布都御魂剣に尋ねてみた。担い手と契約者の違いを聞いてみた。
「…教えないわ。魂の契約をわかって同意したのはあなたでしょう?そもそも私はきちんと説明はしたから義理は果たしたと思っています」
ぐうも出ない正論だった。私はその時、焦っていたので聞いてなかった。どうせ死ぬと自暴自棄になっていた。
契約を理解しないでしてしまったのは、完全に布都御魂剣のアドバンテージだった。私に愚痴を溢し始めるのもアドバンテージがあるからこその余裕だった。
布都御魂剣は性格が悪かった。だが、それ以上に私の浅はかさ故の自業自得でもあった。
「それよりも、これ以上いたら遭難しますよ。下山して出直すべきだと思うのですが」
これも正論だった。今の時間ならギリギリ遭難とは言えなかった。下山可能な距離と時間だった。どこかはわからないがそれは確かだった。布都御魂剣があれば熊だろうが恐れるに足りなかった。
「ええ。でも、あなたは早く会いたいのでしょう?時間があまりないのは語り口からして察せたから間違いない」
布都御魂剣は慢心していた。ここまで情報漏洩したら私でも気が付いた。姫君とやらの情報網は凄まじかった。
だから、私という裏世界に全く関わりのないイレギュラーであってもいつか見つけられる可能性が高かった。何よりも姫君に創造主に会わせるように伝えていたらしいから、もう先回りされている可能性すらあった。一日も早く先回りされる前に会わなければ二度と会えないかもしれない。
「…そのとおりです。遭難覚悟で探してくださると?」
布都御魂剣は恐る恐るという感じで私に上目遣いで聞いてきた。
何このあざとい子。男なら即死だ。だが、残念私は女だ。私はこんな馬鹿げたことで脳内が空回りするくらいには盛大に狼狽してしまった。
「ええ、そうよ!この状況で有ろうとも数日分の食料と水はあるわ!!諦めなければ夢は叶う!!ネバーギブアップ!!」
私はそう言って前を歩きだした。それに布都御魂剣は続いて来た。
そして、完全に遭難した。もうダメだ。死んだ。
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そんな中、夕暮れの頃になって突然現れた丸太小屋と如何にも怪しい銀髪美少女に私は食いついてしまった。布都御魂剣が魔術で魅了されるな耐えろという声は私に届かなかった。
「ようこそおいでなさいませ。忌々しい我が宿敵の子とその契約者よ」
ニヤリという効果音が出そうな程の悪人顔も美少女なら様になるなと私は現実逃避した。
「何故、あなたがここにいるの!いや、私の目的を知っているですって…答えなさい!無貌の神ナイアーラトテップ!!!」
布都御魂剣が観たことない程焦っていた。目の前の存在は想定外過ぎたらしい。
それは、天文学的確率であると布都御魂剣が言っていた神格との遭遇だった。