韓国人と日本人の違いが、よくわからない。
違うのは判るが、その異なりかたは、スコットランド人とイングランド人よりは小さいのではないか。
日本の人のほうが5年間11回にわたる大遠征とかなんとか、いまも軽井沢の森のなかに昂然と建っているはずの十全外人碑にしるされているとおり、何度か長期滞在をしているので、より近しく感じられるが、映画やネットフリックスのテレビシリーズでみると、韓国の人はなんだか日本の人のようである。
もちろん、わしくらいぼおおおっとしていても、目に付く違いはある。
韓国の人は日本の人に較べて、感情が激しやすいらしい。
上司が部下を叱っているうちに、だんだん感情が激してきて、ほっぺを張り飛ばすシーンは、韓国の映画やテレビには、すごくよく出てくる。
いけいけである。
どんどんいっちゃえ、というところが韓国の人にはあるらしい。
ビジネスにおける投資では東芝が5円を100回投資しているあいだに、サムソンは500円を元手に5000円を借りて、一挙に全部半導体の新工場に賭けてしまったりしていたのは、誰でも知っていることである。
余計なことをいうと、東芝も富士通も日立も、日本勢は、「あんなイケイケ投資をやっていれば必ず失敗する。韓国が半導体から撤退する日は近いだろう」と冷笑していたが、潰れたのは自分たち日本勢のほうだったのは記憶に新しい。
…新しくもないか。
むかしアップルの新しいコンピュータを買ってくると、なかを開けてメモリとハードディスクがどこのものかを見るのが、真っ先にやることだったが、最後に日本製を観たのは、子供のときに買ってもらったIIciではなかったか。
こっちは民族性の違いというより歴史性の違いではないかとおもうが、韓国の人は観察していると、戦前の日本人って、こういう風だったのではないか?とおもうことがある。
いつかクライストチャーチのゴルフレンジで、いえーい、タイガーウッズ打ちじゃあーん、これはリディア・コーと叫びながら、やくたいもない、いろいろなプロゴルファーのスウィングをマネして遊んでいたら、隣のケージのおっちゃんが、なぜか韓国語で絶叫している。
ダメ、ダメ、ダメ!
そんな打ち方ではダメだ!!
おれの教えたとおり打たないとダメじゃないか!
というようなことを述べているらしい。
やおら起ち上がって、会社の部下とおぼしき青年の、なかなか色っぽくなくもない細い腰に手をまわして、「ほら、こうだよ、こう!」と腰のひねりかた、動かしかたを指導しています。
なにがなし、他人の閨房をのぞいているような気分になって目を逸らさないといけないような妖しい雰囲気である。
honchoという。
歴とした英単語で、いまMerriam-Websterでみると、
BOSS, BIG SHOT
と意味が書いてある。
グーグルでは、
A leader or manager, the person in charge
なんて書いてあります。
日本語の「班長」がもとなのは、言うまでもない。
戦争中に捕虜収容所における日本兵のヒエラルキイの観察から、どうやら「班長」が現場の実権者であるらしい、というGIの観察によって生まれた。
いつもの悪い癖をだして、余計なことをいうと、この「班長」はしかし、戦後日本語の「班長」とは意味が微妙にずれていて、戦前の語義語感どおりの「班長」は例えば経産省の役職名のなかに残っている。
韓国版honchoさん、熱血です。
それはともかく。
そのゴルフを教導して、妙にベタベタと肉体に触られながら淫靡に指導し指導される姿が、いかにも旧帝国陸軍の下士官と新兵風で、なんて面白いんだろうと見とれてしまった。
他にもいろいろと、多岐にわたって「日本みたい」と思うことがあって、例えば映画をみていると、若い女の人に中年のアブラが多そうなおっちゃんが、「おらおらおら、言うことを聞けば、これがおまえのものになるんだぜ」と手の先でひらひらさせているものを見ると、な、ななななんと、「銀行通帳」であったりする。
見ているほうは借金を背負わされ、露出した歩くチン〇コみたいなおっちゃんにおらおらされて、いまや絶体絶命の貞操の危機にさらされているヒロインの運命のことはすっかり忘れて、「あっ、韓国も銀行通帳があるんだああー」とマヌケなことを考える。
デザインが三菱UFJ銀行そっくりである。
ディズニーのキャラクタが表紙に付いてないけど。
現実の韓国の人と話していて、最も「日本人と似てるなあー」と思うのは、やたら「XX国人の民度」の話をしたがる点で、不気味なくらい日本の人に似ている。
わし友の奥さんである韓国の女の人などは、最たるもので、夕飯に呼ばれたりしてモニとふたりで出かけていくと、必ず一回は「最新民度ランキング」の話をします。
付き合いのごく初期は「アジアでは、残念だけど、韓国は日本に負けてるわね。日本人は、やっぱりどうしても韓国人よりも勤勉で、決定的なのは教育を大事にして、若い人を育てることを知っている。この世界は、やっぱり勉強する人間の勝ちですから」と、ニュージーランド人が聞いたら、床に穴を掘って頭を突っ込んで下半身を宙でジタバタさせたくなるようなことを言う。
それが二年前には、「日本と韓国が、ちょうど並んでアジアでは最上民族だとおもう」
と言い出した。
最後に会ったときはシンガポール人がいちばん民度が高いことになっていたが、これは多分、シルビアパークのシネマに三回観に行ったはずのCrazy Rich Asiansのせいであるとおもわれる。
公開直後は、Henry Goldingがいかにハンサムでハリウッドの白い俳優たちなど足下に及ばないかを述べて、旦那をもじもじさせていましたから。
別の韓国友に韓国製の映画やテレビを観た強い印象として
「韓国ドラマはintegrityの物語がおおいよね」と述べると、ふふふ、という顔になって、
「韓国人はね、integrityきちがいが多くて、だから困るのさ」と不思議なことを言う。
わが国の伝統はだね、正義や倫理ばっかりにうつつをぬかして、ぜんぜん仕事しないんだよ。
困ったもんだ。
日本人と、だから差がつくのさ。
両班、というような単語が頭をちらつくが、知ったかぶりの半可はかっこわるいので、まさか口にだすわけにもいかない。
黙っています。
どうも、この日本人と韓国人がおおきく異なる部分は、儒教の影響のおおきさに原因している気がするが、まだ韓国語に熟達しないのでほんとうのところはわからない。
ところで、「なにかがちがう」と思うのはintegrityだけではない。
前にも書いたが、わしが日本語に興味をもったのは小津安二郎の映画が端緒でした。
映画として完璧であって、映画の神様が大船の松竹スタジオに降臨して、「映画の子らよ、わたしは、ここに、映画を語り終えた」と述べてでもいるような、圧倒的な世界は、ここで、この言語を学ばなければアホだんべ、と思わせるのに十分だった。
ところが。
ところーが。
いまの映画は韓国の映画のほうが数段おもしろい。
日本に最後にいた2000年代初頭は日本では「韓流ブーム」で、近所のおばちゃんは、ほぼ月に一回のペースで韓国に行っていたようだったが、そのときは、人気がある韓国俳優が、なんだかのっぺりした印象の外貌で、ぞぞっとするだけで、興味の起こりようがなかった。
女優さんのほうも、nice faceのゆで卵みたいな顔で、ぶもー、と考えるだけだった。
それがNetflixのStrangerという物語のつくりが粗っぽい、でも、integrityintegrityintegrityで、ぐいぐい押すドラマで、すっかり認識が変わってしまいました。
とにかく、おもしろい。
人間が欲望の泥沼に足をとられながら必死で生きていく姿が伝わってきて、フラメンコみたいというか、ストレートで、現代のクール文化を突き抜けてしまっている。
おお、これはおもろい、と考えて、
A Taxi Driver
1987
Taegukgi
と観ていくと、ちょうど黒澤明や小津安二郎の映画のように、韓国の人の魂の波動がそのまま伝わってくる面白さです。
荒削りでも、どんどんひた押しに魂のちからで迫ってくる韓国の映画に較べると、「韓国映画と較べて、どんな感じがするだろう?」と考えて観てみた、いくつかの新しい日本映画は、感情がつくりものじみていて、なんだか、すっと心に入ってこないものが多かった。
うまく言えなくてもどかしいが、そこで描かれているすべてのもの、感情、考え、運命そのものですら「底が浅い」感じで、小手先でひねってつくった人生のような、ほんとうにこんな生きかたを日本の人がしているはずはない、と感じる体のもので、半分は最後まで観られなかった。
最もショックをうけたのはIn This Corner of the World (「この世界の片隅で」)で、ふだん、ツイッタで考えを述べあって、共通点が多いのが判っている友達も皆ほめていて、振り返ると、「自分も好きなはずだ」と強くおもって観ているのに、どうしても、おもしろいと思えなかった。
スイッチが入らないというか、主人公の女の人に対してやさしい気持にすらなれなくて、びっくりもしたし、悲しい気持ちになった。
主人公がつくりもののようにしか見えないのです。
細やかに、よく出来ていて、なるほど丁寧にすべてを描いているのだけれど、例えば「火垂の墓」とは、なにごとかが決定的に異なっている。
アメリカのネットワーク局ドラマに続いて、カナダでも東アジア人ばかりが登場するテレビドラマシリーズが始まったのが話題になっているが、きみも知っているとおり、両方とも韓国人の家族が主人公です。
ゴールデングローブの主演女優賞をアジア人で初めて手にしたサンドラ・オーも韓国系の人で、もっと言えば東アジアのグループで初めて西洋の十代の女のひとびとを身体の芯から熱狂させたBTSも韓国の人のグループでした。
尤も、実をいうと、音楽についてはBTSを観ても、全然いいとおもわなくて、
へえ、こういうのが人気があるんだ、程度なのだけど。
前に書いたように、わし眼には、文学において日本語を殺してしまったのは80年代と90年代のコピーライター文化で、すぐれたマーケティングの才能の群れが日本人の魂を抹殺してしまった。
そこにあったのは、みんなでニコニコして異質なものをリンチにかけて嬲り殺しにする「楽しい虐殺」とでもいうべき文化でした。
そこで虐殺されたひとびとに対しての想像力をもたず鈍感であったことに、いまの日本語は復讐されている。
Integrityを明然と拒否して、強ければいい、儲かればいい、と剥き出しにされたへのこじまんで、その犠牲になるのが嫌なら、嘘でもいいからおれたち勝者の側にいるようなふりをしろ、というのがいまの日本社会でしょう。
それが魂が破壊された人間をうみ、魂を破壊された人間たちが呪詛のようにグラフィックデザインとコピーライティングで出来たようなプラスティックな物語を生産しつづけている。
大好きなトトロやSpirited Awayをつくった宮崎駿や、衝撃を与えた「火垂の墓」をつくった高畑勲は、そうおもって映画を眺めると、いかにも昭和のおやじが観た世界をそのまま描いた映画で、それは「昭和はよかった」というような話ではなくて、昭和のなにかが未来を殺してしまったのだというふうに、わしには見えます。
その日本社会で殺されてしまったなにか、魂にとても近しいものが、兄弟国の韓国社会では生きのびているのではないだろうか。
パンドラという「もし福島第一事故が韓国で起こったら」がテーマの映画では、例えば菅直人が行った決断は韓国の指導者では無理だという認識が示されている。
映画のあちこちで、「なぜ日本人に出来ることが韓国人には出来ないのか」という問いかけが繰り返しでてくる。
観ていて、韓国の人は日本が兄弟国であるのをよく知っているのだなあ、とおもうが、おなじ国情比較が好きな日本=韓国的な特徴であっても、話してみると、「ここは日本のほうが悪くてなおしたほうがいいとおもうが、こういうところは日本人のほうが、ずっとすぐれているんだよ」と話す話し方が通常な韓国の人達に較べて、日本の人のほうは
「韓国人はダメで悪い。どうしようもない」という粗野な言動に終始する人が多いようでした。
レーダー照射事件にしろ徴用工問題にしろ、現今の日本の人が思考の軸にずれを生じて、それがおおきくなって、話の要点がつかめなくなっていることの説明は、主要な英語メディアの論説をみれば、判るだけの落ち着きがある人ならば、すぐに判ります。
だから、ここでことさらに説明しないが、韓国問題を象徴として、アジアに完全に背を向けてしまった日本を、やはり残念におもっています。
友人として
僕もこの世界の片隅にを見た後にはフラストレーションを覚えました。自分の住んでいる世界の大きな流れにはあまり関心をむけず、小さな幸せをおいかけていくだけ。大きな戦争の中にあっても人生はこのように淡々と彩をもっているという作りで、無力感の中に流されていく今の日本人にぴったりくる映画なのかもしれないと思えた。映像に凝っていることにおいては、たしかにすごいと思うシーンがあった。しかし、蛍の墓の方がずっと感動を覚えたし、僕にとっては人間を感じることができた。蛍の墓は暗くて嫌いだという人がおおいけれど、兄弟愛の美しさに心を打たれました。節子のかわいさと人生の残酷さが痛かった。韓国の台頭、勢いには目をみはるものがあり、韓国からの留学生にはなぜ今日本に来たのか?とどうしても不思議に思ってしまう。聞くと「日本はすごいです」と答える。韓国の方がすごいでしょう?と応じるけれど、あまり長い時間話す機会はなかなか来ないので、それ以上深入りできていない。アジア地域への日本の否定的なムードに、留学生にはとても申し訳なく感じながら、自分の周りでは機会があれば、最大限面白い交流ができるように心がけよう、というか、興味津々でありつづけています。幸いキャンパス内でそういう嫌韓的なムードを感じることはありません。女子学生には韓国アイドルの人気は高い。が、SNSの様子をみていると、韓国からの留学生は日本でいやな思いをすることが次第に多くなってくるといやだなと不安を感じています。
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もうね、仰る通りですとしか言いようがない、この悲しさ。
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ガメさん、はじめまして。素晴らしい日本語をいつもありがとう、とても多くのことをあなたの文章から教わっています。
あなたが近所のオバチャンに「韓流ブーム」を見ていたころ、俺は田舎の小さな映画館で映写係をしていました。田舎でもやっぱり韓流は人気で、だから俺の居た映画館でも韓国映画の大特集上映をやったものです。俺は上映テストだとかなんとか言って、営業が終わると配給会社から届いたフィルムを片っ端から繋いで映写機に掛け、劇場に喫煙所の灰皿を運び込んで思う様ぶかぶかしながら一人上映会を開催するのが、何よりも楽しみでした。
そのとき映写機にかけた作品は大半がまあ、「ブーム」用のやくたいもない恋愛モノだったのですが、たまに “Save the Green Planet! ” みたいなとんでもないのが混じってて仰天し「何でこれがおらが国から出ねえの!!!」と嫉妬のあまり無関係な同僚にまくし立てて不気味がられたりしていました。これ配給会社の番組担当がイタズラしたんでしょうね、すっげえ作品です。大好き。
そう、あなたの言うように韓国映画には何かがあった。夜中の勝手貸し切り劇場で、とても強く感じたことを、そしてこれは何なんだろう、と思ったことを覚えています。フィルムの状態チェックなぞ、すっぱり忘れていた。
In This Corner of the World はとても好きな映画で、なんだか肚に来るものがあって終始じわじわ泣きっぱなしだったりしたのですが、今ちょっと思ったのは韓国映画が integrity を描くものだとすると、俺たちの映画はその欠損についてのだらだら話なのかも知れないなってことです。何故か知らないけれど大事なものをテッテ的にぶっ壊して失ってしまわないとそのものに気づかないような癖があり、気づいたら気づいたでひどく執着してしまったり、とにかく美しく、こと細かに物語りたくなってしまうのかも知れません。なんなんだろう?
長々と語ってしまった。一番好きだった時代を思い出してちょっと辛抱効かなくなってしまったのです、失敬失敬。
…
あといっこだけ。以前Twitterで “Pachinko” を紹介してくださったでしょう。あなたの言葉を読んで、どうしても読みたくなってしまって英語なんか日本の中学2年生レベルも読めないのにアマゾンで買いました。これから辞書を引き引き、何ヶ月もかけて読むんです。お恥ずかしい話だけど、外国語の本を読むなんてすごいカッコイイ、と憧れてはいたのです。
(書いてて泣けてくるよな馬鹿だ。)
きっかけをありがとう、といつか言いたかった。長々ついでに、今言います。ありがとう。
…
韓流ブーム便乗大特集はね、大コケでした。俺だけ楽しんじゃった。
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