「人生の消しゴムはない」相撲界から去って1年…モンゴルで叶えた日馬富士の夢
- 現役時代の日馬富士の夢は「角界に恩返し」
- 「日本の教育をモンゴルの子どもたちに…」もう一つの夢
- 引退から1年…日馬富士が明かす相撲界への感謝の思い
元第70代横綱・日馬富士。
2017年10月25日、日馬富士は後輩力士・貴ノ岩に対して、態度が悪いと叱責し、頭を殴打。
その事件から1か月後、事件の責任を取って自ら相撲界を退いた。あれから1年が経った今、日馬富士は何をしているのか。
1月10日放送の「直撃!シンソウ坂上SP」(フジテレビ系)で、引退後の日馬富士の1年間に密着した。
現役の時の夢は“角界に恩返し”
2018年12月、テレビ初公開となる日馬富士の日本の自宅を取材できた。
現在、ここでは妻と子ども3人の5人家族で暮らしている。
壁には現役時代の写真が飾られ、愛する我が子からの手紙もそこには添えられていた。そして、ひときわ目立つ場所に飾られていたのは最愛の父の姿と、家族への愛が垣間見える。
まず、日馬富士に「“相撲の神様”が時間を戻してあげると言ったらどこに戻したいか」と問うと、少し考えながらも、こう答えた。
「あの(事件の)夜。口で、彼が理解するまで説明してあげていたらと思います。行動に移すのではなくて。口で『これがこうだから』と」
手をあげるのではなく、口で説明できていたならと後悔をにじませた。
日馬富士は、まだ現役だった時に“尊敬する親方と同じように横綱、大関になる力士を育て角界に恩返し”という夢があった。
日本の国籍を取得し、相撲界に貢献しようとしていたが、あの事件が人生を大きく狂わせてしまったのだ。
だが、日馬富士には4年前の現役力士のころから取り組んできた、もう一つの夢があるという。
「モンゴルと日本にどうやって恩返しをしたらいいか、ということをずっと考えていたんです。日本の教育をモンゴルの子どもたちに伝えたい、教えたい。教育を通じて、恩返しができたらという気持ちで学校を作る計画をしました」
亡き父親に誓った大関への昇進
1984年、モンゴルに生まれた日馬富士は、16歳の時にモンゴルにスカウトに来ていた元横綱・旭富士(現・伊勢ケ濱親方)の目に留まり、相撲の世界へと入った。
来日当初の日馬富士の体格は、幕内力士の平均体重が157キロ(※2001年1月場所)だったのに対して、ほぼ半分の86キロ。
それでも持ち味のスピードを生かした相撲で、5年半後に三役にまで昇進する。
しかし、22歳の時に最愛の父・ダワーニャムさんが交通事故に遭い、帰らぬ人となった。
急遽、モンゴルに帰国した日馬富士は、父親の遺体と対面し、大関に昇進することを誓ったという。
日馬富士は、「何より尊敬する父でした。父は親方に『相撲はすごく厳しいので、息子さんから泣いて帰りたいと言われたらどうしますか?』と聞かれたみたいで、『うちの子はすぐに諦めたりする子どもでない』と言ったみたいです」と当時を振り返った。
そんな父との誓いを果たし、2008年に大関に昇進すると、私生活ではモンゴルから留学で来日していたバトトールさんと2010年に結婚。
そして、2012年に28歳で第70代横綱に上り詰める。
相撲人生17年。築き上げてきた勝ち星は、歴代7位の712勝、幕内優勝回数は9回。
だが、一度の過ちにより日馬富士の相撲人生には終止符が打たれ、引退後に“相撲界に貢献する”という夢も断たれてしまった。
母国・モンゴルへの恩返しは「教育」
引退会見から半年が経った2018年5月。
モンゴルに帰国して、学校を建設しているという日馬富士の元を訪ねた。
空港から車でウランバートル郊外へ移動し、父親の墓前へ。日馬富士にとって、引退して初めての墓参りだという。
父の墓を前に日馬富士は「人様に迷惑を掛けないように、いつまでも父の自慢の息子でいられるように、まっすぐ、前向きに頑張っていきます。迷惑かけたことお許しください」と静かに涙した。
そして、日馬富士と建設中の学校へ向かった。
モンゴル出身の力士が、母国で事業を立ち上げるのは珍しいことではないという。
例えば、旭鷲山は不動産関連事業を行い、朝青龍は銀行や劇場経営など手広く事業を展開している。
そんな中、日馬富士は「教育」という形でモンゴルに恩返しを、と考えたという。それが「新モンゴル日馬富士学園」。
建設費用は日本円にして約12憶円。地上4階、地下1階建てで、モンゴルでもトップクラスの大きさを誇り、小学校から高校まで12年間一貫教育を行い、日馬富士はこの学校で理事長を務める。
もともとモンゴルにある日本式教育を行う学校「新モンゴル学園」をモデルにしているといい、日馬富士が考える理念とこの学校は通じる点が多かったという。
学校建設にあたって日馬富士は「何を教えたらいいのか、具体的には分からなかった。私が一つのことを間違えると子どもの未来にすぐ繋がる。だから失敗したくないんです」語り、新モンゴル学園の理事長に協力を申し出た。
だが、その申し出を受け入れてもらうのは簡単ではなかった。それでも諦めることなく説得を重ねた。
子どもたちのために…日馬富士が考える教育
そんな日馬富士の学校の内部を、今回は特別に見せてもらった。
建設中の校舎に入る前、日馬富士は「ここで育つ子どもたちの安全・安心、夢をかなえてください、お許しくださいということを願って建物にお願いをしています」と壁に額をつけてお祈りした。
まず、最初に向かった屋上で、とある作業を視察。
学校が建つウランバートルでは、冬は日中でもマイナス20度前後。
さらに、市内にある火力発電所やストーブで使う石炭のため、冬季大気汚染が国際基準の133倍(※2018年2月unicef報告書より)と深刻な問題になっている。
そこで日馬富士は、子どもたちのために品質の高い日本製空調設備を導入。子どもたちのために、最高の環境づくりを考えたのも日馬富士のこだわりの一つだという。
そして、日馬富士の最も強い思いが表れているのが、地下に設置予定の「相撲の土俵」。
モンゴルの学校で初めての土俵だという。
「相撲は自分自身に向き合えること。そして、相手に感謝すること。それがまた、社会人になっても“僕が”じゃなくて、“みんながいるから”、“相手がいるからこそ”という気持ちを持って育てたいと思います。負けたとしても勝ったとしても相手に対する礼儀、自分中心ではなくて、相手の気持ちも考えることによって、これが人としての育成につながるんじゃないかな」
自分が相撲の世界で教えられたことを次はモンゴルの子どもたちに教えたい。そんな思いが詰まっているという。
引退から1年…相撲界への思い
学校の視察から半年が経った2018年12月。
「新モンゴル日馬富士学園」が開校したということで、再びモンゴルへと向かった。
冬場の厳しい寒さのため、完成前に工事は一時ストップしているというが、9月に開校式を行い、現在は出来上がった校舎を使って740人の生徒がすでに授業を受けているという。
そして、理事長室にはスーツ姿で机に向かう日馬富士の姿も。
「何をやったらこの子たちのためになるのか、毎日考えています。子どもたちは、人の話を聞いて学ぶことがたくさんあるので、モンゴルで活躍しているいろいろな有名な方を招待して話を聞かせたり、私も話をしたり、お坊さんも呼んで“良いことと悪いことは何なのか”とか、少しずつ理解してもらうために毎週やっています」
全体的な視点で学校を見て経営をする日馬富士。教師ではないため、子どもたちに勉強を教えることはないが、登校時間には昇降口に立ち、一人一人に朝の挨拶を行っている。
登校してきた子どもたちは口々に「おはようございます」と元気に挨拶をしていた。
実は、挨拶だけでなく、子どもたちは日本語を学んだり、柔道や剣道など日本式の教育を多く取り入れているという。制服も日本の学校で使われているデザインをアレンジしている。
さらに学校のロゴは、日本を象徴する山「富士山」と、日本と日馬富士の文字から「日」をイメージしたものを使っている。
自分の仕事の合間を見て学校中を回り、時には授業に顔を出すように心掛けているという日馬富士。
取材に訪れたこの時は、まだ学校の一番の特色である「土俵」は完成していなかった。
3月ごろには完成すると話す日馬富士は、この土俵で学んだ子がいつか日本の相撲界に入ったら?という質問に「そういう日が来たらうれしいですね」と笑顔を見せた。
早くも学校の評判は広がり、今年の入学希望者は約1200人にものぼるという。
最後に日馬富士は、引退から1年を振り返り「いろいろなことが起きすぎて…耐える、忍ぶ、そしてまた努力した1年でした」と明かした。
そして「相撲界で過ごしたこの17年間で、本当に素晴らしい親方、おかみさん、素晴らしい方々と出会える縁を頂いて、だから本当にみんなの支えがあって今があるんです。だから、“自分で何かした”や“自分でできた”というのはないんです。人生の消しゴムってないわけです。振り向いてそれを消しゴムで消せるなら消したいくらいですけど、過ぎたことから学んで、前に進むのでその恩に報いて頑張って生きていきたいと思います」と日本の相撲界に対する感謝の思いを語った。
「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54