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zoom RSS ブッダの感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第13章 尊敬 13偈

<<   作成日時 : 2019/01/09 05:35   >>

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13 たといその修行者が三種の明知を体現していて、死を打ちのめした者であり、汚れが無いとしても、無智なるものどもは、「かれは人に知られていることが少ない」といって、かれを見下(くだ)す。
   
(テーラガーター129 たとい(ある修行者が)三種の明知を体現していて、死を捨て去った者であり、汚れが無いとしても、無智なる愚人どもは、「かれは人に知られていることが少ない」といって、かれを見下(みくだ)す。)

(中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。)


*ワン爺のコメント
「三種の明知」とは、宿住智(自己および他人の前世のことを知ることができる智慧)、天眼智(天人の眼のように肉眼では見えない遠い所や微笑な色をみることができる智慧)、漏尽智(あらゆる煩悩を滅し尽くすことができる智慧)を言います。この三種の明知のある人は阿羅漢であると言われています。

さて、SRKWブッダは「三種の明知」について、次のように説明されています。
http://srkw-buddha.main.jp/rihou039.htm
(以下引用)

【三種の明知】

覚りの境地に至った時、直ちに次の3つの智(三種の明知)を生じます。

(1)漏尽通

自分が、間違いなく覚りの境地に至ったのだということを如実に知ることを漏尽通と言います。それは例えば、自分が赤色が分かるようになったとき確かにすべての赤色が間違いなく分かることを如実に知るようなものです。

(2)宿命通

自分にとっての善知識が誰であったのかを如実に知ることを宿命通と言います。つまり、自分が覚りの境地に至る際に認知した「法の句」が、誰が放ったものであったかということについてはっきりと思いだし、その人とは確かな宿命(因縁)があったのだと後追いで知るのです。

(3)天眼通
自分にとって、目を背けるべき対象がまったく無くなったことを実感することを天眼通と言います。 すなわち、人々(衆生)は、好き嫌いの想いがあるゆえに すべての対象物を公平・平等に見ることができずにいますが、覚りの境地に至った人は好き嫌いの想いが消滅するゆえに、すべてのものを公平・平等に、毛嫌い することなく見つめることができるのです。

(以上引用)

私は、この「理法」を初めて読んだ時、この方は本物の仏(ブッダ)だとわかりました。


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