内海、長野をプロテクト・リストに入れなかった巨人の判断は、至極ドライでクールとはいえ、ファンが感じる「ジャイアンツ愛」とは誤差があったに違いない。もちろん、まだ一軍では実績のない期待の若手をプロテクトした、その姿勢は理解もできるし、大いに共感できる。だがせめて、二人を失うくらいなら炭谷か丸かどちらか一人にすべきではなかったか。秘密保持の前提もあるだろうが、移籍する本人やファンに対してもっと誠意あるメッセージがあってもよいのではないか。そんな思いは拭えない。

 書き添えるまでもなく、内海も長野も「巨人に入りたい!」一心で他球団の指名に応じず、3年待って相思相愛を実らせて巨人の選手になった。そして期待どおり、チームの中心となって活躍した。

 内海は敦賀気比高を卒業するとき、巨人以外には行かないと宣言し、他球団は指名を見送るかと思われていた。ところがオリックスが1位で指名。仰木監督(当時)直々の登場に揺れたようだが、結局は初志貫徹、東京ガスに入った。巨人は高校時代の女房役である李捕手をドラフト指名し、先に入団させた。これが内海の気持ちをつなぎとめる要素になったとの裏話もある。

 長野は日大卒業時に「巨人ひとすじ」を公言し、他球団の見送りが予測される中、日本ハムが敢然と指名。しかし、長野は拒んで社会人野球(ホンダ)に進んだ。2年後、今度こその思いは、千葉ロッテの指名でまたも砕かれた。長野と巨人が結ばれるのに3年を要した。それでも長野は巨人だけを進路とする人生設計を貫いた。

 もちろんその時代から「12球団OK」と爽やかに宣言する高校生、大学生選手が各球団の中心となり、その結果もあって各球団が個性を発揮し始めた。とくにパ・リーグ人気が上昇、プロ野球が新しい勢いを持つに至った潮流を考えれば、巨人に執着した2人の考えに異論もあるだろう。とはいえ、その経緯を巨人ファンならずとも知っているだけに衝撃は大きい。力が衰えれば、そんな2人でさえ易々と放り出されるのか……。