株式会社出野水産 代表取締役社長 出野昭子
関与税理士:落合経営会計事務所 所長 落合孝信(TKC中国会)
食品業界では今や「安全性」が、重要キーワードとなっている。年間生産60万トンにのぼる竹輪、かまぼこ等「水産練り製品」も例外ではない。広島の出野水産は、伝統的・家内的なちくわ製造業からスタート。何度かの転機を乗り越えて近代的企業へと脱皮。業績を伸ばしてきた。そして2年前には、経営革新支援法を申請して、世界の安全基準HACCP(ハサップ)導入に挑戦。果断な昭子社長の経営実践を落合会計事務所がサポートする。
炭火で焼いた昔の竹輪は今ならグルメ
――もともと竹輪作りがご家業だったそうですが。
出野 大正12年からの創業と聞いています。私がお嫁に来た昭和33年頃は、今と違って、すり身じゃなくて地元でとれる雑魚から作って、それを炭火で焼きました。今なら、一番贅沢な作り方ですから、プリプリしておいしかったですよ(笑)。
――現在は日産2万本とうかがいましたが、その当時の生産量はどのくらいでしたか。
出野 300から500本くらいだったと思います。子供を背負うて、朝の3時頃に市場へ魚を仕入れに行きました。今の人なら辛抱しないでしょうね(笑)。それを昼までかけて、すり身にして、それから形にして炭火で焼いて、夕方から出荷するんです。
落合 今ならグルメで売れますね。店頭で作りながら売ればいい(笑)。
――全部手作業だったわけですね。
出野 機械で焼くようになったのは、原料が冷凍すり身になってからです。地元の学校給食やスーパー等に卸しました。機械化されるようになってから約80軒あった水産加工店が20軒に減ってしまいました。
第1の転機(昭和57年)
かまぼこセンター建設と社長交代
――会社組織にされたのはいつからですか。
出野 昭和56年に有限会社にしました。会社にしたのは本社・工場をこの埋め立て地に作られた商工センターに進出するためです。翌昭和57年に、国の高度化資金7000万円で土地と建物を取得し、別に4000万円借りて、工場(かまぼこセンター)等を建設しました。当時の年商は5500万円くらいでしたが、社長だった主人に、事業を大きくして、息子に継がせたいとの希望がありましたので、1億1000万円の借金をして進出しました。
――思い切った決断でしたね。
出野 いつもいつも思い切ったことをしてしまうんです(笑)。
――商品にも自信があったのでしょうね。
出野 材料にお金を使っても、お客様においしい竹輪を食べていただきたいというのが、主人のこだわりで、現在もその点は受け継ごうと考えております。
――新工場を建設された以後の業績は?
出野 お陰様で5年で売上が2倍の1億1000万円にまで伸びました。
ところが、主人が血清肝炎に感染して、入院してしまい、昭和62年の10月に亡くなったのです。高度化資金の返済はあと10年残っていました。私と長男のどちらが後を継ぐのかを、知り合いの弁護士さんに相談しました。息子もまだ若かったので、私が後を継ぐことになりました。
第2の転機(平成元年)
売上低迷を「あなご竹輪」で突破
――ヒット商品の「あなご竹輪」を開発した経緯は?
出野 主人が亡くなってから、2年間の間に売上が3分の2まで下がってしまったんです。このまま、給食やスーパーに卸しているだけでは、利益も上がりませんので、問屋抜きの流通経路で売れるものを作ろうと考えていました。
たまたま安芸の宮島は、「穴子弁当」「穴子飯」が有名なんです。主人も穴子が好きで、よく食べていましたし、私も、そのおいしさはよく知っていましたので、この穴子をうちの「やまぶき」という竹輪に混ぜたらどうなるだろうと、息子達と話して、試作品をつくってみました。最初は、きざんだ穴子を仕入れたら骨が混ざっていたりして、うまくいきませんでした。やっと形にしたら、今までの機械だと、薄いのと厚いのとができてしまって、うまく焼けないんです。それで2000万円の融資を受けて、機械を1台買いました。大きな借金がある中で、また借りるわけですから、もし駄目だったら自分の家を手放そうかと…。
――このときも決断されたのですね。
出野 清水の舞台から飛び降りる気持ちでした(笑)。できた竹輪に「あなご竹輪」という名前を付けて、土産物屋に持っていったわけです。それが平成元年でしたが、お陰様でそれが売れ出して、平成3年に累積赤字がなくなって、黒字にできました。その後は、順調で毎年売上が1、2割ずつ伸びていきました。
――特許はとられたのですか
出野 「あなご竹輪」という名前と商標マークを登録しているので、同じ物は作れませんが、今では類似の商品がいろいろ出ています。
――販路の開拓はどのように…。
出野 キヨスクに置いていただくまでが大変でした。長男の専務(保志氏)が頑張ってくれて、何か月も通って、やっと置いていただけることになりました。
――株式会社にされたのはいつでしょう。
出野 対外的なイメージが良いので、平成6年に株式会社にしました。それを機会に、私自身経営の勉強が足りないと感じておりましたので、翌年に中小企業大学校へ6か月間通いました。
財務の勉強の他に、良い社風づくりの必要性など、とても勉強になりました。
第3の転機(平成12年)
HACCP(ハサップ)にチャレンジ
――落合会計事務所が関与されたのはいつからですか。
落合 平成7年からです。社長には、月次巡回監査によるリアルタイムな財務情報に基づいて財務構造への理解を深めていただき、経営計画の立案の支援をさせてもらいました。
経営には、生産やマーケティングのほかに、財務の世界があって、経営者は財務の専門家になる必要はありませんが、現状と見通しについてラフな図面が描けるようになることが大事なので、その点の助言が中心でした。
平成8年には、FX2を導入して、リアルタイムな業績管理と中期経営計画の立案、4半期業績検討会、決算検討会によるフォローを中心に進めてきました。
HACCP(ハサップ・ハセップ) Hazard Analysis Critical Control Point(危害分析重要管理点方式) 食品加工の原料から製品にいたる各段階で、衛生・品質管理をチェックする方法。EUや米国では導入を義務づけられ、安全管理の主流になろうとしている。日本では98年7月から、「食品の製造過程の管理の高度化に関する臨時措置法(HACCP手法支援法)を定め、加工業者の施設整備を支援することになった。 |
――そうした中で、経営革新支援法の申請をされたわけですが、どんな経緯でしたか。
出野 以前から食品の衛生管理には、気を遣ってきましたが、これからは特に大事だと思っていた矢先に、広島銀行でハサップ(HACCP)の講演があるというので、何気なしに聞きに行ったんですが、良い話でした。
我が社でも社員の手洗いとか、基礎的なことから入ってみたらどうかなと考えました。
落合 HACCPは、世界標準になりつつあるので、日本でも、これを取得しない食品は売れなくなる時代がくるでしょうね。
出野 HACCPの大基本は「しっかり焼けて、しっかりさめる」ということです。ところが、我が社は場所が狭くて、強制冷却装置が置けません。工場を広くして、新しい機械を設備して、衛生管理を徹底しようと考えました。そのためには、土地取得と工場の建築のために、4億円かかると試算しました。
それまで中小企業金融公庫さんとはお付き合いがなかったんですが、融資をお願いに行ったところ、経営革新支援法というのがあると教えてもらい、早速県の商工労働部に行って申請書をいただきました。
申請書には、「消費者に安全で良い品を衛生的に管理された工場で生産し提供したい」とHACCPの導入とそれに伴う設備計画等を書きました。利益計画については落合会計事務所さんにご相談して、3年間の付加価値額アップ平均16.9%という計画を作成しました。申請書をいただいてから、2、3日で提出しましたから早かったですね(笑)。
――どのような全体計画ですか。
出野 工場の土地(450坪)と工場建設、その他、HACCP導入に伴うモニタリング設備の導入、さらに次期新商品開発と営業体制の確立などで、総額で4億円弱の計画です。経営革新支援法の申請をした結果、中小企業金融公庫から長期固定金利(20年・1.65%)で約4億円の融資が受けられました。今どき長期固定でなんて、どこも貸してくれませんから、有り難かったです。
――申請をして良かったと…。
出野 良かったと思います。ですから摩耗してきた機械の買い換えや、建物の建て替えの必要な時期に来ている社長さんは、積極的な経営革新計画を検討されて、是非この制度を活用されたらよいと思います。
病院や介護施設に安全な食材を提供したい
――生産設備を一新された結果、どのような変化がありましたか。
出野 それまでは、伝統的な長屋工場でしたが、ダブルラインの機械が入るようになって、生産性も上がりましたし、材料の受け入れと出荷も別々にできるようになりましたので、見違えるほど効率的になりました。
――これから段階的にHACCPを導入していかれるわけですね。
出野 容れ物の方はできましたから、スケジュールに従って従業員教育や関連設備の整備などを1つ1つ進めていきます。
――営業面では今後どのようなプラスがあるとお考えですか。
出野 食品の衛生面を前面に出していくことで、販路として病院や介護施設などの利用が見込めます。今は、コンビニエンスストアでも学校給食でも、安全性が90%以上でないと納品できませんので、これまでもその基準をクリアしてきました。これからは、更にレベルの高いHACCPに取り組んで、この強みをさらに強化していきたいと考えております。
――取引先さんや社員の皆さんに変化はありましたか。
出野 工場が新しくなりまして、取引先も社員も喜んでくれています。それまでは、社内の厚生設備もあわれでしたが、社員食堂や会議室もできましたし、構内放送もできます。朝礼では、「私たちは練り製品という食材を通じて、地域社会に貢献する」という経営理念を復唱していますが、みんなの思いを1つにしやすくなったと思います。
――計画通りに推移しているわけですが、意思決定の際に迷いはありませんでしたか。
出野 私は全くブレないんです。1度言い出したら聞きませんから(笑)。
落合 課題は社長の後継者の育成でしょうね。専務と常務には、新商品開発や販路開拓の方も頑張ってもらいながら、経営者としての勉強をしてもらうことが必要でしょうね。
出野 販売面では、出野水産の製品を全て置いている直販店がないので、本店を作りたいと考えています。それとDMやネット販売も広げていきたいと思います。
――どの業界も厳しい時代ですが、社長さんのお話を聞いていると元気がでます。
出野 今はデフレスパイラルの時代ですが、それでも1、2割の企業は、頑張っておられます。私どももぜひそちらの方に入って生き残りたいと考えております。
(TKC出版 石野 清)