【現場から、】平成の記憶、街を占拠!広島から消えた暴走族
シリーズでお伝えしている「現場から、平成の記憶」。今回は、かつて広島の街を混乱に陥れたある集団です。警察との衝突から20年。その集団が姿を消した理由とは・・・
広島市の繁華街にあるイベント広場です。今から20年ほど前、ある集団に占拠されていました。暴走族がこの広場で集会を開いていたのです。
危険な運転を繰り返すだけでなく、繁華街のあちこちで集会を繰り広げる暴走族は、当時、広島の大きな社会問題になっていました。
そして平成11年11月。広島の状況が全国に知れ渡る出来事が起きます。広島の祭り「えびす講」で、歩行者天国を占拠した暴走族と、警察が衝突したのです。
「検挙!検挙!」
大規模な衝突は3日間にわたって続き、交通機関もストップするなど、街は混乱しました。警察は以後、徹底した暴走族の壊滅作戦に乗り出します。
「(少年たちは)学校で相手にされず、家庭でも居場所がない。認めてもらえないから目立って無理やり存在感をアピールする」
吉川水貴さんは、当時、少年少女に声をかけて、暴走族から離脱するための支援活動をしていました。
「(暴走族に)入ってチームをつくったら、なかなか辞められない。ただ犯罪には走るな、損するよ・・・と」(少年たちの暴走族離脱を支援 吉川水貴さん)
警察の対策と並行して少年たちに声をかけて向き合おうという、市民の活動も強化されました。
「はよ帰れよ!はよ帰れよ!」
さらに吉川さんは、少年たちの「居場所」も作ろうとしました。暴走族メンバーだけのサッカーチームです。
「サッカーをしていなかったら、また悪いことをしていたかもしれない」(元暴走族メンバーの男性)
当時、暴走族のメンバーだった男性は、吉川さんとの出会いをきっかけにサッカーチームに入り、キャプテンも務めました。現在は自ら立ち上げた建設会社の社長です。
「吉川さんというよりどころがあったから非行をしなかったかも。感謝している」(元暴走族メンバーの男性)
「ただただ放っておけない、大人として。理由はない、理由がわかっていたらしていない」(暴走族離脱を支援 吉川水貴さん)
警察と市民が「まちを挙げた」取り組みを続けた結果、広島では5年前を最後に組織だった暴走族は確認されていません。しかし、吉川さんは「かつての暴走族と同じようなさみしさを抱える子どもたちはいまもいる」と話します。