インタビュー第3回 「夢をかなえる力」で未来へ走り出そう!
1 プロジェクトが歩んできた、長い道のり
2 世界初のハイブリッド・ソーラーカー
「アポロンディーヌ号」でオーストラリア大陸横断へ
3 夢を、夢のままで終わらせないために

世界初のハイブリッド・ソーラーカー「アポロンディーヌ号」でオーストラリア大陸横断へ

黄色で「夢」の文字が描かれたハイブリッド・ソーラーカー「アポロンディーヌ号」。全長4m×全幅1.5m、1人乗り、3輪・後輪駆動。

黄色で「夢」の文字が描かれたハイブリッド・ソーラーカー「アポロンディーヌ号」。
全長4m×全幅1.5m、1人乗り、3輪・後輪駆動。

部品は「ドルフィン」のものを流用したので、費用は3分の1程度。ドライバーシートは学生のアイディアで、通気性がよく、長時間座っていても疲れにくいメッシュ生地を使用。

部品は「ドルフィン」のものを流用したので、費用は3分の1程度。ドライバーシートは学生のアイディアで、通気性がよく、長時間座っていても疲れにくいメッシュ生地を使用。

オーストラリアの大自然の中を疾走する「アポロンディーヌ号」。

オーストラリアの大自然の中を疾走する「アポロンディーヌ号」。

「アポロンディーヌ号」のカウル部分を外した内部。専門家から見ても、学生が作ったとは思えないほどの素晴らしい出来ばえだとか。

「アポロンディーヌ号」のカウル部分を外した内部。専門家から見ても、学生が作ったとは思えないほどの素晴らしい出来ばえだとか。

「アポロンディーヌ号」に搭載された燃料電池。

「アポロンディーヌ号」に搭載された燃料電池。

ソーラーカーの弱点は、太陽光がなくては走れないこと。 その弱点を補い、天気の悪い日や夜間でも走れる、しかも環境にやさしい車が作れないだろうかと考えていた時、燃料電池車の実用化が一部で始まったので、これだ!と思ったんです。

太陽電池と燃料電池によるハイブリッド・ソーラーカー開発は、世界初の試みです。 水素の配管以外の部分は、型設計からほとんどすべて、学生の手によるものです。 燃料電池の水素供給は、水素ボンベで。太陽電池はどんな角度でも太陽光が充電できる球状ソーラーセルを一部に実験的に搭載。モードセレクトスイッチにより、燃料電池・太陽電池の切り替えができるようになっています。

太陽光と水素を使って走るということから、太陽神「アポロン」と水の精「オンディーヌ」の名を組み合わせて「アポロンディーヌ号」と命名しました。

オーストラリア大陸横断4,000kmに挑戦するきっかけを作ったのは、秋田でのWSRで出会った国際ソーラーカー連盟会長、ハンス・ソルトラップ氏。 彼は20年前に自作のソーラーカーで20日間かけてオーストラリア大陸横断4,000kmを成し遂げた人。 「私が20年前に走ったのと同じコースを何日間で走れるか、記録を作ってみないか?」と言われたことからです。

スタートは2003年12月19日。 プロジェクト名は「ソーラー・ハイドロジェン・チャレンジ・プロジェクト」に。メンバーは、玉川大学工学部と農学部の学生12名(うち女子学生4名)で教授3名、現地でのスタッフを含め、計28名。12月19日に西オーストラリアのパースをスタートし、25日のクリスマスに1日休みを入れ、27日にシドニー到着という、全9日間の日程です。

ドライバーは学生4名が交代で担当。 先導車が付き、私が後方の車からパソコンを見ながら指示を出すという形。 最高時速110kmの「アポロンディーヌ号」なら走破できる自信はあり、事前にコースの下見もして、準備万端整えたつもりでした。

ところが、いざスタートしてみると、1日目と2日目が曇りで太陽電池の充電ができず、燃料電池だけで走ることに。 それ以降は晴天になったのですが、今度は好天が仇となって、モーターが過熱して停止。 12月といえばオーストラリアは夏で、外気温は40℃にもなります。 学生たちが市販の冷却シートでモーターを冷やしましたが、それでもダメで、ついに交換。日射病でダウンする学生もいて、一時はどうなることかと思いました。

でも無事に7日目のクリスマス休暇を迎え、その夜は燃料電池によるイルミネーションを点灯して、パーティー。この時には余裕でシドニーに到達できるとわかっていたので、大いに盛り上がりましたね。

ゴールした時は、一般市民やメディア関係者など、たくさんの人に出迎えられました。 オーストラリア国内では4つのテレビ局がニュースで映像を流し、英国のBBCでもチャレンジの模様が放映されたとか。 日本のテレビ局もニュース番組の中で特番を組むため、同行していたんですよ。

このチャレンジでは、多くの貴重なデータを得ることができました。 データを見ると、問題点はいくつかあげられますが、トータルでは高い評価を与えていいと思います。決められたコースを周回して4,000km走った例はあったようですが、離れた地点へ4,000km移動したというのは、世界初のことなのですから。

3 夢を、夢のままで終わらせないために