■今回のテーマ
以下のような報道に接しました。
強姦冤罪事件、女性の「うそ」で服役 裁いた国の責任は:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASM135VDQM13PTIL006.html「強姦(ごうかん)事件などで服役中に被害証言がうそだったとわかり、再審で無罪となった男性(75)と妻が国と大阪府に計約1億4千万円の国家賠償を求めた訴訟の判決が8日、大阪地裁である。男性側は冤罪(えんざい)の責任は捜査機関だけでなく、裁判所にもあると訴えている。」
今回は,本件に関する備忘録的なメモです。
■判決等の情報
第1審
大阪地判平成21年5月15日判時2316号125頁
裁判官:杉田宗久判事,三村三緒判事,内林尚久判事補(当時)
弁護人:西園寺泰弁護士
検察官:中山博晴検事
大阪高判平成22年7月21日(平成21年(う)第850号)
裁判官:湯川哲嗣判事,武田義徳判事,岡崎忠之判事
弁護人:後藤貞人弁護士,西園寺泰弁護士
検察官:長崎正治検事
上告審
最三小決平成23年4月21日(平成22年(あ)第1408号)
裁判官:岡部喜代子判事,那須弘平判事,田原睦夫判事,大谷剛彦判事,寺田逸郎判事
弁護人:不明
再審
大阪地判平成27年10月16日判時2316号119頁(無罪・確定)
裁判官:芦高源判事,藏本匡成判事,高津戸朱子判事補
弁護人:後藤貞人弁護士,西園寺泰弁護士,山本了宣弁護士
検察官:田仲信介検事,梅本大介検事
■再審判決に関する判時2316号匿名解説(実務家向け。青字は引用者による)
「本件の問題点は,言うまでもなく,確定審,その控訴審,上告で事実関係が激しく争われたにもかかわらず,有罪判決が確定してしまったことである。再審請求審以降は誰の目にも無罪が明らかなのに,確定審ではそれが明らかにならず,虚偽の供述によって重い刑を言い渡されてしまい,是正されることはなかった。」(119頁)
「したがって,確定審の段階で,後に虚偽であることが明らかになった証言の信用性に疑問を差し挟む余地がなかったのかという観点からの考察が不可欠である。」(120頁)
「本判決が指摘する,審供述が信用できる理由や旧供述についての疑問点は異論のないところであろう。問題は,そのような事情が,確定審段階でどのように扱われていたかである。そして,それと同時に,本件両名の旧供述がなぜ信用されたのかの検討が重要である。」(120頁)
「確定判決は,弁護人の主張に対して丁寧に対応し,説明しているように見受けられる。」(120頁)
「そして,基本的に本件少女の旧供述の疑問点を結果的に問題にせず,事実認定を誤ってしまったようにみえる。」(121頁)
「検察官の補充捜査の結果,平成20年8月29日の段階では処女膜は破れていないことが判明した。もっとも,平成20年9月25日の段階では処女膜裂傷との診断もあるようで(弁護人作成の控訴趣意書にそのような記載がある。)このことが確定審でどのような扱いを受けたかは必ずしも明らかではない。産婦人科で診察を受けたという客観的な事実(診断結果の全体)を把握する契機があったのに,その全体像が確定審段階で明らかにされなかったことは間違いなく,これが誤判の1つの大きな原因とになっていることは間違いないであろう。」(121頁)
「本件は,性的被害を受けたと訴える者の供述の信用性,しかも,14歳という年少者(といっても,本件では幼児ではなく,証言能力の問題はないと思われる。)の供述の信用性という,これまでにも相当論じられてきた問題点が,明確な形で誤判に結びつき,供述者の翻意により後日名誉回復がなされた事例である。 (略) 一般論としては供述の信用性判断の注意則として種々いわれてきたが,被害者供述の内容の吟味,その客観的な裏付けの吟味,特に当然あるべき事実が確認できない,又は反対事実が確認される契機を絶対に見逃してはならないことが今更ながらであるが重要であることを再認識させられる事例である。供述が誰に対してどのような形で出てきたのかという供述の出現経緯,その変遷等に何らかの誘導や歪曲が入り込む余地はなかったかを虚心坦懐に見極めることの重要性も再度確認しておきたい。」(121頁~122頁)
■原田國男先生のお言葉
「(前略)事実認定は,オール・オアナッシングの判断で,その誤りは,無実の者を刑務所に入れてしまう,さらには,死刑にしてしまうという,まさに正義に反する致命的な結果を招く恐れがある。このおそろしさを心の中に感じながら裁判をしていかなければならない。」*1
■判決文一部抜粋(太字その他の修飾は引用者による)
第1審
1 争点と証拠構造
弁護人は,被害少女に対し被告人は各公訴事実記載の犯行を全く行っておらず,いずれの犯行についても被告人は無実である旨主張し,被告人も公判においてこれに沿う供述をしている(以下「被告人の否認供述」という。)。
証拠関係を見ると,いずれの公訴事実についても,これを証する積極的直接証拠として,被害少女の供述とその被害を目撃したとする兄Aの供述がある一方(両名の供述については,いずれも,以下個別に特定しない限り,前掲の証人尋問調書中の供述と検察官調書中の供述を総じたものを指す。),これを否定する証拠として,上記被告人の否認供述のほか,その趣旨に沿う妻Bの公判証言があるので,以下,その信用性について,順次検討する。
2 被害少女供述の信用性
(1)被害少女供述の概要略
(2)信用性の検討
そこで,以下,弁護人の主張に鑑み,多様な観点から被害少女供述の信用性について検討を加える。ア 虚偽供述を行う利益・動機の存否
まず,何よりも,被害少女の供述は,自分の母親の義父であり,平成18年7月からは自分の養父(但し,この間一時期母Cの現在の夫の養子になったこともあったが,間もなく被告人の養子に復している。)でもある被告人から強姦されたり無理にわいせつな行為をされたということを内容とするものである点が重要である。弱冠14歳の少女がありもしない強姦被害等をでっち上げるまでして養父(実質上の祖父)を告訴すること自体非常に考えにくいことであって,もしそのような稀有なことがあるとすればよほどの特殊な事情がなければならないと考えられるところ,本件全証拠を子細に検討しても,そのような事情は一切認められない(被告人やその妻Bにおいてすら,公判において,そのような事情は思い当たらないと供述している。)ばかりか,前掲証拠によれば,かえって,被害少女は被告人から長年にわたり養育してもらったことに対して恩義を感じていたというのであるから,ますますその可能性は小さいと断ずることができる。この点,弁護人は,被害少女の母親であるCが,中学生から高校1年生のころまで同意の上で被告人と性的関係を持っていたのに,その後,被告人がBを選びCを選ばなかったことから,これを恨みに思い,被害少女や兄Aを使って今回の各被害をでっち上げた可能性がある旨主張する。
(前略)仮にそのような関係からCが被告人に対し現在でも怨恨を抱いていたとしても(但し,この点について,Cは,公判証言で明確にこれを否定している。),C自身が被告人に報復的行動をとるのであればともかく,実の子供2人を使い,しかも,娘に強姦等に遭ったなどという被害を捏造させるまでしてその報復行動に出るなどは到底考えられないところである。まして,近時は,Cも,被告人やBに金を渡したり,贈り物をするなどして被告人らと良好な関係を続けていたというのであるから(このことは被告人とBも認めるところである。),この期に及んでCが上記のような我が子を使った被害捏造行為に出るような可能性はほぼ皆無であると否定されよう。
また,弁護人は,Cは被害の事実を被告人の会社や近隣住民等に告げて回っており,被害少女の親としてあまりに不自然な態度をとっているなどとも主張しているが,この点についても,CやAは,被害少女が被告人から性的被害に遭っているという話が近所で噂になっており,しかもその内容が本件とは別の飛躍した内容であったため,不安になって確認して回ったのが実情であること,会社の件については,Cとの過去の経緯もあって,被告人の会社での態度等も知りたいと思ったための行動であったと十分納得できる説明をしているのであって,弁護人の上記主張も理由がないというべきである。
イ 被害を打ち明けるに至る経過の自然性
次に,被害少女が各被害を打ち明けるに至った経緯について見る。確かに,被害少女は,第1の強姦の被害については数年もの間誰にも打ち明けずに黙っていたというのであり,また,これを周囲の者に打ち明ける際にも,最初はお尻を触られたとだけ話し,続いて胸を触られていたと打ち明け,Cから問い詰められてようやく電話で強姦の被害まで述べるに至ったというのであって,このことは,被害少女自身も正直に認めている。
弁護人は,この経過を不自然であると指摘するのであるが,養父から性的被害に遭っていたこと,とりわけ強姦までされていたことを打ち明けることは,思春期にさしかかる前後の被害少女にとって,大きな躊躇があったであろうことは容易に想像することができるし,初めから強姦のことまでは話せず,徐々に重大な被害内容を語っていったことも,同様に自然なことといえる。加えて,被害少女は被告人から被害を話さないように脅しを受けていたというのであるから,この点もかなりの心理的圧迫となっていたと考えられよう。そして,被害少女の置かれた境遇を考えると,家に泊まるなどして親しかった大伯母のDに初めに被害を告白したというのも自然な成り行きであるといえるし,これを聞いたCが,かつて自身も被告人から同様の被害に遭ったことから,被害少女の身を案じて強姦されていないかと被害少女を問い詰めたことも誠に自然なことである。さらに,この点についての被害少女の供述は,被害少女から被害を打ち明けられたとするC,D,Aの各供述とも合致している。結局,上記被害少女の告白に至る経過は全般を通じて自然なものであり,何ら不自然・不合理なところは見受けられない。
なお,弁護人は,上記の経緯に関し,被害少女がCらに叱られていた際に,その場その場を取り繕うために口にしたことを,CやDが話をふくらませた可能性もあると主張するが,何の証拠にも基づかない憶測に過ぎないものである。
ウ Aの目撃供述による裏付け
(ア)兄Aは,被害少女の各被害を目撃した旨証言しているところ,その概要は,以下のとおりである。略
(イ)Aは,被害少女の実兄であり,現在も被害少女と同居していることからすると,一般論としては,被害少女と口裏合わせを行う機会は十分あり得る。しかし,現実にAが妹と口裏合わせをしてまで虚偽被害のでっち上げに協力する可能性があるかどうかについてAの置かれた現実の状況に即して考えると,そのようなことをすれば,子供のころから自分たち兄弟を養ってくれてきた養父(実質上の祖父)に対し謂われ無き大変な不名誉と人生の破綻をもたらすばかりか,血のつながりのある祖母に対してまでも非常に多くの精神的苦痛と家庭生活の崩壊を招来することになり,自分自身の生活基盤さえも喪失する結果となることは,高校生のAにはかなりの程度予想し得るところであり,その反面,A自身にはほとんど何のメリットもないのであって,このように現実に即してその可能性を考えると,Aが妹に協力して上記のような虚偽被害のでっち上げを行うことは,ほぼ皆無であるといわざるを得ないように思われる。また,その供述内容を見ても,Aは被害のごく一部を目撃したというにすぎないのであって,仮に口裏合わせをして虚偽被害を捏造することを企んでいたのであれば,その証言内容も被害少女供述をもっと積極的に裏付けるような,今一つ違った形になり得たのではないかとも考えられるのである。
(ウ)以上によれば,Aは,被害の全貌を目撃したわけではないとはいえ,その目撃の限度では十分な信用性を認めることができるのであり,これは被害少女供述の信用性を側面から支えるものとして評価することができる。
なお,弁護人は,Aが被害を目撃しながら,被害少女を助けることもなく誰にも相談しようともしなかったのは不自然である旨主張するが,Aは,被告人夫婦に生活を依存していた上,被告人から口止めもされていたのであり,もともと大人しい性格である(小さい頃からAを知るDは,Aは非常に大人しく少し弱いところがあって,被害少女を助けないこともあり得る旨証言している。)ことを考慮すると,この点も不自然とまではいえないように思われる。
エ 供述内容の自然性・合理性
続いて,被害少女の供述内容の自然性・合理性について見る。被害少女は,(a)平成16年の強姦被害について,前日の結婚式の引き出物のお菓子を食べていたときに突然被害に遭ったなどと具体的なエピソードに基づいて日付を記憶喚起しているだけでなく,初めての性交渉により出血した状況や被告人から口止めされた状況についても供述していること,また,(b)平成20年の強姦被害についても,テレビ番組をもとに日付を記憶喚起している上,強姦被害について被告人から口止めされた状況に至るまで供述していること,さらに,(c)平成20年の強制わいせつの被害については,被告人と自分の体勢や被告人から乳房を揉まれたときの状況,必死に抵抗した状況等も具体的に供述していること,以上のような諸点に照らすと,これらの供述は,全体として具体性と迫真性を有しているものと認めることができる。確かに,強姦そのものの場面については,やや具体性を欠いている部分も見受けられるが,被害内容がそれ自体強制わいせつに比べて格段に衝撃的であることに加え,被害少女の年齢や相手が養父(実質上の祖父)であったことにも照らすと,その受けた精神的衝撃は更に大きなものであったと推測されるのであって,この点からすれば,弁護人指摘のとおり肝心の強姦被害の場面について多少抽象的で画一的な証言しかできていないにしても,それ自体,誠にやむを得ないものがあって,決して虚偽供述の徴表と評価すべきものではないと考えられる。
また,弁護人は,被告人が実母であるF(平成16年当時は存命)やAがいる隣室で被害少女を強姦することなどあり得ないと主張している。確かに,常識的に考えれば,被害少女に叫び声を上げられて隣室の者等に犯行が発覚する可能性もあって,被告人がそのような状況の下で果たして強姦に及ぶのか疑問に思われなくもない。しかし,まず,〔a〕当時の現場の状況を子細に見ると,Fは高齢で耳が遠かったと認められる上,当時,FとAがいた部屋ではテレビがつけられており,決して部屋が静まりかえっていたわけではないし,さらに,被害少女の部屋の入り口扉は閉められ,Fらがいた部屋との間には押入れが2つあって,ある程度音は遮断されていたとも解し得ることからすれば,およそ強姦に及ぶことがあり得ない状況であったとまではいえないように思われる。加えて,〔b〕2度目の強姦や強制わいせつの犯行に関しては,Aの供述によれば,当時被告人がAに対し口止めをしていたという事情があったことが認められるし,〔c〕被告人の過去の行動傾向等の見地から考えても,被告人は,かつてBらの目を盗み専ら自宅においてCと性交渉を重ねていたというのであるから,そのような被告人が,Bが銭湯に行って不在の隙に,多少の危険を冒してでも強姦に及ぶことがあり得ないとはいえないように思われる。さらに,〔d〕被告人は夕飯の際に毎晩のように晩酌をしていたというのであり,当日も飲酒していた可能性が高いことから,被告人が酔った勢いでこのような大胆な行動に出た可能性も十分あり得るのである。以上の諸点からすれば,この関係でも,弁護人が指摘する上記事情が被害少女供述やA供述の信用性を直ちに左右するとは解し得ない。
その他にも,弁護人は,〔1〕被告人夫婦やA,被害少女の生活行動パターン,とりわけBは午後7時~午後8時まで銭湯に行くが,短時間であるから,被告人がこの間に本件各犯行に及ぶだけの時間はない,〔2〕被告人宅の状況からして,被告人が犯行に及べば通行人に見られる可能性があって,被害少女が叫べば隣室に聞こえる可能性もあるから,犯行は不可能である,〔3〕被害少女は,平成19年に一度D宅で寝泊まりするようになったが,被害少女の方から再び被告人宅に戻っており,強姦等の被害に遭った家に帰ることなどあり得ない,〔4〕被告人は被害少女が幼い頃から妻とともに育ててきたものであり,そのような被害少女に対して強姦等に及ぶ可能性はないなどと主張している。
しかしながら,上記〔1〕の点については,Bが銭湯に行っている間に被告人が本件各犯行を行うだけの時間的余裕はあったと考えられるし,弁護人が指摘する生活行動パターンの点も抽象的な可能性を指摘にするに止まるものである。次に,〔2〕の点については,本件各犯行があったとされる時間はいずれも夜間であるが,その時間帯は,強姦の犯行が行われたとされる玄関向いの部屋は平素カーテンが閉められていて,隣家の音も余り聞こえないというのであり,また,この部屋の外には植え込みがあって〔甲16〕,外からも見えにくく,また,直ちに窓の横を歩いている人に音が聞こえるという環境でもなかったといえるから,この関係で,被告人の各犯行を不可能とする事情があるとはいえないと解される。さらに,〔3〕の点については,DとAの各供述によれば,Dは,仕事や宗教の活動のため不在がちであって,被害少女の食事の用意ができなかったりしたため,少女を被告人宅に帰すことがあったとのことであり,また,被害少女供述によっても,被告人から頻繁に強姦されていたというわけではないのであるから,弁護人指摘のとおり被害少女が被告人宅に帰ったという事情があったからといって,直ちに少女が供述しているような各被害があり得なかったなどとはいえないことは明らかである。また,〔4〕の点についても,被告人は被害少女と血縁関係がない上,かつてその母のCとも性的関係を持っていたことも併せ考えると,弁護人が指摘するような事情が被告人の被害少女に対する性的犯行を否定する事情になり得るものでないことは極めて明らかである。結局,以上いずれの主張も,被害少女供述の信用性に疑いを容れるには足りない。
オ 供述態度
証人尋問調書から自ずから明らかなとおり,被害少女は,証人尋問の前日は緊張の余り十分に寝られず,緊張感から途中で体調を崩しながらも,涙ながらに辛い過去の出来事をありのまま記憶のままに供述するなど,精一杯誠実に応答していたのであって,弁護人の反対尋問にもさして動揺を来しておらず,その供述態度は極めて真摯なものであったと評価することができる。
カ 他の証拠との整合性
Dの供述によれば,被害少女は,本件告訴の後PTSDを発症し(児童相談所の判断),死にたいと言ったり暴れたりするなどしていたというのである。この点,弁護人は,告訴前にはそのような症状が生じていないのに,告訴後初めて発症していることは,告訴や被告人の逮捕などにより被害少女に精神的ストレスがかかったことを意味し,被害少女供述が嘘であることを裏付けている旨主張する。しかしながら,弁護人の想定しているストーリーによれば,被害少女は母CやAと共謀の上,被告人を無実の罪に陥れるために強姦等の被害をでっち上げ告訴に及んだことになるが,そのように意図的誣告に加担した者が,当然予想されていた被告人の逮捕を目の前にして軽々にPTSDを発症するなどとは考えられない。もともとPTSD自体,「並はずれた脅威や破局的な性質でストレスの強い出来事又は状況(短期又は長期にわたる)に曝露されて,それはほとんどの人にとって広範な苦痛をもたらすと考えられるような」心的外傷(ICD-10の定義による。DSM-〈4〉-TRもほぼ同様の定義を示している。)を前提とするものであることに鑑みると,弁護人が指摘するような事情がそのような心的外傷に該当するとは到底考えられず,被害少女は,誰にも打ち明けられないまま,真に被告人から長期間にわたり強姦等の性的な被害を受けていたからこそ,その被害を周囲の者に打ち明け,それが捜査の対象になるに及び,一気にこのような深刻な症状が現れ出たと解するのがはるかに自然である。その意味で,上記PTSDの発症は,被害少女の供述の真実性を強く裏付けるものがあると評価することができよう。
以上のほか,弁護人は,〔1〕平成18年に被害少女が作成したノート〔弁3〕には,被害少女が被告人に感謝している旨の記載があり,強姦や強制わいせつの被害事実と矛盾するものである,〔2〕被害少女は,平成20年8月ころに被告人による性的被害をメモに書いた際,液晶テレビのある部屋で被告人に胸を触られたときのことを書いたが,1か月程度しか離れていない本件強制わいせつについては書かなかったのは不自然である旨主張している。しかし,まず〔1〕の点については,被害少女は,この当時,被告人のことで自殺をしたくて気持ちが一杯一杯になっていた,被告人に育ててもらったことから感謝の気持ちもあってこのような文章を書いたなどと説得力ある説明をしているし,〔2〕の点についても,被害少女は,被告人から少なからざる性的被害を受けていたと供述しており,その供述を前提とする限り,数ある性的被害の中の一つである本件強制わいせつがたまたま思い浮かばなかったとしてもさして不自然とはいえない。弁護人の主張はいずれも理由がない。
キ 供述変遷の評価
被害少女は,捜査・公判を通じ概ね一貫した供述をしているものの,最初の強姦被害を受けた時期については,(1)平成20年10月7日付け検察官調書〔甲9〕中では,最初に被告人に強姦されたのは,小学校6年生になった平成17年のことであり、「その日は,夕食後自分の部屋でお菓子を食べていたが,そのお菓子は,Dおばさんが経営している美容室の従業員であるZ10さんの娘さんであるEさんの結婚式の引き出物であり,このEさんの結婚式が11月20日であったことは覚えているから,被害に遭ったのは,その翌日の平成17年11月21日のことである。」「強姦されたその日の夜,トイレに行ったときパンツに血がついていたので,ナプキンを付けた。私は小学校6年生の10月ころから生理が始まっていたが,普通,生理は1週間くらい続くのにその血はすぐに止まったから,『生理じゃなかったのかな。おかしいな。』と思った。」旨供述していたのに,(2)上記検察官調書が作成された5日後の平成20年10月12日付けの検察官調書〔甲10〕中では,その後の警察の捜査でE氏(同調書中では「Z11」氏)の結婚式が平成17年ではなく平成16年であったことを受けて,「最初に強姦されたのはEさんの結婚式の翌日であったとはっきり記憶しているから,Eさんの結婚式が小学校6年生のときではなく小学校5年生のときであったのなら,小学校5年生の平成16年のことが正しい。私の記憶の中では小学校高学年のころという記憶であったから,最初平成17年とお話しした。」旨供述を変更し,(3)公判段階での証人尋問期日では,基本的に(2)の供述を維持しつつ,出血の点につき,「最初に強姦されたときに血が出たので生理かなと思ったけど,一日で終わったから違うかなと思ったことは事実である。生理のことは小学校5年のときから知っていた。それで,当時ナプキンを持っていなかったが,これを買って付けた。」と証言するに至っている。
この点,弁護人は,被害少女は最初の強姦の日付を1年間間違えていたことについて,看過し難い供述の変遷があるとし,しかも,このような変遷を前提とすると,変遷前の供述のうち出血の点について,小学校6年生の10月ころに既に始まっていた生理かと思った旨の箇所の説明がつかなくなるとして,これは虚偽供述の徴表であるかのように強調している。
しかしながら,被害少女は,被害に遭った日付をE氏の結婚式の翌日ということから記憶喚起し,この点は一貫して維持しているのであって,たまたま結婚式があったのが平成17年なのか平成16年なのかという点に錯誤があったにすぎないのである。錯誤の理由についても,被害少女は,上記(2)の説明のほか,証人尋問中では,さらに,小学校5年生と6年生とでは担任の先生もクラスの人も同じであったから混乱していたとも説明しているのであって,この説明は十分納得し得るものである。また,出血の点についても,被害少女は,当初は被害に遭ったのが小学6年生の時のことであるとの前提(日付の点はともかく,年の点は必ずしも確たる記憶でないことは上記のとおりであるから,この前提自体曖昧なものであった。)で供述していたため,出血に関する上記のような供述がなされたにすぎないものと推測するのが最も自然な理解であり,証人尋問段階で,上記(3)のとおり説明している点は何ら不合理なものではない。以上によれば,被害少女供述の上記供述の変遷は,その基本的信用性に影響を及ぼすような性質のものではないと解される。また,弁護人は,A供述に関しても,〔1〕被害少女と同様,平成17年と平成16年とを間違えるのは不自然であると主張するほか,〔2〕各強姦目撃状況に関して,被害少女が四つん這いであったか仰向けであったかの点について供述が変遷しているし,〔3〕強制わいせつの目撃に関するAの供述は目撃場所や目撃日時等の変遷が著しく,その変遷理由も了解不能であると主張し,その信用性に強い疑問を呈している。しかしながら,〔1〕の点については,Aは時期を明確に記憶していたわけではないから,この点に関し被害少女供述の変遷のままに同様の変遷があったとしてもさほど大きな問題ではないし,また,〔2〕の点については,もともと各強姦を目撃した時間がさほど長くない上,Aにとっては最も見たくない情景であって,全体にその点の記憶が抽象的で漠然たるものであっても無理からぬものがあるから(なお,変遷前後いずれの目撃供述によっても被害少女供述の内容と相容れないものではない。),この点もA供述の核心部分の信用性に影響を及ぼすものとは解されない。さらに,〔3〕の点については,Aは,証人尋問において,廊下で強制わいせつを目撃したと言えば,廊下と現場が近い強姦を目撃したことにつながってしまうと思ったので,初めは廊下での強制わいせつを目撃したと言えなかったと供述し,距離についても警察の道場で再現したため誤差が出たと供述しているのであって,一応合点のいく説明をしているものと解されるから,この点についても,信用性を疑わせるような変遷とはいえない。
よって,上記弁護人の主張はいずれも理由がない。(3)小括
以上によれば,被害少女供述は,これを支えるA供述ともども,十分に信用することができる。
再審(一部,登場人物の表記を修正しています)
2 再審開始決定等
(1)被告人は,平成26年9月12日,確定審における供述は虚偽であり,被害少女が被告人から強姦等の被害を受けた事実も,兄Aがそれらを目撃した事実もない旨の被害少女及び兄Aの新たな供述は,新たに発見した無罪を言い渡すべき明らかな証拠にあたるとして,大阪地方裁判所に対して再審請求を行った。これに対し,検察官は両名の前記各供述を踏まえ,再度補充捜査を実施した結果,被害少女が強姦されたとする時期より後に受診した産婦人科において,「処女膜は破れていない」という診断が記載されたカルテ(以下「本件カルテ」という。)の存在が新たに判明したことから,被害少女及び兄Aの前記各供述並びに本件カルテの記載が,無罪を言い渡すべき明らかな証拠に該当する蓋然性が高いとして,速やかに再審開始決定をされたい旨の意見を述べた。
(2)大阪地方裁判所は,事実の取調べとして,被害少女及び兄Aらの証人尋問を実施した。
被害少女は,再審請求審において,
〔1〕被害を受けたとの確定審での供述は虚偽であり,本件各犯行の事実は存在しない,
〔2〕被告人からお尻を触られる旨大伯母であるE(以下「E」という。)に話したところ,それを伝え聞いた実母であるF(なお現在の姓はCである。以下「F」という。)及びその夫であるG(以下「G」という。)から他にも何かされたのではないかと何日間も深夜に及んで問い詰められたため,最後には,胸を揉まれたと認めた,その後,強姦されたのではないかとの問いに対しても,これを否定することができなかった,
〔3〕また,産婦人科に三度連れて行かれ,診察を受けさせられた,
〔4〕取調べではFが怖くて虚偽であることを打ち明けられなかった,
〔5〕就職しFから距離を置いたことを契機にして,これまでの供述が虚偽であることを弁護人に告白することにした
旨供述した(以下「被害少女の新供述」という。)。
また,兄Aは,再審請求審において,
〔1〕本件各犯行の事実は見たことがなく,これらを目撃した旨の確定審での供述は虚偽である,
〔2〕F及びGから被害を見ていないはずはないなどと問い詰められ,被害を目撃したと話してしまった,
〔3〕自分が嘘だと打ち明けても信じてもらえないと思い,取調べでも本当のことを話さなかった
旨供述した(以下「兄Aの新供述」という。)。
大阪地方裁判所は,
〔1〕再審請求審において検察官から提出された本件カルテには「処女膜は破れていない」との記載があり,被害少女の新供述を強く裏付けること,
〔2〕再審請求審における事実の取調べでのGの供述内容や,再審請求審において検察官が提出した被害少女に関する病院の診療記録に記載されている内容が同人の新供述と整合すること,
〔3〕被害少女及び兄Aが偽証罪等の処罰を受けるおそれがあるにもかかわらず確定審での供述が虚偽であった旨認めていること
等を考慮すると,両名の各新供述は信用することができ,これらの供述は確定判決が有罪認定の根拠とした両名の各尋問調書及び各検察官調書の内容の信用性に疑問を抱かせるものであるから,新たに発見した無罪を言い渡すべき明らかな証拠にあたるとし,平成27年2月27日,再審を開始する旨の決定をし,同決定は確定した。
第3 当裁判所の判断
1 証拠構造
前記のとおり,確定判決が,被告人の被害少女に対する強姦及び強制わいせつ行為(以下,併せて「強姦等」という。)を認定した中心的な証拠は,被告人から強姦等された旨の被害少女の旧供述及びそれらを目撃した旨の兄Aの旧供述である。そこで,被害少女及び兄Aの各旧供述が,新たな証拠が取り調べられた現時点においてもなお信用性を有するかについて,以下検討する。
2 被害少女及び兄Aの各旧供述の信用性
(1)客観的事実との矛盾
本件再審請求後,検察官において補充捜査が実施された結果,検察官から証拠請求された本件カルテ(当審甲2)には,被害少女が,平成20年8月29日,H産婦人科医院を受診し,「処女膜は破れていない」との診断がなされたとの記載があることが認められるところ,その診断結果に信用性を疑わせる事情は何らうかがわれない(なお,確定審の公判では,Fは,最初,被害少女が胸を触られたと言っていたので,これは強姦の被害を受けているのではないかと疑い,被害少女を産婦人科医院に連れて行って診察を受けさせたことがあったほか,その後,警察から依頼があり,被害少女を別の産婦人科医院に連れて行ったことがあった旨供述していたが,確定審では,産婦人科医師の診断結果についての証拠調べはなされなかった。)。
他方,被害少女の旧供述によると,被害少女は,平成16年11月及び平成20年4月の2回のほか,何回も被告人に強姦されたというのであり,被害少女の旧供述を前提にすれば,前記受診当時,被害少女の処女膜が破れていないとは考えがたい。
以上からすると,被害少女及び兄Aの各旧供述のうち,被告人が被害少女を強姦したという核心部分は,本件カルテの診断結果と明らかに矛盾しており,その信用性は大きく減殺されるものといえる。このような矛盾は,被害少女及び兄Aに記憶違いがあったなどとはおよそ考えられないから,両名が意図的に虚偽供述を行ったとみるほかない。そうすると,両名の供述の前記核心部分と密接に関連する,被告人が被害少女に強制わいせつ行為をしたという供述部分についても,被害少女及び兄Aが意図的に虚偽の供述をしたとみるのが相当であり,両名の各旧供述全体の信用性に疑義を生じさせるものである。
(3)各旧供述の供述内容の疑問点
ア また,被害少女及び兄Aの各旧供述の内容について改めて検討してみると,各旧供述には,いくつかの不自然な点や疑念を抱かせる点を指摘することができる。まず,被害少女及び兄Aの各旧供述によれば,被告人は,被告人の母や兄Aがいる部屋の隣の部屋や廊下で各犯行に及んだことになるが,そのような家族への犯行の発覚の可能性が非常に高い状況で,被告人が嫌がる被害少女に対して強姦等を試みるとは,何らかの特別な事情がない限り通常は考えられず,その内容自体不自然であるとの感を抱かせるに足りるものである。また,被害少女及び兄Aは,平成16年11月に被害少女が被告人に強姦されていた際に泣き叫んでいた旨供述するところ,兄Aの旧供述によると,当時,隣の部屋で被告人の母と一緒にテレビを見ていたが,心配になって被害少女の部屋をのぞき見て,本件犯行を目撃したというのである。被告人の母は,当時,高齢であったとはいえ,被害少女の旧供述によっても,少し耳が遠かったが,大声で話さなくとも聞こえる程度であったというのに,兄Aが被害少女の叫び声を聞いて異変を感じたが,一緒にテレビを見ていた被告人の母が全くこれに気づかなかったというのも不自然であり,他方で,聞こえていたにもかかわらず被告人の母が知らないふりをしたとも考えられないのであって,この点でも被害少女及び兄Aの各旧供述の内容に疑念を生じさせるものといえる。
イ さらに,被害少女の旧供述には,最初の強姦被害の時期等に関して不合理な供述の変遷が認められる。すなわち,被害少女は,捜査段階当初は,平成17年11月に初めて強姦され,その後にトイレに行ったところ下着に血が付いており,同年10月頃に初潮を迎えていたため,その血を見て生理が始まったのかと思った旨述べていたにもかかわらず,捜査段階の途中で,最初に強姦された時期は平成16年11月の誤りである旨供述を変遷させている。被害少女は,その理由について,確定審の公判において,最初の強姦被害の時期は,Eが経営する美容室の従業員の娘の結婚式に出席した次の日であったとはっきり記憶していたが,その結婚式の日にちを1年記憶違いしていた旨述べている。しかしながら,変遷後の被害少女の供述によれば,最初に強姦された時期は平成16年11月となり,被害当時被害少女はまだ初潮を迎えていなかったことになるところ,そうであるとすれば被害少女が「初潮を迎えていたため下着に付いていた血を見て生理かと思った」という供述内容と大きく矛盾することになり,単に結婚式の日にちを1年間違えていたというだけでは,納得のいく説明がなされているとはいえず,不合理な変遷と指摘せざるを得ない。
そして,兄Aも被害少女と同様に最初の強姦を目撃した時期について平成17年11月から平成16年11月へと供述を変遷させているところ,兄Aは,確定審の公判において,変遷の理由について,結婚式に中学校の制服を着て行った記憶があり,一学年間違えてしまった,被害少女と被害時期等について話し合ったことはない旨述べている。しかしながら,被害少女及び兄Aの両名が被害時期について偶々同じような記憶違いをするとは考え難く,兄Aの旧供述は,捜査官の事情聴取に先立って,何らかの方法で被害少女の供述内容を知らされ,これに迎合して供述していたことが強く疑われるのであって,そうすると,被害時期にとどまらず,被害内容それ自体についても,その信用性は大きく減殺されるものである。
(4)小括
以上のとおり,被害少女及び兄Aの各旧供述は,その核心部分が重要な客観的事実と大きく矛盾している上,被害少女及び兄A自身が各旧供述は虚偽であり,被告人による強姦等の事実はなかった旨の各新供述をするに至っており,各新供述には信用性が十分に認められる。加えて,各旧供述の内容自体にも不自然不合理な点を指摘できることからすると,両名の各旧供述が信用できないことは明らかである。
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