どうも、はすのべQです。あなたの「変」を好きになる方法 再構築 小説形式はいかがだったでしょうか?
こちらではそのあとがきというか、解説的なことを書いていこうかなあ、と思っております。
はすのべが普通の子供と違ったのは、幼少時代、養護学校を勧められるほど知能が遅れていたことも関係あるのかもしれません。普通の子供がその年齢でできるようなことが、できなかった。数を100まで数えられないとかね。
でも母親は養護学校をよしとしないで、ただひたすらはすのべに絵本を読んで聞かせました。大好きな本は、一万回ぐらい読み聞かせてくれたんじゃないかな。未だにページのどこに何が書いてあるのか、くっきりと思い出せる。母親の声の調子まで。
そうして絵本に慣れたはすのべは、家に大量にあった本を片っ端から読むようになった。それで知能テストなどでも、標準値が出せるようになったんだと推測します。
ただ、はすのべの「変」さは変わらなかった。
母親は非常に世間体を気にする、まあ日本によくいらっしゃるタイプの人間です。養護学校をよしとしなかったのも、ご近所の目を気にしたんでしょう。とにかくはすのべに「普通であれ、はみだすな、和を乱すな、大人しくあれ、従順であれ」という教育を物心つく前からしてきた。
そういう親の教育って大人になるまで影響しますね。考え方のベースは、どうしても親、養育者の影響を受けてしまう。それではすのべは、普通でいられない自分がいつも後ろめたく、恥ずかしく、また嫌でたまらなかった。親にすら「恥ずかしい」と思われているのだから、自分に自信がないのは当たり前の話で、いつもおどおどして世界と関わっていました。
母親が「普通」を好んだのは、その夫、はすのべの父親ですね、その存在のせいでもあったかもしれません。
大人になってからわかりましたが、父親も相当「変」でした。今の時代、彼を病院に連れていけば何かしらの「障害」として診断されたはずです。
何度も何度も意味のない引越しを繰り返し、そのたびに大金を使い果たして、それなのに借金をして、学校を休ませてまで海外旅行に行き、母親と、その子供を振り回した。
兄二人はそんな父親に愛想をつかし、早々に心の中で絶縁状をかかげ、成人して医師となりお金を稼げるようになると家に寄り付かなくなりました。父親も兄二人と顔を合わせればお金の無心ばかりするので、ますます縁が遠のいた。
現状、はすのべが最後に彼ら兄達の姿をリアルで見たのは、もう十年ほど前になります。今はどこで何をやっているのか、住所や電話番号すらわからない有様。これからもずっとそうなのでしょう。
父親は家族とうまく会話ができない人です。しないのか、できないのか……。天気の話をしているのに、天気とは違う話を始める。アスペルガーに近い形ですが、ADHD、双極性障害などがいろいろ混ざっている感じがします。気性も激しく、母親に手をあげ、機嫌が悪いと食卓をひっくり返していました。食べ物と食器が床に散らばるのなんて日常茶飯事。窓ガラスが割れる、机が、壁が凹む……。今は年をとってだいぶ丸くなり、はすのべの方が強くなったので、そんな横暴なことはしません。させませんが。
金遣いも荒く、貧乏なのに借金をしてまで家の庭に高級な植木を植えるなど、非常に支離滅裂で、周りの人間を緊張させる存在でした。余るほどあった財産は現状限りなく0になり、数年前までは、家族の全財産が十万円以下になることもざらでした。今も裕福とはとてもいえない状態です。
子供の時のはすのべは、父が本当に理解できず、また怖かった。しかし彼は医師免許を持っており、それで患者を治し、半世紀以上の診療期間中、一度も医療事故を起こしていません。また、周囲の評判も悪くはない。良くもないですが。
家族には非常に苦しみを感じさせる性格ですが、他人に対して「普通を装う」能力が非常に優れています。だからこそ母親とも結婚できたのですが。
この年になるまで、世界で一番憎い存在は父でしたが、今は逆に希望を感じます。
父のような人間が「障害者」だのその他の名前だので呼ばれず、警察のやっかいにもならず人生をまっとうできるなら、保持者の方々だって薬を飲み体を傷つけずとも、自身の「変」そのままを抱きしめて、日々を送っていけるのではないか。
たとえその「変」が周囲を当惑させ(どん引かせ)、時には迷惑や不快を起こさせることがあるとしても。
「発達障害」と呼ばれるものが出てきたのは結構最近です。でも昔から父のように、名称がつけられなくとも「変」な人はたくさんいた。あなたの周りにもいませんか?非常に周りに不快と当惑を与える人間。いるはずです。そういう人々はもう、ただ単に「変な人」でいいんではないかな、ってはすのべは思います。
なまじっかその「変」に共通の部分があり、その「変」を変化させて社会になじませることができる薬が生まれてしまったので「病」に近くなったけれども、そもそも「発達障害」は病ではない。個性です。
だからはすのべは、「発達障害」と呼びたくないのです。何かができにくい印象を与えてしまうその響き、間違っていると思います。あえて呼ぶなら、はすのべが定義したように、「発達時特有個性保持者」と呼ぶべきだと。もっと言うならそういう言葉すらなくなり、個人個人でその特有で唯一無二の個性を、それがどんなに不快を与えようと、お互いに受け入れ蔑まない。そう、バカにしたりしないのが大事です。
「変だけど、まあいっか」と、すべての個性を持つ人間がただの「変」として存在することが、理想なのかなと思っています。
それぞれの人の「変」の中で、周囲を困らせたり、不快にさせたり、どん引かせたりするものを「恥ずかしいもの」「隠すべきもの」それどころか「治すべきもの」だとする日本の考え方がなぜ生まれてしまったのかは、また別に「全全全全全肯定」の記事で論じたいと思っております。
そういった日本の考え方をはねつけるのは、日本に生きていると非常に難しい。前述した通り、親とか周囲がもうそういう考え方だから、どうしてもベースがその色に染まりやすい。一部の天才達は周囲からほとんど影響を受けないほど自分の「芯」がしっかりしているため、その「変」のまま受け入れられ、特に問題が起きない場合もあるのですが、そうではない多くの人がはすのべと同じように「周りが言うから、やっぱりだめなんだ」と思ってしまうのではないでしょうか。
そして、その思いが強すぎると、はすのべのように「自分を殺す」か、「周囲を傷つける」か、そのどちらかになりやすい。とても切ないです。
じゃあ、そういった方々が追い詰められないよう、ものの見方を0から変える「再構築」をどうやって起こすのか。
これも人によって様々で、きっかけもその人によって違うので、マニュアル化しにくいのですが、やはり「誰にも否定できないもの」を自分の中で持ち、それを絶対に守り抜く、それが「再構築」の第一歩なのかなあって思います。
はすのべも「小説が好きだ、漫画が好きだ」がなかったら、早々と自殺していたでしょう。直前までいきました。リュックに、電気コードを入れて、どこかの森で首を吊ろうとしたのです。そうして家を出る直前、窓の外を見て「ああ、漫画とか小説、好きだったなあ」ってしみじみ思っていたのです。そうしたら、運命を変える電話がかかってきたのです。そうして死なずに済みました。
家を出る時、携帯は置いていくつもりだったので、その「しみじみ」で出発する時間がのびなければ、はすのべは今こうしてこの記事を書いておらず、ずいぶん前にこの世から人知れず消えていたでしょう。そう思うとやっぱり「好き」って気持ちは、この過酷な世界を生きていく上で本当に大事なのだなって改めて感じます。
いざという時、守ってくれるのは、最後に自分のそばに残るのは「自分」一人だけ、自分の「考えや思い」です。恋人でも親友でも親でも兄弟でもありません、ぎりぎりの最後に自分のそばにいるのは「自分」です。はすのべはそれを命懸けで実感しました。
自分のこと、大好きになれ、愛してやれ、褒めてやれ、誇ってやれ、ってはすのべが口をすっぱくして言うのはそのせいです。マウント?いいじゃないですか。めちゃ自分のこと自慢してください。はすのべも「どう?」って自慢しますから。見苦しくないですよ。あなたの努力の結果でしょう。見苦しいのは、「そういうの下品」とか言ってなんの努力もせずに自慢する人を蔑む人、その態度です。大したことしてねえじゃんかよって言うんだったら、そんなこと言うお前のほうがよっぽどしょぼいからな?って言いますよ、ええ。
まあ、人知れず「私すごい、えらい」って言う方が、敵は作りにくいので、その方がもしかしたらいいかもしれませんね。はすのべは「すげーよ私、見て」って言っちゃいますが(笑)。周りがどんなに白けても、自分で自分を誇ることは、これからもがんばろってやる気につながりますからね〜はすのべの場合。
じゃあ、まとめますと、今自分を嫌いな人がどうやって、自分を好きになるのか?
まず1ステップは、「誰にも譲れないもの、大好きなもの」を見つけることです。
意外と多いんですよね「好きなもの、夢中になれるもの、ないんだよね」って人。やばいです……まあ、平和な環境だったらいいですが、荒波が来た時に非常に苦しむと思います。あと、人の評価とか言葉に左右されやすくなっちゃうかも。
なんとかそういう、「生きててよかった!」みたいな感情を生むもの、なんでもいい、見つけてください。いろいろなものに触れることが大事かなって思います。
「アボガドが世界中の誰よりも好き」でもいいし、「切った爪を眺めるのが好き」でもいいし(おや…?誰かいたねそういう人)、その人なりの「夢中、好き」でいいんです。
で、第二ステップは、「その夢中になるもので、充実感を得ること、他人からの評価を得ること、実績を得ること」かな。はすのべもそうでしたね?群像第一次選考に残ったことです。
自分の世界だけで「好きだ!」って叫ぶことにやはり無理が出てしまう部分があるので、そこを褒めてもらう、評価してもらうことが必要なのかなって思います。
第一、第二、どちらも大切なステップです。第一で形を作り、第二でそれをゆるぎなきものにする。
いったんそれができると、何を言われてもその「ゆるぎなきもの」が助けてくれて、生きることがそれほど苦しくなくなります。自分を嫌いにもなれなくなります。
あと、他人に興味がなくなりますね、いい意味で。それはとても自由で、呼吸がしやすくて、いい気分ですよ。ぜひ今、「自分が嫌い」「息苦しい」って思ってる人に、試してもらいたい二つのステップです。よろしくね!
こんなところでしょうか。もし何かこの件で疑問に思ったことがありましたら、「元編」垢「はすのべ」垢共同使用のマシュマロにご相談くださいね!
次はすごく話したくなってしまった小野不由美さんの「残穢」についてかな〜
お楽しみに!
最後までお読みいただき、ありがとうございました〜!