「ほうき星」
波がわたしをさらう
ぼやけた視界
うみ底に沈む
人は夢みて忘れて
愚かな生き物だよね
十年先も百年先も
いつだって一緒って言って
約束するよ
季節はずれの雨に紛れた
わたしの涙を拭って泣いて
気まぐれに光る星は
あなたに似ていなくなりそうで
十年先も百年先も
いつだって一緒って言って
約束してよ
季節はずれの雨に紛れた
あなたの涙を拭って泣いた
19歳の最後につくった歌があります。
戦争を経験していないわたしに戦争のうたをつくろうなんて大それたことが許されるのか、という葛藤から曲作りがはじまりました。
でも、cocoonという演劇を観てから、戦争に対する想いや自分なりの感想が心に生まれ、戦争をテーマにした歌をつくってみようと取り組みました。
曲作りはいつもと変わらず歌詞(言葉)から出来ました。cocoonを観ている最中、ノートに書きだくった言葉を元につくっていきました。
メロディーをつけると一気に安っぽくなってしまったような、安っぽいというか軽くなってしまったような気がしました。
わたしは戦争を経験したことのない平成生まれの19歳で、こんなわたしがいくら戦争や原爆の本を読み映像を観て資料館に行き学んだところで、知ったつもりでしかない気がしていました。曲をつくりだしたはじめは、戦争の情景が浮かぶように…などと考えながら作っていましたが、知ったかぶって戦争らしいうたを書くことがわたしの作るべきうたではないと感じました。そんなのなんにもよくない、と思いました。だから難しい言葉や戦争を思い起こす描写などは入れないことにしました。聴く人が戦争のうたと分かられなくてもいいとおもいました。言葉の意味が多少安っぽくなろうがどう捉えられようがこれが今わたし19歳が戦争にたいして向き合った結果なのです。
戦後70年以上が経過し、戦争体験者の全員が高齢者となりました。わたしは戦争をイメージでしか捉えることが出来ないし、戦争や原爆が起こったということが薄まって風化しつつあるのが現状だと感じています。
修学旅行で原爆資料館に行ったとき、みんなの口にしていた感想が「グロい」だったことがショックだったのを思い出しました。戦争の悲惨さを難しい言葉で表せとは言わないけれど、そんな簡単な言葉で片付けてしまうのは少し悲しかった。せめてそんなグロいだなんて安易な言葉にせず、なにも言わなくていいのに、と思いました。
わたしはこれから戦争のことを知ったつもりで発言するのが一番嫌です、だけど、無知は怖い無責任なことだと思います。ひとりひとりが最低限の知識や自分なりの感想まずは向き合う時間をもうけないと、風化してしまうことだと考えています。本当にそう思っています。だから今こうして、自分なりにほうき星といううたを作ったけれど、わたしが年をとってもっと戦争についての理解を深め更に真剣に向き合うことができたなら、またそのときに自分に出来ることたぶん戦争に関する歌を作ることをするだろうなと思います。何年後何十年後になるかわからないけど、またいつかこうしたテーマのうたというのを真剣に取り組み作ることができたらと思います。
(いつか音源のせるのでちょっとまっててください)
波がわたしをさらう
ぼやけた視界
うみ底に沈む
人は夢みて忘れて
愚かな生き物だよね
十年先も百年先も
いつだって一緒って言って
約束するよ
季節はずれの雨に紛れた
わたしの涙を拭って泣いて
気まぐれに光る星は
あなたに似ていなくなりそうで
十年先も百年先も
いつだって一緒って言って
約束してよ
季節はずれの雨に紛れた
あなたの涙を拭って泣いた
19歳の最後につくった歌があります。
戦争を経験していないわたしに戦争のうたをつくろうなんて大それたことが許されるのか、という葛藤から曲作りがはじまりました。
でも、cocoonという演劇を観てから、戦争に対する想いや自分なりの感想が心に生まれ、戦争をテーマにした歌をつくってみようと取り組みました。
曲作りはいつもと変わらず歌詞(言葉)から出来ました。cocoonを観ている最中、ノートに書きだくった言葉を元につくっていきました。
メロディーをつけると一気に安っぽくなってしまったような、安っぽいというか軽くなってしまったような気がしました。
わたしは戦争を経験したことのない平成生まれの19歳で、こんなわたしがいくら戦争や原爆の本を読み映像を観て資料館に行き学んだところで、知ったつもりでしかない気がしていました。曲をつくりだしたはじめは、戦争の情景が浮かぶように…などと考えながら作っていましたが、知ったかぶって戦争らしいうたを書くことがわたしの作るべきうたではないと感じました。そんなのなんにもよくない、と思いました。だから難しい言葉や戦争を思い起こす描写などは入れないことにしました。聴く人が戦争のうたと分かられなくてもいいとおもいました。言葉の意味が多少安っぽくなろうがどう捉えられようがこれが今わたし19歳が戦争にたいして向き合った結果なのです。
戦後70年以上が経過し、戦争体験者の全員が高齢者となりました。わたしは戦争をイメージでしか捉えることが出来ないし、戦争や原爆が起こったということが薄まって風化しつつあるのが現状だと感じています。
修学旅行で原爆資料館に行ったとき、みんなの口にしていた感想が「グロい」だったことがショックだったのを思い出しました。戦争の悲惨さを難しい言葉で表せとは言わないけれど、そんな簡単な言葉で片付けてしまうのは少し悲しかった。せめてそんなグロいだなんて安易な言葉にせず、なにも言わなくていいのに、と思いました。
わたしはこれから戦争のことを知ったつもりで発言するのが一番嫌です、だけど、無知は怖い無責任なことだと思います。ひとりひとりが最低限の知識や自分なりの感想まずは向き合う時間をもうけないと、風化してしまうことだと考えています。本当にそう思っています。だから今こうして、自分なりにほうき星といううたを作ったけれど、わたしが年をとってもっと戦争についての理解を深め更に真剣に向き合うことができたなら、またそのときに自分に出来ることたぶん戦争に関する歌を作ることをするだろうなと思います。何年後何十年後になるかわからないけど、またいつかこうしたテーマのうたというのを真剣に取り組み作ることができたらと思います。
(いつか音源のせるのでちょっとまっててください)