第16回:なぜディクソンはABBAの『チキチータ』を聴いていたのか?『THREE BILLBOARDS OUTSIDE EBBING, MISSOURI(スリー・ビルボード)』徹底解説
- 2018.12.16 Sunday
- 18:34
さて、ようやくここまで辿り着いた。
ウィロビーの死を知らされる前にディクソンが聴いていたABBAの『Chiquitita(チキチータ)』の意味を解説するよ。
もう第16回だもんな。長かった(笑)
そもそも僕が『スリー・ビルボード』の解説を書こうと思ったきっかけは、この場面でABBAの『チキチータ』が流れる理由を多くの人が誤解していたからだった。
ネット上でこんな説が広く出回っていたんだよね…
「ディクソンがABBAを聴いていたのは同性愛者の証拠」
僕はこの説を最初に聞いた時にズッコケた。こんなこと46年の人生で初耳だったから…
断言しよう。
ディクソンは同性愛者ではないし、ABBAはその象徴ではない。
映画『スリー・ビルボード』のどこにも、ディクソンが同性愛者であることを臭わせる描写はないんだ。
ルネ・クレマンの『太陽がいっぱい』の時も「アラン・ドロン演じる主人公の同性愛説」をそう言って一蹴してたな(笑)
あのシリーズも中断したままやで。
ルネ・クレマンの原点『禁じられた遊び』を解説するんやったろ?
来年も忙しそうだな、君は。
ええ…
そういえば、自殺したウィロビーは妻のアンに置手紙を書いていたよね。
なんか意味深な内容っぽかったけど、あれは解説しなくていいの?
内容はイエス・キリストを思わせるようなもので、最後に「生まれ変わり」について言及していたね。
これはアンジェラが映画の中で度々「復活」していることを観客に知らせるヒントみたいなものだ。
ウィロビーはミルドレッドとディクソンにも手紙を書いているんだけど、そこにも非常に重要なことがテンコ盛りなので、後日ゆっくり解説するとしよう。
ブ~ラジャ~!
さて、ディクソンはウィロビーの死を伝えられる前、イヤホンでABBA『チキチータ』を聴きながら踊っていた。
窓の外にはウィロビー自殺のニュースに動揺する警察官たちの姿が見えるね…
虫メガネでオモチャの人形も見とったな。ノリノリで(笑)
ディクソンの精神年齢は8歳児レベルだからね。
ちなみにこの行為が『チキチータ』の次の曲、レッドをぶちのめす時に流れる歌『HIS MASTER'S VOICE』の伏線になってるんだ。
詳しくは『チキチータ』のあとに…
では歌を聴こうぜ。
どっかで聞いたことある歌。
タッキー&深キョンのドラマ『ストロベリー・オンザ・ショートケーキ』の主題歌や。
ああ、あれか!
まずこの歌の背景について簡単に説明しよう。
この歌が発表された1979年はABBAにとってターニングポイントといえる年だったんだ。
1974年に衝撃的デビューを飾ったABBAは二組の夫婦からなる4人のグループで、スウェーデンから一躍世界的人気スターとなり、まさにシンデレラストーリーを絵に描いたような蜜月期間を70年代後半に過ごしていた。
だけど1978年にアグネッタとビョルンの関係は崩壊し、1979年に二人は離婚することになる。
プライベートでは別れたのに仕事ではずっと一緒という関係は辛いだろうね。しかも世界中の目が注がれる中でだ。
当然ファンたちは心配した。
もう活動を続けられないんじゃないか?ってね…
元貴乃花親方と河野景子みたいなもんやな。
離婚した後も親方と女将さんとしてイベントに出とった…
おそらくアグネッタはABBAをやめようとも考えたんじゃないかな…
もう二度とステージの上で笑顔を振りまきながら歌うなんて出来ないと考えたことだろう…
だけど彼女は踏みとどまった。
世界中のファンからの声援、そして自分と同じように公私の区別のない生活の辛さを理解するアンニ=フリッドに支えられて…
こうして出来た歌が『チキチータ』というわけだ。
「Chiquitita」とは「お嬢ちゃん」という意味。
悲しみのあまり歌えなくなったチキチータとは、まさにアグネッタ自身のことなんだな。
それを彼女自身がリードボーカルで歌うというのは、心配してくれたファンや傍で支えてくれたアンニ=フリッドへの恩返しの意味も込められているのだ。
歌詞を噛みしめるがいい。これを歌うアグネッタの気持ちがどんなものだったか、よくわかるだろう…
チキチータ、何があったの?
自分で自分を追い込んで嘆き悲しんでいる
まるで今日が人生最後の日みたい
そんなあなたなんて見たくはないわ
他に道なんて無いの
あなたが悲しみのあまり言葉を失ってることも
わたしにはちゃんとわかってる
切な過ぎる…
だから歌ってたアグネッタも、あんな表情だったんだ…
自分のことなんだもんね…
薄っすら涙が浮かんどるで。
あんたの気持ちはようわかる。
そしてアンニ=フリッドが続く…
チキチータ、本当のことを教えて
私の肩で泣いていいから
あなたが唯一頼れる親友の肩で
輝いていたあなたはどこへ行ってしまったの?
わたしがあなたを癒してあげる
一緒に修復していきましょう
めっちゃ泣ける。
そしてサビだ。
チキチータ、あなたとわたしは知っている
この苦しみが何から来るものなのか
そしてどうしたら消えるのか
傷はどうしたら癒えるのか
あなたはまた踊れるはず
その時きっと痛みは消える
悲しんでいる時間なんて無いの
チキチータ、あなたとわたしは泣いている
だけど太陽はまだ空にあり
あなたを優しく照らしている
もう一度わたしに歌を聴かせて
以前のあなたのように
新しい歌を歌って、チキチータ
もう一度やれるはず、チキチータ
新しい歌を!チキチータ!
完璧にアグネッタ応援ソングだね。アンニ=フリッドやファンの想いを代弁してる。
でもなんで、あの場面でディクソンが聴いてたんだ?
この歌は歌詞がダブルミーニングになっている。
「ある有名な場面」を歌っているのだ。わかるかな?
ある有名な場面?
この時のアグネッタと同じように、主人公が嘆き悲しむあまり道を見失いかける場面だよ。
そしてアンニ=フリッドのように主人公を支える者が現れる。
誰でも知ってる超有名なシーンだ。
シェイクスピアかな?
それともオスカー・ワイルド?
そんなもんじゃない。世界一有名な物語の場面だよ。
主要キャストが揃って最後の夕食をした後に描かれる、クライマックス間近の場面だね…
主人公が嘆き悲しみ、支える者が現れる…?
主要キャストによる夕食シーンの後の場面…
わかった!コレや!
『ゲッセマネの祈り』カール・ブロッホ
大正解!
この『チキチータ』という歌は「ゲッセマネの祈り」が元ネタになっているんだよね。
「嘆き悲しむあまり歌えなくなったチキチータ」とは、十字架で死ぬことに恐怖を感じて血の汗を流したイエスのことなんだよ。
だから「まるで人生最後の日みたい」なんだ!
ちなみに「sun」と「son」の駄洒落も使われている。
語り掛けているのは「天の父」だからな。天使は「天の父」の言葉を伝えるメッセンジャーだ。
だから『チキチータ』のミュージックビデオでは、4人に後ろに大きな雪だるまが置かれているんだよ。
あれは「天の父」を表しているんだね…
それは深読みでしょ!
北欧スウェーデンだからだよ、きっと!
浅はかな…
お前ら「ABBA」という名前の由来を知らないのか?
それくらい知っとるわ!
アグネッタ、ビョルン、ベニー、アンニの頭文字でABBAやろ!
ではなぜ「BAAB」でもなく「ABAB」でもなく「BABA」でもなく「ABBA」なんだ?
ご、語呂がエエからやろ…
違うんだよ。
「ABBA」とはキリスト教圏では親しみ深い言葉なんだ。
「ABBA」とは聖書の時代にユダヤ人たちが話していた言語であるアラム語で「天の父」という意味なんだね。
天の父!?
新約聖書の『ローマ人への手紙』には、こんなことが書かれている。
Romans 8:15
The Spirit you received does not make you slaves, so that you live in fear again; rather, the Spirit you received brought about your adoption to sonship. And by him we cry, “Abba, Father.”
あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。
「Abba」の部分は英語だけでなく他の言語の聖書でも同じだろう。ここだけアラム語の原語のままだからな。
だから聖書を読んだことのある者なら、誰でも「ABBA」という言葉を知っているはず。
このグループが世界的に認知される下地は元々あったということだ。うまいこと考えたよな。
そしてこの『ローマ人への手紙』を書いたのは、かつてキリスト教を迫害した男サウロ…またの名を使徒パウロ…
つまり映画の中で「ジェイソン」とも「ディクソン」とも呼ばれるジェイソン・ディクソンのモデルとなった人物…
ああ、だからABBAの『チキチータ』だったのか…
だね。
しかしなぜこんな常識的なことが日本ではあまり知られていないんだろう?
クリスマスとか浮ついた行事以外にキリスト教に興味がないから調べないのかな?
僕が知る限り、ABBAと『チキチータ』の意味を正しく理解していた日本人は『ストロベリー・オンザ・ショートケーキ』を書いた野島伸司だけ…
ええ!?
あのタッキー&深キョンのドラマの!?
野島伸司はわかってる。彼は違いの分かる男だ。
あんたら公園兄弟も野島伸司を知ってるの!?
脚本家にはうるさくてね。
そもそも『ストロベリー・オンザ・ショートケーキ』とは、さっき紹介した「ゲッセマネの祈り」のことなんだ。
「白い天使に抱かれた赤い服のイエス」を「生クリームとイチゴ」に喩えたものなんだよね。
だから野島伸司は『チキチータ』を主題歌にして、最終回にはタッキーと深キョンにあの絵を再現させたんだよ…
うわあ…
野島伸司という脚本家は「隠れゴスペルソング」をドラマで効果的に使うことに長けてる。
代表作『高校教師』の主題歌である森田童子の『僕たちの失敗』もそうだよな…
ですね。
「春の木漏れ日の中でキミの優しさに埋もれていた弱虫な僕」とは、春の日に三度もイエスを知らないと言った使徒ペトロのこと…
「キミと話し疲れて、いつか黙り込んだ」とは、ゲッセマネの園でイエスと弟子たちが話し込んだこと…
「赤く燃えていた電熱器」とは、弟子たちが寝てしまった後に血の汗を流したイエスのこと…
そして「地下のジャズ喫茶にいた変われない僕たち」とは、イエスから目を覚ましていろと言われたのに下で寝てしまっていたペトロ、ヨハネ、ヤコブのことだ。
『ゲッセマネの祈り』ジョルジョ・ヴァザーリ
そして「チャーリー・パーカーのレコード」とは、主の声のこと。聖書では主の声を「ラッパの音」と表現する…
そして「ダメになった僕にキミもビックリしただろう」とは、再びイエスを裏切ったペトロのこと。
ペトロは迫害を恐れてローマから逃亡した際に、途中でイエスに見つかり呆れられてしまった…
「あの子はまだ元気かい?昔の話だね」は、おそらくマグダラのマリアのことかな…
うひゃあ…
森山直太朗の『明けない夜はないってことを明けない夜に考えていた』みたい…
ちなみに『ストロベリー・オンザ・ショートケーキ』の最終回で、タッキーが「森のくまさん」を歌って深キョンが死んだふりをするのは、旧約聖書『列王記』に登場する預言者エリヤの弟子エリシャが元ネタだな。
聖書に登場する「森のくまさん」は実に凶暴なのだ。
タランティーノの『イングロリアス・バスターズ』でも、「ELI」の名を持つイーライ・ロスが「森のくまさん」を演じていた。
ということで、今回はここまで。
次回は「ディクソンの殴り込み」と、そこで流れる曲『HIS MASTER'S VOICE』、そして土産物屋に現れた男とウィロビーの手紙について解説しよう。
盛り沢山だな。
早く終わらせて次に行きたいからね。
もうTSUTAYAで『ガタカ』のDVDを借りちゃった(笑)
気が早過ぎるな。
まだダラダラと10回くらいかかるんじゃない?(笑)
失敬な!一気に終わらせるよ!
我々の出番もあと僅かか…
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