2018年12月13日
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2018年12月13日
23年前の今日、1995年12月13日にPRINCESS PRINCESS(プリンセス プリンセス)のラスト・アルバム『The Last Princess』(ザ・ラスト・プリンセス)が発売された。彼女達にとって、オリジナル・アルバムとしては通算10枚目にして、最後のアルバムになる。
“プリプリ”の愛称で親しまれたプリンセス プリンセス。1983年から1996年までの活動期間中、日本のガールズ・ロック・バンド(“ギャルバン”などと表されたこともある)を代表するバンドとして活躍。メンバーは奥居香(現・岸谷香)(Vo、G)、中山加奈子(G)渡辺敦子(B)、今野登茂子(Kb)、富田京子(Dr)という5人組。前身の「赤坂小町」から不動である。女性だけのロック・バンドとして最も商業的に成功したバンドとも言われているのだ。
彼女達の成功譚については後述するが、『The Last Princess』は、文字通り、解散を前提に制作した作品である。プリンセス プリンセスの代表曲「Diamonds」の作詞者にして、現在はVooDoo Hawaiiansで活動する中山加奈子(VooDoo HawaiiansにはTH eROCKERSの穴井仁吉も一時在籍。新生TH eROCKERSに参加している澄田健もメンバーだ)に「大人のMusicCalendar」の本記事のために取材を受けていただき、当時を振り返ってもらった。
「最後の作品という事もあり、メンバーはもちろん、プロデューサーの笹路正徳さんも特別な思いで関わってくださった作品です。他のアルバムに比べて今野登茂子、渡辺敦子が作詞、作曲に多く関わっています」(中山加奈子。以下「」内のコメントはすべて中山)
それまでに増してバラエティ豊かな作品だが、ラスト・アルバムということもあり、中山の作る「Bye Bye」や「純愛」などの歌詞には“別離”を思わすフレーズが並ぶ。
「解散が決定してから作ったアルバムです。最後の日に向けての寂しさや、本当に正しい決断だったのだろうか、まだ、どこかで自問自答している気持ちなど、毎日揺れ動いていました。そこから『Bye Bye』や『純愛』の様な歌詞が書けたのだと思います」
プリンセス プリンセスが残してきた功績で語らなければいけないのは商業的な成功のみならず、多くの女性達がロックに目覚め、楽器を取り、バンドを組む契機になったことだろう。それまでに女性のロック・バンドはなかったわけではない。古くは麻生レミやカルメン・マキ&OZ、80年代に入ると、レベッカ、パーソンズなども出てくる。ただ、女性ヴォーカルをフィーチャーしたバンドはあったが、メンバー全員が女性というのはガールズやBLOWIN'FREE、ZELDA、少年ナイフ‥‥など、その数は決して多くなかった。ところがプリンセス プリンセスやSHOW-YA、GO-BANG'Sなどが出てくるあたりから、その勢いは加速し、90年前後の「イカ天・ホコ天」の平成の“バンド・ブーム”ではPINK SAPPHIRE、NORMA JEAN‥‥なども登場。さらにSUPER JUNKY MONKEY、CHAT MONCHY、SCANDAL、赤い公園、キノコホテル‥‥と、百花繚乱状態で現在に至る(メンバー全員女性に拘り、いろいろ、端折っているが、女性ヴォーカルをフィーチャーしたJUDY AND MARY、LINDBERGなどの存在も忘れられない)。プリンセス プリンセスは、その先鞭をつけ、ブームの発火点になっている。
「そう言って頂けるのは嬉しいですが、当時は他にも沢山の女性バンドが居ました。なので、プリンセス プリンセスだけではなく、その様な時代の流れだったのではないかと思います」
と、いたって、本人は謙虚である。SHOW-YAが主宰し、1987年から1991年まで連続開催した女性ロック・バンドの祭典『NAONのYAON』(以後は1999年に番外編を開催、 2008年以降、断続的に開催)などもそのムーブメントを決定付け、先導したといっていいだろう。プリンセス プリンセスも度々、出演している。
「『NAONのYAON』はSHOW-YAのコンセプトにより開催されていたので、私達はそこに賛同したというより、単に“仲の良いSHOW-YAさんのイベントに呼んで頂き出演している”という感じでした」
と、これまた、謙虚だが、プリンセス プリンセスを始め、彼女達の貢献はブームの契機だけではなく、女性バンドに対する偏見と闘い、そのアイデンティティを切り拓いたことだろう。男性が求める女性像ではない、自らが求める女性像を通して、女性の気持ちや主張を代弁する。媚びや諂うことなく、自分らしくありたいという女性達に勇気を与えた。“けもなれ”(日本テレビ系ドラマ『獣になれない私たち』)で、主人公の晶(新垣結衣)が、恋人の京谷(田中圭)に言い放った“かわいくなくて何が悪いんじゃ、ボケ、うっさいわ”を何十年も前に先取りしていたのだ。
1996年5月31日の日本武道館ライブをもってプリンセス プリンセスはその活動に終止符を打つ。プリンセス プリンセスの活動を振り返り、いま、改めて、どのように思うのか。また、現在の活動への影響なども聞いている。
「本当に沢山の方に応援して頂き、愛してもらったバンドだったんだなと感じています。間違いなく私の歴史の一部であり、誇りに思えるバンドですが、今はそこにしがみつかないように、今の自分で、バンド活動をしています」
ご存知のようにプリンセス プリンセスは2012年、「東日本大震災」を契機に“復興支援”として、1年間の期間限定で16年ぶりの再結成を果たす。3月20日、幕張メッセで開催された東日本大震災復興支援チャリティーコンサート『ALL THAT LOVE -give & give-』を始め、バンドとしては初めての夏フェスに出演(全国4ヶ所)。11月3日から24日まで、ライブツアー「PRINCESS PRINCESS TOUR 2012 〜再会〜」を仙台サンプラザホール(11月3日・4日)、日本武道館(11月20日・21日・23日・24日)で開催。12月23日・24日には追加公演「PRINCESS PRINCESS TOUR 2012 〜再会〜 "The Last Princess"」を東京ドームで開催している。東京ドームは女性バンドとしては史上初の公演だった。
2016年 3月11日、収益金により建てられたライブハウス「チームスマイル・仙台PIT」完成。3月11日・12日・13日、同所のこけら落し公演「PRINCESS PRINCESS TOUR 2012-2016 再会 -FOREVER-」を開催。さらに3月25日・26日は、追加公演「PRINCESS PRINCESS TOUR 2012-2016 再会 -FOREVER- "後夜祭"」を「チームスマイル・豊洲PIT」で開催。なお、2016年の公演は再結成の締めくくりとして行うもので、“再々結成”にはあたらないとしている 。ならば、“再々結成”はあるのだろうか。
「2012、2016年の再結成は東日本大震災の復興支援のための期間限定のものでした。沢山の皆さまのお力をお借りして、おかげさまで結果を残す事ができ、メンバーは大きな御役目を終えて、それぞれ現在の自分の場所に帰って行きました。 なので、再々結成は無いと、私は思っていますが、絶対に無いと思っていた再結成があったのだから、何があるかわからないのかな、とも思っています」
ひょっとしたらあるかもしれない。もし、あるならばオリジナル・アルバムも聴きたいところ。結婚や出産、子育てなどを経験しているメンバーもいる。50代になった彼女達が何を歌うのか――興味は尽きないだろう。先日、11月25日(日)、東京・下北沢「CLUB251」で開催されたVooDoo Hawaiiansの19周年(!?)を記念するワンマンライブ「19回目の神経衰弱」にはプリンセス プリンセス時代の盟友・富田京子が飛び入り出演している。中山は来年、ソロ・アルバムをリリースし、ソロ・ライブも行うという。これも楽しみだ。
プリンセス プリンセス『The Last Princess 』「Diamonds」写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
ソニーミュージック プリンセス プリンセス公式サイトはこちら>
VooDoo HawaiiansOficial Home Page>
≪著者略歴≫
市川清師(いちかわ・きよし):『MUSIC STEADY』元編集長。日本のロック・ポップスに30年以上関わる。同編集長を退任後は、音楽のみならず、社会、政治、芸能、風俗、グラビアなど、幅広く活躍。共著、編集に音楽系では『日本ロック大系』(白夜書房)、『エンゼル・ウィズ・スカーフェイス 森山達也 from THE MODS』(JICC)、『MOSTLY MOTOHARU』(ストレンジデイズ)、『風のようにうたが流れていた 小田和正私的音楽史』(宝島社)、『佐野元春 SOUND&VISION 1980-2010』(ユーキャン)など。近年、ブログ「Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !」で、『MUSIC STEADY』を再現している。
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