私立では、同じく広島県の修道中学・高校が広島藩の「講学所」以来290年の歴史を誇り、進学実績も優秀だが、「修道」という校名は明治以後である。

 藩校の歴史と名称を引き継ぎつつ、進学実績でも優秀な高校といえば、その次にくるのは久留米藩の明善堂を引き継ぐ福岡県の明善高校が挙げられる。同県では、柳川藩の伝習館、小倉(香春(かわら))藩の育徳館も校名を引き継いだ高校があるし、青森県弘前市の私立東奥義塾高校は、歴史も名称も弘前藩校時代を引き継いでいるが、共に成績的には少し格が落ちるようである。

 愛知県で尾張藩校明倫堂の名称の一部を引き継いだ明和高校も進学実績は高いが、「和」は合併した第一高等女学校にちなむという。

 藩校名を引き継いではいないが、歴史を引き継いだ高校で特筆すべきは新潟県立長岡高校だろう。長岡藩が戊辰戦争で敗れた後、支藩からの米百俵の支援を基に創立された国漢学校が起源。かつての連合艦隊司令長官山本五十六も卒業生で、進学実績もAランクである。

 また、旧藩校の名称は引き継いでいないが、藩校発祥の地、岡山朝日高校、福井県の藤島高校、滋賀県の彦根東高校、鳥取県の鳥取西高校、山口県の山口高校などもハイレベルである。

 また、福岡県の小倉高校、熊本県の済々黌高校、熊本高校、鹿児島県の鶴丸高校、甲南高校などは、藩校の流れをくむとされる説もある名門高校だが、学校の統廃合など複雑な歴史があって、単純に「藩校がルーツ」と言い切れないケースも多い。また、旧藩校の名称と同一ながら、名称は借り受けただけで、歴史的には関係のない高校も幾つかある。

 一方、先述した通り、明治時代以降は旧制中学や高等女学校などが新設され、各県に設立順によって“ナンバー”を校名に冠する一中や一女と呼ばれるナンバースクールも誕生した。一部は藩校系と重なるものの、そちらが地域の公立名門校として残ったケースもある(下表参照)。

 いずれにしろ藩校のおかげで、日本の近代教育制度はゼロからのスタートではなかった。藩校がとりわけ地方での中等教育の核となったことは間違いないだろう。

「週刊ダイヤモンド」2016年3月26日号特集「ニッポンご当地ランキング」より。