「諜報部隊」広宣部とは(1)
 
自分は25歳で広宣部に所属していました。
平成2年
まさに第二次宗門問題が巻き起こり、組織に事態が明るみになる8ヶ月以上も前のことです。
 
「極秘任務に就いて欲しい。一切の事は他言無用。家族にも言ってはいけない。ゼロ君いいね?」
 
特に面接もないまま
副部長以上の創価班の中から、一癖も二癖もあると思われるようなメンバーが集められ、大半は仕事に融通を利かせられるメンバーだったし独身者が多かった。
 
初めは何の目的なのかすら聞かされず、全員がそのような面持ちのまま、分県での会合が秘かに開かれ、集まったのは30人も居ませんでした。
 
「今から話す内容も渡す資料も、全ては極秘事項です。ラインの幹部にも話してはいけない」
 
何かが起こっている・・
 
そんな雰囲気の中で
その極秘と言われる資料が配られました。
 
その中には、
例の“芸者写真”も含まれていた。
 
そのような写真の資料と
御書の類いのコピーを渡されたのです。
 
御書の詳細は省きますが
要するに、
「折伏を実践している“在家”信者の創価学会こそ、末法弘通を託された仏意仏勅の団体である」と言いたいが為の文献資料だったのです。
 
きっと何かのまちがいだ・・
宗門と争うなんて間違ってる・・
 
その時の私の心境はそれであったし
二人の青年を入会させたばかりで、三人で大石寺に赴いてから、まだ半年も経っていないことが頭をよぎりました。
 
池田先生が
きっとうまく収めてくれるはずだ・・
 
そんな的外れな期待は
ものの見事に散ることになった・・
 
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さて、広宣部の事は
いくつかのブログで、経験者の管理人さんも書かれていますが、未だに実態が掴めないという方も多くいらっしゃると思います。
 
基本的には「諜報活動」と「対論」を主としていて、対論などは日頃から模擬的に練習を重ねていましたし、定期的に開催されていた首都圏での会合では、傍聴者が勝敗をジャッジしての勝ち抜き戦なども行われていました。相手の論点なども知り尽くして応戦してきた訳です。まあ、同じ井戸のなんとやらでしたが・・
 
「諜報活動」については
悪質な嫌がらせに発展していたケースも多くあったのではないか?という懸念は拭いきれませんが、基本的なスタンスでは無かったと思います。
しかしそれは、相手の影響力に応じて、組織的に動いていたこと。公明党の矢野元委員長に対するケースなどは、かなり悪質と言えますね。
 
そもそもですが
広宣部の活動を思い返せば
私も含めて・・
“悪い事をしている”という感覚は
まったく欠落していたこと
それだけは事実ですね
 
“正義”の名のもとに・・です
 
これをカルトと呼ばなくて
いったい何なのでしょうか・・

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