強制退会前にも何度か触れたことがあるが
強制退会で消えてしまったので、もう一度綴っていくことにする。
オレは
「指導者、上に立つものは実績が凄い人を(起用するべき)」
という考えだ。
理由があって、以下。
1・実績(数字)が当然あるので、それだけで周りを言い聞かせることができる
2・実績があり、自分も数字を残したので、数字を残した人の気持ちも理解できる
3・数字を残した人が不振に陥った場合、対処法も理解できる(自分も恐らく経験しているので)
大きなのは上の3つ。
ただね、1番目のは酷くなれば
「オレの言うことを聞いとけ!」「お前らは黙ってろ!」
という抑え付けにも成ってくるので注意が必要(ここはその指導者の人間性)。
特に、現役時代の実績が尋常じゃなく凄い人が指導者の場合にやたら見られる。
ここがちょっと行き過ぎたのは
元ロッテ監督の金田正一。元近鉄監督の鈴木啓示。そして意外と思われるかもしれないが、元ダイエー監督の王貞治もこういう「我」は結構強く、監督時代は出していた。「皆、素人たちが外で見ているだけでワーワー言ってるだけでオレの考えなんてわからない。だからオレのとった行動は正解なんだよ!」 と居酒屋で発言している事実もある。動画でも残ってるんじゃないかな。
王は現役時代、「俺より数字を残している人の言うことなら聞くけどね。だから、俺は川上監督の二本足に戻せ という指令も聞かなかった。逆に長嶋さんはホイホイ人に色々聞いて回る。あそこまでの人がどうしてそういうことをするのか」と打ち明けているのは有名過ぎる。
まあ、あまりにもこの3人は現役時代の数字が
人間離れしたもので、どうしても「ここまでオレは数字を残しているのだから黙っとけボケ!」という
気持ちになる(意識になる)のは当然かもしれない。
オレもなる。(実際、言語の記事でも通訳や予備校のプロ講師といった事実から、お前ら素人は黙っとけ となる)
で、逆に
2番目と3番目が無い指導者は
特に、数字を残していない(あまり残していない)人だったりする。
改めて、過去のことだが
振り返ってみると
ヤクルトの監督をしていた武上。
彼が監督をしていた、1980年。
ヤクルトは前年(1979年)の最下位から
2位に持ち直したが
ヤクルトの4番を張っていた、大杉勝男氏を
開幕から下位打線(6番)に据え、彼のやる気をかなり削いでいた。
まあ、恐らく本当の意図は
大杉氏は1979年に極度のスランプで数字を酷く落としたのでその影響もあり、翌80年も下位打線において様子を見ていたというところだろう。
実際に、大杉勝男氏は前年のスランプから引き続いて
1980年の4月と5月は酷い状況だった。
○大杉氏の1980年4月終了時点の打撃成績
打率0.217 3本
○大杉氏の1980年5月終了時点の打撃成績
打率0.246 6本
しかし
大杉勝男氏は1980年 6月8日の対巨人戦から4番に戻り復調している事実がある。
大杉勝男氏が4番に復帰してからの
大杉勝男氏の打撃成績は以下
打率0.356 15本
それに伴い
6月・・・9勝8敗
7月・・・6勝6敗
8月・・・14勝6敗
9月・・・14勝7敗
とチームも盛り返している。
前にも触れたことがあるが
大杉氏が6月7日まで下位打線に置かれて
全く復調もしなかったのは
「オレが何で6番なんじゃ!」
という気持ちの削がれもあったのではないかということ。
恐らくそういう「気持ちの削がれ」はあったと思うよ。
と言うのも
この話(1980年の武上監督の大杉勝男氏に対する起用方)は大杉勝男氏の書籍「サムライたちのプロ野球」で恨み節のように延々と綴られている。(例 打率0.300の乗るか乗らないかで躍起になっていたときに「もう休め」とけしかけられたこと)
大杉氏は
「こういう人(武上)は、数字を残した人の気持ちが理解できないのだろう」
と明確に指摘している。
オレは、大杉氏の気持ちは凄くわかるね。
あれだけ実績を残して
打ちまくってきた人がいくらスランプとは言え
6番はねーだろ って。
オレが監督なら、大杉氏にこう言う。
「スランプで辛いだろうけど、お前が打線の柱なんだよ。
お前が頑張らんと、ヤクルトは上がれないんだ。
お前も辛いだろうがこのまま4番でずっと行くから、お前は耐えてどこかで切欠を見つけて復調してくれ。お前なら重圧にも耐えながら、それが出来る選手だと信じている」
こういうことだ。
数字を残してない人、数字を残してないが故に
スランプと言う言葉すら知らない(経験したことが無い)指導者は
数字を残した人の気持ちがわからない
オレは、そういうことは非常によくあること(モノの理)だと思う。
だから指導者と言うのは
実績を残した人で無いと、ダメだというのがオレの言い分の1つだ。