大航海時代の真実 プレスター・ジョン伝説 15世紀半ば、ヨーロッパの列強国は競うように船を出し、インド、アジア、アメリカ大陸などとの交易と植民地活動を開始した。当時、造船技術の発展とイスラム文化圏から伝わった羅針盤技術によって外洋航海が可能になった。 その一方で、オスマン朝が隆盛を極め、イスラムの強大な戦力の前に十字軍は苦戦を強いられていた。 15世紀半ば、ポルトガルとスペイン両国では国王を中核として、イベリア半島からイスラム勢力を駆逐しようとしていた(レコンキスタ)。長い間イスラムの圧迫を受けていたポルトガルとスペインでは民族主義が沸騰し、強力な国王を中心とした中央集権制度が他のヨーロッパ諸国に先駆けて確立した。 また、このころ頑丈なキャラック船やキャラベル船が建造されるようになり、羅針盤がイスラムを介して伝わったことから外洋航海が可能になった。ポルトガルとスペインは後退するイスラム勢力を追うように北アフリカ沿岸に進出した。 新たな交易ルートの確保、イスラム勢力の駆逐、強力な権力を持つ王の出現、そして航海技術の発展、海外進出の機会が醸成されたことで、ポルトガル・スペイン両国は競い合って海に乗り出して行った。 ヨーロッパの列強国が競うように大航海の時代、 束ねられた矢 その15 ポルトガル編 地球は人類誕生以来常に球体だった大航海時代が始まる前、中世ヨーロッパの人たちは、キリスト教の影響で地球は丸い円盤のようだと考えていた・・・と教えられてきたと思います。実はそんなことはなく、紀元前6世紀ごろから、人類はずっと地球は丸いと考えていました。 大航海時代の真実(1)アジアにおける航海時代の先駆者である鄭和に焦点をあてる。アメリカ大陸も発見したなどと言う説も飛び交うなど、鄭和の実績に関してはいろいろな説がある。どこまでが本当でどこまで誇張なのだろうか? 大航海時代の真実(2) フラ・マウロの世界地図フラ・マウロの世界地図、喜望峰を超えた中国船が描かれている。ヘロドトスの時代、フェニキア人たちがアフリカ大陸を一周したことが書かれてある。さらに、1402年に製作されたという『混一疆理歴代国都之図』や1378年に描かれた『大明混一图』などの古い世界地図にも、アフリカ南端の喜望峰が描かれている。ここの航路はひょっとしたらディアスやバスコダ・ガマの時代よりも前に、アジアでは知られていたのかもしれない。 大航海時代の真実(3) シバの女王と海洋ネットワーク インド洋での海洋ネットワークはすでに紀元前3000年に確立したと言われている。紀元前40年頃の記録とされている『エリュトラ海案内記』が、インド洋を中心とした海洋貿易の状況を詳細に記録している。実際は、インドへ留学した三蔵法師や、インドの宝石を買うためにローマの金貨がインドに流出していたことを考えると、海のシルクロードはかなり完成されていたものと考えられる。 大航海時代の真実(4) プレスター・ジョン伝説 その1ヨーロッパ人たちがアフリカの喜望峰を回り、インドへ到達しようと考えたのは、交易だけが理由ではない。東方キリスト教国家の君主であるプレスター・ジョンを探すためであった。十字軍の遠征でイスラムの強固な抵抗の前に失態を繰り返していたヨーロッパであったが、東からイスラム世界を攻略しているキリスト教国家の存在が伝えられる。 大航海時代の真実(5) プレスター・ジョン伝説 その21165年、ジョン自らが東ローマ皇帝のマヌエル1世コムネノスにあてた手紙には驚くべき伝説の国の描写が書かれてあった。グリフォン、ケンタウロスや巨人をはじめ、この王国には様々な伝説の動物が書かれているのだが、聖トマスやゴンドルファルネスなど、歴史的事実とみなされるような部分とのからみもあり、しっかりと検証してみる必要がありそうだ。 大航海時代の真実(6) プレスター・ジョン伝説 その3キリスト教ネトリウス派のアジア地域における展開と、聖徳太子と景教、親鸞と景教、空海と景教などについて述べる。 |
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コメント(1)
最近、偶然こちらにたどり着き、拝読しております。秀逸な記事内容が多く、勉強になります。
ひょっとして小野寺さん(ネットでは、有名な陰謀論者)から陰謀論を改めて説かれたのかもしれないと思いました。世の中に陰謀があろうとなかろうと、こちらのブログの内容の価値や思考が高水準であることに変わりはありません。
当方も記事をありがたく拝読しつつ、ぼちぼちと勉強を継続してまいります。
2017/9/8(金) 午後 8:15 [ 智 ] 返信する