167.雨と友の懇願
(ここから少しハラハラ+イラっと回となります。175話より回収開始しました。全回収に7話位予定です。全回収しましたらここでお知らせ致します。区切りの関係で短いです)
「あれ、もうこんな時間か……」
二人で話しながら読んで盛り上がり、思わぬ時間が過ぎたらしい。そろそろ夜も更ける頃合いになっていた。
塔での夕食後、先日買った隣国の魔物図鑑をテーブルに開き、横並びで座って読んでいた。
美しい絵で描かれた
「コカトリスって、石化のブレスの前のタメが長いんだね。そこを魔法か弓で狙えばいいのか……頭ばかり狙ってたよ」
「コカトリスの
魔物の弱点に関する記載ではヴォルフが、素材としての使用方法ではダリヤが驚いていた。
それなりに知識はあるつもりでいたのだが、隣国では普通に知られていることが、この国では新しいこともある。
やはりこういった本は大事なのだと、二人で深く納得した。
「雨、降ってますね……もう少しいます?」
耳を澄ますと、雨音らしいものが聞こえる。窓に近づくと、夜闇に細い銀色の線が流れていた。
「いや、あまり遅くなるのも……」
ヴォルフの声を遮るように、いきなり雨足が強まった。
窓の向こう、どしゃぶりになった雨に、二人は顔を見合わせて笑う。
「ヴォルフ、もう少しだけ、いませんか?」
「そうさせてもらうよ、ありがとう」
続く激しい雨音に、ふと、ヴォルフが眉をひそめた。
「誰か来たみたいだ」
「え? この時間にですか?」
ひどい雨の中、門のベルが鳴った。窓から見れば、マントをはおった者が立っていた。
何か急な用事だろうか、そう思いつつ、急いで外へ出る。
「夜に、悪い……」
「マルチェラさん!」
門の前にはびしょ濡れのマルチェラが立っていた。ダリヤは慌てて塔に招き入れる。
マルチェラは、ドアから一歩だけ室内に入ると、深く頭を下げた。ぽたりぽたりと、その砂色の髪から滴が落ちる。
「ダリヤちゃん、すまない、イルマを助けてくれ、頼む……!」
「イルマがどうしたの?! 怪我?」
「イルマが妊娠した。けど、具合が悪くて……危ないんだ」
顔を上げたマルチェラの目は、ひどく赤かった。
「マルチェラさん、イルマがどんな状態なのか、教えて」
マルチェラにタオルを渡し、ダリヤがその場で尋ねる。
びしょ濡れの彼は、二階に上がるのを断り、石の階段に腰をおろした。タオルで目元を押さえると、ようやく話し始める。
「少し前、四人で食事をした時、イルマが、塔の階段を下りられなかっただろ?」
「……夏祭の日ね」
マルチェラがイルマを抱き上げて帰っていったので、よく覚えている。
あの日から、すでに三週間近く経っていた。
その間、ダリヤは一度もイルマと会っていなかった。一度手紙で連絡したことはあったが、『ごめん、手一杯!』という返事が来た。だから、予定が合わないから会えないのだとばかり思っていた。
「あの日からイルマがおかしくて……吐いてばかりいるから、食い過ぎか、風邪かって思ってたが治らなくて、医者に行ったら妊娠だと。その時は喜んだが、どんどん動けなくなって……」
「今、イルマは、お医者さんのところ?」
「いや、医者じゃもうどうしようもなくて、神殿にいる」
「神殿って、
「いや……『魔力過多症』だ。子供の魔力が強すぎて、もうイルマがもたないと言われてきた」
「そんな……」
あまりの話に息を呑む。
魔力過多症は、自分の魔力に体が耐えきれなくなるものだ。
心臓が止まったり、呼吸ができなくなったりする。また、魔力が制御ができず、火傷や凍傷を負うといったこともある。
学院時代、貴族の子弟で
「どうして、イルマが魔力過多症に? ……イルマの魔力は一か二よね。マルチェラさんの魔力はいくつ?」
「……十四」
「え?」
一瞬、聞き間違えたかと思った。
魔力ポーションを飲んで、ようやく十に上げたダリヤよりも高い。
十四と言えば高位貴族の血筋に多い量だ。一般庶民ではめったにいない。望めば特待生で学院の魔導師科に入れる数値だった。
「……マルチェラ、もしかして、『後発魔力』かい?」
ヴォルフの遠慮がちの問いかけに、マルチェラは目を伏せてうなずいた。
「ああ。俺が十七の時、馬車の事故で死にかけて、後発魔力で魔力上がりした。それまでは四だった。俺の父母って、本当は叔父と叔母なんだ。本当のお袋は花街で働いてて、俺の父親はわからない。おそらくは貴族だろうが……」
「マルチェラ……」
「なあ、ヴォルフ、ダリヤちゃん。俺の名前、男なのに『マルチェラ』って、女みたいだって思ったことはなかったか?」
マルチェラは、今まで一度も見たことのない、陰った笑いを浮かべた。
男性なら『マルチェロ』、女性なら『マルチェラ』と名付ける方が、この国では確かに多い。
「『マルチェラ』って、お袋の名前そのまんまなんだよ。もし、親父が迎えに来たら、自分がいなくてもみつけられるようにって。意味はなかったけどな」
「マルチェラさん、お母さんは……」
「俺を産んですぐ亡くなった。もしかしたら魔力過多症だったのかもしれない……」
マルチェラの苦い声が、雨の滴と共に床に落ちる。
「結婚前、魔力が十以上違うから、イルマと俺ではまず子供ができないって医者に言われていた。結婚前にも話してたんだが、今になってこれで……」
「そうだったの……」
イルマからは、美容室を建てた借金もあるし、仕事を頑張りたいから、子供は考えていないと聞いていた。
彼女は子供好きだったけれど、仕事での選択も、時期もあるのだろう、そう思っていた。
「神官に治癒魔法をかけてもらってたんだが、食事ができなくて……あいつの指が、石みたいに固くなって、動かなくなって三日になる……なんで俺がろくに使わない土魔法なんか持ってるんだろうな、うちの子は」
いつも頼りがいのある笑みを浮かべる顔は、今にも泣きそうで。
マルチェラは唇をきつく噛んで立ち上がり、目の前で深く頭を下げる。
「頼む、ダリヤちゃん。イルマに子供をあきらめるように説得してくれ! でないと、あいつが死んじまう……俺が話しても、願っても、駄目なんだ……ひどいお願いだってのはわかってる、でも、ダリヤちゃんの言うことなら、聞いてくれるかもしれないから……」
「マルチェラさん……」
友の懇願に、ダリヤはうなずけず、視線をヴォルフに向けた。
彼は自分の意図を察してうなずいた。
「馬車を呼んでくるよ、一緒に神殿に行こう。ダリヤは出かける準備を」
「お願い、ヴォルフ。マルチェラさん、皆で神殿に行きましょう。それで、イルマと話をさせて」
「……二人とも、本当にすまない」
雨音が、三人の会話を打ち消すように強くなった。
再度頭を下げたマルチェラが、いつもよりひどく小さく見えた。