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2019-01-06

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・なんか、いつごろからかのじぶんが、
 余計なことを知りすぎてるような気がしている。
 いろんな人が、どういうことをしているのか、
 どういうことを考えているのか、
 なにをおもしろがっているのか、
 どういう人たちとつながっているのか、
 ずいぶんたくさん知っていると思う。
 ほんとうのことなのかどうかは、たしかではない。
 だけど、見ず知らずの人のことも含めて、
 ずいぶんたくさんの人の「情報」を知っている。

 ふと思った。
 このオレは、落語なんかに出てくる
 時代劇なんかの、井戸端に集まってうわさ話をしている
 長屋の婆さんそっくりなんじゃないか? 
 話題が一見インテリっぽかったりすることもあるけれど、
 根本のところは、よく言って床屋談義や井戸端会議で、
 ただのろくでもない「ひまな情報屋」であるとも言える。
 それは、実はオレだけでもなくて、
 SNSにつながって、そこであれこれやっている人は、
 みんな同じようなものなのだとも言えそうだ
 (いや、「わたしはちがう」という人のことまで、
 そうなんだよと引きずり込むつもりはないけどさ)。

 ツイッターのおかげで知り合った友人もいるし、
 助けられたことも、役に立ったかもしれないことも、
 いっぱいあるのは承知のうえで言ってるのだけれどね。
 そこで得られる基本の情報は、他人やじぶんが
 「いまどうしてる?」ということなのである。
 たくさんの人の、たくさんの「いまどうしてる」を
 知れば知るほど、考えや判断に余計な材料が増える。
 「他の人のことを気にしてないで、
 じぶんの思うことをちゃんとやりなさい」の
 正反対の日々にどっぷり浸かってしまうのではないか。
 ふと、そんなことを考えたのである。
 こんなにおおぜいの人たちが、
 他人の「情報」をほんともうそもごちゃ混ぜにして、
 絶え間なく飲み込んでいるというのは、
 世界がすべて「長屋の井戸端」になってるってことか。
 ああ、大統領も井戸端に居座って高笑いしてるもんなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ちょっと前までは、午後のテレビがその役割だったけどね。


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