- 細江克弥
- 2019年1月5日(土) 10:00
心臓の鼓動を感じながら、柱谷はラモスと向き合った
W杯アジア最終予選を翌年に控えた1992年は、日本代表の強化に多くの時間が割かれた。7月にはオランダ遠征に臨み、8月に入るとイタリアの強豪ユベントスとの親善試合を2試合こなした。その直後に挑んだのが、中国・北京で開催されたダイナスティカップ(※のちの東アジア選手権、現E−1サッカー選手権)だった。
「オフトと俺自身にとっては勝負だった。オフトは自分のスタイルを貫いてきた。キャプテンに指名された俺は、みんなに対して『まずはやってみよう』と声をかけてきた。ここで結果を出せば、ふたりがやってきたことが揺るぎないものになる」
日本は中国と北朝鮮を圧倒し、決勝でPK戦の末に韓国を下して東アジア王者のタイトルを獲得した。オフトと柱谷は、賭けに勝った。
「結果だけじゃなく内容にも手応えを感じて、自然と『面白い』という声まで聞こえるようになってきた。ダイナスティカップに勝って、みんなの信じるものがひとつになったという感じかな。いや、まだ若干1名だけは違ったんだけれど」
バクバクと音を立てる鼓動を感じながら、柱谷はラモスと向き合った。
「ダイナスティの後、どのタイミングだったかな。とにかくどこかのホテルで、ラモスさんのところに行った。俺はずっとソワソワしていた。でも『言わなきゃ』と心に決めた」
こう伝えた。
「今、チームはひとつにまとまっている。オフトを信用して、ついて行くと決めている。結果も出た。日本で開催されるアジアカップは、なんとしても優勝しなければならない。俺たちにはその力がある。だから、ラモスさんも“チームの中”に入ってください」
柱谷の真剣なもの言いに驚いたのか、ラモスはただ聞いていた。柱谷は言葉を続けた。
「ラモスさんは大事な選手。でも、俺はひとりの選手よりもチームを大事にする。日本代表はチームであって、ラモスさんのものじゃない。だからもし、チームの中に入れないのなら、ラモスさんが辞退してほしい」
強い言葉の裏側には、特別なリスペクトの念があった。
「協会にもいろいろな要求をして、細かい部分を改善しながら、チームは上下関係のないオープンな関係を作ろうとしていた。ラモスさんは誰よりもサッカーがうまい。誰よりも経験がある。絶対的な中心であることは誰もが認めているのに、その人がオープンにならないんじゃ話にならないでしょ。正直、震えたよ。俺自身はキャプテンとしての使命感だけで取った行動で、心臓はバクバクだった。でも、横山さんのチームのとき、上の人たちに何も言えなかった自分を後悔していた。だから変わらなきゃと本気で思っていた」
まるで“オチ”のような後日談もある。
「そのあと、確か、ラモスさんがメディアに“余計なこと”を言ったんだよね。それにオフトが怒って、ラモスさんを呼び出した。そこで何を話したのか知らないけれど、それ以降、ふたりがめちゃくちゃ仲良くなってるのよ(笑)。そのギャップが大きすぎて、俺たちは『あれ?』という感じで驚いちゃって。
ただ、やっぱりうれしかった。ラモスさんが“チームの中”に入ったことが、すぐに分かったから。俺は『できないなら辞退してくれ』と伝えたわけで、理解してくれたからチームにいる。その日を境に、チームが一丸となっていくことを感じたよ。オフトはすごいよ。上下関係を崩せない日本人監督と選手の関係だったら、ああいうチームにはならなかったと思う。みんなも感じていたんじゃないかな。『あ、今までと全然違う』って」
迎えた10月、初めて日本で開催されたアジアカップが幕を開けた。