吉田清治の長男の依頼に応じて、韓国にある吉田清治が建立した謝罪碑を「慰霊碑」に書き換えた人物であり、2017年6月26日に韓国警察に拘束され、その後釈放されたものの韓国からの出国停止措置を取られている男、奥茂治。
氏はどんな人物なのだろうか?奥茂治氏が実際に謝罪碑を「慰霊碑」に書き換えた経緯を書いている大高未貴著「父の謝罪碑を撤去します」等から、奥茂治氏の経歴を紹介してみたい。
奥茂治氏について
出身は鹿児島県奄美大島。戦後、尖閣諸島に最初に本籍地を移した。
下記newspostの記事に、奥氏のインタビューが載っている。
「尖閣諸島防衛協会の幹事として、島に日本国旗の碑を作る活動をしていました。途中から上陸が認められなくなり、非暴力的に領土を主張する方法として10年前に本籍地を移しました」
※日本では住所に関係なく本籍地を移動させることができる。
奥氏は元自衛官で、自衛官を5年勤めた。その後は予備自衛官として、43年間連続して訓練招集に応じている(元自衛官がなる予備自衛官は、1年間に一定の日数の訓練に応じなければならない)。
奥氏は、自衛官を辞めた後、民間の立場から自衛隊を支援してきた。
沖縄が本土に復帰して10周年の記念で自衛隊のパレードが行われた時(1982年)、1000人近い活動家が妨害活動を行った。このとき奥氏は一人で巨大な国旗と「自衛隊賛成」のプラカードを掲げて、活動家達の真ん中で行進をした。活動家は暴行を加えたが、それでも奥氏は行進を続けたという。
また喜界島にある通信システムを、防衛省が新システムに切り替える際に、一部住民の反対運動によって用地取得がうまくいっていなかった。このとき(2007年)、防衛庁長官の依頼で奥氏が説得活動に協力し、島民の理解を得て三ヶ月で用地の契約を行うことができた。
2014年に発足した与那国駐屯地への陸上自衛隊誘致にも関わった。この時も、防衛大臣が奥氏に依頼をし、基地建設に向けて奥氏が協力している。
防衛省(庁)長官や陸海空部隊からの感謝状・表彰状の授与は37回もあるそうだ。筋道を通し、人を説得する術に長けた国士だといえよう。
米国が沖縄統治中に米国政府の出先機関「琉球列島米国民政府」が、尖閣諸島に日本の領有権を認めていた証拠を示す文書の原本が2014年に沖縄公文書館で見つかったが、これを見つけたのも奥氏だ。
2002年には、富士通から防衛庁のシステムの機密データが流出し、海外に売られようとしたのを防ぐために富士通にデータが本物かどうか確認のため面会したところ、恐喝未遂で逮捕されている(その後、不起訴)。
元自衛官、「海外漏えい防いだ」と証言/防衛庁データ流出問題
ノンフィクション作家、クライン孝子氏のブログに、この時、クライン孝子氏のみが奥氏を擁護したことについて、奥氏から謝礼の手紙を貰ったエピソードが載っている。
前略 始めまして
私は今から10年前、日本の電機メーカー富士通から機密情報が流出し、日本では、戦後初のスパイ事件と報道された事件がありましたが、その情報経路から流出した犯人を突き止め、その回収にあたり、逮捕された元海上自衛官です。日本では、全てのマスコミが私を悪人として報道した中で、唯一、クラインさんが書いたコラムだけが、真実を見抜き私を擁護していました。
クラインさんのコラムのとおり、「泥棒がいる」と教えたら、泥棒にされたという結末でした。情報入手から回収まで、一度も法を犯すことなく遂行できたので、逮捕されても訴追はされませんでした。
逮捕自体、全くの冤罪だったのですが、その事実を報道するマスコミもなく、私は職を失い、私と共に全てを知る元海将の杉山靖樹先輩も、若くして、他界されました。痛恨の極みです。
とある。
youtubeで奥氏の名前を検索すると、チャンネル桜の動画にたびたび出演していることがわかる。
チャンネル桜は水島聡が代表だが、田母神俊雄が2014年に都知事選に出た時に、選挙資金の横領があったとして、選挙事務所の事務方トップだった水島聡が田母神俊雄を告発した。これに対して、奥茂治氏が水島聡を告発した。
その際のスピーチ動画をfacebookで見ることができる。このスピーチのよれば、水島聡は限度額が1万5千円と決まっているウグイス嬢への日当を、倍の3万円払ったそうで、公職選挙法違反で告発したようだ。
5月28日田母神俊雄講演会の後の懇親会に登壇した、奥茂治氏のスピーチです。
田母神俊雄を支える女性の会さんの投稿 2017年5月29日(月)
動画の中で「逃げ得を許さない」と何度も言っている。「筋」を大切にする人だということがここからもわかる。
今回の韓国での拘留も、拘留されることは覚悟の上での訪韓だったようだ。2017年6月26日の産経新聞に奥氏のインタビューが載っている。
「韓国では吉田証言の嘘について認知されていない。裁判ではっきりと説明していきたい」
奥氏が吉田清治の謝罪碑を慰霊碑に修正した際に、碑文変更の届け出を出しており、そこに電話番号を記載していた。それを見た韓国警察から電話で連絡があり、奥氏は出頭を要請されていた。
韓国には、逮捕・拘留されるかもしれないことを知った上で筋を通しに行ったようだ。
2017年6月28日にフェイスブック上に今回の件についてメッセージが記載された。
また、自身が何者であるかについても発言しているポストがある(電話番号の部分は塗りつぶした)。
2017年6月29日には下記の投稿がなされた。
奥氏はtwitterアカウントもお持ちだったようで、下記のツイートがなされている。
息子の宮平大作氏はフェイスブックで奥氏と電話した旨をポストしている。
6月30日には韓国のおばちゃん達に経緯を説明して納得してもらった話が書かれている。
2017年7月3日のポスト。
2017年7月4日のポスト。
2017年9月14日に奥氏は公用物損傷と建造物侵入の罪で在宅起訴された。奥氏は9月15日に放送された虎ノ門ニュースに下記のメールを送っている。
件名:本日起訴されました。
本文:ご心配をおかけしていますが、本日無事に起訴されました。起訴内容はまだですが、罪状は公用物損傷罪と建造物不法侵入です。念願が叶ったのでこれからは弁護士もまじえてじっくり戦います。まず嬉しいのは今回の裁判で吉田清治が碑文に刻んだ強制徴用と慰安婦問題が初めて韓国の司法の場で戦えることです。
以上、大高未貴「父の謝罪碑を撤去します」等を参考文献に奥茂治氏についてまとめてみたが、よくわからない点も多い。大高氏が、いつか奥氏についての著作を書いてくれることを期待したい。
私は未読だが、新潮45の2017年7月号にも、奥氏が謝罪碑撤去のために動いた件について文章が載っているようだ。