1941年の空 ヴァシーリー・エメリヤネンコ


「メッセル」との初対決

 飛行場脇の茂みの陰、上部を小枝で偽装した天幕の中で、パイロットがもたらした偵察情報に基づく作戦会議が行われている。多くの偵察飛行士が、ベレジナ上空を通過する際に、川の西岸で巨大な洗濯桶にも似たボートが並ぶ光景を目撃していた。これが架橋用に準備されたポンツーンでなくてなんであろうか。地図上で見るベレジナ川は、蛇行しながら北から南に走る一本の細い線として描かれ、スモレンスク及びモギリョフへ向かう敵の進撃ルートを遮断していた。しかし言うまでもなく、我が軍が抵抗の姿勢を見せない限り、いかなる川であってもファシストの前進を押しとどめる役には立たない。敵は橋を架け、渡河を開始するであろう…友軍は一体どこにいるのか?相変わらず味方との連絡は取れず、「上からの」指令をもたらす者も誰一人としていない。だが、襲撃機部隊に無為は許されないのだ!
 天幕の中で会議に参加している人々は全員、6月の短い夜をほとんど一睡もせず、かかる状況の中で採り得る行動について頭を悩ませていた。最終的に決断を下したのはナウメンコ大佐だった。
「ベレジナだけを目標に絞り、夜が明けたらすぐに小編隊での出撃を開始する。橋を捜索し、見つけ次第、手を休めることなくこれを叩くのだ。敵に川を渡らせてはならん!」
 払暁と共に飛び立った最初の小隊は、スピーツィン大尉率いる中隊の3機であった。10分後、さらに3機の襲撃機のプロペラが回り始めた。彼らが向かった先もまたボブルイスク方面である。こうして、各隊は一定のインターバルで次々に空中へ舞い上がった。前線第2日目の戦いの始まりだった。
 自らの判断で戦闘任務を決定するのは生やさしいことではない。ましてや、その決定を実行に移すとなると尚更である。予測困難な戦況の中で、5つの中隊それぞれに任務を与えなければならないのだが、隊長を補佐すべき連隊本部のスタッフはいまだハリコフからこちらに向かっている途中で、どこにいるか分からないという有様だった。ファシストの空軍が間断なく鉄道に爆撃を加えている現状から判断するに、彼らがスタールイ・ブィホフにやって来るのはしばらく先の話になりそうだ。整備員と同じ輸送機に便乗して前線の飛行場まで先行することができた本部要員は、ヴェルランド大尉など数名の将校だけであった。また、通信長ブジノフスキー大尉と無線担当補佐のヌジェンコ中尉も到着していた。ただし、通信長とその補佐役はいても、肝心の通信が機能していない。各中隊であれ、あるいは飛行中の編隊であれ、連絡を取ることができなかったのだ。
 戦争が始まる前、通信科の兵士たちはしょっちゅうからかいの種になっていた。「軍の通信ってのはありがたいもんだよ。ありがたすぎて、肝心な時に姿を現さない」というわけだ。だが、今の事態は冗談どころの騒ぎではない。ブジノフスキー大尉は八方手を尽くして電話機を探し回ったのだが、ようやく手に入れたと思ったら、ひっきりなしに離着陸を繰り返す襲撃機のために何度も電話線が切断されてしまう。地上無線機もほとんど役に立たなかった。飛行機に装備された受信機は相変わらずザワザワパリパリという雑音でパイロットを悩ませていたし、低空飛行時には電波の届く範囲も極めて限られたものでしかなかった。多くの搭乗員は「デッドウェイト」を嫌い、またメッサーシュミットに襲われる機会が増えると、敵戦闘機は無線を傍受し襲撃機の位置を正確に捉えているのではないかと疑ったこともあって、飛行機から無線機を降ろしてしまった。操縦席後方のアンテナを取り外した者さえ何人か現れている。
 こうした状況の中では、最も古典的だが間違いのない方法、すなわち伝令を使った連絡に頼るのはやむを得ないところである。連隊本部たるゲチマン少佐の天幕には、各中隊から派遣された伝令が3人ずつ詰めていた。ある者は隊長からの命令を伝え、別の者は中隊から報告を持ち帰るという具合で、彼らはひっきりなしに走り回っていた。通常の信号用ロケットも利用された。緑色のロケットは発進を意味し、それが1発なら第1中隊、5発であれば第5中隊が準備にかかる。赤は伝統的に離着陸中止を伝える色であったが、ここでは緊急避難の意味で使われた。飛行場に敵機が空襲をかけてきた場合、赤のロケットを打ち上げて連隊を空中へ退避させるのである。それからまた整備員たちも、担当する機体の準備状況に応じてプロペラの羽根の位置を変えるように命じられた。もしも襲撃機に故障箇所がなく、すぐにでも出撃が可能であれば、3枚の羽根のうち1枚が真っ直ぐ上を向くようプロペラを回す。逆に、準備ができていない飛行機の場合は2枚の羽根が角のような形を取り、残る1枚が垂直に下を向くという次第。連隊長は遠くからでもこのサインを見てとり、各中隊で出撃可能な機数を把握することができた。さらにその後、連隊長のジェスチュアまでもが通信手段の一端に加えられた。事の始まりは以下の通りである。
 伝令の1人がある中隊から馳せ戻り、連隊長に以下の情報を伝えた。すなわちボブルイスク近郊の橋を破壊するという任務は遂行されたものの、パイロットたちが確認したところによれば、敵軍はさらに南方のドマノヴォで新たな橋を建設中であるという。まさにこの時、別の3機が離陸をすませていた。彼らは基地上空で旋回して編隊を組み、ボブルイスク方面へ出撃することになっていたが、今やそこに目標は存在しないのである。どのようにして襲撃機に任務変更を伝えればいいのだろうか?3機が編隊を組むため飛行場の上空へ集まるよりも早く、ゲチマン少佐は自分の天幕から外へ駆け出していた。そして3機が現れると、ゲチマンは大きく手を振って長機の注意を惹こうとした。飛行機が翼を振るのが見えた。気がついたのだ。連隊長はボブルイスクの方角を指し示すと、両腕を大きくクロスして見せた。そっちには行くな!というわけだ。次にピロトカを脱ぐと、別の方向に向かって振り回した。行くのはこっちだ!そして皆の驚いたことに、長機は突然もう一度バンクを繰り返すと、新たなコースを選んで飛び去ったのである!その1時間後、帰投した小隊の指揮官は連隊長に報告した。
「ボブルイスク南方、ドマノヴォ付近にて橋を攻撃しました」
「やってくれたなあ、君、だが一体どうやって私の言いたいことを分かってくれたのかね?」
「分からないわけはありませんよ。ボブルイスクの方角にバツ印を見せられたんで、これは行くなという意味だなと思いましたし、ピロトカで示されたのが新しいルートだってことも想像できました。で、右に針路を変えたんです…」
 この日、全連隊員に対し、離陸後はまずゲチマン少佐の天幕の上を飛んで、連隊長の身振りを確認するよう通達が出された。

 スタールイ・ブィホフの飛行場では、各中隊が順番に従い、3機編隊の襲撃機を次々に飛び立たせていた。出撃した小隊は低空飛行で西方に向かい、ベレジナ川に架けられた舟橋を攻撃した。「空のコンベヤー」とも言うべき体制ができあがるのに、それほど時間はかからなかった。ある編隊が飛行を続けている間に別のグループは飛行場へ帰還、燃料を補給し爆弾を搭載して再び戦場に赴くというわけだ。襲撃機の各小隊は、巨大な空のベルトコンベヤーを構成していたようなものである。それは休むことなくボブルイスク方面に向かって回転し、ベレジナにぶつかると川沿いに大きく向きを変え、その後は100キロを飛んで再び飛行場に戻ってくるのだった。襲撃機は3機編隊で西を目指したが、時には2機、あるいは1機だけで帰還するようになった。戻ってきた飛行機の翼も穴だらけだ。搭乗員たちの報告によれば、渡河地点は強力な対空火器で守られており、昼までには敵戦闘機に遭遇する回数も増え始めた。メッサーシュミットの群れがベレジナ前面に展開し、襲撃機の後方から好き放題に攻撃を加えていたのである。
 大戦前に書かれた戦術教本には、襲撃機を味方の戦闘機で護衛する方法が記されていた。これによれば、護衛機は襲撃機と共に発進し、敵戦闘機が出現したなら戦いを挑んでその動きを拘束、味方への接近を阻止しなければならない。実際のところ、スタールイ・ブィホフにも戦闘機部隊はいたのだが、飛来するドイツの偵察機や爆撃機を迎撃するのにも手が回り切らないような数でしかなかった。さらに、ソ連軍戦闘機は時には敵地上軍の攻撃に駆り出され、爆弾を吊って出撃する有様だった。かかる事態は、教科書では全く想定されていなかったのである。つまり、敵空軍が圧倒的な優勢を誇っているような状況は…

 その日の午後、再び第5中隊に出撃の順番が回ってきた。小隊長ザイツェフ中尉は、列機のクロトフ及びスムルィゴフ両少尉を呼び、これからの任務を伝えた。
「ボブルイスクで修復されつつある橋を攻撃し、その後はベレジナ沿いに北へ進んで、敵軍の新たな渡河点を偵察する…帰りはこのルートだ」中尉は地図を指し示した。
 3機のしんがりを務めるスムルィゴフは離陸に手間取ってしまい、空中に飛び上がった時はかなりの遅れをとっていた。低空飛行を続ける襲撃機の濃緑色の機体は周囲の森に溶け込んでおり、少し高度を上げて飛んでいたスムルィゴフが先を行く僚機を視認するのは容易ではなく、彼らを見失う恐れもあった。
「どうしてもうちょっと速度を落として隊形を整えようとしないんだろう?中尉は俺が遅れていることに気づいてないのか?」スムルィゴフは気が気ではなかった。彼の手は、すでに大きく開いたスロットルレバーを固く握りしめていたが、先行機との距離は苛立つほどゆっくりとしか縮もうとしない。
 ベレジナ川までもう少しのところで、スムルィゴフはようやく仲間たちに追いつくことができた。そして、ザイツェフの指示を思い出した。編隊の右翼を受け持っていたスムルィゴフは、接敵にあたってクロトフ機の左へ移り、「ペレング」[雁行]隊形を組まなければならない。彼は機体を傾け始めたが、その時真正面からこちらに向かって、同じような低空飛行で接近する2機の飛行機が視界に入った。
「戦友たちが帰ってくるところだな」スムルィゴフは思った。「3機目は俺のように遅れてるんだろう。いや、ひょっとしたら撃墜されたのか…」
 しかしその瞬間、スムルィゴフは自らの思い込みに対する疑念に囚われた。こちらに接近してくる飛行機は、翼端が何だか切り詰められたようなスタイルで、翼全体も少し上向き加減に見える。
 この2機がすぐ近くまで来た時、スムルィゴフは彼らの機体の尾部が非常に細くなっていることに気づいた。遠目に見た時、スズメバチのような印象を受けたのはこのせいだったのだ。謎の飛行機に目をやったスムルィゴフは、それらが斜めに傾いだまま上昇したかと思うと、旋回して自機の背後へ回るのを目にした。背筋に冷たいものが走った。
「まさか、メッセル[メッサーシュミットBf109]なのか?」
 僚機に視線を戻すと、またもや距離が開いている。再び追いつかなくてはならない。スロットルを全開にするが、さっぱり近づいてはくれないようだ。「間違いない。ザイツェフ隊長は全速でメッセルから逃れようとしているんだ」とスムルィゴフは思った。その時、彼から見て右手の方から、前を飛ぶ襲撃機目がけて火箭が走った。しかし僚機は微動だにせず、ボブルイスク目指して真っ直ぐに飛び続ける。
 そして突然、スムルィゴフは右側に並んで飛ぶ戦闘機を発見した。胴体には白い縁取りつきの黒十字、そして垂直尾翼にはゾッとするような鉤十字のマークが鮮やかに描かれている…敵機は機首を下げると、クロトフ機を狙って撃ち出した。襲撃機の翼の縁で敵弾が次々に炸裂すると、右の脚収容ポッドから車輪が脚柱ごと飛び出した。1機、そして2機のメッサーシュミットが前方に飛び出した時、スムルィゴフは思わず発射ボタンを押してしまい、機関銃が軽快な音を立てて撃ち出した。機銃弾は光の尾を曳いてクロトフ機の脇を通過し、「メッセル」は上方へ舞い上がった。スムルィゴフは我に返ると、それ以上の射撃を控えた。このままでは味方を撃ち落とすことになりかねない…
 すでにボブルイスクとベレジナ川が視界に入っていた。爆撃により水中に没しかかった橋のすぐ近くで、新たな架橋用のポンツーンが帯状に並べられている。投下された爆弾が水柱を噴き上げたと見るうちに、ザイツェフとクロトフはすでに西岸でトラックの縦列へ襲いかかっていた。最後尾を飛ぶスムルィゴフも狙いをつけてロケット弾を発射。車列の真ん中で爆発が起きた。ベレジナ川は翼の下に隠れ、すぐに濃密な対空放火による黒煙が周囲を取り巻いた。ザイツェフは右に急旋回し、スムルィゴフも隊長機の後に続くことができたが、破壊された脚柱をぶら下げたままのクロトフ機は1機だけ取り残され、よろめきながら東岸に向かった。その後を2機の「メッセル」が、吸いついた蛭のようにしつこく追いすがる。クロトフは傷ついた機を操って何とか帰投しようと基地への針路を取り、一方のザイツェフとスムルィゴフは渡河点を偵察しながらボリソフ方面へ向かった。
 ベレジナの上空を飛ぶ。西岸からは2機に対してひっきりなしに対空砲火が浴びせかけられた。ザイツェフ隊長はようやく、川が見えてさえいればもっと東を飛んでも問題ないと悟り、対空火器の射程の外に逃れ出ることができた。しばらくは順調な飛行が続き、ザイツェフがそろそろ引き返そうかと考えたまさにその時、スヴィスロチ付近で架橋工事の現場が視界に飛び込んできた。橋はすでに川の半ばまで作り進められていた。舟橋用の平底船が岸から漕ぎ出しており、中には数人の兵士が腰を下ろしている。2機はこの目標に向かって突進し、銃撃を開始した。船の周囲に広がっていた静かな水面はたちまちのうちに銃弾で切り裂かれ、1人の兵士がうつぶせの姿勢で川の中に転げ落ち、他の者たちは船底に横たわった。川の西岸には数台の車が停まっている。これに対しても射撃を加え、トラックが燃え上がると、ドイツ兵たちはまばらな茂みに身を隠そうと逃げ惑い、あるいは切り立った崖の上から川の中へ飛び込んでいった…
 基地に帰り着いたザイツェフとスムルィゴフが目にしたものは、地に横たわるクロトフの襲撃機であった。機体の後方では地面が帯状に黒くなっており、飛行場の緑の芝土がここだけ耕されたようにも見える。プロペラはねじ曲がり、脇の方には車輪が着いたままの脚柱とオイルクーラーが転がっていた。エンジンと操縦席を守る装甲は焦げ茶に変色し、翼は傷だらけで、方向舵と昇降舵のあった場所にはジュラルミンの骨組みと引き裂かれたパーケール布のかたまりしか残っていない。そして飛行機の傍には、青白い顔をしたクロトフが整備員たちに囲まれて立っていた。彼は左肩を手で押さえたまま、ちょうど2本目の手巻きタバコを吸い終えたところだった。
「怪我は?」歩み寄ってきたザイツェフが尋ねた。
「打撲ですよ、たぶん着陸の時でしょう。見ての通り、盛大にやっちまいました…」
「戦闘機か、それとも対空砲に撃たれたのか?」
「メッセルにつきまとわれましてね…ボブルイスクからここまでずっと離れてくれず、こっちは標的も同然に撃たれっぱなしですよ。射線をかわそうとしても舵は利かないし…何とか着陸して地面に伏せたんですが、あん畜生ども、俺の方に急降下してきやがる。こりゃやられたなと思ったけど、あいつらも弾切れだった。それで、上昇して、飛行場の上で『勝利の舞』を舞って見せると、そのまま帰っていったんです…」
「友軍の対空砲は助けてくれなかったのか?」
「この飛行場で対空砲なんか見たことあるんですか?」
 しばらく沈黙が続いた。その間に、団子鼻の「イシャーク」[I-16戦闘機]が3機、空へ飛び上がっていった。戦闘機の翼には2発ずつの爆弾が吊されている。クロトフはこれを見送り、そして言った。
「メッサーシュミットは手ぶらで飛び回り、襲撃機を追い回してるっていうのに、俺らの戦闘機はどうして爆弾なんかぶら下げてるんだろ…」
「我々と一緒に飛んでくれれば、やつらを追っ払ってくれるかもしれんのにな」ザイツェフが答えた。「どうやってメッセルと戦えってんだ?後ろから食いつかれても、こっちの機関砲や機銃は前しか撃てないのに…」
「もしも前を飛んでる仲間が襲われたら、後ろのやつは敵の戦闘機を撃ったっていいと思うんですけどね…」
 クロトフはそう言ってスムルィゴフの方を見た。彼はその視線の中に刺すようなものを感じた。
「だけど、こっちも2人に追いつくのが精一杯で…ようやく編隊を組んだ時には、もうメッセルが君の横に来ていたんだよ。一撃は加えたけど、弾は君のすぐ横を通ったもんだから…」
 そこに連隊付きの軍医トーム・フョードロヴィチ・シローキーが現れ、クロトフを促すと、彼を医務部の天幕へ招じ入れた。クロトフの肩から破片が摘出された。興奮状態にあったパイロットは、破片創を打撲と思い込んでいたのだ。
 この日一日中、襲撃機部隊はボブルイスクとドマノヴォ、シャトコヴォで発見された橋を叩き続けた。彼らにとってメッサーシュミットは文字通りの天敵であり、今のところは打つ手なしの状況であった。しかし一方で、対空火器による損失は、戦闘機によるそれを上回っていた。メッサーシュミットの機銃では、後部燃料タンクとパイロットを守る12ミリの垂直装甲板を撃ち抜けなかったからだが、クロトフ機のように飛行場でスクラップと化す機体は確実に増えつつあった…

 この数日間のボブルイスク方面では、新鋭機を装備し完全な戦力を持った部隊としては第4連隊が唯一の存在であった。戦時のあらゆる部隊がそうであるように、連隊も加速度的に消耗していたが、しかし当時の状況下においては、ドイツ中央軍集団の先鋒をベレジナで押しとどめるという任務の遂行に堪え得る、貴重な戦力であることに変わりはなかった。連隊は9つの橋を破壊し、敵軍の渡河を3昼夜にわたって妨害することができた。だが、この3日間で失った搭乗員の数も20名に達したのである。かくも恐ろしい損害を予測できた者は誰一人としていなかった。対フィンランド戦の時、連隊は2000回を超える出撃をこなし、しかも装甲防御のないRZ爆撃機を使用していたにもかかわらず、損失はわずか1機だけであったからだ。これとても戦闘で失われたのではなく、離陸に失敗して木に引っかかり炎上、というものであった。ところが、今や最新の装甲機で戦っている連隊が、当時とは比較にならないほどの損害を出しているのだ!そして6月28日には、第2中隊が一瞬にして壊滅の悲運に見舞われることになる…

 アレクサンドル・メシシェリャコフ少尉機が、任務を遂行して基地に帰ってきた。穴だらけの機体は着陸の瞬間に破片を飛び散らせ、ゴムのとれた車輪で盛大な土埃を巻き起こしながら、短い滑走を終えて停止する。乗せられるだけの人を乗せた1トン半トラックが現場に駆けつけた。第2中隊長クルィシン大尉もその中に含まれていた。機体は数え切れないほどの弾痕でザルのようになっていたが、パイロットは傷ひとつ負っていない。
「対空砲にやられたのか、戦闘機に攻撃されたのか?」中隊長がメシシェリャコフに尋ねた。
「戦闘機であります…」
「穴の数を数えるんだ」クルィシンは整備班に命じた。「どの場所が一番やられてるんだろうなあ?」
「何故、数えるのでありますか?」メシシェリャコフが質問した。
「何故って、我々はどの角度から狙われやすいのか調べて、敵の攻撃をかわすために決まっとるよ」
 しかし、弾痕を数えるのはそう簡単ではなかった。中隊技術主任アレクセイ・カリュージヌイと通信部のグリゴーリー・ヌジェンコがそれぞれ違う数字を出し、意見が分かれたのである。カリュージヌイは263、一方のヌジェンコは278という結論を出していた。数え直しと議論が続いているまさにその時、ユンカースJu88の9機編隊が姿を現した。クルィシンが状況を把握しようと空を見上げると、敵機はすでに爆撃針路に入り、今にも投弾が始まろうとしていた。
「トラックに戻れ!急ぐんだ!」中隊長は叫び、自ら車内に飛び込んだ。他の兵士たちも動き出したトラックにつかまり、荷台の上に這い上がった。しかしヌジェンコとカリュージヌイだけは追いつくことができず、つまずいて地に倒れると、そのまま伏せの姿勢をとった。続いて大地が震え、耳を聾する轟音が長く尾を曳くと、黒い煙の柱がほとばしるように立ち上った…風が土埃を吹き払った時、1トン半トラックの姿はなかった。爆弾が車を直撃したその場所には、様々な残骸と投げ出された死体だけが残されていたのである。ホロバエフが「一度あいつとは真面目に話をしないといかん」と目をつけていた武器整備員ロマン・コマハは、この日の爆撃で命を落とした。とりわけ戦闘精神旺盛であったイリヤ・ザハルキン小隊長も、破片に脇腹をえぐられて致命傷を負った。彼は最後にこう言い残してこときれた。
「畜生ども…俺を戦わせてはくれないのか…これから思い知らせてやるところだったのに…」

 …連隊はクリモヴィチ南東50キロにある野戦飛行場への移動を命じられた。搭乗員はすでに自分の飛行機へ乗り込んでいたが、発進の許可はなかなか下りない。襲撃機部隊が飛び立った後、引き続き整備スタッフや備品を新たな基地へ送り届けるはずの輸送機がまだ到着していなかったからだ。連隊が所有している地上交通手段は1トン半トラック1台のみで、連隊技術主任のミーチンがこれを管理した。ミーチンはトラックが盗まれないよう、気を緩めずに見張ることを部下に命じていた。様々な部隊が飛行場の近くを通過しており、騒然たる空気の中で見張りの者が少しでも「あくびをかみ殺せずに」油断した様子を見せると、トラックを無遠慮にじろじろ眺め回す輩が多く、一瞬たりとも気を抜くことができない。今や、荷台の上にはガソリン入りのドラム缶と小銃、手榴弾、缶詰を詰め込んだ箱、乾パンの入った紙袋などが積み込まれ、トラックは出発を待つばかりとなっていた。大破状態の襲撃機6機を飛行機修理廠に引き渡した後、ミーチンと5人の部下からなる整備班はこの車に乗り、クリモヴィチ地区へ移動しなければならない。だがここで、思わぬ横やりが入った。修理廠長が破損機の受取書にサインしようとしないのだ。
「あんた方は私にこの屑鉄を押しつける腹なんでしょうが、一体どうしろってんですか?ご覧の通り、今じゃ修理廠も浮き草稼業で、これからまた移動することになりますし…」
「とにかく、あなたには受取書にサインする義務があるのです。その後で飛行機をどうするかは、そちらの方がよくご存知でしょうに」技術主任は頑として譲らなかった。
 先ほどからずっと、地上軍の工兵が1人、黙ったままミーチンの後をついて歩いていた。彼もまた急ぎの仕事を抱えており、2人の言い合いを聞いて我慢できなくなったらしい。
「下らないお喋りは終わりにして、早いとこお引き取り願えんですかね。わたしゃ今からまだ、ここにある飛行機を爆破せにゃならんのですよ…」
 修理廠長はこれを聞くと即座に受取書へサインしたが、工兵にも同じように署名を求めた。工兵は差し出された紙片に、大雑把な殴り書きで自分の署名を書きつけた。これでようやく、ミーチンと5人の整備員はクリモヴィチへ出発できることになったのだ。
 飛行場の端では、濛々たる煙が立ち上っていた。守備隊の兵士が、パイロット用の備品を敵手に渡すまいとして倉庫を焼く、その煙だった。飛行場に残っていた者は皆、黒煙の柱を見つめ、新品のレザーコートや長靴、冬用の防寒ブーツ、つなぎ、飛行帽その他のお宝で一杯になった棚のことを思わずにはいられなかった。しかし守備隊員たちも、然るべき明細書や署名なしで、これらの備品を搭乗員と整備員に分け与える権利は持っていなかった。そんなことをしたら、後から「公共財産濫用」の罪に問われ、戦時法を厳格に適用しての処罰を受ける羽目になりかねないからだ。

 7月1日、連隊は再び飛行場に襲いかかったユンカースの爆撃を間一髪で逃れ、クリモヴィチ地区へと後退した。エンジン不調のため取り残されたデニシューク上級中尉に至っては、飛行場へ突進してきたドイツ戦車の砲火をかわし、やっとのことで離陸している…しかも部隊は移動中に巨大な雷雲と遭遇してしまい、20機が様々な場所で緊急着陸したため、長い時間をかけてこれらの不時着機を探し集めなくてはならなかった。セーシシャ地区で見つかった機体は胴体が真っ二つに折れ、搭乗員アレクサンドル・ブラーヴィン上級中尉は光学式照準器に頭を打ちつけて、操縦席の中で息絶えていた。一見何の問題もなさそうだが、その実は隙あらばパイロットの額を狙っているこの小さな機器によって、どれだけの生命が失われたことか!ちなみに搭乗員たちは、PBP-1b型照準器の型番号を独自に解釈し、「パイロットのおでこを1回は手ひどくぶん殴る装置」[ロシア語ではpribor, b'yushchii pilota odin raz bol'noで、この頭文字をPBP-1bと解したわけである]と呼ぶ有様だった。最終的にこの型の照準器を装備から外し、前面の防弾ガラスへ照準用のリングを直接描き入れるという決定が下されるまでには少なからぬ時間を要することとなった。一方、行方不明となった2機目の飛行機は森の中で発見された。それは第4中隊長レスニコフ大尉の乗機だった。大尉は豪雨に巻き込まれて思いがけなく視界が低下したため、ライトを点けて飛びながら着陸場所を探していたのだが、密生する木々の梢を草原と見誤り、森の中に着陸してしまったのである。木の枝が受け止めてくれたために不時着の衝撃は和らぎ、パイロットは打撲だけですんだものの、機体は修理不能な損傷を受けていた。
 これら2機の飛行機からは、他の機を修理するのに必要な部品がいくつか取り外され、残り18機は全て戦列へと復帰した!「完全損失」「馬なし」という言葉が生まれたのもこの頃の出来事であった。飛行機が破壊され、搭乗員も戦死すれば、それはすなわち完全損失と見なされる。だが、完全ならざる損失もあり得た。例えばホロバエフ大尉の襲撃機は、初めての出撃で使い物にならないほど無茶苦茶に壊されてしまった。この場合、飛行機は戦力として存在することを止めたが、パイロットの方は残ったわけだ。
 また、こんなケースもあった。攻撃後、1人の搭乗員が還らなかった。共に出撃したパイロットたちは、炎上しながら墜落する飛行機を目撃しており、彼は戦死と認定された。しかし段々に分かってきたことだが、戦争の中ではしばしば、「空飛ぶ要塞」よりもこれに乗って戦うパイロットの方がツキに恵まれるものである。最終的なしぶとさにおいては人間が勝っており、搭乗員の数はいつも飛行機を上回っていた。
 クリモヴィチ地区の飛行場に、何の前ぶれもなく髭ぼうぼうの男が現れた。頬はかさぶたで覆われ、目の周りから頬骨の辺りと眉間の皮膚が白っちゃけて見えるのは飛行眼鏡の痕に間違いない。腫れた唇は微笑みを浮かべることができず、目だけで笑う表情を作ろうとする。彼はシャツをまくり上げ、ベルトの下からピストルを取り出した。それからジャケットの裏地の縫い目を少しほどくと、赤い手帳に身分証が現れた。その時すでに、基地は驚くべき噂で持ちきりだった。ヴァーシカ・ソローキンがよみがえったのだ!
「そんなことがあるもんか。あいつの飛行機は燃えながらボブルイスクの近くに落ちていったんだぞ!」
 奇跡的な生還を果たしたパイロットは、仲間たちに取り巻かれた。多くの者が我先に質問をぶつけ、ソローキンはこれらに答えるのが精一杯だった。
「飛行機は火に包まれた…何とか沼地に滑り込ませたけど、俺の服はもうくすぶっていたね。女の人に見つけてもらった。村外れの小屋に俺をかくまって、服を替え、顔には発酵した牛乳を塗ってくれたんだ…ボブルイスクの監獄にいた服役囚が道連れになった。土地の人間だそうだ。フリッツどもは、こういう連中を牢から出してあちこちにばらまいてるんだとさ。で、俺も受刑者のふりをして、何とかここまで帰ってきたんだ…」
 ヴァーシャ・ソローキンがたっぷり休んで力を回復し、傷を癒したら、彼には新たな「乗馬」が与えられなければならない。しかし、どこで新たな飛行機を調達すればいいのか?結局、ソローキンとその整備兵は「馬なし」になるしかなかった。「馬なし」たちが現れてから、搭乗員たちは2交替制で戦うようになった。一方が出撃している間に他方は休むのである。その間にも連隊の戦力喪失は続き、移動中の不時着事故から生還した第4中隊長ウラジーミル・ドミトリエヴィチ・レスニコフ大尉も、わずか数日後に戦死を遂げた。彼の死は、連隊にとって取り返しのつかない完全損失であった…
 この時までに、連隊は第11混成飛行師団の戦闘序列に入っていた。師団長は2度のソヴィエト連邦英雄に輝くグリゴーリー・パンテレーエヴィチ・クラフチェンコ中将である。クラフチェンコはすでに中国で、1939年のハルヒン・ゴルにおける日本との軍事衝突[日本で言うところのノモンハン事件]で、そしてフィンランド戦争で戦った経験を持っていた。彼はしばしば「エムカ」に乗って飛行場を回り、襲撃機部隊を見舞った。恒常的な通信線の破断がなければ、師団長がこれほど頻繁に前線を視察する必要はなかったかもしれない。クラフチェンコの自動車は移動指揮所とでも言うべき存在で、彼はその中で多くの時間をすごし、各飛行場を巡回していた。車から降りるのは命令を伝える時か、あるいは小休止を取って搭乗員たちと言葉を交わし、ちょっとした冗談を交えながら彼らを激励する時に限られた。「もうちょっとの辛抱だ、今にドイツ人どもの背骨をへし折ってやることができるからな!」これがクラフチェンコお気に入りの決め台詞だった。師団長は高い地位と輝かしい武勲に包まれ、搭乗員たちから見れば雲の上の存在に等しかったが、自身は形式ばったところが全くなく、兵士たちにも気さくに接していた。
 エースとして勇名を馳せたクラフチェンコ将軍は、弱冠29歳にして3つの戦争を経験しており、始まったばかりの大祖国戦争は彼にとって4度目の戦いとなった。この困難な時期に、彼は何度となく真紅の戦闘機を駆り、ファシストたちに挑みかかった。メッサーシュミットの群れは、速力でも火力でも劣るこの小癪な戦闘機を撃ち落とそうと猛り狂った。数において圧倒的な優位に立っているにもかかわらず、ドイツの戦闘機部隊はどうしても「紅い悪魔」を撃墜できずにいたが、クラフチェンコの方もハルヒン・ゴルやフィンランドの時のように鮮やかな空中戦を展開することはできなかった。この巨大な戦争は、今までの戦いとは全く異質なものであり、敵軍の優勢はあまりにも明白であったのだ…
 1943年、クラフチェンコ将軍はレニングラード上空で戦死した。彼はとある会議に呼び出され、その際に敵の先鋒が侵攻している地区を迂回するよう助言を受けたのだが、クラフチェンコは貴重な時間を失うことを嫌い、直進ルートを選んだ。そして、戦闘機に乗って移動しているまさにその時、空中戦の場面に遭遇した。2機の友軍機が、10機に達する敵機から逃れようと旋回を繰り返している。味方の危機を救うため、クラフチェンコは小隊を率いて戦闘に介入した。そして1機の敵戦闘機を撃墜したものの、すぐに彼のLa-5も炎に包まれた。クラフチェンコは敵の占領地帯を飛び越えた後、飛行機から飛び降りて脱出を試みたが、パラシュートが開かなかったのである。彼は前線から3キロの友軍活動地区に落下し、その遺骸はうつ伏せに地面へめり込む形で発見された。パラシュートを開く曳索は破片によって切断されており、クラフチェンコの右手は引きちぎられた紐がついたままの赤い曳索操作用リングを固く握りしめ、また左手の爪は全て割れていた。おそらく彼は、自由落下の最中にも、懸命にパラシュートの収納袋を開こうとしていたのだろう…

 連隊は新たな基地から出撃を繰り返したが、今やその主要な攻撃目標は橋ではなく、ロスラヴリに向かって前進する敵の地上部隊となっていた。我が軍がとりわけ厳しい試練にさらされていた日々のことで、搭乗員たちもまた圧倒的な敵の航空戦力を前に苦しい戦いを強いられた。ハインケルやユンカースの群れがひっきりなしに上空を往来していたし、すばしこい「メッセル」は2機編隊で道路上空の低いところへ舞い降り、通行する部隊を掃射した。ドイツの空軍戦力は減るどころか、前よりも数が増えているように思われるほどだ!戦争開始から12日目に入ろうとしていた…しかし相変わらず、私たちの心をかき乱す疑問は尽きることがない。
「戦力の不足によりベレジナの防衛線を突破された、ってのは分かる。だがそれなら、新たに投入された友軍がドニエプルの線を支えられなかったのは何故なんだろう?我が軍の大攻勢に関する噂は根強いけど、一体それはいつ始まるんだ?それとも、反撃開始の前に敵をできるだけおびき寄せようということなのか?どうして我が軍の飛行機はこんなに少ないのか?航空パレードで見せてくれたあの大部隊はどこへ消えた?他のどの飛行機よりも遠く、どの飛行機よりも速くそして高く飛ぶことのできる夢の新鋭機は、一体全体どこにいるんだろう?」
 7月3日…これは、全ての者の記憶に長くとどめられる日付となった。聞き覚えのあるくぐもったグルジア訛りの声、私たちの肺腑を衝くあの呼びかけが、開戦以来初めて聞こえてきたのだ。
「あなた方に申し上げたい、親愛なる皆さん!」
 スターリンは全軍の最高責任者として、私たちをなだめすかすのではなく、簡明な演説によって状況を説明する道を選んだ。彼は過酷な真実を明らかにし、現状とはあまりにもかけ離れている戦意高揚のプロパガンダに終止符を打った。今や、我々の敗北は一時的なものであるという幻想(無能な司令官を排除し、厳罰に処しさえすれば、後任の者が何とかしてくれるはずだ!)は打ち砕かれたが、その代りに全てが明らかとなった。奇跡を期待することはできない、大規模な反攻準備の情報は事実ではない。今ある戦力に頼るしかないのだ。スターリンはその演説の中で、現在が「危急存亡の秋」であるという事実を余すところなく理解するよう呼びかけ、脱走兵や怯惰な行為の容赦ない取り締まりを求めることで、私たちの心を引き締めた。
 …その翌日、襲撃機連隊はボブルイスク飛行場を攻撃することになっていた。これは連隊にとって初めての経験であった。搭乗員たちの偵察情報や諜者からの連絡によれば、この数日間、ボブルイスクには複数の敵航空部隊集結の兆候が見られる。この他にも重要な目撃情報が寄せられた。今や、ボブルイスク飛行場は航空展示会場を思わせる有様だというのだ。何の偽装も施されていない飛行機が数列にわたり、翼同士をくっつけるようにして並んでいる。ファシストたちは今や、我が家にいるも同然で、少しも危機感を抱いていないらしい。また飛行場に隣接してカジノが開かれ、パイロットにシュナップスを振る舞っていた。
 つまり、駐機場の飛行機を攻撃することで敵空軍に大損害を与える、千載一遇のチャンスが現れたわけだ。他の手段では、長い時間をかけたとしても同じような戦果は望めないだろう。我が軍は対空火器も戦闘機も不足していた。整然と編隊を組んで侵攻するユンカースやハインケルに対し、どこか遠くで高射砲の響きが聞こえることもあったが、火を噴く敵機の姿は滅多に見られない…時には戦闘機も空中で「メリーゴーランド」を展開し、敵の背後に食いつこうとくるくる回ったが、視界が暗くなるほどの急旋回の連続に疲れ果て、弾を撃ち尽くし燃料もなくなって引き分けに終わるのが常だった。だから、飛行場の敵機というのはこの上なく魅力的な獲物なのだ。襲撃機たった1機の攻撃でも大きな戦果が期待できる。しかし…
 ここまで考えたところで皆、数え切れないほどの「しかし」の前でたじろいでしまう。例えば、攻撃は大兵力で行ってこそ効果的である。しかし、連隊の保有機が定数の3分の1を割り、さらに何機かは修理を必要としている現状において、一体どこからそのような兵力を集めてくればいいのか!あるいは、攻撃隊が首尾よくボブルイスク飛行場に到達したとしても、「航空展示会場」は影も形もなく、あるのは空の駐機場だけ…という状況も想定しなくてはならない。航空の世界の生活リズムは、鳥たちのそれによく似ているからだ。夜が明ければいっせいに飛び立ち、日が暮れると巣に戻って来る。従って、空っぽの敵飛行場を叩くという愚行を避けるには、敵の機先を制する必要がある。出撃前夜に基地を見舞ったクラフチェンコ師団長も、まさにこの理由で黎明攻撃を指示していた。当然、攻撃隊自身はまだ暗いうちに離陸しなければならない。しかし厄介なことに、襲撃機乗りの中に夜間飛行の経験者は1人もおらず、最も経験のある搭乗員を選抜して任務にあたらせるより方法はなかった。
 連隊はごく最近補充を受けて定員を満たし、全員が各隊すなわち第1から第5までの中隊に振り分けられた。中隊の下の小隊も完全な編成となっており、残るは書類上でしか存在していない連隊本部、いまだにハリコフ付近を鉄道で移動している本部要員たちの到着を待つのみであった。今や搭乗員は、長機と列機に区分されていた。前を飛ぶ者は隊長、後ろを飛ぶのがその部下というルールである。例えばニコライ・シニャコフ少尉だが、彼は序列の低い一介のパイロットであったにもかからず、編隊を任されると卓越した指揮能力を見せ始めた。そこで、階級が上の者もシニャコフ機の後ろに従うようになった。戦争はそれぞれの人間を相応しい地位に振り分けるもので、勤務規定も階級もこの現実の前では無力なのである。
 すでに日が落ちてからかなりの時間が経っていたが、ゲチマン連隊長はなかなかゼムリャンカの外に出ようとしなかった。彼の目の前には、縦長の十字マークで表した飛行機と、それぞれの機体番号を書き入れたリストが置かれていた。十字マークは紙片の隅に寄せて、3つずつ固まって並んでいたが、これは小隊を意味しているのである。そして各小隊はリストの上から下に向かって順々に配置され、1つの大きな縦隊を形成する。連隊の空中での戦闘序列はこのようなものであった。隊長はさっきから、それぞれの飛行機を搭乗員に割り振る作業を続けていた。自身の名前は迷うことなく、縦隊の先頭に書き入れる。時間がかかっていたのは小隊の編成だった。誰を長機に、また誰を列機にあてがうべきか?
 ボブルイスク飛行場には、滑走路の片側に1か所ずつ、合計2か所の駐機場があった。連隊長は部隊の一部を率いて第1駐機場を叩くつもりでいたが、もう1つの駐機場を攻撃する部隊は誰に委ねようか?もちろんそれは、副連隊長K少佐をおいて他にはいないだろう。しかし正直なところ、ゲチマンは自らの次席をどう評価したらいいのかいまだ分からないでいる。K少佐は連隊が前線に出動する直前に着任してきた人物だが、すでにボゴドゥーホヴォ駐屯時から厳格で口やかましい指揮官として名を馳せていた。例えば、ギムナスチョルカのボタンを外して歩いているところを彼に見つかりでもしようものなら大変なことになる。「地上でだらしなく襟を開いた者は、飛行中に事故を起こす第一の候補者である!」という戦前に流行った格言を、少佐は繰り返し口にしていた。彼はまた、開戦初日にボゴドゥーホヴォの宿営地で集会が開かれた際、熱弁火を噴くが如き演説で一躍有名になった。壇上に現れたのは、レザーコートと飛行帽、風防眼鏡に身を固めた黒髪の偉丈夫。片手になめし皮の手袋を握りしめ、脇腹には地図ケースが形よく吊られている。K少佐の外貌は恐ろしく印象的であり、海千山千の古強者ホロバエフ大尉でさえ、感に堪えたように「あの人から型を取れば、国中の航空都市で目立つ場所に置いといても恥ずかしくない銅像ができますぜ!」とゲチマンにささやいたほどだった。精力的な手振りを交えながら喋りつづけた少佐は、その情熱的な演説を誓いの言葉で締めくくった。
「私は、1発目のロケット弾を我らが祖国に、2発目を同志スターリンに捧げて発射する所存である!そして3発目は、我らが人民のために捧げよう!…」
 しかし前線に出るとすぐに、K少佐はツキに恵まれていないことが明らかとなった。ボゴドゥーホヴォからカラチェフへ移動する段階で、彼の乗機は緊急着陸を強いられたのだ。不時着の場所が判明するまでに数日間を要したため、スタールイ・ブィホフからの初出撃には参加できなかった。とは言え、K少佐機はカラチェフ近郊できれいな胴体着陸を果たしており、整備員はすぐにこれを「立ち上がらせる」ことができた。だが、古い言い回しにもあるように、「美しい星の下で生まれるよりは、幸運の星の下に生まれついた方がいい」のである。不時着地点から飛び立った副隊長は、部隊の待つ飛行場に着陸した…脚を出し忘れたままで。結果、彼の機はまたもや見事な胴体着陸をやらかし、修理を要することになってしまった。陰鬱そのものといった顔つきの少佐は、機体番号「3」が描かれた愛機の周りをうろつきながら、「何で俺は脚を出し忘れてしまったんだろう?」と嘆き節を繰り返していた。連隊長はこれを見て、副連隊長を脇の方へ連れ出した。
「考えられんことじゃないですか。今から降りようって時に、着陸の基本的な手順を忘れてしまうとは…」
「正直に申し上げます、同志少佐、完全に頭の中から抜け落ちていたのです…」
「しかしねえ、赤の信号ロケットは打ち上げられたし、地面には進入禁止の十字マークも置かれていたから、着陸やり直しの指示は明らかだったはずですよ!」
「その合図を見逃しておりました…航空の世界では、誰でもこうしたミスを犯すものでして…」
「貴君は私の次席なんですよ。部下たちがどう思うか、ちょっとは考えてくれませんかね?権威を失うのは簡単でも、再び取り戻すためには長い長い時間が必要なのに…」
「できる限りの努力はいたします…」
 そして今、部隊の編成に頭を悩ませていた連隊長は、しばらく前のこのやり取りを思い出し、決心した。
「彼としても、慣らし運転はもう充分だろう、ようやく本当の戦いで真価を発揮する時が来たわけだ…スムルィゴフ少尉やシャーホフ曹長に彼の役目を与えるわけにはいかん!」
 ゲチマンは、副連隊長の名を第2攻撃隊の先頭に書き入れた。
 明け方の空が白み始めるより早く、飛行場ではすでにエンジンの音が響きわたっていた。排気管からは濃い青紫色の炎がもつれ出ている。排気炎は装甲板の側面をなめまわし、上方に跳ね上がった時には操縦席にまで達していた。こんなものが昼間に見えなくてもっけの幸いである。さもなければ、いつ機体に火がつくことか?とハラハラしながら飛ばなくてはならないところだ。また、エンジンカバーの両脇を流れる炎は操縦席に座るパイロットを幻惑し、滑走路の端で焚かれている方向指示用のかがり火でさえも、これのせいで見え辛くなっていた。
 先頭を切って連隊長機が離陸し、部下たちがこれに続いた。離陸した機のパイロットはまず、先を行く飛行機の航法灯を眼で追った。弱々しく瞬く飛行場のかがり火が翼の下に隠れると、ゲチマンは時間を地図に書き入れ、ボブルイスクに機首を向けた。左右に列機がつき従う。第4中隊の政治担当副長ウラジーミル・ヴァシレンコ上級政治委員と、第3中隊長のニコライ・サタルキン大尉である。他の飛行機は後方のどこかを進撃しているはずだ。出発してから20分ほどがすぎた頃、錫色にくすむ広大なドニエプルの流れが、尾翼をかすめて消えていった。目標までの半分は飛んだことになる。ベレジナ川に到達する前にゲチマンは航法灯を消し、列機もこれに倣った。
 ボブルイスクへ接近しながら、襲撃機はいっそう高度を下げたが、前方の空にはすでに慌てたような光の矢が打ち上げられ始めており、高射砲弾の炸裂が明け方の空を焦がした。進路の左手に滑走路が見え、その両側には緊密に並んだ飛行機の列が曙光を受けて鈍く光っている。連隊長は機体を大きく傾けると攻撃に移った。襲撃機の主翼の下からロケット弾が渦巻く煙となって撃ち出され、地上に並ぶ爆撃機の真ん中で短い爆発が連続した。鮮やかな炎が立ち上り、破片は木の葉のように乱れ散る。機関銃と機関砲が炎の矢を放ち、黒い十字の描かれた翼を切り裂いていく。そして地表に接するばかりに降下した襲撃機からは100キロ爆弾が投下された。すでに出撃の準備を整えていたユンカースもメッサーシュミットも、爆発を受けてたちまち炎上した。敵機が飛び立つ間もなく一撃を加えることに成功したのだ!
 …連隊長機が基地に向かって降下してくる。煙の尾をたなびかせ、エンジンも咳き込んでいるようだ。ゲチマンは着陸し、飛行機を脇の方までタキシングさせてからエンジンを切ったが、何故か風防ガラスを開けようとしない。整備班が駆けつけ、すぐにハンマーやバールを振るって風防をこじ開けにかかった。対空砲弾の炸裂による衝撃を受け、開かなくなってしまったのである。やがて操縦席からゲチマンが助け出された。頭のてっぺんから足の先まで油にまみれ、白く見えるのは歯と白目の部分だけという姿であった。連隊長は立つのもやっとという状態で、周りの腕にもたれながら片隅にあった切り株に腰かけると、数分間は屈み込んだままものも言えず、盛んに咳をしては油混じりの唾を吐いた。そして、ようやくひと息入れた後で尋ねた。
「第2攻撃隊はみんな帰ってきたのか?」
 自らの列機であったヴァシレンコ上級政治員とサタルキン大尉の消息は尋ねもしない。飛行場を攻撃した直後、連隊長は後続の2機が燃えながら森の向こうに落ちていくのを見ていたのである…
 K少佐とその部下1機が真っ先に帰還したとの報告が、ゲチマンの下にもたらされた。少佐は飛行場の近くで胴体着陸したという。《これはどういうわけだ?後から出発したのに、最初に帰ってくるとは》連隊長は考え、すでに不時着地点から飛行場まで連れ戻されていた少佐を呼んだ。
「攻撃目標にはどのように接近したのですか?」ゲチマンが聞いた。
「こちらの方角からです」ケースに入った地図を手のひらで指し示しながら少佐が答える。
「手袋くらい脱いで、もうちょっと正確に示したらどうですかね!」連隊長は語気を強めた。そして、少佐が指で地図をなぞるのを見ると我慢できず、鉛筆の先端でルートを再現するよう厳しく要求した。他の誰でもない、まさに彼の次席指揮官が、5本の指で不器用に地図の上を探っているのだ。
「もちろんです、正確にやります」少佐は言って、ぴったりと手に密着した手袋を指1本ずつ、ゆっくりと脱ぎにかかった。
「鉛筆を持って、ボブルイスク飛行場にいた敵機の状況と、貴君の攻撃ルートを描き入れてくれ給え」
「同志少佐」K少佐はわざとらしいほどかしこまり、直立不動の姿勢をとった。「自分は、絵は不得手なのであります」
「誰も絵を描けなんて頼んでいやしないんだ、簡単な図を作ってくれればいいんですよ!」連隊長はそう言ってから、再び咳の発作に襲われた。
 K少佐が地図に向かっている間、ゲチマンはハンカチで顔についた油をぬぐい始めたが、その時K少佐の隊にいた若い搭乗員が1人で遠くに立っているのに気づいた。連隊長は彼を手招いた。パイロットは駆け寄ってくると、目を伏せたままゲチマンの前に立った。
「君は少佐と一緒に帰還したんだね?」連隊長は尋ねた。
「そうであります…」
「攻撃目標はよく憶えているかな?」
「憶えておりません、同志連隊長…」
 ゲチマンは弾かれたように切り株から立ち上がった。瞬時に恐ろしい疑念が生じたのだ。《もしかすると、我が次席は目標の上空まで飛んでいなかったから、それで絵が描けないなどと言い訳をしているのでは?》
「どこに爆弾を投下したのかね?」
「何もない場所にです…」こちらに背を向けて立っているK少佐を横目で見ながら、搭乗員は静かな声で答えた。
 ゲチマンは動悸が高まり始めたのを感じ、間近で爆弾が破裂した時のような激しい耳鳴りに襲われた。そして、搭乗員が涙をこらえ切れず、悔しそうに目元をぬぐうのを見た。少し気を落ちつけると、ゲチマンは搭乗員のひじをつかみ、スクラップと化した愛機の傍らへ連れていった。
「最初から順序立てて話してくれないか」
「我々はベレジナまでも行きませんでした…いきなり同志少佐が左に急旋回すると、編隊の下の方へ降りていったのです。私はどうにかその後に続くことができました…見ると、長機から爆弾がばらまかれたので、私も反射的に投下ボタンを押しました。長機はその後でロケット弾も発射し始めました。そこで初めて、私たちの下に広がっているのは沼地であることに気づき、ロケット弾を撃つのを止めました。1人でもボブルイスクに向かおうと思ったのですが、他の飛行機を見失ってしまい、機位もつかめなかったので…同志少佐の後に続いて飛ぶしかありませんでした…」
 その時ゲチマンは、背後でK少佐の声を聞いた。
「エンジンが故障したので、私は攻撃中止を決めたのです。爆弾を捨てたのは、不時着時の安全を考えてのことでした…」
「で、飛行場から3キロも離れたところに胴体着陸をしたというわけか?」連隊長は白い目で彼をにらみつけた。
「エンジンは過熱して、飛ぶ力を失っておりました。漏れ出した油が風防に付着し…」
「貴様ぁ!!」ゲチマンは声にならない声で叫び、ピストルホルダーに手を伸ばしたが、コジュホフスキーが連隊長を押しとどめた。
 整備班はK少佐の襲撃機を台車に乗せ、プロペラを取り換えてエンジンを始動させた。まずは地上で、それから空中でテストを行った結果、何の問題もないことが確認された。調査委員会は、パイロットが故意に滑油冷却器のシャッターを閉状態とし、エンジンを「沸騰させた」との結論に達した。その同じ日、赤紫色の太陽が疲れ切ったように松林の向こうへ没し去った頃、搭乗員と整備員が空き地に集められた。赤い布切れで覆われた箱を机代わりに、3人の軍事法務官が座った。そして法務官たちの前には、帽子もベルトも身につけず襟章を剥奪された背の高い男が、皆に背を向けるような形で立っている。信じたくはない事実だった。つい先日、ボゴドゥーホヴォの風車小屋の前で「1発目のロケット弾は祖国のために、2発目は同志スターリンのために捧げよう!…」と誓いを立てた人物が、沼地に向かってそのロケット弾を発射したのである。
 軍事法廷の代表団は、祖国の名において判決を下した。
「怯懦な振る舞いの廉で銃殺刑に処す。判決はすぐ執行に移されるものとする」
 ゲチマンが希望を述べた。
「ここでだけは勘弁してほしい。どこか遠くへ連れていってくれ…」
 K少佐への判決は最前線での勤務に差し替えられ、「血でもって罪を償う」[懲罰隊への編入を指す常套句]ことが許された。後に、後方の飛行部隊で彼の姿を見かけた者がいたそうである…

 連隊はボブルイスク飛行場に3度の攻撃をかけ、数十の爆撃機やメッサーシュミットを破壊または撃破して、敵に大損害を与えた。そして9月1日までに第1予備飛行旅団へ編入されてヴォロネジに後退、再編成を行うこととなった。新たな機材と人員の補充が必要であった。実戦の中で鍛え上げられ、たくましさを増した歴戦の強者の一部は、いまだ「火薬の匂いをかいだことのない」新編部隊の基幹要員となるため、連隊を後にしなければならなかった。その中にはスピーツィンやドヴォイヌィフ、デニシュークといった「荒鷲」たちが含まれていた。そういう次第で、6月27日に前線へ赴いた搭乗員たちの中で連隊に残ったのは、コンスタンチン・ホロバエフとヴァシーリー・シェミャーキンの両大尉、パーヴェル・ジューレフ中尉、すでに第2中隊を任されていたニコライ・シニャコフ少尉、ヴィクトル・シャーホフ曹長とニコライ・スムルィゴフ少尉など少数のパイロットにすぎない。補充として若手搭乗員が送られてきたが、戦場に出たことのない者は年齢とは関係なくこのカテゴリーに区分されていた。このため、ヴォロネジでさえ隊員たちはのんびりと骨休めをすることはできなかった。朝から晩まで、補充パイロットを乗せた「イル」の群れがオソアヴィアヒム飛行場地区を旋回し、あるいは急降下を見せ、低空を這うように飛び回った。ただし機材と人員の不足はいかんともし難く、今や連隊はわずか2個中隊の編成となり、以前のように65機ではなく24機を定数としなければならなかった…

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(09.05.2010)


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