1941年の空 ヴァシーリー・エメリヤネンコ
極秘扱い
1941年5月、ハリコフ地区のボゴドゥーホヴォ野戦飛行場に駐屯していた第4襲撃機飛行連隊は、新たな機材を受領した。連隊(当時は第4軽爆撃機連隊と呼ばれていた)はフィンランド戦争を戦った経験を持ち、RZ爆撃機を乗機としていたが、それらの古い飛行機は5月以前に全て他部隊へ引き渡されていた。全ソヴィエト空軍の先陣を切って、いまだ正式名称がなく整理番号「N」の名でしか呼ばれていない最新鋭機に機種転換し、用兵及び運用面での評価を与えるという任務が連隊に与えられたのである。経験豊かなパイロットの一部は飛行機を受け取るため直接工場に向かい、残りの人員は装備機材について学ぶことになった。ややこしい配線図や燃料・潤滑油系統、冷却水系統、それに多くの整備員にもなじみのない油圧式の降着装置などを、機密扱いの説明書から苦心して書き写す。それからまた、一連の重要な数値も書き取り、頭の中に叩き込んでおかなければならない。例えばピストンの1ストロークの長さ、プロペラの直径、翼幅など…あるいは空力平均翼弦長、車輪の幅、垂直尾翼の高さ…さらに速度制限、計器の見方、「~が故障した場合には」で始まる数多くの注意事項、これらも全て憶えておく必要がある。
一方、工場に到着したグループは、1人ずつ時間をかけて新型機の操縦席に潜り込み、機器の習熟に努めた。1機の尾部を持ち上げ、順番に操縦席に座って、飛行姿勢ではエンジンカウルが地平線に対してどのように見えるかを体感する。別の機をクレーンで持ち上げ、非常時用の手動装置でもって主脚の上げ下ろしを行う。しかしながら、どれほど機体の特徴について口頭で説明されようと、また何度操縦席に座って講習を受けようと、飛行訓練は避けて通れない。そのためには、同じ機種に教官用の操縦席と操縦系統を追加した複座練習機が必要不可欠だ。しかし、そのような飛行機はまだ生産さえされていなかった。どうすればいいのだろうか?それでも何とかして解決策は見いだされた。まずは近距離爆撃機Su-2の複座練習機を手に入れる。Su-2は新型の襲撃機と離着陸速度がよく似ていたからだ。これにパイロットと教官を乗せて飛行訓練を行い、着陸時にはわざと速度を上げ、高速着陸に感覚を慣らした。その後、搭乗員たちは単独でも飛ぶことができるようになり、かくして6月初旬には17機の最新鋭機がボゴドゥーホヴォに到着する運びとなった。
夜になると、飛行機には覆いが掛けられた。防水布製のカバーをひもで綴じ、結び目に小さな札をつけ、これにパテを塗りスタンプを押すことで封印の代わりとする。濃い赤色の襟章をつけた兵士たちが、飛行機を警備するため特別に送られてきた。機体は極秘扱いとされていたのだ。ただし、連隊の定数は襲撃機65機であるべきところを、実際にはまだ17機しかいない。残りの機の到着は6月後半まで待たなければならなかった。
今やボゴドゥーホヴォの周辺では、力強いエンジンの爆音が早朝から日没まで絶えることなく響きわたっている。司令部は連隊の全搭乗員の機種転換を急がせていた。だが実際には、転換プロセスはそれほど順調に進んだわけではない。複座型の練習機は実戦機よりもずっと遅れて部隊に配備されたため、訓練に大きな支障をきたす結果となった。飛行訓練に際しては、数度にわたりSu-2を使うことを余儀なくされたほどであった。
最初の実機訓練は、全体としては問題なく行われたが、飛行中にエンジンが停止してしまった機体もある。そのパイロットは巧みに飛行機を操り、どうにか壊さずに着陸させることができた。しかし、しばらくして再び不時着事故が発生した。今度は脚が出なかったのだ。当時配布されていた暫定版のマニュアルでは、着陸の直前に主脚が出ないと分かった場合、パイロットは機体を放棄してパラシュートで脱出することになっていた。襲撃機は胴体着陸に際して転覆する(機首を地面に突っ込んでひっくり返る)恐れがあると見なされており、その上に火災が発生するかもしれず、搭乗員が逆さになった機体の下で操縦席に閉じ込められるケースが危惧されたからだ。
事故の当事者グリゴーリー・チュフノ少尉は、緊急用の手動ウィンチを使っても脚を出すことができなかったのだが、最後までパラシュートで脱出することなく、胴体着陸を敢行した。畑地に降りた襲撃機は、まるで飛行艇のように胴体で滑走し、盛大な土埃を巻き上げた。皆が驚いたことには、機体は転覆することなく、損傷も最低限度にとどまったのである。工場から派遣された技術者たちは、この出来事を調査した上で、胴体着陸を避けて空中脱出を行うべしという規定を削除した。事故の原因を作った張本人、主脚収容部の中につなぎの作業服を置き忘れるという大失敗をやらかした整備員でさえ、厳しい叱責だけで許された。彼のその不注意がなければ、パイロットたちは依然として胴体着陸を試みることなく脱出していたはずで、結果としてどれだけの機体が全損に帰していたか分からないのだ!
実戦部隊で行われた一連の試験の中で、本機は様々な欠点を指摘されており、今後の量産を迎えるにあたっては改修の必要がある。このため、設計者イリューシンと工場付きのテストパイロットたちがボゴドゥーホヴォを訪問することになった。その一方で飛行訓練は粛々と進められていたが、皆の待ち焦がれた休暇前の土曜日がようやくやって来た。搭乗員と整備員の多くは休みをもらうことにしており、ある者はハリコフへ、またある者はヴォルチャンスクの家族のところへ帰省するつもりでいた。だから、いつもより早く連隊整列の声がかかった時、「この分なら明るいうちに家へ帰り着くことができそうだ」と喜んだ隊員も少なくはなかった。だが、コジュホフスキー少佐 の口から発せられた命令は意外なものだった。
「休暇は取り消しとなった!明日、工場のパイロットと設計者がこちらへ到着するはずである。天候が許すならば試験飛行を実施する。以上だ。解散!」
それでも搭乗員たちは、翌朝には家に帰してもらえるものと期待していた。空一面が雲に覆われ、しっかりと張られた天幕の屋根を打つ雨音が皆をうんざりさせる、そんな天気だったからだ。
しかし翌朝、搭乗員たちは「起床!」の号令で目覚めることになった。どこからともなく、ぬかるみの中をバチャバチャと長靴で走る足音が聞こえてくる。扉代りのこわばった防水布が少しだけめくられると、当直員が顔をのぞかせ、かすれた声で「起床!」の号令を繰り返した。続いて、コジュホフスキーの怒鳴るような命令が響きわたる。
「外へ出て整列だ!急げ!急げ!」
「こんな朝っぱらから、しかもひどい天気だってのに、設計者様と工場のパイロット連中がお出ましになったのかね?」そんなことを思った者もいた。隊員たちが天幕の外に飛び出し、暗闇の中で列を整えようと右往左往している間に、コジュホフスキーはもう次の命令を下していた。
「第1中隊はテントを片づけ、私物と寝具を倉庫にしまう。第2、第3、第4中隊は飛行機を動かして飛行場の外側へ分散させよ。第5中隊はシャベルを集め、風車小屋のところに人員用の壕を掘る。警報が出た時と同じ手順で行動すること。軍管区司令部の方々が当連隊を査察に来られるのである。では作業にかかれ!」
どういうわけか、コジュホフスキーはタキシングのためにエンジンを始動させることを禁じたので、隊員たちは重量6トンに達する襲撃機を人力で動かし、緊密に組まれた2列の列線を崩していかなければならなかった。まず3人が重たい尾部を肩で持ち上げると、他の10人ほどが主翼の後端に取りついて飛行機を押して行く。宿営地では天幕が取り片づけられている。湿った寝具と中身の詰まったトランクが家畜小屋へ運び込まれた。風車小屋の脇に幅の広い壕が掘られているのを見つけると、コジュホフスキーはすっ飛んで行って、作業をしていた連中に駄目を出した。
「貴様ら、誰が酒蔵を掘れと言った!もっと狭く、狭く掘るんだ…幅は1人が通れるだけだ。それから、ジグザグに…ジグザグの形に掘らなきゃ駄目だ!」
作業は11時まで休みなく続いた。それから、何故か全員が風車小屋の前に集められたが、そこには拡声器が取りつけられていた。茶褐色の皮外套を身につけた連隊政治委員リャーボフが、両手を後ろに組んだまま行ったり来たりしている。
12時きっかりに、連隊の全員が放送を聞いた。
「本日早朝、ファシストの軍勢は宣戦布告を行うことなく、不意打ちにより我が国に対する侵攻を開始した…」
それから、連隊は小ぬか雨が降る中で集会を開いた。戦争が始まったのだ…そして再び訓練飛行が繰り返される…
開戦から5日目に命令が伝えられた。
「本日より前線に出動する!」
ほとんどの隊員が、これほど早く戦場へ向かうことになるなどとは予想だにしていなかった。いまだ編隊飛行も未経験であったし、演習場の標的めがけて機関砲や機関銃を一連射した者さえいなかったのだ!主翼の下に懸架すべきロケット弾は到着せず、正確な爆撃のための照準はどうやったらよいのかなどは想像すらできぬ有様である。操縦席内には、搭乗員の目の高さに望遠鏡式の光学照準器が据えつけられた。これを使えば爆撃も可能だという話で、工場付きのパイロットたちはその方法を知っているはずなのだが、結局のところ彼らがヴォロネジからここまで来ることはなかったのである…北西を目指して
第4襲撃機連隊は、その日のうちに前線へ移動することはできなかった。想定外の「些事」が重なって、部隊の行動を妨げたのだ。例えば、鉄道輸送で到着した小型爆弾用の爆弾架を取りつけようとすると、それらは―何たることか!―爆弾倉の中に収まり切らない、とくる。連隊のボリス・ミーチン技術主任を初めとする整備員と武器整備員たちは、手に血豆をこしらえながら、一晩がかりでこの作業に取り組まなくてはならなかった。実は爆弾架は相互に取り換え可能なものではなく、固有の番号を持っていて、決まった爆弾倉にしか据えつけられなかったのだが、そのことに気づくまでに長い時間を要したのである。
一方、搭乗員が前線へ飛ぶにあたっては、必要な地図を用意しなければならない。しかしそのための用紙は連隊本部にはなく、それどころかハリコフでしか入手できないのだという。用紙受領のため1機を派遣することで1日を浪費、その上ハリコフからは激しい雷雨により着陸は不可能だと言ってくる。連隊長は自らの責任で決断を下し、経験豊かなパイロットであるウラジーミル・ヴァシレンコ上級政治委員と航空監視員のヤーコフ・クヴァクトゥンに任務を託すと、雷雨前線をついて連絡機を送り出した。機は豪雨に巻き込まれ、雷を避けて飛ぶうちに針路から外れてしまったが、道標となる鉄道を見つけてどうにかハリコフへ到着することができた。その夜のうちに、紙を貼り合わせて全長500キロに及ぶ飛行ルート図が作成された。出来上がったのはシーツと見まがうほどの巨大な地図である。これを蛇腹に折りたたんでみれば、地図ケースに入り切らないほどの分厚い束になってしまった!結局のところ、バラバラに切り分けるしか方法はない。
前線への移動は困難なものになると予想された。最初の給油予定地として定められたのは、ブリャンスク近郊のカラチェフであった。航法士の計算によれば、燃料はかろうじて間に合う程度である。もしも飛行場に何らかの故障が生じた場合、空中待機のための旋回ができるかどうかすら心許ない。しかも、問題はそれだけではなかった。試作段階で生産された7機は、他の機体に比べて航続距離が数分間短かったのだ。ちなみに、こうした「特別機」はパイロットの中でも最も若いスムルィゴフとシャーホフに割り当てられた。
この同じ日、師団長プツィキン大佐が飛行場に姿を現した。気ぜわしく歩き回っては出発を急がせ、相手かまわずどなりつける。夕方までには、大佐の喉はすっかりかれてしわがれ声になってしまい、あとは恐ろしげな目つきで周囲を睨みつけるより他はなかった。一方、作業は夜遅くまで途切れなく続けられる。皆、敷き布も敷かれていない乾草置き場で、倒れ込むようにして眠りに入った。その前に、雑然と積み上げられたトランクの山の中から自分のものを掘り出し、必要最低限な品を取り出してポケットに詰め込むというひと仕事がある。石鹸、タオル、剃刀とブラシ、歯ブラシ…スムルィゴフはセーターを引っ張り出そうとして、思い返した。
「寒さが来るまでには、戦争は終わっているだろうよ」
…6月26日、5個飛行中隊の飛行機は暖機をすませ、整然たる縦列を作って飛行場の端に並んでいた。搭乗員は操縦席の中で待機している。7機の試作機の燃料タンクにギリギリ一杯までガソリンを注ぎ込むべく、給油車は時間をかけて飛行機の間を回った。
やがてプロペラが回転を始め、ステップに轟音が響きわたると、中隊は15分間隔で離陸に移り、針路を北西に取って次から次へと飛び立っていった。地上ではきれいに並んでいた飛行機も、空中に上がってみると団子のような固まりでしか飛ぶことができない。多くのパイロットは操縦席内の機器に習熟しておらず、計器の名が書かれたプレートを見てようやく必要なメーターを探し当てるという有様だ。手許に熱中しすぎて、ハッと顔を上げて見ると隣の飛行機にぶつかりそうになっており、その機は脇へ飛び退いて衝突を回避、さらに次の機がこれを避ける…最終的に編隊飛行のコツをつかんだのは道も半ばをすぎた頃で、それまでの飛びっぷりは実に危ういものであった。列機は最後まで、あの巨大な地図を使わずじまいだった。並んで飛ぶ僚機から片時も目をそらすことができず、方位を測定するどころの話ではない。自分たちが今どこにいるのか、理解していた者は少数しかいなかった。編隊の運命は長機のパイロットに委ねられたわけだが、彼らは天晴れなものだった。皆を間違いなくカラチェフへと導いたからだ。
ただし、何機かは燃料タンクが完全に干上がった状態で着陸し、タキシングすらできず牽引車の助けを借りることになった。また、航続距離が短い機体の一部は燃料消費の計算を誤り、カラチェフの手前で緊急着陸を余儀なくされた。副連隊長もまた目的地にたどり着けなかった。彼は最近連隊に着任したばかりで、幸先の悪いスタートを切ることになってしまったわけだ…彼らの捜索が始まった。同時に、カラチェフではさらなる移動の準備が進められる。搭乗員たちは自ら給油を行い(整備スタッフを乗せた輸送機Li-2はまだ到着していなかった)、ミンスクまでの飛行ルートを地図に書き入れた。
食堂では長いこと順番待ちをさせられた。様々な地区の飛行部隊がここカラチェフに集結し、人員でごった返していたからである。ようやくベッドに倒れ込んだ時にはすでに夜も更けており、昨夜は昨夜でボゴドゥーホヴォでは一睡もしていない。頭の中ではまだエンジンの音が響いているような気がする…
しかし、隊員たちは寝入りばなをまたまた叩き起こされる羽目になった。窓の外を見ると、夜空は稲妻に彩られ、雷がドロドロと大砲のような音を立てている。だが、連隊長が受けた命令は過酷なものであった。
「天候が回復するまで、飛行機の中で待機せよ。一分一秒たりとも無駄にはできぬ。前線が諸君を待っているのだ。夜明けと共に出発しなければならない」
鼻をつままれても分からぬ暗闇の中、激しい雨に打たれながら、搭乗員たちは駐機場へ走った。自分の搭乗機の機体番号は、稲光を便りに確認するしかない。ある者は風防ガラスを閉め切った操縦席の中で雨をしのぎ、またある者は主翼の下にしゃがみ込んで次から次へと巻きタバコを吸い続けた。雷雲はゆっくりと西の方に退き、そしてついに雨が止むと、東の空が明るくなり始めた。エンジン始動を命じる緑の信号ロケットが打ち上げられる。各中隊は再び、次々に空中へ飛び上がって行った。
次なる中継地点はスタールイ・ブィホフ地区に設定されていた。行程のおよそ半ばまで飛んだ時、連隊は激しい雨に巻き込まれた。列機は長機を見失うまいと、命令も出ていないのにすぐ接近して来、お互いの翼が縫いつけられているかのような密集隊形で跳び続けた。この度はカラチェフを出発した全機が、落伍者を出さずに目的地へ到着することができた。
飛行場では、シャベルやもっこを手にした数百人の作業員が働いていた。コンクリート舗装の滑走路を建設しているのだ。飛行場の中央には砂と砕石がうずたかく積み上げられ、そこここでトラックが走り回る。襲撃機以外にも、戦闘機と爆撃機の部隊がここに集まっていた。飛行機は建設中の滑走路の右側へ着陸し、同時に左側から離陸する予定であった。
中隊長たち、スピーツィンとクルィシン、サタルキン、レスニコフ、ドヴォイヌィフの5大尉は、機体番号1号機と2号機、すなわち連隊長ゲチマン少佐と連隊政治委員リャーボフの乗機の周りで、長いこと2人の帰りを待っていた。連隊長と政治委員は、先にこの飛行場へ到着していた飛行隊が今後どこへ行くのか、確認するため走り回っていたからだ。それらの部隊は、開戦劈頭すでに大打撃を受けた飛行連隊の生き残りであった。ゲチマンとリャーボフは、精根尽き果てたといった顔つきのパイロットと言葉を交わしていた。空色の襟章に長方形のマークが3つ、これは空軍中佐の階級章である。第4襲撃機飛行連隊はベラルーシ軍管区航空軍司令の指揮下に入ることになっていたので、ゲチマンは中佐に尋ねた。
「航空軍司令部との連絡はありますでしょうか?」
「いいや…」
「司令部の所在地はどこでしょうか、ミンスクですかね?」ゲチマンは質問を重ね、同時に考えを巡らせていた。「もしも電話で司令部まで連絡できないようなら、到着を報告するためこっちから飛んで行かなければならんだろうな。愚図愚図してはおられん」
しかし、中佐の返答はこちらを愕然とさせるものであった。
「ミンスクにはもうドイツ軍の戦車が入ってきてますよ」
「それは挑発的なデマ情報ではないのですか?」リャーボフが言ったが、中佐はこの目ではっきりと見たのだと述べて自らの言葉を裏づけた。実際、彼は数日前まではさる飛行隊の長として国境地帯に駐屯していたのだが、6月22日払暁に敵機の爆撃を受け、大部分の機材を失ったのだという。
「今のところ、前線はどの辺りに形成されておりますか?」ゲチマンが言った。長年の間に身についた習慣で、彼はすでに地図入れを取り出し、現在の状況をそこに記載しようと待ち構えた。様々な情報に通じているらしいこの中佐であれば、戦況も理解しているはずだ。
「前線について把握している者など、まだ1人もいませんよ…私は空の上から見たのですが、まるでパイの皮のように敵味方が重なり合っていました。友軍の一部がまだミンスクの西で戦っているかと思えば、それよりずっと東の街道上をドイツの機械化部隊が前進しているという状況で…」
スタールイ・ブィホフ地区に到着していたのは搭乗員だけであった。連隊を前線に進出させるため、2機のLi-2輸送機がボゴドゥーホヴォ飛行場に送られ、およそ50人の人員を運ぶことになっていた。整備員と武器整備員、通信員、それに連隊本部の作戦要員の一部がこれらの輸送機で移動する。残りの人員およそ500人は、本部の備品と部隊の補給物資を携え、16両の貨物列車に乗って鉄道で前線へ向かった。これ以外にも、カラチェフに残った一部の隊員を迎えに行くため、2機の輸送機が派遣された。彼らは皆遅れて到着したが、連隊はそれからすぐに新たな移動と戦闘参加の準備を整えなければならなかった。索敵攻撃
スタールイ・ブィホフ飛行場の上空低く、1機のU-2が進入してきた。その飛行機は、襲撃機が並ぶ駐機場のすぐ近くに着陸した。
「あれはナウメンコ大佐じゃないのか?」
ニコライ・フョードロヴィチ・ナウメンコは、戦前にはコーペツ将軍の下で軍管区航空軍の副司令官を務めていた人物である。ファシスト・ドイツ軍の侵攻が始まるずっと前から、国境の軍管区では、戦争の開始も間近しと感じさせるような出来事が頻発していた。とりわけ6月にはドイツ軍機による領空侵犯が数多く報告された。そこでコーペツは、自分の上官にあたる軍管区司令官、尊大でとっつきにくいD.G.パヴロフ大将に意見具申し、「厚かましい連中を懲らしめる」べく許可を得ようとした。しかしパヴロフ大将は、6月14日付で広く報じられていたタス通信 の記事を論拠に、迎撃戦闘機の出動を認めようとしなかった。この記事によれば、「ドイツが不可侵条約破棄とソ連への侵攻を目論んでいるとの噂は、いかなる根拠をも持つものではない」ことになっていたのである。
「挑発に乗ることはまかりならん!」パヴロフは叩きつけるように言って会話を終わらせた。
しかし、敵の大部隊が国境付近に集結していることは確実となり、ドイツの偵察機も大っぴらに我が軍の飛行場の上空を飛び回るようになった時、コーペツはナウメンコを伴い、再び司令官の下を訪れた。
「航空隊を予備の飛行場へ分散させるよう、許可をいただけないでしょうか」
「君らも視野の狭い人間だな」これがパヴロフの答えだった。「やつらに挑発の口実を与えるような行動は、断じて許すわけにはいかん!そんなことよりも、私の指示通り演習の準備を進めたらどうだね。思いつきではなく、実際の仕事をしてくれ給えよ!」
まさに6月22日、ブレストの軍試験場では大規模な実験演習が行われることになっていた…
ドイツ空軍による大規模な攻撃の第一波が去った後、コーペツは自ら連絡機に乗り、空襲の直後から連絡が途絶している飛行場全てを見て回った。行く先々で彼が目にしたのは、無惨に焼けただれた飛行機の残骸であった。あまりにも巨大な打撃を被ったのだ。コーペツ司令官は、自らが指揮する軍管区航空軍の司令部に戻ると執務室に籠もり、拳銃で自決して果てた。当時、この悲劇の真相について知る者はごくわずかしかいなかった。
今や西部方面の航空軍を指揮する身となったナウメンコ大佐の双肩には、極めて困難な任務がのしかかっていた。生き残った飛行部隊をかき集め、組織的な戦闘を行わせなければならない…ドイツの破壊工作員が中継施設や電線を破壊してしまったため、通信手段を失ったナウメンコは麾下の諸隊を掌握することができず、自ら連絡機U-2を駆って連日のように飛行場から飛行場へと飛び回り、実戦部隊に任務を与えていた。これらの任務は、地上部隊の動きに合わせて設定するものであり、必要な情報は西方戦線もしくはその戦闘序列に入った諸軍の司令部で入手できるはずであった。だが、司令部は頻繁に所在地を変えており、時にはその現在位置を突き止められない場合もある。そういう時には、街道を移動中の部隊を空中から見つけて近くに着陸し、司令部の居場所を聞き出さなくてはならなかった。当時ナウメンコが部隊に与えていた最も典型的な命令は「索敵攻撃」である。その意味するところは、自分で敵を見つけて自分で攻撃せよ、ということなのだ。
6月28日、この日も戦線司令部の捜索を続けていたナウメンコ大佐は、スタールイ・ブィホフからドニエプル川に沿って北に伸びる道をくまなく「梳いてみる」ことに決めた。そしてモギリョフまで行き着かぬうちに、盛大な土埃を上げて田舎道を疾走する1台の軽自動車が目に入った。車は大きく向きを変えると、森の中へと入っていく。上空を旋回しながら地上を注視していた大佐は、深い茂みの中にいくつかのテントと自動車を見いだした。そこでナウメンコは、近くの野原に飛行機を着陸させると、森の脇に停車していた「エムカ」〔GAZ-M-1型自動車の愛称〕に歩み寄った。運転手はどこかで見たことのある顔だ。
ナウメンコは尋ねた。
「誰を運んできたのか?」
「サンダロフ参謀長です、同志大佐…」
「何と!」ナウメンコは喜んだ。第4軍の参謀長サンダロフ、幻に終わった6月22日のあの演習計画を一緒に準備したサンダロフを、偶然にも探し当てることができたのだ。
森に分け入ったところでナウメンコが目にしたのは、テントの脇で折り畳み式のイスに腰かけている、西方戦線司令官パヴロフの姿であった。その傍らではサンダロフが、机の上に地図を広げ、何事か報告を行っている。パヴロフはこの数日間で目立って憔悴し、背までもが少し猫背になったようで、ナウメンコが最後にミンスクで会った時の尊大な司令官の面影はどこにもなかった。パヴロフは小さな声でサンダロフに指示を下した。
「ボブルイスクを奪還せよ…以上だ」
司令官の周りは、地図だの書類だのを携えた参謀将校でごった返していた。ヴォロシーロフとシャポシニコフの両元帥がモスクワから来ることになっており、その到着が今や遅しと待たれていたのだ。パヴロフは離れたところに立っているナウメンコの姿を認めたようだが、すぐにその無関心な視線をそらせた。
「やっこさん、今はどうやら空軍どころの話じゃないようだな」
ナウメンコはパヴロフに見切りをつけると、自分の車に向かうサンダロフを追いかけてこう尋ねた。
「今、どこにおられるのですか?」
「ベレジナ川の対岸、ボブルィスクから西に3キロの地点だよ。襲撃機を送って渡河点を攻撃させとる。どんなものだろうかね?」
「いいじゃないですか!その意気でやって下さいよ!ところで、右翼側のお隣さんはどこに位置しているんですかね?」これは第13軍のことを聞いたのである。
「ミンスク地区のどこかで戦っておるはずだが…我々の司令部まで来てくれたら、そこで話をしよう」サンダロフはそう言い置いて車のドアを閉めた。
ナウメンコは別れ際に忠告した。
「できるだけ上空に注意して下さいよ。メッサーシュミット が暴れ回っていますから」
そうやってサンダロフを送り出した後、周りの参謀将校たちに第13軍司令部の所在地を聞いて回ったが、彼ら自身もはっきりとは把握していないらしい。戦線司令官からは第13軍に対してミンスク地区の死守命令が出ており、これを伝えるため連絡将校がU-2で派遣された由である。
ナウメンコは自分の飛行機を操って野原から飛び立つと、スタールイ・ブィホフに針路を取った。高度はできるだけ低く抑え、木々が飛行機の翼を叩かんばかりだ。そして自らもサンダロフに忠告した通り、上空を警戒しながら飛行を続けた。空には雲ひとつなく、太陽が明るく輝いている。そのままスタールイ・ブィホフに接近したのだが、見ると4機のメッサーシュミットが飛び回っているではないか!
「気づかれないうちに着陸できるか?」
ナウメンコの期待も虚しく、敵戦闘機はこちらを目指してまっしぐらに舞い降りてきた。逃れる道はただ1つ、急いで機体を地面に下ろすしかない。彼は直ちに着陸すると、飛行機から逃れ出て茂みの中に身を隠した。続いて敵機からの一連射、そしてさらにもう一撃。U-2の布張りの翼はたちまち炎上し、その後に起きた爆発は炎上する機体の破片を周囲に振りまいた。
埃にまみれ、無精髭だらけのナウメンコがゲチマン連隊長の待つ指揮所に姿を現してからいくらも経たないうちに、伝令兵が各中隊へ走り、爆弾の搭載と機関砲・機関銃の装弾を進めるようにとの命令を伝えていた。しかし、隊の整備スタッフは数えるほどしかおらず、整備員と武器整備員1人ずつで5機の飛行機を担当しなければならない。武器整備班は、モスクワから輸送機で運ばれてきたばかりの大きな赤い箱を開いた。箱の中にはロケット弾が入っていた。この兵器を翼に吊す作業は今回が初めてであった。工場から派遣されてきた私服姿の技術者が、整備員たちに取り扱いの方法を説明して回る。ある飛行機ではシューッという音が響いたかと思うと、ロケット弾はたちまち火を噴く小さなほうき星と化し、耳をつんざくような音を立てて森に飛び込んでいった。また別の飛行機では、機内の電気系統のスイッチを切り忘れていたため、折角装備したロケット弾が地面に落ちてしまった。
大騒動の一日もようやく暮れようとする頃、第1中隊長スピーツィン大尉とその副長であるフィリッポフ上級政治委員、ホロバエフ大尉は、すぐに連隊長の下へ集まるよう命ぜられた。3人は急いで出頭したが、そこで待っていたのはナウメンコ大佐だった。厳格な顔つきの大佐は、チェビオット・ラシャ織りのギムナスチョルカ[軍服の上衣]を着込み、胸には2つの赤旗勲章を光らせ、木製のケースに入れた大型のマウザー拳銃を吊っている。集合した搭乗員たちに対し、ナウメンコはこう命じた。
「3機でボブルイスク地区を索敵攻撃せよ。ベレジナ川以東には手を触れるな、川より西で発見した目標は攻撃してよろしい。質問は?」
かくして初の出撃命令は、極めて簡潔に、たった2つの短いフレーズで発せられたわけだ。スピーツィンとフィリッポフはフィンランド戦争を経験した古強者であり、ホロバエフもテスト飛行であらゆる経験を積んだ練達のパイロットであったから、これで充分と思われたのかもしれない。
隊員たちから質問が発せられないのを見てとると、ナウメンコは厳しい口調で言った。
「かかれ!」
3人は挙手の礼をし、左回りで後ろを向くと、搭乗機へ向かって駆け出した。そしてこの時になって初めて、質問すべきであった事柄が次から次へと頭の中に湧いてきた。そもそも何を偵察すればいいのか?どの目標を、何を使って攻撃するのか?ベレジナ川から西へはどれだけ侵入しなければならないのか?飛行ルートと高度、編隊の組み方はどのように決めるのか?
これらの質問に対して、答えられるのは自分たち自身しかいないのだ。まず最初に、今から飛ぶコースを設定する。地図上にはスタールイ・ブィホフから真っ直ぐ西へ向けて直線が描き入れられた。この飛行ルートはボブルイスクよりも北でベレジナを横切り、川から30キロほど進んだところで左回りに180度向きを変え、そのままスルツク街道へと至っている。その他の決定は迅速に下された。飛行高度は20から30メートル。ホロバエフが右を、フィリッポフが左を飛んで編隊を組む。以上、搭乗開始だ!
襲撃機の傍らでは武器整備員コマハ少尉がホロバエフを待ち受けており、武装についての報告を行った。「イル」の翼下にはすでに8基の長大な「インゴット」が装着されていて、鋭く尖ったその先端には起爆用の風車が、また尾部にはロケット噴出口が顔をのぞかせている。ホロバエフは手早く落下傘のハーネスを装着すると操縦席に潜り込み、ロケット弾と爆弾の電気式投射装置をセットアップしようとして、その手順を思い出すのに頭を悩ませた。辺りを見回すと、連隊兵器主任ドレムリューク大尉の姿が目に入ったので、手を振って彼を招き寄せる。ドレムリュークは息せき切って駆けつけ、主翼の上に飛び乗った。
「爆弾投下装置の電気系統だが、どう設定すりゃいいんだ?」
「爆撃の方法はどうするんです、1発ずつか、何回かに分けるのか、それとも全弾投下で?」
「分かるわけねえだろ!状況次第でやるしかないんだよ…」
「それなら、1発ずつにしておきますよ」ドレムリュークはそう言って、レバーを必要な位置に切り替えた。
「ロケット弾の発射は?」
ドレムリュークは再びレバーを左右に動かしたが、そこで固まってしまった…それから、眉毛が隠れるほど深くピロトカ[略帽]をかぶり直すと、後頭部をかいた。
「あのですね、同志大尉、ちょっと待っててくれませんか、工場から来た技術者を呼んできますから。一緒にロケット弾の説明をしてもらいましょう」彼はそう言ったかと思うと、風に吹き飛ばされたかのような勢いで翼から飛び降りた。
だが、すでにドレムリュークの帰りを待つ余裕はなかった。スピーツィン機もフィリッポフ機も、すでに列線から移動を開始している。ホロバエフはエンジンを始動させ、スロットルを開くと、僚機を追って離陸地点へ向かった。飛行機の後方では土埃が立ちこめ、草が薙ぎ倒される。周囲を見回したホロバエフは、風に飛ばされないよう手で帽子を押さえた2人の男が、はいつくばるような格好で懸命に飛行機を追いかけてくるのに気づいた。一方はドレムリューク、灰色の地に格子柄の入った鳥打ち帽をかぶったもう片方は工場のエンジニアだった。2人は離陸地点でようやく飛行機に追いつき、主翼によじ登って両側から操縦席にしがみつくと、ホロバエフの両方の耳に口を寄せて我がちに説明を始めた。こちらはエンジニアに聞き返すのが精一杯である。
「ロケット弾を発射する時、照準はどうやって合わせるんだ?」
「この十字を的のところに持ってきてぶっ放す、それだけでOKだよ!」
「了解!急いで降りてくれ、これから発進する…」
キャノピーを開けたまま、ホロバエフは両腕を交互に突き上げて「離陸準備完了」の合図を送った。襲撃機には無線機が装備されているにもかかわらず、古めかしい手信号を使ったわけだ。無線の存在は完全に忘れ去られていた。機器の調整自体はすでにボゴドゥーホヴォ駐留時から試みられていたが、イヤホンからはフライパンで脂身を炒めている時のようなパラパラという音が聞こえてくるだけで、他には何ひとつ聞き取ることができない。エンジン音をかき消すこの雑音のせいで、当時の搭乗員たちは無線の使用を完全に諦めてしまっていた。
離陸し、楔形の編隊を組み、予定通りの進撃路に沿って飛行を続けながら時間を地図に記入する。
「どのように目標を識別したらいいだろうか?」3人のパイロットは考えを巡らせていた。「前線の現位置は地図に示されてないし、戦況もはっきりしない。友軍への誤爆だけは避けなければ…」
しかしその一方で、自分たちが対空砲火で落とされるかもしれないなどという考えは、彼らの頭をかすめさえしなかった。例えばホロバエフにしても、前線に向かう前から、襲撃機の装甲による防御力を固く信じて疑ったことがない。いよいよ出動が迫った時、彼の幼い息子が飛行場にやって来た。父が戦争に行くのだと知って、泣きながら駆け込んできたのだ。
「パパ、死んじゃわないよね?…」
「俺が?」ホロバエフは目を細めて見せた。「こんな飛行機に乗ってるのにか?!見てろよ!」彼はやにわにピストルサックから拳銃を取り出すと、自分の搭乗機に歩み寄り、操縦席脇の胴体を狙い撃った。それから、弾丸の命中箇所を探し出し、息子に見せてやった。色鮮やかなペンキの上に残ったのは小さなしみだけで、装甲板はくぼみさえしていない!
もちろん、ホロバエフは自分の息子だけでなく、自分自身や仲間たちをも安心させるためにこんな「実験」をやってのけたのだ。この時から彼は装甲の強靱さを信じ切っており、ボブルイスクに針路を取りながらも、戦場で待ち受けているはずの危険については考えが及ばなかった。
エンジンは順調に回転し、計器にも異常は見られない。各機は編隊を維持しつつ、ベレジナ川まで進撃を続けた。人気のない道路を何本か飛び越えた後、未舗装の田舎道の上でようやく、背に大きな包みを負った子供連れの女性の姿が見い出された。森の向こうから現れた飛行機に驚いて、女性は子供の手をつかむと、茂みの中に身を隠した。路上に放り出された包みからは砂埃が立ち上っている…それから、森陰にひっそりとたたずむ農場が翼下をかすめて見えた。家畜はおらず、生命の徴候を示すものも何ひとつ見当たらない。「ベレジナ川以東には手を触れるな」というナウメンコ大佐の厳命が思い出された。実際のところ、手を触れるべきものは何もなかったのだ。至る所で重苦しい、そして不安を呼び起こすが如き空虚が広がっていた。
ベレジナを越える。東岸に地上軍の姿は見られない。天然の水堀たるこの川でファシストの軍勢を食い止めるはずの部隊は、一体どこに行ってしまったのか?針路の左手、ベレジナの西岸にボブルイスクの街が見えたが、その上空には禍々しい黒煙が立ち込めている。3機の襲撃機は、ベレジナの西に広がる鬱蒼とした森林のすぐ上を飛び、攻撃目標を探した。パイロットはそれぞれ速度を上げ、弾や破片が飛び込まないよう滑油冷却器の装甲シャッターを閉にした。マニュアル通りの操作だ。やがて変針の予定時刻となったので、機体を旋回させる。左の翼端は松の梢に触れそうなほど低く傾き、逆に右の翼は天を指して持ち上げられた。旋回の半ばで3機はスルツク街道の上空に飛び出したが、そこで目にしたのは路上を進む行軍縦隊であった…
もっとも、この時3人が目撃した光景は、縦隊などという言葉で表現できる代物ではなかった。それは途切れることなく続く機械の洪水であった。戦車、幌つきのずんぐりしたトラック、大砲を牽引したトラクター、そして装甲車等々が、数列に分かれてボブルイスクを目指しているのだ。道の両脇では、サイドカーのついたオートバイが、でこぼこの路面で車体をバウンドさせながら進んでいる。戦車の車体に描かれた白い十字のマークが搭乗員たちの目に焼きついた。敵の地上部隊だ!だが、ファシストどもは何故、かくも大胆かつ無警戒でいられるのか?袖をひじまでまくり上げ、戦車の砲塔や装甲車の上に腰かけたままハッチの中に脚をぶらつかせている敵の兵士たちは、どうして逃げもしなければ撃ってもこないのだろうか?
3機はまさに敵の上空で旋回を終え、再び水平飛行に移った。搭乗員たちは数度にわたって投下ボタンを押し、爆弾の重量から解放された襲撃機はその度に機体を軽く震わせた。爆弾は照準も何もつけぬまま、目視で見当をつけてばらまく。リンゴが落ちる隙間もないほど密集した車列に向かって低空から爆撃するのだから、外す方が難しいくらいだ!爆弾には遅発信管がついていたので、パイロットが自ら投下した爆弾の爆発を見ることはできなかったが、縦隊の中でパニックが始まったのがよく分かった。2台のトラックが衝突して1台が道路脇の溝に落ち、もう1台からは兵士たちがクモの子を散らすように逃げ、また道から外れたオートバイが一目散に森へ逃げていくのをホロバエフは操縦席の中から見ていた。と、地上から飛行機に向かって、光り輝く点線のようなものが飛び始めた。その数は見る見るうちに増え、間もなく飛行機はたくさんの光の束に取り囲まれてしまった。一瞬、ホロバエフは何が起きているか理解できなかった。初めて目にする光景だったからだ。それから、ガチャンという短く激しい音が響くのを聞いて身震いした。もっとも、エンジンの轟音により他の物音は全てかき消されてしまっていたから、聞いたというよりは体で感じたのかもしれないが。見ると、風防前面の防弾ガラスに白いしみができ、そこから放射状のひびが広がっている。
「やりやがったな!」ホロバエフはようやく我に返った。「とにかく撃って、撃ちまくるんだ!…」
彼は操縦桿をまさぐったが、すぐにはロケット弾の発射ボタンを見つけることができなかった。取り敢えず指に触れたものを押してみる。と、翼の下から火炎の帯が噴き出し、前方に向かって飛んで行った。もう一度、さらに一度ボタンを押す。またもや火を噴く彗星が現れ、あっと言う間に見えなくなってしまった。ロケット弾はどこで炸裂しているのだろう?怒りを込めて再び発射ボタンを押したが、あまりにも力を入れすぎたために操縦桿も前に倒れ、飛行機を少しつんのめらせてしまった。今度はロケット弾はすぐ近く、敵の縦隊の真ん中で爆発した。何という光景だったことだろう!ホロバエフは自分の目を信じることができなかった。粉砕された大型トラック、細切れになった幌布、その他諸々の破片が空高く吹き飛ばされたのである。一撃お見舞いしてやったのだ!しかし、敵軍はまだまだ数え切れぬほど残っており、四方八方からホロバエフの機を目がけて撃ってくる。やつらを殲滅しなければならない、だがどうやって?思い出した。「機関砲だ!」発射ボタンを押したが、砲は沈黙している。「間違ったボタンを押したのか?」ホロバエフは混乱した。「いや、これで合ってる。もしかして弾詰まりか?」再装填のレバーを動かし、再び発射ボタンを押してみたものの、機関砲は相変わらず反応してくれない。下方には途切れることなく攻撃目標が見え続けているというのに。
心の中でドレムリュークを罵りながら懸命に再装填を試みるうちにも、襲撃機はボブルイスクの街の外に飛び出そうとしていた。前方では黒煙が風を受けて斜めに広がり、市街地を覆っている。ホロバエフは左に急旋回してこれを避け、木造家屋の屋根をギリギリの高さで飛び越えた。灰の混じった煙から逃れて街の北側に出ると、地上にはやはり数え切れないほどの大軍がひしめいている。
「こっちにも敵がいるのか!」
機を上昇させ、続いて角度をつけて降下し、発射ボタンを押す。機関銃が軽快な音を立てて撃ち出した。色とりどりの炎の矢がフリッツ[ドイツ兵]どもを薙ぎ倒していく様は、何と爽快なことだろう!敵の自動車が爆発した。もう1台も炎上している…その時突然、すぐ近くで何かがきらめき、金属製の打撃音が聞こえたかと思うと、襲撃機は激しく揺さぶられ、燃料タンクの装甲カバーが目の前にそそり立った。どうにか機体の姿勢を水平に立て直したところでもう一撃。機の高度はストンと落ち、パイロットの体は操縦席からずり落ちてシートベルトが肩に食い込んだ。そして燃料タンクの蓋も、再び垂直に持ち上げられた。敵の対空火器が正確な射撃を浴びせてきたのだ。
《どうやらお前の人生も『蓋』をされる[「一巻の終わり」を意味する俗語表現]ことになりそうだぞ、コースチャ・ホロバエフ!》
彼は襲撃機を縦横無尽に飛び回らせ、機関銃の銃身も溶けよとばかりに連射を繰り返した。
「今さら銃の焼きつきを気にして何になる?どのみち、この地獄から生きて出られるわけはないんだ。どうせ死ぬなら派手に歌ってやるさ!」
すでに1500発の銃弾を撃ちつくし、機関銃は沈黙していたが、ホロバエフは機体を上下に揺らしながら敵の車列の上を飛び続けた。見ると、機はいつの間にやらベレジナ川の上空に出ており、炎に包まれたボブルイスクは遙か後方に遠ざかっていた。行く手に広がるのは緑の森林で、辺りは静けさに包まれていた。ただエンジンだけが、けたたましくも甲高い音をまき散らしている。
ホロバエフは機首を右に向け、基地への針路を取った。今や太陽の位置は背後に変わり、その光が束となって操縦席を照らした。側面の風防ガラスには油膜がへばりつき、水滴が光を受けて輝いていた。計器に目をやると、潤滑油の圧力はゼロに等しく、また冷却水と潤滑油の温度はレッドゾーンにさしかかっている。そして、何かが焼け焦げる強烈な臭いが漂ってきた。
「このままエンジンが息切れしたら、森の中へ落っこちてしまう」
その時になってホロバエフは、自分がいまだ全速で飛び続けていること、攻撃から離脱した後に滑油冷却器の装甲シャッターを開き忘れたこと、そのためエンジンが過熱してしまっていることに気がついた。シャッターの開閉レバーを押し、同時にスロットルを絞る。眼下の森にくまなく目を走らせ、不時着の際に機体を受け止めてくれるような草原を探すが、そんなものは見当たらない。そのうち、冷却水の温度は少しずつ下がり始めた。
「もしかすると、飛行場まで行けるかもしれんぞ」ホロバエフは考え、そこでハッとした。「スピーツィンとフィリッポフはどこだ?」だが、何度周囲を見回しても2人の乗機見つけることはできなかった。
…森の脇に設けられた駐機場まで飛行機をタキシングさせ、エンジンを止めたところで、ホロバエフは全身の力が抜けてしまったように感じた。操縦席の背にもたれ、目を閉じ、両腕をだらりと下げる。外からは皆の声が聞こえてきた。搭乗員や整備員たちが彼のところへ駆けつけたのだ。ホロバエフは頭から飛行帽を脱ぎ捨て、落下傘の金具を外した。シートの上に立ち、風防ガラスの枠に手をかけ、いつものように両脚をそろえて軽々と操縦席の外に飛び出し…そして、派手な音を立てて主翼に開いた大穴の中へ転落した!つなぎの飛行服は何かに引っ掛かって布地が裂けるような音を立てているし、手も切ってしまったようでひどく痛む。コマハ少尉が駆け寄り、ジュラルミンのギザギザの縁にくわえ込まれた飛行士を穴の中から救い出した。少し脇へ離れ、改めて愛機の姿を眺めたホロバエフは、すぐには自分の目を信じることができなかった。機体はくまなく敵弾によって撃ち抜かれ、大小様々な穴だらけになっている。ピカピカの新鋭機の面影はどこにも残っていない。ボゴドゥーホヴォで拳銃の的となった時にはかすかに黒ずんだだけの装甲板も、今ではボロ切れ同然の姿となり、機体は先端から尾部に至るまで油にまみれていた。
「よくもこれだけ穴を空けてくれたもんだ!」彼は感嘆したように言った。「我ながら、こんなザルみたいなのに乗って、どうやって帰ってこれたのかね?」
パイロットの周りに皆が集まった。誰かが聞いた。
「これは一体?…」
ホロバエフは血だらけの手のひらを唇につけ、いまいましげに草へ唾を吐くと、肩章で手を拭った。
「対空砲火だよ…」それから尋ねた。「スピーツィンとフィリッポフは帰ってきたのか?」
「帰りましたよ!もう報告に行ってます」
「そんなら行っといてもらおう、俺は後でいいや…」ホロバエフは周りの誰かが持っていた巻きタバコをひったくるようにして取り、さもうまそうに深く吸い込んで、マホルカ〔当時のソ連で一般的であった安物の手巻きタバコ〕特有の青みがかった濃い煙を吐き出した。
連隊技術主任ミーチン大尉が近寄ってきて、ホロバエフの肩に手をかけると、心のこもった口調で言った。
「初出撃おめでとう、コースチャ!」
「スピーツィンとフィリッポフは手荒くやられたのか?」ホロバエフは尋ねた。
「翼に何発かずつ喰らってる」
「それじゃ、まだ飛べるんだな?」
「もう爆弾を吊してるよ!明日また出撃だ」
「俺のはどうしたもんかね?」ホロバエフは自分の愛機をあごで指し示した。
「貴様のはお役ご免だろうな…」
連隊長が来た。彼は黙ったままホロバエフと握手を交わすと、すぐミーチンに向かって命じた。
「急いでこの飛行機を格納庫に入れるんだ。誰にも見せてはならん!」
鈍重な巨人機TB-3がきれいな9機編隊を組み、ボブルイスク方面に飛び去っていった。戦闘機による護衛はなかった。ベレジナ川を越えて帰ってきたのはそのうち6機、しかも1機のメッサーシュミットが後ろにくっついている。敵機はTB-3の背後から次々に襲いかかった。ものの数分も経たないうちに、森の上空には黒い煙の柱が6本立ち上っていた…
皆が襲撃機の周りから去り、1人残ったホロバエフのところへドレムリュークが近づいてきた時、彼らはあわてふためいた叫び声を聞いた。
「危ない!逃げろ!」
2人は振り返った。双発のSB爆撃機が銀色の機体をきらめかせ、真っ直ぐこちらに向かって滑走してくるところだった。片方の翼ではジュラルミンの外板がめくれ上がり、プロペラも片方だけがゆっくりと回っていた。爆撃機はそのまま近づいてきたが、何故かスピードを落とそうとしない。機首の航法士席から人影がこぼれ落ち、迫り来る尾輪を危ういところでかわすと、身を翻して走り出した。ホロバエフとドレムリュークも慌てて脇へ避けたが、途端に背後でものすごい轟音と、何かが裂け、きしむような音が響いた。2人は振り向き、驚愕で凍りついたように立ちつくした。直立した襲撃機のエンジンが、爆撃機の機首に突き出したガラス張りの操縦席を貫通し、卵の殻のように叩き潰していた。Il-2自体は大きく傾き、1つの車輪だけで機体を支えている。翼の片方もつっかい棒のように地を押さえ、もう片方はスルツク街道攻撃前に松林の上で旋回した時と同じく、空に向かって突き上げられていた。機は地上で最期を迎えることになったのだ。
続いてエンジンの停止した戦闘機が降りてきたが、着陸滑走を終えようとするところでコマのように回転してしまった。計器に頭を打ちつけたパイロットが操縦席から運び出された。若々しいその顔は白墨を塗ったように白く、手袋に入ったままの左の手首が皮一枚でぶらさがり、腕時計からは針が飛び出している…夜の闇が辺りを包もうとしている頃、さらに1機のSB爆撃機が、高度を下げながら片発飛行で西方から戻ってくるのが見い出された。追い風に乗ったSBは、滑走路を飛び越えて軍の居住区へ突っ込んでいく。爆撃機はこれを避けようと旋回を試みたが、エンジンが片方しか回っていなかったため大きく傾き、そして転覆した。機体が地面に激突したその瞬間、目にも鮮やかな火柱が立ち上り、炎の中では弾薬が誘爆を始め、青白い尾を曳いて四方に飛び散った…
前線での第1日目は、このようにして暮れていった。
「1941年の空」その2へ (09.05.2010)
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