「1941年の空」解説


 最近(2010年5月現在)、ヴァシーリー・エメリヤネンコ『戦うIl-2 42年の炎の空』(2006年、ヤウザ出版)という書籍の翻訳を続けている。著者エメリヤネンコ氏(惜しくも2008年に逝去された)はソ連の主力襲撃機イリューシンIl-2に搭乗して出撃92回、ソヴィエト連邦英雄の称号を獲得した名パイロットで、本書はその回想録である。副題にも表れている通り、叙述の中心は1942年から43年にかけての戦いで、対独戦中盤における襲撃機部隊の苦闘が余すところなく語られている。とにかく「自分が日本語で読んでみたい」という理由で訳しているもので、他の人々にとってどうであるかは分からないが、個人的にはこれまで読んだ軍人の回想録の中でも最高級の内容であった。
 以下にご紹介するのはその一節であるが、実はエメリヤネンコ氏自身の体験ではなく、氏の所属した第7親衛襲撃機連隊(元の第4襲撃機連隊)の開戦劈頭の戦いぶりを描写した部分である。エメリヤネンコ氏自身の入隊は1942年であり、当然1941年6月22日の開戦には立ち会っていない。しかしエメリヤネンコ氏は、実際に戦争初日から戦ってきた人々に取材してこの箇所をまとめたとのことで、非常に生々しく臨場感に溢れた内容となっている。なお、「1941年の空」というタイトルは訳者が便宜上つけたものであり、原文には存在しない。

 これを読むと、開戦直後にソ連の多くの部隊が陥ったであろう混乱ぶりが手に取るように分かる。第4襲撃機連隊にとってはちょうど機材更新の時期にあたっていたという不運もあるが、あの大戦争へ突入するには準備不足の一言に尽きる。さらにドイツ軍の迅速な攻撃と巧みな戦術により、部隊は後退に次ぐ後退と甚大な損失を余儀なくされたのであった。航空部隊はまだ逃げ足が速いだけ恵まれているが、地上軍の多くは恐るべきカオスの中で消滅しなければならなかった(パヴロフ西方戦線司令官についての描写は、端的に当時の状況を物語っている)。
 同時に本書を読むと、この混乱の中でソ連の将兵が躁状態とも言うべき熱情に駆られ、不可能を可能とすべく奮闘したこともよく分かる。勿論皆が皆そうであったわけではなく、本書でもK少佐のようなケースが率直に語られてはいるが、しかし最終的には多くの兵士が過酷な状況に堪えて踏みとどまった。混乱、茫然自失、攻撃、戦意、死の恐怖、憎悪…おそらく全ての戦争の歴史がそうであるように、開戦直後のソ連軍も胸が詰まるような人間的ドラマに充ち、戦後世代の我々を圧倒する。

 また、兵器や技術に関する描写でも興味深い部分が多い。例えば、初期のインストラクションではIl-2の不時着は禁じられており、必ず機体を放棄してパラシュートで脱出する決まりであったという件。通説では、Il-2の主脚収容ポッドの形状は不時着に備えたものとされていて、不時着禁止説と明らかに食い違う。事実がどうであったかは何とも言い難いが、このような当事者からの証言を得ることで、今後の研究も進んでいくのではないかと思う。

※本文中の( )は原文通りだが、[ ]で示されたのは訳注である。

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(09.05.2010)


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