朝食


 戦争が続いていたあの年の夏、私は南方戦線の第51親衛迫撃砲連隊に所属する偵察兵として、ウクライナで戦っていた。戦線は西へ向かって前進し、攻勢に移っていた。
 当時の私の任務はといえば、連隊が保有する唯一のオートバイを運転することだった。私の相棒となったM-52だが、こいつは力強く善良な二輪車で、サイドカーはついているものの機関銃はなく、適度に気まぐれな車体である。しかし、私は充分この車に慣れ、仲良くつき合っていた。ちなみにオートバイはもともと正規の備品ではなかったが、いつの間にか部隊が手に入れていたもので、私が連隊に現れた時点では誰も持ち主がいなかった。そして、私はこの乗り物を使いこなせると名乗り出、連隊本部付きの運転手に任ぜられたというわけだ。
 その日の朝、伝令兵が私を起こし、連隊本部長ストロジューク少佐が呼んでいると伝えた時、外はまだ真っ暗だった。私はあくびをしながらゼムリャンカ(訳注:半地下式の土小屋。前線での簡易な兵舎として使われることが多かった)から外に出て、ひんやりとした朝の空気を吸い込むと、1分後にはストロジューク少佐のところに出頭していた。少佐は言った。
「お馬さんの調子はどうだ?第1大隊のところに出かけるから支度してくれ」
「同志親衛少佐、申し訳ありませんが、自分はまだ朝食をとっておりません。グロモフはまだ炊事の用意を始めたばかりであります」
「お前だけじゃないぞ。みんな飯なぞ食っておらん。向こうで食わせてもらえばいいだろう。急ぎの用事なんでな、待つわけにはいかんのだ」
 私はカービン銃を背中に引っかけ、オートバイのエンジンを始動させると、連隊本部のある土小屋に車を寄せて少佐を拾った。そして出発する頃にはすっかり夜が明けていた。新しい一日の天気は申し分なく、太陽の光と草の匂いが辺り一面に満ち満ちている。私たちは朝露に濡れたステップをのんびりと走り、このドライブを楽しみながら目的地へと到着した。それは小さな窪地で、偽装された掩蔽壕の中に第1大隊の戦闘指揮所が入っていた。
 大隊長は私たちを待っていた。がっちりした、引き締まった体つきの大尉だった。型通りに報告を行なうと、彼はストロジューク少佐と並んで歩きながら、私たちの乗ってきた素晴らしいオートバイを貸してくれないかと頼み始めた。行軍前の地形偵察に使いたいというのである。
「同志親衛少佐、我々だけではないのでしてね」
 大尉は鼻声で言い募った。
「歩兵部隊からも2人の偵察兵が派遣されとります。近くにいる部隊ですが、偵察に同行させてほしいと頼んできたのです。それに、私のところからも1人出します。せめて15キロは調べさせたいので。行き帰りで1時間か、それより短いくらいで帰ってこられるでしょう。どうです?」
 少佐は私に向かって言った。
「お前の車に4人は乗れるのか?」
 私は迷わずに乗れると答えた。
「よろしい、それじゃ」
 少佐は断を下した。
「使いたまえ。どのみち、君とは任務について話し合わなきゃならんからな。ただ(彼はここで指を立てて見せた)、まずはうちの運転手に食事をさせてやってくれ。朝から何も食ってないのだよ。空腹のやつを出すわけにはいかん。そういうことだ」
「しかし、パーヴェル・イヴァノヴィチ、時間がありませんよ!飯となれば30分はかかるだろうし…あるいは、私のとこの運転手を出すというのはどうですか?うちにも運転できる者がおります」
「本当か?」
 少佐は問いかけたが、すぐに私の方を向いた。
「もっとも、こいつはお前が決めることだな。オートバイを預けても大丈夫か?」
 私は迷った。それから言った。
「まずは、本当に運転できるか見せてもらいましょう」
 大尉はどこか脇の方へ向かって叫んだ。
「ブルミストロフ!」
 すると、車の周りに立っていた兵士たちの中から背の低い頑丈そうな軍曹が進み出て、私たちの方へ駆け出した。髪の毛の色も顔つきも明るい男だった。それ以外、彼の容貌については何一つ記憶に残っていない。ブルミストロフはこちらに駆け寄り、大尉から問われると、オートバイを扱えるし運転もできると答えた。そして、実際にその言葉を証明して見せた。上手にエンジンをかけ、スムーズに発進し、一通りの機動をこなしている。それから、もの問いた気な表情で私たちの方に顔を向けた。
「どうだい?」
「まあ、いけるだろう」
 私は答えた。
「ただ、無茶はせんでくれよな」
 そこで、無線機を持った歩兵部隊の偵察兵2人と我々の部隊の兵士1人が呼び出され、彼らは側車とブルミストロフの後ろの席に乗り込んだ。部隊が行軍すべきルートが地図で示された。オートバイは穴だらけの田舎道をバウンドしながら発進すると、ゆっくりと茂みの向こうへ回り、そして姿が見えなくなった。
 私は炊事車で食事をとった。それからタバコを吸い、潅木の下の涼しい日陰で一眠りした。辺りは暑くなり始めていた。待つことおよそ2時間、少佐と大尉と私はほぼ同時に、偵察隊の帰りが遅すぎるという事実を認めた。理由はいくつも想定できる。例えばオートバイの故障とか。最悪の事態だけは考えたくない。
 しかしながら、行軍のスケジュールを変えてまで彼らを待つわけにはいかず、大隊は命令に従って出発した。私と少佐もこれに同行し、少佐はカチューシャを積んだトラックの助手席に、また私は「スチュードベーカー」(訳注:当時ソ連軍がアメリカから供与されていたトラック)のフェンダーの部分に乗り込んだ。さらに警戒部隊が、本隊から1キロほど先行して進んでいく。
 偵察隊が発見されたのは、7キロから8キロ前進した先でのことだった。彼らの遺体は街道のすぐ近く、道の左手で見い出された。ここでドイツ軍の待ち伏せに気づき、引き返して脱出しようとしたのだろう。だが、間に合わなかったのだ。彼らは村の入り口で大口径の機関銃に打ち倒され、光を失った眼で雲ひとつない空を見据えながら、死体となって大地に横たわっていた。そして私の愛車も、銃弾を浴びて無惨な姿をさらしている。ドイツ軍の姿は、すでに村の中には見当たらなかった。
 大隊は一旦ここで停止したものの、再び前進を開始した。行軍を中断することは許されない。ただ、偵察隊員たちを安らかに眠らせてやるため、埋葬作業の要員だけがその場に残された。そして、永遠にブルミストロフへの借りが返せなくなった私も、彼らと一緒に残った。
 ブルミストロフ…名前も父称も分からない。私が知っているのは彼の姓だけである。だが、生きている限りこの姓を忘れることはないだろう。私の代わりに命を失った人間の姓であるから。私のせいで死んだのでも、私を救って死んだのでもない。まさに、私の代わりに死んだのだ。ブルミストロフ。

(06.01.20)


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