ソ連軍戦車兵の回想


 第2次世界大戦での「戦勝」60周年が華々しく祝われた2005年、ロシアではこれに関連する書籍が数多く出版されている。これらの中でも特に興味深く感じられるのが、実際に戦争を体験した人々の手記/回想録である。60年というのは、戦争体験者(特に兵士として前線で戦った人々)が自分の手で記録を残すのにはほとんどギリギリの時間であり、この出版ラッシュが最後のチャンスとなるかもしれない。さらに現在のロシアでは、ソ連体制下でのイデオロギー的な制約は消え去り(制約そのものが完全になくなったわけではないが)、かつては語られることのなかった戦争の実態を知るチャンスが生じてきている。

 ここでは、ソ連の戦争体験者の回想録より、戦車兵の体験談をいくつか紹介していきたい。これは、ヤウザ出版が出している元兵士の回想シリーズの一冊、『私はT-34で戦った』に収められていたものである。本書では、第2次世界大戦中にT-34の乗員として戦った元戦車兵11人の体験談が紹介されている。
 率直に言って、この出版社自体にはあまりシンパシーが持てない。やたらにノスタルジックで愛国臭がきつすぎる。兵士の回想シリーズ以外にも戦争関連の本を数多く出版しているが、飛ばし読みした限りでは、無闇にソ連軍を持ち上げるような内容のものが多いと感じられた。もちろん、これはロシア社会全体の愛国主義的ノスタルジー感情に乗っかっただけなのかもしれないが…しかし別シリーズでは露骨に反ユダヤ主義的な本を出版しているところを見ると、どうにも危うい会社であるような気がする。
 しかし一方で、この出版社が出している兵士の回想が面白いものであることもまた事実なのだ。何よりもまず、率直である点。これらの手記に出てくるのは、祖国を愛する勇敢な兵士の物語ばかりではない。前線における辛い話、みじめな話、醜い話などが包み隠さずに語られている。狭く乗り心地の悪い戦車、膨大な損害、懲罰大隊、飢え、シラミの大群、泥酔した士官による醜行等々…実際のところ、かつての兵士たちにとって、これらの要素を削ぎ取って戦争体験を再構成することはほとんど不可能なのだと思われる。
 もちろん、これらの記録が100%「率直」なものであるかどうかは分からない。公にはさらしたくないエピソード、忘れたい出来事などもあるだろう。全てを回想録の中で明らかにしているわけではないはずだ。イデオロギー的な縛りの有無に拘わらず、人間とはそれほど「自由」な存在ではないのであって、愛国心や自尊心、羞恥心等々の様々な制約を考慮に入れなければならない(もっともこれは元ソ連兵の場合に限らず、あらゆる回想録の類が持つ危うさでもあるのだが)。あるいはまた、単純に忘れてしまった話や思い違い、偽の記憶などによる記述の混乱も含まれていることと思う。60年という歳月の長さを思えば、それも仕方のない話である。

 にも拘らず、これらの回想を一部なりと紹介することは、やはり意味のあることだと考えている。ソ連軍で戦った人々の体験を客観的に理解するための資料は、日本ではまだ手に入れにくいからだ。これまでのソ連軍イメージと言えば、ソ連自身が見せようとしていた理想的な「英雄」像か、あるいはその逆の非人間的な悪の軍団という両極端に偏りがちな印象がある。特に、ソ連崩壊後の現在は後者の方が強いかもしれない。日本の軍事マニアの間ではドイツ軍の人気が高いから、勢い「ドイツ人の目から見たソ連軍」のイメージがそのまま受け入れられがちでもある。いずれにせよ、ソ連軍の兵士が血の通った存在としてとらえられる機会は非常に少ないと言っていい。
 ここで紹介する手記は、ソ連軍兵士について「血の通った」イメージを作り上げるには、質量共に不十分かもしれない。しかし不十分なりにも、ソ連軍で戦った人々の生の声を伝えられればと思う。それからまた、第2次世界大戦におけるソ連軍の機構や兵器などについて関心を持つ方のために、考察の手がかりを提供できれば幸いである。もし機会に恵まれるなら、この本以外にもソ連の戦争体験者の回想記を紹介していきたいと考えている。

 …と、いろいろ偉そうなことを書き連ねていますが、ここでちょっとお断り。
 実際のところ、小生は軍事に関するあれこれに興味はありますが、如何せん知識が追いついていません。ただ、ロシア語を知っているというだけの理由で訳しているにすぎないものです。なので、軍事に詳しい読者諸賢にとっては「違うよ、これ」と思われる個所も多いかと思います。そうした場合はメールや掲示板などでご指摘下さるとありがたいです。よろしくお願いいたします。

T-34:戦車と戦車兵

アレクセイ・イサエフ氏による序文

ピョートル・キリチェンコ

無線手兼機銃手、後に戦車整備兵

アレクサンドル・ブルツェフ

戦車長

ニコライ・ジェレズノフ(1)

戦車長

ニコライ・ジェレズノフ(2)

アルカージー・マリエフスキー

機関手兼操縦手

付録:T-34戦車歴史博物館の写真集(ロシア歴史紀行アルバム内)


『私はT-34で戦った』 アルチョーム・ドラプキン(編集)
"Я дрался на Т-34" Артём Драбкин

 なお、このシリーズと連動する形でソ連軍に関する資料をネット上に公開しているのがЯ Помнюというサイトである。戦車兵ばかりでなく他の様々な兵科で戦った人々の回想やインタビューが掲載されており、写真も見ることができる。興味のある方には訪問をお勧めしておく(ただしロシア語もしくは英語が必要)。


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