2010年05月

2010年05月14日

長男の誕生日

6cb58d08.jpgきのうは長男の誕生日だった。なんと28歳。いつになったら結婚してこの家を出ていってくれるのか。もうほんとうに世話するのに疲れるわ。我が家はサラリーマンが3人もいる。夫と長男、二男。主婦だからまあ世話するのは仕方ないけど、ワイシャツの洗濯・アイロンやスーツのプレス、洗濯物も毎日出るし、食事の支度がまた大変。主婦なんだからやってあたりまえでしょ、と言われればそれまでですけど。

彼を産んだ時は大変だった。ニューヨークから戻ってからは外資の法律事務所に勤めた。5年近く勤めて夫と結婚した。ところが法律事務所というところはとにかく残業が多く、毎日深夜だった。それで大手町の同じビルの一階下の外資系企業が社長秘書を募集していると聞き、一階上がって面談受けたら通ってしまった。それで一ヵ月後金曜まで法律事務所に勤め、週末明けの月曜から同じビルの階下の企業に勤めた。時々、エレベーターに乗って慣れるまでボタンを押し間違えた。

その企業でも結婚して5年間、子供を作らなかった。子供、いらないか、とも思った。ところが高齢出産マークのつく36歳前にしてとうとう作った。人事総務の担当者に出産して働く前例がないからと言われ、出産と同時に会社を辞める覚悟でいた。上司の社長にそう伝えた。するとその上司は「これからの時代、女性は出産しても働き続ける時代がくる。事情が許せば、働き続けたら」と強く勧めてくださった。時代はその通りになり、彼は先見の明があった。

それで保育園探しや母の協力を得て、会社で子供をもって働き続けるママさん社員第一号となった。この社長さんはその後の私の人生の方向づけをしてくださった恩師だ。その後企業から独立したが、10年ほど前に60代の若さで亡くなった。くも膜下出血だった。彼の新しい会社で後継者だった方が先月亡くなり、「Sさんを偲ぶ会」が5月25日夜に開催され、私も参加予定だ。会社OBの人たちと同窓会となるだろう。

長男妊娠当時千葉から満員電車に揺られて、毎日通勤して仕事していたせいか、出産はまだまだ先かと思ったら、会社で破水、京葉道路で産まれるな!と言われて会社が手配してくれたハイヤーに乗った。すぐに荷物をもって千葉大付属病院へ。点滴で早産を食い止める措置をしてもらっていたが、翌日産まれてしまったのが長男。当時は育児休暇もなく、産前産後3ヵ月だけだった。それが産前休暇ゼロとなった。産後1ヵ月半で職場復帰した。

二人目の時もどうか今度はちゃんと産前休暇取ってください、と言われたのに、成田空港へNYへ帰る友人を見送った帰りの電車の中で陣痛が来てしまい、二男も翌日産まれてしまい、またまた産前休暇ゼロだった。二男は1900グラムしかなくて1ヵ月保育器に入っていた。

その後の働くママさん奮闘記を書きだすときりがない。当時はゼロ歳児保育がなく、母の助けを得て、1歳になるまで綱渡りだった。外資系企業で仕事と子育てを両立して働き続けることが珍しかったせいか、朝日新聞に二回にわたって連載されたり、日経新聞夕刊に「働く均等時代」というコラムにも掲載された。またNHKのおはようジャーナルで取材され、放映されたり、日本テレビの夕方の特集でも紹介されたことがある。朝ふたりの子供の手を引いて保育園に向かって歩いている時、知らない人の車が寄ってきて「テレビ見ましたよ~!頑張ってくださ~い!」と声かけてくれる人も。マスコミってすごい!と思ったものだ。

会社で子供を持って働き続ける後輩も続いた。「保育園を考える親の会」を先輩たちと立ち上げ、働く親の活動も続けた。

私はその後、25年勤めた外資系企業を辞めた。長男出産から28年、ひとりで育ったような生意気ぶりの男の子も社会人となり、お父さん同様サラリーマンしている。




2010年05月13日

インド料理

58d39a1e.jpg花の美術館の帰りに行った地元のインド料理店。この店の従業員は全員インド人。つい最近日本にきたばかりという若い可愛い男の子がいた。

久しぶりのインド料理はおいしかった。私はチキンとベジタブルカレー、ナンがとってもおいしい。

食後にチャイを飲んだ。
友人とおしゃべりしながらのランチは楽しい!


また花の美術館

3ef1f940.jpg地元の別の友人と彼女の車でまた花の美術館へ行ってきた。前回行った時とは別の花々が咲き誇っていた。ゆっくりひとまわりして見てきた。写真は温室の中で見つけた珍しい花。花の名前がわからない。

津田沼のフレンチへ一度彼女が行きたいというので日曜に予約したのに満席。それで別のフレンチへ行こうとしたが、私がインドカレーが食べたかったので、美術館の後、インド料理のランチに行った。

テレビで国家公務員法改正案を野党が反対し、小泉進次郎氏が猛反論していた。結局日教組や労働組合と密接な関係のある民主党は一番肝心な公務員給与の削減を明確にしないままこの法案が通ってしまった。我が家が取っている日経と読売新聞を開いても一面や社会面に掲載されておらず、政治面にわずかに載っていた。

Yahooニュースでようやく「小泉氏は平野博文官房長官に対し「20%カットを掲げながら『大臣や副大臣の手当は10%削減』『政務官はカットなし』という方針はおかしい」と見直しを要請。「踏み込んで対応する」との長官答弁を「実施時期を明示してもらわないと、この政権は信用できない」と突き放したこともあり、一触即発のムードとなっていた。」という記事を読んだ。小泉元総理の息子ということでどうもアレルギーがあるのだが、彼の反論には合意できた。ったく、マスコミは民主党とグルだから都合の悪い記事は一面などに載せやしない。

民主党は「『国家公務員人件費20%カット』をマニフェスト(政権公約)に掲げていたそうだが、マニフェストに載せていない闇法案はことごとく通すようにする政権は国民に対する詐欺だと思う。


2010年05月12日

小物教室

3a8b612e.jpgきのうは久しぶりに小物教室。写真は生徒さん達が作っている作品。私は飾り物はいらないと思うのでバッグを作っている。まだ未完成。

生徒さんのひとりが白内障の手術をして先月はお休みだった。きのういらしていて手術をしたら目が1.2となり、見えすぎて困る、と言っていた。新聞の字があんなに黒々していると気付いたとか、日がまぶしいのでサングラスをしている、とか。きのうは初めての縫物でお互いに疲れたわね、だった。

縫物はほんとうに疲れる細かい作業。一日がかりで五反田まで出かけ、帰宅すると夕食準備も煩わしいほど。でも出来上がるとなんともうれしい。バッグの作品は布が帯の厚地なので針が通りにくく、一針一針時間がかかる。完成したら写真掲載します。


2010年05月11日

やわらちゃん出馬

73167f23.jpg愛犬の散歩で毎日通るKさん宅。リタイアしたご夫婦で住んでいる。玄関まわりにはきれいな花がたくさん、手入れが行き届いている。

この花はもう終わりだから、と全部切ってくださった。花瓶に入りきらないのでもうひとつの小さい花瓶に生けてトイレに飾った。こちらは玄関。

隣りの小さい壺はメキシコのお土産。外資系企業に勤務していた時の上司、ブライアンから。ブライアンは30代の若さでガンで亡くなった。残された奥さんは赴任先のメキシコで結婚したメキシコの人。お子さんたちも小さいのに早くに逝ってしまった。ブライアン亡き後、お子さんたちを連れてメキシコへ移ったと聞いたが、今頃どうしているかしら。

話は変わるが、夕方のニュースを見たら、柔道金メダリストのやわらちゃん、谷亮子さんが民主党から参議院選挙に出馬、と聞いて耳を疑った。なんであんな売国政党から出馬するのよ、やわらちゃんに対して超失望。ご主人は野球選手だし、お子さんたちは小さいのに、小沢とどういう取引をしたのだろうか。やはりお金?人気者だからといって投票してしまうお手軽有権者が多いからねえ。そういうお手軽さんたちは投票用紙に「やわらちゃん」なぁんて書いてしまうのでは。これ無効になるのかしら?と思ったら今朝のニュースでは本人と特定できる名称なので有効なんですって。

だけど現役続行でしょ。これじゃあ、小沢氏は彼女のネームヴァリューで議席が欲しいだけの話、議員になったら柔道やっていてください、と言っているようなもの。議員になったらちゃんと国政やってほしいのに。有権者をバカにするな!と言いたい。