BLACKSOULS ストーリー考察
ストーリー、登場人物、世界のからくり、エンディングなどに関しての考察です。
全てのエンディングを見ていない方は、絶対に読まないでください。
全てのエンディングを見て、ゲーム部分を一通り把握している、
そういった人への向けての記事です。
繰り返します、A・B・C・D、全てのエンドを見ている方のみ、読まれてください。
全てのエンディングを見ていない方は、絶対に読まないでください。
全てのエンディングを見て、ゲーム部分を一通り把握している、
そういった人への向けての記事です。
繰り返します、A・B・C・D、全てのエンドを見ている方のみ、読まれてください。
解説の順番
エンディングを見ていく順番は、
AとBを見て、そこからC→Dという順番で見ていったと想定して書いています。
Cエンドまでの解説
ver1.10で追加された部分を含まない説明。
アップデート前のCエンドまででわかる部分をまずは解説していきます。
●童話と登場人物に関して
ヘンゼルとグレーテルを倒した場合、
奥にいるドロシーに話しかけると、本(ヘンゼルとグレーテルが落とした童話)を見せてくれと言われます。
そして、その本を見たときのドロシーのセリフは、
これが重要なヒントになっています。「ふむ・・・・・。
子供向けの童話に見えるが、これは召喚魔術の本だな。
俺にも唱えられない魔術だ。」
「召喚された者は一度倒されるとこの本へ還る。
魔獣を召喚獣として扱うなんて聞いた事がないが・・・」
「どうせ召喚者はろくでもない奴だ。
魔姫かそのあたりだろう」
童話=召喚魔術の本ということです。
そう、最初に答えが出ているわけです。
少なくとも童話に関わる登場人物は、本から召喚魔法で具現化された存在だよ、
ということですね。
そして、図書室の1部屋目の本を全て揃えて、
アリス02を殺してから、アリス02の目の前にあった本を調べてると、
「童話はメアリィ・スーに盗まれて、結末を書き換えられた」とあります。
このことからわかるように、改変した登場人物たちを配置(召喚)したのは、
メアリィ・スーです。
主人公は、メアリィ・スーが改ざんした童話、
その本を召喚魔法の媒体にして具現化された人物がいる世界を
歩かされていた。
つまり主人公は、記憶を消され、
改ざんされた物語を無理やり見せ付けられ、その世界を旅していたという事です。
●[祈り主]関連の情報の整理
不思議の国のお茶会(篝火があるところ)で、
左上の端にいるラフレシアの話を思い出してみましょう。
祈り主はウサギであることが聞けます。
そして、祈り主がアリスを連れてきて、アリスが主人公を連れてきたとあります。
ということは、祈り主の正体は、おそらく[不思議の国のアリス]に出てくる白ウサギです。
ところが、お茶会のテーブルの上の熊(熊の正面から話しかけることができます)の話によると、
主人公とアリスの仲に嫉妬して、メアリィ・スーのほうについたとあります。
●メアリィ・スーとは?
まずは、こちらを読まれてみてください。
https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%A1%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%BC
定義のところであれこれ論争はありますが、
要は、原作が存在する作品に対して、
同人作家などが、その原作には登場しないオリジナルのスーパーキャラなどを出して、
原作キャラを差し置いて活躍しまくったり、原作のキャラと恋に落ちたりするとか言った、
同人作家の理想が込められただけの要素やそのキャラクターのことを指します。
こういったものは、原作者にとっては不愉快極まりないものですが、
こういった存在を願う存在がいます。
それが原作でも脇役と呼ばれるキャラクターたちです。
もし、キャラクターに心があるとすれば、脇役的なキャラクターたちは、
「自分はこういった役目にしか過ぎないのか、こういった存在にしか過ぎないのか、
そんな立場、嫌だ。」
と願ってもおかしくないはずです。
そこで振り返って欲しいのは、
祈り主は、主人公とアリスの仲に嫉妬していたという点です。
ここまで来ると祈り主が何に祈っていたかもわかると思います。
祈り主が祈っていた対象は、メアリィ・スーということでしょう。
●祈り主がメアリィ・スーへ立ち向かわなかった理由
これは、元ネタである[不思議の国のアリス]からして、
若さの象徴であるアリスとの対比で、白ウサギは年老いた諦めなどを象徴する存在だからです。
力以前に性格の問題ということです。
だから、挑戦することなくメアリィ・スーに従っていたということです。
●メアリィ・スーに祈りを捧げているものたち
メアリィ・スーを崇める存在は、他にもいるようです。
それが、不思議の国の篝火のところにいる、他のウサギたちです。
このウサギたちは、
「作品を読むときは男の主人公のほうが良いとか、女の主人公のほうが良いとか」
語ったりしているところか言っても、自分好みの展開への願望を持っている読者層。
しかも、綺麗な話に感動するとかよりも、
エロとかの自分の欲望に沿った展開。
そういった黒い欲望を持った層からも、メアリィ・スーは居てくれるとありがたい存在と言えます。
(改変してくれるのですから)
ちなみに、不思議の国の雑魚敵のウサギは、
倒すと黒いソウルを落とします。
このゲームの敵は、基本的に外見や属性を象徴した色のソウルを落とすのですが、
このウサギを倒したときだけ、落とすのは白ではなく、黒のソウルです。
黒の裁判とかと戦闘になったときに、
戦闘開始時のセリフで「魂が黒く穢れている」と言ってきたりすることがあります。
そこから考えてみても、黒い魂というのは穢れている魂と言えるでしょう。
ということは、雑魚敵のウサギたちが、黒いソウルを落とすのは、
そういった願望を持っている存在だからというのを指しているのではないでしょうか?
それに祈り主にしても、元ネタからして白ウサギのはずなのに、外見は黒です。
そして、この作品のタイトルは[BLACK SOULS]=黒いソウルです。
そこから言っても黒い願望のエネルギーが、原作をメチャクチャに改変していった物語
この作品のタイトルは、そういったことを指しているのだろうと思われます。
ちなみに、ウサギという存在に黒い欲望を持つ読者層を当てはめているのは、
おそらく、自分で行動しないで、願望ばっかりは持っている部分と
兎という生物の臆病さを重ね合わせているのではないかとも推測されます。
●メアリィ・スーの行動原理
メアリィ・スーとしては、
・自分の改ざんした童話を、主人公に全て味わって欲しい
これが一番に来ているのはわかると思います。
そして、最終的には
「これをやったのは自分なんだよ。」
と気付いて欲しいところもある。
でも、他の存在から答えをばらされるのは気に食わない。
それは改変した世界を味わわせることを妨害することになる。
主人公が気づいてしまったら、そこですべて興ざめしてしまいますから。
そういう意味で、直接的な答えにつながりそうな存在はすべて排除するように動いていった。
色々とばらしてくる可能性がありそうなアリスも、真っ先に始末し、
不思議の国のお茶会で答えそのものを言ったウサギも葬った。
最終バトル前の聖森でも、妖精(の元になっていた化物)から自分が攻撃されているように見せて、
主人公にそいつら倒すように誘導して取り繕った。
おまけに真実に気付くためのカラクリも、
ヒロインたちすべてを手にかけて童話に戻さないといけないという悪質なもの。
Bエンドの最後に童話を集めるようにアドバイスがあることからしても、
これもわざとにそういう風に仕組んだということでしょう。
ただ、全部をわかった上で、自分は超越者の力を持って
ねじ伏せてバッドエンドに突き落としてやるつもりだったのに、
返り討ちにあって、自分がやられたことだけが誤算だった。
●Cエンドから見える、この作品のメッセージ性
Cエンドで表現されていることは、
創作という行為に、敬意を持っていないものへの罰でしょう。
メアリィ・スーは、原作者や原作に対して敬意など持ってなくて、
自分は改変する力を持っていることを誇示しただけだった。
「自分はさらにこういったこともできるんだよ。
どうでしょ、凄いでしょ。」
という自分の力を振り回すことしか頭に無かった。
(オリジナルを何も作っていない、
唯一作ったのがヴィクトリアくらいですが、
その作り方もやはり「僕の考えた最強のヒロイン」的なものだった。)
メアリィ・スー自体は、改変という力を使って色々と願いをかなえるということも可能な存在。
でも、その力を崇めるものたちの勝手な都合で解釈されていただけで、
自分という存在そのものを評価されることは無かった。
ただ、メアリィ・スーもある認識が抜けていました。
自分の力を認めてもらうこと、理解してもらうことしか頭に無く、
生きているものにとって願いをかなえてあげるとどういう影響が出るのか?
生きている側が自分で生き抜こうとしている部分、その部分への感覚、思慮がない。
「願いをかなえてあげたのに争ってばっかり」
とか、自分が「願いをかなえてあげた」という視点ばかりで、
そこで生きているものが生き抜こうとしていることを尊重していない。
人間も勝手に神を求めて失望し、神も勝手に人を求めて失望している。
そういったすれ違いの状態。
これに関しては、
「あれ描け、これ描け」と求められることと、
「自分の描きたい物を描きたい」という間で揺れ動く、
同人作家の苦悩も裏に含まれているのでしょう。
特に、メアリィ・スーは改変者(同人作家)ですから、
最初にその存在を生み出した理由、役割への理解が欠けていて、
勝手にいじる(同人的に改変したものを作る)という立場の存在ですから。
だからメアリィ・スーは、
ただ自分がやりたいこと、振りかざしたいことだけやりたい同人作家を思い浮かべれば、
性格の根っこが理解できるのではないでしょうか。
「あれ描け、これ描け」と求められることと、
「自分の描きたい物を描きたい」という間で揺れ動く、
同人作家の苦悩も裏に含まれているのでしょう。
特に、メアリィ・スーは改変者(同人作家)ですから、
最初にその存在を生み出した理由、役割への理解が欠けていて、
勝手にいじる(同人的に改変したものを作る)という立場の存在ですから。
だからメアリィ・スーは、
ただ自分がやりたいこと、振りかざしたいことだけやりたい同人作家を思い浮かべれば、
性格の根っこが理解できるのではないでしょうか。
もちろん、メアリィ・スーの思考(一方的な改変をもってして原作者への愛情表現と思っている)というのは、
自分が創造したものを愛する原作者からすれば不愉快極まり無いものです。
※一方的な改変をもってして原作者への愛情表現と思っているというのは、
Dエンド追加部分でさらに詳しく説明しています。
ですから、Cルートのラストバトル勝利後に、
主人公はああいうことをしたわけです。
あれも
一見、最初はリィフへの恋愛感情で主人公が許してあげるように見せて、
最後に、はしごをはずす仕打ちをし、
「ほら、お前の大好きな絶望的なエンドだぞ」
と、今までそいつが振り回してきたものを、そっくりそのままつき返したわけです。
メアリィ・スーの愛情表現を受け止めて、許してやるかのように見えて、
「お前、こういう展開が好きなんだろ、
他の者に散々やってきたじゃねえか。
遠慮することなく受け取れよ」
という最大の仕返しをしたということですね。
この描写が表現していることというのは、
「同人だからといって、なんでもかんでも好き勝手に改変することだけでは駄目。
その改変という部分だけに悦に浸っているのは醜いだけだよ。
ちゃんと原作を尊重しましょう」
といった同人というジャンルへのメッセージも含まれているのでしょう。
知っておきたい元ネタ実は、このBLACKSOULSという作品、
全年齢のフリーゲーム、イス○ワールや魔王○語物語といった作品の影響が強く出ている作品です。
攻略・考察サイト
イス○ワールをプレイしてみるとわかりますが、
メアリィ・スーの姿は、超越者としての創造という行為や創造物への想いなどが
イス○ワールと綺麗に対称的になっています。
そのメアリィ・スーを倒す物語なわけですから、
そこの部分でも、メアリィ・スー(語源)を否定している。
元ネタを利用して
安直な綺麗な話に仕上げたわけでもないし、
安直なダークな話で片付けたわけでもない。
そういうものは、すべてメアリィ・スー的な行為につながるから、
こういった話へと昇華させましたという、
このストーリー自体が、元ネタへの敬意(メアリィ・スー否定)を全力で表しているわけです。
そういった作品へとつなげましたよ、
という元ネタたちへの愛も最大限にも詰まっている作品です。
全年齢のフリーゲーム、イス○ワールや魔王○語物語といった作品の影響が強く出ている作品です。
攻略・考察サイト
イス○ワールをプレイしてみるとわかりますが、
メアリィ・スーの姿は、超越者としての創造という行為や創造物への想いなどが
イス○ワールと綺麗に対称的になっています。
そのメアリィ・スーを倒す物語なわけですから、
そこの部分でも、メアリィ・スー(語源)を否定している。
元ネタを利用して
安直な綺麗な話に仕上げたわけでもないし、
安直なダークな話で片付けたわけでもない。
そういうものは、すべてメアリィ・スー的な行為につながるから、
こういった話へと昇華させましたという、
このストーリー自体が、元ネタへの敬意(メアリィ・スー否定)を全力で表しているわけです。
そういった作品へとつなげましたよ、
という元ネタたちへの愛も最大限にも詰まっている作品です。
改変したいだけの同人作家、
好き勝手に展開をいじっていたいだけの同人作家からすれば、
原作者というのは改変される材料を投下しただけのおバカさんということになってしまうのか?
そこから考えてみて欲しいのは、
動画の投稿とかが盛んだったりすることに作者さんが寛容なのは、
さっさとネタバレされるための材料を投下しただけのお馬鹿さんなのでしょうか?
攻略サイトは、そういった動画投稿者が
いち早く動画を完成させるための援護をしているということになるのでしょうか?
というような部分です。
そして、
「あなたはそういう馬鹿をやっているんですか?」
と、その人に向かって言って、
「はい、そうです。」
という答えが返ってくるでしょうか?
ですが、
動画を投稿する側が自分がやりたいことだけを考えて、
「いいじゃん。許可しろよ。」
とか
「いいじゃん。さっさと攻略教えろよ。」
とか
自分がやりたい行動だけ考えて、そのための許可があればいい
となってくると、
それを許容してやればやるほど、
「私はバカをやっているのですか?」
という成分の濃度が高くなってくるわけです。
そういった、物事の背景を把握せずに、
自分がやりたいということに、許可がついて来るようにしろ、
「いいじゃん、これが愛情表現だから」
と、自分の行動ができればいいとだけ考えるのは、
メアリィ・スーと一緒ではありませんか?
その上で、筆者が言いたいのは、
「皆さんは、どういった作品のファンなのですか?」
という点です。
上で述べたようなベクトルで動いてしまうと、
作品自体はああいったことを描いているのに、
ファン活動としては、そんなことするの?
ということになってしまうわけですね。
今、そこで生きている人というのは、
どこかの誰かの考えている舞台の一部として利用されるためにいる、おバカさんにしか過ぎないのか?
と命題に突き当たることになってきます。
これが、
現実世界で作者さんが作品を創って世に作り出すこと。
(というのは、利用されるための行為でしかないのか?)
筆者の立場で言えば、攻略情報を提供するということ。
(というのは、利用されるための行為でしかないのか?)
さらに言うと、作品を買うこと。
(というのは、金儲けしたいだけの奴に買わされる、金を払ってしまうための存在でしかないのか?)
とかにも通じてきます。
で、これをなぜイス○ワールに触れた、この箇所で語っているのかと言いますと、
今、そこで生き抜いている側がどういった答えを出していくのか?
この部分に関して強いメッセージを打ち出しているのがイス○ワールという作品なんです。
そして、そのことを捻じ曲げるというのは、
この作品のメアリィ・スーがやったことに近くなってきますよね。
ラスボス2形態目のセリフ
「ボクを殺して、この先待っているのはページの無い裏表紙。
君は望んだ風景を見る事ができない
物語が終われば、世界は静止する。
君だけが呼吸して、誰もが同じ言葉を紡ぐだけ。
孤独な世界だと知れば、君はやがて永遠の眠りにつくんだよ
そんな世界………つまらないでしょ?」
これって、このラスボスを倒しても、そこから先が無いよ、
というテレビゲームとして先がないということを表しているのと同時に、
「つまらない」と言っているから、ずっとこの改変された世界を彷徨っていろ、
この私(メアリィ・スー)の(狂った)ファン活動(ラブレター)に付き合い続けろ。
とも言っているわけです。
舞台として利用しているもののことなど、何も考えていない。
自分の作った作品を主人公に見てもらい続ける(冒険してもらう)ことしか頭に無いわけです。
それに対して
祈り主はラストバトル前に話しかけたときに
「この世界を彼女の物語の一端にしてはいけない。
僕らは生きているんだ」
と言っています。
そこから言っても、
ただブームのために作品があればいいのか?
騒ぐための燃料として存在していればいいのか?
ブームとかになってワ~と盛り上がっても、
それはただ騒ぎに乗っかっているだけで、
作品をちゃんと受け止めていますか?
消化していますか?
という問題が出てくるわけですね。
イス○ワールという作品も、現実を生きていく人たちの糧になるように、
というメッセージが篭められた作品でした。
この作品も、
相手のことを考えていない同人やファン活動はダメだよね。
ということが描かれていましたよね。
そこが活かされないのなら、何のためにこの作品は存在したのか?
ということになってきませんか?
ブームが起きて、騒げたりお金は循環したりするのかもしれないけど、
その後に何も残らないのなら、
それは滑稽だし、悲しい事と言えるのではないでしょうか。
皆さんも、大衆的にどうなのかではなく、
「あなたにとってこの作品はどうなのですか?」
という部分と向かい合って、この作品を消化されて行ってください。
好き勝手に展開をいじっていたいだけの同人作家からすれば、
原作者というのは改変される材料を投下しただけのおバカさんということになってしまうのか?
そこから考えてみて欲しいのは、
動画の投稿とかが盛んだったりすることに作者さんが寛容なのは、
さっさとネタバレされるための材料を投下しただけのお馬鹿さんなのでしょうか?
攻略サイトは、そういった動画投稿者が
いち早く動画を完成させるための援護をしているということになるのでしょうか?
というような部分です。
そして、
「あなたはそういう馬鹿をやっているんですか?」
と、その人に向かって言って、
「はい、そうです。」
という答えが返ってくるでしょうか?
ですが、
動画を投稿する側が自分がやりたいことだけを考えて、
「いいじゃん。許可しろよ。」
とか
「いいじゃん。さっさと攻略教えろよ。」
とか
自分がやりたい行動だけ考えて、そのための許可があればいい
となってくると、
それを許容してやればやるほど、
「私はバカをやっているのですか?」
という成分の濃度が高くなってくるわけです。
そういった、物事の背景を把握せずに、
自分がやりたいということに、許可がついて来るようにしろ、
「いいじゃん、これが愛情表現だから」
と、自分の行動ができればいいとだけ考えるのは、
メアリィ・スーと一緒ではありませんか?
その上で、筆者が言いたいのは、
「皆さんは、どういった作品のファンなのですか?」
という点です。
上で述べたようなベクトルで動いてしまうと、
作品自体はああいったことを描いているのに、
ファン活動としては、そんなことするの?
ということになってしまうわけですね。
今、そこで生きている人というのは、
どこかの誰かの考えている舞台の一部として利用されるためにいる、おバカさんにしか過ぎないのか?
と命題に突き当たることになってきます。
これが、
現実世界で作者さんが作品を創って世に作り出すこと。
(というのは、利用されるための行為でしかないのか?)
筆者の立場で言えば、攻略情報を提供するということ。
(というのは、利用されるための行為でしかないのか?)
さらに言うと、作品を買うこと。
(というのは、金儲けしたいだけの奴に買わされる、金を払ってしまうための存在でしかないのか?)
とかにも通じてきます。
で、これをなぜイス○ワールに触れた、この箇所で語っているのかと言いますと、
今、そこで生き抜いている側がどういった答えを出していくのか?
この部分に関して強いメッセージを打ち出しているのがイス○ワールという作品なんです。
そして、そのことを捻じ曲げるというのは、
この作品のメアリィ・スーがやったことに近くなってきますよね。
ラスボス2形態目のセリフ
「ボクを殺して、この先待っているのはページの無い裏表紙。
君は望んだ風景を見る事ができない
物語が終われば、世界は静止する。
君だけが呼吸して、誰もが同じ言葉を紡ぐだけ。
孤独な世界だと知れば、君はやがて永遠の眠りにつくんだよ
そんな世界………つまらないでしょ?」
これって、このラスボスを倒しても、そこから先が無いよ、
というテレビゲームとして先がないということを表しているのと同時に、
「つまらない」と言っているから、ずっとこの改変された世界を彷徨っていろ、
この私(メアリィ・スー)の(狂った)ファン活動(ラブレター)に付き合い続けろ。
とも言っているわけです。
舞台として利用しているもののことなど、何も考えていない。
自分の作った作品を主人公に見てもらい続ける(冒険してもらう)ことしか頭に無いわけです。
それに対して
祈り主はラストバトル前に話しかけたときに
「この世界を彼女の物語の一端にしてはいけない。
僕らは生きているんだ」
と言っています。
そこから言っても、
ただブームのために作品があればいいのか?
騒ぐための燃料として存在していればいいのか?
ブームとかになってワ~と盛り上がっても、
それはただ騒ぎに乗っかっているだけで、
作品をちゃんと受け止めていますか?
消化していますか?
という問題が出てくるわけですね。
イス○ワールという作品も、現実を生きていく人たちの糧になるように、
というメッセージが篭められた作品でした。
この作品も、
相手のことを考えていない同人やファン活動はダメだよね。
ということが描かれていましたよね。
そこが活かされないのなら、何のためにこの作品は存在したのか?
ということになってきませんか?
ブームが起きて、騒げたりお金は循環したりするのかもしれないけど、
その後に何も残らないのなら、
それは滑稽だし、悲しい事と言えるのではないでしょうか。
皆さんも、大衆的にどうなのかではなく、
「あなたにとってこの作品はどうなのですか?」
という部分と向かい合って、この作品を消化されて行ってください。
Dエンド部分での考察
ここからは、Dエンドで判明したことの解説に入ってきます。
Dエンド関連で、クトゥルフ神話関係の存在が色々と登場し始めました。
Dエンドのラスボスの正体は?
Dエンドのラスボスは、真のバフォメットではありません。
本当のバフォメットは、レオナルドのこと(サバトの森庭で戦う悪魔のほう、グリンダが使役していた悪魔)です。
Dエンドのラスボスは、バフォメットに成りすましているだけです。
Dエンドのラスボスの依頼をこなさずに、普通にケンカを売ったときに
ドロシーを召喚したらわかりますが、
「バフォメットはレオナルドのことだろうが」と突っ込みを入れますし、
実際にDエンドのラスボスは名前が違いました。
Dエンドのラスボスの名前は
[千匹の仔を孕みし森の黒山羊]
クトゥルフ神話の[シュブ=ニグラス]のことです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%96%EF%BC%9D%E3%83%8B%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9
グリンダの日記での世界の情景、
それと、リィフの指輪をつけてのカタリナの個別エンドの追加部分での情景、
これがどちらも同じです。
そして、カタリナの個別エンドの追加部分でおこなれていたものは、
シュブ=ニグラスの召喚儀式です。
ということは、グリンダが召喚したのもシュブ=ニグラスでしょう。
(シュブ=ニグラスの依頼を引き受けるときに聞けますが、
レオナルドのことを「前に倒した」と言っていますので、
グリンダがシュブ=ニグラスを呼び出してしまった時に、食い止めていたレオナルドを倒したことを言っているのでしょう)
Dエンドのラスボスの発言から見えてくる部分
[シュブ=ニグラス]は、ラストバトルの前に
リィフに向かって「門を開いれくれ」と言っています。
つまり、[シュブ=ニグラス]自身では門を開くことができないということです。
門を開いてダーリン(夫)のところへ帰りたがっている。
また、[シュブ=ニグラス]の力では、聖森を見つけられていません。
その上で、祈り主の殺害も依頼しています。
ということは、[シュブ=ニグラス]はリィフを何とかしたいと推測されます。
※黒の裁判を結成して、黒い魂を狩りまくっていたのは、
リィフの力が大きくなりすぎないようにということも含まれていたのかもしれません。
聖森というのは一部の人間しかたどり着けない区域であり、祈り主もいるところです。
祈り主というのは、メアリィ・スーへ祈りを捧げている燃料タンクみたいなものですから、
聖森は、それ(祈り主)を隠している場所でもあります。
[シュブ=ニグラス]は、祈り主=燃料タンクを必死に探していた。
さっさと門を開けて欲しいし、リィフ=メアリィ・スーの遊びを終わらせないことには、
物事が何も進まないから。
それに、クン・ヤンの最深部でケンカを売ったときのバトル。
そのときにリィフを召喚すると、「リィフちゃん、なぜここに」と言います。
ということは、[シュブ=ニグラス]は主人公の正体や
リィフが一緒に居ることはわかってません。
ただ、そのバトルの時点では、
リィフを封じ込める段取りが整っていないので、
リィフは無限再生していまいますから、無限地獄の刑と言いなおしているということですね。
ということは、最初に主人公が訪れたときも、
本当にカルマを見て、黒の裁判にふさわしいかどうかしか判断していないと思われます。
そして、依頼を頼んでいって、
「ひょっとして?」と思うところがあり、
祈り主を倒しきってくれたらいいかな~、
とカマかけたらビンゴだったということでしょう。
そこから、祈り主がいた場所が聖森と聞き、
その上、主人公が受け入れたことで、聖森に突入できた。
●シュブ=ニグラスとメアリィ・スーの関係は?
メアリィ・スーは、[シュブ=ニグラス]の子供でしょう。
Dルートのラスボスを倒した後に手に入る[黒い大きなソウル]の説明も
それを示唆させるような内容になっています。
Dルートのラスボス戦の前に、ハインに話しかけると、
「あいつ(シュブ=ニグラス)、もしかしたら娘の元に?」
と言っていますので、ハインも知っているのでしょう。
ここから見えてくるのは、メアリィ・スーは、絶対神ではない。
凄い部類ではあるけど、同格のやばい連中は他にもいるという点です。
Cルートのラストバトルで、ちゃんと戦いになったのも絶対神ではないからでしょう。
●メアリィ・スーは何者なのか?
[シュブ=ニグラス]の子供ではあるのでしょうけど、
そういう設定の([シュブ=ニグラス]の子供という)、この作品オリジナルの神かもしれません。
※Cエンドを見た後に、リィフ個別エンド(追加部分)を見てみましょう。
※この追加部分は、Cエンドさえ見ていれば、リィフの指輪なしで見れます。
それにDエンドも関係ありません。
Dルートに一切手を出していない、Cルートラスボス直前データが残っていたので、
Cエンドだけ見て、リィフの指輪を持ってリィフの個別エンドを選択するだけで、追加エンドが見れました。
ということは、この個別エンド追加部分のセリフは、
Cエンドだけの流れで、リィフは しゃべっているということになります。
メアリィ・スーの語源には、
オリジナルで登場したキャラが原作のキャラと恋に落ちるとかの意味も含まれています。
同時に、メアリィ・スーは改変者でもあります。
同人作家でもあるわけです。
メアリィ・スーは、
ハッピー、ビター、バッド、全部のエンディングがラブレターと言っています。
自分の好きなキャラと恋に落ちる展開を勝手に描いたり、
自分の好みの展開に改変したり、
それらが全て、愛情表現だということです。
人魚姫が、相手を食べたりすることが愛情表現だったりするように、
メアリィ・スーの愛情表現がそういったものだということでしょう。
たとえ、その狂気の愛情表現のほうで自分が死ぬことになっても、
それを取り消したりはしない。
「自分が死ぬ?
上等。
改変は絶対にやめないし、取り消さない。
この改変こそ(原作者の気持ちとか無視した一方的な狂気の)愛情表現だから。」
(リィフの指輪を持っていなくても見れる内容ですから、
リィフ自身がそういう意思をもっているということでしょう。)
綺麗な結末や、死なないで済むことよりも、
自分の狂気の愛情表現を精一杯することのほうを優先する。
そういった性格の存在。
改変を愛情表現と思っている、狂った同人作家、
そういった狂気の同人作家ということでしょう。
あの個別エンドは、
「自分は[メアリィ・スー]だよ」と、ひたすら言っているだけに見えます。
●アリスの正体
ここからは、Dエンドのエンディング内容のほうの話です。
まず、事件の真相を知るには、
Dエンドを迎えて、その後に不思議の国の北西側、仲間の究極技を教えてくれる死体のところへ
仲間の究極技を全て覚えてから訪問してみましょう。
(Dエンドを見るのはCエンドを迎えた周でなくてもOKです)
そこで語られることが、一番の核心部分です。
クトゥルフ神話で、[這い寄る]といえば、
[ナイアーラトテップ」という存在、[ニャルラトホテプ]とかの言い方も聞いたことあるでしょうか、
この存在しか思い当たる存在はいません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%97
(「這いよれ! ニャ○子さん」とかで知っている人もいるのではないでしょうか。)
真相の会話を見ればわかりますが、
「不思議の国を創ったのはグリムではない、彼女なのだから」
と明言されています。
※グリムというのは、主人公の真名のことです。
ニューゲームで始めて、その名前を入れてみましょう。
(アリスの目の前にあった本やCルートでのラスボス戦直前でのラスボスのセリフで指摘されています)
●リィフはアリスの正体に気付いていたのか?
これ、2作目をプレイしてみて、気になったので
1作目のセリフを見返してみました。
おそらく、リィフがアリスの正体に気付いたのは、
Dエンドの一番最後の段階だと思います。
ですから、オープニングでアリスがはじけ飛ぶとき、
リィフは、「こいつはニャルだから、今、ここで始末してやるぜ」
という感覚で殺してはいないということでしょう。
だから、「何であの状態から復活できているんだよ。」と、
Dエンドで驚いて、ようやく正体に気付いたのではないでしょうか。
●アリス02を作ったのは、どっち?
これ、最初はアリス(ニャルさん)が仕組んでいたのではないか?
と思っていたのですが、
アリス02自体は、やっぱりリィフのほうが作成していたのではないか?
と思うようになってきました。
まず、Dエンドまで、
ニャルさんは、自分の正体を明かすつもりは無かった。
ということは、自分にアリス02を作る力があるとか、そういったのがバレたら困る
=アリス02を作る力はあっても、そんなことをしたらバレてしまうから、やらないであろう
ということが推測される。
だったら、作る力があるとしたらリィフのほうでしょう。
そして、アリス02の残したムービーでは、
主人公の名前をゲーム開始時につけた名前のほうで読んでいます。
ムービーで促していることも、「つらいかもしれないけど、本棚埋めろ」と誘導していますよね。
ただ一つ、ニャルさん側がその流れに沿って仕組んでいたのは、
[アリスのリボン]というアイテム。
リィフも童話はすべて揃えて、Cルートに進んでほしい。
そして、リィフは最後に自分が主人公を倒して、自分好みのバッドエンドとして終わらせたい。
ニャルさんも、Cルートに進んでほしい。
但し、ニャルさんが考えているのは、リィフの思い通りの結末ではなく、
アリスのリボンで主人公が覚醒して、リィフを打ち倒すこと。
以前の考察を読んだ方は、
ニャルさんもCルートに進んでほしいから、アリス02はニャルさんのほうが作ったのではないか?
という考察をしていたのですが、
リィフがDエンドの最後まで、ニャルさんのことに気づいていないということを考えたら、
アリス02を作ったのはリィフ側で、ニャルさんが仕組んだのはリボンだけじゃないか?
という考えに変わってきました。
●Dエンド 総括
・不思議の国を作ったのはグリムではなくアリス(ナイアーラトテップ)。
そして、メアリィ・スーが不思議の国を作ったわけでもない。
・不思議の国のラフレシアの話では、祈り主が生まれたのは不思議の国
・ラフレシアの話では、祈り主がアリスを連れてきて、アリスが主人公を連れてきた。
でも、アリス=ナイアーラトテップだから、
ここらへんはいくらでもアリスが仕組むことが可能。
Cエンドまでで捉えると、
一見、グリム自身が物語の世界に引きずり込まれて、そこで祈り主がメアリィ・スーに祈り、
改変されまくった世界(物語)を、グリムが冒険したダークメルヘンのように見えます。
だけど、本当は、不思議の国はアリス(ナイアーラトテップ)が最初から用意していた舞台。一見、グリム自身が物語の世界に引きずり込まれて、そこで祈り主がメアリィ・スーに祈り、
改変されまくった世界(物語)を、グリムが冒険したダークメルヘンのように見えます。
グリムは、そのアリスに連れられて、不思議の国に来て、
そこから祈り主の嫉妬が始まって、メアリィ・スーが呼び寄せられた。
・ナイアーラトテップは、元ネタからして、
トリックスターとして、世界(話)をかき回す存在。
その上、「人間はもとより他の旧支配者達をも冷笑し続けている」存在なので、
他の神のやっていることも冷笑している存在です。
つまり、メアリィ・スーがグリムを引っ掛けていたように見えて、
さらにそのメアリィ・スーを引っ掛けていたのはアリス。
メアリィ・スーに対して、
「いくら自分が力のある存在だからと言って、
原作を踏みにじって、敬意のない同人のようなことをやって威張ってんじゃないよ。」
と、最終決戦で主人公側を勝利に向かわせる一手
[アリスのリボン]も仕組んでおいて、メアリィ・スーの狙いをひっくり返した。
メアリィ・スー(語源・意味)的に勝手に出現した同人要素を、
原作の神(ナイアーラトテップ)に活躍させて倒させる話なわけですから、
原作の神を尊重していると言えます。
Cエンドの作品としての主張、
敬意のない同人を斬るというメッセージ性も体現できている上に、
メアリィ・スーという馬鹿な神を冷笑するというナイアーラトテップの本分も果たしている。
Dエンドを追加しても、[敬意のない同人を否定する]というメッセージ部分は、変わっていない
(それどころか、その役目を原作の神を活躍させて果たさせることで、原作を尊重している)ということです。
Cエンドから、さらに一ひねり加えてきたということです。
クトゥルフ神話など、超越的な存在たちを持ち出す時点で、
「『裏で超越者が糸を引いていただけです』
ということで、やりたい放題じゃないか」
と、しらけさせる可能性もあるのに、ちゃんと内容のあるシナリオに落としきっているのは上手い手法ですね。
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