2018年12月30日日曜日

今しかない。俺しかいない。

初めに
最後のfeelings、何を書くか相当悩んだが、残す意味のあるものを書こうと思う。
内容に関しては自分の主観も入るので、異なる意見があって当然だと思います。そして目上の人へのリスペクトに欠く発言もあることに関し、謝罪いたします。申し訳ございません。


ここ3年の間に東大ア式蹴球部の内部で何があったのか、そしてそれを経て挑んだ最後のシーズンについてを残します。恐らく淡々とした内容だし、長いです。どうかお付き合いください。











「学生時代、周囲を巻き込んで何かに取り組んだ経験はありますか?」

就活においてクソほど聞かれる質問。あらゆる面接でこの質問に答えながら、話している内容とは全く別のことをいつも思い浮かべていた。自分にとってその質問への本当の答えはそんなものではない、と。











私には心の底から本気で、ある出来事を、ある人間を恨んだことがあります。今でさえ、冗談おかしくその頃のことを話したりほんと嫌いだよねーみたいに言われているが、冗談ではない。
あるJリーグを目指す社会人チームのことをUと表すこととする。



1年目
一年生の頃、ア式は星コーチのもと練習を行っており、個人的にも大変よくして頂いた。リーグ戦は2部3位に終わるも、1部から2チームが関東へ昇格したことで幸運な形での1部昇格を決めた。暁星の先輩である花嶋さんが主将で、中西さんが点を取り、しんごさんが走る、いいチームだった。この頃、Uは東大では土曜にのみ練習をしていた。社会人チームは皆仕事があって平日は人数が集まりにくい上に、自チームのグランドを持っていないのだ。たまにリーグ戦前日の調整としてUと紅白戦を5分ほどすることがあったが、レベルが高くワクワクしたのを覚えている。

2年目、前期
そしてリーグ戦を終え、長期オフがあけて星コーチが満期で退任となった。次のコーチはどうするのかなーと思っていると、こんなことを耳にする。

①「次はコーチなしで学生だけでやっていくらしい」

まだ高校サッカーの感覚から抜け出せない自分は、大人の指導者のいない学生サッカーが存在しうることに戸惑いがあった。これが学生主体か。いやいや大丈夫か?
こんな感じだったが、次の主将がとんでもない努力でカバーする。だが振り返ってみれば、この時から彼らの計画は始まっていたのだろう。


主将、副将とOBコーチで練習メニュー、練習マネジメント、リーグ戦でのベンチワークもメンバー決めも全て行う。これは本当に大変そうで、膨大な時間を割いて大変な苦労をしながら運営しているのは目に見えてわかった。特に主将は凄かった。自分にはできない本当に凄いことだと思う。
さてこの頃になるとUは平日の練習も始めた。ア式の後の時間やグランド端のスペースを使って少ない人数で練習をしていたが、そんな中、Uの監督発信で以下の制度が始まる。

②「派遣制度」

ア式から3人ずつほどア式の練習ではなくUの練習に参加するもの。ア式側のメリットは上手いチームの練習で揉まれて成長すること。Uのメリットは練習人数が足りないので補えるし、グランドも東大のものを使える。一応win-winの形。

プレシーズンのアミノバイタル杯が近づき、そろそろ全員揃って練習した方がいいんじゃないかなーと思い、派遣制の言い出しっぺであるUの監督へ意見してみると、大変に怒られ却下された。最後に、「俺に来る前にまずチームをまとめてから来い。あんな雑魚軍団もまとめ切れねぇのにボスに喧嘩売るな」と。なるほど今後に活かすか。




そして自分にとっては二度目のリーグ戦が始まる。が、これが全然勝てない。前期リーグ、立教に勝った1勝のみ。圧倒的な敗北ばかりではなく、ハンドでPK失点などでの一点差負けが多く、くそ歯がゆかったのを覚えている。こんな中、当然変革が必要だと考えるのが幹部陣。前期の途中、幹部陣は後期からでもコーチを招致することを監督に頼む。が、そんな簡単な話ではないとのことで、以下のシステムを与えられた。

③「Uのコーチがア式のコーチを兼任する」
つまり、「ア式とUの合同練習」を行う。

それまで土曜の紅白戦と派遣制度でのみ交わっていた両チームが、水木土の週3日完全な合同練習を行うこととなる。それ以外の火曜と金曜は従来通りア式で練習し、日曜の試合もOBコーチが指揮をとる。両者のメリットは先程と同じで、ア式はコーチが付くうえに高いレベルの人と練習ができる。Uは平日の練習が東大のグランドでの人数十分な練習となる。win-winにもほどがある。、、?

前期途中で変化を起こすも結果はついて来ず、前期1勝8敗の最下位。このままでは2部へ降格してしまう。
自分がバースデーゴールを決めた思い出の京大戦を境に、幹部交代の時期を迎える。

2年目、後期
幹部が交代し、その後の運命を決める大事な大事な話し合いが行われた。

④「後期はUの監督が暫定的にア式の監督も兼任する形とし、彼に全てを任せる」か否か。

についての話し合い。チームを彼に託し、試合の指揮も方針決めも彼が全て担うかどうか。後期1つでも多く勝つために変化が必要なのは明らかであり、コーチが呼べないであろう状況で最善と判断された提案なのだ。

新旧主将副将とOBコーチ2人、そして主務とGMとタダケンさんと自分と山口遼の11人での話し合い。


変化が必要なのは間違いないから、新主将を信じ、暫定的にやってみるのはいいと思う。というのが9人の賛成意見。
反対したのは、自分と主務のやつ暁星2人だけ。絶対にうまくいかない自信があったから、自分でも驚くほどに猛反対した。
だが新主将副将のことは当然信頼しているので、多数決に従い、後期は上記の④の体制となる。ここからチームは一気に崩れてしまう。
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win-winという言葉を数回使ってきたが、これが正しいのは表向きだけなのである。
このあたりから合同練習は大きく変化し始め、表向きのwinを盾にア式は肩身が狭くなっていく。以下に具体例を挙げる。


ア式のトップ10人と社会人全10人ほどが練習をし、残りのア式のセカンドの選手達はハーフェーラインに立って見学する日々。練習が終わってから、お前らなんもしてねーんだからと21時練習終了後にダブルボックスをするだけ。Uの攻撃パターン練習の守備係をひたすらするア式の選手たち。この布陣で守備してくれと平然と頼まれ、平然とわかりましたという。リーグ戦前日だから軽めに済ましたいのにUと40分試合を組まれ、ただ従うア式、etc..


合同練習?いや違う。オーガナイズの問題?いやいや。完全にア式はUの「補佐」であった。UがJリーグに行く為に東大の資源を搾取するだけの構図。コーチの兼任など嘘っぱちで要は人数、グランド使用のためにうまく使われているだけ。Uのリーグ戦での反省やスカウティングから練習メニューを組み、ア式のそれはガン無視である。それが嫌なら自分達のやりたいことを頼みに来いというスタンスだったが、そんなもの実体はない。そして文面では大変伝わりにくいが、この合同練習、恐ろしいほどに雰囲気が悪い。分かる人には分かると思うが、雰囲気、よくなりようがないのだ。

一応述べておくが、Uの選手達はそれぞれサッカーが上手く、いい人であった。”選手は”何も悪くない。


この間、文句を言うやつはいないのかと疑問に思うのが普通だが、実際めちゃくちゃいた。皆、苦しんでいた。ただ文句は言いながらも何か行動することはなく、ただいやーな雰囲気で練習をする。自分もそう。情けないことにこれが東大生の現実。上手い人と一緒にやることのメリットはそりゃあるが、これは話が違う。
これを長く続けた結果気づけば退部者は30人弱にのぼり、それも1年生からAチームに入ったような奴まで辞めるんだから事態は深刻であった。



さて、監督が変わりリーグ戦後期はどうなったのか。後期9試合でまた1勝だけ。(また立教にだけ勝った笑)しかも前期と比べ、良くなるどころか大敗が多くなる。練習があんなで、しかも勝てないのだから雰囲気は地獄である。
結果、当然2部降格。苦しい苦しい、2度目のシーズンが終わる。④の体制をとり彼にチームを託したが、上手くいかないどころの話ではなかった。試合に出てたし、反対しながらも多数決に従ったのは自分であり、他人のせいにするつもりはない。が、コーチからコメントはなく、当然監督も責任を取ることもない。
まあ次のシーズンで改革されるだろうから今は我慢や。と思っていた、、、







3年目、前期
そして長期オフが終わり、自分にとって3度目のシーズンのスタートmtgが行われ、突然衝撃的な発表があった。


⑤「監督はUの監督兼任を続投。ア式の中心選手6名はUに暫く移籍。合同練習は火曜も追加し週4日に増加。」


「おいおい嘘だろ。」
全て監督が決め、従うだけ。なので当然話し合いもなく決定がなされ、全てが寝耳に水であった。監督は暫定的じゃなかったのか?勝ててもないのにこの練習体制を続けるのか?寧ろ合同練習増えてね?練習試合に主将も副将もエースもいない?全てが悪い方向に改革されていた。

練習でのゲームは、社会人を2つに分け、足りない人数やキーパーをア式から補い、ゲームをする。残りのア式のメンバーも2チームに分けてゲームをするが、キーパーは取られゴールも取られ、仕方なくコーンでゴールを作りOBコーチがキーパーをし、5対5でゲーム。まるで小学校の休み時間の強化版。実際にこんな日もあるくらいに悪化してしまった。



発表時、逆さにしたポカリタンクの上に座る寺山が隣で口をぽかんと開けている。ジュンヤさんが甲高い声で抗議している。
が、もはやどーでもよかった。


「終わった」と思った。ここに残る意味はない。絶対に勝てない。どこか他のチームを探そう。


ア式でこれ以上続けることが時間の無駄なのは明白だった。どこのチームがどこで週何回練習していて、どこのセレクションがいつどこで行われるのか沢山調べた。ア式の練習を交通事故とか言って休んで他チームの見学や練習参加をして自分のレベルを見定め、おおよその目星を付けた。それから、家の地下室でもう一度本気で考えた。



「本当に辞めんのか」



学生サッカーに未練残らないかとか、受験生時代の自分は可愛そうじゃないかとか、死んだア式に残された同期はどうなるのかとか、後悔しないかとか。これらはほんの一部だが、くっっそ考えた。

こんなの恥ずかしい話だが、自分は東大サッカー部に入りたくて浪人した。それが母校のサッカー部への、顧問への恩返しになると思ったから、東大サッカー部に入るために浪人して、全く遊ばずに、頭悪りぃから1日16時間ほんとにクソほど勉強して、やっと入った東大サッカー部。それを辞めるの、自分バカすぎだし、時間勿体無いし、悔しいし、けど続けてもア式は終わってるし、、。

全ての元凶である監督が本当に憎くて、心から、言葉は悪いが、殺してやりたいと思った。本当に苦しかったし、悔しかったし、人にあそこまで怒りを覚えた記憶はない。
それと同時に、心から、誰かに助けて欲しかった。誰かに泣きつきたかった。自分以外の誰かがなんとかしてくれないのかと、本当に、心の底から、無駄なのは分かりながらも、切願した。なぜ、今なのか。なぜ、自分なのか。何度問うたか分からない。死んだチームで死んだように練習することが、悲しくて仕方がなかった。



それでもきっぱりと辞められないのには理由があった。自分についての後悔は選択した道の中で挽回できるが、残されて苦しみ続ける同期を見捨てたという後悔だけは、一生ついて回る気がした。LB2ndを無くすことも自力でできず同期を苦しめ、今度もまた何もできないのか。
ある日、「辞めて別のチーム行くわ。」と同期の1人に言ってみると、「お前辞めたら俺も辞める」と言われ、この時ある覚悟が決まった。



退部すんなら刺し違えてからにしてやる。俺がやるしかない。今度こそ。



今まで不満を持って辞めていくやつらに、不満あんなら黙って辞めずに行動してからにしろやとか思っていたので、他でもない、自分がやるしかないと思った。





☆もう一度、ア式の専任コーチの下でア式だけで練習する。



これをどんな手を使ってでも達成する。

1人で抗議しに行ったとしても、あんな雑魚軍団まとめ切れねぇのにボスに喧嘩売るな。と言われるのが落ち。今回は学習を活かし、徐々に人を巻き込んでいくことにした。だが途中で主将副将など幹部陣に露見し分解してしまうのは避けたかったから、本当にコソコソと、同期、親しい後輩、先輩の順に1人ずつ話を持ちかけ、賛同してくれた人はグループに追加していった。

別練習にしたい、けれど岩政さんの指導は残したい、という部員は多かった。岩政さんの指導が大変貴重なことくらい俺も理解していたが、どっちも欲しいなんてそんなの甘い。ルノアールのココアより甘い。正直現実を認識せず文句だけ言う奴らにかなりいらついた。間違いなくどちらかなのだ。犠牲なしには何も得られないのは明白で、いいとこ取りだけしようなんて虫が良すぎる。



相当長い時間をかけて秘密裏に大半の部員を束ね、話し合いを繰り返して目標を明確にし、数人の面識のない偉大なOBの方々にも相談させて頂き、春の合宿で満を持して幹部陣にぶつけた。ヒラ部員のくせに、本当に生意気ではある。驚きながらもこれを頭ごなしに否定しなかった幹部の方々を本当に尊敬している。


合宿中、毎晩3時間に及ぶ話し合い。やはり幹部陣は今の体制でいきたいようで、意見は真っ向から食い違った。

録音して議事録を書き、部員全体やOBの方にも共有し論理を練って次の話し合いに。詳しくは書かないが話し合えど話し合えど、まとまらない。幹部が話に乗らない限り、ヒラ部員の集団では潰され失敗するのが濃厚であった。そういう相手だった。



そこでひとまず、Uの首脳陣の反応を見て探ることになった。
主将の方の口から、練習を別にするのはどうかと彼らに言ってみると、案の定、お前ら何言ってんだ?という感じ。「ア式が将来、関東に上がるには今の体制しかない。お前らは4年間でいなくなるが、俺はずっと居続けるんだ。生意気言うな俺が正しいに決まってる」「下手な奴には練習させずに上手い奴数人と社会人だけで練習した方がいいだろ」とのこと。
練習を別にしたいと言えば、Uの人数が足りなくなると言われる。合同練では人を取られてしまいア式側の人数が不足すると言えば、人数が多ければいい練習なのか?と言われる。自己矛盾だらけのクソ会議。もう発想がゴミ。


これは骨が折れる。それだけが分かった。だが必ずやり切る。そのために辞めずに続ける。それだけが決まった。
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そんなこんなで3度目のリーグ戦が始まり、1部復帰を掲げて挑む。だがまさかの、まさかの、2部でも勝てない。3部からの昇格組の弱小にも負け、前期たったの2勝。五月祭での試合も無残に敗れ本当に本当に悲しかった。本当の、地獄。昨年1部で勝てなかったのをはるかに上回る地獄。説明のつかない謎の采配。サイド裏に蹴れというだけの指示。
上智戦で負けていたハーフタイム、監督が主将に向け「主将変えたほうがいいんじゃねーか?」と発言した時は耳を疑った。主将がどんな気持ちで、どんな覚悟であなたにチームを託したと思っている?一緒に闘おうとは思わないのか?
2部で勝てないとはさすがに思っておらず、想定の甘さから打ちひしがれる部員達。想像を超えて、東大ア式は本当に弱くなっていた。関東に上がるためとほざいて、2部下位にまで弱くしてどーするつもりなのか。今思えばあんなサッカーでは勝てない。タレントが揃っていただけに本当に勿体無かった。
気持ちはまだ闘争心丸出しであったが体は正直なもので、情けない事にストレスによる突発性難聴になってしまった。考えることが多すぎた。






3年目、後期
リーグ戦中断期間の京大戦が終わり、例年通り幹部交代の時期に差し掛かる。学年mtgの結果、自分が次期主将になることとなった。だが自分は、今は変わる気は無かった。この体勢のままシーズン途中で主将になっても、懐柔されざるを得なくなるだけだと思ったからだ。

幹部交代時期の変更を監督に伝えると、またいつものガチギレ。まず中沖主将も寺山副将も認めないと。そして部員を束ねてクーデターのようなことをしようとしてるらしいなと指摘され、俺に楯突く奴は退部だ。お前は辞めろ、と言われる。
幹部交代時期の変更を諦め、辞めずに主将になる道を模索し始めるが、もう既に後手を踏んでいるこの状況はさすがである。同期に多大な迷惑をかけ、話し合いをして、なんとか監督に主将として認めてもらうという形を取らざるを得なかった。監督は同期の一人に主将に立候補しろとそそのかし、自分とそいつにプレゼン対決を行わせた。こんなもの出来レースである。自分の手で、決めたかっただけ。



なんとか退部せず主将となり、その後目標達成のため少しずつUとの距離を取っていった。社会人が多く来れる土曜だけは別練習にしてもらうよう交渉したり、木曜の合同練は前半別で練習し、後半に試合をする形を提案したり、後期リーグ戦の采配は監督ではなく毎度練習にいて選手の調子を理解しているOBコーチで行うことを提案したり。シーズン中だったから、いきなり変えるのは不可能であり徐々にやっていくしかなかった。


そして後期リーグ戦が始まり、主将として初めてリーグ戦を戦った。開幕後5戦無敗と転じて好調だったが、迎えた6節目で後期初黒星を喫し、なんともう昇格が消える。前期の借金は大きすぎたのだ。え、終わり?て感じのシーズン。
後輩に振り回されながらも、文句も言わずに最後まで自分を主将として立ててくれた一個上の方々には何を言っていいのかわからなかった。謝罪と感謝と悔しさが入り混じりメッセージはかえって誰にも何も書けなかった。(H・Yさん、K・Tさん、J・Kさん、最後の年なのに尽力してくれて本当にありがとうございました。このご恩、一生忘れません。)

こうして自分にとって最後のシーズンを、関東を目指してやれないことが決まる。







4年目、最後のシーズン
地獄となった3度目のシーズンが終わり、ついに最高学年。主将という地位も得て、最後のシーズンに向けて目標達成への行動も最終盤となる。
采配は学生コーチが取るようになった。土曜は別練習になった。残るは、火水木を別練習にするだけ。発起人として"俺は"責任を果たさねば。




話をしに行くと、いつも通りの反応。

まず「与えられた環境でベストを尽くせ」とキレられる。
いや待て待て、奴隷に対して言っているのと同じではないか。欲しいもんは全て取り上げて、地獄の環境にしてからその環境でベストを尽くせって。よく平然とそんなことが言える。

東大生は自信がすごいね。自分たちだけでやれば勝てると思ってるの?
出た東大生は~だから理論。これではただの口論でしかない。もはや隠しもしない、奴らは人数の補充とグランド利用の大義名分が欲しいだけなのだ。



だがUにも変化があると見込んでいた。選手の補強に次ぐ補強で、レベルがとてつもなく上がっていたのだ。つまりセミプロの人も増え、これはもはやア式から人数を借りなくてもいい、むしろ下手くそなア式と一緒に練習するのは邪魔という状況となるはず。部の総意を叶えるには悲しいかなこれに賭けるしか無かった。


もう何度目かもわからない、練習を別にすべきだと話をしに行くと、反応が変わり始めた。想定通りの理由から、もう一緒にやるのは難しいのではという議論になり始めたのだ。3年前、土曜日のみグランドを使っていたUは、上記の①~⑤の練習体勢の変化の中で、目論見通りグランドを使う大義名分を得ていった。つまりもはや、合同練習でなくても毎日東大のグランドを使えるし、人数も確保できるのだ。



そして忘れもしない、最後の議論。そこで不本意な形ではあるものの、悲願の、完全別練習に。
そしてコーチには同期の山口遼が学生コーチとして就任。こいつがまた優秀なコーチなのであった。

☆もう一度、ア式のコーチのもとで、ア式で練習する。

時間もかかったし、学生コーチとはいえ、やっと目標達成。上手い人と練習するメリットを盾にされ、Uに利用され続け、人が辞めていき弱り切ったア式の再スタート。



ア式専任のコーチがいて、ア式だけで練習し、遠征も行い、他人に利用されることなく、リーグ戦で勝つ為だけの努力をし、力を蓄える。普通のことだが、本当に本当に毎日幸せだった。






『復活』を掲げ、4度目の、最後のリーグ戦を迎えた。
恐らく奴らには、どーせ勝てないだろうと思われていた。だが結果はどうだろう。13勝2
敗3分。3試合を残して昇格を決め、2試合を残して優勝を決めた。誰が見てもわかる圧倒的復活。結果が全てを物語っている。気づけば監督が姿を見せることもほぼ無くなっていた。



クーデターのような格好いいものではない。結局刺し違えてもない。毅然とした態度で線引きをしながらも、奴らの機嫌を伺いつつ交渉を続け、相手の心境の変化で体制変更を成し得ただけ。だが間違いなく、何もせずあのままだったら、東大ア式は死んでいた。ア式の未来のため?未来など絶対になかった。

こうして4度目のシーズンを、2部ではあるが優勝という形で締めくくることが出来た。










理由
納会で多くのOBの方々に沢山のお褒めの言葉を頂いた。中には、色々あったからこそ勝てたんじゃないか?という方もいた。そんなまとめ方はしたくはないが、確かにそうかもしれない。
最後のシーズンへ賭ける気持ちが、他のチームに比べてまるで違ったのは事実。てか一緒なわけがない。負ければ地獄へ引き戻される可能性があったから、負けることが恐ろしくて仕方がなかった。
勝たなきゃならない、負けるわけにはいかない理由が、俺には、俺らにはあった。


プレシーズンの日生戦で負けた時あそこまで名指しでキレたのにも理由がある。経験のない後輩にまで怒号を飛ばしたのにも理由がある。点取って人一倍喜ぶのにも理由がある。帝京戦、自分が与えたFKで失点したことに関し全員に謝罪したのにも理由がある。同期達が苦しみながらも努力する姿が自分の力になる、成長し活躍してることが何より嬉しいのにも理由がある。


ずっと苦しかったから、後輩達を守らないといけないから、
今年負けるわけにはいかなかった。
勝てて本当によかった。このままが続くことを願うのみ。
だが留年した遼が卒業する再来年、コーチはまたいなくなる。ああ恐ろしい。



「初めから今年のやり方の方が上手く行くと思ってた」なんて口が裂けても言えないはずだ。もしだ、もしも、まさかとは思うがもしそんなことを言っているのであればあれか?十何年も長くア式に居続けるから試しに実験してみたけど失敗したから戻します、犠牲になった学生ごめんねタイミングどんまいってか?冗談じゃない。4年しかいないから、4回しかないから、2年間は実験失敗でしたてへぺろなんて受け入れられるわけがない。
社会一般において、大きなものを成し遂げる為に弱者が犠牲になることはあるのかもしれない。だが学生サッカーにおいて、東大ア式蹴球部において、俺らが黙ってなきゃいけないことなんてないはずだ。おかしいと思ったらハッキリと声を上げろ。じゃなきゃ必ず繰り返す。結果こそが最大の強みであり、最大の弱点である。結果を残し続けなければ付け入る隙を与えることになるぞ。がんばれ後輩たち。チームを、仲間を守れ。黙ってても誰も助けてなんてくれないから。
ほんとに、誰も。

少し熱くなった、落ち着きます。



















最後に。感謝を込めて。
高校時代に培った暁星魂は、大いに奮った。が、主将として、どうだっただろうか。
リーグ戦でチームの窮地を救ったのは俺ではない。ともあきや寺山だ。勝つための戦術を与えてくれたのは遼や日野、小椿だ。
今期取った9点は、クソ汚い6点とPKでの3点。胸を張れるものではない。一方で佐俣や菖は練習通りの綺麗なシュートを決めてた。言うなれば鳴り物入りで入った自分は期待通りのパフォーマンスを見せることができたのか、、?


4年間のうち半分以上の時間をチーム体制のことに必死になっていたために、サッカーでの個人の成長は止まってなかったか。これだけが、刺さったままである。まあそんなものは誰にも分からない。だがその犠牲のお陰でこの先、大和や槙、大谷や内倉が同じような目に遭わずサッカーに集中し関東を目指せるというのであれば、まあ、いいかな、なんて自分に言い聞かせている。


東大ア式100年の歴史の中で、2部から1部に昇格したことなど本当に小さなことなのかもしれない。100代目の主将として、他の99人の主将達から見て自分は称賛に値するとは思えない。けれどこれだけは胸を張って言える。最弱と言われながら癖が強いなりに妙な団結感を持って闘った同期13人それぞれの働き、思い、努力、成長、そして結果については、どの代の誰が見ても間違いなく称賛に値する。彼らが同期で本当によかったと思う。2浪も悪くない。
















高校時代、意味不明だった監督の話がある。徳の高い僧侶が猛暑の中で干し椎茸を作っており、何故こんな暑い中、あなたのような偉いお方がそんな仕事をするのかと問われ、一言こう答えたそうだ。
「今しかない。俺しかいない。」

なぜ、今なのか。なぜ、自分なのか。涙を流し擦り切れる声を漏らしながら問うたこの疑問への答えは既にもらっていたのかもしれない。
やっと、意味が分かった気がする。最後までお世話になりました。




自分の考え、判断が全て正しかったなどとは思っていません。恩知らずとも言われるでしょう。ただ、東大ア式ではこんなことが起きていた、それを後輩たちの為にもちゃんと残しておきたかっただけです。

協力してくれた同期、先輩後輩、OBの方々、そして支えてくれた人へ最大の感謝を込めて。















「学生時代に周囲を巻き込んで何かに取り組んだ経験はありますか?」
「笑わせないでください」

4年 前主将   中沖隼

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