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フリーメイソン(3)「古代文明(1)」
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ミトラ教を追求していくと古代のイランの文化、スィームルグ文化に突き当たります。
このスィームルグ文化は今まで欧米学者に無視されてきました。
理由はわかりませんが、もしかしたら世界の宗教の原点であるミトラがまさか、中東のイラン発祥とは白人優位の文明人は認めたくないのかもしれません。
現在「スィームルグ運動」といって、この文化を基礎にした真のイラン文化論を広め、今までの歪んだイラン観を見直す活動が展開しているそうです。
どうやら、偽史を正していかなくてはいけないのは日本だけではないようです。
そしてこのスィームルグ文化は日本にとっても無視できません。
何故ならこのイラン発祥のスィームルグ文化は広大な領域を覆り、日本にも影響を与えたからです。
現在、ミトラ教の復興運動を進める東方神智学の研究者である東條真人博士によると、古代イランの新年は3月21日、つまり春分の日(太陽が牡羊座0度に入る)であり、これが伝わって中国・朝鮮半島・日本では新年度が春に始まるようになったと考えられています。
ではミトラの生みの親、スィームルグ文化とは?
スィームルグ文化は地図を見ていただけばわかるように、ステップ・ルート、海のルート、そしてオアシス・ルートを通って、広大な領域に影響を与えています。
そしてスィームルグ文化は主神ミトラを生み、
ゾロアスター教、ズルワーン教
西方ミトラ教、東方ミトラ教(マニ教)、ボゴミール派/カタリ派
マズダク教/バーバク教/ホッラム教
ヤズダン教(孔雀派、天真派)
大乗仏教(弥勒信仰/浄土信仰/密教など)
弥勒教(中国)
ポン教(チベット)
イランおよびクルディスタンの民間伝承と、各地域に体系を変えて広がっていきます。
ゾロアスター教=アケメネス朝初期に誕生した、アフラ=マズダーを主神とする宗教
ズルワーン教=アケメネス朝中期に誕生した、ズルワーンを主神とする宗教
西方ミトラ教=ローマ帝国全域およびパルティア帝国領内に広がったミトラを主神とする宗教
東方ミトラ教(マニ教)=摩尼教、明教とも言う。ササン朝初期にマニにより創始された宗教
ヤズダン教/ミール派イスラーム&シーア派=イスラームと融合したミトラ教系宗教。シーア派の一派とみなされるときには、ミール派イスラームあるいは、グラート と言う。グラートは過激派の意だが、この場合の「過激」は、ミトラ教との習合が過激なくらいに進んでいるという意味。
さてスィームルグ文化の世界観は真珠(ドゥル Durr)と呼ばれる世界卵です。
この真珠の世界卵は水晶のような石あるいは金属でできた固い殻(天殻)につつまれ、卵の内部には大気と水と島がある。ミトラによる天地創造が始まると三倍に拡大した。
この天殻の中が世界であり、天殻の外には何もない。ただの無が広がっている。
そしてこの世界卵を生んだのは霊鳥スィームルグである。
また、卵を産んでかえしたので霊鳥スィームルグは聖なる母、大女神でもある。
あるとき、スィームルグは、世界卵を生んで、それが孵るようにとその中に自分の本質である友愛をこめた。
世界卵は中空で、下半分には水が、上半分には生気が満ちていた。
水面の中央には、世界の種子となる島が浮かんでいた。
世界卵の中に光はなく、暗かった。すべてが静止しており、音も動きもなかった。
霊鳥スィームルグが世界卵を抱き続けると、世界卵が熟した。
まず島の上にあらゆる植物の起源となる聖樹(リーワス)とあらゆる動物の起源となる聖牛(ガウ)が生まれた。
さらに世界卵が熟したとき、スィームルグの愛が天殻を通って世界卵の中に入った。
愛は世界卵の中に入ると、少年神ミトラになった。
ミトラは世界の主にして、火と太陽の神である。
千の耳と万の目を持つミトラは孔雀の尾羽を広げたようなオーラに包まれ静かにたたずんでいた。
最初期の神話では、この殻の中で天地創造がおこなわれ、世界が誕生するが、後の神話では、天殻が割れて世界創造が始まると考えられるようになった。
ミトラは島の中央に降り立つと、七名の神々が現れた。
しかし、八番目の神は、うまくこの世に現れることができず無定形でうごめいていた。
ミトラは彼らとの友情と世界の繁栄を願って、霊鳥スィームルグのために最初の供儀を執り行い、聖牛を献じ、聖樹を細かく砕いてしぼり樹液を取り出した。
最後に、八番目の兄弟を正しい姿に育てるために、供儀に付した。
ミトラが供儀をおこなうと、島の上空に明るく燃える火、すなわち太陽が現れた。
太陽が昇るにつれ世界卵も大きくなり、ついに三倍の大きさになった。
天空の大きさが定まると、ミトラは無数の星をつくって天上に飾った。
ミトラの執り行った供儀により、島と海も大きく広がり、三倍の大きさになった。
ミトラは七名の神々の一人に太陽をあずけると、残りの六名に自分の真似をして、月、水星、金星、火星、木星、土星をつくるように言った。
彼らがこれらの惑星をつくり終わると、ミトラは星々に合図を送った。
すると、星々は運行を始めた。
星々の回転にともなって、時間が生まれ、昼と夜、春夏秋冬が生まれた。
バビロニア占星術は、前一八〇〇年から前八〇〇年頃にかけて、天文学・数学とともに急速に発達し、暦のなかに七曜が使われるようになった。
それゆえ、七曜神とその占星術的な意味づけは、この時期に固まったと考えられる。
また、スィームルグ文化/ミトラ教にアダムとエヴァは存在しない。(西方ミトラ教も)アダムとエヴァの神話を本格的に取り入れたのは、東方ミトラ教(マニ教)である。
アダムとエヴァは、ミトラの美しい姿を見たアーリマン(雄ライオン神)とアズ(雌ライオン神)がつくりだした泥人形である。
アーリマンとアズが、泥人形をミトラそっくりにしたのは、光のかけらがそれに満足して、いつまでも泥人形の中にとどまりたいという思いをいだかせるためである。
ゾロアスター教、ズルワーン教では、アダムとエヴァは登場しないが、この二人に相当する最初の男女としてマトローとマトローヤオが登場する。
アダムもエヴァも、ともにセム語である。
アダムは赤土を意味するところから、しばしば泥人形と呼ばれる。
エヴァはセム語で生命を意味する。
最初、みないっしょに住んでいたが、時が経つにつれ、住み分けをするようになった。
あるものは天界、地下世界(冥界)、地上に住むようになった。
七曜神は千年(天の一日)を一周期として、交代で世界を統治した。
星々の運行に導かれて、霊魂(明性)は輪廻転生をくりかえすようになった。
星々の運行がつくりだす春夏秋冬と昼夜の交代のもとで、生き物は成長と死滅をくりかえした。
霊魂が天上の階段を下って地上に降りるとき、七曜神はさまざまな特質を分け与えた。
世界周期の終わりが来たとき、母なる霊鳥スィームルグのもとに帰入する。
次回に続く。
参考:ペルアシ神話大辞典 東條真人,Ph.D
一神教は排他的な宗教ですが、それが強く表れているのがユダヤ教で
それに対抗して、博愛主義を唱えたのが、キリスト教です。
ヨーロッパで利用価値があったのが、キリスト教ですので、キリスト教をヨーロッパで採用します。
ところが、キリスト教もしょせん一神教。
勢力が強くなりすぎたため、マニ思想をとりいれた一神教のイスラム教を作り、勢力を割ります。
その後、ヨーロッパでは教会が力を持ちすぎたため、カトリックとプロテスタントと二分します。
世界には大きく分けると、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と
同じ神を崇拝している3つの宗教の勢力があります。
ユダヤ教徒=1300 万人
キリスト教徒=21~22 億人
イスラム教徒=15~16 億人
キリスト教もイスラム教も、もともとはユダヤ教から派生した宗教です。
この 3 つの宗教だけで世界人口の大半を占めいています。
ユダヤ教の起源は、紀元前 1280 年頃だとされていてアドナイを神として崇拝しています。
キリスト教の起源は、紀元後 1 世紀前半とされていて、日本に伝えられたのは西暦 400 年代です。
ナザレのイエス…すなわちイエスキリストを救い主として信じています。
イスラム教の起源は、西暦 610 年頃とされていて、
神の使徒とされるムハンマド(マホメット)の教えを信じています。
ムハンマド(マホメット)は、イスラーム教の開祖、軍事指導者(西暦 570 年頃~632 年 6 月 8 日)
この3つの宗教が崇拝している神を、ユダヤ教では「アドナイ」と呼び、
キリスト教では「ゴッド」と呼び、イスラム教では「アラー」と呼びます。
これらは呼び方は違いますが全て同じ神(創造主)のことなのです。
神との最初の契約とされた「モーセの十戒」によって、
神の名を勝手に唱えてはならない…と定められています。
なので、「ヤハウェ」という名前が使われることはほとんどありませんが、
ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も基本的には同じ神を崇拝している宗教だということです。
では、この三者はいったい何が違うのか?
それは概念です。
ユダヤ教ではイエスやムハンマドを認めていません。
キリスト教ではイエスは神の子と考えてますから、ムハンマドを否定しています。
そしてイスラム教はイエスは預言者の一人であり、ムハンマドは最後の預言者だとしています。
細かく言うと他にも異なる考え方をした宗派もありますが。
それぞれの神は、かなり性格が違うとされていますが、
これは神が違うというより信者の考え方が違うのです。
彼らの正典である旧約聖書、新約聖書、コーランを読み比べても、
基本的に書いてあることはほぼ同じです。
ただ解釈の違いが、そうした性格の違いを生み出しているのではないでしょうか?