平成はバブル経済と共に幕が開きました。虚構の繁栄は間もなく崩壊し模索の時代が始まりました。平成経済は昭和を残したまま終わろうとしています。
「日本人はバイタリティー(活力)がある。だから大丈夫だ」
平成が始まった一九八九年暮れに日銀総裁となった三重野康氏(故人)から、取材中に何度も聞いた言葉です。
当時、低金利が原因で金が野放図に駆けめぐり、株価や地価が異常に高騰。一部の人々は投資に酔いしれていました。
◆バブル退治の鬼平
いびつな時代に終止符を打ったのが三重野氏です。バブル退治を掲げ、国が嫌がる金利引き上げを何度も断行しました。「平成の鬼平」と呼ばれました。
この利上げが効き過ぎ、デフレを引き起こしたとの指摘があります。しかしバブルを退治しなかったら、日本は闇資金がうごめく破綻国家になっていたのではないか。三重野氏はやはり正しい選択をしたのでしょう。
戦後復興の活力があれば、バブル最大の負の遺産、不良債権を片付け景気は上昇軌道に戻る。三重野氏は、こう確信していたのではないか。
だが、政府・日銀は、公共投資による景気刺激と、金融緩和による円安で輸出企業を支援する従来の経済政策を繰り返す。古い産業を捨て新たなビジネスを生み出すには、バブルの傷は深すぎたのです。
◆広がる将来への不安
不安に拍車をかけたのは少子高齢化です。この問題は平成初期にすでに指摘されていました。少ない働き手が高齢層の年金を負担する近未来図が、逆三角形型のグラフを用いて説明されていました。
平成六(一九九四)年二月、細川護熙内閣が国民福祉税構想を打ち出す。消費税を廃止し、新たな税収は年金の原資を念頭に福祉に使うという計画でした。
細川首相が旧官邸で未明に行った記者会見に出ました。首相が新税について「腰だめではありますが…」と言った直後、質問が噴出。首相は説明不足を露呈し、数日後には構想自体を撤回せざるを得なかった。
平成は消費税という大型付加価値税と向き合った時代でした。国民は、年金の財源として消費税率を上げざるを得ない現状を認識しています。ただアップした税収が本当に年金に使われるのか疑念を持ち続けています。
消費税をやめて使い道を年金の原資と限定した税が創設されていたら、今どうなっていたのか。好機を逸してしまったという思いはぬぐえません。
米国の著名な経済専門家であるグレン・ハバードとティム・ケイン両氏は共著「なぜ大国は衰退するのか」(日本経済新聞出版社)で日本経済について、「起業家精神や革新を重視し、個人の失敗にきわめて寛容で、資本市場が小規模なベンチャー企業にも開かれている制度を、まったく新しい形で創造しなければならない」と指摘する。
しかし起業家を過度に警戒し、個人の失敗に不寛容で、資本市場では依然大企業が幅を利かせているのが現状ではないか。
平成の三十年はすでに色あせてしまった昭和の成長モデルと格闘し、結局、そのかなりの部分を残存させました。
この間、世界各国ではグローバル経済が広がりました。その象徴的な存在が巨大な金融資本とIT企業です。
この二大勢力は国境を無効化しつつあります。多くは巧妙に巨額の節税をします。納税者はこうした資本家たちに怒っています。
米国のトランプ政権の誕生や英国の欧州連合(EU)離脱、フランスのマクロン政権への反発は、グローバル化による分断が背景にあります。日本でも格差による分断は進行しています。ただ大きな社会不安には至っていない。
それは戦後経済が生み出した果実が、金融資産や社会基盤という形で残っているからです。日本経済には、まだ少し余力があるといえます。
◆民を救う日々は続く
経済という言葉は経世済民を略したとされます。「世を治めて民を救う」との意味です。世界では「救われていない」と感じた人々が、国家や資本家に憤り、無力感さえ漂っています。
国内でも同様です。少子化に伴う働き手不足、ブラック企業の広がり、増える非正規労働…。足元の課題に加え、人工知能(AI)の発達による職場激変の波も押し寄せるでしょう。
新しい時代、まずは経世済民の言葉に恥じない「温かな資本主義」というべき、包摂型の経済運営の広がりを主張していかねばなりません。
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