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元検事、小室哲哉氏の事件で改ざん指示か
大阪地検特捜部による証拠改ざん事件で証拠隠滅の罪で起訴された元主任検事が、
小室哲哉音楽プロデューサーによる詐欺事件でも部下に証拠の改ざんを指示した疑いがあることが
関係者への取材でわかりました。
実際には部下は指示に従いませんでしたが、最高検は元主任検事がかかわった過去の事件の検証作業を進めています。
大阪地検特捜部の元主任検事・前田恒彦被告(43)は去年7月、郵便不正事件に絡み、証拠として押収した
フロッピーディスクのデータを改ざんしたとして証拠隠滅の罪に問われています。
前田被告は小室哲哉音楽プロデューサーによる詐欺事件も主任検事として捜査を担当しましたが、
前田被告がこの事件でも部下に対して証拠の改ざんを指示した疑いがあることが関係者の話でわかりました。
この事件で、小室プロデューサーとともに逮捕された会社社長の取り調べを担当していた前田被告の部下の男性検事は、
前田被告から「立証上、邪魔なメールがあるからさわれ」と言われ、社長のパソコンに保存されていたメールを削除するよう
前田被告から命じられたと受け止めたということです。その後、男性検事は前田被告に「メールを消した」と報告しましたが、
実際は削除せず、裁判にも影響はなかったということです。
この疑惑の存在は郵便不正事件をめぐる証拠改ざんが大阪地検内の一部で明るみに出た後になって男性検事が
同僚の検事らに対して打ち明けたもので、男性検事は
「あの時、前田さんに絶対ダメだと言えば、今回のようなことにはならなかったと思う」と話していたということです。
最高検はJNNの取材に対し疑惑そのものの存在は認めながらも、「前田被告は改ざんの指示を否定している。
男性検事も、『正確なことは覚えていない』と、指示されたことを否定している」と説明し、内部調査の結果、
最高検として疑惑を重要視していないとの見解を示しています。
小室哲哉氏の復活を期待しております!!
小室哲哉著作権詐欺事件wiki 詐欺られた投資家の情報&公判情報
府中の元実家・生い立ち
小室哲哉wiki(生い立ち) 1958年東京・世田谷区の三軒茶屋で、 父修一と母?子(神戸の医師の娘)の長男として生まれた。 小室修一氏は製紙会社のサラリーマン。 その後、東京・府中市西府町に引っ越した。 高校は早稲田実業学校高等部商業科に進学。 1977年、早稲田大学教育学部社会学科に進学する。 1983年、木根・宇都宮とTM NETWORKを結成。 翌1984年、EPIC・ソニーからデビューする。 1986年、渡辺美里に書いた『My Revolution』が大ヒットする。 2008年11月4日 大阪地検に詐欺容疑で逮捕。 ☆小室哲哉の結婚遍歴 1987年 「キララとウララ」のキララ(本名:大谷香奈子)と結婚 1992年 香奈子夫人と協議離婚が成立 2001年 元「dos」、「Kiss Destination」の吉田麻美と結婚 2002年 麻美夫人と協議離婚が成立 2002年 「globe」のKEIKO(本名:山田桂子)と結婚 小室哲哉 妻・KEIKOと涙の出直し8月23日9時29分配信 デイリースポーツ 音楽著作権の譲渡話で個人投資家から5億円をだまし取ったとする詐欺罪で、今年5月に懲役3年・執行猶予5年の有罪判決を受けた小室哲哉(50)が22日、東京・調布市の味の素スタジアムで行われたイベントライブ「a-nation」で電撃復帰した。妻であるKEIKO(37)、MARC(39)とともに「globe」としてステージに登場。昨年の同イベント以来、約1年ぶりのライブパフォーマンスを披露し、ミュージシャンとしての“再出発”を約5万人のファンにアピールした。 ◇ ◇ 薄暮の空の下、初心を示すために選んだという真っ白なスーツ姿で小室が現れた。登場のアナウンスはなし。黒いピアノに対座し、鍵盤に指を走らせると、それが「小室哲哉」であることをやっと理解した観客から大歓声がわき起こった。 安室奈美恵に提供した「CAN YOU CELEBRATE?」や自身が率いたTM NETWORKの「Get Wild」など8曲をメドレーで披露すると、ステージ前方に歩みを進め、約40秒間、深々と頭を下げ続けた。 そしてマイクの前に立ち「大変、迷惑をおかけしました。そして心配もたくさんかけました。こうやってステージでピアノを弾ける環境をつくってくれた、avexに感謝します。耳を傾けてくれたファンの皆さん、本当にありがとうございます」と目を赤くしながら言葉を絞り出した。 “復活”は極秘裏に進められた。今月1日に個人事務所「a nine」を設立し、エイベックスと専属契約を締結。「globeとして今回のイベントで再始動を」という提案を受け入れ、この日のシークレット出演が決定した。 有罪判決後は、村上龍氏の著書など読書や音楽鑑賞をしながら自己を見つめ直し、本来の作曲活動に入った。KEIKOと2人で暮らす都内の自宅で、すでに10数曲のデモ楽曲を書き上げたが、リリースなど今後の活動は未定だという。 ステージでは、globeとして「反省は毎日で悔やまれることが多すぎて」と歌詞につづられているヒット曲「FACE」など2曲も披露。最後は3人でステージ中央に集まり、一礼した。「この日、この瞬間、この気持ちを絶対忘れることなく、みなさんに喜んでもらえる楽曲を作っていきたい」-。TKが音楽の道にやっと戻ってきた。 |
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小室哲哉の元実家「東京都府中市西府町」・JR西府駅近く
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差し押さえられ売却された実家
小室哲哉 実家を売却
小室哲哉は支那人に騙されて多額の負債を抱えた 小室さんの70億円がどこに消えたかって?俺らの間では マフィアにとられたというのが定説になっているよ(某芸能プロ幹部) この芸能プロ幹部によれば、小室は上海にディスコを立ち上げるにあたって 中国の共産党幹部と親しくなった。紳士的で洗練されたビジネスマンという 印象だったそうだ。 しかし『その人が中国本土から香港に入って小室と再会したとき、 驚いたことにその人の顔は紳士とは程遠いほどこわもてに変わったんです。 実は表の顔は共産党の大幹部で裏の顔はマフィアだったんです。 当然、小室は香港の会社を手放すことになりましたよ』(前同) 『中国美女とのニャンニャン写真や絶対に出されたらマズイ写真を 撮られたらしい』(前同) 小室哲哉がパシリ生活!潜伏先で「タバコ買ってきます」の悲哀 小室哲哉さん(50)は、保釈後、家賃280万円ともいわれた高級マンションを退去し、 知人宅に身を寄せています。 そこは、エイベックス・グループ・ホールディングス副社長・千葉龍平氏のご自宅で、 3世代が同居しています。 小室さんは、居候という立場を気にしてか、千葉さんやそのお客さんに対して “パシリ”を自ら願い出ているのだとか。 小室さんが起訴・保釈されたのは、11月21日のことでした。 現在は妻・KEIKOさん(36)とともに、千葉さんの自宅に身を寄せています。 小室夫妻の部屋は家の2階にあるのだとか。 千葉氏はTMネットワーク時代からの小室の知己で、 KEIKOとともに身元引受人にも名を連ねている。 「FRIDAY」12月19日号では、二人が千葉氏の自宅近辺にある小さな神社(上記の神社)に 参拝する様子がキャッチされていた。 千葉さんのお宅には、奥さんと小学校高学年の男女の子供がいます。 奥さんの両親も一緒に住んでいる。 小室さんもKEIKOさんも肩身が狭いと思いますよ」(近隣住民) エイベックス関係者がそっと耳打ちする。 「通行人に自分の存在がバレにくいのが気に入っているのか、時々家の周りを散歩するなどして、ひっそりと過ごしています。 ケータイも持っていないみたいですね。 健康状態は良好みたいですよ。 相変わらず野菜は食べられないようですが、代わりに肉はよく食べる。 『逮捕前より太った』 なんて言われています。 むしろ、心配なのは奥さんのほう。 いつもげっそりとした顔をしていて、ほとんどしゃべらない。 明るかった昔の面影はなく、小室さんが隣にいなければ、誰だかわからないくらいです。 小室さん自身は、昔と変わらない、静かな方です」 (中略) だが、あるミュージシャンによると、小室被告はここで、以前ならおよそ考えられないような行動を取るという。 「AさんやAさん宅を訪れるお客さんに対して、自ら“パシリ”を願い出るんです。 体育会系で声が大きいAさんが、 『あ、酒がない!』 と言うと、すかさず、 『ぼく買ってきますよ』。 『タバコないや』 と言えば、 『ぼく行ってきますよ』 とサッと出て行くんです。 小室さんは気を遣うほうなので、居候という立場を気にしているんでしょうが、売れていたころの小室さんを知る立場からすると、とても信じられないですね」 (以上引用 週刊現代) 小室さんには20億円を超えるとも言われる多額の借金があります。 これを弁済できないと懲役4~5年の実刑判決が下りる可能性が高いのだそうです。 ただ、現実これだけの借金を弁済することは容易ではありません。 一部には、エイベックスが資金提供する可能性も指摘されているようです。 保釈金も一部負担していますし、松浦勝人社長も協力したいと話しているということです。 親しい友人には、 「一連の事件で、ぼくには音楽しかないことがわかった。 音楽活動を早く始めたい」 ともらしているという小室さん。 初公判は、1月21日です。 大阪地裁は、傍聴希望者の殺到を予想し、90席ともっとも座席数の多い法廷を使うことも検討中なのだそうです。 |
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とある芸能関係者に紹介されて付き合っていた飯島愛、小室の性癖は少し変だったらしい。
●怪死・飯島愛の携帯に残された 有名タレントU・Kのすざまじい罵倒メール!! 死亡から遺体発見まで1週間。飯島愛が死亡したその日、パンスト販 売で大成功したタレントのU・Kから、すざまじい内容のメールが届い ていたことが判明した。 遺品となった携帯には、「死ね」「売春婦」「嘘吐き」など、ありと あらゆる罵倒が書き殴られてたメールが多数、残されていた、という。 「飯島愛の死亡推定時刻は17日未明ですが、ちょうどこの日、U・Kの 夫でパチンコチェーン社長であるT・Nの誕生パーティがあったんです。 約束してたはずの飯島が来ないということで、Uはこのパーティーの間 じゅう、飯島を罵倒し続けたそうです。 『20通以上、メールを出したのにぃ。愛ちゃん、嘘吐き』『金欠でこれ なかったみたい』『人前でセックスすることがお仕事だったようなコだ から仕方ないよね』。 飯島の携帯に残された罵倒メールというのは、パーティーの後、怒り 狂って出したものでしょうね」(全国紙警視庁担当記者) 警視庁渋谷署はこのメールに重大な関心をしめしており、Uも近日、 事情聴取される、という。 飯島愛の生前は「愛ちゃん、愛ちゃん」と仲の良さをアピールし続け たUであるが、どうしたわけか、怪死発覚後、マスコミからの取材を完 全シャットアウト。各社にファクスを追悼ファックスを送りつけただけ あとは姿を消した。 「中山秀征、美川憲一がマスコミに売り込みをかけ、テレビに出まくっ ているというのに、Uの態度はあまりに不自然。だって、自分を売り込 むぜっこうのチャンスじゃないですか。あのおしゃべりなUが、なぜ?、 と不思議だったんですよ。なるほど、そんなことがあったんですね」(女 性週刊誌記者)。 |
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小室哲哉・借金リスト
いまや500億円の規模に達する小室ビジネスの実態 '95年の音楽市場を席巻した小室哲哉。そして、'96年に入っても、小室の勢いは弱まるどころか、さらにその加速度を増している。globeの400万枚に続き、華原朋美のアルバムも、200万枚を突破した。しかし、小室を取り巻くビジネスが規模を拡大するにつれ、その「利権」を求めて小室に近づく人間が増えていくこともまた、事実なのである。 5月16日、恒例の「長者番付」が発表された。小室哲哉は、納税額2億8590万円、推定所得約5億8000万円と、歌手、タレント両部門のトップをしのぎ、予想どおり堂々の芸能界トップであった。が、単純に計算(作詞・作曲およびプロデュース印税から計算)しても、小室の収入は、カラオケの2次使用料などを含めると、印税収入だけでざっと30億8600万円に達する。 実際には、ここからアンティノスマネージメントのエージェント料(約15%)などを差し引いた約26億円と考えられるが、それでも推定所得の5億8000万円とは大きな隔たりがある。この差額はいったいどこから来るのか? 結論から言えば、小室はTKの冠をつけた4つの会社を経営し、結果的にそれが節税対策に結びついているのだ。個人事務所であるTKステイトのほか、TKシークエンス(スタジオ管理)、TKエンターテイメント・サーブ(映像制作)、TKライズ(プロダクション)。その他、いまでは実質的に活動はしていないものの、映画制作のグラデミー、さらに、かつてディスコ行脚のイベントを企画したTKトラックスも小室が参画している会社のひとつだ。 不動産関係では南青山に100坪(評価額4億円)の土地をTKステイト名義で所有。スタジオ付きのバリの別荘に、約4000坪といわれるロサンゼルスの別荘、フェラーリ3台。今月に入ってからは、スタジオ兼住居としても使用している芝のオフィスビルのワンフロアに、9000万円はするという98チャンネルのミキサーを日本で初めて購入……と、まさに長者ぶりを示す資産内容である。 しかも小室の収入はこれだけではない。パイオニアLDCと手を組んで、制作だけでなく販売や宣伝にまで権限のある総合プロデュース契約を結んでオルモック・レコーズの売り上げや、小室自身もしばしば登場し契約金だけで6000万円から1億円と言われるCMやイベント・タイアップの売り上げを考えれば、小室を取り巻くビジネスは、もはやひとつの「業界」と言っても過言ではない。 その規模はCD売り上げとCMをあわせただけで推定で約500億円…。レコード業界の全売り上げが約7000億円ということを考えれば、いかにその帝国が異様に膨張しているかがわかるだろう。 むしろ本当に見なければいけないのは、個としての小室哲哉の陰で無限大に広がろうとしているこの「小室という名の業界」、あるいは「小室ブランド=帝国」の姿だ。しかもその数字に惑わされずに帝国の内部を凝視すると…。CMでの利権を求めて“小室参り”を繰り返す広告代理店の人間たちに加えて、いつのまにかチラホラと、魑魅魍魎が跋扈する古い体質の「芸能界」の影が見え始めていることもまた確かなのだ。 定例の朝会で流した松浦の涙の意味 「……すみません、本当にいろいろなことがあって……。つい思い出しちゃって……」3月最初の月曜日。レコード会社エイベックス・ディー・ディーの若き専務、松浦勝人は、社員を前にした定例の朝会で、突然言葉を詰まらせて涙をこぼし始めたという。この時期、松浦にとっての懸案は、実は小室に関する仕事の仕切りにあった。 今年の正月から2月にかけて、小室帝国はいくつかの事件に激しく揺さぶられていた。水面上に現われたのは、一部新聞に報道された華原の元マネージャーの大麻所持事件、あるいは華原との恋愛関係といった小さなスキャンダルでしかなかった。 だがその水面下では、余りに膨張して複数のレコード会社の利害が錯綜してしまった「創作活動」、いくつもの営業窓口ができてしまった「CM、タイアップ活動」、そして各種「マスコミ対策」等が沈滞し、小室のマネジメント業務が頓挫してしまっていた。これはエイベックスにとって非常事態だった。そういった苦しい状況の中で、松浦は、結果的に400万枚という史上に残る数字を記録することになるglobeのデビューアルバムを作り上げる作業にも追われていた。 松浦は、インタビューでこう語った。「エイベックスの小室さんに対する依存度は確かに高いと思います。年間売上高300億円のうち、邦楽が75%、さらにその中の70%が小室さん関連の売り上げだから、全体では半分以上は小室さんに頼っているということになりますね」この言葉通り、エイベックスの8年間の躍進を支えてきたのは小室ブランドであることは間違いない。逆に言えば、小室帝国の最大の基地は松浦率いるエイベックスであり、互いが互いの存在を支え合い、共存しているというのが両者の関係だ。その小室のマネジメントが崩壊してしまったら、それはエイベックスの崩壊も意味することになる。松浦がこの問題と真剣に取り組んだことは想像に難くない。 そもそも'93年から、小室はソニー・ミュージックエンタテイメント系列のアンティノスマネージメントに所属して「ワン・アーティスト、ワン・マネジメント・システム」と呼ばれるシンプルなスタイルを通していた。ところが、あまりの仕事の量とスキャンダル報道への対処の煩雑さからそれが崩壊。1年契約を結んでいたパーソナル・マネージャー菊地政利も離れ(契約更新せず)、新しいスタイルを模索しなければならなくなった。 だがひとことでマネージャーといっても、小室を担当するとなればただ音楽業界に精通していればいいというものではない。元アンティノスマネージメント代表の丸山茂雄はこう語る。 「最近の小室の活動を見ると、CM関連で代理店との仕事は膨大に多いし、自らTVやCMにも出演する。これだけ露出が多くなれば芸能マスコミ対策もしなくちゃならない。これは当初ウチが考えた仕事の範疇を超えてしまったわけです。ウチのシステムはシンガーソングライターをイメージしたものだったから、いわゆるテレビやマスコミ対策という芸能界的な部分は苦手なんですよ」 この頃松浦は、丸山と頻繁に打ち合せを重ねていた。丸山はTMN当時からの小室の後見人。松浦は現在の最高のパートナー。ともに小室をカバーし、最高の制作環境を作っていきたいという点は一致していた。 だがその具体案をどうするのか。誰かが小室の首に鈴をつけなければならない。このときふたりの間から出てきた結論が「松浦がリーダーとなってチーム体制でマネジメントに当たること」だった。エイベックス・グループの音楽出版社、プライム・ディレクションの中に「TKルーム」を新設。生活の多くを小室哲哉の制作活動に捧げることのできる「小回り」の利くスタッフが集められて、新しいマネジメント・システムのスタートが切られることになった。 しかし同時に、「マスコミ対策」が重要な活動の柱となったTKルームの中に、小室の側近を固める通称「四天王」と呼ばれる「参謀群」が形成され、帝国に流れ込む膨大な情報と金銭、あるいは「利権」をも含んだ小室ブランドの管理が始まった。これまでのメンバーとは異質の「芸能界」の影がちらつき出し、次第に小室の「利権」に手を伸ばし始めていくのである。その4人とは、まず松浦、次にTKステイトの専務取締役・道免友彦、ピムコーポレーションという芸能事務所代表の山田衛志、さらにもうひとり、主に華原まわりを担当することになる遠藤正則というメンバーだ。が、遠藤は、プライム・ディレクションと契約を交わしてはいるが、元々の所属は芸能事務所バーニング・プロダクション。それが芸能界の実力者と呼ばれるあの周防郁雄率いる事務所だということは、もはや語るまでもないだろう。 小室との出会いとglobeの結成 「ボクは、小室さんとは出会ってから3年くらいになると思います。ラップ担当のマーク(globe)とはもう10年以上のつき合いです。マークを小室さんに紹介したのはボクです。ボクとマークも気が合っていろいろ仕事を始めていたんですが、小室さんもマークを気に入ってくれて、globeが誕生する前にラッパーと女性ヴォーカルというユニットを考えた時に、まずマークをイメージしてくれたようですね」 山田衛志はインタビューの冒頭、小室やマークとの出会いについてそう語った。3月31日に発売となったファースト・アルバムを、受注だけで200万枚売ったグループglobe。その一員であるマーク・パンサーの所属事務所が山田の持つピムコーポレーションだ。山田はさらにオルモックからデビューしたdosとH.A.N.D.というグループが所属するエージーコミュニケーションという事務所も持っている。 最近はそのうえに、小室がアマチュア(ときにはプロもまじる)のアーティストをオーディションでデビューさせて売り出すという企画「コムロギャルソン」で人気のテレビ番組、 『ASAYAN』(テレ東系)のプロデューサーという顔まである。 小室まわりの人間の中でも、最近になって急に力をつけてきた存在と見ていいはずだ。つい数年前までは、山田は飲食店の総合プロデュースが仕事だった。小室が昨年まで行っていたシークレット・ライブの会場として使っていた青山のカラオケ・クラブは彼の経営する店だった。 この時もマークは小室のステージでDJを務めたりしていたが、マークが表舞台に出るにつれ山田もまた、広い人脈と小室との繋がりを生かしてその仕事の領域を広げ、現在の地位を確保した。が、やがて小室がマークと、400万枚を売り上げ単純計算でも120億円ものビジネスに発展するグループを結成することになろうとは、予想だにしなかっただろう。ささいな出会いの中から才能を見出して、それが市場にマッチすると思った時に一気にプッシュする。それが小室のやり方であり、その出会いや潜伏期間に貢献があった人間は徹底的に大切にするというのも、小室のスタイルになっている。 たとえば、マークとともに彗星のように表舞台に登場してきたglobeのヴォーカリストKEIKOが所属するホワイト・アトラスの社長、千葉龍平もこのパターンだ。かつてディスコ回りの広告代理店のいち営業マンでしかなかった千葉は、TRFデビュー前からの貢献が評価されていまではTRFのマネジメント事務所の社長になっている。 もちろんその移籍には前事務所クリエイティブ・マックスとの複雑な事情もあったわけだから、小室と松浦の理解と協力がなければ事務所は持てなかったはずだ。その千葉が、KEIKOを発掘したオーディションも仕切り、globeのブレイクの仕掛人のひとりとなっている。さらにヤマハ時代、小室の機材の担当だったのが縁で小室がスカウトし、いまでは代理店との交渉窓口になっているTKステイトの道免友彦もまた同様の存在だろう。ところがこのパターンに馴染まない人間が、ひとりだけ四天王の一角をしめている。 '96年のデビューから華原の担当となったバーニングの遠藤だ。彼だけは、このパターンとは違う出会いの中から小室との絆を深めている。そもそも小室とバーニング・遠藤は、いかにして出会ったのか? バーニングの狙いは出版権の確保? 「うちもとうとうバーニング系になっちゃいましたよ…」今年になってエイベックス若手社員が苦笑まじりにこう呟いたことがある。バーニングプロダクションとは、現社長の周防郁雄が'71年に設立した芸能プロダクションで、'95年の申告所得は、約3億7000万円(芸能プロダクションの中では13位)。細川たかしの活躍で一気にメジャー事務所の仲間入りを果たし、その後もジャニーズ事務所から移籍した郷ひろみ、小泉今日子、内田有紀などのタレントを送り込んできた。 現在では、ライジング・プロダクション、フロム・ファーストプロダクションなど、独立のれん分けや、業務提携などを含め、いわゆる“バーニング系”と呼ばれる事務所が数十社にもおよぶとされ、芸能界に一大勢力を築いている。加えて、マスコミ対策の巧妙さも、多く語られているところであり、このことも同プロが業界内で“一目置かれている”要因でもある。……なぜエイベックスの中にバーニングの人間が入ってこないといけないのだろう。 この社員の言葉のニュアンスこそが、まさに「芸能界」に近づきつつある小室帝国のジレンマを語っている。 あえていえば、小室哲哉という新しいエンタテイメント・シーンを切り開く可能性の極めて高いアーティストと芸能界は似合わない。 バーニングのビジネスのやり方は、マスコミへのブッキングや防波堤になることへの報酬として、たとえば華原やdosの出版印税の一定割合を押さえていくものになっている。(ghoti>みかじめ料てな感じ!?w) つまりユーザーが支払ったCDの代金の中から何割かを手にしていくわけだ。言いかえれば、小室帝国の「利権」を求めたバーニングと小室の利害関係が一致したのである。それはいままでもアイドル歌手への曲提供は少しはあったにせよ、いわゆる旧来の芸能界的なあり方には染まっていなかった小室自身のスタイルとは相反するものではにだろうか?なぜそうなってしまったのか。小室のひとつの誤算は、’95年の6月に遡って考えないといけないようだ。 華原のマスコミ対策がバーニングとの接点に 「TKライズを設立して華原を所属にはしましたが、ボクはプロデューサーでありミュージシャンであってプロダクション業務はできないんです。ましてマネジメントのノウハウも持っていない。それに、女性タレントのマネジメントということは、ほとんど彼女にベタにつかないと難しいでしょう。それでお手伝いしていただくところを探していたんです」 いつものように小室は芝のスタジオで、マネジメント変遷の経過を落ち着いた口調でそう語った。ではなぜTKライズというプロダクションを設立したのか。華原のマネージャーが、なぜTKライズの者でなくバーニングの遠藤なのか。聞きたいことは山ほどある。だが、事態の根元がひとつの誤算から来ていてなし崩し的に現在の状況を招いてしまったことは、小室の言葉の端々から窺えた。 小室は言う。 「華原のデビュー('95年9月)に関しては、とにかくフライング気味にスタートしてしまったというのがあります。本来の自分の予定でのリリースタイミングというのは、もっと後だったと思いますから。そのタイミングをコントロールできなくて、デビュー当初はそのズレをどう修正するかという作業ばかりしていました」小室が語るフライング=誤算とは華原のデビュー前に出てしまった『FRIDAY』の一件を指している。小室がフジTV関係者の紹介で遠峯ありさと出会ったのが3月中旬。 この時期にはすでにパイオニアLDCとオルモック・レーベル成立の契約を交わし、の第一弾として遠峯ありさ改め華原朋美を選ぶことはほぼ決まっていたとはいえ、小室も知らないところで撮影されていたふたりの写真の存在は小室を慌てさせるには十分だった。まだ販売戦略が立っていない。レーベルの発表もされていない。当然楽曲があるわけでもない。ないないづくしの中で、小室の恋人という華原のイメージだけが先行していく。 「その時とっさに考えたのは、イメージが先行してしまったのはしょうがないから、そういう報道の記憶が一般に残っているうちに音楽的な部分をしっかりと出すということでした。1発目のシングルでは前々から結果は出せないと思っていましたから、1ヵ月遅れのセカンドでは楽曲的に絶対の自身があるもの、タイアップ的に可能なものを出さなければいけないと。そこでミナミスポーツが決まったわけです。華原のクライアントに対しては、それ以前に安室が『TRY ME』でタイアップしていて、実績のあるところだったんですよ」 年間130曲もの楽曲を作るという小室の場合、CMタイアップへのウエイトはかなり高い。むしろ、初めにタイアップありきというケースも多いという。「タイアップ企業が決まって初めて新曲が生まれるという状況も、正直いってあります。これだけ量が多いと、ネタ探しというか曲のモチーフがすごく欲しいんです。そんな時にCMのほうからアイディアが湧くこともあります」 幸いにして、楽曲は1曲目の『keep yourself alive』から新人アーティストとしては十分過ぎる数字が残った。 ところがフライングの余韻が後々まで消えなかったのは、最初の写真誌で決定的になったふたりのスキャンダラスなイメージだった。いつまでも執拗に追ってくる芸能誌。海外レコーディングから帰国するたびに空港で迎え撃つスポーツ新聞。土地を買えば「結婚か」と騒がれ、楽曲ができあがるたびに小室はプライベートな質問に答えなければならなかった。 ……マネージャーなんだから、もう少しはマスコミ対策も考えて欲しいな……。 10月頃、まだ菊地が小室の側近として位置していた頃、菊地に対し、叱責する小室の姿があった。だがカッとなった小室も、それを黙って受け止めた菊地も、アンティノスにはそのノウハウがなく、菊地ひとりのマネージャー・システムでは業務が飽和状態であることは百も承知だった。その時ふたりが選んだのは……。キラ星のような所属タレントと系列事務所の数の論理で芸能界を席巻し、巧みなマスコミ操作で知られる周防郁雄=バーニングに相談することだった。 菊地自身、ニッポン放送時代に渡辺美奈代のラジオ番組の担当ディレクターとして、バーニングの周防とも面識があり、むしろ親しい間柄だった。さらに、周防の下にいた遠藤は、偶然にもかつて遠峯ありさ時代の華原に目をつけていたこともあって、話はトントン拍子で進んでいった。 すべての状況を見ている丸山はこう語る。 「華原のようなアイドルにはやっぱりバーニング的なノウハウを持ったマネジメントは必要だと思いますよ。それがロック系のアーティストに対して必要かどうかは、わからないけれど。小室君に関する業務としては、ボクは確かに松浦君と相談して、とにかく飽和状態の小室君の仕事を仕切る最良の方法を探していたんですが、とにかくいまは乱暴に言えば、テレビやCMへの出演依頼がオーバーブッキングなんだから、それを上手に断るために、バーニングさんの力を借りているという感じじゃないかな」もっとも遠藤正則という男の経歴を調べると、意外に松浦や小室に近い存在だったことがわかる。 いまから3年ほど前、遠藤が小泉今日子を担当していた頃、彼はクラブ系のリミックスや12インチシングルを扱っていた。この頃、すでに松浦とは業界のパーティーで出会い、クラブシーンの話題で盛り上がっている。松浦にしても、クラブノリの小泉今日子の仕掛け人には注目していただけに、その出会いは忘れられないものだったという。また、昨年のTRFの日本レコード大賞受賞には、周防の応援もあったという。小室にしても、以前に小泉今日子に楽曲を提供していたこともあったし、バーニング系列所属の事務所「ライジング・プロ」所属の観月ありさや安室奈美恵へのプロデューズ活動もある。つまり現在の芸能界にあって、アイドルタレントと仕事することになったら、バーニングの影を踏まないで前進することは不可能なのだ。 菊池マネージャーは何故辞めたのか? 最初はささいな案件が遠藤に託され、次第に小室帝国の奥歯にその影が伸びるようになり、 さまざまなトラブルに直面するたびにその影響力は強くなっていった。ところが、皮肉にも、バーニングと小室が急接近するにつれ、逆に小室と菊地の間には距離が生まれ始めた。 12月頃には、小室にとっては菊地よりも山田や遠藤ら四天王のほうが、密な関係になっていた。 そして3月、菊地は小室のもとを去る。「単に契約が満了したということだけですよ。まあ、小室の活動の幅が広がり、僕の仕事の許容量を越え始めたということもありますが……」 菊地はマネージャーを辞めた理由をこう語った。いままで自分のことをもっともよく理解していた菊地が、小室のもとを去らねばならなかったことは、小室にとっては誤算であったのか。あるいはバーニングという力強い味方を引き入れるきっかけともなり「不幸中の幸い」だったのか。 いずれにしてもプロモーションを任せるかわりに、華原の楽曲に対する出版権の50%は、デビューの時からバーニングに流れるようになった。オルモックレコーズ・小川義章の説明によると、「華原、dosに関しては、デビューが決まった時からテレビやCMへのブッキングも含めたプロモーションを、バーニングさんに協力をお願いしているので、当然、出版の代表権も渡しています」総額500億円にのぼる小室帝国の利権ビジネス。そしてその利権に食らいついた芸能界の「巨人」バーニング。 もちろんその全貌はまだまだ奥深いものがある。だがこうして細部を見てみると、小室ビジネスがひとつの大きな曲がり角にきていることは間違いない。小室哲哉はまた日本の芸能界の仕組みに取り込まれてしまうのか。小室帝国があまりに肥大化しすぎたために、逆に身動きが取れなくなってしまうのか。 しかし、日本のミュージック・シーンに、フリー・プロデューサーというまったく新しい地位を確立した小室哲哉には、旧来の芸能界が脈々と培ってきた単純な数の論理と根回しの世界に安住してほしくはない。(文中敬称略) 『エイベックス社史』 avex way 1988I~2005 by 松浦勝人 http://ameblo.jp/maxmatsuura/entry-10021628435.html 第8章には、avex(千葉龍平氏)と小室さんが決別する様子がavex側の視点で描かれている。97年10月に決別とある。これは事実だろう。決別理由は、小室さんの目に余る傲慢な態度となっているが、上記Viewの記事による、当時の小室んさんのビジネス環境を考えると、そんな単純なものでないということがわかる。 バーニングパブリッシャーズと小室哲哉~TKプロデュースを仕切ったバーニング 小室哲哉は古くからバーニングから才能を評価されており、バーニングのアイドル小泉今日子や中山美穂に作曲提供していた。自身のユニット TMN(TM NETWORK)の活動の傍ら作曲家としての活動も活発になっていく。彼はソニー・ミュージックの系列会社アンティノスマネジメント(現ニューカム)に所属して欧米式のマネジメント契約をしていた。TMN終了後、プロデューサーとしての活動が多忙となったのもフリーランスな立場で行動が可能だったからだ。 avexとの交流、篠原涼子やTRFのプロデュースで更に名を挙げ一躍『TKブーム』が訪れた。 つまりここまではバーニングとの関係は内田有紀や観月ありさへの楽曲提供程度だった。 TRFのヒット以降小室が手をつけたのは自身のユニットglobeと苗字を逆さまにしたネーミングのレーベル『ORUMOK』立ち上げだ。 パイオニアLDC(現ジェネオン)との共同で立ち上げたものだが『ビジュアル重視』を掲げCDと共にビデオもリリースしていた。恋人でもあったB 級アイドル遠峯ありさこと華原朋美を第一弾として抜擢し1995年9月のデビューとした。事件はCDデビューの前に起きた…。週刊誌やタブロイド、スポーツ誌で一斉に小室と華原の話題が報じられるようになった。 結果的に話題になったことで華原朋美のデビューはスマッシュヒットになった。しかしマスコミ対応のノウハウを持たない音楽系の事務所の小室はマスコミ対応に困り果てる。小室のマネージャー菊地政利は最後の仕事としてツテを頼り、バーニング周防社長に相談したという。そこで送り込まれたのが遠藤正則 (小泉今日子、中山美穂といったバーニング中枢のアイドルの歴代マネージャー)(現ルノン) 多忙の小室哲哉のマネジメント体勢は豹変しavex内に『プライムディレクションTKルーム』が立ち上がる。遠藤正則は小室哲哉のマスコミ対策と華原朋美のマネジメントを主に行っていた。この時にバーニングが小室サイドに求めたのは『ORUMOKレーベルの作品における一定割合の音楽出版権』であった。 ライジングの安室小室はバーニングにマスコミ対策、タイアップ、キャスティング、レコ大まで用意してもらいプロデュース業務に集中でき、バーニングはその代償として音楽出版をもらうという利害関係が成立した。後ろ盾ができたことで小室哲哉プロデュースの作品は本格的なブームとなり安室奈美恵 /globe/華原朋美/tohko/dos鈴木あみ(現鈴木亜美)と売れに売れた。 ここで触れておかなければならないのはglobeのMARCや鈴木亜美、tohkoを擁していたサテライトポイントグループ(AG)の山田衛志は前出の『プライムディレクションTKルーム』のメンバーでありこの頃の小室プロダクツに深く関わった人物だ。不思議なことにライジングの平哲夫、サテライトポイントの山田衛志いずれもバーニングと交流してから大きな脱税をしている。 裏金を作らなければ成らない理由でもあるのかと疑念を感じざるを得ない。2000年以降、小室はバーニングとの決別を決意する。後見先となったのは吉本興業だった。なぜお笑いの吉本なのか…と思う人もあるだろうが選択肢がないというのが実情でバーニング離脱後の小室を抱えられる事務所は他にはジャニーズ事務所くらいなものでコンテンツ部門強化に乗り出しR&C設立を考えていた吉本興業におちついた。 |
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