Dragon Quest外伝 ~虹の彼方へ~
Lv1 目覚めの地
[Ⅰ]
深い闇の中を俺は彷徨っていた。四方を見渡しても、人や建物や大地、そして空などは見当たらない。あるのは、どこまで続いてるのか分からないほどの先が見えない深い闇の世界であった。
ここは一体どこなのだろう?
いや、それよりも、俺はこんな所で何をしているのだろうか?
ふとそんな事を考えた時だった。
何者かの声が、俺の脳内に響き渡ってきたのである。
「おいッ、大丈夫か! しっかりしろッ!」
聞こえてきたのは低く太い男の声だった。
しかも、なにやら、えらく慌てたような感じだ。
近くで何かあったのだろうか? などと考えた次の瞬間、突如、俺の身体が左右に揺れ、パチン、パチン、と頬を引っ叩かれたような痛みが走ったのだ。
そしてまた、あの声が聞こえてきたのである。
「おいッ、しっかりしろッ」
どうやらこの声は、俺に向かって掛けられているようだ。
と、それに気付いた時であった。
周囲の深い闇が消え去り、仄かな光を灯した世界になったのである。
俺はそこで、自分の現状を認識した。
またそれと共に、俺は深い闇の世界から、ようやく脱出する事が出来たのである。
どうやら俺は眠っていたようだ。
ゆっくりと瞼を開くと、見た事もない年経た男の顔がそこにあった。
見た感じだと、70歳は優に超えていそうな老人である。
映画ロード・オブ・ザ・リングに出てきたガンダルフという魔法使い並みの、白く長い髪と顎鬚が特徴の男で、やや日に焼けた浅黒い肌には、幾つかの皺が刻み込まれていた。
また、茶色いローブの様なモノを身に纏っており、どことなくスターウォ○ズに出てきたジェダイを思わせるような格好であった。
だが俺は格好よりも、男の顔つきに違和感を覚えた。
なぜなら、この男の顔つきが日本人ではなく、中東地域の人間を思わせるモノだったからだ。
知らない外人の爺さん。それが俺の第一印象であった。
「おお、目が覚めたか」
この爺さんはそう言うと、ホッと安堵の息を吐いた。
俺はそこで仰向けになった体を起こす。
空に目を向けると、雲一つない青空が広がっていた。
そこには容赦なく照りつける太陽が燦然と輝いている。まるで真夏の日差しといった感じだ。
おまけに風も吹いてないので、周囲にはカラッとした熱い空気が、停滞するように漂っている。
そして気が付けば、俺自身も汗だくになっていた。
重力にしたがって、大粒の汗が額から頬に伝ってくる。
だがそこで、俺はまたもや違和感を覚えたのであった。
なぜなら、今の時期の日本は、まだ5月。こんな糞暑い気候ではないからだ。
俺は滴る汗を手で拭いながら、次に周囲を見回す。が、しかし……。
俺の視界に入ってきたのは、俄かには信じられないような光景だったのである。
なんと周囲には、グランドキャニオンを思わせるような、赤く高い岩山が連なる荒れ果てた大地が広がっていたのだ。
草木などは雀の涙程度で、殆ど生えていない。
あるのは岩や砂、そして大小さまざまな石ばかりなのであった。
「なッ、ここは……どこだ!?」
これを見た俺は、思わずそう口に出していた。
当然である。俺は日本の東京にいた筈だからだ。
こんな訳の分からない場所にいるなんてことは、絶対にあり得ないのである。
男は言う。
「ここはベルナ峡谷じゃ」
(はぁ、ベルナキョウコク? 何を言っているんだ、この男は……。いや、ちょ、ちょっと待て、ここは日本なのか……こんな場所が日本にあるなんて聞いたことないぞ。というか、何で俺はこんな所にいるんだ?)
止め処なくあふれ出る疑問に対して、俺は脳内で自問を繰り返しながら、ただ呆然と周囲の光景を眺めていた。
暫くすると、男がまた話しかけてくる。
「お主、気を失っていたようだが、一体何があったのだ? それに変わった服装をしておる。お主、一体どこの者だ? お主の顔立ちを見るとアマツの民に似ておるが……」
「は? アマツの民? 気を失っていた?」
この状況についていけないので、俺はそんな言葉しか出てこなかった。
「なんじゃ……それも覚えとらんのか。まぁよい。とりあえず、ここは危険だ。話は儂の住処で、ゆっくりと訊こう」
男はそう言うと、ある方角を指さした。
と、その時であった。
【ガルルルルルルッ!】
俺達の背後から、獣が威嚇するかのような、物々しい唸り声が聞こえてきたのである。
俺と男は背後に振り向く。
そして……俺は顎が外れるほど、驚愕したのであった。
【あわわ。ば、化け物……】
なんとそこには、狼男を思わせるような化け物が、1匹佇んでいたのである。
人間よりも一回り大きな体型だったので、俺は最初、熊かと思った。が、それにしては形や色が変であった。
特に頭は、熊というよりも、狼と言った方がしっくりくる造形なのだ。
全身は水色の毛に覆われており、人間の様に両足で立っていた。手足の指先からは恐ろしく鋭利な爪が伸びている。また、幾つもの牙が見え隠れする口の縁からは、瑞々しい涎が滴り落ちていたのである。
そしてこの化け物は今、まるで御馳走にありついたかのように舌舐めずりをしながら、俺達を赤い目で睨み付けているのであった。
(何だこの化け物は一体……作り物か? いや、それにしてはリアルすぎる。というか、何なんだよ、この展開は……)
身体を委縮させながら俺がそんな事を考えていると、男は溜息を吐きながら口を開いた。
「フゥ……早速、現れよったか。近くに、腹を空かせたリカントがいたとはの」
リカント?
どこかで聞いた事がある名前であった。
男は立ち上がり、化け物に向き直る。
と、その直後!
化け物は両手を広げると共に、素早い動きで、俺達に向かって襲い掛かってきたのである。
それは恐ろしいほどのスピードであった。
(こ、これはやばいッ! 食われるぅぅぅ)
俺は恐怖心から、無意識のうちに座ったまま後ずさった。
だが慌てる俺とは対照的に、目の前の男は非常に落ち着いたものであった。
男は迫り来る化け物を見据えながら腰に手を伸ばすと、そこから先端に虹色の宝石が嵌め込まれた、白く美しい杖のような物を取り出した。
そして、杖の先を化け物へ向け、ボソリと呟いたのだ。
【メラミ】と。
俺は驚愕した。
「なッ! んなアホなッ!?」
なぜなら、杖の先から直径1mはあろうかという、巨大な火の玉が現れたからである。
そして次の瞬間、その火の玉は、化け物めがけて一直線に飛んでいったのだ。
火の玉は化け物に命中し、花火のように爆ぜた。
すると瞬く間に、化け物の全身に、火の手が燃え広がっていったのである。
【ウガァァァ!】
化け物は悲鳴のような雄たけびを上げると、火達磨になりながらもがき苦しむ。
それから数十秒ほどすると、事切れたのか、地面に横たわりピクリとも動かなくなった。
どうやら死んだのだろう。
俺は今の一連の出来事についていけない為、口をあんぐりとあけながら、ただそれらの事象を見ているだけであった。
と、そこで男は俺に振り返り、何事も無かったかのように、こう告げたのである。
「さて、では行こうか」と。
俺は身体を震わせながら無言で頷く。
そして訳が分からないまま、この男に連れられて移動を開始したのであった。
[Ⅱ]
あれから移動する事、約5分。
俺は男に連れられて、とある岩山の一画にある穴の中へと案内された。
たった5分程の移動であったが、俺はこの地の険しさというものを少し体験した。
実はここに来るまでの道中、化け物には遭遇しなかったのだが、岩山が険しかった為、俺は転んで腕を少し擦りむいてしまったのだ。
おまけに結構高い場所を進んできたので、高所恐怖症の俺からするとヒヤヒヤもんだったのである。
普段こういう場所とは縁のない生活を送ってきたので、こればかりは仕方ないだろう。
大きな怪我はなく辿り着く事が出来たのを喜ぶべきなのかもしれない。
なので、俺はそれについても少しホッとしているところなのである。
まぁそれはさておき、穴の中は自然にできたであろう、ドーム状の空洞といった感じであった。
床は円と言っていいくらいに丸い形状で、直径10m程ありそうな感じの広さだ。それなりに広い居住空間である。
また、周囲が固い岩の壁に覆われている為、俺達の歩く足音等がよく響いていた。
そういった所は、まさしく洞窟といった感じだ。
だが穴の中とはいえ、不思議と暗くはなかった。
よく見ると、やや歪な突起が見える岩壁の一部に穴があり、そこから外の明かりが少し射し込んでいるのだ。
その為、穴の中とはいえ、暗くて視界が悪いという事はないのである。
その他にも、この男の住処というだけあり、ここにはベッドや本棚にテーブル、そしてタンスのような生活雑貨が置かれていた。
ちなみに、それらは何れも、飾りっ気のない質素な感じの物ばかりであった。その影響もあってか、ここは、非常に生活感の滲み出ている空間となっているのである。
だが、俺はそんな事よりも、別の事に意識を向かわせていた。いや……その事を考えざるを得なかったのだ。
俺が今、考えている事……それは、男が言っていたあの化け物の名前と、それを葬った魔法のようなモノについてである。
男はあの化け物の事を「リカント」と呼んでいた。
それから男は、あの化け物を「メラミ」という言葉を発して火達磨にしたのだ。
この二つの言葉……俺の記憶に間違いなければ、ガキの頃に遊んだTVゲーム・ドラゴンクエストに出てきた固有名詞である。前者はモンスターの名前で、後者は魔法の名前だ。
最初、俺は手の込んだ悪戯かとも思った。が、どうやら、そんな生易しい言葉では片づけられない事態になっているみたいのようだ。
化け物はともかく、あの魔法はどう考えてもあり得ない。
何もない所から、あんな巨大な火の玉を作り出すなんて、悪戯でもまず不可能だからだ。
勿論、手品という可能性もあるのかもしれないが、そういった仕掛けがある気配をまるで感じられないのである。
これは夢なのだろうか……。
そう思って、俺はここに来る道中、お約束通りに頬をつねってみたが、当たり前のように頬には痛みが走った。俺は次に、幻でも見ているのかと思って、何回も目を擦ってもみた。が、しかし、見える景色は、グランドキャニオンの様なこの岩山だらけの世界なのである。
考えたくはないが、俺は今、とんでもない事になっているのかも知れない……。
またそう考えると共に、酷く陰鬱な気分になってくるのだ。
というか、何で俺はこんな所にいるのだろう。
それが今一番の疑問であった。
俺は目を覚ます前の事を思い返してみた。
昨日、俺はスーパーでバイトをして、それからアパートに帰る為、電車に乗った。
確か電車に乗った時間は、夜の10時を回ったところだったか。
この時間帯は結構電車内も人が疎らなので、俺は空いている席に適当に座った。
だがその時、バイトによる疲れの所為か、そこで瞼が重くなりウトウトとなってきたのだ。
そう、ここまでは俺も覚えている。
問題はその後なのだ。
次に目が覚めたときは、この男に呼び起されていたのである。
その間の記憶というのが、すっぽりと抜けているのだ。
因みに、今の俺の服装はバイト帰りのままであった。
下は茶色のカーゴパンツとスニーカーで、上は黒い長袖のカットソーというラフな出で立ちである。
この状況を考えるに、電車に乗った時の状態で、俺がここに来ているのは疑いようのない事であった。
その為、電車で拉致されたのかとも一瞬思った。が、よく考えてみると、そんな感じではないのである。
なぜなら、カーゴパンツのポケットには携帯や財布といったものがちゃんとあるうえ、手足を紐やロープで縛られた跡というものも全く無かったからだ。
もし俺が拉致実行犯ならば、連絡手段や身体の自由を与えるような事は絶対しない。
拉致する以上、そこには監禁という状況が、長期的にせよ短期的にせよ必然的についてくるからだ。
特に引っ掛かったのは携帯である。
こんな外部との接触ツールをそのままにしておくだろうか?
いや、多くの場合、そんな危険なものは取り上げるに違いない。
そう考えると、今の状況が拉致とはあまり考えられないのである。
まぁとはいうものの、携帯はさっきからずっと圏外なので、あえて放っておいた可能性も否定できないが……。
それはさておき、訳が分からない……。
ああ……何でこんな事になったんだろう。
答えの見つからない疑問に頭を悩ませる中、俺はいつしか中央に置かれた四角い木製のテーブルに案内されていた。
男は言う。
「では、そこにある椅子に座ってくれ」
「はぁ……」
言われた通り、テーブルにある木製の椅子に腰かける。
俺が座ったところで、男は口を開いた。
「さて、ではまず自己紹介といくかの。儂はヴァロムという者だ。世俗を離れ、今はこのベルナの地で隠居生活を送っておる。まぁ俗にいう変わり者の爺といったところじゃ」
次は俺の番だ。
「じ、自分は三崎 光太郎と言います」
「ミサキコータロー? 変わった名だな」
この人の発音を聞く限り、姓と名の区切りが感じられない。
どうやら勘違いしてるようだ。一応言っておこう。
「あの、三崎が姓で光太郎が名前になります。なので光太郎とでも呼んで下さい」
「ン、家名を持っておるという事は、お主、貴族か?」
「は? いや、貴族じゃないですよ。ごく普通の家ですが……」
この人の言う貴族がどういう意味かよく分からなかったが、とりあえず、俺はそう答えておいた。
ヴァロムさんは少し怪訝な表情をしたが、すぐ元に戻り、質問を開始した。
「ふむ。……まぁよい。ところでお主、一体何があったのじゃ? あんなところで気を失っていたという事は、魔物にでも襲われたのか?」
「いや、そういうわけじゃないんですけど……」
(さて、どう答えたもんか……はぁ……何も言葉が見つからん……)
俺が返答に悩む中、ヴァロムさんは続ける。
「このベルナ峡谷はな、イシュマリア国の最南端に位置しておる辺境の地域じゃ。故に、この地に住んでおる者など、極少数。あとは魔物しかおらぬ。それにお主のその格好……それは、凶悪な魔物が住むこのベルナ峡谷では、あまりに不釣り合いな格好なのじゃ。だから、あそこで何をしておったのかが気になるのじゃよ」
イシュマリアのくだり部分がよく分からないが、とりあえず、ここで俺みたいな奴がウロウロしていることは、通常ありえないのだろう。
まぁそれは分かったが、俺自身、何故こんな所にいるのかを説明できないので返答しようがないのだ。
とはいっても、何か話さないと前に進まない気がした。
(どうしよう……昨日からの出来事を話した方が良いのだろうか……とりあえず、話してみるか……)
俺は少し迷ったが、とりあえず、話すことにしたのである。
「いや、それが実は――」
それから10分程かけて、今までの事を軽く説明をした。
俺は日本の東京という場所にいたという事。年齢は20歳で、わけあって今年大学を中退し、今の職業はフリーターであるという事。そして気が付いたらこの地にいたという事などをである。
理解できているのかどうかわからないが、ヴァロムさんは目を閉じて、静かに俺の話を聞いていた。
そして一通り説明し終えたところで、俺はヴァロムさんの言葉を待ったのである。
暫くするとヴァロムさんは口を開いた。
「……ふむ。なにやら複雑な事情がありそうだな。ところでコータローよ。今、ニホンのトウキョーという場所にいたと言ったが、このイシュマリアでは聞かぬ名だ。それは一体どの辺りにあるのだ?」
「そ、それがですね。気が付いたらこの地にいたので、どこにあるかと聞かれると俺も困るのです……」
「気が付いたら、か……。お主、さっきもそう言ったが、それは本当なのか? 嘘を言ってるのではあるまいな」
ヴァロムさんは眉間に皺をよせ、怪訝な視線を俺に投げかけてきた。
説明しておいてなんだが、このヴァロムさんの反応は予想していた通りのものだ。
こんな事を言ってすぐ信じる奴なんて、普通いないだろう。
「で、でも、本当なんですって。それに、俺もここがどこなのかさっぱりですし」
俺達の間に妙な沈黙の時間が訪れる。
この空気が嫌だったので、とりあえず、俺からも訊いてみた。
「あ、あの、一つ質問してもいいですか?」
「ああ。何じゃ?」
「アメリカとかロシアといった国の名前や、地球、もしくはアースという言葉は聞いた事がありますか?」
「ふむ……アメリカ……ロシア……チキュウ……アースのぅ。そのような国の名は、聞いたことなど無いな」
ヴァロムさんはそう告げると頭を振った。
「そ、そうですか……」
俺はこの反応を見て、理解した。
それは、ここが俺の住んでいた世界ではないかもしれない事と、考えたくはないが、もしかすると、あのゲームの中にいるかもしれないという事をである。
ゲームの世界に現実の人間が生身で入り込む……そんな事があるのだろうか……。
いやその前にドラクエは、世界的に有名な大漫画家がキャラデザインした、アニメチックな2次元の絵柄の世界観だ。
こんな現実感あふれるリアルな風景は、あまりドラクエっぽくないのである。
俺はまた考える。ここは一体どこなんだと……。
この人が流暢な日本語を話しているので、意外とここは日本のどこかという可能性も捨てきれなかったが、今の言葉を聞いて余計にそれから遠ざかった気がした。
それに、ゲームの中に入るなんてことは、どう考えてもありえないし、考えたくもない事であった。
だが実際に俺は今、そんな世界にいるのだ。
またそう考えると共に、どんよりとした気分になってくるのである。
当然だ。帰りたくても帰り方が分からないからである。
「ハァ……」
俺は肩を落として俯き、大きくため息を吐いた。
そこでヴァロムさんの声が聞こえてくる。
「それはそうと、コータローよ。お主が、何故この地にいたのかは分からぬが、これから一体どうするつもりなのだ? このベルナ峡谷は、今のお主の装備で越せるほど、生易しいところではないぞ」
「こ、これからですか? これから……どうしよう……」
フェードアウトするかのように、俺は声が小さくなっていった。
「……ふむ。まぁ儂は見ての通り独り暮らしだ。帰れる目途が立つまで、暫くの間、お主もここに住むか?」
「え? い、いいんですか?」
「ああ、構わぬ。お主一人くらいなら、儂も面倒みてやれるからの。まぁそのかわりと言っては何だが、お主にも色々と仕事はしてもらうがな」
「あ、ありがとうございます」
先程の戦闘を見た感じだと、この人はかなり腕に覚えもありそうなので、これは渡りに船かもしれない。
もしここがドラクエの世界ならば、メラミを使えるという事を考えると、この人はそれなりにレベルの高い魔法使いの気がするのだ。
なので、いざという時に俺を守ってくれそうなのである。
それに今は色々と情報が欲しい。もしかすると、現実世界に帰る為の方法が、この世界にあるかもしれないからだ。
またそう考えると、少しだけ元気も出てきたのである。
とまぁそんなわけで、俺はここがあの世界なのかどうかを確認する為に、今一度訊いてみる事にしたのであった。
「ところでヴァロムさん。さっきリカントとかいう化け物を倒した時、メラミとか言ってましたけど、あれは魔法ですか?」
「ああ、そうじゃ。儂は魔法を使えるからの」
「……やっぱりそうなんですか。では他に、どんな魔法があるのですか?」
「ン、他か? まぁ、色々とあるの。そうじゃ、コータローよ。さきほど転んで擦りむいた腕を見せてみろ」
「あ、はい」
俺は擦り傷がある腕をテーブルの上に置いた。
ヴァロムさんは傷の前に右手をかざし、「ホイミ」と呪文を唱えた。
すると次の瞬間、ヴァロムさんの手が仄かに光る。
そしてなんと、擦り傷は見る見る治癒してゆき、あっと言う間に元の皮膚へと戻ったのである。
俺はこの効果を目の当たりにし、素で驚いた。
(間違いない……これは回復魔法のホイミだ。しかも、初歩の魔法とはいえ、ここまで回復するなんて……)
ホイミの効果に目を奪われたが、今ので俺は、この世界がドラクエの世界かもしれないという事を、確信にも似た気持ちで受け止めたのだった。
「まぁこんなとこかの。勿論、他にもたくさんあるが、それはお主自身の目で、これから確かめるがよかろう」
「へぇ、すごいですね。ところで、これって俺みたいな素人でも使えるんですか?」
するとヴァロムさんは、ここで思案顔になったのである。
(俺には使えないという事なのだろうか……)
暫くするとヴァロムさんは口を開いた。
「お主のその言い様じゃと、知らぬようだから言うが……魔法はな、イシュラナの洗礼を受けてみねば、その才が見えぬのじゃよ」
(は? イシュラナの洗礼? なんだそれ……ドラクエって確か、Lvが上がれば魔法は勝手に覚えていくというシステムじゃなかったっけか。いやもしかすると、今いるこの世界は、俺がやった事のないシリーズなのかもしれない。事実、俺はⅠ~Ⅷまでしか、ドラクエはやった事ないし……)
やってない外伝シリーズも多いので、それらのどれかという可能性はあるのだ。
まぁそれはさておき、とりあえず、話を進めよう。
「じゃあ、その洗礼というのを受ければ、俺にも魔法が使えるかどうか分かるという事ですね」
「そうじゃの。お主も魔法が使える様になりたいのなら、イシュラナの洗礼をうけるしかないの。なんじゃったら、明日にでもやってみるか?」
ヴァロムさんの口から意外な言葉が出てきたので、俺はやや戸惑った。
「へ? そんな簡単にできるもんなんですか?」
「ああ。イシュラナの洗礼は、今のところ分かっておるだけで三つあるんじゃが、まず最初にする第一の洗礼は、魔法陣の中で瞑想するだけのものじゃから、それほど手間はかからぬ」
話を聞く限りだと、かなり簡単に聞こえた。
これなら俺にもできそうだ。
それに、ドラクエの魔法を実際に使えるのなら使ってみたいという気持ちもある。
というわけで、俺はお願いしたのである。
「じゃ、じゃあ、お願いします。何事も経験なので、イシュラナの洗礼を受けてみます」
「うむ。なら明日までに洗礼の段取りをしておこう」
「あ、それと、もう一つ訊いていいですか?」
「何じゃ?」
「先程からヴァロムさんの話の中で、イシュマリアとかイシュラナとかいう似たような単語が出てくるのですが、それは何の名前なんですか?」
するとヴァロムさんは苦笑いを浮かべた。
「今までのお主を見ている限り、その質問はしてくるじゃろうと思っておったわ」
「はは……ですよね。お互い話が噛み合わないですし……」
俺は苦笑いを浮かべながら、後頭部をかいた。
「まぁよいわ。さて……まずイシュラナだが、この名は、この地の民が信仰する光の女神の名前じゃ」
「ああ、神様の名前なんですか。なるほど」
「うむ。それとイシュマリアじゃが、これはイシュラナがこの地に使わしたとされる御子の名前じゃ。そして我等の国の名前でもあるのじゃよ」
「御子……国名……」
よく分からんが、話の流れから察するに、このイシュマリアという御子は、俺達のところでいうイエス・キリストの様なものなのかもしれない。
「ふむ、そうじゃな……お主は知らぬじゃろうから、簡単にイシュマリアの伝承を話そうかの」
少し間を空けてからヴァロムさんは話し始めた。
「……遥かな昔、破壊の化身ラルゴという化け物が猛威を振るい、この地で破壊の限りを尽くしておったと云われておる。山や大地は業火に焼かれ、海は荒狂い、空は暴風が吹き荒れる。この大地に住まう多くの生きとし生ける命が、ラルゴによって奪われたそうじゃ。じゃが、それを見かねた光の女神イシュラナは破壊の化身ラルゴを倒すべく、自らの力を分け与えた戦士を地上に使わしたのじゃ。その戦士がイシュマリアであった。そしてイシュマリアはラルゴを見事に倒し、この地に平和をもたらしたと云われておるのだ」
俺は思った。
この設定って、モロにファンタジーRPGやん、と。
要するに、神に使わされた御子であるイシュマリアという勇者が、その化け物を倒したという事なのだろう。
あまりにありふれた捻りも何もない展開である。
まぁそれはさておき、馬鹿にするのもよくないので、一応驚いておくとしよう。
「そ、そうだったんですか……。なんか色々とすごい話ですね……」
「じゃが、この話には続きがあっての」
「続き?」
「うむ。実はの、ラルゴを倒したイシュマリアは、イシュラナの元には帰らずに、そのまま地上に残ったのじゃ。日が経つにつれ、ラルゴを倒したイシュマリアの元には大勢の人々が集まるようになった。そして、いつしか人々は、イシュマリアを救世の王として崇め始めたのじゃ。こうして光の御子が治めるイシュマリアという国が誕生したのじゃよ」
宗教国家あるある、みたいな感じだ。
「なるほど。ン? という事は、この国の王様って、イシュマリアの血筋なんですか?」
「そのとおりじゃ。国王は代々、神の御子イシュマリアの血族である」
どうやらこの国の王家は、日本の天皇家に近いのかもしれない。
確か初代天皇は神武天皇だけど、元をたどると天照大御神という神様らしいし。
まぁあくまでも神話レベルでの話だが……。
それはともかく、今のはこの地での常識的な話らしいから、一応覚えておこう。
その後も、俺は色々とこの地についての質問をした。
ヴァロムさんの口から出てくる内容は、どれもこれも馴染みのないものばかりだったので、俺はその都度戸惑ってしまった。
まぁ予想していたこととはいえ、現実社会とのギャップを改めて思い知らされると、流石に戸惑ってしまうのだ。
とりあえず、戸惑いつつも話を聞いていたわけであるが、俺は説明を聞くにつれて、少し奇妙な違和感を覚える事があった。が、しかし、その違和感が何なのか分からないのである。
一つ言えるのは、光の女神イシュラナ……神の御子イシュマリア……破壊の化身ラルゴ……これらは、俺がプレイしたドラクエには一切出てこない名前ということであった。
なので、ここが本当にドラクエの世界なのならば、俺の知っているドラクエの世界とは違う可能性があるのだ。
(ここは一体どのドラクエ世界なのだろう……いや、そもそも、本当にドラクエの世界なのだろうか……)
情報が少ないので、まだはっきりと俺も断言はできない。
それに、この人が日本語を流暢に話してることも、少し引っ掛かることであった。
もしここが現代日本ならば、それほど気にする必要もない。が、そうでないとすると何か違和感があるのだ。
だがこうなった以上、ジッとしていてもしょうがない。
今後、色々と情報を得る事ができれば、もしかすると、現実世界に帰る糸口が見つかるかもしれないからだ。
前向きに考えて、とりあえず生きてゆこう。
そう考えながら、俺はこの地での一日目を終えたのであった。
Lv2 イシュラナの洗礼
[Ⅰ]
翌日、俺はイシュラナの洗礼を受ける為、付近にある別の洞穴へと案内された。
そこは俺達が生活する洞穴よりも、やや小さめの空間であった。
床の真ん中に丸い魔法陣が描かれている以外、ただの洞穴といった感じで、他に特筆すべきものはない所である。
これを見る限りだと、恐らく、ヴァロムさんも初めて使う場所なのかもしれない。
魔法陣の両脇には金属製の燭台が2つあり、そこには炎が揺らめく松明が置かれていた。
この不規則に揺れる明かりの所為か、洞穴内部が不気味で陰鬱な世界のように俺には見える。
多分、松明から発せられる焦げた嫌な臭いがこの空洞内に充満しているので、余計にそう見えるのだろう。
まぁそれはともかくだ。
洞穴に入った俺は、ヴァロムさんに魔法陣の前へと案内される。
俺はそこで一旦立ち止まり、岩の床に描かれた魔法陣に目を凝らした。
魔法陣は、大きな円の内側に奇妙な文字や模様があるという様式で、ファンタジー系のアニメや映画に出てきそうな代物であった。
それらは全て白い色で描かれており、この薄暗い洞穴の中では、一際、存在感を放っている。
また見たところ、かなり複雑な魔法陣に見えるので、これを描いたヴァロムさんも結構大変だったに違いない。
ふとそんな事を考えていると、ヴァロムさんの声が聞こえてきた。
「ではコータローよ。今よりイシュラナ第一の洗礼を始める。この魔法陣の中に入り、静かに腰を下ろすのだ」
「はい」
俺は言われた通り、魔法陣の中に入る。
そして魔法陣の中心で腰を下ろし、禅を組んだ。
俺は次の指示を待つ。
「コータローよ。背筋を伸ばして目を閉じよ。そして深呼吸を静かに繰り返し、まず心を穏やかにするのじゃ」
「はい」
俺は言われた通りに目を閉じて深呼吸をして、心を落ち着かせる。
何回か深呼吸を繰り返したところで、ヴァロムさんの声が聞こえてきた。
「ふむ、そろそろ始めようかの。では今から魔法陣を発動させる。じゃが、その前に一つ言っておくことがある。……昨晩も言うたが、この洗礼は肉体的な事ではなく、魂の目覚めを促すものじゃ。言うなれば、これは魂の洗礼。まずはそれをしっかりと認識するのじゃぞ。上手くゆけば、お主は呪文を得られるであろう。ではゆくぞ」
俺は目を閉じたまま無言で頷く。
するとその直後、「ムン!」というヴァロムさんの掛け声が聞こえてきたのであった。
掛け声が聞こえてから10秒程経過したところで、俺の中に変化が現れた。
なんと、身体が宙に浮かんだような感覚が突如現れたのである。
それはまるで無重力を体験しているような感じであった。
いや、それだけじゃない。
浮遊感と共に、俺の周囲は、神々しいほどの白く美しい光で埋め尽くされたのである。
これは不思議な現象であった。
現実の俺は目を閉じている筈なのに、目の前には白い光の世界が広がっているのだ。
今までの人生でなかった経験である。
そういえばヴァロムさんは言っていた。
この洗礼は魂の目覚めを促すモノと……。
ならば、これは俺の魂が見ている光景なのかもしれない。
そう考えると、この現象にも少し納得が行くのだ。
不思議だが、とりあえず、そう思う事にしよう。
俺は光の世界を見回す。
周囲を埋め尽くしたこの白い光は、穏やかな海のように静かに波うっていた。
その為、俺自身が光の海の中をユラユラと漂っているかのようであった。
しかも、何故か分からないが、妙なリラクゼーション効果もあるのだ。
というわけで、あまりにも気持ちが落ち着くことから、俺はこの浮遊感と光の海を少し堪能する事にしたのである。
日々の疲れが癒される気がする。ああ~気持ちいい。
もういっその事、このまま寝てしまおうか?
などと考えた、その時だった。
優しそうな女性の声が脳内に響き渡ったのである。
――頭上に見える光に向かって進みなさい。
光?
俺は頭上に視線を向ける。
すると、眩いばかりの光源がそこにあった。
あそこから光が発せられているのは分かるが、この光の正体は一体何なのだろう?
まさか照明器具で照らしているなんてことはないとは思うが……。
気になった俺は、声の指示通りに、頭上の光源へと向かって進む事にした。
水の中を泳ぐように、俺は手と足を使って浮上する。
そして光源の付近に来たところで、またさっきの声が聞こえてきたのである。
――さぁここで貴方自身の瞼を開くのです。
――その先に見えるものが貴方の進む道標。
――それが貴方と我等の希望。
――さぁ立ち上がりなさい。
――そして恐れず前に進むのです。
貴方自身の瞼を開く?
どういう意味だ、一体……。
もしかして、現実世界にいる俺自身の瞼を開けという事なのだろうか。
まぁ俺自身の瞼と言っているから、多分そうなのだろう。
というわけで、俺は言葉にしたがい瞼を開く事にした。
ゆっくりと、俺は瞼を開いてゆく。
そして、完全に瞼が上がった、次の瞬間!
俺の目の前が弾けたように、閃光の如く光輝いたのである。
またそれと共に、俺の中にも異変が現れたのだ。
それはまるで、頭の中に、何かがドッと流れ込んでくるような感じであった。
上手く言えないが、それは決して嫌な感じのモノではなかった。
それどころか、どこか懐かしい感じがするモノであった。
何だろう……これは一体。
俺はその異変に身を任せようとした。
だが、その直後、周囲は突如真っ暗になり、俺はフッと意識を手放したのであった。
[Ⅱ]
どれくらい時間が経過しただろうか……。
次に俺が目を覚ました場所は、魔法陣のあった洞穴ではなく、ヴァロムさんの住処であった。
(いつの間に、ここへ移動したのだろう? それに、なんか頭の中がはっきりとしない……)
俺はモヤモヤとした脳内を少し整理する事にした。
すると時間が経つにつれ、あのイシュラナの洗礼の事が次第に蘇ってきたのである。
もしかすると、俺はあの洗礼の後、気を失ったのかもしれない。
なぜなら、洗礼の途中で意識が薄れてゆく感覚があったのを少し覚えているからだ。
恐らく、俺が気を失ったので、ヴァロムさんが運んでくれたのだろう。
またヴァロムさんに迷惑をかけてしまったようである。とりあえず、後で謝るとしよう。
目が覚めた俺は、とりあえず、体を起こす事にした。
即席で作った固いベッドで寝ていた所為か、その時、ズキンと背中に少し痛みが走る。
(いたたた……岩の上に木の板を敷いただけのベッドだから、そりゃ、こうなるわな……)
できれば柔らかくてクッション性のあるベッドや布団で寝たいが、ヴァロムさんの話を聞いた感じじゃ、この世界の文明レベルはかなり低いようだ。
要するに、ドラクエの世界観の根幹をなす、中世的な文明社会なのである。
この地で、現代日本のような生活を期待する方がおかしいのだ。
貴族でもないと、それに近い生活は出来ないに違いない。
まぁそれはさておき、起き上がった俺は背中をさすりながら、周囲を見回した。
すると、壁際に置かれた机に向かうヴァロムさんの姿が、視界に入ってきた。
どうやらヴァロムさんは今、本を読んでいる最中のようだ。
読書中で悪いが、俺はヴァロムさんに声を掛ける事にした。
「あ、あのヴァロムさん。ちょっといいですか?」
ヴァロムさんは俺に振り返り、穏やかな笑顔を浮かべた。
「お、気が付いたようじゃな。心配したぞ。洗礼の途中で、お主が突然倒れたのだからの」
予想通りであった。
やはり俺はあの時、気を失ったのだ。
「そうだったのですか……。実は俺もそうじゃないかとは思ったんです。洗礼の途中で意識が薄れてゆくのを感じたもんですから」
「実はな、儂も驚いたのだ。今までイシュラナの洗礼に立ち会う事は何回もあったが、気を失う者なぞ誰一人としていなかったからの」
気を失う者がいなかったという事は、どうやら俺はかなり駄目な部類に入るのかもしれない。
今のヴァロムさんの言葉を聞いて、俺は少し残念な気分になった。
「と、という事は……洗礼は失敗したという事なんでしょうか?」
だがヴァロムさんは頭を振る。
「いや、それはまだ分からぬ。肝心なのは、先程の洗礼で、初歩の呪文を得られたかどうかなのじゃ。で、どうじゃった? 上手くいったならば、得られた呪文が思い浮かぶはずじゃ」
「ちょ、ちょっと待ってください。今、頭の中を整理します」
俺はそこで洗礼の時の事を深く思い返す。
あの時聞こえた女性の声……。
瞼を開いた直後に起きた、あの出来事。
そう……あの時、懐かしいモノが俺の脳内に流れ込んできたのだ。
するとその懐かしいモノが、次第に何かの言葉に変わってゆく。
そして次の瞬間。
(こ、これは……もしかして……呪文か?)
なんと、思い返してゆくうちに、俺のよく知っている二つ呪文と知らない呪文が一つ、合計三つの呪文が俺の頭の中に浮かび上がってきたのである。
それは不思議な感じであった。
何故かはわからないが、俺の中に、呪文が刻み込まれているかのように感じられたのである。
「あの、ヴァロムさん……不思議なんですけど、俺の中に刻み込まれたような言葉が三つあるんです。もしかして、これが使える呪文なのですか?」
するとヴァロムさんは微笑んだ。
「ほう、第一の洗礼で複数の魔法を得られたのか。もしそれが本当ならば、お主には魔法を扱う才があるかもしれぬの」
「え? そうなんですか?」
「うむ。魔法の才に恵まれた者は、複数の呪文を授かる事が多いからの。まぁそれはそうと、まずは本当に使えるかどうかの確認をせねばならぬ。というわけでコータローよ、早速じゃが、外へ行き、儂に見せてみよ」
「は、はい」――
外に出た俺達は、洞穴の入口付近にある、やや開けた場所へと移動した。
そこは岩以外何もないところで、思う存分魔法を使っても問題なさそうなところであった。
「ではコータローよ。まず、あの岩に向かって利き腕を伸ばすのじゃ。そして指先に意識を向かわせよ」
ヴァロムさんはそう言って、適当な大きさの岩を指さした。
「はい、ではやってみます」
俺は右手を真っ直ぐ前に伸ばして、指先に意識を集中させる。
すると不思議な事に、俺の中の何かが指先に向かって流れる感じがしたのだ。
(なんだこの感じ……もしかして、これが魔力の流れというやつなんだろうか?)
とりあえず、訊いてみる事にした。
「あの、ヴァロムさん。指先へと向かって何かが流れてゆく感じがします……これは一体……」
「ほう、もうそこまで感じられるのか……。儂が思ったよりも、お主は優秀かもしれぬな。今から魔力の流れについて簡単に説明しようかと思ったが、そこまでわかるのなら、もういいじゃろう」
ヴァロムさんは顎鬚を撫でながら、少し感心していた。
(もしかすると、俺は魔法使い系の才能があるのかも……大魔導師コータロー or 賢者コータロー……なんて甘美な響き……)
などとアホな妄想を考える中、ヴァロムさんは続ける。
「よし、ならば後は、その状態で授かった呪文を唱えるのじゃ。洗礼が上手くいったのならば、魔法が発動する筈じゃからの」
「は、はい」
現実に戻った俺は、とりあえず、よく知っている呪文から唱えることにした。
「え~と、では行きます」
大きく深呼吸をした後、俺は右手を前方にある岩へ向ける。
そして、あの有名な呪文を唱えたのである。
【メラ!】
その直後、俺の手の前に20cm程の小さな火の玉が出現し、対象物目掛けて飛んで行ったのだ。
火の玉は目の前の岩に衝突して弾け飛び、炎の花を一瞬咲かせた後、霧散するように消えていった。
俺は素で驚いていた。
自慢するわけではないが、結構な威力があるように俺には見えたからだ。
ゲームでは序盤を過ぎたら使わなくなる呪文だが、これを見る限り、人に大火傷させることは十分可能なように思えたのである。とはいえ、あくまでも一般人ならばだが……。
と、そこで、ヴァロムさんの唸るような声が聞こえてきた。
「むぅ……一度目で魔法をちゃんと発動させたか。やるのう……。よし、では次の呪文を唱えよ」
俺は無言で頷くと、先程と同じように右手を前に出して、もう一つのよく知る呪文を唱えた。
【ホイミ!】
しかし……効果は現れなかった。突き出した手の前に、優しい光が出現した以外、特に変化が無かったのだ。
まぁ怪我をしているわけでもないから、この結果は当然といえば当然である。
俺の知る限り、ゲームにおけるこの呪文の効能はHPの回復だからだ。
だが、とはいうものの、成功したのかどうかがよく分からないので、判断が難しいところであった。
ヴァロムさんの声が聞こえてくる。
「ふむ。まぁその呪文は、今の光を見る限り成功じゃな。多分、大丈夫じゃろう。本当は怪我でもしているところにやってみるのが一番なんじゃが、わざわざ確認の為に、怪我するのも馬鹿げておるからの」
「ほ、本当ですか? 良かった」
それを聞いて俺は少しホッとした。
実は効果を確認する為に、体に傷をつけろと言われるかが内心不安だったのである。
「ではコータローよ。三つ目の呪文を唱えて見よ」
「はい」
俺は少しドキドキしていた。
なんせ初めて知る名前の呪文なので、一体どんな効果があるんだろうと、さっきから気になっていたからである。
というわけで、俺は早速、その呪文を唱えてみる事にした。
俺は大きく深呼吸をして心を落ち着かせる。
そして、先程と同じように右手を前に出して、呪文を唱えたのである。
【デイン!】
と、その直後であった。
俺の右手がスパークし、前方の岩に向かって電撃が一直線に走ったのだ。
それはまるで、スターウ○ーズにでてきたシスの暗黒卿が使うフォースの電撃のようであった。
(こ、これは……電撃の呪文か……)
どうやらこれを見る限り、そう言う事なんだろう。要するに攻撃用の呪文という事だ。
とりあえず、俺は意見を聞く為に、ヴァロムさんに視線を向けた。
するとヴァロムさんは信じられないモノを見るかのように大きく目を見開き、電撃で焼け焦げた岩へと視線を向けていたのである。
ヴァロムさんは小さな声でボソリと呟いた。
「ま、まさか……そんな馬鹿な……こ、この呪文は……」と。
明らかにヴァロムさんは動揺している感じだった。
(この反応はどういう事なのだろう……珍しい呪文なのだろうか?)
ヴァロムさんの様子が気になるが、俺はとりあえず、今の呪文の評価を訊くことにした。
「あの、ヴァロムさん……この魔法はこれでいいんですかね?」
「ン? あ、ああ。恐らく……問題ない筈だ」
どことなく歯切れの悪い返事であった。
この様子を見る限り、今の呪文に何かあるのは容易に想像できた。
(ヤバい呪文なのだろうか? しかし、電撃が走った以外、別段特筆すべきものが無い気もするが……。でも、デインて名前が引っかかるんだよな。もしかすると、ライデインとかギガデイン系列の初歩呪文なのだろうか?)
などと考えていた、その時であった。
突然、眩暈のような症状があらわれ、足元が覚束なくなったのである。
「あ、あれ……か、身体が」
立っていられなくなった俺は、ヘナヘナと地面に座り込んでしまった。
すると慌てて、ヴァロムさんが俺の傍に駆け寄ってきた。
「大丈夫か、コータロー。どうやら魔力を使いすぎたようじゃな。無理もない。お主は魔法を使える様になったというだけで、魔力はごく僅かじゃからな」
「や、やっぱり、それが原因ですか」
実を言うと、多分そうじゃないかなとは思っていたのである。
この症状は肉体的な疲労とは少し違うような気がしていたのだ。
「コータローよ。とりあえず、一旦、中へ戻ってから今の事を話そうかの」
「は、はい」
[Ⅲ]
洞穴に戻った俺は、空洞の中心にあるテーブルへとヴァロムさんに案内された。
俺が席に着いたところで、ヴァロムさんは空洞の片隅にある水瓶の所へと向かった。
そして、木製のコップに水を満たし、それを俺の前に置いたのである。
「コータローよ。とりあえず、水でも飲んで心身を落ち着かせよ」
「はい、では頂きます」
俺はコップを手に取り、ゴクゴクと喉に流し込んだ。
清らかな感じの水が、俺の体内を潤してゆく。
一息入れたところでヴァロムさんは静かに話し始めた。
「……お主が得た魔法については大体わかった。じゃがの、魔法というのは、充実した魔力と強い精神力があって初めて使いこなすことができるのじゃ。じゃから、お主はこれから、その為の修練をせねばならぬな」
「ですよね」
まぁそうだろうとは思う。
今の俺は、ドラクエで言うならレベル1なのは間違いない。戦闘なんか一回もしてないし。
もしこれがゲームなら「つよさ」で見れるステータスも底辺の筈だ。
因みに俺の予想では、HP・MP共に一桁じゃないだろうかと思っている。
初歩の魔法を3回使っただけで眩暈がきたのだ。大体こんなもんだろう。
だがそれよりも俺は、今の【修練】という言葉を聞いて、非常に嫌な予感がしていたのである。
なぜなら、そこから連想するモノは、ドラクエを始めたら誰もがやるあの作業だからだ。
そう……レベルを上げる為の戦闘である。
ゲームをしていた時は、遠慮なく戦闘してレベル上げをしていたが、実際にそれをするとなると流石に抵抗がある。
しかもこのベルナ峡谷には、リカントという、ドラクエシリーズでは中盤に出てきそうな魔物までいるのである。溜息しか出てこない。
(はぁ……異世界に迷い込ませるなら、せめてスライムとかみたいな序盤の敵がいる場所にしてくれよ……こんな場所でレベル1からは無理ゲーだろ……)
俺は自分をこんな目に遭わせた何かに、そう言いたい気分であった。
考えれば考えるほど、ナーバスになってゆく。
(それはともかく……やっぱり、レベル上げの戦闘をしなきゃいけないのだろうか……そうなると当然、命のやり取りをしなきゃいけないという事だよな……やだなぁ……ゲームのように死んだら生き返れるなんて保証は、どこにもないし……)
俺は恐る恐る訊いてみた。
「あ、あのぉ……ヴァロムさん。と、ということはですよ……ま、魔物と戦って経験を積まないといけないんですかね?」
するとヴァロムさんは、眉根を寄せ、怪訝な表情になった。
「は? いきなりそんな無謀な事をしてどうするのじゃ。それに昨晩の話を聞いた感じじゃと、お主は、戦いと無縁の生活を送っていたようじゃしな。さすがの儂も、いきなりそんな事はさせられんわい」
(よかった……)
俺はとりあえずホッと胸を撫でおろした。
ヴァロムさんは続ける。
「その前に、お主には基本的な事から叩き込まんといかん。そこでお主の心身を鍛える為の修行を、明日までに儂が考えておいてやろう」
「すいません、ヴァロムさん。よろしくお願いします」
俺は深く頭を下げた。
「ああ、気にするな。どうせ儂も、それほど忙しいわけじゃないからの」
とりあえず、戦闘をしなくてもいいというのが分かっただけでも一安心だ。
と、そこで、さっきのデインという魔法の事が脳裏に過ぎったのである。
事のついでなので、それも訊いてみる事にした。
「あの、ヴァロムさん。さっきのデインという呪文なんですけど、あの呪文は何かあるのですか? ヴァロムさんの様子が変だったので、ずっと気になってたんです」
だがこの質問をした途端、ヴァロムさんは目を閉じ、無言になったのだ。
この様子を見る限り、何か色々と考えているのだろう。
暫くすると、ヴァロムさんは口を開いた。
「……あの呪文はな、儂の知る限り、ある系譜の者しか使えぬのだ。だから驚いたのじゃよ」
「ある系譜?」
「うむ。あの呪文はイシュマリアの子孫である王家の者にしか使えぬのじゃよ。しかも、王家の者なら誰でもというわけではない。ごく一部の限られた者達にしか使えぬ呪文なのじゃ」
要するに、俺がそんな魔法を使えること自体が、おかしいのだろう。
ヴァロムさんは続ける。
「まぁそれはともかくじゃ。儂の前以外では、あの呪文は唱えぬ方がよいな。要らぬ誤解を招く恐れがある」
もしそれが本当ならば、確かにそうだ。
王族が絡んでくるとなると、面倒な事になりそうな気がする。
いや、かなり高い確率でそうなるだろう。
「そ、そうですね、俺も気を付けます」
「うむ。まぁそれはそうと、お主も魔力を使い果たしたじゃろうから、今日はあまり無理は出来ぬな。じゃからこの後は、この地での常識について教えるとするかの」
「はい、よろしくお願いします」
というわけで、今日はこの後、イシュマリアの一般教養を学ぶことになったのである
Lv3 修行
[Ⅰ]
翌朝。
「起きろ、コータロー」
「ンンン……あ、おはようございます、ヴァロムさん。ふわぁぁぁ」
ヴァロムさんに起こされた俺は、遠慮なく、大きな欠伸をした。
「ちょっと、こっちへ来てくれぬか」
「へ? あ、はい」
ヴァロムさんは、部屋の中央にあるテーブルに来いと手招きをした。
俺は眠い目を擦って欠伸をしながら、のそのそとテーブルに向かった。そして、そこにある椅子に座らされたのである。
俺はそこで、テーブルの上へ視線を向ける。
すると、奇妙な物体が、俺の視界に入ってきたのだ。
頭につけるサークレットみたいな物や腕輪、そして胸当てとブーツ、そういった防具を思わせるようなモノが、テーブルの上に所狭しと並べられていたのである。
しかも、それらは全てが、毒々しい深紫色をしていた。
(なんだよ、この呪われてそうな防具類は……)
それが俺の第一印象であった。
首を傾げながら、それらを眺めていると、ヴァロムさんの声が聞こえてきた。
「コータローよ。昨日言った通り、これから修業を始めるぞ。まずはこれらの防具を装備するのだ」
「えっ? ……この防具を、ですか?」
俺はヴァロムさんと防具を交互に見る。
「そうじゃ。さっ、早く装備せよ」
「はぁ……」
寝起きの上に唐突な展開なので、あまり気が進まなかったが、渋々、俺は気のない返事をして立ち上がり、ヴァロムさんに促されるまま、テーブルの上にある防具類を装備し始めた。
(こんな物を装備するという事は、やはり魔物と戦わなければならないのだろうか……なんかやだなぁ……俺は喧嘩とか苦手なんだよな。中学や高校の部活も、武道系じゃなくてサッカー部だったし。はぁ……)
などと考えつつ、俺は防具を装備してゆく。
全部装備したところで、俺は改めて訊いてみた。
「あの、これからいったい何を始めるんですか?」
「決まっておる。勿論、修行じゃ」
ヴァロムさんはそう言うと、俺に杖を向け、【ムンッ】という掛け声を発したのである。
その直後、杖から紫色の光線が、今装備した胸当てに向かって放たれた。
そして、俺に予期せぬ異変が襲い掛かったのだ。
【ウ、ウワァァ。か、身体ガァァ、身体ガァ動かないィィィ、WRYYYYYYYY】
なんと突然、身体の言う事聞かなくなり、俺はうつ伏せになって倒れこんでしまったのである。
それはまるで、四肢が動かない様に何かで固定されたかのようであった。
(い、いったい、何が起きたんだ……な、なんで体が動かないんだよ!?)
この異常事態に気が動転する中、ヴァロムさんの軽快な笑い声が聞こえてきた。
「カッカッカッ。お主はこれから、その防具を身に付けて生活するのじゃ」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいッ。こんな状態で生活なんか出来るわけないじゃないっすか!」
頬を床に着けながら、俺は必死に抗議した。
「なら、出来るようにならんとの」
「マ、マジで言ってんスか」
首が上手く動かせない俺は、上目づかいでヴァロムさんを見た。が、この人の目は本気だと言っていたのである。
「も、もっと他の修行はないんですか? ぜ、全身が動かせないなんて、あんまりっスよ。というか、何なんスか、コレッ」
俺は必死に懇願してみた。
だが無情にも、ヴァロムさんは頭を振ったのである。
「駄目じゃ。これが一番手っ取り早く上達できる方法じゃからの。というわけで、修行をするにあたって、お主に一つ助言をしておこう。その防具はな、魔力が通過する事によって負担が軽くなる様になっておる。しかも、強い魔力になればなるほど軽くなるのじゃ。じゃから観念して、この修行をするんじゃな。カッカッカッ」
「ま、魔力を操るって言ったって……」
「お主は昨日、魔力の流れを感じたと言っておったろう。あれを再現するのじゃ。さすれば道は開けよう。さぁ、始めるのじゃ」
(ま、魔力の流れって……指先に意識向かわせた時のやつか。と、とりあえず、右手からやってみよう……)
俺は昨日のように、右手の指先へ意識を向かわせる。
そして、何かが流れるようなイメージを思い浮かべた。
すると次第に、昨日と同じような力の流れが感じられるようになってきた。
と、その時である。なんと、右手が少し軽くなってきたのだ。
それはまるで、重石が軽くなったかのような感じであった。
俺はそこで右手を動かしてみる事にした。
グーとパーを繰り返し、腕を第二関節から曲げる。それを何回か繰り返した。ちょっと重いが、なんとか動かすことは出来るみたいだ。
つまり、同じような要領でやっていくと、他の部位も動かせるという事なのだろう。が、しかし……これは集中力が切れたその瞬間、動けなくなるという事である。
俺はそこまで物事に集中することが出来るだろうか……。いや、多分、できない気がする。
自分で言うのもなんだが、俺は物凄く集中力が無い。寧ろ注意力が散漫している方なのだ。
それを考慮すると、俺にとってこの修行は、ある意味、拷問に近いのである。
(これを延々と続けなきゃならんのか……勘弁してくれよ、もう……)
と、そこで、ヴァロムさんの気楽な声が聞こえてきた。
「その調子じゃ、その調子じゃ。それと、この防具の所為で、魔力切れになる事はないから、そこは安心せぇ。まぁ精々頑張るんじゃな。あ、そうじゃこれも言うておこう。その防具は、儂でないと外せんからな。お主が自分で外そうと思っても無駄じゃわい」
「な、なんだってぇぇ! ちょっ、マジすか!?」
「観念せい。儂が良いというまで防具は外さんから、そのつもりでな。では、頑張れ。カッカッカッ」
俺は深い穴に突き落とされた気分になった。
「ちょっ、ちょっと待ってよ。こんな防具ずっと着けてたら、何もできないじゃないかッ!」
「カッカッカッカッカッ」
だが俺の訴えに対してこのジジイは、水戸の御老公のように、遠慮なく豪快に笑うだけなのであった。
流石にムカついたので、俺も遠慮なく言ってやった。
「ふざけんなよ、ジジイッ。 は、外しやがれッ! 笑っている場合じゃねぇよ。この糞ジジイッ。外せッ、コノヤロー!」
「カッカッカッカッカッ」
【ち、畜生! 鬼ッ! 悪魔ッ! 人でなしィィィィ! ウワァァァン】
俺は絶叫した。
(なんでこんな目に遭わなければならないんだよ……俺がいったい何をしたってんだよ。このジジイィィィィィ!)
今まで良い人だと思っていたが、この時を境に俺は考えを改めた。
俺はこれを機に、嫌な糞ジジイという称号を、このヴァロムさんに与えたのである。
[Ⅱ]
俺がこの世界に来てから、はや2週間が経過した。
とはいっても、この世界に1週間という概念はない。
ただ単に14日ほど経過したから、便宜上、慣れ親しんだ2週間という表現を使っただけだ。
それにこの世界での1日の長さは、一応、地球とよく似たものであるので、その表現でも問題はない筈である。
また、ここでは週という概念はないが、俺達の世界でいう1か月という考え方に近いものはあるみたいだ。
それら月の名前は確か、アレスとかジュノンとかいう名前だったか……。
他にも幾つかあったが、その辺のところは、俺もまだはっきりとはわからない。
とりあえず、追々、勉強していこうとは思っているところである。
まぁそれはさておき、俺は今、住居内の整理整頓をしている最中であった。
居候の身分なので、このくらいの仕事はしなきゃならんのだ。
だがとはいっても、ただ整理整頓をしているわけではない。
傍目からは、掃除をしている風にしか見えないが、これも心身をというか、魔力を生み出す魂を鍛える為の修行をしている最中なのである。
そう……あれからもずっと俺は、あの妙ちくりんな防具類を装備し続けているのだ。
この防具は、ヴァロムさん自身の手によって以前作成したものだそうだが、決して防御力や攻撃力が上がったりする装備品ではない。
寧ろ、それらを下げる役目を持った、ある意味、呪われたかのような品々なのである。
というか、ハッキリ言って、呪われた防具と言い切っても問題ないように思える。
これがゲームなら、ドラクエで定番の呪われた効果音が聞こえたに違いない。まぁ俺の場合は、アイテムを装備した時ではなく、冒険の書が消えた時にしか聞いた事はなかったが……。
と、とにかく、そう思わせる程に厄介な代物なのである。
だがまぁそうは言っても、一応、修行用の防具らしいので、そこにはある程度の線引きはしておいた方がいいのだろう。
あえてこれらに名前を付けるなら、大リーグ養成ギプスならぬ魔法使い養成ギプスといったところだろうか。
まぁそんなわけで、俺のイメージ的には、魔法使いの星を目指すような防具達なのであった。
話は変わるが、今でこそ、ある程度動けるようになったが、初日はエライ目にあったのを思い出す。
なぜなら、これを装備した直後は、やりたくもないのに匍匐前進での生活を余儀なくされたからである。
1m動くのにもヒィヒィ言ってたのだ。
当然、飯を食うのも一苦労であった。勿論、小便や大便も……。
要するに、介護が必要な一歩手前、という感じの状況に陥っていたのである。
一つの動作をするにも、細かく魔力制御をしなければならいないから、俺みたいなど素人の場合は当然の結果である。
その為、最初の数日は、本当に地獄の様な日々であった。
だが、苦労の甲斐もあり、俺もここにきてようやく、負荷を軽減するコツのようなモノをつかんだので、当初と比べると、大分まともに生活が送れるようになってきたところなのである。
つーわけで話を戻そう。
周囲の片付けを終えた俺は、とりあえず、ヴァロムさんの所に行って終了報告をする事にした。
ヴァロムさんは朝からずっと机に向かっており、何かの書物を見ているようだ。
かなり熱中しているのか、俺の接近にも気付いてないようであった。
「あの、ヴァロムさん。一応、掃除の方は終わりましたけど」
ヴァロムさんは振り返る。
「ン? ああ、終わったか。ほう、綺麗になったの。お主、中々に使える弟子じゃわい。カッカッカッ」
このジジイはサラッと適当な事を言う。
(いつの間にか、居候から弟子になってるし……)
まぁそんな感じだから否定はしないが。
「はいはい……。でも、この防具を外してくれたら、もっと綺麗に掃除しますよ」
「それは駄目じゃ。諦めい」
「でしょうね。ン?」
と、そこで、机の上に広げられた古めかしい書物が、俺の視界に入ってきたのである。
材質が羊皮紙なのか分からないが、所々が茶色く変色した書物であった。
(なんか、知らんけど、かなりの年月経ってそうな書物だな……何が書いてあるんだろう……)
ふと気になり、俺は机の脇から書物を覗き込む。
すると、鏡のような絵とパルテノン神殿のような絵が目に飛び込んできた。
絵の構図としては、鏡から神殿に向かって光が放たれているといった感じであろうか。
そして、この絵の周囲には、見た事もない文字がみっしりと記されているのである。
勿論、俺には何が書いてあるのか、さっぱり分からなかった。
どことなく文字の形がルーン文字に似ているが、それ以上は分からない。
恐らくこれは、この地で使われている文字なのだろう。
言葉は通じるが、俺はまだこの世界の文字は分からない。
なので、こういった書物を読めないのが辛いところであった。
「……なんか、えらく古そうな書物を眺めてるんですね」
「ああ、これか。儂は今、ちょっと調べ物をしておるのじゃよ」
「へぇ、調べものですか。ちなみに、これって鏡ですか?」
俺はそう言って、鏡らしき絵を指さした。
「うむ。ここにはラーの鏡と記述されておるな」
ラーの鏡……。
俺がプレイしたドラクエでは、Ⅰ以外の全てに登場した定番アイテムである。
とはいうものの、キーアイテムであったり、ただのアイテムであったりと、作品ごとに扱いの違うアイテムだった。
だが、このアイテムの効果は、確かどのドラクエでも同じだった気がするので、ここでも同じ扱いなのかもしれない。
とりあえず、確認してみよう。
「これはラーの鏡なんですか……それって確か、真実を映し出すとかいう鏡のことですよね?」
だがヴァロムさんは、今の俺の言葉を聞き、怪訝な表情を浮かべたのであった。
「何……お主、この鏡の事を知っておるのか?」
「へ? あ、いや……ただ、昔読んだ御伽噺に、そういうのが出てきた気がしたんですよ」
俺は適当に答えておいた。
ゲームではそういう設定でした……とは流石に言えないから仕方ない。
「ふむ、御伽噺か。どんな話か、少し聞かせてくれぬか?」
「え、話を……ですか?」
「うむ」
軽率な事を言ってしまったようだ。
(うわぁ、どうしよう……俺、もしかして余計なこと言ったのか。でもまぁ、それほど誤魔化す必要がある話でもないし、別にいいか。でも用心はしておこう……)
というわけで、ツッコまれても逃げられるよう、それとなく、昔話風に話すことにした。
「そうですね、幾つかあるんですけど――」
俺は魔物によって犬の姿にされたお姫様の話と、ある国の王様の正体が実は魔物であったという話、それから魔王の呪いの所為で、眠りから目覚めない王様と王妃様の話をとりあえずした。
ヴァロムさんは目を閉じて、それらの話を静かに聞いている。
「――俺が覚えているのは、そんなところですかね」
「ふむ。実に興味深い話じゃな」
ヴァロムさんはそう言うと、顎鬚に右手を伸ばして撫で始めた。
最近になって分かったのだが、何かを深く考えるとき、顎鬚を撫でるのがこの人の癖のようだ。
まぁそれはさておき、ドラクエシリーズならば、大体こんな設定だったと思う。
だが、この世界におけるラーの鏡というのが気になったので、それを訊いてみる事にした。
「ところでヴァロムさん。このイシュマリア国には、ラーの鏡の言い伝えみたいなものがあるのですか?」
ヴァロムさんは机の書物に視線を落とすと、静かに話し始めた。
「ラーの鏡……。これについては伝わっているといえば伝わっておるが、どういう物なのかは、まだはっきりと分かっておらぬのじゃ」
「え? じゃあ、名前だけが伝わっているって事ですか?」
「身も蓋もない言い方じゃが、そういう事になるの」
(……変だな。お約束のように、真実を映し出す言い伝えでもあるのかと思ったのに……)
まぁいい、もう一つの絵について訊いてみよう。
「それじゃあ、こっちの神殿みたいな絵は何なんですか?」
「うむ。儂は今、そこに描かれておる神殿について調べておるのじゃよ。イシュマリア国の伝承には、こう語られておる。大いなる力を封じし古の神殿・ダーマとな」
「ダ、ダーマ神殿!?」
俺は思わず、声に出して驚いてしまった。
「むッ。お主、ダーマ神殿についても何か知っておるのか?」
また余計な事言ってしまったようだ。
もう言うしかないだろう。
「実は今のダーマ神殿も、ラーの鏡が出てきた御伽噺の中で出てきたんですよ。だから驚いたんです」
するとヴァロムさんは、前のめりになって訊いてきたのである。
「話すのじゃ。どんな話か聞きたい」
やっぱりこうなるよな。
よわったな、どういう風に説明しよう……。
ドラクエというゲームに出てくる職業安定所です、とは流石に言えないしなぁ。
仕方ない、とりあえず、ぼかしながら話しとこう。
「俺が読んだその御伽噺に出てくるダーマ神殿は、訪れた巡礼者の眠っている力を引き出してくれる神殿ってなってましたね。確か、そんなんだったと思います」
こんな言い方でいいだろう。
大局的に見れば、ドラクエでのポジションも大体こんな感じだったし。
「眠っている力を引き出す……」
だが俺の説明に何か思うところでもあるのか、ヴァロムさんはそこでまた黙り込んでしまったのだ。
まぁこの反応を見る限り、色々と考えさせられることがあったに違いない。
でも俺は、ラーの鏡とダーマ神殿が一緒に描かれている、こっちの古めかしい書物の方が気になった。
何故ならこの二つは、俺がプレイしたドラクエだと、それほど密接な関係性があったわけではないからである。しかし、この書物を見る限り、かなりその関係性を臭わせる絵の構図になっているのだ。
(ラーの鏡とダーマ神殿ねぇ……一体、どういう関係があるんだろう。気になるな……)
俺はそれを訊ねる事にした。
「あの、ヴァロムさん。俺、ここに書かれている文字が読めないんで分からないんですけど、ラーの鏡とダーマ神殿がここに描かれてるという事は、この二つには何らかの関係があるのですか?」
「ああ、それか。ここにはな、今言ったダーマ神殿の封印を解くのに、ラーの鏡が必要だと記されておるのじゃよ。じゃから二つの絵が、ここに描かれておるのじゃ」
ダーマ神殿の封印を解くのにラーの鏡が必要?
はて、俺がプレイしたドラクエに、そんな展開はなかった気がする。
という事は、やはり、俺のプレイしてないドラクエ世界なのだろうか……。
いや、それはまだ分からないが、これで一つ確信に近づいた気がする。
この二つのアイテムの名が出てきたという事は、やはりここはドラクエの世界の可能性が高いようだ。
(はぁ……ドラクエ世界か……何でこんな事になったのやら。とほほ……。リアルドラクエは経験したくなかったよ。つか、帰れるんだろうか、俺……)
そんな風に嘆いていると、ヴァロムさんの声が聞こえてきた。
「ところでコータローよ。一つ訊きたい」
「はい、何ですか?」
「お主が読んだという御伽噺についてじゃ。それは何という題名の話なのじゃ」
(うわ、またすんごい質問してきたな。ええっと……何て言っておこう……でも、ゲームのタイトルであるドラゴンクエストとはあまり言いたくないんだよな。なんか気持ち悪いし……。まぁいいや、とりあえず、あの副題でも言っておけ。今の俺の心境を如実に現してるし……)
つーわけで、俺は、Ⅵのサブタイトルを告げることにした。
「その御伽噺ですか。えっと……確か、幻の大地とかいう題でしたかね」
「ふむ。幻の大地というのか」
ヴァロムさんはそういうと、また無言になって何かを考え始めたのである。
かなり適当にチョイスした題名なので、少し悪い気もしたが、これで納得してもらうとしよう。
まぁそれはさておきだ。
さっき整頓していた時に気になった事があったので、俺はそれをヴァロムさんに報告しておいた。
「それはそうとヴァロムさん、さっき整頓していて気付いたんですけど、もう食料が残り少なくなってきてるようなのですが……」
「おお、そういえばそうじゃった。お主が増えたもんじゃから、そろそろ買い出しに行かねばと思っておったのじゃ」
ポンと手を打ち、思い出したようにそう言うと、ヴァロムさんは壁際にある食料が入ったストッカーへと向かった。
ちなみにこのストッカーは、某ゾンビゲームにでてきたアイテムボックスのような作りの大きな木箱である。
ヴァロムさんはストッカーの上蓋を捲り、中を覗き込んだ。
「ふむ。残り5日分といったところか……。では明日あたり、街に買い出しへ出掛けるとするかのぅ」
と、そこで、ヴァロムさんは俺に視線を向けた。
「というわけでコータローよ。明日は特別に、その防具を外してやろう。お主にも手伝ってもらわねばならぬからの」
「ほ、本当ですか? コレを外してくれるんですか?」
予想外のその言葉に、俺は思わず顔が綻んだ。
「仕方あるまい。道中、その防具では危ないからの」
とりあえず、この魔力制御の日々から少しだけ、俺は解放されるみたいだ。
だがそこですこし気になる事があった。
「あれ、でもこの辺に街なんてありましたっけ?」
そう……この辺りに人は誰も住んでいないと、以前、ヴァロムさん自身が言っていたのである。
「ここから半日以上馬車で北上したところに、マルディラントという、このマール地方における最大の商業都市がある。明日はそこまで行くつもりじゃ」
「え、馬車なんてあったんですか?」
これは初耳であった。
「そういえば、お主には言ってなかったの。馬車は、ここのすぐ近くに湧水が出る場所があってな、そこに馬と共に置いてあるのじゃ。馬の世話を出来る場所がそこしかないもんでな」
「へぇ、そうだったんですか」
この防具のお蔭で、外には一度も出てないから、俺が知らないのも当然だろう。
まぁそれはさておき、問題はもう一つある。
「あのヴァロムさん……街に行くのはいいんですけど、この服って、ここではやっぱ目立ちますよね?」
そうなのである。
俺の服装はこの世界に来た時のままで、茶色のカーゴパンツに黒いカットソーという格好なのだ。
「確かにそのままじゃと目立つが、儂が着ておるようなローブをその上から着れば大丈夫じゃろう。靴に関しては、向こうに着いてから儂が見繕ってやるわい」
「そうか、その手がありましたね」
確かにヴァロムさんが着ているジェダイのローブみたいなやつなら、大丈夫そうだ。
「まぁそれよりもじゃ、道中は長い。お主の魔物対策もしておかねばならぬな。それも朝までに何か考えておこう」
「そ、そうですね。お、お願いします」
……これが一番の問題と言えるだろう。
外に出るという事は、魔物と戦闘になる危険性があるのだ。
俺は戦闘なんてやった事ないから、ヴァロムさんだけが頼りなのである。
(ああ、どうしよう……魔物とリアルで戦闘なんてしたくないぞ……)
俺はそこで、初日に見たあの凶悪そうなリカントの姿を思い返した。
そしてブルッと寒気が走ると共に、鳥肌が立ってきたのである。おまけにチ○コも小さくなったのは内緒だ。
とにかく、あんなのに襲われたら、たまったものではない。
というわけで、俺は早速、天に祈ったのであった。
道中、魔物と遭遇しませんように、と。
Lv4 商業都市マルディラント
[Ⅰ]
翌日の早朝。
日が昇り始めた頃に、俺とヴァロムさんは、イシュマリア国南部に位置するマール地方最大の商業都市・マルディラントへと馬車で向かった。
御者は勿論ヴァロムさんが務めており、俺は後ろの荷台に座って後方の監視をする様に言われている。
要するに、魔物が近づいてきたら報告しろという事である。
そして監視をする以上、俺も魔物に襲われる危険があるので、ヴァロムさんから一応武器を用意してもらったのだ。
その名もなんと……ひのきの棒……。
これを渡された時、表情には出さなかったが、正直、絶望的にガッカリしたのは言うまでもない。
せめて「どうのつるぎ」くらいは用意して欲しかった。
しかも、このひのきの棒、実は物干し竿代わりにヴァロムさんが使っていたやつらしいのだ。
これを聞いた時、俺はもう絶句であった。
おまけに「これしかなかったわい」と笑いながら渡してきたのである。もはやワザとやっているとしか思えない所業であった。
話を戻すが、恐らく、リカントクラスの魔物をひのきの棒で攻撃したところで、与えられるダメージは蚊が刺した程度だろう。いやもしかすると、ダメージゼロという超展開も期待できるかもしれない。ハッキリ言って、心許ない武具なのである。
俺もヴァロムさんに他の武器は無いかと、一応、聞いてはみた。が、即答で「無い」という答えが返ってきたのであった。
とまぁそういうわけなのだ。もうなにもいうまい……。
話を変えよう。
次に俺達の乗る馬車だが、モロに荷馬車といった感じの代物で、俺が座るこの荷台も飾りっ気などは全くない。
しかも、糞暑い日差しが直に降り注いでくる、オシャレなオープンカー仕様となっているのだ。
直射日光を受け続けて熱中症にならないか少し不安であったが、今日は風が多少あり、割と涼しい日であった。
なので、熱中症になるほどの暑さではないのが唯一の救いだ。
また、俺の座るこの荷台はほぼ木製で、金属のパーツ類は、繋ぎ目部分や強度が必要なところ以外は使われて無いようである。
その他にも、この荷馬車は長い間使っているのか、所々に色褪せた部分が散見される外見なのであった。
というわけで、見た目を分かりやすく言うと、古びたリヤカーを馬で引いてる感じだろうか。
とにかく、そんな感じの実用重視な荷馬車なのである。
だから、乗り心地はお世辞にも良いとは言えない。
ガタガタという音と共に、縦に揺れる振動が伝わってくるので、俺自身、最初の30分程は乗っていて気分が悪くなったものだ。
しかし、今はこれ以上の移動手段は期待できないので、ここは我慢するしかないのである。
話は変わるが、出発してからかなり時間が経過しているにも拘わらず、俺達は今のところ、魔物には遭遇していない。
いや、正確に言うと魔物の姿を発見する事はあったのだが、俺達に近づいて来ようとしないのである。
ちなみに、それらの魔物の中には、蝙蝠みたいな翼を生やした子供の悪魔・ベビーサタンみたいなのや、羊みたいな魔物の姿もあった。
多分、羊みたいなやつは、俺の記憶が確かならマッドオックスとかいう名前だったような気がする。
それと他にもいたが、遠くて判別できない魔物もあったので、発見するだけなら何回もしていたのだ。が、しかし……なぜか知らないが、魔物達は俺達を避けるかのように、こちらには進んでこないのであった。
それが不思議だったので、馬の休憩の時、俺はヴァロムさんに訊いてみた。
するとヴァロムさんが言うには、魔物が嫌がる芳香をこの荷馬車が発しているからなのだそうだ。
しかも芳香は、この荷台に使われている木材から出ていると言っていたので、これには俺もびっくりしたのであった。
かなり貴重な木材を使って作られた凄い馬車らしく、見た目に惑わされてはいけないようである。
考えてみれば、デフォルトでトヘロスや聖水の効果が備わってる馬車なんてゲームに無かった逸品だ。
見た目は武骨でセンスの欠片もないが、まさか、こんなスペシャル機能があったとは……。
俺はそれらを聞いて、この馬車に対する評価が180度変わった。
またそれと共に、道中の不安も少し和らいだのである。
というわけで、話を戻そう。
俺達が移動を始めてから、もう既に6時間以上は経過していた。
周囲は相変わらず、グランドキャニオンの様な赤い岩山だらけの所であったが、心なしか、岩山の高さも少しづつ低くなってきていた。
また徐々にではあるが、芝生の様な緑の雑草が生い茂る部分や広葉樹の姿も、チラホラと確認できるようになってきたのである。
これらの変化を見る限り、恐らく、このベルナ峡谷も、そろそろ終わりが近づいてきたという事なのだろう。
それにしても、このベルナ峡谷というところは、かなり広大な地域のようである。
しかも広大な上に、非常に険しい一面も持っているのだ。
ヴァロムさんが初日に、俺のような格好をした者が来る場所じゃないと言ってたが、この光景を見る限り、頷かざるをえまい。おまけに魔物が住んでいるとなれば、尚更である。
あの時はよく分からなかったから適当に聞き流していたが、保護してくれたヴァロムさんに感謝しないといけないなぁと、俺はこれらの光景を見ながら思っていたのであった。
それから更に時間が経過する。
ベルナ峡谷はもう完全に抜けており、周囲の景色も、無機質な岩や砂の大地から、草原の広がる青々とした大地へと変化していた。
先程までは後方に確認できたベルナ峡谷の姿も、ほぼ見えなくなっていた。
(さて……ベルナ峡谷は抜けたけど、このまま道なりに行けば、マルディラントなんかな)
ふとそんな事を考えていると、ヴァロムさんの声が聞こえてきた。
「コータローよ。見えてきたぞ。あれがマルディラントじゃ」
俺は前方に視線を向ける。
すると、蜃気楼のように見えるぼやけた街の姿が、前方に小さく見えてきたのであった。
あの位置を考えると、どうやら、ベルナ峡谷から少し離れた所に、マルディラントという街があるようだ。
「やっとですね。かなり長かったので、何もしてないのに疲れてしまいましたよ」
「カッカッカッ、まぁそうじゃろうな。荷台はかなり揺れるからの。とりあえず、後もう少しじゃ。我慢せい。ソレッ」
意気揚々とヴァロムさんは手綱を振るう。
そして、馬車はマルディラントへと、足を速めたのであった。
[Ⅱ]
イシュマリア国南部のマール地方。その中央に位置する商業都市マルディラントは、文字通り、このマール地方の経済の要となる街のようである。
街に向かうにつれ、街道には、沢山の荷物を積み込んだ荷馬車や普通の馬車、そして、徒歩や馬で行き交う旅人達の姿も確認できるようになってきた。
また、それらの行き交う人々の服装を見ていると、ドラクエでは定番である布の服や旅人の服のような物を着ている者や、重厚な金属製の鎧や鎖帷子を装備した者、そして、俺達のようにローブを着た者等、それこそ多種多様であった。
しかも、その上、様々な人種が行き交っているのだ。それらの中には、俺の様な日本人に近い顔つきの者もいた。
その為、色んな用事を持った人々が、ここを行き交っているというのが、これを見ているだけでよく分かる。
そして、これら光景は、マルディラントで人と物と金が大きく動いているという事の証でもあるのだ。
まさに商業都市といったところだ。が、しかし……俺はそれらの光景を眺めている内に、心の片隅に残っていた僅かな希望が消えてしまったのであった。
やはり自分はまだどこかで、異世界にいると認めていなかったのだろう。
俺が今まで見てきた光景は、全部作り物で、俺を騙す為に誰かが仕組んだ事なんだ……そう思っていた部分がごく僅かにあったのである。
しかし、この多くの行き交う人々を見て、ここは現代日本とは違うのだなと、俺は今になってようやく確信したのであった。
(……今まで見てきた景色もだけど、ここにいる人々はどう見ても日本人じゃないなぁ……やっぱここは異世界だわ。知った光景や、知り合いがいない世界か……これ以上ないくらいに、ボッチを極めてるやんか、俺……)
感傷に浸りながらも、馬車はマルディラントへと進み続ける。
近づくにつれて、マルディラントの街並みが段々とハッキリしてきた。
流石にゲームと違って、街の建造物の多さは桁外れであった。
ハッキリ言って、ゲームなんかとは比較にならない。
なので、ここがゲームとはとても思えないのである。が、ここではゲームの中で出てきた魔法やアイテムが、確かに存在しているのだ。
だがまぁ、それについてはもう考えても仕方ないので、俺はもう考えないことにしたのであった。
というわけで、次にいく。
このマルディラントは、白い石造りの建造物が建ち並ぶ中心に、美しい巨大な城が聳えるという様相をしており、ドラクエとかでは比較的に良く見かける構造の街であった。
そして、城の周囲は、これまた巨大な城塞で囲われており、豪華で堅牢なイメージを見る者に与えるのである。
だが、城の大きさに対して城塞はありえないくらいに広かった。
例えるならば、こたつの台の上に、小さなみかんを一個だけポツンと置いた感じだろうか。
とにかく、そのくらいのギャップが城と城塞の間にはあるのだ。
これは俺の想像だが、元々この街は、あの城塞の内側だけだったのかもしれない。
しかし、人が集まるにつれて城塞の中には入りきらなくなり、外にも建造物が増えていったのだろう。
ただ、建物の建築様式は中世ヨーロッパというよりも、どちらかというと古代ローマの様式に近い感じであった。
その為、このマルディラントは確かに大きな街であるが、色彩鮮やかなヨーロッパの街並みのように華やかではない。
どちらかというと、控えめな美しさを感じさせる彫刻品のような街並みなのである。
(古代ローマ帝国の街並みもこんな感じだったのかもな……)
ふとそんな事を考えながら、マルディラントの街並みに目を向けていると、突然、馬車のスピードが徐々に減速していった。
何かあったのだろうか? と思った俺は前方に視線を向ける。
すると、沢山の荷馬車が行き交う事もあって、街の入り口手前辺りから、ちょっとした渋滞が起きていたのだ。
しかも、道が一本しかない上に、後ろからも沢山馬車が来ているので、迂回も出来ない状況なのである。
これは我慢するしかなさそうだ。
「ふぅ……マルディラントに来るといつもこうじゃな。こりゃ、少し時間がかかるわい」
ヴァロムさんもこの渋滞にはお手上げのようだ。
現代日本でもそうだが、人が増えるにしたがって交通渋滞が起きるのは、どの世界でも同じなようである。
「そうみたいですね。まぁいいじゃないですか。街は逃げないですから、気長に行きましょう」
「ふむ。お主の言う通りじゃな。気長にいくとするか」
というわけで俺達は、暫しの間、渋滞のなかを進んでゆき、マルディラントの中へと入って行ったのであった。
[Ⅲ]
街の中に入った俺達は、街道から地続きになっている大通りをそのまま進んでゆく。
馬車が闊歩することもあってか、大通りはそれなりに広かった。
日本の道路で例えるならば、幅にして3車線はある道路といった感じだろうか。大体、そのくらいの広さである。
だが、馬車が通れるのは大通りだけのようで、建物の脇にある裏の道は、人が擦れ違うのがやっとな細い道ばかりであった。
その所為か、大通りの沿道には、荷馬車や辻馬車がとまる停留所みたい場所が幾つか確認できた。
またこの沿道にはそれらの他に、露天商などの姿も沢山あった。
そこでは沢山の人々が買い物をしており、今もその賑わいを見せているのだ。
ついでに美味そうな匂いも漂っているので、俺の腹はさっきからグゥグゥと鳴りっぱなしなのである。
というわけで、俺は早く飯にありつきたい一心から、ヴァロムさんにそれを訊いてみた。
「あの、ヴァロムさん。だいぶ進みましたけど、どの辺りで食料を調達するんですか?」
「まずその前に、ちょっと寄らねばならぬ所があるのじゃ。じゃから、食料の買い入れは後回しじゃ」
「へぇ、そうなんですか。まぁこの辺の事はさっぱりなんで、お任せしますよ」
俺達はその後、城塞がある方向へと進んで行った。
大通りを真っ直ぐ進んで行くと、アーチ状になった城塞の門が前方に見えてくる。
そこには鎧を着こんだ数人の兵士が門の左右におり、剣や槍といった物々しい装備をして佇んでいた。恐らく、門番の衛兵だろう。
この衛兵達を見る限り、城塞から奥は、この街の支配階級が住んでいる区域に違いない。
(まぁ俺達にはあまり縁のない場所だから、別にどうでもいいが……って、え?)
などと考えていると、ヴァロムさんはそのまま門の方へと馬車を向かわせたのである。
そして門の前で、ヴァロムさんは馬車を止めたのだ。
門の兵士達が威圧感を漂わせながら、俺達の所へとやってきた。
兵士の1人が口を開く。
「ここより先は、平民の立ち入りは禁止だ! 引き返すがよいッ」
思った通りの展開だ。
ヴァロムさんはそこで、首に掛けたネックレスのような物を兵士に見せた。
「儂の名はヴァロム・サリュナード・オルドランという。アレサンドラ家の当主・ソレス殿下に用があるのでな。通してくれぬか?」
と、その直後であった。
兵士達の表情が、見る見る青褪めた感じになっていったのである。
それから兵士達は慌てた様に取り乱し、ヴァロムさんに頭を垂れたのだ。
「た、大変、失礼をいたしました。オ、オルドラン様。どうぞ、お通り下さい」
「そこまでせんでもよい。儂はもう隠居した身じゃ。では通らせてもらうぞ」
「ハッ!」
兵士達は急いで門を開き、道を空けた。
対する俺はというと、この展開をただ呆然と眺めているだけなのであった。
(ええっと……どういう事? どういう事? 何、この展開?)
疑問は尽きないが、俺達はとりあえず、城塞の中へと入る事ができたのだ。
俺は離れてゆく城塞の門と、前方で手綱を握るヴァロムさんを交互に見た。
あまりに予想外な展開だったので、今のやり取りの意味がよく分からなかったのだ。
でも、あの兵士達の様子はただ事じゃない。
あれはどう考えても、水戸の御老公一派が、散々敵をいたぶった挙句に印籠見せつける時の反応と、同系列のものなのである。
(一体、何者なんだ、この爺さんは……。まさか、元副将軍とかいうオチはないだろうな……)
これは当然の疑問であった。
というわけで、早速、訊いてみる事にした。
「あの、ヴァロムさん。さっき、兵士達が委縮してオルドラン様とか言ってましたけど、どういう事なんですか? それとアレサンドラ家というのは……」
ヴァロムさんはこちらには振り向かず、静かに話し始めた。
「ふむ。お主にはあまり関係ないじゃろうから黙っておったが、儂は以前、イシュマリアの王都オヴェリウスで、王を補佐する宮廷魔導師をしておったのじゃよ。今はもう息子に、その役目は譲ったがの」
「宮廷魔導師……」
なんとなく凄い響きの言葉である。
しかも王を補佐していたという事は、ヴァロムさんは、かなり位の高い貴族のようである。
そんな事など考えた事も無かったので、俺は今、少しショックを受けたのであった。
ヴァロムさんは続ける。
「それとアレサンドラ家はな、このマルディラントを含むマール地方を治める太守なのじゃ。そして儂は今、あそこに見えるアレサンドラ家の居城、マルディラント城へと向かっておるというわけじゃわい」
ヴァロムさんはそう言って、前方に見える城を指さした。
「そ、そうだったんですか。すごいお知り合いの方がいたのですね……」
俺も前方に聳える城へと視線を向ける。
するとそこには、白い外壁で覆われた美しい西洋風の城が、俺達を見下ろすかのように厳かに佇んでいたのであった。
[Ⅳ]
城門で馬車を降りた俺達は、白いローブのようなガウンを着た中年の男に、城内へと案内された。
ちなみに荷馬車は、この城にいる馬の世話役をしている方々に、厩舎の方へと移動をしてもらった。どうやら、その辺の心配は無用のようである。
まぁそれはともかく、このマルディラント城だが、流石に太守とやらの城というだけあって、城内は品の良い身なりをした人達ばかりであった。
とはいっても、服装は案内する男のように、古代のギリシャやローマのような貴族の出で立ちをした者ばかりなので、あまり派手な感じではない。
また、鎧を着た衛兵の方々もいるにはいるが、特定の場所に立っているだけなので、決して物々しい雰囲気ではない。中にいる人々は、寧ろ、静かで厳粛な雰囲気であった。
また、俺達が進む廊下には赤い絨毯が敷かれており、その脇には高級感あふれる絵画や石像といった美術品が幾つも飾られていた。
その影響もあってか、全体的にこの城は、上品な美術館のように俺の目には映ったのである。
俺達はそんな様相をした廊下や階段を、男に案内されて進んでゆく。
それから程なくして、花のレリーフが施された、高級感あふれる扉が前方に見えてきた。
男はそこで立ち止まり、扉に手を掛けた。
「さ、中へお進みください、オルドラン様」
「うむ」
そして俺達は部屋の中へ、足を踏み入れたのである。
中は応接間みたいな感じで、高級感あふれるソファーや椅子が、真ん中にある大理石風のテーブルを囲うように置かれており、周囲の壁際には、廊下と同様、様々な美術品が飾られていた。
またそれらに加え、宝石をちりばめた様な美しいシャンデリアが、天井から釣り下がっているのである。
この室内の様相を見た俺は、直観的にこう思った。
ここはただの応接間ではなく、恐らく、要人を招く為のVIPルームだと……。
俺達が部屋の中に入ったところで、案内人の男は口を開いた。
「ではオルドラン様。ソレス殿下はただ今、御公務の最中でございますので、申し訳ございませぬが、暫しの間、こちらの部屋にてお寛ぎ頂けますよう、よろしくお願い致します」
「うむ。すまぬの。待たせてもらおう。では、コータローもそこに掛けるがよい」
「はい、ヴァロム様」
俺はヴァロムさんの言葉に従い、ソファーへ腰を下ろした。
と、その時である。
「失礼いたします」
メイドらしき服装の若い女性が、美しいグラスを乗せたトレイを持って部屋に入ってきたのだ。
その女性は、俺達の前にある大理石風のテーブルに、手例に乗せたグラスを静かに置いてゆく。
グラスには液体が入っており、甘く良い香りがした。多分、ジュースか、果実酒といったところだろう。
「では何か用がございましたら、この者に仰って頂きますよう、よろしくお願い致します。それでは、ごゆっくりと」
男はそれを告げると、この部屋を後にした。
そして、メイドさんは手を前に組んで背筋を伸ばし、扉の脇に静かに佇んだのである。
これを見ていると、メイドさんも中々に大変な仕事のようだ。
まぁそれはさておき、俺達は暫しの間、肩の力を抜いて、旅の疲れを癒すことにしたのであった。
――それから30分後――
この部屋の扉からノックする音が聞こえてきた。
「何であろうか?」と、ヴァロムさん。
そこでガチャリと扉が開き、俺達を案内した男が姿を現した。
「オルドラン様。ソレス殿下がこちらにお見えになります。お迎えのほど、よろしくお願い致します」
「うむ」
というとヴァロムさんは静かに立ち上がる。
俺もそれに習って立ち上がった。
そして暫くすると、高貴な佇まいをした白髪の初老の男が、何人かのお供を連れて現れたのである。
俺が見た感じでは、スペインやポルトガルといったラテン系の顔つきをした男であった。
上背はそれほどなく、別段太っているわけでもない。全体的に中肉中背といった感じだ。
男は、金色のサークレットを頭に被り、古代ローマ風の貴族の衣服を着るという出で立ちしていた。衣服の色彩は鮮やかで、赤や白や紺に加えて金色の生地の部分もあり、右手には、青く美しい宝石が嵌め込まれた杖を携えている。とまぁ早い話が、この中では一際目立つ存在であった。
なので、この男がソレスという太守に違いない。
初老の男は俺達に視線を向けると、笑みを浮かべて口を開いた。
「久しぶりだな。オルドラン卿。相も変わらず、元気なようで何よりだ」
「ソレス殿下もお変わりがないようで、何よりにございます」
というとヴァロムさんは頭を垂れた。
俺もそれに習う。
そこでソレス殿下は俺に視線を向けた。
「そちらはアマツの民の方かな?」
(は? アマツの民?)
そういえば以前、ヴァロムさんも同じような事を言っていた。
一体、どういう意味なんだろう?
などと思っていると、ヴァロムさんは言った。
「この若者は、最近、私の弟子になったコータローと申します。まぁこの地の事はまだ何もわからぬ若輩者なので、そこは少し大目に見てやっていただきたい。ではコータローよ、挨拶しなさい」
うわぁ……どうしよう。
作法が分からん。
仕方ない。とりあえず、それっぽくやっとくか。
というわけで、俺は恭しく頭を垂れた。
「お初、お目にかかりますソレス殿下。私の名はコータローと申しまして、ヴァロム様の元で教えを受けている者にございます。なにぶん、この地の事は初めてですので、粗相があるかもしれませぬが、ご容赦のほど、よろしくお願い致します」
まぁこんな感じでいいだろう。
バイトで習った接客言葉だけど。
「ほう……中々に優秀な弟子を持ったようだな」
「いやいや、まだまだ未熟な者ですので、これからどうなるかは分かりませぬ」
「しかし、滅多に弟子などとらぬお主の事だ。相応の素養があるのであろう。さて、では立ち話もあれだ。まずはそこに掛けたまえ。これは公務ではないのでな。お主とは楽に話したい」
「では、お言葉に甘えて」
俺とヴァロムさんはソファーに腰を下ろす。
俺達が座ったところで、相向かいのソファーにソレス殿下も腰を下ろした。
と、そこで、ソレス殿下は、お供の1人を隣に座るように促したのである。
「アーシャよ。そなたもここに座れ。お主もオルドラン卿に聞きたい事があったのであろう?」
俺はアーシャと呼ばれた人物に目を向ける。
するとそこにいたのは、サラッと流れるような長く茶色い髪を靡かせた、うら若き美しい女性であった。
青と白で彩られたローブを身に纏っており、頭部にはカチューシャのような飾りがあった。
年は幾つくらいだろうか……俺の見立てでは十代後半くらいに見える。
顔つきはソレス殿下と同じく、ややラテン系といった感じであった。
まぁそれはさておき、その女性はソレス殿下の言葉に頷くと、その隣に腰を下ろす。
そこでソレス殿下は他の者達に言った。
「では他の者達は、もう下がってよいぞ」
ソレス殿下の言葉に従い、他の者達は次々と退室してゆく。
そしてこの部屋は、俺とヴァロムさん、ソレス殿下にアーシャ様の4人だけとなったのである。
ヴァロムさんがまず口を開いた。
「しかし、ソレス殿下。ご息女のアーシャ様も大きくなられましたな。しかも、お母上であるサブリナ様に似て、お美しゅうなられました」
「まぁ確かに大きくはなったが、子供の頃と同じで男勝りなとこは、あまり変わっておらんのだ。そこが私の悩みでもあるのだよ。まったく、誰に似たのやら」
「お父様。その事は言わないでください」
アーシャという女性は、可愛らしく頬を膨らませた。
そんな仕草も魅力的である。
「ところでオルドラン卿。一体、今日はどうしたというのだ? もしや、アレについて何か分かったのか?」
ヴァロムさんはそこで俺をチラッと見る。
「いや、それはまだ分かりませぬ。ですが、それに関連した事で、ちょっと調べたい事がございましてな。今日は、殿下にお願いがあって参った次第であります」
「ふむ。……そういう事か。で、何を頼みにきたのだ?」
「このマルディラントにて厳重管理されているイシュマリア誕生より遥か昔の古代書物【ミュトラの書・第二編】を拝見させて頂きたいのです――」
Lv5 ミュトラの書
[Ⅰ]
【このマルディラントにて厳重管理されている、イシュマリア誕生より遥か昔の古代書物ミュトラの書・第二編を拝見させて頂きたいのです】
ヴァロムさんは、真剣な表情でそう告げた。
だがソレス殿下は、ヴァロムさんの言葉を聞くなり、眉根を寄せ、怪訝な表情になったのである。
「何? ミュトラの書だと……」
俺は知らないのでなんとも言えないが、この表情を見る限りだと、何か曰く付きの書物なのかもしれない。
「オルドラン卿よ、あれは確かに古代の書物ではあるが、記述されておる内容は出鱈目だと云われておるモノだ。それだけではない。光の女神イシュラナが、ミュトラの書について触れておるのは、卿も知っていよう。何故、そのようなものを見たいのだ?」
ヴァロムさんは目を閉じる。
暫しの沈黙の後、静かに口を開いた。
「……大いなる力とは何なのか……それを長年調べてまいりましたが、実はここにきて、儂も少し混乱しておりましてな。一度、原点に立ち返る必要があると思ったのです」
「ほぅ、だからか」
ヴァロムさんは頷くと続ける。
「ええ。それと殿下の仰るとおり、イシュラナの啓示を記述した光の聖典では、ミュトラの書の事を『邪悪な魔の神が、世を惑わす為に記した災いの書物』としているのは、儂も知っております。ですが、一度原点に立ち返る為にも、光の女神イシュラナが、どうしてそのような啓示をイシュマリアにしたのか、知る必要があると思ったのです」
それを聞き、ソレス殿下は顎に手をやり、何かを考える素振りをした。
「ふむ。そうであったか。しかし、あれはな……我等、八支族以外は入れぬ場所に置かれておる上に、世の人々には見せてはならぬと云われておるからの……。それに、我がアレサンドラ家が管理しているのは、九編あるミュトラの書の第二編だけなのだぞ?」
「第二編だけでも構いませぬ。そこから何かが見えるかもしれませぬのでな」
「むぅ……」
ソレス殿下は尚も渋った表情をしていた。
この反応を見る限りだと、どうやら、他人に見せてはいけない書物らしい。
しかも今の口振りだと、ミュトラの書という書物を見れるのは八支族だけのようである。
ちなみにここでいう八支族とは、イシュマリア王家から分家した一族の事で、全部で八つあるそうだ。
この間あったヴァロムさんの異世界教養講座で、一応、そう教えて貰った。
それと、王家に準ずる家系だから、このイシュマリア国の貴族の中でも別格の存在のようである。
多分、貴族階級でいうなら公爵といったところだろう。
そして、今の話の流れを考えると、どうやらこのアレサンドラ家というのは、イシュマリア王家から分家した八支族と考えて間違いなさそうだ。つまり本流ではないが、神の御子イシュマリアの血を引く一族なのである。
というわけで話を戻す。
悩むソレス殿下に視線を向けながら、ヴァロムさんは言った。
「殿下のお気持ち、お察しします。ミュトラの書は人々の目に触れさせぬよう、イシュマリアの八支族が厳重に管理しているのは、儂もわかっておりますのでな。ですから、無理にとは申しませぬ」
「オルドラン卿よ。一つ訊きたい。……ミュトラの書は、王家が探し求める大いなる力に、何か関係しているかもしれぬのか?」
ヴァロムさんは頭を振る。
「それは分かりませぬ。しかし、ミュトラの書を見る事によって、何かキッカケが掴める気がしたものですからな」
今の言葉を聞き、ソレス殿下は大きく息を吐いて目を閉じる。
そして「むぅ」という低い唸り声を上げて、無言になったのである。
かなり悩んでいるようだ。まぁこうなるのも仕方ないのかもしれない。早い話、掟を破れと言っているようなもんだし。
まぁそれはさておき、程なくして、ソレス殿下は口を開いた。
「オルドラン卿よ、すまぬ。……幾ら、卿の頼みとはいえ、ミュトラの書だけは見せるわけにはいかぬのだ。我等イシュマリアの八支族は、始祖であるイシュマリアの意思を守り続ける義務がある。だから、許せ」
「いや、こちらこそ無理なお頼みをして申し訳ない。もし見れるのなら、と思っただけですので、お気になさらないで頂きたい」
とはいうものの、ヴァロムさんは少し残念そうであった。
「卿のように、ミュトラの書に刻まれている古代リュビスト文字が解読できたなら、見せるまでもなく中身を伝えられたかもしれぬが、生憎、私は古代文字は読めぬのでな」
「ソレス殿下、本当にお気になさらないで頂きたい。そのお気持ちだけで、結構にございます」
ヴァロムさんは頭を垂れる。
そして、サラッと話題を変えるのであった。
「では、本題に入りますかな」と。
今の言葉を聞いた途端、ソレス殿下とアーシャさんは少しだけ肩がガクッとなった。
この爺さんは、時々、こういう事があるのだ。
調子が狂うジジイである。
「なんだ、今のが本題ではないのか? 卿は相変わらずだな。で、本題というのは何だ?」
「二つお願いがあるのですが、まず一つ目からいきましょう。我々に、この一等区域で売られている武器・魔導器類の購入許可証を発行して頂きたいのですが、よろしいですかな?」
「ふむ。それなら容易い事だ。で、もう一つは何だ?」
「それと二つ目ですが、我々のイデア遺跡群への立ち入りを許可してもらいたいのです」
だがそれを聞いた途端、ソレス殿下は首を傾げたのである。
「イデア遺跡群だと……。あの地は今、魔物が急速に増えておるので、私は人々の出入りを封鎖しておるのだ。そんな所に何しに行くつもりなのだ?」
「……これも大いなる力を探索する一環としか言えませぬな。儂も行ってみねば、それが分からぬのです」
「ふむ、そうか。まぁしかし、あの地は魔物が増えておるとはいえ、報告では弱い魔物ばかりだった筈。卿ほどの者ならば、まったく問題はなかろう。分かった。許可しようぞ。それら二つの許可証は、私の名で、すぐにでも発行させよう」
「ご無理を聞いていただき、ありがとうございます。ソレス殿下」
ヴァロムさんは笑みを浮かべ、頭を垂れた。
「卿と私の仲ではないか。そう気にするでない。ところで話は変わるが、卿らはもう宿は決めておるのか?」
「いえ、まだにございます。マルディラントに着いてから、そのままこちらに向かいましたのでな。宿を探すのは今からでございます」
宿……。
確かにそうである。
よく考えてみれば、このマルディラントは、ベルナ峡谷の住処まで日帰りできる距離ではないのだ。
しかも、先程のやり取りを見ている感じだと、ヴァロムさんは数日ほど、この地に留まるつもりなのかもしれない。という事は、どうでも宿が必要になってくるのである。
しかし、それももう解決できそうな気配だ。
(この展開はもしや……)
俺がそんな事を考える中、ソレス殿下は口を開いた。
「そうか、ならば我が居城にて暫し泊ってゆくがよい。客間は空いておるのでな。それに卿の先程の口振りだと、今日や明日で帰るわけでもあるまい」
どうやらビンゴのようだ。
「よいのですかな? 面倒を掛ける事になりませぬか?」
「ああ、構わぬ。それに卿とは久しぶりなのでな。個人的にもっと踏み込んだ話をしたいのだ。今宵は昔のように杯をかわそうではないか」
そこでヴァロムさんは俺に視線を向ける。
「コータローよ、折角のお言葉じゃ。ここはソレス殿下のお言葉に甘えさせてもらおうか」
「はい、ヴァロム様」
「では、ソレス殿下。面倒を掛ける事になりますが、よろしくお願い致します」
「よいよい。さて、それでは、卿らも疲れておるであろうから、この辺で――」
と、ソレス殿下が言いかけた時であった。
「お待ちください、お父様。まだ私の用事が済んでおりませんわ」
隣のアーシャさんがそれを遮ったのである。
今聞いた感じだと、結構、性格がきつそうな女性の口調であった。
さっきソレス殿下は、男勝りなところがあると言ってたので、実際そうなのかもしれない。
「お、おお、そうであったな。すまぬ、アーシャよ。すっかり忘れておった」
アーシャさんは、オホンと咳払いをすると話し始めた。
「では、次は私の番です。オルドラン様、お疲れのところ申し訳ございませんが、お会いする機会がありましたら、是非、幾つかお聞きしたかったことがございましたので、暫しの間、お付き合い頂きたくございますわ」
「ふむ。で、何を知りたいのであろうか?」
「では、まず伝承に残る古代の魔法についてから――」
というわけで、暫くの間、ヴァロムさんはアーシャさんから質問攻めに遭うのであった。
[Ⅱ]
ソレス殿下との会談を終えた俺達は、城内にある一室に案内された。
そこは先程とよく似た部屋であったが、唯一の違いはベッドが三台置かれているという事だろうか。
ちなみに置かれているのは、勿論、高級感が漂うベッドで、良い夢を見れそうなフンワリとした布団と枕が印象的であった。今すぐにでも横になってみたいくらい、フカフカそうなベッドである。
まぁそれはさておき、部屋の中に入った俺とヴァロムさんは、ソファーに腰かけて全身の力を抜き、まずは寛いだ。色々とあったので、流石に肩や首が凝ったのである。
「ふぅ……それにしても疲れましたね、ヴァロムさん」
と言いながら、俺は肩を回した。
「そうじゃな。しかし、コータローよ。先程は少し驚いたぞい。太守を前にして、あんなに堂々とした挨拶ができるとはな。普通、お主くらいの若造なら、太守を前にすると、もっとオドオドした感じになるからの」
「へぇ、そうなんですか。まぁあれは、前のところでの職業柄だとでも思っておいてください。それに作法が分からなかったので、もう開き直ってましたしね」
まぁ職業と言っても、スーパーでのバイトだけど……。
と、そこで、さっきのやり取りで気になった事を思い出した。
「あ、そうだ、ヴァロムさん。さっきミュトラの書というのを見せてほしいと、ソレス殿下に言ってましたけど、それって何なのですか? なんとなく、危険な感じのする書物のように聞こえましたけど」
ヴァロムさんは目を閉じると静かに話し始めた。
「ミュトラの書……このイシュマリア国において、魔の神が記した災いの書物と云われておるものじゃ。全部で九つあるのだが、その内の一つが、このアレサンドラ家にて厳重管理されているのじゃよ」
「災いの書物……ですか」
「うむ。儂も見た事ないので、記されておる内容までは知らぬがな。見れるのは、管理を任された八支族の者だけじゃ」
とりあえず、曰く付きの書物だという事はよく分かった。
「へぇ、そうなんですか。あ、それとさっき、武器の購入許可証とかイデア遺跡群への立ち入りの許可とか言ってましたけど、何なんですか、それ」
「そういえば、コータローにはまだ教えてなかったの。このイシュマリアではな、治安維持の為に、高度な武器や魔導器の類は、その地域の守護を司る武官の許可がなくば、購入出来んようになっておる。そこまでの物を求めぬのであれば、そんな許可も要らぬのだがな」
「ああ、そういう事なんですか。なるほど」
考えて見れば、ここでは剣や槍に弓といった物は立派な兵器である。
なので、こういう対応を取るのは、至極当然なのかもしれない。
「それとイデア遺跡群じゃがな。あそこはイシュマリア誕生以前からある古代の遺跡なのじゃよ。イシュマリアが誕生したのが、今から約3000年前と云われておる。じゃから、それ以上の遥か昔の遺跡という事になるの」
「へぇ、古代の遺跡ですか……。で、そこに何か気になる物でもあるんですか? 魔物がいるような事を言ってましたけど」
寧ろ、それが問題であった。
俺は魔物と戦闘なんぞ、あまり……というか、全くしたくないのだ。
「……昨日、お主は、ラーの鏡やダーマ神殿について記述された書物を見たであろう」
「はい。所々が色褪せた古めかしい書物の事ですよね?」
「うむ。実を言うとだな、あれを見つけたのは、このマルディラントでなんじゃよ。前回、このマルディラントに来た時に、二等区域にある露店で見かけて購入した書物なのだ。で、その露店の主が言うには、出所はイデア遺跡らしくてな。なんでも、そこを荒らしていた者達から、買い取ったらしいのじゃよ」
「へぇ、そうだったんですか。じゃあ、相当に古い書物かもしれないんですね」
「だから、真偽を確かめねばならんのじゃ」
どうやらあの書物は、イシュマリア誕生以前の物である可能性が出てきたみたいだ。
(イシュマリア誕生以前ねぇ……俺達の所で言うならば、紀元前といったところか。ヴァロムさんはそこに拘ってる感じがするけど、その時代に何かあったんだろうか……まぁいい、話を聞こう)
ヴァロムさんは続ける。
「それとコータローよ。儂は昨日から、お主が言っておった御伽噺の事が、ずっと引っ掛かっておっての。じゃから、この機会に是非行ってみねばと思ったのじゃよ」
まぁ理由は分かったが、一つ問題がある。
「え~と……ちなみにそれは、俺も行かないといけないんですか?」
「当然じゃ。お主が行かなくてどうする。儂は遺跡を見て、お主の意見を聞きたいのじゃからの」
即答であった。
(やっぱりか。はぁ……)
こう言われると断るのは難しそうだ。
仕方ない。覚悟を決めよう。
とはいえ、言う事は、言っておかねばなるまい。
「ヴァロムさん、行くのは分かりましたけど、この心許ない俺の装備は、どう考えても戦闘に向いてないんですが、何とかならないですかね」
これは当然の話だ。
ひのきの棒と現代日本の服、それとジェダイ風のローブだけで、そんな所に行きたくない。
できれば、それなりの装備をしてから向かいたいのである。
「ああ、それなら心配するな。暫くすると購入許可証が出るであろうから、その辺の事は儂が色々と世話をしてやるつもりじゃ」
「言っときますけど、俺は文無しなんですからお願いしますよ。それはそうとヴァロムさん。さっき、大いなる力を探索しているとか言ってましたけど、誰かから依頼でもされているんですか?」
「ああ、イシュマリア王からの」
「お、王様からですか……」
ヴァロムさんは、凄く悲しそうな表情を浮かべ、しんみりと話し始めた。
「ここ数年……見た事もない凶悪な魔物が各地で増えておってな。中には、魔物に襲われて滅んでしまった国もある。故に、国王は、魔物達に対抗しうる方法を探し求めておるのじゃよ。その一つが大いなる力の探索というわけじゃ」
「ほ、滅んだ国……」
俺はゴクリと生唾を飲み込んだ。
ヴァロムさんはゆっくりと頷く。
「うむ。イシュマリアの遥か西……海を隔てた向こうに、ラミナスという国があった。そこはイシュマリアとも海上交易しておった国なのだが……数年前、突如押し寄せてきた魔物の大群によって、滅亡してしまったのじゃよ。しかも、恐ろしく強大な魔物が多数おったらしく、あっという間の出来事だったようじゃ」
「マジすか……」
俺は魔物の大群という言葉を聞いて、今まで出会った恐ろしい魔物の姿を想像した。
その瞬間、ゾゾッと背筋が寒くなってきたのは言うまでもない。
「じゃから、イシュマリア王は何か手立てはないかと焦っておるのじゃ。明日は我が身じゃからの。まぁそういうわけでじゃな、儂はイシュマリア王から直接に、大いなる力の探索を頼まれておるのじゃよ」
「そんな理由があったんですか……」
と、その時である。
――コン、コン――
丁度そこで、扉をノックする音が聞こえてきたのである。
ヴァロムさんは返事をした。
「はい、何であろうか?」
扉の向こうから女性の声が聞こえてきた。
「オルドラン様。アーシャでございます。先程、聞き忘れた事がございますので、少々、お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、構いませぬぞ。どうぞ、入ってくだされ」
「では失礼いたします」
扉が開き、アーシャさんが部屋の中へと入ってきた。
アーシャさんはサラッとした茶色い髪を靡かせて、俺達の向かいにあるソファーに腰かける。
すると、ラベンダーのようなほのかに甘い香りが、アーシャさんから漂ってきたのである。
(はぁ~良い匂いがする。これが貴族の女性の香りなのだろうか。それに、やっぱ、可愛いなぁ……やや鋭い目つきだけど、すっと通った鼻に、愛らしい柔らかそうな唇、きめ細かいすべすべした肌に、細い顎のライン……ええわぁ。難点を上げるとすれば、少し胸が小ぶりかもしれないけど、それを差し引いても、やっぱ可愛いわ。とはいえ、ちょっと気も強そうだけど……)
などと考えていると、ヴァロムさんは話を切り出した。
「それでアーシャ様、お話というのは何でございますかな? ここまで来たという事は、他の者がいる所では、お話ししにくい内容とお見受けするが」
アーシャさんは頷く。
「さすが、オルドラン様です。もう既に、お見通しというわけですね。我が父もそうですが、イシュマリア王からも絶大なる信頼を得られているお方なだけあります」
「褒めても何も出ませぬぞ。それで、話というのは?」
「先程、オルドラン様は、ミュトラの書を見せてほしいとお父様に仰っておられましたが、あれは本当なのでしょうか?」
ヴァロムさんは長い顎鬚を撫でながら言った。
「ええ、本当の事でございますな。まぁ断られるだろうとは思ってましたので、試しに言ってみただけにございます。それが何か?」
すると、アーシャさんはそこで、周囲をキョロキョロと見回す。
それから身を前に乗り出し、囁くような小さな声で話し始めたのである。
「……実は私、以前、お父様と一緒に、ミュトラの書が置かれている盟約の間に入った事があるのですが、その時、ミュトラの書を直に見たのです」
アーシャさんの言葉に吸い寄せられるかのように、ヴァロムさんも身を乗り出した。
釣られて、何故か俺も。
「で、どんな書物だったのじゃ? それと記述されておる内容は覚えておるのかの?」
「ミュトラの書は大きな石版でした」
「ほう、石版か。なるほど……。それで、内容は?」
だがそこで、アーシャさんは姿勢を元に戻し、ニコリと微笑んだのである。
「オルドラン様。私と取引をしませんか?」
「取引? 一体何を言い出すのかと思えば、取引とはの」
「で、どうします。私、こう見えましても古代魔法文明に関心がありますので、多少の古代リュビスト文字は分かっているつもりですわ。ですので、ミュトラの書の記述を完全に解読するのは無理でしたが、記述してある文字だけはちゃんと控えてあるのですよ」
ヴァロムさんは嬉しさと面倒くささが入り混じったような、非常に微妙な表情をしていた。
まぁ無理もないだろう。実際、そうだし。
しかし、この子……可愛いけど、ちょっと無茶しそうな感じがする。
結構、食わせ者なのかもしれない。
「ふむ。なるほどの……ソレス殿下が悩む理由がわかったわい……。だがとはいうものの、儂も好奇心を抑えられぬ。というわけで、まず、アーシャ様が何を望んでおるのかを訊こうかの」
「オルドラン様は先程、イデア遺跡群に向かわれると仰いました。それに私も同行させて頂きたいのです。これが私の望みでありますわ」
「アーシャ様……それは幾らなんでも無理であろう。儂が許しても、父君であるソレス殿下がお許しなさるまい」
「そこをなんとか、お願いします。お父様も、オルドラン様からの申し出があれば、首を縦に振るかもしれませんから」
アーシャさんは深く頭を下げた。
「しかしのぉ……弱ったのぉ……」
ポリポリと側頭部をかきながら、ヴァロムさんは少し項垂れている。
まぁこうなるのも無理はないだろう。
「どうか、お願いします」
アーシャさんは、更に深く頭を下げた。
ヴァロムさんはというと、目を閉じて大きく息を吐いていた。
恐らく、どうしようかと真剣に悩んでいるに違いない。
暫しの沈黙の後、ヴァロムさんは口を開いた。
「……分かった。とりあえず、少し方法を考えてみよう。じゃがその前にじゃ……控えてあるというミュトラの書の記述は、本当にあるのじゃろうの? それが確認できねば、この取引は中止じゃ」
「それはご安心を」
アーシャさんはそう言うと、懐から折り畳んである白い紙を取り出した。
そして、紙をテーブルの上に置いて、ゆっくりと広げたのである。
「これが、ミュトラの書・第二編の全記述でございますわ」
「おお、これが……」
ヴァロムさんは目をキラキラさせながら、その紙に手を伸ばした。
だがしかし……。
ヴァロムさんの手が触れる前に、アーシャさんは紙をパッと自分の所に引き戻したのである。
そして、不敵な笑みを浮かべて、こう告げたのであった。
「まだ駄目でございますわ。お渡しするのは、ちゃんと、お父様を説得して頂いてからです。それが取引というものでしょ、オルドラン様」
「ふ、ふんだ。太守の娘の癖に、ケチじゃのぅ」
ヴァロムさんは拗ねた態度を取った。
「それとこれとは別ですわ。さて……では、そういう事ですので、オルドラン様……イデア遺跡の件、よろしくお願い致しますわ。私はこれにて失礼いたしますので、ごゆるりとお身体をお安め下さい、では」
そしてアーシャさんは立ち上がり、颯爽とこの場を後にしたのである。
アーシャさんが去ったところで、俺は思わず言った。
「ヴァロムさん。なんか知りませんけど、えらい展開になってきましたね……」
「まったくじゃわい。これは予想外じゃ」
これからどうなるのかわからないが、とりあえず、はっきりしてる事は、面倒が増えたという事だろう。
Lv6 古代の魔法(i)
[Ⅰ]
翌日の朝。
ヴァロムさんと俺は、昨晩の夕食時と同様、ソレス殿下達の朝食の席に招かれていた。
今、この食卓では、ソレス殿下とサブリナ夫人と3人の子供さん、そして俺達の計7名が食事をしている最中である。
3人の子供さんは、上から長男のティレスさんと長女のアーシャさん、次女のエルザちゃんと、1男2女という構成になっている。
年齢については分からないが、見た感じはティレスさんが俺と同じくらいか少し上で、アーシャさんは少し下、エルザちゃんが10歳くらいといったところだろうか。とにかく、そんな年頃の子供さん達である。
話は変わるが、長男のティレスさんは、昨日の夕食にはいなかったので、今朝、俺は初めて見たのだが、その容姿はハッキリ言って凄いイケメンであった。やや短めの赤い頭髪で、はっきりとした輪郭の顎と、意志の強そうな目が印象的であった。背丈は俺とそれほど変わらないのだが、その身のこなしは流石に貴族というものであり、優雅な感じに見える。
そして、そんなティレスさんを見た俺は、育ちの違いというものを強く感じたのである。
それと昨晩、ティレスさんがいなかった理由だが、ソレス殿下の話だと、ティレスさんは軍部の司令官的な立場らしく、近年増えてきた魔物対策の為の会議をしていたようである。
父親が太守だから、色々とそういう方面の役割を若いうちから背負っているのだろう。
つーわけで話を戻す。
俺は食事をしながら周囲に目を向ける。
昨晩も来た食堂であるが、やはり、大貴族の城にある食堂とあって、一味違う世界であった。
美しい意匠を凝らした大きなテーブルや、シャンデリア風の煌びやかな照明、そして、室内を彩る美術品や赤いカーペットや、美しい女神が描かれた壁面といった物は、流石に目を見張るものがあった。
こんな場所で食事する事なんて、俺の今までの人生からは考えられない事である。
だが今の俺の境遇と照らし合わせると、これは必ずしも、素直に喜べない事でもあるのだ。
これが日本で体験してる事なら、どんなに素晴らしかっただろうか……よそう。飯が不味くなる。
話を変えよう。
次に今朝の朝食だが、昨晩のような肉類を中心とした脂っこい豪勢な夕食とは違い、少しアッサリ気味な料理であった。
献立は、柔らかめのパンのような物を主食に、卵や肉類を使った、若干アッサリ気味の上品な味付けの料理や、スープやサラダといった感じの物なので、現代の日本でも食べようと思えば食べれそうな品々である。
とはいえ、料理が盛り付けられた食器等は、美しい模様や細工が施された物ばかりなので、中々、こんな器で食べる機会などはないが。
ちなみに食べ方は、西洋風のナイフやスプーンを使ったタイプの食事作法であった。
箸を使い慣れている俺からすると、非常に食べにくい作法である。
その所為か、食べている内に日本食が恋しくなってきたのであった。
はぁ~……ご飯と味噌汁を久しぶりに食べたい。
と、そんな風の思う今日この頃なのである。
つーわけで、また話は変わるが、ヴァロムさんの住処では、乾パンやビスケットに似た硬い保存食のような物を主食に、スープや干し肉、ドライフルーツのような物を食べていた。
スープの具材なども乾燥食材を使ったものが殆どな為、全体的に日持ちする食べ物ばかりであった。
あのベルナ峡谷では、新鮮な野菜とか果物を得るにはかなり厳しいので、どうしてもこういう保存食中心のメニューになってしまうのだろう。
だが、住処の付近には地下水の湧き出る泉がある事から、水に関しては豊富なので、スープやお茶系の汁物は作れるそうである。話を戻そう。
食事を食べ始めてから暫くすると、アーシャさんがソレス殿下に話しかけた。
「お父様、お話があるのですが」
「ン、何だ?」
「昨日、オルドラン様は、マルディラントの北西にあるイデア遺跡群に行かれると言っておりました」
「それがどうかしたのか?」
と言うと、ソレス殿下はグラスを手に取り、口に運ぶ。
「実はそれに、私も同行したいと思っているのですが、どうでしょうか?」
「ブブッー!」
そして、予想通り、ソレス殿下は噴いたのだ。
ま、こうなるだろうとは思っていた。
さて、どうなることやら……。
「な、何を言いだすかと思えばッ。駄目に決まっておるだろう。何を考えている!」
ソレス殿下は少し取り乱していた。
だが、対するアーシャさんはというと、取り乱す事もなく、平然とした様子で口を開いたのであった。
「お父様も御存じの事とは思いますが、私は今、古代の魔法について独自に研究しています。ですので、いつか機会がありましたら、イデア遺跡群へ行ってみたいと思っていたのです。あの地は未だに、開かずの扉や謎が多くあるそうですから」
「な、ならん、ならん、ならんぞッ! あそこは今、魔物が沢山うろついておる、非常に危険な所なのだ。女子供が行っていい場所ではないのだッ! 何を考えているッ!」
「しかし、お父様。ここに居られるオルドラン様は、イシュマリアで名の轟く魔法使いの名家にして、稀代の宮廷魔導師に在らせられるお方であります。そして、その魔法の手腕は、王家に仕える他の宮廷魔導師をも唸らせる程と……。ですから、危険度はグンと下がるのではないでしょうか?」
「な、何を言うとる。お前みたいな足手まといがいると、かえって迷惑に決まっておる。なぁ、そうであろう、オルドラン卿よ?」
ソレス殿下はそこで、ヴァロムさんに同意を求めた。
ヴァロムさんは腕を組んで頷くと、渋い表情でそれに答える。
「う~ん、そうですなぁ……確かに、アーシャ様だけならばそうなりますな。それに危険な場所ですので、儂はあまり賛成は致しませぬ」
「そういう事だ、アーシャよ。だから、お前は、そんな――」
話している最中のソレス殿下を無視して、アーシャさんはヴァロムさんに言った。
「ではオルドラン様。私をお守りする者が他におればよいのですね?」
「まぁのぅ……むぅ」
尚もヴァロムさんは渋い表情をする。
続いてアーシャさんは、ティレスさんへと視線を向けた。
「お兄様、イデア遺跡群へ行くときに、マルディラント守護隊の者を何人か私にお付けする事は可能でございますか?」
「仕方ない……。そういう事なら、俺と部下数名が直接、お前に同行してやろう。俺もイデア遺跡群の現状を、いつか調査せねばと思っていたところだからな」
ソレス殿下は勝手に進んでいく会話を見ながら、口をパクパクさせていた。
そしてアーシャさんは、そんなソレス殿下に視線を向け、自信満々に告げたのであった。
「では、お父様、オルドラン様のご提案通り、私をお守りする護衛の者も手配できました。これならば、問題ありませんわよね?」
「だ、だがしかし……ううぅぅ」
ソレス殿下は苦虫を噛み潰したかのような表情であった。
だが諦めたのか、そこでティレスさんに視線を向け、語気を強めて言ったのである。
「ええい、ティレスよ。くれぐれもアーシャに勝手な振る舞いはさせるなよ。いいな?」
「わかっております。父上」
次にソレス殿下は、ヴァロムさんに視線を向ける。
そして申し訳なさそうに、頭を下げたのだった。
「オルドラン卿よ……こんな事になって誠に申し訳ない。アーシャが馬鹿な事をしようとしたら、厳しく叱ってやって欲しい。そしてアーシャの事を守ってやってくれぬだろうか?」
ヴァロムさんは腕を組み、しんみりと返事した。
「こうなった以上、やむを得ませぬな。分かりました。儂の持つ知識を駆使し、責任を持ってアーシャ様をお守り致しましょう」
と、そこで、ナウ○カに出てきたクシャナ殿下みたいな髪型をしたサブリナ様も、ヴァロムさんに頭を下げた。
「私からもお願い致しますわ、オルドラン卿。アーシャは向う見ずなところがありますので、気を付けてください」
「わかっております、サブリナ様」
続いて、髪型をツインテールにしたエルザちゃんも話に入ってきた。
「え~いいなぁ。お兄様とお姉様だけずるい~」
【お前は絶ッッッ対に、駄目だッ!】
「ひッ!?」
ソレス殿下は物凄い形相でエルザちゃんにダメ出しをした。ある意味メンチ切ってる状態だ。
そしてエルザちゃんは、そんなソレス殿下に少し怯えているのである。
まぁこうなるのも無理はないだろう。
しかし、俺はそんなソレス殿下を見ていたら、少し気の毒になったのである。
なぜならば……今の一連の流れは、あらかじめ用意されていたシナリオだったからだ。
そう、これらはヴァロムさんが発案して、それにアーシャさんとティレスさんが乗っかった、いわば芝居なのである。
ソレス殿下は、それにまんまと一杯喰わされたのだ。
願いが叶ったアーシャさんは、ニコニコと笑みを浮かべて食事を再開する。
片やソレス殿下は、少しどんよりとした表情であった。
(娘が危険な所に行こうというのだから、そりゃこうなるわな……)
などと考えていると、サブリナ様が俺に話しかけてきた。
「コータローさんと仰いましたわね。貴方にもお願いしますわ。アーシャを守ってやってください」
「はい、サブリナ様。ヴァロム様と協力して、私もアーシャ様を精一杯お守り致します」
まぁ俺の場合は、逆に守ってもらわないといけない方かもしれないが……。
と、そこで、アーシャさんと目が合った。
アーシャさんは興味深そうに俺を見ている。
「そういえばコータローさんは、アマツの民の方ですわよね?」
またこの単語が出てきた。
アマツの民って、一体、どういう意味なんだろう。
「あの、アマツの民って――」
俺がそう言いかけた時であった。
ヴァロムさんが話に入ってきたのである。
「いや、コータローはアマツの民ではありませぬ。この弟子は何処から来たのか知りませぬが、つい最近、ベルナ峡谷に迷い込みましてな。そこを儂が保護したのでございます」
「そうだったのですか。てっきり、アマツの民の方かと思っておりましたわ。もしそうなら、あの伝承について訊いてみようかと思いましたが、それならば無理ですわね」
あの伝承?
要領を得ないので、何を言ってるのかが分からない。
アーシャさんは続ける。
「でも、オルドラン様が弟子として迎えたという事は、相当、魔法の才がおありになるのですね」
「まぁ確かに、才はありますが、どうなるかはこれからですかな」
ヴァロムさんはそう言って、俺を見た。
要するに、精進しろという事なのだろう。
「……そうなのですか。ならば、私も負けてられませんわね。では、才能あるというコータローさんにお聞きします。現在、魔法は幾つあるか、ご存知かしら?」
「え、魔法の数ですか?」
ドラクエはシリーズによっても違うから悩むところである。
(幾つなんだろうか……これは難しい質問だな……でも、ドラクエⅢ以降は60以上はあった気がするから、その辺の数字にしとくか……)
俺は答えた。
「60くらいですか?」
「プッ、アハハハ」
だがこの数字を言った途端、アーシャさんは噴き出す様に笑い出したのだ。
なんとなく小馬鹿にしたような笑い方である。
「コータローさん、そんなにありませんわ。今、このイシュマリアで確認されているのは20種類程度ですから。もう少し、お勉強をなさった方がいいですわね」
なんかちょっとムカつく言い方である。
とはいうものの、立場は相手の方が上だ。
だから、ここは適当に流しとこう。
「そうだったのですか。ありがとうございます、アーシャ様。大変、勉強になりました」
「ですが、コータローさんの言った事も満更でもありませんわね。確証はありませんが、古の時代には、今よりも沢山の魔法があったと古い文献には記されておりますから。そして、それらの中には、嘘か真か、自由に街を行き来できる魔法や、竜に変身する魔法なんてモノもあったそうですしね」
自由に街を行き来できる魔法と竜に変身する魔法……ああ、あれの事か。
「それって、ルーラという呪文とドラゴラムという呪文の事ですよね?」
だが今の言葉を発した瞬間、この場にいる全員が食事の手を止め、俺の顔を不思議そうな目で見ていたのである。
(な、何だ、一体……俺なんか変こと言ったか……)
アーシャさんは、首を傾げて訊いてきた。
「ルーラ……ドラゴラム……なんですの、その呪文は?」
「へ? 何って……」
と、そこで、ヴァロムさんが咳払いし、話に入ってきた。
「オホンッ。まぁそれはそうと、明日の朝にはイデア遺跡群に向かいたいので、我々も今日はこの朝食が済み次第、装備や道具類を整えようと思っております。そういう事ですから、ティレス様とアーシャ様も、十分に準備を整えておいてくだされ」
「ええ、勿論ですとも。わかっておりますわ。オルドラン様」
今のヴァロムさんの態度を見る限り、俺は少し余計な事を言ってしまったのかもしれない。
このドラクエ世界における魔法について、俺はもっと深く知る必要がありそうだ。
[Ⅱ]
朝食を終えた俺とヴァロムさんは、早速、一等区域にある武器屋へと向かった。
この一等区域は、城塞の外にある二等区域とは違い、物凄く綺麗な景観の街並みであった。
俺達の進む石畳の道路にはゴミも少ない上に、路肩には綺麗な花が育つ花壇が幾つもあった。
これを見る限りだと、貴族や金持ちの住む区域とあって、街の美化はかなり意識しているのだろう。
また建造物の全てが石造りで、それらは白や灰色といったシックな色合いのモノばかりであった。
見たところ、塗料などによる着色はないようである。
現代の日本のように、色の統一感がない街並みとは異なり、このマルディラントは、統一感のある整った美しさが特徴の街であった。
(こういう街並みもいいねぇ……古代ローマの遺跡は本とかで見た事あるけど、当時はこんな街並みだったのかもな……)
俺とヴァロムさんは、そんな街並みを眺めながら進んでゆく。
だがその道中、人気のない場所に差し掛かったところで、周囲を警戒しながらヴァロムさんが小声で話しかけてきたのであった。
「コータローよ……朝食の時に言っておった呪文じゃが、あれも御伽噺で出てきたものなのか?」
「へ? ああ、ルーラとドラゴラムの事ですか?」
するとヴァロムさんは、口の前に人差し指を持っていき、シーというジェスチャーをした。
多分、呪文名を口にするなという事なのだろう。
どうやら、色々と都合の悪い事があるのかもしれない。
「ええ、そうですよ……それがどうかしましたか?」
「実はな、儂も古代の魔法については幾つか知っておってな。今言ったモノの内、前者の魔法については、ある文献で見た事があるのじゃ」
「そうなんですか……」
今、ヴァロムさんは、ルーラの事を古代の魔法と言った。
という事は、アーシャさんの言っていた魔法の数を考えると、この世界ではドラクエシリーズに出ていた魔法の多くが、今は失われている状況なのかもしれない。
何より、ルーラとドラゴラムという呪文を言った時のアーシャさんの反応が、それを如実に物語っていた。
恐らく、魔法の名前すら、あまり知られてないのだろう。
それが事実ならば、これからは迂闊に名前を出さない方がよさそうである。
「まぁそれはともかくじゃ。古代の魔法については……いや、御伽噺については、儂とお主だけの秘密じゃ。それ以外の者がおる時は、口を噤んでおいた方が良いの。それが、お主自身の為でもある……」
「俺自身の為?」
「昨日も言うたと思うが、この国は今、魔物の襲来に怯えておる。この国の魔法研究者達は、強力な古代魔法を得る為の方法を、日夜、血眼になって探しておるのじゃ。じゃから、お主がその辺で御伽噺を吹聴すれば、聞きつけた研究者達が、どっとお主の元に押し寄せる可能性があるのじゃよ」
確かに、それは面倒だ。ウザい事この上ない。
「わ、わかりました。以後、気を付けます」
「うむ。その方が良い」――
そんなやり取りをしつつ、俺達は一等区域内を進み続ける。
暫く進むと、高級感のある商店街へと俺達は辿り着いた。
そこはどれもこれも、貴族御用達といった感じの佇まいを見せる店ばかりであり、二等区域にあるような庶民臭い店は一つもなかった。まさに高級ショッピング街といったところである。
現代日本だと、こういう高級な店にも庶民は入る事ができるが、ここは異世界。流石に、ここを利用する人々は、特権階級ぽい人達ばかりであった。
だが、今はまだ朝という事もあってか、それほどの賑わいは無い。チラホラ見える程度の疎らな感じであった。朝という事もあって、まだそれほど利用客もいないのだろう。
俺達は、そんな閑散とした商店街の通りを真っ直ぐに進んでゆく。
商店街を見回すと、通りの両脇には、宝石を売る店や服を売る店、家具や美術品に食品を売る店等、様々な店が建ち並んでいた。が、しかし……俺はそこで少し疑問に思ったのである。なぜなら、それらの中には、武器を売っているような店は、一つもなかったからだ。あるのは贅沢品や生活雑貨を売るような店ばかりなのである。
(こんな所に武器屋なんてあるんだろうか? まぁこんなアットホームな商店街に、殺伐とした武器が売ってる方が、そもそもおかしいともいえるが……ン?)
ふとそんな考えが脳裏に過ぎる中、ヴァロムさんはえらく狭い路地へと入っていった。
俺もそれに続き、路地へと入ってゆく。
そこは表の華やかさと比べると、些か、暗い感じのする通りであった。
なんとなく、裏社会に通じてそうな日の当たらない道である。
(やっぱ武器屋はこういう雰囲気の所が似合ってるよな……もうそろそろかな)
などと考えつつ、俺はヴァロムさんの後に続き、その陰気な路地を進んでゆく。
すると程なくして、剣と槍の絵が描かれた看板が見えてきたのであった。
看板を見る限り、モロに武器屋といった感じの佇まいで、しかも、コンビニ4店舗分くらいはありそうな平屋の大きな建物であった。
どうやらアレが目的の店のようだ。
そして俺達は、その店の中へと足を踏み入れたのである。
武器屋に入った俺は、そこで店内を見回した。
店の中は、武器や防具に加え、道具類が並ぶ棚で埋め尽くされていた。
しかもそれらは、各ブースに分けられて綺麗に整理整頓されており、訪れた客が探しやすいようになっているのである。
こういう中世的な世界の武器屋というと、俺的には、乱雑に並べられているイメージがあったが、ここはやはり購入許可証を持っている人が来る店だからか、整理整頓はしっかり行われているみたいだ。
また、品揃えもかなりのモノであった。高そうな武器や防具が、マネキン人形の如く、幾つも置かれている。
(ほぇ……こりゃ凄いな。服売ってるような感じで武具が置いてあるよ。……でも、客がいないんだよな。ひょっとして、俺達だけか?)
店内を見回してみたが、客は誰もいないようであった。
もしかすると、俺達が開店第一号の客なのかもしれない。
「さて、ではコータローよ、まずは順に見ていこうかの」
ヴァロムさんはそう言って剣や鎧があるブースを指さした。
「はい」――
それから30分くらいかけて、俺達は店内を見て回った。
店内にある物で目に付いたのは、鋼の剣や鋼の鎧といった定番の武具や、魔導士の杖や理力の杖に絹のローブとか、みかわしの服といったところだろうか。
まぁ早い話が、ここで売られている物は、ゲームの中盤に入りかけた頃に手に入れるような武具ばかりであった。なので、一応、それなりの物が揃っているようである。
この店でこの品揃えという事は、二等区域にある武器屋だと、銅の剣や皮の鎧クラスの武具しかないのかもしれない。
まぁそれはさておき、一通り見たところで、ヴァロムさんは鋼の剣の前へと、俺を連れた来た。
「コータローよ、お主、剣は使った事があるのか?」
「いえ、ありません」
「ぜんぜんか?」
「まったくありません。というか、ここに来る前に住んでたところでは、そんな物を持ってると、銃刀法違反でしょっ引かれますので、使うなんてもってのほかです」
「ジュウトウホウ? ……まぁいい。ともかく、一度手に持ってそこで振ってみよ。言っておくが、これは盾を装備して使う事が前提の剣じゃから、片手でだぞ」
ヴァロムさんはそう言うと、武器コーナーの試し振りをするスペースを指さした。
というわけで、俺は鋼の剣を手に持ち、試しに振ってみる事にした。
で、その結果はというと……。
(こんなの片手でなんて無理。重すぎて、俺の貧弱な筋肉では無理です……残念)
持った時に、3kg以上はありそうな感じがしたから、嫌な予感はしていたのだ。
まぁそういうわけで、ある意味予想通りの結果なのであった。
「この分じゃと、鋼の鎧も無理じゃな。お主は儂と同じで、魔法使い用の武具にするしかないの」
「ええ、そのようですね。正直、甘く見てました」
やはり、ゲームと現実は違うようだ。
ゲームだと、戦士系の職業だったらレベルに関係なく、誰でも装備できる事を考えると、俺は戦士系ではないのかもしれない。少しがっかりである。
そんな事を考えていると、店員が1人こちらにやってきた。
その店員は、頭の天辺が禿ている小太りな中年のオッサンであった。
揉み手をしながら、ニコニコとした営業スマイルを携えているのが、いかにも商売人といった感じである。
オッサンは俺達の前に来ると、丁寧に挨拶をした。
「いらっしゃませ。私、店主のボルタックと申します。何かお探しのようですが、どういった物を探しておられるのでしょうか?」
(ボ、ボルタック? ……某3Dダンジョンゲームの商店みたいな名前だな)
色々と突っ込みどころ満載の名前である。
「うむ。この男に合う武具は無いかと思って、今、色々と見ておるのじゃよ」
「おお、左様でございますか」
というと、このオッサンは品定めするかのように、俺をジロジロと見た。
そしてニコッと微笑むと、杖が置かれたコーナーを指さしたのである。
「私が見たところ、お客様はあちらの装備品が適しているように思いますが」
「うむ。儂もそう思っておったところじゃ。それではコータローよ。今度はあっちのを装備してみよ」
「杖かぁ……。まぁ仕方ないか」
というわけで俺達は、杖のコーナーに移動するのである。
沢山並んだ杖の前に来たところで、ヴァロムさんは、先端に赤い水晶が嵌め込まれた木製の杖を指さした
「コータローよ。そこにある魔導士の杖を持ってみよ」
「これですね」
俺は言われた通り、その杖を手に取った。
重さ的には、大体、1kgから1.5kgくらいだろうか。
このくらいの重さなら、何とかなりそうであった。
「これなら、俺でも使えそうですね」
そこでボルタックさんは、揉み手をしながら説明をし始めた。
「この魔導士の杖はですね。先端の水晶にメラの力が封じられているのです。力を開放するには、ごく僅かの魔力を先端の水晶に籠めるだけですので、戦いの際には重宝すること間違いなしですよ」
(そういえば、この杖って、確か道具で使うとそんな効果があったな。値段はⅢだと1500Gだった気がする……)
ゲームではよくお目にかかる、中盤に入りかけた頃の定番アイテムである。
「店主よ、これは幾らだ?」
「こちらは1000ゴールドとなりますね」
(ウホッ、Ⅲよりも500ゴールド安いやん。というか、やっぱお金の単位はゴールドなようだ。少し安心した)
ギルとかゼニーとか言われたら、どうしようかと思ったところだ。
まぁそれはさておき、ヴァロムさんはそこで俺に視線を向けた。
「どうする、コータローよ。これにするか?」
「そうですねぇ……」
俺的にはやはり、主人公っぽく剣とかをガンガン使いたかったが、この貧弱な身体では仕方ないのかもしれない。
「どうしたのだ? 何か気になる事でもあったのかの」
「いや、そういうんじゃないんですけど……。ただ、俺的には剣が使えると良かったなぁと思ったんですよね。でも、いいです。これにします」
するとそこでボルタックさんがニコリと微笑んだのだ。
「おお、左様でございましたか。できれば剣を使いたかったと。なるほど、なるほど」
「ふむ。店主よ、何かあるのか?」
「実はですね。今、とある魔導具の製作家がですね、理力の杖を改良した試作品をウチの店に持ってきているのですよ」
「ほう。それは気になるの」
俺もだ。確かに気になる。
理力の杖は確か、魔力を使って攻撃する武器だったか。それと結構、攻撃力のある武器だった気がする。でも、攻撃する度に魔力が減るから、あまり使わなかった記憶があるが……。
「少々お待ち頂けますか。奥の倉庫に置いてあるものですから、こちらにお持ち致します」
そう告げるや否や、ボルタックさんは、店の奥へと足早に消えていったのである。
暫くすると、ボルタックさんは剣の柄のような品物を持ってきた。
「こちらがその品になります。使い方は理力の杖と同じで、柄を握り、魔力を強く籠めてくださるだけで、これは武器になるそうですよ。どうぞ、試してみて下さい」
俺はそれを手に取った。
重さ的には300g程度だろうか。ハッキリ言って凄く軽い。
だが見たところ、鍔も何もない青い柄の先端に、水色に輝く水晶が取り付けられただけの物なので、このままだと凄く貧相な武器であった。
まぁそれはともかく、まずは言われた通りにやってみる事にしよう。
というわけで俺は、右手にそれを握り、魔力を籠めてみたのである。
すると次の瞬間。
なんと、ジェダイのライトセーバーみたいな青白い光の刃が、先端の水晶から出現したのであった。

というか、光の剣だから、もうライトセーバーでいい。
あの独特な効果音は無かったが、俺は目を見開き、思わず感動した。
そしてこれを見るや否や、俺は思わず即答したのであった。
「お、俺、これにしますッ。絶対これっスよ。俺、今日からジェダイマ○ター目指します! 今日から俺はパダワンっス。フォースの流れに身を任せるッス! ヒャッホゥー!」
だがハイテンションな俺とは裏腹に、ヴァロムさんとボルタックさんは凄くドン引きしていたのである。
「あ、あの……こ、この方は……と、突然、ど、ど、どうなされたのですか?」
「こ奴は時々、アホの子になる時があるんじゃよ」
「だ、だれがアホの子やねん!」
とまぁそんなわけで、俺は心ときめく武器と、運命的な出会いを果たしたのであった。イェイ!
Lv7 イデア遺跡群
[Ⅰ]
朝日が昇り始める早朝。
俺は馬車の車窓から、流れゆく景色を眺めていた。
そこから見えるのは、どこまでも広がる草原と遠くに見える山だけで、他に目につくモノは何もない。しいて言うならば、俺達が進んでいるこの砂利道くらいだろうか。とりあえず、そのくらいのものである。
だがしかし……今、俺の目の前にある光景は、日頃の嫌な事も忘れる事が出来そうなくらいに、神秘的なものとなっていた。
なぜなら、辺り一面に広がる草原は、草葉についた露に朝日が反射して、宝石を散りばめた様な輝きを放っていたからである。
それはまるで、光の楽園を思わせるような、眩く美しい光景であった。
この世界に来てから、今ほど癒される光景を俺は見た事がない。その為、俺は少し得した気分になっていたのである。
早起きは三文の得という諺があるが、これもそういった事の一つなのかもしれない。
とまぁそんな事はさておき、俺は今、馬車に乗って何をしているのかというと……イデア遺跡群へ向かう為に移動をしているところであった。
ちなみにだが、俺が乗っているのは、マルディラント守護隊の所有している馬車である。
で、この馬車に乗った感想だが……ヴァロムさんの荷馬車と違い、屋根付きの上に座席もあるので、すごく快適であった。
しかも、乗車定員は10人という事で中も結構広い上に、2頭の馬で引くタイプの馬車なので、それなりに安定感もあるのだ。
以上の事から、俺は、つくづく思ったのである。
やっぱ馬車移動はこういうタイプの馬車でしょ、と。
話は変わるが、今、この馬車に乗っているのは、ティレスさんとアーシャさんにヴァロムさんと俺、それと守護隊の者が務める御者を含めた5人だけである。
だが、今回の人員はこれだけではない。
外にはこの馬車を守るように、守護隊の者達20人が馬に跨って並走しているのだ。
つまり俺達は、護送船団のような陣形を取りながら、総勢25名の者達でイデア遺跡群へと向かっているのであった。
ティレスさんとヴァロムさんが話し合った結果、この移動方法になったのだ。
また、ティレスさんの話だと、連れてきた20名の者達は、守護隊でもかなりの腕利きらしく、しかも全員が、守護隊仕様の魔法の鎧や、魔力が付加された武具を装備しているという凄い武装なのだ。もはやショボイ魔物では相手にすらならないに違いない。
この面子ならば、俺が戦闘するという事はなさそうなので、頼もしい事この上ないのである。
というわけで話を戻そう。
俺は外を眺めながら大きく欠伸をした。
「ふわぁぁ」
景色は確かに美しいが、同じような景色が続くから、少し眠たくもなってくるのだ。
これは仕方ないところである。まぁ眠いのは、別の理由もあったりするのだが……。
まぁそれはさておき、俺は欠伸で出た涙を手で拭った。
と、そこで、俺の正面に座るアーシャさんが、ややムスッとしながら口を開いたのである。
「コータローさん……もう少し、シャキッとなさったらどうですか? 貴方は出発してから緊張感が無さすぎますわ」
「も、申し訳ありません、アーシャ様。実は昨晩、あまり眠れなかったものですから、その影響が出ているみたいです」
これは事実である。
確かに寝不足なのだ。
「それは言い訳にはなりませんわ。今日出発すると分かっていたのですから、ちゃんと睡眠をとらない貴方がいけないのです。たるんでいる証拠ですわ」
俺は深く頭を下げた。
「仰る通りでございます。申し訳ありません。私の不徳と致すところでございます」
「分かればよろしい」
そしてアーシャさんは、勝ち誇ったように微笑むのであった。
(はぁ……俺、この子、ちょっと苦手かも……つか、何か気に障るような事でもしたのだろうか、俺……)
理由は分からないが、さっきから俺に突っかかってくるのである。
と、そこで、アーシャさんの隣にいるティレスさんが、苦笑いを浮かべ、話に入ってきた。
「すまないな、コータロー君。アーシャは、念願の遺跡調査が出来るものだから、気分が高ぶっているんだよ」
「お兄様。そういう事じゃありませんわ。気の緩みが不測の事態を招くかもしれないから、私は言っているのです」
アーシャさんは即座に言い返した。
続いてヴァロムさんも。
「確かに、アーシャ様の言う通りじゃ。コータローよ。もう少し気を引き締めよ」
「はい、わかりました」
まぁ確かに、俺がたるんでいるのは事実だから仕方ない。気を引き締めるとしよう。
で、寝不足な理由だが……実は昨日、武器屋で買ったライトセーバーモドキを発動させて、何回も試し振りをしてたのが原因なのである。
例えるならば、子供が念願の玩具を手に入れた時と同じようなものだろうか。もう嬉しさのあまりというやつだ。
思わず、あのヴォンヴォンいう効果音を口で言ってしまいそうに……というか、既に言ってるし。
以上の事から、昨日の俺は、『最高にハイってやつだ』的な感じになっていたので、今が寝不足気味というわけなのである。
要は、アホな事してた俺が悪いのだ。
ちなみにだが、ヴァロムさんは、俺のそんな行動を見て少し呆れ顔であった。多分、理解できないのだろう。
というか、スターウ○ーズを知らないのだから、この反応は当然である。
だがしかし!
例え呆れられても、こればかりはどうしようもないのだ。
だって、ニヤニヤしちゃう……ライトセーバーは俺の……いや、男のロマンなんだもん。
話がだいぶそれたが、つまり、これが理由なのである。
[Ⅱ]
イデア遺跡群へと移動を始めてから、1時間程経過した。
周囲の景色は相も変わらずだが、風が吹き始めたこともあり、辺り一面に広がる草原は、海の波のように靡いていた。
俺はその光景を眺めながら、遺跡まであとどのくらいなのだろうかと考える。
そんな中、ティレスさんの声が聞こえてきた。
「ところでオルドラン様。コータロー君は、どのくらいの魔法が使えるのですか?」
「ふむ。こ奴はまだ駆け出しじゃから、それほどの魔法は使えぬ。ほぼ入門したてと思ってもらって結構じゃ」
「へぇ、ではコータローさん。その魔導士の杖が似合うように、もう少し精進しなければなりませんわね」と、アーシャさん。
「はい、そう思って努力しているところです」
俺はそう言って、右手に持つ魔導士の杖に目を向けた。
そう……実は昨日、魔導士の杖も買ってもらったのだ。
というわけで、俺は今、ライトセーバーもとい正式名称・魔光の剣と、魔導士の杖という二つの武器を装備しているのである。
何故、二つも買う事になったのか?
これには勿論理由がある。いや、正確には、両方買うというよりもセット販売と言った方が正しいだろうか。
実は昨日、武器屋で魔光の剣に感動していた時、ボルタックとかいう店主は、俺達に向かってこんな事を言ったのである――
「お客様、そちらの品は魔光の剣と申しますが、まだ試作品な為、私共の店では正式に売り出す商品ではございません。ですので、魔導士の杖を買うなら、タダでお付けましょう」と。
それから、こうも言ったのだ。
「そして出来れば、魔光の剣を使った使用感や改善点などを、私共に教えて頂けるとありがたいのです。今後の為にも、それらの有益な情報は、魔導器の製作家に伝えねばなりませんから」――
とまぁそういった理由から、魔導士の杖まで買うハメになったのであった。
ちなみにだが、購入したのは武器だけではない。勿論、防具もだ。
今の俺の装備はこんな感じである。
武 ……魔導士の杖と魔光の剣
盾 ……無し
兜 ……無し
鎧 ……みかわしの服
足 ……皮のブーツ
腕 ……皮の篭手
ア ……金のブレスレット
はっきり言って、武器と鎧以外はあまり大した装備ではない。が、こんな装備でも、購入金額は3500ゴールド以上だったのである。
結構、大きな出費だと思ったので俺は悪い気がしたが、ヴァロムさんは顔色変えず支払っていたのを考えると、さほど苦ではないのだろう。流石に貴族なだけあって、お金は持っているようだ。
まぁそんなわけで、俺も見た目だけは、ドラクエ世界の住人らしくなったようである。
つーわけで、話を戻そう。
それから更に時間が経過した。
周囲の景色は草原に変わりないが、平坦な地形から若干の起伏がある波打った地形へと変化し始めていた。
そして暫くすると、御者の大きな声が、こちらに聞こえてきたのである。
【ティレス様ッ、前方に、イデア遺跡群が見えてまいりましたッ】
それを聞き、ティレスさんは周囲を並走する守護隊の者達に、大声で指示を出した。
【これより先は、魔物の数が今まで以上に増えてくる。馬車や馬には魔除けが施されているが、魔物の数が増えれば、今までのように魔物も避けてはくれないだろう。各自、すぐに戦闘できるように態勢を整えよ。気を引き締めるのだッ】
【ハッ】
それを皮切りに、緊張感のある雰囲気へと、この馬車の中も変化していった。
(どうやら、イデア遺跡群の近くに来ているようだ。いよいよだな……さて、どんなモノが待ち受けているのやら……)
俺は知らず知らずのうちに、魔導士の杖をギュッと握り絞めていた。
そして、恐る恐る前方に視線を向けると、蜃気楼のように歪んで見える不気味な建造物群が、俺の視界に入ってきたのであった。
[Ⅲ]
イデア遺跡群……。
それはマルディラントの北西にある、数々の古代建造物群の総称である。
勿論、人などは住んでおらず、今は魔物が闊歩する廃墟だそうだ。
誰が建てたのか。いつからあったのか。何の為に建てたのか。どんな人たちが住んでいたのか。……それは今もって大きな謎に包まれている遺跡のようである。
また、この遺跡群に付けられているイデアという名は、古代の言葉だそうで、意味は【真実】との事である。
ヴァロムさんの話によると、遺跡群の中に一際大きな建造物があり、そこの壁面にイデアという古代文字が大きく刻まれていた事から、後世の者達がここをイデア遺跡群という呼び名にしたそうである。
だが、このイデアという言葉……実を言うと俺は、ここではない別の場所で聞いたことがあるのだ。
それは、大学時代に聞いた哲学の講義の時であった。
確かその講義の内容は『プラトン哲学におけるイデア論について』だっただろうか。
そして、その時、講壇に立った教授が、こんな事を話していたのである。
――人間は洞窟の中にいて、後ろを振り向く事が出来ない。
――入り口からは太陽が差し込んでおり、イデアを照らし、洞窟の壁に影を作り出す。
――後ろに真の実体があることを知らない人間は、その影こそを実体だと思いこむ……。
これは、古代ギリシャの哲学者プラトンが、イデア論の説明をする為に考えたと云われる洞窟の比喩というやつだ。
また、教授は更にこうも言っていた。
イデアとは物の本質、真理、全ての中で真なる実在であり、我々が肉体的に知覚している対象や世界というのは、あくまでイデアの似像にすぎない、と。
俺は適当にとった講義だったのと、あまりに宗教臭い内容なので、それほど真面目に聞いてなかったが、要は物事の真贋についての話である。
だが、このイデア論……今の現状を考えると、非常に興味深い話なのであった。
なぜならば、このイデア論におけるイデアとは『真実』という考え方だからである。
その為、俺はこのイデア論を思い出すと同時に、ある考えが脳裏に過ぎったのだ。
これから導き出されるモノといえば、もうこれしかないだろう。
そう……真実を映すと云われるラーの鏡である。
そこで俺は考える。
ラーの鏡とダーマ神殿について書かれた書物がイデア遺跡から見つかった事と、今のイデア論の内容……これは果たして偶然なのだろうかと。
だが、これはあくまでも、この地のイデアとプラトンのイデア論が同じような意味合いだった場合の話である。なので、現時点でそう決めるのはまだ早いのだ。
それにただの偶然という可能性も、勿論、否定できない。
その為、これについては暫く様子を見ることにし、今は記憶の片隅に留めておこうと、俺は考えたのであった。
[Ⅳ]
イデア遺跡群に入った俺達は、馬車のスピードを緩めず、中心にある一際大きな建造物へと進んで行った。
遺跡群の中は、イネ科と思われる背の高い雑草が至る所に茂みを作っていたが、中心にある大きな建造物まで伸びる道には、草を踏みつぶしたような二本の轍がずっと続いていた。
轍の跡はどうやら馬車のようだ。しかも、結構新しい感じであった。
これを見る限りだと、ここ最近、この地に出入りする者がいたという事なのだろう。
ソレス殿下は人の出入りを封鎖したと言っていたが、完全にはやはり難しかったに違いない。
(盗掘する者が結構いるんだろうな……まぁこんな世界だし、しゃあないか……)
俺は次に、周囲の建物へと視線を向ける。
この地にある建物は、マルディラントと同様、古代ローマや古代ギリシャを思わせる様式の建造物群であった。が、しかし、それはあくまでも様式が似ているというだけで、建物自体は風化してボロボロになっている物が殆どである。
しかも、中には原型を留めていないくらいに朽ち果てた建物もある上に、周囲に生える背の高い雑草や蔓に覆い隠されてしまっている建物もあるのだ。
その為、どこから見ても廃墟といった感じの光景であり、人の営みなどというものは微塵も感じられない所なのであった。
だがそれでも、中心にある巨大な建造物だけは別格の存在感を放っていた。
それは古代ギリシャのパルテノン神殿のような感じの四角い建造物で、周囲に立ち並ぶ大きな丸い柱が、その堅牢さを見る者に訴えかけているようであった。
また、その建造物は小高い丘の様な所に建っており、そこへと続く長い石階段が、俺達を待ち受けるかのようにまっすぐ伸びているのである。
(さて……ここで俺達に、いったい何が待ち受けているんだろう……そして、何を得られるのだろうか……。探検は嫌いじゃないが、こんな世界だし何があるかわからない……自分の身は自分で守れるよう、用心しとこう……)
などと考えていた、その時、守護隊員の大きな声が聞こえてきたのであった。
【ティレス様! 前方と上空に魔物がおります。こちらに向かってきておりますので、御注意くださいッ】
俺はこの言葉にビクッと体を震わせた。
そして、恐る恐る前方へと視線を向けたのである。
するとそこには、緑色をした巨大な芋虫みたいな魔物と、巨大な蜂を思わせる魔物が何体もいたのであった。
俺の記憶が確かならば、芋虫はキャタピラーという名で、蜂の方はさそり蜂という名の魔物だった気がする。
どちらも序盤の方の敵なので、それほど怖くないのかもしれないが、数が多いのと戦闘が初めてなのとで、俺は少しブルっていた。
しかし、それもすぐに終わりを迎える。
馬に跨る守護隊の方々が、容赦なく魔物達を切り捨てたので、あっという間に終わってしまったのだ。
そして、俺はそれを見て、ホッと胸を撫で下ろしたのである。
今の戦闘を見たヴァロムさんは、ティレスさんに賛辞の言葉を送った。
「ふむ。流石はマルディラント守護隊の者達じゃな。この程度の魔物など、物の数では無いようだ」
「この地の魔物については、前もってある程度調べてはあります。ですので、今の様な敵ならば、オルドラン様の手を煩わせる事も有りませぬでしょう。それに父からは、アーシャの事もあって、精鋭を連れてゆくようにと言われてもおりますのでね」
「うむ。そのようじゃな。ティレス殿に来て頂いたのは正解じゃったわい」
ヴァロムさんは頷くと微笑んだ。
俺も同感であった。
やはり、ここまでの手練れの方々がいると、危険度はグンと下がるのである。
その後も俺達は、襲い掛かってくる魔物達を蹴散らしていく。
そうやって何回か戦闘繰り返して進んでゆく内に、いつしか俺達は、巨大建造物が建つ丘の前へと辿り着いていたのであった。
[Ⅴ]
巨大建造物のある丘の手前で馬車を降りた俺達は、早速、建物へと続く石階段へ向かい歩を進めた。
だがその際、馬車と馬の見張りをする為、ティレスさんは10人の者達に、この場に留まるよう指示を出したのだ。
それから残った15名の者達で、丘の上を目指すことにしたのである。
建物に伸びる階段は結構長かったが、それでも3分あれば頂上まで登りきれる程度なので、さほど苦ではなかった。
そして、丘の上に辿り着いた俺達は、そのまま速度を緩めず、前方に聳え立つ建造物へと歩を進めたのである。
程なくして、俺達は建造物の前へと到着した。
近くに来て分かったが、この建造物は本当に馬鹿でかかった。
高さは見たところ30mくらいあり、正面の幅は50m以上は優にありそうであった。おまけに入口もデカい。形はアーチ状で、幅が約10m、高さが10mくらいはありそうだ。
全て石造りで、所々に色褪せた部分や風化している箇所もあったが、まだまだ堅牢さは衰えておらず、しっかりとした佇まいをしていた。これならば中に入っても、脆くて崩壊するなんて事はないだろう。
守護隊員達が周囲の安全を確認し終えたところで、俺達は巨大建造部の中へと足を踏み入れた。
俺はそこで周囲をぐるりと見回す。
すると中は、吹き抜けの天井になっており、入って10m程度のところまでで行き止まりとなっていた。
この空間を囲う石灰岩のような白い石壁には、凶悪な魔物達と戦う人々の様子が彫刻されており、それらは壮大なストーリーを感じさせる絵巻のようになっている。
また、入って正面の壁には大きな石の扉のような物があり、その中心には、青く透き通る水晶球が埋め込まれているのである。
その他にも、扉みたいなモノには文字のようなものが彫り込まれていた。ちなみに、なんて書いてあるのかは、勿論、俺にはわからない。
というわけで、一応、目につくのはそういった物だけのようだ。他には何もない。
だが正面にある石の扉らしきものは、その大きさが異様であった。
なぜならば、高さと幅が10mはありそうな感じなのである。
こんな馬鹿でかい扉を俺は未だ嘗て見た事はない。
その為、これは本当に扉なのかどうかすら、疑わしいレベルなのであった。
とはいえ、他に目につくモノもないので、俺はヴァロムさんに訊いてみた。
「見たところ何もないみたいですけど、ここに何かあるんですかね?」
「ふむ……とりあえず、正面にある扉らしき所へ行ってみようかの」
「はい」
俺は気のない返事をすると、ヴァロムさんの後に続いて移動を開始した。
ティレスさんとアーシャさんも俺達に続く。
程なくして扉らしきモノの前に来たところで、俺達は一旦立ち止まり、暫しそれを眺めた。
するとヴァロムさんは何かを見つけたのか、更に扉らしきモノへと近づく。
そして、扉らしきモノに彫りこまれた文字を指でなぞり、ヴァロムさんはそれを口に出して読んだのである。
「……ここに古代リュビスト文字で何か書かれておるな。ええっと、なになに……真実を……求めし者よ……青き石に触れて魔力を籠めよ。そして解錠の言霊を紡ぐがよい……。解読するとこんな内容じゃな」
アーシャさんは首を傾げる。
「解錠の言霊? 何らかの呪文を唱えろという意味なのかしら」
「ふむ……さてのぅ。じゃが、そう考えるのが自然じゃろうの」
「オルドラン様。この遺跡に、その手掛かりがあるのでしょうか?」と、ティレスさん。
「それはわからぬが、とりあえず、まずはこの中を調べてみるとするかの」
というわけで、俺達は手掛かりを探す為に、暫しの間、この建造物の内外を調べる事になったのである。
――それから1時間後――
俺達はまたさっきの扉の前に集まった。
皆の表情を見る限り、何も見つからなかったのは明白であった。
まずアーシャさんが口を開いた。
「やはり、何も手掛かりなしですわね。考えてみれば、この遺跡はイシュマリア誕生以前のモノである上に、今まで多くの者達が頭を悩ませてきた所です。こんな簡単に、手掛かりが見つかるわけありませんわね」
「ふむ。そのようじゃな……」
ヴァロムさんはそう言って、長い顎鬚を撫で始めた。
「オルドラン様、この建造物以外にも、ここには沢山の遺跡があります。まずそのあたりを地道に調べていった方が良いんじゃでしょうか?」と、ティレスさん。
それを聞き、ヴァロムさんは渋い表情をしていた。
アーシャさんが反論する。
「お兄様、それでは時間が掛かりすぎてしまいますわ。もう少し効率の良い方法を考えるべきです」
とまぁこんな感じで、3人は難しい表情を浮かべながら、今後のミーティングを始めたのである。
蚊帳の外である俺は、手持無沙汰の為、石の扉に埋め込まれている青い水晶球を見る事にした。
なんで水晶球を見に来たかというと、ただ単に綺麗だったからだ。それ以外に理由はない。
俺は水晶球の前に来ると、マジマジと眺めた。
大きさはサッカーボールくらいありそうで、一点の曇もない、透き通るような青さを持つ水晶球であった。
何の為にこんな所に埋め込んだのか知らないが、もったいないなぁと俺は思ってしまうのだ。
やっぱこういう綺麗な物は、もっと品の良いところに飾っておいた方が、美しく見えるからである。
とりあえず、こんな廃墟に似つかわしくない、美しい水晶球であった。
まぁそれはさておき、俺は水晶球を眺めながら、さっきのヴァロムさんの言葉を思い返してみた。
あの時ヴァロムさんは、確かこう言っていたのである。
真実を求めるものよ。青き石に触れて魔力を籠めよ。そして解錠の言霊を紡げというような事を……。
解錠の言霊というのが分からんが、多分、何か呪文のようなモノを唱えろって事なんだろう。
(ゲームではあまり気にならんかったけど、こういうイベントを実際にやられると、かなり面倒やなぁ……手掛かりを探すのが大変やわ)
俺は少しゲンナリしていた。
と、その時である。
解錠という言葉を聞いて、ふとあの呪文の事が俺の脳裏に過ぎったのだ。
(そういや、あの呪文て、解錠呪文だったよな……まさかな)
俺は半分冗談のつもりで、青い水晶球に右手で触れると、魔力を籠め、あの呪文を唱えてみた。
「アバカム……なんちゃって」
すると次の瞬間、青い水晶が、突然、眩く輝き始めたのである。
あまりにも眩しかったので、俺は思わず右腕を眼前にかざした。
「あわわ、なんだよ、これ……」
俺はこの突然の変化にたじろいでいた。
と、そこで、ヴァロムさんの慌てたような声が聞こえてきた。
「コ、コータローッ、一体何をしたッ!?」
「な、何をしたといわれましても」
ティレスさんの声も聞こえてくる。
「何だこの光は!」
水晶から放たれる光は、更に強さを増した気がした。
だがそれだけではない。
この光と連動するかのように、建物全体がゴゴゴゴと揺れ始めたのである。
俺はこの異変に恐怖して、生唾をゴクリと飲み込んだ。
アーシャさんの慌てる声も聞こえてくる。
「な、なんですの。これは地震? い、いったい、何が起きてるんですの……」
いや、アーシャさんだけではない。
他の守護隊の人達も同様であった。
【いったい何が起きたというのだ……地震か】
地響きは治まる気配を見せない。
だが時間が経過するにつれて、水晶の光が弱まり始めてきたので、俺は右腕を降ろし、瞼をゆっくりと開いた。
と、その直後、眼前に広がる異変を目の当たりにし、俺は驚愕したのであった。
なぜなら、目の前にある巨大な石の扉が、ゆっくりと横にスライドしていたからである。
「う、嘘だろ……マ、マジかよ!」
自分でやっておいてアレだが、半ば冗談でやった事なので、やった本人が一番驚いていた。
そして、俺はこの予想外の展開についていけない為、呆然と立ち尽くし、この異変をただただ眺めるだけなのであった。
Lv8 太陽神
[Ⅰ]
俺が冗談半分で唱えたアバカムに、なぜか石の扉は反応した。
そして、その直後、光と振動と轟音を発しながら、ゆっくりと、巨大な石の扉は横にスライドしていったのである。
どういう構造になっているのか分からないが、非常に不思議な現象であった。
俺はその様子をただ呆然と眺める事しかできなかったが、アバカムを唱えてから10分程経過したところで、この建造物の奥へと進む入り口が姿を現したのである。
俺は生唾を飲み込みながら、その奥を凝視した。が、しかし……その先は深い闇で覆われている為、俺には何も見えなかった。
また、永い間、石の扉に閉ざされていた所為か、扉が開かれると同時に、奥からカビ臭い空気がこちらへと流れ込んできたのである。
少し鼻につく臭いであったが、今はそれどころではない。ある意味、異常事態である。
とはいうものの、どうしたらいいのか分からないので、俺は扉が完全に開いた後も、暫し呆然と立ち尽くしていたのだ。
そんな中、ヴァロムさんが俺に近寄り、小声で話しかけてきたのである。
「コータローよ……いったい、何をしたのだ? もしや、この建物もアレにでてきたのか?」
俺はブンブンと頭を振り、ヴァロムさんに耳打ちをした。
「い、いや、こんな建物の事はアレには出てきてないです。ただ、扉を開ける呪文というのがあったので、やってみたら、こうなったんですよ。正直、わけわかんないッス」
「扉を開ける呪文じゃと……」
ヴァロムさんはそこで、少し離れた所にいるティレスさんとアーシャさんをチラ見した。
2人は今、こちらへと近づいているところであった。
「オホンッ、と、とにかくじゃ、これからは勝手な行動はするでないぞ。何かするときは、儂にまず相談するのじゃ。よいな?」
「は、はい。以後、気を付けます」
まさかアレで扉が開くとは思わなかったので、俺は今の言葉を肝に銘じたのである。
程なくして、アレサンドラ家の2人は俺達の所へとやって来た。
「オルドラン様、一体何があったのですか? まさかとは思いますが、この扉はコータローさんが開けたのでしょうか?」と、アーシャさん。
ヴァロムさんは頭をかきながら、惚けたように答えた。
「いや、儂も今それを訊いたんじゃがな。コータローが言うには、あの青い水晶球を弄ってるうちに、扉が開いてしまったそうなのじゃよ」
「水晶を弄っていたらですって!?」
アーシャさんは俺を睨みつけ、怒った口調で忠告をしてきた。
「コータローさん……貴方、素人なんですから、不用意に何でも触らないでください。今回は結果的に扉が開いたので良かったですが、こういった古代の遺跡には罠が仕掛けられている可能性だってあるんですよ。まったくもう、これだから素人は……。素人なら素人らしく、大人しくしてくださいませんか。勝手にウロチョロされると迷惑なんですから」
「は、はい。申し訳ありませんでした」
なんて嫌な言い方する女なんだ。
顔は可愛いけど、なんかムカついてきた。
(ここは我慢だ……と、とりあえず、深呼吸して落ち着こう。たまにバイトで遭遇する嫌な客だと思えばいいんだ……)
などと考えながら、俺はカチンときた頭を冷やすことにした。
と、そこで、ティレスさんがアーシャさんを諫める。
「アーシャ! 言いすぎだ。すまないね、コータロー君」
「いや、今回のは自分が悪いのです、ティレス様」
「そうですわ、お兄様。悪い事は悪いと言うべきなんです」
アーシャさんはそう言うと、怒ったように腕を組むのであった。
まだご立腹のようだ。
(はぁ……ツンツンした子やなぁ……こりゃソレス殿下が頭を悩ませるのもわかるわ)
俺がそんな事を考えていると、ヴァロムさんが話に入ってきた。
「まぁまぁ、アーシャ様も落ち着いて。事情はどうあれ、行く手を阻む物も無くなったのじゃ。これはもう終わりにして、次に行きませぬか?」
「そ、そうですわね。それが目的なんですし」
「ではオルドラン様、外には魔物もおりますので、ここにいる守護隊の半数を、入口の守りに配置したいのですが、それでもよろしいですか?」と、ティレスさん。
ヴァロムさんは頷いた。
「うむ。それで構わぬ」
どうやら、更に少ない面子で中へと進む事になりそうである。
戦力が少なくなるので不安ではあったが、かといって、後ろから魔物に襲い掛かられるのはあまり嬉しくはない。なので、今はこの方法がベストなのだろう。
まぁそれはさておき、ティレスさんが守護隊への指示を終えたところで、ヴァロムさんは腰から杖を取り出した。
「さて、それでは出発の前に、明かりを灯すとするかの……レミーラ!」
するとその直後、ヴァロムさんの掲げた杖の先端に、眩く輝く光が灯ったのであった。
それはまるで、ナイター照明とかで使われる水銀灯のような輝きであった。
これならば、相当明るく周囲を照らせるだろう。
レミーラ……懐かしい呪文である。
以前プレイしたドラクエⅠ(リメイク)では、松明よりも明るかったので、結構お世話になったのを思い出した。
これを見る限り、松明なんか話にならない明るさだ。
だがこの呪文、時間が経つと段々と消えてゆくのが難点なのである。が、今となっては懐かしい思い出だ。
ヴァロムさんは明かりを灯すと、皆に告げた。
「それでは今より、この奥へと進もうと思う。じゃが、その前に言うておく事がある。中はどんな仕掛けがあるか分からぬ。危険を未然に回避する為にも、迂闊に何にでも手を出さぬよう、気を付けるのじゃ。よいな?」
【ハッ】
「では行くとするかの」
そして、俺達は奥の暗闇へと、足を踏み入れたのである。
[Ⅱ]
俺達は周囲に気を配りながらも、極力、余計な物には触れずに奥へと進んでゆく。
石の扉の向こうは、通路が真っ直ぐに伸びていた。扉と同じような幅の通路なので、結構大きい。その為、あまり窮屈な感じはしなかった。
また、見たところ、周囲には無機質な石の壁があるだけで、特に気になるような物は何もなかった。が、天井が入口部分の様な吹き抜けではなく、だいぶ低い位置となっているのが、少し気になるところであった。
俺の目測だと、天井高さは10mくらいはあるだろうか。なので、別に低過ぎるという事はない。
だがここは、高さが30mくらいある建造物である。よって、これが意味するところは一つであった。つまり、この上には、2階部分があるに違いないという事だ。
まぁそれはさておき、30mくらい進んだところで、俺達は十字路に差し掛かった。
俺達はそこで一旦立ち止まり、どちらに行くのかを話し合う事になった。
とはいっても、話し合うのは、ヴァロムさんとティレスさんとアーシャさんの3人だけだったが。
そして、話し合いの結果、右側の通路を選択する事になり、俺達はまた移動を再開したのである。
右側の通路も、今までと同じような造りの所であったが、暫く進むと、上へ続く階段が前方に見えてきた。
そこでティレスさんは、ヴァロムさんの意見を仰いだ。
「オルドラン様……上に続く階段です。どうしますか?」
「ふむ……これは上るしかあるまい」
「そうですわね」
そして俺達は、前方の階段へと歩を進めたのである。
階段を上った先には、広大なフロアが広がっていた。
しかもこのフロアは、天井や壁に光る石が嵌め込まれている為、レミーラが無くても十分に明るい。
また、パッと見た感じだと、通路のようなものは見当たらない上に、天井高さも下のフロアと同様、10mくらいありそうな感じであった。
その所為か、学校の体育館を思わせるくらいの広さに、俺は感じたのである。
それと、下にあった十字路を左側に向かったとしても、どうやらこのフロアに出てくるようであった。
なぜならば、俺達が上ってきた階段の反対側にも、同じような階段の手摺りが見えるからである。
まぁそれはさておき、ヴァロムさんはフロアの真ん中へ行き、ぐるりと周囲を見回した。
「ふむ……ここはどうやら大広間といった感じじゃな。それと、奥に見える幾つかの像に囲まれた四角い物は、何かの祭壇であろうか? 分からんが、とりあえず、行ってみようかの」
ヴァロムさんは奥へと歩き始めた。
他の者達もヴァロムさんの後に続く。
進むにつれて、奥の様相がハッキリと見て取れるようになってきた。
どうやら奥にある祭壇らしきものは、人の倍以上はありそうな、大きな長方形の石板のようであった。
しかもその石版は、縦ではなく、横に寝かせて台座の上に置かれている為、俺は一瞬、石の棺でも置かれているのかと思ったのである。
それと、この石板の四隅には、ローブ姿で頭にフードを被った老人の石像が4体置かれていた。ちなみにそれは、隠者のタロットカードに描かれている老人の姿に似た石像であった。
だが、この石像……向きが少し変であった。
なぜなら、この4体の石像全てが、中心にある石板を覗き込むような仕草をしているからである。おまけに姿勢も、前に乗り出したような感じなのだ。
いかにもココに何かあります、と言っているような構図であった。
(この石版と石像はなんなんだろう……わけがわからん……ン?)
と、そこで、前を歩くヴァロムさんが立ち止まった。
他の者達もそこで立ち止まる。
そこは石板のある位置から、少し離れた所であった。
微妙な位置で止まったので、俺はヴァロムさんに訊ねた。
「ヴァロムさん、どうしたんですか? 祭壇はもう目と鼻の先ですよ」
「初めて入る建造物じゃ。用心するに越した事はないじゃろう」
どうやら、罠が無いかを確認するという事なのだろう。
それから暫しの間、ヴァロムさんは床や天井にジッと視線を向け、不審な個所はないか確認していった。
そして、一通り確認したところで、皆に告げたのである。
「ふむ……恐らく、罠や仕掛けの類は無いじゃろう。では、祭壇を拝ましてもらうとするかの」
俺達は移動を再開する。
程なくして祭壇の前に来た俺達は、暫し無言で、石版に視線を注いだ。
すると、石版の中心には太陽の絵のようなものが描かれており、その周囲には、あの古い書物で見たのと同じような文字が、沢山刻み込まれていたのだ。
もしかすると、これが古代文字というやつなのかもしれない。
と、そこで、アーシャさんの声が聞こえてきた。
「これは古代リュビスト文字……私には分からない文字が多すぎますわ。オルドラン様、解読できそうですか?」
ヴァロムさんは顎鬚を撫でながら返事をした。
「ふむ……そうじゃな。解読は出来ると思うが、ここまでびっしり古代リュビスト文字が書かれておると、流石に時間がかかるの。じゃが、かといって手をこまねいているわけにもいくまい」
そこで言葉を切ると、ヴァロムさんは皆に告げた。
「では、これより儂は石版の解読作業に入る。守護隊の者は暫し休んでくれて構わぬぞ。ただし、余計な物には触れぬようにな」
【ハッ】
続いてヴァロムさんは、アレサンドラ家の2人に視線を向けた。
「それからティレス様とアーシャ様は、儂の解読した言葉を何かに控えてほしいのじゃが、良いかの?」
「分かりました」
「分かりましたわ」
「うむ、では始めよう」
そしてヴァロムさん達は、解読作業に取り掛かったのである。
[Ⅲ]
解読を始めてから、1時間くらいが経過した。
ヴァロムさんは依然と、石版と睨めっこ中であった。
この様子を見る限りだと、まだまだ時間がかかりそうな雰囲気である。
ちなみに今、この石版の周囲にはティレスさんとアーシャさん、そしてヴァロムさんと俺の4人しかいない。
守護隊の方々は俺達から若干離れた所におり、一応、周囲の警戒に当たってくれているみたいである。頼もしい人達だ。
それから、ティレスさんとアーシャさんだが、2人は先程の指示通り、ヴァロムさんの隣で、解読した言葉を紙に書き写している最中であった。
その為、この中では俺だけ何もする事が無いので、とりあえず、その解読作業を見ているだけなのである。が、しかし、内心はこんな感じであった。
(あぁ……超ヒマだ。長い間、わけの分からん作業を無言で見ているのが、これほど退屈だったとは……この解読作業、いつまで掛かるんだろ? まさか日が暮れるまで掛かるんじゃないだろうな……)
正直、こんな言葉しか出てこないのである。
だがそれもソロソロ終わりが来たようだ。
なぜならば、解読班が作業の手を止めたからである。
ヴァロムさんは、石板を覗き込む顔を上げた。
「よし、解読できたぞ」
「本当ですか、ヴァロムさん。良かったぁ……朝まで掛かるのかと思いましたよ」
退屈で死にそうだった俺は、思わず本音がでてしまった。
すると即座にアーシャさんのお叱りがきたのである。
「コータローさんッ。その言い方は何ですか? 貴方は弟子なのですから、苦労されたオルドラン様をもっと労ったらどうなのです」
(面倒くさい子やなぁ、もう……まぁでも、今のは怒られても仕方がないか……)
などと考えていると、ヴァロムさんは俺達の間に入ってきた。
「ええんじゃ、ええんじゃ。そう気にしなさるな、アーシャ様。儂とコータローは、気楽に話しするのが本来の姿じゃからの。今まではコータローが気を使って、丁寧な言葉づかいをしておっただけなんじゃ」
「そ、そうなのですか……しかし」
アーシャさんは何か納得してないようであった。
その為、戸惑ったような表情を浮かべているのである。
まぁそれはさておき、ヴァロムさんは石版に視線を向け、話を進めた。
「さて、では説明しようかの。まず、この石版に書かれておる内容じゃが……これには、太陽神・ラーという真実を見通す神の話が書かれておるんじゃよ。じゃが、その殆どが、太陽神ラーの偉大さや武勇伝についての記述じゃった」
「へぇ……そうなんスか」
(ラーって、神様の名前だったのか……まぁこの世界ではかもしれんけど……)
ヴァロムさんは続ける。
「じゃがの、最後の方にこんな記述があったのじゃよ」
そこでヴァロムさんは、石版の端に書かれている文字を指でなぞった。
「ここにある文字列を解読するとこういう文章になる。……我が力を得ようとする者よ……知性と勇気とその精神を我に示せ。さすれば、真実の道は開かれよう」
「知性と勇気とその精神……。この文脈を見る限り、なんとなく試練の様なものに聞こえますわね」
「うむ。恐らく、そのような解釈で間違いなかろう」
ティレスさんは顎に手をやり、首を傾げる。
「しかし、オルドラン様。太陽神・ラーなどという神の名は初めて聞くのですが、これは古代に信仰されていた神なのでしょうか?」
「……じゃろうの。じゃが、イシュマリア誕生以前の歴史については、今では手掛かりとなる文献も殆ど無いので断定はできぬがな」
それを聞き、アーシャさんは残念そうに溜め息を吐いた。
「今から2000年以上前、イシュラナ神殿の大神官が、古代文明の文献や記述を全部悪という風に位置付けて、焚書扱いにしたのが悔やまれるところですわ」
「まぁの……。じゃが、それを今言っても、もう始まらぬ。それに儂等は今、何千年もの間、誰も見る事が出来なかった古代文明の一端を垣間見とるわけじゃ。じゃから、今はこれらについて考えるとしようかの」
よくわからないが、どうやら歴史上の話で、色々と込み入った事情があるようだ。
まぁそれはさておき、俺はヴァロムさんに問題点を指摘した。
「でも、ヴァロムさん。今の内容ですと、あまりにも大雑把過ぎるので、試練といっても、どこから手を付けていいのかよく分かりませんよね」
「確かにの……。ふむ、そうじゃな。まずは、この建物内を隈なく調べるとするかの」
「ですわね」
というわけで、俺達はさっきと同様、手掛かりを探す為、建物内を奔走する事になったのである。
[Ⅳ]
俺達は1時間程かけて、1階と2階の確認できる範囲を全て見て回った。
だが、幾ら探せども、手掛かりらしいものは何一つ見つけられなかったのである。
その為、俺達はもう一度石版の前へ集まり、今後の方針について話し合う事にしたのであった。
勿論、話し合いは、ヴァロムさんとティレスさんとアーシャさんの3人によってである。
というわけで、俺はさっきと同様、また蚊帳の外なのだ。
(さて、どうやって時間を潰そうか……どこかで横になって寝るのが一番いいんだけど……)
などと不届きな事を考えていると、ヴァロムさんが俺に話を振ってきた。
「コータローよ。お主はどう思うかの?」
「はへ? ど、どう思うとは?」
無防備だったので、思わず気の抜けた返事をしてしまった。
するとアーシャさんが、ムスッとしながら口を開いた。
「あの試練の内容についてに決まっておりますわッ」
とりあえず、アーシャさんについては適当に流しとこう。
「ええっと……知性と勇気とその精神を我に示せ……の事ですよね。ン~、そうですねぇ……」
俺は古畑○三郎のような仕草をしながら暫し考えてみた。
これがゲームならば、もう少し気の利いたヒントがありそうだが、今まで見た感じだと、これ以上のヒントは何も無いようである。
もしかすると、この石版に書かれている内容で、何か見逃している事や間違った解釈をしている可能性があるのかもしれない。
というわけで、ヴァロムさんに訊いてみる事にした。
「ヴァロムさん。この石版に書かれているのは、太陽神・ラーの話が殆どらしいですけど、具体的にどんな話なんですかね?」
「一応、全文を訳すとこんな話じゃ――」
ヴァロムさんは石版に書かれていた内容を事細かに話してくれた。
で、その内容だが、太陽神・ラーがどういう存在なのか、そしてどういう部下がいてどういう家族がいるのか、そんな話ばかりであった。
なんとなく、ギリシャ神話みたいな人間臭い感じの物語だ。
しかも、この太陽神・ラーは、光り輝く眩い自分の姿を映すために、ある鏡を部下に作らせたような事も書かれているのである。この流れから察するに、多分、これがラーの鏡の事なのかもしれない。
まぁそれはさておき、石板の内容は全体的に、第三者の視点から太陽神・ラーを礼讃するだけの、わけの分からん話であった。が、しかし……俺はこの話を聞いている内に、あべこべになっているというか、やや奇妙な引っ掛かりを覚えたのである。
またそれと共に、4体の像についても違和感を覚えたのであった。
「――まぁとりあえず、こんな感じじゃな。どうじゃ、コータローよ。なにか気になる点はあったかの」
俺は引っ掛かった部分を話すことにした。
「……あの、ヴァロムさん。この石版は太陽神・ラーを散々礼讃しておいて、最後に『……我が力を得ようとする者よ……知性と勇気とその精神を我に示せ。さすれば、真実の道は開かれよう』となっておりますが、これって不自然な文ですよね」
「不自然?」
「なにが不自然なんですの?」
アーシャさんとティレスさんの2人は首を傾げた。
「不自然とは、どういう意味じゃ?」
「だって、礼讃している部分は他人の記述のようだし、最後の一文は本人の記述みたいになってるんですよ。おかしくないですか」
「まぁそう言われるとそうじゃな……確かに妙じゃ」
そこでヴァロムさんは顎鬚を撫でる。
「でしょ。そこで思ったんですけど。最後に記述されている試練を思わせる文章は、石版自体を太陽神・ラーだとして考えろって言ってる気がするんですよ。真ん中に太陽の絵もありますしね。ですからそう考えると、他人視点の礼讃部分は、力を得ようとする者の知性を試す為に、わざとこんな書き方にしてるんじゃないですかね」
「何を言うのかと思えば……なぜそんな考え方をしなきゃいけないのかしら。馬鹿馬鹿しい」
アーシャさんはそう言って鼻で笑った。
だがヴァロムさんは対照的に、少し思案顔になったのである。
暫くするとヴァロムさんは口を開いた。
「……そうか。確かにこれは、知性と勇気と精神を示せという、太陽神・ラーの謎かけなのかもしれぬ。何より真実を謳う以上、偽物で試すという事は大いにあり得る。ならば、そう考えると……」
ヴァロムさんはそう言うと、4体の像へと視線を向かわせたのである。
どうやら気づいたようだ。
「そこなんスよ。この石版を太陽神だと考えると、4体の石像の位置はおかしいんですよね」
「は? 何がおかしいというのかしら?」
アーシャさんは首を傾げていた。
理解できないといった感じである。
つーわけで、俺の見解を述べておいた。
「決まってるじゃないですか。眩い太陽神に向かって、まともに視線を向けているこの像はありえないんですよ」
「うむ。そうじゃな。そう考えると、この石像の位置は不自然じゃ。コータローよ、あの石像をまず調べてみてくれ」
ヴァロムさんは4体あるうちの1体を指さした。
「はい、ヴァロムさん」
俺は頷くと、早速、行動を開始したのである。
石像へと近づき、俺は入念にチェックした。
触ってみた感じだと、石膏を思わせる真っ白な石像であった。
次に俺は、上から順に何か仕掛けがないか確認をしてゆく。
そして、石像の足元付近に、小さな切れ込みが入っているのを俺は見つけたのである。
もしやと思い、俺は石像を回してみた。
すると思った通りであった。やや重かったが、石像は回転扉のように回ったのである。
そこでヴァロムさんの声が聞こえてきた。
「回ったのぅ……コータローの言う通り、この石像に何か秘密があるようじゃ。とりあえず、4体とも石版から目を逸らす位置に回そうかの」
「はい、オルドラン様」
ティレスさんとアーシャさんも、石像へと移動して回し始める。
続いてヴァロムさんも、残りの1体を回しに向かった。
そして、この4体の石像は、中心の石版からそっぽを向いた構図に変わったのである。
俺達はそこで石版に視線を向けた。
だが、何も変化が現れなかった。
(これじゃないのだろうか……いや、まだわからない)
俺は石版に近寄り、何か小さな変化が無いかを確認する事にした。
石板の前に来た俺は、暫くの間、ジッと様子を窺う。
するとそこで、アーシャさんが俺の隣にやって来たのである。
「何でも勝手に触ったらダメですわよ。触る時は、オルドラン様の指示を仰いでからですわ」
どうやら、俺を監視しに来たようだ。
アバカムの時、俺が水晶球を弄ってた事になってるから、それに対して不信感を抱いてるのだろう。
「はいはい、触りませんよ。ただ、変化が無いか確認しに来ただけですから」
「本当かしら?」
アーシャさんは冷ややかな流し目を送ってきた。
「だから、本当ですって……ン?」
と、その時であった!
なんと石版の中心にある太陽の絵から、青白く輝く煙のようなモノが立ち昇ってきたのである。
そして瞬く間に、それは大きな渦へと変化していき、俺とアーシャさんを石版ごと包み込んだのであった。
「な、なんですの、この青い煙みたいな渦は!?」
「なんだよ、コレ!」
俺とアーシャさんは、この突然の事態に焦った。
ヴァロムさん達の慌てた声も聞こえてくる。
「コ、コータロー!」
「アーシャ!」
しかし、その声が聞こえる頃にはもう、俺達は青い渦に完全に飲み込まれる状態になっており、周囲の様相が分からないところまで来ていた。
そしてその直後、地に足のつかない浮遊感と、キーンという耳鳴りの様な音が聞こえてくるようになったのである。
(いったい何なんだよ、この現象は……聞いてないぞ、こんなの。というか、ここ最近、何で俺ってこんな展開ばかりなんだよッ)
突如現れたこの現象に対して、俺の脳内は少しパニックを起こしかけていた。
だがそれも僅かばかりの間であった。
程なくして、地に足がつくような感覚が戻ってきたからである。
またそれと共に、青い煙状の渦も少しづつ収まってまってきたのだ。
俺はホッと胸を撫で下ろした。
「アーシャ様、今の内にこの外に出ましょう。またさっきみたいになるかもしれないですよ」
「そ、そうですわね。早く出た方が良さそうですわ」
俺とアーシャさんは、脱出すべく、足を前に踏み出した。
そして、青い煙の中から完全に抜け出たところで、俺は背後を振り返ったのだ。が、しかし……視界に入ってきた光景を見るなり、俺は驚愕したのであった。
「な、なんだこの狭い部屋は!? さっきの場所と全然違うじゃないかッ。どこだよッ、ここッ……」
アーシャさんも驚きのあまり目を見開いていた。
「ここはいったい、ど、どこですの? お兄様やオルドラン様は? な、なんで私は、こんな所にいるんですの!?」
そう……俺達はいつの間にか、20畳程度の小さな部屋の中にいたのである。
やっと青い煙から出られたと思ったら、あの石版のある場所じゃなかったのだ。
視線の先にある青い煙の渦は、今にも消えそうになっていた。というか、今、フッと消えてしまった。
そして、シンとした静寂が辺りに漂い始めたのである。
俺とアーシャさんは青い煙が消えた後も、この突然の事態に、暫し呆然と立ち尽くしていた。
だが時間が経つにつれて、だんだんと冷静に考えられるようになってくる。
そこで俺は、今の青い煙状の渦を思い返してみた。
すると次の瞬間、ドラクエをやっていた時によく利用した、とある装置の事を思い出したのである。
俺はボソッとその名を口にした。
「い、今のは……もしかして……た、旅の扉なのか?」
しかし、答える者は誰もいなかった。
ただ不気味な静寂だけが返ってくるのである。
Lv9 試練の道
[Ⅰ]
青い煙の渦によって俺とアーシャさんは、石版のあった大広間ではなく、全然知らない違う場所へと運ばれてしまった。
渦はもう消えてしまったが、今の現状を考えると、どうやらアレは旅の扉だったのかもしれない。
理解できない現象ではあるが、俺はとりあえず、そういう風に解釈する事にしたのであった。
ここがドラクエの世界ならば、それが一番しっくりくる考え方なのである。
だがとはいうものの、俺の記憶が確かならば、旅の扉は基本的に、据え付け型の転移装置だった気がする。いや、場合によっては消えたりすることもあったような気もするが……。
ともかく、その辺の事が俺も曖昧なので、はっきりと断言はできないのだ。
しかし、アレが旅の扉だとすると、ジタバタしたところで仕方ない。
なぜなら、出入り口となる渦が消えてしまった以上、もう俺達にはどうする事も出来ないからである。
俺は気持ちを切り替えて、これからの事を考えることにした。
だがその時、俺は今の自分に対して、少し不思議に思ったのである。
なぜならば、こんな事態になったというのに、俺は妙に落ち着いているからだ。
この世界に来た頃の俺ならば、今の状況だと、確実に慌てふためいていた事だろう。
だが、なぜかわからないが、この異常事態に対して、驚くほど冷静に物事を見ている自分がいるのであった。
やはり、この世界に来て3週間近く経過してるのが、かなり大きいのかもしれない。
魔物や魔法といった非現実的なモノにも直に触れてきたので、こういった超常現象に対しての免疫がついてきてるのだろう。
またその他にも、ここがドラクエの世界だと俺自身が認識している事も関係しているように思う。なぜなら、ドラクエの知識や常識ならば、もう既に、俺はそれなりのものを持っているからだ。
そういった安心感もあるので、こんなにも落ち着いてられるんだろう。俺はそう考えたのである。
まぁそれはさておき、今は現状を把握する事の方が先決だ。
というわけで、俺はまず、部屋の様子を確認する事にしたのである。
室内を見回すと、四方を囲う白い石壁と、そこに1つだけ設けられた銀色の扉が視界に入ってくる。金属製と思われる銀色の扉は、ドラクエでよく見かけるアーチ状のモノであった。それと、部屋の形状は正方形で、壁はレンガのような白い石を幾重にも積み上げて造られており、ドラクエらしい、中世ヨーロッパ的な雰囲気が良く出ている壁面であった。
こういう壁を見ると、ドラクエに出てきた城や神殿をついつい思い浮かべてしまうが、今はそんな妄想をしている場合ではない。まずは現状把握が第一だ。
ちなみにだが、今見た感じだと、この部屋の壁には、銀色の扉が1枚ある以外、他には何もないようであった。
窓や通気口といった類の物も、勿論、無い。よって、かなり殺風景な感じの部屋であった。
下へ目を向けると、20畳程度の広さをもつ石畳の床が視界に入ってくる。これも、特筆すべき点など何もない、ごく普通の石畳の床であった。
こんな床を見ていても仕方がないので、俺は頭上へと視線を向ける。
すると、10mくらい上に天井があり、そこには先程の大広間と同様、白く光る丸い石が埋め込まれていた。それらが程よい明るさで室内を照らしているので、視界は良好である。
もしかすると、あの光る石は、古代の魔法技術によって作られた照明なのかもしれない。
まぁそれはさておき、この部屋の様相は、大体こんな感じであった。
(さて……とりあえず、今見た感じだと、あの扉以外何もなさそうだ。最悪の場合、扉を開いて先を進むしかないのかもな。ま、アーシャさんがそうさせてくれるかどうかわからないが……。でも、ここはいったいどこなんだろう……もしかして、とんでもなく遠い場所じゃないだろうな。勘弁してくれよ、ほんと……)
アレが旅の扉ならば、今まで俺達がいた建造物の中ではなく、遠く離れた地という可能性も十分にあるのだ。が、とはいうものの、今そんな事を考えても、結論が出ないのは明白であった。
なぜなら、それらを判断する為の材料が何もないからである。
室内を確認した俺は、アーシャさんに視線を向ける。
するとアーシャさんも俺と同じく、周囲を念入りに見回しているところであった。
見知らぬ場所に放り出されたような感じだから、こうなるのは当然だろう。
まぁそれはさておき、今はそんな事よりも、これからどうするかである。
俺達の選択肢は、銀の扉を潜って先に進むか、救出部隊が来るまで暫しここに留まるか……その二択だ。
(さて……どうするといいんだろう。でも、あまり勝手な行動すると、この子の事だから、突っかかってくるのは目に見えているんだよな。はぁ……よりによって、なんでこの子と二人っきりになったんだろう。やたらと俺を敵視するから、この子、苦手なんだよな……。でも、後でややこしい事になると面倒だし、一応、訊いてはおくか)
つーわけで、とりあえず、アーシャさんに確認してみた。
「あのぉ……アーシャ様、これからどうしますか? 目の前には銀色の扉がありますけど」
アーシャさんは俺に振り向く。
「どうって……決まってますわ。オルドラン様とお兄様がこちらに来るまで、ここで待機です。ですからコータローさんは、私の許可なしに、勝手な事はしないでくださいね」
思った通りの答えが返ってきた。
(まぁいいや……俺も疲れたから、少し休むとしよう)
俺はその旨を伝えておいた。
「はい、わかりました。じゃあ、私は暫く休憩しますので、よろしくお願い致します」
そして、俺は床に腰を下ろし、一息入れたのである。
[Ⅱ]
俺が休憩を始めてから、30分が経過した。
その間、何も変化は無かった。旅の扉と思われる青白く輝く煙のようなモノも、あれから一向に現れる気配はない。が、まぁ予想通りではあった。
俺の勘だと、試練を受ける者をこの部屋に運ぶのが、アレの役目な気がしたからだ。
そう考えるならば、もうお役御免なのである。が、しかし……もしそうならば、俺達がここでジッとしていても、事態は一向に好転しないという事である。その為、この事をアーシャさんに話そうかと思うのだが、あの気難しいアーシャさんをどう説得するかが、頭の痛いところであった。
俺はアーシャさんに視線を向ける。
アーシャさんは今、何の変化もないこの状況に落ち着きをなくしており、苛立ったように、部屋の中を行ったり来たりしていた。最初の頃のような余裕は全く感じられない。
幾ら待てども、何の音沙汰もないので、アーシャさんも流石に焦っているのだろう。
と、そこで、アーシャさんと目が合った。
すると目が合うや否や、アーシャさんは怒った口調で、俺に話しかけてきたのである。
「コータローさん! お兄様とオルドラン様は、一向に来る気配が無いじゃないですか! 一体、何をしてるのかしらッ!」
「……多分、俺達を助けに行きたくても、こっちに来れないんじゃないですかね」
俺はそう答えると、壁に寄りかかり、大きく欠伸をした。
「ちょっと、今のどういう意味ですの? それに気が緩んでますわ。こんな時に欠伸なんて……どういう神経してるのかしら」
「どうもこうも、今言った通りの意味ですよ。だって、考えてもみて下さいよ。俺達がこの部屋に来たのは、あの青い煙が原因なんですから、あれが現れないという事は、大広間とは行き来できないという事なんです。それと、これだけ時間が経過しても、何の変化も無いという事は、恐らく、向こうもこちらに来る手立てが、見つからないんだと思いますよ」
とりあえず、俺は思った事を正直に伝えておいた。
「そ、そんな事は分かっています。ですから、私は他に何か……方法を……」
アーシャさんはそこで言葉に詰まった。
そして、ションボリと肩を落とし、顔を俯かせたのである。
俺の言ったストレートな内容に、少し元気をなくしたみたいだ。
というか、アーシャさんも、薄々そう思っていたに違いない。
「あの、アーシャ様、一つ訊いてもいいですか?」
「何ですの?」
「旅の扉って知っていますか?」
アーシャさんは思案顔になり、天井を見上げた。
「旅の扉ですか……そういえば、古代魔法文明の研究者達が記した書物に、確かその名前が出てきましたわね」
「どんな事が書かれていたんですか?」
「本当かどうかはわかりませんが、それによりますと、古代の魔法技術によって生み出された時空の扉ではないかと書いてありましたわ。それと、どれだけ離れた地でも、一瞬で往来が可能になるとも書かれてましたわね。まぁ私も見た事が無いので、なんとも言えませんが……。で、それがどうかしましたか?」
この口ぶりだと、ルーラやドラゴラムと同様、恐らく、今現在は失われてしまっている技術なのだろう。
だが、旅の扉については、一応、伝わってはいるみたいである。
「これは俺の勘ですが……多分、今の青い煙の渦が、旅の扉だと思います」
アーシャさんは目を大きく見開いた。
「な、何ですって! というか、どこにそんな証拠があるんですの!?」
俺は頭を振る。
「証拠はありません。ですが、現に俺達は、あっという間に違う場所へと転移しています。なので、そう考える方がしっくりくるんですよ。それに、ここは古代の建造物。そういう事があってもおかしくは無いんじゃないですかね」
「そ、そうかもしれませんが……まさか、そんな事は……」
アーシャさんはそう言って、青い渦があった場所へと視線を向けた。
俺も半信半疑だし、いきなりそう思えというのも、無理な話だろう。
まぁそれはさておき、俺は話を続けた。
「で、アーシャ様、それを踏まえたうえで聞いてほしいのですが、あの旅の扉は、恐らく、試練を受ける者のみを運ぶ、一方通行の扉だと思うんです。まぁこれは俺の個人的な見解ですがね。だがそう考えますと、試練を突破しない事には、ここからは出られないという事になってしまうんですよ。俺の言ってる意味、分かりますよね?」
アーシャさんは険しい表情で、ボソリと呟いた。
「試練を受けないと……ここから出られない……」
「はい、そうです。なので、もしそうならば、このまま待っていても助けは来ないかも知れません。いや、来れない可能性の方が高いです。ですから今は、あの銀色の扉を潜って先に進むのも、選択肢の1つに入れた方が良いと思うんですけど……アーシャ様はどう思いますか?」
俺は反対されると思っていた。
だが、アーシャさんは意外にも、すんなりと承諾したのであった。
「そうですわね。コータローさんの言う事も一理ありますわ。こうなったら仕方ありません。先に進みましょう」
正直、少しゴネる気はしたので、肩透かしを食らった気分である。
俺は思わず言った。
「なんか意外ですね。アーシャ様の事だから、てっきり反対すると思ったんですけど」
「む、少し棘のある言い方に聞こえましたわ。どういう事かしら? それとさっきから、なんとなく、言葉使いが横柄になってる気がしますわね」
アーシャさんはそう言うと、俺に流し目を送ってきた。
つい余計な事を言ってしまったようだ。
まともに相手すると疲れるので、俺はとりあえず聞き流すことにした。
「いや、別に深い意味は無いですし、横柄にもなってませんよ。それよりも、進むのなら急ぎましょう。どれだけ時間が掛かるか分かりませんから」
「……上手く逃げましたわね。いいでしょう。でも、ここを出たら、ちゃんと聞かせてもらいますからね」
結構、執念深い性格のようである。
面倒な相手に目を付けられたのかもしれない。
まぁそれはさておき、俺はそこで立ち上がった。
「それじゃあ、行きますか」
そして、銀色の扉へと近づいたのである。
扉の前に来た俺は、取っ手に手を伸ばす。
だがその直後、奇妙な文字が、突如、扉の中心部に浮かび上がってきたのだ。
「な、なんだこれ……」
それはまるで炙り出しの文字のようであった。
どういう原理でこうなっているのか分からないが、今のを見る限り、扉に接近したら浮かび上がる仕掛けになっているのかもしれない。
まぁそれはさておき、この浮かび上がった文字だが、先程の大広間でヴァロムさんが解読していた、古代リュビスト文字というのに似ている気がした。
とはいえ、浮かび上がった文字は三行程度だったので、あの石版と比べると文字数はかなり少ない。
だが幾ら少なくても、なんて書いてあるのかはサッパリであった。
というわけで、俺は早速アーシャさんを呼んだ。
「アーシャ様、ちょっと来てください」
「どうしました?」
「扉に文字が浮かび上がってきたんですけど、なんて書いてあるかわかりますかね?」
「文字? どれですの」
「ここです」
俺は書かれている文字を指さした。
「これは古代リュビスト文字ですわね。えっと……この先は……試練の道…………駄目ですわ。私では解読できません」
途中までは何とか読めたみたいだが、どうやら無理そうである。
「そうですか。でも、かなり重要な事が書いてありそうなんですよね」
アーシャさんは残念そうに溜め息を吐いた。
「私も勉強はしているのですが……まだまだ難しいですわ。それに、古代リュビスト文字を読める者は、古代魔法の研究者でも一握りだけですの。それほどに難しい文字ですのよ」
「そうなのですか……でも、弱ったな……このまま進むのは、なんとなく危険な気がするんですよね」
俺はそう言って、浮かび上がった文字に手を触れた。
と、その時である。
突然、何者かの声が聞こえてきたのだ。
【この先は試練の道……前に進む勇気を我に示せ……勇気を持たぬ者には死が待ち受ける】
「だ、誰だッ!」
俺は周囲を見回しながら叫んだ。
「コ、コータローさん。突然、どうしたんですの!?」
「たった今、妙な声が聞こえてきたんですよ。低い男の声みたいなのが……」
「妙な声? そんな声は聞こえませんでしたわ。変な事を言わないでください」
「へ? そうなんですか。じゃあ、今のは何だったんだ、いったい……」
俺にしか聞こえなかったようだ。
(どういう事だ……なんで俺だけ……)
アーシャさんが訊いてくる。
「ところでコータローさん。その声はなんと言ってたんですの?」
「内容ですか? えっと、確か……『この先は試練の道。前に進む勇気を我に見せよ。勇気を持たぬ者には死が待ち受ける』と言ってましたね。どういう意味なんだか、分かりませんけど」
するとアーシャさんは、眉間に皺を寄せ、扉に書かれた文字を凝視したのである。
「……コータローさん。さっき、この文字に触れましたわよね?」
「ええ、触れましたね」
「もしかすると……」
アーシャさんは恐る恐る扉の文字に手を伸ばす。
そして、文字に触れたその直後、驚きの表情を浮かべ、俺に振り返ったのであった。
「わ、私にも聞こえましたわ。確かに今言った内容の言葉です。それとこの内容は、ここに書かれている古代リュビスト文字の文章そのものだと思いますわ。私も所々は読める文字もありましたので、それらを繋ぎ合わせるとこの文章になる気がするのです」
「本当ですか?」
俺は念の為、とりあえず、文字以外の場所にも触れてみたが、声が聞こえてくるのは文字に触れた時だけであった。
どうやら、アーシャさんの言う通りのようだ。
「文字に触れると声が聞こえるので、その可能性が高そうですね……」
多分だが、文字の読めない人にもわかるように、こういう仕掛けを施したのかもしれない。
まぁそれはさておき、俺は扉のノブに手を掛けた。
「……何が待ち受けているか分かりませんが、とりあえず、扉を開きますよ」
アーシャさんはコクリと頷く。
「ええ、開いてください」
「では行きます」
そして俺は、恐る恐る扉を開いたのであった。
[Ⅲ]
俺は生唾を飲み込みながら銀色の扉を開いた。
だがその先にある恐ろしい光景を見るなり、俺とアーシャさんは息を飲んだのである。
俺達の視界に入ってきたモノ……それは真赤に燃えたぎるマグマで埋め尽くされた通路なのであった。
「嘘だろ……」
「な、なんですの、これ」
見ているだけで、恐ろしいほどの熱気が肌に伝わってくる。
しかも、この熱気によって、目の前の空間が歪んで見えるくらいであった。
その為、これは本物のマグマだと、俺の中の何かが訴えかけてくるのである。
俺はマグマで埋め尽くされた通路の先に目を向ける。すると、20mほど先に、黒い扉が小さく見えた。通路は真っ直ぐなので、これが意味するところは1つであった。そう……この先に進むには、どうでもこの通路を通らないといけない、という事である。
まさか、こんな通路が扉の向こうにあるなんて思いもしなかった。これは非常に不味い状況である。
と、そこで、アーシャさんの震える声が聞こえてきた。
「こ、こんな所を進むなんて……で、できるわけありませんわ」
「ですよね……」
俺も同感である。が、しかし……それと同時に少し違和感もあるのだ。
なぜなら、これだけのマグマがあるのなら、俺達がいる部屋自体もかなり熱くないとおかしいのである。
今はマグマを見たので熱く感じるが、扉が閉まっていた時は、そんな事など微塵も感じなかったのだ。
だがとはいうものの、古代の魔法技術で熱を遮断している可能性もあるので、もしかすると、そういう事もあり得るのかもしれないが……。
まぁそれはともかく、問題は、ここをどう突破するかである。
「アーシャ様、どうしましょう?」
「どうって……どうもこうもありませんわ。こんな状態じゃ、進めるわけがないですわよッ」
「でも、この通路の先に次の扉がありますからねぇ……」
アーシャさんはそこで、顎に手を当て、何かを考え始めた。
「もしかすると、アレの可能性がありますわね……」
何か気になる事でもあったのだろうか。
暫くするとアーシャさんは口を開いた。
「コータローさん、なにか燃やしても良いモノはありますか?」
「燃やすモノですか……ちょっと待ってください」
どうやら、幻覚かどうかを確認するという事なのだろう。
俺は腰に装着しているウエストポーチ状の道具入れから、汗拭き用の布きれを取り出した。
ちなみにこれは、ただの布きれというやつである。ゲームだと、うまのふんと共に、イマイチ存在意義が分からないアイテムだったが、実際にその世界で生活するようになると、タオル代わりに使える便利なアイテムなのだ。
まぁそれはさておき、俺はそれをアーシャさんに差し出した。
「じゃあ、コレを」
「お借りしますわ」
アーシャさんは布きれを受け取ると、マグマへと放り投げた。
すると次の瞬間、なんと布きれは、マグマに触れることなく、熱気によって空中で炎に包まれてしまったのだ。
俺達は驚愕した。
「燃えた……と、という事は、これは本物なのか……」
「で、ですわね」
俺達は今になってようやく戦慄を覚えた。
実を言うと、俺も心のどこかで、これは幻覚だと思っていたのである。
だが、それがたった今、目の前で否定されてしまったのだ。
「一旦扉を閉めましょうアーシャ様……」
「ええ……」――
扉の向こうを見て恐れを抱いた俺達は、入口の部屋で、先に進む方法を話し合う事にした。が、方法は見つからない。おまけに、抜け道のようなモノも皆無であった。
そして、さっきまで楽観的だった俺も、この状況を前にして、次第に焦りが生まれてきたのである。
(このまま、ずっと足止めを喰らうのは不味いな……俺達は食料がないから、いずれ体力が消耗してゆく。何かないのか方法は……クソッ)
最悪の場合、救出されず、この場で人生を終える可能性だってあるのだ。
早めに何とかしないと、俺達はここで果てる事になってしまうのである。
(これは試練だ……とするなら、向こうに渡る方法が、何かある筈だ……それを早く見つけなければ……ン?)
と、そこで、アーシャさんの呟くような声が聞こえてきたのである。
「……この先は試練の道。前に進む勇気を我に示せ。勇気を持たぬ者には……死が待ち受ける」
「さっきの声が言っていた内容ですね。なにか分かりましたか?」
アーシャさんは俺に振り向く。
「コータローさん……この言葉、どう思いますか? 私、どうも引っ掛かるんです」
「と言いますと?」
「先程、あの布きれが燃えた事からも、あのマグマは本当のように思います。ですが、あの声は勇気をもって進めと言ってるのです。どういう事なのかしら……。あの中に進むなんてどう考えても自殺行為ですわ」
「確かにそうですね」
言われてみると、確かにそのとおりである。
あそこを進むのは、ガチの自殺行為だ。
「コータローさんの意見を聞かせてください。それに……悔しいですが……貴方はあの石版の謎を解いた事から考えても、私より柔軟な物の考えが出来る気がします。あのオルドラン様もそう思っているからこそ、先程、貴方に訊いたのだと思いますから」
そしてアーシャさんは、ションボリと俯いたのである。
今の言葉を聞いて、アーシャさんが俺を敵視していた理由が分かった気がした。
要するに、ぽっと出のわけの分からん俺みたいな奴が、高名な魔法使いであるヴァロムさんの弟子だったので、それが気に入らなかったのだろう。それで、ついつい意地を張ったに違いないのだ。
そう考えると、さっきまで面倒な子だと思っていたのに、途端に可愛いく見えるから不思議である。
まぁそれはともかく、マグマが本当だったので諦めてしまったが、とりあえず、あの言葉についてもう一度考えてみるとしよう。
「……分かりました。答えが見つかるかどうかわかりませんが、ちょっと考えてみます」
俺はさっきの言葉を脳内で復唱した。
(この先は試練の道……前に進む勇気を我に示せ……勇気を持たぬ者には死が待ち受ける)
考えれば考えるほど、やたら勇気という単語が目に付く文章である。
例えるならば、大事な事なので2回言いました的な感じだ。
そこで俺は考える。勇気ってどういう意味なんだろうと……。
(真正直に考えるならば、恐れずに立ち向かう心の強さ……これが勇気だと思うが……ン?)
と、その時、最後の一文が、非常に重要な文章に思えたのであった。
勇気を持たぬ者には死が待ち受ける……つまり、心に弱さを持つ者は、死が待っているという事である。
(心が弱いと死ぬし、心が強ければ死なない……ハッ!? ……もしかすると、あのマグマとさっき燃えた布きれは……いや、しかし……でも説明できる現象は、これしか考えられない。だがそれを確認するには、実際に試す以外ない。でも……もし違っていたら……俺は死んでしまう。どうしよう……だが、いつまでもこうしてはいられない。ここはもう、自分を信じてやるしかないだろう……)
さんざん悩んだ末、俺は覚悟を決めた。
「アーシャ様……俺、この通路を進んでみようと思います」
「コータローさん、何を突然言い出すのですかッ」
アーシャさんは青褪めた表情になる。
「俺の考えが正しければ、恐らく……進んで行ける筈です」
「ち、違っていたら?」
「俺は身を焼かれるでしょう。でも、確かめるにはこれしかないんです」
アーシャさんは俺の手を取ると、懇願するように言った。
「コ、コータローさん。早まった真似はやめてください。私はそういう意味で言ったのではないんです。じっくりと考えて欲しかったから言ったんです」
ちょっと半泣きに近い表情である。
一応、心配はしてくれてるようだ。
こんなアーシャさんを見ると、俺も決心が鈍ってくる。
だが、確認するには進むしかないのである。
「アーシャ様、心配してくれてありがとうございます。でも俺を信じてくれませんか?」
俺達の間に沈黙が訪れる。
暫くすると、アーシャさんは少し俯きながら口を開いた。
「決心は固いのですね……分かりましたわ。ですが、くれぐれも無理はしないでください。思いとどまっても、私は非難しませんから」
「ありがとうございます、アーシャ様。では行ってきます」
そして、俺は銀色の扉に手を掛けたのである。
扉を開くと、マグマに埋め尽くされる灼熱の通路が姿を現した。
それを前にして、俺は大きく深呼吸をしながら、心を強くするんだと自分に言い聞かせた。
俺の考えが正しければ、心の強さが、このマグマに打ち勝つ為の絶対条件なのである。
そこで俺は、3つの疑問点を思い返した。
1つ目は、扉の向こうにあるマグマは、いったい誰が運んだのかという事、2つ目は、マグマが付近にあるのに、なぜ隣の部屋は常温なのかという事、そして3つ目は、布きれはなぜ空中で燃えたのかという事である。
確証はないが、これら3つを説明できる現象が1つだけあるのだ。俺達は1つの現象に捕らわれていた所為で、それが死角になり、事実が見えなかったに違いないのである。
俺は深呼吸をしながら、後ろをチラッと見た。
すると、背後にはアーシャさんがおり、今は胸元で手を組み、祈るような仕草で静かに佇んでいた。こういう風に大人しいと、可愛い子である。が、今はそんな事を考えている場合ではない。
俺は視線をマグマに戻すと、意を決し、前へ進むことにした。
「それでは行きますッ」
心を強く持ち、俺はゆっくりと、マグマの上へ足を乗せる。
そして、一歩、二歩、三歩、四歩、五歩と進んだところで、俺は立ち止まった。
予想通り、マグマが俺の身を焦がす事はなかった。そう……これは幻覚なのである。
俺はアーシャさんに報告した。
「どうですか、アーシャ様。ね? 大丈夫だったでしょう」
アーシャさんは目を大きく見開いた。
「な、なな、なんで大丈夫なんですのッ!?」
「見ての通り、このマグマは幻覚ですよ。ただしこれは、心が弱いと身体に影響が出る、かなり危険な部類の幻覚なのだと思います。ですから、あの声は勇気を示せと言ったんですよ」
俺はそこで、足元にある布きれを手に取り、アーシャさんに見せた。
「ほら、この布きれも燃えてなんかないです。燃えた様に見えたのは、燃えるかもしれないという心の弱さが、俺達にそう見せていたんです。燃えないと強く思えば、この通りそのままなんですよ。それと幻覚ですから、隣の部屋や扉が熱くないのは当然ですしね。というわけで、以上です」
アーシャさんはポカンとしていた。
流石に予想外の答えだったんだろう。
まぁそれはさておき、俺はアーシャさんに手を差し伸べた。
「さぁアーシャ様、向こうへ行きましょう。大丈夫です。心を強く持ちさえすれば、こんな幻覚どうって事ないですから。それに、早くしないと、ティレス様も待ちくたびれてしまいますよ」
「そ、そうですわね。コータローさんの言うとおりですわ」
アーシャさんは俺の手を取ると、そっとマグマの上に足を乗せた。
「本当に大丈夫ですのね……不思議ですわ」
「ええ。しかし、このラーとかいう神様は悪趣味ですね。本人が目の前にいたら、こんな試練作るなよって言いたい気分ですよ」
「ウフフ、本当ですわね。それじゃあ、コータローさん。先に進みましょう」
「あの、その前にちょっとだけいいですか」
アーシャさんは首を傾げる。
「え、何ですの?」
「1つ提案があるんです。この試練の間だけでも構わないんで、アーシャ様の事をアーシャさんと呼んでいいですか?」
アーシャさんはニコリと微笑むと即答した。
「なんだ、そんな事ですか。良いですわよ。試練が終わった後も、そう呼んでいただいて結構です」
言ってみるもんである。
何でこんな事を訊いたのかと言うと、さっきの悔しそうなアーシャさんを見たのが理由であった。
俺に対して意地を張るなんて無駄な事をするよりも、気兼ねなく話せる関係になった方がお互い楽だろうと思ったからだ。
「ありがとうございます。実を言うと、俺はそう言った言葉を使うのが苦手なんですよね。それに、お互い気楽に話し合えるような感じじゃないと、この先に何が待ち受けてるか分かりませんからね」
「コータローさんて、変な方ですわね。こんな事を訊いてきた方、貴方が初めてですわ」
アーシャさんはそう言って、クスクスと笑った。
そう思うのも無理はないだろう。だって俺、この世界の人間じゃないし。
まぁそれはさておき、先に進むとしよう。
「じゃあ、そうと決まったところで、次の扉へと行きますか、アーシャさん」
「そうですわね。急ぎましょう」――
[Ⅳ]
俺とアーシャさんはマグマの通路を進んで行く。
程なくして俺達は、奥にある黒い扉の前へと辿り着いた。
するとそこで、さっきの銀色の扉と同様、また文字が扉に浮かび上がってきたのである。
文字は例によって古代リュビスト文字のようであった。
俺達はその文字に触れる。
そして、あの声が聞こえてきたのだ。
【これより先は、最後の試練……知性と勇気とその精神を存分に示せ……立ち塞がる困難を振り払い、真実へと繋がる扉を開くがよい】
声はそれで終わりであった。
「どうやら、これが最後のようですね。今度はなんとなく戦闘がありそうな感じがしますけど、行きますか?」
「行くしかありませんわ。それに今のところ、帰る手段はないのですから、進むしかないのです。でもその前に、戦いがあるかもしれませんので、装備品の確認をしたほうが良さそうですわね」
「確かに」
というわけで、俺達は武具や薬草などの道具をチェックし、すぐに使える状態にしたのである。
話は変わるが、薬草は、昨日の武器屋で購入した物だ。
俺は薬草と聞いて葉っぱのイメージをしていたのだが、店で出された物は、ガラスの小瓶に入った緑色の液体であった。よって、見た目は青汁に近い品物である。
ヴァロムさんの話によると、幾種類かの薬草をすり潰して調合し、仕上げに水と魔力を加えて作られた魔法薬らしい。飲んでも塗っても即効性の効果があるそうで、すぐに身体を回復してくれるようである。
というわけで、薬草に関しては、ゲームと同じ効能のようだ。
それから、アーシャさんの装備はこんな感じである。
武 ……祝福の杖
盾 ……無し
兜 ……銀の髪飾り
鎧 ……魔法の法衣
足 ……皮のブーツ
腕 ……無し
ア ……金のブレスレット
俺よりもちょっと良い感じの装備であった。
魔法の法衣は紺色のローブで、かなり上質な生地で作られている防具のようだ。ゲームだと、攻撃呪文の軽減効果があったはずなので、俺からすると羨ましい装備品である。
それと祝福の杖だが、白く美しい柄の先端に天使の彫刻が施されており、非常に神秘的な雰囲気が漂う杖であった。
俺の記憶が確かならば、この杖は確か、道具として使うとベホイミの効果があった気がするので、今の現状と照らし合わせると、非常に頼もしく思える武器なのである。
というわけで話を戻そう。
装備品のチェックを終えたところで、俺はアーシャさんに確認した。
「アーシャさん、準備は良いですか?」
「もう結構ですわ」
「じゃあ、開けますよ」
アーシャさんは緊張した面持ちでコクリと頷く。
そして俺は、慎重に扉を開いたのであった。
黒い扉の向こうには、四方の壁が全て鏡となった縦長の四角い空間が広がっていた。
周囲の鏡が互いを映すので、ひどくゴチャゴチャしている所である。
また、よく見ると中は結構広く、縦に30m、横幅が10mくらいはありそうな空間であった。
(なんだここ……壁全部が鏡かよ。まぁ……ラーの鏡がありそうな雰囲気ではあるけど……さて、何が待ち受けているのやら……)
中に入ったところで、俺は扉を閉め、まずは周囲を見回した。
すると、奥の壁に1つだけポツンと佇む扉が、視界に入ってきたのである。しかも、それは黄金の扉であり、この鏡の空間内で、異様なほど存在感を放っていたのであった。
(今見た感じだと、気になるのはあの扉だけだな……他には何もなさそうだ)
あの黄金の扉が、真実へと繋がる扉なのかもしれない。
「コータローさん、あの扉がそうみたいですわね」
「ええ。ですが、立ち塞がる困難という表現がありましたので、注意が必要ですよ」
「勿論、わかってますわ」
俺達は互いに頷くと、武器を構えて、警戒しながら扉へと進んで行く。
だが、この部屋の真ん中あたりまで進んだところで、異変が起きたのであった。
なんと前方の床から、突如、不気味な2つの黒い煙が立ち昇ったのである。
「な、なんですの。アレは!」
「魔物かッ!」
俺は慌てて魔導士の杖を黒い煙に向ける。
アーシャさんも同じように、祝福の杖を黒い煙へと向けていた。
黒い煙は俺達と相対する位置から立ち昇っている。
しかし、黒い煙は俺達に攻撃してくるような気配はなかった。
その為、俺達は暫し様子を見る事にした。
と、その時である。
なんとその黒い煙は、突如、渦を巻き始めたのである。
すると程なくして黒い煙は、漆黒のローブを纏う不気味な存在へと変貌を遂げたのであった。
俺達はそれを見るなり、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
その姿はまるで、ロード・オブ・ザ・リ○グに出てきた指輪の幽鬼ナズグルを思わせる不気味な存在だった。
そして、この2体の不気味な存在は、俺達の行く手を阻むかのように、黄金の扉の前に立ち塞がったのである。
Lv10 ラーの鏡
[Ⅰ]
漆黒のローブを身に纏った2体の不気味な存在は、俺達へゆっくりと近づいてきた。
俺とアーシャさんは奴等の動きに合わせて、ある程度の間合いを取りながら後退してゆく。
それから俺は、すぐに撤退できるよう、入ってきた扉へと視線を向けたのである。が、しかし……俺はそこで我が目を疑った。
なぜなら、今入ってきた黒い扉が、どこにも見当たらないからだ。忽然と姿を消していたのである。
「アーシャさんッ、大変です。入ってきた扉が消えていますッ!」
「何ですってッ」
アーシャさんはそこをチラ見した。
「ほ、本当にありませんわ……という事は、もう進むしかないのですね……」
「ええ……そうみたいです」
どうやら、この試練を作った何かは、俺達に後戻りを許さないみたいだ。
(はぁ……マジかよ。こんな展開は聞いてないぞ……生きて帰れるんだろうか、俺……)
閉じ込められた不安感を抱きながら、俺は前方に佇む不気味な存在と対峙する。
だが、こいつ等の不気味さに気圧されて、俺とアーシャさんはジリジリと後退を余儀なくされていた。
(後退ばかり続けていても仕方がない。すぐに後が無くなる。それに俺達の目的は、こいつ等を倒す事ではなく、黄金の扉の向こう側に行くことだ。なんとか掻い潜って、扉まで行かないと……。それはともかく、この不気味な黒い化け物は何なんだいったい……。こんな敵は、俺がプレイしてきたドラクエには出てこなかった気がする……でも、今の状況から考えて、あの声が言っていた立ち塞がる困難というのは、こいつ等でまず間違いないだろう……チッ……面倒な事にならなきゃいいが……)
俺はそこで、背後の壁をチラッと見た。
今の俺達と背後の壁までの距離は、凡そ15mといったところであった。
早めに対処を考えないと不味い状況である。
と、そこで、アーシャさんが話しかけてきた。
「コータローさんは、どんな魔法を使えるのですか?」
「……俺が使えるのはメラとホイミだけです。ですから、はっきり言ってレベルは低いですよ」
他にデインという魔法も俺は使えるが、あれは人前での使用を禁じられているので、あえて名前はださないでおいた。
「……来る時にオルドラン様も言ってましたが……ほ、本当に入門したてなんですのね」
「はい、その通りです。ペーペーです。ド素人です」
俺はそう答える事しかできなかった。
アーシャさんは少しがっかりしてたが、事実なので仕方ない。
今のこの状況で、知ったかこくわけにはいかないのである。
俺も訊いてみた。
「アーシャさんはどんな魔法使えるんですか?」
「私は、メラとヒャドとスカラ、そしてピオリムの4つですわ」
俺よりも良い呪文を使えるみたいである。
この辺りの呪文を使えるという事は、ドラクエ風に言うならレベル5から6といったところだろうか。
そして、これがゲームならば、俺よりもアーシャさんの方が使えるキャラという事である。
「今の現状だと、アーシャさんが一番頼りになりそうですね。ところで、アーシャさんは戦闘経験とかあるんですか?」
「あ、あるわけありませんわ。あのお父様が、そんなことを許すとでも思っているのですか」
一応そんな気はしていた。
大貴族の娘だし、これは当然だろう。
というわけで、俺も正直に言う事にした。
「そうなんですか……じゃあ、俺と同じですね。……俺も戦闘経験ないです」
「最悪ですわね……」
俺達は互いの事実を知ることで、更に不安になってしまった。
そんな中、不気味な存在に動きがあったのだ。
【スカラ】
アーシャさん側にいる奴が、擦れた様な声でスカラを唱えたのである。
その直後、唱えた奴の周りを青白い光の霧が包み込み始めた。
するとそこで、今度は俺の前にいる奴が、擦れたような声で呪文を唱えてきたのであった。
【メラ】
次の瞬間、20cm程の火の玉が、俺に向かって襲い掛かってきた。
俺は咄嗟の判断で、身体を仰け反らせてかわそうとするが、避けきれず、肩口に直撃した。
「グワァッ!」
火の玉は肩口で爆ぜる。
当然、顔にも火の粉が飛んできた。
俺は慌てて火の粉を振り払う。
そして、即座に後ろへと下がり、こいつ等との間合いを広げたのであった。
「コータローさん! 大丈夫ですか!」
「だ、大丈夫です。肩口に当たっただけですから」
とはいうものの、内心は、痛みとそのインパクトで、俺は恐怖していた。
なぜなら、初めて魔法攻撃というものを受けたからである。
その為、今の攻撃は身体的にはそこまで大したことないが、精神的にはかなりくるものがあったのだ。
(怖ぇよ……メラ。初級魔法なのに、結構痛いじゃないか、クソッ……)
俺は負傷の確認をしようと、左肩をチラッと見た。
すると不思議な事に、みかわしの服には、当たったような痕跡は殆どなかった。
そういえば昨日、武器屋の店主がこんな事を言っていた。
このみかわしの服は、羽のように軽い生地に、守護の魔力を付加して作られた魔法の衣服であると。
これ見る限りだと、メラ程度なら十分耐えられる仕様なのかもしれない。
またそう考えると共に、俺は少しづつ落ち着きを取り戻していったのである。
(装備品はそれなりだから、何とか戦えるかも……)
と、そこで、アーシャさんの声が聞こえてきた。
「コータローさん。向こうは私達を敵だと思っていますわ。こちらも反撃しますわよ!」
「はい」
アーシャさんは杖を奴等に向け、呪文を唱えた。
【ヒャド!】
その直後、小さな氷の槍が杖の先に出現し、不気味な化け物に放たれたのである。
氷の槍は化け物にモロに命中する。
そして、ヒャドをまともに喰らった化け物は、後方に勢いよく吹っ飛んでいったのだ。
思ったよりも凄い威力であった。考えてみればヒャドは、歴代のドラクエで、初期限定の最強呪文として君臨している魔法だ。俺は今の威力を目の当たりにし、それがよく理解できたのであった。
まぁそれはさておき、次は俺の番である。
俺は呪文節約の為に、魔道士の杖に秘められた力を解放させた。杖の先にメラの火の玉が出現する。そして、目の前にいる化け物に火の玉を放ったのだ。
火の玉が化け物に命中すると、爆ぜて火花が飛び散り、化け物は炎に包まれていった。が、しかし……止めを刺すには至らなかったのか、2体ともそれほど間をおかずに、また俺達の方へと向かい動き出したのであった。
「まだピンピンしてるッ。効いてないのか!?」
なんとなくだが、俺達の攻撃はあまり効いていないように見えた。
「でも、この調子ですわ、コータローさん。奴等に間を与えず、ガンガンいきますわよ」
アーシャさんはそう言うと、呪文を唱えた。
【ピオリムッ】
と、その直後、俺とアーシャさんの周りに、緑色に輝く霧が纏わりついたのである。
それに伴い、重石が無くなったかのように、体がフワリと軽くなっていったのだ。
「ウホッ、身体が軽くなった」
どうやらこれが、ピオリムの素早さを上げる効果なのだろう。
「さぁ行きますわよ。コータローさん」
「ええ、アーシャさん」
そしてスピードを増した俺達は、漆黒のローブ姿の化け物へ、怒涛の魔法攻撃を開始したのであった。
俺達は攻撃の手を緩める事なく魔法を放ち続け、漆黒のローブ姿の化け物を後退させてゆく。
だがこいつ等は、魔法攻撃を幾ら受けてもすぐに立ち上がり、何事も無かったかのように行動を再開するのである。それが不気味であった。
とはいえ、攻撃の手を緩めるわけにはいかなかった。
なぜなら、少しでも間が出来ると、すかさずこいつ等もメラやヒャドといった呪文を唱えてくるからだ。
しかし……どう考えても、俺達の攻撃でダメージを受けているような様子が見受けられない。
その為、俺達の中にも次第に、焦りと迷いが生まれてきているのであった。
俺は魔道士の杖を行使しながら、アーシャさんに言った。
「アーシャさん! こいつ等、もしかして俺達の攻撃が全然効いてないんじゃないですかッ。おかしいですよ。痛がったり弱ったりするような素振りを全然見せないです」
「で、でも、私達には攻撃するしか他に手はありませんわ。この2体の魔物を何とかしない限り、あの扉には辿り着かないのですから」
アーシャさんの口調は明らかに狼狽えていた。
やはりアーシャさんも、内心では駄目かもと思っているに違いない。
「ですが、アーシャさんの魔法は、俺と違って道具の力じゃない。このままの調子ならば、扉に辿り着く前に魔力が枯渇してしまいますよッ」
「そんな事は分かってますわッ! でも後がない以上、先に進むにはこうするしかないのですッ。……ヒャド!」
「しかし……無……いや、何でもないです」
俺は無駄という言葉が出そうになったが、飲み込んだ。
なぜなら、現状、アーシャさんの言う通りだからである。
剣や鎧といった重装備ではない俺達は、これを続けて進み、あの黄金の扉まで行くしか方法がないのだ。が……その道は物凄く遠い。すぐそこなのに、目の前の不気味な存在が、それを許してくれないからである。
俺は魔道士の杖を使いながら考える。
この化け物は一体、何なのだろうかと……。
またそれと共に、俺の中で気になっている事が2つあるのであった。
まず1つは、幾らメラやヒャドとはいえ、十数発も浴びれば、相当なダメージが蓄積しているということである。これがゲームなら、もう既に150~200ポイントのダメージは与えている筈なのだ。
それともう1つは、奴等がメラやヒャドを唱えてくることや、その動きを考えると、それ程強いレベルの敵には思えないという事であった。精々、俺達と同程度の強さな気がするのである。
で、何が言いたいのかというと……要は、こんなに打たれ強いのに、その攻撃能力はあまりに弱いという事だ。
俺がプレイしたドラクエには、少なくとも、こんなアンバランスな敵はいなかった気がするのである。その為、違和感を覚えると共に、奇妙な引っ掛かりも感じたのであった。
(この化け物達はなんかおかしい……手応えが全然感じられない。まるでサンドバックを攻撃してるような気分だ。本当に倒せるんだろうか……こいつ等を……)
俺はそんな事を考えながらも、魔道士の杖からメラを放ち、化け物を転倒させてゆく。
そして徐々に前へと進んで行くのだが、黄金の扉まではまだまだであった。
(……いつになったらあそこまで辿り着けるのだろう。たった10m程度なのに、なんて遠いんだ……ン?)
と、そこで、アーシャさんに異変が現れた。
なんとアーシャさんは、床に片膝をついてしゃがみ込んだのである。
「ハァ、ハァ、ハァ」
アーシャさんは肩で息をしていた。
俺は即座に攻撃の手を止め、アーシャさんに駆け寄った。
「大丈夫ですかッ、アーシャさん!」
アーシャさんは苦しそうに口を開く。
「す、少し……魔法を使い過ぎたみたいですわ。ハァ……ハァハァ」
かなり息が荒い。
額からは幾つもの汗が流れ落ちている。
恐らく、アーシャさんはもう限界なのだろう。
俺はとりあえず、アーシャさんにホイミをかけてみた。が、やはり、思ったほどの効果は現れなかった。
魔力疲労は肉体的な損傷とは違うので、それ程の効果は望めないようだ。
「コータローさん……今は私よりも、アッチです」
アーシャさんはそう言って、化け物を指さした。
すると2体の化け物は、まるでビデオを逆再生させたかのように、スッと起き上がって来たところであった。
「クッ、しつこい奴らだな。なんで動けるんだよ」
攻撃を大量に受けたにもかかわらず、化け物は平然としながら俺達へと向かって歩き出す。
と、その時であった。
化け物の1体が俺達に向かって右手を突き出し、呪文を唱えたのである。
【デイン】
その刹那、俺達に向かい、以前見たあの電撃が襲いかかってきた。
俺は慌ててアーシャさんをかばう。
そして、俺はデインの直撃を受けたのだ。
「グアァァ!」
「コ、コータローさん!」
電撃が俺の身体を走り抜ける。その痛みはメラの比ではなかった。
強烈な痺れと共に、刺すような痛みが全身を走り抜け、一瞬、気を失いそうになるほどであった。が……俺は両膝を付いて四つん這いになりつつも、なんとか持ちこたえた。そして、俺は化け物を凝視したのである。
(グッ……デインがこれほどキツイとは……なんでこいつがデインを使えるんだよ……)
この呪文を使える者は数えるほどしかいないと、ヴァロムさんは以前言っていた。それと、自分の知る限り、デインを使える魔物はいないとも……。
俺の中で更に疑問が深まってゆく。
「い、今の呪文は、まさか……イシュマリアの王位継承候補者しか使えない電撃呪文……。なぜ、こんな化け物が使えるんですのッ」
どうやら、アーシャさんも俺と同じ見解のようだ。
やはり、おかしいのである。
(どういうことだいったい……モシャスとかで俺の能力をコピーしたのなら、それも理解できるが……ン? モシャス? ……いや、違う。これはモシャスではない。まさか……こいつ等の正体とは……)
この時、俺の中にある仮説が浮かび上がってきた。
と、そこで、アーシャさんの悲鳴にも似た声が響き渡ったのである。
【コータローさん! また化け物がッ!】
俺は奴等に視線を向ける。
すると、デインを放った奴が、俺達に向かって、また右手を突き出していたのである。
(やばい……この動作はデインの気がする。この体勢じゃもう避けれない……今、もう一度喰らったら、確実に死んでしまう。何か方法は……アッ!)
この時、俺の脳裏に、とある光景が過ぎった。
そして、俺は一か八かの賭けで、それを実行に移したのである。
(上手くいってくれよ……)
俺は魔光の剣を手に取り、魔力を籠めて光の刃を出現させた。
と、次の瞬間。
【デイン】
また奴の手から電撃が放たれたのである。
俺は青白く輝く光の剣を縦にして、電撃を受け止めるように前に突きだす。
その直後、バチバチとスパークする稲妻が魔光の剣に命中し、光の刃に絡みついたのであった。
どうやら上手くいったみたいだ。
映画・スターウ○ーズでは、シスの暗黒卿が放ったフォースの電撃を、ジェダイの騎士がこうやって受け止めていた。それを参考に一か八かでやってみたのである。
両方とも魔力で作られたモノなので、なんとなく上手くいくような気もしたのだ。
だが、完全には無理であった。
防ぎきれない電撃が、俺の手を伝ってくるのである。
(イタタタ……ビリビリと痛いけど、この程度なら、十分我慢できる範囲だ……)
程なくして電撃は消え去る。
デインを凌いだところで、俺はすぐに薬草を使い体力回復に努めた。
そして、アーシャさんに指示したのである。
「アーシャさん、また奴等の攻撃が来るッ。一旦、下がろう」
「は、はい、コータローさん」
俺はアーシャさんの手を取ると少し後退し、化け物との間合いを広げた。
そこでアーシャさんが訊いてくる。
「この化け物達はいったい何なのですの? 攻撃は効かない上に、王位継承者が使う強力な魔法まで使ってくるなんて……」
「アーシャさん……俺の勘だと、こいつ等は倒せません。いや、俺達が死なない限り、倒せない気がします」
「は? 意味が分かりませんわ。どういう事なんですの?」
アーシャさんは首を傾げた。
「これはあくまでも俺の想像なのですが、こいつ等は俺達自身が創り出した化け物のような気がするんです」
「私達が創り出した? 何を根拠にそんな事を……ならば、目の前の敵は、私達の分身や影だとでもいうのですか?」
「そうです。あれは……影……ハッ!? 影だって! ……まさか……真実の扉って」
その時、アーシャさんの一言がスイッチとなって、今まで疑問に思っていたものが俺の脳内で目まぐるしく動き始めたのである。
俺達と対峙する2体の存在。その向こうに見える黄金の扉。消えた入口。扉に書かれていた試練の内容。そして……それらをつなげるプラトンのイデア論。
それらパズルのピースが全て繋がった気がしたのだ。
「……そういう事かッ。なんてこった……俺はとんでもない思い違いをしていた。この扉は実物、いやイデアではないんだ。なら、イデアは――」
「コータローさんッ、また奴らがッ!」
俺は慌てて振り向く。
「クッ、しまったッ!」
【メラ】
なんと、化け物達の1体が俺達へと近づき、メラを唱えてきたのだ。
もう避けれないと思った俺は、腹に力を入れて火の玉を身体で受け止める事にした。
ヴォンという破裂音と共に、俺の胸元で火花が飛び散る。
「あちちちッ」
糞熱かったが、何とか持ちこたえた俺は、即座に魔道士の杖を使い、火の玉を一発お見舞いしてやった。
火の玉が爆ぜて化け物は転倒する。
だがこれで終わりではない。もう1体の方も、俺達へと近づいていたのである。
俺は慌てて魔力を指先に向かわせると、もう1体の方に自前のメラを放った。
(こんなくだらない茶番は、とっとと終わらせないと……)
化け物がメラで吹っ飛んだところで、俺はアーシャさんに言った。
「アーシャさん! 後ろの壁まで走るんだ。真実の扉は、俺達の背後の壁にあるッ」
しかし、アーシャさんは意味が分からないのか、ポカンとしていた。
「え? ど、どういう事ですの?」
埒が明かないと思った俺は、そこでアーシャさんの手を取った。
「話は後ですッ」
「ちょっ、ちょっと、コータローさん。どうしたんですの急に」
アーシャさんは戸惑っていたが、今は時間がない。
というわけで俺は、アーシャさんの手を引きながら、後ろにある鏡の壁へと駆け出したのである。
後の壁まで戻ったところで、俺は化け物の位置を確認した。
すると奴等も、俺達の動きに連動するかのように、同じようなスピードで後に付いて来ていた。
その為、俺達とはそれほど距離は空いていない。この辺は流石に、俺達の影といったところだろう。
まぁそれはさておき、今、奴等に襲われるのは不味いので、俺が奴等の足止めをする事にした。
「アーシャさんッ、俺が奴等を暫く足止めしておきます。ですから、その間に扉を開いてください」
「と、扉と言われましても、後ろにあるのは鏡の壁じゃないですか。扉なんてどこにもありませんわッ」
「いいですかアーシャさん、向こうに見える黄金の扉は影なんです。ですから真実の扉は、絶対に影と正反対の位置にある筈です」
「影って……そういう意味だったんですの……分かりました。探してみますわ」
アーシャさんもようやく理解したようだ。
次は俺の番である。
俺はこの2体の化け物を同時に相手する為に、1つ試したい事があった。
それは魔法を両手で行使するという事である。
ついさっきメラを使った時に、魔力の流れを簡単に操作できたので、やれそうな気がしたのだ。
今になって気付いたが、ヴァロムさんにやらされたあの修行のお蔭で、魔力制御がだいぶ上達してたのである。
そう考えると、あの憎たらしい呪いの武具も、ある意味、凄いモノなのかもしれない。
まぁそれはさておき、以上の事から、俺は同じ魔法を両手で行使しようと思うわけだが、小さな火の玉を放つメラ程度では、すぐに奴等も行動を再開してしまう。
その為、俺は試しにあの呪文を唱えてみる事にした。
アレならば、魔力供給さえ止めなければ、暫く持続できる気がしたのだ。
だが懸念はアーシャさんであった。が、もうそんな事は言ってられないので、後で事情を話して黙っていてもらうしかないだろう。
それに考えてみれば、こいつ等が俺達の影のような存在という時点で、アーシャさんがそれに気付くのも時間の問題なのである。
もうどの道、この事については諦めるしかないのだ。
俺は両手を奴等に向かって真っ直ぐ伸ばすと、魔力の流れを両手に作り始めた。
そして、流れが完全にできたところで、俺はあの呪文を唱えたのである。
【デイン!】
その直後、俺の両手から稲妻が迸る。
稲妻は瞬きするまもなく、奴等へと一直線に命中した。
するとまるで痙攣でも起こしたかのように、奴等は全身を震わせながら動きを停止したのである。
そこから俺はひたすら魔力を制御し続ける。
だが予想以上に、俺がやっている事は厳しい事であった。
なぜなら、魔力の消費スピードが半端じゃないからである。
(く、苦しい……この感じだと、精々、あと数十秒程度しか行使し続けられない……早く扉を見つけないと、アウトだ……)
俺は背後にいるアーシャさんをチラ見した。
「アーシャさん……と、扉はまだですか?」
「もう少し待ってください……壁に触れてみましたら凸凹していましたので、何かあるのは分かるのですが、扉自体が見えないので、取っ手がどれか分からないのです」
「なるべく早めにお願いします。俺もそろそろ限界に近くなってきましたから」
俺は柔らかめに言ったが、実際は『早くしてくれぇェェェ!』と言いたい気分であった。
それほどに今の状態は厳しいのである。
「わ、分かっています。もう少し待って下さ……ン? これかしら?」
アーシャさんはそう言って、何かを掴み、引っ張るような仕草をする。
それと共に、ガチャリという音が聞こえてきた。
と、次の瞬間、なんと、後ろの壁が眩く光り輝いたのであった。
「キャッ」
そこで、アーシャさんの小さな悲鳴が聞こえてきた。
「大丈夫ですか、アーシャさんッ。何があったんです!?」
「だ、大丈夫です。いきなりで眩しかったものですから」
「よかった。……また何か出てきたのかと思いましたよ」
今の状況で魔物に出てこられたら、もはや打つ手なしだ。
なので、俺はそれを聞いて心の底からホッとしたのであった。
後の壁から発せられる光は、次第に収束してゆく。
それから程なくして、先程と変わらない元の光景へと戻っていった。
俺はそこで、目を大きく見開いた。
なぜなら、漆黒のローブ姿の化け物達が、跡形もなく消えていたからだ。
周囲のどこを見回してもいないので、俺はそこで魔力供給と止め、デインを終わらせる事にした。
「あいつ等がいない。今の光で消えたのか……」
「本当ですわね……。どこにもいませんわ。それにあの黄金の扉も、消えてしまっていますわよ」
それを聞き、俺は奥の壁へと視線を向けた。
すると確かに黄金の扉は消えており、そこには鏡の壁があるだけなのであった。
それだけではない。先程まで消えていた黒い扉も、ちゃんと見えるようになっていたのである。
「どうやら、まやかしは解けたようですね」
「ええ、そのようですわ。それにしても、よくこの謎が解けましたね、コータローさん……私では無理でしたわ。流石、オルドラン様がお認めになった弟子なだけあります」
「何言ってるんですか。この謎が解けたのはアーシャさんのお蔭なんですよ」
アーシャさんはキョトンとした表情になる。
「え、私のお蔭?」
「あの時、アーシャさんが影と言ってくれたお蔭で、謎が解けたようなもんですからね。それまでは俺も、チンプンカンプンだったんですから」
「でもそれだけで、謎が解けたのですから十分凄いと思いますわ」
そしてアーシャさんは、優しく微笑んだのである。
俺はそこで、プラトンの洞窟の比喩を口にした。
「……人間は洞窟の中にいて、後ろを振り向く事が出来ない。入り口からは太陽が差し込んでおり、イデアを照らし、洞窟の壁に影を作り出す。 後ろに真の実体があることを知らない人間は、その影こそを実体だと思いこむ……」
アーシャさんは首を傾げる。
「なんですの、その言葉は?」
「これはイデア論と言いまして、俺の故郷にいた大昔の哲学者が残した言葉なんです。実はですね、さっきの試練がこれとそっくりだったんですよ。だから気づいたんです。なので、たまたま解けただけなんですよ」
アーシャさんは顎に手を当てて、ちょっと興味深そうな仕草をしていた。
「イデア論……そんなものがあったのですか」
「ええ。だから、アーシャ様がこれを知ってたのなら、多分、解けたと思いますよ」
俺はそこで言葉を切ると、後ろの壁に視線を向けた。
するとそこには、さっきまで反対側にあった黄金の扉が、仄かな光を放ちながら、厳かに佇んでいたのである。
というわけで、後はもう、この扉の向こうへ行くだけだ。
「ではアーシャさん、障害も無くなった事だし、先に進みましょう」
「その前に……ちょっとよろしいかしら?」
アーシャさんはそう言うと腕を組み、ジトーとした流し目を俺に送ってきたのである。
「コータローさん……貴方、先程、デインを使ってましたわよね。しかも両手で。一体、どういう事ですの?」
「あ、いや……そのまぁ……俺も何といってよいやら、ははは……色々と事情がありまして」
俺はアーシャさんの雰囲気に気圧されてシドロモドロになってしまった。
アーシャさんは更に凄んでくる。
「へぇ……じゃあ、その事情とやらを【是非ッ】聞かせてもらえませんかね?」
「は、はは……実はですね――」
俺はとりあえず、簡単に説明する事にした。
ヴァロムさんの立会いの元、イシュラナの洗礼を受けたら、デインを使えるようになった事や、ヴァロムさんから、この呪文の事を誰にも話さないように言われた事等を……。
アーシャさんはそれらを茶化さずに、静かに聞き入っていた。
この様子を見る限りだと、一応、理解はしてくれているみたいである。
「――というような事があったので、俺はデインが使える事を隠していたんです。ですので、アーシャさんも秘密にしておいて頂きたいんですよ」
するとアーシャさんは目を閉じて無言になった。
何か色々と考える事があったのだろう。
暫くするとアーシャさんは口を開いた。
「とりあえず、隠していた理由は分かりましたわ。それと、オルドラン様が隠せという判断を下したのも、十分に理解できます。なので、私も他言は致しませんわ」
「ありがとうございます」
俺はホッと胸を撫でおろした。
アーシャさんは続ける。
「ですが、不思議ですわね……この国の歴史上、イシュマリアの子孫以外で、この魔法を使える者はいない筈ですのに……」
どうやら、その部分だけは合点がいかなかったのだろう。
考えてみれば、ヴァロムさんも最初はこんな感じだった。
これらの反応を見る限り、やはり、この呪文は秘密にしておくのがいいようである。
まぁそれはさておき、今はそれよりも、この先に進むのが先決だ。
「アーシャさん、道も開けた事ですし、そろそろ先に進みませんか?」
「そうですわね。後で【じっくりと】貴方に話を訊かせてもらえばいいのですからね。それに貴方の魔法を見ていたら、魔炎公ヴァロムの修行がどんな物なのかも気になりましたし。ウフフ」
マエンコウヴァロムの意味がよく分からないが、アーシャさんはそう告げると共に、不気味な微笑みを浮かべたであった。
「はは……お手柔らかに」――
[Ⅱ]
黄金の扉を開き、その向こうへと足を踏み入れたところで、俺達は周囲を見回した。
するとそこは、旅の扉に運ばれた最初の部屋と同じような感じの所であった。
だが1つだけ違うところがあり、部屋の中心部には、マヤのピラミッドを思わせるような、大きな石の祭壇が鎮座していたのだ。
祭壇の中央にある石板のようなモノには、大広間でみた太陽のシンボルマークみたいなのが刻まれている。
その為、祭壇は太陽神との関係を深く匂わせる様相をしていた。
また、そんな祭壇の天辺には、仄かに白い光を放つ丸い鏡があり、訪れる者を静かに待ち受けているのであった。
「コータローさん……あの鏡が気になりますわね」
「そうですね。近くで見てみますか?」
「ええ」
俺達は祭壇の前へと行き、暫し鏡を眺めた。
その丸い鏡は、台に立てかけられるようにして置かれている。
真円を描く形状で、大きさは直径30cm程度であろうか。
外周部分には、金属のような銀色の何かで縁取られていた。
とりあえず、そんな感じの鏡であった。
この鏡を見てまず思ったのが、『これがラーの鏡なのだろうか?』という事であった。
ゲームでは頻繁に出てくる名前だが、実物というのを見た事が無いので、俺には分からないのだ。が、しかし、眺めているだけでは事態は進展しないので、俺は更に祭壇へと近づいて、鏡を覗き込んだのである。
だが、至近距離でこの鏡を見るなり、俺は首を傾げたのであった。
「あれ、この鏡……なんか変だ」
「何が変なんですの?」
「だって、俺達の姿が映っていないんですよ。他の壁や床は映ってるのに……」
それを聞き、アーシャさんも鏡を覗き込む。
「ほ、本当ですわね……映ってませんわ」
「でしょ。何なんですかね。この鏡……」
と、そこでアーシャさんがポンと手を打つ。
「分かりましたわ。この鏡は多分、まやかしを映して、真実を映さないという鏡なんだと思います。ですから、これを使って真実を探せって事だと思いますわよ」
「あ、なるほど、多分、それですよ」
アーシャさんの言う通りかもしれない。
「じゃあ、早速、始めますわ。私が鏡で周囲を映しますので、コータローさんはそれらを確認していってください」
「分かりました」
と、その時であった。
どこからともなく、藤岡弘ばりの低い声色が聞こえてきたのである。
【……その必要はない。見事だ。お主等が全ての試練を乗り越えた事を認めよう】
「だ、誰だ!」
「誰ですの!」
俺達は思わず叫んだ。
【我が名はラー。真実を見通す者。そしてまやかしを打ち払う者である。さぁ偽像を映す鏡で、祭壇の中央にある太陽の印を映すがよい。そこに鏡を納めるのだ】
俺はこの突然の展開に少し混乱していた。
(ラーって……本人じゃんか。何だよ、この展開は……こんなのドラクエになかったぞ)
などと思いつつ、俺はそこでアーシャさんに視線を向けた。
アーシャさんは頷く。
「コータローさんにお任せしますわ」
「じゃあ、俺がやりますね」
そして俺は、祭壇の上にある鏡を手に取り、太陽のシンボルマークを映したのである。
するとなんと、鏡に映る太陽のシンボルマークの部分は、丸い窪みとなっていたのだ。
(この窪みに鏡を納めろってことかな……まぁいい、やってみよう)
というわけで、俺はその窪みに鏡を納めた。
するとその直後、祭壇は閃光のような物凄い光を発したのである。
それはまるで太陽光を直視するくらいの眩しさであった。
俺達はあまりの眩しさに、思わず顔を背けた。
「もう……またですの」
アーシャさんのウンザリした声が聞こえてくる。
確かに、アーシャさんの言うとおりである。
この遺跡に来てから俺達は、眩しい体験ばかりしてるのだ。
そんなわけで、いい加減、俺達の目もチカチカしてるのである。
まぁそれはさておき、暫くすると光は徐々に収束してゆき、この場は元の明るさへと戻っていった。
俺達はそこで祭壇に目を向ける。そして、驚愕したのだ。
「な!? 祭壇が消えているッ!」
「あの祭壇は、どこにいったんですの!?」
そう、あの祭壇が綺麗に無くなっていたのだ。まるで消失マジックのように……。
俺とアーシャさんは慌てて周囲を見回した。
すると、えらく低い位置から、あの声が聞えてきたのである。
【どこにも行っとらん。お主等の目はどこについておる。我はここだ】
俺は祭壇があったであろう床に目を向ける。
だがそこには、先程と同じような丸い鏡が1つあるだけで、他には何もないのであった。
1つ違いがあると言えば、鏡の縁取り部分が銀色から金色へと変化した事くらいだろうか。
とりあえず、視界に入ってくるのはそれだけなのだ。
俺は溜め息を吐くと言った。
「あの、ラーさんでしたっけ。祭壇はどこにも行ってないとか、我はここだとか、今言いましたけど。鏡しかないですやん」
「そうですわ。何言ってるのかしら」
アーシャさんも俺に同調してくれた。
すると、謎の声は呆れたように、こう告げたのであった。
「あのな……お主等の目は節穴か? 試練を乗り越えたというのに、ここでそれに気づかんとは……わざとやってるんじゃないだろうな」
「まさか、鏡がそうだとか言わないでしょうね。喋る鏡なんてあるわけないやんか」
「本当ですわ。あまり馬鹿にしないでください」
すると謎の声は、ボソリと呟いたのである。
【喋る鏡で悪かったな……】
それを聞いた俺とアーシャさんは、眉間に皺を寄せながら顔を見合わせる。
そして驚くと共に、叫んだのであった。
【鏡が喋ってるぅぅぅ!!】――
[Ⅲ]
ラーの鏡が喋る事を知った俺達は、とりあえず、冷静になって話し合う事にした。
「ところでラーのオッサンさ。ここからそろそろ出たいんだけど、帰るのはどうすんだ? 俺達、ここに来るとき、旅の扉みたいなので運ばれたんだけどさ」
「いきなり、オッサン呼ばわりか……。まぁいい。こんなのでも一応、試練を通過した奴だ。許してやろう。我は心が広いからな。お主みたいに、貧相な上に、マヌケそうで、それでいて頭が悪そうで、馬鹿者で、礼儀知らずで、世間知らずで、糞野郎な青二才に、そうそう目くじらは立てん。ありがたく思え」
「……思いっきり心狭いやんけ。まぁいいや。で、どうやって帰るんだ?」
「出口は、お主達が来た最初の部屋の隣にある。我をその部屋の壁に向けろ。そうすれば、まやかしは解けて扉が見えるようになる」
どうやら、旅の扉で連れてこられた部屋の事を言ってるんだろう。
一旦そこまで戻らないといけないようだ。
と、そこで、アーシャさんがオッサンに訊ねた。
「1つお聞きしたいのですが、ラー様は太陽神なのでありますか?」
「太陽神? ああ、あの石版に書いてあったのを見たから、そう言っておるのだな。実を言うとな、あれはただの演出だ。ああやった方が、盛り上がるからな」
俺は思わず言った。
「盛り上がるって……お前なぁ。その演出とやらの所為で、俺達がどれだけ苦労したと思ってんだよ」
「試練だから仕方ないだろう。お主達がやった試練は、我が考えた事ではないわ。あれは、精霊王が考えた試練なのだ。我はそれに従っただけにすぎん」
精霊王……ファンタジーRPGでは、最高峰クラスの肩書である。
これより上と言えば、神様か大魔王くらいしか思い浮かばない。
まぁそれはさておき、アーシャさんは質問を続ける。
「それで話を戻しますが、ラー様は太陽神ではないのですね?」
「太陽神ではないが……まるっきり嘘というわけでもない。なぜなら、今より遥かな昔、我は人々に太陽神と崇められた事もあったのだ。まぁその時代の名残だと思ってくれればよい」
「な、名残なんですの……」
アーシャさんはそう呟くと、ポカンとした表情を浮かべたのだった。
なんとも珍妙な話である。
そして今の話を聞いた俺は、苦労して謎解きをしてきたのが馬鹿らしくなったのであった。
もう、やってらんねぇといった感じだ。撤収したい気分である
というわけで、俺はアーシャさんに言った。
「アーシャさん。そろそろ帰りませんか。ティレス様やヴァロムさんも待ってるだろうし。まぁ戦利品はこのオッサンの鏡だけだけど」
「オッサンの鏡って言うな! ラーの鏡と呼べ!」
そんなやり取りを微妙な表情で眺めながら、アーシャさんは溜め息を吐いた。
「はぁ……これ以上長居しても、しょうがありませんものね」
と、そこで、オッサンは言った。
「お主達、奥にある壁に向かって我を掲げよ」
「壁に何かあるのか?」
「この奥に精霊王からの贈り物がある。一応、試練を乗り越えた者に渡せと云われとるんでな。まぁお主みたいな奴にくれてやるのは、我もシャクだが……。あ、アーシャさんは別だぞ」
「はいはい、壁に鏡を向ければいいのね」
かなり捻くれたオッサンのようだ。
(この野郎……まだ根にもってやがる。どこが心広いんだよ。しかもアーシャさんだけ名前で呼んでるし……むかつくオッサンだが、まぁいい。とりあえずは、その贈り物とやらを拝ませてもらおうじゃないか)
などと考えながら、俺はオッサンを壁に向かって掲げた。
すると次の瞬間、鏡が眩く発光し、壁の真ん中が霧状になったのである。
そして霧が晴れたその先に、白い扉が現れたのであった。
俺達は白い扉を開いて、その向こうへと足を踏み入れる。
扉の向こうには、今いた部屋と同じような広さの部屋があった。
また、この部屋の真ん中には、大きな宝箱みたいな箱が幾つかあり、それらが一列に並べて置かれていたのである。
どうやらこの中身が、精霊王からの贈り物なのだろう。
中に何が入ってるのか分からないが、少し、興味が湧いてきたところである。
アーシャさんはオッサンに確認する。
「この中に贈り物とやらがあるのですか?」
「うむ。そうだ。多分……」
俺はすかさず突っ込んだ。
「なんだよ、多分て……。自分のいた部屋の隣の事くらい覚えとけよ」
「う、うるさい。我は意思はあっても自由はないのだ。その辺は大目に見ろ」
と、そこでアーシャさんが仲裁に入ってきた。
「まぁまぁ2人共、落ち着いて。まずはこの中を見るのが先ですわ」
「そうですね。じゃあ、これから行きますね」
「どうぞ」
俺は一番手前にある箱を開けた。
すると中には、美しい装飾が施された鳥の翼みたいなのが、何枚も入っていたのであった。
その翼には金の装飾パーツや水晶といったものが使われており、どことなく美術品を思わせる品物のように俺には見えた。が、同時に、ドラクエの説明書か何かで、これと同じような物を見た気がしたのである。
「あら綺麗……何ですの、それは」
俺は丁度そこで、説明書に書かれていたコイツの名前を思い出した。
「多分、これはキメラの翼だと思いますよ」
続いてオッサンも。
「そうだ。これはキメラの翼だ。間違いない。我が保証する」
するとアーシャさんは目を大きく見開き、信じられない物を見るかのように叫んだのであった。
「キ、キキ、キメラの翼ですってェェェ!?」
(何をそんなに驚いているのだろう? 珍しいのか?)
俺は訊いてみた。
「アーシャさん。キメラの翼がどうかしたんですか?」
するとアーシャさんは、力強く解説を始めたのである。
「だってコータローさん、キメラの翼ですわよッ。これは古代魔法文明の全盛期ではそれほど珍しくはなかったらしいですが、今ではもう、失われた魔道具の1つとされている物なんです。それがここにあるんですよ。これが驚かずにいられますか! というか、なんで貴方はそんなに冷静なんですの!」
俺は思った。
キメラの翼まで失われていたのかよと。
またそれと共に、こうも思ったのである。
一体、どれだけのドラクエアイテムや魔法が失われているんだよと……。
Lv11 魔炎公
[Ⅰ]
俺とアーシャさんは全ての箱を開けると、中を確認していった。
すると箱の中からは、見た事もないような武具や道具が沢山出てきたのである。
その為、俺達はその都度、ラーのオッサンに確認してもらいながら、箱から取り出した武具や道具類を床に並べていった。とはいっても、オッサン自体も知らない道具が幾つかあったが……。
まぁそれはともかく、一応、宝箱の中身は以下のような感じであった。
キメラの翼×10枚
世界樹の葉×1枚
世界樹の滴×1個
祈りの指輪×3個
よく分からん指輪×1個
氷の刃×1振り
炎の剣×1振り
名称不明の杖×1本
炎の盾×1個
水鏡の盾×1個
精霊の鎧×1着
賢者のローブ×1着
水の羽衣×1着
風の帽子×1個
よく分からん腕輪×1個
命の石×4個
古びた地図×1枚
よく分からない黄色い水晶球×1個
フォカールの魔法書×1冊
箱の中から出して広げて見ると、結構な数のアイテムが入ってたというのが、よく分かる光景であった。
しかも、武器防具に関しては大きい上に、その点数も多いので、余計にそういう風に見えるのである。
だがとはいうものの、ゲームだと終盤に手に入りそうなアイテムも多いので、凄くありがたい品々ばかりであった。が、しかし……こうやって中身を広げた事で、1つ問題が発生したのである。
それは勿論、俺とアーシャさんだけで、これだけのモノを一度に持っていくのは難しいという事であった。
嬉しい悲鳴ではあるが、今はちょっと頭の痛い事なのである。
「しかし、沢山あるなぁ。こんだけあると、持ってくのが大変だわ……」
「ですわね。どうしましょう……。これだけの古代魔法文明の遺物は、あまり人に見せたくはありませんし……」
アーシャさんも少し困った表情をした。
「お主等次第だが、簡単に解決できる方法があるぞ」
「は? 何言ってんだよ、オッサン。どう考えても、簡単に解決できそうな量には見えんぞ」
「フン……お主のような青二才の思考じゃ、そうなるな」
(クッ、この野郎……)
今は、こんな事で熱くなってる場合じゃない。
ここは適当に流しとこう。
「はいはい。じゃあ、どう簡単なのか教えてくれませんかね。自称、心の広い、ラーの鏡様」
「フン。口の減らぬ奴だな。まぁいい、教えてやろう。だが、1つ条件があってな。目覚めの洗礼によって、魔法を扱える様になった者でないと、この方法は駄目だ。お主等、魔法は使えるのか?」
俺達は頷く。
「ああ、使えるよ」
「それなら大丈夫ですわ。私達2人共、未熟ではありますが、魔法は扱えますので」
「なら話は簡単だ。今、箱から出した物の中に、フォカールの魔法書があった筈だ。それを使えばいい」
「フォカールの魔法書? ああ、あの巻物みたいなやつか」
俺はそこで床に広げた道具に視線を向ける。
するとアーシャさんが、その中から赤茶けた巻物を手に取り、俺へと差し出した。
「はい、コータローさん。多分、これの事ですわ」
「すんません」
俺はそれを受け取り、オッサンに確認した。
「フォカールの魔法書って、これの事だよな?」
「ああ、それだ。まずは封を解き、その魔法書を床に広げろ」
俺は言われた通りに、巻物を床に広げる。
すると、A3用紙ほどのサイズになった。
そこには魔法陣を思わせる奇妙な紋様が上に1つ描かれており、その下に、古代リュビスト文字の羅列が数行に渡って記載されていた。
「魔法書を広げたぞ。で、これからどうするんだ?」
「後は簡単だ。上に描いてある魔法陣に触れて魔力を籠め、そこに書かれている呪文を唱えればよい。今のお主に、フォカールを扱える力量があるのならば、それで魔法は得られよう」
一応、理解はできたが、大きな障害があるので、俺はそれを告げる事にした。
「あのさ……1つ大きな問題があってな。俺達、この文字読めないんだよね……」
「……」
俺達の間にシーンとした沈黙の時間が訪れる。
暫くすると、溜め息混じりのオッサンの声が聞こえてきた。
「フゥ……仕方ない。我が文字を読んでやるから、お主はそれに続いて唱えるがよい」
流石に悪いと思ったので、俺は高校球児ばりに頭を下げておいた。
「お願いシャッス……」
「ではゆくぞ」
というわけで俺は、オッサンに続いて呪文の詠唱を始めたのである。
【ナ・カイナ……キオノーモ・ナリン・ベニカ……】
かなり長い呪文であったが、俺はオッサンの後に続いて慎重に唱えてゆく。
そして、最後の呪文を唱え終えた、その時である。
「うぉッ!?」
なんと、床に広げた魔法書が赤く発光し、燃え尽きたかのように、一瞬にして灰になったのだ。
それだけではない。
俺の中に何かが入り込んできたかのような感じも、同時に現れたのであった。
「なんだよ、今の感覚は……。それに、魔法書が灰になったじゃないか」
アーシャさんも目を見開き、驚きの声を上げる。
「ど、どういう事ですの。何で魔法書が灰に……」
「上手くいったようだな。お主はもうフォカールを修得できた筈だ。心を穏やかにし、己の中を探してみるがよい」
「は? 今のでもう修得できたのか……。ちょっと待ってくれ、確認してみる」
俺はそこで目を閉じる。
そして、以前と同じように、呪文が刻まれているような感覚があるかどうかを探ってみた。
すると、メラとホイミとデインの他に、フォカールという名の呪文が、俺の中で刻み込まれているのが認識できたのである。
なかなか、凝った魔法習得法だ。
「へぇ……なるほどね。なんか知らんけど、ちゃんとフォカールを認識できるようになってたよ。で、どうするんだ?」
「では次だが、どちらの手でもいいから、まず、人差し指と中指だけを伸ばし、魔力の流れをその指先まで作れ。それからフォカールと唱えよ」
「おう、わかった」
俺は早速言われた通り、右手の人差し指と中指だけ伸ばして、魔力を向かわせ、呪文を唱えた。
【フォカール】
と、その直後、伸ばした2本の指先に、紫色の強い光が出現したのである。
「おお! なんかよく分からんけど、指先に光が現れたぞ」
「なら後は簡単だ。その指先を真下に向かって振り下ろせばいい」
「え、それだけ?」
「ああ、それだけだ。やればわかる。さぁ、やれ」
いまいち要領を得ないが、俺は言われた通りにその指を振り下ろした。
すると次の瞬間、なんと、空間に切れ目が現れたのである。
「うわ、なんだよこれ……。空間が裂けたじゃないか!」
「ど、どうなってるんですの!?」
アーシャさんも驚きを隠せないのか、大きく目を見開いていた。
「このフォカールはな、空間に物を保管する為の魔法だ。だから、その切れ目の中に物を仕舞えばよい。空間を閉じる時は、逆に下から上へもう一度振り上げるだけだ。どうだ、簡単だろう? しかも、どこででも物を出し入れできる便利な魔法だ。有効に使え」
「マ、マジかよ……」
想定外の魔法であったので、俺は素で驚いていた。
話を聞く限りだと、まるでジョジ○に出てきたスタンド・スティッキーフィンガーズみたいな魔法である。
まぁあそこまでの汎用性はなさそうだが……。
とはいえ、かなり使えそうな魔法のようである。
俺がフォカールに感心していると、アーシャさんが慌ててオッサンに訊ねた。
「ラー様ッ、魔法書が灰になりましたけど、この魔法は、今の魔法書がないと覚えられないのですかッ? わ、私には覚えることが出来ないのですか?」
「確か、魔法書は1つしかなかった筈……残念だが、そうなるな」
「そんなぁ……聞いてないですわよ……。こんな事なら、私がやればよかったですわ……ふぇぇん」
アーシャさんは悲しい表情で、ガクンと肩を落とした。
見た感じだと、相当落ち込んでいるみたいだ。
俺もまさか、魔法書が灰になるとは思わなかったので、こればかりは少し悪い気がした。
しかし、魔法書がもう既に無いので、今更どうしようもないのである。
「それはそうとお主達、この床にある武具や道具をそろそろ片づけたらどうだ?」
「そういえば、それが目的だったな。魔法の凄さを見た所為で、忘れてたよ」
「はぁ……そうですわね。片付けて、もう戻りましょう。疲れましたわ……」
アーシャさんは元気なくそう言うと、道具類を空間の切れ目へと仕舞っていった。
そして、俺もアーシャさんと共に、空間へとアイテムを収納していったのである。
(ごめんよ、アーシャさん……でも、悪いのは肝心な事を言わなかったラーのオッサンだからね……)
と、心の中で謝罪しながら……。
[Ⅱ]
精霊王からの贈り物を全て片付けた俺達は、来た道を戻り、最初の部屋へとやってきた。
そこでラーのオッサンが指示してくる。
「我を左側の壁に向けよ。その向こうに、帰りの旅の扉がある」
「了解」
俺は左側の壁に向かい、ラーの鏡を向けた。
するとその直後、鏡はカメラのフラッシュのような光を発し、先程と同じように、壁の一部が霧状になって、隠されていた茶色い扉が姿を現したのである。
俺達はその扉を開き、向こうの空間へと足を踏み入れる。
扉の向こうは、今いた部屋と同じような造りの所であった。が、しかし、一つ大きな違いがあった。それは何かというと、部屋の真ん中に、青白く光る煙が渦巻いていたからである。
(これが旅の扉か……ゲームだと何も考えずに飛び込んでいたが、リアルだと結構緊張するなぁ……)
まぁそれはさておき、あとはこれを潜るだけだが、その前に確認しなきゃいけないことがある。
「なぁ、ラーのオッサン……ところで、この旅の扉は、どこに続いているんだ?」
全然知らない場所に出る可能性があるので、これは潜る前に訊いておかねばならないのである。
オッサンは言う。
「これの行き先は、お主達が入ってきた石版のある部屋だ」
「ってことは、あの大広間って事か。よし、では行く――」
と、俺が言いかけたところで、オッサンが遮った。
「待て……その前に、お主達に1つ言っておくことがある」
「言っておく事?」
「なんでしょう、ラー様」
「実はな……ラーの鏡の事は秘密にしておいてもらいたいのだ。だから、この先にいるであろう、お主達の仲間に何か聞かれても、鏡の事は伏せておいてほしいのだよ。いいな?」
アーシャさんは首を傾げる。
「何故ですの?」
「今はまだ、ラーの鏡の存在を知られるわけにはいかぬのだよ」
「でもなぁ……俺達と一緒に来ている人達の中にヴァロムさんという人がいるんだけど、その人はラーの鏡の事を知っているぞ。だから、俺達はここに来たんだし……あの人は騙せないよ」
恐らくヴァロムさんは、俺の話とあの古い書物の記述とを照らし合わせて、ここが怪しいと睨んだ気がするのだ。
なので、ヴァロムさんが俺をこの地に導いたも同然なのである。
と、そこで、ラーの鏡に、ヴァロムさんやティレスさん達の姿が映し出された。
「……この中に、そのヴァロムという者はいるか?」
それはまるで、監視カメラの映像のようであった。
「おお……こんな事までできるのか?」
「この神殿内には、強力な精霊の力が張り巡らされているからな。それはともかく……どうなんだ? ヴァロムという者は、この年老いた男の事か?」
「ああ、そうだけど」
「ふむ……この男ならば認めてやろう。だがそれ以外の者には、私や精霊王の贈り物の事はともかく、ラーの鏡の事については絶対に話してはならぬ。いいな?」
なぜか知らないが、ヴァロムさんのことは認めてくれるようだ。
(ヴァロムさんはいいのか……えらくアッサリOKしたな……多分、何か理由があるんだろう)
まぁそれはともかく、俺達は互いに頷き、返事をした。
「分かった。約束する。誰にも言わないよ」
「私も誰にも言いませんわ」
「頼むぞ。これは精霊王の指示だからな」
「でもそうなると、オッサンをフォカールで隠さないといけないな。ラーの鏡は大きいから、こんなの持って行ったら、他の守護隊の方々も、流石に不思議に思うし」
「それは心配せんでいいぞ。我は鏡の大きさを変化させられるからな。事のついでだ。お主達が携帯しやすいように、首飾りの形状へと変化してやろう」
そう言うや否や、オッサンは、俺の掌の上で小さくなっていったのである。
「なッ!?」
この現象には、俺もアーシャさんも言葉を無くしてしまった。
しかもラーのオッサンは、直径5cm程度まで縮んだところで、首に掛ける金色の鎖も出したのだ。
(おいおい……6分の1くらいに縮んだぞ。おまけに鎖まで出すし……いったいこのオッサンは、どういう構造になってるんだよ)
ハッキリ言ってデタラメな鏡であった。
まぁとりあえず、ファンタジー世界なので、こういう事もあるのだろう。
変態を遂げたところで、鏡から声が聞こえてくる。
「よし、では急……ン? これは……」
「なんだ、どうかしたのか? オッサン」
「急ごうか、二人共……。なにやら不穏な気配が、この神殿に近づいておるようだ」
「なんだよ、その不穏な気配って……」
「恐らく……魔物達だろう。イデア神殿の封印が解かれたのを察知したのかもしれぬ。急ぎ、この神殿を後にした方が良いぞ」
これを聞く限りだと、なにやらヤバそうな感じだ。
俺はオッサンを首に掛けると、鏡を服の内側に入れた。撤収開始である。
「行こう、アーシャさん」
「ええ、急ぎましょう。お兄様にも、この事を伝えないといけませんわ」
そして俺達は、旅の扉へと足を踏み入れたのである。
[Ⅲ]
旅の扉を潜った先は、試練の始まりである石版の前であった。
俺はそこで、周囲を見回した。
すると、石板の付近にいるヴァロムさんとティレスさんの姿が、視界に入ってきたのである。
向こうも俺達に気付いたようだ。
ヴァロムさんとティレスさんは、俺達へと駆け寄ってきた。
「アーシャとコータロー君、大丈夫だったか!」
「2人共、無事であったか。一体何があったのじゃ?」
問いに答えたいのは山々だったが、今は不穏な気配の方が先だ。
その為、俺はまずそれを告げる事にした。
「ヴァロムさん、大変です。詳しくは後で話しますが、魔物達がこの神殿に向かっているそうです」
「なんじゃと どういう事じゃ?」
「オルドラン様、私達は太陽神なる者に、そう告げられたのであります。そして急ぎ、この神殿を後にせよと言っておりました。ですから、早く撤収したほうが良さそうですわ」
「太陽神なる者だと……。アーシャ、それは本当か?」
ティレスさんは眉根を寄せた。
「本当ですわ、お兄様。ですから、早く、帰りましょう」
「しかし、な……」
ティレスさんとヴァロムさんは、そこで困ったように顔を見合わせた。
2人の表情を見る限りだと、半信半疑といった感じであった。
時間が無いが、少し中でのことを話して、納得してもらうしかない。
というわけで、俺は簡単に、これまでの事を話す事にした。
「ヴァロムさん。実は俺達、太陽神の試練を乗り越えたんです。そこで色々と話を聞けたんですが、ついさっき、太陽神と名乗る者が俺達に忠告してきたんですよ。不穏な気配が迫っていると。なので、急いでここから立ち去った方がいいと思います」
「試練を乗り越えたじゃと、むぅ……」
ヴァロムさんは思案顔になった。
恐らく、判断に迷っているのだろう。
程なくして、ヴァロムさんは口を開いた。
「……わかった。ここは、コータローとアーシャ様を信じよう」
ヴァロムさんはそこで、ティレスさんに視線を向ける。
「ティレス様、引き上げじゃ。守護隊の者にもそう伝えてくれぬか」
「はい……オルドラン様がそう仰るのであれば……」
ティレスさんはまだ半信半疑といった感じであったが、とりあえず、俺達はこの場を後にしたのである。
来た道を戻り、神殿を出た俺達は、その先に続く石階段を降りてゆく。
そして、下まで降りたところで、俺達は待機させていた馬と馬車に乗り、撤収を始めたのであった。が、しかし……イデア遺跡群の半ば辺りまで来た所で、前方を進む守護隊の方々から、大きな声が聞こえてきたのである。
【ティレス様にオルドラン様! 前方、北東の空に、見た事もない魔物の群れが現れましたッ。かなりの移動速度です。このままでは戦闘は避けれません!】
俺はその声を聞き、馬車の窓から空を見上げる。
と、次の瞬間、俺は思わず息を飲んだのであった。
(イ!? ア、アイツ等は!?)
なんとそこにいたのは、ドラクエでも中盤の終わりに出てくるような、ちょっと面倒な類の魔物だったのだ。この遺跡にいる魔物よりも、遥かに強い敵だったのである。
俺は思わず、魔物の名前を口にした。
「あ、あれは……バピラスとホークマン、それとドラゴンライダーか?」
まだ遠くなのでハッキリと断言はできないが、とにかく、そんな感じの魔物の群れが見えたのだ。
ティレスさんは魔物を確認すると、大声で守護隊の者達に指示を出した。
【総員、速やかに戦闘態勢に入れ! 敵は上空より攻めてくる。近接武器の装備者達は陣形の守りを固め、魔法を扱える者は魔法での迎撃に切り替えるのだ。そして弓を持つ者は、すぐに矢での迎撃態勢に入れ!」
【ハッ!】
守護隊の意気揚々とした返事が聞こえてくる。
どうやら、このまま戦闘に突入しそうな感じだ。
だが俺は今、自分よりも遥かに強い魔物を見て、少し怯えていたのであった。
外が慌ただしくなってくる中、俺は近づいてくる魔物を凝視し続けていた。
すると次第に、群れの構成がはっきりとわかるようになってきた。
空にいる魔物は、ドラゴンライダーみたいなのが1体、バピラスのような翼竜タイプの魔物が6体、ホークマンみたいな鳥人間タイプが5体という計12体の魔物の集団であった。
それとどうやら、ドラゴンライダーのような魔物がリーダー的な存在のようだ。
群れのど真ん中で一際存在感を発しているので、まず間違いないだろう。
(こいつ等がゲーム通りの強さだとしたら、かなり厄介だぞ……守護隊の人達は、どうやってこの難敵と戦うつもりだ……対応を間違えると大きな被害がでるぞ……ン?)
と、その時である。
魔物達は、こちらの進行方向へ先回りするかのように、途中で進路を変えたのである。
恐らく、俺達の足を止める為に、わざわざ正面から襲うつもりなのだろう。
こんな風に襲うという事は、この後、第2、第3の魔物達が来るのかもしれない。
またそう考えると共に、非常に嫌な予感がしてきたのである。
(もしかして、これ以上に厄介な魔物が控えてるんじゃないだろうな……これが先発隊だとすると、かなり不味いぞ……)
と、そこで、ヴァロムさんが小声で話しかけてきた。
「コータローよ……今、何か名前のようなものを言っておったが、空にいるのもアレに出てきた魔物なのか?」
俺は後頭部をかきながら頷いた。
「はい、アレに出てきた気がするのです。俺も記憶が曖昧なんで、あまり自信は無いんですが……」
「ほう……で、どんな魔物なのだ?」
馬車にはティレスさんとアーシャさんしかいなかったが、聞くかれると色々不味いので、俺はヴァロムさんに耳を打ちした。
「一応、あの御伽噺ではですが……。あの青い翼竜みたいなのはバピラスといって、かなり力がある上に、素早い物理攻撃をしてくる強敵です。ですが魔法は使えなかった気がします。それと鳥人間みたいなのは、攻撃力もさる事ながら、マホトーンという魔法を封じる呪文が得意だった気がするんで、魔法使いにとってはある意味天敵ですね。ただ2体とも共通してる事があって、ラリホーという睡眠魔法が苦手だったような気がするんです。まぁ俺も記憶に曖昧な部分があるんで、そこまで自信は無いんですが……」
ヴァロムさんは顎に手を当てて興味深そうに聞いていた。
「ほうほう、なるほどのぅ……ラリホーに弱い可能性がありという事か。で、もう1体の竜に跨っておるのは何なんじゃ?」
「あれは多分、ドラゴンライダーという魔物で、御伽噺上では、かなり強い魔物だった気がしますね。魔法は使いませんが、竜が吐く炎と、それに跨る魔物の騎士による双方の攻撃が、かなり厄介な感じに記述されてました」
「竜の吐く炎か……それは厄介じゃな」
俺は頷くと続ける。
「ええ……しかもその上、魔法にも結構耐性を持ってるらしくて、弱い魔法では話にならないような事が書かれておりましたね。まぁ俺の記憶が確かならですが……」
「弱い魔法は話にならぬ……か。ふむふむ、なるほどのぅ」
そしてヴァロムさんは、目を閉じて無言になったのである。
多分、今の話を整理してるのだろう。
程なくして、ヴァロムさんはティレスさんに視線を向けた。
「少しよろしいかな、ティレス様」
「はい、何でございましょうか?」
「1つ訊きたいのじゃが、守護隊の者でラリホーを使える者はおるのか?」
ティレスさんは頭を振る。
「いえ、今いる守護隊の中にラリホーを使える者はおりませんね。今回連れてきた半数は魔法戦士型の隊員ではありますが、火炎や冷気系魔法が得意な者と、回復魔法が得意な者だけです。このイデア遺跡群に出没する魔物を考慮しましたところ、補助的な隊員は必要ないと判断しましたので」
「そうか……。という事は、使えるのは儂だけという事じゃな」
ヴァロムさんはそう言うと、目を細めて真剣な表情になったのである。
この表情を見る限り、ヴァロムさんは何かを始めるつもりなのだろう。
「ティレス様……一旦、守護隊の者達に止まるよう、指示を出してくれぬか」
「えっ? それはどういう……」
「敵は空じゃ。地の利は向こうにある。おまけに奴等は、我等の行く手を阻む為に先回りしようとしておるからの。そのような場合は、移動しながらでは応手は難しかろう。ここは敵の思惑通り、止まって迎え撃った方が良いと思うのだが、どうかの?」
「何か策があるのですか?」
「なに、策というほどのモノではない。とっとと終わらせて、帰ろうと思っているだけじゃわい」
するとティレスさんは、笑みを浮かべた。
「という事は、オルドラン様も手を貸してくれるという事ですね。わかりました。ここら辺で止まり、迎え撃つことにしましょう」
「うむ」
そしてティレスさんは、大きな声で告げたのである。
【全隊員に告ぐ! 馬を止めるのだ! 止まった状態で迎え撃つぞッ!】
【ハッ!】
その言葉を皮切りに、馬はスピードを落としていった。
馬が止まったところで、ヴァロムさんはティレスさんに言った。
「ではティレス様、儂が奴等の相手をしよう。もし討ち漏らしたのがいたら、守護隊の方で始末してもらいたい」
ティレスさんは首を傾げた。
「え? オルドラン様……1人で戦われるのですか?」
「ああ、そのつもりじゃ。まぁ儂もたまには働かんとの。カッカッカッ」
ヴァロムさんは豪快に笑った。
だがそれを聞いたティレスさんは、なんとも言えないような微妙な表情をしていたのだ。
まぁそうなるのもわからんでもない。
「……わかりました。では、オルドラン様をすぐに補佐できるよう、守護隊を背後に待機させておきます」
「うむ。そうしておいてくだされ」
そこでヴァロムさんは、俺とアーシャさんに視線を向けた。
「コータローとアーシャ様は、この中で休んでおってくれればいい。あとは儂が何とかしてやろう」
「でも……1人で大丈夫なんですか? あの魔物達、結構強いと思いますよ」
俺は思った事を正直に言った。
とてもではないが、幾ら熟練の魔法使いとはいえ、1人では厳しいように思えたからだ。
しかもこのドラクエ世界は、かなりの呪文が失われているという現実がある。
その為、奴等を一掃できるほどの強力な攻撃魔法があるのかどうかも、怪しいのである。
だがしかし……悲観的に思う俺とは対照的に、ヴァロムさんは非常に楽観的な表情をしていたのであった。おまけに、笑みすら浮かべているのである。
(1人で、あの魔物を相手にどう戦うつもりなのだろう……ここまで余裕の表情という事は、何か秘策でもあるのか?)
ふとそんな事を考えていると、ヴァロムさんは俺に微笑んだ。
「まぁこれも勉強じゃ、コータロー。お主は、まだまだ学ばねばならん事が沢山ある。とりあえず、安全なところで、儂の戦い方を見学しておれ」
「……本当に大丈夫なんですか?」
念の為、俺はもう一度確認をした。
ヴァロムさんは頷く。
「心配は無用じゃ。ではティレス様、行こうかの」
「はい、オルドラン様」――
馬車を降り、外に出たヴァロムさんは、魔物達へと向かって、1人歩を進める。
そして、50mほど進んだ所で、ヴァロムさんは立ち止まったのである。
どうやらそこで、魔物を迎え撃つつもりなのだろう。
俺は次に、魔物の位置を確認する。
魔物達はまだ離れた所にいるが、あと30秒程度で、ここに到達するくらいの距離であった。
というわけで、もう間もなくである。
その為、見ている俺も緊張してきた。
(ヴァロムさんはああ言ってたけど、本当に1人で大丈夫なのか……一体何をするつもりなんだろう……)
あの魔物達が相手じゃ、魔法使い1人では無謀な気がするのだ。
一応、ヴァロムさんの後ろには武器を構える守護隊の面々がおり、いつでもヴァロムさんのサポートに入れる状態にはなっているが、その不安を拭い去れるだけの決定打には、どうしても欠けるのである。
「ヴァロムさん、本当に大丈夫なんだろうか……」
と、そこで、アーシャさんが俺の隣にやって来た。
「大丈夫だと思いますわよ。だって、魔炎公ヴァロムがそう言うんですもの」
意味が分からんので、俺は訊ねた。
「さっきもそう言ってましたけど、どういう意味なんですか?」
「オルドラン様は、凄まじい紅蓮の炎を操る魔法使いにして貴族ですから、そこからついた二つ名みたいなものですわ。ですが、本人の前では言わない方が良いですわよ。オルドラン様は、その呼び方を嫌っているそうですから」
「だからなんですか。なるほど」
(要するに、魔炎公という事ね。で、ヴァロムさんは、この呼び方が嫌いと……覚えとこう)
アーシャさんは続ける。
「コータローさんは知らないようですから言いますけど、オルドラン様は、その辺の魔法使いとは次元が違いますのよ」
「次元が違う?」
「ええ。なぜならば、オルドラン様の家系は、大賢者アムクリストの教えを受けた5人の弟子の系譜なのです。つまり、オルドラン様は、大賢者の編み出した数々の術を継承している魔法使いなのですから、もう次元が違うのですよ」
「大賢者アムクリスト……って誰ですか?」
だがそれを聞くなり、アーシャさんはガクッとなった。
どうやら、俺はまたKYな発言をしたようである。
「あ、貴方……大賢者の事も知らないのですか……はぁ……もういいです。後でオルドラン様から直接聞いてください。それよりも、今は目の前の戦闘に集中しましょう。魔物はもうそこまで来てますから」
「すんません。そうします」
というわけで俺達は、ヴァロムさんへと視線を注いだのであった。
魔物達はドラゴンライダーを筆頭に、真っ直ぐとヴァロムさんへ向かっていた。
すると近づくにつれ、魔物達の声が、風に乗って聞こえてきたのである。
【ウケケケ、見ろよ。人間のジジイが1匹で、俺達を相手する気だぜ】
【あまりジジイは美味くねェが、まずはあのジジイから食ってやるか、ケケケ】
【じゃあ俺は、後ろの若い奴等にするぜ。骨までしゃぶりつくしてやる】
【ゲヘゲヘ、好きなのを食べればいいじゃねェか。どの道、こいつ等は皆殺しにしろと言われてるからな】
【そうだそうだ。後から来る奴等の分なんて残さなくていいから、全部食っちまえ。キャキャキャ】
聞いてると胸糞悪くなる会話であった。
そして俺は思ったのである。
こんな奴等に喰われて死ぬのは、真っ平御免だと。
魔物達はスピードを緩めず、こちらに向かって真っ直ぐやって来る。
程なくして魔物達は、ヴァロムさんの魔法の間合いへと入った。
そこでヴァロムさんが動いた。
ヴァロムさんは両手を大きく広げ、宙に円を描くような動作をする。と、その直後、ヴァロムさんの身体全体がオレンジ色に輝いたのである。
そして、ヴァロムさんは両手を斜め上に掲げ、魔物達に掌を向けたのであった。
すると次の瞬間、魔物達の大部分が、まるで飛ぶのを止めたかのように、パタパタと地上に落ちてきたのである。
それはまるでキンチョールやフマキラーを撒いて、蚊や蜂が落ちてくる動作とそっくりであった。
だが、そこから更に信じられないモノを、俺は目の当たりにすることになるのであった。
なんと、魔物が落ちた所に1つの爆発と1つの大きな火炎が突如襲いかかったからである。
それだけではない。今のと同時に、直径5mはあろうかという巨大な火球がヴァロムさんの前に出現し、ドラゴンライダー目掛けて襲い掛かったのだ。
そして瞬く間に、辺りは炎が埋め尽くす地獄絵図と変化していったのであった。
その地獄の中を身動きできる魔物は1体もいなかった。
あのドラゴンライダーでさえも、巨大な火球に飲み込まれ、成すすべなく火達磨になったのである。
俺は今の一連の出来事が理解不能であった。
なぜなら、今のヴァロムさんは、魔法を唱えたような感じが、全くなかったからだ。
しかも、火炎と爆発と火球が、全て同時に発生したのである。
俺には今の現象がどういう原理で起きたのかが、さっぱりであった。
それどころか、魔法なのかどうかすらも、判断がつかなかったのである。
(なんだよ今のは……なにが起きたんだ一体……)
と、そこで、アーシャさんの驚く声が聞こえてきた。
「あ、あれは……もしや、大賢者が伝えたという魔法詠唱術……。もしそうならば、恐ろしいほどの威力ですわ……」
「知ってるんですか、アーシャさん?」
「私も詳しくは知りませんが、大賢者アムクリストが編み出したという究極の魔法詠唱術があるそうなのです。恐らく、今のがそれだと思います」
よく分からんが、とてつもなく凄いというのは伝わってくる。
気になったので俺は訊ねた。
「今、究極の魔法詠唱術って言いましたけど……一体、何なんですか?」
「私も噂でしか聞いた事がないのですが……なんでも、無詠唱で幾つもの魔法を同時に行使する秘術と聞いた事がありますわ」
「マ、マジすか。同時に幾つもの魔法行使って、凄過ぎでしょ……」
凄いというか、もはや規格外のチート魔法使いである。
ゲームならば、バランスブロックな術だ。
「ええ、凄過ぎますわ。しかもオルドラン様は全盛期の頃、同時に6つの魔法を使えたと云われております。そのあまりの凄まじさから、魔炎公ヴァロムとまで呼ばれたそうなのですから」
「魔炎公ヴァロムの名は伊達じゃないですね。……今も十分に魔炎公ッスよ」
「ええ、確かに……。老いたりとはいえ、魔炎公は未だ健在というのを見せてもらいましたわ……」
そして俺達は、目の前の地獄絵図を暫し無言で眺め続けたのであった。
魔物を全て葬ったヴァロムさんは、暫くすると馬車へと戻ってきた。
ちなみにだが、ティレスさんや他の守護隊の方々は、魔物が息絶えたかどうかの確認をしている最中なので、戻ってきたのはヴァロムさん1人だけである。
まぁそれはさておき、アーシャさんと俺は、早速、労いの言葉を掛けた。
「御苦労様でございました、オルドラン様。それと、素晴らしい体験をさせて頂きましたわ」
「ヴァロムさん、お疲れ様でした。凄かったッスよ。あれは一体、何をしたんですか?」
するとヴァロムさんは、なんでもない事のように、軽くこう告げたのだ。
「ン、あれか? あれはラリホーとイオラとベギラマとメラゾーマを使ったんじゃよ」と。
「なんだ、そうだったんですかぁ。ラリホーとイオラとベギラマとメラゾーマをねぇ……って、そうじゃない。違いますよ! どうやって4つも同時に使ったんですか? って事です」
あまりに軽くいったもんだから、俺もついつい流されてしまった。
しかも、メラゾーマを使えたというのが、ある意味驚きである。
その辺の魔法は全て失われていると思ったからだ。
「いや、同時に使ったのは3つだけじゃぞ。最初のラリホーは、違うわい」
「え、3つだったんですか? まぁそれは良いですけど。でも、どうやったらそんな事できるんスか。あまりにぶっ飛んだ魔法の使い方なので、正直、わけが分からないですよ」
「カッカッカッ、まぁそこは追々な。今のお主に話してもまだ理解は出来ぬわい。でもまぁ、とりあえず、名前くらいは教えてやろう。あれはな、【魔生の法】というんじゃよ」
「マショウの法……」
意味がよく分からないが、効果はさっき目の当たりにしてるので、凄い技だというのはよく分かった。
ヴァロムさんは続ける。
「今から1000年以上前になるが、その昔、大賢者アムクリストという偉い人がおってな。その方は、失われた強力な古代魔法を違った形で再現させようと、この技を編み出したのじゃよ。とはいっても、誰にでも扱えるような簡単なモノではないがの」
それを聞き、アーシャさんはウンウンと頷いていた。
「やはり、そうだったのですね。オルドラン様の家系は大賢者に仕えた弟子の系譜なので、そうではないかと思ったのです」
「お、良い勘をしておるの、アーシャ様。まぁそういう事じゃわい」
どうやら、アーシャさんの言った通りみたいである。
しかし……凄い技だ。
同時に幾つもの魔法を使えるなんて、ゲームでも見なかった仕様である。
とはいうものの、ゲームでそんな技が出て来たら完全にバランスブレイクなので、出ないのが当たり前かもしれないが……。
まぁそれはともかく、教えてもらえるのならば、是非、習いたい技である。が、さっきヴァロムさんも言ってたように、誰にでも簡単に使えるモノではないようだ。
今の時点では、その辺は未知数といったところだろう。
なので、このマショウの法に関しては、ヴァロムさんの判断を待つ事にした方がよさそうである。
それから暫くすると、ティレス様と守護隊の方々もこちらへと戻ってきた。
ティレスさんは隊員達に、早く馬に乗るよう指示していた。恐らく、もう出発をするのだろう。
後続の魔物が来る可能性が高いので、その方が賢明である。
「もう出発みたいですね」
「じゃろうの。早く行かねば、また魔物が来るからのぅ。……あ、そういえば!?」
と、そこで、何かを思い出したのか、ヴァロムさんはポンと手を打ったのである。
ヴァロムさんはアーシャさんに視線を向けた。
「ところでアーシャ様、例のやつじゃが、あれは今持ってきておるのかの?」
アーシャさんは頭を振る。
「いえ、ここにはございませんわ。ですので、マルディラント城に着いてからお渡しします。それに……遺跡で手に入れた戦利品の山分けもしないといけないですからね」
するとヴァロムさんはニヤリと笑った。
「アーシャ様のその口振りじゃと、かなり良い物があったようじゃな」
「ええ、良い物がありましたわ。ですが、それは城に着いてからという事で……」
「それは楽しみじゃわい。カッカッカッ」
そしてヴァロムさんは、水戸の御老公のように、豪快に笑ったのであった。
Lv12 精霊王
[Ⅰ]
イデア遺跡群を後にした俺達は、日も傾き始めた頃、ようやくマルディラント城へと帰って来ることができた。
そして、城内に入った俺とヴァロムさんは、疲れていた事もあり、そのまま客間へと移動し、中で寛ぐ事にしたのである。
俺は客間に置かれたソファーに腰かけると、強張った肩の力を抜いて大きく息を吐いた。
そこで目を閉じ、イデア遺跡群からの長い道のりを思い返した。
今考えてみると、結構スリリングな帰り道だった気がする。
なぜならば、行きと違って、避けられない魔物との戦闘が何回かあったからだ。
だがとはいうものの、素早い飛行が出来るガルーダのような魔物との戦闘が少しあっただけで、魔物が大集団で攻めてくるということは無かった。
その為、それほど危機的な状況にはならなかったのが、不幸中の幸いだったのだ。
やはり、ヴァロムさんが第1陣の魔物達をすぐに始末したので、それが良かったのだろう。
あそこで手間取っていたら、俺達は魔物の大集団を相手にせねばならなかったのかも知れない。
そんなわけで、俺は今、奴等を纏めて葬ったヴァロムさんに、凄く感謝しているところなのである。
俺がそんな事を考えながら寛いでいると、ヴァロムさんが向かいのソファーに腰かけた。
「今日はご苦労さんじゃったな、コータロー。遺跡では色々とあったそうじゃし、さぞや疲れたであろう?」
「全くですよ。まさか、俺自身が試練を受ける羽目になるとは思いませんでしたからね。あれは想定外でした」
「じゃろうの。まぁそれはともかくじゃ……」
ヴァロムさんはそこで身を前に乗り出し、小声で話を続けた。
「コータローよ……それはそうと、一体、あそこで何があったのじゃ? お主は太陽神の試練を乗り越えたとか言っておったが……」
「ああ、それならば、本人に直接訊いてもらえばいいと思いますよ」
俺は胸元から、ラーの鏡を取り出した。
「なぁ、ラーのオッサン。あの時の事をヴァロムさんに説明してよ」
「なんで我が……自分で説明すればよかろう」
「な、なんじゃ、その鏡は? 喋れるのか?」
流石のヴァロムさんも、この鏡には驚いたようである。
「そうなんスよ。しかも、結構心の狭い鏡でね。まぁそれはともかく、オッサン、説明してよ。俺はもう、心身ともに疲れちゃって、上手く説明できないからさ。だから頼むわ。つーか、そもそも、何であんな試練せなアカンかったのかが、未だに分からんし」
俺は面倒くさかったのと疲れてたのとで、ラーのオッサンに丸投げした。
「クッ、礼儀知らずな馬鹿野郎め。仕方ない――」
とまぁそんなわけで、ヴァロムさんへの説明は、オッサンからしてもらう事にしたのである。
ラーのオッサンは簡単にではあるが、とりあえず、イデア神殿での事や自分の事をヴァロムさんに話し始めた。
自分が真実を映し、まやかしを打ち破る鏡であるという事や、ラーの鏡を手にするに相応しいかどうかを見極める精霊王の試練の事、その昔、自分が人々から太陽神と崇められていた事等を……。
また、これは俺も初耳であったが、5000年もの間、あの神殿の中にいたという事や、ラーのオッサン自体が光の精霊であるという事等を説明してくれた。
そしてヴァロムさんは、目を閉じて静かにしながら、それらの話に耳を傾けていたのである。
「――まぁ簡単に説明すると、こんなところである。理解してもらえたかな、ヴァロム殿」
ヴァロムさんは顎に手を当てて頷いた。
「そうであったか……。大体、わかったわい。ところで今、精霊王という言葉が出てきたが、精霊に王がおるのか? 儂も精霊というモノの存在は知っておるが、それは初めて聞く」
「ヴァロム殿の言う通りだ。精霊王は、精霊界の頂点に立つ存在である。まぁ我等の様な精霊と違って、人々の前に現れたりする事は殆どないので、お主達が知らぬのも無理はないがな」
どうやら、精霊界というものがあるみたいだ。
俺はそれを聞き、ドラクエⅤでその類の話があったのを思い出した。が、良く考えてみると、あれは妖精界というカテゴリだったか……。
まぁそれはともかく、そういった世界があるという事なのだろう。
「ふむ、精霊王か……どうやら、人の身では会う事すらままならぬ、神の如き高位の存在のようじゃな。そして儂等人間は、それすら知ることなく一生を終えるのじゃろう……」
「まぁ確かにそうだが……とはいえ、まったく人々と関わりが無いというわけではないぞ」
「は? どういう意味だ」
俺は首を傾げた。
「精霊王リュビストは、太古の昔、全ての知的種族に文字と魔法を教えた存在でもあるのだ。だから、お主等は知らぬだろうが、この地上界における文明の発展と繁栄に大きく関与しているのだよ」
その言葉を聞き、ヴァロムさんは目を大きくした。
「リュビストじゃと……。では、古代リュビスト文字とは、精霊王が作り伝えた文字だというのか?」
「古代リュビスト文字? 古代の部分はともかく、リュビスト文字はその名が示す通り、精霊王リュビストが作った文字の名だ。そしてイデア神殿に刻まれている文字が、そのリュビスト文字である。古代リュビスト文字とやらが、その事を言ってるのであれば、それは精霊王が作った文字で間違いないだろう」
「なんと……むぅ」
今の内容に驚いたのか、ヴァロムさんは低い唸り声を上げた。
どうやらヴァロムさんも、初めて聞く事なのかもしれない。
オッサンは続ける。
「それと言い忘れたが、この文字は我等精霊と意思疎通を図れる唯一の文字でもある。だから、精霊の力を借りたいならば、覚えておいた方が良いぞ」
ヴァロムさんは微笑んだ。
「それに関しては心配しなさんな。儂は一応、古代リュビスト文字を読み書きできるからの」
「ならいい。コータローやアーシャさんは読めぬようだったから言ったまでの事だ」
精霊と意思疎通を図れる文字……。
実を言うと俺は、新たに入ってきた情報に少し混乱していた。
だが、こればかりは仕方がないのである。
なぜなら、古代リュビスト文字はおろか、この世界で今現在使われている文字すら、俺は知らないからだ。
その為、今の話を聞き、俺は改めて思ったのであった。
精霊はともかく、せめて人と意思疎通を図れるように、俺もこの世界の文字を学ばなければいけないと……。
[Ⅱ]
俺達が客間で話を始めてから15分ほど経過した頃、入口の扉をノックする音が聞えてきた。
その為、俺は慌ててオッサンを胸元に仕舞い込み、ヴァロムさんにOKの合図を送ったのである。
ヴァロムさんはそこで訪問者に呼びかけた。
「何であろうか?」
「オルドラン様、アーシャにございます。中へ入らせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「構いませぬぞ。どうぞ入りなされ」
「では、失礼いたします」
そしてガチャリと扉が開き、アーシャさんがこの部屋の中へと入ってきたのである。
中に入ったアーシャさんは、俺の隣に腰かけると、A4くらいの白い紙をテーブルの上に置いた。
「オルドラン様、これがミュトラの書の記述であります」
「どれどれ。では早速、拝見させて頂こう」
ヴァロムさんは紙を手に取り、マジマジと見た。
暫し無言でそれを見た後、ヴァロムさんはアーシャさんに言った。
「アーシャ様、何か書き記す物は無いかの。この記述は結構長い。解読した言葉を控えておきたいのじゃ」
「そう仰ると思いまして、用意してきましたわ」
アーシャさんはそう言って、若干赤茶けた感じの紙とペンのような物をテーブルの上に置いた。
「流石アーシャ様じゃわい。気が利くの」
そしてヴァロムさんは、ミュトラの書の解読作業に取り掛かったのである。
ヴァロムさんがミュトラの書の解読作業を始めてから、既に20分が経過していた。
今も尚、ヴァロムさんは紙と睨めっこしている最中である。
俺とアーシャさんは解読作業の邪魔にならないよう、静かにしているところであった。
というわけで、今は俺にとって少々退屈な時間となっていたのである。
何か世間話でもしたいところではあったが、如何せん、そんな空気ではないので、今暫くは我慢するしかないのだ。
(まだまだ時間が掛かるんかな……イデア神殿の石板よりは文字数が少ないから、そこまでは掛からないと思うけど……ン?)
などと考えていたその時であった。
ヴァロムさんが手を止め、顔を上げたのである。
「……よし、できたぞい」
どうやら解読完了のようだ。
「お疲れさまでした、ヴァロムさん。で、なんて書いてあったんですか?」
「これを訳すと、こうなるの――」
―― ミュトラの書・第二編 ――
天と地を創造した全能なるエアルスは、続いて雨を降らすと大地を潤して草木を生やした。
エアルスは大地を豊かにすると、次に万象を生む力を用いて数多の生命を創り出した。
そして豊かな大地に生命を解き放ったのだ。
エアルスは創った世界の様子を暫く見る事にした。
しかし、日が経つにつれ、数多の生命は醜い争いを繰り広げるようになった。
世界は次第に、無秩序な混沌の世界へと傾き始めていった。
だがある時、エアルスすら予期せぬ変化が現れた。
憎悪に蝕まれた生命から、邪悪なる魔の獣が産み出されたのだ。
全能なるエアルスは、魔の獣をどこかに隔離せねばならないと考えた。
だが魔の獣を隔離するだけでは、混沌の中から、また更なる魔の獣を生み出すことになってしまう。
そこでエアルスは、まず世界を5つに分けて争いを減らす事にした。
しかし、そこで更なる問題が出てきた。
5つに分けた事により、エアルスだけでは世界を管理しきれなくなったのだ。
エアルスは、自分以外の世界を管理する存在が必要であると考え、高位なる存在を創る事にした。
エアルスは早速、自らの化身を創り出した。
全てを統制する至高の神・ミュトラ。
審判を司る天界の王・アレスヴェイン。
死と再生を司る冥界の王・ゾーラ。
繁栄を司る精霊界の王・リュビスト。
魔の世界の監視者・ティアスカータ。
地上界を見守る時空の門番・ファラミア。
それ以後、この6つの化身が世界の管理をする事になった――
「――とまぁこんな感じじゃな。読んだ感じだと、何かの神話のようじゃわい」
ヴァロムさんはそう言って、顎鬚を撫でた。
「本当ですね。なんか、そんな感じです」
確かにヴァロムさんの言うとおりである。
まるで旧約聖書の冒頭部分である創世記を聞いているみたいであった。
とはいうものの、内容は全然違うものだが……。
アーシャさんは首を傾げる。
「でも、ミュトラやリュビストはともかく、他の名前は初めて聞きますわね。一体何なのかしら……気になりますわ」
と、そこで、胸元に仕舞ったラーのオッサンが、突然、話に乱入してきたのである。
「我も今の話は初めて聞くな……。だが、その6つの名は知っているぞ」
「突然話すなよ。びっくりするじゃないか」
「あら、そういえばラー様がいたのを忘れてましたわ。ラー様も会話に参加したらどうですの? この面々なら構わないんでしょ」
「流石、アーシャさんは話がわかるな。おい、コータロー、我が話しても大丈夫な面子なのだ。我を表に出せ」
「仕方ないな……」
俺は胸元から鏡を取り出した。
「ところで、ラーさんといったか。貴方は今、6つの名を知っていると言ったが、それは本当か?」
「ああ、本当だ。だが名前を知っているだけで、精霊王リュビスト以外は会った事も話した事もない。つまり、殆ど知らんという事だ」
「……知らんのを偉そうに自慢するなよ、オッサン。それと、精霊なのに意外と知らない事が多いんだな」
オッサンはムキになって言い返してきた。
「う、うるさい。だから言っておろう。名前しか知らんと。それとな、我等は精霊界以外の事にそれほど関心が無いのだ。精霊ならば何でも知っているなどとは思わないでくれ。不愉快だ」
「なら、もう少し控えめに言えよ」
「うるさい、この薄ら馬鹿!」
するとアーシャさんが呆れたように言った。
「また始まりましたわ……。貴方達はもう少し仲良くできないのですか」
「このオッサンが悪いんスよ」
「いいや、この馬鹿野郎が悪い」
俺とオッサンは互いに譲らない。
アーシャさんは溜息を吐く。
そんな中、ヴァロムさんは俺達のやり取りをスルーして話を進めたのであった。
「ふむ。それでは訊くが、今言った6つの存在とは何なのじゃ?」
オッサンは気を取り直して話し始めた。
「我が知っているのは、最高神ミュトラとそれに仕えし五界の王の名が、今言った6つの名前という事だけだ。精霊王リュビスト以外の事はよくわからぬ。おまけに、その前に出てきたエアルスという名も我は初めて聞いたのだ。だから、今の内容についても、我は何もわからぬのだよ」
「ふむ……わからぬか。まぁよい。じゃが、最高神ミュトラとそれに仕えし五界の王か……中々に興味深い話じゃわい。そうじゃ、ついでじゃから、これも訊いておこう。ラーさんは先程、我が話しても大丈夫な面子と言ったが、あれはどういう意味じゃ?」
「ああ、それの事か。それはそのままの意味だ」
「そのままの意味……という事は、儂等は選ばれたという事なのかの?」
「まぁそれに近いな。実は少し前にだが、精霊王の思念体がイデア神殿に現れてな、そこで告げられたのだ」
「精霊王の思念体じゃと?」
ヴァロムさんは眉根を寄せた。
オッサンは続ける。
「うむ。その時、精霊王リュビストは、我にこんな事を告げたのだ。『種を撒いた。近い将来、イデア神殿の封印を破れる者を、精霊の腕輪をした老賢者が連れてくるかもしれない。その者を試すのだ』とな。それからこうも言っていた。『その者が試練を乗り越えしとき、その者達と共にミュトラが施した九つの封印を解き、ダーマの地へいざなうのだ』とな……」
「ダーマの地じゃと……」
ヴァロムさんはそこで、自分の右手に装着してある銀色の腕輪に目を向けた。
それから声を震わせ、ボソリと呟いたのだ。
「まさか……あの時の男は……これを見越して……」
ヴァロムさんは腕輪を見詰めたまま無言になっていた。
この様子を見る限りだと、恐らく、何か重大な出来事を思い出したに違いない。
ヴァロムさんの様子が変だったので、俺とアーシャさんは互いに顔を見合わせると首を傾げた。
と、そこで、アーシャさんは何かを思い出したのか、ポンと手を打ったのである。
「あッ、そう言えば、遺跡で手に入れた道具の事を忘れてましたわ」
「そういや、そうだった」
俺もこの空気の所為か、それをすっかり忘れていた。
というわけで、俺はヴァロムさんにそれを報告した。
「あの、ヴァロムさん。今、ちょっといいですか?」
「ン、何じゃ?」
「試練を乗り越えた褒美かどうかはわからないのですが、ラーのオッサン曰く、精霊王からの贈り物というのを貰ったんですよ。どうしますかね?」
「ふむ。精霊王の贈り物か……。で、どんな物を貰ったのじゃ?」
「ちょっと待ってくださいね。今出しますから。フォカール!」
俺は早速、フォカールの呪文を唱えた。
そして腕を振りおろし、空間に切れ目を入れたのである。
するとその瞬間、ヴァロムさんは驚きの表情を浮かべたのであった。
「な、何じゃ、その魔法は……」
「これ、フォカールといって、空間に物を保管する魔法らしいです。贈り物の中にこれの魔法書があったので、それを使ったら修得できたんですよ」
続いてアーシャさんが、頬を膨らませてムスッと言った。
「しかも、1つしかなかったので、コータローさんだけしか修得できなかったんですの。悔しいったらありませんわ」
俺はそんなアーシャさんに苦笑いを浮かべつつも、切れ目から道具を幾つか取り出す。
そして、それらを幾つか、テーブルの上に置いていった。
「これが手に入れた道具なんですが、こういったキメラの翼とか炎の剣とか、まだ他にもあるんですけど、とにかく、凄い品々ばかりなんですよ」
ヴァロムさんはガバッと前に身を乗り出すと、目を大きく見開いた。
「こ、これはまた豪勢な贈り物じゃな……。オヴェリウスの王城にある宝物庫でも、こんな物は滅多にお目にかかれんぞい……」
「本当ですわ。ですから、これは私達だけの秘密にしておいた方が良いと思いますの。だって、歴史的な遺産ばかりなんですもの」
2人は少し興奮気味であった。
また、ヴァロムさんのこの様子を見る限りだと、キメラの翼が物凄い貴重品というのは間違いないようである。
俺は再度訊ねた。
「で、どうしますかね? 3人で分けますか?」
するとそこで、またラーのオッサンが話に入ってきたのだ。
「お話し中のところ悪いが、精霊王がその品々を贈ったのには理由があるのだぞ」
「え、何ですの、理由って?」
「実はな、我がイデア神殿に封印される前、精霊王は確かこんな事を言っていたのだよ。『ミュトラが施した九つの封印を解く前に、邪悪で強大な敵が必ず立ち塞がるだろう。この武具や道具は、その助けになればと思い、そなたと共にここに封印しておく。そして試練を乗り越えし者が現れた時、その者にこれを渡してもらいたいのだ』というような事をな」
ヴァロムさんは腕を組み、顎鬚を撫でた。
「邪悪で強大な敵か……。確かに、その可能性はあるじゃろうの。そういう事ならば、使いどころを間違えんようにせねばならぬかものぅ……」
「うむ。我もヴァロム殿と同意見だ。これらの品々は、この先に待ち受ける戦いに備えておいた方がよいと思うぞ」
確かに、2人の言うとおりなのかもしれない。
よくよく考えてみると、精霊王の贈り物は、戦いに役立つ物ばかりであった。
その為、先に待ち受ける厄介事用にストックしておくのも、1つの手段なのである。
「オルドラン様、その中にある武具に関しては、私はそれほど関心は無いので別に要りません。ですが、祈りの指輪を1つとキメラの翼を幾つか頂きたいのです。よろしいでしょうか?」
ヴァロムさんは目を閉じると言った。
「これは、試練を乗り越えたコータローとアーシャ様が本来貰うべき物じゃ。儂には関係ない物じゃから、2人で決めたらどうじゃ?」
ヴァロムさんの言う事も一理ある。
というわけで、俺はアーシャさんに言ったのである。
「俺は別に構いませんよ。なんなら、キメラの翼は全部持って行ったらどうですか」
するとアーシャさんは意外に思ったのか、凄く驚いた表情をしていた。
「え、全部貰っていいんですの?」
「はい、構いませんよ。風の帽子もありますし」
だが今の言葉を聞くなり、アーシャさんは眉根を寄せて、怪訝な表情を浮かべたのであった。
「はい? ……今のはどういう意味ですの?」
(あ、しまった……俺はつい余計な事を言ったみたいだ。どうやって誤魔化そう……)
などと考えた、その時であった。
ラーのオッサンが、更に余計な事を言ったのである。
「ああ、それはな。風の帽子にはキメラの翼と同じ能力が秘められておるのだ。しかも、一度しか使えないキメラの翼と違って、何回でも使える。まぁ要するに、非常に便利な魔道具という事だな」
それを聞くなり、アーシャさんはキラキラと目を輝かせた。
「という事はですよ、ラー様……風の帽子を使用しても、キメラの翼と同様、色んな所へ一瞬で行くことが可能なんですのね? 何回も使えるんですのね?」
「まぁ確かにそうだが、使用者が一度行ったところでないと駄目だがな」
「ラー様、それは文献で見たので存じております。ですが、風の帽子という物にそんな力があったとは知りませんでしたわ。ウフフッ……そうですか、そうですか。それは良い事を聞きました」
と言うとアーシャさんは、満面の笑顔を浮かべたのである。
アーシャさんはそこで、俺に視線を向けた。
「コータローさん。祈りの指輪を1つと風の帽子は、私が頂いてもよろしいかしら? 他の道具は全て貴方に差し上げますわ」
「か、風の帽子をですか……」
正直言うと、俺もこの中では狙っていたアイテムであった。
なので、少し返答に困ってしまったのである。
寧ろ、武器関係をアーシャさんに全部上げようとまで思っていたくらいなのだ。
だがそれが顔に出ていたのか、アーシャさんは妙な迫力を発しながら俺に告げたのである。
「……【良い】ですわよね、コータローさん。だって貴方、フォカールの魔法も得られた上に、贈り物の大部分を得られるのですもの。【嫌】とは言わせませんわよ」
アーシャさんは笑みを浮かべながら、凄い睨みをきかせてきた。
そして俺はというと、アーシャさんの凄い迫力に、あっさりと屈してしまったのである。
「は、はひ……分かりました。風の帽子はアーシャさんに差し上げます」
「ウフフ、ありがとうございますね、コータローさん。では早速、頂きますわ」
アーシャさんはそう言うや否や、行動が早かった。
流れるような動作で立ち上がると、空間の切れ目に手を伸ばし、目的の品をサッと取り出したのだ。
それから両手で風の帽子を大事に抱えると、ソファーにゆっくりと腰を下ろしたのであった。
ちなみに、風の帽子はベレー帽のような形をしており、両脇は青い水晶球と白い羽飾りで装飾されていた。色は、澄んだ青空のような清々しい青である。
まぁそれはさておき、アーシャさんはホクホク顔であった。
ヴァロムさんはニコニコと微笑みながら、アーシャさんに言った。
「カッカッかッ、良かったの、アーシャ様。欲しい物が手に入ったようで、何よりじゃな」
だがしかし……。
意外にも、アーシャさんは頭を振ったのである。
「いいえ、まだ目的を達していません。必要な物が手に入りましたので、ここからが本題ですわ」
「ここからが本題?」
ヴァロムさんは首を傾げた。
するとそこで、アーシャさんは畏まったように居住いを正す。
そして恭しく丁寧に頭を下げ、ヴァロムさんに言ったのである。
「オルドラン様、お願いがございますの。私を弟子にして頂けませんでしょうか? どうかこの通りです。お願い致します」
「はぁ? で、弟子にじゃと……」
ヴァロムさんは狼狽えた。
まぁ予想外の展開だから仕方ないだろう。
一度咳払いすると、ヴァロムさんは言った。
「しかしのぅ、アーシャ様。ソレス殿下は、絶対に許さぬぞ。儂の弟子になるという事は、この城を出るという事じゃ。この意味を分かっておるのか?」
「ええ、確かに普通ならばそうですが、素晴らしい移動手段を手に入れましたので、この城からオルドラン様の住むベルナの地へ通おうと思っておりますの。それならば、私でも可能ですので」
ヴァロムさんは溜息を吐いた。
「じゃから、風の帽子に拘っておったのか。そこまでは予想できんかったわい」
アーシャさんは更に頭を下げる。
「オルドラン様、お願いします。試練の時、私はコータローさんの魔法を扱う力量を見て、オルドラン様の指導力に驚き、感服したのです。コータローさんは王位継承候補者たる証の魔法も修得しておりますので、勿論、魔法を扱う才能は高いのですが、それを抜きにしても素晴らしいと私は思いました。ですので、私も是非、その指導を受けたいと思った次第なのであります」
今の話を聞いたヴァロムさんは、そこで俺に視線を向けた。
「コータロー……お主、試練であの魔法を使ったのか?」
「……はい、使ってしまいました。抜き差しならない事態になったので、あの魔法しか選択肢がなかったのです」
俺は面目ないと頭をかいた。
ヴァロムさんも困った表情を浮かべる。
「ふむ……そうであったか。弱ったの」
「あの魔法については、私も口外するつもりはございませんので安心してください。それよりも弟子の件を、何卒、宜しくお願いいたします」
そしてアーシャさんは頭を下げ続けたのである。
沈黙の時が過ぎてゆく。
俺が見たところ、アーシャさんの様子は軽い感じではなく、真剣なモノであった。
なので、ヴァロムさんも少し判断に迷っているのだろう。
ヴァロムさんは、一体どういう判断を下すのだろうか……。
暫しの沈黙の後、ヴァロムさんは口を開いた。
「ところでアーシャ様。その風の帽子じゃが、一度、確認した方が良いと思うがの。古代の伝承ではキメラの翼の事を、色んな街へと移動できる魔法の翼と伝えておるが、今の世では誰もそれを確認した者はおらぬのじゃ。まずは、言い伝えが本当かどうかを調べてからにしたらどうじゃ。儂に弟子入りするかどうかは、それからでも遅くはあるまい」
アーシャさんはそれを聞き、ハッと顔を上げる。
「確かに……そうですわね。ラー様の事を疑うわけじゃありませんが、一度、確認をしてみた方が良いかもしれません」
するとオッサンは、そこでお約束の忠告をしたのだった。
「あ、1つ言っておくが、建物の中や屋根のある場所では使うなよ。痛い目に遭うぞ。確認するなら空の下でやれ」
確かに、これも重要なことである。
俺もゲームでは、何回も天井に頭をぶつけたのを思い出す。
また、それを思い出すと同時に、当時の懐かしさも蘇ってくるのである。
「あら、そうなんですの? じゃあ、人気のない城の屋上で試そうかしら」
「ところでアーシャさん、その帽子の使い方って分かるんですか?」
アーシャさんは、途端に焦った表情になった。
「……そ、そういえば……分かりませんわ」
「ですよね。オッサンは知ってるのか?」
「ああ、知っておるぞ」
アーシャさんは両手を胸の前で組み、オッサンに懇願した。
「ラー様、使い方を教えてくださいませんか。お願いします。このとおりです」
「うむ。いいとも」
というわけで俺達は、風の帽子の使用法を聞いた後、マルディラント城の屋上へと移動を始めたのである。
[Ⅲ]
マルディラント城の屋上にやってきた俺達は、人気のない一画へと移動する。
そして周囲に人がいないのを確認したところで、アーシャさんは俺に言ったのである。
「ではコータローさん。先程、ラー様から言われた通りの手順でやってみましょう。オルドラン様の住んでおられるところを想像して、私とオルドラン様をそこまで連れて行ってください」
「わ、分かりました」
俺は少し緊張気味に返事をした。
何でこんな事になったかと言うと、要するに俺は実験台になったのである。
使い方自体は、魔道士の杖を使うのとそれほど変わらないので難しくはないのだが、なにぶん初めての事なので、少し緊張もするのであった。
まぁそれはさておき、俺達は風の帽子の使い方を実践する事にした。
俺はまず風の帽子を被ると、隣に来るよう2人を手招きした。
これには勿論理由がある。
実は転移させられる効果の範囲が、使用者を中心に半径3m程度しか無い為である。オッサン曰く、それ以上の範囲は転移できないらしいのだ。
というわけで、2人が所定の位置についたところで、俺は最後の手順に移行したのであった。
俺は帽子に取り付けられた青い水晶に触れ、僅かに魔力を籠める。
それからヴァロムさんの住処を想像し、そこへ行きたい! と、強く願った。
するとその時である!
俺達の周りに旋風が巻き起こり、俺達の身体がフワリと浮き上がったのだ。
それはまるで無重力の状態であった。
そして、次の瞬間、信じられない事が起きたのである。
なんと俺達は光に包まれ、まるで光の矢になったかの如く、一気に上空へ飛び上がったのだ。
俺は何が起きたのか分からなかったが、そんな事を考えている時間もなかった。
なぜならば、もう既に俺達は、目的地であるヴァロムさんの住処へと到着していたからだ。
そう、あっという間の出来事だったのである。
俺達はベルナ峡谷にあるヴァロムさんの洞穴の前へと、フワッと舞い降りるかのように着地した。
そして周囲を見回しながら、俺はボソリと呟いたのであった。
「こ、ここは……間違いない。ヴァロムさん住処だ」
「こりゃ……たまげたわい。まさか本当に、このような物があったとは……」
ヴァロムさんも驚きを隠せないのか、目を見開きながら周囲の光景を見回していた。
また、風の帽子の持ち主であるアーシャさんも、キラキラと目を輝かせて、しきりに感動していたのであった。
「す、素晴らしいですわ。これが古代魔法文明の力……。私はついに手に入れましたわ! 素晴らしい古代の遺産を!」
この時のアーシャさんは、某奇妙な冒険の冒頭部にでてきたアステカ部族の族長みたいなノリであった。族長、族長、族長ってな、感じである。
それはさておき、俺達3人は素で、風の帽子の転移する力に驚いていた。
またこれを体験したことで、俺は風の帽子を手に入れられなかった事を少し悔やんだのである。
その後、マルディラント城に戻った俺達は、また客間へと移動した。
そして部屋に戻ったところで、アーシャさんは改めて頭を下げ、ヴァロムさんへの弟子入りを懇願したのである。
「お願いします、オルドラン様。私を弟子にしてください」
その行為は10分くらい続いた。
ヴァロムさんもそんなアーシャさんを見て、かなり悩んでいるみたいであった。
しかし根負けしたのか、暫くすると、ヴァロムさんは諦めたように言葉を発したのである。
「ふぅ……仕方がないのぅ」
アーシャさんはそこで、そっと顔を上げた。
「では、よろしいのですね?」
だがヴァロムさんは首を縦に振らなかった。
その代わりに、人差し指を前に立てたのである。
「1つ条件がございますな。アーシャ様自身がソレス殿下をちゃんと説得しなされ。それが出来たら、儂はアーシャ様を弟子として迎え入れよう。殿下に内緒で、というわけには流石にいかぬのでな。御理解いただきたい」
「お父様を……ですか」
アーシャさんは少し難しい表情になった。
だがすぐに元の表情へと戻ると、笑顔で言ったのである。
「わかりました。お父様を必ず納得させてみせますわ」
「うむ。まずはそこからじゃ」
Lv13 新たな潮流
[Ⅰ]
太陽が徐々に姿を現し始める早朝。
俺はベルナ峡谷のとある場所へとやって来ていた。
そこは周囲を高い岩の壁に囲まれた所で、やや窮屈な感じがする場所であった。が、その所為か、風が吹いたりするような事もなく、静かで落ち着いた雰囲気がする場所でもあった。
広さを何かに例えるならば、サッカー場のペナルティエリアくらいのスペースだろうか。
とりあえず、そんな感じの広さの所である。
で……俺はここで何をしているのかと言うと……。
実は今から、魔物と戦闘を始めようとしているところなのである。
俺の目の前には、カシャカシャと金属の触れ合う音を発している3つの物体がいる。
いや、訂正……3体の魔物がいる。
薄汚れた青い鎧の魔物……そう、ドラクエでは定番のモンスターである『彷徨う鎧』がいるのだ。
こいつ等は、この広大なベルナ峡谷を宛てもなく、ただただ彷徨い続けており、少し哀れな感じのする魔物であった。
ちなみにだが、こいつ等と出遭うのはこれが最初ではない。
もうかれこれ数十回は遭遇している。そして、その度に、俺は奴等と戦闘を繰り返しているのであった。
最初の頃は俺も委縮してしまったが、今ではもう慣れたものである。
だがとはいうものの、人間を見つけると問答無用で襲い掛かってくるので、油断ならない魔物には変わりがないのだ。
俺は注意を払いながら、3体の彷徨う鎧に目を凝らす。
薄汚れた青い鎧の隙間からは暗闇以外何も見えない。勿論、声を発する事もない。
聞えてくるのは、鎧が動く度に鳴るガシャガシャという無機質な金属音だけであった。
どういう原理で動作しているのか分からないが、ヴァロムさんの話によると、死にきれない彷徨う魂がこれらの鎧に宿り、そして動かしているというのが、ここでの一般的な見解だそうだ。
真偽のほどはともかく、その説が一番しっくりときたので、俺もとりあえず、そう考える事にしたのである。
と、まぁそんな事はさておき、今はこいつ等との戦闘だ。
幾ら慣れたとはいえ、油断は禁物なのは言うまでもない。
俺は奴等を注視しながら、ライトセーバーもとい、魔光の剣に魔力を籠め、青白い光の刃を出現させる。それから素早くピオリムとスカラを唱えた。その直後、緑色と青色に輝く薄い霧状になったモノが2つ、俺の身体に纏わりついてきた。これらの現象は、素早さと守備力の強化が施されたという証である。
これでとりあえず、戦闘の準備は整った。
俺は魔光の剣を中段に構えると、3体の彷徨う鎧の出方を窺った。
向こうも俺が戦闘態勢に入ったのを感じ取ったのか、少し様子を見ているようであった。
俺はそこで、一番近くて斬りやすい位置にいる、左側の彷徨う鎧に目を向けた。
(さて……まずは、こいつから行くか……)
左側の彷徨う鎧をロックオンした俺は、早速、行動を開始した。
選択したのは勿論、物理攻撃の『たたかう』だ。
俺は魔法で強化した身体能力を利用して、間合いを一気に詰め、彷徨う鎧に向かい、袈裟に斬り下ろした。
その刹那、青白い光の刃が、彷徨う鎧を肩口から切り裂く。
それから続けざまに、俺は右足の裏で、斬りつけた彷徨う鎧を思いっきり蹴とばしたのである。
彷徨う鎧は後方に勢いよく吹っ飛んでゆく。
と、そこで、残りの2体が、俺に襲いかかってきたのであった。
しかし、俺は慌てない。
なぜならば、これは想定の範囲内の事だからだ。
俺は次に、後ろにある岩壁へと向かって駆け出した。
その時、背後をチラリと見る。奴等は一心不乱に、俺を追いかけていた。
俺はそれを確認したところで、前方にある岩壁へと向かい突進する。
そして、その岩壁を蹴って三角飛びのように跳躍し、追いかけていた奴等の背後に着地したのである。
(よし、背後を取った……隙あり!)
俺はすぐさま、奴等の背中を縦に水平にと、魔光の剣で斬りつけた。
斬撃を受けた2体の彷徨う鎧は、ヨロけながら、俺に振り返る。
この動作を見た感じだと、かなりダメージを与えられたようだ。
俺は間髪入れずに右手を突き出すと、そこでトドメの呪文を唱えた。
【ベギラマ!】
次の瞬間、俺の右手から、火炎放射器の如き炎が勢いよく放たれる。
そして、2体の彷徨う鎧達は、燃え盛る紅蓮の炎に包まれたのであった。
ベギラマを放った俺は、炎に焼かれる彷徨う鎧をジッと見詰めていた。
時間が経過するに従い、もがいていた彷徨う鎧も次第に身動きをしなくなり、暫くすると、完全にその動きを停止した。鎧を操っていた何かが消滅したのだろう。
するとその直後、ベギラマの炎は役目を終えたかのように消え去り、そこには焦げた鎧だけが静かに横たわっていたのである。
ちなみにだが、この世界の魔物はゴールドには変わらない。
つまり、魔物を倒して、手軽にお金を稼ぐなんてことは無理なのである。
お金を稼ぐには、現実世界と同様、働いて稼ぐしかないのだ。
まぁそれはさておき、魔物が動かなくなったのを見届けたところで、俺は魔光の剣を仕舞った。
「……さて、帰るかな」
誰にともなく、そう呟きながら、俺は後ろに振り返る。
と、その時である。
【朝早くから精が出ますわね。コータローさん】
斜め前方に見える岩陰から、突如、女性の声が聞こえてきたのだ。
俺はそこへと視線を向けた。
するとその岩陰から、魔法の法衣に身を包むアーシャさんが、姿を現したのである。
今日のアーシャさんは髪をツインテールにしており、少し活発な雰囲気であった。
まぁ実際に活発な子なので、ある意味、アーシャさんによく似合う髪型である。
だがそんな事よりもだ……ここにアーシャさんがいる事の方が驚きであった。
「え、アーシャさん? お、おはようございます……というか、何でこんな所にいるんですか? まだ修行の時間には早いように思うのですが……」
そう……アーシャさんが修行に来るのは、俺達が朝食を食べて暫くした後なのだ。
こんなに朝早くに来るなんてことは、今までなかったのである。
勿論、これには理由がある。
実はアーシャさんがヴァロムさんに弟子入りを認めてもらう際、ソレス殿下との約束で、こちらへの滞在時間は朝食後から夕食前までという決まりがあったからだ。
だから俺は驚いているのである。
するとそんな俺を見たアーシャさんは、ニコリと微笑み、不敵に口を開いたのであった。
「昨日、オルドラン様から耳寄りな情報を得ましたので、今日は早めに来る事にしましたの」
「は? 耳寄りな情報?」
俺は意味が分からんので首を傾げた。
「ウフフ、聞きましたわよ。ここ最近、コータローさんが朝早くに出かけて何かをしているみたいだと。そういうわけで、今朝はコータローさんの後をこっそり尾行する事にしたのですよ」
「さ、さいですか」
俺は後頭部をポリポリとかいた。
(ヴァロムさんも余計な事を……)
などと俺が考える中、アーシャさんは続ける。
「それにしても、コータローさん……貴方、随分と腕を上げましたわね。初めてお会いしたジュノンの月の頃とは雲泥の差ですわ」
「まぁ、あの時からかなり月日も経ちましたからね。今はもうアムートの月ですから、俺も少しは成長しましたよ。それに物騒な場所ですから、ある程度腕を上げとかないと何があるかわからないですからね」
話は変わるが、この世界では1年を6つの月に区切っており、ぞれぞれがアレス・ジュノン・ゴーザ・ヘネス・アムート・ラトナと呼ばれている。因みに、月の並びもこの順番である。
また、1つの月が60日くらいはあるので、現代日本でいう2か月相当と考えても問題がないようだ。
というわけで、俺がこの世界に来てから、もう既に8か月は経過しているわけなのだが、未だに、日本へ帰る為の糸口すら見つからない状況であった。なんとも悲しい話である。
というか、正直、帰ることについては、少し諦めてもいる今日この頃であった。
なぜならば……帰宅方法が、未だにサッパリ分からんのである。もうお手上げ状態なのだ。
8カ月経過しても、トホホという状況は相変わらずなのである。
気が滅入るので話を戻そう。
アーシャさんは俺をマジマジと見ていた。
「どうかしました? 俺の顔に何かついてますか?」
「……今のコータローさんならば、私専属の護衛として働いてもらってもいい気がしますわね。それに、オルドラン様の愛弟子であるコータローさんならば、お父様もお認めになると思いますし」
「えぇ……アーシャさんの護衛ッスか。それはちょっと……」
正直、勘弁である。
アーシャさんのようなキツイ性格の人間に使われるのは、確実に心身が疲れるからだ。
だが今の言葉を聞いたアーシャさんは、ムスッとしながら口を開いたのであった。
「なんですの、その反応は……。私の元で働けるのですから光栄に思いなさい」
「へ? あの……もう確定なんですか?」
アーシャさんはコクリと頷くと、遠慮なく言った。
「ええ、確定ですわ。実を言いますと、護衛とかを抜きにして、前からそうしようと思っていたんですの。だって貴方……フォカールの魔法を使えますから、私の道具箱として最適なんですもの。ですから、私以外の人間には仕えさせませんわよ」
「ちょっ、マジすか!? はぁ……」
俺は少しゲンナリとしながら溜め息を吐いた。
そして、フォカールの魔法なんて覚えるんじゃなかったと、少し後悔もしたのであった。
だがとはいうものの、このフォカールは俺自身にとっても便利な魔法である。
それもあってか、溜め息を吐くと同時に、諦めにも似た気持ちも湧いてきたのだ。
アーシャさんはそれを見透かしたかのように微笑む。
「ウフフ、諦めて貰いますわよ。まぁそれはそうと、コータローさん、貴方……朝早くから魔物との戦闘を何回かしてましたけど、これから一体何をするつもりなんですの?」
「へ? 何って……もう帰るところですが……」
すると今の返答が意外だったのか、アーシャさんは首を傾げた。
「え? という事は……毎朝、魔物と戦闘をしてらしただけなんですの? なんでまた?」
「俺も新しい魔法を得たので、使いこなせるようになろうと思いましてね。だから、魔物と戦闘をして訓練をしていたんですよ。実戦に勝る訓練は無いですからね」
まぁとはいっても、俺の戦闘相手は彷徨う鎧が殆どであった。
何故、彷徨う鎧ばかりと戦闘するのかというと、無機質な鎧の魔物なので、倒してもあまり罪悪感が湧かないというのが大きな理由である。
とはいえ、勿論、他の魔物とも遭遇する事はあるので、その時は命を奪う覚悟を決めるが……。
「へぇ~、コータローさんて努力家なんですのね……」
アーシャさんは意外そうに俺を見ていた。
どうやらアーシャさんの中で、俺は怠け者になっているのかもしれない。
ちょっとショックである。こう見えても、俺は努力はする方なのだ。……少しは横着もするけど。
「でも、多少の心得が無いと生きてくのが辛いですからね、この世界は……。それに俺の故郷には、こんな言葉があるんですよ……備えあれば憂いなしってね。日頃から準備しておけば、いざという時には何事も心配はいらないって事です」
「確かに、コータローさんの言う事も一理ありますわね。それに、お父様やお兄様も言ってましたわ。ここ最近、マール地方にも凶暴な魔物が増えてきていると。ですから、コータローさんの考え方は正しいと思いますわよ」
魔物が増えているというのは、俺もつい最近、ヴァロムさんから聞いたので知っている。
というか、実を言うと、戦闘訓練をしている理由の1つには、これもあるのだ。
なんとなく、嫌な予感がするのである。
ここがドラクエの世界なら、今の兆候は、確実に何かの前触れのような気がするからだ。
鍛えておかないと不味い気がしたのである。
「らしいですね。まぁそういうのもあるんで鍛えているんですよ」
「あら、そうでしたの。ごめんなさいね、そうとは知らずに邪魔をして……」
「いいですよ。気にしないでください。それに、もう訓練は終わりましたから。さて、それじゃあ戻りましょうか」
「ですわね。謎も解けた事ですし」
アーシャさんはそう言ってニコリと微笑んだ。
俺も微笑み返す。
そして俺達は、ヴァロムさんの住む洞穴へと移動を始めたのであった。
話は変わるが、今、アーシャさんに言った戦闘訓練の理由は本当の事だ。が、しかし、それの他にも幾つか別の理由もあるのだった。
その理由だが、実は魔光の剣を手に入れてから、常日頃、考えていた事があったのだ。
それは、スターウ○ーズに出てきたジェダイやシスのように、人間離れした動きで戦闘が出来ないだろうかという事である。
またその他に、魔光の剣を使ってゆくうちに気付いた事があったのも、そう考えるに至った理由の1つであった。
で、気付いた事だが、それは何かというと、この魔光の剣は籠める魔力の強さによって威力が変わる武器だったという事である。
そう……実はこの魔光の剣、籠める魔力の強さによって、その切断力が変化するのだ。
その為、固い岩や金属といったモノも、籠める魔力量や強さによっては、切断が可能なのである。
とはいえ、そんな固い物を切断しようと思うと、魔力消費がとんでもない量になるので、使う事はあまりないかもしれないが……。
まぁそれはともかく、以上の理由から、俺は武具の実験も兼ね、戦闘訓練をしているというわけなのであった。
だがここで1つ問題がでてくる。
それは、どうやってフォースの力を借りた、あの動きを可能にするかという事である。
俺はフォースなんて使えないから、当然、他の魔法でそれらの代用をする事になるわけだが、当時の俺はメラとホイミとデインしか使えなかったので、中々それらを実現する事が出来なかった。が、しかし……3か月程前に行った2回目の洗礼と、20日程前に行った3回目の洗礼のお蔭で、俺の扱える魔法もかなり増えたのである。
また3回目の洗礼の後には、呪われた防具類ともようやくオサラバすることが出来たので、こんな訓練も可能になったというわけだ。
そんなわけで、今の俺が使える魔法だが……。
メラ・メラミ
ギラ・ベギラマ
デイン・ライデイン
ホイミ・ベホイミ
イオ・イオラ
キアリー
ピオリム
スカラ
ルカニ
マホトーン
ラリホー
フォカール
と、まぁ、こんな感じだ。
それなりの回復力をもつベホイミと、ピオリムやスカラといった補助系の呪文もさることながら、ライデインやベギラマにイオラといった中級魔法を覚えることが出来たのが大きいところではある。
しかも、これらの呪文を唱えれば、このベルナ峡谷にいる大抵の魔物は、一瞬で倒すことが出来るのだ。
贔屓目に見ても、今の俺はゲーム中盤に入りかけた頃の魔法使いといったところだろう。
なので、それなりの戦闘力は持っているのである。
考えてみれば、結構な数の魔法を修得したものだ。
だが、それもこれも、ヴァロムさんの指導方法が良かったから、ここまで覚えることが出来たのだろう。
この間、一緒に洗礼を受けたアーシャさんも、そんな事を言っていた。
というわけで、今の俺をゲーム風にいうなら、魔法系職業のレベル20代前半くらいといったところだろうか。
要するに、俺も結構成長したというわけである。
だが、ここで注意しなければいけない事が1つある。
それは、勿論、フォカールとライデインとデインの扱いついてだ。
これらの魔法を何も考えずに適当に使うと、災いを呼ぶ可能性が非常に高い。
その為、これらの魔法については、ある意味、危険物を取り扱うような慎重さが求められるのである。
強力な魔法なのですぐにでも使いたいところではあるが、そこは我慢しなければならないのだ。
ちなみにだが、ライデインの事はヴァロムさんにしか話していない。
これを得られた3回目の洗礼の時にはアーシャさんもいたが、デイン繋がりという事で、ヴァロムさんだけに後で知らせたのである。
しかし、ヴァロムさんはライデインという呪文は初耳だったようで、少し首を傾げていた。
だがその時、一緒にいたラーのオッサンがライデインの事を知っていたので、ヴァロムさんに説明をしてくれたのである。
一応、その時のやり取りはこんな感じだ――
「――ライデインはデインを更に強化した雷の呪文だが、これらの呪文は誰でも修得できる魔法ではなかった筈だ」
「ふむ……ラーさんや、お主、何か知っておるのか?」
「知っているというほどの事ではないが、これらの雷の呪文は、太古の昔……最高神ミュトラと地上に住まう知的種族達との間で交わされた『盟約の証』と呼ばれていた気がするのだよ」
「盟約の証じゃと? ラーさん、何じゃそれは?」
勿論、これを聞いた時のヴァロムさんは、凄く怪訝な表情をしていた。
また俺自身もそれを聞いて、思わず首を傾げたのであった。
なぜなら、俺が知っているドラクエの雷呪文は、勇者の専用呪文という認識だったからである。
だがラーのオッサンの話を聞く限りだと、どうやらその手の話とは少しニュアンスが違う感じなのだ。
盟約の証と言ったが、一体どういう意味なのだろうか?
それが気になったので、俺は早速訊いてみる事にした。
「でも、盟約ってことはさ、何か重要な事を約束したという事だよな。その辺の事って知ってるのか?」
「さぁな……それについては我も分からぬ。ミュトラと地上界との間で交わされた盟約らしいのでな。だが1つ言えるのは、この雷の呪文を使える者はそんなにいないという事だ。恐らく、ごく限られた者達にしか扱えないのだろう」
ヴァロムさんもそこで深く頷く。
「確かに、それはラーさんの言う通りじゃな。儂の知る限りでも、この雷の呪文を使える者は片手で足りるからのぅ。まぁそれはともかくじゃ……」
そこで言葉を切ると、ヴァロムさんは俺に視線を向けた。
「コータローよ……修得したばかりですまないが、デインとライデイン、そしてフォカールは、人前で使う事はおろか、誰にも話してはならぬぞ。今は余計な波風を立てたくないのでな。肝に銘じるのじゃ。よいな?」
「はい、わかっております。俺も面倒事は御免なので」――
[Ⅱ]
アーシャさんに朝の戦闘訓練が見つかってから数日経った、とある日の夕食後の事である。
俺はその時間帯、洞穴の中央に置かれたテーブルにて、イシュマリアで現在使われている文字の読み書きを勉強している最中であった。
実は半年くらい前から、俺は夕食の後に、語学の勉強をするのが日課となっているのだ。
そんなわけで、俺の1日の流れは基本的に、日中は魔法や座学を学び、夜は語学というカリキュラムとなっているのである。
で、その成果のほどだが……流石に、勉強を始めてから半年以上は経つので、日常的に使われる文字についてはだいぶ理解できるようになってきた。が、しかし、まだまだ知らない単語や文字はあるので、引き続き、俺は勉強を続けているのである。
この文字の問題というやつは、避けて通れない事の1つなので、俺も腰を据えて勉強をする事にしているのだ。
まぁそんなわけで、以上の事から、その時間帯は語学の勉強をしていたわけだが、その時、いつにない真剣な表情をしたヴァロムさんが、俺の前にやって来たのである。
これは、その時の話だ。
ヴァロムさんは俺の対面にある椅子に腰かけ、暫しの沈黙の後、話を切り出した。
「コータローよ……勉学に励んでいるところすまぬが、大事な話があるので聞いてほしいのじゃ」
いつもと様子が違うのが気になったが、とりあえず、俺はそこで文字を書く手を止めた。
「重要な話? ……何ですか、一体?」
「突然で悪いのじゃが、儂は明日の早朝、王都オヴェリウスへと向かわねばならなくなった」
「王都に、ですか? それは確かに突然ですね」
ヴァロムさんは頷くと続ける。
「昨日……ここに舞い降りた赤いドラキーの事を覚えておるな、コータロー……」
俺はそれを聞き、昨日の昼頃、この洞穴にやってきた赤いドラキーを思い出した。
多分だが、色からするとメイジドラキーとかいうやつだろう。
最初は敵かと思ったので俺は思わず身構えてしまったのだが、ヴァロムさん曰く、敵ではないそうだ。
しかも、そのドラキーは言葉も喋れるので、普通に会話も出来るのである。
まぁそれはさておき、俺はヴァロムさんに頷いた。
「ええ、覚えてますよ。それが何か?」
「あれは儂の家で、代々付き合いをしている魔物でな。遠方への連絡手段として用いておるのじゃよ」
話を聞く限りだと、どうやら、あのメイジドラキーは伝書鳩みたいなモノのようだ。
「遠方への連絡手段ですか。……という事は、ご家族から連絡があったのですね」
「うむ。息子からの」
「へぇ、息子さんからなのですか……。で、どんな連絡があったんですか?」
ヴァロムさんはそこで思案顔になると、少し間を空けてから話し始めた。
「……まぁ簡単に言えば、『王都へ急ぎ帰還せよ』というものじゃ」
ヴァロムさんは端的に言っているが、この雰囲気を察するに、俺には話せないような事もあったに違いない。
気にはなるが、あまり余計な詮索はしないでおこう。
今はそれよりも、肝心な部分を訊いておかねばなるまい。
「そうだったのですか。それじゃあ、俺も一緒に王都へ行くのですね?」
だが俺の予想に反して、ヴァロムさんは頭を振ったのである。
「いや、行くのは儂だけじゃ」
「え? という事は、俺は暫く、ここでお留守番て事ですか?」
「まぁ表向きはそうなるのじゃが……実はの……お主に頼みがあるのじゃよ」
「頼み?」
(珍しいな……俺に頼みごとなんて……。何なんだろう、一体?)
と、そこで、ヴァロムさんはラーの鏡をテーブルの上に置いた。
「儂が10日経っても帰って来なかったならば、ラーさんの指示に従って、お主に動いてもらいたいのじゃ」
「あのぉ……一体、どういう事なのですか。……王都で何かあるんですかね?」
「コータローよ……儂らは今、大きな流れの中におるのかもしれぬ。世の中を大きく変えるほどの大きな流れの中にの……」
「大きな流れですか……」
言ってる事が抽象的すぎてよく分からないが、ヴァロムさんは何かを始めるつもりなのかもしれない。
「そうじゃ、大きな流れじゃ。じゃが、今はそれ以上の事は言えぬ。とりあえず、必要な事はラーさんにすべて伝えてある。じゃから、儂が10日経っても帰らぬ場合は、ラーさんの指示に従ってほしいのじゃ。よいな?」
何か奇妙な引っ掛かりがある言い回しだが、これ以上は聞き出せそうにないようだ。
まぁいい。無理に聞き出す必要もない。
「わかりました……そうしますよ。ところで、俺とアーシャさんの修行はどうするんですか?」
ヴァロムさんはそこで壁際の机を指差した。
「一応、アーシャ様に関しては、修行内容を書いた物を儂の机の上に置いておく。じゃから、明日の朝、アーシャ様が来たら、それに従ってやってほしいと伝えておいてくれ」
「アーシャさんのは分かりましたけど……俺は?」
「お主は魔力を扱う基礎訓練と、この間教えた『魔生門』を開く為の修行を続けるのじゃ」
魔生門……。
ヴァロムさん曰く、この世に生を受けた全ての生物に存在する門らしい。
しかもこの魔生門は、魔力を生み出す霊体と肉体との間にあるそうで、通常は魔法を使える者も使えない者も、この魔生門というのが閉じている状態で生活をしているそうなのだ。
要するに、普通に生きていれば、開くことなど決してない門というわけなのである。
だが、魔生の法と呼ばれるチート技能を得るには、これを開かない事には話にならないようで、俺はその門を開く為の修行をこの間から始めているのであった。
「という事は、俺はいつも通りの修行という事ですね」
「うむ。お主はそれを続けるのじゃ。魔生門を開くには根気がいる。じゃから、儂がいようがいまいが、毎日続けるのじゃぞ。よいな」
「はい、わかりました――」
そして翌日の夜明け前に、ヴァロムさんは王都へと向かい馬車を走らせたのであった。
[Ⅲ]
ヴァロムさんが王都に向かってから9日目の事である。
その日の朝、それは起きたのだ。日課になっている実戦訓練から帰ってきたところで……。
俺が洞穴の中に入ろうとした時、丁度そのタイミングで、アーシャさんが空から一筋の白い光と共に現れたのである。
いつ見ても思う事だが、この風の帽子は有り得ない移動手段である。
またそう考える度に、この風の帽子がうらやましく思うのであった。ああ、無念だ……。
まぁそれはさておき、アーシャさんは俺に目を止めると、慌てて駆け寄ってきた。が、少し様子が変であった。
なぜか知らないが、青褪めた表情をしていたのである。
「コ、コータローさん!」
俺はとりあえず、普通に挨拶をしておいた。
「おはようございます、アーシャさん。どうかしたんですか? 修行の時間には、少し早い気がしますけど……」
するとアーシャさんは、今にも泣きそうな表情で話し始めたのである。
「コータローさん……オルドラン様が……オルドラン様が……王都オヴェリウスで王を欺いたとして、城の地下牢に投獄されたそうなのですッ!」
「は? とうごく?」
一瞬何を言ってるのか分からなかったが、今の内容を脳内で反復する事により、その意味はすぐに理解した。
「ちょっ、ちょっと……投獄ってどういう事ですか? 何でヴァロムさんが……」
「私にも何が何だか分かりませんわ! 先程、お父様からそう聞いたのですッ。何が起きてるのか、さっぱりなんですのッ!」
アーシャさんは捲し立てるようにそう言うと、大きくため息を吐いて顔を俯かせた。
どうやら、アーシャさん自身も少し混乱してるようである。
まぁこれは仕方ないのかもしれない。
師として尊敬していた人物が、投獄されたなんて聞いたのだから、取り乱しもするだろう。
まぁそれはさておき、まずは冷静になった方がよさそうだ。
「とりあえず、落ち着こう、アーシャさん。それと、俺ももう少し詳細を知りたいから、順を追って話してくれますか?」
アーシャさんはそこで顔を上げる。
「……コータローさんて、こんな話を聞いても意外と冷静ですわね……もう少し驚くかと思ったのに」
「いや、十分驚いてますよ。でも、物事は整理して考えないとね。大事な事を見過ごしてしまうかもしれませんし」
偉そうな事を言ってるが、ただ単に用心深くなっているだけである。
これは現代日本での話だが、俺も色々と痛い目にも遭ってるのだ。
人間関係や金……そして家族の問題等色々とあった。
しかも酷い嘘で騙されたりした事もあったので、俺自身、物事を疑ってみる癖がついたのである。
おまけにそれらの所為で、大学を止めなければならない事態にもなったし……やめよう、昔を考えると気が滅入る。
今はそんな事よりも、ヴァロムさんの事だ。
「まぁそれはそうと、外で話すのもなんですから、中に入りませんか? ゆっくりと落ち着いた所で聞きたいですし」
「そうですわね。こんな所で話す内容じゃありませんわね」――
洞穴へと移動した俺達は、中央のテーブルで話をすることにした。
で、投獄されたヴァロムさんだが……話を聞く限りだと、どうやら、イシュマリア王家を侮辱したという事がその理由だそうである。
侮辱したという内容が気になるところだが、これ以上の事はアーシャさんにも分からないそうだ。
また、それに関係しているのかはわからないが、ソレス殿下も王家からお呼びがかかったそうである。
(ソレス殿下も呼ばれたのか……王都で何が起きているんだろう、一体……。この間のヴァロムさんの口振りを察するに、こうなる事を予想していた気がするんだよな。ヴァロムさんは何を始めるつもりなんだ……)
疑問は尽きないが、今の話で気になった事があるので、まずはそれを訊ねることにした。
「ところでアーシャさん。さっきソレス殿下が王家からお呼びがかかったといってたけど、それはヴァロムさんの事に関係してるのかい?」
アーシャさんは顔を俯かせると、元気なく言った。
「お父様の話では、八つの地方にいる八名の大神官と、八支族である太守全員に召集があったようなのです。そこから考えられるのは、恐らく……イシュマリアの血族とイシュラナに仕えし高位の神官が執り行う異端審問ですわ」
異端審問……中世ヨーロッパの歴史の記述で、よく見かける単語の1つである。
当時行われていた魔女狩りなんかも、これに含まれた気がする。
これらを踏まえたうえで、アーシャさんの今の様子を照らし合わせると、恐らく、意味合いはそれらとあまり変わりがないに違いない。
要するに、一方的な判決を下す宗教裁判ということだ。
「王家の侮辱と言ってたけど……もし異端審問ていうことならば、そんな簡単なものではなく、少し複雑な事情がありそうだね」
「ええ、恐らくは……」
さて、どうするべきか……。
ヴァロムさんは10日経っても帰って来なかったら、ラーのオッサンの指示に従えとは言っていた。
一応、明日が10日後だが、今の話が本当ならば、帰って来ないのは明白である。
(仕方ない……ラーのオッサンに訊いてみるか)
俺はラーの鏡を首から外し、テーブルの上に置いた。
「おい、ラーのオッサン……今の話を聞いていただろ。オッサンは何か知ってるのか?」
「我はヴァロム殿が何をしたのかは知らぬぞ」
「本当かよ? イデア神殿から帰ってきてから、ヴァロムさんとオッサンはいつも一緒だったじゃないか」
そう、オッサンとヴァロムさんは、いつも一緒にいたのだ。
なので、ヴァロムさんとよく話をしている筈なのだが、オッサンは尚も、否定を繰り返したのであった。
「そんな事言われても、知らぬものは知らぬわ」
どうやらこの口ぶりだと、本当に何も知らないようである。
仕方ない、とりあえず、話を進めよう。
「ところでアーシャさん、ソレス殿下はもう出かけたのですか?」
「いいえ、今日の昼に王都へ向かうと言ってましたわ」
「そうですか……で、アーシャさんはこれからどうするの?」
「……私も真相が知りたいので、お父様に付いて行こうかと思ってますわ。ところで、コータローさんはどうするつもりですの?」
「俺? 俺はヴァロムさんから頼まれている事があるので、それをしようかと思ってるよ」
するとアーシャさんは、怪訝な表情で訊いてきたのだ。
「頼まれている……。何ですの、それは?」
俺はそこで昨晩のやり取りを思い返した。
あの時ヴァロムさんは、『アーシャさんに言うな』とは言っていなかったのだ。
まぁ『言え』とも言ってなかったが……。
そんなわけで、俺は言っていいものかどうか、少し悩んだ。が、しかし……俺が判断するより先にラーのオッサンが話し始めたのである。
「アーシャさん、コイツはヴァロム殿から、ある役目を与えられておるのだよ」
「役目? 何ですの、それは?」
「ふむ……まぁまだ10日経ったわけではないが、もう言っても良いだろう。実はヴァロム殿から、『自分が10日経っても帰って来ない場合は、マール地方にあるガルテナという村を経由して、コータローを王都オヴェリウスへと向かわせてほしい』という指示を我は受けたのだよ」
それを聞き、アーシャさんは驚きの表情を浮かべた。
「ガルテナですって……何でまたあのような所に」
「知ってるのかい?」
アーシャさんは頷く。
「行った事はありませんが、知ってはいますわ。一応、マール地方の最北に位置するところですから。でも、かなり山の中を進まないといけないので、あまり人が寄り付かない辺鄙な所だと聞いたことがありますわ」
どうやら、かなりの田舎みたいである。
「山の中を行かなきゃならんのか……。話を聞く限りだと、なんか面倒くさい場所に聞こえるな。でも、行くしかないか。ヴァロムさんの指示だし……」
俺が少しゲンナリする中、アーシャさんはオッサンに訊ねた。
「ラー様……ガルテナへは、コータローさんが1人で行かなければならないのですか?」
「いや、そんな指示は受けてないが」
「そうですか……それなら私もお供しようかしら」
何を考えてるんだろう、この子は……。無茶にも程がある。
俺は思わず言った。
「はぁ? お供って……そんな事したら、ソレス殿下も流石にキレますよ。それに長旅になりそうですから、アーシャさんのような女性には危険が一杯です。だから絶対ダメっすよ」
だがアーシャさんは折れてくれなかった。
「なら貴方が私を守ってくれればいいじゃないですか。というわけで、今日から貴方は、私専属の護衛者に任命しますわ」
「専属の護衛者に任命って……話の流れ的に、その受け答えおかしくないですか?」
「おかしくありませんわ。それに他にも方法があります。マルディラントにあるルイーダの酒場で、旅の仲間を募ればいいんですよ」
なんか懐かしい名前が出てきたが、そんな事よりも今はこの子の説得だ。
そう思った俺は、ラーのオッサンに助けを求めた。
「おい、ラーのオッサンもなんか言ってくれよ。ヴァロムさんだって、こんなの絶対にうんと言わない筈だ」
「ふむ……だがそんな指示は、我も受けてはおらぬからの。別にいいんじゃないか、アーシャさんが一緒に向かっても」
「いや、受けるとか受けないとかじゃなくてさ」
と、俺が言いかけた時だった。
アーシャさんが、有無を言わさぬ速さで捲し立てたのである。
「流石、ラー様ですわ。話が分かります。じゃあ決まりですわね。それじゃあ、コータローさん。明日の朝、こちらにお迎えに上がりますので、それまでにちゃんと準備をしておいて下さいね」
「ちょっ、だから危険だって何度も……」
と言った直後……アーシャさんは睨みを利かせながら、物凄い迫力でこう告げたのである。
【で・す・か・ら! 準備をしておいて下さいね!】
「はい……」
というわけで、なし崩し的にではあるが、俺はアーシャさんと共に、ガルテナへと向かう事になったのである。
Lv14 旅の仲間
[Ⅰ]
俺はアーシャさんの迫力にたじろぎ、彼女のガルテア行きを認めてしまった。が、その後も、俺達の打ち合わせは続いた。
そして、旅の準備をする為に午後にもう一度会うという約束をして、この場は一旦お開きという事になったのである。
洞穴の外に出たところで、アーシャさんは風の帽子を被り、俺に振り返った。
「では、コータローさん。お父様をお見送りした後に、またお邪魔しますから、それまでに少し準備はしておいて下さいね」
「了解です……。それではお気を付けてお帰り下さい」
「それじゃ、また後で」
その直後、アーシャさんは白い光に包まれて、マルディラントへと帰って行ったのであった。
俺はその光景を見ながら、大きく溜め息を吐いた。
「はぁ……何か、えらい面倒臭い展開になってきたなぁ。まさか、アーシャさんがここまで強引だとは……」
と、そこで、首に掛けたラーのオッサンが話しかけてきた。
「コータローよ。疲れているところ悪いが、ヴァロム殿から言付かっている事がある」
「言付かっている事……まだ何かあるのか?」
俺は少しゲンナリとした。
「ヴァロム殿はこう言っていた。10日経っても帰らない場合は、壁際の机の上にある黒い箱を開くように言っておいてくれ……とな」
「黒い箱? ああ、あの四角い箱の事か。でもあれはヴァロムさんの貴重品入れだから、鍵が掛かっていた気がするぞ」
「鍵は机の天板の裏に貼り付けてあると言っていた。だからそこを調べてみろ」
「天板の裏ね……」
というわけで、俺は早速調べてみる事にした。
洞穴の中に戻った俺は、机の天板の裏側を確認してみた。
すると、オッサンが言った通り、天板の裏には小さな黒い鍵が貼り付けてあったのだ。
俺はその鍵を手に取ると、黒い箱の鍵穴に挿して解錠し、箱の上蓋を開いた。
箱の中には、折り畳んである白っぽい紙と革製の茶色い巾着袋、それと、ネックレス状になった金色のメダルのような物が入っていた。
俺は3つの品を暫し眺めると、まず白い紙を手に取って机の上に広げた。
するとそこには、この国の文字でこう書かれていたのだ――
――コータローへ
今、お主がこれを読んでいるという事は、儂は王都から帰ってくることが出来なかったという事だろう。
いや、もしかすると、ソレス殿下経由で、アーシャ様から儂の身に何かあった事を聞いたからかも知れない。
まぁどちらでも構わぬが、心配はしなくても良い。
これは全て想定していた事でもあるのだ。
儂はこれから、王都で大きな波紋を起こそうと思っておる。
この国……いや、この世界の在り方をも変えるほどの大きな波紋をの。
凶悪な魔物の襲来によって滅亡した国々や、イシュマリアの様にそうなりつつある国々……程度の差はあれ、今の世は確実に悪い方向に傾いておる。
そう遠くない将来、この世界が魔の世界へと変わるかも知れないくらいにの……。
じゃが、儂はその流れを変えようと思っておる。いや、変えなければならぬのだ。
しかし、流れを変えるには、お主の助けがどうしても必要じゃ。
そこでお主に頼みがある。
マール地方の北に位置する山岳地帯に、ガルテナと呼ばれる村があるのだが、そこへ至急向かってほしいのだ。
ガルテナにはリジャールという名の年経た男が住んでおる。
この男は儂の古い友人でな、先代のイシュマリア王に仕えていた魔法銀の錬成技師でもある男じゃ。
儂はリジャールに、とある魔道具を作るよう依頼をした。
お主は儂に変わり、リジャールからソレを受け取ってきてもらいたいのだ。
この手紙と一緒に入れておいたオルドラン家の紋章を見せれば、リジャールは儂の使いじゃと信じるじゃろう。
そして、それを受け取り次第、お主には王都へと向かってもらいたいのじゃ。
以上が今後の大まかな流れだが、長旅には当然お金がいる。
箱の中には、この手紙と紋章の他に、茶色い皮袋がある筈だ。その中に路銀として5000ゴールドを用意しておいた。
これを旅に役立ててもらいたい。
ちなみに、このお金はお主の物として自由に使ってもらって結構だ。
だから、気兼ねなんぞせず、遠慮なく使ってくれ。
さて、そういうわけで長い旅をさせる事になるが、今のお主ならば、必ずや乗り越えられると儂は信じておる。
もし判断に迷うような事態に遭遇した時は、ラーさんに相談すると良い。必ずや力になってくれるはずじゃ。
旅の仲間が必要ならば、マルディラントにあるルイーダの酒場を訪ねてみるがよい。
あの酒場には、冒険をする者や魔物の討伐依頼を受ける者等、旅慣れた者達が沢山集まってくるからの。
王都に向かう者を探せば、旅に同行してくれる者が、もしかするとおるやもしれぬ。
まぁ見つかるかどうかは、お主の交渉次第じゃがな。
だがルイーダの酒場で仲間を募る場合、同行する者には、儂の事や旅の目的は内密にしておいてくれ。
これはあくまでも、お主と儂だけの秘密じゃからの。
ではコータローよ。そういうわけで苦労を掛けるが、よろしく頼む。
追伸
実はな、儂はずっと、コータローに話しておきたい事があった。
だが、お主が修行中の身であったが故、余計な雑念を入れないよう儂は黙っておったのじゃ。
しかし、もうよかろう。
機は熟したように思うので、それをここに書かせてもらうとしよう。
こんな手紙という形でそれを言うのは気がひけるが、そこはどうか大目に見てほしい。
では始めよう。
思い返せば、お主と初めて出会ったのはジュノンの月であったか……。
今でもあの時の事は鮮明に覚えておる。
最初、ベルナ峡谷で気を失っているお主を見つけた時は、てっきり魔物に襲われたのかと思っておった。
そして、目を覚ましてから奇妙な事を口走るお主を見た儂は、襲われた時の恐怖心により、頭の中が混乱しているのだろうと考えていたのだ。
じゃがその後、お主と会話を重ねるにつれ、なぜか分からないが、それが本当の事ではないかと最近では思うようになってきた。
お主は不思議な男である。
この国の常識等は全く分からぬのに、儂でも初めて聞くような事を沢山知っておる。
チキュウ・ニホン・トーキョー・ジドウシャ・パソコン・コンビニ……そして幻の大地とかいう御伽噺じゃったか……。
他にもまだあったが、本当にあるのならば、ぜひ見てみたい物ばかりじゃ。
しかし……儂は時々考えるのじゃよ。
最初はアマツの民か、もしくはその血を引く者かとも思うたが、実は、お主はこの世界の住人ではなく、まったく別の世界の住人なのではないかとな。
そして、こうも考えるのじゃ。
この世界を取り巻く大いなる存在によって、お主は儂の元に導かれたのではないかと。
まったくもって、馬鹿馬鹿しい話じゃがの……。
まぁいずれにせよ、お主が一体どこからやってきたのかという疑問は、今も尚、気になるところではある。が……儂は詮索するような事はしない。
いつの日か、お主自身が語ってくれると儂は思っておるからの。
それまで気長に待つつもりじゃわい。
さて、では次にいこう。
お主が初めての洗礼を行った時の事じゃ。
あの時、王位継承候補者しか使えぬ電撃の呪文をお主が修得したのを見て、儂は不思議と運命的な巡りあわせのようなモノを感じた。
それだけではない。儂は直感的に、お主を鍛え上げて一人前にする事が、自分に与えられた使命のようにも感じたのじゃ。
だから儂は、魔法使いとしての真髄をお主に修得させようと、普通の術者ならば逃げ出すであろう程の厳しい修練をこれまで課してきた。が、実を言うと、耐えられるかどうかが、少々不安ではあった。
しかし、お主はそれらを見事に克服し、乗り越えてくれた。
そして、今やお主はもう、一人前の魔法使いと呼んで差支えがないところにまで成長したのじゃ。
儂もこれまで何人かの者を指導してきたが、わずか1年足らずで、ここまで成長したのはお主が初めてじゃわい。素晴らしい魔法の才じゃ。
とはいっても、儂から見ればまだまだじゃから、これからも精進を続けねばならぬがの。
じゃが、驚かされたのはそれだけではない。
以前、陰ながらこっそりと、お主が毎朝行っている魔物との実戦訓練を見させてもろうたのだが、儂は驚いたぞい。
剣士のような戦い方をする魔法使いというのを初めて見たのでな。面白い発想する奴じゃ。
まだまだ荒削りではあったが、光るモノがある戦闘方法であった。
中々、興味深い物を見させてもらったぞい。
あれを見て、これからお主がどんな風に成長していくのか、儂も見てみたいと思ったわい。
しかも、お主は妙に頭も回る。
物事を上辺だけで判断せず、その中身や裏側を冷静に読み解こうとする。
少し慎重過ぎるきらいはあるが、儂とよく似た物の考え方をする奴じゃ。
だからであろうか。
お主は弟子というよりも、相談しやすい親友の様に儂は考えておるのだよ。
よって今回の事も、信頼のおける友人としてお主に頼んでおるつもりじゃ。
そういうわけで回りくどくなったが、改めて言おう。
我が友コータローよ、今回の件をよろしくお願いしたい。
つまり、これを言いたかっただけなのじゃ。
面と向かっては儂も恥ずかしいのでな。
ともかくじゃ、よろしく頼んだぞい。
そなたの友人であるヴァロム・サリュナード・オルドランより――
(友人より……か)
この手紙を見て、今までヴァロムさんが俺の事をどう考えていたのかが、少し分かった気がした。
そして思ったのである。あの時、俺を保護してくれたのがヴァロムさんで本当によかったと。
だがここにも書かれている通り、ヴァロムさんは俺が異世界から来たのではないかと、漠然とだが感じているみたいである。
でも、あえて突っ込まないところがヴァロムさんらしい心遣いであった。
いつの日か、ヴァロムさんにだけは本当の事を話さないといけないな。
俺はこの手紙を読んで、そう考えたのであった。
話は変わるが、ここに書かれているアマツの民というのは、遥か東方に住むと言われる民族の事らしい。
ヴァロムさんから聞いた話によると、東方には空高くに浮かぶ島々があり、それら天の群島の事をアマツクニと呼んでいるそうなのである。
つまり、そこの住民がアマツの民というわけだ。
俺はこの話を聞いた時、凄く親近感がわいたのは言うまでもない。
なぜなら、かなり日本チックな感じの名前だからである。
一瞬、日本神話に出てくる天津神と関係があるのだろうかと思ったくらいだ。
それに加え、ヴァロムさんが俺の事をアマツの民ではないかと考えた事からも、この民族が日本人みたいな風貌だと容易に想像できるのもある。
なので、凄く気になる上に、親しみも湧いてきたのであった。
そして俺は考えたのである。
もしかすると、このアマツクニというのは、ドラクエⅢに出てきたジパング的な立ち位置の国なのかもしれないと。
直接見たわけではないので何とも言えないが、そんな気がしてならないのだ。
だが、遠方ということもあり、このイシュマリアとはあまり交流が無いとヴァロムさんは言っていた。
とはいえ、アマツクニ出身の旅人も多少は行き来するので、そういった人達との交流はあるのだそうだ。
空に浮かぶアマツクニとはどんな所なのかはわからないが、俺にとっては非常に気になる場所なのである。
[Ⅱ]
昼食を食べ終えて暫くすると、アーシャさんは俺を迎えにやってきた。
しかも、ツインテールに丸メガネ、そして、茶色いフード付きのローブという出で立ちで……。
いつもと違う格好なので『一瞬、誰やこの女の子は?』と思ったのは言うまでもない。
恐らく、マルディラントの街の中を歩くので、顔を知る貴族や家臣にバレないよう変装してきたのだろう。
まぁそれはさておき、時間が惜しいので、俺達はその後すぐ、マルディラントへと向かったのである。
風の帽子の力で転移した先は、人気のない寂れた街の一角であった。
建物なども数えるほどしかない所である。
「ここってどこなんですか? 初めて見る景色なんですけど……」
「勿論、マルディラントですわよ。この間、お兄様と外出した時に見つけた場所なんですの。城以外の転移場所も覚えておこうと思ったものですから。ですが、繁華街から離れた区域ですので、少し歩かないといけませんわよ」
「なるほど、そういう事ですか。確かにここなら人気もないし、転移場所にはうってつけですね」
この子なりに、その辺の事は考えているみたいである。
「ところで、コータローさん……」
アーシャさんはそこで言葉を切ると、俺をジロジロと見た。
「そのローブは確か……賢者のローブですわよね。出発は明日の朝だというのに、えらく気合が入ってるのですね」
「ああ、これですか」
俺はそこで自分の身体に視線を向けた。
そう……俺は今、賢者のローブを身に付けているのだ。
この賢者のローブは、それまで装備していた『みかわしの服』と似たローブなので、着ていて非常に楽な衣服である。
また、美しい純白の生地で作られており、裾や袖、それと首元部分に、青いストライプが入るというシンプルな見た目のローブであった。
だがしかし、このローブには1つ大きな特徴があり、胸元に魔法陣のような丸い紋章が刺繍されているのである。しかも、この紋章から常に魔力の流れが感じられるのだ。
確かゲームだと、賢者のローブには、魔法攻撃を低減させる効果と賢さを上げる効果があった気がしたので、もしかすると、この紋章がそれらの役目を担っているのかもしれない。断言はできないが、とりあえず、俺はそう考えたのである。
まぁそれはさておき、俺はアーシャさんに、賢者のローブを着ている理由を説明する事にした。
「これはね、一応、仲間を見つける為の餌みたいなものですよ」
「仲間を見つける為の餌? どういう事ですの?」
「護衛の依頼をするのなら、そんな事は気にしなくてもいいんですが、仲間となると、貧相な装備をしている未熟な者には、多分、誰も興味を示さないですからね。特に、熟練の冒険者は足手まといと感じるでしょうし。ですから、只者ではないと思わせる必要があるんですよ。要するにハッタリです。どんな人間でも、まず最初は見た目で判断しますから」
アーシャさんは感心したように頷くと、自分の服装を見回した。
「言われてみると、確かにそうですわね……私も、もう少し良い装備をしてくればよかったかしら……」
「まぁ、そこまで気にしなくてもいいですよ。それはそうとアーシャさん、ルイーダの酒場がどの辺にあるのか知ってますか?」
「確か、城塞の南門付近にあると聞いた事がありますわ。ここがマルディラントの西側ですので、向こうじゃないかしら」
アーシャさんはそう言って、ある方角を指さした。
「じゃ、行きますか。でも離れないで下さいよ……俺達はこの街の中も初めてに近いんですから。それにこんな所で迷子になってたら、間抜け以外の何者でもないですからね」
「も、勿論ですわ。コータローさんこそ、迷子にならないよう、気を付けてください」
そして俺達は、互いを確認しながら、慎重に、マルディラントの街中を進み始めたのである。
ルイーダの酒場はアーシャさんの言った通り、城塞の南門付近の大きな通り沿いにあった。
3階建ての四角い石造りの建造物で、見たところ、それなりに広いフロアを持ってそうな建物である。
通りから見える正面の入口上部には、この世界の文字で『ルイーダの酒場』と書かれた、大きな木製の看板が掲げられていた。
また、入口には、西部劇とかに出てきそうなスイングドアが取り付けられており、それが酒場っぽい雰囲気を演出しているのである。
それと、外から見ていて分かった事だが、ルイーダの酒場は日中にも関わらず、人の出入りはかなり多いみたいだ。俺達が立ち止まって見ている間にも、あのドアを潜る冒険者達が沢山いたので、中はかなり賑わってそうである。
「さて……こんな風に眺めていてもしょうがないですから、中に入りましょう、アーシャさん」
「ええ、行きましょう」
俺達は入口のスイングドアを潜り、ルイーダの酒場へと足を踏み入れた。
酒場の中は予想していた通り、昼間だというのに活気に溢れていた。
また、思ったよりも中は広く、俺の見立てだと床面積は100㎡くらいありそうであった。
周囲を見回すと、丸い木製のテーブルが均等に沢山配置されており、そこには、飲み食いしながら談笑する冒険者達の姿があった。
ドラクエっぽい格好をした冒険者みたいなのや、北○の拳に出てきそうな人相の悪い者達等、それは様々である。
そして、酒場の奥に目を向けると、そこには木製のカウンターがあり、更にその向こう側には、ウサミミバンドをしたエロいバニーガール姿の女性が、笑顔で佇んでいるのであった。
しかもスタイル抜群の綺麗な女性なので、思わずその豊満な胸に目が行ってしまうのである。
(まったくもって……けしからんバニーガールだ……モミモミしてやりたい衝動が込み上げてくる)
などとアホな考えていると、俺はそこで、ある事を思い出した。
ゲームだと確か、このバニーガールが受付をしてた気がするのである。
受付嬢がバニーガールっていうのも意味不明だが、中を見回しても受付らしい場所が他にない。
その為、俺はそれを確かめるべく、真っ直ぐにカウンターへと向かったのである。
俺達がカウンターに来たところで、バニーさんが満面の笑顔で口を開いた。
「ルイーダの酒場へようこそ。さて、要件は何かしら? 仲間の募集? それとも仕事? はたまた仕事の依頼かしら?」
やはり、このけしからんバニーガールが受付嬢のようだ。
とりあえず、俺が交渉する事にした。
「えっと、仲間の募集をしたいのですが」
「仲間の募集ね。じゃあ、その前に冒険者登録証を見せてもらえるかしら」
「冒険者登録証? 何ですかそれ?」
これは初耳であった。
「あら、じゃあ貴方達、ここを利用するの初めてなのね?」
「はい、初めてですね」
「そうだったの……実はね、ルイーダの酒場では、冒険者登録をしていない者への仲間や仕事の斡旋はしないことになってるのよ。仲間の募集をしたいのなら、ここの2階で冒険者登録を済ませてからね。すぐに済むから、上に行ってもらえるかしら?」
バニーさんはそう言って、フロアの片隅にある階段を指さした。
(そういや、Ⅲだとこんな感じだったか……まぁあれは仲間作成工場って感じでもあったけど……)
まぁそれはさておき、これをしない事には話は進まないようだ。登録するしかないだろう。
「すぐに済むみたいですから、行きましょう、アーシャさん」
「ええ」
俺はバニーさんに返事をした。
「じゃあ、冒険者登録を済ませてから、また来ますね」
「ええ、待ってるわ」――
俺達は2階で冒険者登録を済ませた後、1階のカウンターへと戻ってきた。
掛かった時間は20分程度であった。冒険者登録は簡単な身体測定と、性別や名前、それと、使える魔法や特技等を書いていくだけだったので、バニーさんの言うとおり、すぐに済んだのである。
バニーさんは俺達の姿に気付くと、笑顔で話しかけてきた。
「その表情だと、もう終ったみたいね。じゃあ、発行された登録証を拝見させてもらおうかしら」
「これです」
俺とアーシャさんは、たった今発行されたネックレス状の金属プレートをカウンターの上に置いた。
ちなみに、冒険者登録証の外観は、米軍の軍人さんとかが首からぶら下げている、ドッグタグと似た物である。
「じゃあ、ちょっと待っててね。さっき上から降りてきた名簿と登録証の照合をするから」
と言うと、バニーさんは早速、登録証の確認を始めた。
すると程なくして、バニーさんの驚く声が聞えてきたのである。
「あら、貴方達……優秀な魔法使いだったのね。今、優秀な魔法の使い手は不足してるから、仲間の募集はしやすいかもしれないわよ」
「そうなんですか。でも、一時的な仲間として募集したいんですけど、それでもいいんですかね?」
バニーさんは首を傾げる。
「一時的な仲間? どういう事かしら?」
「俺達、これから少し遠回りではありますが、王都に向かわなくてはならないんです。ですので、もし冒険者の方で王都に向かわれる方がいるのでしたら、一時的なパーティを組みたいなと思いまして」
「ああ、そういう事ね。でも、王都に向かう予定の冒険者なんていたかしら……う~ん」
バニーさんはそう言うと、顎に手を当てて考え込んだ。
この仕草を見る限り、そう都合よくはいかなさそうである。
と、その時であった。
「あ!」
何かを思い出したのか、バニーさんはそこでポンと手を打ったのだ。
「そういえば……ヘネスの月に入った頃、王都に行こうとしてた3人組の冒険者達がいたわ。仲間が集まらなかったので、結局、諦めたみたいだったけど」
「本当ですか?」
「ええ、本当よ。しかも、この街にまだいる筈だわ。仲間の1人はこの近くで働いてるし。……ちょっと待っててくれるかしら」
バニーさんはそう言うと、また名簿のような物をパラパラと捲り、何かの確認を始めた。
そして、あるページのところで、捲る手を止めたのである。
「そうそう、このラミリアンの冒険者達だわ。しかも、まだ仲間の募集はしてるみたいよ」
「ラミリアン?」
初めて聞く単語なので、俺は思わず首を傾げた。
すると、アーシャさんが教えてくれた。
「ラミリアンは、ラミナスを治めていた種族の名前ですわ」
「ああ、あの国の……」
どうやら、魔物に滅ぼされた国の方々のようだ。
そういえば、ヴァロムさんも言っていた。
魔物の襲来から逃げてきたラミナスの民が、このイシュマリアにも少しいるという事を。
どんな種族なのか気になるところだが、今は置いておこう。
と、ここで、バニーさんが訊いてきた。
「ねぇ、貴方達が良いなら、このラミリアンのパーティに掛け合ってみるけど。どうする?」
そう言われても、判断材料がまったくないので、まずはそれを指摘する事にした。
「あの、どういう冒険者達なんでしょうか? 大雑把でも構わないんで、冒険者としての情報を少しは教えて貰わないと、俺も判断できませんよ」
「あら、ごめんなさいね。それを言い忘れてたわ。えっと……この冒険者達は3人で行動しているみたいで、男性が1名に女性が2名といった構成のようね。勿論、3名ともラミリアンよ。それと女性の内1名は、回復系が得意な魔法使いで、他の2名は戦士系ね。とりあえず、こんなところかしら」
(戦士系が2名に、回復系魔法使いが1名か……どうしよう……)
これに俺達が加わると、パーティのバランス的には良い感じだ。
とりあえず、アーシャさんの意見も訊いてみよう。
「どうする、アーシャさん。戦士系が2人いるそうだから、パーティとして動くには良さそうな気がするけど」
「これについては、コータローさんにお任せしますわ。戦闘関連は、私よりもコータローさんの方が経験豊富ですし」
「そう? なら、俺の判断で決めるね」
というわけで、俺はバニーさんに言った。
「では、お願いしてもいいですかね?」
「わかったわ。それじゃあ、その辺の空いてるテーブルの席で、ちょっと待っててくれるかしら。実は、このパーティにいる男性の方が、隣にある訓練所で初心者の武術指導をしているのよ。だから、すぐに会わせられると思うわ」
「それじゃあ、少し待たせてもらいます」
「じゃあ、お願いね」
そこでバニーさんは、近くにいる白いエプロン姿の若い女性に呼びかけた。
「あ、ナナちゃ~ん。ちょっとカウンターまで来てくれる~」
呼ばれた女性はすぐにやって来た。
「はい、なんでしょうか、ルイーダさん」
「隣の訓練所にレイスというラミリアンの教官がいるから、ここへ呼んできてほしいのよ」
「はい、わかりました」――
[Ⅲ]
レイスという冒険者が来るまで、俺達はカウンターの近くにある空きテーブルで待つことにした。
「コータローさん、その冒険者達が、旅慣れた者だと良いですわね」
「そうですね。でも、今の話を聞いた感じだと、その辺は大丈夫な気がするんですよ」
「え、なぜそう思うんですの?」
「まぁなんとなくです。それに初心者相手とはいえ、武術指導できるほどの冒険者ならば、ある程度その道には通じてる筈ですからね」
「そういえば、先程の方はそんな事言ってましたわね……」
アーシャさんはそう言うと、カウンターにいるバニーさん、もとい、ルイーダさんをチラッと見た。
「それと、これも俺の勘というか予想ですが、案外簡単に話はまとまるかもしれませんよ」
「どうしてですの?」
「ヘネスの月に入った頃から未だに仲間の募集をしているという事は、恐らく、今の彼等が持っていないもの、つまり、攻撃魔法や補助魔法の使い手を探しているのだと思います。まぁ裏を返せば、俺達にも当てはまる事ですけどね。要するに、パーティのバランスって事です。そう考えると、彼等と俺達は利害関係が一致するんですよ」
「ああ、そういう意味ですのね。確かにそうですわね……さっきの方も、優秀な魔法の使い手は少ないような事を言ってましたし」
「でもこれは、あくまでも可能性の話ですから、本当のところは会って話さないと、何とも言えませんけどね」
と、その時であった。
背後からルイーダさんの声が聞こえてきたのである。
「はぁい、コータロー君、お待たせ~。連れてきたわよ」
俺は後ろを振り返った。
するとそこには、ルイーダさんと共に、長く尖った耳をしたエルフみたいな男が立っていたのである。
背は高く、俺が見たところだと190cmはありそうだ。それと、鋼か鉄かわからないが、金属製の鎧と剣を装備していた。
また、顔は人形のように整っており、サラッとした艶やかな長い銀髪と、そこから見え隠れする尖った耳とが一際目を引く特徴であった。
まぁ要するに、イケメンエルフといった表現がピッタリの男なのだ。
しかも、結構、筋肉質な身体をしているので、俺の目にはそこそこ腕のある冒険者に映ったのである。
ルイーダさんは、エルフのような男に俺を紹介した。
「こちらが先程言ったコータロー君よ。優秀な魔法の使い手みたいだから、話を聞いてあげてくれるかしら。それじゃあ、よろしくお願いね」
そして、ルイーダさんはカウンターへと戻ったのである。
呼んだのはコッチだから、まず俺から自己紹介しておこう。
俺は椅子から立ち上がり、挨拶をした。
「初めまして。私の名はコータローと言います。お忙しいところお呼び立てして申し訳ありませんが、少し込み入ったお話があるのでよろしくお願いします。では、立ち話もなんですので、どうぞ、こちらにお掛けになってください」
俺は空いている席に座るよう促した。
「では、お言葉に甘えて」
男は頭を下げると椅子に腰かける。
それから自己紹介をしてくれた。
「私の名はレイスという。ルイーダから聞いてもう知っているとは思うが、今はこの隣にある訓練場で武術指導をしている者だ。そして見ての通り、ラミリアンである」
アーシャさんも簡単に自己紹介をする。
「私はアーシャと申しますわ。以後、お見知りおきを」
そして交渉が始まった。
まずはレイスさんからである。
「では、本題に入らせて頂こう。先程、ルイーダから、王都へ向かう為の仲間を探していると聞いたのだが、それは本当だろうか?」
「ええ、本当です。ですが、寄り道をしたいところがあるので、少し遠回りな旅の予定なのです。なので、それでもよければ、仲間になってもらえるとありがたいのですが」
「寄り道か……で、それはどの辺なのだ?」
「マール地方の北部にガルテナという村があるのですが、まずそこへ行ってから、王都へ向かうつもりです」
「ガルテナ? ……すまない、初めて聞く名だ。私もこの町に来てから、日が浅いのでな。ちなみに、そこは遠いのか?」
俺はそこでアーシャさんに視線を向けた。
すると俺の心情を察してくれたのか、アーシャさんが説明してくれた。
「遠いといえば遠いですが、どの道、王都に向かうには北に行かなければなりません。ですので、そう考えますと、通り道とも言えますわ。ただ、王都への最短の道ではないというだけです」
「そうであるか……で、出発の予定はいつなのだ?」
「一応、明日の早朝か、遅くても明後日の朝には出発しようと思っております」
「むぅ、早いな……。という事は、結論は急がねばならんか……」
レイスさんは目を閉じて腕を組み、何かを考え始めた。
暫しの沈黙の後、レイスさんは口を開いた。
「コータローさん……私には他に仲間がいるのだが、今からその者達をここへ連れて来ても良いだろうか? 私だけでは決められないのでな」
「ええ、構いませんよ。それじゃあ、ここで待っていますので連れてきてください」
「すまぬ。では暫しの間、待っていてもらいたい」
レイスさんはそう言うと席を立ち、酒場を後にしたのであった。
[Ⅳ]
俺達はレイスさん達を待っている間、果実酒と幾つかの料理を注文し、それらを食べながら、他愛ない世間話をして時間を潰していた。
その間も酒場内の賑やかさは、相変わらずであった。
ワイワイガヤガヤと至る所から笑い声や話し声が聞こえてくる。
俺達の話し声を掻き消すくらいの賑やかさである。
だがある時、酒場内のどこかから、こんな会話が聞こえてきたのである。
「――おい、それよりも、お前聞いたか? あの魔炎公が、城の地下牢に投獄されたって話」
「おお、聞いたぞ。でもガセじゃないのか? だってアレだろ、魔炎公って言えば、イシュマリア王の親友だって噂だし……」
「そうそう。俺もそう思ってたから、嘘だと思ったんだ。でもさ、どうやら本当らしいぜ。それに異端審問まで行なわれるって話だ」
「本当かよ……いったい王都で何が起きてんだ? 王様も最近なんか変だっていうしさ」
「でも、おかしいのは王都だけじゃないよな。ここ最近、魔物の数も増える上、見た事ない魔物の姿まで目撃されてるらしいし」
「ああもう、やだやだ。お前等さ、もっと景気の良い話とかは無いのかよ」
「へへへ、じゃあ、この前、俺と寝たイイ女の話でもしてやろうか」
「そんなもん聞きたくねぇよ。ガハハハ――」
どうやら噂というものは、どこの世界でも一気に広がってしまうようだ。
(悪事千里を走るって諺があるけど、その通りだな……もうこんな所にまでヴァロムさんの噂が来ているとは……)
俺はそこでアーシャさんに目を向けた。
すると、アーシャさんも今の話を聞いていたのか、不安そうな表情を浮かべていたのである。
「アーシャさん、大丈夫だよ。それに今の状況は、ヴァロムさんも想定してたと思うから」
「そ、そうですわよね。でなければ、コータローさんにあのような指示はしませんものね」
「そうですよ。ン?」
すると丁度そこで、酒場の入り口からレイスさんが姿を現したのである。
レイスさんは銀髪の女性1人と、背の低い青い髪の女の子1人を俺達のところへと連れて来た。
「コータローさん、遅くなってすまない。これが私の仲間だ。さぁ2人共、挨拶をするんだ」
まず、ボーイッシュなショートヘアーをした銀髪の女性が、軽快な挨拶をしてきた。
「初めまして、私はシェーラと言います。よろしくね、コータローさん」
「こちらこそ、よろしく。シェーラさん」
シェーラさんという方は明るい感じの女性であった。
このシェーラさんもレイスさんと同じく、輪郭の整った美しい顔つきと艶やかな銀髪、それと尖った耳をしているので、モロにファンタジー世界の住人といった感じであった。
それと、胸当てや剣を装備している事からも、この女性がもう1人の戦士のようである。
次に、青く長い髪の女の子が挨拶をしてきた。
「わ、私はサナです……よ、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくね、サナちゃん」
人見知りをするのか知らないが、サナちゃんは少しオドオドしていた。
容姿は、小学校4年から6年生くらいの女の子といった感じだ。
それとサナちゃんは、白いローブと杖を装備しているので、ルイーダさんが言っていた回復系の得意な魔法使いとは、この子の事なんだろう。
まぁそれはさておき、俺は3人に座るよう促した。
「さて、それじゃあ、空いてるところに掛けてください。腰を落ち着けて、ゆっくりと話をしましょう」
3人は頷くと、空いてる席に腰掛ける。
そして俺達は、パーティを組む為の交渉を始めたのである――
――で、その交渉の結果だが、俺達は互いに合意し、旅の仲間となる事で了承した。が、明日の早朝に出発するのは、レイスさん達も流石に難しいようであった。その為、俺達もそこは譲歩し、出発は明後日の朝という事で話がついたのである。
まぁそんなわけで、今日は互いの親睦を深めるべく、俺達はこのルイーダの酒場で、酒を酌み交わす事になったのだ。めでたしめでたしである。
Lv15 旅立ち
[Ⅰ]
朝の穏やかな日差しが降り注ぐ、雲一つない青空の元、マルディラントの1等区域内にあるイシュラナ神殿から、重厚な女神の鐘が鳴り響いた。神官達の朝の礼拝を告げる鐘の音である。
ここに住まう者ならば、毎朝聞えてくる日常の音だ。
(結構大きな音だな……チャペルの結婚式場とかで鳴ってるのよりも、重くて甲高い音がする……さぞや、良い職人の手によって作られているんだろう。ま、そんな事はさておき……ようやく着いたみたいだ)
俺は今、アーシャさんと共に、2等区域の北側にある広場にやってきたところであった。
周囲を見回したところ、どうやらここは憩いの広場のようで、石で作られたベンチや、馬に跨る騎士の石像に、花壇といったモノが視界に入ってくる。
また、それらのベンチには、のんびりと腰を下ろす人々の姿も、チラホラとだが確認できた。
それはほのぼのとした平和な光景であった。なぜか分からないが、この光景を眺めているだけで、妙に気分が落ち着いてくる。
とはいえ、こうして広場に突っ立っていても仕方がないので、俺達もその辺の空いてるベンチに座り、暫し寛ぐことにしたのである。
で、なぜここに来たのかというと……それは勿論、ここがレイスさん達との待ち合わせの場所になっているからだ。
そう……今日はいよいよ、ガルテナへと出発する日なのである。
しかし、まだレイスさん達は来てないようであった。が、もうそろそろ来る頃だろう。
なぜなら、昨日の打ち合わせで、イシュラナの鐘が鳴ったら、この広場に集合という事になっているからである。
ベンチに腰を下ろしたところで、アーシャさんが話しかけてきた。
「コータローさん、全員揃いましたら、出発する前に、この広場の隣にあるイシュラナ神殿に寄って行きましょう」
「イシュラナ神殿に? なんでですか?」
俺はそう言って、広場の向こうに見える古代ギリシャの神殿みたいな建物に目を向けた。
「これは聞いた話なのですが、旅人達の間では、イシュラナ神殿で道中の安全を祈ってから出発するのが習わしみたいですわよ」
「へぇ~そうなんですか」
世界は変わっても、こういう験を担ぐ行為は同じなようだ。
また、それを裏付けるかのごとく、イシュラナ神殿へと出入りする冒険者らしき者達や、旅人達の姿が確認できるので、アーシャさんの言う通りなのかもしれない。
ちなみに、俺は信心深い人間ではないから、そういうのはあまり気にしない方だ。
だがこういう事は、信じる信じないに関わらず、やっておくと気分的にすっきりするので、やっておいた方が良いのだろう。
「じゃあ、俺達もそれに習いますかね。初めての本格的な長旅ですし」
「ええ、是非そうしましょう」
俺はそこでアーシャさんに視線を向けた。
今日のアーシャさんは、昨日と同じように、ツインテールに丸メガネ、そしてサークレットに茶色いローブといった出で立ちである。
だが良く見ると、茶色いローブの下には魔法の法衣が見え隠れしているので、流石に守備面を無視した変装はしてこなかったようだ。まぁ当たり前か……。
それと武器は、修行の時にも愛用している祝福の杖であった。
アーシャさんはホイミとかの回復魔法が使えないので、この祝福の杖は、ある意味、アーシャさんにピッタリの武器なのである。
そんなわけで、今見た感じだと、アーシャさんの装備類に関しては、イデア神殿の時とあまり変わりがない装備内容なのであった。
とはいえ、そういう俺自身も、賢者のローブの上からジェダイローブもどきを着る姿なので、イデア神殿の時の見た目とそれほど変わらないのだが……。
まぁそれはともかく、今日のアーシャさんはそんな姿であった。
話は変わるが、風の帽子は今、俺がフォカールの呪文を使って預かっているところだ。
なぜ俺が持っているのかというと、アーシャさん曰く、失くすといけないからというのが、その理由である。要は用心の為というやつだ。
他にも、人に見せたくないというのもあるに違いない。
今のところ、アーシャさんにとっては唯一無二の宝物だし、こうなるのも仕方ないだろう。
そして俺は本格的に、アーシャさんの道具箱になりつつあるのであった。トホホ……。
悲しくなってくるので話を戻そう。
俺がアーシャさんの服装を見ていると、丁度そこで、アーシャさんと目が合った。
するとアーシャさんは少し首を傾げ、不思議そうに訊いてきたのである。
「今、私をジッと見てましたけど、何か気になる事でもおありですか?」
俺はとりあえず、適当に答えておいた。
「いえ、別に深い意味はないですよ。ただ、アーシャさんはどんな格好しても可愛いなと思って」
すると見る見るうちに、アーシャさんの頬は赤く染まり、慌てて顔を背けたのである。
「と、と、突然、何を言うんですのッ。そ、そんな事、い、今は関係ないじゃないですかッ。ふ、不謹慎ですわ」
かなり照れてるみたいだ。
というか、軽く褒めただけなのに、まさかここまで取り乱すとは……。
まぁこういうところも可愛いんだけどね。
でも機嫌を損ねられると後が怖いので、ちゃんとフォローはしておこう。
「すいません、アーシャさん。気を悪くしたのなら謝ります。今の言葉は忘れてください」
アーシャさんは恥ずかしそうに、上目使いで俺を見る。
「いや……その……ベ、別に、謝らなくてもいいですわ。……でも、こんな時に、そんな事を言わないでください。もっと他の時に……」
確かに、アーシャさんの言うとおりであった。
今はヴァロムさんの指示をちゃんと遂行するのが、一番の優先事項なのである。
「……そうですね。アーシャさんの言うとおりです。気を引き締めないといけませんね」
「そ、そうですわよ」
「ン?」
と、その時である。
広場の横にある道沿いに、1台の馬車が停まったのだ。
御者はレイスさんであった。
「どうやら、レイスさん達が来たみたいですよ」
「そのようですわね。それにしても……昨日、あの馬車を購入した時、かなり質素に見えましたけど、やはり引く馬がいると様になりますわね」
アーシャさんはそう言うと、感心したようにマジマジと馬車を眺めた。
そう……実はこの馬車、昨日購入した物なのである。
レイスさん達は2頭の馬を所有してたので、それならと考え、思い切って購入する事にしたのだ。
一応、人を乗せる為の馬車ではあるが、一番安い質素なやつにしたので、当然、飾りっ気は全くない。とはいえ、乗車定員も御者を入れて8名ほどは乗れるので、この国では中型の部類に入る馬車なのである。しかも、屋根と日よけのシェードがついているので、雨や日差しは何とか防げる仕様なのだ。
ちなみに馬車の代金は俺が払ったのだが、こんな質素な物でも1000ゴールドであった。
これを安いと見るか高いと見るかは人によって判断の分かれるところだが、俺は旅の為の出費と割り切って購入したのである。
まぁこればかりは仕方ない。必要な物は必要だからだ。
それに加えて、『やっぱ、ドラクエの旅は馬車じゃないと』というのがあったのも、俺の背中を後押しした理由でもあるだ。
レイスさん達は馬車から降り、俺達の方へと歩き始める。
3人共、準備万端のようで、意気揚々とした雰囲気を醸し出していた。
鋼の鎧と鉄の盾、それと鋼の剣を装備するレイスさんとシェーラさんは、戦士そのものという出で立ちであった。この2人の装備を見ていると、やはり重装備ができる前衛戦力は外せないなと俺は感じた。
そして、この頼もしい2人に両脇を守られるように、魔法の法衣に身を包むサナちゃんもこちらへと向かっているのである。
3人は俺達の前に来ると、まずレイスさんが口を開いた。
「待たせてすまない、コータローさんにアーシャさん。馬車の調整と荷物の積み込みに少し時間が掛かったのだ」
「俺達もさっき来たところですから、そんなに待ってませんよ。気にしないでください」
続いてシェーラさんとサナちゃんが挨拶をしてきた。
「2人とも、おはよ~」
「おはようございます、コータローさんにアーシャさん」
俺達も挨拶をした。
「おはよう、シェーラさんにサナちゃん」
「おはようございます。その様子ですと、皆さん、昨晩は良く眠れたみたいですわね」
「そうなのよ。だから私、朝から調子いいわよ。アーシャちゃん」
シェーラさんはニコっと微笑み、任せなさいとばかりにガッツポーズをした。
この様子だと、かなり心身充実しているみたいである。頼もしい限りだ。
「さて、それじゃあ出発する前に、向こう見えるイシュラナ神殿で、旅の安全をお祈りしてから行きましょうか」
4人は頷く。
「それもそうだな。我々は女神イシュラナの信者ではないが、この国で信仰する神だ。安全の祈願くらいしておいても損はないだろう」
そして俺達は、イシュラナ神殿で旅の安全祈願をした後、北に向かって馬車を走らせたのであった。
[Ⅱ]
俺達はカタカタと馬車に揺られながら、どこまでも続く街道を北へと進んで行く。
この街道は馬車が通るのを前提に整備されているようで、馬車同士が擦れ違いできるくらいに幅も広い。日本の公道を例えで言うなら、2車線道路といったところだろうか。
だが馬車街道でもあるので、アスファルトで舗装された道路のような綺麗な路面ではない。
多くの馬車が行き交った事で形成された4本の轍が、はっきりと見える道なのである。
また、この街道には俺達の他にも、馬車や馬に跨る旅人達の姿が沢山あった。
しかも、商人や冒険者、ならず者、旅芸人みたいな者達等……それはもう色々とバラエティにとんでいるのだ。
恐らくこの街道は、マルディラントと北側地域との物流を支える主要な道なのだろう。
それほどに多くの人々が行き交っているのである。
前方に目を向けると、街道の他にも、緑あふれる広大な草原や雑木林が視界に入ってくる。
それらは朝の優しい日差しを浴びる事によって、活き活きとした輝きを放っていた。
また、時折吹く優しい風が、それら草木をそよそよと靡かせ、心地よい穏やかな光景を作り上げているのである。
爽やかな朝の風景……その言葉がピッタリな光景であった。
新しい冒険の幕開けに相応しい、何かを感じさせる景色である。
これがゲームだったならば、あの有名なドラクエのオープニングファンファーレが聞こえてくるに違いない。
後方に目を向けると、徐々に小さくなってゆくマルディラントの街並みが、俺の目に飛び込んできた。
だがそれを見た途端、俺は少し寂しい気分になってきたのである。
実を言うと俺は、この去りゆく街並みというのが、どうにも苦手なのだ。
俺は子供の頃からそうであった。いや、子供の時のある体験からそうなったと言うべきか……。
とにかく、あまり好きではないのである。
で、その体験とは何かというと……それは、俺が小学生だった頃にまで遡る。
当時、俺の親父は転勤族だったので、家族が1つの場所に根を下ろして生活するというのがなかった。
その為、折角できた友達とも、1年ないしは2年でお別れするという物凄く辛いイベントが、子供の頃の俺には何回かあったのだ。
そしてその度に、小さくなって遠ざかる街並みを見てきた為、大人になった今でさえ、非常に寂しいモノのように俺は感じてしまうのである。
以上の理由から、俺は少し感傷に浸っていたのだが……そんな俺とは対照的に、ウキウキしている人物が隣にいるのであった。
それはアーシャさんである。さっきからアーシャさんは、やたらとテンションが高いのだ。
そして、今も尚、目を輝かせながら、俺に元気よく話しかけてくるのである。
「ねぇねぇ、コータローさんッ。あれ見てくださいよ、スライムですわ。私、野生のスライムなんて初めて見ました。それと向こうにいるのは、一角兎とかいう魔物ですわよ。魔物図鑑で見た姿と同じですッ」
スライムと一角兎がいるのは分かったが、俺にはアーシャさんのハイテンションぶりの方が驚きであった。
「そ、そうなんですか。でも、俺からすると、野生じゃないスライムの方が気になりますが……」
「んもう、何を言ってるんですの。そんな事より、ほら、あそこにも」
アーシャさんはまるで、遠足に来た子供のような喜びようなのである。
今まで箱入り娘だったので、その反動が来ているのだろうか?
俺はふとそんな事を考えたが、仮にもしそうならば、普段は貴族の威厳を保ちつつ自分を抑えていたという事なのだろう。
もしかすると、案外、これが本当の姿なのかもしれない。
今のアーシャさんを見ていると、そう思わずにいられないのであった。
はしゃぐアーシャさんを見たシェーラさんは、暫くすると俺に話しかけてきた。
「ねぇ、コータローさん。アーシャちゃんて旅は初めてなの?」
「初めてではないんですが……でもまぁ、考えようによっては、初めてみたいなもんですかね」
「ふ~ん、そうなんだ。ところで、2人はどういう関係? 恋人同士? それとも魔法使い仲間?」
シェーラさんは興味津々といった感じであった。
「その選択肢だと、魔法使い仲間ですかね」
「なぁんだ、そうなの。予想が外れちゃったわね、残念。でも、あんまり仲がいいから、てっきり2人は恋人同士なのかと思ったわ」
「まぁ確かに、良く知った間柄なので仲は悪くないですが、俺達はそういう関係じゃないですよ。ね? アーシャさん」
俺はそう言うと、アーシャさんに視線を向ける。
するとアーシャさんは、頬を赤くしながら顔を俯かせていたのである。
(どうしたんだろう、一体……車酔いか?)
少し心配なので俺は訊いてみた。
「アーシャさん、どうかしました? 大丈夫ですか?」
「い、いえ……なな、何でもありませんわ。ちょっと外の様子に感動したものですから」
アーシャさんは慌ててそう言うと、また外に目を向けた。
だがそれを見たシェーラさんは、意味ありげにニコニコと微笑んだのである。
「ああ、そういう事ね。なるほど。フフフ」
何か分かったようだが、俺にはサッパリであった。
続いてサナちゃんが俺に話しかけてきた。
「あ、あの……コータローさん。1つ、お聞きしたいことがあるのですが……」
「聞きたい事? なんだいサナちゃん」
「コータローさんが今着ておられるローブですが、私は以前、そのローブの胸に描かれた紋章を見た事があるのです」
「へぇそうなんだ。で、これがどうかしたの?」
「以前見た古の文献に書いてあったのですが、その紋章はサレオンの印といって、古代魔法王国・カーぺディオンの王が、全ての魔法を極めんとする賢者達に与えた印だと、そこには書かれていたのです」
「サレオンの印……古代魔法王国・カーぺディオン……か」
初めて聞く名前だ。
サナちゃんは続ける。
「それでお聞きしたいのは、そのローブをどこで手に入れたのか教えて貰いたいのです。あの文献に書かれていた事が本当ならば、そのローブは……賢者の衣と呼ばれる物かもしれませんから」
これは予想外の質問だ。
さて、どう答えようか……。
とりあえず、当たり障りない嘘でも言っておくとしよう。
「これはマルディラントの2等区域にある露店で買ったんだよ。そこの店主曰く、古代遺跡を探索している冒険者から買い取ったそうでね。俺もこれを見た時に、ただのローブじゃないなと思ったから、すぐに購入したんだ。ただそれだけだよ」
ヴァロムさんが以前言っていた話をアレンジしただけだが、まぁこんなとこでいいだろう。
だがサナちゃんはそれを聞くなり、曇った表情を浮かべたのである。
「そうですか……では、沢山売られているわけではないのですね。……残念です」
「サナちゃんは、古代魔法王国の遺物でも探してるのかい?」
するとサナちゃんは、歯切れ悪く返事をした。
「いえ……そういうわけではないのですが……」
この様子を見る限りだと、言いにくい事情があるのかもしれない。
と、そこでレイスさんの声が聞こえてきた。
「コータローさん、すまないが、地図でガルテナまでの道順を今一度確認してもらえるだろうか? 街道の分岐点はまだだいぶ先だとは思うが、念には念を入れておいた方がいい。それに、この辺の魔物は弱い上に臆病なので、この街道にはあまり近づいてこない。だから今の内に、確認作業をしておいた方が良いと思うのだよ」
「それもそうですね。わかりました。では確認しておきます」
俺は座席に置いてある地図を広げると、ガルテナまでの道順を再度確認する事にした。
ちなみにこの地図は、アーシャさんがマルディラント守護隊の詰所から、黙って借りてきた物らしい。
相変わらずやる事は強引だが、この地図は守護隊が使っているだけあって、見やすくて良い物であった。
なので、アーシャさんには一応感謝しているのである。
[Ⅲ]
俺達はつい先程、街道の分岐点に差し掛かり、そこでガルテナへと向かう道に進路を変えたところであった。
少し狭い道ではあるが、地図によると、ここからは殆ど一本道みたいなので、ひたすら前に進めばいいみたいである。
だが、ガルテナはそこからが長い。
アーシャさんが守護隊の者から聞き込みした情報によれば、マルディラントからだと、早くても2日は掛かるらしい。
とてもではないが、1日で到着できる距離ではないそうだ。
以上の事から俺達は、この先を暫く進んだ所にあるフィンドという小さな町で、今日のところは宿をとる予定をしているのであった。
というわけで、フィンドが今日の目的地なのである。
(さて……フィンドまで、あとどのくらいなんだろうな……マルディラントを出発してから、結構時間も経ったし……それなりに進んだとは思うが……)
時間を確認できる物を持ってないので感覚でしか言えないが、恐らく、半日以上は経過しているような気がする。
途中、小さな町が幾つかあったので、俺達は馬の休憩や食事などをしながら移動してきたわけだが、それでも結構な距離を進んでいるはずだ。
とはいえ、馬車のスピードは時速10kmから15km程度だと思うので、そこから休憩分を差し引いて逆算すると、精々、40km程度しか進んでいないのだろう。
そう考えると、ガソリンで動く自動車ならば、30分程度で行ける距離しか進んでいないという事になるのだ。
俺は改めて現代文明の凄さというものを実感した。
油臭い文明ではあるが、あれだけの人・物・金を動かせるのは、この世界からすれば驚異的な事なのである。
だが今は無い物ねだりをしても仕方がない。
それに徒歩と比べれば格段に速い移動手段なので、馬に乗れない俺からすると、現状はこれが最善なのである。
(まぁ今はそんなことより、周囲の警戒だな……)
というわけで、俺は魔物の監視する為に周囲を見回した。
だが、辺りに広がる青々とした草原は静かなもので、遠くに見える森や標高の高い山々以外、目立った変化というものはなかった。
空に至っては、少し傾き始めた太陽くらいしか、今のところは見るべきものがないようである。
しかし、さっき地図で確認したところ、この先は森になっていたので、そこに入る際には魔物への警戒レベルを引き上げる必要がありそうだ。
ちなみに、こっちの道を進む旅人は俺達以外いないようであった。
やはり、他の人々はあの街道をそのまま北上したのだろう。
少し寂しい雰囲気ではあるが、アーシャさんもこっちの方角は辺鄙な土地が続くと言っていたので、こうなるのは仕方ないのかもしれない。
とりあえず、俺達を取り巻く周囲の環境は、大体、こんな感じであった。
魔物との遭遇も、今のところ、お化けキノコやキラービーとの戦闘が1度あっただけなので、それほど危険な兆候というのもないようだ。
(この調子だと、向こうに見える森に入るまでは、ゆっくり出来そうだな。ゲームと同じで、日中の平原移動はエンカンウント率低そうだ……ン?)
などと考えていた、その時であった。
【ヒ、ヒィィ!】
前方に群生する背の高い緑の茂みの中から、突然、人が飛び出てきたのである。
そして、俺達に向かって両手を振り上げ、大きな声で叫んだのであった。
【た、助けてくれぇー!】
レイスさんが俺に振り返る。
「コータローさん、前方に助けを求める者がいるが、どうする?」
「仕方ないですね。無視するのもアレなんで、とりあえず、停まって貰えますか」
「了解した」
レイスさんはその人物の前で、馬車を停めてくれた。
助けを求めていたのは、30歳から40歳くらいの小太りな中年の男であった。
ターバンの様な物を頭に巻いて口ひげを蓄えるその顔つきは、一瞬、ドラクエⅢの商人を思わせるようなビジュアルであった。
それに加え、旅人の服を着て大きな荷物を背負うという姿なので、余計にそんな風に見えてしまうのである。
まぁそれはさておき、とりあえず、何があったのかを訊くとしよう。
「どうかされたのですか? なにやら切羽詰まった感じがしますが」
「ま、魔物に追われている。た、助けてくれ」
男はそういうと茂みの向こうに視線を向けた。
「何、魔物だと……」
レイスさんは馬車から降りると、腰に帯びた鋼の剣を抜いた。
続いてシェーラさんも馬車から降りて鋼の剣を抜く。
そして、2人は互いに剣を構え、茂みの中を警戒し始めたのである。
馬車の中にいる俺も呪文の詠唱をすぐにできるよう、手に持った魔道士の杖に魔力の流れを向かわせた。勿論、アーシャさんやサナちゃんも。
だが、いつまで経っても魔物は一向に現れなかった。
とはいえ、楽観視はできないので、俺達は茂みの中を慎重に確認する事にしたのである。
しかし、幾ら探せども、魔物の影や痕跡すら見つからないのだ。
範囲を広げて、茂みの向こうに広がるやや傾斜した雑草地帯も調べてみたが、結果は同じであった。
とりあえず一通り調べたところで、俺は男に言った。
「魔物はどうやらいないようですね」
「そんな馬鹿な……さっきまで確かに追ってきてたのに……」
男は首を傾げ、茂みとその周囲に目を向けた。
「ところで、幾つかお訊きしたい事があるのですが、最初に襲われた場所がどこかという事と、どんな魔物に襲われたのかをまず教えて貰えないでしょうか?」
「私が襲われた場所は、向こうに見える丘の上の雑木林です。そして襲ってきたのは、熊の様な魔物でした。慌てて逃げてきたので、その程度の事しか分かりません」
「あの林ですか……で、熊の様な魔物に襲われたと」
俺は顎に手を当てて今の事を考える。
それから、向こうに見える丘の上の雑木林と、その間にある傾斜した雑草地帯に目を向けたのだ。
しかし、そんな魔物の姿は当然見当たらない。
あるのは、遠くに見える林の木々と、その間の雑草地帯で隙間なく生え揃った草や花だけであった。
俺は質問を続けた。
「それではもう1つお訊きします。お仲間はおられるのですか? 見たところ1人のようですが」
男は頭を振る。
「いいえ、仲間はおりません。私1人です。この辺は勝手の知った場所ですので、よく1人で来るんです」
「そうですか。お答えくださって、ありがとうございました。ところで、これからどこに向かわれるのですか? 我々はこの先にあるフィンドの町に向かう予定なのですが」
すると、それを聞いた男は、途端に明るい表情になった。
「なんと、それは奇遇ですな。実は私もなのです」
「じゃあ、おじさん、乗ってく? 魔物に遭遇したわけだし、1人じゃ気分的に嫌でしょ。それに、どうせ向かう先は同じなんだしね」と、シェーラさん。
「良いのですか?」
「別に良いと思うわよ。ね? コータローさん」
「まぁこうなった以上はね……」
男は深々と頭を下げる。
「あ、ありがとうございます。私の名はロランと言います。どうかよろしくお願いします」
そして、ロランという男は、俺達の馬車に同乗することになったのだ。
馬車が動き始めたところで、俺は御者席にいるレイスさんの隣に移動し、そこに腰かけた。
「ン、どうしたんだコータローさん」
「……レイスさん。あの男、どう思います?」
「どう、とは?」
レイスさんは首を傾げた。
俺は後部座席のロランさんに聞こえないよう耳打ちした。
「さっきあの男は、雑木林で熊の様な魔物に襲われたと言ってましたが……妙だとおもいませんか。その間にある雑草地帯には、そんなモノが通ってきた痕跡はおろか、人が通った痕跡すらなかったんですよ」
「痕跡がない? どういう事だ一体?」
「草や花の上を人や獣が通れば確実に茎が折れます。足で踏みつぶしますから。しかし、あの雑木林から茂みまでの間にある雑草地帯には、そんな形跡はまるでなかったんです。空を飛んであの茂みに入ったというのならわかりますが、あの人にそんな芸当ができるとはとても思えません。という事は、あの茂みの中に暫く潜んでいて、それから俺達の前に現れたという仮説が成り立つんですよ」
俺の話を聞いたレイスさんは、そこであの男をチラ見する。
「確かに、君の言う通りかもしれないが、もしそうならば、我々の馬車に乗せてもらう口実をつくる為に、そんな事をしたんじゃないのか?」
「いやそれならば、そんな小細工はせず、普通に呼び止めるだけでいいと思います。なので、何故隠れるような真似をしていたのかが気になるんです」
俺達の間に暫し沈黙が訪れる。
程なくしてレイスさんが訊いてくる。
「……君はどう思うんだ?」
「それはわかりません。ですが……人は何かしら後ろめたいことをする時、吐かなくていい嘘を吐くんですよ。これは俺の経験上の話ですがね」
「……確かに、そういう事もあるのかもしれないが……しかし……」
レイスさんは、それでも半信半疑といったところであった。
決定的な物がないので、こういう反応になるのも仕方ないのかもしれない。
しかし、俺はやはり引っ掛かるのだ。
またそれと共に、漠然とだが、少し嫌な予感もし始めてきたのであった。
[Ⅳ]
ロランさんを乗せて移動を再開してから1時間以上は経過しただろうか。
俺達は今、広葉樹によって作られた、森の中にある並木道を進んでいるところであった。
木々の枝葉が道の上を覆っている為、やや薄暗い様相をした道であるが、少々の木漏れ日が射すので、進むのには何ら影響がない。
しかし、不気味なほど静かな森であった。
馬車の車輪が回る音や馬の蹄の音が、物凄く大きな音に感じられるくらいに……。
その為、森に潜む魔物達に気付かれるのではないかと、俺達は不安に駆られてしまうのである。
俺達は今まで以上に警戒しながら、慎重に森の中を進んで行く。
すると、暫く進んだ所で、ロランさんが恐る恐る口を開いたのであった。
「あの……馬が大分弱ってきているような気がするので、そろそろ馬の休憩をした方が良いんじゃないでしょうか?」
俺はその言葉を聞き、前方の馬に視線を向ける。
確かに、動きが鈍くなってきているようであった。
よく考えると、森の中に入ってからは魔物を警戒するあまり、馬の休憩をしていないのだ。
なので、もうそろそろ休憩を入れた方が良いのかもしれないが、俺は馬に関しては素人なので、レイスさんに確認したのである。
「レイスさん、ロランさんはこう言ってますけど、馬の調子はどんなもんでしょう。そろそろ休憩が必要ですかね?」
「確かに休憩が必要だが……今は森の中だ。むやみに立ち止まるような事は、しない方がいいかもしれない。それになるべくなら、水のある開けた場所で休憩させてやりたい。だから、少し速度を落としてでも、今はこのまま進んだ方がいいだろう」
それを聞き、ロランさんは微笑んだ。
「でしたら、良い所がありますよ。この森をもう暫く進むと、右手に道が伸びている筈です。そこを右折して進んで頂ければ、一時的に森の外に出ます。そこは馬の休憩に最適な、湖のある開けた場所ですので」
レイスさんはロランさんに振り返る。
「本当か、それは? 間違いないのだな?」
「ええ、間違いありません。私も時折、利用する事がございますので」
「コータローさん。この方はこう言っているが、どうする?」
妙な引っ掛かりを感じたが、俺は馬なんぞ飼った事もないので、さっぱりであった。
というわけで、レイスさんの判断に任せることにした。
「馬の事は私にはわかりませんので、レイスさんの判断にお任せしますよ」
「そうか……ならば、一息入れようと思う。無理を回避できるのなら、した方がいいのでな」
それから暫く進んで行くと、ロランさんの言った通り、右側に道が伸びている場所があった。
そして、俺達はそこを右折し、その先にあるであろう休憩場所を目指したのである。
右折してから10分程度進むと、ロランさんが言ってた開けた場所へ、俺達は到着した。
奥は切り立った岩壁なので行き止まりだったが、向かって左側に小さな湖もある為、馬の休憩をするには確かに良い場所であった。
それに日の光を遮る枝葉も頭上にはない為、森の中と比較すると、ここは非常に明るく爽快な場所なのである。
まぁそれはさておき、レイスさんは奥の岩壁付近へ移動すると、そこで馬車を停めた。
「では、ここで暫し休憩をしよう。馬に食料と水を与えたら出発するつもりだ」
その言葉を合図に、俺達は馬車から降り、長旅で疲れた身体を休める事にしたのだ。
「長い間、座っていたので身体が固くなりましたわ」
アーシャさんはそう言うと、両手を大きく広げて背伸びをした。
「これだけ長いと流石にそうなりますよね。俺も少し屈伸運動でもするか」
「私も」とサナちゃん。
と、その時である。
今やってきた方角から、奇妙な笑い声が聞えてきたのであった。
【クククククッ】
俺は声の出所に視線を向けた。
するとそこには、フードで顔を覆った黒いローブを纏う者が1人佇んでいたのである。
レイスさんはそいつに向かい、大きな声を上げた。
「何者だッ!」
黒いローブを纏う者は、そこでフードを捲り、素顔を晒した。
フードの下から出てきたのは、尖った耳をした人相の悪い男の顔であった。
だがそれを見た瞬間、レイスさん達は叫ぶように声を荒げたのである。
「き、貴様は、ザルマ! 何故貴様がここにいる!」
「何でザルマがッ」
「貴方は!」
レイスさん達は憎しみを籠めた目で、この男を睨み付けていた。
これを見る限り、どうやらレイスさん達の知り合いのようだ。しかも、何かしらの深い因縁があるに違いない。
俺はそこで、この男に視線を向ける。
ザルマと呼ばれたこの男は、レイスさん達と同じラミリアンのようだ。人間で言うなら歳は中年といったところだろう。赤く長い髪をしており、身長もレイスさんと同じくらいであった。鋭い目で嫌らしい笑みを浮かべているので、人相も悪く、友好的な雰囲気は感じられない。いや、それどころか、明らかに敵意……いや、殺意を持っているようにさえ見えるのであった。
ザルマは不敵に微笑む。
【久しぶりですな、イメリア様。お元気そうで何よりだ。ククク……貴方がたがマルディラントを出るのを、長い間、今か今かと待ったかいがありましたよ】
この男の視線を見る限り、イメリアというのはサナちゃんの事のようだ。
俺とアーシャさんは、どうやら、レイスさん達の因縁に巻き込まれたみたいである。
もしかすると俺達は、仲間探しでとんでもないジョーカーを引いてしまったのかもしれない。最悪だ。
と、そこで、意外なところから声が上がったのである。
「お、おい、アンタッ! 言われた通り、この人達を連れてきたんだ。妻と娘を早く返してくれ!」
声の主はロランさんであった。
【おお、そうでしたね。ご苦労様でした。お約束通り、妻子を解放しましょう】
ザルマはそう言うと、指をパチンと鳴らした。
するとその直後、前方の森の中から、10匹の魔物がゾロゾロと現れたのである。
(チッ……これは罠だったのか……ロランさんの事を不審に思ってはいたが、周囲の警戒に気を取られて思考が停滞してたようだ……クソッ)
俺達は武器を手に取り身構える。
だが、俺は現れた魔物を見て、戦慄を覚えたのである。
「こいつらは……クッ」
そこにいた魔物……それは、4本の腕と脚をもつアームライオンが2体に、紫色の大猿キラーエイプが2体、豚の獣人オークが4体……そして赤いクラゲの様なベホマスライムが2体であった。
非常に不味い展開である。
どいつもこいつも、中盤から後半にかけて現れる、それなりに力のある魔獣だからだ。
挙句の果てに、後ろは行き止まりで逃げ場はない。
これは将棋でいう詰みに近い状況なのである。
アーシャさんの震える声が聞こえてくる。
「な、なんですの、この魔物達は……。こんな醜悪な魔物は、図鑑でも見た事ありませんわ」
どうやらアーシャさんのこの反応を見る限り、ここでは新種の魔物なのかもしれない。
俺はそこで、アームライオンの1体に目を向けた。
視線の先にいるアームライオンの4本腕には、ロランさんと同年齢と思われる女性と、若い女性が捕らわれていた。
これら一連の流れを見るに、ロランさんは家族を人質にされていたので、やむにやまれず、俺達をここに招いたのだろう。
(汚い真似をしやがる……)
ザルマはそこで、アームライオンに指示した。
【さて、ではこの男に、妻子を返してやりなさい】
アームライオンは奥さんと子供を離した。
2人はその直後、泣きながら、ロランさんの元に駆け寄り、抱きついた。
「あなた!」
「お父さん!」
「無事だったか、2人共!」
ロランさんは2人を優しく抱擁する。
するとそれを見たザルマは、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべたのである。
【クククッ……涙ぐましい家族の再会というやつですか。中々良い物を見せて頂きました。さて、それでは全員揃った事ですし、まとめて死んでもらうとしましょうか】
それを聞くや否や、ロランさんは叫んだ。
「な! 話が違うじゃないか! 役目が済んだら解放してくれるって……」
【だから解放しましたよ。ですが、誰も生かして返すなどとは言っておりません。クククク】
サナちゃんはザルマを睨み付ける。
「あなたは国だけでなく、魔物に自分の魂まで売り渡したのですね。ラミリアンの恥ですわ」
【……イメリア様。貴方は相変わらず、口だけは達者な小娘だ。まぁいい。上からは、お前達を殺せとの御命令なので、まずは、それを実行する事にしましょうか】
ザルマはそこで、黒い煙のようなものが渦巻く、ソフトボール大の水晶球を懐から取り出した。
そして、それを自身の前に両手で掲げ、声高に告げたのである。
【イメリア様……私は素晴らしい力を得られたのですよ。その力を使って、貴方がたを八つ裂きにして差し上げましょう。クククククッ――】
Lv16 黒き魔獣
[Ⅰ]
目の前に現れた10体の凶悪な魔物達……。
その姿はゲームの様なアニメ風ではなく、非常にリアルな質感を持つ、野獣といっても差支えない化け物達であった。
手足の鋭利な爪に、口が開く度に見える大きな白い牙。そして人間よりも一回り大きい体躯と、俺達を威嚇する唸り声や射抜くような眼つき。これらの外見からは、某有名漫画家が描くキャラデザインのような可愛らしさは微塵も感じられない。感じるのは、肉食獣が狩りをする時に見せる獰猛な雰囲気だけなのである。
その為、俺の中に『死』という文字が、否が応にも浮かび上がってくるのだ。
そう……死である。これがもしゲームならば、例え死んだとしても仲間が生き延びさえすれば、教会や世界樹の葉といったアイテム、または蘇生魔法で復活できることもあるだろう。
だがしかし……このドラクエ世界における死は、文字通りの死なのである。
理由は簡単だ。現状、蘇生できる施設や魔法がないからである。
一応、この国にある施設でゲームの教会に当たる役目をするのはイシュラナ神殿だが、ここの神官はそんな魔法や道具は使えない。
つまり、死んだ場合は死として扱い、現実世界の日本と同じく、埋葬や火葬を行って故人を偲ぶのである。
ゲームの様なわけにはいかないのだ。
とはいうものの、俺は一応、世界樹の葉を持ってはいる。が、あれはあまり人に知られたくはないアイテムな上、魔法で保管している状態なので、俺が死んだ場合はどうにもならない。
前もってアーシャさんに渡しておけばよかったのかもしれないが、今となってはもう遅いのである。
だからだろうか……。
この時の俺は戦いに勝つ事よりも、どうやって生きる伸びるかを模索し始めていた。そう、生きる為の道を……。
こんな魔物達を前にしても俺は冷静であった。
恐らく、毎日繰り返してきた魔物との戦闘のお蔭だろう。
そこで経験した死の恐怖や戦いの思考というものが、今の俺を冷静にしてくれるのだ。
俺はザルマとロランさん達のやり取りを注視しながらも、現状を把握する為に思考を巡らせていた。
魔物の構成とその能力、魔物と俺達の出来る事と出来ない事、敵の指揮系統、俺達との位置関係、周囲の地形の確認等を。
特に、旅が始まる前に教えてもらったサナちゃんの使える魔法や、過去にプレイしたゲームの知識などは必死になって思い返した。
そしてそれらを元に、俺は生き延びる為の策を考え始めたのである。
そんな中、ザルマは不気味な黒い水晶球を掲げ、声高に告げたのであった。
【イメリア様……私は素晴らしい力を得られたのですよ。その力を使って、貴方がたを八つ裂きにして差し上げましょう。クククククッ】
その直後、なんと水晶球から黒い霧が一斉に吹き出し、ザルマの全身を覆い始めたのだ。
この突然の変化に俺達は身構える。
【では準備が整うまで間、暫しお待ちください。どうせ逃げられはしないんです。僅かばかりの時ですが、最後のお祈りでも捧げていて下さい。私からのささやかな贈り物です。ククククッ】
だがそれを聞いた瞬間、俺の脳裏にある考えが過ぎった。
それは……やるなら今しかないという事だ。
今の奴は、完全に勝った気でおり、尚且つ、これ以上ないほどに油断している。
ここを突く以外、俺達が生き残る道はないと思ったのである。
俺は短い時間の中で必死に考えてみたが、どう考えても俺達の方が分が悪い。
もしこれらの魔物がゲームと同様の強さだった場合、物理的な攻撃力と機動力、そして体力と手数の多さは、向こうが1枚も2枚も上なのは間違いないからだ。
勿論、ゲームと同じなどという証拠は何もない。が、今まで出遭った魔物達が概ねそんな感じだったので、恐らく、こいつ等もそれ程の違いというものは無い気がするのである。
だがそうなると、魔物達の数が大きな問題だ。
2、3体ならまだしも、このレベルの魔物が10体となると、こちらも相当の被害を覚悟しなければならない。
その為、今の俺達がまともにやりあえば、下手をすると全滅か、もしくは大打撃を受ける可能性が十分にあるのである。
おまけに、ザルマがこれから何をするのか未知数なのもある。
いや、奴の自信とこの屈強な魔物達を統率している事実を考えれば、かなりの力を持っていると見て間違いないだろう。
だからこそだ。今の内に、他の魔物達の脅威を取り除かなければならないのである。
そして、その為の手段を一刻も早く講じなければならないのだ。
俺はザルマ達に聞こえないよう注意しながら、仲間の4人に話しかけた。
「皆、そのままの体勢で、俺の話を聞いてもらえますか?」
そこで4人は俺をチラッと見た。
「何だ、言ってくれ」と、レイスさん。
俺は話を進めた。
「皆もわかってるとは思いますが、ハッキリ言って、俺達はあまりにも不利な状況です。下手を打つと全滅の可能性もあります。そこでお聞きしたいのですが、4人の中で、この魔物達について多少なりとも知っている方はおられますか?」
まずレイスさんが答えてくれた。
「数年前……ラミナスが魔物の大群に襲撃された時、何回か見た事はあるが……どんな魔物かまではわからない。逃げるので精一杯だったのでな」
「私もだわ」
「……私もです」
「私も初めて見ますわ。恐らく……近頃噂に聞く、新種の魔物だと思いますの」
どうやら誰も知らないみたいだ。
予想してた事だが、皆が知らない以上、ここは俺の判断で切り抜けるしかないようだ。
あまりこんな事はしたくないが、ゲームでいう『命令させろ』を俺がやるしかない。
しかし、目の前の魔物がゲームと同じという確証はないので、これは俺も、ある意味賭けなのである。
だが、やらなければ非常に不味い事態になるのは明白だ。
おまけに俺が持つドラクエ知識を使うので、4人はそこに突っ込んでくる可能性も大いにある。が、今は生きるか死ぬかの選択に近い状況なので、この際、止むを得んだろう。言い訳は後で考えるしかない。今はこの状況を打破する事が先なのだ。
「どうやら、知っているのは俺だけのようですね。では、皆にお願いがあります。今から俺の指示通りに動いて頂きたいのですが、いいですか?」
【え!?】
すると驚いたのか、4人は俺に視線を向けた。
「コータローさん、こいつ等を知ってるの?」と、シェーラさん。
「はい、知ってますよ。でも、俺に振り向かないでください。皆の視線は魔物へ向けたままでお願いします。それと、ここからは対応を間違えると、大変な目に遭うと覚悟してください。全滅する可能性も十分ありますので」
「とは言っても……」
「シェーラよ……私の見る限り、コータローさんは信用できる方だ。だから、この場は彼に従おう」
「レイスがそこまで言うのなら……」
と言って、シェーラさんはそこでサナちゃんに視線を向けた。
サナちゃんはそれに頷く。
「シェーラ、ここはコータローさんに従いましょう。どうぞ続けてください、コータローさん」
と、そこで、アーシャさんがジロリと流し目を送りながら、口を開いた。
「……訊きたい事が幾つかありますが、この戦闘が終わった後にしますわ。どうぞ、続けてください」
やはり、そうきたか……とりあえず、後で言い訳を考えておこう。
それはともかく、俺は話を続けた。
「では時間がないので簡単に説明します。少々卑怯ではありますが、今から不意打ちをします。魔物達を叩くには、力に酔った馬鹿な指揮官の指示を待っている今が狙い目だからです。それで、ですが……俺とアーシャさんがこれから攻撃魔法を使いますので、その後、レイスさんとシェーラさんは、右端にいる赤い魔物2体を剣で攻撃して、止めを刺してください」
「え、あんな弱そうなのを先に攻撃するの?」
シェーラさんはベホマスライムに視線を向け、微妙な反応を示した。
仕方ない、簡単に説明しておこう。
「あの魔物はベホマスライムといって、どんなに深い傷も完全に回復させるベホマという呪文を使います。ちなみに言っておきますが、ベホマはベホイミよりも更に上の高位魔法ですから強力ですよ。だから、あれを真っ先に倒さないと後々面倒な事になるんです。というわけなので、お願いしますね」
「わ、わかったわ」
「先程のロランさんの事もある。君の言うとおりにしよう」とレイスさん。
「ではお願いします」
俺はそこでチラッとザルマの様子を確認した。
ザルマは黒い霧に覆われたままだったが、中から不気味な赤い光を発しているところであった。
嫌な予感がした俺は、急いでサナちゃんに指示をした。
「それからサナちゃんは、ピオリムで俺達の素早さを上げてほしい」
「はい、わかりました」
「それとアーシャさんは、俺がイオラを使うのと同時にヒャダルコをあの赤いベホマスライム2体に放ってください」
「ヒャダルコですわね。わかりましたわ」
俺は次に、怯えるロランさん一家に忠告をしておいた。
「ロランさん……貴方には言いたい事もありますが、後にしましょう。それはともかく、今から戦闘を始めますので、俺達の後に下がってもらえますか? でないと巻き込まれますよ」
「わ、わ、分かった。行くぞ、お前達」
ロランさんは妻子共々、慌てて後ろの岩壁に移動する。
それから付近にある馬車の裏に身を隠した。
俺はそれを確認したところで、アーシャさんに攻撃開始の合図を送ったのである。
「行きますよ、アーシャさん」
アーシャさんは無言で頷く。
そして、俺とアーシャさんは杖を魔物達に向け、それぞれが同時に呪文を唱えたのだ。
【イオラ】
【ヒャダルコ】
次の瞬間、俺達の杖から2つの魔法が放たれる。
俺の杖からは、サッカーボール大の白く発光する魔力の塊が魔物達のど真ん中に飛んでゆき、アーシャさんの杖からは青く冷たい霧が発生し、そこから生み出された無数の氷の矢がベホマスライムに目掛けて飛んでいった。
俺が放った魔力の塊は、強烈な閃光と共に大きな爆発を起こし、ザルマ以外の魔物達全てを吹き飛ばしてゆく。
【グギャア!】
魔物達の悲鳴が聞こえてくる。
巨体のアームライオンやキラーエイプは、一瞬宙に浮いた後、後方の地面をゴロゴロと勢いよく転がっていった。
人間に近い体型のオークや似たような大きさのベホマスライムは、それらよりも更に後方へと吹っ飛んでゆく。
そして、ベホマスライムには更に、アーシャさんの放った氷の矢が、容赦なく襲い掛かったのである。
ベホマスライムの赤く柔らかい体に、氷の矢が何本も突き刺さる。
だがこれで終わりではない。
レイスさんとシェーラさんが既に間合いを詰めており、間髪入れず、ベホマスライムにとどめの一撃を繰り出したのだ。
2人はまるで豆腐でも斬るかのように、弱りきったベホマスライムの身体をスパッと両断した。
そして、断末魔の悲鳴を上げる間もなく、ベホマスライムはこの場で息絶えたのである。
丁度そこでサナちゃんの魔法詠唱が聞こえてきた。
【ピオリム】
その直後、緑色に発光する霧状のモノが俺達を覆い始め、身体がフワリと軽くなった。素早さが上がった証拠である。
とりあえず、ここまでは指示通りだ。が、ここからは手を緩めることなく、一気畳み掛けなければならない。
そう考えた俺は、次の指示をだそうとアーシャさんとサナちゃんに視線を向ける。
と、その時であった。
なんと、黒い霧に覆われていたザルマから、赤い閃光が迸ったのである。
またそれと同時に、周囲を覆っていた黒い霧は、霧散するかのように消え去ったのだ。
俺は恐る恐るザルマに視線を向けた。
「なッ!」
そして俺は驚愕したのである。
なぜなら、そこにいたのは黒き魔獣と化したザルマだったからだ。4本の腕と4本の脚、ライオンを思わせる頭……そう、ザルマはアームライオンと見紛うばかりの魔獣になっていたのである。
全体的な見た目は黒いアームライオン……それが俺の第一印象であった。が、しかし、色はアームライオンと全く違っていた。
ザルマの全身はどす黒い体毛で覆われており、頭部には周囲を縁取る真っ白な鬣が生えていた。またその首には、ソフトボール大の黄色い玉が付いた、首輪のような物がぶら下がっているのである。
そんな外見の所為か、俺は一瞬、八つ裂きアニマルかとも思ったが、よくよく考えてみれば、八つ裂きアニマルは灰色の体色に赤い鬣だった気がする。なので、今のザルマは、それとはまた別の存在のようだ。が、そう考えた次の瞬間、俺は嫌な記憶が蘇ってきたのである。
それは、ドラクエⅣに出てきたキングレオという中ボスモンスターの事である。
キングレオもアームライオンの色違いモンスターだった上に、元は人間だったように俺は記憶している。となると、今のザルマはそれと同種の可能性もあるのだ。
だからだろうか……俺の目には、今のザルマが、得体の知れない強力な魔物に見えて仕方がないのである。
姿を現したザルマは不敵な笑みを浮かべる。
と、そこで、イオラを喰らった他の魔物達も、のっそりと起き上がってきた。
【クククッ、不意打ちとは卑怯ですね。ですが、貴方がたの判断は間違って――】
まだ話している途中だったが、俺はザルマを無視して構わず魔法を唱えた。
【イオラ】
さっきと同じように爆発が発生する。
【グボァァ!】
ザルマは踏ん張って耐えていたが、他の魔物達は更に吹っ飛んだ。
(これで魔物達が死んでくれるといいが……)
俺はそう考えたが、暫くすると、アームライオンはヨレヨレとだが起き上がってきたのである。
予想してた事だが、やはり、イオラ2発程度では仕留めきれなかったようだ。
しかし、オークとキラーエイプはまったく動く気配を見せなかった。
どうやらこの2種類の魔物には止めを刺せたようだ。
少しホッとしたが、悪い状況には変わりない。
俺は更に奴らを追い込むべく、アーシャさんとサナちゃんに次の指示を出した。
「アーシャさんはレイスさんにスカラを。それとサナちゃんもシェーラさんにスカラをかけてほしい。急いで!」
2人は頷くと同時に呪文を唱えた。
【スカラ】
レイスさんとシェーラさんに青く光る霧状のものが纏わりつく。
これで2人の防御力はかなり上がったはずだ。
俺はそれを確認すると、アームライオンを指差し、レイスさん達に指示を出した。
「レイスさんとシェーラさんは今の内に、残った魔物2体の止めを刺してください。そして、攻撃を終えたら、俺達の前に戻って守りを固めてください。急いで!」
「了解した」
「わかったわ」
俺の指示を受けた2人は、ヨロヨロと弱っているアームライオン目掛けて駆けてゆき、容赦なく斬りかかった。
その刹那、アームライオンの断末魔がこの場に響き渡る。
【ヴァギャァァァ!】
まるで積み木が崩れるかのように、アームライオンはバタリと地面に横たわった。
レイスさんとシェーラさんはアームライオンの死を確認すると、指示通りに俺達3人の前へと戻ってきた。
そして剣と盾を構えてザルマと対峙し、奴の出方を窺ったのである。
今の攻撃は流石にザルマも頭に来たのか、ワナワナと体を震わせていた。
【やってくれますね、虫けら共……。こっちが大人しくしていればいい気になりやがって! だが、調子に乗るのもそこまでだ!】
するとその直後、ザルマは大きく息を吸い込み、なんと、口から炎を吐きだしたのである。
それはまるでベギラマを思わせる火炎放射であった。
その炎が俺達に襲いかかる。
だがその瞬間、レイスさんとシェーラさんが鉄の盾を前に掲げ、俺達の前に立ち塞がってくれたのである。
そのお蔭もあって、俺達3人にまでは炎が届かなかった。
しかし、レイスさん達の苦悶の声が聞こえてくる。
「グッ!」
「こ、これはキツイわね」
かなり強烈なブレス攻撃なので、流石に鉄の盾では防ぎきれないに違いない。
それから程なくして、ザルマのブレス攻撃は終了する。
俺はそこで一瞬、肩の力が抜けた。
(もしかすると……今のがゲームでよくやられた火炎の息とかいう攻撃か……リアルでやられると、たまったもんじゃないぞ……ン?)
だがホッとしたのも束の間であった。
ザルマが次の行動を開始したからである。
【ベホイミ】
奴の身体が白く光り輝くと共に、イオラの焦げ跡がみるみる消えていった。
そして傷が回復したところで、ザルマは俺達に言い放ったのだ。
【ククククッ、愚か者共め、なぶり殺しにしてあげましょう。そちらの魔法使いは中々の使い手のようですが、貴様らの装備で私を倒す事など不可能ですからね。覚悟しなさい】
(チッ……ベホイミまで使えるのか。なんて厄介な敵だ……)
だが怯んでる暇はない。
「大丈夫ですか、2人共」
「ああ、盾で身を守っていたので大丈夫だ。だが……あの炎は強力だ。連続でやられると不味い」
「確かに……。それはともかく、レイスさんとシェーラさんに次の指示をします。効くかどうかわかりませんが、俺が今から奴にルカニを使います。その直後に奴に攻撃をして下さい」
「了解した」
俺は続いて、他の2人にも指示をした。
「それと、サナちゃんとアーシャさんは、自分にスカラを掛けて守備力の強化してください」
2人はコクリと頷くとすぐに実行する。
【スカラ】
そして俺は魔導士の杖を奴に向け、呪文を唱えたのである。
【ルカニ】
その直後、杖から紫色に光り輝く魔力の塊が出現し、ザルマに向かって放たれた。
魔力の塊は、ザルマに命中すると、弾けて紫色の霧へと変化し、奴を覆い始めたのだ。
しかし、それを見てザルマは嘲笑った。
【クククッ、無駄な事です。私にこのような呪文は効きませんよ。フンッ!】
なんとザルマは全身から魔力を放ち、紫色の霧を振り払ったのである。
(クッ……ルカニが効かないとは……)
と、そこで、レイスさんとシェーラさんがザルマに斬り掛かった。
2人の振るう鋭い鋼の刃が、ザルマの身体を切り刻む。が、しかし……ザルマは平然としながら、不敵な笑みを浮かべていた。
【勇ましい事です。ですが、その程度の武器で、今の私に深手を負わせることは無理ですよ。とりあえず、邪魔ですから向こうへ行っていてください】
ザルマは素早く4本の腕を伸ばし、レイスさんとシェーラさんの腕を掴む。
そして、2人を俺の背後にある岩壁へと投げつけたのであった。
「ウワァ!」
「キャァァ!」
ドガッという衝突音がすると2人は地面に落ちてくる。
サナちゃんは2人に慌てて駆け寄った。
「大丈夫ですかッ! レイスにシェーラ!」
「だ、大丈夫です、イメリア様……スカラの効果がありますので、なんとか耐えることが出来ました」
「私も……大丈夫です、イメリア様」
レイスさんとシェーラさんは、ヨロヨロと何とか立ち上がった。
だがその痛々しい姿は、幾らスカラが掛かっているとはいえ、かなりダメージを受けている感じであった。
(相当なダメージを受けたはずだ……早く回復しないと……)
俺は他の2人に指示を出した。
「サナちゃんはレイスさんにベホイミを。アーシャさんはシェーラさんに祝福の杖で回復お願いします」
2人は無言で頷くと、早速、行動を開始する。
そして俺はというと、ザルマを窺いながら、魔力の流れを2つに分ける作業に取り掛かったのである。
俺が今から使う呪文……それはメラミだ。が、しかし、普通に使うのではない。
両手に魔力の流れを分散させて、2つ同時にメラミを行使するのである。
同じ魔法ならば、魔力制御をしっかり行う事でそれが可能なのだ。
とはいえ、メラミのような中級魔法になると必要な魔力量も多くなるので、当然、身体にも負担が掛かってくる。
それを避ける為にも、しっかりとした魔力の分散作業が必要なのだ。
と、そこで、ザルマの嘲笑う声が聞こえてきた。
【ククククククッ……さて、これで私の傷は全て治癒できました。ではイメリア様、そろそろ貴方の命を貰い受けるとしましょうか。私の任務はラトゥーナの末裔を始末することですからね。他の者達はその後、私がジワジワとなぶり殺しにして差し上げます。待ってなさい】
そう告げるや、ザルマは俺達に向かいズンズンと向かってきた。
だが、丁度そこで、俺の方も準備が整ったのである。
(よし……いくぞ)
俺は杖を地面に突き立て、両手をザルマに向ける。
そして呪文を唱えた。
【メラミ】
俺の両手から直径1mはある2つの火球が出現する。
その刹那、火球はザルマに向かい、物凄いスピードで放たれたのであった。
ザルマは目を見開く。
【何ィッ! 2つ同時に繰り出しただとッ!】
火球はモロに命中し、ザルマを火達磨にした。
【ウギャァァァァァ】
ザルマは叫び声を上げながら、のたうち回る。
(よし……これならいけるかもしれない……)
と思った、その時であった。
【グォォォォォォ】
ザルマは雄叫びを上げると共に、全身から黒い煙のようなモノを噴き出したのである。
俺は我が目を疑った。
「そんな馬鹿な! 火が消えてゆくッ」
そう……ザルマの身体から黒い煙が現れるや否や、炎が鎮火し始めたのだ。
そして、炎が完全に消えたところでザルマは俺を睨みつけ、息を荒くしながら言葉を発したのであった。
【ハァ……ハァ……油断しましたよ。貴方がここまでの魔法の使い手とは思いませんでした。……予定変更です。まずは貴方を無力化するところから始めましょう。あまり使いたくはありませんでしたが、止むを得ません】
ザルマはそこで、黄色い玉が付いている首輪を取り外した。
(あの首輪をどうするつもりだ……あまり使いたくないと言ってたが……)
何をするつもりなのか分からないが、とりあえず、俺は用心の為に、自分の守備力を強化することにした。
【スカラ】
俺の身体に青く光る霧が纏わりつく。
と、そこで、ザルマは口を開いた。
【ほう……ここでスカラですか。何者か知りませんが、良い判断です。では私も貴方に習って、これを使う前に、私自身の回復をしておきましょうかね。ベホイミ!】
ザルマの身体が白く輝き、メラミで出来た火傷が小さくなってゆく。
俺は脳内で愚痴をこぼした。
(回復魔法を使うボスキャラは反則だろ……)
身体が回復したところで、ザルマは独り言ちた。
【クククッ、さて、それでは始めましょうかね。フン!】
ザルマは黄色い玉に握り、魔力を籠める。
その直後、黄色い霧のようなモノが玉から発生し、辺りに漂い始めたのである。
俺は毒ガスかと思い、袖で咄嗟に口と鼻を塞いだ。
と、そこで、ザルマの不愉快な笑い声が聞こえてきたのである。
【ククククッ……心配しなくても毒ではありませんよ。いや、魔法使いにとっては毒かもしれませんがね。クククククッ】
(どういう意味だ、一体……しかし、ここは攻撃の手を緩めてはいけない……)
そう思った俺は、アーシャさんとサナちゃんに指示をだした。
「アーシャさん、奴にマホトーンをお願いします。それからサナちゃんは、ピオリムをもう一度かけてください」
2人は頷くと呪文を唱えた。
【マホトーン】
【ピオリム】
だがしかし……何も起こらなかった。
訝しげに思った2人は、もう一度、呪文を唱える。
【マホトーン】
【ピオリム】
しかし、何も起こらない。
なぜかわからないが、彼女達の声が虚しく響き渡るだけだったのだ。
ザルマの嘲笑う声が聞こえてくる。
【クハハハハッ……言い忘れましたが、今使ったのは呪文を無効化する道具ですので、マホトーンなど使わなくても大丈夫ですよ。なぜなら、この場で魔法はもう使えないのですから。ククククッ。まぁ私も魔法を使えなくなりましたが、今の私にとって、手負いの戦士や魔法が使えない魔法使いなど恐るるに足りませんのでね。ああ、それともう1つ言っておきましょう。この無効化は私が死ぬまで解除されませんので、そのつもりでいて下さい。ククククッ】
「な、なんですって……」
「そんな……」
アーシャさんとサナちゃんは青褪めた表情になった。
勿論、俺もである。
もしそれが本当ならば、俺達の唯一のアドバンテージが無くなったということなのだ。
(ヤバい……万事休すか……)
俺は逃げ道を探そうと、周囲を見回した。
だがそんな俺を見たザルマは、そこで少し後ろへ下がり、俺達の退路を断つかのように4本の腕を広げたのである。
【クククッ、逃がしませんよ。貴方がたの旅はここで終わりです。観念しなさい】
と、そこで、レイスさんの声が聞こえてきた。
「コータローさん……我々が奴の気を引き、逃げ道を切り開く。だからイメリア様を連れてここから逃げてくれ!」
そう告げるや否や、レイスさんとシェーラさんは、奴に突進したのである。
「ちょ、ちょっと待ってッ! 2人とも先走らないで!」
2人は間合いを詰めると、勢いを殺さずに奴に斬りかかる。
「でやぁ!」
「セァ!」
ザルマの身体に2人の剣が鋭く食い込む。が、しかし……やはり、先程と結果は同じであった。
奴に深手を負わせるまではいかなかったのだ。
ザルマはニヤリと笑みを浮かべると、2人の手足を掴む。
【貴方がたも凝りませんねぇ。鋼の剣程度では無理だとさっき言ったでしょう。後で殺して差し上げますから、向こうで待ってなさい。フンッ】
「ウワァ」
「キャァ」
先程と同じように、レイスさんとシェーラさんは、俺の背後にある岩壁に投げつけられ激突する。
そして2人は落下し、地面に伏したのであった。
2人が行った無謀な攻撃で、俺達が最悪な事態になりつつあった。
そう……全滅という二文字が思い浮かぶところまできているのである。
だがしかし、俺は今の攻防を見たことにより、まだ試していなかった攻撃方法が脳裏に過ぎったのだ。
そしてソレならば、奴の身体を切り裂く事が可能かもしれないと考えたのである。
とはいえ、それは著しく魔法力を消耗してしまう方法でもあった。
その為、俺の中に迷いも同時に生れてきた。
しかし、今はどの道、魔法が使えない状況なのを考えると、もはや選択の余地はないのかもしれない。
使うべきか否か……俺はそれを悩みつつ、投げ飛ばされたレイスさん達に視線を向けた。
地に伏せる2人の額や腕からは、真っ赤な血がドクドクと流れ、そして滴っていた。
満身創痍……これが今の2人を表す言葉であった。
恐らく、立つことも敵わないくらいにダメージを負っているに違いない。早く治療をしないといけない状態だ。
その為、俺は急いでレイスさん達に駆け寄り、道具袋に入れておいた薬草を手渡したのである。
「レイスさんにシェーラさん、今はこれを使ってください。多少は効果がある筈です」
「す、すまない」
「ありがとう、コータローさん」
と、その時であった。
地の底から響いてくるような物凄い雄叫びが、辺りに響き渡ったのである。
【ガウォォォォォォォォォン! ガウォォォォン!】
森の中にいた鳥たちは今の雄叫びに驚き、木から一斉に飛び立っていった。
また、雄叫びを聞いたサナちゃんとアーシャさんは、ブルブルと震えながらその場に立ち竦んだのである。
俺は直観的に思った。
これは獣系の魔物がゲームでよく使う、雄叫びというやつだと。
立ち竦む2人を見たザルマは、ニヤリと笑みを浮かべ、愉快そうに話し始めた。
【おやおや、身が竦むほどに驚かせてしまいましたか。ククククッ、これは失礼しました、イメリア様。では折角なので、すぐに楽にして差し上げましょう】
ザルマは2人に向かって悠々と歩みだした。
(こ、このままでは2人が危ない!)
俺はそう思うや否や、反射的に駆け出していた。
そしてあの攻撃方法を試すしかないと、俺はこの瞬間、決心したのである。
俺は立ち竦むサナちゃんとアーシャさんの前に来ると、こちらに向かってくるザルマと対峙した。
そこでザルマは、大きな口を開ける。
【魔法の使えぬ魔法使いが何をするというのです。お前諸共、その娘達を切り裂いてくれるわ!】
ザルマは油断していた。
魔法を封じた事で、俺を完全に無力化できたと思っていたのだろう。
だがしかし、俺には魔法を封じられても攻撃できる手段があるのだ。
そして俺はそれを実行するべく、腰にある魔光の剣を手に取り、青白く輝く光の刃を出現させたのであった。
俺は魔光の剣を中段に構える。
すると魔光の剣を見たザルマは、不敵な笑みを浮かべ、声高に言ったのである。
【ククククッ、何をするのかと思えば。下らない……そんな下らない武器で私が倒せるかァァァ。死ねェェェ!】
ザルマはその直後、俺に向かって2本の右手を振るってきた。
鋭利な爪が迫ってくるのが俺の目に映りこむ。
だが俺は冷静であった。そして上手くいく自信もあったのだ。
なぜなら、レイスさん達が斬りつけた傷の深さを見て、この魔光の剣ならばできると思ったからである。
俺は自分を信じた。今までこの魔光の剣を使って修行を積み重ねてきた自分を……。
剣を振るう瞬間、俺は魔光の剣に籠める魔力を最大出力まで高めた。
出力が上がるに従い、魔光の剣は眩いほどの輝きを放つ。
そして俺は迫り来る2本の腕に向かい、最大出力の光の刃を真っ直ぐ縦に振り下ろしたのだ。
その刹那、襲い掛かる2本の腕が綺麗に切断される。
俺はそこから更に踏み込むと、今度は胴を左から右へと横に薙いだ。
【ぐふッ……】
ザルマの腹が裂け、黒い血が噴き出す。
これで終わりではない。
俺はここから三段目の攻撃を繰り出すべく、柄を握る手を逆手に持ち変え、そこから燕が翻るような軌道で逆袈裟に斬りあげたのである。
そう、燕返しだ!
光の刃はザルマの腰から肩口に向かって一閃する。
次の瞬間……支えるモノが無くなったザルマの胴体は、重力に従って斜めにずり落ち、地面にドサリと横たわったのだ。
しかし、相手は魔物……まだ安心はできない。
その為、俺は地面に転がるザルマの半身に刃の切先を向け、奴の様子を窺ったのであった。
俺が剣を突きつける中、ザルマは吐血しながら弱々しく言葉を発した。
【ゴフッ……まさか……こんな奴を仲間にしていたとは……。く……あと一歩というところで……ゴフッ……クククッ……だが、私を倒しても終わりではありませんよ……イメリア様には次の追っ手が差し向けられるでしょうからね……ラトゥーナの……末裔には死あるのみです……ゴフッ】
この言葉を最後にザルマは息絶えた。
シンとした静寂が辺りに漂い始める。
俺はそこで身体の力を抜き、大きく息を吐くと魔光の剣を仕舞った。
そして俺は、今の攻撃について暫し考えたのである。
最高出力での魔光の剣は、一時的にだが、恐ろしいほどの切れ味を得ることが出来る。
しかしその代償に、とんでもない量の魔力を消費してしまう諸刃の剣であった。
お蔭で今の俺の魔力はスッカラカン状態である。
しかも、一度に多量の魔力を使うので、肉体的な疲労も当然やってくるのだ。
出来れば使いたくはない攻撃方法であったが、今回ばかりはこれを使う以外に方法がなかった。
だが、結果的に魔物達を倒せたので、俺の判断は間違ってなかったということだろう。
それともう1つ……止めの燕返しである。
これは俺が魔光の剣を使った訓練をしてた時に、以前プレイした某無双ゲームのムービーを思い出したのが切っ掛けで練習してきた技である。
ちなみにだが、佐々木小次郎のムービーで「跳ねるかいそこで」とかいうセリフがでてくるやつだ。
話を戻そう。
で、この燕返しだが、真剣では重すぎて俺には無理だ。
しかし、この300g程度の魔光の剣ならば可能だと思えたので、モノにしようと練習を始めたのである。
そんなわけで俺は今、燕返しの練習をしておいてよかったと、少しホッとしているところでもあるのだった。
まぁとりあえず、戦いの余韻に浸るのはこの辺にしておこう。
俺は後ろにいるサナちゃんとアーシャさんの様子を確認する事にした。
するとサナちゃんとアーシャさんは、呆然とした表情で、俺とザルマの亡骸を交互に見ていたのである。
サナちゃんはボソリと言った。
「コータローさん……あなた一体何者……」
「貴方……腕を上げたと思ってましたけど、まさかこんな魔物まで倒せるなんて……というか倒せるなら、もっと早くにそれを使えばよかったのですわッ」
アーシャさんはそう言うや否や、頬を膨らませた。
出し惜しみをしていたと思われるのは俺も心外なので、弁明はしておこう。
「これを使わなかったのは、使いたくなかったからですよ。さっきのは全魔力と引き換えに得た切断力なんです。だから、今の俺の魔力は底をついた状態なんでスッカラカンなんですよ。ホイミすら使えないくらいです」
俺はそう言うと両手をヒラヒラさせた。
アーシャさんはそれを聞き、少し罰の悪そうな顔をした。
「そ、そうでしたの……ごめんなさい。知りませんでしたわ」
どうやら納得してくれたようだ。
と、そこで、やや離れたところにいるレイスさんとシェーラさんがヨロヨロと立ち上がり、こちらへと歩き出したのである
この様子を見る限りだと、薬草ではそこまで回復出来なかったのだろう。
だがザルマの死んだ今なら魔法も使える筈……。
そう思った俺は、サナちゃんとアーシャさんに最後の指示を出したのであった。
「それはそうと2人共、もう魔法は使える筈なんで、レイスさん達を治療してもらえますか。かなり傷ついているみたいなのでお願いします」
「は、はい」
「わかりましたわ」
2人は頷くと、足早にレイスさん達に駆け寄る。
それからすぐに魔法治療に取り掛かったのである。
そして俺はというと、治療が終わるまでの間、今あった一連の出来事を色々と考える事にしたのだ。
Lv17 フィンドの町
[Ⅰ]
祈りの指輪で魔法力を少し回復した後、俺は地面に腰を下ろし、先程のザルマとレイスさん達のやり取りを思い返していた。
彼らはあの時、サナちゃんの事をイメリア様と呼んでいた。またそれに加え、ザルマはこんな事を言っていたのである。ラトゥーナの末裔を殺すことが任務と……。
何の末裔なのかは知らないが、彼らの言動から察するに、サナちゃんはラミナスという国において、かなり高貴な存在だったに違いない。
俺の予想では国の要人か、もしくはその子女といったところだろうか。
そして、レイスさんとシェーラさんは、サナちゃんを護衛する従者だと考えるとシックリくるのである。
思い返せばこの2日間、サナちゃんは、いつも2人に守られるように行動していた気がする。
必ずサナちゃんの両脇には、レイスさんとシェーラさんの姿があったのだ。
今朝、マルディラントの広場で会った時もそうであった。
それらを考えると、今の推察は当たらずとも遠からずだと、俺は思っているのである。
まぁいずれにせよ、その辺りの事はレイスさん達に確認するつもりだ。
いや、旅の安全の為にも、絶対に確認しなければならない事である。
この先、レイスさん達は、魔物を呼び寄せる『ガライの竪琴』になる可能性があるのだから……。
(それにしても……前途多難だな。旅の初日から、いきなりこれかよ……)
と、そこで、服の内側にいるラーのオッサンが、小声で話しかけてきた。
「……コータローよ。空を見ろ」
「ん、空?」
俺は空を見上げた。
「だいぶ日も傾いてきた。早くこの森を抜けた方がいい。夜は魔の瘴気が地上に現れやすくなる。昼と違い、魔物も活発になるぞ。今のところ周囲に魔物の気配は感じないが、これから先、どうなるかわからんからな」
今の内容に少し引っ掛かる部分があったが、確かにその通りである。
日がある内にとっとと森を抜けて、その先にあるフィンドへと向かわねばならないのだ。
俺はそこで治療中のレイスさん達に視線を向ける。
するともう治療も終わったのか、4人共、俺の方へと向かっているところであった。
レイスさんとシェーラさんの歩く姿を見る限り、かなり傷は回復したようである。
この様子ならもう出発しても問題はなさそうだ。
4人は俺の前に来ると、まずアーシャさんが口を開いた。
「コータローさん、治療は終わりましたわよ。それと……レイスさんから話があるそうですわ」
俺はレイスさんに視線を向ける。
すると突然、レイスさんは両膝と両掌を地面に付き、土下座の一歩手前のような姿勢になったのである。
「コータローさん……本当に申し訳ないことをしたッ! 今回の魔物の襲撃は、私達が原因なのだ。そして……私は貴方に黙っていた事がある。実は――」
話している途中だが、俺は構わずに言った。
「レイスさん、話は後です」
「え?」
レイスさんは顔を上げる。
俺は空を指さした。
「日も傾いてきました。馬に食料と水を与え次第、すぐにこの森を抜けましょう。話は、その先にあるフィンドで訊かせてもらいます」
「……わかった。君の言うとおりにしよう」
「では馬の世話は、レイスさん達にお任せしますね」
レイスさんは静かに頷いた。
そして、俺はアーシャさんと共に、馬車の方へと移動を始めたのである。
馬車の前に来ると、気まずそうな表情で俯き加減になったロランさんの姿があった。
その隣には奥さんや娘さんがおり、ロランさんと同様、少し俯き加減であった。
この様子を見る限り、ロランさん達も罪悪感は感じているのだろう。悪い人達ではないのかもしれない。とはいえ、あまりそういう先入観を持つのも良くないが……。
ちなみに奥さんと娘さんは、ロランさんと違い細身の体型で、服装は2人共、旅人の服を着るという出で立ちであった。
奥さんの方はロランさんと同じくらいの年齢で、ごく普通のおばさんという感じだ。
それから娘さんだが、俺が見た感じだとアーシャさんくらいの年齢のように見えた。
また、赤い髪をポニーテールにしている所為か、ドラクエⅢの説明書に描かれていた女商人みたいな感じの娘さんであった。中々に可愛い子である。
まぁそれはさておき、俺はロランさんに確認したい事があったので、それを訊ねる事にした。
「ロランさん……貴方が俺達を騙した事については、もうとやかくは言いません。家族を人質をとられていた事を考えれば、致し方ない部分もありますしね。ですが、1つ訊きたい事があるんです」
「は、はい、なんでしょうか?」
「貴方はあの魔物達と、一体どこで接触したのですか? それをお聞かせ願いたい」
するとロランさんは肩を落とし、元気なく口を開いた。
「それなんですが……実は、マルディラントでなんです」
「え、マルディラントで!?」
「マルディラントですって!?」
俺は隣にいるアーシャさんと顔を見合わせた。
アーシャさんも驚きを隠せないのか、目を大きくしていた。
「一体、どういう事なんです。詳しく話してください」
「奴等と会ったのは、昨日、ルイーダの酒場で旅の護衛を依頼していた時でした。近くのカウンター席にいたあのラミリアンの男が、『私達も早朝にフィンドへ向かうんだが、ついでですし、一緒に行きませんか? お金はいいですから』と私に言ってきたのです。それで私は願ってもない事だと思い、すぐに了承しました。そして、その方達に同行させてもらう事になったのです。冒険者達は大人数でしたので、私はすっかり安心してました。それで、途中まではなんとも無かったのですが……この森の中に入ってから冒険者達は正体を現しまして……」
経緯は大体わかったが、気になる点が幾つかあったので、俺は質問を続けた。
「マルディラントを出発したのはイシュラナの鐘が鳴る前ですか?」
「はい、仰る通りです。出発したのは朝日が昇り始めた頃なので、イシュラナの鐘が鳴るだいぶ前です」
俺達が出発する頃には、かなり先を進んでいたようだ。……辻褄は合う。
「それと今、護衛を依頼したと仰いましたが、この森に入るまで奴等に不審な点はなかったのですね?」
「はい、その時点では普通の冒険者でした。魔物などとは、とてもではありませんが思えませんでした」
「そうですか……。では魔物達についてお訊きします。魔物達とはルイーダの酒場で会ったと言ってましたが、そこでは他の客たちと同様、普通に振る舞っていたのですか?」
だが今の質問を聞いたロランさんは、空を見上げて何かを考え始めたのである。
ロランさんは程なくして口を開いた。
「いえ、酒場にいたのは、ザルマというあのラミリアンの男だけでした。他の者達とは街の外で落ち合ったのです。まぁこれもザルマという男の受け売りですから、どこまで信用できるかわかりませんが……」
「酒場で会ったのはザルマだけで、他は街の外でですか……なるほど。では次に、移動手段についてお訊きします。ここに来るまでの移動方法は何でしたか?」
「馬車と馬です。冒険者達が馬車1台と馬2頭で、私達が荷馬車1台という組み合わせです」
「その馬車と馬は今、どこにあるのですか?」
ロランさんはそこで奥さんに視線を向けた。
すると奥さんは、溜息を吐き、項垂れたのである。
「それが実は……魔物達が奇妙な魔法を使って、馬車と馬を一瞬で消してしまったのです」
「一瞬で消した?」
そんな魔法、ドラクエにあっただろうか……。
レムオルとかいう、姿を見えなくする魔法なら俺も知ってるが……。
まぁそれはともかく、話を聞こう。
「で、消したという場所は、どの辺りなんですか?」
「フィンドに向かって森の街道をまっすぐ進みますと、途中で広場になったところがあるのですが、魔物達はそこで馬と馬車を消したのです」
話を聞く限りだと、フィンドに向かう途中のようだ。
少し時間は取られるが、そこを通る時に、一度確認はしておいた方が良いかもしれない。
「では最後にもう1つお訊きします。マルディラントから同行してきたという魔物達の中で、途中、別行動をする魔物はいましたか?」
ロランさんは頭を振る。
「いいえ、別行動をした者はおりません。ずっと11名でした」
「そうですか。訊きたい事は以上です。ありがとうございました」
俺はとりあえず、今得た情報を暫し頭の中で整理する事にした。
と、そこで、背後から俺を呼ぶ声が聞こえてきたのである。
【あ、あの……コ、コータローさん……】
俺は後ろを振り返る。
するとそこには、気まずそうな表情を浮かべたサナちゃんが、シュンとしながら立っていたのだ。
「ん、何だい、サナちゃん」
サナちゃんは、懐から紺色の液体が入った小瓶を取り出し、俺へと差し出した。
「あの……コータローさんは先程、魔力が尽きたと言っておりました。ですから……この魔法の聖水をお使いください」
「サナちゃん、気にしなくていいよ。さっき、魔力回復させる道具を使ったから少しは回復してるしね」
「で、でも……私、助けてもらっておいて、今はこんな事くらいしか出来る事がないんです。だから、どうか使ってください。お願いします」
サナちゃんはそう言うと、深々と頭を下げてきたのである。
この子なりに気を使っているのだろう。
「とりあえず、気持ちだけ受け取っておくよ。それは貴重な魔法回復薬だから、サナちゃんが使った方がいい」
「でも……」
「気にしない、気にしない」
俺はそう言って、サナちゃんの頭を優しく撫でた。
すると恥ずかしかったのか、サナちゃんは赤面しつつ顔を俯かせたのである。
こういう部分は見た目の影響か、すごく子供っぽい仕草であった。
(可愛い、エルフの女の子って感じだな……ン?)
と、そこで、レイスさんの声が聞こえてきた。
「コータローさん、馬はだいぶ調子を取り戻した。いつでも出発は出来るが、どうしようか?」
「ではすぐに出発しましょう。この先で、少し調べたい事もあるので」
するとロランさんが、慌てて俺に話しかけてきた。
「あ、あの、私達も一緒に連れて行ってもらえないでしょうか? 厚かましい事だとは私も承知しています。ですが、どうかお願いします。また魔物達に襲われるのかと思うと、私はもう……」
ロランさんは身体を震わせながら頭を下げた。
奥さんと娘さんもロランさんに続く。
「私からも、どうかお願いします」
「お願いします」
さすがに、今のロランさん一家を置いていくような鬼にはなれないので、ここは俺の独断で返事をしておいた。
「いいですよ。じゃあ、乗ってください」
「あ、ありがとうございます」
ロランさんは少し涙目になっていた。
あんな魔物を見た後だから、無理もないだろう。
まぁそれはさておき、俺達は早速、馬車へと乗り込んだ。
そして、全員が乗ったところで、俺は御者席にいるレイスさんに告げたのである。
「ではレイスさん、出発してください」
「了解した。ハイヤッ」
レイスさんの鞭を打つ掛け声の後、馬車はカラカラと軽快に動き出した。
予想外の展開があった為、やや長い休憩になってしまったが、なんとか旅を再開する事ができたので、とりあえずは良しとしよう。
まぁそんなわけで、また周囲を警戒しながらの移動が始まるのである。
話は変わるが、その道中……ロランさんは、俺にこんな質問をしてきたのであった。
「ところで貴方達は……いえ、貴方は一体何者なんですか? ただの冒険者ではないですよね? あんな恐ろしい化け物を倒してしまうんですから……」
「俺? 俺はただのジェダイさ、じゃなかった。ただの魔法使いですよ」
一瞬、ケ○シー・ライバックみたいになりかけたが、そこは愛嬌だ。
[Ⅱ]
森の街道に出た俺達はフィンドへと向かって進んで行く。
街道は日が傾いてきた事もあり、休憩前と比べると少し薄暗さが増していた。その所為か、ややおどろおどろしい雰囲気となっている。いつ魔物が出て来てもおかしくない状況だ。
だが今のところ、魔物は現れてはいない。
周囲を見回しても、それらしい影が見える事もなかった。
また物音も、この馬車の音以外は何も聞こえてこないので、俺が見た限りでは、この近辺に魔物はいないように感じたのである。
とはいえ、安心はまったくできないので、依然と気は抜けない状況であった。
(ザルマとの戦闘があったお陰で……ちょっとしたことでもビクッとしてしまう……ジッとしているだけだけど、警戒し続けるのって以外と疲れるわ……ン?)
そんな感じで、警戒しながら進んでいると、前方に開けた空間が見えてきた。
どうやらあれが、ロランさんの奥さんが言っていた広場なのかもしれない。
つーわけで、俺は奥さんに確認をした。
「前にあるのが、先程言っていた広場ですか?」
「はい、そうでございます。あそこで魔物達は馬車を消したのです」
俺はレイスさんに、停まるよう指示をした。
「レイスさん、前方の広場で一旦止まってください。少し調べたい事がありますので」
「了解した」
レイスさんは俺の指示通り、広場に入ったところで停まってくれた。
俺はそこで、馬車の中から周囲に目を向ける。
広場の大きさは、先程の休憩場所と同じくらいだが、周囲を木々に囲まれている所為か、やや狭く感じる場所であった。
今見た感じだと、目につくようなモノは何も無さそうだ。
(ここで消したらしいけど、それらしい痕跡はないな……)
一通り見回してみたが、馬車や馬の姿は、勿論、どこにもなかった。
「魔物達はどの辺りで馬車を消したのか、わかりますかね?」
すると奥さんは、この広場にある一番太い木を指さした。
「えっと、そこにある大きな木の付近です」
「あそこですね。じゃあ、皆はここで待っててもらえますか。ちょいと見てきますんで」
俺は馬車から降り、現場検証をする事にした。
なぜこんな行動に出たのかというと、勿論、姿が見えなくなっているだけではないかと思ったからだ。
奥さんの話を聞いた時から、なんとなく、そんな風に思っていたのである。
それにドラクエⅢでは、実際にそういった魔法や道具が出てくるので、あながち無いとも言い切れないのだ。
太い木の前に来た俺は、そこで馬の気配がないかを暫し探ってみた。
10秒、20秒……俺は静かに聞き耳を立てる。
すると、馬の息づかいのような「ブルッ」という音が、付近から小さく聞こえてきたのである。
俺は確証を得る為に、その辺を少し手で探ってみた。
すると生暖かい何かがそこにあったのだ。
これはもう姿が見えないだけという現象で確定のようだが、問題はどうやって見えるようにするかである。
(さて……これを見えるようにするには、どうすればいいんだろうか……ゲームだと、歩いているうちに効果が消えたけど……ン?)
と、そこで、アーシャさんが俺の隣にやってきた。
「コータローさん……先程、奇妙な動きをしてましたけど、何かわかりましたか?」
俺は何かがある箇所を指さした。
「アーシャさん、この辺に手を伸ばしてもらえますか」
「ここですか……って、なんですのこの感触は!?」
流石にアーシャさんも驚いたのか、ビックリして手を引っ込めた。
「そうなんです。見えないだけで、ここには何かがあるんですよ」
ここで、ラーのオッサンの囁くような声が聞こえてきた。
「コータローよ……他の者達に見えぬよう、我を表に出せ。この魔法を解いてやろう」
「ラー様、そんな事ができますの?」と、アーシャさん。
「フン、我を誰だと思っておる。こんな下らないまやかしなど造作もない事よ」
まぁ仮にもラーの鏡だし、当たり前か。
などと思いつつ、俺は皆に見えないよう、服の内側あるラーの鏡を表に出したのである。
「じゃあ、頼むわ」
「うむ」
その直後、ラーの鏡はカメラのフラッシュのように、ピカッと一瞬だけ眩く光った。
すると次の瞬間、今まで姿すら見えなかったものが、突如、目の前に出現したのだ。
目の前に現れたのは2頭の馬と2台の馬車であった。
馬車の1台は、荷物が沢山積まれた荷馬車だったので、恐らく、ロランさんのモノなのかもしれない。
まぁそれはさておき、オッサンがまやかしを解いたところで、皆の驚く声が聞こえてきた。
「エッ? どういう事?」
「嘘ッ!」
「何をしたんだ? 突然、現れたぞ……」
向こうが少しざわつく中、俺は急いでラーの鏡を胸元に仕舞う。
そして、ロランさんをここに呼んだのである。
「ロランさん、ちょっと来てくださいッ」
「は、はい」
ロランさんは返事をすると、足早にこちらへとやってきた。
俺はそこで、ロランさんに確認をした。
「ここにある馬や馬車は、貴方とザルマの物で間違いありませんか?」
「はいッ、間違いありません。これは私の荷馬車です。それから、この馬と馬車は奴等の物で間違いありませんッ」
自分の馬車が見つかったのが余程嬉しかったのか、ロランさんは顔を綻ばせて力強く頷いた。
そして、沢山の荷物を積み込んだ荷馬車に近寄り、積荷の確認を始めたのである。
一通り確認したところで、ロランさんは安堵の息を吐いた。
「荷物も無事でした。……もう諦めるしかないと思ってたので、本当に良かったです」
「それはよかったですね。ン?」
と、そこで、他の皆もこちらへとやってきた。
すると皆は不思議そうに、これらの馬車を眺めたのである。
姿が見えなかったのだから、こうなるのも無理はないだろう。
ロランさんの娘さんが俺に訊いてくる。
「あ、あの……これは、どういう事なのでしょうか?」
「見ての通り、消したのではなく、見えなくしていただけのようですね。つまり、ずっとここにあったという事です」
「では、あの時の魔物達は、見えない様にしただけなのですね」
「そうですよ。まぁそれはともかく……さしあたっての問題は、これをどうするかですね」
奴等が使っていた馬と馬車は中々良い物であった。
と、そこで、シェーラさんの声が聞こえてきた。
「コータローさん……貴方のお蔭でザルマ達を倒せたんだから、この馬車と馬は貴方が戦利品としてもらっといたらどう? 売れば結構なお金になると思うわよ。それに、旅にはお金が必要だしね」
まぁ確かにそれも一理ある。
だが問題もあるのだ。
「皆が良いのなら、それでも構わないんですが……問題はどうやって持って行くかなんですよね。俺は馬なんて乗った事ないから、操るなんて無理ですし……」
【え?】
すると、皆は一様に驚いた表情を浮かべていた。
(やだ……何、この反応……ちょっと空気が寒くなってる……)
アーシャさんが眉根を寄せて訊いてくる。
「馬に乗った事がないって……本当ですの? どこか具合が悪いのならともかく、この地に住む者で、そんな方がいるなんて思いませんでしたわ」
「コータローさんて優秀な魔法使いなのに、意外な一面があったのね」と、シェーラさん。
(ウッ……もしかして失言だったか……とはいえ、今更知ったかぶりすると後々面倒だ。それに今はこんな事をしてる場合じゃない)
つーわけで、適当に流すことにした。
「そ、そうなんですよ。だから、この馬と馬車に乗ってくれる人はいませんかね? 早くこの森を抜けないといけませんし」
まずシェーラさんが手を上げる。
「じゃあ、私が馬車を動かすわ」
「それでは、私と娘がこの2頭の馬に乗りますわ」とロランさんの奥さん。
「じゃあ、私は自分の荷馬車を」――
――というわけで、俺とアーシャさんとサナちゃんがレイスさんの馬車に乗って、他の者達がここに隠されていた馬と馬車に乗るという形で、俺達は移動を再開する事になったのである。
話は変わるが、これは、その道中での話だ。
馬車が動きはじめたところで、サナちゃんが俺に訊いてきた。
「あの、コータローさん……馬に乗れないというのは本当なのですか?」
またその話か……。
多分、この世界では、馬に乗れない事は恥ずかしい事なのかもしれない。
現代日本で言うなら、自転車に乗れない大人と同じ扱いなのかも……。
またそう考えると、途端に恥ずかしくなってきたのであった。
俺は後頭部をポリポリかきながら答えた。
「……うん、そうなんだよ。ここでは恥ずかしい事なのかも知れないけど」
するとサナちゃんは、屈託のない笑みを浮かべたのである。
「じゃあ、私と同じですね。私も馬に乗れないんです。だから、そんなに気にしなくてもいいと思いますよ」
「そ、そう」
俺はそこで少し気を持ち直した。
だが間髪入れず、アーシャさんが穴に突き落としてくれたのだ。
「サナさんはまだ子供ですから仕方ないですが、貴方のようないい大人が馬に乗れないのは問題ですわよ。今度、私が教えて差し上げますわ。同行する私まで恥ずかしいですから」
「はい……お願いします」
まぁそんなわけで、俺は新たなトリビアを得る事ができたのであった。
[Ⅲ]
森を抜けてから1時間半は経過しただろうか……。
地平線の彼方へ目を向けると、遠くに見える山の影に、太陽が隠れようとしているところであった。
またそれに伴い、周囲は少し肌寒い気温へと変化し始めていた。
そんな薄暗い寒空の元、俺達は今日の目的地であるフィンドに、今ようやく到着したところであった。
日のある時間帯に町へ到着できたので、まずは一安心といったところだ。
街に入ったところで、俺はレイスさんに言った。
「レイスさん、その辺の広場で、一旦止まってもらえますか」
「了解した」
程なくして、馬車は広場に停まる。それに連動して、後続の馬車や馬も停まった。
俺はそこで馬車を降り、後ろにいるロランさんのところへと向かった。
理由は勿論、宿の場所を訊く為だ。
「ロランさん、宿屋がどこにあるかわかりますかね?」
「ああ、それでしたら、私の店の隣にある宿屋になさったらどうですか? この町ではそれなりに大きな宿なので、部屋も空いてると思いますよ。それに馬の世話をしてくれる厩舎もありますし」
どうやら知っているどころか、ここの住人のようだ。
少し驚いたが、俺はそこで他の皆に視線を向けた。
すると4人共、コクリと頷いてくれたのである。
言わなくても察してくれたのだろう。アイコンタクトってやつだ。
「では、そこにしますんで案内してもらえますか」
「じゃあ、ついて来てください」
そんなわけで、ここからはロランさんを先頭に、俺達は進むのである。
ロランさんの後に続き、俺達を乗せた馬車は動き出す。
俺は馬車の車窓から、薄暗いフィンドの町並みを眺めた。
このフィンドは、真っ直ぐ走る街道の両脇に、石造りの家屋が建ち並ぶといった感じの小さな町であった。その為、街道の中継点といった感じがする所である。
また、小さな町ではあるが、寂れているというわけではない。それなりに活気もある。事実、街道には結構な数の馬車や人々が行き交っており、賑やかな雰囲気がそこかしこに見受けられるのである。
今が夕刻というのもあると思うが、それなりに人々が住む、ちゃんとした町であった。
俺達はそんなフィンドの町を進んでゆく。
すると程なくして、ロランさんはやや大きめの建物の前で、馬車を停めたのである。
レイスさんもそこで馬車を停めた。
そこは、清潔感溢れる白い石壁が特徴の3階建ての大きな建物で、正面玄関の上には、これまた大きな看板が掛かっていた。
ちなみにだが、看板にはこの国の文字で『安らぎの館・フィンドナ』と書かれている。モロに宿屋という感じだ。
まぁそれはさておき、ロランさんはそこで荷馬車を下りると、俺達の方へやってきた。
「ここが先程言っていた宿屋です。この左側には宿の主人が運営する厩舎もありますので、馬を休ませることが出来ますよ。それと馬車と馬を売られるのでしたら、宿屋の主人と交渉してみて下さい。ここの主人は馬車や馬の売買もやっておりますから」
「ありがとうございます、ロランさん。そうさせて頂きます」
続いてロランさんは、右側に隣接する2階建ての建物を指さした。
「それと、この右隣の店が、私が経営している道具屋になります。出発する前には是非お立ち寄りください。皆さんにはお世話になりましたのとお詫びの印に、私も奮発するつもりですので」
ロランさんの道具屋は手入れが行き届いているのか、結構綺麗な佇まいを見せる店舗であった。
汚れのない正面の石壁や玄関に掲げられた丸い看板に加え、ピカピカと輝く白い玄関扉がここから見えるので、特にそんな印象を受けたのである。
「へぇ……綺麗な店ですね。わかりました。また寄らせてもらいますんで、その時はよろしくお願いしますね」
「是非、お越しください。さて……それでは皆さん、今日は本当にありがとうございました。道中、私達家族が無事だったのは皆さんのお蔭です」
ロランさんはそう言って、深く頭を下げた。
続いて、奥さんと娘さんも頭を下げる。
「本当に、どうもありがとうございました」
「今日はありがとうございました」
それを聞き、レイスさんは申し訳なさそうに言葉を紡いだ。
「いや、我等の所為でそなた達を巻き込んでしまったのだ。謝るのは我々の方である。……すまなかった」
「ですが、タダで護衛してもらえるという都合の良い話に、ホイホイとついていった私にも原因がありますからね。それと、人に化ける魔物がいると分かった事も勉強になりました。これからは上手い話には乗らず、注意する事にしますよ。では皆さん、これで失礼させて頂きます。どうもありがとうございました」
まぁそんなわけで、ロランさん達とは、ここでお別れとなったのである。
ロランさん一家が去ったところで、俺は馬車を降りた。
「さてと……じゃあ俺は、宿が空いてるかどうか確認してくるので、皆は待っててくれますか?」
レイスさんとシェーラさんは無言で頷く。
するとそこで、アーシャさんとサナちゃんが馬車から降りてきたのだ。
「じゃあ、私も一緒に行きますわ」
「私も行きます」
(俺1人でも十分だと思うが……まぁいいか)
俺は2人に言った。
「じゃあ、行きますか」
「ええ」
「はい」
そして俺達は宿屋の中へと足を踏み入れたのである。
で、その結果だが……宿屋には、まだ幾つか部屋が空いていたので、俺達はここで宿泊することにした。
勿論、その際には、外にいるレイスさん達の意見も聞いた上でだ。
ちなみに部屋は3部屋使う事になり、宿泊代金は厩舎の利用込みで100Gであった。これは俺が支払った。
3部屋の内訳は、俺とアーシャさんで1人用の部屋を2つ使い、レイスさん達が3人用の部屋を1つ使うという感じだ。
それと森で手に入れたザルマ達の馬と馬車だが……店主と話をしたところ、今は手が離せないほど忙しいらしく、『明日、改めてお聞きしましょう』という風に言われた。
その為、とりあえず今日のところは隣の厩舎に入れさせてもらい、明日の朝、改めて売買の商談をするという方向で調整をしたのである。
[Ⅳ]
宿の部屋に入った俺は、扉を閉め、室内を見回した。
見たところ、ここは6畳程度の広さがある部屋で、天井には簡素なシャンデリアがぶら下げられており、その明かりが室内を隅々まで照らしていた。
ちなみに明かりの正体は蝋燭であった。下でチェックインをした時、少し待たされたので、その間に従業員が明かりを灯したのだろう。
まぁそれはさておき、室内には、化粧机とベッド、それから小さなテーブル以外、特に何もない殺風景な部屋であった。ドラクエ世界の宿というのは、大体こんなものなのかもしれない。
(タンスがあったら、ゲームみたいに、引き出しを調べてみるところだが、無いもんは仕方がない……残念……)
そんなアホな事を考えつつ、俺はベッドに腰かけ、そのままゴロンと横になった。
と、そこで、ラーのオッサンの声が聞こえてきたのである。
「コータローよ……無事に到着できたようだが、あの者達と、これからも旅を続けるつもりなのか?」
「ああ、レイスさん達の事か……。後で話をするようには言ってあるけど、どうしようか俺も迷っているんだよ。この先、彼らと一緒にいると、魔物の標的にされる可能性が高いからね。だけど、今更そんな事を言っても、旅の仲間なんてものはそう簡単に見つからない。ここにはルイーダの酒場も無いようだしね。まぁ、アーシャさんの風の帽子かキメラの翼を使えば、どうとでもなる話だけどさ」
「ふむ、確かにな……。だが我は気になる事があるのだ」
「なんだ、気になる事って?」
「先程の魔物はラトゥーナの末裔と言っておった。我はその名前をどこかで聞いた事が気がするのだよ……。しかし、それが何かが思い出せんのだ」
「ああ、確かに、俺もそれは気になるところだ。ザルマの言動から察するに、それが根本的な理由のようだからね」
ラトゥーナの末裔とは何なのか……。
それはレイスさん達に確認しなければならない事であった。
(魔物が狙うくらいだから、奴等にとって都合の悪い存在なのだろうけど……あ、そういえば……)
俺はそこで、気になっていた事を思い出した。
「そういえばさ、ザルマとの戦闘の後、オッサンは『今のところ周囲に魔物の気配は感じないが、これから先、どうなるかわからん』みたいな事を言ってたけど、もしかして魔物の気配がわかるのか?」
「ああ、そうだ。我等光の精霊は、闇の気配には敏感なのでな。あのザルマとかいう奴が出てきた時も、近くで魔物の気配がするのはわかっていた。だが、我も鏡の存在を知られたくなかったので、あの場は黙っていたのだ。許せ」
まるで、ザルマの気配は感じなかったような言い方であった。
気になる言い方だが、今は置いておこう。
「それについては別に怒っていないよ。オッサンは上司の指示を守らないといけないからな」
「すまんな。我も知らせたいのは山々なんだが、そこは大目に見てくれ」
まぁこればかりは仕方がないだろう。
オッサンも役目というのがあるだろうから。
などと思っていると、ラーのオッサンは、この話は終わりとばかりに、話題を変えたのである。
「まぁその辺の話は置いておいて、ここからが本題だ」
「は? 本題? 何だよ……まだなんかヤバい話でもあるのか?」
俺は首を傾げた。
「ああ、ここからが本題だ。我はな、ずぅぅぅぅっと、お前に言っておかねばならぬと思っていた事があるのだよ」
「言っておかねばならん事? 何の話か知らんけど、いいよ。言ってくれ」
「では……オホン……言わせてもらおう。まぁそのなんだ……大した話ではないんだがな、我が言いたいのは、お前のその呼び方の事だ。我の事をオッサンというのはどうかと思ってな。これからコータローとは、何回も話す事になるわけだし、もっと信頼できる者同士の呼び方というのがあるだろうと、我は思ったのだよ。はっはっはっ」
「なんだ、気にしてたのか。でも、初めて会った時、我は心が広いからそんな事は気にしないとか言ってたじゃん」
「確かに心は広いが、聞いてるとムカムカしてしょうがないのだよ。はっはっはっ」
笑い話にしてるが、内心、腹が立ってるんだろう。回りくどいオッサンである。
恐らく、人間ならば目が笑っていない笑い方に違いない。
まぁ心が狭いのは分かっていたので、あまり驚くことでもないが……。
「じゃあ、なんて呼ぶといいんだ?」
「そ、そうだな……できればアーシャさんのようにラー様。もしくは、ヴァロム殿のようにラーさんかな。なんだったら光の精霊様でも構わないぞ。寧ろ、そっちの方が――」
まだ話してる途中だったが、俺は即答した。
「じゃあ、ラーさんで」
「早ッ! もう少し悩めよ!」
まだなんか文句を言ってるが、俺にとってはそれほど大事な話でもなかったので、早めに終わらせることにしたのである。
と、その時であった。
――コン、コン――
部屋の扉がノックされたのである。
「誰ですか?」
「私です。アーシャですわ」
「入ってください。鍵は掛かってませんから」
「では失礼します」
扉が開き、アーシャさんが中へと入ってきた。
そして扉を閉めると、室内をグルリと見回したのである。
「……私と同じような部屋ですわね。平民の方々が泊まる宿泊施設は初めてなので、勉強になりますわ」
「まぁ俺も初めて見たいなもんですけどね。それはそうと、どうしたんですか?」
するとアーシャさんは頬を膨らませた。
「んもう、一昨日の昼に言ったではありませんか。忘れたのですか?」
「あ……すいません、忘れてました。そういえば、朝と晩はマルディラント城に戻ってサブリナ様に顔を見せておくんでしたね」
俺はアーシャさんに言われて思い出した。
2日前の打ち合わせで、そんな手筈をとることになっていたのを……。
これはアーシャさんの考えた悪知恵で、母君であるサブリナ様に朝と晩だけ顔を見せて、俺の所に修行に来ていると思い込ませているのである。
なので、朝と晩はマルディラント城に戻ってアリバイ作りをしないといけないのだ。
まったくもって、とんでもないおてんば娘である。
「じゃあ、行きますか。でもその前に、レイスさん達には少しの間だけ出掛けると言っておきますね。留守中に来られても困りますし」
「ええ、そうですわね」
俺はそこで立ち上がる。
そしてアーシャさんと共に、この部屋を後にしたのであった。
[Ⅴ]
一方その頃……。
レイス達3人は部屋に入るや否や、暗い表情になっていた。
3人は川の字に並んだベッドに腰掛け、大きく溜め息を吐きながら肩を落とす。
そんな中、まずレイスが口を開いた。
「コータローさんは、表面上は明るく振る舞っているが、確実に俺達を不審に思っているだろう……。彼を少し見てきたが、かなり頭のキレる人だというのは分かったからな」
シェーラは言う。
「……でもレイス、どうするの? こんな所で仲間を解消されたら、この先、私達だけでイメリア様を守りきれるかどうか分からないわよ。それにザルマも死に際に言ってたわ。新たな追っ手がやって来ると」
「それはわかっている。だが、それを決めるのはコータローさん達だ。……俺達ではない」
レイスはそう言うと、目を閉じて大きく息を吐いた。
3人は暫し沈黙する。
程なくして、サナが口を開いた。
「でも……仮に仲間を解消されたとして、コータローさん程の腕を持つ魔法の使い手は、そう簡単には見つからないでしょうね……。私が見る限り、コータローさんは、旧ラミナスの王宮に仕えていた最上級の魔導師達に匹敵する使い手です。それだけではありません。あの方はラミナスの誰もが知り得なかった魔物達への知識もあります。その上、失われた古代魔法であるベホマが、どんな魔法か知っているような口振りでした。もしかすると、古代魔法に対する知識も持っているのかもしれません。ですから、あの方以上の魔法の使い手を見つけるのは至難の業だと思うのです。そう考えますと、ある意味、あのような方と私達が巡り合えたのは奇跡に近いのかもしれません」
レイスは頷く。
「イメリア様、私もそう思います。彼がいなければ、間違いなくあの時、我等はザルマの手にかかって死んでいたでしょう。仰る通り、彼らと巡り合えたのは奇跡に近いです」
「そうよね……あの光の剣は凄かったわ……あのザルマを両断したのだから。でもどうするのよ、レイス。今の話の流れじゃ、なんとしても仲間でいてもらうしかないじゃない」
シェーラの言葉にレイスは沈黙した。それはサナも同様であった。
と、その時である。
――コン、コン――
この部屋の扉がノックされたのだ。
レイスは扉に向かい、問いかけた。
「誰であろうか?」
「コータローです。少しの間、アーシャさんと外を見てきますんで、話は帰ってきたら訊かせてもらいます。すいませんが、そういうことなんで、よろしくお願いしますね」
「了解した。ではまた後ほど」
「ええ、後ほど」
レイスはそう答えた直後、真剣な表情になり、2人に言った。
「今からコータローさんを説得する方法を考えるしかない。イメリア様も何かお考えがありましたら仰って下さい。皆で考えましょう」
「それもそうね。コータローさんは話の分かる人な気がするし」
「わかりました。私も考えてみます」――
Lv18 旅の決断
[Ⅰ]
宿屋を出た俺とアーシャさんは、フィンドの町外れにある丘のような場所へとやってきた。
その丘は、フィンドの町並みを見渡せるくらい見晴らしの良い所であった。が、ここはそれと同時に、沢山の墓が並ぶ共同墓地となっており、辺りは少し寂しくもありながら、おどろおどろしく不気味な雰囲気が漂う所であった。
で、なぜこんな所に来たのかと言うとだが……風の帽子を使う為に人気の無い場所を探して移動していたら、ここに辿り着いたという単純な話なのである。というか、宿屋の近辺だと、ここが一番人気のない所だったのだ。
ちなみにだが、周囲にある墓は石版を墓石として使うタイプの物が殆どで、勿論それらの墓石には、没年と故人の名前と手向けの言葉が彫りこまれていた。早い話が、映画でよく見るアメリカの墓地みたいな所なのである。
日本の墓地しか行った事のない俺からすると、凄く新鮮な光景であった。
(墓の中からゾンビでも出てきそうな墓地だな……ドラクエ世界だから、腐った死体とかが出てきそうだけど……)
まぁそれはさておき、墓地にやってきた俺は、周囲に人がいないかを念入りに確認する事にした。
見回したところ、今が夕暮れ時というのもあってか、この墓地は誰もいないようであった。
だが慢心は足元を掬われるので、本当に人がいないかどうかを、ラーのオッサンに確認してもらう事にしたのである。
「オッサ……じゃないな。ラーさん、周囲に人の気配は感じるか?」
「大丈夫だ。この近辺に人の気配はない」
「じゃあ、大丈夫だな。……フォカール」
俺はフォカールを使い空間に切れ目を入れると、そこから風の帽子を取り出し、アーシャさんに手渡した。
だがアーシャさんは受け取るや否や、恐る恐る、周囲の墓に視線を向けたのである。
「す、すぐに戻ってきますので、少しの間、ここで待っていてくださいね。も、もも、戻って来た時……ここにいなかったら怒りますわよッ」
この様子を見る限りだと、アーシャさんは幽霊とかが怖いのかもしれない。
普段のアーシャさんから考えると意外な一面だが、こういう部分は女の子らしい可愛いところである。
「わかってますって、どこにも行きませんよ」
「で、では行ってきますわ」
その直後、アーシャさんは一筋の光となって空に舞い上がったのである。
(さて……アーシャさんが戻るまでの間、ラーのオッサンと世間話でもするか……)
俺は周囲をもう一度見回し、ラーのオッサンに話しかけた。
「オッ……じゃなかった、ラーさん、宿屋での話で気になった事があるんだが、今いいか?」
ずっとオッサンという呼び方だったので、やはり少し違和感がある。が、そのうち慣れるだろう。
「気になった事……なんだ?」
「さっき魔物達の気配について話してた時、妙な言い方してたけど、ザルマの気配には気付かなかったのか?」
「いや、気配には気付いていた。だが、魔物に変化する前の奴からは、魔の気配というモノを感じなかったのだ」
魔の気配を感じなかった……一体どういう事だ。
「じゃあ、人の気配としては感じていたのか?」
「ああ、そうだ。だから、奴があのような魔物に変化した時、我は声に出さなかったが、凄く驚いたのだよ。あそこまで強力な魔物の場合、相当濃い魔の瘴気が漂う場所でないと、活動すること自体が厳しいであろうからな」
「は? 活動すること自体が厳しいって……どういう意味だ?」
これはゲームにも出てこない話であった。
「ふむ……ヴァロム殿もそうであったが、その様子だと、コータローも知らんようだな」
「ヴァロムさんも? 一体、何の話だ?」
「いいだろう。今後の為にも、コータローには説明しておこう……この世界に住まう生きとし生けるものは、地上に漂う清浄な気を取り込むことで、その生命を維持している。だが、魔物というのは基本的に、魔の世界の穢れた瘴気を取り込むことで生命を維持しておるのだ。まずそれを頭に入れて、これからの話を聞いて欲しい」
「ああ、わかった」
恐らく、空気の事を言っているのだろう。
オッサンは続ける。
「今言ったように、魔物が生きる為には穢れた魔の瘴気が必要だ。だが、それはあくまでも基本的な考え方というだけであって、当然、全ての魔物に当てはめることは出来ない。事実、力の弱い魔物は、この地上界で、何不自由なく生きてゆけるからな。この辺りにいる弱い魔物が良い例だ。だが、力のある魔物は、そういうわけにはいかんのだよ」
確かにゲームだと、強い魔物と弱い魔物の生息場所はハッキリと分かれていた。が、それはあくまでゲームの進行上の話であって、こんな設定ではなかった気がする。
もしこれが本当ならば、この世界特有の現象なのかも知れない。
「という事は……ある一定の力を持った魔物の場合は、その力を振るう為に、それ相応の魔の瘴気が必要になってくるという事か?」
「うむ、その通りだ。そして強力な魔物になればなるほど、それに応じた魔の瘴気がないと生きては……いや……生きては行けるが、本来の力は発揮できぬのだよ」
早い話が、強力な魔物がいる場合は、濃い魔の瘴気も必ず漂っていると言いたいのだろう。
「つまり、あれか。あの強力な魔物と化したザルマの場合、この辺りに漂う程度の薄い魔の瘴気では、普通なら動く事すら難しいって事か?」
「その通りだ。いや、それだけではない。奴の周りにいた魔物達にしてもそうだ。あの魔物達も、この辺りにいる魔物と比べると明らかに強すぎる。だから、我はそこがわからんのだよ。あの時現れた魔物達は何かが変なのだ……」
「確かにそれが本当なら、おかしな話だね……」
ラーのオッサンの話を要約すると、強い魔物ほど、濃い魔の瘴気が必要という事になる。
そして、それを基に考えると、非常に薄い魔の瘴気しか漂っていないこのフィンドの辺りは、弱い魔物しか生息できないという説が成り立つのだ。
確かにその説が正しいならば、あの時現れたアームライオンやベホマスライムといった魔物は、理論的にも異常な事態と言わざるを得ない。
ここに来る途中、数回魔物と戦ったが、この辺りにいる魔物は、精々、お化けキノコ程度なのである。それを考えると比較にならない強さなのだ。
ラーのオッサンが言っている内容は本当なのだろうか……。
それは分からないが、妙に説得力のある話なのも事実であった。
なぜならば、今の説が本当なら、ここ最近よく聞くようになった魔物が増えたという話や、新種の魔物が現れたという話、そして数年前、突然、強大な魔物の大群に襲われたラミナスという国の話……それら全ての事象が、魔の瘴気というキーワードを用いる事によって、簡単に説明がついてしまうからだ。
だがしかし……そう考えると、腑に落ちない謎が1つ出てくるのである。
「そういえばさ。町や城といった人の集まるような所って魔物はいないけど、そういう所には魔の瘴気って漂ってないのか?」
これが気になるところであった。
町の中やその近辺で、俺は魔物なんぞ見た事がないのだ。
「ああ、そういった所には、魔の瘴気は漂っていない筈だ。コータロー達のような知的種族が沢山暮らすような場所は、太古の昔、精霊王リュビストが施した浄化の結界が幾重にも張られているだろうからな。その中では、清められた清浄な気と魔を退ける力以外は漂う事はない。あのマルディラントとかいう街でも、精霊王の結界が働いているのを我は感じた。だから、今も結界は生きている筈だ。まぁこれは、そこに住まう者達ですら知らぬであろうがな……。いや、魔物が入らないから、そこに知的種族が住み始めたと言った方が正しいか……」
「なるほどね。精霊王リュビストの結界か……。ン、でもロランさんはさっき、ザルマはルイーダの酒場にいたって言ってたな」
そう……ロランさんの話を信じるならば、ザルマはマルディラントの中にいた事になるのだ。
「確かに、コータローの言うとおり、そこが問題だ」
「だよな。ラーさんの話が本当ならば、魔物がそんな中に入って行けるのも妙な話だし……ン? そういえば」
と、そこで、ザルマのとったある行動が、俺の脳内に再生されたのである。
「確か……ザルマが変身する時、奇妙な水晶玉を掲げていたな。あれが何か関係してるんだろうか……」
「さあな。そうかもしれぬし、そうでないかもしれぬ。まぁどちらにせよ、今我が言った事は、頭の中にいれておけ。それとこれから先、あの者達と旅を続けるのならば、こういう事が頻繁に起こり得る可能性が高い。だから、用心はしておいて方がいいぞ」
「ああ、それは言われなくてもわかってるよ」――
[Ⅱ]
宿屋に戻った俺とアーシャさんは、暫しの間、俺の部屋で休憩することにした。
ちなみにこの休憩は、坂道を歩いてきた疲れをとるのもあったが、これから始まる話し合いの前に、気を落ち着かせておくという意味合いもあった。
レイスさん達の話如何によっては、彼等と旅を続けるかどうかの決断を下さなければならないので、あまり感情的な議論にならないようにしたいのである。
まぁ早い話が、それなりの覚悟を持って挑まなければならないので、ワンクッション置いたのだ。
ベッドに腰掛けた俺は、目を閉じてゆっくりと深呼吸を繰り返した。
アーシャさんも俺の心境を察したのか、部屋に入ってからは話しかけてこなかった。
その為、部屋は静かであった。周囲から聞こえる小さな物音も大きく聞こえるくらいに……。
だがそれが良かった。それらの物音が聞える事によって、雑念が徐々に取り除かれていくのを俺は実感したのである。
心が穏やかになってきたところで、俺はアーシャさんに視線を向けた。
「……では、行きましょうか。アーシャさん」
「ええ……」
そして俺とアーシャさんは立ち上がり、この部屋を後にしたのである。
それから程なくして、俺達は彼等の部屋の前へとやって来た。
俺はそこで一度深呼吸し、扉をノックしたのである。
「レイスさん……コータローです。お話があるのですが、今、よろしいでしょうか?」
扉の向こうから女性の声が聞えてきた。
「鍵はかかっておりませんので、どうぞ、お入りになってください」
声の感じからすると、どうやらサナちゃんのようだ。
まぁそれはさておき、俺はノブに手を掛け、扉をゆっくりと開いた。
「では失礼します」
扉を開くと、レイスさん達は神妙な面持ちで、俺とアーシャさんを迎えてくれた。
3人からは張り詰めたような緊張感が伝わってくる。
予想していたことだが、俺達の決断に、彼等は戦々恐々としているのかもしれない。
俺が扉を閉めたところで、まずレイスさんが口を開いた。
「コータローさんにアーシャさん、どうぞ、こちらにお座り下さい」
レイスさんは部屋の奥に置かれた2つの椅子に、俺達を案内した。
俺とアーシャさんは、その椅子に腰掛ける。
すると次の瞬間、なんと3人は、まるで王に謁見するかの如く、俺達に跪いたのである。
「コータローさんにアーシャさん……我々は貴方達に黙っていた事があるのだ。まずはその非礼をお詫びしたい。そして今から、それを包み隠さず話そうと思うので、どうか最後まで聞いてほしいのだ」
レイスさんはそう言って、俺達に頭を下げた。
この突然の展開に、俺は少し驚いた。が、かえって話をしにくいので、俺はそれを伝えたのである。
「あの……話は聞かせてもらいますが、こんな風にじゃなく、今まで通りでお願いします。なので、普通にしてください」
サナちゃんは頭を振る。
「コータローさん……私達の今の姿は、貴方に非礼を働いた故の戒めなのであります。ですので、どうかこのままお話をお聞きくださりますよう、よろしくお願い致します」
「いや、だから、普通でいいですって。というか、今まで通りでお願いします」
「だがしかし……」
レイスさんは尚も食い下がる。
埒が明かないと思った俺は、語気を強めた。
「では私から貴方がたにお願いがあります。もし非礼を働いたと思っているのなら、俺の言う事を聞いてください。お願いします。今から話す内容は、どちらの立場が上とか、そんな話ではないんですから」
3人はそこで、ようやく面を上げた。
「……わかりました。嫌がる事を続けるわけには参りませんので、コータローさんのご希望通りに致します」と、サナちゃん。
少し捉え方が違うが、どうやら折れてくれたようだ。
まぁいいや……もうこれでいこう。
「ええ、それでお願いします。俺もその方が話しやすいので」
とまぁそんなわけで、ここから俺達の話し合いが始まるのである。
3人がベッドに腰掛けたところで、まず俺から話を切り出した。
「では始めましょう。まず、貴方がたが何者なのか? それからお願いします」
「そ、それは……」
シェーラさんはそこで、サナちゃんに視線を向けた。
サナちゃんは頷く。
「……コータローさんは信ずるに値する方だと思います。ですので、それについては私から話しましょう」
「わかりました。イメリア様」
シェーラさんは頭を垂れた。
そしてサナちゃんは、隣の部屋に聞こえないよう、若干小さめの声で話し始めたのである。
「……私の名はイメリア・サナルヴァンド・ラトゥーナ・オン・ラミナスと申します。名前からもうお分かりでしょうが、私は魔物達に滅ぼされたラミナス王家の所縁の者でございます。そして、こちらにいるレイスとシェーラは、ラミナス王家の警護を司る近衛騎士団であった者達でございます」
「ラ、ラミナス王家ですって……」
アーシャさんは目を見開き、驚いていた。
勿論、俺も驚いた。が、この答えは予想していたモノでもあるので、そこまでの驚きは無かった。
「やはり、そうでしたか……。ザルマとの会話を聞いた時から、高貴な存在なのではないかとは思っていたのです。とはいえ、まさか王族とは思いませんでしたがね」
「今まで黙っていて申し訳ありませんでした。ですが、私達は……いえ、私は、どうしても嘗ての身分を偽る必要があったのです」
「ラトゥーナの末裔を始末する事が任務……そうザルマは言ってましたが、それですか?」
サナちゃんは頷き、肩を落とした。
「はい……仰る通りです」
「そうですか……。では単刀直入にお聞きします。ラトゥーナの末裔とは一体何なのですか? 魔物達がここまで執着している以上、奴等にとって都合の悪い存在というのはわかりますが、それにしては度が過ぎてます。わざわざこんな所にまで追ってくるのですからね」
するとサナちゃんは、俯きながらブンブンと頭を振ったのである。
「そ、それが……実は、私にもさっぱり分からないのです」
「わからない?」
「はい……今、私がわかっているのは、王家の血筋が狙われているという事だけなのです。数年前、ラミナスに魔物の大群が押し寄せた時、私は魔物から逃れるべく、ここにいるレイス達と共にラミナスを離れる事になりました。その時、魔物達は至る所でこんな事を言っていたのです。【ラトゥーナの末裔は見つけ次第、全て始末しろ!】と」
サナちゃんはそう言うと、怯えたように体を震わせて目を瞑った。
この様子を見る限り、嘘は言ってないようには見える。
襲われる理由がわからないというのは、多分、本当の事なのだろう。
まぁそれはともかく、今の内容で気になることがあったので、俺はそれを訊ねる事にした。
「今、王家の血筋と言いましたが、ラトゥーナというのは王家を示す名前なのですか?」
「はい、そうです。ラトゥーナは王家を示す名前です。ちなみに、先程言った名前ですが、イメリアが私の名前で、サナルヴァンドは母方の家名、そしてラトゥーナが王家の家名になります」
やたら長い名前だったが、構成を知ると、結構単純に聞こえるから不思議だ。
「オン・ラミナスというのは?」
「それは、ラミナスの王都メノスがあるラミュロ地方に伝わる古の言葉で『豊かな国の王』という意味です。そして、王位継承した国王とその家族だけが名乗れる名前であります」
「という事は、サナちゃんは……いや、イメリア様はラミナスの王女様なのですね?」
「はい……ですが、ラミナスはもう滅んでしまいましたので、今の私はもう、王女でもなんでもありません……魔物に追われる哀れな身の上の者です」
サナちゃんはそう言うと、瞳を潤ませ、顔を俯かせたのであった。
俺はどうやら余計な事を訊いたのかもしれない。
恐らくサナちゃんは、今まで経験した嫌な事を思い出したのだろう。
少し湿っぽくなったので、俺は話を変える事にした。
「では、もう1つ訊かせてもらいましょう。貴方達はなぜ、王都に向かうのですか?」
レイスさんが答えてくれた。
「私達がイシュマリアの王都に向かう理由は、オヴェリウスに今も駐在する旧ラミナスの公使に会う為なのだ」
「旧ラミナスの公使?」
「イシュマリアとラミナスは非常に緊密な友好国でしたので、互いに国の代表者を派遣しておりましたの」と、アーシャさん。
要は外交官のことだろう。
「それはわかりましたが、危険を冒してまで、公使の所に赴く理由はなんなのでしょうか?」
すると、シェーラさんが答えてくれた。
「それは、イメリア様を保護して頂く為よ。……私達は亡きアルデミラス陛下から、ラトゥーナの血族であるイメリア様を守ってほしいと直に命を受けたわ。そして賢者リバス様からは、絶対にラトゥーナの血は絶やしてはならないとも言われた。でも……もう私達だけで、イメリア様をお守りし続けるのは厳しいのよ……。護衛についた20名の近衛騎士も、もう今では私とレイスだけ……他は皆、魔物達の餌食になってしまったわ。だから危険な海を越えて、ラミナスの友好国であるこのイシュマリアまでやってきたのよ。イシュマリアはまだ、魔物達の脅威には晒されていない平和な国だと聞いたから……」
賢者リバス……気になる人物名が出てきたが、今は置いておこう。
「そう……だったのですか」
どうやらシェーラさんの話を聞く限り、3人は今まで相当な苦労をしてきたのだろう。
この国に来るまで、生と死の狭間を綱渡りするような道のりだったに違いない。
(さて……事情は大体わかったが、これからどうするかだな……)
と、そこで、レイスさんの振り絞るような声が聞こえてきた。
「コータローさん……私達と共に、オヴェリウスまで行ってくれないだろうかッ。どうか、この通りだ」
その直後、レイスさんは、先程と同じように俺に跪いたのである。
続いてシェーラさんとサナちゃんも跪いた。
「私からもお願いします。貴方達ほどの魔法の使い手はそう簡単に見つかりません。ですから、私達と共に、イメリア様を旧ラミナス公使が住まう館まで護衛して頂きたいのです。どうか、何卒、よろしくお願い致します」
「コータローさん、お願いします。もう貴方しか頼れる方はいないんです」
(まいったな……)
俺はそこで、アーシャさんに視線を向けた。
するとアーシャさんは、俺の視線に気付くや否や、微笑んだのだ。
「コータローさんの判断にお任せしますわ。貴方は私よりも判断力に優れておりますから」
どうやら、俺に丸投げするつもりのようだ。
これは責任重大である。
「……わかりました。では、少し考えさせてください」――
サナちゃん達3人が息を飲む中、俺は暫し考えた。
このまま、サナちゃん達と行動を共にする事による、メリットとデメリットを……。
まず、この3人を仲間にするメリットは、勿論、俺達2人には無いモノを持っているという事だ。旅の経験、物理的な力や守備力、それと、これは俺と被る能力ではあるが、回復と戦闘のサポートを行える魔法技能等である。
そしてデメリットだが、それは……サナちゃんを狙う強大な魔物と遭遇するかもしれない、という1点だけであった。ザルマのような魔物が刺客として送り込まれている事を考えると、今後も同様の展開が予想できる。場合によっては、ザルマ以上の強力な魔物が、刺客として現れる事も十分に考えられるのだ。
以上の事から、同行する俺達の命も、常に危険に晒される事になるのである。
これは非常に不味い状況だ。が……とは言うものの、彼等の持っている能力や旅のノウハウは、俺達にとって喉から手が出るほど欲しいモノである。
それだけではない。これは3人と話してみて分かった事だが、旅の仲間となると、技能的な部分の他にも重要な部分があるのだ。
それは何かというと……人柄である。
確かに魔物に狙われているのかもしれないが、この3人は話しやすい上に信頼できる者達だと、俺には思っているのである。
素行が悪いわけでもなく、高貴な身分だったのに高慢な態度をとる事もない。
身の上を黙っていたというのはあるが、俺が同じ立場ならそうしていただろう。
だが彼らは悪い人達ではないのだ。不幸な境遇が、そう言う決断を彼らにさせているのである。
長い間旅をする仲間という事を考えると、この部分は非常に重要な部分である。
悪人と長い間旅するのは、下手すると、魔物と遭遇する事よりも性質が悪いかもしれなからだ。
それと俺はこうも考えた。3人と仲間を解消したところで、また同じような者達と出会えるなどという保証はどこにもないと……。
まぁそんなわけで、実はもう俺の中では、粗方の答えは決まっているようなモノなのである。
問題は、そのデメリットをどうやって改善していくかという事なのだ。
俺がそんな事を考え始めてから10分くらい経過した頃、サナちゃんの寂しい声が聞こえてきた。
「あ、あの、コータローさん……やはり、仲間として旅をするのは難しいのでしょうか」
俺はサナちゃんに視線を向けた。
するとサナちゃんは、今にも泣きだしそうな、悲しい表情を浮かべていた。
「いや、もう答えは出ているんです。ですが、それによって出てくる問題点をどうしようか迷っているんですよ」
サナちゃんの頬に一筋の涙が伝う。
「という事は、やはり、駄目なのですね……」
誤解してるみたいなので、ちゃんと言っておこう。
「へ? ああ、違う違う。そうじゃないですよ。俺も貴方達と、このまま旅を続けるつもりなんですが、解決しなきゃならない問題があるので、それを今考えていたんですよ」
「エッ、そ、それじゃあ、仲間でいてくれるのですか?」
俺は頷いた。
「今から新しい仲間を見つけるといっても難しいし、それに、俺もそれほど時間に余裕があるわけではないしね」
と、その直後、サナちゃんはパァッと明るい表情になり、泣きながら俺に抱き着いてきたのであった。
「ヒィェェン、ヒグッ……あ、ありがとうございます、コータローさん。嬉しいです」
「泣くほど喜ばなくても……」
俺はこの突然の行動に少し驚いた。
サナちゃんは、俺の決断に相当ビクビクしていたのだろう。
と、そこで、アーシャさんの声が聞こえてきた。
「オホン……ところでコータローさん、解決しなければならない問題点とは何なのですか?」
それを聞き、サナちゃんも俺から離れる。
「そ、そうでした。すいません……まだそれを聞いておりませんでした」
俺は4人の顔を見回しながら、その問題点を告げる事にした。
「まぁ皆もわかっているとは思いますが、早急に改善しなければならない点が1つあるんです。それはイメリア様達と行動を共にする以上、俺達の身にも危険が迫るという事です」
アーシャさんは頷く。
「……ですわね。何か良い案は浮かんだのですか?」
俺は頭を振る。
「いいえ、まだです。これを改善するには、魔物達がどうやってイメリア様の居場所を突きとめるのかを考えなければなりませんからね。というわけで、俺も少し知りたい事があるんで、今から皆に幾つか質問させてもらおうと思うんですが、いいですかね?」
4人は無言で頷いた。
というわけで、俺は質問を開始することにした。
「ではまずですが、このイシュマリアにラミリアンがどれだけいるのかわかる方はいますか?」
この質問には、レイスさんが答えてくれた。
「正確な数は分からないが、マルディラントに来る途中、幾つかの町でラミリアンの姿を見かける事があった。それにラミナスとイシュマリアは交易の盛んな友好国だったので、この地に根を下ろしたラミリアンや、イシュマリアの民と婚姻関係を結んだラミリアンもいたと聞く。だから、ある程度の数はいる筈だ」
婚姻関係を結ぶという事は、ラミリアンと人間は、それほど身体的な違いはないのかもしれない。
まぁそれはさておき、今の話を聞いた感じだと、それなりにラミリアンというのは見掛ける種族のようだ。なので、物珍しさから特定されるという懸念はなさそうである。
「そうですか。では次にですが、顔以外で、イメリア様と他のラミリアンを見分ける、大きな外見上の違いというモノはあるのでしょうか?」
「実はそれがあるので……今の私は青く髪を染めているのです。ラミナス王家の者は生まれつき透き通るような水色の髪が特徴ですので……」とサナちゃん。
「既にそういう対策はしてたんですか、なるほど。他には何もされてないのですか?」
「これだけです。あとは法衣のフードを被って顔を隠すだけでした」
「そうですか……。でも、ザルマのように街の中に入り込む可能性も考えられるんで、その辺は今まで以上に何らかの手を打たないと不味いかもね。これからは街の中にも魔物がいると考えて行動しないと」
「はい……私もそう思います」
俺はそこで皆の表情を見た。
4人共、かなり固い表情をしていた。
これを見る限り、とりあえず、俺の言葉を重く受け止めてくれたようだ。
と、その時であった。
【グゥゥゥ】
俺の腹が空気を読まずに鳴ったのである。
少し恥ずかしかったが、俺はそこで夕食を食べてない事に思い出した。
「み、皆はもう、夕食は食べたのですか?」
レイスさんは頭を振る。
「いや、まだだが……」
「じゃあ食事をしてから、その辺の事を皆で考えましょうか。張りつめた状況下では、あまり良い案も出てこないでしょうしね」
「それもそうね」とシェーラさん。
とまぁそんなわけで、俺達は夕食を食べてから、その辺の対策を練る事にしたのである。
[Ⅲ]
レイスさん達との打ち合わせを終え、自分の部屋に戻った俺は、旅の疲れを癒す為に早めに寝る事にした。
明日もまた長い旅になるので、あまり夜更かしはしたくないのだ。
ちなみに、他の皆も俺と同じで、もう寝ると言っていた。やはり、強大な魔物との戦闘があったので、肉体的にも精神的にも、皆、相当疲れたのだろう。
特に、レイスさんやシェーラさんは魔法で傷を癒したとはいえ、体を張った戦いをしていたので身体的にも相当疲れたに違いない。早く休んで、体力の回復をしてもらいたいところである。
まぁそれはさておき、俺はローブを脱ぎ、寝巻として用意した布の服に着替えると、蝋燭の明かりを消した。
その瞬間、室内は薄暗くなる。一応、外の明かりが少し入ってくるので、この部屋は完全な暗闇にはならないのだ。
俺はその薄明かりを頼りに、ベッドへと向かった。
そして、靴を脱いでベッドに横になると、全身の力を抜いて瞼を閉じたのである。
床に就いたところで、外から賑やかな笑い声や話し声が聞こえてきた。
この宿屋の付近に、大衆酒場みたいな所があったので、恐らくそこから聞こえてくる声だろう。
眠るのには邪魔な声であったが、その内気にならなくなると思い、俺は枕に頬をうずめた。
と、その時である。
――コン、コン……ガチャガチャ――
この部屋の扉をノックする音と、扉を開けようとする音が聞こえてきたのだ。
(こんな夜遅く、誰だ一体……レイスさん達かな)
俺はそこで半身を起こし、扉に向かって問いかけた。
「誰ですか?」
「わ、私です……アーシャですわ。と、扉の鍵を開けてください」
どうやらアーシャさんのようだ。
「わかりました。ちょっと待ってください」
俺はロックを外し、扉を開けた。
すると扉の向こうには、枕を両手で抱きかかえ、不安そうな表情を浮かべるアーシャさんの姿があったのである。
(どうしたんだ一体……怯えた表情をしているけど……)
とりあえず、俺は訊いてみることにした。
「どうしました。何かあったのですか?」
「と、とりあえず、中に入らせてもらいますわ」
アーシャさんはそう言うなり、そそくさと部屋の中に入ってきた。
「コータローさん、扉を閉めて貰えますか」
「はぁ……」
俺は言われた通り扉を閉める。
そこで、もう一度訊いてみた。
「一体、何があったんです? ただ事じゃない雰囲気ですけど……」
するとアーシャさんは、モジモジとしながら、恥ずかしそうにお願いをしてきたのである。
「あ、あの、コータローさん……こ、ここ、今夜は、私と……一緒に寝て貰えますか?」
「はぁ? 突然何を」
俺を誘っているのだろうか?
いや、それだと、さっきの怯えたような仕草の説明がつかない。
とりあえず、もう一度、訊いてみよう。
「アーシャさん、一体どういう事です……向こうの部屋で何かあったのですか?」
「い、いいえ、何もありませんわ。ですが……慣れない部屋で1人というのは……少し不安だったものですから……なので……護衛者であるコータローさんに一緒にいてもらえると……私も安心できるものですから」
要するに、勝手の知らない部屋で1人寝るのが怖いという事だろう。
「ああ、そういう事ですか。それなら、って……ベッドは1つだけだな。仕方ない、俺は床で寝るか」
「か、構いませんわよ……私と一緒に……ベッドで寝て下さっても」
「でも、嫁入り前である太守のお嬢様と、俺のような奴が一緒のベッドで寝るのは、イシュマリア的にも不味いんじゃないですか?」
「わ……私は、コータローさんを信用してますから」
「そうですか……。まぁアーシャさんがそれで構わないのら、俺はそれでもいいですよ」
どうやら俺は安心と思われてるようだ。
男と思われてないのだろうか。ちょっとショックである。
とはいえ、俺も後が怖いから、襲うなんてことはできないけど……。
まぁそれはさておき、もう夜も更けてきたので、早く寝たほうがいいだろう。
「それじゃあ、もうそろそろ寝ましょうか。また明日も、長い距離を移動しないといけませんし」
「え、ええ」
というわけで、俺の寝床に予想外のお客さんが来る事になったのである――
これはベッドインした後の話である。
俺とアーシャさんはシングルベッドで横になると、互いに背中を向けて寝る事にした。
これは勿論、俺の配慮だ。やはり年頃の可愛い女の子と一緒に寝るのは、俺も流石に悶々としてくるからである。
だって男の子だもん。こんなシチュエーションになったら、本能の赴くままに生殖活動に入ってしまう可能性は否定できないのだ。
というか、もう既に俺の中では、理性VS本能の戦いが勃発している最中なのであった。
またその影響もあって、頭の中は恐ろしく覚醒しているのである。
(ああ、今夜……俺は寝れるのだろうか……なんか明日は、睡眠不足で目の下にクマが出来ていそうな気がする……)
とまぁそんなわけで、これが今一番の懸念事項なのである。
俺とアーシャさんがベッドインして10分くらい経過した頃、小刻みな振動がベッドに伝わってきた。
俺はそこで震源地に目を向ける。勿論、震源はアーシャさんであった。
アーシャさんのこの震え方は、恐ろしさや不安から来るもののように俺は感じた。
もしかすると、俺と寝ている今の状況が、ここにきて怖くなってきたのかもしれない。
「アーシャさん……どうしました? 俺と寝るのが不安でしたら、無理しなくていいんですよ。俺は床で寝ますから」
すると、アーシャさんの怯えたような声が聞こえてきたのである。
「ち、違うんです……あのザルマとかいう魔物の恐ろしい姿が、頭に焼き付いて離れないんです。あの時……コータローさんが助けてくれなかったら……私は今頃……そう思うと……」
俺はようやく理解した。
(だから俺の所に来たのか……)
考えてみれば、アーシャさんは魔物との戦闘なんて殆どやった事がない。
おまけに弟子入りする前は、大貴族の箱入り娘として育ってきたのである。
そんなアーシャさんが、あんな恐ろしい化け物と出くわしたのだから、こうなるのも無理はないのだ。
戦闘経験のある俺だって恐ろしかったんだから……。
多分、今までそんな素振りを見せなかったのは、ラミリアンの3人がいる手前もあって、無理して気丈に振る舞ってきただけなのだろう。
俺はそこで、アーシャさんの方へと身体を向けた。
すると小さくなって震えるアーシャさんの華奢な背中が、俺の目に飛び込んできたのである。
それはか弱い女性が見せる、細く小さな背中であった。
俺はそんなアーシャさんを見ている内に、この子を守ってあげなければいけないという感情が芽生えてきた。
そして、その直後、俺は自分でも予想外の行動にでたのである。
なんと俺は、後ろから優しく包み込むように、アーシャさんを抱きしめていたのだ。
抱きしめた瞬間、アーシャさんの震えが直に伝わってきた。
でもさすがにびっくりしたのか、そこでアーシャさんは俺に振り向いた。
「コ、コータローさん……何を」
「アーシャさん……俺がいるから大丈夫……とは言えないけど、俺なりに精一杯、貴方を守ります。だから、怖がらないでください。そして今はもう休みましょう。何かあったら自分を犠牲にしてでも、俺が貴方を守りますから」
「コータローさん……うん」
アーシャさんはそう言うと、抱きしめる俺の腕に、そっと手を添えた。
震えも次第に治まってゆく。
そして、このまま俺達は、深い眠りへと落ちていったのである。
Lv19 変化の杖
[Ⅰ]
翌日の早朝……夜が明け始める頃に、俺は目を覚ました。
日本にいた時は、こんな薄暗い時間帯に目を覚ます事なんて殆どなかったが、この夜明けの時間帯は普段、魔物と実戦訓練をする事になっている。それもあってか、俺の中の体内時計はこの時間帯に目が覚めるようセットされているのだ。まぁ要するに習慣というやつである。
(朝か……少し眠いけど、起きるとするか)
俺はそこで大きく欠伸をした。
だがその直後、左脇腹の辺りに違和感を覚えたのである。
(ン? ……なんだ……何かあるぞ……)
俺はそこに視線を向ける。
するとそこには、スヤスヤと寝息を立てるアーシャさんの可愛い寝顔があったのだ。
一瞬、何でここにアーシャさんがいるんだ? とも思ったが、頭の中が徐々に覚醒してゆくに従い、昨晩、アーシャさんがこの部屋にやってきた事を俺は思い出したのである。
(そういや……一緒に寝ることになったんだっけ……)
アーシャさんは俺の胸に顔を半分うずめ、両手で抱き着くという寝姿であった。
早い話が、俺は今、アーシャさんの抱き枕となっているわけである。
とはいえ、可愛い子なので、抱き着かれている俺も悪い気はしなかった。寧ろ、ラッキーと思っていた。
だが今の俺は、恒例の朝モッコリの最中であり、エロい事を考えていないにも関わらず股間はビンビンであった。なので、当然、変な気分にもなってくる。
そして次第に『やっちゃえ、やっちゃえ』という危険な幻聴まで聞こえてくるようになったのだ。が、しかし……流石に、それは恐ろしくてできなかった。やったら最後、ソレス殿下の刺客に俺は狙われることになるからだ。その為、俺はブンブンと頭を振って、今の雑念をなんとか振り払ったのである。
煩悩に打ち勝った俺は、そこでアーシャさんの寝顔に目を向けた。
その表情はすっかり安心しきった感じで、昨晩の様な怯えた雰囲気は微塵も感じられなかった。というか完全に安眠状態である。
昨晩の俺はセクハラまがいの行動をしていたが、この表情を見る限り、アーシャさんを安心させる効果があったようだ。やってよかったという事だろう。
まぁそれはさておき、俺はアーシャさんを起こさないよう、そっと上半身を起こすと、両手を広げて大きく背伸びをした。それからベッドを降り、この部屋に1つだけある窓をそっと開いたのである。
窓の向こうには、うすい靄がかかるフィンドの街並みが広がっていた。それはまるで水墨画の世界のようであった。
そして俺は、そんなフィンドの街並みを眺めながら、独り言ちたのである。
「さて……顔を洗って、賢者のローブに着替えたら、門を開く修行でも始めるか……」
そう、修行だ。
今はこんな状況なので魔物との実戦訓練は出来ないが、魔生門を開く修行は続けて行かないといけないのだ。
とはいえ、別に無理してやるものではない。こんな状況だと、寧ろ、やらない方がいいくらいだろう。
だが昨日のような事があると、やはり不安なのである。
しかも魔生の法は、無詠唱で複数の魔法を同時行使できるというチートっぷりだ。修得すれば、物凄いアドバンテージになるのは間違いない。
その為、いつやるのかと言われたら、「今でしょ」という事になってしまうのである。
まぁそんなわけで、俺は早速、その準備に取り掛かったのであった。
賢者のローブに着替え、武具の類を装備した俺は、その上からジェダイ風のローブを纏って宿屋を後にした。目的地は、昨日の墓地がある丘である。
宿屋の裏手の道を5分ほど歩いたところで、こんもりと盛り上がる緑の大地が見えてきた。ここがその丘だ。
ちなみに、丘の天辺は林になっており、その中に昨日の墓地がある。
だが、今は墓地に用はない。俺が向かっているのは、その手前にある見晴らしのよい開けた場所であった。
理由は勿論、そこが修行をするのに適していたからだ。
それから程なくして丘にやって来た俺は、墓地の手前にある見晴らしの良い場所で立ち止まった。
そして、周囲に人がいないかを確認し、俺は魔法陣が描かれたシートをフォカールで取り出したのである。
これはヴァロムさんから貰ったもので、魔生門を開く修行で使う『現身の門』と呼ばれる魔法陣である。
ちなみに大きさは、縦横2mくらいある正方形のシートで、丈夫な生地で作られた分厚い絨毯のような代物であった。
で、俺は今から何をするのかというとだが……このシートに描かれた現身の門の中心で、禅を組み、瞑想をするのである。修行内容はただそれだけであった。が、しかし、ただ瞑想すればよいというモノではない。この現身の門は、あくまで入口であるという事だ。
そう……俺はこの現身の門から、自身の中にあるという、魔生門を見つける旅に出なければならないのである。言うなれば、精神世界の旅といった感じだろうか。
要するに、この魔生門というやつは教えてもらって開ける門ではなく、俺自身が自分の中にある門を探し、そして開かねばならないのだ。
その為、これから行う修行は、雲を掴むような漠然とした感じのモノなのであった。
だが、この修行をするにあたり、ヴァロムさんは以前こんな事を言っていたのである。
『――コータローよ。魔生門を見つけるには、普段魔法を使うような感覚だと、まず無理じゃ。じゃが、かといって儂にはお主の魔生門を見つけることは出来ぬ。これはお主自身が見つけねばならぬモノじゃからの。とはいえ、道標となるものがなければ、門を見つけるのは難しかろう。そこでじゃ、お主に1つ助言をしてやろう。修行をする際は……風の声や木々の声に水の声、そして生命の声……この世の中にある全ての声に耳を傾けてみよ。さすれば道が開ける筈じゃ。まぁそう簡単にはいかぬであろうが、それを頭の中に入れて修行に励むがよい』
はっきり言って、イマイチ要領を得ない助言であった。
世の中の全ての声と言われても、ピンとこないのである。修行を始めてから結構経つが、そこだけは未だによく分からないのだ。
しかし、ヴァロムさんはいい加減な事を言う人ではない。必ず、何らかの意図がある筈なのである。
まぁそれはさておき、現身の門を広げた俺は、その中で禅を組む。
そして俺は、宛てのない魔生門を探す旅へと、今日もまた出掛けることにしたのである。
(さて、それじゃあ今日も始めるとするかな……)――
[Ⅱ]
俺が修行から戻ると、不安そうな表情で、室内をウロウロと動き回るアーシャさんの姿があった。
何やら様子が変だったので、俺は訊いてみることにした。
「おはようございます、アーシャさん。何かあったのですか?」
「コ、コータローさん」
するとアーシャさんは、俺を見るなり、ホッと安堵の息を吐いた。が、次の瞬間、アーシャさんは頬を膨らませ、俺を睨みつけてきたのである。
明らかにアーシャさんは怒っている感じであった。
と、そこで、アーシャさんは腕を組んで仁王立ちになる。
「どこに言ってたんですの? 私に何も言わないで、どこにも行かないで下さい!」
どうやら無断外出した事を怒っているようだ。
今はあまり刺激するような事は言わない方が良さそうである。
俺は後頭部をポリポリかきながら謝罪した。
「すいません……アーシャさんが、あんまり幸せそうに寝てたものですから、起こすのも悪いと思いまして……」
「そ、そうですか……まぁ良いでしょう。今回は【特別に】許して差し上げますわ。……で、どこに行ってらしたんですの?」
「ああ、それなんですが……実はヴァロムさんから、毎日やるように言われていた修行があったので、少しの間、外へ出かけてたのですよ」
アーシャさんはそれを聞き、罰の悪い表情になる。
「え、修行? そ、そうでしたの。それは知りませんでしたわ……。ところで何の修行をしていたんですの? もしかして……魔物と戦っていたとか」
「違いますよ。魔法の基礎訓練みたいなもんです。ヴァロムさんは基礎が大事だと繰り返し言ってましたんで」
本当は魔生門を開く為の修行だが、これについてはヴァロムさんから口止めされているので、例えアーシャさんといえども今は言えないのだ。
ちなみにこの修行の様子は、アーシャさんも何回か目にしている。が、ただ瞑想しているだけとしか思っていないだろう。
ヴァロムさんもアーシャさんには、俺専用の魔力訓練法としか説明してなかったし。
つまり、まぁそういうわけだ。
「そうだったのですか。でも、これからどこかに行くときは、必ず私に一言言ってくださいね。……起きた時に……貴方がいなかったので、どれだけ私が不安だったか……。昨晩……私を守ってくれるって言ってくれたから……嬉しかったのに……コータローさんは……私の……」
最後の方はボソボソとした言い方だったので、ハッキリと聞き取れなかった。
だが特定の単語は聞き取れたので、俺は思わず、それを口に出していた。
「へ? 不安? 嬉しかった?」
するとアーシャさんは、なぜか知らないが、頬を赤く染めた。
「な、何でもありませんわ。こちらの話ですッ。それよりも、今言ったこと忘れないでくださいね!」
「確かに無断は良くないですね。わかりました。これからは気を付けます。アーシャさんにはちゃんと報告するようにしますよ」
「よろしい。約束ですわよ」
そしてアーシャさんは、ニコリと微笑んだのである。
(よかった……とりあえず、機嫌は良くなったみたいだ)
俺はホッと胸を撫で下ろした。
だがそこで、昨晩のアーシャさんの様子が、脳裏に蘇ってきたのである。
俺は忠告の意味を込め、アーシャさんに話すことにした。
「あの、アーシャさん……お話があるのですが」
「話? 何ですの?」
「……昨晩、アーシャさんはザルマに対して怯えておられましたが、これから先、ああいった事が起きる可能性が十分にあり得ます。なので、アーシャさんはマルディラント城にて待機してた方がいいんじゃないでしょうか? まぁこれは、俺個人の意見ではありますが……」
だが俺の忠告もむなしく、アーシャさんは即座に首を横に振ったのである。
「いいえ、私は貴方に付いていきますわ。それに私は、このイシュマリアで今、何が起ころうとしているのか、それを見届けたいのです。これは私の勘ですが、オルドラン様は何か重大な秘密を知った為、投獄されるような事になったのではないかと思っています。ですから、コータローさんに何を言われようと、私は貴方と一緒に行きますわ。それに、私だってオルドラン様の弟子です。この結末を見届ける義務がありますわ」
この表情を見る限り、意志は固いようだ。
もう説得は無理だろう。
「……わかりました。でも、あまり無茶はしないでくださいよ。俺もアーシャさんを守る為に精一杯努力しますが、それでもやはり限界というものがありますからね」
「ありがとうございます、コータローさん。私、貴方を信頼してます。だから、貴方の言う通りにしますわ。それに私……貴方と一緒にいると、不思議と安心できるのです」
俺を信頼している上に、一緒にいると安心できる……か。
まさか、アーシャさんにそんな風に思われていたとは……。
初めて会った頃の刺々しさから考えると、俺は凄い評価されてるようだ。
もしかすると俺に気があるのかも……なんて事を考えてしまうくらいである。
「はは……そ、そうっすか。そこまで言われると、いやぁ~、なんか照れるなぁ……」
俺は少し照れたので、金田一耕助ばりに側頭部をポリポリかいた。
これは仕方がない事であった。
なぜなら、異性にここまで頼られた事なんて、俺は今までなかったからだ。
(それにしても、出逢ったころと今と比べると、凄い変わりようだな……もしかすると、アーシャさんてツンデレキャラなのかも……って、あ!?)
俺はそこで、ある事を思い出した。
「そういえばアーシャさん、マルディラントに戻らないといけないんじゃないですか? サブリナ様達も、そろそろ起床する頃だと思いますよ」
それを聞き、アーシャさんもハッとした表情になる。
「そ、そうでした。ではコータローさん、またあの丘まで一緒に来てください」
「わかりました」
というわけで、俺はまた、あの丘へと向かう事になったのである。
[Ⅲ]
墓地の片隅でぼんやりとしていると、マルディラントからアーシャさんが戻ってきた。
「お帰り、アーシャさん。どうでした? サブリナ様やティレスさんは何か言ってませんでしたか?」
「何もありませんわ。お母様も、何も気づいてない風でしたから」
「それはよかったですね。では宿に戻りましょう」
「ええ」――
それから程なくして、宿の前へと帰って来た俺達は、そのまま玄関へと歩を進める。
するとそこで、タイミングよく隣の道具屋の扉が開き、ロランさんが姿を現したのであった。
突然でビックリしたが、俺達はとりあえず、ロランさんに朝の挨拶をした。
「おはようございます、ロランさん」
「おはようございます」
ロランさんはニコヤカに微笑んだ。
「おお、これはコータローさんにアーシャさん、おはようございます。皆さん、さぞやお疲れだったと思いますが、昨夜はよく眠れましたかな」
「ええ、ロランさんが良い宿を紹介してくれたお蔭で、ぐっすり眠ることが出来ましたよ。ありがとうございました」
俺は頭を下げた。
「それはよかったです。ところで、コータローさん達は、朝の散歩の帰りですか?」
「まぁそんなところです。ロランさんは何を?」
「私は今から開店前の準備を始めるところです。町の人が動き始める前には、店を開いておきたいものですから」
「ああ、なるほど。開店の準備ですか……あ!」
俺はそこで、昨晩の打ち合わせで決まった、ある事を思い出したのだ。
一応、昨夜の打ち合わせでは、出発する前に、ロランさんの店に寄って、それを実行にするという事になっていたが、俺はこれ幸いと思い、今、確認してみる事にしたのである。
「ロランさん、ちょっとお訊きしたい事があるんです。今、お時間の方はよろしいですか?」
「はい、構いませんよ。何でしょうか?」
「実はですね……ロランさんの扱っている商品について、少しお聞きしたい事があるのです」
「ああ、それでしたら、立ち話もなんですので店の中に入ってもらえますか。そこでお話ししましょう」
ロランさんはそう言うと、店の中に視線を向けた。
「それもそうですね」
そして俺達は店の玄関を潜り、中で話をする事にしたのである――
ロランさんと暫く話をした俺達は、その後すぐにレイスさん達の部屋へと向かった。
部屋の前に来たところで、俺は扉をノックする。
「コータローです、朝早くからすいませんが、ちょっといいですか?」
その直後、扉は開かれた。
扉を開いたのはレイスさんであった。
「おはよう、コータローさんにアーシャさん。で、なんであろうか?」
「昨日の件でお話があるので、中に入らせてもらっても良いですか?」
「どうぞ、お入りください」と、サナちゃん。
「では失礼します」
そして俺とアーシャさんは中へと入ったのである。
扉が閉められたところで、俺は3人に目を向けた。
レイスさん達はすぐにでも出発できる格好をしており、準備万端といった感じであった。
そんな3人の姿を見て頼もしく思いながらも、俺は念の為、昨晩のおさらいをする事にしたのである。
「では皆、準備の方は粗方出来てるみたいなんで、もう一度、昨日の確認をさせて頂こうと思います。それではサナちゃん……いや、イメリア様から」
「あ、あの、コータローさん……イメリアではなく、サナと呼んで下さって構いませんよ。コータローさんの呼びやすい名前で結構ですから。それと、今まで通りの話し方でお願いします。私もその方が話しやすいので」
「そうですか。じゃあ、そうさせてもらいます」
俺は続ける。
「ではまず、サナちゃんからいこうか。昨日も言ったと思うけど、今のサナちゃんの姿は、もう既に魔物達には知られていると思った方がいい。そこで、変装をこれからするわけだけど、さっきロランさんの道具屋に行ってきたら、良い装飾品があったんだよ。なので、朝食を食べたらすぐに、ロランさんの店に向かってもらいたいんだ」
「朝食の後ですね。わかりました。コータローさんの指示に従います」
俺はそこで、レイスさんとシェーラさんに視線を向けた。
「それから、レイスさんとシェーラさんも、サナちゃんと共にロランさんの店に向かってもらえますか。貴方がたの装飾品も、用意してあるので」
2人は頷く。
「了解した。君の言うとおりにしよう」
「コータローさんの言うとおりにするわ」
「ロランさんには既に話を通してありますんで、よろしくお願いしますね」
と、そこで、アーシャさんが口を開いた。
「ところでコータローさん、昨日手に入れた馬と馬車は、全て売り払うのですか?」
「まぁそのつもりだけど……何か問題がありますか?」
「馬車はともかくですが、馬2頭は私達が使ったらどうかしら?」
「馬を……ですか?」
「ええ。お兄様も以前言ってましたわ。馬は馬車よりも小回りが利きますから、馬車移動する際は周囲の偵察と護衛の為に、必ず騎馬隊を何名か同行させると」
確かに、アーシャさんの言う事も一理ある。
(馬だけは俺達が貰っておいた方がいいかもしれない……でもそうなると餌の問題も出てくるな。どうしよう……)
そんな風に俺が悩んでいると、シェーラさんが話に入ってきた。
「アーシャちゃんの言う通りよ。確かに偵察や護衛もそうだけど、馬単体としての機動性は馬車よりもはるかに上よ。それを考えると、対応出来る事の幅が広がるわ。だから、一緒に連れて行った方が良いかもしれないわね」
レイスさんもそれに賛同する。
「コータローさん、私もシェーラと同意見だ。しかも、あの馬は良い身体つきをしていた。恐らく、馬自体も旅慣れている気がする。なので、乗る乗らないに関わらず、連れて行った方がいいかもしれない」
旅慣れたこの2人の意見を聞き、俺も決心が固まった。
「そうですね。確かに皆の言うとおりです。では、馬車だけ売って、残った馬2頭は俺達がそのまま使用しましょう」
俺の言葉に4人は頷いた。
だがこの時、俺は奇妙な気分になったのである。そしてこう思ったのだった。
あれ……俺って、いつの間にかリーダーみたいになってる、と。
だが、あまり頼られても困るので、俺的には嬉しくない事であった。
大体俺はリーダーシップをとるような人間ではない。寧ろそういった部分は苦手なのだ。
(このままいくと、リーダーみたいになりそうだから、少し自重をした方がいいのかも……ン?)
と、そこで、何かを思い出したのか、シェーラさんがポンと手を打ったのである。
「あ! ……そういえばコータローさん。言い忘れてたんだけど、奴等の乗ってきた馬車の中に、奇妙な杖が1つ転がっていたのよ」
「奇妙な杖?」
「そう、アレなんだけど」
シェーラさんはそう言って、部屋の片隅を指さした。
するとそこには、茶色い棒のような物が立てかけられていたのだ。
「あの杖だけが、奴等の馬車の中にあったのですか?」
「ええ、そうよ。ちょっと気になったから、一応、部屋に持ってきたの」
「……そうですか。ではちょっと拝見させてもらいますね」
俺は杖の所へと移動する。
そして杖を手に取り、マジマジと眺めたのであった。
杖の両端には、美しい2つの石が付いていた。
この2つの石は、アメジストのような美しい紫色の水晶球とトルコ石のような水色の丸い石で、大きさは両方ともテニスボール程度であった。
それらからは微妙に魔力の流れが感じられるので、どうやら、普通の杖ではないようだ。
俺は次に棒の部分に目を向けた。
長さは1.5m程度だろうか。物干し竿くらいの太さがある茶色い棒で、そこには奇妙な模様が幾つも彫りこまれていた。
とりあえず、見た目は大体こんな感じだ。
全体的に、どことなく美術品のような印象を受ける美しい杖であった。
魔物が持つには、あまり似つかわしくない杖である。
と、そこで、アーシャさんの声が聞こえてきた。
「あの悍ましい魔物達が所有してたという割には、やけに美しい杖ですわね……」
アーシャさんも俺と同じことを思ったようだ。
「そうですよね。でも何の杖だろう……。馬車の中に置いてあったという事は、戦闘で使う物じゃないのかもしれないな……」
「ロランさん達はあの時、馬車を透明にしたと言ってました。もしかすると、その為の道具なんでしょうか?」と、サナちゃん。
「う~ん、どうだろうね……。そうなると、透明になった馬車の中にあるというのも妙な話だし」
「それもそうですね」
さて、どうしたもんか……この杖は恐らく、魔道士の杖のように、微量の魔力を籠めることで効果が得られるものだと思う。が、試してみるべきかどうかが悩みどころであった。
とはいうものの、この杖から感じる魔力の流れからは、危険な雰囲気というものは感じられない。
だが、万が一という事もあるので、その辺が少し気になるところではあった。
(どうするかな……まぁ危険な気配は感じないから、とりあえず、試してみるのも手か……)
というわけで、俺は4人に確認した。
「杖の力を試してみてもいいですかね? この杖には何らかの魔法が込められているのかもしれないので、何が起きるかはわかりませんが……」
アーシャさんは眉根を寄せる。
「え、試すって……ここでですの?」
「ええ、ここでです。この杖からは攻撃魔法特有の荒々しい魔力の流れや、ラリホーやルカニといった攻撃補助魔法特有の嫌な魔力の流れが感じられないから、多分、それほどの危険はないと思うんですよ。まぁ俺の勘ですが……」
今の言葉を聞き、4人は顔を見合わせた。
「そうですか。なら、コータローさんの判断にお任せしますわ」
「私もコータローさんの判断にお任せします」
「やってみてくれ」
「いいわよ、試しても」
全員が了承してくれたので試すことにした。
「では試しますね。でも、万が一という事もありますんで、少し離れてもらえますか」
4人は頷くと少し後退する。
それを見届けたところで、俺は紫色の水晶部分に手を添え、微量の魔力を籠めたのであった。
するとその直後、なんと水晶球から、紫色の煙のようなモノが、一斉に噴き出したのだ。
「うぉ! 何じゃこりゃ!」
煙はみるみる室内に広がってゆき、何も見えないくらいに視界が悪くなった。
そこで皆の声が聞こえてくる。
「な、何ですの、この煙は!」
「何これ!?」
「こ、これは!?」
「この煙は一体……」
だがそれも束の間の事であった。
暫くすると紫色の煙は晴れてゆき、視界も徐々に良くなっていったのである。が、しかし……煙が完全に消え去ったところで、俺達は互いの姿に驚愕したのであった。
「な、何よ、皆一体どうしたの!」
「そんな馬鹿な!」
「ど、どうなってるんですの」
「これは、ま、幻?」
俺達の姿はどうなったのかというと……。
なんと! 俺達は全員、魔物になっていたのである。
しかも、ガーゴイルやホークマンといった鳥人間のような姿に変化していたのだ。
この突然の変化に俺は焦った。
だがそれと同時に、あのアイテムの事が、俺の脳裏に過ぎったのである。
そう……船乗りの骨を貰える、あのアイテムの事だ。
俺は思わず、その名を口にしていた。
「これは……もしや……変化の杖か」
「へんげの杖? な、何ですのそれは?」と、アーシャさん。
とりあえず、適当に言っておこう。
「実は俺も以前、噂で聞いた事があるんですよ。自分の姿を何にでも変化させられる魔法の杖があるという事を」
「そんな杖があるのですか? 初耳です」
これは多分サナちゃんの声だ。
「まぁ俺も詳しくは知らないんだけど、そういう杖があるという事だけは、聞いた事があるんだよ」
「コータローさん、それは分かりましたが、これは元に戻れるんですの? 私、ずっとこんな姿なんて嫌ですわよ!」
「私もよ!」
「私もだ!」
「えっと……私も」
4人の抗議の声が聞こえてくる。
まぁこうなるのも無理はない。
だが、この杖がゲームと同じという確証はないので、俺も曖昧な返事になってしまったのである。
「た、多分、一時的な変化だと思うんで、元に戻れるとは思うんですけど……」
実を言うと俺も不安なのだ。
皆にはこう言ったが、本当に元の姿へ戻れるのだろうかと考えてしまうのである。
確かにゲームだと、ある程度の時間が経過すると元に戻った。が、しかし、この杖がゲームと同じ変化の杖だという確証はどこにもないのだ。
(ゲームだと歩いている内に効果が切れたから、歩くといいんだろうか……ン?)
ふとそんな事を考えていると、反対側についている水色の石が視界に入ってきた。
これはもう試すしかないだろう。
「あ、ちょっと待ってもらえますか。次は反対側の石を試してみますね」
俺はそこで、杖を回転させて上下逆にする。
それから先程の要領で、水色の石に微量の魔力を籠めたのである。
するとその直後、今度は水色の煙が一斉に噴き出し、室内に充満していったのだ。
暫くすると、先程と同じように煙も晴れてゆく。
そして完全に煙が晴れたところで、皆は互いの姿を見て、安堵の表情を浮かべたのであった。
「も、元の姿に戻りました。はぁ、一時はどうなる事かと思いましたわ」
「アーシャちゃんの言うとおりだわ。……ずっと魔物だったらどうしようと思ったわよ」
流石に俺も悪いと思ったので、ここは謝る事にした。
「すいませんでした。試すなんて軽率すぎましたね。申し訳ありませんでした」
レイスさんは頭を振る。
「いや、それは構わない。コータローさんのお蔭で、我々のような姿に奴等が化けれるという事がわかったのだからな」
「ええ、レイスさんの言うとおりです。これからは例え魔物ではなくても、十分注意しなければいけません。ですから、さっき言った変装の件は、よろしくお願いしますね」
レイスさん達は真剣な表情になり、無言で頷いた。
「それとこの杖は、いざという時の為に持って行きましょう。考えてみれば、これは素晴らしい変装道具かもしれませんから」――
[Ⅴ]
朝食後、サナちゃん達3人はロランさんの元へと向かった。
だが俺とアーシャさんはそこへは一緒に行かなかった。
なぜなら、片付けなければいけない別の用事があるからだ。
俺達が向かった先……それは宿屋の主人の所であった。目的は勿論、昨日手に入れた戦利品の売買交渉をする為である。
というわけで、その交渉結果だが……宿屋の主人が、まず最初に提示してきた額は2000Gという金額であった。
しかし、相手の言い値をそのまま受け入れるほど俺も馬鹿ではない。
そういうこともあろうかと、昨晩の打ち合わせの時、レイスさんとシェーラさんにある程度の見積もりは出してもらったのである。
そして、レイスさんはその時、こんな事を言っていたのだ。
「昨日行ったマルディラントの馬車屋だと、あのタイプの馬車は馬なしで6000Gくらいはしていた。だから2頭の馬付きで新調すると、最低でも8000G、いやあの馬だと……10000G以上はする筈だ。交渉する時は、その半額か、もしくはその付近の金額が妥当なところだろう」と。
というわけで俺は、足元を見られないように少しだけ粘る事にした。
多少の駆け引きの後、最終的な売値は馬を込みで3000Gという値段で落ち着いた。
想定よりも少し安い金額かもしれないが、元の所有者がアレなので、この金額で妥協する事にしたのである。
話は変わるが、この馬車を俺達が使うという選択肢も勿論あった。
だが、この馬車は魔物達が使っていた物である。これを使う事によって、どういった不利益を被るかが予測不可能な為、俺達はこの馬車を使う事を断念する事にしたのだ。
やはり、余計な戦闘は極力避けたいので、この決断は致し方ないところであった。
まぁそんなわけで、俺達は今まで通り、自前の馬車での移動となるのである。
つーわけで、話を戻そう。
宿屋の主人との交渉を終えた俺達は、そのままロランさんの道具屋へと足を運んだ。
中に入ると、既に変装を完了した3人の姿が俺の目に飛び込んできた。
ちなみに3人の変装箇所はというと……サナちゃんは、羽帽子と銀縁の眼鏡を装着し、首に茶色いマフラーという格好で、レイスさんはDQⅧの主人公のように、頭にバンダナを巻いて、首に茶色いマフラーをしていた。それから、シェーラさんもサナちゃんと同様、羽帽子と茶色いマフラーといった感じの変装であった。
まぁそんなわけで、変装というほどのモノではない。この国では良く見かけるごく普通の格好だ。が、しかし……3人が首に巻いている茶色い布地のマフラーが、この変装の最大のポイントなのである。
これはロランさんから言われた事だが、マフラーはいざという時に目から下を覆う事が出来るので、人相を隠すにはうってつけのアイテムなのだそうだ。
言われてみると、確かにその通りであった。
しかも簡単に、そして素早く顔を隠せる、という利点もある為、俺はこの案を採用する事にしたのである。
「いい感じですよ。今までと雰囲気がガラッと違って見えます。これならば魔物達にも、そう簡単に特定はされないかも知れませんね」
マフラーに触れながら、サナちゃんは頷いた。
「本当です。ロランさんの仰るとおり、この首に巻く防寒具は顔を隠すのに便利ですね。視界が悪くなる事もありませんし、何より不自然じゃありません」
「これは盲点だった」
「本当ね」
レイスさんとシェーラさんも、サナちゃんの言葉に頷いた。
「お気に召していただけたようで何よりです。それと、コータローさんとアーシャさんの分もご用意しましたので、どうぞお使いください」
ロランさんはそう言って、カウンターの上に茶色のマフラーを2つ置いた。
「ありがとうごいざいます。……ところでロランさん、本当にお金の方は良いんですか? さっき変装の話をした時、そんな事を言ってましたけど……」
「ええ、結構でございます。これは昨日のお礼と思ってください。私はこんな事でしか恩を返せませんので、そこはどうかお気になさらないでください」
レイスさんはそこで頭を下げた。
「貴方の心遣い、ありがたく頂戴いたします」
続いてサナちゃんやシェーラさんも頭を下げる。
ついでなので、旅の必需品もここで調達しておくとしよう。
「では皆、ロランさんの店で旅に必要な物を揃えてから、出発しましょうか」
4人は頷く。
そして俺達は、道具類をロランさんの店で幾つか購入し、目的地であるガルテナへと出発したのである。
[Ⅵ]
フィンドの町を後にした俺達は、そのまま北へと進んで行く。
空を見上げると昨日に引き続き、雲一つない青空が広がっており、そこから清々しい陽光が降り注いでいた。
この様子だと、今日の降水確率はかなり低そうである。ありがたい事だ。
周囲に目を向けると、遠くに小さく見える山々の姿と広大な緑の草原、それから、どこまでも続く街道が視界に入ってくる。
それは、昨日マルディラントを出発した時と同じような光景であった。が、流石に心境まで同じとはいかなかった。やはり、昨日の事があるので、どうしてもネガティブな思考になってしまうのである。
俺はそこで他の4人に目を向けた。
皆も俺と同じ心境なのか、どことなく硬い表情になっていた。
とはいえ、こればかりは仕方がないだろう。昨日の今日で笑顔になれというのが、無理な話だからだ。
話は変わるが、馬2頭を手に入れた為、人員の配置が少し変わった。
御者は勿論レイスさんだが、手に入れた馬2頭はシェーラさんに面倒を見てもらう事になったのだ。
その為、馬車の中は、俺とアーシャさんとサナちゃんの3人だけという構成になっているのである。
つーわけで、話を戻そう。
俺が皆の様子を見ていると、そこでサナちゃんと目が合った。
するとサナちゃんは、ニコリと俺に微笑んだのである。
「コータローさん、今日もいい天気ですね」
「そうだね。今日の空模様だと、雨は大丈夫かな」
「私もそんな気がします。あ、そうだ、昨日、訊きたかった事があるんですけど、今よろしいですか?」
「訊きたかったこと? 何だい?」
「昨日、ザルマに襲われた時、コータローさんは、あの魔物達を知っていると言ってました。しかもその後、こうも言ってました。ベホマはベホイミの更に上の高位魔法だと。それについてどうしても訊きたかったのです」
それを聞き、隣にいるアーシャさんもハッとして、俺に視線を向けてきた。
「そ、そうでしたわ。私も、それを訊かねばと思っていたのです」
(これはもう、下手な言い訳は出来ない状況だな……仕方ない、少しアレンジして話すとしよう。だがその前に……)
俺は1つ条件を提示した。
「話してもいいですが、この事は俺達だけの秘密にしてくださいね」
2人は顔を見合わせて頷いた。
「わかりました。他言はしませんわ」
「私も他言はしないと固く誓います」
「じゃあ約束だよ」
俺は少しだけボカシながら、その辺の事を話すことにした。
「実はね……俺が以前住んでいた所に、沢山の魔物や魔法について記述された書物があったんだよ。それを以前読んだ事があったから覚えていたんだ。とはいっても、俺も実際に見たわけじゃなかったから、実物を見るまで信じられなかったけどね」
実物を見るまで信じられなかったというのは、俺の本心である。嘘偽りはない。
サナちゃんが訊いてくる。
「魔物や魔法が書かれた書物……。それには、あの魔物達の事が全て描かれていたのですか?」
「うん、一応ね。まぁ俺も曖昧な部分が多少あったけど、ある程度覚えていたから、あの時ああ言ったんだよ。非常事態だったしね」
「ではベホマという魔法も、それに書かれていたんですの?」と、アーシャさん。
「そうですよ。結構色んな魔法が書いてあったけど、回復魔法については俺も興味があったから、その記述は良く覚えていたんです」
「そうだったのですか……そんな書物があったなんて初めて知りました」
サナちゃんはそう言って、思案顔になった。
だがアーシャさんは半信半疑なのか、俺に流し目を送ってきたのである。
「それは本当ですの? なら聞きますけど、メガンテという呪文の事は、その書物とやらに書いてありましたか?」
うわぁ、これまた懐かしい名前である。
ゲームで使う事は殆どなかったが、その特性から非常に有名な魔法であった。
とはいえ、あまりあっさり言ってしまうと、後が面倒臭そうな気がした為、俺は少し悩む仕草をしながら答えておいた。
「メガンテ……ですか? ええっと確か……呪文を唱えた者の命と引き換えに、敵全体を消し去る魔法……だったかな。なんかそんな事が書いてありましたね」
するとその直後、アーシャさんとサナちゃんは、目を大きく見開きながら、互いに顔を見合わせたのである。
「そんなに驚くことなの?」
2人は頷く。
サナちゃんは真剣な表情で話し始めた。
「……これはまだ世間では知られていない事なのですが、ラミナス宮廷魔導師である賢者リバス様は古代魔法メガンテの研究をしておりました。しかし、資料が乏しく、その作業はかなり困難を極めたそうです。ですが、幾つかある過去の文献から、彼は1つの仮説を立てたのです。それは多大なる犠牲を払った上で、魔物を葬り去るという禁断の呪文ではないのかという説です。なので……今、コータローさんが言った内容はそれと酷似しています。だから、私は驚いたのです」
アーシャさんもサナちゃんに同調する。
「私も賢者リバス様が立てた『犠牲を払って魔を滅ぼす禁断の魔法』説は聞いた事がありますわ。イシュマリアの古代魔法研究者達の間では、あまり受けが良くなかったそうですが、オルドラン様も賢者リバス様の説を支持されてました。なので、私もそれについてはよく覚えています」
「へぇ、そうだったのですか。……でも、物騒な魔法の研究をしていたんですね。その賢者リバス様という方は」
するとサナちゃんは肩を落とし、悲しそうに目尻を下げた。
「……それには理由があるのです。世間では、突然、強大な魔物に襲いかかられて滅んだ事になっているラミナスですが、実は当時のラミナスにも、一応、嫌な予兆があったのです。それは日が経つごとに急激に増える魔物の数でした」
「急激に魔物が増える……だって……」
サナちゃんは頷くと続ける。
「はい、そうです。増えるのは弱い魔物ばかりでしたが、その増え方は、私の父であるアルデミラス王も、何れ大きな災いが来るのではないかと危惧していたほどです。その為、ラミナスの宮廷魔導師達は、強力な魔法を得る為の探索を王から命じられました。しかも、ラミナス最強の魔導師である賢者リバス様に至っては、父から直接その指示を受けていた筈です。だからリバス様は、古代の文献に唯一無二の強力な魔法と記されるメガンテについて調べていたのだと思います」
「そうだったのか。なるほどね……」
俺は返事をすると無言になった。
どうやらラミナスが滅ぶ前に、色々とあったようである。
だが俺はイシュマリアの今の状況が、滅ぶ前のラミナスに酷似している事の方が気になった。
その為、魔物が増えるという現象について、俺は暫し考える事にしたのである。
Lv20 ガルテナ
[Ⅰ]
フィンドの町を出発してから、どれだけ時間が過ぎたであろうか……。
時計を持っていないのではっきりとは分からないが、もう既に7時間以上は経過しているように思える。
だが、これは当てずっぽうな数字ではない。勿論、そう考えるに足る状況証拠もあるのだ。
それは何かというと、太陽の位置である。
今はもう、日も傾き始めており、山の頂きに隠れようとしているところなのである。
この分だと、あと2時間もすれば、夜の帳が降りてくるだろう。
(ガルテナまで、あとどのくらいなんだろう……明るいうちに着けるといいが……)
俺はそこで周囲を見回した。
この辺りは草原が広がるフィンドの辺りとは違って、山や林ばかりであった。
その所為か、だだっ広い草原を移動していた時とは違い、非常に窮屈に感じた。
やはり、背の高い木々や山の姿は壁のようになってしまうからだ。
おまけに、今は日も傾いてるので、余計にそう感じてしまうのである。
また、俺達が進むこの街道にも多少の変化があった。
それは何かと言うと、路面がやや凸凹とした感じになってきているのだ。なので、当然、馬車の揺れも酷くなり、乗っている俺も気分が悪くなってくる。
そんなわけで今の俺は、吐くまではいかないが、軽い車酔いみたいな症状にも悩まされているのであった。アスファルトで舗装された日本の道路が恋しい今日この頃である。
だがこれは俺だけではない。アーシャさんやサナちゃんも同じであった。2人もこの揺れには、辟易とした表情を浮かべているのである。
まぁ要するに、今までは快適だった馬車移動も段々と厳しいモノになってきているので、俺達もいい加減疲れてきているというわけである。
だがしかし……今の俺達には、それよりも大きな懸念が1つあるのであった。
それは魔物である。わかっていた事ではあるが、やはり、山間部は平野部と比べると魔物の生息数が多いのである。
ちなみに、平野部での戦闘は1回だけであった。だが、この山間部を移動し始めてからというもの、もう既に魔物の襲撃が4回もあったのだ。ゲームでも山や森はエンカウント率が高いが、それをまざまざと見せつけられた感じである。
とはいえ、出てくる魔物はフィンドの辺りとそれほど変わらず、お化けキノコや暴れ牛鳥程度の魔物であった。落ち着いて対処すれば全く問題の無い魔物達なので、今のところ、危機的な状況には至っていない。しかし、いつ強力な魔物が襲ってくるかわからない為、俺達は常に警戒しながら、この山間の街道を進んで行かなければならないのである。
俺達は慎重に街道を進んで行く。
暫くすると、『この先、ガルテナ』と書かれた看板が立てかけられているのが、俺の目に飛び込んできた。こんな看板が出てくるという事は、ガルテナはかなり近いのかもしれない。
そして、その看板から更に進んでゆくと、俺達はいつしか、前方に大きく聳えていた山の麓へとやってきていたのであった。
フィンドの辺りから山の姿は見えていたので、やっとここまで来たかといった感じだ。
だが旅はここで終わりではない。目的地であるガルテナは、この山の中だ。よって、環境が変わるここからは、更に気を引き締めなければならないのである。
俺は山中に入る前に、ワンクッション置こうと考え、レイスさんに停まるよう指示を出した。
「レイスさん、近くに川もあるので、山に入る前に少しだけ休憩をしましょう」
「了解した」
レイスさんは手綱を引いて馬車を止める。
そして俺達は、ここで暫しの休憩を挟むことにしたのである。
休憩の合間、俺は地図を広げ、目的地までの道のりをもう一度確認する事にした。
「この地図を見た感じだと、ガルテナは、この山の中を真っ直ぐ進んだ先ですね。途中、1か所だけ分かれ道があるので、そこを右に進めばすぐのようです。ですが、山中は魔物も多いので、ここからは更に警戒を強めて進みましょう」
4人は真剣な表情で頷く。
「コータローさんの言うとおりだ。シェーラよ、後方は頼んだぞ」
「わかったわ、レイス。任せておいて」
「ここから先は山ですし、私も今まで以上に注意しますわ」
「私も油断しないよう、気を引き締めます」
俺は4人の顔を見る。
皆、かなり気合が入っていたので、頼もしい限りであった。
ここで休憩を挟んだのは正解だったかもしれない。
「では、もう少ししたら出発しましょう。日のある内にガルテナには着きたいですから」――
[Ⅱ]
山の中は鬱蒼と木々が生い茂っており、不気味なほど静かだ。
警戒するあまり、奇妙に曲がりくねった木々の枝や蔦、そして岩などが魔物に見えてくる。
おまけに、今は日が傾いてるのもあって少し薄暗いので、ホラー映画をリアル体験しているような気分であった。
戦時下における極度の緊張は幻覚を見せるというが、これもそういった事の1つなのかもしれない。
まぁそれはさておき、空を見上げると、不味い事に、暗闇と化すのは時間の問題といった感じになっていた。早い話が、夕闇に入る一歩手前である。
その為、俺は焦っていた。なぜなら、魔物の時間がやってくるからである。
魔物が多い山中で夜を迎えるのだけは、どうしても避けたいのだ。
(ガルテナまで、後どのくらいなのだろう……まだだいぶかかるんだろうか……ン?)
と、そこで、馬車の速度が少し落ちてきた。
レイスさんの声が聞こえてくる。
「コータローさん……前方に何者かがいるようだ。敵かどうかは分からないが、昨日の事もある。だから、いつでも戦闘に入れるよう準備してほしい。それと、後ろのシェーラにも、それを伝えておいてくれないだろうか」
「わかりました」
俺はそこでアーシャさんとサナちゃんに視線を向けた。
すると今のレイスさんの言葉で察したのか、2人は俺にコクリと頷く。
そして、いつでも魔法を行使できるよう杖を手に持ったのである。
魔物と何回か戦闘をしているので、この辺りの対応は流石にもうわかっているようだ。
俺はそこで前方にチラッと視線を向けた。
するとレイスさんの言った通り、200m程先に何者かが数名いた。
この位置からだと細かい部分はわからないが、手と足と頭がある事から、俺達と同じく人間型の種族のようだ。
またその者達は、前方で止まって待機しており、こちらをジッと窺っているようであった。もしかすると、向こうも俺達を警戒しているのかもしれない。
前方にいるのが何者なのかはわからないが、人に化けた魔物という可能性もあるので、俺もすぐに魔法を発動できるよう、魔力操作に意識を向かわせたのである。
前方の様子を確認した俺は、魔力の流れを操りながら、馬車の後部座席に移動し、シェーラさんに今の内容を告げた。
「シェーラさん……前方に何者かがいます。昨日のような事もあるかもしれませんので、後方も十分に注意して下さい。挟み撃ちの可能性もないとは言えませんので」
俺の言葉を聞き、シェーラさんは目を細め、右手を剣の柄に添えた。
「わかったわ。でもその時は、コータローさんも援護をお願いね」
「勿論です」
そして俺達は静かに臨戦態勢に入ったのである。
レイスさんは前方にいる者達に近づくにつれ、馬車の速度を更に落としていった。
またそれと共に、前方にいる者達の姿も少しづつ判別できるようになってくる。人数は5名で、ラミリアンではなく人間のようだ。その内3名は、レイスさんやシェーラさんのように金属製の鎧を身に着ける重装備をしていた。
しかも、それぞれが剣や斧に槍、そして弓といった得物を装備している為、非常に物々しい雰囲気を漂わせている。
他の2名はローブと杖を装備しているので、どうやら魔法使いのようだ。
とりあえず、今の位置からだとわかるのはその程度の事であった。
もう少し近づけば、容姿もはっきりと分かるだろう。
ちなみに、今のところは魔物のような素振りは見えない。が、変化の杖を使って化けている可能性も否定できないので、油断は禁物である。
だがしかし……俺は何となく、前方にいる者達は魔物ではないような気がしたのだ。
なぜそう思ったかというと、魔物達が放つ禍々しい殺気が感じられなかったからである。
俺は今まで、ベルナ峡谷で何体もの魔物と訓練してきたが、そこで遭遇した魔物達はどれも俺を殺そうと殺気立っていた。勿論、ザルマ達と戦った時の魔物達もそうであった。
しかし、前方にいる者達からは、そういった殺気といったモノが微塵も感じられないのである。
だからだろうか。今の俺は警戒をしてはいるが、それほど緊迫した風には考えていないのであった。
馬車が前方の者達に近づく中、俺はアーシャさんとサナちゃんに視線を向けた。
すると2人は物凄く強張った表情をしていた。この表情を見る限り、相当ビクビクしているに違いない。
だが俺はそんな2人を見て、少し危うさを感じたのであった。
なぜかというと……集団戦闘における極度の緊張は、同士討ちを招く恐れがあると聞いた事があるからだ。ちなみにそれを聞いたのは、以前見た戦争ドキュメンタリー映画か何かでだった気がする。
まぁそれはともかく、これは非常に重要な事である。
その説が正しいかどうかはともかく、正常な判断を下すには、やはり、心にゆとりがどうしても必要だからだ。
「あの、アーシャさんにサナちゃん……そんな顔してたら、向こうも不審に思いますよ。もう少し楽にしましょう。多分、大丈夫ですよ」
「そ、そうですよね。……少し、肩に力が入りすぎてしまいました」
「ですが……もし魔物だったらと思うと……」
アーシャさんはそう言って、体をブルッと震わせた。
この様子だと、またザルマの事を思い出したのだろう。
仕方ない……安心させる為にも、さっき思った事を話すとしよう。
「アーシャさん、大丈夫ですよ、魔物じゃないと思います。俺、何となくわかるんですよ。前方にいる者達からは、殺気というものが感じられないですからね。だから、魔物の可能性がかなり低いですよ」
「ほ、本当ですか?」
「ええ、本当です。だから大丈夫だと思います。俺もこう見えて、結構魔物と戦ってきましたからね。魔物の放つ殺気はよくわかるんですよ」
まぁこれは半分嘘だ。が、少しでも気がまぎれるならと思い、俺は言ったのである。
だがこれが功を奏したのか、アーシャさんの震えは次第に治まってきた。
またそれと共に、不安そうな表情も徐々に和らいでいったのである。
どうやら少しは安心したのだろう。
「コータローさんの話を聞いて、本当にそんな気がしてきましたわ。ありがとうございます、勇気づけてくれて」
「なに、お安いご用ですよ。……ン?」
と、そこで、馬車はゆっくりと停車したのである。
馬車の前方には、金属製の鎧を着こんだ男が3人とローブを着た女性が2人おり、俺達の進路に立ち塞がるよう立っていた。年齢は男女共、20代後半から30代前半くらいといったところだろう。
5人は今、ジッと俺達を見ている。向こうもすぐに動かないところを見ると、俺達の様子を見ているのかもしれない。
俺はそこで、まず3人の男に視線を向けた。
3人共、俺より背が高く、腕っぷしの強そうな体型の者達ばかりであった。
その為、どいつもこいつも、かなり修羅場を潜ってそうな雰囲気を醸し出している。
しかも3人は今、剣や斧に槍といった得物と盾を装備しているので、より一層、そういった風に見えてしまうのである。
ただ、あまり厳つい顔つきの者達ではないので、強そうではあるが、威圧的な戦士ではなかった。寧ろ、人当たりの良さそうな雰囲気だったので、良い人達なのかもしれない。とりあえず、3人の戦士はこんな感じである。
次に俺は、2人の女性へと視線を移した。
女性は2人共、ローブと杖を装備しているので、魔法使いとみて間違いないだろう。
彼女達からはそれなりに強い魔力を感じる。この魔力の感じだと、中級の魔法は、ある程度使えるに違いない。
そして……女性は2人共、なかなか綺麗な方々であった。
しかもその内の1人は胸を強調する衣服を着ている為、妙に色っぽいセクシーな女性なのである。おまけに結構な巨乳なのだ。
その為、俺はついついその物体に目が行ってしまう。そして、ついついニヤけてしまうのである。
男の悲しい性というやつだ。が、しかし!
「痛ッ!」
そこで突然、右足の甲に物凄い激痛が走ったのである。
俺は慌てて右足に目を向ける。
するとなんと、アーシャさんが踵で、俺の右足の甲をグリグリと踏みつけていたのだ。
アーシャさんは俺を睨みつけ、若干怒気を籠めて言葉を発した。
「コータローさん……何を見て、ニヤけてるんですの。こんな時に、不謹慎ですわッ!」
「そ、そうです……不謹慎でした。ご、ごめんなさい。だから、あ、足を……い、痛い……」
あまりの痛さの為、俺は涙目になりながらアーシャさんに謝った。
「わかればよろしい」
アーシャさんはそこで足をどけてくれた。
そして俺は解放されるや否や、すぐさま右足の甲を撫でて痛みを緩和したのである。
マジで痛かったので、ホイミを使おうかと思ったくらいだ。
と、そこで、サナちゃんの悲しそうな声が聞こえてきた。
「コータローさんは……胸の大きな女性がいいのですか?」
「は?」
俺はサナちゃんに視線を向ける。
するとサナちゃんは、なんともいえない表情で、俺を見ていたのである。
この視線があまりに痛かったので、俺は慌てて弁明した。
「ちょ、ちょっと何を言ってるの。ち、違うよ、たまたま目が行っただけさ。俺はそんな事を考えてたんじゃなくて、どういう人達なんだろうと思って観察してただけなんだよ。ただそれだけなんだ。たまたまメロンのような物体があったから、おいしそう……じゃなかった。何でこんな所に食べごろのメロンが? と思っただけなんだよ」
「見苦しいですわよ、コータローさん。言い訳なんかして。というか、メロンて一体何ですの」
迂闊であった。
良く考えたらこの国にメロンなんて物はないのだ。
俺はシドロモドロになりながら説明を続ける。
「いや、だ、だからですね……メロンというのは……ン?」
と、その時であった。
タイミングよく5人の内の1人が、俺達の方へと近づいてきたのである。
俺はこれ幸いと思い、話を逸らすことにした。
「おや? 1人こっちに来ましたよ」
【え!?】
2人は慌てて前に視線を向ける。
どうやら上手くいったようだ。
そして俺はホッと胸を撫で下ろし、安堵の息を吐いたのである。
俺達の方に近づいてきたのは、目や鼻がスッと整ったダンディな顔立ちをした戦士であった。
ちなみにその男は、短めの黒い髪をオールバックにし、整った口髭を生やしていた。その所為か、某世紀末救世主漫画に出てきた第三の羅将みたいな風貌であった。『白羅○精!』とか『百人から先は覚えていない』とか言いそうな雰囲気を持つ、中々に良い味を出しているダンディ戦士である。
まぁそれはさておき、そのダンディ戦士は馬車に乗る俺達を一瞥すると、レイスさんに話しかけた。
「失礼する。じき夜になるが、貴方がたはどこに向かわれるのだろうか?」
「我々はこの先にあると聞く、ガルテナへと向かっているのだが……それがどうかしましたかな?」
男は後を指さした。
「ならば、このまま進まれるがよろしかろう。途中、二手に分かれているところがあるが、右手の道を進めばすぐにガルテナだ」
「そうですか。教えて頂き、ありがとうございます。ところで、つかぬ事を訊きますが、貴方がたはここで何をされているのですかな?」
「我々はこの近辺の見回りをしているところだ。近頃、魔物の数も増えてきており物騒なものですからな。我々はガルテナを警護する為、村に雇われているのですよ」
「そうでしたか……確かにこの道中、頻繁に魔物と遭遇しましたので、我々も少し数が多いなと思っていたのです」
これはレイスさんの言う通りであった。確かに少々多い気がしたのだ。
「まぁそういうわけです。では、我々も見回りがあるので、これで失礼します。かなり日も落ちてきましたので、貴方がたも急がれた方が良いだろう」
「お気遣い感謝する。では」
と言うと、レイスさんは男に頭を下げた。
馬車の中にいる俺達も、レイスさんに習って彼らに頭を下げる。
そして俺達は、ガルテナへと移動を再開したのであった。
暫く進むと、ダンディ戦士が言っていた分かれ道へと差し掛かった。
当然、俺達は分かれ道を右に進んで行く。
すると程なくして、ログハウスのような丸太を使った建物が並ぶ、集落が見えてきたのであった。
どうやらあれがガルテナのようだ。山奥にある集落だからなのかもしれないが、マルディラントやフィンドと違い、石造りの建造物というのは少ないみたいであった。考えてみれば、石よりも木の方が多いので当たり前と言えば当たり前だが……。
まぁそれはともかく、俺達はその集落に向かい進んで行く。
そして、集落の入口の付近に来たところで、レイスさんは馬車のスピードを弱めたのである。
なぜ弱めたのかというと、集落の入り口には、槍を片手に金属製の鎧を装備した戦士が立っていたからだ。
この立ち位置と装備内容を見る限り、恐らく、村の守衛かなにかだろう。
「ようやくガルテナに着きましたわね。長かったので疲れましたわ」
「私もです」
「俺もだよ。ガルテナに着いたら、すぐに宿へ向かおう。早く寛ぎたいからね」
2人はコクリと頷く。
そして、俺達は入口に佇む守衛と少し問答をした後、ガルテナの中へと入ったのであった。
[Ⅲ]
ガルテナに着いた俺達は、入口近くに立て掛けられた大きな看板の所で馬車を止めた。
俺はそこで馬車を降り、看板へと歩み寄る。
なぜ歩み寄ったのかというと、この看板がガルテナの見取り図だったからである。
入口に置かれているという事から、恐らく、旅人の為に作られた物なのだろう。
しかもありがたい事に、これには建物の配置や屋主の名前、そして村の道が詳細に書かれているのだ。
というわけで俺は早速、目的のリジャールさんという人の家と宿屋を探すことにした。
そして調べ終えると馬車に戻り、俺は宿屋の場所をレイスさんに伝えたのである。
「レイスさん、宿屋はこの道を真っ直ぐ行った十字路の手前です。厩舎は宿屋の隣にあるみたいなので、そこに馬と馬車を預けておきましょう」
「了解した」
レイスさんは鞭を振るい馬を走らせた。
暫く進むと、見取り図に書かれていたとおり、前方に十字路が見えてきた。
またその手前には看板を掲げる建物があり、そこにはこう書かれていたのだ。『山の精霊の宿』と。
見取り図に書かれていた名前と同じ宿屋なので、ここで間違いないだろう。
というわけで、俺はようやく一息つけると思い、肩の力を抜いたのであった。
程なくして、レイスさんは宿屋の前で馬車を止めた。
俺はそこで馬車を降り、宿屋を眺めた。宿屋は周囲の建物と同じく、ログハウス調であった。2階建てで奥行きのある大きな建物で、部屋数もそれなりにありそうである。
恐らく、この村で一番大きな建物だろう。
まぁそれはさておき、こんな所で眺めていても仕方がないので、俺は部屋があるかどうか確認することにした。
「では、部屋が空いてるかどうか確認してきますんで、皆は待っててください」――
で、部屋の空き具合だが……今は村の警護をする冒険者が結構いるらしく、空き部屋が1つしかないと言われた。
しかも、その空いているという部屋は4人部屋であった。とはいえ、無いものは仕方がないので、俺は受付にいる男と交渉して簡易ベッドを用意してもらうことにしたのである。
まぁ早い話が4人部屋を5人で使うわけである。
受付の者の話を聞く限り、宿屋はどうやらここしかないようなので、現状ではこの方法しかないのだ。
話は変わるが、宿泊料金は厩舎の利用も含め、1泊40ゴールドであった。
フィンドで宿泊した時と比べるとだいぶ安いが、まぁ相部屋なのでこんなモノなのかもしれない。
つーわけで話を戻そう。
入口のカウンターでチェックインを済ませた後、俺とアーシャさんとサナちゃんは部屋に向かった。
レイスさんとシェーラさんには、厩舎に馬と馬車を預けに行ってもらったので、今はいない。後から来ることだろう。
まぁそれはともかく、俺達に宛がわれた部屋は10畳程度の広さの空間であった。
4つのベッドが均等な間隔で置かれているのが、まず目に飛び込んでくる。
その他に、木製の丸テーブルと4つの椅子に化粧台といった調度品の家具が、部屋の奥の方に置かれていた。
また、窓は1つであり、天井にはフィンドの宿屋と同様、質素なシャンデリアが1つだけぶら下がっていた。
周囲の壁は全て板張りで、その影響かどうかわからないが、以前入浴したヒノキ風呂のような芳香が室内に充満していた。その為、室内にいるにもかかわらず、森の中にいるような不思議な感覚に見舞われたのである。
以上の事から、まさしく、木の香りが漂うログハウスといった感じの部屋なのだ。
ちなみに、今見た限りでは、まだ簡易ベッドの方は用意されていないようであった。多分、後で持ってくるのだろう。
部屋の中に入った俺達は、まず荷物の類を部屋の片隅に置き、それから寛ぐことにした。
俺は椅子に腰かけると肩の力を抜いて、背もたれに思いっきり背中を預ける。そして、体内にたまった空気を全て出すかのように、大きく息を吐いたのである。
俺はそこで2人に目を向けた。
するとアーシャさんとサナちゃんは、ベッドにゴロンと横になって寛いでいた。
少しグッタリした感じだったので、だいぶ疲れたのだろう。
無理もない。道中、魔物に警戒しまくっていたし。まぁ俺もだが……。
と、そこで、サナちゃんが俺に話しかけてきた。
「コータローさん、このガルテナには何の用があってきたのですか?」
「ン、ここに来た理由かい? それはね、ある人に会う為なんだよ」
するとそれを聞いたアーシャさんは、寝ていた体をガバッと起こしたのである。
「ある人? それは初耳ですわよ。一体、誰ですの?」
「お師匠様の知り合いがガルテナにいるらしいんですよ。だから、そのお使いみたいなものです」
「ああ、そういう事ですか……」
アーシャさんはそれ以上、突っ込んで訊いてこなかった。
どうやら察してくれたようだ。
「……あの、コータローさん。私達もその人の所に行った方がいいですか?」
「いや、別にいいよ。ただのお使いだから。サナちゃん達はゆっくり休んでてよ。道中疲れたと思うからね」
「そうですか……。でも私の力が必要でしたら、遠慮なく言ってくださいね。私……コータローさん達に迷惑をかけてばかりなので、もし、お力になれるのであれば、喜んでお貸ししますから。それに……いや、なんでもないです……」
サナちゃんは何か言いたげな感じであったが、俺は頭を振った。
「そんなに気を使わなくていいよ、サナちゃん。俺達は目的が違えど旅の仲間なんだからね」
「そうですわ。私も気にしてませんから」と、アーシャさん。
「コータローさんとアーシャさんがそう仰るのなら……。でも、何かありましたら、遠慮せずに言ってくださいね」
「うん、その時はお願いするよ」
俺はそう言って、サナちゃんに微笑んだ。
サナちゃんも俺に微笑み返す。
と、そこで、扉をノックする音が聞こえてきたのである。
――コン、コン――
俺は扉に向かい返事をした。
「はい、何でしょうか?」
「レイスとシェーラだが、入ってもいいだろうか」
「鍵はかかっておりませんので、どうぞ入ってください」
「では失礼する」
扉が開き、レイスさんとシェーラさんが入ってきた。
そして、2人は空いている椅子やベッドに腰掛け、身体を休めたのである。
少し間をおいて、レイスさんが俺に訊いてきた。
「何事もなく無事辿りつけたので、一安心といったところだが……コータローさんはこの村に何の用があるのだ? ただ経由して王都に行くわけではないのだろう?」
「ああ、それなんですが、俺はこれから、ある人に会いに行かなければならないんです」
「人に会う為だったのか、なるほど」
「ある人……って誰なの?」と、シェーラさん。
「リジャールさんという方なんですが、俺も詳しくは知らないんですよ。お使いを頼まれただけなのでね」
「そうであったか。なら、日も暮れはじめているので、早く行った方が良いかもしれないな」
レイスさんはそう言って、窓の方を見た。
「ええ、そのつもりです……さて」
俺はそこで椅子から立ち上がった。
「では少しの間、待っていてください。多分、それほど時間はかからないと思いますんで」
4人は頷く。
「了解した」
「気を付けてね、コータローさん」
「外は薄暗いですから、気を付けて行って来てください」
サナちゃんはそう言って両掌を組み、祈るような仕草をした。
この子なりに気を使っているのだろう。健気な良い子だ。
まぁそれはさておき、俺は最後に「では行ってきます」とだけ告げ、この部屋を後にしたのであった。
[Ⅴ]
俺が部屋から出た直後、アーシャさんも部屋から出てきた。
「コータローさん、待ってください。私も行きますわ」
「まぁそう言うだろうと思ってましたよ。アーシャさんは好奇心旺盛な人ですからね」
俺も何となく予想はしてたのである。
付き合いも半年以上になるので、その辺の行動は読めるのだ。
「それだけじゃありませんわ。貴方には少し聞きたい事もあるのです。【お師匠様】から、何か頼まれているのでしょう?」
ヴァロムさんの名前は伏せたので、一応、その辺の空気は読んでくれたようだ。が、俺はどうしようかと考えた。
なぜなら、ヴァロムさんからは他言無用みたいに言われているからだ。
とは言うものの、アーシャさんはヴァロムさんの弟子である上、ラーのオッサンの事も知っているので、それほど秘密にする必要はないように思えたのである。
(まぁいいか……他言しないよう釘を刺しておきさえすれば大丈夫だろう……それに、ここまで来た以上、簡単に引き下がるとは思えないし……)
というわけで、俺は話すことにした。
「ではここで話すのもなんですので、外で歩きながら話をしましょうか。でも他言は無用ですよ」
「ええ、わかっていますわ」
まぁそんなわけで、ヴァロムさんのお使いにはアーシャさんと2人で向かう事になったのである。
宿屋を出た俺達は、手前にある十字路を右に曲がり、真っ直ぐ進んで行く。
曲った先は、畑や家屋が建ち並ぶ長閑な田舎の風景であったが、今が夕刻という事もあってか、少し寂しい感じがする所でもあった。
日の高い時間帯ならば、もう少し違った印象を受けたに違いない。
俺はそんな事を考えながら、前へと進んで行く。
だが進むにつれ、俺はこの村に違和感を覚えたのである。
それは何かというと、村の中には、やけに物々しい格好をした冒険者達が、何組も闊歩していたからだ。
重装備をした者や魔法使いの様な者、それに加え軽装で武装をした者等、それは様々であった。しかも、至る所でそんな者達を見かけるのである。
(この物々しい格好をした冒険者の数は、なんなんだ一体……この村で何かあったのか……)
来る途中に会った冒険者達は、魔物が増えてきたので村の警護をしていると言っていた。
だが、俺達が道中で遭遇した魔物の強さを考えると、これは少し過剰な気がしたのだ。
と、そこで、アーシャさんの声が聞こえてきた。
「コータローさん……何かあったのでしょうか。この冒険者の数は、少し多い気がするのですが……」
「アーシャさんもそう思いましたか。実は俺もです。……何か、嫌な予感がしますね。早いとこ用事を済ませまて、明日の朝には、この村を後にした方が良いかもしれませんね」
「そうですわね」
そして俺達は、目的の家へと急いだのである。
それから更に進むと、なだらかに傾斜した丘とログハウス調の家屋が見えてくるようになった。
村の入り口にあった見取り図だと、宿屋の手前にある十字路を右に曲がり、真っ直ぐ突き当たった場所にリジャールさんの名前が書かれていたので、恐らく、あれがそうなのだろう。
家屋に目を向けると、今は夕刻というのもあってか、窓から明かりが漏れていた。どうやら、人はいるみたいである。
程なくして俺達は、その家へと辿り着いた。
そして俺は、玄関扉を開き、中に向かって呼びかけたのである。
「ごめんくださ~い。すいませんが、誰かおられますか?」
明かりが見える奥の部屋から、男の声が聞こえてきた。
「おるぞ。何の用じゃ」
「あの、リジャールさんという方にお会いしたいのですが、こちらがリジャールさんのお宅で間違いないのでしょうか?」
「儂に会いたい?」
すると奥の部屋の扉が開き、灰色のローブを纏う年経た男が現れたのである。
歳はヴァロムさんと同じか、少し上の年齢であろうか。頭髪は5分刈りくらいの坊主頭で、髪は全て真っ白だ。また、顎と口元に伊藤博文のような白い髭を生やしており、妙に威厳が漂う老人であった。
まぁそれはさておき、男は玄関の方へとやってくる。
「ン、アマツの民に若い女子か? まぁよい。今、儂に用があると言っておったが、一体何の用じゃ。儂も今忙しいのでな、手短に頼むぞ」
どうやらこの人物がリジャールさんのようだ。
俺はオルドラン家の紋章を道具袋から取り出し、老人に見せた。
「私はヴァロムさんの使いでやってきた、コータローと申します」
「お、お主……ヴァルの使いの者か」
リジャールさんはそれを見るや否や、驚くと共に目を鋭くした。
そして周囲を警戒しつつ、控えめな声で言ったのである。
「……中に入るがよい。さ、こっちじゃ」
「では失礼します」――
俺達は明かりが灯る奥の部屋へと案内された。
そこは、俺達が宿泊する部屋と同じくらいの広さであった。が、奇妙な鉱石が沢山並ぶ棚や、石の入った箱、そして魔導器の類が幾つも置かれている為、妙に狭く感じる室内であった。
だが、見た事のない魔導器や奇妙な色をした石が置かれている事もあってか、俺は妙に好奇心がそそられたのである。
アーシャさんも俺と同様で、興味津々といった感じであった。
まぁそれはともかく、リジャールさんは俺達を部屋に案内すると、幾つかある木製の椅子を指さして、そこに座るよう促してきた。
「では、立ち話もなんじゃ。その辺の椅子にでも掛けてくれ」
「ではお言葉に甘えて」
俺とアーシャさんは、近くにある椅子に腰掛けた。
そこでリジャールさんも腰を下ろす。
というわけで、俺はまず、自己紹介をした。
「リジャールさん、改めて自己紹介させてもらいます。私はヴァロムさんの弟子でコータローといいます」
「私も同じくオルドラン様の弟子で、アーシャと申します」
「儂はリジャールじゃ。昔は王都で魔導器製作の技師をしておったが、今はわけあってこの地で暮らしておる者じゃ」
自己紹介も終えたので、俺は早速本題に入る事にした。
「ではリジャールさん、本題に入りたいと思います。ヴァロムさんから、ある物を受け取ってきてほしいと私は頼まれたのですが、それはもう出来ているのでしょうか?」
「うむ。もう出来ておるぞ」
リジャールさんは頷くと立ち上がり、壁際にある棚へと移動した。
そして、棚から弁当箱くらいの小さな木箱を取り出し、こちらに持ってきたのである。
「これがヴァルの奴から制作を依頼された『カーンの鍵』というやつじゃ。中を確認してくれ」
「カーンの鍵?」
「カ、カーンの鍵……」
アーシャさんは知っているのか、目を大きくしていた。
俺はそこで、もう一度確認をした。
「あの……私は受け取ってきてほしいとだけ言われただけで、どういう物かまでは聞いてないのです。ヴァロムさんが依頼したのは、これで間違いないのですね?」
「うむ。頼まれたのはその鍵で間違いないが……ヴァルの奴から何も聞いておらんのか?」
「ええ、ある物を貰ってきてほしいとしか……」
「ふむ……用心深い奴の事じゃから、情報が洩れぬよう細心の注意を払ったのじゃろう。まぁよい。それはともかく、箱を開けてみよ。盗まれてるなんて事はないとは思うが、一応、確認だけはしておかんとの」
「では拝見させてもらいます」
俺は頷くと、箱を開いて中を確認する事にした。
すると中には、赤い宝石のような物が埋め込まれた銀色の鍵のような物が入っていたのだ。が、しかし、それは明らかに普通の鍵ではなかった。
なぜならば、鍵というには欠けている部分があったからだ。
このカーンの鍵とやらの先端部には、溝というモノがないのである。
つまり、形状は鍵に似ているが、鍵の部分には何の加工もされていないのだ。
「これは本当に鍵なのですか? 鍵を模した装飾品のように見えるのですが……」
「ああ、それは確かに鍵じゃ。ただし、普通の鍵ではない。これは魔法銀の錬成によって生れた魔法の鍵なのじゃよ。ヴァルの奴、どこで材料と製法を手に入れたのか知らんが、ヘネスの月に入りかけた頃に、突然、儂の所にやってきてな、これを作れと言ってきたんじゃよ。驚いたわい」
へネスの月ということは、今から2か月ほど前である。
「魔法の鍵……」
「魔法の鍵ですって……」
アーシャさんは目を大きくして、箱の中を覗き込んだ。
この表情を見る限りだと、キメラの翼のような逸話があるのかもしれない。
と、そこで、今度はリジャールさんが質問をしてきた。
「それはそうとじゃ……お主、コータローとか言ったか。儂も噂で聞いたんじゃが、ヴァルの奴、一体何をやらかしたんじゃ。国王を謀ったなどと言われておるが、儂には信じられんのじゃ。なんでもいい、知っている事があるなら教えてくれ」
「それが、私にもよく分からないのです。ただ1つだけ言えるのは、ヴァロムさんはこうなる事を予想していたみたいなのです」
「予想していたじゃと……。ヴァルの奴、一体何を始めるつもりなんじゃ……」――
Lv21 カーンの鍵
[Ⅰ]
「ヴァルの奴、一体何を始めるつもりなんじゃ……」
リジャールさんはそう呟いた後、眉間に皺を寄せ、暫し無言になった。
この様子を見る限り、リジャールさんは鍵の制作を依頼されただけなのかもしれない。
恐らく、この鍵を使って何をするのかという事は知らないのだろう。
「あの……リジャールさん、先程、『どこで材料と製法を手に入れたのか知らないが、ヘネスの月に入りかけた頃にやってきて、これを作れと言ってきた』と仰いましたが、それは本当なのですか?」
「本当じゃとも。儂は嘘は言っとらんぞ」
「そうですか……」
今の話が本当ならば、この鍵の作り方をヴァロムさんは知っていたという事になる。
でも知っているのなら、何故、自分で作らなかったのだろうか……。
ヴァロムさんは魔導器の類を自分で作ったりもするので、そこが少し引っ掛かるところであった。
「変だな……作り方を知っていたのに、何故、ヴァロムさんは自分で作らなかったのだろう……」
「なぜって……そりゃ勿論、魔法銀を錬成せねばならぬからじゃよ」
「魔法銀の錬成?」
「うむ。魔法銀の錬成には材料も必要じゃが、それの他に高度な技術と経験がいる。しかも、素材によっては、熟練の技師でも失敗する事は多々あるのじゃよ。じゃから、如何に稀代の宮廷魔導師と云われるヴァルでも、こればかりはそう簡単にはいかぬのだ」
「ああ、そういう事ですか。なるほど」
それならば納得だ。が……もう1つ謎がある。
しかし、それはリジャールさんに訊いてもわからない事なので、今は置いておく事にしよう。
「カーンの鍵か……ヴァロムさんでも作れないという事は、かなり難しい製造技術なのでしょうね……」
と、ここで、アーシャさんが話に入ってきた。
「難しいも何も、魔法の鍵の製法は、イシュマリア誕生以前の失われた古代の魔法技術ですわ。それにカーンの鍵は、かつてはイシュマリア王家も所有していたと云われる鍵です。ですから、これがあのカーンの鍵ならば、凄い事なのですよ!」
「そ、そうなんですか」
アーシャさんはやや興奮気味であった。
目を輝かせながら熱弁するアーシャさんに、俺は若干引いてしまった。
そして、今更ながらに俺は思い出したのである。アーシャさんが古代魔法文明オタクだという事を……。
まぁそれはともかく、今、気になる事を言ったので、俺はそれを訊ねた。
「アーシャさん……かつてイシュマリア王家が所有していたと今言いましたが、現在はもう所有していないという事ですか?」
「らしいですわよ。私も本当の事はどうかわかりませんが、王家が所蔵する古い書物には、2000年以上前に紛失したと書かれているそうですわ」
「へぇ、2000年以上前に紛失ですか……」
「うむ。まぁ一応、そういう事になっておるの。じゃが、いずれにしろ、このイシュマリアに魔法の鍵は無いという事になっておる。じゃから、このカーンの鍵の事はあまり口外せぬ方が良いぞ。ヴァルも儂にそれを念押ししてきたからの」
「ええ、わかっております。そこは十分注意するつもりです」
とりあえず、余計な心配をしなくていいように、後でフォカールで仕舞っておくとしよう。それが一番安全だ。
「しかし、ヴァルの奴、一体どこでこの製法を知ったのじゃろうな。お主は何か聞いておらぬか?」
「それなんですけど、なにも知らないんですよ。先程も言いましたが、ある物を受け取ってほしいとだけしか聞いて無いものですから」
するとリジャールさんは、顎に手を当てて渋い表情になり、ボソリと独り言のように呟いたのである。
「そうか……ならば、カーペディオンの遺物でも手に入れたのかもしれぬな。もしかすると、ラミナスから逃れてきた者達から手に入れたのかもしれん」
カーペディオン……これは聞き覚えのある名前であった。
(賢者のローブを見て、サナちゃんが言っていた古代国家の名前と同じだな……)
というわけで、俺は訊いてみる事にした。
「あのぉ、今、カーペディオンって仰いましたが、それは古代魔法王国・カーペディオンの事ですか?」
「ああ、そうじゃ。魔法の鍵は古代魔法王国・カーぺディオンで編み出された製法じゃと云われておるからの……ン?」
と、そこで言葉を切ると、リジャールさんは俺の胸元に視線を向けた。
「お主の胸元に描かれている紋章……それはもしや、サレオンの印か?」
「え? ええ、確か、そういう名前らしいですね」
「お主、それをどこで手に入れたのじゃ?」
カーペディオンの名前が出てきたので、この紋章について訊いてくるだろうとは思った。
さて、どうしよう……。かなり知識がありそうだから、あまり下手な事は言えない。
とりあえず、今までの話の流れから、ヴァロムさんに貰ったという事にしておいた方が良さそうだ。
「実はこのローブ、ヴァロムさんから貰ったんです。なので、どういう物なのかは、私もよく分からないのですよ。名前は賢者のローブというらしいのですが……」
「ヴァルから貰ったじゃと……。という事は、やはり、ヴァルの奴はカーペディオンにまつわる何かを手に入れたのじゃな。いや、きっと、そうに違いない」
多分、違うと思うが、あまり余計な事は言わないでおこう。話がややこしくなる。
「ところでリジャールさん、今、ラミナスから逃れてきた者達から手に入れたのかもしれないと仰いましたが、それはどういう意味ですか?」
だが俺の言葉を聞くなり、リジャールさんはキョトンとしながら首を傾げたのである。
「は? 何を言うかと思えば……そんな事決まっておろう。古代魔法王国・カーペディオンは、ラミナスのあったグアルドラムーン大陸で栄えておったからじゃよ。もう滅んでしまったが、ラミナスには古代魔法王国の遺跡が数多く残っておるからの」
「そうですわ、コータローさん。知らなかったのですか?」
「は、初めて知りました」
どうやら俺は、また無知をさらけ出したようだ。
訊いておいてなんだが、俺は少し恥ずかしくなってきた。
するとそこで、リジャールさんは豪快に笑ったのである。
「カッカッカッ、しかし、まぁなんとも妙な話じゃな。賢者の衣を纏う者が、古代魔法王国の栄えておった場所を知らぬとはの。まぁよい、それはともかくじゃ。話を戻すが、ラミナスの王宮には古代魔法王国の遺物が沢山あったと云われておる。じゃから、その中に魔法の鍵の製造法を記した物があったとしても不思議ではないわけじゃ。なので儂は、ヴァルの奴はそういった遺物を独自に手に入れたのかもしれぬと思っただけじゃよ。それほど深い意味はないわい」
「そういう意味だったのですか。なるほど」
少し恥ずかしい思いをしたが、意外な話を聞けた。
宿屋に帰ったら、早速、サナちゃん達にその辺の事を少し聞いてみよう。
(さて、用事も済んだし、そろそろ帰るとするかな。サナちゃん達も待ってるだろうし……)
というわけで、俺はそろそろお暇させてもらう事にした。
「さて、それではリジャールさん、今日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。面白い話も聞けたので、非常に勉強になりました。それと、鍵の方は確かに頂戴いたしましたので、私達はこれで失礼させて頂こうと思います」
「ん、ああ……もう帰るのか?」
「ええ。日もだいぶ暮れてきましたので、私達もそろそろ帰らせてもらおうと思います。それと、旅の仲間を宿屋に待たせておりますので」
「ふむ……」
するとリジャールさんは、顎に手を当てて妙に思案顔になったのである。
気になったので、とりあえず、訊いてみた。
「あの、何か気になる事でもありましたか?」
「そういえばお主達……ヴァルの弟子だと言ったな」
「ええ、そうですが」
「なら1つ訊くが、お主達はキアリーの呪文は使えるのか?」
何でこんな事を訊くのか分からなかったが、俺は頷いた。
「はい、一応、私は使えますが……」
「おお! お主、使えるのか」
「ええ、まぁ……」
俺の返事を聞いたリジャールさんは、そこで笑みを浮かべ、ホッとしたように柔らかい表情になった。
反対に俺は、何が何だかわからないので、思わず首を傾げてしまったのである。
「今、キアリーの呪文の事を訊かれましたが、それがどうかしたのですか?」
「ヴァルの弟子という事は、お主達、その辺の魔法使いではあるまい。儂の見立てでは、かなりの使い手と見た」
俺は頭を振る。
「いえ、私はまだまだ未熟者にございます。ヴァロムさんからも、そう言われておりますので」
「そう謙遜せぬでもよい。ヴァルの奴は、真に才のある者にしか手解きはせぬからの。ヴァルに見込まれたという事は、只者ではないという事じゃ」
「本当ですか? でも私は成り行き上、弟子になったみたいなものですからね」
そういえば以前、ソレス殿下もそんなような事を言っていたのを思い出した。
もしそうならば照れる話である。
「儂もヴァルとはそれなりに付き合いが長いのでな。あ奴の事はよう知っておるつもりじゃ。じゃから、お主達はかなり魔法の才があるのじゃろう……」
と言った直後、リジャールさんはそこで目を細め、少し鋭い表情になった。
俺はこの表情の変化に嫌な予感を覚えた。
そして、その予感は的中する事になるのだ。
「さて、そこでじゃ。そんなお主達を見込んで頼みがあるのじゃが……聞いてもらえぬじゃろうか?」
「頼み……ですか」
「うむ。長旅をしてきたお主達に、こんな事を頼むのは儂も気がひけるのじゃが、実は今、このガルテナには非常に厄介な事が起きておってな。儂も困ったことに、村長からそれの対応を迫られておるのじゃよ」
この言い方は、かなりキナ臭い感じがした。
ゲームだとこういう場合、殆どが魔物がらみのイベントだからだ。
その為、どうせ碌な事じゃないだろうと、俺は思ったのである。
だがとはいうものの、無視するわけにもいかないので、とりあえず、話だけは聞く事にした。
「……厄介な事と仰いましたが、一体何があったのですか?」
リジャールさんはそこで目を閉じると、静かに話し始めた。
「この村の奥にラウムを採掘していた時代の古い坑道があるのだが、実はそこで今、少し異変が起きているのじゃ」
ラウム……この名前は以前、ヴァロムさんの口から聞いた事があった。
確か、青い魔鉱石の事をラウムと言っていた気がする。
ちなみに魔鉱石とは、魔力を蓄えた石の事で、高位の武具や魔導器の製造に用いられている貴重な素材だ。
マルディラント守護隊が装備していた魔法の鎧等の武具は、この鉱石を使って作られているそうである。
種類も幾つかあるそうで、それらは色々と性質も違うそうだ。
また、同じ魔鉱石でも、その質はピンからキリだそうで、当然、市場で値付けられる相場も違うようである。
というわけで話を戻そう。
「坑道で起きた異変とは、一体何なのですか?」
「実はな……坑道に性質の悪い魔物が棲みついたみたいなのじゃよ」
「魔物ですか」
(やっぱりな。はぁ……やだなぁ、もぅ……さっき、キアリーを使えるかどうか訊いてきたから、多分、毒を持った魔物が棲みついているんだろう。はぁ……溜息しか出てこない)
内心ゲンナリとしつつも、俺は質問を続ける事にした。
「という事は、この村に沢山いる冒険者みたいな方々は、それと関係が?」
リジャールさんはコクリと頷く。
「うむ、お主の推察通りじゃ。外の冒険者達は、その為に村が雇うておるのじゃよ。争いごとに慣れておらぬこの村の者達では、不測の事態に対応できぬからの」
「そうでしたか……」
理由はわかったが、村内にいる冒険者達の数を考えると、かなり厄介な魔物なのかもしれない。
だが少し引っ掛かる部分があったので、俺はそれを訊ねた。
「今、冒険者を雇ったと仰いましたが、マルディラントの太守であるソレス殿下や守護隊に陳情はされないのですか? こういった事は冒険者よりも、その地方を治める武官に頼んだ方が良いと思うのですが……。年貢も納めているのだと思いますし」
「陳情はもう既にやった。しかし、マルディラントの方でも魔物の数が増え始めている為、守護隊の人員を裂けないようなのだ。で、その代わりという事で、マルディラントの方から彼等を斡旋してもらったのじゃよ」
「そうだったのですか。……申し訳ありません。そうとは知らず、生意気な事を言ってしまい」
「いや、構わぬ」
そういえばヘネスの月に入った頃、ティレスさんと一度会ったが、その時、魔物の対応に追われて困っているような事を言っていた気がする。なので、今の話は事実だろう。
まぁそれはともかく、肝心なところを聞かねば……。
「それでは話を戻しますが、私達に頼みたい事というのは、一体何なのでしょうか?」
「それなんじゃが、実は、儂の護衛をお主達にお願いしたいのじゃよ」
「え? 護衛……ですか?」
なんか意外な言葉が出てきた。
俺はてっきり、魔物退治でも頼まれるかと思ったのである。
「うむ、護衛じゃ。儂は坑道の中で何が起きているのか、それを知りたいのじゃよ。しかも、坑道の中におる魔物は、厄介な事に毒を持っておる。じゃから、キアリーを使えるというお主達に護衛を頼みたいのじゃ」
「そういう事だったのですか」
思った通り、毒を持った魔物のようだが……さて、どうしたもんか。
俺はそこでアーシャさんに視線を向けた。
するとアーシャさんは、少し眉根を寄せ、微妙な表情をしていた。
まぁこうなるのも無理はないだろう。誰だって厄介事は御免だからだ。
おまけに俺達は先を急ぐ身でもあるので、少々心苦しいが、断ることにしたのである。
「あのぉ、大変申し上げにくいのですが、私達は荷物を受け取り次第、王都へと向かってほしいとヴァロムさんに言われております。ですから、その依頼をお受けするのは難しいですね。それと旅の仲間が宿屋にいますので、私の一存で決めるわけにもいかないのです」
俺の返事を聞いたリジャールさんは、残念そうに大きく溜め息を吐いた。
「フゥゥ……そうか……難しいか。しかし、今、この村にはキアリーの使い手がおらぬ上、備蓄してある毒消し草の数も残り少なくなってきておるのじゃ。しかも不味い事に、毒消し草はここから一番近い町であるフィンドでは手に入らん。マルディラントにまで行かねばならぬのじゃ。じゃから、儂も困っておるのじゃよ」
「そうだったのですか。しかし、ですね……」
どうしたもんか……。
俺1人で考えるのもアレなので、とりあえず、アーシャさんの意見を訊く事にした。
「アーシャさん、どうしましょう?」
「今朝も言いましたが、私はコータローさんの判断に従いますわ」
「そ、そうっスか」
こう返されると俺も困ってしまうが、まぁ仕方ない。
と、そこで、何かを思い出したのか、リジャールさんはポンと手を打ったのである。
「ああ、そうじゃ。言い忘れておったが、勿論、タダでとは言わん。ちゃんと報酬も考えてあるぞ。もし、手を貸してくれるならば、レミーラの魔法書と、儂が作成した魔導器を幾つか進呈しよう。どうじゃ、引受けてくれぬか?」
「レミーラの魔法書に、魔導器……」
俺は今の話を聞き、ヴァロムさんが以前教えてくれた事を思い出した。
確かヴァロムさんは、こんな事を言っていたのだ。
レミーラは現在でも使える古代魔法の1つだが、通常の洗礼で修得する事が出来ないと。
それからこうも言っていたのである。
レミーラを修得するには、レミーラの魔法が封じられた魔法書が必要だとも。
まぁ要するに、このレミーラという照明魔法は、フォカールのような方法でしか覚えることが出来ない魔法のようである。
話は変わるが、レミーラの魔法書は仕組みが解明されているそうで、古代の魔法書の原本を複製した物が出回っているそうである。
というわけで、魔法書があれば修得できる古代魔法なのだが、複製はそれなりに技量がいるらしく、出回っているとは言っても、その数は少ないそうだ。なので、貴重な魔法という事には変わりないのである。
話を戻そう。
前者はともかく、リジャールさんの作った魔導器というのが気になるところであった。
だが、今この瞬間も、ヴァロムさんは牢獄にいるかもしれないのだ。その為、余計な事に首を突っ込んで時間をロスするのは、極力避けなければならないのである。
以上の事から、ここは断るべきだと考え、俺はその旨を告げることにした。
「あの、リジャールさん。やはり、お引き受けするわけには……」
と言いかけた時だった。
「レ、レミーラの魔法書を持ってらっしゃるのですか!?」
なんとアーシャさんが、興奮気味に言葉を発したのである。
「持っておるから、報酬にしようと言っておる。もし引き受けてくれるのなら、お主等2人にやっても良いぞ。丁度、2冊あるしの」
「ほ、本当ですか!?」
「うむ。儂にはもう必要の無い物じゃし、この依頼を引き受けてくれるのならば、お主等に2冊とも進呈しようぞ」
アーシャさんはそれを聞き、目をキラキラと輝かせた。
そして、俺に振り向き、ニコニコと微笑んだのである。
「コータローさん、ここはリジャールさんのお力になって差し上げましょう。やはり、困っている人を見過ごすわけにはいきませんわ」
どうやら、物欲に負けたようだ。
アーシャさんは魔法関連の事と古代文明の事には目が無いので、これは予想通りの反応であった。
だが肝心な事を忘れてるようなので、俺はそれを指摘した。
「でも、アーシャさん。毒を持った魔物ですよ。危険だとは思わないんですか?」
「そ、それは……」
アーシャさんも依頼内容を思い出したのか、少し口ごもる。
しかし、そこですかさず、リジャールさんは合いの手を入れてきたのである。
「じゃが、毒を持っているとはいえ、お主がキアリーを使えるのなら、それほど大事にはならぬかもしれぬぞ。今、この村で冒険者達を統率しておるカディスという者の話じゃと、毒を持ってはいるが、それほど力を持った魔物ではないらしいからの」
でも、だからといって安請け合いする依頼ではない。
「しかしですね……」
だが俺がそう言いかけたところで、リジャールさんは深々と頭を下げたのである。
「どうか、この村を助けると思うて、手を貸してくれぬだろうか。坑道の中を調べるには、解毒できる者の力がどうしても必要なのじゃ。頼む、この通りじゃ」
「ちょっ、リジャールさん。何もそこまでしなくても」
ここまでされると、俺も断りにくい。
(引受けた方がいいのだろうか……いや、しかし……あまり道草をするわけにはいかない。それに、アーシャさんやサナちゃん達を危険に巻き込むわけにもいかないし……参ったな……)
と、そこで、アーシャさんの声が聞こえてきた。
「コータローさん、リジャールさんはオルドラン様の友人なのですから、引受けたらどうですか。それにレミーラの魔法書も手に入るのですよ」
まぁ確かに報酬は魅力的だが、危険や時間的なロスを考えると、簡単に返事するわけにはいかないのである。
「でもですね。俺達は先を急がないといけないですし……」
「坑道はそこまで深くはない。じゃから、それ程、時間はかからぬかもしれぬ。とりあえず、一緒に来るだけでも来てもらえぬじゃろうか。解毒の魔法を使える者が、ここにはいないのじゃ。頼む!」
リジャールさんはそう言って、頭を下げ続けた。
(手を貸したほうが良いのだろうか……はぁ、悩む……)
だが手を貸すにしろ、貸さないにしろ、判断を下す為の材料が少ないので、俺はまずそれを訊くことにした。
「リジャールさん顔を上げてください。とりあえず、今の現状をもっと詳しく教えてもらえますか? でないと、私も返事が出来ませんので」
そこでリジャールさんは顔を上げる。
「それもそうじゃな。わかった。もう少し、詳しく説明しよう」
「お願いします」――
で、わかった事だが……坑道に住み着いた魔物というのは、毒の霧を吐く、人の死体だそうだ。
俺がそれを聞いて思い浮かべたのは、腐った死体と、どくどくゾンビである。
ゲームだと、この2体の魔物は毒の霧を吐く攻撃をしてきたので、8割方、それではないかと俺は考えていた。
また、その魔物は夜になると現れるそうで、今は坑道の入り口でなんとか食い止めているそうだ。
それと魔物が現れだした時期は、アムートの月に入り始めた頃のようである。なので、どうやらここ最近の事のようだ。
ちなみにだが、今のところ死傷者というのは出ていないらしい。
リジャールさんと村長が、早めにマルディラントへ行って陳情した事もあり、早期の段階で冒険者の手配を出来たのが良かったそうである。
だが、備蓄してある毒消し草にも限りがある為、未だに中で何が起きているのかはわからないそうだ。
とりあえず、聞けた話は大体こんな感じである。
そんなわけで、俺達はどうするかだが……一応、渋々ではあるが、手を貸すという方向で俺は返事をした。
しかし、それは俺だけが手を貸すという事であって、アーシャさんやサナちゃん達もというわけではない。
他の皆が手を貸すかどうかは、宿屋に戻って話し合った上で決めるという事になったのだ。
そして、他の皆が来る来ないにかかわらず、俺は明日の朝、リジャールさんの家に向かうという事で話がまとまったのである。
だがとはいうものの、リジャールさんは別に俺だけでも構わないと言っていた。
恐らくリジャールさんは、この村にいる冒険者達に同行してもらうつもりなのだろう。
話は変わるが、報酬は前払いとしてレミーラの魔法書だけ貰い、魔導器に関しては全てが済んだ後に頂くという事になった。
リジャールさんも無理を言ってお願いする手前、そこは少し気を使ったようである。
[Ⅱ]
リジャールさんの家を後にした俺とアーシャさんは、宿屋には戻らず、人気のない場所へと移動を始めた。理由は勿論、アーシャさんがマルディラントに一時帰宅する為の場所探しである。
外もだいぶ暗くなってきているので、早く帰らないと不味いのだ。
村内を暫し散策すると、村の外れで、人気のない物置小屋のようなモノを見つけた。
この小屋の付近には、冒険者や村人たちの姿もないので、風の帽子を使うには好都合の所であった。
というわけで、俺はそこで風の帽子をフォカールで取り出し、アーシャさんに手渡した。
そして、アーシャさんはすぐさま風の帽子を発動し、マルディラントへと帰って行ったのである。
アーシャさんが帰ったところで、ラーのオッサンが俺に話しかけてきた。
「コータローよ……先程、あの者の依頼を引き受けたが、良いのか?」
「良いも悪いも、仕方がないだろ。俺もあそこまでして頼まれると断りづらいよ。それにヴァロムさんの友人だから、あまり無碍にも出来ないしな。まぁ本当は断りたかったところだけど……」
「そうか……。ならば、1つ忠告だけはしておこう」
「忠告? 何だ一体?」
ラーのオッサンは、さっきの話を聞いていて、何かに気付いたのかもしれない。
「先程、あの者が言っていた死体の魔物だが……恐らく、それとは別に、それらを操っておる魔物がおるやもしれぬ」
「操っている魔物だって!?」
死体を操るってことは、死人使いって事だ。
もしかして、魔物はネクロマンサーなのだろうか……。
ダイの大冒険とかだと、なんちゃら傀儡掌とかいう技で死体を操ってはいたが……。
わからないので、とりあえず訊いてみる事にした。
「ラーさん、どういう事だ? やっぱ死体が動くという事は、誰かが操っていると考えるのが自然なのか?」
「いや、そうではない。お主に昨日、魔物と魔の瘴気の関係について話したと思うが、コレもそれが当てはまるのだ。なぜなら、お主等の種族の死骸が魔物と化すには、それ相応の濃い魔の瘴気が必要だからだ。しかし、この地域に漂う魔の瘴気はそれほど濃くはない。つまり、足りないのだよ。もし仮に死骸が魔物と化したとしても、小型の動物程度が精々なのだ」
まぁ要するに、腐った死体やどくどくゾンビは無理だが、アニマルゾンビやバリィドドックくらいなら、いけるかもしれないという事だろう。
「じゃあ、何者かが死体に手を加えない限り、この地で人の死体は動かないって事か……」
オッサンの言う理論が正しいならばそうなる。
暴れ牛鳥やお化けキノコ程度の魔物しかいない所に、腐った死体やどくどくゾンビという上位の魔物が現れるのだから。
但し、それはあくまでも、この世界の魔物がゲームと同じ強さならばという前提で成り立つ話である。なので、今はとりあえず保留だ。
「それから実はな、ここに来るまでの道中、我は邪悪な魔力の波動をずっと感じていたのだ。そして、その波動の出所は、この村の奥……つまり、あの男が言っておった坑道の方角なのだよ」
「ほ、本当かよ」
「ああ、本当だ。勿論、今も、得体の知れない禍々しい波動を感じる。だから今の内に忠告しておくが、明日は気を付けた方がいいとだけ言っておこう」
「マジかよ。はぁ……引き受けるんじゃなかったな」
後悔先に立たずというやつだ。
とりあえず、不測の事態に備えて、準備だけは万端にしておいた方が良さそうである。
まぁそれはさておき、俺はリジャールさんとの会話で気になる事があったので、それをオッサンに訊いてみる事にした。
「ところで話は変わるけどさ。ヴァロムさんはどこで、魔法の鍵の製法を手に入れたんだ? ラーさんが教えたのか?」
「うむ、そうだ。我が教えた。あれは元々、精霊王リュビストが知的種族に授けた技法だからな。精霊ならば、わかる事だ」
「へぇ~、意外と物知りなんだな、ラーさんは……」
物を知らないようでいて、妙な事をよく知っているなと俺は思った。
またそう思うと共に、奇妙な引っ掛かりも覚えたのである。
だが、それが何なのかはわからないので、今は置いておくことにした。
俺は質問を続ける。
「それと、これも訊いておこう。ヴァロムさんの手紙には、リジャールさんから荷物を受け取り次第、王都に向かえと書いてあったけど、その後はどうするんだ?」
「ふむ……まぁそれについては、王都に着いてから話そう。まず、今は王都に向かう事を考えるのだ」
どうやらこの様子だと、これ以上の事は聞き出せそうになさそうだ。
仕方ない。諦めるとしよう。
「それはそうと、コータローよ。レミーラを修得するのなら今の内にやったらどうだ。どうせお主の事だ。リビュスト文字は読めぬのであろう?」
オッサンの言うとおり、俺はまだ古代リュビスト文字については全く読めない。
勉強したいのは山々だが、イシュマリア文字の読み書きで、今のところは手一杯だからだ。
やはり、日常生活で使う文字なので、学ぶ順序としてはどうしても、イシュマリア文字を優先してしまうのである。
勿論、一緒に学んでゆくという方法もあるが、両方を同時にやると混同してしまいそうなので、1つに絞って俺は学ぶことにしたのだ。
まぁそれはさておき、今がタイミング的に良いのは事実なので、ここはオッサンの指示に俺は従う事にした。
「それもそうだな。じゃあ、魔法書の朗読の方をお願いするよ」
「うむ。では、魔法書を用意するがよい」
Lv22 仲間の決断
[Ⅰ]
アーシャさんがマルディラントに戻ってからどのくらい時間が過ぎただろうか。
俺の感覚では20分程度だとは思うが、周囲は既に暗闇と化す一歩手前であった。
というか、もう夜と言い切っていい程の暗さである。
しかもその上、人気のない異様な静けさが漂う空間でもあるので、1人ポツンとこんな所にいるのが寂しくなってきたのだ。おまけにグゥグゥと腹も悲しく鳴るのである。
(はぁ……アーシャさん、早く帰って来ないかな……腹も減ってきたし……)
そんな事を考えつつ、俺は今も尚、オッサンに質問を続けている最中であった――
「ところで話は戻るけどさ。俺、魔物の話を聞いてから、少し気になってる事があるんだよ」
「気になる事? 何だ一体?」
「さっき、死体の魔物を操る者がいるかもしれないと言ってたけどさ、もし仮にそうだとすると、その操っている者は何が目的なんだと思う?」
「ふむ……何が目的か、か……そうだな、ここは魔鉱石の採掘場所という事を考え!? ま、まさか……ヴァナドリアム……いや、しかし、まさかそんな事は……」
また耳慣れない単語が聞こえてきた。
「ヴァナドリアム? なんだそれ?」
「い、いや、なんでもない……。今の言葉は忘れてくれ」
明らかに何かあるような言い方である。
こう言っちゃなんだが、今の言い方を聞いて忘れろというのが無理な話だ。
「そんな風に言われると、かえって気になるじゃないか。何なんだよ、そのヴァナドリアムってやつは?」
すると、渋々、オッサンは話し始めた。
「むぅ、仕方ない……。とりあえず、魔力の結晶の事だと思っておけ。今はそれ以上の事は言えん。それと、今の言った名は迂闊に口にするなよ。厄介事を招く恐れがあるからな」
オッサンの言い方を聞く限り、嫌な予感しかしてこなかった。が、そこでふと、ダイの大冒険に出てきた黒のコアとかいう核兵器モドキの事が脳裏に過ぎる。またそれと共に、ゾゾッと背筋に寒いモノも走ったのだ。
まぁこうなるのは仕方がないだろう。
なぜなら、漫画内で描写されている黒のコアの爆発規模を考えると、現実世界でいう水素爆弾クラスの兵器となっているからだ。が、しかし、いくらなんでもそれは無いだろうと俺は考えていた。
なぜそう思ったのか? と問われたならば、勘としか答えようがないが、今のオッサンの様子を考えると、俺にはもっと別の危険がはらんでいるように感じられたのである。
だがこれについてはオッサンが口にしない以上、結論は出ないので、今はとりあえず置いておくことにした。
「魔力の結晶ね……。ま、ラーさんがそう言うって事は、かなり危険な代物のようだな。わかったよ、その名前は口にしないでおこう。俺もこれ以上厄介事は御免だしね」
「すまぬな。少し、込み入った事情があるのだ。だが、その内、話す時も来るかもしれん。その時はお主に説明をしよう。それまでは待ってもらいたい」
「わかったよ。ン?」
と、その時であった。
空から一筋の光が舞い降りてきたのである。
その直後、アーシャさんがフワリと降り立った。
「ただ今戻りましたわ、コータローさん。ごめんなさいね、こんなに暗くなるまで待たせてしまって」
「いや、いいですよ。それよりも、サブリナ様は何も言っておられませんでしたか?」
「いいえ、何も。恐らく、お母様は気付いてないと思いますわ。ですから、コータローさんの所で修行をしていると思ってる筈です」
「そうですか。それは何よりです」
本当のところはどうかわからないが、これに関してはアーシャさんの言葉を信じるしかない。
まぁそれはともかく、そろそろ帰るとしよう。
「さて、それじゃ、宿屋に戻りましょうか。もう外も暗くなりましたし、それにサナちゃん達も待ってると思いますんで」
「ですわね。でも、だいぶ遅くなったので、帰ったら、サナさん達に謝らないといけませんわね」
「ええ」――
[Ⅱ]
宿屋に帰ってきた俺達は、そのまま自分達の部屋へと向かった。
その途中、何人かの宿泊者と擦れ違ったが、全て武具を装備した者達ばかりであった。受付の者が言っていたとおり、宿泊客は冒険者しかいないようである。
まぁそれはさておき、部屋の前に来た俺は扉をノックした。
「コータローです。ただ今、戻りました」
扉の向こうから、サナちゃんの明るい声が聞こえてくる。
「あ、お帰りなさい、コータローさん。待ってくださいね。今、開錠しますから」
その言葉の後、ガチャという解錠音が聞こえ、扉がゆっくりと開かれた。
扉の向こうには、優しい笑みを浮かべたサナちゃんが立っていた。
「ごめんね、サナちゃん。ちょっと、話が長引いちゃったから遅くなったんだよ」
「ごめんなさいね、サナさん。こんなに遅くなってしまい」
「いいえ、私達も気楽に寛いでいたところなので、コータローさんもアーシャさんも気にしないでください」
部屋の中に視線を向けると、レイスさんとシェーラさんが奥のテーブルで寛いでいた。
テーブルの上には3つのカップと、クッキーのようなお菓子を盛り付けた大きな皿が1つ置かれている。
この様子を見る限り、3人はまだ夕食は食べてないみたいだ。
多分、小腹が空いたので、お菓子でも摘まんでいたのだろう。
「どうもお疲れ様でした、コータローさん。これで、この村での用事は済んだのですね?」
「いや、それなんだけどね……ははは」
俺は少し気まずかったので、とりあえず、後頭部をかきながら微妙な受け答えをしてしまった。
するとすかさず、アーシャさんが俺の脇腹を肘で突いてきたのである。
「コータローさん……笑ってないで、皆さんに、ちゃんと話さないといけませんわよ」
「ははは……ですよね」
「何かあったんですか?」
サナちゃんはキョトンとしながら少し首を傾げた。
「うん……まぁ、ちょっとね。でも、部屋の入り口でする話じゃないから、とりあえず、中で話そうか」
「ですわね」――
部屋の中に入った俺達は、リジャールさんからあった依頼内容を3人に説明した。
3人は話を聞くにつれ、徐々に微妙な表情へと変化していった。特にレイスさんとシェーラさんは険しい表情であった。まぁ当然だろう。2人はサナちゃんの護衛なのだから、こういう反応をするのは当たり前である。これが逆の立場だったなら、俺も同じような反応をしていたに違いない。
まぁそれはさておき、俺は一通り説明したところで、とりあえず、どうするかを3人に訊いてみる事にした。
「……とまぁ、以上が依頼の内容なんですが、どうしましょうか? 3人の意見を聞かせてください」
サナちゃん達3人は互いに顔を見合わせた。
そして眉間に皺を寄せながら、渋い表情で黙り込んでしまったのである。
と、そこで、俺は言い忘れていた事を思い出したので、それも伝えておいた。
「あ、それと1つ付け加えておきますと、これに関しては皆に強制はしませんので安心してください。向こうは、俺1人でも構わないと言っているので」
俺はアーシャさんにも言っておいた。
「アーシャさんも、別に無理はしなくていいですよ。相手は死体の魔物です。女性にとっては、見た目的にちょっとキツイ敵かもしれませんからね。ですから、休んでいてもらっても構いませんよ」
だが俺の言葉を聞いたアーシャさんは、少しムッとしたように頬を膨らましたのである。
「むぅ、その言い方……私を女だと思って馬鹿にしてますわね。フン、お生憎様ですが、私は行きますわよ。例え、死体の魔物であっても」
これは少し意外であった。
向こうで説明を聞いていた時、死体の魔物と聞いて嫌そうな顔をしていたので、てっきり来ないだろうと思ったのだ。
とはいうものの、怒っているようなので誤解は解いておこう。
「アーシャさん、そんなつもりで言ったんじゃないですよ。だって、敵は死体です。女子供に見せるようなモノではないですからね。だから、変な風に受け取らないでください」
「まぁ貴方の事ですから、私を気遣ってくれたというのはわかりますわ。ですが、知見を広げる為にも私は行きますわよ。それにラウムの採掘場所というのも見てみたいですし」
よかった。誤解は解けたようだ。が……本当の事を言うと、ここで待機していてほしかったところである。しかし、今更そんな事を言ったところで、もう言う事は聞かないだろう。もはや、諦めるしかない。
と、そこで、サナちゃんの声が聞こえてきた。
「あのぉ……その坑道から現れるという死体の魔物ですが、コータローさんはどう見ているのでしょうか? それを聞いてから、同行するかどうかを判断しようと思います」
多分、サナちゃんのこの言い方は、俺が持つ魔物の知識を聞きたいという事なのだろう。賢明な判断だ。
まぁそれはともかく、俺はドラクエの知識を思い出しながら、腐った死体について話す事にした。
「それなんだけどね。実はこの依頼を聞いた時に、とある不死の魔物の事を思い出したんだよ」
「不死の魔物?」とサナちゃん。
俺は頷くと続ける。
「実は俺が知っている魔物に、腐った死体という魔物がいるんだけど、それは俺達のような種族の死体が、魔物化したものなんだ。そして厄介な事に、その魔物は毒の霧も吐いてくる化け物なんだよ」
「腐った死体って……そのままですわね。もっと捻りのきいた名前は無いのかしら」
「そう言われてもねぇ、俺もそうとしか言えなわけで……」
まぁ確かに、アーシャさんが言わんとしてる事もわからんでもない。
というか、俺も初めてゲームで遭遇した時、『まんまやんか』と突っ込んだ記憶があるくらいだ。
だが考えてみれば、ドラクエに出てくる魔物の名前は結構そんなのが多いのである。
大サソリとか、泥人形とか、彷徨う鎧とか、がいこつとか、笑い袋とか、踊る宝石とか……まぁ言い出したらきりがない事ではあるが……。
まぁそれはさておき、ここで、思案顔のシェーラさんが話に入ってきた。
「そういえば……ラミナスから逃げる途中、そんな魔物に出くわしたわね。確か、肌が群青色になった薄気味悪い死体の魔物だったわ」
「それは多分、どくどくゾンビというやつかも知れないですね。ちなみに、今言った魔物も毒を持ってます」
「ドクドクゾンビ?」
シェーラさんは首を傾げた。
「この死体の魔物というのは、何種類かいるみたいなんですよ。紛らわしいかもしれませんが、それぞれ性質が違うみたいです。でも、毒を持つという事に限定すると、今言った腐った死体と、どくどくゾンビという2種類の魔物が考えられますね」
だが、今の説明を聞いたシェーラさんは、何とも言えない微妙な表情で俺を見ていたのである。
「へぇ……そうなの。というか、コータローさんて物知りなのね……。ザルマの時といい、本当によく、魔物の事を知っているわ。ラミナスでもコータローさん程、魔物の知識がある者はいないんじゃないかしら……」
何となくではあるが、俺の事を探るような口調であった。
レイスさんもそれに同調する。
「実は私も、そう思っていたところだ。コータローさんは、ラミナスにいたどの学者よりも魔物の事に詳しいなと……。いや、ラミナスだけではない。私が今まで出会ったイシュマリアの誰よりも詳しいように思える」
2人共、流石に、不審に思っている感じであった。
仕方ない、この際だ。道中、サナちゃんとアーシャさんに話した内容をレイスさんとシェーラさんにも言っておいた方がいいだろう。この2人は口も堅いだろうから、念押しすれば他言はしない筈だ。
それに今後、強力な魔物が出てきた時にイチイチ誤魔化すのも疲れるし、場合によっては、それが功を奏して素直に俺の言う事を訊いてくれるかもしれない。
だがその前に……他言しないように、釘だけは刺しておこう。
「レイスさんとシェーラさんに、言っておかねばならない事があります」
「何かしら?」
「何だろうか?」
「実はここに来るまでの道中、サナちゃんとアーシャさんには他言無用というのを条件に、俺の持っている知識について話したんです。ですから、他言しないと誓って頂けるのであれば、レイスさんとシェーラさんにも、それをお話ししましょう」
2人は互いに顔を見合わせ、頷いた。
「わかった。他言しないと固く誓おう」
「私も誓うわ」
「では、お話ししましょう……これは以前住んでいた所での話なんですが、俺はそこで、数々の魔物や魔法について書かれた書物を読んだ事があるんです。なので、その書物に記されていた魔物や魔法の知識はそれなりに記憶しているんですよ。ですが、それらはイシュマリアとかではあまり知られていない書物らしいので、俺は面倒を避ける為に、今までずっと内緒にしてきたんです」
「そういう事だったの……。確かに、その理由ならば、他言はしない方がいいわね」
どうやら納得してくれたようだ。
そこで、レイスさんが訊いてくる。
「では、ザルマが従えていたあの魔物達も、その書物に記されていたということなのか?」
「ええ、そうですよ。その書物には姿形も描かれていたので、魔物を見た時、すぐにわかったのです」
「そうだったのか……。すまない、コータローさん。言いにくい事を話してくれて」
そしてレイスさんは俺に向かい、深く丁寧に頭を下げたのであった。
だが、俺はそんなレイスさんを見た途端、少し罪悪感が湧いてきた。なぜなら、今言った内容も嘘だからである。
自分で言っといてなんだが、嘘を吐くというのはあまり気分がいいものではない。
しかし、だからと言って、『ここはドラゴンクエストというTVゲームのような世界なので、それに出てくる魔物の事は大体知ってますよ』などとは口が裂けても言えないのだ。
その為、今はこう告げる以外、俺が取れる方法は無いのである。
「コータローさん、話を戻しますが、その死体の魔物というのは、毒以外の危険はないのですか?」と、サナちゃん。
「毒以外にか……。そういえば、地味なんだけど、他にも厄介な特徴が書いてあったね」
「厄介な特徴ですか」
「そう……これはうろ覚えなんだけど、毒の他に、眠りを誘う甘い息を吐いてくるという事や、集団で現れた場合は、1つの対象に向かって集中攻撃をしてくるような事が記述してあった気がするんだよ」
確かゲームだと、そんな設定だった気がする。
しかも、集団で現れた場合は、それが地味に効いてくるのだ。特に集団戦闘時の甘い息は要注意である。
考えてみれば、腐った死体やどくどくゾンビは攻撃力は弱いくせに、それを補う手段をもっているので、決して侮れない魔物なのである。
と、そこで、シェーラさんがやや険しい表情で呟いた。
「眠りを誘う甘い息と、1つの対象に集中攻撃ねぇ。おまけに毒も持っている……確かに、それは厄介な魔物だわ」
「ああ、シェーラの言うとおりだ。もしそれが本当ならば、厄介な魔物と言わざるを得ない。しかも、死体という事を考えると、痛みを受ける事に対する恐怖心もないだろうからな」
確かに、レイスさんの言う事も一理ある。
よくよく考えてみれば、既に死んでいる死体に、痛覚なんぞは存在しないのだ。
レイスさんが訊いてくる。
「コータローさん、その他に何か特徴はあるだろうか?」
「そうですねぇ、後は眠りや幻覚系の魔法に耐性を持っているのと、結構打たれ強いってとこですかね。まぁ元が死体なんで、その辺は当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが……。でも、それらの魔物には弱点もあって、物理的な攻撃や、メラ系やヒャド系の攻撃魔法には、耐性が全くないという事が書かれてましたね。まぁとりあえず、今思い出せるのは大体こんなところでしょうか」
「どんな魔物なのかは大体わかりました。そこでお聞きしますが、コータローさんから見て、その魔物は強敵に思われますか?」と、サナちゃん。
「さぁ、どうだろうね……」
ゲームだと弱いくせに面倒臭い敵というイメージしかないので、俺は少し返答に困ってしまった。
しかし、この世界の腐った死体がゲームと同じかどうかはわからない。
おまけに、実際に確認したわけでもないので、その辺は未知数なのだ。
というわけで、俺は正直に言っておいた。
「実を言うと、その辺はよくわからないというのが、今の俺の見解かな。実際に坑道で見たわけじゃないからね……」
「そうですか……」
サナちゃんはそう言うと、目を閉じて沈黙した。
シーンとした静かな時間が過ぎてゆく。
多分、色々と考えているのだろう。
あまり悩ませるのも悪いので、俺は無理しないよう言っておいた。
「でも、サナちゃん達は無理はしなくていいよ。向こうも最悪、俺だけで構わないとは言ってくれているしね。それに、この村には冒険者の数も多いから、その辺は何とかなると思うよ」
と、そこで、サナちゃんは目を開き、レイスさんとシェーラさんに何かを耳打ちしたのである。
レイスさんとシェーラさんは互いに顔を見合わせ、少し険しい表情になった。
明らかに2人の様子は、サナちゃんの言葉に驚いている風であった。
しかし2人は納得したのか、暫しの沈黙の後、サナちゃんに向かって静かに頷いたのである。
サナちゃんはそこで、俺に視線を向けた。
「決まりました。私達もコータローさんに同行します」
「え? 本当に? でも、毒のある魔物だよ」
「わかっております。ですが、私もキアリーを使えますので、きっと力になれる筈です。それに、コータローさんには大変ご迷惑をおかけしましたので、そのお詫びも兼ねて同行する事にします」
サナちゃんは、昨日のザルマの事をまだ気にしているのだろう。
無理もないか……俺も逆の立場ならそうするかもしれないし。
まぁそれはともかく、サナちゃん達が来てくれるのは確かに心強い。
なので、この申し出はありがたく受け取る事にした。
「本当に? 断られると思っていたから、それはありがたい。じゃあ明日は、全員同行してくれるという事でいいんだね?」
4人は俺にコクリと頷く。
とまぁそういうわけで、明日は皆と共に、ラウム鉱採掘跡へ向かう事となったのである。
[Ⅲ]
翌日、俺はいつも通り、夜が明け始める頃に目を覚ました。
だが頭の中が覚醒するに従い、なぜか知らないが、少し窮屈な感じがしてきたのである。そう、何かに圧迫されるかのような……。
それが気になったので、俺は圧迫を感じる左手に意識を向かわせた。
すると左手に、妙に弾力のある柔らかい物体があったのである。
何だ、この物体は? と思った俺は、眠い目を右手でこすりながら、そこに視線を向ける。
そして、その物体を見るや否や、俺は驚きのあまり目を見開いたのであった。
そこにあったモノ……それはなんとアーシャさんであった。
アーシャさんが俺の隣で、今まさに、スースーと寝息を立てているのである。それはまるで、昨日の朝の再現のようでもあった。
(な、なんでここにアーシャさんがいるんだ……)
事態が飲み込めない俺は、そこで、昨夜の就寝前の事をじっくりと思い返すことにした。
昨晩、夕食を食べた後に、ここの宿の者が簡易ベッドを1つ運び込んでくれた。
それによって5人全員分のベッドが揃ったので、話し合いの結果、各自が好きなベッドで寝る事になったのである。
ちなみに俺は、運び込まれた簡易ベッドを使う事にした。理由はまぁ単純な事だ。皆に遠慮したのと、ヴァロムさんの所ではこれ以上に酷いベッドを使っていたので、こういった寝床に慣れていたからである。
まぁそんな感じで、俺達は床に就いたわけだが……今の状況はどう考えておかしい。
就寝の時は、アーシャさんも別のベッドで寝ていたからだ。
(アーシャさんはいつの間に、ここに入ってきたんだろう……)
勿論、俺は覚えていない。という事は、俺が爆睡している時に、このベッドに入ってきたという事なのだろう。まぁだからといって、別に嫌というわけではないが……。
しかし、アーシャさんがこんな行動をとるという事は、まだザルマの事が頭から離れないのに違いない。
だがとはいうものの、これはあまりいい傾向ではない。
なぜなら、この先アーシャさんは、俺に依存する可能性があるからだ。
可愛い子が隣で寝てくれるので俺も悪い気はしないが、やはりそこは、心身ともに健全な状態での関係が一番望ましい。
心に傷を負ったが故のスキンシップだと、やはり、道中危ういのである。
特にこの先は、魔物との戦闘も増える事が予想される。つまり、依存する事が常態化すると、非常時に正常な判断を下せなくなる為、更に危険が迫る事になるのだ。
(はぁ……これから先、アーシャさんの心のケアについても考えないといけないか……でも、最悪の場合は……マルディラントへと帰ってもらう事も、視野に入れなければならないかもな……)
俺はそこでアーシャさんの寝顔に目を向けた。
昨日と同様、アーシャさんはすっかり安心しきった表情で眠っている。
小さく胸を上下させながら、時折、口元をムニュムニュと動かす可愛らしい仕草をしていた。見ているこっちも幸せになるような、無邪気な寝顔だ。
(安眠て感じだな……幸せな寝顔だ。まぁそれはともかく、そろそろ起きるとするか……)
俺は半身を起こして大きく背伸びをすると、そこで室内を見回した。
他の3人はベッドでまだ寝ているようであった。時折、寝返りを打ち、上にかかった毛布がモゾモゾと動く。それはまるで、いつか見た修学旅行での朝の光景のようであった。
まぁそんな事はさておき、静まり返った室内を見たところで、俺はソッとベッドを降りた。
と、その時である。
丁度そこで、アーシャさんも目を覚ましたのだ。
「あ、おはようございます、コータローさん」
アーシャさんは小声で朝の挨拶をすると、瞼を擦りながら起き上がってきた。
それから俺に、ニコリと可愛らしく微笑むのである。
俺もつられて小声で挨拶をした。
「おはようございます、アーシャさん。って……それよりもビックリしましたよ。起きたらアーシャさんが横に寝てたので」
「だって……夜中に突然目が覚めて、またアレを思い出したんですもの……」
アーシャさんはそう告げると表情を落とした。
やはり、ザルマの事が脳裏に蘇ってきたみたいである。
「そうだったんですか。でも、この部屋はアーシャさん1人じゃないので大丈夫だと思いますよ」
「コータローさん、確か一昨日の晩、こんな事を言いましたわよね。何かあった時は身を挺してでも私を守ってくれるって……私、あの言葉が嬉しかった。ですから私、コータローさんといると凄く安心できるんですの」
「そ、そうですか。ははは……」
これは良くない兆候だ。思った通り、アーシャさんは俺に依存しかけている……。
原因は俺にもあるので、何か改善の策を考えないといけないようである。
「ところで、コータローさん。どこに行くんですの?」
「そうですね……とりあえず外で顔や口を洗ってサッパリしてから、村の中を少し散歩でもしようかと思ってますけど」
「じゃあ、私も行きますわ。準備しますので待っててください」
アーシャさんそう言うや否や、体を起こしてベッドから降りる。
そして、いそいそと準備に取り掛かったのである。
[Ⅳ]
宿を出た俺とアーシャさんは、外にある井戸で顔や口を洗った後、朝の澄んだ新鮮な空気を体内に取り込みながら、村の中を見てまわった。
まだ日が昇り始めた頃なので、村内は若干薄暗く、そして静かであった。聞えてくるのは、周囲の森から聞こえてくる鳥の鳴き声くらいだ。
そんな村内ではあったが、村人たちの姿もチラホラと目に留まった。畑で農作業をする者や、井戸の水を汲みに来る者等である。
この光景を見る限りでは、モロに長閑な山の集落といった感じだ。が、しかし……村の守衛を務める冒険者達の姿が視界に入ると、一気に物々しい雰囲気に変わるのであった。
とはいえ、村の警備は抜かりなく行われているという事なので、この村に住む人達からするとありがたい光景なのだろう。
それから暫く村の中を歩いて回り、俺達は宿屋へと帰ってきた。
宿屋の玄関を潜ると、出掛ける時は誰もいなかった正面の受付カウンターに、初老の男が1人立っていた。
この男の顔には見覚えがあった。昨日、宿泊の交渉をした相手である。多分、この宿屋の主人だろう。
まぁそれはさてき、男は俺達を視界に収めると、ニコリと微笑み挨拶をしてきた。
「お客様、おはようございます。昨晩はよく眠れましたかな?」
俺とアーシャさんは立ち止まり、挨拶を返した。
「ええ、お蔭様で、ゆっくりと休むことが出来ましたわ」
「良い香りのする部屋だったので、気分よく休めましたよ」
俺達の反応を見て、男は満足そうな笑みを浮かべた。
「それは良かった。ところで、外から来られましたが、村の中でも散歩されてたのですかな?」
「ええ、ちょっとその辺を見て回ってきました。朝の散歩は心地いいですからね。それにここは澄んだ空気をしてますので、心身ともに充実した気分になりましたよ」
「そうでございましょう。特にこのガルテナは、木々に囲まれた集落ですので、空気も下界とは一味違いますからな。外から来られたお客様は、皆、そう仰います……とはいうものの……それも平穏があってのものですがな……」
男はそう言って、少し曇った表情になった。
恐らく、坑道に棲みついた魔物の事を言っているのだろう。
「そのようですね。昨晩、この村の方から、奥にある坑道に魔物が棲みついたと聞きました。そして、村の中にいる冒険者は、その為に、ここにいるとも……」
男は頷くと、大きな溜息を吐いた。
「フゥゥ……ええ、まったくです。なんで突然、魔物が棲みつきだしたのかわかりませんが、私共もホトホト困っているのですよ。あんな醜い魔物が棲みついたとあっては、この平穏なガルテナの評判も地に落ちてしまいますからな。早いところ何とかしてもらわないと、商売に差支えてかないません……」
「でしょうねぇ。その辺にいる魔物ならいざ知らず、よりにもよって死体の魔物ですもんね。心中お察ししますよ」
俺は今の話を聞き、昨日あったリジャールさんとのやり取りを思い出した。
実は昨日、棲みついた魔物の事は他言しないよう冒険者達に念押ししてあると、リジャールさんは言っていたのだ。
やはり、死体の魔物がうろつくなんて事が知れ渡ると、ガルテナの長閑なイメージに傷がつくからだそうである。まぁこれはもっともな話だ。
またリジャールさんの話によると、この村の主な収入源は、山菜や山の畑で収穫した農産品と民芸品であるらしい。そういったことから、それらを求めてやってくる商人もいるので、今のこの現状を知られると色々と都合が悪いそうなのだ。まぁ要するに、風評被害を気にしているのである。
(腐った死体がうろつく村なんて、まんまバイ〇ハザードだもんな……そんな噂が蔓延したら、誰も来なくなるわ……)
ふとそんな事を考えていると、男が訊いてきた。
「ところでお客様は、これからどちらに向かわれるのですかな。山を降りてフィンド方面へですか? それともこの先にあるモルドの谷を抜けて王都の方角へ?」
どう答えようか迷ったが、誤魔化す事でもないので俺は正直に言った。
「実はですね。私達はこの後、リジャールさんという、この村の方と共に、坑道の中を調べる事になっているのですよ」
「え!? それは本当ですか? リジャールさんと?」
男はそう言って目を見開いた。
「ええ、本当です。リジャールさんから直々に頼まれたものですからね」
「そうだったのですか……リジャールさんに。ですが、この村にいる冒険者達の話だと、中々に敵は手強いそうです。なので、十分な準備をしてから向かわれた方がいいでしょう。特に毒を持っているらしく、かなり面倒な魔物だと聞きましたからね」
確かに、色々と準備は必要だ。
話のついでなので、道具屋の場所も訊くことにした。
「あ、そうだ。話は変わりますが、この村に薬草や松明等を売る道具屋はあるのですか?」
「ああ、それでしたら、私共の方で副業として営んでおりますが」
「本当ですか。それは助かる」
まさか目の前に道具屋があったとは……。
これぞ正しく、灯台下暗しというやつだ。
まぁそれはともかく、仕切り直しとばかりに、男は営業スマイルになった。
「それではお客様、何をお探しでございますかな?」
「明かりを灯す道具が欲しいのですけど、何かありますかね」
するとアーシャさんが首を傾げたのである。
「コータローさん、レミーラがあるではないですか。明かりを得る道具は必要ないんじゃありませんの?」
「まぁ確かにそうなんですが、魔力切れを起こす可能性も否定できませんので、一応用意した方がいい気がするんですよ。それに俺の故郷では、備えあれば憂いなしという諺もあるのでね」
「ソナエアレバ? ま、まぁその辺の事情はよく分かりませんが、貴方が必要だと思うのなら、私はもう何も言いませんわ」
というわけで、俺は交渉を再開した。
「何かありますかね? できれば長く使える物がいいです」
「でしたら、ちょっと待ってくださいね……ええっと、どこに仕舞ったかな……ああ、あったこれだ」
男は後ろにある棚の扉を開き、そこから、西洋風のランタンみたいな物を取り出したのである。
「これなんかどうでしょう? 以前、この村に来た行商人から手に入れたグローという手明かりです」
見た感じオイル式のようである。
「これは、何を燃料にするんですか?」
「それはですね、この灯り油を使うんですよ」
男はそう言って、500mlのペットボトルサイズのガラス瓶をカウンターの上に置いた。
ちなみにだが、その中にはドロっとした薄茶色の液体が入っていた。このイシュマリアでは原油を精製するプラントもないので、俺達が日頃使う灯油とかではないだろう。多分、この色と粘りからすると、植物か動物由来の油かもしれない。
「へぇ~なるほど。じゃあ、これにするかな。ところでおいくらですかね?」
「こちらは量産品の松明と比べると少し値が張りまして、灯り油とグローで80ゴールドになります。それでもよいでしょうか?」
「ええ、構いませんよ」――
[Ⅴ]
朝食を済ませた俺達は、暫し部屋で寛いだ後、リジャールさんの家へと向かった。
そして、家に到着したところで、俺は玄関の扉を開き、中に向かって呼びかけたのである。
「御免下さい。コータローですが、リジャールさんはおられますか?」
奥から声が聞こえてくる。
「おお、来たか。少し待っておれ」
程なくしてリジャールさんは玄関へとやってきた。
それから外に出て、俺達の顔を順に見ていったのである。
リジャールさんは顎に手を当て、感心したように頷いていた。
「ほほぉ……これはまた面白い構成の仲間達じゃな。アマツの民にラミナスの民、そしてイシュマリアの民か。しかも皆、中々の手練れのようじゃ」
「昨晩、皆に依頼の内容を話しましたら同行してくれるという事になりましたので、来てもらいました」
それを聞き、リジャールさんはサナちゃん達に頭を下げた。
「儂が此度の依頼をお願いしたリジャールという者じゃ。すまぬな、無理を言って。事が終わり次第、報酬の方はしっかり弾むつもりじゃ。よろしく頼むぞい」
「いや、気になさらないでください。それにコータローさんとアーシャさんは、私達の大事な仲間ですから」
サナちゃんは中々嬉しい事を言ってくれる。少しジーンときてしまった。
まぁそれはさておき、俺はそこでリジャールさんに確認した。
「あの、リジャールさん。坑道へはもう向かわれるのですかね?」
「いや、まだじゃ。実はお主達以外にも数名頼んでおいたのでな。もうそろそろ来るはずじゃが……お!? どうやら向こうも来たようじゃな」
俺はリジャールさんの見ている方向に視線を向けた。
するとそこには、こちらへと向かう、5人の冒険者の姿があったのである。
見た感じだと、かなりゴツイ感じの冒険者に見えた。が、しかし……冒険者達が近づくにつれ、俺は思わず目を見開いたのだ。
なぜなら、前方からやってきたのは、このガルテナに来る途中の山道で出会った冒険者達だったからである。
向こうも俺達の事が分かったようで、少し驚いた表情を浮かべていた。
「おや、貴方がたは昨日の……」
ダンディな戦士はそう言って、俺達を見た。
と、そこで、レイスさんがその戦士に挨拶をした。
「昨日はどうも。色々と縁がございますな」
「なんじゃ、紹介しようと思ったのに、カディスはもうこの者達を知っておるのか?」とリジャールさん。
カディスと呼ばれた男は頭を振る。
「いえ、リジャールさん、そうではないです。昨日、たまたま街道で出会っただけですよ」
「まぁええわい。では紹介するが、ここにいる5名は、儂の古い友人の知り合いでな、その腕を見込んで、儂が坑道の調査に加わってくれるようお願いした者達じゃ。じゃから、よろしく頼むわい」
この流れだと、一応、自己紹介はしておいた方がよさそうだ。
というわけで、まず俺からすることにした。
「コータローと申します。これから暫くの間、よろしくお願いしますね」
「私はカディスと言う。こちらこそ、よろしく頼む」
そして、俺達を皮切りに、他の皆も簡単に、自己紹介をしていったのである。
Lv23 ラウム鉱採掘跡(i)
[Ⅰ]
俺達の自己紹介が終わったところで、リジャールさんは古い羊皮紙のような色褪せた巻物を家の中から持ってきた。そして、巻物を俺達の前に広げたのである。
広げた巻物はA3サイズ程の物で、見たところそれは、坑道の見取り図のようであった。
「さて、それでは本題に入ろうかの。今日は坑道の中にいよいよ入るわけじゃが、一応、ここにラウム鉱採掘跡の見取り図を用意しておいた。これを見てもらうと分かる通り、それほど中は深くない上に単純な構造となっておる」
確かに単純な構造であった。分かれ道は幾つかあるが、それほど複雑なものではない。
一応、簡単に書くとMapはこんな感じだ。
まぁ実際はもっと歪で曲がりくねっている所もあるとは思うが、見取り図は大体こんな風であった。
リジャールさんは続ける。
「今日は、一応、見取り図に書かれておる所を全て確認するつもりじゃ。そこで、魔物どもと戦闘経験があるカディス達の意見を聞きたい。どうであろうの? 何か気掛かりなところがあるのなら、今の内に言ってくれぬだろうか」
「この坑道内はそれほど入り組んではいないので、迷うような事はなさそうですが……一番の問題は魔物が持つ毒であります。それに加え、今のところ、どれだけの魔物がいるのか皆目見当もつきません。ですから、坑道内を隅々までとなると、当然、解毒手段と傷の回復手段が必要になりますが……それの対応は、この方達が対応されるので?」
カディスさんはそう言って、俺達に視線を向けた。
リジャールさんは頷く。
「うむ。そこにおるコータローがキアリーを使い手じゃ。しかも、昨日話して分かったが、中々に優秀な魔法使いのようで、その他にも沢山の攻撃魔法や回復魔法を使えると言っておった。じゃから、坑道内では何かと頼りになるじゃろう」
「ならば、私からはもう何もありませんな。一番の懸念は奴等の毒でしたので」
カディスさんはそう言うと、俺に向き直り、改めてお願いをしてきた。
「ではコータローさん、解毒の方は貴方にお任せするので、よろしくお願いします」
「はい、解毒や回復に関しては任せてください。それに俺だけじゃなく、この子もキアリーの使い手ですからね」
俺はそう言って、サナちゃんの肩に手を置いた。
するとリジャールさんは少し驚いたようで、感心したように頷きながら、サナちゃんに目を向けたのである。
「ほう、その年端も行かぬラミリアンの娘子もキアリーを使えるのか。まだ子供じゃというのに、優秀な魔法の使い手なのじゃな。さすがラミナスの民じゃわい。彼の国は、優秀な魔法使いを数多く輩出することで有名じゃったからのぅ」
「そ、そうでしょうか」
サナちゃんは照れたのか、少し顔が赤くなっていた。
こういうところは年頃の女の子っぽくて可愛い部分である。
と、そこで、女性の声が聞こえてきた。
「ええっと……サナちゃんだったかしら?」
声の主は、カディスさん達のパーティにいる胸のデカい女性であった。
「は、はい……そうですが」
予想外の所から声を掛けられたからか、サナちゃんは少しキョドっていた。
やはり、今までが逃亡生活だった事もあって、どうしても人見知りするのだろう。無理もない。
まぁそれはさておき、この人は確か、自己紹介の時にゾフィと名乗っていた女性である。
右目の下にある小さな黒子が特徴のスラッとした体型の女性で、肩より下に流れるウエーブがかったブロンドの長い髪には、銀の髪飾りがキラリと輝いていた。
顔立ちも整っており、やや切れ長の目と潤んだ唇が印象に残る艶っぽい女性だ。
上背は160cm程度だろうか。とりあえず、この中にいる女性だと、シェーラさんに次ぐ背の高さであった。
だがこの女性の一番の特徴はメロンのような胸だろう。しかも、ドラクエⅧにでてきたゼシカのように、やたら胸を強調するけしからん紫色のローブを着ているのだ。
その為、収穫を待つかのように、仲良く並んだ2つのメロンが3分の1ほど顔をのぞかせているのである。
収穫祭があったならば、是非参加したいところだが……あまり胸ばかり見ていると、アーシャさんがまた足を踏みつけてきそうなので、この辺にしておくとしよう。
というか、もう既に、俺に睨みを利かしているし……。おー怖ッ!
ちなみにだが、この人のけしからんローブからは魔力を感じるので、多分、魔道士用のローブの一種だろう。何という名前のローブかは俺もわからないが、もしかすると特注品なのかもしれない。
それと右手には、俺と同じく魔道士の杖を装備しているので、一目で魔法使いとわかるような格好であった。
とまぁそんなわけで、以上を総合すると、大人の色気がムンムンのセクシーな女魔法使いといった感じなのだ。
話は変わるが、もう1人の魔法使いの女性もゾフィさんと似た感じの方であった。名前はカロリナという。
だがそれは背丈や雰囲気が似ているというだけで、着ている衣服とかはごく普通のベージュのローブであった。
勿論、美人ではあるが、顔立ちも違う。どちらかというと、艶っぽいゾフィさんよりも幾分穏やかな感じの方なのだ。
また、髪の長さは同じくらいだが、ゾフィさんのようなウェーブがかったブロンドではなく、ストレートな茶髪である。
というわけで、それら考えると、似ていると思っていたが、全然違う雰囲気の女性なのであった。
2人が似ているように見えるのは、恐らく、ゾフィさんが隣にいるからなのだろう。
つまり、ゾフィさんがカロリナさんをエロくしているのである。
全く持ってけしからん話だが……暗い洞窟内ではメロンを堪能できないので、今の内にゾフィさんの胸を観賞しておいた方が良さそうだ。などと、しょうもない事を考える俺なのであった。
話を戻そう。
ゾフィさんは、サナちゃんに優しく微笑むと言った。
「ホイミのような初歩的な回復魔法は使える者が沢山いるけど、キアリーやベホイミの使い手は少数派なの。だから、自信を持っていいわよ」
「は、はい、ありがとうございます、ゾフィさん。でも、私はまだまだ未熟なのです。回復魔法と補助魔法だけで、攻撃魔法は全然ですから……」
「あらそうなの。でも、回復と補助と攻撃の3系統を修得した魔法使いなんて、そうそういないわよ。大抵、どちらかに傾くそうだから」
そういえば以前、ヴァロムさんも同じような事を言っていた。
回復系と補助系と攻撃系の3系統の魔法を高いレベルで修得できる者は、余程の魔法の才がないと無理だと。
それもあってか、俺がそれらを習得できたのを知ってヴァロムさんは少し驚いていたのだ。
確かにドラクエⅢとかだと、それら3つの系統をネイティブに修得できるのは、賢者と呼ばれる特殊な職業の者だけだった。それを考えると、この辺の事情に関しては、この世界もある程度は準じているのかもしれない。
まぁとはいうものの、俺が賢者なのかどうかは、甚だ疑問だが……。
ふとそんな事を考えていると、リジャールさんが俺に話を振ってきた。
「さて、コータローよ。お主は何か、気になる事があるかの?」
「そうですねぇ……」
俺はそこで見取り図に目を落とした。
「他に入れるところはないみたいですが、この坑道の入口はここだけなのですか? それと坑道内に水が流れていたり、湧いていたりする所とかあるんですかね?」
「ふむ……入り口はここだけじゃ。他から入れるところはない。それと、坑道内に水のある場所はないの」
「そうですか、ではあと2つ。昨日、坑道の入口付近に冒険者を常に十数名待機させていると仰いましたが、それはいつ頃からなのか? という事と、ここ最近、坑道から出て行った魔物や、新たに入ってきた魔物がいるのかどうかを教えてください」
「待機しているのは、マルディラントに陳情にいった後じゃから、もうかれこれ20日は経つかのう。それと魔物じゃが、警備についておる者達からの話じゃと、今のところ、坑道の外へは出ていないと言っていた。じゃから、魔物の出入りはないとは思うがの」
「そうですか……20日も経っているのですか、なるほど」
するとリジャールさんは首を傾げていた。
俺の質問の意図が、多分、わからないのだろう。
「今、妙な事を訊いてきたが、それがどうかしたのかの?」
「ああ、大したことではないのですが、最近、新しい魔物の出入りはあったのかなと思いましてね。それで聞いてみただけですよ」
とりあえず、俺はそう返事しておいた。が、実を言うと、この質問をしたのは色々とわけがあるのだ。
勿論、ラーのオッサンが言っていた死体を操る者の存在とも関係している。
そして、今の話を聞いて漠然とだが、腑に落ちない点もでてきたのであった。
「ふむ、そうか。他に気になる事はないかの?」
「とりあえず、今のところはわからない事だらけですので、またその都度、訊く事にします」
「まぁそうじゃろうな。では、何か気になるところがあったら、その時は遠慮なく訊いてくれ」
「ええ、そうさせてもらいます」
俺が返事をしたところで、リジャールさんは皆の顔をゆっくりと見回し、この場を締め括った。
「さて、それでは各々方、そろそろ坑道に参るとしようかの」
そして俺達は、村の奥にあるというラウム鉱採掘跡へと移動を開始したのである。
この先に何が待ち受けているのか……それは分からない。
だが先程のリジャールさんから得た情報に少し引っ掛かる部分があった為、俺は移動しながら、それらについて考える事にしたのである。
[Ⅱ]
俺達は、ラウム鉱採掘跡へと続く砂利道を進んで行く。
採掘跡は村の奥に広がる森の中にあるらしく、草木が鬱蒼と生い茂る狭い道を進まなければならなかった。それは思っていたよりも疲れる、険しい道のりであった。思わぬ所に伸びている木々の小枝や蔓などが、手や足や肩に引っ掛かるからである。
特に、俺みたいなローブを身に纏う者にとっては、立ち入りたくない最悪な場所といえた。
理由は勿論、木の枝に引っ掛かりまくるからである。今日ほど、重装備が出来たらなと思った日はなかったくらいだ。
それもあり、この時の俺は少し後悔していたのであった。賢者のローブの上にジェダイローブなんか着てくるんじゃなかったと……。
だが今更そんな事を言ったところで、何かが変わるわけでもない為、このまま俺は進み続けるしかないのである。
とまぁそんなわけで、そんなウザい道を進んで行くわけであるが、どうやらそれも、後少しで終わりを迎えるようだ。
なぜならば、目的地らしき穴が、前方に小さく見えてきたからである。
(多分、アレが坑道の入り口だろう……モロに鉱山て感じの穴だし……)
ここから見る限り、穴が見える辺りは木々が無いようだ。その為、頭上を枝葉に覆われたこの木陰の道とは違い、日の光が降り注ぐ明るい場所となっていた。
坑道の入り口らしきものが見えたところで、リジャールさんの声が聞こえてきた。
「コータローよ、あそこに小さく見えるのが目的の坑道じゃ」
「やはりそうでしたか。自分もそうではないかと思ってました。でも、ここから見る限りだと、結構開けた場所にあるのですね。てっきり、この鬱蒼とした森の中にヒッソリと口を開けているのかと思っていたので、少々意外でした」
「うむ。まぁそのお蔭もあって、魔物を食い止めるのには役に立っておるわい。やはり、戦闘となると、木々が邪魔するからの」
「確かにそうですね……」
リジャールさんの言うとおりである。
木々が密集していたならば、剣や槍といった長い得物を振るうには不利である為、そう簡単にはいかなかったに違いない。
だから、あそこが広場になっていたのは不幸中の幸いだったのだろう。
ふとそんな事を考えていると、入口周辺で待機する冒険者達の姿が俺の視界に入ってきた。人数にすると十数名といったところだろうか。
この位置からだと姿がハッキリ見えないので、どんな容姿をした者達かまではわからないが、最前線で待機している事を考えると、この村に来ている冒険者の中でも選りすぐりの手練れに違いない。
だがしかし、それを喜ぶわけにはいかなかった。これが意味するところは1つだからだ。それは危険区域という事であり、俺達ももうすぐ、そこに足を踏み入れるという事なのである。
その為、俺はいざという時にすぐ魔法を発動できるよう、意識を戦闘モードへと静かに変えたのであった。
周囲を警戒しつつ進んでいると、カディスさんの仲間の1人が俺に話しかけてきた。
「確か、コータローさん、だったかな」
「ええ、そうですが」
話しかけてきたのはドーンという名の男であった。歳は30代といったところだろうか。
やや浅黒い肌をしたプロレスラーのようなガタイのゴツいオッサンで、モミアゲから繋がった黒く長い髭を顎と口元に生やしていた。
顔立ちは彫りの深い中近東アジアの系統で、ターバンでも巻いていればモロといった感じだろう。
また、若干色褪せた感じのする年季の入った鉄の鎧と鉄兜を装備しており、背中には鋭い両刃の戦斧を担ぐという出で立ちであった。
背中の戦斧は両刃であることを考えると、ゲームでいうバトルアックスとかいうやつなのかもしれない。
というわけで、全体的な雰囲気を言えば、筋金入りの戦士といった感じの男だ。
映画ロード・オブ・ザ・リングにギムリという酒と戦闘が大好なドワーフが出てきたが、俺にはあの類のキャラのように見えた。とはいうものの、あんな酒樽みたいな体型ではないが……。
ただ、冒険者としてかなり場数を踏んでいるのは間違いないだろう。
なぜなら、色褪せた鎧の継ぎ目から見え隠れする鍛え上げられた筋肉を見れば、本人が言わずとも、身体がそうだと語っているからだ。
ちなみに、どうでもいい話ではあるが、自己紹介でドーンという名前を聞いた時、一瞬、江○2:50分の顔が思い浮かんだのは言うまでもない。
まぁそんな事はさておき、ドーンさんは俺の肩にポンと手を置き、話し始めた。
「敵は毒の霧を吐いてくるから、今日はアンタの解毒呪文を頼りにしてるぜ」
「ええ、毒に侵された時は任せてください。良く寝たので魔力は充実してますからね。今日は一杯唱えられますよ」
俺は微笑みながら自信満々に答えておいた。
こういうのはオドオドすると向こうも不安に思うから、このぐらい言っておけば安心する筈だ。
「オウ、任せたぜ。しっかし、アレだなぁ、こんな所でアマツの民の者と会うとは思わなかったぜ。俺も旅をしてて、たまに会うくらいだからな」
う~ん……これにはどう答えたらいいのだろう。
悩むところではあるが、とりあえず、アマツの民ではないので否定しとこう。
「えっとですね……勘違いされてるようなので言っておきますが、俺、アマツの民じゃないですよ。まぁその系統の血は入ってるかもしれませんがね」
するとここで、リジャールさんが話に入ってきた。
「なんじゃ、お主……アマツの民ではないのか?」
「エッ、そうなのか? てっきり、アマツの民かと思ってたぜ。じゃあ、どの辺の出なんだ? マルディラントか?」
また答えにくい事を訊いてきたな。さて、どうするか。
大きな嘘を吐くと後が面倒なので、とりあえず、目覚めた場所にでもしておこう。
一応、あの辺りの事は大体わかるから、突っ込まれても何とかなる。
「俺の出身地はベルナ峡谷なんですよ」
「はぁ? ベルナ峡谷だって……。あんな岩山だらけの辺境の地に、町や村なんてあるのか?」
ドーンさんは腕を組み、怪訝な表情になって首を傾げた。
この反応は想定の範囲内である。
ヴァロムさん曰く、ベルナ峡谷は、魔物と岩山だらけの人の寄り付かない土地という事で有名らしいからだ。
まぁそれはさておき、俺は頷くと続ける。
「ええ、一応、ベルナ峡谷にはガナという小さな集落があるんです。そして俺は、その辺りに住む、とある人に拾われたもんでして……つまり、まぁ、そういうわけです」
今言ったガナという集落の名前は嘘ではない。実際に存在する集落である。
とはいっても、ヴァロムさんの住処からは少し離れたところだが……。
ただ、このガナという集落は普通の集落とはちょっと違う特徴があるのだ。
それは何かと言うと、実はこのガナに住む人々は、ベルナ峡谷にある岩山の洞窟で生活しているのである。なので、建造物というのは何もないのだ。
その上、外部との接触もごく稀なので、このマール地方でも知っている者はかなり少ない集落なのである。
ちなみにだが、何故、俺がそんな事を知っているのかというと、何度かヴァロムさんにつれられて行った事があるからだ。
勿論、アーシャさんも一緒だったので、この集落の事は良く知っている筈である。
というわけで、話を戻そう。
俺の話を聞いたリジャールさんは、そこで顎に手をやり、ボソリと呟いた。
「そういえば、ガナから少し離れた所に居を構えておると言っておったな。あ奴は……」
このリジャールさんの口振りだと、ガナを知っているようだ。それと、あ奴というのはヴァロムさんの事だろう。
まぁそれはともかく、続いてドーンさんがコメカミをポリポリかきながら、罰の悪そうな表情で謝ってきた。
「そうだったのか……すまないな、コータローさん。嫌な事を訊いちまって」
これは恐らく、拾われたという境遇に対しての反応だろう。
だが俺の境遇は、色々と複雑な事情があるので、そんな事は些細な問題なのだ。気にしてたら負けなのである。
「ああ、別に構いませんよ。あんまりというか、全くその手の事は気にしてないので。だから、ドーンさんも気にしないでください」
「そうか、ならいいが……。まぁそれはともかくだ。今日はよろしく頼むぜ、コータローさん」
そしてドーンさんは、俺の肩をバシバシと軽く叩いたのである。
少し痛かったが、この人なりの元気づけなのだろう。
と、その時であった。
前にいる誰かが、不意に言葉を発したのである。
「なんだ一体? 入口付近の様子がおかしいぞッ」
声を上げたのは、ネストールという名の男であった。
この人もドーンさんと同様、鉄の鎧と鉄兜を装備する戦士である。が、武器は槍を装備していた。
見たところ、金と銀の奇妙な装飾の施された槍なので、もしかすると鉄の槍ではなく、その上位武器であるホーリーランスとかいうやつなのかもしれない。
また、体型はドーンさんの様なムキムキではなく、カディスさんの様なスマートな感じであった。
ちなみに、他の2人とは違い、髭などは生やしてない。が、それでも鋭い目と引き締まった頬をしているので、中々強そうな顔つきの男であった。
まぁそれはさておき、俺達はネストールさんの声を聞き、全員が前方を凝視した。
すると坑道の入り口付近で、慌ただしい動きをする冒険者達の姿が目に飛び込んできたのである。
確かに何か様子が変であった。もしかすると魔物の襲撃があったのかもしれない。
と、次の瞬間、カディスさんの大きな声が、この森の中に響き渡ったのである。
【向こうで何かあったみたいだッ。急ぐぞッ!】――
[Ⅲ]
進行の邪魔をする草木を掻き分けて進むこと約5分。俺達はようやく、木々の無い開けた場所に辿り着いた。
そこは頭上を覆う枝葉も無い為、澄みきった青い空から眩い光が降り注いでおり、辺り一面に生える草花が生き生きとした明るい世界であった。
平穏な時だったならば、薄暗い森の中から出てきた反動で、凄く爽やかな気分になれただろう。が、今は非常時である。とてもそんな気分にはなれなかった。
坑道の入口付近には、武器を構える冒険者達の物々しい姿があった。
(何があったんだ、一体……)
俺達は脇目もふらず、急いでそこに駆け寄る。
と、そこで、冒険者の若い男が俺達に振り返った。
「カディスさん! た、大変ですッ!」
「一体、何があった?」
「さっき突然、坑道の中から魔物がドッと現れて、ヴァイロンさんがかなり深い傷を負ったんです。ですが、リュシアさんはヴァイロンさんが死んだと思ったのか、逆上してしまって……1人で魔物達を追って、坑道の中に行ってしまったんですよ」
冒険者の男はそう言って、坑道の入り口と地面に伏せる白いローブを着た冒険者を交互に指さした。
「何だとッ」
カディスさんは顔を
顰める。
俺はそこで、負傷したヴァイロンという冒険者に視線を向けた。
すると、周囲の冒険者達に、ホイミと薬草で今は治療してもらっているところであった。
かなり深く負傷したのか、着ている白いローブは所々真っ赤な血で染まっていた。見るからに重傷といった感じだ。
カディスさんは険しい表情で、坑道の入口に視線を向けた。
「仕方ない……俺達が連れ戻すしかないな」
【ま、待ってくださいッ!】
声を上げたのは、ヴァイロンという冒険者の男であった。
ヴァイロンという冒険者は、右手で左肩を押さえながら立ち上がる。
それは若い人間の男であった。年は20代半ばといったところだろうか。
しかも、すんごい美肌の中性的なイケメンで、女には不自由して無さそうな顔であった。勿論、髭などは生やしていない。目や鼻も、線が細く、美しい顔立ちであった。
またそれに加え、風に靡くサラッとしたきめ細かな長いブロンドの髪が、より一層、この男をカッコよく引き立てているのである。
だが、どことなくではあるが、冷たい雰囲気を感じる男であった。もしかすると、女関係にはドライな性格なのかもしれない。
まぁそんなどうでもいい話はさておき、ヴァイロンという男はカディスさんに向かい、今にも泣き出しそうな弱々しい表情で頭を下げた。
「カ、カディスさん。妹が逆上して、1人で坑道の奥に行ってしまったッ。お願いだッ! リュシアを連れ戻す為に、俺も貴方達に同行させてくれッ。たった1人の家族なんだッ」
カディスさんは眉間に皺を寄せる。
「しかし、ヴァイロン……お前は今、死ぬかもしれない程の深い傷を負ったのだぞ。大丈夫なのか?」
「傷はもう大丈夫です。坑道内では勝手な行動はしないと誓う。だから、お願いだ。リュシアを救出する為に俺も同行させてくれッ」
カディスさんはそこで、リジャールさんに視線を向けた。
リジャールさんは頷く。
「まぁ仕方あるまい。この入口の警護は多めに冒険者を配置してあるから、2人欠けても暫くは影響ないじゃろ」
「あ、ありがとうございます。リジャールさん」
ヴァイロンという男は感謝のあまり、何度もリジャールさんに頭を下げた。
「礼を言うのは後じゃ」
リジャールさんはそこで、ここのリーダーと思われる冒険者に視線を向けた。
「では、我々はこれより中に入る。じゃが、我等が坑道内に入る事によって魔物どもも騒ぐじゃろう。それが原因で、外に出てくる魔物もあるかもしれぬ。じゃから、外で待機する者達も、そのつもりで事に当たってほしい。そして村へ魔物を近づけぬように十分注意してくれ」
「はい、わかっております。ですが、中は相当危険だと思われますので、お気を付けてお進みください」
「うむ。では行くかの、各々方」
この言葉を合図に、俺達は魔物の蠢く闇の世界へと足を踏み入れたのであった。
[Ⅳ]
薄暗い坑道内に足を踏み入れたところで、リジャールさんはレミーラを使って明かりを灯した。
その瞬間、坑道内の様相が露わになる。
俺はそこで、周囲を見回した。すると、壁や天井には、歪な模様のように見えるゴツゴツとした岩肌が広がっており、床にはトロッコが走っていたのか、2本のレールみたいな物が奥の暗闇に向かって真っ直ぐに伸びていた。モロに、坑道といった感じの様相である。
通路の幅は、縦が約3mに横が5m程あるので若干広めだ。が、外からの光が満足に届かないのもあってか、少し圧迫感のある通路であった。
しかし、それ以上に嫌なことがあった。それは、坑道内のカビ臭い空気に混じって、妙な腐敗臭が漂っている事であった。
この臭気に当てられて、俺のテンションはさっきから下がりっぱなしである。ハッキリ言って気分は最悪だ。
恐らくだが、これは腐敗した死体の放つ臭いなのだろう。断言はできないが、俺はそう考えていた。
他の者達に目を向けると、衣服の袖や掌で鼻を覆ったり、摘まんだりしていた。
まぁこうなるのも無理はない。それ程に嫌な臭いなのである。
だが、俺はそれよりも、この通路内を見ていて少し気になった事があったのだ。
それは何かと言うと、この通路の天井や壁や床には、青い粉状の物がその表面に付着していたからである。
気になった俺は、好奇心から、壁に人差し指をやって少し触れてみた。
そして俺は、指に付着した青い粉状のモノをマジマジと見たのである。
と、そこで、リジャールさんの小さな声が聞こえてきた。
「それはラウムを切り出した時に出た粉末じゃよ。ラウムは青い魔鉱石じゃからの」
小声で話しかけてきたのは、敵にばれないようにする為だろう。
まぁそれはさておき、俺も小声でやり取りすることにした。
「では、これらの壁は全てラウムなのですか?」
リジャールさんは頷く。
「うむ、これらは一応、全てラウム鉱じゃ。とはいっても、ここにあるのは残りカスみたいなもんじゃから、魔鉱石として価値など、とうに失っておるがの」
「へぇ、そうなんですか」
俺はそこで手に付着している粉末を払うと、もう一度、周囲に目を向けた。
今は残りカスかも知れないが、魔鉱石を採掘していた時代は、この坑道も賑やかだったのだろう。
「コータローよ、話は変わるが、お主はもうレミーラを使えるのか?」
「ええ、使えますよ」
「そうか、ならばよい。今は儂がレミーラを使うが、もし儂の魔力が残り少なくなったら、お主にお願いするとしよう」
「了解です」
俺が返事したところで、リジャールさんはカディスさんに告げた。
「さて、ではカディスよ、ここからはお主に頼むとしよう」
カディスさんは頷くと、皆の顔を見ながら、囁くように言葉を紡いだ。
「敵はどこに潜んでおるか分からない。だから、全員が周囲に気を配りながら進んでくれ。そして何か異変があったならばすぐに声を上げて、皆に知らせるんだ」
俺達はカディスさんに無言で頷く。
と、そこで、ヴァイロンという男が、ボソリと妹の名を呟いた。
「リュシア……今行くぞ」
カディスさんはヴァイロンさんの肩にポンと手を乗せた。
「ヴァイロン……まずは、はやる気持ちを落ち着かせろ。今は慎重に坑道を調べていく事を考えるんだ。もしかすると、リュシアは近くにいるかもしれない。それにリュシアも優秀な魔法使いなのだから、そうそう簡単にやられはせん筈だ。だから今は妹を信じるんだ。いいな」
「はい、わかっております」
カディスさんはそこで視線を戻し、話を続けた。
「ここからは、私とネストールが先頭を行く。後方はドーンとレイスさんにお願いしたい」
「わかった引受けよう」
「よろしく頼むぜ、レイスさん」
レイスさんとドーンさんはそこで互いに握手した。
「他の者達は我々に挟まれる形で進んでもらうことになる為、危険は減るが、それでも十分注意して進んでくれ。では、行くぞ」
カディスさんの号令と共に、今言った隊列に俺達は並びを変える。
そして俺達は、魔物の蠢くラウム鉱採掘跡を前に進み始めたのであった。
話は変わるが、今の俺達は後ろから攻められても、前から攻められても、常に同じような隊形を維持できるようになっている。そう考えると、こういった通路をこの人数で進む場合は、これが一番良い隊列のようだ。
しかもカディスさん達のパーティと俺達のパーティは似ているので、その辺のバランスが凄く良いのである。
なので、俺はこの時、サナちゃん達に来てもらった事を凄く感謝していたのであった。
というわけで話を戻そう。
坑道内には時折、ゴォォという不気味な唸り声のようなモノが奥の方から響いていた。だが、何の音なのかはわからなかった。
魔物かも知れないし、もしかすると、リュシアという女性の悲鳴が坑道内の壁に反響して、そういう風に聞こえているだけなのかもしれない。
どことなく、気圧の違いによる耳鳴りに似たような感じがしないでもなかったが、とにかく、そんな音が聞こえてくるのである。
そして、アーシャさんはその音が怖いのか、音が聞こえる度にビクッと身体を震わせるのだ。
ちなみにだが、なぜ、俺がアーシャさんの震えが分かるのかというと、さっきからずっと、アーシャさんが俺の二の腕を掴んで身体を密着させているからである。
遊園地にあるお化け屋敷とかなら、可愛いなで済むが、今のこの状況はとてもそんな呑気な事は言っていられない。下手をすると足かせにしかならないのだ。が、しかし……今のテンパったアーシャさんにそれを言うと、逆に面倒な事になりそうなので、あえて俺は言わないようにしているのであった。
まぁそれはさておき、俺達は周囲を警戒しながら前に進んで行く。
今のところ魔物は現れてはいないが、探索は始まったばかりだ。油断はできない。
なので、俺はすぐに魔法を発動できるよう、常に魔力操作と周囲の変化に意識を向かわせていた。
そうやって警戒しながら暫く進んで行くと、まず最初の十字路が俺の視界に入ってきた。
確か、朝見せて貰った見取り図だと、この左右にある通路を進むと小さな空洞があった筈だ。
そして十字路の所に来た俺達は、そこで一旦立ち止まり、どちらに向かうかリジャールさんの意見を聞くことにしたのである。
「リジャールさん、どちらに行きますか?」と、カディスさん。
「とりあえず、左側の空洞を調べてから右側に行こうかの」
「わかりました」
カディスさんは返事をすると左の通路へと足を向かわせた。
だがその時、少し気になるものが俺の目に飛び込んできたのである。
それは何かと言うと、十字路の床に浮き上がって見える無数の足跡であった。
さっきリジャールさんも言っていたが、ラウム鉱の粉末が床に降り積もっているので、くっきり足跡が見えるのである。
で、どんな足跡かと言うと……人が裸足で歩いたような跡や、何かを引きずったような跡、そして大小様々な靴の跡に加え、犬のような肉球のある4つ足動物の足跡であった。
しかも、それらの足跡には埃などは被っていない為、ここ最近付けられたモノの可能性があるのだ。
俺は嫌な予感がしたので、リジャールさんに確認することにした。
「リジャールさん、この坑道に棲みついたのは死体の魔物といってましたが、他の魔物というのは見てないのですか?」
「いや、他の魔物というのは見てないの」
「そうですか……」
「それがどうかしたかの?」
「いえ、ただ少し気になったモノですからね。見てないのならいいです。それともう1つ。魔物が棲みつく前なんですが、村の方々は犬などを連れて坑道内へ足を踏み入れる事が頻繁にあったのですか?」
「……いや、足を踏み入れる事などなかった筈じゃ。さっきから妙な事を訊いてくるが、それがどうかしたのか?」
俺は床を指さすと言った。
「この床にある足跡なんですけど、最近付けられたモノだと思うので、それが気になるんですよ。靴を履いたものや、裸足のもの、4つ足の動物の足跡……これらは一体、何の足跡なのだろうってね」
「確かに、お主の言うとおりじゃ……これはもしや……」
リジャールさんはそう言うと共に、少し険しい表情になった。
アーシャさんとサナちゃんも驚いていた。
「ほ、本当ですわ」
「という事は、他にも魔物がいるという事なんでしょうか?」
「さぁ、それはわからないけど、気にはなるよね」
「お主はどう思うのじゃ?」と、リジャールさん。
「この足跡も、村の方々や家畜のモノであれば気にする必要もなかったのですが、そうでないなら、1種類の魔物だけという固定観念は捨てた方がいいかもしれませんね」
「うむ……どうやら、そう考えた方が良さそうじゃな」
リジャールさんは他の者達にも今の事を告げた。
「皆、今の話を聞いて分かったじゃろうが、魔物は数種類いる可能性がある。そう考えて警戒に当たるのじゃ」
全員、無言で頷いた。
そして、そんなやり取りをしている内に、俺達はいつしか通路の先にある空洞へと辿り着こうとしていたのである。
空洞の入り口手前に来たところで、前方から奇妙な音が聞こえてきた。
ズザザザ、ズザザザと、何かを引きずるような音である。
だがその音が聞こえた瞬間、先頭にいるカディスさんやネストールさんは、突然、武器を構えたのだ。
そして一気に、物々しい空気へと様変わりしたのである。
と、そこで、カディスさんの声が聞こえてきた。
「この引きずる音は奴等の歩く音だ。この空洞に、死体の化け物がいる。全員、気を抜くなよ」
俺はそれを聞き、いよいよだと生唾を飲み込む。そして魔道士の杖を構えた。
他の皆も勿論、臨戦体勢に入っていた。
また、俺に密着していたアーシャさんも流石に空気を読んだのか、離れて祝福の杖を構えたのである。
俺達はソッと静かに空洞内へ足を踏み入れた。
と、その時であった!
【シャァァ】
奇声を上げながら、化け物が4体、入口付近に現われたのだ。
俺はその魔物を見た瞬間、吐き気のようなものが込み上げてきた。
なぜなら、目の前に現れたのは、ゾンビという形容詞が似合う、身体の腐敗が進んだ歩く死体だったからだ。
しかも、ゲームのようなアニメチックなビジュアルとは違い、バ○オハザードとかに出てきそうな、リアルでおどろおどろしい姿なのである。
眼球や舌が外に飛び出ており、剥がれ落ちかけている体の一部からは内蔵や骨も見えていた。
また腐敗している事もあってか、魔物達の物凄い悪臭が、こちらに容赦なく漂ってくるのである。
(やっぱ、リアルな腐った死体がいたならば、どうしてもこうなるよな……)
まぁそれはともかく、今は奴らを倒すことが先決だ。
「まず、俺とネストールで奴等を攻撃をする。ゾフィとカロリナは魔法で援護してほしい。レイスさんとドーンは後方に注意してくれ。他の者達は機を見て魔法攻撃を仕掛けてくれ」
カディスさんはそれだけ言うと、ネストールさんと共に攻撃を開始した。
剣を装備しているカディスさんは、一番近い位置にいる腐った死体を素早く袈裟に斬りつける。その瞬間、魔物の胸に大きな傷がパックリと開いた。
続いてネストールさんの振るう槍が、その隣にいる腐った死体の喉元を容赦なく貫通する。
と、その直後、ゾフィさんのベギラマと、カロリナさんのバギが魔物に襲いかかったのだ。
4体の腐った死体は、炎によって焼かれ、やや小さめの鋭い旋風に切り裂かれる。
そして4体の腐った死体は事切れたかのように、ドサリと地に伏したのである。
魔物は微動だにしなかった。どうやら、倒したみたいだ。
カディスさん達は流石に戦い慣れているらしく、素早い連携であった。が、しかし……俺は少し違和感を覚えていた。
それは勿論、あまりに呆気なかったからだ。
(腐った死体って、こんなに弱かっただろうか……)
俺は今の戦闘を見て、ふとそんな言葉が脳裏に過ぎったのである。
魔物が動かなくなったところで、リジャールさんは口を開いた。
「ほぉ、流石じゃな。やはり、マルディラントでも指折りの冒険者と言うだけあるわい」
だがカディスさんは、横たわる腐った死体を眺めながら、少し微妙な表情をしていた。
「こんな手応えだっただろうか……もう少し強かったような……まぁ気のせいかも知れんが」
やはり、カディスさんも俺と同じことを思っているようだ。
とはいっても、俺の場合はゲーム上での話なので、それを言うわけにはいかないが……。
だが、もしこれがゲームならば、今の攻撃で腐った死体は倒せてないに違いない。
今の攻撃で与えられたダメージを仮に数値化するならば、精々70~80ポイント程度だと思うのである。
しかもそれは、カディスさんとネストールさんの攻撃した2体だけであって、他の2体に関しては魔法でのダメージだけなので、多分、50ポイント程度なのだ。
それに対し、腐った死体のHPは100前後あった事を考えると、倒すまでには至らないのである。
これをどう考えるかだが、ゲームと同じという確証はどこにもない。
しかし、この事を無視するわけにはいかないので、俺はとりあえず様子を見る事にしたのである。
カディスさんは暫し魔物を眺めると皆に告げた。
「では、この空洞から調べていこう。まずはリュシアを探すんだ」
俺達は無言で頷く。
そして、空洞の中へと足を踏み入れたのであった。
Lv24 魔の種族・エンドゥラス
[Ⅰ]
空洞内に足を踏み入れたところで、リジャールさんから忠告があった。
「ああ、そういえば、言い忘れていた事があるわい」
「何でしょうか?」と、カディスさん。
「この辺はそうでもないが、奥の方は落盤の危険性がある。じゃから、イオ系の爆発を伴う魔法は控えた方が良いの」
「それは確かに危険ですね。ウチの仲間だと、ゾフィが当てはまるな」
ゾフィさんは頷く。
「では、使わないでおくわ。ちょっと残念だけど」
俺も該当者なので宣言しとこう。
「俺もイオ系は使わないようにします」
「うむ。少々不便かもしれぬが、生き埋めにはなりたくないのでな。よろしく頼む」
というわけで、ここからはイオ系禁止の縛り探索となるのである。
俺達は空洞内を念入りに調べ始めた。
見回したところ、見取り図には小さな空洞のように描かれていたが、結構広い所であった。
広さを日本でよく見かける何かに例えるならば、学校の教室2つ分といった感じだろうか。とりあえず、そのくらいの広さである。
だが空洞内には、瓦礫の山と埃まみれの古い木箱のような物ばかりで、特に目につくモノは何もなかった。当然、リュシアという女性もいない。
というわけで、俺は見るべきものは無いと考え、先程倒した腐った死体の所へと向かったのである。理由は、やはり、あの呆気なさが腑に落ちないからだ。
死体の前に来た俺は、とりあえず、それらを眺めた。が、動く気配はない。よって、ただの腐乱死体である。
ラーのオッサンにこれらの事を訊きたいところだが、今は流石にできないので自分で考えるしか無いようだ。
と、そこで、アーシャさんが鼻をローブの袖で覆いながら、傍に駆け寄ってきた。
腐臭がきついので、こうなるのも仕方ないだろう。というか、俺も同じように鼻を覆っているので、人の事をとやかくは言えないが……。
「コータローさん、魔物がどうかしましたの?」
「ええ、少し気になる事がありましてね……あッ!」
と、そこで、俺はある事を閃いた。が、その前に、それをしていいかどうかをリジャールさんに確認する事にした。
「リジャールさん、今ちょっといいですかね?」
「ん? 何じゃ、コータロー」
「この魔物達なんですけど、念の為に、魔法で燃やしたらどうですかね?」
するとリジャールさんは微妙な表情をした。
「魔物をか? しかしのぅ……あまり派手な事をすると、魔物達がこちらに集まってくるかもしれぬからの」
そこでヴァイロンさんが相槌を打つ。
「確かに、その可能性は多いにありますね。今は少数で固まっている所を倒していった方が、良い気がします。奴等は大集団だと厄介極まりないですから」
「ああ、その方がいいだろう。あまり魔物を刺激するような事はしない方がいい」
カディスさんも同じ意見のようだ。
「そうですか。確かに、そうかもしれませんね。わかりました。やめときます」
燃やしてしまった方がいいと思ったが、まぁ仕方ない。何か別の対策を考えよう。
さて、他の方法となると何がいいだろうか? と思ったその時だった。
また俺の脳裏に電球がピカーンと光ったのである。
というわけで俺は、周囲に聞こえないよう、隣にいるアーシャさんに耳打ちをしたのだ。
「アーシャさん、ちょっと頼みがあるんですけど」
「頼み? 何ですの?」と小声でアーシャさんも返す。
「実はですね。今からこの死体に、ある物を掛けようと思っているのですが、そのある物の事を聖水という事にしておいてほしいんですよ」
「ある物? ……何をするつもりか知りませんが、わかりましたわ」
「じゃあ、そういう事でよろしくお願いします」
俺はそう言って、腰に下げた道具袋からソレを取り出した。
「ああ、聖水ってソレの事ですのね」
まぁアーシャさんも良く知っている物なので、この反応は当然だろう。
俺は死体の衣服の上に、ソレを少しづつ降りかけてゆく。
するとそこで、ドーンさんの声が聞こえてきた。
「何してんだ、コータローさん?」
俺はドーンさんに振り向く。
ドーンさんは首を傾げてこちらを見ていた。
その隣には、同じように首を傾げるヴァイロンさんの姿があった。
「ああ、ちょっと聖水でもかけておこうかなと思いましてね。効果があるかどうかわかりませんが」
「なんだ聖水か。しかしまた、何でそんなもんをかけるんだ?」
「だって、元々死んでいる敵ですからね。また復活でもされたら嫌じゃないですか。とはいっても、これは気休めみたいなもんですがね」
「まぁ確かに、コータローさんの言う通りかもな。元が死体だから、その可能性は否定できねぇや」
納得したのか、ドーンさんは頷きながら腕を組んだ。
そして俺は、少量ではあったが、満遍なく死体達の衣服にかけ終えたところで、道具袋にソレを仕舞ったのであった。
と、そこで、シェーラさんがこちらへとやってきた。
「何をやってるの、コータローさん」
「ちょっと清めていたんですよ、聖水で。まぁ念の為にです」
「ああ、聖水ね。話は変わるけど、この死体の魔物は、私が以前見たのとは少し違うわね。ということは、やっぱり種類が違うのかも」
シェーラさんはそう言うと、俺に向かい、意味ありげに微笑んだ。
この仕草は多分、昨日話した魔物についてのものだろう。
だが、あまり触れたくない話題なので、俺は何も言わずに軽く微笑み返すだけにした。これで一応、通じる筈だ。
と、そこで、ヴァイロンさんの弱々しい声が聞こえてきたのである。
「ここに妹はいないようです……は、早く次を探さないと……」
「ああ、そうだな」
ドーンさんは相槌を打つと、カディスさんに視線を向けた。
「おい、カディス。ここにはリュシアはいない。それにガラクタばかりだ。もう次に行こうぜ」
カディスさんは頷く。
「ああ、そうしよう。ではリジャールさん、そろそろ先を急ぎましょう」
「うむ」――
俺達はその後、反対側にある空洞に向かい、ゆっくりと慎重に歩を進めた。
その途中、俺はヴァイロンさんに訊きたい事があったので、それを確認することにした。
というわけで、俺はまず自己紹介から始めた。
「ヴァイロンさん、挨拶が遅れましたが、私はコータローという者です。今日はよろしくお願いします」
突然だったので少し驚いていたが、ヴァイロンさんは軽く頭を下げた。
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
「妹さん……たしかリュシアさんという名前でしたか。早く見つかるといいですね」
「ええ、早く見つけて連れ戻さないと……。アイツは気が強いので、いつかこういう事になるんじゃないかと思ってました。でもいくら冒険者とはいえ、リュシアは女です。恐ろしい魔物達が闊歩する中に、今1人でいると思うと俺は……」
ヴァイロンさんは消え入りそうな声でそう言うと、不安そうに肩を落としたのである。
暗い雰囲気になってしまったが、俺は質問を続けた。
「心中お察しします。ところで、話は変わるのですが、ヴァイロンさんに幾つか訊きたい事があるのです。こんな時に訊くのもアレなんですが、今、よろしいでしょうか?」
「訊きたい事……何でしょうか?」
「ええっとですね……ヴァイロンさんとリュシアさんは、坑道の入り口を担当する冒険者だと思いますが、それは毎日されていたのですか?」
「俺は毎日ですが、リュシアは時々です」
「という事は、今日たまたま2人が警護についたところで、あんなことが起きたわけですね?」
「はい、仰る通りです。ああ、こんな事になるのなら、村の方の警護に向かわせておくべきでした……」
ヴァイロンさんは、また暗い表情になり、ガクッと項垂れた。
「お辛い気持ちよくわかります。では、質問を続けさせてもらいますが、リュシアさんは明かりを得る為の手段はあるのですか?」
「リュシアは松明を持っている筈です」
「へぇ、そうなんですか。松明を」
「ここに配置された者は、何があるかわかりませんから、大体持っている筈ですよ。俺も1本持っています」
ヴァイロンさんはそう言うと、腰に下げた棒状の松明を見せてくれた。
「じゃあ、暗闇の中を彷徨うという事はなさそうですね。安心しましたよ。ところで、ヴァイロンさんと妹さんは、このガルテナでの警護をいつ頃からされておられるんですか?」
「俺達兄妹は、魔物が棲みつき始めて暫くしてからですけど」
「暫く? というと、具体的にどのくらい経ってからですか?」
と、ここでリジャールさんが話に入ってきた。
「ヴァイロン達兄妹は魔物が現れてから4、5日ほど経った後、たまたま、ガルテナにやってきたのじゃよ。あの時はカディス達のような冒険者もまだいなかったもんじゃから、儂も無理を言って、暫く村の警護に就いてくれるようお願いしたのじゃ」
「という事は、それからずっと2人は、こちらで村の警護をされているというわけですね?」
ヴァイロンさんは頷く。
「ええ、仰る通りです。しかし、今にして思えば、あの時まさか、こんな事になるなんて思ってもみませんでした。俺達兄妹がこの村に来たのは、本当にたまたまでしたので」
「仲間と共に旅をしてらしたのですか?」
「いや、仲間はいません。俺と妹はわけあって2人で旅をしておりまして、モルドの谷の向こうにあるルーヴェラに向かうつもりだったのです。でもこのガルテナに立ち寄った時には、こういう事態になっていましたので……」
「そうだったのですか、2人で……」
「お主達には感謝しておる。無理を言って引き留めて済まんかった。おまけにリュシアをこんな事に巻き込んでしまって」
リジャールさんは申し訳なさそうに、ヴァイロンさんに礼を述べた。
「いや、それは言わないでください。俺達もその分、見返りは貰ってるんですから」
今の話を聞く限り、どうやら、初期の頃からいるみたいだ。
これは好都合である。
「じゃあ、魔物が現れた頃から村の警護をされているという事ですね。いやぁ良かったです。ならば話が早い。実はそう言った方に、是非訊いてみたかった事があったんですよ」
ヴァイロンさんは首を傾げて訊いてくる。
「是非、訊いてみたかった事……何でしょうか?」
「実は昨日ですね、そこにおられるリジャールさんから、魔物は夜になると現れるって聞いたんですよ。ですが、今日は明るい時間帯に現れました。そこで教えて貰いたいのですが、今までも、こんな明るい時間帯に魔物が現れる事はあったのですか?」
ヴァイロンさんは少し思案顔になった後、頭を振る。
「いえ……そういえば、こんな明るい時間に出てきた事はなかった気がしますね」
すると、リジャールさんとドーンさんもそれに同調した。
「うむ。儂も夜に現れるとしか聞いとらんぞ。じゃから、明るい内に坑道に入る事にしたんじゃしの」
「言われてみると、確かに妙だよな。良く考えてみたら、こんな明るいときに魔物は出てこなかった筈だ」
「では今日が初めてだったのですね。なるほど……あッ!」
俺はそこで、昨日、リジャールさんに訊きそびれていた事を思い出した。
「そういえば昨日、リジャールさんに訊き忘れたことあったんですよ」
「何じゃ、一体?」
「ここにいる魔物と初めて遭遇したのって、もしかしてリジャールさんなんですかね?」
これを訊いた瞬間、リジャールさんはハッとした表情でこちらに振り返った。
そして、少し探るような眼で俺を見たのである。
「確かに……魔物を見つけたのは儂ともう1人の村人じゃが……なぜわかったのじゃ?」
「やはりそうでしたか。まぁその辺の話は、これが片付いたらにしますよ」
思った通りだ。第一発見者はリジャールさんで間違いないようである。中々いい情報を得ることが出来た。
(さて、これらをどう考えるかだが……俺の推察が正しければ……)
と考えていた、その時であった。
カディスさんの緊迫した声が聞こえてきたのである。
「空洞入口から魔物が4体出てきたッ。全員、戦闘態勢に入れッ」
(チ、良いところだったのに……まぁいい、まずはこいつらを倒すとしよう)
そして、俺は魔道士の杖を構え、臨戦態勢に入ったのである。
で、今現れた魔物との戦闘結果だが、やはり向こうで戦った魔物達と同様、呆気なく終わってしまった。
カディスさんはそれを見て、さっきのように少し腑に落ちない表情だったが、暫くすると、こんなもんかと納得したようであった。
ちなみに、他の皆はそれほど気にしていないようだ。実際問題、魔物が身動きしないので、普通はそう考えるのが当たり前なのかもしれない。
だがしかし……俺は、魔物を操る存在の可能性を前もって聞いている事や、ゲームに出てきた腐った死体の事を知っているので、流石に違和感が拭えないのである。
その為、俺は保険の為に、あの液体を魔物達に振りかけておいた。
俺の予想が正しければ、この腐った死体達は後で動く可能性が大だからだ。
そう……しかるべき時に動くはずなのである。
問題は、そのしかるべき時が、何時なのかがわからないという事なのだ。
魔物を倒した俺達はその後、この空洞内を隅々まで調べたが、ここも向こうと同じで、瓦礫とガラクタしか見当たらなかった。
また、リュシアという女性もいなかったので、俺達はすぐにここを後にし、他の空洞へと移動を開始したのである。が、しかし……実はこの後も、同じような展開が俺達を待ち受けていたのであった。
行く先々で、腐った死体だけが4体~6体くらいの集団で現れ、またそれらの魔物全てが、俺達の刃にかかって呆気なく倒れていったのである。
だがとはいうものの、何度か毒の息を吐きかけられて気分が悪くなる事はあったので、全て楽勝というわけにはいかなかった。
しかし、それを差し引いても、やはり、ゲームに出てきた腐った死体よりも弱いのである。
まぁそんなわけで、どこか釈然としないまま戦闘が終わってしまうわけだが、当然、俺はそれらの結果に納得はできなかった。その為、俺はそれらの魔物全てに、あの液体を降りかけておいたのである。
だが、そこで、少し気掛かりな事があった。それは、腐った死体しか見ていないという事である。そう……俺達はまだ、床に沢山残されている大小様々な靴跡や、4つ足の主を見ていないのだ。
この足跡の主達が今どこにいるのかはわからないが、俺達の行く手を阻む為に、いずれ必ず現れるに違いないと、俺は考えているのであった。
[Ⅱ]
5つ目の大きな空洞にいた6体の腐った死体を全て倒したところで、他の者達は周囲の探索を始めた。
だが、俺は今までと同じく、魔物達に聖水を降りかける事を優先し、その後、空洞内の探索を始めたのである。
俺は空洞を調べるにあたって、とりあえず、周囲をじっくりと見回す事にした。
それで分かった事だが、この空洞内の広さは、今まで見てきた小さな空洞の5倍はありそうだという事と、瓦礫の山が大量にあるという事、そして、その昔使われていたであろう、壊れた掘削道具や朽ち果てた木製のトロッコがその辺に転がっているという事だけであった。
要するに、特筆すべき点など何もない、ただの荒れ果てた採掘跡が広がっているだけなのだ。
勿論、ゲームのように宝箱が置かれている事もない。せめて、毒消し草とかでも落ちていると良かったが、当然の如く、そんな気の利いた物など落ちてはいないのである。
なので、探索と言っても、すぐに終わってしまったわけだが、収獲がなかったわけではない。
実はこの大きな空洞に来て、わかった事が2つあったのだ。
それは、ここには空気の流れが感じられるという事と、坑道内に響く、あのゴォォォという唸り声の様な音が、段々と近くなっているという事である。
(あの唸り声のような音と、この空気の流れは何か関係があるのだろうか……)
それが気になったので、俺は近くで瓦礫の山を見回るリジャールさんに、今の事を訊いてみることにした。
「リジャールさん、さっきから時々聞こえる、この気味の悪い音なんですけど、何の音なんですかね? それと、坑道内に空気の流れを感じるのですが、どこかに通気口みたいなものがあるんですか?」
「ああ、それはじゃな、向こうの空洞から吹く風の音じゃよ」
リジャールさんはそう言って、次の空洞へと繋がる通路を指さした。
「え? という事は外との接点があるのですか?」
「まぁ接点と言えば接点かもしれぬが、次の空洞には隙間風が吹くところがあるのじゃよ」
「隙間風?」
「うむ。次の空洞の左手には、行き止まりになった通路があるのじゃが、その突き当たりに、ひび割れのある大きな岩盤があってな、そのひび割れが外と繋がっておるもんじゃから、時折、隙間風が吹くんじゃ。お蔭で空気も薄くならずにすんでおる。まぁ早い話が、偶然できた通気口じゃな」
「なるほど……ひび割れからの隙間風ですか」
何か引っかかるところがあったが、今考えたところで答えは出ない気がしたので、置いておくことにした。
俺は話のついでに、気になっていた奥の事も訊ねた。
「あの、つかぬ事を訊きますが、一番奥にある空洞って、どういう感じなんですかね? 何か変わった特徴とかあるんでしょうか?」
「ン、一番奥の空洞か? ああ、そういえば、奥の空洞からは通路が少し狭くなっておるんじゃよ。わかりやすく言うと、今まで進んできた通路の半分以下かもしれん。おまけに天井も少し低いしの。じゃから、この真ん中に走っているトロッコのレールも、一番奥の空洞までは続いておらん。次の空洞で終わりなんじゃ」
「は、半分以下!? ちょ、ちょっと待ってください。今、トロッコの終点が次の空洞と仰いましたが、という事は、奥の空洞に入る為の通路もそうなのですか?」
「ああ、そうじゃ。じゃから広い通路は、ここから次の空洞へと繋がっておるあの通路で終わりじゃ。それと、一番奥の空洞は落盤しやすいもんじゃから、村の者が間違って入らんよう、通路の入り口に鉄の扉を設けて鍵を掛けてあるしの」
リジャールさんの言葉を聞いた途端、俺の脳内が目まぐるしく回り始めた。
隙間風、奥の空洞に続く狭い通路、通路に設けられた鉄の扉、十字路になった奥の空洞、未だに姿を見せない足跡の主、なぜか弱い腐った死体、リュシアさんの行方、魔の瘴気、死体を操る者、そしてあの言葉……。
色々な疑問が浮かぶと共に、様々な仮説も浮かんでくる。
と、そこで、リジャールさんの声が聞こえてきた。
「あ、そうじゃ! 今の質問で言い忘れていた事があったわ」
「言い忘れていた事?」
リジャールさんは頷くと、周囲の壁に目を向けた。
「実はの、一番奥の空洞からはラウムの鉱床ではなく、普通の岩盤になっておるのじゃ」
「普通の岩盤? では、この先で魔鉱石は採れなかったという事ですか?」
「うむ、そのようじゃ。じゃがのぅ、このガルテナのラウム鉱床は、当時、物凄く期待されていたらしいのじゃよ」
今はあまり必要としない情報かも知れないが、とりあえず聞いておこう。
「という事は、その当時、豊富な埋蔵量があると見込まれていたのですね?」
「うむ。ここが稼働していたのは儂が生れるかなり前なのじゃが、イシュマリア城で保管されておる当時の記録には、こう書かれておった。――イシュマリア歴2746年・アムートの月 第43代国王・アスタール王の命によって、オヴェリウスから調査団が派遣され、ガルテナ連峰の魔力調査が大規模に行われた。その結果、広範囲に渡って魔力のみなぎるラウム鉱床の反応があった為、アスタール王からアレサンドラ家に採掘令が下った――とな」
「魔力のみなぎるラウム鉱床の反応ねぇ……しかし、それにしては坑道が浅いように感じるのですが」
これは俺の正直な意見であった。
慎重に進んでいるので時間は結構経っているが、入口からこの大きな空洞までの距離は、恐らく直線で100m程度だろう。
だが、俺はここよりもはるかに長い坑道距離を持つ日本の鉱山を知っているのだ。
それは、あの公害で有名な足尾銅山の事である。
俺の記憶が正しければ、足尾銅山の坑道距離は1200Km以上だったと記憶している。
それを考えると、少しというか、かなり浅いような気がしたのである。
だがとはいうものの、足尾銅山は江戸時代初期から明治時代までの400年採掘され続けてきた鉱山らしいので、勿論、この坑道と単純な比較はできない。が、それを差し引いても、少し浅いように思えたのだ。
ちなみにだが、なぜ俺が足尾銅山の坑道距離を知っているかというと、中学生の頃に学校のイベントで足尾銅山見学に行った事があり、その時案内してくれた人がそう言っていたのを覚えていただけの話である。
まぁそれはさておき、リジャールさんは俺の言葉に頷くと、残念そうに口を開いた。
「お主の言う通りじゃよ。まぁ早い話が、調査結果に反して埋蔵量が少なかったというわけじゃ。そして落胆の声と共に、このガルテナのラウム鉱山は、30年という短い歳月で幕を下ろしたのじゃよ」
「なるほどねぇ、そういう事があったのですか……ン?」
と、その時であった。
【こ、これはリュシアの松明だッ】
ヴァイロンさんの慌てる声が聞こえてきたのである。
俺達は一斉に振り返り、ヴァイロンさんの所に駆け寄った。
カディスさんは、焦げ跡の付いた松明に目を向けると、ヴァイロンさんに確認する。
「ヴァイロン、間違いないのだな?」
「間違いありません。こ、この印が何よりの証拠です」
ヴァイロンさんは震える手で、松明の柄の部分を指さした。
するとそこには、赤く細い布のような物が巻かれていたのである。
カディスさんは険しい表情になり、皆の顔を見回した。
「リュシアの身に何かあったようだッ、先に進むぞッ」
それを合図に、俺達は急ぎ、この場を後にしたのであった。
[Ⅲ]
俺達は奥へと続く通路を抜け、次の空洞へと足を踏み入れた。が、次の瞬間、異様な光景が俺達の視界に飛び込んできたのであった。
先頭を進むカディスさんとネストールさんは、それを見るなり、足を止めた。俺達もそこで立ち止まる。
そして、俺達は暫し呆然と、その場に立ち尽くしたのである。
皆の驚く声が聞こえてくる。
「な、なんだ、この瓦礫の山は……」
「これは、まさか……」
「なんだこりゃ!? 奥で一体何が起きてんだッ?」
「これは魔物達がやったのか……」
「なによ、これ……」
「魔物達は一体、何が目的なの……」
「こ、これは何なのですの!?」
「奥で一体何が……」
「なんでこんな所に……」
「ちょっ、ちょっと、何これ」
俺達の目の前に広がる光景……それはなんと、前方の壁が見えないくらいに天井高くまで蓄積した、掘削で出たであろう岩の山であった。
それが奥の空洞内部に積み上げられているのである。しかも、この空洞の1/3を占めるくらいの物凄い量であった。
それだけではない。まるで海を割るモーゼを思わせるが如く、岩は左右の空間に積み上げられているのである。
だが目の前にある岩は、どうやら、これまで通過した箇所の物ではないようだ。
なぜなら、色が青系じゃなく、やや茶色がかった鉱物だったからである。
さっきリジャールさんが言っていた事を考えると、これらは恐らく、この奥で採取された岩なのだろう。
そして、これらの瓦礫の山は、敵がこの坑道で何をしていたのかの証でもあるのだ。
皆が呆然と立ち尽くす中、俺は次に、奥の空洞へと繋がる通路へ視線を移した。
通路はリジャールさんの言っていたとおり、狭い通路であった。見たところ、縦が2mに横が1.5mくらいだろうか。
それから通路の入り口には、これもリジャールさんが言っていたとおり、鉄製と思われる銀色の扉が取り付けられていた。扉は両開きで、今は両方とも開ききった状態であった。
とりあえず、通路の幅や扉はそんな感じだが、俺はそれらよりも、床に溜まっている紫色の液体の方に目が行ったのである。
そう……なんと通路の床は、毒の沼地と化しているのだ。
紫色に濁った液体からはガスが湧いているのか、とろ火で煮込むカレーのように気泡が出来ては弾け、出来ては弾けを繰り返しており、見ているだけで気分の悪くなる光景となっていた。
おまけに、そのガスが周囲に漂っている所為か、鼻や喉が軽い炎症を起こしたかのように少し痛むのである。確実に、身体に良くない空気であった。
ただ、左手の通路から吹いてくる隙間風があるので、空洞内にガスが充満しないのが、唯一の救いと言えるだろう。
とまぁそんなわけで、最低な光景ではあるが、俺はこれを見た事によって、ようやく、敵の思惑というのが見えてきたのである。
この通路の奥はどんな所か分からないが、1つはっきりしているのは、俺達がこのまま奥に進めば、確実に敵の餌食になるという事だ。
だからその前に、なんとしても問題を片づけなければならないのである。
俺はそこで他の部分にも目を向けた。
見たところ、瓦礫の山と通路以外、今までと何も変わらない空洞のようであった。
それに、魔物もいないようなので、俺は皆に言ったのである。
「とりあえず、突っ立っているのもアレなので、まずはこの空洞内を調べましょう」
歯切れの悪いリジャールさんの声が聞こえてくる。
「う、うむ……そうじゃな。まずは、ここから調べねばなるまい」
その言葉を合図に、俺達は空洞の中心部へと歩き始めた。
と、その時である。
左手にある通路の奥から、か細い女性の声が聞こえてきたのだ。
【そ、そこにいるのは……に、兄さんなの?】
ヴァイロンさんは即座に、声の方向に振り向いた。
「その声は……も、もしかして、リュ、リュシアか? リュシアなのか!? 何処にいるッ」
「兄さん、い、生きてたのね」
その直後、通路の暗闇から、見目麗しい、うら若き女性が現れたのであった。
女性はヴァイロンさんの元に駆け寄り、抱き着き、そして涙を流した。
「リュシアッ、探したぞ。無茶しやがって」
ヴァイロンさんもがっしりとそれを受け止める。
それは涙ぐましい兄妹の再開であった。
「よかったな、ヴァイロン」
カディスさんはそう言って、ヴァイロンさんに微笑んだ。
そして、他の皆も同様に、この2人の再開に安堵の表情を浮かべたのである。
俺はそこで女性に目を向けた。
ヴァイロンさんと同じく、ブロンドの長い髪をした女性で、パッチリとした目と、線の細い顎や鼻が特徴の凄く美しい方であった。
こんな美しい女性が街の中に歩いていたら、野郎どもは皆振り返るに違いない。事実、俺も一瞬、見とれてしまうほどだ。
衣服や装飾に目を向けると、可憐な純白のローブをその身に纏い、額には金色のサークレットを、そして、右手には茶色い杖を持つという格好をしており、また、透き通るような美しい肌をした手や指先には、金のブレスレットと銀の指輪が光り輝いていた。
質素な中にも、美しさや優雅さが垣間見える着こなしであった。
で、何が言いたいかと言うと、つまり、凄く綺麗な女性という事だ。
まぁそれはさておき、2人が涙の再会を果たしたところで、まずリュシアさんが口を開いた。
「兄さん、ごめんなさい。私、兄さんが死んだのかと思って……ついカッとなってしまって」
「いいんだ、リュシア。お前が無事なら、もうそれでいい」
と、ここで、ゾフィさんがリュシアさんに話しかけた。
「ところでリュシア。貴方、よく無事だったわね。怪我とかしなかった?」
「はい、なんとか、切り抜けてこられたので」
続いて、ドーンさんとカロリナさんが会話に入ってきた。
「そうか。でも、よく無事だった。こんな別嬪さんが、あんな化け物の手にかかるなんて事、俺も考えたくなかったからな」
「本当によかったわ。心配してたのよ」
「ありがとうございます、ドーンさんにカロリナさん」
リュシアさんは涙を拭い、2人に微笑んだ。
そして、部外者の俺も、今の会話の流れに乗る事にしたのである。
異世界的ですもんね。乗るしかない、このビッグウェーブに!
「あのぉ、リュシアさん。お初、お目にかかります。私、コータローと言いますが、少し訊きたい事があるので、幾つか質問させてもらっても構いませんか?」
「え? あ、は、はい。何でしょうか?」
リュシアさんは予想外の所から声を掛けられたからか、少し驚いたようだ。が、構わず、俺は質問を続けた。
「リュシアさんは、この坑道内に入ってから、どういうルートでここまで来られたのですか?」
「私、坑道内に入ってからは、兄さんを襲った魔物達を追いかけて真っすぐに進みました。そしたら、向こうの大きな空洞まで行ったところで、魔物が凄い沢山集まってきて……。それで不味いと思って慌てて逃げたの……。でも、松明を途中で失くしてしまって……。だから、そこからは手探りだったので分からないわ」
「という事は、ここまでは相当苦労なされたのですね? 明かり無しは、さぞや辛かったでしょう」
俺の言葉を聞き、リュシアさんは疲れたように肩を落とした。
「ええ、本当に……だから、暗闇の中を手探りで逃げて、何とかあそこに隠れる事が出来たけど、私、もう駄目だと思ったわ。そして、もうすぐ、私も兄さんの元に行くんだって……」
「そうだったのですか。では質問を続けます。この坑道内には死体の魔物しかおりませんでしたが、他の魔物の姿を見ませんでしたか?」
「そういえば、この奥の通路に、剣を持った骸骨のような魔物が入って行くのが見えました」
「魔物の数はどのくらいですか?」
「5匹でした」
「そうですか。では質問を変えましょう。リュシアさんはその通路から魔物の出入りを見ていたわけですが、リュシアさんから見て奥の空洞には、何体くらい魔物がいると思いますかね?」
「そうですね……はっきりとした事は言えませんが、多分、10体から20体はいるんじゃないでしょうか」
「魔物が10から20か……。ここまで姿を見せてない事を考えると、それほど大した数はおらんのかもしれんの。よし、では少ししたら、我等も奥へ向かうとするかの」と、リジャールさん。
カディスさんもそれに頷く。
「ええ、リジャールさん。もう魔物を全て掃討してしまいましょう」
と、そこで、ヴァイロンさんが申し訳なさそうに口を開いた。
「あの……リジャールさん、こんな事を今言うのもアレなのですが、俺達兄妹は一旦、外に出てもいいでしょうか?」
「ん? ああ、そうじゃな。お主達は戻ってくれて構わんぞ。外の者達と共に周辺の警備に当たってくれ」
「ありがとうございます」
だが、俺は大きな声でそれを遮ったのである。
【待ったッ! 貴方がたを帰すわけにはいきません!】
今の声にびっくりしたのか、全員が俺に振り向いた。
ヴァイロンさんが少したどたどしく訊いてくる。
「ど、どうしたんですか、大きな声で急に。それに帰すわけにはいかないって、どういう……」
俺はニコリと笑みを浮かべると言った。
「まだ俺の質問が終わってませんので、それが終わったら帰ってもらって結構です」
ヴァイロンさんはそこでホッと一息吐いた。
「ああ、そういう事ですか。では質問を続けてください」
「それではリュシアさん、質問を続けさせてもらいますが、俺は貴方の話を聞いていて、どうしても腑に落ちない点があるのです」
リュシアさんは首を傾げた。
「腑に落ちない点? 何ですかそれは」
「それは……貴方のその美しい手です」
俺はそこでリュシアさんの手を指差した。
リュシアさんは、恥ずかしそうに自分の手を見る。
「まぁ嫌ですわ……美しい手だなんて。それで、私の手がどうかしたのですか?」
「貴方は先程、暗闇の中を手探りで逃げてきたと仰いましたが、もしそうであるならば、明らかにおかしいのですよ」
「おかしい?」
俺はそこで、空洞の壁際に移動する。
そして壁を手でサッと触れると、リュシアさんにソレを見せたのだ。
「この壁を触れた俺の手を見てもらえばわかると思いますが、この坑道内を手探りで移動したならば、必ず青く手が汚れるんです。しかも手探りで進み続けたのなら、相当汚れたと思いますから、払ったところでそう簡単には落ちない筈ですからね。しかし、貴方の手は汚れの無い、非常に美しい肌をしている。ですから、それについて納得のいく説明をしてもらいたいのですよ」
「そ、それは……」
リュシアさんは青褪めた表情になり、押し黙ってしまった。
痛いところを突かれたからだろう。
10秒、20秒と時間が過ぎてゆく。
このままだと日が暮れそうなので、俺は話を進めた。
「その様子を見る限り、答えられないという事ですね。まぁ確かに、答えてしまうと、今まで話した内容の辻褄が合わなくなりますから、そうなるのも無理はないでしょう。なぜなら貴方は、明るい環境でここまで移動し、そして潜んでいたのですからね」
俺はそこで一旦話すのを止め、リュシアの様子を見た。
リュシアは俯いたままプルプルと震えていた。
反論はないようなので、俺は話を続ける事にした。
「しかし、貴方の話は、それ以外にもおかしな事ばかりでした。今の手の汚れもそうですが、魔物の姿にしろ、魔物の数にしろ、貴方は俺の質問に淀みなく答えていますが、それも良く考えてみると、あり得ない事なんですよ」
ここでアーシャさんが俺に訊いてくる。
「コ、コータローさん。あり得ないって、どういう事なんですの?」
俺はリジャールさんの頭上で輝く、レミーラの明かりを指さすと言った。
「今はレミーラのお蔭で周囲は明るいですが、俺達が来るまで、この空洞は真っ暗だったんです。そんな中で、魔物の姿や数など、わかるわけがありません。つまり、リュシアさんの言っている事は、全て嘘の可能性が高いんです。そして問題は……貴方がなぜ、そんな嘘を吐いたのかという事なんですよ。しかし、恐らく、貴方は俺の問いかけに答えられないでしょう。なぜなら、貴方の役目は……」
と、俺が言いかけた時だった。
ヴァイロンさんが捲し立てるように、話に入ってきたのである。
「ちょっ、ちょっと、待ってくださいよ。さっきから聞いていれば、まるでリュシアが今回の元凶のような言い方じゃないですかッ。いい加減にしてください、コータローさんッ。貴方はリュシアを魔物だとでも疑っているんですか?」
「いや、疑うなんてレベルじゃないですよ。死骸を操っていたのは、貴方達兄妹だと俺は考えています」
俺がそう告げた瞬間、辺りにシンとした静寂が訪れる。
だが程なくして、堰を切ったように、皆の驚く声が聞こえてきたのだ。
「な、骸を操るじゃと!」
「何だってッ」
「どういう事よッ」
「コータローさん、どういう事なんですの!?」
「この魔物達を操っているのは、ヴァイロンさん達兄妹だからですよ。そして、リュシアさんの逆上による暴走は、ヴァイロンさんが俺達に同行する為の大義名分を得る事なんです。ではなぜ、そんな事をしてまで坑道内に入らなければならなかったのか? それは勿論、罠を仕掛けた奥の空洞に俺達を導き、そこで俺達を始末する為です。特にキアリーを使える俺達は邪魔だったでしょうからね」
「罠だって!……ほ、本当かよ、コータローさん」
ドーンさんはそう言って、目を大きく見開いた。
「ええ、九分九厘、罠だと思います。これは今まで得た情報を整理した上での想像ですが、ある程度離れてしまうと、彼等は魔物を十分に操れなくなるのだと思います。ですから、どうしても俺達の近くにいる必要があった。それらを念頭に、今まで見てきた床の足跡や状況証拠を整理すると、彼等のある思惑が見えてくるのです。そして、それをするには奥の空洞が一番適しているんです。いや、奥の空洞でなければならないんですよ」
俺が話終えると、皆の視線がヴァイロンさんとリュシアさんに注がれた。
カディスさんが2人に問いかける。
「ヴァイロン、リュシア……どうなんだ? 反論は無いのか?」
と、そこで、ヴァイロンさんの狼狽する声が聞こえてきた。
「……俺達が死体を操っているだなんて……な、何を証拠に……証拠はあるんですかッ!」
そう……確かに彼等がネクロマンサーという証拠はない。
その為、某奇妙な冒険第3部で使われていた、とある自白手法を俺は用いる事にしたのである。
「ええ、証拠はありますよ。貴方がたは知らないようですから言いますが、死骸を操る魔法使いはレミーラの光を浴びると、耳の下がポッコリと腫れるんです」
「何ッ!?」
「嘘ッ」
2人は慌てて、自分の耳の下に手を当てる。
そして、一通り確認を終えると、2人は安堵の息を吐いたのである。
「なんともないじゃないか」
「私もなんともないわ」
「コータローさん、これで分かっただろう、俺達は死骸なんて……ハッ!?」
ヴァイロンさんは俺が放つ不敵な笑みを見て、自分達がしている事の愚かさに気付いたようだ。
(マヌケは見つかったようだな……)
などと思いつつ、俺はヴァイロン達兄妹を指さし、某警部補風に告げたのであった。
「念の為に言っときますけど、今のは嘘ですから安心してください。でも、貴方達兄妹が正直な方で助かりましたよ。お礼に、この言葉を贈ります。……今回の騒動を企てた黒幕は貴方達ですッ!」
その直後、この空間に重苦しい沈黙が訪れる。
一番先に口を開いたのはリジャールさんであった。
「ヴァイロン、リュシア……お、お前達、まさか」
程なくして、ヴァイロンの噛み殺したような笑い声が聞こえてきた。
「ククククッ……どうやらここまでか」
「そのようね、ヴァイロン兄さん」
「貴方がたは一体何者なんです? もうそろそろ正体を現したらどうですか?」
「何でもお見通しというわけか。いいだろう……この姿にも虫唾が走っていたところだ」
ヴァイロンは懐から、小さな水色の丸い石を取り出して魔力を籠めた。
すると次の瞬間、石から水色の霧が現れて兄妹を包み込んだのである。
霧は次第に、左手の通路から流れる空気の流れによって拭い去られる。
そして霧の中から、なんと、ラミリアンのような姿をした者達が現れたのであった。
だがとはいうものの、ラミリアンとは決定的な違いがあった。それは肌の色である。ヴァイロン達兄妹は、宇○戦艦ヤマトに出てきたガ○ラス星人のように青白い肌をしているのだ。
しかし、変化したのは肌の色と耳だけであった。美男美女というのには何も変更がなかったのが、腹の立つところである。
ヴァイロン達が正体を現した瞬間、リジャールさんとサナちゃん達の驚く声が、この場に響き渡った。
【お、お前達の、その姿はまさか、魔の種族・エンドゥラス!】
【なぜ、エンドゥラスがこの地に!】
【魔の種族が、こんな所で何を】
【まさかこんな所で、こいつ等に会うなんて】
魔の種族・エンドゥラス……初めて聞く種族名であった。
リジャールさんはともかく、サナちゃん達の言動からは因縁みたいなものがあるように聞こえたが、今は置いておこう。
まぁそれはともかく、カディスさん達も同様であった。
「ヴァイロン……貴様」
「お前達……」
「あ、貴方達」
「こんな事って……」
「嘘だろッ! エンドゥラスだったのかよ!」
カディスさん達も苦虫を潰したように顔を歪めていた。
この様子を見る限り、エンドゥラスという種族は、かなり悪名が高いのだろう。
ヴァイロンは俺に視線を向けると、不敵な笑みを浮かべた。
「如何にも、我等はエンドゥラスだ。クククッ……しかし、あと一歩でお前達全員を始末できると思ったが、まさかあんな些細な事で気付かれるとはな……正直、アンタの事を見縊っていたよ」
「ああ、言っときますけど、俺、初めて貴方に会った時から、ずっと怪しいと思ってましたよ。貴方、妙な事を言ってましたからね」
「何? 妙な事だと」
ヴァイロンは眉根を寄せた。
「貴方、こんな事を言ってました。――妹が逆上して、1人で坑道の奥に行ってしまったッ。お願いだッ! リュシアを連れ戻す為に、俺も貴方達に同行させてくれッ――とね。俺、それを聞いて、こう思ったんですよ。おや、この人、妹が坑道の奥に行ってしまったと断言してる。なぜだろう? ってね。あの時点で、行き先が分かるのは、あまりに不自然です。なので、ずっと様子見をしてたんですよ」
「チッ……」
ヴァイロンは舌打ちをすると、俺を睨む。
と、その時である。
奥の通路の方から、ガチャガチャという、金属の触れ合う音が小さく聞こえてきたのだ。
俺はそこで通路に目を向ける。すると、チラッと魔物の姿が見えた。
どうやら奥にいるのは、骸骨やデスジャッカルといったアンデッド系の魔物達のようだ。
というわけで、俺は急いでカディスさんにそれを告げた。
「カディスさんッ、奥の通路から魔物がやってきます。すぐに迎撃態勢に入ってくださいッ。俺の予想では、かなりの数がいると思いますんで、対応お願いしますッ」
「分かったッ! ネストールにドーン、敵は一方向からだ、通路前で迎え撃つぞ。それとゾフィとカロリナは攻撃と補助を頼む」
カディスさんの言葉を聞き、4人は慌ただしく戦闘態勢に入る。
俺は続いて、レイスさん達にも指示をした。
「レイスさんにシェーラさん、通路奥にいる魔物は恐らく、60体はいるかも知れません。ですから、カディスさん達の加勢に回ってください」
「ああ、わかった」
「わかったわ」
「それとアーシャさん、多分、やってくる魔物にはラリホーが効くかも知れません。それで皆の援護をしてください。サナちゃんは、皆の回復をお願いします」
「わかりましたわ」
「わかりました」
俺はそこでレミーラを唱え、リジャールさんに退避するよう指示を出した。
「リジャールさん、とりあえず、俺の背後にある隙間風が吹く通路に避難してください。そこが今は一番安全です」
「うむ。戦闘はお主等に任したぞ」
リジャールさんはそそくさと移動を開始する。
と、そこで、ヴァイロンが俺に話しかけてきた。
「ほう……中々、的確な指示だが、あまりそちらにばかり気を取られていると、痛い目に遭うぞ、フフフ」
するとその直後、俺達がやってきた通路から、腐った死体の集団がお着きになったのである。
腐った死体はゾロゾロと空洞内に入ってきた。
「これは貴方も予想できなかったようね。酷い目に遭うといいわ」
リュシアは自信満々にそう言ったが、これも余裕で想定の範囲内の為、俺は奴等に微笑み返したのであった。
ヴァイロンは気に入らなさそうに口を開く。
「貴様、何がおかしい……」
「気でも触れたのかしら」
つーわけで、俺は言ってやった。
「ああ、ご心配なく。そちらの奴等は既に対処済みだから笑っているのですよ。というわけで、ベギラマ!」
俺は腐った死体達に魔道士の杖を向け、ベギラマを唱えた。
次の瞬間、杖から放たれた火炎が奴等に襲い掛かる。
高笑いするリュシアの声が聞こえてきた。
「アハハハ、貴方1人のベギラマだけでは倒せないわよ……って、エッ!?」
リュシアの笑みは、すぐに凍りついた。
なぜなら、炎が腐った死体に襲いかかるや否や、派手に燃え上がったからだ。
腐った死体達は、一気に紅蓮の炎に包まれ、動きが鈍くなっていったのである。
リュシアとヴァイロンは眉間に皺を寄せ、やや取り乱していた。
【何よこれはッ、何でベギラマ一発でここまで燃え広がるの!】
【馬鹿な! ただのベギラマに、ここまでの威力なんてある筈が……ま、まさか、お前が今まで降りかけていた液体は聖水なんかじゃなく……】
ようやく、ヴァイロンは気付いたようだ。
俺は種を明かすことにした。
「いや、聖水ですよ。ですが、非常によく燃える【油】という聖水です」
【グッ、おのれッ!】
ヴァイロン達兄妹は流石に険しい表情になっていた。
精神的にもかなり効いてるみたいだ。
乗るしかない。このビッグウェーブに!
というわけで、俺は更に追い込むべく、ハッタリかまして奴等をビビらせる事にしたのである。
「さて……次は貴方達の番です。観念してもらいますよ。こんな茶番じみた策を張り巡らせるくらいですから、貴方がたもそれほど大した事はなさそうですからね」
だが俺がそう言うや否や、ヴァイロンは慌てて懐から黒い水晶球を取り出し、床に投げつけたのであった。
するとその直後、水晶球が割れて薄い煙のようなモノが霧散し、空洞内に漂い始めたのである。
俺は直観的に思った。これは濃縮した魔の瘴気だと。
水晶球が割れたところで、ヴァイロンはリュシアに告げた。
【リュシア! 一旦、退くぞッ】
【わかったわ、兄さん!】
そして、次の瞬間!
【リレミトッ】
ヴァイロン達兄妹の身体はオレンジ色の光に包まれて、この場からフッと姿を消したのであった。
そして、俺はそれを見るなり、思わず脳内でこう叫んだのだ。
(リレミトが使えるなんて、聞いてないよぉぉぉ!)と……。
Lv25 無垢なる力の結晶
[Ⅰ]
ヴァイロン達兄妹はリレミトを唱えて脱出してしまった。
これはハッキリ言って想定外の出来事だったので、俺は悔やんだ。が、今更そんな事をいったところで、もうどうしようもない。その為、俺は今しなければならない事へと、無理やり、意識を切り替えた。
奥の空洞へと続く通路入口に視線を向けると、リレミトでヴァイロン達兄妹が脱出したにもかかわらず、大量の魔物が、今も尚、この空洞内へと入って来ようとしていた。
そして、俺とリジャールさんを除いた他の者達は、それらの魔物を倒すべく、今まさに、戦闘をしている真っ最中なのである。
武器を振るう度に発せられる掛け声や、呪文の詠唱が空洞内に響き渡る。
「でやッ」
「ヤァッ」
「ベギラマ」
「ハッ」
「ヒャダルコ」
「バギ」
「ラリホー」
「セイッ」
「ベホイミ」
また、それが聞こえる度に、振るわれた剣や槍に斧が魔物達の身体を引き裂き、そして魔法が襲いかかるのである。
だがしかし、今の戦況はあまり良いとは言えない状況であった。
なぜなら、魔物達を幾ら倒しても、新たな魔物が次々と奥から現れ、休む間もなく、襲い掛かってくるからだ。
流石のカディスさん達も疲れてきたのか、武器を振るう鋭さが鈍くなってきていた。
その所為か、次第に討ち漏らす魔物も少しづつ出始めており、その討ち漏らした魔物は包囲網を抜けて、空洞内へと入ってきているのである。
それらの魔物は全て骸骨であったが、次第に数も増え、既に6体となっていた。
しかも不味い事に、後方支援しているアーシャさんやサナちゃんの所に、そいつ等が迫っていたのである。
(チッ、嫌な所に出てきやがった……流石に数が多いから、リジャールさんにも少し手伝ってもらうか……)
「リジャールさん、レミーラ以外の魔法って何が使えますか?」
「儂が使えるのはメラとギラとイオと、それからマヌーサとマホトーンに、ピオリムとホイミとスカラじゃな。まぁこんだけじゃ。ヴァルのように強力な魔法は使えぬから、期待はするなよ」
「それだけ使えれば十分です。ではまず、ピオリムをお願いします」
「わかった。ピオリム」
その直後、俺達の周囲に緑色の霧が纏わりついてくる。
俺はそこで、魔力を両手に分散させ、スカラを自分とリジャールさんに掛けた。
「スカラ」
俺達の周りに今度は青い霧が纏わりつく。
「ほう……お主、魔力分散が出来るという事は、相当、ヴァルに仕込まれておるの」
「そうっスか。まぁそれはともかく、今から俺は彼女達に加勢をしますんで、援護をお願いします」
「うむ、わかった」
と、その時であった。
骸骨達がアーシャさんやサナちゃんに視線を向け、移動を開始したのである。
それに気付いたアーシャさんとサナちゃんは、険しい表情で後退った。
(どうやら、2人にロックオンしたみたいだ……早くなんとかしないと……)
俺は咄嗟にベギラマを使おうと魔道士の杖を前に向けた。が、ここで頭の痛い事が出てきたのである。
それは、魔物達の位置であった。都合の悪い事に骸骨達は、俺と彼女達との間を妙にバラけながら移動しているので、ベギラマを放っても精々2体くらいにしか効果が見込めないのだ。つまり、ゲームでいう3グループに分かれているのである。
それもあり、俺は一瞬イオラを使おうかとも思ったが、落盤の危険があるので流石に思いとどまった。
(何かいい方法はないか……ア!?)
と、そこで、俺はある事を思い出した。
それは、俺がベルナ峡谷で魔物と実戦訓練していた時に使っていた、雑魚掃討用の剣技の事であった。
しかしその技には1つ難点があって、周囲に味方がいると同士討ちになる危険性があるのである。
俺は悩んだ。が、今はお誂え向きにも骸骨の周囲に味方はいない状況である。
その為、俺はその剣技を使う事に決め、「ではリジャールさん、援護をお願いしますッ」と、一言告げた後、魔道士の杖を放り、急いで駆け出したのであった。
ピオリムでスピードの増した俺は、全力疾走で前方にいる骸骨達を追い抜くと、素早く奴等の進行方向に回り込む。
そして、骸骨達に間合いを詰めながら、腰に備えた魔光の剣を手に取った。
俺はこいつ等を一撃で葬る為に、やや強めに魔力を籠めて光の刃を出現させると、まず先頭の骸骨からそれを見舞った。
右手の魔光の剣を骸骨の脳天に真っ直ぐ振り降ろして両断すると、その勢いを利用して、身体をコマのようにクルリと回転させながら、前方へと移動する。そこで後ろ手に魔光の剣を持ち替え、且つ、剣自体も回転させながら、迫り来る骸骨共を切り刻んだのだ。
不規則な弧を描きながら容赦なく襲いかかる光の刃は、骸骨の頭や胴や手足を次々と切断してゆく。
そして6体目の骸骨を斬って捨てたところで、俺は光の刃を仕舞い、彼女達の元へと急いで駆け寄ったのであった。
そんなわけで今の剣技だが、実はこれ、映画・スターウ○ーズ・エピソード3のラストバトルで、ア○キン・スカイウォーカーが使ってた剣舞を参考にした技だ。
舞うように斬りつけるので結構優雅な技だが、俺の中では雑魚掃討用という位置づけになっている。なので、強大な敵が出てきた場合は、あまり使う事はなさそうな剣技の1つであった。
しかも今の未熟な俺では、敵味方関係なく斬りつける可能性がある為、使用場所が非常に難しい技でもあるのだ。
俺がベルナ峡谷で戦闘訓練をしていた時は1人だったので、周囲を気にする必要はなかったが、流石に仲間がいる状況では使用を控えざるを得ないという、禁断の剣技なのである。
おまけに雑魚掃討用とはいえ、魔物によっては魔力消費も凄い。
今のでもベギラマ3発分くらいの魔力を籠めたと思うので、魔力消費を考えると、そうそう乱用できる技でもないのだ。
ちなみにこの剣技、一応、仮の名を『ジェダイ風・さみだれ剣』と俺は勝手に名付けている。
勿論、ダサいネーミングなのは重々承知してるが、如何せん、この名前しか思いつかなかったのだ。
もう少し腕が上達したら、ちゃんとした正式名称を付けようとは思っているが、いつになるかは今のところ未定である。
というわけで話を戻そう。
俺が駆けよると、2人は安堵の息を吐いた。
「流石ですわ、コータローさん。助かりました」
「ありがとうございます、コータローさん」
アーシャさんはそこで、魔光の剣に視線を向ける。
「それにしても……この間もそうでしたが、その光の剣て凄い切れ味ですわね。どういう魔導器なのか興味がありますわ」
アーシャさんは、興味津々といった感じであった。
「まぁ確かに強力なんですが、その分、燃費は悪いんですよ……って!?」
と、その時である。
なんと、サナちゃんの横に、首の無い骸骨が突然現れ、剣を振り上げたのだ。
勿論、サナちゃんは骸骨に気付いていなかった。
(先程の攻撃で仕留めきれなかった奴に違いない……)
俺は慌てて、サナちゃんを左手で抱き寄せた。
「キャッ!」
サナちゃんはビックリしてたが、今はそんな事を言ってる場合じゃない。
俺はそこで魔光の剣をもう一度発動させ、止めの逆袈裟斬りを骸骨に放った。
その刹那、光の刃が斜めに一閃し、骸骨の胴体は崩れ落ちる。
そして、骸骨が動かないのを確認したところで、俺はホッと一息吐いたのである。
「ふぅ……危なかった。まだ動けたとはね……俺も油断してたよ。怪我はないかい、サナちゃん?」
俺はそう言って、サナちゃんに視線を向けた。
するとサナちゃんは、頬を赤く染めながら俺を見上げていた。
「あ、ありがとうございます……コータローさん。また、助けてもらいました……」
「いいよ。気にしない、気にしない」
俺はサナちゃんの頭を優しく撫でた。
と、そこで、リジャールさんがこちらにやって来た。
「コータロー……お主、中々やるのぅ。儂が援護するまでもなかったわい。しかし、コータローのその武器、もしや……って、今はこんな事言っとる場合じゃない! まずは魔物じゃ!」
リジャールさんは慌てて、通路入口で戦闘をしているカディスさん達に視線を向けた。
「ええ、話は後ですッ。今は魔法で皆を援護しないと。じゃあ行くよ、アーシャさんにサナちゃん」
「は、はい」
「ですわね」
というわけで俺達は急ぎ、カディスさん達に加勢したのである――
それから約30分後……俺達はようやく、魔物との戦闘を終わらせる事ができた。
大きな怪我を負う者はいなかったが、通路の奥から怒涛の如く押し寄せる魔物に、皆もうヘトヘトといった感じであり、余裕のある表情を浮かべる者などは皆無であった。
特に最前線で魔物達と激闘を繰り広げていたカディスさんやネストールさんにドーンさん、そしてレイスさんにシェーラさんは相当草臥れたようで、5人は今、周囲に転がる瓦礫の上に腰かけながらゼーゼーと肩で息をしているところであった。
まぁこうなるのも無理はないだろう。なぜなら、俺が思っていたとおり、奥から現れた魔物は凄い数だったからである。
腐った死体が20体はいたので、十字路に待機させる残りの魔物は、その3倍の戦力が必要だと俺は見積もっていた。が、実際はそれ以上の数だったのだ。
魔物自体は骸骨やデスジャッカルのような比較的弱いアンデッドモンスターであったが、数にして70体~80体はいたのである。
幾ら雑魚とはいえ、流石にこれだけの数を連続でとなると、非常に厳しいものがあった。
おまけに1つの方向からでもこれなのだから、もし何も知らないまま奥の空洞まで進んでいたならば……と考えると、背筋に寒いモノが走るのであった。
そして俺はつくづく思ったのである。奴等の思惑を早めに気付けて良かった、と……。
戦闘を終えた俺達は、疲労を回復する為、暫し休憩をする事になった。
俺もクタクタだったので、付近にある大きな瓦礫の1つに腰かけ、暫し休むことにした。
(ふぅ……疲れた……雑魚とはいえ、連チャンはキツイわ……)
などと考えていると、リジャールさんがそこで、俺に話しかけてきた。
「コータローよ。それにしてもお主、よくあの兄妹の事を見破ったの。儂は完全に信じてしまってたわい」
「本当よ。私も全然気づかなかったわ。おまけに、あの死体に前もって油をかけてたなんて……コータローさんやるじゃない」とゾフィさん。
「ああ、全くだ。コータローさんが気付かなかったら、俺達ヤバかったよな。それに、あのまま奥の空洞に進んでいたら、多分、無事じゃすまなかったぜ」
ドーンさんはそう言って、奥の空洞へとつながる通路に視線を向けた。
「まぁ運よく気付けただけですよ。でも、ドーンさんの言うとおり、このまま進んでいたらかなりヤバかったでしょうね。奴等は恐らく、俺達を十字路になった奥の空洞へ誘い込んだ後、四方の通路に待機させてある魔物を使って始末する計画だったんだと思います。そしてしくじった場合は、通路入口の扉を閉じる事によって左側の通路から吹く外気を遮断し、俺達を中毒死させるつもりだったんでしょう。毒の沼から発せられるガスを利用してね」
リジャールさんは、唸りながら腕を組む。
「むぅ……そういう事か。確かにそれじゃったならば、お主が言っていたように、奥の空洞でなければならぬの。そうか、二重の罠を張っておったのか……」
「でも、今のはあくまでも俺の想像ですので、本当のところはどうかわかりません。ですが、魔物を操れる距離に限界があると考えると、ヴァイロン達の回りくどい行動も全て納得ができるんですよ。彼等も出来る範囲の事で、これらの計画を立てたと思いますからね」
「ふむ、確かにの。となると、あの毒を吐く死体の魔物は、儂等を坑道に近づけぬようにする為のものじゃったのじゃな。毒を撒き散らす魔物は脅威じゃからのぅ」
「恐らく、そうでしょう。毒消し草は少々高価な上に、キアリーの使い手も少ないですからな。毒を持つ魔物というだけで、我々冒険者ですらも嫌な気分になりますよ」と、カディスさん。
「全くだぜ。体が丈夫な俺も、毒だけはどうにもなんねぇからな」
と、そこで、アーシャさんが俺に訊いてくる。
「コータローさん。そういえば、あの兄妹達はどこに行きましたの?」
「それなんですけど、あの兄妹はリレミトとかいう呪文を唱えて、この坑道内から消えたんです。多分、古の転移魔法の一種だと思うんですが……つまり逃げられたという事でして……すいません、俺も油断してました」
リレミトについては、知らないふりをしておいた。
なぜなら、ヴァロムさんから魔法の種類について教えてもらっていた時、リレミトなんて魔法は出てこなかったからである。
「そういえばエンドゥラスは、古の魔法を2つ3つ使えると聞いた事があります。という事は、リレミトもその類の魔法かも知れませんね」と、サナちゃん。
リジャールさんは頷く。
「うむ、多分そうじゃろう。それとリレミトじゃが……恐らく、建物や洞窟内に立ち入った際、一気に外の入口へと脱出する魔法かもしれぬな」
「え? 知っているんですか?」
意外な言葉が出てきたので、俺は思わず訊き返した。
「いや、知っておるというほどのモノではないわい。儂はその昔、古代の文献で、その記述を見た事があるというだけじゃ。じゃが、これが正しいならば、奴等はもう坑道の外じゃろうな」
リジャールさんの言ってる事はゲームなら正解である。
しかし、この世界でも同じかどうかわからないので、今のところは保留にしておいた方がよさそうだ。
と、そこで、今まで静かにしていたカロリナさんが口を開いた。
「でも変じゃない? ……あの兄妹が魔物を操っていたのは間違いなさそうだけど、いなくなった後も魔物達は動いていたわ。どういう事なのかしら……」
ゾフィさんもそれに同調する。
「確かに、カロリナの言うとおりよね。コータローさんはどう思う? 貴方の意見を聞きたいわ」
「それについては、多分、退却間際にヴァイロンが床に投げつけた黒い水晶球が原因だと思います。事実、アレが割れた瞬間、この空洞内に禍々しい魔の瘴気が漂いだしたのを俺も感じましたからね。そのお蔭もあって、魔物達は水を得た魚のように動けたんだと思います」
リジャールさんは頷く。
「うむ、多分そうじゃろう。儂もその瞬間を見ていたのでな。じゃが今にして思えば、あれは儂等をここに足止めして逃走時間を稼ぐ為のものだったのじゃろう。出来るだけ遠くに逃げる為にの……」
「ええ、俺もそう思います。ですが、もしそうならば、今の内に入口の警備強化をしておいた方がいいかもしれませんね。また魔物を率いて、ここにやってくる可能性がありますから」
「確かにそうじゃな」
リジャールさんはそこで、カディスさんに視線を向けた。
「カディスよ、お主達5名も入口の警備に当たってくれぬだろうか? 外にいる者達では心もとないのでな」
「護衛は、コータローさん達がされるのですね?」
「うむ、もう坑道内に魔物はおらぬか、いても少しじゃろうからの」
「わかりました。ではネストールにドーンにゾフィにカロリナ、我々も入口へ向かうぞ」――
[Ⅱ]
カディスさん達が去ったところで、俺はずっと思っていた疑問を切り出すことにした。
「リジャールさん。少し訊きたい事があるのですが、今、良いでしょうか?」
「なんじゃ、言ってみよ」
「では単刀直入に訊かせてもらいますが、リジャールさんは魔物達がこの坑道の中で何をしているか、もしかすると、薄々気付いていたのではないですか?」
リジャールさんはそれを聞いた途端、目を閉じて無言になった。
それから暫しの沈黙の後、静かに口を開いたのである。
「気付いておったか……いや、妙に鋭いお主の事じゃから、この坑道に入った時点でわかっていたのじゃろう。あの時、魔物と一番最初に遭遇したのは儂じゃないかと、訊いてきたくらいじゃしな」
「ええ……実は昨日、依頼を聞いた時に、少し引っ掛かっていたんです。リジャールさんはあの時、魔物退治ではなく、坑道調査の護衛をお願いしたいと言ってましたのでね。それに加え、俺達が案内されたあの部屋には沢山の鉱石などが置かれていた事と、この坑道に来るまでの森の道は人が頻繁に行き来きするような道ではない事、そして通路床の足跡について訊ねた時、リジャールさん自身が村人の出入りはないと言っていたので、この坑道に用がある人となると、消去法でリジャールさんくらいしか思い浮かばなかったんですよ。おまけに魔物達は村の中ではなく、坑道内に棲みついたとリジャールさんも言ってましたしね。だからそういう結論に達したんです」
「なんじゃ、その時からか」
今の話を聞くなり、リジャールさんはキョトンとした表情になった。
すると、次の瞬間、豪快に笑いだしたのである。
「カッカッカッ、まったく、お主はという男は目ざとい奴じゃのぅ。いや、冷静に物事を良く見ていると言うべきか。まぁええわい。それはともかく、先程の質問じゃが、お主の推察通りじゃ」
「やはりそうでしたか」
リジャールさんは頷くと続ける。
「実は今から10日ほど前、一度だけ、儂とカディス達は坑道内に足を踏み入れたのじゃが、その時、坑道の奥から岩を削るような音が聞こえてきたのでな、もしやと思ってたんじゃよ。まぁでもその時は、魔物が吐く毒の息に当てられて酷い目に遭ったもんじゃから、すぐに退却したがの」
事情は大体分かったが、まだ1つ引っ掛かっている事がある為、俺はそれを訊ねる事にした。
「ではもう1つ訊きますが、リジャールさんはヴァイロン達兄妹の目的が何なのかを知っているのですね?」
だがリジャールさんは頭を振る。
「さぁの……そればかりはわからぬ。じゃが、儂と同じモノを探していた可能性は十分にあるじゃろうな……」
と言うと、リジャールさんは少し目尻を下げ、悲しげな表情を浮かべたのであった。
どうやら、この表情を見る限り、何か色々と複雑な事情があるようだ。
「あの……差支えなければ、聞かせてもらえないでしょうか?」
俺の言葉を聞き、リジャールさんは探るような眼で俺達を見てゆく。
程なくして、リジャールさんはゆっくりと首を縦に振った。
「わかった……話そう。じゃが、他言は無用じゃぞ」
俺達はそこで顔を見合わせると、互いに頷く。
皆を代表し、俺が返事をした。
「他言はしません。皆、口は堅いので安心してください」
「うむ。では話そう……」
そしてリジャールさんは目を閉じ、静かに話し始めたのであった。
「モルドの谷を抜け、バルドア大平原を王都方面に向かって進んで行くと、ルーヴェラという大きな街があるのじゃが、そこに儂の嘗ての弟子であるフレイという名の男が住んでおった。フレイとは30ばかり歳が離れておったが、非常に優秀な弟子でな、錬成の腕前は師である儂に勝るとも劣らずといったところじゃ。まぁそれもあってか、儂等は師弟というよりも友人といった方がしっくりくる関係でもあった。で、そのフレイにじゃな、儂はヘネスの月の中頃、ルーヴェラとガルテナ間を行き来するドラキー便で書簡を送ったのじゃよ。内容は、儂等が長年探し求めている『無垢なる力の結晶』についての事じゃ。じゃがの……それから10日ばかり経った頃じゃった。フレイは何者かに殺されてしまったのじゃよ。しかも、自分の家での」
「殺された……」
なにやらキナ臭い殺人事件だが、今はとりあえず、リジャールさんの話を聞こう。
リジャールさんは頷くと続ける。
「ああ、殺されたのじゃ。で、話を戻すが、当時、儂はそれを人づてに聞いたもんじゃから、急いでルーヴェラへと向かった。勿論、事の真偽を確かめる為にの。……じゃが、結果は噂の通りであった。儂がルーヴェラを訪れた時には、もう既に葬儀も終わっており、フレイは墓の中だったのじゃよ。……儂は墓前で友人の死を悲しんだ。こんな老いぼれよりも先に逝ってしまいよって……とな。じゃがの、そこで少し引っ掛かるところがあったのじゃ」
「引っ掛かる事?」
「うむ。それはの、フレイが殺される理由が分からなかったのじゃよ。フレイは恨みを買うような男ではなく、人の良い男じゃったからの。じゃから、儂はその理由が知りたかった為、近所の者達に色々と事情を訊いて回り、それから殺害現場であるフレイの家の中を少し調べる事にしたのじゃ。儂はフレイの部屋を念入りに調べた。じゃが、手がかりになるような物などは何も出てこなかった。そして、もうそろそろ引き上げようかと思った、丁度その時じゃった。机の上に無造作に置かれた封筒が儂の目に飛び込んできたのじゃ。ちなみにそれは、以前、儂がフレイに宛てて送った書簡の封筒であった。儂はそれを手に取って確かめたが、中は空っぽであった。じゃが、アレはあまり人目に触れさせるのは不味いので、儂は慌てて書簡を探したのじゃ。しかし……幾ら探せども、儂がしたためた書簡は見つからなかった。その為、儂は諦め、とりあえず、ルーヴェラを後にしたのじゃよ。そして……それから10日くらい経ったある日の事……儂が村の者1人を連れて坑道にやって来た時じゃった。そこで儂は、あの死体の魔物と初めて遭遇したのじゃ。そこから後はもう、お主も知っている通りの展開じゃ……」
リジャールさんはそう言って、大きな溜め息を吐いた。
「そうだったのですか。つまりリジャールさんは、以前、坑道に踏み込んだ時に聞こえてきた掘削の音を聞いて、したためた書簡の内容が漏れたのでは……と考えたわけですね?」
「ああ、その通りじゃ。でなければ、この採りつくしたラウム鉱採掘跡に、わざわざ採掘しに来るなんて事はないからの」
「確かにそうですね……。ちなみにですが、送った書簡には具体的にどんな事を書かれたのですか?」
「掘削の資金が出来た事や、掘って行くルート、それと大まかな計画じゃ」
これで事情は飲み込めたが、俺は気になった事が幾つかあった為、それを訊ねる事にした。
「リジャールさん、先程、無垢なる力の結晶という言葉が出てきましたが、それは一体何なのですか?」
「無垢なる力の結晶……これはな、儂等、錬成技師の間では幻の錬成素材と呼ばれているモノじゃ。イシュマリア誕生以降、未だ嘗て誰もそれを見た者はいないと云われておる」
「幻の錬成素材という事は、恐ろしく貴重な上に、採取が極めて難しい素材なんでしょうね」
「うむ、その通りじゃ」
初めて聞く名前であった。が、ここで、ラーのオッサンが言っていたヴァナドリアムという単語が俺の脳裏に過ぎる。
しかし、今はリジャールさんの話を聞くのが先決なので、とりあえず置いておく事にした。
リジャールさんは続ける。
「儂は若い頃、ラミナスのコムンスールにて魔法錬成の技法を学びに行っていた事があるのじゃが、そこで儂は『賢者の石』を作り上げたという、古の賢者エリュシアンが書き記した古代文献を目にする事があったのじゃ。それにはこう書かれておった――無垢なる力の結晶を見つけし者は、大いなる力を得ることが出来よう。しかし、手にしようとする者は心得るがよい。初めて手を触れる者の魂が邪悪なる存在だったならば、邪悪なる力の結晶へと変わり、初めて手を触れる者の魂が善良なる存在だったならば、善良なる力の結晶へと変わるであろう。無垢なる力は初めて手にする者が、その運命を決める――とな。まぁ儂も実際に見たわけではないので、どういうものなのかは流石にわからぬが、要は、初めて手に触れた者次第でどうにでも変わる力の結晶という事なのじゃろう」
と、そこで、サナちゃんの驚く声が聞こえてきた。
「リ、リジャールさんはコムンスールで学んでおられたのですか?」
「サナちゃん、コムンスールって、何?」
「コムンスールは、ラミナス最高の魔法技術研究機関の事です。相当優秀な者でないと、その門を潜れないとも言われておりますから、リジャールさんは凄い方なんだと思います」
「まぁ儂の場合はラミナスの者達とは少し事情が違うわい。イシュマリア王の命令で、学びに行っていた身分じゃからな」
リジャールさんはこう言っているが、エリートばかりの研究機関に派遣されるという事は、相当優秀な筈だ。ボンクラをそんな所に行かせるわけないだろうし……。
まぁそれはさておき、俺は質問を続けた。
「話を戻しますが、リジャールさんは、その無垢なる力の結晶とやらを見つけたのですか?」
リジャールさんは頭を振る。
「いや、見つけたわけではない。じゃがの、そうではないかと、儂は見ておるんじゃよ」
「という事は、何か根拠があるんですね」
「うむ。儂とフレイは今から20年前、魔鉱石についてイシュマリア城で調べていた時に、ある事実に気が付いたのじゃよ。それは賢者エリュシアンが無垢なる力の結晶を探し当てた時の状況と、このガルテナの状況が酷似しておるという事じゃ。それからというもの、儂等は、このガルテナのラウム鉱採掘跡について色々と細かく調べ始めた。じゃが、年月が経つにつれ、古い文献や僅かな期間の現地調査で得られる情報では、もう限界が来ておったのじゃ。その為、儂は今から15年前、年齢を理由にイシュマリア城直属の魔法銀錬成技師の職を辞すると、こちらに移り住み、フレイはその3年後にルーヴェラへと移り住むことによって、儂等は本格的な現地調査を開始したのじゃよ」
今の話で少し引っ掛かった部分があったので、俺は訊ねた。
「フレイさんは何故、ここには住まなかったのですか?」
「それは決まっておろう。儂等は秘密裏に事を進めていたからじゃよ。王家に仕えていた錬成技師である儂等が、こんなガルテナの山奥に揃って住んでおるのは流石に怪しまれるからの。特にガルテナは、儂が移住してきた時ですらも、驚く者がおったくらいじゃ。だから、その辺の配慮はせねばならんかったのじゃよ」
「ああ、そういう事ですか、なるほど」
確かにそういった事情ならば仕方ないだろう。
リジャールさんは続ける。
「まぁそういうわけで、儂等はこうして調査を開始したわけじゃが、地道に進めてきた事もあり、調査には年月が掛かった。しかし……今から遡る事約1年前、儂等はようやくその決め手となる、ある事実を発見したのじゃ。じゃが、ここで大きな問題が出てきた」
「大きな問題?」
するとリジャールさんはコメカミをポリポリかきながら、恥ずかしそうに話し始めたのである。
「それが実はのぅ……掘削する為の資金が足りなかったんじゃよ。いや、ある程度は蓄えもあったんじゃが、調査の時間が予想以上に掛かったので、そこまでの資金はもう無かったんじゃ。資金援助を有力貴族に願い出ようかとも思ったが、胡散臭い話には誰も飛びつかん上に、あまりこの事を口外したくないという裏事情もあった。その為、儂等は途方に暮れていたのじゃ。……だが、そんな時じゃった。古い親友が儂の元に現れたのはの……。そして、その男は、ある魔道具を製作するのと引き換えに、その資金を作ってくれたのじゃ」
リジャールさんはそう言って、僅かに微笑みながら俺の顔を見た。
この表情を見る限り、その男とは多分、ヴァロムさんの事だろう。
つまり、遠巻きながら、この一連の騒動にヴァロムさんも関係しているのだ。
というか、更に突き詰めると、俺も関係しているのかもしれないが……。
ま、まぁそれはともかく、話を進めよう。
「では、掘削する為の資金の目途が立ったのですね」
「うむ。じゃから儂は、それを一刻も早く知らせる為に書簡をフレイに送ったのじゃよ」
「そうですか」
色々と複雑な事情があるのは分かったが、まだ知りたい事があるので、俺は質問を続けることにした。
「リジャールさん、殺害現場がフレイさんの家と先程仰いましたが、フレイさんは家のどこで、どのように殺されたのですか? それと遺体を一番最初に発見したのは誰かわかりますかね?」
「近所の者の話じゃと、フレイは錬成作業をする部屋の床で、大の字になって死んでおったらしい。儂も部屋を確認したが、床に血の跡が残っておったから、まず間違いないじゃろう。しかも、ナイフで心臓を一突きだったそうじゃ。恐らく、即死だったに違いない。その上、傷もそれ以外無かったそうじゃから、相当な手練れの者に一撃で殺されたのではないかと言われておる。それと最初に発見したのは、確か、イシュラナ神殿の神官じゃと聞いた気がするの」
発見は作業部屋で、心臓を一突きに、発見者はイシュラナの神官か……。
いや、考えるのは後にしよう。今は質問が先だ。
「そうですか、なるほど。では続けますが、その部屋は1階ですか? それと部屋に窓や入り口は幾つありましたか?」
「部屋は1階じゃ。というか、フレイの家は平屋じゃから2階は無い。それと入口は1つだけで窓は無いの。日の光は錬成作業の邪魔じゃからな」
「では、その部屋の大きさはどのくらいでしょうか? それと部屋の様相はどんな感じでしたか?」
「部屋の大きさは、昨日、お主と話したあの部屋くらいのもんじゃ。それと部屋の様相は、中央に錬成用の壺と錬成陣があり、周囲の壁に棚や机が幾つかある程度じゃから、それほどゴチャゴチャしてはおらぬの。至ってすっきりした作業部屋じゃな」
「そうですか。ちなみに殺された部屋は1階のどの辺りですか? 奥の方ですか、それとも玄関のすぐ近くですか?」
「奥の方じゃな」
「では話を戻しますが、殺されたという部屋……いや、家の中も含めてですが、争った形跡や何かを物色した形跡とかはありましたか?」
「ふむ……争った跡などは無かったような気がするの。フレイは几帳面じゃったから、家の中も綺麗じゃったわい。それに、近隣の住民も、そんな様子はなかったと言っておったしの。で、それがどうかしたのかの?」
「そうですか。ちょっと待ってくださいね。少し頭の中を整理します」
この質問をしたのには勿論、理由があるが、これは犯人を捕まえようなどと思ってした質問ではない。
ルーヴェラは王都に向かう際に通る場所なので、極力面倒は避けたいから訊いたのである。
俺は整理がついたところで、現時点での見解を述べておいた。
「リジャールさん、これはあくまでも俺の想像ですが、フレイさんを殺したのは、フレイさんとかなり親しい人物の可能性があります。そこでお聞きしたいのですが、ルーヴェラでフレイさんと懇意にしていたのは誰かわかりますかね?」
するとリジャールさんは慌てて俺に訊き返してきた。
「ちょっ、ちょっと待て……なぜそう思うんじゃ?」
「簡単に言うと、ナイフで心臓を一突きという死に方ですかね。普通、武器を持った者を見た場合、被害を受けるかもしれない者は、程度の差はあれ、多少身を守ろうとします。なので、射程の長い剣や槍や弓といった得物ならいざ知らず、ナイフのような間合いの短い得物で心臓を一突きというのは至難の技だと思うんです。ですが、気心を許せるほどの友人や知人ならば話は別です。かなり接近できると思いますから、意表をついてナイフ一突きで殺害するのは、それほどナイフを扱う腕がなくても難しくはないと思うんですよ。しかも、殺されたのは家の奥にある錬成作業をする部屋ですから、赤の他人をそんな大事な部屋に招くとも思えませんし、もしそんな者が無断で入ってきたならば、多少の小競り合いが起きて部屋の中に何らかの痕跡が残ったと思いますしね。おまけに窓もないですから、外からナイフを投げたなんて事も無さそうです。それだけじゃありません。リジャールさんの送った封筒の中身が無くなっていたというのも引っ掛かるんです。もしかするとフレイさんは、ガルテナで行なっているリジャールさんとの調査や、その書簡について、気心のしれる親しい人物にそれとなく話したのかもしれません。そうなると、フレイさんを殺害した何者かは、書簡を手に入れるのが目的だったという事になります。いや、寧ろそう考えた方が、これら一連の出来事の辻褄が合うような気がするんですよ。そしてここが重要なんですが、これが真相ならば必然的に……フレイさんを殺した者は、魔物達と密接な関係があるという事にもなるんです。まぁとはいっても、古代の魔法を使い、透明になって襲いかかったという可能性や先程のヴァイロン達のように変装してフレイさんに近づいた可能性も勿論あるので、今言ったのはあくまでも1つの可能性として考え……え?」
俺はそこで言葉を切った。
なぜなら、皆ポカーンと口を開け、呆けた表情で俺を見ていたからだ。
アーシャさんは口元をヒクつかせながら、言葉を発した。
「コ、コータローさん。よくそこまで色んな事を考えられますわね。感心しますわ」
他の4人も同様であった。
「凄いわね……あの話で、ここまで物事を深読みする人、初めて見たわ……」
「ああ、俺もだ。いや、ある意味、ここまで考えられるから、ヴァイロン達を見破ったともいえるが」
「コータローさん、凄いです……」
「お主、たったあれだけの情報で、よくそこまで考えられるの」
皆の目は、まるで珍獣でも見るかのような感じだったので、俺は少し居心地が悪くなった。
ちょっと喋りすぎたか……。
しかし、頭が冴えるので、色々と考えてしまうのである。
多分これは、賢者のローブを着ている恩恵なのかもしれない。賢さが上がるというやつなのだろう。
考えてみれば、賢者のローブを装備してからというもの、頭が冴えた調子いい時の状態が持続してるような感じなのだ。
もしかすると俺は、このローブを着る事によって、凄い恩恵を知らず知らずの内に受けているかも知れない。
まぁそれはさておき、俺はオホンと咳をいれて仕切り直すと、質問を再開した。
「ええっと、では話を戻しますが、ルーヴェラでフレイさんと懇意にしていた方ですけど、誰か心当たりありませんかね?」
「フレイが特に親しくしていたとなると、ルーヴェラの有力貴族であるゴルティア卿と直近の配下の者達、そしてルーヴェラにあるイシュラナ神殿のゼマ神官長と直近の神官達、それとあとは近隣の住民じゃろうか……多分、そのくらいじゃろう」
「そうですか……」
ゴルティア卿にゼマ神官長か……。
とりあえず、厄介事に関わらない様にする為にも、それら有力者の名前は覚えておいた方が良さそうだ。が、今やるべきことはそれではない。
「さて、リジャールさん。これからどうしますかね? この奥に進みますか?」
「うむ、そのつもりじゃが、お主等はいいのかの? 毒の上を歩くことになるが」
というわけで、他の3人に訊いてみる事にした。
「アーシャさんとサナちゃん達はどうしますか? 俺はリジャールさんと共に行きますが」
「私は行きますわよ。毒の沼は回復さえすれば大丈夫だと聞きますからね」と、アーシャさん。
「サナちゃん達は?」
「私達も行きます」
一応、みんな来てくれるみたいだ。が、そうなると1つ問題が出てくる。
「でも、誰かここに残っていないと、不味いんですよね。またあいつ等がやって来て、この通路の扉を閉める可能性があるので。そうなったら最後、ガス中毒で俺達はあの世行きですからね」
と、そこで、レイスさんが口を開いた。
「では、私とシェーラがここに残ろう」
「え? でも、それじゃ、サナちゃんは?」
「それについてはコータローさんにお任せする。貴方なら信頼できるからな」
「確かに、コータローさんがいれば滅多な事にはならない気がするわ」
(おいおい……信頼されているのかどうかわからないが、いいのかそれで……。アンタら、姫様の護衛だろ)
などと考えていると、サナちゃんが俺にニコリと微笑んだ。
「コータローさん。サナの事、宜しくお願いしますね」
「まぁ……サナちゃんがそれでいいなら。でも、そうなると明かりが無くなるんですよね。レイスさんは松明とか持ってますか?」
「いや、持っていない」
「私も持ってないわ」
多分、そうだろうと思ったので、俺は腰にぶら下げたグローを手に取ると、メラを種火に明かりを灯し、レイスさんに差し出したのである。
「ではレイスさん、このグローという照明器具を使ってください。それと、腐った死体を火葬するのに使ったのであと少ししかありませんが、灯り油もここに置いておきますね」
「すまない、コータローさん」
レイスさんがグローと灯り油を受け取ったところで、俺はリジャールさんに言った。
「では、そろそろ行きましょうか」
「うむ。行くとするかの」
そして俺達は、レイスさんとシェーラさんをここに残し、奥へと進み始めたのである。
[Ⅲ]
俺達は奥へと続く狭い通路を慎重に進んでゆく。するとその先は、毒々しい紫色の液体で埋め尽くされる空洞となっていた。
得体の知れない場所な為、俺達はそこで一旦立ち止まり、周囲の確認をすることにした。
10秒、20秒、と俺達はジッと耳を澄ましながら辺りを窺う。
しかし、空洞内は不気味なほど静かであり、何かが動くような物音などは聞こえてこない。
この様子を見る限り、どうやらここには、魔物の類はいないようである。が、喜ぶわけにはいかない。
毒のガスが辺りに漂っている為、あまり長居はしたくない場所だからである。
ちなみにだが、どうやらこの毒の液体というのは、そこから発生するガスを吸い込むことによって体力を奪っていく仕様のようだ。
ゲームでは深そうな毒の沼地を進んでいるようなイメージだったが、これは予想外であった。
だが考えてみれば、こんな岩だらけの坑道内に、そんな深い沼があるわけもないので、これが当然なのかもしれない。
まぁそれはさておき、暫し様子を窺ったところで、リジャールさんは安堵の息を吐いた。
「フゥ……この様子じゃと、やはり魔物はおらぬようじゃな。多分、あれで打ち止めだったのじゃろう」
リジャールさんはそう言って、左側の通路に目を向けた。
「さて、それではコータローよ。毒の液体がない左の通路へ行こう。この先に、儂等が掘削する予定じゃった場所があるからの……」
「わかりました」
俺は左側の通路へと足を踏み出した。
と、そこで、サナちゃんが俺の右袖をクイクイと引っ張ってきたのである。
「どうしたのサナちゃん?」
「コ、コータローさん……そ、そ、傍にいてもいいですか?」
少し様子が変であった。
何かに怯えているような感じだったので、とりあえず、訊いてみる事にした。
「それは構わないけど、何かあったの?」
するとその直後、サナちゃんは俺の右脇腹にしがみ付き、体を密着させてきたのである。
「ちょっ、サナちゃん、どうしたの?」
サナちゃんは身体を震わせ、口を開いた。
「す、すいません……わ、私……本当は洞窟とかが苦手なんです。今まで、我慢してたんです。ごめんなさい」
なんとまぁ……。
ザルマの件が重く圧し掛かっていたので、無理して来てくれたのだろう。
健気な良い子だ。頭をナデナデしてやりたくなってくる。
多分、リジャールさんの魔物はいないという言葉を聞いて、緊張の糸が切れたに違いない。
などと考えていた、その時である。
(エッ!?)
今度はアーシャさんが俺の左隣に来て、同じようにくっついてきたのだ。
「コ、コータローさん。ちゃんと私の護衛もしてもらわないと困りますわよ。貴方だけが頼りなんですから」
「アーシャさんもですか……」
そういえば、この坑道に入った直後のアーシャさんも、今のサナちゃんと同様に怯えまくっていたのだ。
この様子を見る限り、2人共、洞窟は苦手なのだろう。
だが、よくよく考えてみれば、2人はお姫様である。こんな所に来ることは、今までの人生で殆どなかったに違いない。
(はぁ……怖いなら、無理してこなきゃ良かったのに……)
そこで、リジャールさんの笑い声が聞こえてきた。
「カッカッカッ、両手に花じゃな、コータロー。お前さん、中々、モテるではないか」
「あのですね……この状況下でそれを言いますか?」
「まぁそれだけ、頼りがいのある男じゃと思われとるんじゃよ。素直に喜べ。さ、では行くぞ、コータロー」
「はぁ」
というわけで俺は、アーシャさんとサナちゃんにしがみ付かれながら移動を再開したのであった。
左の通路を真っ直ぐに進んで行くと、行き止まりに差し掛かった。
俺達はそこで立ち止まり、周囲を見回した。
するとそこには、ツルハシや大きなハンマーといった掘削道具がそこかしこに転がっており、通路の真ん中には、岩を運ぶであろう台車のようなものが置かれていたのだ。
俺はこれを見て、ようやく確信した。
ヴァイロン達は、先程襲いかかってきた魔物達を操って、ここを掘っていたという事を……。
敵ながら、実に効率的な方法である。なぜなら、作業員が死体という事は、体力なんぞまったく気にしなくていいからだ。
まぁそれはさておき、リジャールさんは周囲の道具を一瞥すると、行き止まりの岩盤へと近づいた。
そして、そこを眺めながら、悔しそうにボソリと呟いたのであった。
「間違いない……これは儂が考えた掘削ルートじゃ。やはり、あの書簡は、魔物どもの手に渡っていたという事か……悔やんでも悔やみきれぬ。書簡などではなく、儂が直接出向いてフレイに話すべきじゃった……そうすれば、フレイも死なずに済んだものを……全て儂の所為じゃ……」
項垂れるリジャールさんを見て、俺は少し悲しくなってきた。
だが今はそんな事をしている場合では無い為、俺はあえてそれを告げたのである。
「フレイさんを亡くしたリジャールさんの気持ちは、痛いほどよくわかります。ですが、起きてしまった以上、次の事を考えるべきです。そして、今一番の懸念は、敵がこの事を知っている事です。早急に手を打たないと、このガルテナに更なる災難が降りかかるかもしれません。それを避ける為には一刻も早くマルディラントに行き、ソレス殿下の代理を務めるティレス様に事実を包み隠さず話す事だと思います。この先、奴等がどう出てくるかわかりませんが、冒険者だけでは対処できない状況になる可能性も十分にあるのですから」
リジャールさんはそこで俺に振り返る。
「……確かに、お主の言うとおりじゃ。今は、無垢なる力の結晶を魔物達に発見されるのだけは、絶対に阻止せねばならぬ。悲しむのは後じゃな……」
「ええ、悲しむのは後です」――
Lv26 そして報告へ……
[Ⅰ]
坑道の外に出た瞬間、いつにも増して眩しい日の光が、俺の目に射し込んできた。その為、俺は太陽に手をかざして光を遮り、暫し目が慣れるのを待つ事にした。他の皆も同様であった。まぁ時間にして3時間程は入っていたので、こうなるのも無理はないだろう。目が慣れるまで、少し時間が掛かりそうである。
まぁそれはさておき、俺は手をかざしながら周囲を見回した。
すると、張り詰めた表情で、周囲の警戒に当たる冒険者達の姿が視界に入ってきた。
勿論そこには、カディスさん達の姿もあり、今は武器を手に身構え、ヴァイロン達の奇襲に備えているところであった。
(予想通り、坑道入口付近は物々しい雰囲気になってるな……ン?)
と、ここで、カディスさんが俺達に気付き、駆け寄ってきた。
「おお、戻られましたか。皆さん、御無事なようで何よりです。それはそうとリジャールさん、奥で何かわかりましたか?」
「うむ。まぁ色々との……。ところで、ヴァイロン達兄妹はあれからどうじゃな? 姿を現してはおらぬかの?」
「ええ、今のところは。ですが、暫くは警戒をし続けた方がいいでしょう。それと、坑道側に配置する冒険者の数を増やした方がいいかもしれません」
カディスさんはそう言って、周囲の冒険者達に目を向けた。
「ああ、その方が良いじゃろう。奴等は、また来る可能が十分にあるからの。まぁそういうわけですまぬが、カディスよ、引き続き、警戒に当たってくれぬじゃろうか? 敵はこの先どう出るか分からぬからの」
「勿論そのつもりですが、その前に、少しご報告したい事があるのです」
「報告?」
カディスさんは頷くと、入口の脇に鬱蒼と広がる森を指さした。
「我々が戻る少し前の事らしいのですが、ここを警備していた者達の話によりますと、エンドゥラス2名が先程突然、入口手前に出現したそうです。そして現れるや否や、こちらの森の中へ走り去ったらしいのです。恐らくそのエンドゥラスは、状況から考えて、ヴァイロン達と見て間違いないでしょう。ですので、逃げたのは村の方角ではありませんが、万が一という事も考え、村の警備を厳重にするよう、冒険者の1人を伝令に向かわせました」
「うむ。手回しが早くて助かるわい。さて……」
リジャールさんはそこで言葉を切ると、俺に視線を向けた。
「コータローよ、お主はどう思う? ヴァイロン達はすぐに来ると思うかの?」
正直、返答に困ったが、とりあえず、俺は思った事を話しておいた。
「そうですね……勿論、すぐにやって来る事も考えられますので、警備は厳重にしておいた方がいいと思います。ただ、何となくなのですが、ヴァイロン達はすぐには来ない……いや、来れないような気もするんですよね」
「なぜそう思うのじゃ?」
「2つ理由があるのですが、まず1つは、今が日中なので、夜と違って魔の瘴気が薄いという事ですかね」
「ふむ、魔の瘴気か……」
「これは俺の想像ですが、ヴァイロンが水晶球を割った行動は、魔物を操るには距離以外にも必要なモノがあるという事を、暗に示している気がするんですよ。そして、その必要なモノとは、それなりに濃い魔の瘴気だと思うんです。そう考えますと、今まで日中に魔物が外に現れなかったという事や、ヴァイロンが芝居を打った時に、用済みの魔物をすぐ坑道内に退き返させた事も、全て納得がいくんです」
「なるほどの……。で、もう1つは何じゃ?」
「もう1つは坑道の入り口側に、毒を持つ腐った死体を配置していた事です。腐った死体を入り口側に配置したのは、毒という心理的な壁を外部の者に与え、坑道の奥へ近づけさせない為だと思うのですが、逆に考えると、予備の魔物がいないので、腐った死体を坑道の手前側に集中させ、奥の魔物を守っていたとも考えられるんです。手勢のある内に、彼等も早く終わらせてしまいたかったでしょうからね。リジャールさんも新たな魔物の出入りはないような事を、出発前に言ってましたし。で、ここが重要なんですが、ヴァイロン達がわざわざ冒険者に化けてまで潜り込んだのは、これが1番の理由だと思うんです。なぜなら、ヴァイロン達の能力を考えた場合、監視しながら目的を達成するには、この方法が最も危険の少ない方法なんです。それを裏付ける事として、ヴァイロンとリュシアが一緒に警備する事があまりなかった、というのもありますしね。ですから、彼等は今、攻め手を欠いているように思うんですよ。まぁ、これが理由ですかね」
俺の話を聞いたリジャールさんは、顎に手をやり、ボソリと呟いた。
「言われてみると、確かにそうじゃな。という事は……今のところ、夜が一番危険という事か」
「でも、これは確証がある事ではないので、何れにせよ、警備は厳重にしておいた方がいいと思いますよ」
「ふむ……まぁとりあえず、考えるのは後にするかの。さて……」
リジャールさんはカディスさんに視線を向けた。
「ではカディスよ、儂等は今から、中で見たことを村長に報告しにいく。じゃから、お主達の指揮の元、坑道の警備を引き続き行ってもらいたいのじゃが、良いかな?」
「ええ、わかっております。何かありましたら、すぐに伝令の者を走らせますので、安心して向かってください」
「じゃあ、すまぬが、宜しく頼む」――
村へと戻った俺達は、リジャールさんと共に村長に会う事となった。
ガルテナの村長は60代くらいの初老の男性で、穏やかな表情をした方であった。
体型はやや小太りな体型で、頭はサ○エさんに出てくる波平のように、頭頂部に毛を1本だけ残すというヘアスタイルをしていた。あえて1本残すところに、こだわりを感じさせる髪型である。
まぁそれはさておき、報告した内容だが、当然、無垢なる力の結晶の事やリジャールさんの事情などは伏せた説明となった。
今の時点でこんな事を話すと混乱を招く上に、余計なトラブルが起きる可能性が大だからだ。
その為、今回報告したのは、騒動の元凶はヴァイロン達兄妹であるという事と、あの兄妹が魔物を操って坑道の奥を掘っていたという事に加え、魔物はすべて倒したという事、そして、ヴァイロン達がまたやってくるかも知れないという事などに留めておいたのである。
ちなみにだが、俺達の報告を聞いた村長は、驚くと共に少し怯えてもいた。
特に、ヴァイロン達が魔の種族・エンドゥラスだったという事実に、ショックを隠せないような感じであった。
そして、またやって来るのではないかと戦々恐々としながら、村の行く末を案じていたのである。
実際問題、それが一番の懸念事項なので、こうなるのも仕方のないところだろう。
だがしかし……嘆いていても事態は変わらない。
というわけで俺達は、今後の対策などを一通り説明してから、村長宅を後にしたのであった。
[Ⅱ]
村長の家を出た俺達は、リジャールさんの家へとやってきた。
リジャールさんは、玄関の手前に来たところで俺達に振り返る。
「すまぬが、暫し、ここで待っていてもらえるじゃろうか? 儂が呼んだら家の中に入ってもらいたい」
「わかりました」
そして、リジャールさんは家の中へ入っていった。
それから5分程経過したところで、リジャールさんは俺達を呼びに来た。
「もうよいぞ。さ、中に入ってくれ」
「ではお邪魔します」
俺達は昨日通された部屋へと案内された。
するとそこには、昨日は無かった木製の丸テーブルと、それを囲うように7脚の椅子が置かれていたのである。
どうやらリジャールさんは、俺達を迎え入れる準備をしていたみたいだ。
「さ、立ち話もなんじゃから、椅子にでも掛けてくれ」
「はい、では」
俺達が椅子に腰掛けたところで、リジャールさんも椅子に腰を下ろした。
「さて、まずは礼を言おう。当初の予定通り、坑道内で何が起きていたのかを確認することが出来たので、今日は非常に助かった。それもこれも全て、お主等のお蔭じゃ。ありがとう」
「でも、ヴァイロン達には逃げられてしまいましたからね。そんな風にお礼を言われると、なんだか複雑な気分です」
これは正直なところであった。
「いや、それでもじゃ。お主達には感謝しておるよ。まぁそういうわけで、これからお主達に報酬を渡そうと思うのじゃが、まずはそちらのラミリアンの剣士にこれを進呈しよう」
リジャールさんはそう言って、オレンジ色の宝石が埋め込まれた銀色の腕輪をレイスさんとシェーラさんに差し出したのである。
「この銀色の腕輪は、どういった物なのですか?」と、レイスさん。
「それはの、儂が古代文献を参考に錬成して作った腕輪でな、装備者の力を増幅する魔導器の一種じゃ。名を付けるならば、剛力の腕輪といったじゃろうかの。剣士であるお主達の助けになる筈じゃから、遠慮せんと貰ってくれ」
(剛力の腕輪……はて、ドラクエにそんな腕輪なんて出てきただろうか。力の指輪や力のルビーなら覚えているが……)
などと考えていると、シェーラさんの驚く声が聞こえてきた。
「でも、そんな貴重な物を頂いても、良いのですか? 装備者に力を与える魔導器は、かなり高価なものだと思うのですが」
「ああ、構わん。気にせんと貰ってくれ。それはある意味では失敗作みたいなものじゃしの」
意味がわからんので、俺は訊ねた。
「あの……失敗作って、どういう事ですか?」
「実を言うと、その腕輪はな、豪傑の腕輪という魔導器について書かれた古代の文献を参考に、儂が実験的に作った物なのじゃよ。じゃがの、錬成素材が代用品ばかりじゃったから、早い話が紛い物なのじゃ。だがそうはいっても、力を増幅させる効果は得られたので、魔導器としては成功と言える。じゃから、安心して使うてくれ」
豪傑の腕輪なら俺も知っている。勿論ゲーム上での話だが。
まぁそれはさておき、どうやらこの剛力の腕輪というのはリジャールさんオリジナルの魔導器のようだ。
代用品で作ったと言っていたので、豪傑の腕輪ほどの力は得られないが、そこそこステータス補正をしてくれるに違いない。
次にリジャールさんは、サナちゃんに視線を向ける。
そして、澄んだ空のような青い鞘に収められた白い柄の美しい短剣をサナちゃんに差し出したのである。
「ではそっちのお嬢ちゃんには、これを進呈しようかの」
「あの……これは短剣でしょうか?」
「うむ。まぁ短剣といえば短剣じゃが、それも儂が作った魔導器でな、名を風切の刃という。ちなみにこの短剣は、錬成の段階でバギマの発動式を組み込んであるから、柄に微量の魔力を籠めればバギマを発動させることが出来るわい。お嬢ちゃんは攻撃魔法が使えないそうじゃから、これを護身用に持っておくとよい」
サナちゃんはそれを聞き、申し訳なさそうに深々と頭を下げた。
「こ、こんな貴重な物をありがとうございます」
ゲームでは出てこなかった気がするアイテムだが、あると便利な道具である。
特に、攻撃魔法を修得していないサナちゃんにはピッタリの武器だ。
「よいよい、気にせず貰ってくれ。さて、それでは次にコータロー達にじゃが、まずはそちらのお嬢ちゃんに、この指輪を渡そう」
リジャールさんはそう言うと、赤いメタリックな感じの指輪をアーシャさんに差し出した。
「……あの、この指輪からは、魔力の波動が感じられるのですが、これはどういった物なのでしょうか?」
「それは魔力の指輪といってな、装備者の魔力圧を上げる指輪じゃ。攻撃魔法の使い手ならば、更に魔法の強さが増し、回復魔法の使い手ならば、更に強い回復力を得られるじゃろう。まぁとはいっても、そんなにビックリするほど上がるわけではないがの」
「そうなのですか。あ、ありがとうございます。大事に使わせて頂きますわ」
アーシャさんは礼を言うと、指輪を嵌め、ニコニコと微笑んだ。
この様子を見る限り、どうやら気に入ったようだ。
「さて、では最後になるが、コータローにはこれを渡そうかの」
そしてリジャールさんは、幾つかの丸い紋章が彫りこまれた、紺色の腕輪を俺に差し出したのである。
「えっと、この腕輪はどういったモノなのですか?」
「これは『魔導の手』といってな、並みの魔法使いでは扱いの難しい魔導器なのじゃが、お主ならば扱えるはずじゃ」
「ま、魔導の手ですって!?」
アーシャさんはそう言うや否や、目を大きくしながら俺の手にある腕輪を覗き込んできたのである。
この様子を見る限り、相当珍しい物なのかもしれない。
とりあえず、訊いてみよう。
「魔導の手……今、俺ならば扱えると仰いましたが、それはどういう意味ですか?」
するとリジャールさんは、俺の腰にある魔光の剣を指さした。
「お主、坑道内で魔光の剣を使っておったじゃろ。この腕輪はな、アレと原理は同じだからじゃよ」
「えッ? リジャールさん、魔光の剣を知っているんですか?」
「ああ、知っておるぞ。魔光の剣は、儂の弟子であるグレミオが考案した物じゃからな」
「そうなのですか、それは初めて知りました。俺も誰が作ったのかまでは、知らなかったんですよ。これを手に入れたのはマルディラントの1等区域にある武器屋なんですが、そこでは試作品の魔導器と聞いただけなので」
「あ奴はマルディラントで魔導器制作をしておるからの。当然、その近辺の武器屋とも取引があるじゃろうから、そういう事もあるじゃろうな」
ここでシェーラさんとレイスさんが話に入ってきた。
「でもその武器って、凄い切断力よね。私達が使っている鋼の剣なんか、目じゃないくらいの切れ味だわ」
「ああ、シェーラの言うとおりだ。これ程の切れ味をもつ武器は、私も見た事がない」
2人は感心していたが、重要な事を忘れているので、それを指摘しておいた。
「確かに切断力は凄いんですが、それを得る為には魔力消費も半端じゃないんですよ。特に鉄や石のような固いものならば、尚更です。何の考えもなしに乱用すると、あっという間に魔力が枯渇しますからね。これは見た目以上に扱いの難しい武器ですよ」
これは本音だ。魔光の剣は、使いどころが難しいのである。
魔物と戦う場合は、普通に魔法を使った方が戦果も大きい上に、魔力消費も少なくて済むからだ。
とはいうものの、ジェダイのような戦闘方法に憧れる俺は、それを克服すべく、ベルナ峡谷で日々特訓をしていたわけではあるが……。
まぁそれはさておき、話を進めよう。
「ところでリジャールさん、この魔導の手ですが、これは一体どういう魔導器なんですか?」
「説明するよりも、実際に使ってみた方が早いじゃろう。とりあえず、利き腕じゃない方の腕に装備してみよ」
「利き腕では駄目なんですか?」
「駄目ではないが、お主の場合は魔光の剣を使うからの。利き腕はそちらに回した方がいいと思っただけじゃよ」
「ああ、なるほど。では、そうします」
というわけで、俺は左手に腕輪を装備した。
「よし、では次にじゃが、腕輪に魔力を強く籠めてみよ」
俺は左腕に魔力の流れを作り、腕輪に魔力を強く籠めた。
すると、腕輪に彫りこまれた紋章が、ボワッと淡く光り始めたのである。
リジャールさんの声が聞こえてくる。
「うむ、この輝きならば大丈夫じゃな。さて、ではコータローよ……あそこに置かれた木箱に向かって左手を掲げ、見えない手を伸ばして箱を持ち上げるよう思い浮かべてみるんじゃ。さぁやってみい」
リジャールさんはそこで、この部屋の片隅にある50cm角くらいの木箱を指さした。
俺は指示通り、その木箱に左手を掲げ、見えない手を伸ばして箱を持ち上げるようイメージする。
するとその直後、なんと、木箱がフワリと浮き上がったのである。
「おお、こ、これは……魔導の手ってこういう意味か」
見えない手の意味を理解した俺は、次に箱を上下左右に動くようイメージしてみる。
すると、俺の意思通りに箱は動いてくれたのだ。
俺は人知れず脳内で叫んだ。
(フォ、フォースや! フォースやんかこれ! ヒャッホー! 見えない力が俺をジェダ○マスターへと誘ってる! やるか、やらぬかだ、試しはいらん! つーわけで、もうジェダイ目指すしかないっしょ。乗るしかない、このビッグウェーブに!)
静かにハイテンションになっていると、アーシャさんの驚く声が聞こえてきた。
「こ、これが噂に聞く魔導の手……」
「その名の通り、魔力で導かれる手というやつじゃな。まぁそれはともかく、やはり、コータローならば扱えると思ったわい。コータローが坑道内で使っていた魔法や、魔光の剣を見ておったら、魔力圧の強い魔法使いじゃというのは、よくわかったからの」
「魔力圧が強い?」
俺は首を傾げた。
リジャールさんは頷くと続ける。
「うむ。この魔導の手はな、魔力消費はそこまでではないのじゃが、魔力圧が相当強くないと、上手くその効果を発揮できぬのじゃよ。じゃから、これを扱える魔法使いは少ない。儂の知っておる限りでも、使っておるのは、オヴェリウスにいる第1級宮廷魔導師や、イシュマリア魔導騎士団の上層部くらいじゃからな」
「へぇ、そうなんですか」
どうやら、この魔導の手を操るには、魔力圧というのが重要みたいである。
圧というくらいだから、魔力を押す力の事を言っているのだろう。
と、そこで、サナちゃんとシェーラさんの声が聞こえてきた。
「コータローさん、ラミナスでもそうでしたよ。魔導の手を使えるのは、上級の魔法使いでしたから。つまり、コータローさんは優秀な魔法使いという事です」
「私やレイスの魔力では、ホイミやメラ程度しか使えないから、その腕輪を使えないのよね。羨ましいわ」
と、そこで、アーシャさんがリジャールさんに訊ねた。
「あ、あのリジャールさん。私では使えないのでしょうか?」
「お嬢ちゃんにか? うむぅ……難しいと思うがの。コータローの腕輪で、一度試してみたらどうじゃ?」
「はい、一度やってみます。コータローさん、貸して頂けますか?」
俺は頷くと腕輪を外し、アーシャさんに手渡した。
「どうぞ」
「では早速」
アーシャさんは腕輪を装備し、魔力を籠めた。
その直後、腕輪の紋章が弱々しい光を放つ。だがとはいうものの、俺の時よりも弱い光なのは目に見えて明らかであった。
これは恐らく、魔力圧が足りないという事なのだろう。
まぁそれはさておき、腕輪の紋章が光ったところで、アーシャさんは先程の俺と同じく、持ち上げた木箱に掌を向ける。が、しかし……木箱はカタカタと少し揺れ、ほんの少し浮き上がる程度だったのだ。
アーシャさんは何とか上の方へ浮かせようと必死に魔力を籠め続けたが、結果は同じであった。それ以上は持ち上がらないのである。
暫くするとアーシャさんは大きく溜め息を吐き、ションボリとしながら腕輪を外した。
「これ、コータローさんにお返ししますわ。私にはまだ無理なようです。……残念ですわ」
「まぁそう気を落とすでない。お嬢ちゃんは若いから、まだまだ伸びる筈じゃ。じゃから、その時にまた試してみるがよかろう」
「ええ、希望を捨てずに頑張りますわ」
「うむ。その意気じゃ。さて、それでは、儂からの報酬は以上じゃが、もう一度改めて礼を言わせてもらおう。今日は本当に助かった。目的を達することが出来たのはお主達の力添えのお蔭じゃ。また、この村に立ち寄る事があったならば、遠慮せず、儂を訊ねて欲しい。お主等ならば、大歓迎じゃからの」
俺達は深く頭を下げ、礼を言った。
「リジャールさん、そんなに気を使わないで下さい」
「そうだ、御仁、そこまで気にされるな。我々も貴重な品々を頂いたので、逆に悪いと思っているくらいなのだ」
「そうですよ。それに、これも何かの縁だと思いますから」
リジャールさんは頭を振る。
「そういうわけにはいかんわい。お主等の大事な旅に水を差してしまったんじゃからの」
「もうそれについては良いですよ。ね、アーシャさん?」
俺はそう言って、アーシャさんに視線を向けた。
すると、思い詰めたような表情をしたアーシャさんが、俺の視界に入ってきたのである。
「どうかしたの、アーシャさん……」
アーシャさんはそこで、リジャールさんに視線を向けた。
「あの、リジャールさん……先程、マルディラントへもう一度、陳情に行くと仰ってましたが、急がないといけないんじゃないですか?」
「うむ。まぁ確かにそうじゃが、陳情には色々と必要な物もあるのでな。今すぐ儂だけが行くわけにもいかぬのじゃよ」
「じゃあ、もし、ですわ……仮に……今すぐにでもマルディラントに行って、アレサンドラ家に陳情する方法があったならば、リジャールさんはどうされますか?」
どうやらアーシャさんは、ここにいる者達に風の帽子の事どころか、自分の身分まで打ち明けるつもりなのかもしれない。やはり、アーシャさんもアレサンドラ家の者だから、流石にこの現状を見てしまうと色々と不安なのだろう。
「もし今すぐに行けたらか……。そりゃ行けるならば、すぐにでも行きたいところじゃが、そんな事は、古代の文献に出てくるキメラの翼でもないかぎり無理な事じゃ。じゃから、地道にいくしかないじゃろう」
「ではキメラの翼のような物があったならば、すぐに陳情に向かうと、受け取ってよろしいのですね?」
「ああ、そんなものがあるのならばの」
アーシャさんはそこで席を立つ。
「コータローさん、ちょっとお話がありますわ。外に来てもらえますか?」
「……はい、わかりました」
返事をしたところで、俺も席を立つ。
そして俺とアーシャさんは、この部屋から退出し、家の外へと向かったのである。
家の玄関を潜り、外に出たところでアーシャさんは口を開いた。
「コータローさん……皆さんに、私の素性と風の帽子の事を話そうと思いますの。貴方の意見を聞かせてください」
「その辺は、アーシャさんの判断にお任せします。俺からは何も言えません。ですが、今後の事もあるので、他言無用とだけは言っておいた方がいいですよ。それと、ヴァロムさんの事とかは内密にお願いしますね。ヴァロムさんからも口止めされているので」
「それは、勿論わかってますわ。話すのは素性と風の帽子についてだけですから」
しかし、別の問題があるので、俺はそれを訊ねる事にした。
「でもどうするんです? これだけの面子でゾロゾロと行けば、ティレスさんも流石に疑うと思いますよ。それと、アーシャさんがお忍びで旅をしているのを皆に前もって言っておかないと、後が面倒な事になります」
「それについては考えがありますわ。でも、私だけじゃ不安なので、コータローさんも考えてほしいのです」
「まぁそれは構いませんが、とりあえず、アーシャさんの考えを聞かせてもらえますか? 俺もそれを参考に考えてみますから」
アーシャさんは頷くと話し始めた。
「では、私の考えですが……」――
打ち合わせを終えた俺とアーシャさんは、皆の所へ戻ると、まず、風の帽子の事とアーシャさんの素性を順に話していった。
といっても、殆ど、俺が説明したわけだが……。
アーシャさん曰く、俺の方が上手く話してくれそう、という事らしい。
そんなわけで仕方なく、説明しているわけだが、4人は俺の話を聞き、目を大きくしながら驚いていた。
予想通りというやつだ。唐突にこんな話をすれば、普通こうなるだろう。
「――というわけなんです。今まで黙っていてすいませんでした。でも、この事は他言無用でお願いしますね。あまり、公にしたくない事なんで……」
一通り説明したところで、リジャールさんが慌てて訊いてきた。
「か、風の帽子というのはともかくじゃ。そちらのお嬢ちゃんが、太守の娘じゃというのは、本当か!?」
「ええ、本当です」
「本当ですわ」
「なんとのぅ……うむぅ」
リジャールさんは腕を組んで唸っていた。
予想外だったろうから、これは仕方ない事である。
と、そこでサナちゃんが話しかけてきた。
「あ、あの、アーシャさんがマルディラント太守のご息女というのはわかりましたが、その前に言っておられた風の帽子というのは、本当に持っておられるんですか?」
「うん、あるよ。アーシャさん、見せてあげたらどう?」
「ええ」
アーシャさんは自分の道具入れから、風の帽子を取り出し、皆に見せた。
「これですわ。それで、どうしますか? 向かわれるのでしたら、私はいつでも構いませんわよ。そして、お兄様とリジャールさんが直接お話できるよう、私が執り成しますわ」
「すぐに向かえる上に直談判できるのであれば、それは願ってもいない事じゃ。しかし、お嬢ちゃんはお忍びでここに来ておるのじゃろう? 代理を務めるティレス殿には、どうやってそれを説明するつもりなのじゃ」
「勿論、それについても考えてありますわ。ではコータローさん、皆さんに説明をお願いします」
やっぱり、これも俺が説明するのか……仕方ない。
「じゃあ、俺から説明しましょう。ですが、これは皆にも協力してもらわないといけない方法なので、それだけは前もって言っておきますね」
「協力? まぁよい。で、その方法というのはなんじゃ?」
「実はですね」――
[Ⅲ]
皆と細かい打ち合わせをした後、俺達はリジャールさんの家の裏手に行き、風の帽子の力でマルディラントへと向かった。
白い光に包まれ、上空へと飛び上がった俺達は、程なくして、マルディラント城の屋上へと到着した。
と、その直後、皆の驚く声が聞こえてくる。
「う、嘘……」
「こんな凄い物があったとは……」
「私も文献でキメラの翼について書かれていたのを見た事がありますが、まさか、本当だったなんて……」
「こりゃたまげたわい……」
キメラの翼が古代文明の遺産と云われているので、皆がこうなるのも無理はないだろう。
まぁそれはさておき、今はティレスさんに会うのが先決だ。
つーわけで、俺は皆に言った。
「では皆、打ち合わせの通りにお願いしますね」
「ああ、わかっておる」
リジャールさんの言葉と共に、サナちゃん達も首を縦に振る。
俺はそこでアーシャさんに視線を向けた。
「それじゃアーシャさん、後はお任せしますよ」
アーシャさんは頷く。
「では皆さん、ここからは私の後について来てください」
というわけで、アーシャさんに案内される形で、俺達は移動を開始したのである。
城内に入った俺達はアーシャさんの後に続いて、赤いカーペットが敷かれた煌びやかな通路を進んで行く。
その途中、数名の兵士やメイドさん達と出会ったが、皆、恭しくアーシャさんに頭を下げ、道をあけてくれた。
アーシャさんはこの城のお姫様なので当たり前と言えば当たり前だが、これを見て俺は、改めてそれに気づかされた気分であった。
多分、今まで城の外でばかり会っていたので、そういう部分を少し忘れていたのだろう。
というか、アーシャさん自身がお淑やかじゃないので、余計にそう見えるのかもしれない。
まぁそれはさておき、俺達は城内の階段を幾つか降り、2階へとやって来た。そして、その先に伸びる通路を暫く進んだところで、アーシャさんは立ち止ったのである。
そこは壁面に茶色い扉が設けられている所であった。
アーシャさんはノックをすると、おもむろに扉を開き、中を確認した。
そこは10畳程度の部屋で、大きなテーブルと幾つかの椅子がある以外、目立った特徴がなく、パッと見は小さな会議室といった感じの所であった。ちなみに、今は無人のようだ。
室内を確認したところで、アーシャさんはこちらに振り返る。
「では、サナさんとレイスさんにシェーラさんは、ここで暫く待っていてもらえますか。私達が事情を説明してきますので、それからまた御呼び致しますわ」
「わかりました。ではレイスにシェーラ、私達は中に入って待っていましょう」
レイスさんとシェーラさんは頷く。
そして、サナちゃん達3人は、部屋の中へと入って行ったのである。
扉が閉まったところで、アーシャさんは通路の先を指さした。
「兄は今の時間帯ですと、この先にある謁見の間か、執務室にいると思いますわ。では、行きましょう」
「ええ」
「うむ」
俺達3人は、アーシャさんを先頭に移動を再開した。
程なくして前方に、女神イシュラナの絵が彫りこまれた白く大きな扉が見えてきた。
ちなみにその扉の両脇には、槍を装備した2人の若い衛兵が、無表情で立っていた。恐らくここが、謁見の間なのだろう。
真っ直ぐとした姿勢の良い立ち方なので、パッと見、彫像でも置かれているかと思うほどだ。相当訓練されているに違いない。
俺達が扉に近づいたところで、衛兵の1人がアーシャさんに頭を下げ、恭しく話しかけてきた。
「これはこれはアーシャ様、ご機嫌麗しゅうございます。もしや、ティレス様に御用がおありでございますか?」
「ええ、そうですわ」
「そうでしたか。ですが、ティレス様は今こちらにおられません。恐らく、執務室の方かと思います」
「あらそうですの。わかりましたわ。ではお勤め頑張ってくださいませ」
「はッ」
衛兵は背筋をピンと伸ばした。
というわけで、俺達は執務室の方へと向かったのである。
通路を更に進んで行くと、行き止まりとなった壁に白い扉があるのが見えてきた。
そして、その扉の両脇には、先程と同様、衛兵が2人立っているのである。
この物々しさを考えると、どうやら、あの扉の向こうが執務室のようだ。
俺達が扉の前に来たところで、衛兵の1人が話しかけてきた。
「これはアーシャ様、ティレス様に御用でございますか?」
「ええ、お兄様は中に?」
すると衛兵は、困った表情を浮かべたのである。
「アーシャ様……実は今、ティレス様は来客中でして……」
と、その時であった。
ガチャリと執務室の扉が開き、中から、眼鏡を掛けた痩せ顔の男が現れたのだ。
男は扉を開いたところで、中に向かって一礼をした。
「それではティレス様、工房の稼働率を上げて量産体制に入りますので、今しばらく辛抱を願います。では、これで」
「ああ、よろしく頼む」
男は別れの挨拶を終えると、俺達のいる方向へと向き直る。
だがその瞬間、男は俺達を見るなり、驚きの表情を浮かべたのであった。
「リ、リジャール様」
「グレミオか、久しぶりじゃな」
(どうやらリジャールさんの知り合いのよう……っていうか、グレミオって、確か魔光の剣を作った人の名前だった気が……)
などと思いつつ、俺は男に目を向けた。
やや短くカットした茶色い頭髪の男で、口元には無精髭を生やしていた。その所為か、少しワイルドな感じにも見える。
歳は40代くらい……いや、もう少し若いのかもしれないが、無精髭の影響もあって、俺にはそのくらいに見えた。
首から下に目を向けると、フードが付いた灰色のローブと右手に杖という格好であり、パッと見は魔法使いという印象を与える姿であった。
というか、それなりの魔力を感じるので、魔法は使えるとみて間違いないだろう。
まぁ全体的な雰囲気としては、中年の魔法使いといった感じの男だ。
俺がそんな事を考えていると、グレミオと呼ばれた男は、リジャールさんに会釈した。
「ええ、お久しぶりでございます。驚きましたよ。まさか、こんな所でお会いするとは思いませんでしたから。ところで、今日はどうされたのですか?」
「うん、まぁちょっと、色々との……」
「そうですか。積もる話もありますが、今は色々とお忙しいようなので、私はこれにて失礼します。もしよろしければ、帰りにでも、私の工房へ立ち寄ってください。では」
男はそれだけ告げると、この場を後にした。
と、そこで、執務室の扉が開き、ソレス殿下のような出で立ちをしたティレスさんが、姿を現したのである。
やはり、代理というだけあって、格好はちゃんとしないといけないのようだ。
「ン、どうしたのだ、グレミオ殿。誰かそこにいるのか……って、なんだアーシャか。それとコータロー君まで。一体どうしたのだ?」
「お兄様、少しお話があるのです。今、お時間よろしいでしょうか?」
「まぁそれは構わんが……。とりあえず、中に入るがいい」――
執務室は30畳ほどの広さがある細長い感じの部屋で、カーテンが開かれた幾つかの窓からは、暖かな日の光がこの部屋に射し込んでいた。
床に目を向けると、青く分厚い絨毯が全面に敷かれており、壁際にはフルアーマーの西洋風甲冑や本棚、そして絵画などの美術品が飾られていた。
天井に目を向けると、宝石をちりばめたかの様なシャンデリアがあり、外から射す日の光がキラキラと乱反射して、ゴージャスに光り輝いている。
部屋の一番奥には、光沢のある執務机があり、その手前には応接用と思われる、これまた西洋アンティーク風の煌びやかなテーブルとソファーが置かれていた。
そして、俺達が入ってきた入口の付近には、秘書と思われる白いローブ纏う女性が4人おり、今は机に向かって書類関係の仕事をしている最中であった。
ちなみにだが、机に向かい、てきぱきと書類に筆を走らせるその女性達の姿は、いかにも仕事が出来そうな雰囲気を醸し出していた。歳は20代後半から30代後半くらいだろうか。まぁその辺はわからないが、当たらずとも遠からずといったところだろう。しかも、全員、綺麗な方々であったので、ティレスさんを羨ましく思ったのは言うまでもない話である。
まぁそれはさておき、執務室の様相は大体こんな感じだ。
要するに一言で言うと、『ブルジョワ階級の仕事部屋』というわけである。
執務室に足を踏み入れた俺達は、ティレスさんにソファーの所へと案内され、そこに座るよう促された。
俺達が腰掛けたところで、ティレスさんも向かいのソファーに腰を下ろす。
と、そこで、アーシャさんはチラッと秘書らしき女性達に視線を向けた。
「あの、お兄様……できれば私達だけでお話をしたいのですが」
「やっぱり、面倒な話か……まぁいい」
ティレスさんは秘書らしき女性達に言った。
「すまないが、少し席を外してもらえるか?」
「はい、仰せのままに」
女性達はすぐさま席を立ち、幾つかの書類を持って退出する。
そして、俺達だけになったところで、ティレスさんは話を切り出したのである。
「で、何事だ? 人に聞かせたくないという事は、厄介そうな話のようだが……」
「ええ、お兄様。実は先程、このリジャールさんという方から、厄介な話を聞いたのです」
ティレスさんはリジャールさんに視線を向けた。
「ほう。で、そちらの方は?」
「こちらはオルドラン様の古いご友人で、魔法銀の錬成技師でもあるリジャールさんという方ですわ。その昔、イシュマリア城で錬成技師をなさっていた方だそうです」
「何、オルドラン様の!?」
リジャールさんは、そこで一礼し、まず自己紹介をした。
「お初、お目にかかります、ティレス様。今、妹君であるアーシャ様からご紹介がありましたが、私は以前、王都で魔法銀の錬成技師をしていたリジャール・エル・クレムナンと申しまして、今はガルテナで隠居生活を送る者でございます」
だがそれを聞いた瞬間、ティレスさんは目を大きくしたのである。
「え!? 今、クレムナンと仰いましたが、もしや、名器と呼ばれる数々の武具や魔導器を生み出した、あのクレムナン家の方でございますか?」
「はは、そうでございます。ですが、もう隠居の身なので、そちらの方面からは足を洗いましたがな」
リジャールさんはそう言って頭をかいた。
「は、初耳ですわよッ。リジャールさんは、クレムナン家の方なのですの!?」
アーシャさんも寝耳に水だったのか、これには驚いたようである。
どうやらリジャールさんは、ヴァロムさんと同様、凄い出自の持ち主のようだ。
「すいません、話の腰を折ってしまい。まぁそれはともかく、それで、今日は一体、どのようなご用件で参られたのですかな」
「今回、アーシャ様に話し合いの場を設けて頂きましたのは、私の住むガルテナで厄介な事が起きておるので、その報告とお願いに参った次第なのです」
「それで厄介な事とは?」
「実はですな、こちらにいるコータローさんが村を訪れた際にそれが発覚したのですが……」――
リジャールさんは、フレイさんの事や、無垢なる力の結晶の事、そして魔の種族エンドゥラスが一連の騒動に関わっていた事等を説明していった。
時折、俺にも話を振られる事があったので、その都度、意見を述べておいた。
そして俺達の話を聞くうちに、ティレスさんの表情も次第に険しくなっていったのである。
特に、エンドゥラスの事を話した時が一番嫌な顔をしていた。恐らく、ティレスさんも良く知っている種族なのだろう。
「――これが今までの経緯でございます。眠っているかも知れない幻の素材も然ることながら、性質の悪い敵が狙っておりますので、何か対策を考えないと非常に不味い気がするのです。その為、是非ともティレス様のお力を借りしたく、今日はご報告も兼ねて参った次第なのであります」
ティレスさんは眉間に皺を寄せた。
「むぅ、弱ったな……まさかそんな事になっているとは……しかも、エンドゥラスまで絡んでいるのか。リジャールさん、今、冒険者が派遣されていると仰いましたが、何名くらいいるのですか?」
「こちらに派遣されている冒険者は50名程です」
「50名か……確かに少ないな。わかりました、何とかしましょう。しかし、こちらも最近魔物が増えているので、守護隊の者をあまり沢山は派遣出来ません。ですから、指揮を執る守護隊の者を十数名と、アレサンドラ家の名で、ルイーダの酒場に冒険者の増員を依頼しましょう。冒険者を増員する分の費用に関しては、こちらで何とかするつもりです」
リジャールさんは深く頭を下げ、礼を述べた。
「ありがとうございます、ティレス様」
「ところでリジャールさん。今言った無垢なる力の結晶だが、これは貴方の調査結果の通りになる可能性が高いのですね?」
「私はそう思っております」
「……そうですか。となると、この事は伏せておいた方がよさそうですね。ちなみに、この事を知っているのは、私達とそのエンドゥラスだけと見ていいんですか?」
俺が答えておいた。
「こちら側で知っているのは、私達と仲間のラミリアン3名だけですが、フレイさんに宛てた書簡が見つかっていないので、向こうはエンドゥラス以外にもいるかも知れませんね」
「そうか……。まぁともかくだ。これは私達だけの話という事にしておきましょう。今は余計な厄介事はこれ以上は避けたいからね」
「ええ」――
この後も俺達は、ガルテナでの事だけでなく、ヴァロムさんの事等についても話し合いを続けた。
勿論、俺がヴァロムさんから言付かった内容や魔法の鍵については黙っていたので、打ち解けた話し合いではなかったが、それでも色々と新しく得られた情報もあったので、有意義なひとときであった。
だがあまり長話をしていると、ティレスさんの公務に差支えると思った為、区切りの良いところで、俺は話を切り上げる事にしたのである。
「――ではティレス様、貴重なお時間どうもありがとうございました。これ以上は、御公務の妨げになりますので、私達はこの辺で失礼させて頂こうと思います」
「すまないな、気を遣わせてしまい。もう少し話をしたかったのだが……そうだ、コータロー君達は今晩、街の宿屋に部屋をとってあるのか?」
「いえ、宿の方はまだですが」
「そうか。ならば、今晩はここに泊まってゆくといい。長旅で疲れただろうからね」
「え、良いのですか?」
これは予想外の申し出であった。
ティレスさんは頷く。
「ああ、構わない。それに……君と少し話したい事もあるんだよ」
と、ここでリジャールさんが話に入ってきた。
「ティレス様のお心遣い、痛み入ります。ですが、私は村の者を街に待たせてあります故、これにて失礼させて頂いてもよろしいでしょうか?」
リジャールさんがこんな事を言うのは、恐らく、村にいる冒険者や村民が探す可能性があるからに違いない。
何も言わずにこちらに来てしまったので、これは仕方ないところであった。
「そうですか……。リジャールさんとも少し話したかったが、そういう事なら仕方ないですな。ところで、コータロー君やラミリアンの方達は大丈夫だね?」
「多分、大丈夫だと思います」
サナちゃん達がどう言うか分からないが、こちらに泊まった方が安全なので納得してくれるだろう。
「そうか。では配下の者に言って部屋を用意するから、それまで城内か、街でも見回ってゆっくりしていってくれ」
「ええ、そうさせて頂きます。ではティレス様、後でまたお会いしましょう」
「ああ、また後で」――
Lv27 カラール魔導研究所
[Ⅰ]
サナちゃん達の待つ部屋に戻った俺達は、ティレスさんと交わした内容を3人に話した。
そして、今日は城に泊まっていくよう、ティレスさんから言われた事も、そこで伝えておいたのである。
一通り説明したところで、サナちゃんが訊いてきた。
「あの……私達も、今日はここに泊めてもらえるんですか?」
「うん、ティレスさんから直々にそう言われたからね。だから、ここはお言葉に甘えさせてもらおうと思ったんだよ」
俺の言葉を聞き、サナちゃん達3人は表情が綻んだ。
今まで色々とあったので、少し安心したのだろう。
「でも、リジャールさんは一旦、ガルテナに帰るそうですわ」
「すまんの、アーシャ様。儂も泊まりたいのは山々なんじゃが、向こうで村長に報告もせねばならぬからの。それに、まだ村は危険な状態じゃし、儂だけがここにいるわけにもいかぬのじゃよ。まぁそういうわけじゃから、ティレス様にはアーシャ様からよろしく伝えておいて下され」
「ええ、わかっておりますわ」
と、ここで、シェーラさんの声が聞こえてきた。
「ねぇ、それはそうと、この後はどうするの? まだ外は明るいわよ」
「そうなんですよね。夕食までにはまだ時間があるんですよ。ところで、リジャールさんはもうガルテナに帰られるのですか?」
「ふむ……そうじゃな」
リジャールさんはそこで顎に手をやり、暫し考える仕草をした。
すると何かを思い出したのか、ポンと手を打ったのである。
「おお、そういえば、グレミオが帰りに寄って行けと言っておったな。久しぶりじゃし、儂は今から、あ奴の工房でも覗いてみようかの。日が暮れるには、まだ時間が掛かりそうじゃしな」
「グレミオさんて、さっき会った方ですよね?」
「ああ、そうじゃ。そして、お主が所有する魔光の剣を作った男じゃな。なんじゃったら、お主も来るか?」
「行きます、行きます。俺、魔導器の工房って興味あるんですよ」
すると他の皆も声を上げた。
「じゃあ、私も行きます」
「では我々も」
「私も参りますわ。コータローさんの持っている魔光の剣というのが気になりますので」
とまぁそんなわけで、俺達は夕食までの空き時間を利用して、グレミオさんの工房へと向かう事になったのである。
マルディラント城を出た俺達は、リジャールさんの案内で1等区域内の大通りを進んで行く。
今は日が高いのもあってか、大通りは沢山の人々が行き来していた。
だが、ここが1等区域というのもあり、その多くは身なりの良い裕福そうな人達ばかりであった。
まぁ俺達みたいな冒険者風の者もいないわけではないが、ここではどうやら少数派のようである。
もしかすると、俺達は少し浮いて見えるのかもしれない。
ふとそんな事を考えながら進んでいると、リジャールさんが俺に話しかけてきた。
「コータローよ、お主、ここにはよく来るのかの?」
「いえ、数回来ただけですよ。まぁその多くは、お師匠様のお使いみたいなもんですがね。リジャールさんは、よく来られるんですか?」
「マルディラントには何回も来たことはあるが、この1等区域は1年前に来たきりじゃな。クレムナン家の紋章を見せれば幾らでも1等区域に入れるが、グレミオと会う以外、用はないからの。ン?」
リジャールさんはそこで言葉を切ると、前方に佇む大きな石造りの建物に目を向けたのである。
それは、かなりの奥行きがある2階建ての四角い建物であった。
正面にはノッカーの付いた木製の大きな玄関扉があり、その上にはこの国の文字で『カラール魔導研究所 兼 魔導器製作工房』と書かれた大きな細長い看板が、横向きに掛けられていた。恐らく、ここがグレミオさんの工房なのだろう。
「あれじゃ、グレミオの工房は。どれ、行ってみるかの」
建物の前に来たところで、リジャールさんがノッカーに手をかけ、扉を軽く打ち鳴らした。
すると程なくして扉が開かれ、中からメイド姿の若い女性が現れたのである。
「はい、どちら様でございましょうか?」
「儂はグレミオ殿の知り合いでリジャールと申す者じゃが、グレミオ殿は今こちらにおられるかの?」
「少々お待ちくださいませ」
女性は建物の奥へと消えてゆく。
それから暫くすると、女性はこちらに戻ってきた。
そして、丁寧な所作で、俺達を中へ迎え入れたのである。
「失礼をいたしました。どうぞ中へお入りください。グレミオ様は、この奥にある研究室におられますので、私について来てくださいませ」
「うむ」――
建物の中に入った俺達はメイドさんに案内され、青いカーペットが敷かれた上品な通路を、奥へと進んでゆく。
それから程なくして、メイドさんはとある扉の前で立ち止まった。
メイドさんはそこで扉をノックし、中に向かって呼びかけた。
「グレミオ様、リジャール様をお連れ致しました」
「わかった、今行く」
という声が聞えた直後、ガチャリという音を立てて、扉が開かれた。
中から現れたのは勿論、先程マルディラント城で見た、あの男であった。
男は恭しく頭を下げ、リジャールさんに挨拶をした。
「リジャール様、お久しぶりでございます。先程はどうも」
「久しぶりじゃな、グレミオ。どうじゃ、調子の方は?」
「まぁまぁといったところでしょうか。では、立ち話でもなんですので、中にお入りください。さ、お連れの方々もどうぞ」
俺達はグレミオさんに促され、部屋の中へと足を踏み入れた。
と、そこで、グレミオさんはメイドさんに視線を向けた。
「タニア、お茶を7つ用意してくれるかい?」
「畏まりました」
メイドさんは頭を下げ、扉を閉める。
「さ、それでは皆さん、奥に椅子がございますので、そこでお寛ぎください。その内、熱いお茶も来ますので」
「うむ、そうさせてもらおうかの」
そして、俺達は部屋の奥へと移動したのである。
グレミオさんの研究室は、学校の教室程度はあるそれなりに広い空間であった。が、研究室というだけあって、作業台や棚が幾つも置かれており、それらが室内を狭くしていた。
またそれらの上には、様々な魔導器や素材らしきものが沢山並んでいる為、パッと見は、まるで工学系の実験室を思わせる様相をしているのである。
なので、お世辞にも上品な部屋とは言えず、寧ろ、作業部屋といった方がしっくりくる所であった。
だがとはいうものの、俺達が案内された場所は別であった。
なぜなら、部屋の奥には、品の良いソファーや応接テーブルが置かれているからだ。
その為、奥のスペースだけは別世界のように、上品な雰囲気となっているのである。
まぁそれはさておき、俺達が奥のソファーに腰を下ろしたところで、グレミオさんもその辺の椅子に腰掛ける。
そして、グレミオさんはニコヤカに口を開いたのであった。
「1年ぶりでございますかな、リジャール様。お元気そうで何よりです。ところで、こちらの方々は?」
「この者達は、儂の知り合いじゃよ。中々に腕の立つ者達での、ここ最近物騒な事があったものじゃから、手を借りておったのじゃ」
「へぇ、そうなのですか。では初めてお会いする方達ですので、自己紹介をしておきましょう。私はこの工房の主であるグレミオ・メリン・カラールと申す者です。リジャール様は私の師である方ですので、これからも一つよろしくお願いしますよ」
俺も自己紹介をしておいた。
「私の名はコータローと申します。よろしくお願い致します」
俺に続いて、他の皆も自己紹介をする。
そして、グレミオさんとの懇談会が始まったのである。
「いや~、それにしても、ビックリしましたよ。マルディラント城で、まさかリジャール様と会うなんて思ってもみませんでしたからね」
「儂もじゃ。ところで、ティレス様から、何か仕事の依頼でもされたのかの? あの時、量産体制がどうとか言っておったのが聞こえたが」
するとグレミオさんは、少し困った表情を浮かべた。
「ええ……実は、破邪の剣と祝福の杖を急ぎ量産してほしいと頼まれたんです。ここ最近、強力な魔物が増えてきているそうなので、普及品である武具では対処が難しくなりつつあるらしいのですよ」
破邪の剣……懐かしい名前である。
確か、道具で使うとギラと同等の効果が得られた気がする。
初出はドラクエⅣだったと思うが、中盤では色々とお世話になった武器の1つだ。主に資金繰りにではあったが……。
まぁそれはさておき、今の話を聞き、リジャールさんも顔を顰めた。
「むぅ、それはまた難しいところじゃな。その2つは作るのは簡単じゃが、どちらも魔力源であるドロウ・スピネルと魔法発動式を組み込まねばならぬから、錬成に時間が掛かるからの」
「そうなんですよ。ですから、生産効率を上げる為に、人員の配置や生産工程を短縮する方法を見直さないといけないんです」
色々とマニアックな会話が聞こえてきたが、わけがわからんので俺は訊ねた。
「リジャールさん、今、ドロウ・スピネルと仰いましたが、それは何なのですか?」
「ああ、ドロウ・スピネルとはな、魔力を蓄積する赤い魔晶石の事じゃ。つまり、魔法を付加させる魔導器を製作するには、必要不可欠な素材という事じゃな。採掘量もそれなりにある上に仕入れやすいものじゃから、魔法発動式を組み込む際に、その魔力源としてよく用いられておるのじゃよ」
「へぇ、なるほど」
ゲームではその辺の謎は触れていないので、少し好奇心をそそる話であった。
リジャールさんは続ける。
「しかも、何かと便利な素材でな。溜めた魔力を使い切っても、周囲に漂う大地の魔力を吸収して、またすぐに蓄積するんじゃよ。じゃから、ほぼ永久的に魔力を供給し続けられるんじゃ。まぁとはいっても、それほど大きな物はあまり採掘されんから、溜められる魔力量は、精々、ベギラマ一発分程度じゃがの」
「へぇ、そうなのですか。凄く勉強になりました」
妙に納得がいく話であった。
よくよく考えてみれば、魔法を付加した剣や杖を使うには、そういった物がないと無理な話だからだ。
魔力源がないと魔法が発動できないのは、当たり前の話なのである。
だが話を聞いた感じだと、魔力を溜めておけるのはベギラマ一発分程度らしいので、MPに換算すると5~6P程度のようだ。つまり、あまり大きな魔法は付加できないという事なのだろう。
話は変わるが、今の話に出てきた魔法発動式というのは、別名・紋章魔法とも呼ばれているモノだったと記憶している。これはヴァロムさんから習った魔法学で知ったのだが、魔法は呪文を唱えて発動させるものの他に、紋章を描いて発動させられるものもあるらしいのだ。
ギラで例えるならば、ギラの呪文とギラの紋章という2つの魔法発動方法があるという事である。
だがとはいうものの、紋章魔法の種類は圧倒的に少ないらしく、現状では、道具や武具などに付加させるくらいにしか使われていないそうだ。
そして日進月歩ではあるが、この国の魔法研究者達は今も尚、呪文魔法を解明して紋章魔法で再現する方法を模索しているそうである。
つーわけで、話を戻そう。
「それはそうとグレミオよ、ここにお主の考案した魔光の剣の使い手がおるぞ。なんでも、この1等区域にある武器屋で試作品として手に入れたそうじゃ。この際じゃから、色々と訊いてみたらどうじゃ?」
するとグレミオさんは驚きの表情を浮かべ、俺に視線を向けたのである。
「本当かい!? いやぁ、まさか使っている人がいるとは思わなかったよ。ボルタック商店の主人に訊いたら、使った人の反応は、皆、イマイチな評価だって言っていたからね。そうかぁ~、使っている人がいたのか。ははは」
グレミオさんはそう言って、陽気に笑った。
「そ、そうっスか。なはは……」
俺はズッコケたくなる気分ではあったが、とりあえず、話を続けることにした。
「でも、他の人はイマイチかもしれませんが、俺はかなり気に入っている武器ですよ。今まで、これで何回も命拾いしましたからね」
「へぇそうなんだ。で、どう? 何か気に入らないところがあったら言ってよ。今後の糧にしたいからさ」
「そうですねぇ……今まで使ってきて少し不満があるのは、固い物を切断しようとすると魔力を相当籠めないといけないところですかね。特に、岩とか鉄のような固い物質は、メラミ5発から10発分くらいの魔力が必要になるんですよ。なので、改善してほしい部分としては、魔力消費を抑えつつ切断力を上げてもらう事ですかね。まぁ可能かどうかは、ともかくですが……ン?」
そこで俺は言葉を切った。
なぜなら、グレミオさんはポカーンとした表情で俺を見ていたからだ。
「あのぉ……俺、何か変な事でも言いましたかね?」
「て、鉄や岩を斬るって……ちょ、ちょっと君、それは本当かい? 本当にそんな物が斬れたの?」
「ええ、本当ですが」
グレミオさんは、少し狼狽していた。
「こ、これは想定の範囲外だ。い、今から、君の魔力圧を計らせてほしいんだが、いいかい?」
「はぁ、構いませんけど」
「じゃあ、ちょっと待っててッ、今、魔力圧計測器を持ってくるからッ」
そう言うや否や、グレミオさんは慌てて部屋を飛び出したのである。
その直後、タニアと呼ばれていたメイドさんが、7つのカップを載せたトレイを持って現れたのであった。
「お茶をお持ちいたしました」――
暫くするとグレミオさんは、ホッピングマシンみたいなモノを携えて、この部屋に戻ってきた。
グレミオさんは俺の前に来ると、ハンドルのような部分と軸の真ん中にあるメーターらしきものを指さし、説明を始める。
「これが魔力圧計測器だ。使い方は簡単で、この両端を握って魔力を瞬間的に思いっきり籠めてくれれば、ここにある計器に最大魔力圧が表示される。だから、やってもらえないだろうか」
「わかりました」
初めてやる事なので少し緊張したが、難しい事では無い為、言われた通りにする事にした。
俺はソファーから立ち上がり、魔力計測器のハンドルを握って思いっきり魔力を籠めた。
すると次の瞬間、ハンドルから計器に向かって電撃のような光が走ったのである。
そこでグレミオさんの声が聞こえてきた。
「よし、もういいよ。これで計測できたはずだから」
「じゃあ、このホッピング……じゃなかった、魔力圧計測器はお返ししますね」
「ああ」
グレミオさんは計器をマジマジと見る。
と、その直後、グレミオさんは大きく目を見開き、驚きの声を上げたのであった。
「さ、最大魔力圧……203ベリアム……君、すごいね。この魔力圧は第1級宮廷魔導師の上位に匹敵するよ」
どう凄いのかがわからんので、とりあえず、訊いとこう。
「それって高い数値なんですか?」
「物凄く高いよ。第1級宮廷魔導師になる条件の1つに、最大魔力圧の強さが150ベリアム以上という項目があるんだけど、大多数は150から180ベリアムの間で落ち着くと言われているんだ。だから、200ベリアムを超える魔法使いは非常に少ないんだよ。というか、こんなところで200ベリアム越えの魔法使いに会えるなんて思わなかったよ。この国の才能ある魔法使いは、皆、宮仕えになるからね」
「そ、そうなんですか」
参考になる数値を聞くと、自分の数値がどのレベルなのかよく分かる。
まぁこの数値だけを見て安易に判断はできないだろうが、俺のレベルを計る1つの目安にはなるのかもしれない。
ついでなので、歴代最高記録も訊いておく事にした。
「ちなみにですが、今までで一番高い魔力圧の数値は幾つなのですか?」
「歴代の計測値で一番大きな値は、オルドラン家のヴァロム様が全盛期に記録した251ベリアムだけど、あの人の場合は別格だから、あまり参考にしない方がいいよ。普通は150ベリアム以上で、相当、優秀な部類だからね。一般的な魔法使いで大体100ベリアム前後だし」
「歴代最高は251ベリアムか……上には上がいるなぁ」
ここでまさかヴァロムさんの名前が出てくると思わなかったが、アーシャさんやソレス殿下曰く、天才と呼ばれた人らしいから、納得できる話であった。
まぁそれはともかく、もう1つ訊いておこう。
「あと、ベリアムとかいう名前が出てきましたけど、それって何なのですか?」
だがその直後……。
【は?】
ここにいる者達全員が口を開け、ポカンとした表情で俺を見たのである。
「コ、コータローさん……それは冗談で言ったのですか?」と、サナちゃん。
「ごめん、マジで知らない」
アーシャさんは俺にジト目を向ける。
「貴方……またですの。ワザと言ってるんじゃないでしょうね。怒りますわよ」
「いや、だから本当ですって。そんな目で見ないで下さいよ」
どうやら俺は、また、無知を晒け出したみたいだ。
(はぁ……なんかしらんけど、穴に入りたい気分になってきた)
と、そこで、リジャールさんが豪快に笑いながら答えてくれたのである。
「カッカッカッ、魔法の腕や思考は優秀なくせに、世間知らずな面白い奴じゃな、コータローは。まぁよい。で、質問の答えじゃが、ベリアムとは大賢者アムクリストの教えを受けた弟子の1人の事じゃ。正式にはエウロン・アルバディート・ベリアムという。そして、この御方が、魔力圧を初めて数値化して体系的に纏めたので、その名を単位として用いておるんじゃよ」
「そういう事だったんですか……なるほど」
これは勉強になる話であった。
ヴァロムさんから一般常識もある程度習ってはいたが、主に社会システムや簡単な風習、そして文字の読み書きや魔法関連の話が殆どだったので、この国の歴史については疎いのである。
まぁそんなわけで、俺は今、その辺の事をもっと習っておけばよかったと、少し後悔もしているのであった。
「まぁとはいっても、当時は単位なんてものは無かったそうじゃから、ベリアムという単位が用いられるようになったのは後世になってからじゃがな。それと余談じゃが、ラミナスの賢者・リバス殿はベリアム直系の方じゃから、これもついでに覚えておくとよいぞ。このイシュマリアやラミナスでは常識じゃからの」
「ええ、覚えておきます。恥をかくのは嫌なので……」
そして俺は今の内容を、頭に深く刻み込んだのである。
と、そこで、グレミオさんが話しかけてきた。
「あの、コータロー君だったかな。話を戻すけど、君は魔光の剣をどのくらいの期間使ってきたんだい?」
「ジュノンの月に手に入れて、それからずっとですね」
「フムフム。という事は、それなりに、この魔導器の特徴は把握しているって事だね。じゃあさ、お願いがあるんだけど、君の持つ魔光の剣で、あそこに置いてある鉄の前掛けを切断してもらいたいんだが、いいかい? 君の高い魔力圧で生みだされる魔光の剣が、どんなモノなのかを見てみたいんだよ」
グレミオさんはそう言うと、部屋の片隅にあるエプロンみたいな形状をした鉄製の物体を指さしたのであった。
なぜここに鉄の前掛けが……などと思ったが、表面が薄汚れているので、どうやら実験する時に使っている物のようだ。
「ええ、構いませんよ」
「じゃあ、お願いするよ」
そしてグレミオさんは、斬りやすいよう、鉄の前掛けをその辺の椅子に立て掛けたのである。
俺はソファーから立ち上がると、鉄の前掛けの所へと行く。
そこで、俺は魔光の剣を手に取り、光の刃を出現させた。
(さて、では魔力圧を上げるか……)
魔力圧が上がるに従い、光刃は更に眩い輝きへと変化してゆく。
程よい輝きになったところで、俺は袈裟に、鉄の前掛けを斬りつけた。
と、その刹那。
――カランッ――
鉄の前掛けは豆腐でも斬るかのようにスパッと切断され、甲高い音を立てて石の床に横たわったのである。
グレミオさんの感極まったような声が聞こえてきた。
「す、すばらしい! 本当に鉄が斬れるなんてッ。魔光の剣の特性上、魔力圧が高くなると確かに切れ味は増すが、魔力圧200ベリアム以上の者が振るうと、まさかここまでとは……。これは嬉しい誤算だよ。元々この魔光の剣はね、理力の杖と同様、魔法使いが呪文を封じられた時の緊急手段用として考案したものなんだけど、当初の想定では、精々、鋼の剣程度の威力と見積もっていたからね。まぁ一般的な魔法使いが使用すると仮定して作ったからだけどさ。それにしても、いやぁ~、しかし、驚いたよ。ありがとう、素晴らしいモノを見せてもらった」
感動しているところ悪いが、俺はもう一度問題点を指摘しておく事にした。
「でも、さっきも言いましたが、魔力消費も凄いんですよ。今の調子で剣を振るえば、あっという間に魔力が尽きてしまうんです。ですから、ここが大幅に改善できるのであれば、常用武器として凄い優秀なんですよね」
グレミオさんは頷く。
「確かに、君の場合はそこが問題だね。魔力圧が高ければ、当然、その分出てゆく魔力量も多くなるから。でもね、一応、言っておくと、魔光の剣の想定魔力圧は30ベリアムから80ベリアムなんだよ。君の場合、それを大きく上回る200ベリアム越えの魔力圧なわけだから、切れ味も増すが、籠めた分の魔力も大放出状態になってしまってるんだ」
理屈は分かったが、問題は改善できる方法があるのかどうかだ。
「改善できそうですかね?」
「結論から言わせてもらうと、大幅に改善する事は出来るよ。というか、この魔導器の場合は構造が単純だから、改善できる部分となると魔力収束率を向上させるくらいだけどね。要は、君の魔力圧に合わせた魔力収束率の物を作ればいいだけさ。ただ、問題はあるんだよ……」
「問題?」
グレミオさんは頷くと、少し険しい表情で話し始めた。
「魔光の剣の内部には、魔力を圧縮して収束させる為に、コルレッサ・スピネルという青い魔晶石が使われているんだけど、大幅に魔力の収束率を改善させるには、もうこの素材では難しいんだよね」
どうやら、劇的に改善するには、素材自体を変えてしまわないといけないという事のようだ。
しかもこの口ぶりだと、なかなか手に入らない素材なのかもしれない。
「では、素材があれば、出来るという事なんですね?」
「うん、出来るよ。しかし、大幅な改善となると、一点の曇りもない奇跡の魔晶石であるクラン・スピネルくらいしかないだろうから、今のところは難しいと言わざるを得ないかな。あれは私でもおいそれと手が出せない素材だからね」
「そうなんですか。それは残念ですね」
クラン・スピネル……確か、ドラクエⅧで出てきた、魔力を秘めた宝石だった気がする。
だが、ここでも同じモノとは限らないので、とりあえずは置いておくとしよう。
と、ここでリジャールさんが話に入ってきた。
「クラン・スピネルを手に入れるのは流石に厳しいじゃろう。儂も錬成技師を長い事やっておるが、国宝としてイシュマリア王家が管理している【落陽の瞳】と【蒼天の雫】しか見た事ないからの」
「ええ、私もそれしか見た事ないです。でもクラン・スピネルならば、劇的に改善できるのは間違いないですね。あの魔晶石の魔力増幅率と魔力収束率、そして魔力蓄積量は群を抜いていますから。ですので、もしあれを使えたならば、魔光の剣を発動しても魔力の消費をかなり抑えられる上に、消費せずとも150ベリアム以上の光刃を常時だせる筈です。おまけに、魔力増幅器としても使えるでしょうから、所有者の魔法もかなり強力なものになりますよ」
今の話を聞く限り、クラン・スピネルを使えば凄い性能をもつ武器になりそうだが、現状は無理と見て間違いなさそうである。仕方ない、諦めるとしよう。
というわけで、俺は多少の改善ができるのかを訊いてみる事にした。
「ところでグレミオさん、大幅な改善は難しい事が分かりましたが、多少の改善は出来るのですかね?」
「魔力収束率をある程度までなら向上させる事はできると思うよ。ただ、組み込んであるコルレッサ・スピネルを新しく加工しないといけないから、魔光の剣そのものを新しく作らないといけないんだけどね」
「そうですか。ちなみに、それってどのくらい日数が掛かりそうですかね、それと費用が幾らくらいかかるのか教えて頂けるとありがたいのですが」
グレミオさんはそこで顎に手を当て、考える仕草をした。
「そうだねぇ……まぁ10日もあればできるかな。もしなんだったら、改善した新しい魔光の剣を無料で製作してもいいよ。但し、交換条件があるけどね」
「交換条件?」
「ああ。月に2度ほど私の工房に来てもらって、試作品の試験使用をしてもらいたいんだよ。君のような魔力圧の持ち主はそうそういないから、そこで得られる結果は非常に貴重だからね。で、どうだろう、協力してくれるなら、無料で作るよ」
要するに、試作品の実験台になってくれたら、タダでいいって事か。
まぁその程度の事なら引き受けてもいいが、問題もあるのだ。
なぜなら、月に2度もマルディラントに来なければならないからである。
俺は風の帽子もない上に、秘蔵であるキメラの翼も10枚しかないので、少々、厳しい条件の気がしたのであった。
どうしようか迷っていると、アーシャさんが話に入ってきた。
「コータローさん、いいじゃないですか。試作品の試験使用をやったらどうです? こちらに来る時には、私も手を貸しますわよ」
「えッ、いいんですか?」
「構いませんわ。私も試作品の魔導器というのに興味がありますから」
折角だし、ここはアーシャさんの好意に甘えるとしよう。
だが返事をする前に確認しておく事がある。
「グレミオさん、先程、月に2度ほどと仰いましたが、それはどのくらいの期間ですか?」
「そうだねぇ……じゃあ、ラトナの月までという事にするよ。それ以降については、また君に確認させてもらうという事で」
期間は大体、半年といったところだ。
俺はそのくらいなら問題ないと思い、お願いする事にしたのである。
「わかりました。ではグレミオさん、新しい魔光の剣の製作をお願いします」
「じゃあ、交渉成立という事だね。では魔光の剣を新しく作るから、10日程経過したら、ここに取りに来てくれるかい?」
「ええ、そうさせて貰います」
とまぁそんなわけで、思わぬ展開になったわけだが、新しい魔光の剣に関しては嬉しい誤算だったので、とりあえず俺は良しとしたのである――
その後も俺達は、グレミオさんと世間話や魔導器の話を続けた。
リジャールさんとグレミオさんのマニアックな単語が飛び交う場面も多々あった為、俺達も少々面食らったが、2人の錬成技師の話は勉強になる事が多かった。
また他の皆も魔導器について興味があるのか、リジャールさんとグレミオさんに色々と質問をしていたのである。
皆が訊いていたのは魔光の剣についての事や、他の魔導器の事であったが、そこで俺は興味深い話を聞けたのだ。
それは何かというと、幾ら高い魔力圧の魔光の剣といえども、そう簡単には斬れない物があるという事である。
グレミオさんはこんな事を言っていた。
「実を言うと魔光の剣はね、魔光の剣は斬れないんだよ。魔力は人それぞれ波長が違うからね。その他にも、魔法が付加された魔法の鎧や魔法剣の類も、そう簡単には切り裂けないだろうね。まぁとはいっても、それを超える強力な魔力圧の刃なら、何れ切り裂けるだろうけど」
要するに、魔法が付加された武具や同じ魔光の剣だと、そう簡単には切断できないのだろう。
これは非常に重要な話であった。
その為、俺はこの言葉を深く肝に銘じたのである。
この他にも、皆の口からは色んな道具や武具の名前がでてきた。
ちなみにそれらはゲームにでてきた物ばかりで、例を挙げると、まだらくも糸に疾風のリング、魔除けの鈴に、命の指輪と祈りの指輪、それから、まどろみの剣にドラゴンキラーや雷鳴の剣といった、一般的な物から伝説級の武具に至るまで、それは様々であった。
そして俺は皆の会話を聞きながら、ゲームをしていた頃を1人懐かしんでいたのである。
話は変わるが、そこでの話の流れから、他の皆も魔力圧を計ってみたいという事になった。
で、その計測結果だが、アーシャさんが138ベリアム、サナちゃんが131ベリアム、レイスさんが30ベリアム、シェーラさんが40ベリアム、といった感じであった。
こうして他の皆の数字を見ると、俺の203ベリアムという値は、かなり突出しているのがよく分かる。
以上の事から俺は、ここまで鍛えてくれたヴァロムさんに、今更ながらも深く感謝したのであった。
というわけで、話を戻そう。
太陽も少し傾き始めた頃、俺達はグレミオさんの工房を後にした。
そしてリジャールさんを送り届ける為に、俺達は街の片隅にある人気のない場所に行き、風の帽子を使ってガルテナへと一旦戻ったのである。
出発地点であるリジャールさんの家の裏手に降り立ったところで、リジャールさんの感心する声が聞こえてきた。
「しかし、凄いもんじゃな、古代魔法文明という物は……。馬でも往復で4日から5日は掛かる距離を、一瞬じゃからのぅ」
「同感です。こんな凄い物をアーシャさんが持っていたなんて知りませんでした」
サナちゃんはそう言って風の帽子に目を向ける。
「本当よね。コータローさん達と旅して、まだ3日ほどしか経っていないのに、驚かされる事ばっかりだわ」
「全くだ。だが、私は運が良かったとも思っているよ。これほど頼もしい人達は、そうはいない気がするからな」
「でも、この事は内密にお願いしますわよ。色々と面倒な事になりかねないので」
アーシャさんはそう告げると、口元に人差し指を立てた。
「ああ、それはわかっておるよ。アーシャ様にこれ以上ご迷惑はかけられぬからの」
「私達も他言はしませんから、安心してください」と、サナちゃん。
「ところでリジャールさん……ティレスさんに直談判した事を、村長にはどう説明するんですか?」
俺の質問にリジャールさんはニコリと笑みを浮かべた。
「ああ、それか。まぁそれに関しては、儂の昔の肩書を利用して、アレサンドラ家に書簡を前もって送っておいた事にでもしとくわい。儂がクレムナン家の者という事までは村の者も知らぬから、この事実を話せば納得するじゃろう」
「それがいいかもしれません。ある程度事実を伴わないと嘘はバレますからね」
「じゃな。まぁそれはともかくじゃ。お主達、明日はまたここから出発するのかの?」
「ええ、そうですが」
「ならば、出発する前に一度、儂の家に立ち寄ってくれぬか? お主達に渡しておこうと思う物がある。まぁある意味ガラクタと呼べるかもしれぬが、何かの役には立つかもしれぬからの」
「えッ? これ以上貰うのは、流石に悪いですよ。先程頂いた報酬ですら、ちょっと身に余る気がしますし」
アーシャさんも俺に続く。
「コータローさんの言うとおりです。魔導器はどれも貴重なものばかりでしたから、これ以上は悪いですわ」
するとリジャールさんは飄々としながら、こう言ったのである。
「そこまで気にせんでもええ。それほどの物ではないわい。ありゃ、1回使ったらダメになる失敗作じゃからな」
「へ? 1度しか使えない……何ですかそれ?」
「カッカッカッ、それは明日になってからじゃな。まぁそういうわけじゃから、明日の朝、儂の家に立ち寄ってくれ。その時までに揃えて用意しておくからの」
「はぁ……」――
[Ⅱ]
その夜、俺達はティレスさんに夕食の席へと招かれた。
席に着いたのは、ティレスさんと俺達の5人だけであった。サブリナ様やエルザちゃんはこの席にはない。別の所で食べているのだろう。
まぁそれはさておき、ティレスさんとサナちゃん達は初顔合わせとなる為、食べる前に簡単に自己紹介をする事となった。ちなみにだが、サナちゃんは俺が忠告した通り、ラミナスの王族であるという事は伏せておいてくれた。
なぜそんな指示をしたのかと言うと、やはり、どこから秘密が漏れるかわからないからである。
たとえティレスさんと言えども、迂闊に話すわけにはいかないと俺は判断したのだ。
サナちゃん達の自己紹介が一通り終わったところで、俺達は旅の話や世間話などを交えながら、次々と出される豪勢な料理を楽しんだ。
それは楽しいひと時であった。
だが、夕食を終えたところで、俺はティレスさんからこんな事を耳打ちされたのだ。
「大事な話がある。暫くしたら、執務室の方に来てもらえるかい。2人だけで話をしたいので、君1人で来てほしい」と。
まぁそんなわけで俺は、皆と客間で少し寛いだ後、ティレスさんの待つ執務室へと1人向かったのである。
執務室の前に来た俺は、扉をノックした。
程なくして、扉が静かに開き、中からティレスさんが現れた。
「待っていた。さぁ、中に入ってくれ」
「はい、では」
俺は促されるまま、執務室へと足を踏み入れる。
中はティレスさん以外誰もいなかったが、天井の煌びやかなシャンデリアが眩く輝いているので、人がいないにも関わらず、室内は賑やかな様相となっていた。
シャンデリア以外にも、数々の美術品や綺麗なカーペットが敷かれているので、余計にそう見えるのだろう。
まぁそれはさておき、俺は応接用のソファーへとティレスさんに案内された。
そして、互いに向かい合う形でソファーに腰を下ろしたところで、ティレスさんは見覚えのある帳面のようなモノをテーブルの上に置いたのである。
「コータロー君。これなんだけど、何か分かるかい?」
俺はそれを見た瞬間、思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。
なぜならば、その帳面はよく見ると、旅に出る前に一度目にした物だからである。
俺は恐る恐る言葉を発した。
「ル、ルイーダの酒場にある……ぼ、冒険者名簿ですか」
「ああ、その通りだ。で、これをなぜ君に見せたのか……もう理由は分かっているよね?」
俺は無言で頷いた。
ティレスさんはそこで、パラパラと帳面をめくって、とあるページを広げる。
そして、そこに書かれている登録者名を指さしたのである。
「これは4日前に登録された冒険者の項目なんだけど、ここに君の名前に続いてアーシャの名前があるんだが、このアーシャはウチの妹で間違いないね?」
「はい……間違いありません」
どうやら、アーシャさんの工作は失敗に終わったようだ。
言い訳になるかもしれないが、俺は冒険者登録する時に、偽名を使っておいた方がいいと、一応、忠告はしたのである。が、しかし……アーシャさんは「大丈夫ですわ。名前だけですから、誰も気付きませんわよ」といって本名で登録したのだ。
その為、俺はもう少し説得しておくべきだったと、今になって後悔したのであった。
「やはりそうか……いや、俺もおかしいとは思っていたんだよ。父上が王都に向かう時、てっきり付いて行くものとばかり思っていたのに、こちらに留まったからね。そしたら、案の定だったというわけだ。俺もこれを見て驚いたよ。守護隊の人手が足らなくなってきたので、ルイーダの酒場・マルディラント店に登録してある最新の冒険者登録名簿を取り寄せてみたら、君達の名前が書かれていたのだからね。で、これは一体どういう事なんだい? もしかして、オルドラン様からの指示なのか?」
俺はどう答えようか悩んだが、もはや弁解の余地なしと思い、正直に言う事にした。
「いえ、違います。俺がヴァロムさんの件を聞いて王都へ向かおうとしたら、アーシャさんも付いて行くと言い出したんです。俺も反対はしたんですが、押し切られる形になってしまい、結果的にこうなってしまいました。本当に、申し訳ありませんでした」
そして俺は、テーブルに額がつかえるくらい、深く頭を下げたのであった。
「まぁそんな事だろうとは思ったよ。アーシャは言い出したら聞かないからね。おまけに、結構、根に持つ性格だしな……」
「ええ……」
俺達の間にシーンとした重い空気が漂い始める。
この様子を見る限り、ティレスさんもアーシャさんには苦労しているのだろう。
「ま、まぁ、アレだ。それについては、とりあえず、置いておこう。今問題なのはそこじゃないからね」
「ええ。それでどうされるのでしょうか? アーシャさんに諦めるよう説得するのでしたら、俺にもこうなった責任があるので、手伝いますが」
ティレスさんはそこで目を閉じ、無言になる。
だが次の瞬間、予想もしない言葉が返ってきたのである。
「いや……アーシャには引き続き、君達と共に王都へ向かって貰おうと思っている」
「えッ!? いいのですか? 今までは大丈夫でしたが、この先どうなるかわかりませんよ。魔物も多くなってきている感じですし」
「それはわかっている。しかし、漠然とだが、何か嫌な予感がするんだ。昨今、魔物の数が急激に増えているのは君も知っているとは思うが、王都の周辺ではそれ以外にも、別の現象が起きているらしいんだよ」
「別の現象……」
ティレスさんは頷くと続ける。
「これは配下の者から聞いたのだが、ここ最近王都では、見た事もない強力な魔物が日に日に増えているそうなんだ。それに加え、王都は今、オルドラン様の投獄や、陛下の変貌といった今までにないおかしな事も起き始めている。だから、近いうちに何かとんでもない事が起こりそうな気がしているんだよ、俺は……」
「では尚更、アーシャさんが俺達に同行するのは不味いのでは?」
「そう……確かに、そんな所へアーシャを行かせるのは私も気がひける。だが何かあった場合、父上をすぐに避難させられるのは、アーシャの持つ古代の魔導器以外方法がないんだ。だからだよ」
「それならば、風の帽子を他の方に……って、アーシャさんがそんな事を許す筈がないですね」
アーシャさんの性格から考えて、あれを他人に渡すというのはあり得ない事であった。
なぜなら、風の帽子のお蔭で、自由を手に入れたからである。風の帽子はアーシャさんの唯一無二の宝物なのだ。
「ああ。アイツの性格上、あの魔導器を人に貸すなんて事は絶対ない。ましてや、取り上げてまでなんて事をしようものなら、父上がいない今、何をするかわかったものではないからな。だから、このまま君達と共に、王都へ向かってもらうのが一番手っ取り早いんだよ」
「そうですか。しかしですね、良いのですか? 旅には危険も付き纏いますし、仲間も俺達だけなのですが」
「ああ、それはわかっている。だが、アーシャも風の帽子の事は誰にも話したくはないだろうから、今のまま、君達と共に旅を続けてもらうのが一番いいと思うんだよ。夕食の時の様子を見る限り、アーシャも君達を信頼している感じだったからね。それにアーシャは、ラミリアンの者達にも風の帽子の事を話したのだろう?」
「ええ、まぁ……」
どうやらティレスさんが俺達を夕食に誘ったのは、どんな仲間なのかを見定める為だったようだ。
これは流石に気が付かなかったところである。
「そこで、だ。本題に入ろうと思うが、今日、ここにコータロー君を呼んだのはだね、君の目から見てラミリアンの3名はどうなのかが訊きたかったからなのだよ。君はイデア神殿での時もそうだったが、物事を深く見る目を持っているからね。で、どうなんだい? 信頼できそうな者達なのか?」
俺は首を縦に振ると、サナちゃん達の素性を少しだけ話すことにした。
「はい、信頼は出来ると私は見ております。夕食の時には触れませんでしたが、実はあの3名は共に、ラミナス国の騎士であった者達なのです。ですから腕もありますし、旅慣れてもいるので、私達も非常に頼もしく思っているのですよ」
「なんだって、彼等はラミナスの騎士だったのか……なるほど、どおりで……。実は先程の晩餐の時、一介の冒険者にしては珍しく礼儀作法を心得ているなと俺も思ったのだよ。そうか……ラミナスの騎士だったのか」
サナちゃん達の素性を知り、ティレスさんも少し安心したようだ。
まぁそれはさておき、俺も幾つか気になる事があったので、それを訊ねる事にした。
「あの、ティレス様。先程、陛下の変貌と仰いましたが、どういう事なのでしょうか? 以前、ルイーダの酒場に立ち寄った時にも、そんな噂を聞いたのですが……」
今の質問をした途端、ティレスさんは表情を曇らせたが、暫くすると話してくれた。
「そうだな、君にも話しておくとしよう。実はね、アムートの月に入ってすぐの頃に、こちらからイシュマリア王へ使者を送ったのだが、その時、謁見した者の話によると、陛下は二言三言答えはするものの、何を話してもまるで関心を示さず、無気力で無感動だったそうだ」
「無気力ですか……」
「ああ。それから、その使者はこうも言っていたんだ。……以前、謁見した時と比べると、まるで別人のようであったと。そして、イシュマリア城にいる者達は皆、陛下の変わりように狼狽えているのだそうだ。つまり、それが今のイシュマリア王なのだよ。しかもそれに加えて、ついこの間あったオルドラン様の投獄だからね。今のオヴェリウスは、少し異常な状態なんだ。俺が父上の身を案ずるのも、そういうところからきているのさ」
俺はイシュマリア王に会った事がないので何とも言えないが、良く知る者からすると別人に思えるくらい人が変わったという事なのだろう。
もしかすると、ドラクエⅢであったサマンオサの王のようになっているのかもしれない。
「ちなみにですが、イシュマリア王がそのような感じになり始めたのはいつ頃からなんでしょうか?」
「使者の話によると、ゴーザの月に入った頃かららしい」
「という事は、我々がイデア遺跡群に行って暫くしてからですか……」
「確かにそうだが、その件はあまり関係無い気がするがな」
「そうかもしれませんが……少し気になりますね」
考えすぎなのかもしれないが、そこが少し引っ掛かるところであった。
しかし、今考えたところで答えは出ない気がしたので、とりあえず、俺は置いておく事にした。
「まぁそれはそうと、コータロー君。アーシャの事を頼むよ。アイツはああ見えても、君の事を高く評価しているからね」
「勿論です。アーシャ様の事はしっかりとお守り致します」
「ああ、よろしく頼む。それとだが……これも君に渡しておくよ」
ティレスさんはそこで立ち上がり、ソファーの近くに立て掛けられた2本の剣を俺に差し出したのである。
剣は銀色の鞘に収まっており、金色の柄と十字を描くように交差する鍔の中心には、赤い宝石が埋め込まれていた。まぁハッキリ言って、かなりカッコいい西洋風の剣であった。
だが、剣を渡された意味が分からないので、俺は訊ねた。
「ええっと……この剣は何なのでしょうか?」
「これは破邪の剣といってね、邪悪なモノを退ける力を持った魔法剣さ。その上、ギラの魔法も籠められている。そして、我がマルディラント守護隊の精鋭が装備する武具の1つでもあるんだが、これをレイスさんとシェーラさんに君から渡しておいてもらいたいのだよ。俺もアーシャを君達に預ける以上、何もしないわけにはいかないからね」
「わかりました。2人にはそう言って渡しておきましょう」
「ああ、よろしく頼む――」
その後、俺はアーシャさんに関する指示を幾つか承ったところで、執務室を後にした。
そして翌朝、俺達はガルテナへと向かい、風の帽子の力で空高く舞い上がったのである。
Lv28 アルカイム街道(i)
[Ⅰ]
やや曇った空の元、風の帽子の力によってマルディラントを発った俺達は、昨日と同様、リジャールさんの家の裏手へと降り立った。
そして、正面に回って玄関扉を開き、中に向かって呼びかけたのである。
「おはようございます、リジャールさん。コータローです。言われた通りやってきました」
家の奥からリジャールさんの元気な声が聞こえてくる。
「おお、来たか。ではコータローよ、お主だけ中に入ってきてくれ。昨日、報酬を渡した部屋じゃ」
「え? 俺だけですか。……わかりました。では、お邪魔します」
なぜ俺だけなのかがわからなかったが、とりあえず、指示に従う事にした。
昨日の部屋へと進むと、丸テーブルの椅子に腰掛けるリジャールさんの姿があった。
リジャールさんは俺の姿を見るとニコリと微笑んだ。
「ではコータローよ。そこの空いている椅子に腰掛けてくれ」
「はい」
俺が椅子に腰掛けたところで、リジャールさんは話し始めた。
「まずは、おはようじゃな。昨夜はよく眠れたかの?」
「ええ、よく眠れましたので、今日は調子がいいですよ」
「それは良かった。さて、それでは本題に入ろうかの……」
と言うとリジャールさんは、茶色い革製の巾着袋をテーブルの上に置いたのである。
巾着袋の大きさは、日本で売っている一般的な弁当箱が入る程度の物で、中に重い物が入っているのか、ずっしりとした感じであった。テーブルに置いた時にシャリンという金属音が聞こえたので、もしかすると、中身は金物系のアイテムかもしれない。
リジャールさんは巾着袋を俺に差し出した。
「昨日、お主に渡すと言った物じゃが、それはコレの事じゃ」
「これは?」
「とりあえず、中を見てみい」
「では……」
リジャールさんの意図がよく分からないが、俺は巾着袋を手に取ると、言われるがままに中を確認した。
だが次の瞬間、俺は目を見開いて驚いたのである。
なぜなら、巾着袋の中には、カーンの鍵に似た物が幾つも入っていたからだ。
「え!? これは一昨日のアレですよね……しかも、こんなに沢山……どうしてこんなに」
「ああ、お主の言うとおり、それはアレじゃ。しかしの、それは代替え素材で作った紛い物なのじゃよ。1度使うと形状を維持できずに砕けてしまうので、不便といえば不便じゃが、もし何かあった時の為に予備で持っておくとよいと思っての。まぁそういわけで、アレの事は、あまり大きな声で話すわけにはいかぬから、お主だけを呼んだのじゃよ」
俺はリジャールさんの話を聞いて、ドラクエⅠに出てきた魔法の鍵を思い出してしまった。
確か、Ⅰの魔法の鍵も、一度使うと壊れる設定だったからだ。
まぁそれはさておき、持っていても損はない物なので、俺は快く鍵を貰う事にした。
「そうなのですか。では、ありがたく頂戴いたします」
「うむ。持ってゆけ。それから、また欲しくなったら、儂の所に来るがいい。幾らでも作れるからの」
「はい、その時はまたよろしくお願いします」
代替え素材とはいえ、こういった物を作り上げてしまう、その手腕は流石だなと思った。
老いたりとはいえ、今でも超一流の錬成技術を持っているのだろう。ヴァロムさんが頼るわけだ。
「ところでコータローよ。ティレス様は、守護隊の派遣について何か言っておったかの?」
「ええ、それなのですが……ティレス様は今日中に第1陣を発たせると言っておりました。なので、恐らく、2日後には第1陣の部隊がこちらに到着すると思われますよ」
リジャールさんは安堵の表情を浮かべた。
「そうか、それは良かった。儂もその旨を村長に伝えておこう」
俺も昨晩の事を訊いてみた。
「昨晩はどうでしたかね? ヴァイロン達は現れましたか?」
リジャールさんは頭を振る。
「いや、現れなんだ。お主の言うとおり、今は攻め手を欠いておるのかもしれぬの。まぁこちらも今の内に警備体制を整えておけるので、その方が好都合じゃがな」
「確かに……あ」
と、そこで俺は、昨日、訊けなかった事を思い出したのである。
ちなみにそれは、サナちゃん達がいたので訊けなかった事であった。
「あの……この魔導の手なんですけど、ヴァロムさんが使っているところを見た事がないんですが、ヴァロムさんも以前は使っていたのですかね?」
「いや、ヴァルは魔導の手を使っておらぬ。というか、ヴァルなら、使わぬでも同じ事が出来るからの」
「え、それってどういう……」
「お主のその口振りじゃと、まだヴァルから、大賢者が編み出した秘法を学んではおらぬようじゃな」
大賢者の編み出した秘法……多分、アレの事だろう。
「それって……もしかして、魔生の法の事ですかね? それなら、今、学んでいる最中ですが」
「ほう、そうか。ならば話は早い。これはヴァルが言っておったのじゃが、魔生の法を使っておる時は、周囲に漂う大地の魔力に干渉出来るらしく、魔導の手を使わぬでも同じことが出来るそうなのじゃよ。まぁそういうわけで、ヴァルは魔導の手を使ってはおらんのじゃ」
「そ、そうだったんですか、初めて知りました」
まさか、魔生の法にそんな秘密があったとは……。
「実は儂も、お主と同じような事をヴァルに訊いた事があるんじゃ。するとヴァルの奴はの、こんな事を言っておったわ。――やろうと思えば道具無しでもできるのだから、無理して魔導の手を装備する必要はない。腕は2つしかないのだから、自分の能力をもっと高めてくれる物を装備する――との。あ奴らしい答えじゃわい」
「確かにそうですね。ヴァロムさんらしい合理的な考え方です」
「ああ、全くじゃ。……さて、儂から渡す物は以上じゃ。これ以上引き留めると、お主等の旅に支障が出るじゃろうから、もうこの辺にしておこうかの。……っと、そうじゃ、これを言い忘れたわい。投獄されているヴァルに会う事があったならば、儂がこう言っていたと伝えておいてくれ。『何をするつもりなのか知らんが、お主も年なんじゃから、あまり無理をするなよ』との」
「ええ、必ず伝えておきます」
リジャールさんからしたら、こう言いたくなるのも仕方ないだろう。
まぁそれはともかく、俺もそろそろお暇させてもらうとしよう。
「ではリジャールさん。皆も待っていると思いますので、俺もこれで失礼させて頂こうと思います」
「うむ、見送ろう」――
玄関の前で待っている皆の所へ戻った俺は、そこでリジャールさんに向き直り、別れの挨拶をした。
「リジャールさん、短い間でしたが、色々とありがとうございました」
「いやいや、世話になったのはこちらの方だ。またいつでも気兼ねなく訪ねてきてくれ。お主等にはそれが出来るのじゃからな。カッカッカッ」
リジャールさんはそう言って豪快に笑った。
俺は思わず苦笑いを浮かべる。
「はは、その時はよろしくお願いしますよ」
「うむ」
出会って2日しか経っていないが、この人ともこれでお別れかと思うと、少し寂しさが込み上げてくるから不思議なものである。
多分、話しやすい人だからなのだろう。
なぜか知らないが、何日も一緒にいたような錯覚を覚えるくらいである。
「それから、カディスさん達にもよろしくお伝えください。警備の邪魔しては悪いので、俺達はこのままガルテナを発つつもりですから」
「ああ、伝えておこう。それと道中は気を付けるがよいぞ。人づてに聞いた話じゃが、王都に向かうにつれて、魔物も強くなってきておるそうじゃからの」
「ええ、十分に気を付けて進むつもりです」
続いて、他の皆もリジャールさんに挨拶をしていった。
「ありがとうございました、リジャールさん。色々と勉強になりましたわ。またお会いしましょう」
「リジャールさんもお元気で」
「お世話になりました、リジャールさん」
「ではリジャール殿、お身体に気を付けて下され」
リジャールさんは皆にニコリと微笑んだ。
「うむ。お主達も元気でな。たまには顔を見せに来るがよい」
「はい、その時はまたよろしくお願いします」と、サナちゃん。
そして、俺達は最後にもう一度、リジャールさんにお別れの言葉を告げ、この場を後にしたのであった。
「ではリジャールさん、お元気で」と。
俺達はその後、宿屋の厩舎に立ち寄り、馬と馬車を引き取りに行った。
そして、来る途中にあった分かれ道にまで戻り、その先にあるモルドの谷へと向かって馬車を走らせたのである。
[Ⅱ]
ひっそりと静かな木陰が続く山道に、カラカラとした俺達の馬車音が響き渡る。
耳を澄ますと、そよ風に揺れる枝葉のさわさわとした音や、キィキィと鳴く野鳥の声が聞こえてきた。
俺は今まで魔物の襲撃を過剰に警戒するあまり、自然界の音にそれほど気を配ってこなかったが、こうやって耳を傾けてみると、妙に気分が落ち着くものだなと思った。
もしかすると、自然が奏でる何気ない音には、思った以上にリラクゼーション効果があるのかもしれない。
まぁそれはさておき、俺達がガルテナを出発してから20分程経過したところで、前方にV字型になった深い谷が見えてくるようになった。恐らく、あれがモルドの谷と呼ばれる所なのだろう。
谷には頭上を遮る枝葉もない為、空一面がモクモクとした灰色の雲に覆われているのが、ここからでもよく見える。が、見た感じだと雨雲ではなさそうなので、今しばらくは雨の心配をしなくてもよさそうだ。
また、果てしなく伸びる道の両脇には、青々とした草木が生い茂る緩やかな山の裾野が広がっており、その遥か頂きへ視線を移すと、天を突き刺すかのような鋭利な刃物を思わせる山の先端部が、俺の視界に入ってくるのである。
見た感じだと、標高は2000mくらいだろうか……。まぁその辺の事はわからないが、ここはガルテナ連峰と呼ばれる山岳地帯なので、それくらいはあっても不思議ではないだろう。
とりあえず、モルドの谷とはそんな感じの所であった。
話は変わるが、谷の名前であるモルドとは、その昔、この地で活躍した旅の戦士の名前だそうだ。
これはガルテナを出発する前に宿屋の主人から聞いた話なのだが、なんでも、300年ほど前に谷で悪さしていた魔物がいたらしく、それをモルドという戦士が退治してくれた事から、村の者達が感謝の意を込めてそう名付けたそうである。
まぁこの手の英雄譚は日本昔話でもよく見かけるので珍しくもなんともないが、何気ない地名にもちゃんと由来はあるようだ。
つーわけで、話を戻そう。
モルドの谷を暫く進んだところで、ティレスさんから預かっている物があるのを俺は思い出した。
ちなみにそれは、旅が始まったらアーシャさんに渡してくれと言われていた手紙であった。
とまぁそんなわけで、俺は道具入れの中から白い封筒を取り出し、隣に座るアーシャさんにそれを差し出したのである。
「あの、アーシャさん。ティレスさんから預かった手紙があるんですよ。これなんですけど」
「え、お兄様から? 何かしら、一体……」
アーシャさんは首を傾げながら手紙を受け取ると、早速、封を解いて中のモノに目を通していった。
すると次第に、アーシャさんは口元をヒクつかせ始めたのである。
「ん、もうッ! お兄様は、私がコータローさん達と旅をしているのを知っていたのですね。知っていたのなら、ハッキリと仰って下されば良かったのにッ」
実を言うと、既にバレている事をアーシャさんは知らない。
ティレスさんから内緒にしておいてくれと言われたので、それについては話してないのだ。
なぜこんな事をしたのかわからないが、多分、ティレスさんのちょっとした悪戯なのだろう。
「まぁまぁ、アーシャさん。多分、ティレスさんなりの考えがあったんだと思いますよ。でもよかったじゃないですか、ティレスさんも俺達と同行するのを認めてくれたのですから」
「ええ、まぁそれはそうなのですが……って、なんで貴方が、それを知っているんですの?」
しまった……。
余計な事を言ってしまったようだ。
「じ、実はですね。昨晩、ティレスさんから、そう聞いたんです」
「なんですってぇ! あんまりですわ、お兄様! コータローさんもコータローさんですわよ。知っていたのなら、一言仰って下されば良かったのにッ。これじゃ、気を使ってきた私が馬鹿みたいですわ」
アーシャさんは捲し立てるようにそう言うと、釣り上げられたトラフグの如くプンスカと頬を膨らましたのである。
このままだと俺に火の粉が降りかかりそうなので、とりあえず、事情を話しておくことにした。
「だ、黙っていてすいませんでした。ですが、黙っているようにという指示を出したのはティレスさんなんですよ。お、俺はそれに従っただけなんです」
「へぇ……そうなのですか。帰りましたら、お兄様にはどういう事なのか、問いたださなければなりませんわね……」
アーシャさんは執念深いので、ティレスさんも後が大変そうだ。
まぁそれはさておき、俺は他の内容について訊いてみる事にした。
「それはそうとアーシャさん。手紙には他に、なんて書いてあったのですか?」
「ここに書かれているのは、今言った内容と、引き続き、朝と晩はちゃんと顔を見せに来るように、という事だけですわ」
「じゃあ、今まで通りって事ですね」
「確かにそうですが、納得いきませんわッ」
アーシャさんはまだご立腹のようだ。
暫くはこんな感じが続きそうである。はぁ……。
と、ここで、サナちゃんが話に入ってきた。
「でもよかったですね、アーシャさん。お忍びで旅を続けるのは、アーシャさんも気が楽でなかったと思いますから。それに、コータローさんとアーシャさんは、レイスとシェーラ以外で、私が気を許せた初めての方達ですから、アーシャさんが気兼ねなく旅を続けられると聞いて、今、凄くホッとしてるんです。ですから、これからもよろしくお願いしますね、アーシャさん」
サナちゃんはそう言って、屈託のない笑みを浮かべた。
するとアーシャさんは、サナちゃんの微笑みに毒気を抜かれたのか、少し戸惑いながら、いつもの表情に戻ったのである。
「え、ええ……こちらこそよろしくお願いしますわ、サナさん」
どうやらサナちゃんは微笑みだけで、アーシャさんを鎮めるのに成功したようだ。
回復系魔法が得意なだけあって、この子自身も、癒しの効果を持っているのかもしれない。ある意味、貴重な人材かも。
続いてサナちゃんは俺へと視線を向けた。
「あの、コータローさん。……昨日の事でお訊きしたい事があるのですが、今いいでしょうか?」
「いいよ、何?」
「昨日、リジャールさんの家を出発する前なのですけど、コータローさんは、坑道内に水が流れている所や湧いている所があるのかどうかを訊ねていた気がするのですが、あれは何の為に訊いたのですか?」
何かと思ったら、それの事か。
「ああ、あれはね、もし死体以外の魔物がいた場合、飲み水はどうしてるのかと思って訊いたんだよ。俺達のように食料や水を摂取しながら生きる魔物なら、長い間、飲まず食わずというのは流石に厳しいからね。その上、水は食料以上に持ち運びや保存が難しいし。だからさ」
サナちゃんは納得したのか、感心したように首をゆっくりと縦に振る。
「そ、そういう意図があったのですか。それは気が付きませんでした」
「まぁ、それが理由さ。で、あの時リジャールさんは、出入り口が1つしかない事と、警備を付けてから20日以上経過している事に加え、魔物の出入りもないような事を言っていたので、俺はこう考えていたんだよ。『坑道内にいるのは、水や食料を必要としない魔物ばかりの可能性がある』とね。でも、まさか、死骸だらけとは思わなかったけどさ」
実を言うと、事前にオッサンから魔物を操る奴がいるかも知れないと聞いていたので、腐った死体だけでなく、泥人形みたいな魔物もいるかも知れないと思っていたのである。
なので、少し拍子抜けした部分もあるのだった。まぁ色々と理由もあるのだとは思うが……。
と、ここで、アーシャさんも話に入ってきた。
「貴方って時々、意味の分からない質問をしますが、こうやって聞いてみると、的を得た事を訊いてるのですね。勉強になりますわ」
「いやぁ~そうですかね。そんな風に言われると、なんか照れるなぁ。なははは」
俺は思わず後頭部をポリポリとかいた。
「コータローさんのお話って為になるのが多いので、もっと色々と聞かせてください」
「う~ん……お話といわれてもねぇ。じゃあ、サナちゃんは何について聞きたいの?」
「では、コータローさんが見たという、魔物や魔法について書かれた書物のお話をお願いします」
「あ、それは私も聞きたかった事ですわ」
「それかぁ……」
あまり触れたくない話題ではあったが、仕方ない。
当たり障りない話でもしておこう。
とまぁそんなわけで、俺はこの道中、サナちゃんとアーシャさんに幾つかのドラクエ話をする事になったのである。
[Ⅲ]
ガルテナを発ってから3時間ばかり経過すると、前方に、広大な緑の平原が見えてくるようになった。地図で確認すると、どうやら、あれがバルドア大平原のようだ。
そんなわけで、程なくして、モルドの谷を抜けた俺達は、そのままバルドア大平原を真っ直ぐと北に進み続けるのである。
今まで少し閉鎖的な山の中にいた所為か、このバルドア大平原は凄く解放された気分になるところであった。
馬車の中からバルドア大平原をグルリと見回すと、果てしなく広がる平坦な緑の草原と、そこにポツンポツンと点在する木々に加え、遠くに舞う鳥達の姿が視界に入ってくる。
そして、時折吹く心地よい風が、穏やかな大海原の波のように、草原を優しく靡かせているのである。
それは美しい光景であったが、どことなく夏の北海道に広がる牧草地帯のようにも見える所為か、それほどの感動は湧いてこなかった。というか、懐かしさのようなものを感じさせる光景であった。
俺は北海道に行った事はないが、日本でも見かける風景なので、そう感じるのだろう。
まぁとりあえず、バルドア大平原はそんな感じの所である。
話は変わるが、このバルドア大平原からはマール地方でなくバルドア地方と呼ばれる地域になる。
この地を治める太守はイシュマリア八支族の1つであるラインヴェルス家が担っているそうで、このバルドア地方最大の都市であるバルドラントという街にて、執政を行っているようである。
そんなわけで、必然的にアレサンドラ家の管轄外になる地域なのだが、境となる部分に関所のようなものはないそうだ。多分、そういった物が必要ない統治方法をしているのだろう。
ちなみにだが、イシュマリア国には地方が九つあり、それらは八支族とイシュマリア王家によって分割統治されているそうである。
各地域の統治形態は中世の欧州や日本でも見られる封建制度のようだが、統治する者が神の御子イシュマリアの血族ということもあり、この国では統治者による戦乱の歴史とかはあまりないそうだ。とはいっても領地間における多少のいざこざはあるみたいだが……。
まぁそれはともかく、王家と八支族による地方分権型の統治システムは、建国以来うまく機能しているみたいである。
つーわけで、話を戻そう。
バルドア大平原に入ってからというもの、俺は少し気が楽になっていた。
なぜなら、辺りには背の低い草木しかない為、非常に見通しが良く、魔物の監視がしやすいからだ。
以上の事から、俺は少しだけ緊張を解き、肩の力を抜いて周囲の警戒に当たっているのである。
とはいえ、ここまでの道中、魔物との戦闘は4回ほどあった。遭遇した魔物は、キャットフライや兜百足、それから毒芋虫といった感じなので、ゲームならば、まだまだ序盤の敵である。撃退するのはそれほど難しくはない。が、しかし……王都に向かうにつれて、徐々に魔物が強くなってきているという、この事実が、精神的に重く圧し掛かってくるのである。
そして、俺は1人、考えるのであった。
この先、一体、どんな魔物が待ち受けているのだろうかと……。
バルドア大平原を暫く進み続けると、街道のすぐ脇に、幅100mほどの大きな河が流れている所があった。
馬の休憩がそろそろ必要だったので、俺達はそこで少し休むことにしたのである。
俺はレイスさんとシェーラさんに馬の世話をお願いすると、馬車を降りて外に出る。
それから、両手を目一杯に広げて背伸びをした後、軽い屈伸運動をして、俺は旅の疲れを癒したのであった。
暫くそうやって体を動かしていると、サナちゃんとアーシャさんが俺の隣にやって来た。
「コータローさんは、この辺りに来たことがあるのですか?」
「いや、初めてだよ。サナちゃん達と同じさ。アーシャさんは?」
「私も初めてですわ。ところでコータローさん、ルーヴェラまでは、あとどの位かわかりますか?」
「ちょっと待ってくださいね」
俺は馬車の中から地図を持ってくると、2人の前に広げた。
「地図を見る限りだと、あと暫くは進まないといけないようですね。今進んでいるアルカイム街道とこの河の位置関係を考えるに、多分、俺達はこの辺にいるんだと思います。ですから、もう半分以上は進んだようですよ。この調子だと、日が落ちる前には、今日の目的地であるルーヴェラに着けるんじゃないですかね」
今言ったアルカイム街道がルーヴェラへと続く道の名前であり、王都へと続く道の名前でもある。
ちなみにだが、アルカイムという名前は王都オヴェリウスのあるアルカイム地方へと続くことからつけられた名前のようだ。
わかりやすいネーミングである。
「では、順調に進んでいるんですね。よかったです」
「そのようですわね。次の街はどんな所か楽しみですわ」
アーシャさんはそう言ってニコリと微笑んだ。
と、その時である。
【お~い、あんちゃん達ィ~、大変や~、向こうで大変な事が起きとるんや~】
流暢な関西弁が、俺達の頭上から小さく聞こえてきたのであった。
(ン……誰だ一体)
俺は声の聞こえた上空に視線を向ける。
そして、俺は驚きのあまり、思わず目を見開いたのである。
「なッ、なんだありゃ!?」
そこにいたモノ……それはなんと、愛らしい顔に蝙蝠の翼をもつ赤色の魔物であった。そう、ドラキーである。
しかも、黒い鞄をランドセルのように背負った、奇妙な出で立ちの赤いドラキーが、パタパタと羽ばたいていたのだ。
(なんなんだ……この流暢な関西弁を喋るドラキーは……)
と、ここでアーシャさんの声が聞こえてきた。
「あら? あれはドラキー便のドラキーじゃありませんの」
「へ? あれがドラキー便なんですか……」
「ええ、間違いありませんわ。鞄を背負った赤いドラキーですし」
「あっ、そうか……赤いドラキーは書簡配達してるんでしたっけ……」
そういえば以前、ヴァロムさんがこんな事を言っていた。
遠隔地の書簡配達業務は、ドラキー便が良く使われているというような事を。
しかもヴァロムさん曰く、この赤いドラキーは結構な距離を休みなしで飛べるだけでなく、幾つかの攻撃魔法も使えるので、危険地帯の書簡配達員みたいな事を生業としているのだそうだ。
おまけに、人と会話も出来るほど知能も高く、話の分かる魔物なので、人とも仲良く共存共栄できるそうである。
余談だが、貴族お抱えのドラキー便もあるそうだ。以前、ヴァロムさんに書簡を持ってきたドラキーも、オルドラン家のお抱えドラキーらしいので、その辺は色々と込み入った事情があるのだろう。
俺のプレイしたドラクエでは敵であった赤いドラキーだが、ここでは意外にも人間社会に溶け込む種族のようである。
つーわけで、話を戻そう。
流暢な関西弁を喋るドラキーは、馬車の屋根に降り立つと慌てたように話し始めた。
【あ、あんちゃん達、イキナリですまんけど、この先の十字路付近で、旅の商人が魔物の集団に襲われとるんや。護衛についた冒険者だけでは多勢に無勢で手に負えんようやから、助けてやってや。お願いや! あんちゃん達、強そうやし】
さて、どうしたもんか……。
人間と共生してる魔物なので嘘ではない気がするが、このドラキーが一芝居うっている可能性も勿論否定できない。
だが、もし本当ならば放っておくのも後味が悪いところである。
とりあえず、俺は皆の意見を聞くことにした。
「魔物かぁ……。皆、どうします?」
「かなり差し迫った状況のようですので、助けに行った方がいいのでは」と、アーシャさん。
と、ここで間髪入れず、ドラキーがお世辞を言う。
【ありがとう、綺麗なネェちゃん。ネェちゃんならそう言うてくれると思った。綺麗なだけじゃなくて、すごく素敵な人やわぁ。棘の無い綺麗な女の人に、こんな所で会えるなんて思わんかったわぁ。長生きはするもんやで、ほんま】
するとアーシャさんは今の言葉に気をよくしたのか、声高にこう告げたのだ。
「コータローさん、早く行きましょう! こうしてる間も、魔物に苦しんでいる方々がいるのですよ!」
中々煽てるのが上手いドラキーのようだ。が、とはいえ、本当ならば確かに不味い。
仕方ない……ここはこのドラキーの言う事を信じてみるとしよう。
「レイスさん、馬の調子はどうですか?」
「もう少し休みたいところだが、事情が事情だ。仕方あるまい。行こう、コータローさん」
「じゃあ、行きますか。と、その前に……。襲っている魔物はどんな奴等なんだ? それと魔物の数は?」
【襲ってるのは、ごっつい百足とごっつい大猿が10数体に、ドルイドとかいう酒樽みたいな格好のけったいな奴等が8体や。キツイ敵かも知れんけど、助けてあげてぇな】
多分、ごっつい百足は兜百足か鎧百足あたりで、ごっつい猿が暴れ猿かキラーエイプってとこだろう。
とりあえず、その程度の魔物なら、何とかなりそうだ。
「数が多いから面倒だが、仕方ない。急ごう」
【よっしゃ、そうと決まれば善は急げや。ワイについてきてぇな】
そして俺達はこの場を後にしたのである。
[Ⅳ]
ドラキーに案内される事、約5分。前方に、ドラキーの言っていた十字路が見えてくるようになった。
またそれと共に、十字路付近で9名の者達が、20数体の魔物に取り囲まれるという、非常に危険な状況に陥っているのも、目に飛び込んできたのである。
彼等の内の何名かは深い傷を負っているようで、地面には幾つかの赤い血痕が出来ていた。まさしく、絶体絶命といった感じの光景である。早く手当をしないと不味いかもしれない。
俺は次に、魔物達へ視線を向ける。
魔物は思った通り、兜百足と暴れ猿にドルイドのようだ。
数がかなり多かったが、敵はある程度グループ化しているのが好都合であった。
と、ここでドラキーの声が聞こえてきた。
【あそこや! あんちゃん達、ワイは空から援護するさかい、後は頼んだで!】
ドラキーはそう言うと更に上空へと舞い上がった。
そして俺達は、魔物達に近づいたところで馬車を止め、臨戦態勢に入ったのである。
俺はまずアーシャさんとサナちゃんに指示を出した。
「敵はある程度固まっていますんで、手っ取り早くやっちゃいましょう。先手必勝です。アーシャさんは向こうにいる百足の一団にヒャダルコをお願いします。それからサナちゃんは、杖を持った黄土色のドルイドという魔物達にマホトーンをお願いします」
2人は頷くと、言われた通り、魔法を唱えた。
「ヒャダルコ!」
「マホトーン!」
百足の一団に無数の氷の矢が容赦なく突き刺さってゆく。
また同じくして、ドルイド達の周りには、呪文をジャミングする黄色い霧が纏わりつきはじめていた。
霧が全てのドルイドに纏わりついたのを見ると、どうやら魔法を封じるのに成功したみたいである。
俺は次の指示を前衛に出した。
「ではレイスさんとシェーラさん、今から俺がイオラを使います。ですが、ドルイドは攻撃魔法全般に耐性があると思いますんで、生き残った奴等を仕留めていってください」
「わかったわ」
「よし、いつでもいいぞ」
俺は掌を魔物達に向かって突きだした。
「ではいきますよ。イオラ!」
俺の掌から魔力の塊である白い光が飛んでゆく。
光は魔物達の付近でフラッシュをたいたかのような閃光を放ち、爆発を巻き起こした。
魔物達は爆発をモロに浴びて吹っ飛んでゆく。
この一撃で半数の魔物は死ぬか虫の息状態となったが、思った通り、ドルイドにイオ系は効かないのか、ピンピンとしていた。が、想定の範囲内である。
ここでレイスさんとシェーラさんが、付近のドルイドに一気に間合いを詰め、破邪の剣を振り降ろす。
その刹那、2体のドルイドは脳天から真っ二つに両断されて息絶えたのだ。
と、その時であった。
向こうの冒険者達も俺達の加勢に気付いたようで、生き残った魔物達に向かい攻撃を開始した。
すると瞬く間に戦況は逆転し、魔物達は打つ手なく、俺達の刃に掛かって倒れていったのである。
魔物達を全て倒したところで、ドラキーが俺達の所に舞い降りてきた。
【あんちゃん達、めっちゃ強いやんけ! ワイの援護なんか、全然必要なかったやん。凄いわぁ】
「褒めても何も出んぞ」
【そんなん期待してへんて、ワイの素直な気持ちや】
俺とドラキーがそんなやり取りしてると、向こうの冒険者の1人が俺達の方へとやってきた。
近づいてきたのは眼鏡を掛けた色白の若い男で、イシュラナの紋章が描かれた神官服を身に纏っていた。
ちなみに、イシュラナの紋章とは、一本線が多いアスタリスクみたいなシンボルである。

年はかなり若く、俺よりも年下に見える。多分、10代半ばから後半といったところだろう。体型は痩せ型で、背はそれほど高くない。170cmあるかないかといったくらいだ。
この見た目から察するに、どうやらイシュラナ神殿の神官のようである。
男は俺達の前に来ると、深々と頭を下げてきた。
「ど、どなたか存じませんが、危ないところを本当にありがとうございました」
「いや、気にしなくていいよ。それよりも、仲間がかなり深い傷を負っているみたいだから、早く治療をしないと不味いよ」
「あ、そ、そうでした。で、ですが……薬草も魔力も尽きてしまって……」
男は消え入りそうな声で、そう呟いた。
まぁこうなった以上仕方ない。俺達が治療するしかないだろう。
「わかった、手を貸そう。サナちゃんもいいかい?」
「はい」
「あ、ありがとうございます」
男は涙を流して頭を下げた。
というわけで、俺とサナちゃんは、怪我人の元へと急ぎ駆け寄ったのである。
負傷者は男3人で、見たところ全員戦士タイプのようだ。先程の神官同様、年も若い。
だが、銅の剣や鎖帷子を装備しているところを見ると、経験の浅い、駆け出しの冒険者のようであった。
それから、この負傷者の周囲には商人と思われる者が2名と、駆け出しの魔法使いと思われる若い男女が2名、それと戦士タイプの若者が1名の計5名がおり、彼等は今、地に伏せる負傷者に声掛けしながら介抱している最中であった。
「おい、しっかりしろ!」
「ゲイル! アンザ! ヒュイ! 返事をして!」
必死に名前を呼んでいるが、虫の息といった感じだ。
この3名の負傷者は至る所にかなり深い裂傷を負っている上に、毒に侵されている者もいるみたいであった。
そんなわけで、俺とサナちゃんは、キアリーやベホイミを使って急ぎ治療を開始したのである。
ここまでの怪我人にベホイミを使った事はなかったので、上手くいくのかどうかが少し不安ではあったが、ベホイミは流石に回復力が強く、彼等の深い傷も見る見る塞がっていくのがよくわかった。
治療しておいてなんだが、その効果を目の当たりにして、心強い回復魔法だと俺は改めて思ったのである。
まぁそれはさておき、ある程度傷が回復したところで、俺は彼等に言った。
「これでもう大丈夫だろう。でも出血が多かったから、少し安静にしていた方がいいね。魔法で傷は治せても血は戻らないからさ」
そう……実は、魔法で傷は治せても、出血した血液までは戻らないのである。
これをヴァロムさんから教わった時は、俺も少し驚いた。が、よくよく考えてみると、それが当然なのである。なぜなら、ホイミ系は傷を癒す魔法だからだ。造血まではしてくれないのである。
俺の言葉を聞き、イシュラナの神官服を着た先程の男が、深々と頭を下げた。
「あ、ありがとうございました。助けていただいた上に、仲間の治療までしていただいて。本当に、本当に、ありがとうございました」
「礼なら、あのドラキーにも言ってやってよ。彼が俺達に知らせてくれたんだから」
「そ、そうだったのですか。どうもありがとうございました。貴方のお蔭で私達は救われました」
そう言って、男はドラキーに頭を下げた。
【別にええって。持ちつ持たれつや】
気さくなドラキーである。
「しかし、それにしても災難だったね。あんなに沢山の魔物と遭遇するなんてさ」
「はい……まったくです。私達は、この遥か向こうにあるネルバという小さな村から来たのですが、道中現れる魔物は、ネルバ周辺程度だろうと思って旅してきたのです。ですが……まさか、この地の魔物がここまで強力だとは思いもしませんでした……」
と、ここで、商人と思わしき中年の男が話に入ってきた。
「すまないな、テト君。俺が久しぶりに仕入れに行きたいなんて言ったばかりに、こんな目に遭わせてしまって……」
「いや、僕達の考えが甘かったんです。謝るのはこちらの方ですよ」
「しかし……村で一番の冒険者である君達でも手に負えない魔物が出るとはなぁ……。嫌な世の中になっちまったもんだ。はぁ……」
【はぁ……】
この男の言葉を聞き、冒険者6人も大きく溜め息を吐いた。
と、そこで、レイスさんがやや強い口調で、彼等に忠告をしたのであった。
「ここ最近、王都に向かうにつれ、次第に魔物が強くなってきているそうだ。君達がどこに向かっているのか分からないが、甘い考えで行動すると、次は命を落とすことになるぞ。この先は、よく考えて行動をするんだな」
今の話を聞き、6人の冒険者達は更にショボ~ンとなった。
神官服の男が気まずそうに口を開く。
「はい、仰る通りです。面目ありません……。あの、ところで、貴方がたはこれからどちらに向かわれるのですか?」
「俺達は、ルーヴェラに向かっている途中だけど」
と、俺が言った直後、彼等はパァと笑顔になったのである。
「我々もルーヴェラに向かっているのです。どうか是非、ご一緒させてください。この通りです」
神官服の男はそう言って、また深々と頭を下げてきた。
他の者達も、彼に続く。
俺はそこで仲間に視線を向け、アイコンタクトを取った。
「私は別に構いませんわよ」
「私も良いわよ」
「私も良いです」
「こうなった以上、仕方あるまい」
仲間の了解がとれたので、俺は彼等に返事をした。
「じゃあ、一緒に行くとするか。でも日が落ちる前に街に着きたいから、急いで出発の準備に取り掛かってくれるかい」
「は、はい、すぐに準備します」
【ワイもルーヴェラに行かなアカンから、あんちゃん達と一緒に行くわ】
とまぁそんなわけで、俺達は彼等と共に、ルーヴェラへと進むことになったのである。
Lv29 ルーヴェラにて
[Ⅰ]
俺達は馬車の中で、テト君達が戻って来るのを待っていた。これには勿論、理由がある。
さっきテト君から色々と事情を聞いたのだが、彼等はこの付近で休憩していた時に、魔物に襲われたようである。しかし、思っていたよりも魔物が強かったので、慌ててここまで逃げてきたというのが、これまでの経緯のようだ。
そんなわけで、テト君達は今、自分達の馬車が無事かどうかを確認しに向かっているのであった。
無事な事を祈るばかりである。
話は変わるが、テト君はやはりイシュラナの神官のようだ。ちなみに今は見習いだそうである。
一応、この冒険者達のリーダー的な存在のようだが、俺からすると、お堅いイシュラナの神官が冒険者みたいな事をしてるのが不思議だったので、それをさっき訊いてみた。
するとテト君から、こんな言葉が返ってきたのである。
「イシュラナの神官は悪事には加担しませんが、世を乱す魔物の退治には協力しますよ。女神イシュラナの啓示した光の聖典の第10章にも、こう書かれておりますからね。――世に災いをもたらす悪しき存在が現れしとき、恐れず、そして勇気をもって戦いなさい。汝の御霊はイシュラナと共にあります――と。だからです」
テト君の話を要約すると、悪しき存在には武器を手に取れという教義らしい。
つまり、冒険者と共に行動するイシュラナの神官というのは、このイシュマリアにおいて、珍しくもなんともない事のようである。これは覚えておいた方が良さそうだ。
それからテト君は、商人の護衛の他に、神殿にも用があるような事を言っていた。
俺も何の用かまでは訊かなかったが、テト君曰く、今のイシュラナ神殿は色々と慌ただしい事になっているそうである。もしかすると、ヴァロムさんの件が影響しているのかもしれない。
というわけで、話を戻そう。
彼等が確認に向かったところで、アーシャさんが俺に話しかけてきた。
「あの方達の馬車が無事だといいですわね……。でもコータローさん、もし駄目だった場合は、どうするのですか?」
中々難しい質問である。
「駄目だった場合ですか……まぁその時は、俺達の馬や馬車を利用してなんとかするしかないでしょうね。でも、今はとりあえず、彼等を待ちましょう」
「そうですわね」
俺はそこで空を見上げた。
すると、空は相も変わらず、灰色の雲で覆われたままであった。
太陽が見えない為、日没までどのくらいの時間が掛かるのか分からないが、今まで経過した大体の時間を考えると、恐らく、後4時間から5時間といったところだろう。
(彼等の馬車が無事ならば、日没までにはルーヴェラに着ける筈だ。無事だといいが……ン?)
などと考えていると、十字路の右側から、テト君達が乗った2台の荷馬車がやって来たのである。
見たところ、馬車は無事なようであった。
「どうやら大丈夫みたいですよ」
「ええ、馬も元気そうですので、あれなら旅に支障はなさそうですわ」
アーシャさんの言うとおり、馬は軽快に足を動かしていた。
とりあえずは一安心といったところである。
彼等の馬車は、俺達の後方でゆっくりと停車する。
と、そこで、テト君が馬車から降り、こちらへ駆け寄ってきた。
「コータローさん、遅くなって申し訳ありません。僕達の馬車は無事でした。なので、いつでも出発は出来ますよ」
「それはよかった。なら、そろそろ出発しようか」
「はい、ではよろしくお願いします」
テト君は自分達の馬車に戻る。
俺はそこでシェーラさんに指示を出した。
「シェーラさん、彼等の後方に回って、殿を引き続きお願いできますか?」
「わかったわ」
シェーラさんは頷くと馬に跨り、後方へと移動を開始する。
それを見届けたところで、俺はレイスさんに出発の合図を送ったのである。
「ではレイスさん、お願いします」
「了解した。ハイヤッ」
レイスさんの手綱を振るう掛け声と共に、馬車はゆっくりと動き始めた。
と、その時である。
――パタパタパタ――
なんと、あのドラキーが俺達の馬車に乗り込んできたのだ。
ドラキーは空いてる席に座ると、陽気な口調で話しかけてきた。
「ついでやさかい、ワイもここに乗せてぇな。道草食ったから疲れたんや。フゥゥ」
「つーか、もう乗ってるやんけ。まぁ空いてるから、別に構わんけどさ」
「へへへ、あんちゃん、中々ええツッコミするなぁ。ワイと気が合いそうやわ」
「なんじゃそら」
人懐っこいドラキーだ。
この様子を見る限り、赤いドラキーと人の共存してきた歴史は、相当長いのかもしれない。
まぁそれはさておき、道中、種族名で呼ぶのもアレだから、自己紹介でもしておくとしよう。
「そういえば自己紹介がまだだったな。俺の名はコータローだ。見ての通り、冒険者というやつだな」
「へぇ~、あんちゃん、コータローって言うんや。でも、この辺ではあまり聞かん名前やなぁ。まぁ見たところ、アマツの民のようやし、当たり前か……。さて、じゃあ、次はワイの番やな。ワイの名はラティや。ヨロシクなコータロー」
「ああ、ヨロシク」
続いてアーシャさんやサナちゃんも自己紹介をした。
「私はアーシャですわ」
「私はサナです」
「アーシャねぇちゃんにサナねぇちゃんやな。覚えたで。ルーヴェラまでやけど、ヨロシク頼むわ」
何となくだが、俺と少し差のある呼び方である。まぁいいか……。
さて、名乗り合った事だし、軽く世間話でもするとしよう。
「ラティはドラキー便を始めて長いのか?」
「うんにゃ、まだ2年ほどやから、ペーペーや。後ろにいる冒険者達みたいなもんやわ。そういうコータローは、冒険者生活が長いんやろ? さっきの戦いぶり見てたら、相当なもんやと思ったで」
「いや、俺もペーペーだよ。ついこの間、冒険者になったばかりだからな」
ラティはポカンとしながら口を開く。
「は? ついこの間って……ホンマかいな。さっきの戦いの時、他の皆にえらい的確な指示をだしとったやん。腕っぷしも凄いけど、あの手際のええ戦い方は、ごっつい熟練の冒険者がする戦い方やったでぇ」
「まぁそう思われるのも悪い気はしないけど、今言ったのは事実だよ。できるだけ効率の良い戦闘方法を心がけてるから、そう見えるだけさ」
とはいうものの、俺もある意味では、熟練の冒険者なのかもしれない。勿論、ゲーム上での話だが……。
「ふ~ん、そうなんか。ま、ええわ。それはそうと、後ろの若いあんちゃん達は命拾いしたなぁ。コータロー達が付近におらんかったら、確実に全滅しとったで。もう少し考えて、旅支度すればよかったのに」
ラティはそう言って、俺達の後方を走る荷馬車に目を向けた。
「まぁそう言ってやるなよ。彼等も情報が少なすぎて、今の街道の状況を予想出来なかったんだろ。さっきの商人も言ってたじゃん。半年ほど前に来た時は、この辺りもネルバ周辺と同じくらいの魔物しか出なかったって」
そう……彼等に事情を話してもらった時、商人の男が確かそんな事を言っていたのだ。
つまり、ここ最近になって、魔物が強くなり始めたという事である。
オッサンの説を信じるならば、この辺りに漂う魔の瘴気が濃くなってきているという事なのかもしれない。というか、最近色々とあったので、俺はもうこの説を信じつつあるが……。
「そういえば、そんなこと言っとったな。ネルバは田舎やさかい、情報伝わるのも遅いし、しゃあないか」
「ところで話は変わるけどさ。ラティはルーヴェラについて詳しいのか?」
「まぁな。ワイはルーヴェラを拠点に活動してるさかい、ある程度の事は知っとるつもりや。で、なんか訊きたい事でもあんの?」
ゴルティア卿とゼマ神官長について訊きたいところだが、直球で質問すると不審に思うかもしれない。
特にフレイさんの名前については出さない方がいいだろう。
回りくどくなるが、俺はそれとなく訊いてみる事にした。
「俺さ、ルーヴェラは初めてなんだけど、どんな所なんだ?」
「ええ所やで。バルドア地方第二の都市やから、沢山住民もおるし、外から色んな物や色んな奴等も行き来するしな。賑やかで、ええ街や」
「でも大きい街だと治安悪い場所とか多そうじゃん。その辺はどうなんだ?」
「まぁそりゃ、そういう場所も少しはあるけど、全体的に見れば治安は良い方や。街を守る衛兵もちゃんとしてるしな。ワイから見れば、王都よりも、よっぽど治安ええで」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ、街を治める貴族は上手い事やってるんだな」
「せやで。ルーヴェラを治めるゴルティア卿は、悪事に厳しいしっかりした人やさかい、その辺はちゃんとしてるで。街の者達からも信頼が厚いしな。ええ御方やわ」
ラティの話を聞く限り、中々の善政を敷く貴族のようである。
じゃあ、次行ってみよう。
「なるほど、それを聞いて安心したよ。ところで、さっきテト君が言ってたんだけど、ルーヴェラのイシュラナ神殿が最近ゴタゴタして忙しいみたいだね。何かあったのか?」
「ああ、それは多分アレや。王都の方で起きてるゴタゴタ関連のやつやろ」
多分、ヴァロムさんの件だと思うが、知らないフリをしておこう。
「王都でのゴタゴタ?」
「なんや、コータローは知らんのか? 今、王都では、魔炎公と呼ばれた元宮廷魔導師が異端審問裁判にかけられるって話で持ち切りやで」
「ほ、本当かそれ? 初めて知ったよ」
「ホンマや。まぁそれがあるもんやから、ルーヴェラのイシュラナ神殿もゴタゴタしとるんやろ。ルーヴェラのイシュラナ神殿最高権力者であるゼマ神官長や、その取り巻き連中も王都に呼ばれておるそうやからな。だから、かなり大事やで」
「そんな事になっているのか……それは大変だな」
どうやら、ゼマ神官長は今、ルーヴェラにはいないようである。
と、ここでアーシャさんが話に入ってきた。
「ラティさんでしたわね。ちょっとお訊きしてもよろしいかしら?」
「ええで、アーシャねぇちゃん」
「今、魔炎公の話が出てきましたけど、王都の方で何か進展はあったのかしら?」
アーシャさんは言葉を選んで訊いている感じであった。
俺が知らないフリしたのを見て、アーシャさんも察したのだろう。
「う~ん……その辺の事はあまり聞かんなぁ。ワイが知ってるのは、八支族である太守と八名の大神官に加え、主要な神殿の神官長が王都に召集されている事くらいや。これ以上の事はワイもわからんわ」
「そうですか。どうもありがとうございました」
「ところで話は変わるんやけど、コータロー達はルーヴェラに何か用事でもあんの?」
「いや、特にこれって用事はないよ。俺達はアルカイム地方に向かっているから、とりあえず、今日の宿泊地ってだけさ」
するとラティは目を大きくし、驚いた表情を浮かべた。
「なんやそうなんか! なら、丁度ええわ。ワイの次の書簡配達場所がオヴェリウスやねん。つーわけで、明日もワイ、コータロー達と一緒に行ってもええか? ワイ等ドラキー便は信用第一やさかい、基本単独行動なんやねんけど、コータロー達は信頼できる気がするわ。それにコータロー達はなんか話しやすいしな。で、どやろ? 一緒に行ってもええかな?」
俺はそこで、アーシャさんとサナちゃんに視線を向けた。
2人は頷く。
「私は別に構いませんわ」
「私も良いですよ」
(2人が良いなら、別にいいか)
俺は返事した。
「じゃあ、明日も一緒に行くか、ラティ」
「道中長いけど、明日もよろしく頼むわ」
とまぁそんなわけで、ラティが王都への旅に、加わることになったのである。
[Ⅱ]
俺達が移動を再開してから2時間程経過すると、マルディラントとよく似た街並みが見えてくるようになった。ラティ曰く、あれがルーヴェラのようである。
ルーヴェラはバルドア地方第二の都市というだけあって、確かに大きな街だが、マルディラントと比べると少し規模は小さい感じであった。
とはいえ、建物の建築様式が古代ギリシャや古代ローマ風なので、非常にマルディラントとよく似た街並みである。この分だと、王都もこんな街並みなのかもしれない。
また、ルーヴェラに近づくにつれ、街道を行き交う馬車や人々の姿も多くなってきていた。
大きな街なので当然といえば当然だが、俺にとってこれらの光景は、すごくありがたいモノに映った。なぜなら、やはり、これだけの人がいると、魔物が襲ってくることは滅多にないからである。もうここまで来たら、街に着いたも同然に近いのだ。
それから程なくして、ルーヴェラへと入った俺達は、馬車のスピードを落とし、街道から続く石畳の大通りをそのまま真っ直ぐと進んだ。
そして、その先にある大きな広場が見えてきたところで、俺はレイスさんに指示したのである。
「レイスさん、あの広場なら馬車を停めれると思います。広場の脇に寄せて一旦停めてもらえますか」
「了解した」
広場に入ったところで、レイスさんは馬車を脇に寄せ、ゆっくりと停車させる。
後続のテト君達も馬車を停めた。
と、そこで、テト君は馬車から降り、俺達の方へとやってきたのである。
テト君は俺の前に来ると、深々と頭を下げた。
「ここまでくれば、もう一安心です。今日は本当に、色々とありがとうございました。僕達が無事に辿り着く事が出来たのは、これもひとえに、皆さんのお力添えのお蔭です。本当にありがとうございました。このご恩は一生忘れません」
俺はとりあえず忠告だけしておいた。
「まぁそれは良いけど、ネルバに帰る時は、もう少し準備をしてから出発した方がいいよ。敵は何が出てくるかわからないからね。それと出来るならば、出没する魔物の情報を街で調べて、対策を立ててから出発するといい。根拠のない自信は、足元を掬われる元だよ」
続いてレイスさんも。
「コータローさんの言うとおりだ。慣れないうちは慎重に行動した方がいい。命を落としてしまっては元も子もないからな」
「ご忠告ありがとうございます、コータローさんにレイスさん。今の言葉を肝に銘じておきます。それと話は変わりますが、この道中、皆さんの様な上級の冒険者に僕達が出会えたのも、恐らく、女神イシュラナの導きなのだと思います。イシュラナに感謝しますと共に、これからの皆さんの旅にイシュラナの加護がありますようお祈り致しまして、僕達は失礼させて頂こうと思います」
テト君はそう告げると、目を閉じ、空にイシュラナの紋章を描く動作をする。
それからテト君は胸の前で掌を組み、イシュラナへの祈りを捧げたのであった。
「――遥かなる天上より、慈愛の光にて世を包み、我等を見守りし女神イシュラナよ……願わくば、この者達の旅に加護と祝福の光を―― では、僕達はこれで失礼させて頂きます」
そして彼等は、この場を後にしたのである。
彼等が去ったところで、ラティが口を開いた。
「さて、ワイもルーヴェラ物流組合に行かなアカンから、ここで一旦お別れや。ところで、コータロー達は今から宿を探すんやろ?」
「ああ、そうだけど。どこか良い宿を知ってるのか?」
「せやなぁ……まぁコータロー達が気に入るかどうかわからへんけど、この大通りの先にマイラっちゅう旅の温泉宿があるんや。結構大きな宿やから、部屋はあると思うで。厩舎もあるし。それにマイラは、物流組合が運営してる旅の宿やさかい、ワイの顔も効くしな。で、どうする? そこにするか?」
「……」
マイラ、温泉、メイジドラキー……何だろうこの既視感は……。
ドラクエⅠにもこういうのあったが、マイラのカテゴリが違うので少し戸惑ってしまうところである。宿屋に行ったら、妖精の笛や大サソリなんかも出てきそうな雰囲気だ。
ふとそんな事を考えていると、ラティが不思議そうに俺を見ていた。
「なんや、コータロー……口をポカンとあけて。嫌やったら、別にええんやで」
「違う違う、そうじゃないよ。ただ、懐かしい響きだなぁと思ってさ。なんでもないよ。ところで、どうする皆? ラティの薦める宿にする?」
「私はコータローさんの判断に任せますわ」
「私もアーシャさんと同じです」
「レイスさんとシェーラさんもそれでいいですか?」
2人はコクリと頷く。
というわけで、ここはラティにお願いする事にしたのである。
「じゃあ、ラティ、よろしく頼むよ」
「ほな行こうか。宿はコッチや」――
[Ⅲ]
マイラはラティが言っていたとおり、結構大きな宿屋だったが、飾りっ気のない四角い石造りの建物で、割と庶民的な感じのところであった。
旅人の宿でもあるので、当然といえば当然かもしれない。多分、貴族はここに宿泊なんぞしないだろう。
まぁそれはさておき、俺は今、この世界に来て温泉に入れるとは思わなかったので、少しテンションが上がっているところであった。俺の中に脈々と流れる日本人の血が騒いでいるのである。
どんな温泉なのかはまだ見てないのでわからないが、周囲の建物の様式を考えると、テルマエ・ロマエに出てきそうな温泉浴場なのかもしれない。
だがしかしィィィィ! そんな事はどうでもいいのである。とにもかくにも、今の俺は、温泉につかってゆっくりと身体を休め、鼻歌でも歌いたい気分なのだ。
ラティに受付へと案内され、チェックインを済ませた俺達は、早速、部屋に向かう事にした。
ちなみに借りた部屋は、6人部屋を1つだけだ。話し合った結果、皆で一緒にいる方が安全という結論に達したからである。
部屋に入った俺は、荷物をその辺の床に置くと、ベッドに腰かけて横になり、まずは身体を休める事にした。
この道中、魔物との戦闘も何回かあったので、流石に疲れたのだ。
他の皆も同じで、室内に置かれた椅子やベッドに腰掛け、楽にしているところである。
まぁそれはさておき、暫くそうやって体を休めていると、アーシャさんが俺に耳打ちをしてきた。
「コータローさん、お疲れのところ申し訳ありませんが、一度マルディラントに戻りたいので、ついて来てもらいたいのですが」
「ああ……そういえばそうでしたね」
俺はそこで立ち上がり、サナちゃん達に視線を向けた。
「少しばかり、アーシャさんと出掛けてきますんで、皆は暫く、ゆっくりと休んでてもらえますか」
「わかりました」
「うむ。了解した」
「そうさせてもらうわ。私も疲れちゃたから」
とまぁそんなわけで、俺はアーシャさんの一時帰宅に付き添うことになったのである。
――それから1時間後――
俺達が部屋に戻ると、サナちゃん達の他にも待っている者がいた。ラティである。
後で部屋に来ると言っていたので、チェックインの時に部屋番号を教えておいたのだ。
ラティは俺達の姿を見るなり、ニカッと笑みを浮かべ、気さくに話しかけてきた。
「おっ、帰って来たな。悪いけど、上がらせてもらってるで」
「物流組合での用事とやらはもう終わったのか?」
俺はそう言って、自分のベッドに腰掛けた。
アーシャさんも俺の隣に座る。
「まぁな。それはそうとコータロー、明日なんやけど、いつ頃出発するつもりなん? ワイも、その辺の事を訊いとかなと思って来たんや」
「出発は……そうだな……ここにもイシュラナ神殿があるから、イシュラナの鐘が鳴る頃なんてどうだ?」
するとラティは目尻を下げ、微妙な表情を浮かべた。
「イシュラナの鐘かぁ……少し遅い気もするなぁ……」
「え、遅いのか?」
「コータロー達はともかく、ワイは王都に向かわなあかんからな。まぁアルカイム地方に入るだけなら、1日あればええけど」
そういえば、ラティには、アルカイム地方に向かっているとしか言わなかった。
用心の為に伏せたのだが……こうなった以上は仕方ない。
ここは誤魔化さず、ハッキリしておいた方がいいだろう。
「そういえば言い忘れてたけど、実は俺達も王都に向かっているんだよ。だから目的地はラティと同じさ」
「なんや、コータロー達も王都かいな。ン……って事は、もしかして、王都に向かうのは初めてなんか?」
「ああ、初めてだ。話を戻すけど、ここから王都までは結構かかるのか?」
ラティは天井を見上げて考える仕草をする。
「せやなぁ……馬車なら、最低でも2日はみといた方がええかもしれんな」
「2日か……」
「まぁ日数はそんなもんや。でもな、1つ問題があんねん。実はこの先、王都に着くまで、街や村が無いんやわ。せやさかい、必要なモンがあるんなら、ここで今の内に調達しとかなあかんで」
ここでレイスさんが話に入ってきた。
「という事は、道中は野宿になるのか?」
「いや、野宿はせんでもええわ。まぁ時と場合によっては、それもあるやろけど」
「どういう意味ですか?」と、サナちゃん。
「ここから王都に向かう場合はな、普通、アルカイム地方に入ってすぐにある巡礼地ピュレナを目指すんが、旅人達の間では常識なんや。せやから、野宿はせんでええと思うで。とはいっても、道中、要らん事が起きたりすると、野宿もあるかも知れんけどな」
「ピュレナ?」
初めて聞く単語なので、俺は思わず首を傾げた。
すると、アーシャさんが答えてくれた。
「光の女神・イシュラナが、イシュマリアに自らの意思を伝えたと云われる、啓示の地の1つですわ。私は行った事がありませんが、噂によりますと、ピュレナには断崖に彫りこまれた巨大な女神像があるそうですわよ」
「へぇ、そうなんですか」
岩壁に彫りこまれているということは、バーミヤンの石仏みたいな像なのかもしれない。
「まぁそういうこっちゃ。で、話を戻すけど、そのピュレナには巡礼者が寝泊まりできる大きな建物があるさかい、そこで一晩休んでから旅人達は王都に向かうんや。ただ、宿屋みたいに部屋はないから、皆で雑魚寝になるけどな」
「なるほどね、巡礼地ピュレナか……で、その巡礼地まではどれくらいかかるんだ?」
「ワイが気にしてんのは、そこやねん。実はな、ここからピュレナまでは結構距離があるんや。相当朝早く出発せんと、日が落ちるまでに着けへんねん。せやからさっき、イシュラナの鐘の鳴る頃では少し遅いと言ったんや」
「そうか……。ところで、ラティはいつ頃がいいと思うんだ?」
「せやなぁ、夜が明け始める頃には出た方がええと思うで」
俺はそこで皆の顔を見た。
「どうする皆?」
「私達はこの土地には疎いですから、ここはラティさんの意見に従った方がいいかもしれませんね」
「私もそう思うわ」
「コータローさん。私も同意見ですわ」
「私もだ」
皆はラティの意見に賛成なようだ。
まぁそれが一番無難だろう。
「じゃあ、明日は少し早いけど、夜明けと共に出発って事でいいね?」
皆はコクリと頷く。
「じゃあ、そういう事になったから、明日はヨロシク頼むよ、ラティ」
「こっちこそ、ヨロシクや」
その後、打ち合わせを終えた俺達は、善は急げという事になり、旅に必要な道具や武具を近くの店で仕入れる事にした。
そして、それらを粗方揃えたところで宿に戻り、温泉で旅の疲れを癒す事にしたのである。
[Ⅳ]
仕入れから帰ってきた俺達は、ラティに案内され、宿の1階にある温泉浴場へと向かった。
(久しぶりに温泉に入れるな……今日もう湯船にドップリとつかって、ゆっくりしよう)
通路を暫く進んでゆくと、目的地の所在を告げるラティの声が聞こえてきた。
「この先が温泉浴場や」
俺は前方に視線を向ける。
すると、T字路となった通路突き当たりの壁に、この国の文字で、男湯と女湯と書かれているのが目に飛び込んできたのである。
混浴を少し期待していたところだが、さすがにそんなうまい話は無いようだ。残念……。
まぁそれはさておき、通路の突き当たりに来たところで、アーシャさんが俺に振り返った。
「ではコータローさんにレイスさん、私達はこちらですので、ここで。もし貴方がたが先に上がられたならば、部屋で待っていてください」
「わかりました。そうさせてもらいます。じゃあ、またあとで」
「ええ、またあとで」
そして女性3人は、女湯へと歩み始めたのであった。
3人を見送ったところで、俺はラティに礼を言っておく事にした。
「ラティ、ありがとうな。わざわざ、案内してくれて。お蔭で助かったよ」
「ええんや。気にせんといてくれ」
「さて、それじゃあレイスさん。俺達もゆっくりと疲れを癒すことにしますか」
「ああ」
俺達も男湯に向かって歩き出す。
と、そこで、ラティが突然、俺を呼び止めたのである。
「あッ、ちょっと待った、コータロー。そういえば……言い忘れた事があったわ」
「ん? なんだ、言い忘れた事って?」
するとラティは、レイスさんをチラ見し、少し言いにくそうに話し始めたのである。
「これはな……ワイ自身の相談事やさかい、コータローだけに話したいんやが、ええやろか?」
「じゃあ、コータローさん。私は先に行っているよ」
ラティの様子を見て、レイスさんは気を利かしてくれたみたいである。
「ええ、後から行きます」
レイスさんがいなくなったところで、ラティはニヤニヤしながら、小声で話しかけてきた。
「コータロー……大きな声では言えんのやけどな。ワイ、エエ場所を知っとるんや。今からそこに行かへんか?」
俺もつられて小声で訊き返す。
「は? なんだよ、エエ場所って?」
「そんなん決まっとるがな。女湯が覗けるところや。超穴場やでぇ。今から行けば、アーシャねぇちゃんや、シェーラさんの裸も拝めるかもしれんで。どや?」
「な!?」
俺はその言葉にドキッとしたので、思わず周囲をキョロキョロと見回した。
誰もいないのを確認したところで、俺はラティに言った。
「な、何を言ってんだよ、お前は……。お、俺にそんな性癖は無いぞ。お前は俺をそういう奴だと思っていたのか」
とはいうものの、覗きたかったのは言うまでもない。
俺も男だから、こればかりは仕方がないのだ。
「あれ、変やな……コータローはそうなんか?」
「へ、変って……何がだ?」
「コータロー達のような種族のオスは、若いメスの裸見るのがごっつい好きやって聞いてたんやけどな……。まぁええわ。ほんじゃ、ワイだけで見てくるわ」
ラティはそう言って、くるりと反対方向に向きを変える。
俺は思わずラティを呼び止めた。
「ちょ、ちょっと待て!」
「なんや。コータローは、行かんのやろ?」
「ドラキーのお前が、女の裸なんか見て面白いのか?」
「おもろいっつーか、なんやろな、この気持ち……とりあえず、何かを制した気分になるんや。まぁそういうわけやから、ちょっくら行って覗いてくるわ」
「ま、待て! い、行かないとは言っていないぞ」
「ほな、行くか?」
思わず首を縦に振りそうになったが、とりあえず、少し確認だけはしておく事にした。
「その前に少し訊いておく事がある。見つかったりはしないんだろうな?」
「勿論や。でも、木の板が腐ってるところが少しあるから、そこだけは注意せなあかんけどな」
「そこにだけ注意すればいいんだな?」
「せや」
俺は次に、一番の疑問点を問いかけた。
「じゃあ、もう1つ。ズバリ訊くけどさ、なぜ、俺にこんな誘いをしてきたんだ。何か下心があるのか?」
「下心なんてないって。ワイはコータローと友達になりたいから、お近づきの印にと思うて、この話を持ってきたんや。ワイはコータローの事、ごっつい気に入ってるんやで」
多少、野心的なモノが見え隠れする言い方だったが、なんとなく嘘は言ってない気がした。
7割ぐらいは信用してもいいのかもしれない。
「で、どないする? 行くか? ホンマは好きなんやろ? アーシャねぇちゃんはともかく、シェーラさんはええ身体しとるでぇ、見る価値ありや」
「そうだな……」
俺は目を閉じ、アーシャさんの裸体とシェーラさんの裸体を想像した。
彼女達の一糸まとわぬあられもない美しい姿が、俺の脳裏に展開される。
(小ぶりなお椀型のチッパイと、やや張りのある豊かなオッパイ……見るべきか、スルーすべきか……)
どうしようか悩むところだ。が、しかし!
ここはラティと友好を深めておいた方がいいと考え、俺は暗黒面の誘いにホイホイと乗る事にしたのである。
というわけで……。
「ゆこう」
「ゆこう」
そういうことになった。
[Ⅴ]
俺はマイラの2階にある、とある部屋へとラティに案内された。
そこは、この宿の物置のようで、室内には毛布やシーツみたいな寝具類が沢山積まれていた。要するに、関係者以外立ち入り禁止の部屋というわけである。
まぁそれはさておき、部屋の中に入ったところで、ラティが小声で俺に囁いた。
「奥の壁にある窓から女湯の屋根に出られるんや。せやさかい、女湯はもう、目と鼻の先やで」
「うむ。苦しゅうない。ではラティ隊長、よろしく頼む」
「ハッ! コータロー将軍! こちらになります」
ラティも俺の口調に合わせてきた。中々、ノリの良い奴みたいだ。
部屋の中に入ったラティは奥へと進み、木製の窓の前へと俺を案内してくれた。
窓は押上げタイプのようで、今は閉め切った状態である。
「では将軍、暫しお待ちを」
ラティはそう言って、物音立てず、そっと窓を押し開けた。
すると次の瞬間、夕日に照らされるルーヴェラの街並みが、俺の視界に入ってきたのである。それは美しい光景であった。思わず、見入ってしまうくらいに……。
この美しい光景を見た所為か、一瞬、俺の中に罪悪感のようなモノが芽生えてきた。
(何やってんだろ、俺……こんな事をしていていいのだろうか……ああ、もう!)
俺はそこで頭を振り、雑念をなんとか振り払った。
(ええい! こうなった以上、もはや後には引けぬわッ! 男子たるもの、一度決めた事はそれに邁進するのみじゃ! 今はすべき事に集中せねばならんのじゃぁ! 我が生涯に一片の悔いなしじゃァァァ!)
とまぁそんなわけで、覚悟を決めた俺は窓からソッと顔を覗かせ、とりあえず、周囲の確認をすることにした。
すると窓の桟から50cm程下がった所の壁から、1階部分の屋根が伸びているのが俺の視界に入ってきたのである。
屋根の形状は、東屋とかでよく見掛ける四角錐型で、茶色の木板を鎧張りにしてあるタイプのモノであった。結構面積も大きく、パッと見でも100㎡くらいありそうな感じだ。
「将軍、この下が女湯になりますが、ここからは少し足元に気を付けて進む必要があります。なるべくならば、屋根の上側を歩いて頂きたいのであります」
「ほほう。……して、そのわけは?」
キリッとしながらラティは告げた。
「実は、こちら側の浴場は日当たりが悪い事もあって、屋根が少し腐りかけている所があるのでございます。しかし、そこを注意さえすれば、素晴らしい光景をお見せする事が出来ると、私は約束します」
「屋根が腐っているとな……。確かにそれは注意せねばならぬ。だが、隊長……外は夕暮れ時とはいえ、まだ若干明るい。上の方だと少し目立たないか?」
これは当然の疑問であった。
ラティはウインクする。
「将軍、それについてはご安心を。一度、窓から降りて周囲をご確認ください」
「うむ」
俺は物音をたてないよう注意しながら女湯の屋根の上に降り立ち、周囲をゆっくりと見回した。
(おお、これは!?)
すると、なんと驚いた事に、周囲には背の高い浴場の柵がバリケードのように張り巡らされており、それが死角になって、下からこちらは見る事が出来ない様相となっていたのである。
それだけではない。もう一つ驚くべき事実があったのだ。
それは何かというと、今、俺達が出てきた宿の壁には、窓が1つしかないという事であった。そうなのである……今潜った窓だけが、ここに来るための唯一の道なのである。
つまりッ! 今の俺達の姿は、空飛ぶ鳥ぐらいしか見ることが出来ないのだッ。
これはこう呟かざるを得まい……。
「震えるぞハート……燃え尽きるほどヒート……」
と、ここで、ラティが俺に囁いた。
「コータロー将軍、いかがでございましょうか。これならば、心行くまで、覗きが出来まっせ……じゃなかった。出来ると思われます。それに、今出てきたこの窓は換気用ですので、閉めてしまえば、もはや我々がここにいるなどとは、誰も思いませぬでしょう」
「確かに、そなたの言うとおりだ。ここならばじっくりと堪能できよう。つーわけで、ラティ隊長、そろそろ目的地へと出発しようぞ」
「畏まりました、将軍。では、私の後について来てください」
「うむ」
ラティは移動を開始する。
俺は忍び足でラティに続いた。
程なくしてラティで立ち止まる。
そして、俺に振り返り、ニカッと笑みを浮かべたのであった。
「コータロー将軍、こちらです。この少し窪んだ所に小さな穴が開いておりまして、そこから美しい下界の様子が見渡せるのです」
「うむ。案内、ご苦労であった。後で褒美を遣わすぞ」
俺は喜び勇んで一歩足を前に出した。
だがそこで、ラティは俺を呼び止めたのである。
「将軍、お待ちください。その前に1つ、言っておかなければならない事があるのです」
「言っておかなければならない事とな? して、それはなんであろうか?」
「実は、この窪みの下側は温泉の湿気の影響で、かなり脆くなっておりますので、窪みの上側から覗かれた方が良いかと思われます」
「ほう、上側からとな……」
俺は窪みの下側に目を向ける。
すると、ラティの言ったとおり、窪みの周辺やその下側にある板は、少し黒ずんで瑞々しい色をしていた。どうやら、湿気で腐っているような感じだ。ここは確かに注意が必要である。
つーわけで、俺は暫し考える事にした。
(むぅ……窪みの上からだと屋根の傾斜と重力の影響で、相当苦しい前屈み体勢での見学になるのは必至。いや、恐らく、体勢を維持するのが精一杯で、見学どころではないだろう。何か良い方法はないだろうか……。何か良い方法は……ハッ!?)
と、その時、俺の脳裏に、ある道具が過ぎったのである。
ちなみにそれは、昨日手に入れたあのアイテムの事であった。
そう……魔導の手である。
使うなら今でしょ、てなもんだ。
「ふむ、なるほど。では、隊長の忠告には従うとしよう」
とまぁそんなわけで、俺は早速、魔導の手に魔力を向かわせ、屋根の天辺に見えない手を伸ばし、それを命綱のように使いながら、窪みへと近づいて行ったのである。
窪みの手前にやって来た俺は、そこから更に近づく為に、足を一歩前へと踏み出す。
だが、その刹那ッ!
――ズルッ――
ななな、なんとッ!
バナナの皮の上に足を乗せたかの如く、ズルリと俺の足は滑ってしまったのだ。
そしてあろうことか、俺は体勢を維持する為に、窪みへと足を乗せてしまったのである。
その直後、メシッという板の割れる音と共に、俺の右足は屋根板を踏み抜いた。
(ヤ、ヤバッ!)
俺は慌てて、屋根の下側に手を付き、足を引き抜こうとする。
だがしかし!
それがいけなかった。それが、事態をさらに悪化させてしまったのだ。
なぜなら、脆い下側に体重をかけてしまった為に、今度は下側の板からもメシメシという音がし始め、最後にはバキバキという音を立てながら、板が割れてしまったのである。
こうなると後はもう、絶体絶命の最悪な展開が待つのみだ。
「しょ、しょしょしょ、将軍ッ!」
ラティの慌てる声も聞こえてくる。
そして次の瞬間、俺の身体は万有引力の法則に従い、下界へと落ち始めたのであった。
(あわわわッ! おッ、落ちるゥゥゥ!)
だが、しかしぃッ!
この時の俺は冷静であった。
すぐさま魔導の手に意識を向かわせて、魔力をマキシマムに籠め、俺は宿の屋根に向かって見えない手を伸ばしたのである。
そして、自分の身体を引き上げるような形で、一気に地上20mの高さへと飛び上がったのだ。
無我夢中であった。もはや、あれこれ考えている場合ではなかった。
そして、魔導の手を使って一気に宿の屋上へ飛んだ俺は、への字になった屋根の天辺にしがみ付き、「ゼェゼェ」と息を荒くしながら、ホッと胸を撫で下ろしたのであった。
(な、なんとか危機を脱することが出来た……)
下からはガヤガヤと騒ぐ、慌ただしい声が聞こえてきた。
恐らく、俺が踏み抜いた屋根の破片が、浴場に降り注いだからに違いない。はぁ……最悪である。
程なくして、ラティがこちらへとやってきた。
するとラティは敬礼をするかのように片側の翼を曲げ、キリッとした仕草で俺に告げたのであった。
「将軍! ワイは貴方の命がけの行動に敬意を表しますッ。というか、あないな風に飛んだ人、初めて見ましたッ!」
「と、飛びたくて飛んだんじゃないわ!」
そして俺は思ったのだ。
あまりアホなことはするもんじゃないな、と……。
[Ⅵ]
想定外の事態になった為、俺は女湯見学を諦め、温泉へと向かう事にした。
その道中、ラティが俺に謝ってくる。
「コータロー、ごめんな……。足元がヌルヌルになってるのは、予想外やったんや。勘忍してや」
ラティはショボンと目尻を下げた。
この様子を見る限りだと、悪気はないのだろう。
「いや……まぁあれは、俺も注意不足やったわ。良く考えたら、木が腐っている状態だというのを忘れていたよ。不用意に足を乗せた俺も悪いから気にすんな」
そう、木が湿気て腐っている場合は、殆どの場合、ヌルヌルなのである。
某総合格闘技の試合でもあったが、ヌルヌルでは捕まえる事すらままならないのだ。
「そ、そうか。ほんなら、ええわ。今度また、埋め合わせはちゃんとするさかいな」
「いいって別に。そんなに気にすんなよ。ン……あれは」
俺はそこで前方に目を凝らした。
なぜなら、温泉の入り口付近に人だかりができていたからである。
しかも、何やら物々しい様相となっていた。
「もしかすると、さっきのやつかもしれへんなぁ。コータロー、ここは知らんふりしとこうな」
「ああ、そうしよう」
俺とラティは、何食わぬ顔でそこへと向かった。
すると近づくにつれ、なにやら緊迫した声が聞こえてきたのである。
【おい、しっかりしろ!】
【ゲイル! アンザ! ヒュイ! 返事をして!】
どこかで聞いた声であった。
俺は近くにいる野次馬のオッサンに、白々しく訊いてみる事にした。
「あの、何かあったんですか?」
「ン? ああ、なんか知らんが、温泉の屋根が落ちてきて、下にいた客に直撃したんだそうだ」
「ほ、本当ですか!?」
「なんやてッ」
それを聞いた俺とラティは、人ごみを掻き分け、負傷者の所へと急いで向かった。
俺達の所為で女性に怪我を負わせてしまったかと思うと、いてもたってもいられなかったからである。
それにもしかすると、アーシャさんやサナちゃん達に被害が及んでいるかも知れないのだ。
程なくして負傷者の所へ辿り着いた俺は、そこで意外な者達の姿を見る事となった。
なんと床には、腰にタオルを巻いて股間を隠した素っ裸の若い男が3人倒れており、またその傍には、彼等を介抱する3人の若い男女の姿があったのだ。
俺はこの者達を知っていた。
「テト君達じゃないかッ」
「あ、コータローさん」
「どうしたんだ、一体?」
倒れている3人と同様、素っ裸で腰にタオルを巻いたテト君は、困ったように話し始めた。
「そ、それがですね、突然、屋根が崩れてきて、この3人に破片が直撃したんです。戦いの傷を癒そうとこの宿に決めたのですが、まさか、こんな事になるとは……」
俺はそれを聞き、顎が外れそうになるほど、口をあんぐりと開けた。
それからラティに詰め寄り、小声で捲し立てたのである。
「ど、どういう事だよ。俺が覗こうとしてたのは男湯だったのか! どうなんだよ」
ラティは目を泳がせながら口を開く。
「そ、そういえば、あの場所……今日は男湯の日やったんや。5日おきに変更されるの忘れてたわ」
俺は脳内で叫んだ。
何じゃそりゃァァァァァ! と……。
そして、俺は脳内で、彼等に謝罪したのである。
すまん、と……。
Lv30 巡礼地ピュレナ(i)
[Ⅰ]
翌日の早朝、俺は夜が明ける前に目を覚ました。
夜明け前に起床できるかどうかが不安であったが、昨夜は早めに寝た事もあり、上手い具合に体内時計が働いたようだ。
まぁそれはさておき、俺はそこで室内を見回した。だがまだ夜が明けていない事もあり、室内は非常に薄暗かった。その為、俺はレミーラを使って明かりを灯し、ゆっくりと室内を見回したのである。
するとレイスさんとシェーラさんの寝ている姿が俺の視界に入ってきた。レミーラの明かりに全く反応しないところ見ると、どうやら2人の眠りはかなり深いようだ。日頃の疲れが溜まっているのだろう。
次に俺はアーシャさんとサナちゃんのベッドに視線を向けた。が、しかし……彼女達のベッドはもぬけの殻になっており、室内のどこを見回しても、姿が見当たらないのであった。
(あれ? 2人共、何処に行ったんだ……便所か?)
などと考えた、その時……。
「ン?」
左右の脇腹の辺りに、なにやら柔らかい物体があるのを俺は感じ取ったのである。
俺は(まさか……)と思い、そこでまず左側に目を向ける。
すると、思った通りであった。
アーシャさんがスースーと可愛い寝息を立てて、俺の左隣で寝ていたのである。
(はぁ……やっぱり、アーシャさんだったか……)
昨晩、マルディラント城で宿泊した時は大丈夫だったので安心していたが、この様子を見る限り、まだあのトラウマからは解放されていないのだろう。
この調子だとマルディラント城以外での宿泊は、ずっとこんな感じになりそうだ。嬉しいような、悲しいような、といったところである。
だがしかし……そうなると別の疑問が1つ浮かび上がってくる。
それは勿論、右側にあるこの感触は一体何なんだ? という事である。
俺は首を右に振り、その物体を確認した。
と、次の瞬間!
「エェ!?」
俺は目を見開き、思わず、驚きの声を上げてしまったのである。
なぜなら、そこにいたのはサナちゃんだったからだ。サナちゃんが俺の右腕にしがみ付くように腕を回し、スースーと寝息を立てていたのである。
「はへ……な、なな、なんでサナちゃんがここに!?」
と、そこで、アーシャさんの寝むたそうな声が聞こえてきた。
「ンンン……どうしたんですの……コータローさん、大きな声を出して……」
アーシャさんは瞼を擦りながら、ムクリと起き上がる。
だが、俺の隣で眠るサナちゃんを見た瞬間、目を擦る動きを止め、静かに固まったのであった。
室内にシーンとした静寂が訪れる。
程なくして、アーシャさんは俺に鋭い視線を投げつけ、怒りの籠った低い声色で言葉を発した。
「コータローさん……これはどういうことですの?」
「ええっと……これはですね……俺もどういう事なのか、は、はは、ははは」
「……」
アーシャさんは無言で俺を睨み付けていた。
この様子を見る限り、多分、妙な想像をしているに違いない。
(はぁ……どう説明したもんか……ン?)
と、その時である。
丁度そこで、サナちゃんがモゾモゾと動き出したのであった。
サナちゃんは眠い目を擦りながら、俺とアーシャさんに視線を向け、ニコリと微笑んだ。
「あ、おはようございます、コータローさんにアーシャさん」
「へ? ああ、おはよう」
「え、ええ……おはようございます、サナさん」
サナちゃんがあまりにも普通に挨拶をしてきたので、俺とアーシャさんも釣られて挨拶をしてしまった。
そして暫しの沈黙が、俺達の間に訪れたのである。
まず最初に口を開いたのはアーシャさんであった。
「あの、サナさん……どうしてここに?」
サナちゃんは頬を染め、恥ずかしそうに口を開いた。
「えっと……夜中に、アーシャさんがコータローさんのベッドに入るところを見たので……私も、と思って入ってしまいました」
「あの……つまり、どういう事?」
「じ、実は……私もアーシャさんと同じで、1人で寝るのが怖いんです。それに私も、コータローさんが近くにいると安心できるものですから……つい……ご迷惑でしたか?」
サナちゃんはそう言うと、少しションボリとしながら、俺の顔を潤んだ目で見詰めたのである。
こんな風に見詰められると、俺も流石に何も言えない。
だが、今の話で腑に落ちない点があったので、俺はそれを訊ねた。
「いや、別に迷惑ではないけどさ。というか、なんでサナちゃんが、それを知っているんだい?」
「悪いとは思ったんですが……実は昨日の朝、コータローさんとアーシャさんの会話を私は聞いてしまったんです。それで……アーシャさんも私と同じだったんだと思って……」
サナちゃんが言っているのは、多分、ガルテナの宿での事だろう。
どうやらあの時の会話を聞かれてしまったようだ。
と、ここで、アーシャさんが気まずそうに口を開いた。
「そ、そうでしたの……。そ、それなら、仕方ありませんわね……」
まぁ確かに、サナちゃんは今までが逃亡生活だったようなもんだから、仕方ないといえば仕方がない。
だがそうなると、1つ懸念すべき事があるので、俺はそれを忠告しておいた。
「レイスさんとシェーラさんはこの事を知っているの?」
「い、いえ……レイスとシェーラにはまだ……」
「あのね、サナちゃん……俺を信用してくれるのは嬉しいんだけど、俺達は出会ってまだ5日しか経ってないんだ。だからレイスさんやシェーラさんには、ちゃんと言っておいた方がいいよ。護衛の2人も想定外の行動をされると困るだろうからさ」
「そ、そうですよね。すいません……軽率でした」
サナちゃんはションボリと肩を落とす。
と、そこで、レイスさんとシェーラさんが、ムクリと上半身を起こしたのである。
「私は別にいいわよ。コータローさんなら信用できるから」
「私もだ。皆でいる時くらいはイ、メリア様のしたいようにさせてあげたい」
「へ? 聞いてたんですか?」
「こんなに近くで話をされたら、嫌でも目が覚めるわよ」
シェーラさんはそう言って微笑んだ。
言われてみればその通りである。
「で、ですよね。なは、はは、ははは」
「ありがとう、レイスにシェーラ」
「いえ、お気になさらないでください、イメリア様」とレイスさん。
まぁそんなわけで、なんかよくわからんが、あっさりと2人から公認されたのであった。
めでたしめでたしといった雰囲気である。
だがしかし……そこで、俺にジッと視線を投げかけてくる者がいたのだ。アーシャさんである。アーシャさんだけは俺に向かい、何かを言いたそうな表情を浮かべていたのであった。
もしかすると、俺がサナちゃんによからぬ事をすると思っているのかもしれない。
とはいえ、そう思われるのは俺も心外だ。
その為、俺はサナちゃん達には聞こえないよう注意しながら、アーシャさんの耳元で小さく囁いたのである。
「アーシャさん、安心してください。俺は紳士です。いくらなんでも、子供に情欲を起こしたりしませんから」
するとアーシャさんは、アタフタとしながら口を開いた。
「な、なな、何を突然言うんですの。わ、私、そんなこと考えてませんわよ。い、いやですわ、コータローさんたら」
「へ? 違うんですか? アーシャさんの表情見てたら、俺がよからぬ事をするんじゃないかと心配してる風に見えたんですけど」
「そ、そんなんじゃありませんわ。も、もういいです」
そしてアーシャさんは俺から顔を背けたのであった。
だがさっきと比べると表情が明るかったので、少しは安心したのかもしれない。
とりあえず、誤解は解けたのだろう。
とまぁそんなわけで、朝から少し予想外の展開があったわけだが、俺達はその後、旅の準備を整え、1階の受付で待つラティと合流した。
そして、巡礼の地・ピュレナへと向かい、俺達は馬車を走らせたのである。
[Ⅱ]
ルーヴェラを発ってから、どのくらいの時間が経過しただろうか……。
地平線の彼方に目を向けると、大地に沈み始めた赤く滲む太陽の姿が視界に入ってきた。
空は朱に染まり、周囲は薄暗さが増している。またそれに伴い、気温も少し肌寒いものへと変化していた。この分だと、あと1時間もすれば、日は完全に沈んでしまうに違いない。
馬車の車窓から周囲を見回すと、辺りは、ルーヴェラからずっと続いていた草原の姿ではなく、赤い土が広がる褐色の大地となっていた。草木も少なく、やや荒れた感じに見える。
街道の先に目を向けると、背の低い山々が柵のように、横に連なって伸びていた。
というわけで、以上の事からもわかるとおり、ルーヴェラ周辺の青々とした大地の肥沃さは、ここからは感じられない。その為、この辺りは、少し寂しい感じがする所であった。
俺の知っている地球の景色で例えるならば、オーストラリアのエアーズロックがある辺りの光景だろうか。まぁとにかく、そんな感じの赤い大地が広がっているのである。
ちなみにだが、ラティが言うには、ここも一応、バルドア大平原だそうだ。
そして、この辺りからは人が住みにくい土地になる為、町や村がないそうである。
だがとはいうものの、この辺りまで来ると、俺達の周囲は結構賑やかな感じになってきていた。
なぜなら、俺達の他にも、沢山の人々や馬車の姿が確認できるからである。
というわけで、俺達は今、巡礼者や旅人達に紛れて進んでいるところであった。
その為、夕刻になったにも関わらず、魔物に対する不安はあまり襲ってこない。まぁ早い話が、赤信号、皆で渡れば怖くない、というやつだ。
それから程なくして、前方に見えていた山の麓へとやってきた俺達は、多くの巡礼者達と共に、そのまま山の中へと伸びる街道を進んでゆく。
近くに来て分かった事だが、山の斜面は赤い岩と土だらけで、今までと同様、草木はそれほど生えていない。そんなわけで、ある意味ここは、ベルナ峡谷に近い環境の所であった。
だが、山の標高自体がそれほど高くはないので、どちらかというと、丘陵地帯といった感じだろうか。それもあり、似てはいるものの、ベルナ峡谷ほどの険しさは感じられないのだ。
とりあえず、ここはそんな感じの所である。
そんな周囲の光景を眺めていると、ラティが俺に話しかけてきた。
「巡礼地は、このピュレナの丘を暫く進んだ所やから、後もうちょっとやで」
どうやらこの辺は、ピュレナの丘と呼ばれる地らしい。山にしては低いと思ったので、これで納得である。
まぁそれはさておき、俺はそこで太陽に目を向けた。
すると、太陽は今、地平線に4分の1ほど隠れたところであった。
日没の時間帯である。
「ラティ、太陽が沈み始めてるけど、日没までには着けそうか?」
「まぁそれまでには着けるやろ。ちゅうても、ギリギリってとこやろうけどな」
「それを聞いて安心したよ。ところでラティ、話は変わるんだけどさ。巡礼地に着いたら馬と馬車はどうするといいだろ? 厩舎なんてないよな?」
実を言うと、俺達の前後にいる沢山の巡礼者達を見てからというもの、これがずっと引っ掛かっていたのである。
この巡礼者の馬の数は、宿屋が仮に数十件あったとしても、手に余りそうな数だったからだ。
ラティは少し考える素振りをする。
「う~ん……神官や貴族が使う厩舎はあるけど、巡礼者や旅人用のは無かった気がするなぁ」
「じゃあ、他の人達はどうしてるんだ?」
「ピュレナ神殿のすぐ隣に大きな湖があるさかい、その湖畔で旅人達は馬の世話をしとるな。多少混雑はするやろうけど、そこで世話するしかないんやないか。まぁ結構広い場所やさかい、十分場所はあると思うで」
「ふぅん。てことは、自分達で面倒見るしかないんだな」
「まぁそういう事になるな」
「そうか……」
どうやら、自分達で何とかしないといけないようだ。
俺やアーシャさんは馬の世話なんてできないから、レイスさんやシェーラさんに面倒を見てもらうしかないだろう。
ついでなので、これも訊いておく事にした。
「あと、食事が出来るところはあるのか?」
「一応、あるにはあるな。神殿側が、巡礼者相手にやっている食事の配給があるんや。まぁお布施が必要やけどな。でも、味はあまり期待せん方がええで。出てくるのは神官達が食べるハミルとガラムーエにルザロやからな」
「それかぁ……確かに、あまり期待はしない方が良さそうだな」
ちなみに今言った料理だが、ハミルはフランスパンよりも固い、丸く平たいパンで、ガラムーエは何種類かの豆を使ったスープ、そしてルザロは、数種類の干した果実や野菜を混ぜ合わせた乾燥食品である。まぁ早い話が、イシュマリアにおける精進料理というやつだ。一応、この地で広く食べられている簡素な食事の代表的な物である。
俺もついこの間までいたベルナ峡谷では、ガラムーエとルザロを食べていたので、その味はよく知っている。ハッキリ言って味気ない食事だ。
まぁそんなわけで、これに関しては過度の期待は禁物のようである。残念……。
俺達はそれから更にピュレナの丘を進んでゆく。
すると前方に、高さ100m以上はあろうかという、褐色の断崖絶壁が見えてくるようになった。
また、徐々に近づくにつれ、断崖に彫りこまれた巨大な女神像の姿も、俺の視界に入ってきたのである。
夕日に照らされオレンジ色に輝く断崖の女神は、ゆったりとした波打つ衣を身に纏い、両手を大きく広げ、訪れる者に優しく微笑む美しい女性の姿であった。
全体的に、古代ギリシャの美術品を見ているかのような美しいフォルムの巨像で、その表情は慈愛に満ちており、胸元にはイシュラナの紋章が刻み込まれていた。
そして、そんな女神像の足元には、今まで見てきたイシュラナ神殿と同じ建築様式の建物が幾つか建ち並んでおり、その隣には、断崖から黄金色の
飛沫を上げる大きな滝と、夕日が反射してキラキラと黄金に波打つ大きな湖があるのであった。
夕日が創り上げるそれらの光景は、周囲の景色を忘れるほどに美しいモノであった。
俺は感動のあまり、ただただ無言で、その光景を眺め続けていた。
また、アーシャさんやサナちゃんも俺と同じなのか、その光景を目の当たりにし、言葉少なであった。
「あれが巡礼地ピュレナや。結構、壮大な眺めやろ。特に、この夕日が射す時間帯の景色は、巡礼者達の間でも一番美しい眺めやって言われてるんやで」
「私は今までピュレナの事を色々と聞いた事はありましたが、まさか、これほど美しい所だとは思いませんでしたわ」
「私もです……」
「俺もだよ」
そして、俺達は暫しの間、夕日に彩られた幻想的な巡礼地の姿を眺め続けたのである。
[Ⅲ]
夜の
帳が下りる前に、巡礼地へと到着した俺達は、ラティの指示に従い、まずは湖畔の方へと移動する。それから適当な場所で馬車を停め、俺達はとりあえず馬車を降りたのである。
馬車を降りた俺は、大きく背伸びをしながら周囲を見回した。
すると、断崖に彫りこまれた女神像とその足元に広がる幾つかの神殿の他に、そこへ群がる沢山の巡礼者や旅人達の姿が視界に入ってきた。
また、俺達がいるこの湖畔も同様で、沢山の馬車や馬で少々混雑した感じになっているのである。
まぁ予想していた光景ではあるが、実際にこの混雑ぶりを見ると、流石に圧倒されてしまう。
(凄い混雑してるな……まぁそれだけ、この国の人々には重要な施設なんだろう。日本で言う出雲大社とかみたいな位置付けなのかもしれない。そういや、アーシャさんが道中、ピュレナの伝説を話してくれたっけ。確か……『コータローさん。巡礼地ピュレナは、イシュマリアに住む者達にとって、特別な意味を持つ聖地の1つなんですのよ。なぜならピュレナは、光の女神イシュラナが、御子であるイシュマリアに、破壊の化身ラルゴを倒す為の秘法を授けた地だとされているのです。そして、秘法を授かったイシュマリアは、ピュレナからラルゴの住まう魔境アヴェラスへと旅立ったと言い伝えられているのですから』……だったっけか。この内容なら、そんな感じで受け止めて間違いないだろう)
つまりここは、女神イシュラナが啓示を示したという事の他に、イシュマリアの足跡を辿るという意味においても、非常に重要な意味を持つ場所なのである。
以上の事から、イシュマリアの歴史を語る上で外せない宗教施設なわけだが、俺はそれらを眺めるうちに、少し気になる事があったのだ。
それは何かというと、神殿の入り口や、その周辺がやけに物々しい警備になっていたからである。
しかも、警備している兵士は、磨き抜かれた銀の重装備に白いマントという、見るからに精鋭部隊といった感じであり、明らかにその辺の兵士とは装備のレベルが違うのである。
俺も街にあるイシュラナ神殿には何回か訪問した事があったが、こんな物々しい光景を見る事はなかった。
というわけで、俺は早速、ラティに訊いてみる事にした。
「ラティ、神殿の警備がやけに物々しいけど、ピュレナはいつもこんな感じなのか?」
「いや……あんなに厳重な警備はしてへんわ。でも、あれはこの神殿の者やないな。あのマントの中央に描かれた光と剣の紋章はイシュマリア王家の紋章やから、多分、王族の近衛騎士やと思うで」
俺はマントの紋章に目を凝らした。

「近衛騎士……。てことは、今日は王族が来ているのか?」
「多分、そうやろ。ここは王族の者もよく来るさかいな」
「ふぅん、そうなのか」
王族がよく来るというのが、少々意外ではあった。が、このピュレナの言い伝えを考えると、イシュマリアの血を引く王族にとっては無視できない場所だし、普通の事なのかもしれない。
「ま、そういうこっちゃ。さて、それじゃあ目的地に着いた事やし、向こうにあるガテアの広場に行こっか。案内するわ」
ラティはそう言うと、女神像の前に幾つか建ち並ぶ建造物の1つへと視線を向けた。
「でも、馬の世話をしなきゃならんから、全員てわけにはいかんだろ。誰かがここに残らないと」
と、そこでレイスさんが声を上げた。
「馬と馬車は私が見ておこう」
「え、良いんですか?」
「ああ。それに一応、馬車にも屋根はある事だしな。私だけならどうとでもなる」
まぁ確かに馬車ならば、1人分の就寝スペースは確保できる。
ここはレイスさんの言葉に甘えさせてもらうとするか。
「じゃあすいませんが、レイスさん、馬の世話と見張りをよろしくお願いします」
「うむ。了解した」
その後、俺達4人は、ルーヴェラで購入した簡易寝具や道具等の荷物を馬車から降ろす。そして、各自がそれらの荷物を少しづつ持ち、俺達はガテアの広場へと向かい、移動を始めたのである。
[Ⅳ]
コータロー達が、巡礼地ピュレナに到着する少し前の事。太陽が沈み始めた時間帯の話である。
丁度その頃、断崖に彫りこまれた女神像へと続く通路に、数名の者達の姿があった。
構成は次のとおりで、赤い神官服を纏う初老の男性神官が1名に、白い神官服を纏う若い女性神官が3名。紅白の生地で彩られた美しい衣をその身に纏い、額に金のサークレットを抱いた、艶やかな長く赤い髪が特徴の美しい少女が1名。そして、少女を護衛する赤いマントに身を包む若い女性騎士が1名に、白いマントを纏う若い女性騎士が3名の計9名の者達である。
この9名の者達が向かう先は、断崖の女神像の足元にある巨大な台座であった。
その台座には、美しい女神の姿が彫りこまれた大きな金色の扉が設けられており、訪れる者を静かに待ち受けているのである。
程なくして、巨大な台座の前へとやってきた一行は、扉の前で立ち止まる。そこで神官の1人が前に出て開錠し、金色の扉を左右に開いた。
扉が完全に開かれたところで、赤い神官服を纏った神官が一歩前に出る。
それから神官は少女に向かい、恭しい所作で、中へ入るよう促したのである。
「ではフィオナ様……神授の間への道は開かれました。さ、中へお進みください」
フィオナと呼ばれた少女は無言で頷くと、通路の奥を見詰め、意を決したように口元を引き締める。
そして少女は、艶やかな赤く長い髪を颯爽と靡かせながら、神官と護衛を引き連れ、前へと歩き始めたのである。
台座の中へと入った一行は、その先に続く、魔物と人々の戦いが描かれた壁画の通路を脇目もふらずに進んで行く。
暫く進むと、一行の前に白い壁が現れた。通路はそこで行き止まりであり、壁の中心には、イシュラナの紋章が大きく描かれていた。
一行はその壁の前で立ち止まる。
と、そこで、先程の赤い神官服を纏った神官がフィオナに頭を垂れ、恭しく口を開いたのである。
「これより先は、イシュマリアの血族にのみ許された聖域。我等はこちらで、フィオナ様の帰りをお待ち致しております」
フィオナは無言で頷くと、白い壁へと近づく。
そして、イシュラナの紋章に手を触れ、静かに言葉を紡いだのである。
「我が名はフィオナ・ラインヴェルス・アレイス・オウン・イシュマリア。女神イシュラナが御子であるイシュマリアの末裔なり、ここにその証を示す。――マルゴー・ケイル・ラーヒ――」
次の瞬間、イシュラナの紋章が眩く光り輝き、白い壁が横にスライドしていった。
壁の向こう側も壁画の通路が続いていた。が、今までのような通路ではなく、白く淡い光が漂う安らぎを感じさせる不思議な通路となっていた。
道が開かれたところで、フィオナは居ずまいを正し、通路に足を踏み入れる。
すると、その直後、白い壁は部外者を遮るかのように閉まり、この場は神官と護衛の者達だけとなったのである。
背後の壁が閉じたところで、フィオナは前へと歩き始めた。
程なくして、行き止まりとなったドーム状の丸い部屋が、フィオナの前に現れる。
フィオナはその部屋に入ったところで立ち止まり、大きく深呼吸をして心を落ち着かせた。
そこは何もない部屋であった。ただ一点を除いて……。
部屋の中心に、イシュラナの紋章が描かれた白く四角い石版が台座のように安置されている以外、他には何もない。その石板だけがある部屋であった。
フィオナは呼吸を整えた後、その白い石板の前へと行き、そこに跪いた。
そして、石板に描かれたイシュラナの紋章の上に両掌を置いた後、静かに、そしてゆっくりと、言葉を紡いだのである。
【……我が名はフィオナ・ラインヴェルス・アレイス・オウン・イシュマリア。第50代イシュマリア国王 アズラムド・ヴァラール・アレイス・オウン・イシュマリアが次女であります。……遥かなる天上より、慈愛の光にて世を包み、我等を見守りし女神イシュラナよ……。今一度、我が問いかけに、お答えください……】――
[Ⅴ]
ガテアの広場は、ドーム状の屋根で覆われた縦長の建造物であった。
見たところ、学校の体育館2つ分くらいの広さは優にあり、中には天井を支える為の大きな丸柱が何本も立っていた。天井も高く、ドームの一番高い所で20mくらいはありそうな感じだ。
以上の事から、かなり大きな建造物なのだが、広場には沢山の人々の他に荷物等もあってゴタゴタしている為、それほど広くは感じなかった。
おまけに、ザワザワとした話し声が至るところから聞こえる所為もあってか、酷く雑然とした雰囲気が漂っており、こんな場所にも拘らず神聖な感じが全くしないのだ。まるで、震災直後の避難所のような光景である。
やはり不特定多数の人が集まると、宗教的な施設でもこうなるのだろう。
ちなみに、このガテアという名前だが、ラティ曰く、この巡礼地の初代神官長の名前だそうだ。この人が広場を作るよう指示したので、その名前を付けられたそうである。
まぁそれはさておき、ラティの話だと、この広場での場所取りは早い者勝ちらしいので、俺達はまず、寝る場所を確保する事にした。
そして、寝場所を確保したところで、広場の一角にある食事の配給場所へ行き、俺達は質素な晩餐にありついたのである。
話は変わるが、神官食は1人前につき2ゴールドのお布施が必要であった。まぁ早い話がお布施という名の料理代だ。
というわけで、俺は12ゴールドを支払って6人分の神官食を購入し、外にいるレイスさんにも食事を届けたのである。
それとラティの食事だが、今はルーヴェラで調達しておいたバンバの実という果物を食べているところであった。
一応、人間の食べ物もOKらしいのだが、ここのドラキー族は基本的に、バンバの実を主食にしているそうだ。
ちなみにだが、バンバの実はドラキーだけでなく人間も食べる果実である。
形は洋ナシに似ており、林檎のように赤い色をしているのが特徴だ。ついでに言うと、食感も林檎そっくりである。
だが、味はプラムのような甘酸っぱい感じである為、食べ慣れない俺からすると、不味くはないが、少しギャップを感じる果物なのであった。
つーわけで、話を戻そう。
食事を終えたところで、俺はアーシャさんの一時帰宅に付き合う事となった。
転移場所を探すべく、俺とアーシャさんが外に出ると、辺りは既に、満月の光が仄かに照らす薄明の世界となっていた。
そんな視界の悪い中、俺達は、神殿から少し離れた所に、人の数倍はある大きな岩があるのを見つけた為、とりあえず、そこへと移動する事にした。そして、周囲に誰もいないのを確認したところで、アーシャさんは風の帽子を使い、空へと舞い上がったのである。
とまぁそんなわけで、暫しの間、俺は待つ事になるわけだが……今回は予想外にも、かなり早くアーシャさんが帰ってきたのだ。時間にして10分程だろうか。
いつもと比べると、20分くらい早い、お帰りだったのである。
「お疲れ様でした。今日はえらく早いですね」
「ええ、今日はお兄様にだけ会ってきましたわ。お母様は、配下の夫人達との晩餐会でお忙しいようですので」
「へぇ、晩餐会ですか」
良いもん食ってんだろうなぁ……羨ましい。
「ところで、ティレス様は何か言っておられましたか?」
「そういえば、これをコータローさんに渡しておいてほしいと言われましたわ」
アーシャさんはそう言って、シャンシャンと鳴る銀色の鈴が取り付けられたネックレスの様なものを、俺に差し出した。
「これは?」
「魔除けの鈴だそうですわ。敵の魔法に掛かりにくくなるそうなので、これを持っていた方が良いと言われたのです。一応、皆さんの分も貰ってきましたわ」
懐かしい名前がまた出てきた。
ドラクエⅡで結構お世話になったアイテムである。
確か効能は、マホトーンやラリホーといった魔法に掛かり難くなるんだったっけか。
まぁともかく、派手な効果はないが心強いアイテムである。遠慮せず貰っておくとしよう。
「ありがたく頂戴いたします。他には何も言ってませんでしたか?」
「いいえ、何も。他は、今現在の場所を訊かれただけですわ。でもお兄様ったら、私がピュレナに到着したと言いましたら、羨ましそうな顔をしてましたわよ。うふふふ」
「ティレス様も執務に追われて、毎日が忙しいでしょうからね」
ここ最近は執務室から出られない日々が続いているとティレスさんも言っていたので、そりゃ羨ましくもなるに違いない。
まぁそれはさておき、用は済んだので、そろそろ戻るとしよう。
「さて、それじゃ戻りますか」
「ええ」――
[Ⅵ]
ガテアの広場に戻ると、サナちゃんが笑顔で俺達を迎えてくれた。
「ご苦労様でした。コータローさんにアーシャさん」
「ごめんね、待たせちゃって」
「いいえ、全然待ってませんよ。今日はコータローさん達も早かったので」
と、ここでシェーラさんが、小声で訊いてくる。
「で、何か目新しい情報とかあったの?」
「いえ、それは無いんですが、代わりにちょっとした物を貰ったんですよ」
俺はそこで、アーシャさんに目配せをした。
アーシャさんは頷き、2人にお土産を差し出した。
「これは魔除けの鈴ですわ。お兄様から皆さんの分を頂いて参りましたので、遠慮せずにお使いください」
2人は顔を見合わせる。
サナちゃんは慌てて俺達に頭を下げてきた。
「あ、ありがとうございます、アーシャさん。レイスとシェーラの武具の他に、このような物まで頂けるなんて、もはや、お礼の言葉すら見つかりません」
「サナさん、そんなに気にしないでください。お兄様は当然の事と思って、私に持たせたのですから」
素性を知らないティレスさんは、サナちゃん達の事をアーシャさんの護衛と考えているので、そう言うのは当然だろう。とはいえ、いつかは本当の事を言わないといけない日が来るに違いない。はぁ憂鬱である。
まぁそれはさておき、ラティの姿が見えないので、俺は2人に訊いてみる事にした。
「ところで、ラティはどこに行ったの?」
「そういえば食後の散歩に行ってくるとか言って、さっき外に出て行ったわよ」と、シェーラさん。
「外に行ったのか」
俺は広場の入り口に目を向ける。
と、そこでタイミングよく、ラティが入口から姿を現したのであった。
ラティはパタパタと羽ばたきながら、こちらへとやってきた。
「お、戻ってたか。何の用やったんか知らんけど、とりあえず、お疲れさん」
「ラティは散歩に行ってたのか?」
「ま、そんなとこや。それはそうとやな……」
するとラティは俺の肩に止まり、非常に小さな声で耳打ちをしてきたのであった。
「コータロー……エエ場所が、ここにもあんねん。どや、ちょっと外で話でもせぇへんか。今度は大丈夫やさかい」
全てを察した俺は、そこでサッとウインクをしてラティに合図を送った。
他の3人は、そんな俺達のやり取りをジッと見ている。
だが、これは機密事項なので、当然彼女達のいるところで話す事は出来ない。
その為、当局はこの瞬間を持ってミッションの開始となるのだ。
俺は3人に告げた。
「あのですね。ラティが俺に相談したい事があるらしいんで、外でちょっと話してきます。ですから、少し待っていてもらえますか」
アーシャさんは首を傾げる。
「ラティさんが相談?」
「ごめんな、アーシャねぇちゃん。コータローにどうしても相談したい事があるんや」
「そうですか。わかりましたわ」
「まぁそういうわけなんで、ちょっと行ってきます。では」
そして、俺とラティは、ガテアの広場を後にしたのである。
[Ⅶ]
フィオナが白い壁の奥に足を踏み入れてから、2時間が経過しようとしていた。
壁の外にいる護衛の者達や神官は、その場にて静かに待機しているが、流石に帰りが遅い為、少しソワソワする者も現れはじめていた。
フィオナの護衛を務める女性近衛騎士のルッシラもその1人であり、帰りの遅いフィオナの身を案じて、同じ場所を行ったり来たり繰り返しているところであった。
磨き抜かれた美しい銀の鎧に身を包み、その上から赤いマントを纏うルッシラは、うなじで結った金色の長い髪を揺らしながら誰にともなく呟いた。
「遅い……遅すぎる……これほど時間が掛かる事は今までなかった。中で何かがあったのではあるまいか」
ルッシラの言葉に、赤い神官服を着た初老の神官が反応した。
「ご案じ召されるな、ルッシラ殿。この奥は女神の力によって守られた、云わば、神聖なる聖域。まず危険が及ぶような事などはありますまい」
「しかし、グスコー神殿管理官。今まで、これほど時間が掛かった事があったであろうか」
尚も、ルッシラは険しい表情を浮かべていた。
「フィオナ様が遅いのは、女神から深い啓示を受けているからとも考えられますぞ。何れにしろ、我等に出来るのは、ただ待つ事のみ。近衛騎士である貴殿の思いもわからぬではないが、今はフィオナ様が出てくるのを待ちましょうぞ」
「まぁ確かに、そうなのだが……ン?」
と、その時であった。
白い壁が横へスライドし、奥からフィオナが姿を現したのである。
疲れた表情を浮かべたフィオナは、ややおぼつかない足取りでルッシラ達の元へとやってきた。
そこでルッシラは、フィオナに労いの言葉を掛けた。
「フィオナ様、長い間、お疲れ様でございました。顔色が優れぬようですが、お身体の方は大丈夫で?」
「え、ええ……身体はなんともありません。ですが……」
フィオナは歯切れ悪く答えると、納得のいかない表情を浮かべた。
ここでグスコーと呼ばれた神官が口を開いた。
「フィオナ様、なんと啓示があったのかは存じませぬが、女神の意思は古来より、このイシュマリア国の進むべき道標であります。それを、ゆめゆめお忘れなきよう」
「グスコー神殿管理官……。私もイシュマリアの末裔ですから、それは十二分に心得ております」
「ならば、何も言いますまい」
「……では神授の儀は終わりました。もう戻りましょう」
【ハッ】――
フィオナ達一行が女神像の台座から出ると、外はもう完全に日も落ち、空に浮かぶ満月が辺りを照らす、薄闇の世界となっていた。
一行はレミーラで足元を照らしながら、台座の反対に位置するピュレナ神殿へと移動を始める。
それから程なくして、神殿へと足を踏み入れた一行は、中の礼拝堂と思われる場所で一旦立ち止まったのである。
そこで、グスコーがフィオナに向かい、恭しく頭を下げた。
「フィオナ様、沐浴の用意は既に済んでいるそうなので、このまま光の泉へとお向かい下さい」
「わかりました。ではルッシラ、すいませんが、着替えの用意をお願いします」
「畏まりました」
ルッシラは返事をすると、女性騎士の1人に指示をした。
「フィオナ様のお着替えをすぐにご用意し、光の泉まで持ってくるのだ」
「はッ、ただ今」
指示を受けた女性騎士はキビキビと返事をし、この場を後にした。
そして、フィオナはルッシラに告げたのである。
「では行きましょう、ルッシラ」
「はい、フィオナ様」
神殿の外へ出たフィオナ達一行は、湖がある方角へと伸びる石畳の道を進んで行く。
暫く進むと、一行の前に、やや小さな神殿様式の建造物が現れた。
一行はその建造物の前に来たところで、一旦立ち止まる。
フィオナはそこでルッシラに言った。
「ではルッシラ、この前で待っていてください。すぐに戻りますので」
「仰せのままに」――
フィオナが入口を潜った先は、壁一面に女神の絵が描かれた明るい部屋で、そこには中年の女性神官と、若い女性神官が2人いた。
2人はフィオナの姿を見るなり、跪いて頭を垂れる。
まず中年の女性神官が口を開いた。
「光の泉にようこそお出で下さりました、フィオナ様。こちらで御召し物をお預かりいたします」
フィオナは無言で頷く。
そこで中年の女性神官は、もう1人の若い女性神官に指示を出した。
「さ、フィオナ様のお手伝いを」
「はい」
指示を受けた若い女性神官は、フィオナの背後に回り、脱衣の手伝いを始める。
それから程なくして、一糸纏わぬ姿となったフィオナは、長く赤い髪をフワリと靡かせ、この部屋の奥にある扉へと歩き始めたのである。
そこで若い女性神官が奥の扉を開き、フィオナに中へ入るよう恭しく促した。
「どうぞ中へお入りください、フィオナ様。光の泉にて、お身体をお清め下さい」――
フィオナが扉を潜ると、青い石畳の床の中心に、白い石で縁取られた丸い泉があった。
泉の周囲には、白く発光する八本の柱が立っており、その柱から発せられる光が泉の水面に反射して、まるで泉自体が光を発するかのように、白く輝きながら揺らめいていた。
フィオナはその泉に向かい、ゆっくりと歩を進める。
泉の縁に来たところで、フィオナはゆっくりと片足から泉の中に入って行った。
腰のあたりまで泉につかったところで、フィオナは備え付けられた小さな水瓶を使い、全身をゆっくりと洗い流すかのように、静かに水を掛けてゆく。
そして、右手で女神の紋章を宙に描いた後、目を閉じて両掌を胸の前で組み、イシュラナへの祈りを捧げたのであった。
「……遥かなる天上より、慈愛の光にて世を包み、我等を見守りし女神イシュラナよ……今日も1日が無事に終わりました。大地を育み、水を育み、命を育み、世界を育む貴方の息吹に感謝しますと共に、罪深きこの身を清めて悔い改め、我等が主たる貴方様へ感謝の祈りを捧げます。……そして願わくば、世の生きとし生ける物全てに、貴方様の加護と祝福の光があらんことを……」
祈りの言葉を捧げたフィオナは、目を閉じて掌を組んだまま、静かにそこに佇む。
だが次の瞬間、この建物内に、低い男の声が響き渡ったのである。
【祈りはもう済みましたかな、フィオナ王女。クックックッ……】
「だ、誰です!?」
男の声だった為、フィオナは反射的にしゃがみ、首まで泉につかった。
そして、声の聞こえた入口に振り返ったのである。
するとその直後、入口から、フードを深く被って顔を覆い隠した漆黒のローブ姿の存在が、ユラリと姿を現したのであった。
フィオナは叫ぶように言葉を発した。
「何者です! こちら側の泉は男子禁制ですよッ」
【ええ、勿論、存じておりますとも】
「ル、ルッシラ! 誰かッ!」
フィオナは泉の入口付近に待機しているであろうルッシラ達に、慌てて呼びかけた。
しかし、ルッシラはおろか、他の騎士も現れなかったのである。それどころか、返事すらないのであった。
ローブ姿の存在は愉快そうに言葉を発した。
【ククククッ、助けを呼んでも無駄ですな。外の者達は今、ぐっすりと眠っているところだ。起こさずに休ませてあげたまえ。クククッ】
ローブ姿の存在は泉の前に来ると、そこで立ち止まる。
それを見たフィオナは、泉につかったまま後ずさり、険しい表情で弱々しく言葉を発した。
「一体、な、何をするつもりなのです」
【何をするつもりだって? クククッ、決まっている。貴方にとって良くない事だ。だが心配はするな、今はまだ命まで奪うつもりはない。といっても、後の事まではわからんがな。まぁそういうわけだ。観念してもらおうか、フィオナ王女よ……】――
Lv31 魔の世界よりの使者
[Ⅰ]
外に出た俺とラティは、仄かに辺りを照らす月光を頼りに、今回のミッションを行なう決戦の地へと向かった。
ちなみに今日のミッション内容は、『神殿の敷地内にあるという、神秘の泉を調査せよ!』である。
ラティの話によると、この巡礼地には女性神官が沐浴をする泉があるらしいのだ。つまり俺達は、その沐浴の様子を見学しようというわけなのである。
まぁそんなわけで、一歩間違えれば、イシュラナ教団を敵に回す可能性がある非常に危険な調査なのだが、俺はこれも勉強だと自分自身に言い聞かせ、作戦を実行する事にしたのであった。
そう……これは、その土地の風習を知る為の社会勉強なのである。決して煩悩に身を任せただけの行為ではないのだ。9:1の割合でだが……。
まぁそれはさておき、以上の事から、俺達は女体の神秘に迫るわけだが、そうなると1つ問題が出てくるのである。
それは勿論、昨日のような事があるのかどうかという事である。
断っておくが、建物の強度的な事ではない。男湯と女湯が入れ替わっているのかどうかという事だ。
これは非常に重要な事である。もし仮に、今の勢いで男性神官の沐浴してる姿を見たならば、俺はその場でイオラを唱えて、見なかった事にしてしまう可能性も否定できないのだ。
そんな悲劇は絶対に避けねばならない!
というわけで、俺はついさっき、それについて念入りに確認をしたのであった。
一応、その時のやり取りはこんな感じだ――
「おい、今回は本当に大丈夫なんだろうな。言っとくけど、俺は男の入浴なんて見たかないぞ」
「へへへ、コータロー、今回は安心してええで。ワイが言ってる沐浴の泉は男子禁制やさかい、女の神官しかおらん。しかも、この神殿の神官は若くて別嬪揃いで有名なんや。どや? 見たいやろ? 行くしかないで、ホンマ」
「ほう、沐浴とな……しかも男子禁制な上に、神に仕える乙女と申すか」
「そうや。で、どないする? 行ってみるか?」
今の言い方に引っ掛かりを覚えた俺は、偉大なジェダイマスターの言葉を引用してラティに告げたのであった。
「待て、ラティ……行くか、行かぬかだ。試しなどはいらぬ」
「おお、さすがコータローや。なんや知らんけど、深い言い回しに聞こえるわ。でも、なんとなく、今使うような言い回しやない気もするけどな。まぁそれはともかくや。で、どないする? 行くか?」
俺は首を縦に振る。
というわけで……。
「ゆこう」
「ゆこう」
そういう事になったのである――
これが経緯だ。穢れなき美しき乙女の裸体……これはもう行くしかないだろう。
つーわけで、コータロー行きます!
まぁそれはさておき、行くと決めた俺達は、すぐに行動を開始し、ミッションのスタート地点へとやって来た。
ラティに案内されて辿り着いた先は、滝のけたたましい音が鳴り響く湖の畔であった。滝と湖の影響か、周囲は少し肌寒い。日中ならともかく、夜である今は長居したくない所である。
俺はそこで今来た方向を振り返り、ピュレナ神殿までの距離を確認する事にした。
見た感じだと、神殿はここから直線にして約100mといったところだろうか。薄暗いのでハッキリとはわからないが、大体そのくらいであった。
以上の事から、ここはピュレナ神殿から少し離れた位置なのだが、俺はそれよりも少し気掛かりな事があったのである。
それは何かと言うと、ここには神殿の敷地内に入る為の道といったものが、どこにも見当たらないという事であった。それだけではない。緩やかなカーブを描く断崖が邪魔をしている為、敷地内へはそう簡単に入れそうにないのだ。
つまり、普通に今来た道を戻るか、断崖をロッククライミングをしながら横に伝って行く以外、神殿への道は無いのである。
(うへぇ……どうやって神殿の敷地内に忍び込むんだ……)
謎は尽きないが、今はここの状況確認が先決だ。
「ラティ、とりあえず、周囲に誰もいないか確認をしよう。行動に移すのはそれからだ」
「せやな」
というわけで、まずは周囲の確認から始める事にしたのである。
――それから約10分後――
一通り確認したところで、俺とラティはミーティングを始める事にした。
「今のところ、誰もいないみたいだな。多分、暗い上に滝の音が五月蠅いから、ここでは誰も休まないんだろう」
「せやろな。これだけ五月蠅いと、馬も流石に寝られへんと思うわ」
ある意味、好都合である。
「さて、それじゃあラティ、ここからの説明を頼む」
ラティは頷くと、滝が流れ落ちる断崖に視線を向けた。
「ここからは、断崖の岩壁を飛び移っていくか、空を飛んでいくかの二択になんねんけど、コータローはどっちがええ?」
「どっちがええって……。言っとくけどな、俺は空を飛べんぞ。一時的に浮くことくらいはできるけど」
妙な事を訊いてくる奴だ。
「え? そうなんか? 昨日、温泉の屋根が崩れた時に飛んでたさかい、てっきり飛べるもんやと思ってたわ」
どうやら、魔導の手を使って飛んだのを見て、そう思ったようだ。
誤解されるのもアレなので、一応言っておこう。
「ああ、あれはな、魔力を使って強引に飛んだんだよ。だから、ラティみたいには飛べんぞ、俺は」
「なんや、そうやったんか。ほんなら、あとはもう、断崖の岩壁を飛び移って行くしか方法はないな」
「岩壁を飛び移る、か……。で、具体的にどうするんだ?」
ラティは断崖に目を向けると言った。
「壁の至る所に岩が飛び出てるのが見えるやろ。あれを飛び移っていくんや。飛べん奴には厳しいけど、コータローなら魔力で飛ぶという選択もある見たいやし、行けると思うで」
俺はラティの視線の先を追う。
すると、ラティの言う通りであった。
断崖の壁は月明かりが当たらないのでわかりにくかったが、よく見ると、ひょっこりと飛び出た岩が幾つも見えるのである。
どうやら、あれを飛び移って移動をするという事のようだ。
ちなみにだが、それらの岩と岩の距離を言うと、短いので3mほど、長いので10mほどといったところだろうか。とりあえずそんな感じなので、俺のように魔導の手を使える奴なら、何とかなりそうであった。
おまけに、月明かりが断崖の壁に当たらないという事も、よくよく考えると結構な好条件といえた。なぜなら、闇に紛れて移動ができるからである。
つまり、これらを総合すると、行くのなら今でしょって事になるのだ。
「なるほどな、あのくらいなら俺でも行けるかもしれん」
「多分、大丈夫やろ。で、話を戻すけど、岩壁をある程度進むとやな、当然、神殿の敷地内に辿り着くわけやけど、入ってすぐの所に1つだけポツンと神殿が建っとるところがあんねん。その中が泉になっとるんや。目的地はそこやで」
大まかな流れはわかったが、少し気になる点があった為、俺はそれを訊ねる事にした。
「ラティ、泉までの道順はわかったが、その前に訊いておきたい事がある」
「何やろ?」
「ここはイシュマリアでも、特別な巡礼地といわれる場所だ。となると、当然、神殿の警備というものも視野に入れなければならない。そこでだ。ラティに訊いておきたいのは、神殿の警備体制はどうなっているのかという事なんだよ。特に、その泉付近の情報を知りたい。どんな感じかわかるか?」
ラティは空を見上げ、暫し考える仕草をする。
「う~ん……ワイがいつも見ている時は、警備はしてへんかった気がするな」
「王族が来ている時はどうなんだ?」
「実はワイ、王族が来てるの見たん初めてなんや。せやから、ちょっとわからんなぁ……」
予想外にも、ラティは王族が来ているこの状況は初めてのようだ。
これは気を引き締めた方が良さそうである。
「そうか。なら、今日はかなり慎重にいったほうがいいぞ。何があるかわからんからな」
「確かに、コータローの言う通りやな……。今日は慎重にいっとこか」
「ああ、そのほうがいい。さて、それじゃあ、そろそろ行くか。あまり遅いとアーシャさん達に、何をしてたのか突っ込まれるからな」
「せやな」――
[Ⅱ]
月明かりが満足に届かない薄暗い中、俺は魔導の手を頼りに、断崖の壁からひょっこりと出た岩を飛び移って移動する。
で、ラティはと言うと、普通に空を飛んで移動しているところであった。羨ましい限りである。
まぁそれはさておき、俺達がそうやって進んで行くと、程なくして、白い光が漏れる建造物が眼下に見えてきた。もしかするとアレが、泉があるという建物なのかもしれない。
建物が見えたところで、ラティの声が聞こえてきた。
「コータロー、アレや。あの中が泉になっとるんや」
「明かりがついてるという事は……今、誰かが水浴びしてる可能性がありそうだな」
「かもな」
乙女の水浴び……燃える展開である。
今なら山吹色の波○疾走が出せそうな感じだ。
「で、どないする? このまま進むか?」
「いや、待て……ここからは慎重に行こう。とりあえず、近くで様子を探りたいから、どこかいい場所はないか?」
「ほんなら、あそこの岩陰なんてどうや」
ラティはそこで、建物からやや離れた所に位置するミニバンサイズの大きな岩へと視線を向けた。
建物と岩の距離は約50m。他に適当な場所がない事と、場所的にもまぁ悪くない位置だったので、俺はそこにする事にした。
「そうだな。あの岩の裏で様子を見よう」
「よっしゃ、ほな、行くで」
そして、俺達はその岩へ向かい、そそくさと移動を開始したのである。
岩の裏に回ったところで、俺達は息を潜めながら建物の様子をジッと窺った。
見たところ、建物の周囲には誰もいないようであった。話し声といったものも聞こえてこない。その為、シンとした静寂が辺りに漂っていた。
また、近くで見て分かった事だが、この建物には奥の方にだけ両開きの小さな窓が幾つかあり、そこから白い明かりが漏れていた。もしかすると、窓のある部分が泉なのかもしれない。ヒャッハー! 性帝様のお通りだァァ! 窓を開けろ~! ってなもんである。
まぁそれはさておき、俺は少し気になった事があったので、それを訊ねる事にした。
「今のところ、何の気配も感じられないけど、いつもこんな感じなのか?」
「いや……いつもやと、もう少し神官の出入りがあるんやけど……変やな、もう沐浴の時間やと思うのに」
「てことは、王族が来てるから、色々とバタバタしてるのかもしれないな」
「せやな。コータローの言う通りかも……ン? 誰か来たで」
ラティはそこで、ピュレナ神殿の方へ続く石畳の道に視線を向けた。
俺もそこに目を向ける。
すると、レミーラと思わしき明かりを頼りに、こちらへと進む、数名の者達がいたのである。
ここからだと距離があるので、どんな者達かまではわからなかったが、人数はどうやら4名のようだ。もしかすると、沐浴をしにきた乙女達かもしれない。
俺は空条コータローになり、ボソリと呟いた。
「ようやく、来たか。やれやれだぜ……」
「へへ、コータロー、カッコつけてるとこ悪いけど、物ッ凄い顔がニヤけてるで」
「ほっとけ。そんな事より、御一行様はもうすぐ到着だぞ」
俺達がそんなやり取りをしている内に、一行はもう、建物のすぐ近くへとやってきていた。
「全員が中に入ったら、少し時間をおいてワイ等も行こっか」
「ああ」
俺達は息を潜め、全員が中に入るのをジッと待つ。
だがしかし……ここで予想外の事が起きたのである。
なんと一行は、入口の前で立ち止まって言葉を幾つか交わした後、その中の1人だけが中へと入って行ったのだ。
そして、残った者達はというと、門番のように入口の両脇に立ち、警備についたのであった。
この予想外の展開に、俺は思わず舌打ちをした。
「チッ、警備付きかよ」
「そうみたいやな……でも、ワイがいつも見てるときは、こないな事ないんやけどな」
「なら、多分、王族なんじゃないか」
「かもしれんなぁ。王族かぁ……。王族でも、こないな所にある泉に入りに来んねや……。それは考えへんかったわ」
ラティはそう言って、残念そうに項垂れた。
俺も項垂れる。
「でも王族じゃ、覗きはちょっと厳しいな。下手すると、命に関わる。はぁ……諦めるか……」
せっかく苦労してここまで来たのに、これは少し残念な決断だが、俺も命の危険を冒してまで煩悩に身を任せるつもりはないので、諦めるしかないのである。はぁ……無念だ。
「なんやったら、今入った王族が出るまで少し粘ってみるか? その後に神官が来るかもしれへんで」
「粘るっつってもなぁ。アーシャさん達も、あまり遅いと心配するだろうからな」
「せやな……。しゃあない、諦めて戻るか」
「ああ、残念だけどな……ン?」
と、その時である。
一行がやってきた方向から、また新たな人影が1つ現れたのである。
ちなみにそれは、フードを深く被った黒いローブ姿の者であった。
「また誰か来たみたいだな」
「どうせまた、王族の護衛かなんかやろ。帰ろ、コータロー」
「そうだな、帰るか……って、ちょっと待て……なんか様子がおかしい」
そう……様子が変なのである。
なぜなら、その黒いローブ姿の者が建物の前で立ち止まったところで、入口の両脇に立つ3名の者達は、武器を抜いて詰め寄ったからだ。3名の者達は明らかに、不審者への対応をとっているのである。
「ホンマやな……なんかヤバそうな雰囲気やん」
「ああ」
建物の前は慌ただしい様相となっていた。
俺達は固唾を飲んで、その成り行きを見守った。
両者は険悪な雰囲気のまま暫し対峙する。3名の騎士達は今にも斬りかかりそうな感じであった。
そんな中、先に動いたのは、意外にもローブ姿の者であった。ローブ姿の者は、杖のような物を取り出し、3名の者達に向けたのである。
「今来た奴、杖みたいなの取り出したな。ありゃ戦うつもりやで。3人の近衛騎士相手にようやるわ。1人で勝てるつもりかいな」
「ああ、まったくだ……ン」
だが次の瞬間、俺達は異様な光景を目撃する事となったのである。
なんと、ローブ姿の者が杖のような物を上に掲げたと思ったら、詰め寄った3名の者達は事切れたかのように、突然、バタバタと地面に倒れていったからだ。
ラティも驚きを隠せないのか、目を大きく見開いていた。
「な、なんや、何したんや。突然倒れよったで」
そして、黒いローブ姿の者はというと、悠々とした足取りで、建物の中へと入って行ったのである。
この場に暫しの静寂が訪れる。
(一体何をしたんだ……魔法か……いや、魔力の放出が無いから、多分、魔法じゃない気がする。となると、あの杖の力か……わけがわからん)
とりあえず、俺は確認の為、ラティに訊いてみる事にした。
「ラティ……今のは何だ? あれも、ここでは日常的にある事なのか?」
「んなわけあるかい。ありゃ、なんかヤバい感じやで……。どうする、コータロー。ちょっと見てくるか?」
正直言うと関わり合いになりたくはないが、見てしまった以上、無視するのも後味が悪い。
(はぁ……何でこんな事態に遭遇するんだろ、俺……。ただ、誰も傷つくことなく、平和に覗きをしたいだけなのに……。仕方ない。とりあえず、中の様子を見てくるか……。だが、場合によっては戦闘もあるかもしれない。すぐに行動できるよう準備だけはしておこう……。はぁ……こんな事なら、魔道士の杖も持ってくれば良かった。とほほ……)
置いてきた魔道士の杖に少しだけ後悔しつつ、俺は重い腰を上げる事にした。
「あまり気が進まんが、仕方ない……行くか」
「ほな、行くで」
そして俺とラティは、周囲を警戒しながら建物へと近づいたのである。
[Ⅲ]
俺とラティが建物の入り口へやって来ると、そこには銀の鎧に白や赤のマントを装備した3名の女性騎士が、うつ伏せで倒れていた。
3人共、年は若く、20代から30代といったところである。結構、美人揃いであった。それから、彼女達の背中を覆うマントの中央には、神殿の外にいた騎士達と同様、光と剣をあしらった紋章が描かれていた。これを見る限り、彼女達は恐らく、王族の近衛騎士なのだろう。
それと彼女達の容体だが、呼吸をしているところを見ると、ただ単に眠らされているだけのようである。外傷もないので、今すぐ命の危険がどうこうという事はなさそうであった。
とりあえず、倒れている騎士に関して分かったのは、こんなところだ。
一応、彼女達を起こそうかとも思ったが、俺達の事は知られたくなかった為、今はこのままにしておき、次に行くことにした。
俺は手振りで中へ入る合図をラティに送ると、物音を立てないよう注意しながら、建物の中へと入っていった。ラティも俺に続く。
建物の中に入った俺達は、20m程の通路を慎重に進む。
そして、その先にある白く明るい部屋の前に来たところで、俺は通路の壁を背にしながら室内をそっと見回したのであった。
すると次の瞬間、うつ伏せになって倒れている2人の女性神官が、俺達の視界に入ってきたのである。
(あの神官達も、さっきの奴に眠らされたみたいだな……。まだここに奴がいるかもしれない。とりあえず、室内を確認しよう)
俺は周囲を警戒しながら、室内の隅々に目を向けた。
一通り見回したところで、俺とラティはホッと安堵の息を吐いた。
なぜなら、目に付く物と言えば、周囲の壁に描かれた神秘的な女神の壁画と、奥の壁に設けられた扉だけであり、あの怪しいローブ姿の者はどこにも見当たらなかったからだ。
俺は一息ついたところで、倒れている女性神官に目を向けた。
ここから見る限り、2人の女性神官に怪我は無いようだ。
また、身体が僅かに動いているところを見ると、呼吸はしているみたいである。多分、外の女性騎士達と同じで、眠らされているのだろう。
と、そこで、ラティの小さな声が聞こえてきた。
「し、死んどるんかな?」
俺も小声で答える。
「いや、呼吸はしているから、外の騎士達と同じで、眠らされているんだろう。ところでラティ、この奥はどうなってるんだ?」
「この奥は泉や。多分、さっきの奴はそこやと思うで」
「泉か……よし、行ってみよう」
俺は物音を立てないよう注意しながら、忍び足で扉の前へと向かう。
すると扉に近づくにつれ、話し声が聞こえてくるようになったのである。
扉の前に来た俺は、その話し声に耳を傾ける事にした。
【なにを……】
【……きまって……あなた……ことだ……】
話し声は男と女の声であった。
だが、ハッキリと聞き取れないので、何を話しているのかが全く分からない。
その為、俺は扉を少し開き、隙間から向こうの様子を窺う事にしたのである。
俺は扉を3cm程開き、そこから中を覗き込む。
狭いながらも向こうの様相が見えてきた。
するとそこは、白く美しい石で造られた部屋の中心に、丸い泉があるという構図の四角い大きな部屋であった。
泉の周囲には光る八本の柱が規則正しく立っており、それらの光が反射して泉は美しく輝いていた。その様子は、まるで泉自体が光を満たしているかのようである。
またその他にも、ラベンダーのような芳しい香りも漂っており、非常に清潔感の漂う空間となっていた。
隙間から見える部屋は、そんな、穢れの無い美しい所であった。が、しかし……それは普段ならば、と付け加えなければならないのだろう。
なぜなら今は、そんなモノなど微塵も感じさせない事態が起きているからである。
俺の目に飛び込んできた光景……それはなんと、漆黒のローブを身に纏う者が、泉の中にいる美しい女性を威圧している姿であった。そして、泉の中の女性はというと、青褪めた表情を浮かべながら、ジリジリと後退りしているところなのである。
俺はそこでローブ姿の者に目を向ける。が、後ろ姿しか見えないので、その表情は窺い知れない。
また、女性は逃げ道を探しているのか、険しい表情で周囲を見回しているところであった。
その緊迫した空気に、俺は生唾をごくりと飲み込む。
と、その時である。
ローブ姿の者が、不敵な笑い声を上げたのだ。
【ククククッ、幾ら見回したところで、周りは石の壁だ。逃げ道などはございませんよ、フィオナ様。さて、御覚悟はよろしいですかな。なあに、貴方には眠っていてもらうだけですよ。ただし、決して目覚める事のない、呪いの眠りですがね。クククッ】
声を聞いた感じだと、ローブ姿の者はどうやら男のようだ。
人間かどうかわからないが、とりあえずは男という事にしておこう。
ローブ姿の男は、深紫色の水晶が先端に付いた捻じ曲がった杖のような物を上に掲げると、女性に告げた。
【フィオナ様、何も心配しなくてもいいのですよ。痛くはありませんのでね。クククッ】
と、その直後、フィオナと呼ばれた女性は、ローブ姿の男に向かい、呪文を唱えたのである。
「ベギラマ!」
女性の手から炎が放たれ、ローブ姿の男はモロにそれを浴びる。が、しかし……ベギラマの炎を浴びているにもかかわらず、男は愉快そうな笑い声を発したのであった。
【クククッ、このダークローブは攻撃魔法に対して耐性があるので、その程度の魔法など恐れるに足りませんよ。さて、もう眠ってもらうとしましょうか】
女性が青褪めた表情を浮かべる中、男の持つ杖の水晶が、不気味に怪しく輝き始めた。
またそれと共に、嫌な魔の瘴気も漂いだしたのである。
直感的に、今の内に何とかしないと不味いと思った俺は、ここでラティに1つお願いをする事にした。
「ラティ、奴と戦う事になるから、外で入り口を見張っていてくれ。誰か来たらすぐに知らせるんだ。良いな?」
「お、おう、わかった。コータローも、気ぃ付けなアカンで」
「ああ」
ラティはそう言って、この部屋を後にした。
するとその直後、ラーのオッサンが小声で俺に話しかけてきたのである。
「コータローよ……我は、奴と戦うのをあまり薦めん。が、戦うのならば1つ忠告しておこう。奴の持つ杖に注意しろ。あれは恐らく、夢見の邪精を封じた呪われた武具だ。夢見の邪精に憑かれると身体を乗っ取られるぞ」
「マジかよ……このタイミングでそれを言うか……」
お蔭で決心が鈍ってきた。
だが、そんなやり取りをしている最中にも、扉の向こうに見える黒いローブ姿の男は、既に次の動作へと移ろうとしているところであった。
(チッ、不味い。あの子に杖を向けてやがる。もう悩んでる時間がない)
俺はそこで、奴に効果がありそうな魔法を行使する事にした。
扉の隙間から右手を伸ばし、男に狙いを定める。
そして、俺は呪文を唱えたのである。
「メラミ!」
直径1m大の火球が男の背中に直撃する。
火球は爆ぜ、男を包み込んだ。
男の苦悶の声が聞こえてくる。
【グァァァ! こ、これは、メラミの炎! ウガァァァ】
この様子を見る限り、多分、それなりにダメージはあったという事なのだろう。
メラミを選択して正解だったようだ。が、しかし……これで止めを刺せるほど、甘くは無いようである。なぜなら、奴自体がピンピンしている上に、炎も既に沈静化しつつあるからだ。
炎が消え去ったところで、ローブ姿の男はこちらに振り向き、怒りのこもった言葉を投げかけてきた。
【おのれェェ、何者だッ!】
(手を出した以上はやるしかない。すぐに魔法を行使できるよう、今の内に魔力分散作業をしておこう……)
俺は魔力制御しながら扉を開き、奴の前に姿を現した。
「ただの通りすがりの者だよ。その女性を眠らせようとしてたみたいだが、眠らせて何するつもりだったんだ? 悪戯でもするつもりだったのか、この変態野郎」
余裕のある言い回しで啖呵を切ったが、内心ビクビクであった。
当然である。相手は得体のしれない奴だからだ。
しかし、だからといって弱気を見せると相手を調子づかせてしまうので、この対応は止むを得んのである。どんな相手かわからん以上、必要な措置なのだ。いきなり、わけのわからん特技を繰り出されて酷い目に遭わない為にも……。
俺がそんな事を考える中、ローブ姿の男はフードで覆い隠した顔を向け、こちらをジッと窺っていた。
少しは警戒してくれているみたいである。とりあえず、余裕のある演技が功を奏したのだろう。
【……見たところ、魔法使い1人だけか……。フン、まぁいい。まずは貴様に呪いを施してやろう】
そう言うなり、ローブ姿の男は俺に杖を向けてきた。
だがしかし!
「メラミ!」
既に魔力分散作業を終えている俺は、そこで両手を奴に突きだし、メラミを2発お見舞いしてやったのである。
ちなみに、2発の内の1発は杖を持つ手に向かって放っておいた。
やはり、あんな話を聞いてしまったからには、無視することは出来ないからだ。
放たれた2つの火球は、容赦なくローブ姿の男に襲いかかる。
【なッ、メラミを2発だと! グウォォォ!】
メラミの直撃を受けたローブ姿の男は、勢いよく吹っ飛んでゆき、反対側の天井付近の壁に激突すると、床にドサッと落ちてきた。
また、男が持っていた妙な杖も、今の衝撃で吹っ飛び、部屋の片隅をコロコロと転がっているところであった。
(よし、計画通り!)
俺は内心ホッとしながら、そこで泉にいる女性に目を向ける。
すると女性は、この突然の事態に、ただただ震え、呆然と眺めているだけであった。
無理もない。俺も逆の立場なら、こうなっていただろう。
色々と説明をしないといけないのかもしれないが、まだ戦いは終わっていない。
その為、俺はローブ姿の男を注視しながら、追加のメラミを放つ為の魔力制御をすぐに始めたのである。
俺は魔力制御を行ないつつ、部屋の片隅に転がる紫色の水晶が付いた杖に目を向けた。
(奴が動き出す前に、アレを何とかした方が良さそうだ。このままにしておくと、絶対に面倒な事になる……)
そう考えた俺は、急いで杖の所へ移動する。
そして杖を手に取り、周囲の壁にある小窓の外に杖を放り投げたのであった。
すると、それと入れ替わるかのように、床に蹲るローブ姿の男がユラリと立ち上がったのである。
(ホッ……いいタイミングで危険物を処理できたようだ。グッジョブ、俺)
立ち上がったローブ姿の男は、フードで覆い隠した顔を俺に向け、静かに話し始めた。
【貴様、ただの魔法使いではないな……一体、何者だ。どうして此処に、貴様のような輩がいる】
「俺か? 俺は、ただのコック……じゃなかった。ただの通りすがりの魔法使いさ」
【通りすがりの魔法使いだと……フン、まぁいい。貴様が誰であろうと、その辺の魔法使いではない事に変わりはない。それならば、こちらにも考えがある】
男はそう言って、懐から煙のようなモノが渦巻く、黒い水晶球を取り出した。
だが俺はその水晶球を見た瞬間、思わず目を見開いたのである。
(あ、あの黒い水晶球……以前どこかで……あ! ま、まさか……)
俺は驚愕した。
なぜならその水晶球は、以前遭遇したザルマというラミリアンの男が持っていた物とそっくりだったからだ。
俺の脳裏に、あの時の最悪な記憶が蘇ってくる。
【油断したよ……。まさかこれを使う事になるとはな。できれば使わずに事を済ませたかったが、貴様のような奴には、こちらも本来の力を出さねばなるまい……ムン!】
と、その直後、ザルマの時と同様、男の周りを黒い霧が覆い始めたのである。
恐らく、魔物に変身するのだろう。
とはいえ、ザルマの時は変身するのに結構時間が掛かっていた。それを考えると、今の内にメラミをお見舞いしたほうがいいのかもしれない。
(やるなら今か……って、え?)
などと考えていた、その時である。
なんと、予想よりも早く黒い霧が消え去り、男が纏っていた黒いローブが宙を舞ったのであった。
男は真の姿を晒けだした。
「なッ!?」
「そ、その姿は魔物ッ!? なぜ、魔物がこんな所にッ!」
女性も目を見開き、困惑の表情を浮かべていた。
だがしかし……俺は魔物に変身した事も然る事ながら、その姿に驚いたのである。
俺が以前プレイしたドラクエで、見た事がある魔物だったからだ。
黄土色の肌をした人のような姿に、背中には蝙蝠を思わせる翼。髪の無い頭部には、裂けた口と尖った長い耳に加え、こちらを睨みつける蛇のように鋭い目。右手には鋭利なナイフと、左手にはしなる鞭。一言で言うなら悪魔の姿をした魔物である。
そう……ドラクエⅢのラストで出てきたあの魔物が、そこにいたのだ。
俺は思わず、その名を口にしていた。
「その姿……もしかして、バルログかッ!?」
魔物は俺の言葉に反応する。
【何ッ!? 貴様……魔の世界の奥底に住まう、我が種族の名をなぜ知っている。貴様、一体何者だッ!】
少し余計な事を言ったみたいだ。が、俺は今それどころではなかった。
なぜなら、この魔物が持つ非常に嫌な能力を思い出したからである。
(そ、そういえば、こいつ……確か、ザラキを頻繁に使ってきた気がする。ヤ、ヤバい、あんな魔法使われたら、死ぬ可能性が大アリだ! ドラクエⅢだと、マホトーンが効きやすかった筈。は、早く封じないと! というか、同じ設定であってくれぇ)
俺はそう結論するや否や、祈るような気持ちで魔力分散の終わった両手を前に突き出し、問答無用でマホトーン2発を奴に放ったのである。
「マホトーン!」
その刹那、黄色い霧がバルログの周りに纏わりついてゆく。
そして俺は、その様子を見届けたところで、ホッと安堵の息を吐いたのであった。
この黄色い霧は、マホトーンが成功した証だからだ。
バルログが忌々しそうに口を開く。
【チッ……まさか、先手を打ってくるとはな。死の呪文で手っ取り早く始末しようと思ったが、仕方ない。ならば、俺もこれを使うまで……ガァ】
バルログはここで予想外の行動に出る。
なんと、口の中から黄色い玉を吐きだしたのである。
(こ、この黄色い玉も見覚えがあるぞ。まさか……)
【クククッ、魔法使いなんぞ、これを使えば遅るるに足らぬわ】
バルログはそう言って黄色い玉に魔力を籠めた。
するとその直後、玉から黄色い霧が噴き出し、辺りに漂い始めたのである。
(恐らくこの霧は……とりあえず、試してみよう……)
俺はそこで、試しにピオリムを小さく唱えた。
しかし、変化はまるでなかった。
そして俺は理解したのである。
これはザルマが使った呪文を無効化させる、あの霧だと……。
薄く黄色い霧が辺りに満ちたところで、バルログは口を開いた。
【クククッ、さて、お前を始末する準備は整ったようだ。これで、お前をなぶり殺してやれる。覚悟するんだな。クククッ】
「呪文無効化の霧ってやつか。……用意周到だな」
【その通りよ。念の為に持ってきたが、まさか使う事になるとは思わなかった。それだけお前が予想外だったという事だ。だが、それも一時的なもの。魔法の使えぬ魔法使いなんぞ、取るに足らぬ存在。もうお前は死ぬしかないのだからな。クククッ、そういうわけだ。とりあえず、死ねェ!】
バルログはそう言うや否や、物凄いスピードで飛び掛ってきた。
「チッ」
俺は咄嗟に横へと飛び退いた。
だが、バルログの攻撃が予想外の速さだった為、俺は避けきれず、鞭を左肩に受けてしまったのである。
その瞬間、バチンッという音と共に、刺すような激痛が俺の身体を走り抜けた。
「グアッ!」
俺は左肩に右手を当て、バルログに目を向ける。が、しかし、バルログはもう次の行動に移っていた。
なんと、バルログは既に間合いを詰め、右手に持ったナイフを俺に突き刺そうとしていたのである。
(ま、不味いッ! 生身の身体能力は俺よりもかなり上だッ)
この事実を前に、俺は無我夢中で魔導の手に魔力を籠めた。
そして、反対の壁にある小窓に見えない手を掛け、自分を引っ張る形で素早く移動したのである。
その刹那、奴の振るうナイフが空を切る。
俺はそこで、ホッと息を吐いた。が、ホッとしたのも束の間であった。
バルログは俺の動きに合わせて宙を飛び、上空から鞭を振るってきていたからだ。
(なんつう速さだッ、クソッ)
俺はまた魔導の手に魔力を籠め、同じような要領で素早く移動した。
すると即座にバルログも俺の後を追ってくる。
俺はそうやって、奴の攻撃を避け続けた。
そして、そんないたちごっこを何回か続けたところで、ようやくバルログは動きを止めたのである。
バルログは面白くなさそうに口を開いた。
「チッ……なるほどな、魔導の手とかいうやつか……面倒臭い奴め。だがこれ以上、俺も貴様とのお遊びに付き合うつもりはない。そろそろ終わりにさせて貰おう。クククッ】
バルログはそう言うと、バサバサと羽根を広げて飛び上がり、泉につかる女性の方へと向かった。
(人質戦法かッ)
奴の思惑を瞬時に理解した俺は、急いで魔導の手に魔力を籠め、女性へと見えない手を伸ばした。
「キャア!」
俺は魔導の手に籠める魔力を強め、泉から女性を持ち上げた後、こちらへと一気に引き寄せた。
女性は白く美しい素肌をしており、豊かな胸元と、張りのある引き締まったお尻が印象的であった。
だが女性はこんな時にも関わらず、胸と股間に手を伸ばして肝心な部分を隠していたのである。これは少し残念であった。とはいうものの、俺も流石に今の状態で、エロモードにはなれんが……。
ま、まぁそんな事はさておき、俺は女性を足元に降ろすと、とりあえず、後ろに行くよう指示した。
「すいません、無礼な真似をして。でも今は緊急事態です。すぐに俺の後ろへ回ってください!」
「は、はい」
全裸の女性は、慌てて俺の後ろに移動する。
そして、俺は奴の出方を窺いながら、腰に装備する魔光の剣に手を掛けたのである。
バルログは怒りで、プルプルと身体を震わせているところであった。
【お、おのれェェェ、小賢しい奴めェ! 必ず殺してやる。殺してはらわたを食らいつくしてやる!】
相当頭に来ているようだ。が、これでいい。
戦いというのは基本的に、冷静さを失った時点で負けだからである。つまり、今が攻め時という事だ。
それに、俺の魔力量を考えると、これ以上逃げ回るのは得策ではない。なので、ここはどうでも打って出る必要があるのである。
そう……魔導の手によって奴の身体能力と渡り合えるようになった俺は、あくまでも一時的なものだからだ。魔力が尽きた時点でゲームオーバーなのである。
だがとはいうものの、普通に攻めたのでは上手くいかないのは明白であった。
なぜなら、奴の身体能力と魔導の手を使った俺は、ほぼ互角だからである。
闇雲に魔光の剣で攻撃しても避けられる可能性が高いのだ。
おまけに魔光の剣は、そう何回も使える代物ではない。使うならば、一撃必殺の要領でないと駄目なのである。使用者の魔力はあっという間に枯渇してしまうからだ。
では、それらの問題点をどう改善するのか? という事だが、実はついさっき、俺は魔導の手の新しい使い方を閃いたのである。
そして、それを実行に移すべく、俺は奴に向かい、魔導の手を装備した左手を突きだしたのであった。
魔導の手の新しい使い方とは何か……。
それは魔力圧を上げて、魔導の手で奴を引き寄せるという事である。更に言えば、俺自身も強い力で奴に引き寄せられるという事……。
つまり、魔導の手を磁石のように使う事であった。
俺は魔導の手に思いっきり魔力を籠め、奴に見えない手を伸ばすと、一気に引き寄せるようイメージした。
するとその直後、奴だけでなく、俺自身もその力によって引き寄せられる。
俺達は物凄い速さで間合いが縮まっていた。
奴の慌てる声が聞こえてくる。
【な、何ィッ! なんだこの力はッ!?】
奴はこの突然の出来事に慌てていた。
しかも奴は、俺との間合いが詰まっているのにも関わらず、武器を振るう事すら忘れている状態だ。
(今が勝機!)
そう考えた俺は、魔光の剣に魔力を籠め、光の刃を出現させる。
そして、奴と泉の真上で交差した次の瞬間、俺は魔光の剣で、バルログの胸元を横に薙いだのであった。
【ギギャァァァ!】
その刹那、奴の身体は胸から2つに切断され、ドボドボと泉に落下する。
そして俺は、魔導の手を使って床に降り立ち、水面に浮かぶバルログの哀れな姿に目を向けたのである。
水面に浮かぶ奴の切断面からは、どす黒い血液が溢れており、泉は黒く濁り始めていた。
先程までの神々しく光る泉は、もはや、見る影もない状態である。
俺は泉の縁に行き、バルログの最後を見届ける事にした。
仰向けになって泉に浮かぶバルログは、忌々しい目で俺を睨みつけると、吐血しながら息も絶え絶えに言葉を発した。
【グボッ……ば、馬鹿な……なんでお前なんかに……ガハッ…も、申し訳ありません…………ア……イア……サマ……】
それを最後にバルログは息を引き取った。
そしてシンとした静寂の時が、この場に訪れたのである。
Lv32 ラティと共に去りぬ
[Ⅰ]
バルログが息絶えたのを見届けたところで、俺は魔光の剣を仕舞い、女性に視線を向けた。
すると女性は、胸と股間を手で隠しながらバルログと俺を交互に見詰め、何が何やらわからないといった感じであった。
まぁこういう反応になるのも当然だろう。この施設の特性上、ここに魔物や俺みたいな男がいること自体、有り得ないのだから。
とはいえ、このまま黙っているのも気まずい。おまけに、全裸の女性をジロジロと見るのも失礼であった。
その為、俺はクルリと女性に背を向け、それから話を切り出したのである。
「あのぉ、お怪我はありませんでしたか?」
「え? は、はい……ありがとうございました」
怪我は無いようだ。目的は達成である。
これ以上ここにいると面倒な事になりそうなので、俺は撤収する事にした。
「それはよかった。では、私はこれにて失礼します」
「ま、待ってください。あ、貴方は一体、誰なのですか?」
俺は後ろを振り返らず、簡単に答えておいた。
「名乗るほどの者じゃありませんよ、お嬢さん。ただの通りすがりの親切な魔法使いだとでも思っておいて下さい。では、アディオス」
意味もなく、スペイン語で別れを告げた俺は、逃げるように入口へと向かい歩き出す。
だがその時であった。
「お~い、コータロー! 誰かこっちに来るで!」
なんとラティが、俺の名前を呼びながら、ここに現れたのである。
この予想外の展開に、俺は思わず額に手をやり、アチャーという仕草をした。
背後から女性の声が聞こえてくる。
「ドラキー便の配達員がなぜここに? いえ、それよりも……今、その配達員がこーたろーと言いましたが……それが貴方の名前ですか?」
とりあえず、俺は適当に誤魔化すことにした。
「いえ、違いますよ。彼は今、お~い、向こうからー、と言っていたのです」
ちと苦しいが、発音によっては、そう聞こえん事もない。これで押し切ろう。
などと考えていると、ラティが全てを台無しにしてくれたのである。
「何言うてんねん。コータローは自分の名前やがな」
(はい、終了です)
どうやらこのドラキーは、空気を読むという芸当は出来んみたいだ。♯ガッデム!
と、そこで、ラティが驚きの声を上げた。
「おお! さっきの黒いローブはコイツやったんか。しかし、またエライ強そうな奴っちゃなぁ。ワイもこんなん初めて見るわ」
「実際、強かったぞ。俺も倒すのに、結構苦労したからな」
「しかし、ようこんな厳つい奴倒せたな。感心するわぁ。って感心してる場合やないわ。それより、向こうから誰か来てるで、どないする?」
そうだ。これを利用してトンズラしよう。
俺は女性に言った。
「向こうから誰か来ているみたいなので、とりあえず、外の様子を見てきますね」
「ちょっと待ってくださいッ。まだ話が」
まぁ確かにこのまま去るのもアレだ。最後に、助言くらいはしておくか。
ついでに、もう一度、この子の身体を拝ませてもらうとしよう。こんな綺麗な子の裸なんて、中々見れないだろうし……。
というわけで、俺は女性に振り返って人差し指を立てると、そこで、とある忠告をしたのである。
「あ、そうだ。1つ言っておく事があります」
「え? 言っておく事……。なんですか一体?」
「この建物の外にいる3名の騎士と、この隣にいる2名の女性神官以外は、気を許さない方が良いですよ。誰が敵かわからないですからね」
「ど、どういう意味ですか?」
俺はそこで、泉に浮かぶバルログの亡骸を指さした。
「今は説明してる時間がありませんが、簡単に言うと、その魔物が1体でここに来たという事が理由です」
「魔物が1体でここに来たという事……それはどういう……」
女性は恐る恐るバルログに目を向けた。
俺は構わず続ける。
「ああ、そうだ。これも言っておきましょう。俺達の事は、あまり詮索しないでください。それがお互いの為です。じゃあ、そういうわけで」
「え? ちょっと待ってくださいッ、コータロー様! 今のはどういう……」
(……ごめん、待てません。コータローはクールに去るぜ)
そして俺は、呼び止める女性を振り切り、この部屋を後にしたのであった。
建物の外へ勢いよく出た俺は、急いで周囲を見回す。
すると、ピュレナ神殿がある方角に、松明の物と思われる揺らめく光が、小さく見えたのである。
「アレや。どないする? ここで待つか?」
「いや、ここは流石に不味い。とりあえず、この建物の脇に回って、少し様子を見よう。そこなら月明かりが当たらないから、向こうもそう簡単に気付かない筈だ」
「ほな、はよ、隠れよ。もうすぐ来るで」
「ああ」
そうと決まったところで、俺とラティはすぐさま建物の脇へと移動する。
それから俺達は、建物の外壁を背に、息を潜め、暫し様子を窺う事にしたのである。
ラティが小声で訊いてくる。
「なぁ、コータロー……あの光、ゆっくりとコッチに来るけど、なんやと思う? 魔物かな?」
「さぁな。でもゆっくりしてるのは、多分、歩いているからだろ。まぁとにかくだ。今はアレが来るまで待とう。倒れている3人の騎士に対する反応を見れば、敵かどうかすぐに分かる」
「ああ、なるほど。ここに隠れたんは、そういう事やったんか。こんな時やのに、コータローは冷静やなぁ」
「まぁ理由はそれだけじゃないけどな。さて、お喋りはここまでにしておこう」
「了解」
それから2分程息を潜めたところで、ようやく光の正体が明らかになった。
現れたのは、松明を片手に、煌びやかな箱を脇に抱えた女性騎士であった。
倒れている女性騎士と同じ格好をしているところを見ると、どうやらこの女性も近衛騎士のようだ。
と、その時である。
「ル、ルッシラ隊長ッ! これは一体ッ!」
入口の異変に気付いたのか、その女性騎士は慌ててこちらへと駆けてきたのである。
女性騎士は倒れている騎士の1人に跪き、名前を呼びかけながら身体を揺すった。
「ルッシラ隊長! ルッシラ隊長!」
暫くすると、眠たそうな声が聞こえてくる。
「う……むぅ……ンン……イリサか……どうしたのだ? 朝か……」
「た、隊長。よかった」
「ン、よかった? ……何を言っている」
ルッシラと呼ばれた女性は、そこでムクリと半身を起こすと、周囲に目を向ける。
すると次の瞬間、その女性騎士は目を見開いて驚くと共に、大きな声を上げたのであった。
「……ハッ、これは一体ッ!? そ、そうだ! イリサ、あのローブ姿の者はどこだッ! フィオナ様はご無事かッ!」
「いえ、それが、私も今来たばかりでして、まだ確認をしてはおりません」
「馬鹿者ッ! それでも貴様は近衛騎士かッ! 私ではなく、まずはフィオナ様の安全が先だッ!」
「は、はい、申し訳ありません」
「謝罪はいい! 行くぞッ」
「ハッ」
そして2人の女性騎士は、建物の中へと足早に入って行ったのである。
今のやり取りを見た俺とラティは、そこで互いに顔を見合わせた。
「近衛騎士のようやし、ワイ等は帰った方が良さそうやな。これ以上ここにいると厄介な事になりそうやわ」
「だな。そろそろお暇させて貰おう。だが、その前に……アレをどうにかしないとな」
俺は外壁の奥にある小窓の下に目を向けた。
「ン、あそこになんかあるんか?」
「ああ。さっき戦った魔物が持っていた荷物がな……。ちょっと気になるから、今の内に回収しておくよ」
放っておけばいいのかもしれないが、ラーのオッサンが言っていた内容が気掛かりであった。
あれが本当ならば、ここに置いておくと、災いの元になるのは間違いないからだ。
「なら、はよした方がええで。さっきのねぇちゃん達が息巻いて、建物の外に来そうやさかい」
「ああ、わかってるよ」――
[Ⅱ]
コータロー達がこの場から立ち去った後、フィオナは自分が素っ裸であった事を思い出した。
そして、今までコータローに、その姿を見られていたという事から、羞恥の感情も沸き起こってきたのである。
フィオナは顔を真っ赤にしながら、何か着る物はないかと周囲をキョロキョロと見回した。
しかし、ここは沐浴する泉である。そんな物は当然どこにもない。
その為、フィオナは衣服を脱いだ隣の部屋に行こうと考え、そこへ移動する事にした。
だがその時……丁度そこで、泉に浮かぶバルログの亡骸が、フィオナの視界に入ってきたのである。
水面にユラユラと浮かぶバルログの遺体は、黒く染まった泉の水と相まって、凄惨な死に様となっていた。
そのあまりの悍ましさに、フィオナは生唾をゴクリと飲み込む。
するとそこで、フィオナの脳裏に、バルログと戦うコータローの姿が蘇ってきたのであった。
(コータロー様……貴方は一体何者なのですか……卓越した魔法の腕に加え、パラディンのように操る魔導の手……そしてあの光の剣……。アマツの民のように見えましたが、貴方はそれらの方々とも少し違う印象を受けました。貴方は一体……)
と、その時である。
向こうの部屋から、大きな声が響き渡ったのであった。
【フィオナ様ァ! 御無事でございますかッ、フィオナ様!】
程なくして声の主はフィオナの前に姿を現した。
現れたのはルッシラと、1人の女性騎士であった。
2人の騎士はフィオナの前で跪く。
まずルッシラが口を開いた。
「ご無事でしたか、フィオナ様」
フィオナは肩の力を抜き、安堵の表情を浮かべた。
「よかった、ルッシラ達も無事だったのですね。私は大丈夫です」
「フィオナ様、申し訳ありません。此度の失態は、全て私の責任でございます。侵入者に眠らされ、フィオナ様を危険に晒すなど、近衛騎士として許されるモノではありませぬ。いかなる罰をも受け入れます」
ルッシラはそう告げると、深く頭を垂れた。
「罰だなんてそんな……。こんなに尽くしてくれる貴方に、なぜ私がそんな事をしなければならないのです」
「しかし……」
「よいのです。さぁ顔を上げてください」
「ハッ」
と、ここでルッシラは、もう1人の騎士に指示を出した。
「イリサ、早くフィオナ様に御召し物を」
「ハッ」
イリサは脇に抱える煌びやかな箱から、美しい水色の衣服を取り出すと、丁寧な所作でフィオナにそれらを着せてゆく。
そして全て着せ終えたところで、イリサは元の位置へと下がった。
フィオナは着心地を確認すると、ルッシラにそれとなく外の事を問いかけてみた。
「ところでルッシラ、外に誰かおりませんでしたか?」
「外にいるのは部下の近衛騎士だけにございます。先程見た限り、他には誰もおりませんでした」
「そうですか……」
(ルッシラ達が見ていないという事は、もうコータロー様はここから立ち去られたのですね。……助けて頂いたお礼をしたかったですが、いないのならば、仕方がありません。今はこれからの事を考える事にしましょう)
フィオナはそこで泉に近寄り、ルッシラを呼んだ。
「ルッシラ、こちらに来てください。貴方に見てもらいたいモノがあります」
「ハッ」
返事をしたルッシラは、キビキビとした動作でフィオナの元へ向かう。
だが、そこに行くや否や、目の前に広がる凄惨な光景を目の当たりにし、ルッシラは思わず息を飲んだのであった。
「こ、これは、魔物ッ! この神聖なる光の泉に、このように醜い魔物が……どうして……」
「私もそれが知りたいのです。貴方はこの魔物をどこかで見た事がありますか?」
「いえ……私も初めて見る魔物にございます。ところでフィオナ様、もしやこの魔物が、黒いローブを着た者だったのでございますか?」
「ええ」
「では、この魔物を倒したのはフィオナ様で?」
フィオナは頭を振る。
「いいえ、私ではありません。実は、私がこの魔物に襲われそうになっていたところを救ってくれた方がいたのです」
「救ってくれた方ですと……」
ルッシラは驚きの表情を浮かべ、バルログの亡骸を凝視した。
「この魔物……見たところ、鋭利な刃物によって一撃で仕留められております。一体、何者でございますか? 我等が後手に回った相手を、ここまで無残な姿にするとは、只者ではありませぬ」
フィオナはそこで、別れ際にあったコータローの言葉が脳裏に過ぎった。
―― ああ、それとこれも言っておきます。俺の事は、あまり詮索しないでください。それがお互いの為です。じゃあ、そういうわけで ――
フィオナはとりあえず、名前等は伏せて話すことにした。
「実は私もそう思って問いかけたのですが、その方は名を告げず、この場を立ち去ったのです。しかし、ルッシラが今言ったように、只者ではありませんでしたね……。優れた腕を持つ魔法の使い手であり、見た事もない武具を用いる戦士でした」
「優れた魔法戦士ですか……という事は、イシュマリア魔導騎士団の精鋭中の精鋭であるパラディンの称号を持つ誰かでしょうか? 魔導騎士団がここに来ているとは聞いてはおりませんが……」
「いえ、我が国の騎士ではありませんでした。もしかすると、冒険者なのかもしれません」
それを聞き、ルッシラは眉根を寄せた。
「それは誠でございますか、フィオナ様!?」
「ええ、間違いありません」
「なんと……まさか冒険者にも、そのような者がいるとは。しかし、だとすれば、そのような者が、どうしてここにいたのかが気になりますな。ここは、イシュラナの神官と王家の関係者のみに立ち入りが許された神聖なる地です。巡礼者の立ち入りは、固く禁じられておりますので」
フィオナは頷く。
「確かに、そこは気になるところです。ですが、既にその方はいないので、もう確認のしようがありません。ですから今は、ここに魔物がいたという、この事実について考える事にしましょう」
「仰る通りです、それが一番の問題にございます。ところでフィオナ様、この魔物の目的は一体何だったのでございますか? やはり、フィオナ様の御命を奪おうと?」
「いえ、この魔物は、私に目覚める事のない呪いの眠りを掛けると言っておりました。ですから、それが目的だったのだと思います」
「目が覚める事のない呪いの眠り……この魔物は、そのような恐ろしい事を行なうつもりだったのでございますか。申し訳ありませぬ、フィオナ様。我等が不甲斐ないばかりに……」
ルッシラは懺悔するように、フィオナに頭を垂れた。
「よいのです、ルッシラ。済んだことを今更言っても仕方がありません。それに相手は得体のしれない魔物……!?」
と言ったその時、フィオナの脳裏に、またもコータローの言葉が過ぎったのである。
しかも、無視できない内容だった為、フィオナはそこでルッシラの意見を聞くことにしたのであった。
フィオナはルッシラに耳打ちする。
「……ルッシラ、貴方に話しておく事があります」
ルッシラも小声で返した。
「何でございましょう、フィオナ様」
「実は先程、私を助けてくれた方は、去り際にこんな事を言っていたのです。『この建物の外にいる3名の騎士と、この隣にいる2名の女性神官以外は、気を許さない方が良いですよ。誰が敵かわからないですからね』と……。貴方はこの言葉、どう思いますか?」
「誰が敵かわからないですと……まさか、この神殿内に魔物と内通する者がいるとでも」
「さぁ、それは私にもわかりません。それとあの方はこうも言っておりました。魔物が1体でここに来たという事が、その理由だと。ですから、これについて貴方の意見を聞きたいのです」
「魔物が1体でここに来たという事が、その理由……」
ルッシラはそこで無言になる。
それから暫しの沈黙の後、ルッシラは静かに口を開いた。
「……真意は測りかねますが、もしかするとその御仁は、フィオナ様を狙うには数が少ないという事を言っているのかもしれませぬ」
「私を狙うには数が少ない?」
「はい。ここにいるのはイシュマリア国の第二王女・フィオナ様であります。その傍らには常に、我ら近衛騎士が護衛に付いております。その事を考えますれば、『幾ら腕に覚えがある魔物とはいえ、警備体制が分からぬ限り、単独で来るなんて事はない』という事を、その御仁は言いたかったのではないでしょうか」
「なるほど、それは十分に考えられます」
ルッシラは続ける。
「しかも今回は急ぎの沐浴であった為、3名での警備となりました。となると、魔物はその事をどうやって知ったのかということになります。ですから、その御仁が言った『誰が敵かわからない』というのは、そこの事を指摘しているのでは?」
「た、確かに……」
フィオナは今の話を聞き、戦慄を覚えた。
またそれと共に、コータローの言っていた意味が、おぼろげながら、わかった気がしたのであった。
(だからコータロー様は、内部の者に気を付けろと仰ったのですね。これからは、もう少し慎重に行動する必要がありそうです……)
[Ⅲ]
滝の落ちる場所まで戻ってきた俺とラティは、とりあえず、そこで一息入れる事にした。
度重なる魔導の手の使用で、俺も流石に疲れたからである。
俺がその辺にある適当な岩に腰を下ろしたところで、ラティが話しかけてきた。
「なぁ、コータロー。さっき、王族のねぇちゃんに、誰が敵かわからんみたいな事を言うてたけど、どういう事なんや?」
「ああ、それか。それはな、奴の目的や行動を考えると、この神殿の者から情報を得ていたか、もしくは、神殿の中に潜んで情報を得ていた可能性があるからさ」
「なんやて、ほんまかいな。なんでそう思うんや?」
「ン、理由か? 少し長くなるぞ」
「かまへんで」
俺は少し整理して話す事にした。
「まず頭に入れておいてもらいたいのは、これは王族を狙った犯行だという事だ。それを念頭に俺の話を聞いてくれ」
「おう、わかった」
「俺達は奴が来るところを岩陰から見てたわけだけど、あの時、ラティは妙に思わなかったか?」
ラティは空を見上げて考える仕草をする。
「妙っていわれてもなぁ、元々が妙な奴やったさかい。う~ん、わからんわ。で、どういう事なん?」
「あの魔物は神殿のある方角からやってきて、3人の近衛騎士を眠らせた後、周囲を確認せずに中に入っただろ。まずそれがおかしいんだよ。中にいるのは王族なんだから、警備は厳重と考えるのが当然だ。だから狙う側も相当慎重にならないといけないんだよ。特に、奴は、単独で行動していたわけだしな」
「言われてみるとそうやな。あの黒ローブの奴、何も確認せんと入って行ったわ」
「だろ? おまけに、あの建物は出入り口が1つしかないから、後方から攻められるとかなり苦しくなる。だから、周囲の確認は必須なんだよ。だが奴はそれをしなかった。つまり、奴は周囲に誰もいない事を知っていた可能性が高いんだ」
「でも、単独で行ったのは、自分の強さに自信があったからやないんか? よくそういう無茶な奴っておるやんか」
俺は頭を振る。
「いや、それはないな。俺は奴と戦ったからわかるが、かなり用心深い奴だった。色んな状況に対応できるよう、ある程度の準備をしていたからな。そんな奴が、行き当たりばったりの行動をするとは考えられないし、力押しで目的を達成できるほど強力な魔物でもなかったよ。もし多数の近衛騎士に一度に攻められたら、幾ら奴でもただでは済まなかった筈だ」
「ふぅん、そうやったんか」
ちなみにこれは、奴の正体を知った時に思った事だ。
魔王クラスの魔物やアークデーモンみたいな魔物なら単独でも行けると思うが、奴の正体はバルログである。強引に行けるタイプの魔物じゃないのだ。
確かに呪いの杖やザラキがある為、多少の犠牲は払うかも知れないが、奴の行動を見る限り、杖は対象者に向けないと効果がない感じだった。
つまり、あの動作は、そこまで万能ではないという事を暗に示した行動なのである。
そして奴ほど用心深い魔物ならば、その事に気付いていない方が逆におかしいのだ。
俺は話を続ける。
「それにだ。扉の隙間から見た女性とのやり取りを思い返すと、奴は、逃げ場のない建物の構造を知っていたから、あそこで犯行に及んだみたいだった。それだけじゃない。奴は俺にこんな事も言ったんだよ。『どうして此処に、貴様のような輩がいる』ってな。つまりあの魔物は、俺の様な奴は近くにいないと、頭から決めつけてあの建物に来たんだよ。神殿の外に、あれだけ沢山の冒険者や巡礼者がいるのにもかかわらずな。となると、奴はなぜ、そう決めつける事ができたのか?って事になるが、それは奴自身がここの内情をよく知っていたと考えるのが自然なんだ。だから、いる筈のない俺に驚いたのさ」
ラティは目を大きくして驚いた表情を浮かべた。
「ほえ~、コータローは凄いなぁ。色々と考えてるんやな。感心するわ」
「まぁ要するにだ。奴は近衛騎士の数と中にいる神官の数、そして建物の構造やその周囲の状況を全て知った上で行動していたという事さ。あの程度の強さの魔物が単独で乗り込んで来るなんて事は、状況を熟知してない限り無理なんだよ」
「なるほどなぁ……となると、奴がそれらの情報得ていた方法というのが気になるなぁ」
俺は指を3本立てると言った。
「それには3つの事が考えられる。まず1つは、神殿内に奴と結託している者がいるかも知れないという事。2つ目は、奴自身が神官に化けていた可能性があるという事。それと3つ目は、奴自身か、もしくはその手勢の者が、神殿内に隠れ潜んで情報収集していたという事だ。まぁ今まであった俺の経験から言うと、1と2の可能性が高いと思ってるけどな」
「せやからあのねぇちゃんに、あそこにいるモン以外、気を許すなって言ったんか。納得やわ」
「まぁそういうわけだ。さてと……」
俺はそこで立ち上がり、右手に持つ禍々しい杖に目を向けた。
(……後はこれをどうするかだが、こんな物騒な物を皆の所に持って行くわけにはいかないし、かといってその辺に放るわけにもいかない。ここはまず、ラーのオッサンの意見を聞くのが無難か……だがそうなると、ラティがいるこの場では都合が悪い。仕方ない……適当にそれっぽい理由をつけて、ラティには先に帰ってもらうとするか)
というわけで、俺はラティに言った。
「ラティ、悪いんだけどさ、先に皆の所へ戻っていてくれないか」
「なんでや、一緒に行かんの?」
俺はラティに杖を見せた。
「これは呪われた危険な武具のようだから、誰も触れないように封印しようと思うんだ。でも、どれだけ時間が掛かるかわからないから、ラティだけでも先に帰って、皆に顔を見せておいてほしいんだよ。流石にこれ以上遅くなると、向こうも心配するだろうからね」
「ああ、そういう事か。でもアーシャねぇちゃんは、コータローの事を絶対突っ込んでくると思うで。なんて言っとく?」
「そうだな……じゃあ……1人になって考えたい事があるから、外で散歩してるとでも言っておいてくれ」
「わかったで。ほな、そう言っとくわ。じゃあ、ワイは先に帰るさかい、コータローも、あんま無理したらアカンで」
「ああ、俺も終わり次第、すぐに帰るよ」――
[Ⅳ]
ラティの姿が見えなくなったところで、俺はラーのオッサンに話しかけた。
「さて、ラーさん。ちょっといいか」
「杖の事か?」
「ああ、杖の事だ。どうするといい? さっきの口振りだと知ってるようだったから、ここはラーさんの指示に従うよ」
「ふむ……。なら、フォカールで隠しておいたらどうだ? それが一番、安全な方法だと思うが」
予想していたとおりの返事が返ってきた。
実を言うと、そう言われるんじゃないかと、薄々思っていたのである。
「まぁ確かに、それが一番安全だな。フォカールで隠すことにするよ。だがその前に、教えてくれ。この杖は一体何なんだ? それと夢見の邪精って初めて聞くけど」
「夢見の邪精とは、憑いた者の中に寄生する性質の悪い精霊の事だ。これに憑かれると、死ぬまで夢を見る事になるから、気を付けた方がいいぞ」
「死ぬまで夢を見るか……最悪だな。ン、でも、あそこで眠っていた騎士の1人は目を覚ましてたぞ」
「ああ、それはな、その杖の力で眠らされていたからだ」
意味が分からんので、俺は訊ねた。
「は? どういう事だ? 夢見の邪精によって眠らされているのなら、目が覚めるのはおかしいんじゃないのか」
「いや、そういう意味で言ったのではない。我が言いたいのは、杖の仕組み上、そうなっているという事だ。その杖はな、夢見の邪精を封じてはあるが、夢見の邪精に自由は与えられていないのだよ」
「夢見の邪精に自由は与えられていない……てことは、使用者の指示に従うって事か?」
「そうだな。それに近いかもしれぬ。一応言っておくと、その杖はな、ある条件の元に邪精の力が解呪されるよう魔物達が作った、いわば拉致や拷問をする為の魔導器なのだよ。邪精はその力を利用されているだけに過ぎないのだ」
「なんだって……これ、そんないわくのある杖なのか」
どうやらこの杖は、思っていたよりも性質の悪い魔導器のようだ。
まぁそれはともかく、とりあえず、解呪の条件も訊いておこう。
「ところで、邪精の力を解呪する条件というのは何なんだ?」
「それはだな、使用した者の魔力か、もしくは命によってのみ解呪がされるという事だ。まぁ要するに、お主があの魔物を倒した事で、あの者達の呪いは解呪されたのだよ」
「なるほどね……騎士が目覚めた理由はそういう事だったのか」
これで納得である。
原理はわからないが、多分、呪いを施した時点で使用者の魔力に紐づけられるのだろう。
さて、色々とわかった事だし、もうそろそろこれを仕舞うとしよう。
【フォカール】
俺は呪文を唱え、杖を空間の中に放り込んだ。これで一安心である。
危険物の処理も無事終わったので、俺はガテアの広場に戻ることにした。
「さて、帰るかな」
と、そこで、ラーのオッサンが呼び止めたのである。
「待て、コータロー。我からも少し質問させてくれ」
オッサンが俺に質問するというのが少々意外だったが、まぁ減るものでもないので聞く事にした。
「いいよ、何?」
「奴が正体を現した時、あの魔物の種族名を言っていたが、お主、あの魔物の事を知っているのか?」
「……ああ、一応な」
「それは道中に話していた、魔物や魔法について記述された書物とやらに書かれていたのか?」
「ああ、そうだけど。それがどうかしたのか?」
「まさか……あの魔物について書かれた書物があろうとは……信じられん。その辺の魔物ならともかく、あのような魔物の事まで……」
「は? どういう事?」
何かを考えているのか、オッサンは暫しの沈黙の後、静かに話し始めた。
「……あの魔物はな、ただの魔物ではない。奴自身も言っていたが、魔の世界でも、恐ろしく濃い瘴気で満たされた奥底に住まう、いわば支配階層の魔物だ」
「支配階層の魔物……」
まぁ確かにバルログは、ドラクエではラスト辺りで出てきた魔物だが、支配階層なのだろうか……。
何か少し違う気がするが、今はオッサンの話に耳を傾けるとしよう。
オッサンは続ける。
「我は5000年前に神殿に封印されたが、その当時もそれ以前も、我はあの魔物の事を知っている知的種族に出会った事などは無い。いや、恐らく、この地上にいる精霊達でも、知っているのは極僅かだろう。故に、我は驚いているのだ。その様な書物があった事にな」
う~む……要するに、俺はまた余計な事を言ったという事なのだろう。
ゲームのドラクエとは勝手の違う世界なので、細部での認識のズレがあるようだ。
とりあえず、下手に取り繕うと面倒な事になりそうなので、適当に流しておく事にした。
「でもなぁ、その書物には、そう記述されていたんだよ。だから、俺もそうとしか言えないんだよなぁ」
「そうか……まぁよい。今は置いておくとしよう。ではもう1つ……お主はあの魔物について、どう思ったか? それを訊かせてくれぬか」
「どう思ったか……って、どういう意味だ?」
「何か気づいた事はなかったのか、という事だ」
「ああ、そういう事か。そうだな……2つばかり気になる事があったよ。まず1つは、あの黒い水晶球を使った時、ザルマは変身に結構時間が掛かってたが、今回はあっという間だったという事。それと2つ目は、変身した奴は、早く戦いを終わらせようと急いでいた事だな。そこが少し引っ掛かったよ」
そう、それが少し気になっていた。
2つ目は、何となくその理由が分かるが、1つ目は少し頭を捻りたくなる現象だったのである。
「目ざといお主の事だから、やはり、それに気付いていたか」
「理由はなんだと思う?」
「これは推測だが、ザルマとかいう者と、あの魔物では、成り立ちがそもそも違うからなのかもしれぬ」
「成り立ち……ザルマは元々ラミリアンで、あの魔物はアレが本来の姿って事か?」
「うむ。つまり、ザルマとあの魔物では変身する意味合いが全く違うのだろう。そして、それらの差異が時間となって現れたと考えると、しっくりくるのだ」
「なるほど、それは大いにあり得る話だな」
確かに、別のモノに変化するのと、本来の姿に戻るのでは、後者の方が明らかに楽そうだ。時間的に早くなっても不思議じゃない。
となると2つ目は、本来の姿に戻った事による弊害なのだろう。
「もしかすると、奴が戦いを早く終わらせたかったのは、本来の力を維持できる時間が限られていたという事か」
「うむ、恐らくそうであろう。水晶球に封じられた魔の瘴気によって、一時的に本来の姿に戻ったと考えれば、必然的にそうなる」
「という事は、ザルマと共に現れたあの魔物達も同じ理屈なのかもな。まぁあいつ等はそれに加えて、変化の杖も使っていたようだが」
「ああ、恐らくな」
これらはあくまでも仮説だが、かなり信憑性のある話である。
今後も同じような事がありそうなので、これはよく覚えておいた方が良さそうだ。
まぁそれはそうと、事のついでだから、王都に着いてからの事もラーのオッサンに訊いておくとしよう。
「ところで話は変わるけどさ。明日はオヴェリウスに到着する予定だけど、その後はどうするんだ? やっぱ、まだ言えないか?」
「ふむ……着いてから話そうかとも思ったが、今の状況を考えるに、お主とはそうそう話が出来そうもない。今の内に話しておいた方が良いかもしれんな」
「ああ、頼むよ。俺もその都度、皆の目を盗むのは疲れるからさ。それに王都に入ると、余計に人目を気にしないといけないから、話し辛くなる可能性が大だしね」
「うむ。お主の言う事も一理ある。では話すとしよう……」――
[Ⅴ]
ラーのオッサンと話し合いを終えたところで、俺はガテアの広場へと向かった。
そして、広場に戻った俺は、皆の所へ行き、まずは遅くなった事を謝ったのである。
「遅くなって、すいません。今後の事を色々と考えていたら、ついつい没頭してしまったんです」
アーシャさんとサナちゃんはそこで、ホッと安堵の表情を浮かべた。
「あまりに遅かったので心配しましたわ」
「私も心配してたんです。何かあったんじゃないかと思って」
「ごめんね、心配かけて」
「それで、何かいい考えが浮かびましたか?」と、アーシャさん。
「そうですね、まぁ色々と」
本当は凄い事件があったが、そんな事は言えるわけないので、爽やかに笑っておこう。
と、ここで、シェーラさんが話に入ってきた。
「でも無事でよかったわ。あまりに遅かったから、実はさっき、様子を見に行こうってなったのよ。ちょうどそこでラティが帰って来たから、やめたんだけどね」
「そ、そうだったんですか」
(危ねぇ……。ラティを先に帰して正解だったようだ)
俺はそこでラティに視線を向ける。
ラティは俺に軽くウインクをした。
「ワイが帰ってきたら、3人共、凄い心配しとったんや。ビックリしたわ。なんも危ない事なかったのにな」
「心配もしますわよ。いつまで経っても帰って来ないのですから」
アーシャさんは頬を膨らまし、ムスッとした表情になる。
怒らせると後が面倒なので、俺は慌ててアーシャさんを宥めた。
「まぁまぁアーシャさん。そんなに怒らないで。俺も次からは気を付けますから」
「それはそうと、明日はまた早いんだから、もうそろそろ寝た方がいいんじゃない? 他の旅人達は皆寝始めてるわよ」
シェーラさんの言葉を聞き、俺は周囲に目を向ける。
すると、広場にいる旅人達の半分くらいは、明日に備えて床に就いている状況であった。
「そうですね。俺達ももう寝るとしますか」
3人はコクリと頷く。
と、その直後、アーシャさんとサナちゃんが俺の両腕に手を回してきたのである。
「じゃあ、コータローさん。私は貴方の左側で寝ますわ」
「じゃあ、私は右側で」とサナちゃん。
「はは、やっぱり」
とまぁそんなわけで、俺は今朝と同様、またもや2人に挟まれる形で、寝る事になったのである。
俺達が横になったところで、ラティの陽気な声が聞こえてきた。
「おお、コータロー、両手に花やがな。ええなぁ。ほなワイは、コータローの腹の上で寝るわ」
「はぁ?」
そして次の瞬間、「よっこらせ」という声と共に、ラティが俺の腹部に飛び乗ってきたのだ。
「ほな、お休み、コータロー」
「ちょっ、ラティもかよ。何、この展開……」
シェーラさんの笑い声が聞こえてくる。
「あはは、コータローさん、大人気ね。それじゃ、お休み、コータローさん」
「お、お休みなさい」
(なんでこうなんるんだ。何かおかしくない。つーか、俺、寝返りうてんやんけ)
などと考えていると、今度はアーシャさんの探るような声が聞こえてきたのである。
「今日のコータローさんって、何かいい香りがしますわね。この香り、どこかで……」
続いてサナちゃんも。
「アーシャさんもそう思いますか。そうなんですよ、いい香りがするんです」
「へ、そうかい?」
俺は自分の衣服に鼻を近づけた。
すると確かに、いい香りがしたのである。それは、ラベンダーのような香りであった。
俺はここでピーンときた。
(これは多分、沐浴の泉の香りだ……)
だがその直後……アーシャさんが、俺の知らない謎を解いたのであった。
「あ、思い出しましたわ、この香り。これはイシュマリアの女性が体に振り掛ける、清めの香水の香りですわ」
「え、本当ですか、アーシャさん」
「私も持っていますからわかります。この香水は、女性神官が沐浴する時に使われる物なのですが、その他にもこの国では、女性が親愛なる人物と会う時にも使われるのです。どういう事ですの、コータローさん……」
「どういう事ですか、コータローさん」
そして2人は俺を睨み付けるかのように、鋭い視線を投げかけてきたのであった。
明らかに疑惑の眼差しである。
(やっべぇ……服に付いたこの香り、多分、あの泉に漂っていた香りだ。ど、どうしよう。なんて言おう。つーかどうやって誤魔化そう。ラティ、何かいい方法は!)
俺はそこで、腹の上にいるラティに向かい、目で訴えかけた。
するとラティは、悲しそうな目で俺を見詰めていたのである。
ラティは無言で口をゆっくりと動かした。
その口の動きを読むと、ラティはこう言っていたのである。
《ごめん、自分でなんとかしてや》と。
俺も口だけを動かして、ラティに伝えた。
《そこをなんとか》
《無理やわ》
ラティのこの反応を見た俺は、言い訳を必死になって考えた。
そして、なんとか捻りだした言い訳を2人に語ったのである。
「じ、実はですね、さっき外を散歩していた時に、女性の神官とぶつかってしまったんですよ。その時、水みたいな物が掛かったから、この香りは多分それなんじゃないかなぁ。なぁんて、あはは」
「それは本当ですの?」
アーシャさんは尚も疑惑の眼差しを浮かべていた。
俺はコクコクと首を縦に振る。
「ええ、本当です。本当ですとも。心の底から本当ですとも」
「そうですか。まぁそういう事なら仕方ありませんわ」
どうやら信じてくれたようだ。ホッ。
サナちゃんはそこで、俺に抱き着いた腕を更にギュッと抱きしめてきた。
「良かったです。どこかで女性と会っていたのかと思いました」
「ははは、幾らなんでも、それはないよ」
「さて、それではもう寝ますわよ、コータローさん。明日は早いのですから」
「はい、もう寝ましょう」
とまぁそんなわけで、俺は最後の最後に冷や汗をかいてから、一日を終える事になったのである。
Lv33 王都オヴェリウス
[Ⅰ]
ピュレナの丘を抜け、その先に広がる褐色の荒野を俺達は進んでゆく。
だが王都へと近づくにつれ、荒れた野は徐々に鳴りを潜め、周囲は次第に、美しい緑の草原が広がる風景へと変化していた。それはあたかも、今まで進んできた道のりを逆再生しているかのようであった。
そして、緑の草原を更に進み続けると、周囲はいつしか、幾つもの湖や沼が点在する、瑞々しい緑の湿原へと変貌を遂げていたのである。
ラティの話によると、この辺りはオヴェール湿原と呼ばれている所だそうだ。
豊かな自然の営みが見られる所で、湿原にある小さな湖や沼には、そこで羽を休める水鳥や水面を飛び跳ねる水生生物の姿が確認できる。また、その畔には葦のようなイネ科の雑草が群生していた。
水分を多く含む陸地部分に目を向けると、辺り一面に青々とした苔の様なモノが覆っており、その様子はまるで、フカフカの緑のカーペットが敷かれているかのようでさえあった。
しかも、このオヴェール湿原には背の高い木々が殆ど見当たらない事から、見渡す限りの開放感と豊かな自然を感じられる、美しい水と緑の園となっているのである。
とはいえ、決して良い面ばかりではない。
ラティが言うには、今の時期は良いらしいが、雨季であるゴーザの月になると、高温多湿の上に害虫なんかが大量発生して、とてもではないが、人の住めるような状態ではなくなるそうだ。
つまりこのオヴェール湿原は、鳥や昆虫、その他の動物には楽園かも知れないが、人が居住するには少々過酷な環境なのである。この辺りに町や村がないのは、恐らく、これが理由なのだろう。
ましてや、雨季ではない今ですら、生臭いジメジメとした空気が漂っている事を考えると、ゴーザの月のオヴェール湿原が過酷な環境になるのは、想像に難しくないのである。
言っちゃなんだが、俺は日本の梅雨時期が大嫌いだ。
そんなわけで俺からすると、景色は美しいが、あまり長居したくない場所とも言えるのであった。が、しかし……今はそんな事を考える余裕など、俺にはなかった。
なぜなら、俺達に迫りつつある危機に比べれば、その程度の不満など些細な問題だからだ。
そして俺は今、その事について、頭を悩ませているところなのである。
俺は周囲を警戒しながら、心の中で溜め息を吐いた。
(はぁ……王都に近づくにつれて、シャレにならないくらい魔物も強くなってきている。下手を打つと、全滅もあり得るかもしれない。はぁ……やだなぁ、もう……早く王都に着かないかなぁ……)
そう……実はこの湿原に入ってからというもの、その美しさとは裏腹に、えらく凶暴な魔物と遭遇する事が多くなってきたのである。
ちなみに遭遇した魔物はと言うと、リカントマムルと思われる茶色い狼男型の獣人や、ガメゴンと思われる亀と竜が合体したような魔物、そして、四つん這いで遅い掛かる赤い人型の悪魔モンスターであるレッサーデーモン等であった。
流石にこういった魔物になってくると、攻撃魔法や攻撃補助魔法に耐性がある上に、通常の物理攻撃にもある程度耐性をもっている為、俺達は慎重に戦う事を余儀なくされた。
対応を間違えると一気に窮地に陥ることも考えられるので、俺も戦闘の際には、その都度、皆に細かい指示をし、最善の方法を模索せざるを得ないのである。
まぁその甲斐もあってか、なんとか無事に旅は続けられているが、いい加減俺達も疲れてきているので、そろそろ王都に着いてほしいというのが正直なところなのであった。
おまけにこの湿原に入ってからというもの、俺達以外の旅人の姿も見てないので、余計にそう考えてしまうのである。
(はぁ……俺達だけだと、なんか心細い。王都はまだだろうか……ン?)
と、そこで、俺はラティと目が合った。
するとラティは俺の表情を見て察したのか、今思った事について話してくれたのである。
「コータロー、このオヴェール湿原を抜けたら、王都はすぐそこやで」
「へぇ、王都はこの湿原の向こうか。じゃあ、もうちょっとなんだな」
「せやで。その内、オヴェリウスのごっつい大きな白い城塞が見えてくるさかい、すぐにわかるわ」
さっきラティから聞いたのだが、なんでも王都オヴェリウスは、4層の構造を持った真円を描く城塞によって守られているそうだ。そして、その城塞の中心にイシュマリア城があるそうである。
いまいちピンとこないが、ラティ曰く、この国でそんな構造を持つ都は王都だけらしいので、かなり特徴のある都なのだろう。
「大きな白い城塞か……どんなのか興味あるな」
「へへ、それは着いてからのお楽しみやな。まぁそれともかくや、今日が晴れでホンマよかったわ。雨の日のオヴェール湿原は最悪やからな。辺り一面、水溜りになるさかい」
「ラティさんの言うとおり、この辺りは雨が降ると、かなり増水しそうですわね……」
アーシャさんはそう言って、周囲に目を向けた。
「本当ですね。この辺は水の抜けるところがなさそうです」と、サナちゃん。
まぁ確かに水捌けは悪そうだ。
「ホンマにそうなるで。雨量によってはやけどな。この街道も水浸しになる事もあるさかい」
「え、この街道もなのか?」
「そうやで」
「マジかよ……そりゃ、最悪だ」
どうやらこの辺りは、雨の日は要注意のようだ。
まぁ湿原というくらいだから、当たり前なのかもしれないが……。
「そう考えると、ここ通る商人とかは大変だな」
「ああ、言うとくけど、このアルカイム街道はな、あんま商人は通らへんで。王都と南部地方の物流は、向こうの方にあるアレスティナ街道を通るのが主流なんや。ピュレナの丘を抜けた所に大きな十字路があったと思うけど、商人はあそこからアレスティナ街道へ迂回するんやわ。遠回りになるけどな。せやから、ここ通るんは、ワイ等ドラキー便に冒険者、それと巡礼者くらいやで」
「へぇ、そうなのか。まぁ天候に左右される道じゃ、物資の輸送は難しいわな」
よくよく考えてみれば、俺達は裏道に近いルートを進んでいるのだから、それが当然なのかもしれない。
多分、ソレス殿下達は、向こうのアレスティナ街道を通ったのだろう。
「そういうこっちゃ。それにオヴェール湿原の辺りは、向こうと比べると路面の状態も悪いさかい、物流には向かんしな」
「まぁ確かに、道はガタガタだな……馬車に乗ってるとよくわかるよ」
俺はそこで街道に目を向けた。
すると、延々と続く凸凹とした轍が、否応なく視界に入ってくるのである。
(この分だと、まだまだ振動に悩まされ続ける事になりそうだな。はぁ……ン?)
と、その時である。
「何だありゃ?」
100mほど先の街道に、十数名の人だかりと、幾つかの馬車や馬の姿が見えてきたのであった。
ちなみに、そこにいる者達は殆どが茶色い鎧を着ており、今は前方にある何かを見ているところであった。
(あの鎧の統一具合……もしかすると、前にいるのはどっかの兵士かもしれないな。何かあったのだろうか?)
ふとそんな事を考えていると、レイスさんの声が聞こえてきた。
「コータローさん、前方で何かあったみたいだ。どうする?」
「アレじゃ進めないので、手前辺りで一旦止まりましょう。俺が行って様子を見てきます」
「了解した」
そんなわけで、俺達は予想外の所で足止めを食う事になったのである。
馬車が止まったところで、俺は皆に言った。
「ちょっと向こうの様子を見てくるんで、皆はここで待っててください」
「気を付けてくださいね、コータローさん」
「わかりましわ。何かあったらすぐに知らせてください」
「ええ、勿論です」
と、ここで、ラティが訊いてきた。
「コータロー、ワイはどうする?」
「好きにすればいいぞ」
「ほな、ワイはここで休んでるわ。直射日光の下やと、微妙に疲れるんや。なんかあったら呼んでや」
「ああ、そうするよ。じゃあ、行ってきます」
俺はそう言って馬車から降りる。
するとそこで、レイスさんも御者席から降りてきたのである。
「コータローさん、私も行こう。シェーラ、とりあえず、この場を頼む」
「わかったわ」
「じゃ、行きましょうか、レイスさん」
「ああ」――
茶色い鎧を着た兵士達の所にやって来た俺達は、何があったのかを知る為、とりあえず、近くの兵士に訊いてみる事にした。
俺は一番手前にいる、槍を持った髭面のオッサン兵士に声を掛ける。
「あのぉ、何かあったんですか?」
「ン?」
オッサン兵士はこちらに振り向いた。
その際、この兵士が着る鎧の胸元に、王家の紋章が刻み込まれているのがチラリと見えた。
もしかすると、ここにいる者達はイシュマリア城の兵士なのかもしれない。
まぁそれはさておき、オッサン兵士は言う。
「ああ、魔物に手酷くやられた冒険者の一団が前にいるんだよ」
「魔物にやられた冒険者の一団ですか……」
「先程、我々が蹴散らしたから、魔物はもういないがな。今は宮廷魔導師であるウォーレン様が、冒険者達の治療に当たっているところだ」
(ウォーレン様?)
よくわからんが、今は置いとこう。
「へぇ、なるほど。で、冒険者の方達はどんな感じなんですか?」
「……あの様子だと、何人かは、もう助からないだろう。手足を引き千切られている者や、内臓を食われている者もいるようだしな」
「ウッ……それは、また気の毒な」
「可哀想だが、あそこまで酷いと、幾ら回復魔法が得意なウォーレン様とはいえ、手の施しようがないに違いない」
オッサン兵士は悲しげな表情でそう告げると、少し肩を落としたのであった。
(手足を引き千切られて、内臓を食われているだって……うわぁ……ほんとかよ。可哀想に……)
スプラッター系が苦手な俺は、今の話を聞き、身の毛がよだつ気分になった。
「コータローさん、とりあえず、どんな状況なのかだけでも見ておこう」
「ですね。いつ頃出発できるかわかりませんし」
本当は見たくなかったが、いつまでも足止めをくうわけにはいかない。
その為、俺は渋々、治療現場を見る事にしたのである。
俺とレイスさんは人だかりの端へ移動し、前方の街道に視線を向けた。
すると、10mくらい離れた所に2台の馬車があり、その付近で倒れている十数名の冒険者と、そこで治療に当たる2人の男の姿が、視界に入ってきたのである。
冒険者達の構成は、魔法使い系の男女が4名に戦士系の男女が6名、それから軽装備をした盗賊系の女性が2名の、計12名の者達であった。歳は20代から30代で、そこそこ旅慣れた雰囲気が漂う冒険者達である。
それと、治療にあたる魔導師だが、1人は口と顎に髭を蓄えた長い黒髪の男であった。歳は40代くらいで、全体的な印象としては、ワイルドな雰囲気を漂わせた魔法使いといった感じだ。
もう片方は、痩せ型で眼鏡を掛けた金髪の少年であった。ボブカット気味の髪型をしており、年の頃は10代前半といったところである。頬の辺りに少しソバカスがあるのが特徴で、結構、大人しそうな感じの子であった。
それから2人共、白いローブに杖という出で立ちをしており、その身に纏うローブの胸元には、光と剣をあしらった王家の紋章が描かれていた。つまり、王宮に仕える宮廷魔導師なのだろう。
この2人のどちらかが、兵士の言っていたウォーレンという宮廷魔導師に違いない。
まぁそれはさておき、現場の状況だが、先程の兵士が言ったように、街道には引き千切られた手足や内臓に加え、血生臭い臭気が漂っており、かなり凄惨な様相となっていた。
気を抜くと吐いてしまいそうな光景だ。
(アーシャさん達を連れてこなくて正解だったようだ。これは、女子供の見るものではない)
地に伏せる冒険者達に目を向けると、その内の半数は、もう完全に手の施しようがない状態であった。
残りの者達もかなり重傷であり、2人の魔導師は今、その者達の治療に当たっているところである。
(うわぁ……思ったより、酷い状況だな。この出血量だと、負傷者は傷が治っても絶対安静だろう。だが……問題はそこではない)
と、そこで、レイスさんが口を開いた。
「むぅ……これは酷い。あの者達の装備を見る限り、かなり修羅場を潜りぬけてきた冒険者だと思うが、ここまで手酷くやられるとは……。一体、どんな魔物にやられたのだ……」
そう……今問題なのは、冒険者達の容体も然る事ながら、この惨状を創り出したのは、どんな魔物だったのかという事なのである。
冒険者達の装備は、つい3日前に見たレイスさん達の装備と遜色のない物なので、それがどうしても気になるのであった。
「確かに酷いですね」
(レイスさんの言うとおり、一体、どんな魔物にやられたのやら……ン?)
と、その時、治療している中年の魔導師と俺は目が合ったのである。
すると目が合うや否や、中年の魔導師は俺の方へ向かい、大きな声で話しかけてきたのであった。
「おい、そこのアンタ! 魔導の手を装備してるって事は、かなり腕のある魔法使いと見た。こっちに来て手を貸してくれ!」
俺に話しかけているのだとは思うが、違う可能性もある為、とりあえず、背後を振り返って確認する事にした。
「おい、アンタだ。今後ろ向いた、アマツの民のアンタだよッ!」
俺は自分を指さした。
「俺?」
「そう、アンタだ。早くコッチに来て手を貸してくれッ」
(はぁ……仕方ない。今度から魔導の手は、人目につかないようにしとこう……)
俺はレイスさんに言った。
「それでは、ちょっと行ってきます」
「うむ、頑張ってくれ」
というわけで、俺は凄惨な殺人現場へと向かい、渋々足を踏み入れたのである。
俺が来たところで、中年の魔導師は口を開いた。
「アンタ、回復魔法は使えるか?」
「ええ、まぁそれなりに」
「よかった。じゃあアンタは、馬車の付近で倒れている戦士2名の治療を頼む」
「あの冒険者達ですね。わかりました」
「情けない話だが、俺の弟子は魔力が尽きてしまって、もう魔法がつかえないんだ。おまけに薬草まで尽きてしまってな。だから頼んだぜ」
要するに、今はこの中年の魔導師しか、魔法の使い手がいないのだろう。
そして、そんな所にやって来た俺は、飛んで火に入る夏の虫って事のようだ。
(ついてないなぁ、俺……まぁいいや、とっとと終わらせてしまおう)
負傷している冒険者達の所にやって来た俺は、まず怪我の確認をする事にした。
すると、2人の脇腹や太腿の辺りに、深い裂傷があるのが目に飛び込んできたのである。
結構出血もしており、早く治療しないと不味い状態であった。
ちなみにその裂傷は、爪や牙で切り裂かれたような感じだ。
これを見る限り、彼等を襲ったのは、鋭い爪や牙を持つ魔物と見て間違いないようである。
(どんな魔物か気になるところだが……今は冒険者達の治療が先だな……)
俺は魔力を左右の手に分散させ、2人同時に治療を始めた。
「ベホイミ」
2人の深い傷は見る見る塞がってゆく。
そして、大きな傷がある程度塞がったところで、俺は治療を終了する事にしたのである。
今必要なのは応急処置であって、完全に治癒させる必要はないからだ。
と、そこで、また中年魔導師の声が聞こえてきた。
「ほう、やるねぇ。ところでアンタ、キアリーは使えるか?」
「ええ、まぁ……」
「じゃあ、向こうで倒れている女性2人を解毒してやってくれ。それと回復もだ。頼んだぞ」
「了解」
とっとと終わらせたい俺は、指示のあった女性達の所へすぐに向かった。
それからキアリーとベホイミの順で、俺は迅速に治療を開始したのである。
程なくして治療を終えた俺は、中年の魔導師の所へ行き、4名の治療結果を報告した。
「終わりましたよ。毒に侵された女性達は、それほど傷も深くないので、もう大丈夫でしょう。ですが、一番最初に治療したあの戦士達は、かなり出血が多かったので、暫くは安静にしてた方がいいですね。まぁとりあえず、そんな感じです」
中年の魔導師はやらかい物腰で返事をした。
「おぅ、終わったか。こっちも終わったところだ。いやぁ、アンタがいて助かったぜ。俺も魔物を追い払うのに結構魔法を使ったもんだから、焦ってたんだ。面倒な事をさせちまったかも知れねぇが、勘弁してくれ」
結構、陽気なオッサンのようだ。
今までは切羽詰まった状況だったから、少々強引な物言いだったのだろう。
それからこの人も、俺と同様、魔導の手を装備していた。
これを装備しているという事は、第1級宮廷魔導師なのかもしれない。
「ああ、気にしないで下さい。ところで、彼等は一体、どんな魔物に襲われていたんですか?」
「ン、襲っていた魔物か。そうだな、4体いたんだが、その内の3体はベギラマを使う大きな肉食の魔獣だった。俺も初めて見る魔物だから上手く説明できんが、姿を簡単に言うと、サーベルウルフに似た魔物だ。ただ、サーベルウルフと違うのは、背中に蝙蝠の様な羽が生えていたのと、足が6本あった事。それと、顔の周りを縁取るように青い鬣が生えていた事だな。まぁとりあえず、そんな感じの魔物だ。はっきり言って、かなり強い魔物だった。我々も追い払う事しかできなかったからな」
「青い鬣生やしたサーベルウルフですか……」
サーベルウルフは確か、ドラクエⅡで出てきた魔物だ。
俺の記憶だと、サーベルタイガーの様な外見の魔物だった気がする。
この世界では遭遇した事はないが、そこから推察すると、この人は多分、ライオンヘッドの事を言っているのかもしれない。
とはいえ、確証のある話ではないので、今はとりあえず候補の1つとしておこう。
俺は他の1体についても訊ねた。
「もう1体はどんな魔物でしたか?」
「残りの1体は、首の所に羽のようなモノがある大きな紫色の蛇だったな。まぁこれはもうそのままだ」
「そうですか」
(首の所に羽の生えた紫色の蛇か……なんだろう。ドラゴンかなんかだろうか……わからん。どんな魔物だ一体……)
ふとそんな事を考えていると、中年の魔導師はそこで自己紹介をしてきた。
「そういえば名前を聞いてなかったな。これも何かの縁だ、名乗っておこう。俺の名は、ウォーレン・シュトナルデ・サンドワールという。まぁ見ての通り、王宮の魔導師ってやつだ」
俺も簡単に自己紹介をしておいた。
「私の名前はコータローと言います。まぁ見ての通り、旅人ってやつです」
「コータローだな。よし、覚えたぜ」
続いてウォーレンさんは、後ろにいる眼鏡を掛けたひ弱そうな少年を指さした。
「それと、こっちが弟子のミロンだ。お前も挨拶しろ」
少年は慌てて俺に頭を下げ、若干ドモリながら自己紹介をしてきた。
「は、初めまして、コータローさん。わ、私は、ミロンと言います」
「よろしくな、ミロン君」
俺はミロン君に微笑んだ。
「こいつは友人から預かった子なんだが、中々の素質がありそうな奴でな。2年ほど前から、俺が面倒を見てるんだよ。っとそうだ、こんな事してる場合じゃないな」
何かを思い出したのか、ウォーレンさんはそこで、兵士達に向かって指示を出した。
「おい、誰でも構わないから、彼等の馬車に、亡くなった冒険者の遺体を乗せてやってくれないか。このままにしておくのは忍びないんでな」
「は、畏まりました、ウォーレン様」
何人かの兵士が返事をし、遺体の運搬に向かう。
それからウォーレンさんは俺に振り向き、申し訳なさそうにお願いをしてきたのである。
「コータロー、すまいないが、あと少しだけ手を貸してくれないか? 出血の多かった冒険者達は安静にしておかなければならないから、魔導の手を使って、静かに彼等の馬車へ乗せて欲しいんだ。頼めるだろうか?」
乗りかかった船だ。仕方がない。
「いいですよ。手伝いましょう」
「すまんな。では始めよう」
そして俺とウォーレンさんは、負傷者の運搬作業に取り掛かったのである。
魔導の手を使って移動しなきゃならない冒険者は4名だったので、それほど時間はかからなかった。
だが兵士達は、遺体を毛布にくるんで人目につかないよう処置してから馬車に搬送してたので、少々大変だったみたいだ。
とはいえ、それらの作業も人手があった為、あれよあれよという間に片付いていき、15分もすれば、馬車で通っても問題ない状態になったのであった。
粗方片付いたところで、レイスさんは安堵の表情を浮かべた。
「これで旅が再開できそうだ。ではコータローさん、我々も馬車に戻るとしようか」
「ええ」
と、その時であった。
慌ただしい声が、この場に響き渡ったのである。
【ウォーレン様! 西の空より、魔物がこちらに迫っておりますッ!】
俺達は一斉に、西の空へと視線を向けた。
すると、こちらに向かって飛んでくる十数体の魔物の姿が、視界に入ってきたのである。
ウォーレンさんは舌を打つ。
「チッ……あれは、さっきの魔物だな。さては、仕返しにきやがったな……」
「あれがそうですか」
俺は魔物達を凝視した。
距離にして1000mはあったが、魔物達の姿がおぼろげながら見えてきた。
すると思った通りであった。魔物はやはり、ライオンヘッドだったのである。
敵の姿が分かったところで、俺はライオンヘッドの特徴を急いで思い返した。が、しかし……それを思い出す事により、俺の脳内に焦りが生まれてきたのである。
なぜなら、今の状況を考えると、こちらが不利なのは明白だったからだ。
(不味い……ライオンヘッドはゲームだと、マホトーンとベギラマを多用してくる強力な魔物だ。これだけ沢山いると、今の俺達では対応できん気がする。幸い飛ぶスピードはそれほどでもないから、馬を飛ばせば振りきれるかもしれない。ここは、逃げるが吉だ……)
俺はウォーレンさんに急いで忠告した。
「ウォーレンさん! あの魔物はそれ程速く飛べないみたいですから、すぐに出発しましょう。今、襲われたら、こちらが圧倒的に不利です」
「あ、ああ……そのようだ。よし皆の者ッ すぐに王都へ向け、出発だ! 冒険者達も急げ!」
「ハッ」
「は、はい」
動ける数人の冒険者も、返事をすると慌ただしく動き出した。
俺達も急がなければならない。
「レイスさん、俺達もすぐに出発しましょう」
「ああ、急ごう」
その言葉を皮切りに、駆け足で馬車に戻った俺達は、ウォーレンさん達の後に続く形で、すぐさまこの場を後にしたのであった。
[Ⅱ]
ライオンヘッドの執拗な追撃から無事に逃れる事が出来た俺達は、ウォーレンさん達と共にオヴェール湿原を抜け、その先に青々と広がるアルカイム平野を北に向かって馬を走らせた。
するといつしか前方に、広大な湖と、白い山のようなモノが見えてくるようになったのである。それはまるで、雪化粧したかのような山であった。
(なんだあの白い山は……雪? なわけないか……。ラティならわかるかもしれない)
というわけで、俺は早速ラティに訊いてみた。
「なぁラティ、あの白い山はなんなんだ?」
すると予想外の言葉が返ってきたのである。
「は? 何言うてんねん。山やないで、あれが王都オヴェリウスやがな」
「マジかよ、あんなに馬鹿でかいのか?」
「そりゃそうや。この国最大の都やさかいな」
ラティの返答を聞いた俺は、自分の思っていた王都とのギャップがありすぎた為、ちょっと衝撃を受けてしまった。
実を言うと俺は今まで、王都はマルディラントを少し規模拡大した街程度にしか思っていなかったからだ。
まさか、ここまで馬鹿でかい城塞都市だとは、夢にも思わなかったのである。が、しかし……近づくにつれ、俺は更なる衝撃を受ける事になるのであった。
俺達の前方に厳かに鎮座する王都オヴェリウス……それは、丸い城塞を4層に渡って積み重ねた構造の都市であった。
全体像を何かに例えるならば、4段式の真っ白なウェディングケーキといった感じだろうか。
そして積み上げられた城塞の最上段には、全ての街並みを見下ろすかの如く聳える、西洋風の美しい純白の王城が建立されているのである。
そう……このオヴェリウスは、巨大な街全体が1つの建物のようにさえ見える、壮大な構造の都なのだ。
(すげぇ……世界遺産のモンサンミッシェルも街全体が建物のようだが、このオヴェリウスは規模が更にデカい上に城塞の威圧感が半端ない。まさかこんな都だったとは……グレートだぜ!)
「ここまでくれば、着いたようなもんやから、楽にしてええで」
「長かったですわ……」
アーシャさんはそう言って顔をほころばせた。
だがそんなアーシャさんとは対照的に、サナちゃんは少し寂しそうにボソリと呟いたのである。
「あの都が、私達の旅の終点なんですね……」
「ん、どうしたのサナちゃん。なんか元気ないね」
サナちゃんは俺に潤んだ目を向ける。
「コータローさん……コータローさん達は王都に着いたら、どうされるんですか? すぐに発ってしまわれるのですか?」
「俺達かい? アーシャさんはともかく、俺は暫くの間、王都に滞在する事になるだろうね。まぁ色々とやる事があるもんだからさ」
するとその直後、サナちゃんはパァと明るい表情になったのである。
「ほ、本当ですか。じゃあ、また私と会うことが出来るんですね」
「まぁ会うことは出来るだろうけど……」
「よかった。コータローさんは気の許せる方ですので、もっと色々とお話をしたいんです」
そしてサナちゃんは、屈託のない笑顔を俺に向けたのである。
なんか知らんが、俺はサナちゃんにえらく懐かれたようだ。
長い逃亡生活の中で、気の許せる者と会えたのは俺達くらいらしいので、仕方がないと言えば仕方がないのかもしれない。
と、そこでアーシャさんが話に入ってきた。
「何をするのか知りませんが、私も手伝いますわよ。王都にあるアレサンドラ家の別邸に着いたら、私もしばらく滞在する事になりますから。というか、貴方は私専属の護衛なのですから、それを忘れて貰っては困りますわ」
「え、あれってまだ正式な決定じゃなかった気が……」
「何を言ってるのです。もう正式に決定しましたわ。私がしたと言ったら、したのです」
アーシャさんはそう言って、サナちゃんに笑顔を向けた。
サナちゃんも微笑み返す。
その瞬間、なぜか知らないが、2人の間に張りつめた空気が漂いだしたのであった。
(えっと……何……この微妙に重い空気……)
そんな中、KYのラティがログインしてきた。
「ほなワイも、王都に暫くいようかな。コータローと一緒にいると、おもろいし」
「おいおい、ドラキー便はどうすんだよ」
「ああ、それは気にせんでええで。ワイ等の仕事は基本的に、物流組合に出向いて、自分の行きたい配達地域の書簡を選んでるだけやさかいな。配達が終わったらそれで一区切りつくんや」
「ドラキー便て、そういう体制なのか。てっきり担当地区でも決まってるのかと思ったよ」
ラティの話を要約すると、配達地域は早い者勝ちということなのだろう。
まぁそれはさておき、俺達がそんなやり取りをしている内に、オヴェリウスの城塞はもう間近に迫るところにまで来ていた。
(色々とあったけど、この旅も終わりか……サナちゃんじゃないけど、少し寂しいかな……)
アーシャさんはそこで、感慨深くボソリと呟いた。
「長かった旅も、これで終わりですわね。楽しい旅でしたわ」
「ええ、マルディラントを発ってから6日しか経ってないですが、10日以上旅してきたような気分です」
俺はそう言うと、今まであったイヴェントを感慨深く思い返した。
サナちゃんも俺と同じ思いなのか、静かに頷いていた。
「本当ですね。色々とありましたけど、無事ここまで来れたのはコータローさんやアーシャさんのお蔭です。ありがとうございました」
「はは、サナちゃん。礼を言うのは早いよ。まだ王都には着いてないからね」
「そうですね。では着いたら、改めてお礼を言わせてもらいます」
サナちゃんはそう言ってニコリと微笑んだ。
俺も微笑み返す。
そして、俺達は、それぞれが色んな思いを胸に秘めながら城塞門を潜り抜け、この旅の終点である王都オヴェリウスへと足を踏み入れたのであった。
[Ⅲ]
王都の中に入った俺達は、ウォーレンさん達の後に続いて、大通りを真っ直ぐに進んで行く。
街の中に入って分かった事だが、王都もマルディラントと同様、古代ギリシャや古代ローマのような建築様式の建物ばかりであった。
これを見る限り、どうやらこの国の建物は、山の中にあるガルテナのような場合を除いて、どこもこんな感じなのかもしれない。
それと街の雰囲気だが、俺達が進むこちら側の通りは人も疎らで、あまり活気のある所ではなかった。これは恐らく、アルカイム街道側から商人があまり出入りしない事が関係しているのだろう。アレスティナ街道側は賑わっているに違いない。
まぁそれはさておき、通りを暫く進むと、中央に大きな木が1本生えた丸い広場が見えてくるようになった。
程なくして俺達は、その広場へと入ってゆく。
すると、前方にいるウォーレンさん達は、その広場に入ったところで馬車を止め、俺達にも止まるよう、手振りで合図してきたのである。
レイスさんは指示に従い、馬車を止めた。
ウォーレンさんがこちらへとやって来る。
「コータロー、今日は世話になったな。お蔭で助かったよ」
「ああ、気にしないでください。まぁこれも何かの縁だったんでしょう」
「そうかもな。ところで、お前達はこれからどこに向かうんだ?」
「え、この後ですか……ちょっと待ってください」
俺はとりあえず、アーシャさんとサナちゃんに小さく耳打ちをした。
「どうします? この人に2人の事を話してもいいですか?」
2人は頷く。
「もうここまで来たら、いいですわよ、仰っても。それに、この方に場所を訊いた方が早いですわ」
「私もアーシャさんと同じです。ですが、念の為、王女というのは伏せておいて下さい」
「わかった」
一応、2人の了解は得られたので、簡単に話すことにした。
「ええっと、実はですね、俺達はこれから2つの場所に向かう予定なんです」
「2つの場所? どこだ一体?」
「1つは旧ラミナスの公使が住まう館で、もう1つは、マルディラントを治めるアレサンドラ家の別邸です。ちなみにですが、ウォーレンさんはそれらがどこにあるのか、わかりますかね?」
するとそれを聞いた瞬間、ウォーレンさんは渋い表情になったのである。
「勿論知っているが……お前達、一体そこに何の用があるんだ? その2つがあるのは、この国の大貴族が住まうオヴェリウスの第3の階層・ヴァルハイムだぞ。王都に住む者でも、限られた者以外立ち入ることが出来ない場所だ」
今言った第3階層というのは、王城の1つ下の階層の事を言ってるのだろう。
要するに、このオヴェリウスもマルディラントと同様、身分によって住まう所が違うという事だ。
階層が4つもあるという事は、マルディラント以上に厳格な住み分けをしているに違いない。
まぁそれはともかく、俺はとりあえず、アーシャさん達の事情を説明する事にした。
「それなんですけど、あまり大きな声では言えないのですが、ここにいる2人の女性はそれら所縁の方々なのです。もう少し詳しく言いますと、こちらの方はマルディラントの太守、ソレス殿下のご息女で、こちらの方は、旧ラミナス国要人のご息女になります」
「な、なんだって……」
ウォーレンさんはアーシャさんとサナちゃんに驚きの眼差しを向けた。
ここでアーシャさんとサナちゃんが話に入ってきた。
「ご挨拶が遅れました。私はアーシャ・バナムン・アレサンドラと申しまして、マルディラント太守、ソレス・マウリーシャ・アレサンドラが長女であります」
「私はイメリアと申します。こちらに駐在する旧ラミナス国公使、フェルミーア・オセルス・サナルヴァンド閣下は、血縁上、私の叔母になります」
「なんと……」
ウォーレンさんは2人の自己紹介を聞き、かなり驚いていた。が、しかし……程なくしてウォーレンさんは難しい表情になり、残念そうにこう告げたのであった。
「そうだったのですか。ですが……それが本当だとしても、今のオヴェリウスではそう簡単にヴァルハイムへは行けぬでしょうな。いや、それどころか、御2人には申し訳ないが、今のオヴェリウスでは、その下にある第2の階層・アリシュナにすら入れない可能性が高いのです」
どうやら、色々と難しい事情があるようだ。
もしかすると、ヴァロムさんの事が関係してるのかもしれない。
俺は訊いてみる事にした。
「今のオヴェリウスでは、と言いましたが、最近、何か事情が変わったのですか?」
「コータローも知っていると思うが、オルドラン家のヴァロム様の一件があってからというもの、オヴェリウスはずっと厳戒態勢を敷いているんだ」
どうやら俺が思っている以上に、ヴァロムさんの件はややこしい事になっているのかもしれない。
「厳戒態勢……ですか。俺も道中、噂で聞きましたが、それほどまでに警戒しているのですか?」
「ああ……地下牢に幽閉されたヴァロム様は、イシュマリア全土にその名を轟かせた稀代の宮廷魔導師であると共に、その祖先は大賢者アムクリストの弟子の1人だ。しかも、今は隠居されたとはいえ、ヴァロム様自身が、その遺志を継ぐ正統なる元継承者でもあった。それ故、国内外の影響力も一際大きい事から、この国の重鎮達は混乱を避ける為に、魔導騎士団を動員して警戒に当たらせているのさ」
俺はウォーレンさんの話を聞き、思わず溜め息をこぼした。
「はぁ……まさかそんな事になっているんなんて」
と、ここで、レイスさんが話に入ってきた。
「挨拶が遅れましたが、私はイメリア様の護衛を任されたレイスと申す者です。貴殿に1つお訊きしたいのだが、イメリア様の身分を示す物を騎士に見せたとしても、門を潜るのは難しいのであろうか?」
ウォーレンさんは首を縦に振る。
「ああ、難しいと言わざるを得ないな。今のオヴェリウスは、イシュマリア王が認めた通行証がない限り、貴族が住まうアリシュナから上へは出入りできない状態だ。しかも、その更に上のヴァルハイムに行くには、イシュラナの神官達の頂点に立つ、教皇アズライル猊下が認めた通行証も必要になってくる。だから、今言ったような事をそのまま門にいる騎士に話したところで、まず信じてはくれまい。いや、それどころか、下手すると、不審者として連行される可能性の方が高いくらいだ。残念だが、今のオヴェリウスは、そこまでの厳戒態勢を敷いているんだよ」
「そうであるか……。まさかそこまでの厳戒態勢とはな……」
レイスさんは少し肩を落とした。
(これはかなり厳しいかもしれない……どうしよう……)
俺は当事者の2人に訊いてみた。
「そんな状況らしいですけど、どうします、2人共?」
「非常に困りましたわ。私もお父様の元に向かえと兄から言われておりますので」
「私も困ります」
思った通りの反応だ。
さて、どうするか……。とりあえず、他に方法がないかだけでも訊いてみるとしよう。
「あのぉ、ウォーレンさん。何か他に手はないんでしょうか? 俺もアーシャ様達を無事に送り届けるように言われたので、そこに案内できないとなると、ちょっと困るんです」
ウォーレンさんは顎に手を当て、何かを考える仕草をする。
「ふむ。まぁない事もないが……」
「本当ですか?」
「ああ。だが、今すぐには無理だ。それをするには、少し時間がいるからな……。ところで、今日の宿はどうするつもりなんだ?」
「え、宿ですか? まぁこうなった以上、その辺の宿でも探すしかないでしょうね」
「そうか。もしなんなら、俺の所にでも来るか? いや……俺が考える方法でヴァルハイムに行くつもりなら、これを機にアリシュナへ来た方がいい。その方が後の段取りもやりやすいからな」
「え? でも俺達は通行証なんてないですから、アリシュナとやらに入れないのでは?」
するとウォーレンさんは不敵な笑みを浮かべたのであった。
「なぁに、心配するな。俺と共に門を抜ければ大丈夫だ。こう見えて俺は、結構信頼されている宮廷魔導師の1人なんでな。それに、門を警護する魔導騎士も俺の顔をよく知っているから、深くは詮索せん筈だ。で、どうする? できれば今決めてもらいたいのだが」
これはチャンスかもしれない。
だが、初対面の俺達にここまでしてくれるのが、少し引っ掛かるところではあった。
まぁ2人は大貴族の縁者なので、そこを期待しての事かもしれないが。
(さて、どうすべきか……)
俺はともかく、アーシャさんとサナちゃんは流石にこのままにしておくわけにはいかない。
その為、俺はとりあえず、2人の意見を聞いて返事する事にしたのである。
「2人はどうする? ウォーレンさんはこう言っているけど」
「コータローさんにお任せしますわ」
「私もお任せします」
「そっか。じゃあ、俺の判断で決めるね」
2人はコクリと頷く。
了解を得たところで、俺はウォーレンさんに返事をした。
「では、よろしくお願いします、ウォーレンさん」
「そうと決まれば善は急げだ。俺達の後について来てくれ」
「はい」
そして俺達は、ウォーレンさんの指示に従い、移動を再開したのであった。
Lv34 宮廷魔導師ウォーレンの依頼
[Ⅰ]
ウォーレンさんの後に続いて移動を再開したところで、ラティの声が聞こえてきた。
「アーシャねぇちゃんとサナねぇちゃん……さっきの話はホンマなんか?」
2人は頷く。
「ええ、本当ですわ」
「すいません、黙っていて」
「ほぇ~、なんやそうやったんか。ワイも只者ではないなと思ってたけど、それは考えへんかったわ」
俺も一応、謝っておく事にした。
「すまんな、ラティ。お忍びみたいなもんだから、黙っていたんだよ。どこかで情報が洩れて、変な奴等に狙われでもしたら、ウザいことこの上ないからな」
「別に謝らんでええで。そういう理由なら、しゃあないやん」
ラティはそう言ってニカッと笑った。
話の分かる奴なので、事情は察してくれたみたいだ。
「ところでラティ、物流組合には行かなくていいのか?」
「今はこっちの方がおもろそうやから、コータロー達についてくわ。物流組合は後や」
「面白そうって、お前な……」
「へへ、固い事言いっこなしや」
(まぁいいか……ウォーレンさんもラティの事を俺達の仲間だと思ってるだろうし)
それはともかく、王都についてラティに訊いておこう。
「ッたく。ところで話は変わるけどさ。ラティは王都について結構詳しいのか?」
「ワイは第1の階層・ラヴァナしか知らんで。上の階層はワイ等ドラキー族でも、相当優秀な奴しか行けんさかいな。せやから、上の階層のことは聞かれても答えられへん。まぁ今から行くアリシュナは少しだけ知ってる区域もあるけどな」
「という事は、第1の階層については知っているんだな?」
「まぁな。でもワイの知ってる事なんて、ここでは一般的なことやで」
ヴァロムさんからの用事は、第1の階層だから丁度いい。
後でラティに訊いておこう。
「いいよ、別に。また後で色々訊きたい事もあるから頼むわ」
「おう、ワイで答えられることならな」
と、ここで、サナちゃんが話に入ってきた。
「あのぉ、ラティさん。さっき、相当優秀なドラキーじゃないと上の階層に行けないと仰いましたが、ドラキーにも身分というものがあるのですか?」
「それがなぁ……あるんやわ。簡単に言うとやな、ワイ等のようなメイジドラキー族は、3つの称号によって格付けされとるんや。誰が決めたんかは、知らんねんけどな」
「へぇ~、ドラキーにもそういう階級があるんだな」
これは少々意外であった。
「せやで。しかも、上の称号を得る為には、ドラキー族に伝わる試練を乗り越えなアカンのやけど、これがまた大変なんやわ。ホンマ、難儀なしきたりやで」
「そうなのか、結構面倒なんだな。ところで、ドラキー族に伝わる試練って、どんな事をするんだ?」
ラティは溜息を吐いた。
「それがなぁ……試練受けた事ないから、ワイもわからんのや。試練を受けた奴は、外部に喋ったらアカンことになってるしな。おまけに、試練を受ける為には色々と条件もあるさかい、気軽に受けれるもんでもないし」
「何か基準があるのか?」
「称号によって色々とあるんやわ……年齢や社会経験がどれだけとか。上の称号になると、それに加えてベギラマみたいな上級魔法を幾つ使えるとかな」
「ふぅん、なるほどねぇ」
なんとなくだが、国家資格の受験要項を聞いているみたいだ。
と、ここでアーシャさんが話に入ってきた。
「ところで、今のラティさんが使える魔法はどのくらいなのですか?」
「い、今のワイが使える魔法はやな……ギラとメラとマヌーサだけや……。で、でもやな、ワイはこれからもっと経験積んで、ベギラマやイオラのような上級魔法を修得して、いずれはグラン・ドラキーの称号を得るつもりなんや」
アーシャさんは少し驚く仕草をする。
「大きく出ましたわね。でも、私が以前聞いた話によると、グラン・ドラキーの称号を持っているドラキーは僅からしいですから、そこに至るには大変なんじゃないですの?」
「確かにその通りやねんけど、最初から諦めてたら何も始まらんやん。やっぱ目指すんならそこやろ」
「グラン・ドラキーねぇ……。なんか話聞いてると道は険しそうだな」
ベギラマやイオラが上級魔法なのかどうかはともかく、結構大変な試練が待ち受けているのかもしれない。
「まぁな。でも、ワイ等下っ端のドラキーは経験積んで、最高位の称号・グラン・ドラキーを名乗るのが憧れなんやわ。そして、いつかなったるとワイも思っとるんや」
「ラティさん、その意気です。ラティさんなら、いつかその称号を得られる気がしますよ」
サナちゃんはそう言ってラティに微笑んだ。
「おおきに、サナねぇちゃん。ワイは頑張って成り上がるつもりやから、そん時はよろしくやで。ン? どうやら第2の階層への入り口が見えてきたようやな」
俺達はそこで、前方へ視線を向ける。
すると、白い石を幾重にも積み上げた強固な城塞と、鉄格子で閉め切られた城塞門が見えてくると共に、その前で佇む、灰色のマントと青い鎧を装備した十数名の騎士達が、俺達の視界に入ってきたのである。
騎士達は装備している高位武具も然る事ながら、軍隊特有のキビキビとした動作をしている為、雰囲気は非常に威圧的であった。
しかも、常に臨戦態勢に入れるよう絶妙な位置に陣取っている為、隙というものが全く見当たらないのだ。
予想以上に物々しい様相である。
「ウォーレンさんの言ってた事は本当のようだな。あそこにいるのは、どうやら、ただの騎士じゃないようだ。なんか異様な雰囲気だよ」
俺の言葉に皆は無言で頷いた。
「イシュマリア魔導騎士団は、この国の守護を司る最精鋭の騎士団と聞いております。ですから、その辺の兵士とはやはり、雰囲気そのものが違いますわね」と、アーシャさん。
「ええ、確かに……」
程なくして城塞門の前にやってきた俺達は、そこで一旦馬車を止め、早速、騎士達からのチェックを受ける事となった。
まず騎士の1人が、ウォーレンさんの跨る馬へと歩み寄る。
ウォーレンさんに歩み寄ったのは、口髭を生やした凛々しい中年の男で、この中では一番の年長者のようであった。
もしかすると、ここを受け持つ責任者なのかもしれない。
騎士はウォーレンさんの前に行くと、ニコヤカに話しかけた。
「ウォーレン、お勤めご苦労だな」
「グスタフ、お前もな」
どうやらこの騎士が、先程言っていたウォーレンさんの知り合いのようだ。
「アリシュナへ入るか?」
「ああ」
「では形式通り、通行証を見せてもらうとするか」
ウォーレンさん達はグスタフと呼ばれた騎士に、ハガキサイズのカードと思わしき物を見せた。
グスタフと呼ばれた男は、それらを流し見ると手振りを交えて言った。
「よし、いいぞ。通ってくれ」
「待った、グスタフ。それとだな……」
と、ここでウォーレンさんは俺達の方を指さし、騎士に告げたのである。
「後ろの方々は、湖の件で協力してもらう者達だ。私の邸宅で打ち合わせをしたいから、通してくれないだろうか?」
(湖の件? ……なんだ一体……)
なんとなく嫌な予感がしたが、とりあえず今は、ウォーレンさんのやり取りに注視しよう。
「ン、という事は、アリシュナへの通行証は持ってないのか?」
「ああ、そうだ」
「むぅ、しかしだな……」
騎士は少し渋った表情をする。
「心配するな、グスタフ。責任は私が持つ。それに湖の件は、あまり公にはできない話なのは、お前も知っているだろ。だから頼むよ」
グスタフと呼ばれた騎士は、そこで俺達を一瞥すると、溜息混じりに言葉を発した。
「……ふぅ、仕方ない。俺とお前の仲だ。でも、これっきりだぞ。こんな事を繰り返していたら、俺も上から何言われるかわかったもんじゃないからな」
「すまないな、グスタフ。この埋め合わせは近いうちに必ずする」
「じゃあ、ヴァルハイムで一杯出来るのを期待して待ってるよ」
ウォーレンさんは苦笑いを浮かべる。
「それは期待しないでくれ。あんな所で飲み食いしたら、あっという間に散財してしまう」
「はは、違いない。まぁ今のは冗談だが、上手い物を食わしてくれるのを期待して待ってるよ。さて、では通るがいい」
「恩に着る」
そして俺達は、第2の階層・アリシュナへと移動を再開したのである。
[Ⅱ]
オヴェリウス・第2の階層・アリシュナ……ラティの話によると、ここは中小の貴族が住まう区域だそうだ。
貴族が住んでいるだけあって、先程までいた平民の住まう第1の階層と比べると、周囲は庭付きの綺麗な建物ばかり並ぶ裕福そうな所であった。
ゴミの無い石畳の通りの両脇には、白く美しい石壁の建物が軒を連ねており、見掛ける人々は優雅で上品な服を身に纏う者達ばかり。中小とはいえ、流石に貴族が住む区域であった。
だが、とはいうものの、ここには馬鹿でかい敷地に大邸宅といった感じの建物は無かった。全て、そこそこの大きさの建物ばかりで、庭もそれほど大きくは無い。
この区域を現代日本のモノで無理やり例えるならば、田園調布の様な高級住宅街を思わせる感じだろうか。
とにかく、この第2の階層・アリシュナは、そんな雰囲気を感じさせる所であった。
話は変わるが、オヴェリウスにある4つの階層は、全てに名前がついているらしい。
ラティの話によると、平民の住まう第1の階層がラヴァナ、中小貴族が住まう第2の階層がアリシュナ、高位の貴族や高位の神官が住まう第3の階層がヴァルハイム、そして王族の住まう第4の階層がイシュランといった感じで呼ばれているそうだ。
また、この王都にはイシュラナ教団の総本山であるイシュラナ大神殿があるのだが、それは第1の階層・ラヴァナにあるみたいだ。やはり、国教なだけあって、平民も貴族も分け隔てなく参拝出来るようにしてるそうである。
ちなみにだが、ラティ曰く、大神殿に教団のトップである教皇アズライル猊下はいないらしい。
教皇アズライル猊下は普段、第3の階層・ヴァルハイムに建立されているイシュラナの聖堂と呼ばれる所にてお勤めしているらしく、大神殿に降りてくるのは催しや神殿に用がある時だけだそうだ。
なので、平民はおろか、中小の貴族でも、そう簡単にお目にかかれる人物ではないそうである。
つーわけで、話を戻そう。
ウォーレンさん達の後に続いて、アリシュナの通りを進む事、約10分。
格子状の門扉が設けられた、四角い石造りの屋敷の前で、ウォーレンさん達は立ち止まった。
ちなみにその建物は2階建てで、玄関前が庭になっており、門と玄関を結ぶ石畳の通路の両脇には、手入れが行き届いた芝生や幾つかの庭木が植えられていた。また、その奥の玄関に目を向けると、重厚な扉の前で鎮座する騎士の石像が2体、番人の如く立っているのだ。
これは俺の印象だが、周囲の屋敷よりも少し大きなブルジョワ邸宅に見えた。
もしかすると、ここがウォーレンさんの屋敷なのかもしれない。
ふとそんな事を考えながら屋敷に目を向けていると、ウォーレンさんはミロン君を伴ってこちらへとやって来た。
「ここが俺の屋敷だ。案内役としてミロンを置いていくから、暫くの間、客間で休んでいてもらえるだろうか」
「ウォーレンさんは、今からどこかに行かれるのですか?」
するとウォーレンさんは、頂きに見えるイシュマリア城に目を向けた。
「ああ。今から城に行って報告しなきゃならん事があるんでな。まぁそういうわけだ。だから、俺が帰るまで暫く寛いでいてくれ」
「そうですか。わかりました」
ここでウォーレンさんはミロン君に指示をする。
「それからミロン。ブレシア爺さんに、コータロー達の馬や馬車の世話をお願いしといてくれ。多分、今の時間帯なら裏の厩舎で休んでいる筈だ」
「はい、畏まりました」
「では頼んだぞ」
それを告げたところで、ウォーレンさん達はこの場を後にしたのであった。
[Ⅲ]
屋敷内に入った俺達は、ミロン君に案内され赤い絨毯が敷かれた通路を進んで行く。
途中、メイドさんと思わしき若い女性と何回か擦れ違ったが、皆が明るい笑顔で丁寧に俺達に挨拶をしてきた。その所為か、冷たい石造りの建物ではあるが、屋敷内は暖かい雰囲気が漂っていたのである。
中々に居心地が良さそうな屋敷であった。これを見ただけでも、ウォーレンさんの人柄が分かるというものだ。
俺はそんな事を考えつつ、ミロン君の後を付いて行く。
すると程なくして、ミロン君はとある扉の前で立ち止まり、俺達に振り返ったのである。
「皆さん、こちらが客間になります」
どうやら到着のようだ。
ミロン君は扉を開き、俺達に中へ入るよう、丁寧な所作で促してきた。
「さ、どうぞ、中で旅の疲れを癒してください。それから、お飲物や軽食をすぐにご用意いたしますので、今暫くお待ち下さい」
「ありがとう、ミロン君。色々とすまないね。それでは、お言葉に甘えさせてもらうよ」
俺は礼を言って中へと入った。
他の皆も俺に続く。
とまぁそんなわけで、俺達は暫しの間、ここで旅の疲れを癒す事となったのである。
客間に入った俺は、中央にあるソファーに腰掛け、早速、身体を休めることにした。
続いて、アーシャさんとサナちゃんが俺の隣に腰を下ろしてくる。と、その直後、アーシャさんとサナちゃんは互いに顔を見合わせ、微笑み合ったのである。
しかし、その笑みはどこか固かった。おまけに、なぜかわからないが、微妙に緊張感が漂う空気も漂い始めていたのであった。
(はぁ……馬車でもこんな事があったけど、何なんだ一体……)
少し首を傾げる現象であったが、触れない方が良いと俺の中の何かが告げていた。
その為、俺は2人が放つ緊張感から逃げるよう、ソファーの背もたれに深く寄りかかり、大きく溜め息を吐いたのである。
(わけがわからん。とりあえず、部屋の中でも見て気を紛らわすか)
というわけで、俺は室内をグルリと見回した。
見た感じだと、30畳くらいはありそうな、そこそこ広い部屋であった。
床には全面にフカフカとした青い絨毯が敷かれており、その中心には、磨き抜かれたガラスのテーブルと、それを囲むように高級感あふれる赤いソファーが4つ置かれている。ちなみにだが、俺達が腰掛けているのは、それらのソファーだ。
また、美しい花柄の壁紙が貼られた壁や天井に目を向ければ、幾つかの風景画や彫刻品などが飾られており、天井には美しい純白のシェードが被せられたシャンデリアが吊り下げられているのであった。
まさに、貴族の館といった感じのブルジョワな内装であった。
豪華さでいえばマルディラント城の客間の方が凄いが、これはこれで中々に優雅な部屋である。
俺がそんな風に室内を眺めていると、程なくしてラティの声が聞こえてきた。
「ワイ、貴族の屋敷ん中入るんは初めてやけど、やっぱ一味ちゃうなぁ。庭の手入れも行き届いてるし、ホンマ綺麗にしてるわ。ウォーレンの旦那は、流石に貴族やで」
「ああ。それに、さっきすれ違った使用人達も明るい表情してたから、屋敷全体が良い雰囲気だよ」
「せやな。皆、笑顔で迎えてくれたさかい、ワイも気分ええわ」
ラティはそう言ってニカッと笑った。
「俺もだ。ところでラティ、第1の階層について訊きたいんだけど、アーウェン商業区ってどの辺りかわかるか?」
「アーウェン商業区か? それはラヴァナの南側や。アレスティナ街道に通じる城塞南門があるところやから、ここからやと少し遠いで」
「遠いって、どのくらいだ?」
ラティは少し考える素振りをする。
「せやなぁ、ここからやと歩いて半日……ってのは冗談やけど、その半分くらいは掛かると思った方がええで。ま、行くんなら、ラヴァナの大通りを走る辻馬車にしとき。それなら歩きよりは早いからな」
「ふぅん、結構遠いんだな」
と、ここで、アーシャさんが訊いてくる。
「そこに何か用でもあるんですの?」
「用はないんですけど、一度行ってみたいなぁと思いまして。以前、とある方から王都の商業区は凄い賑やかだと聞いたので」
今言ったのは勿論嘘だ。
ヴァロムさんの次の指示が、その商業区のとある店に行けとなっているからである。
「へぇ、そうなのですか。私、賑やかなところは苦手なんですが、コータローさんとなら一緒に行ってみたいです」
「サナさん、コータローさんは私の配下の者です。ですから、その時は私も当然同行させてもらいますわよ」
「勿論です。公平にいきましょう。フフフ」
「ウフフフ」
そして2人はまた、固い笑顔で張りつめた空気を作り始めたのであった。
「あのねぇ……」
悩みの種が増えそうだから、この話はもう2人の前ではしないでおこう。
と、その時、扉がノックされ、向こうからミロン君の声が聞こえてきたのである。
「ミロンです。お飲物をお持ちいたしました。中に入ってもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わないよ」
「では失礼します」
扉が開かれ、向こうからミロン君と2人のメイドさんが、グラスや料理を乗せたトレイを持って室内に入ってきた。
3人は俺達の前にあるガラステーブルに、飲物で満たされたグラスや、オードブル風の料理が盛りつけられた幾つかの皿を置いてゆく。
そして全て並べ終えたところで、メイドさん2人はミロン君を残して退室したのであった。
メイドさんが去ったところでミロン君は姿勢を正し、改めてお礼を口にした。
「み、皆様、先程は色々とお世話になりました。師であるウォーレン様からは、皆様が快適に寛げるよう、お力添えをするようにと申しつけられております。で、ですので、もしなにかありましたならば、遠慮なく私に言って頂きますよう、よろしくお願い致します」
この様子を見る限り、かなり緊張してるようだが、そこまで畏まられるのもアレな為、俺は言った。
「あのさ、ミロン君。固い挨拶はよそう。気楽にいこうよ」
するとミロン君は、アーシャさんとサナちゃんにチラリと目を向けた。
「え? で、ですが、コータローさんの両脇におられる御方はアレサンドラ家のご息女と、旧ラミナス公使であるフェルミーア閣下の縁者だと、ウォーレン様から聞いております。粗相が無いようにと言われておりますので」
(なるほど、だから固くなっていたのか)
「でしたら、結構ですわよ。私も堅苦しいのはあまりですから」
「私もそれが良いです」
「そ、そうですか……わかりました。では、そうさせてもらいます」
ミロン君は少し困惑した様子だったが、納得をしたのか、その後は幾分力を抜いて話し始めた。
そして俺達はウォーレンさんが戻ってくるのを待ちながら、暫しの雑談を楽しんだのである。
ミロン君には色々と王都の事について教えてもらった。
特にこのアリシュナの事はよく知っているらしく、ミロン君は饒舌に語ってくれた。
それによると、ウォーレンさんの屋敷があるこの辺りは、別名、魔導師街と呼ばれている地域らしく、王宮に仕える宮廷魔導師の屋敷が沢山あるそうだ。
その為、周囲の屋敷はウォーレンさんの同僚がかなり多いそうである。
だが宮廷魔導師でも、大賢者の弟子であるオルドラン家のような古くから続く名家となると、このアリシュナではなく、上にあるヴァルハイムに屋敷があるとミロン君は言っていた。
なので、ここにある宮廷魔導師の屋敷は殆どが、比較的歴史の浅い家系だそうである。
要するにここは、宮廷魔導師の新興住宅街といった所なのだろう。
ふとそんな事を考えながら話を聞いていると、ミロン君は何かを思い出したのか、そこで俺に話を振ってきた。
「あ、そういえば、コータローさんに訊きたかったことがあるんです」
「ン、何だい?」
「こんな事を唐突に訊くのは失礼なのですが、コータローさんの魔力圧はどのくらいあるのでしょうか?」
あまり触れてほしくない内容だったので、とりあえず理由を訊く事にした。
「え、魔力圧かい? ……どうして知りたいの?」
「実はですね、道中のオヴェール湿原で、コータローさんが魔力分散させながら冒険者達を治療していたのを見て、驚いたんですよ。魔力分散ができる魔法使いは、第1級宮廷魔導師でもそれほど多くはないと言われてますので。ですから、あの時のコータローさんを見て、一体、どの位の魔力圧がある方なのだろうかと、ずっと気になっていたんです」
そう言えば、ヴァロムさんは以前、こんな事を言っていた。
魔力制御を行うには修練も必要だが、素質がないと難しい技能だと。
今まであまり気にしてこなかったが、ミロン君の口振りを考えると、ここでは特殊な技能なのかもしれない。これからは少し注意する必要がありそうだ。
まぁそれはさておき、今はミロン君の質問にどう答えるかである。
(さて、どうしたもんか……)
グレミオさんはこの間、俺の魔力圧は第1級宮廷魔導師の上位に匹敵する数値だと言っていたので、これを真正直に言っていいものかどうかが、悩むところであった。
なぜならば、俺はこれから静かに行動したい為、極力注目されるような事は避けたいからである。が、しかし……俺が答えを出す前に、予想外のところから声が上がったのであった。
なんとアーシャさんが自信満々で、ミロン君にそれを告げてしまったのだ。
「言っときますけど、コータローさんは凄いですわよ。最大魔力圧は200ベリアムを越えますもの。私の自慢の部下ですわ」
「に、200ベリアム! ほ、本当ですか!?」
「ええ、本当ですわ。ここにいる皆さんも、その場に立ち会いましたので、全員が証人ですわよ」
俺は右手で額を押さえ、溜息を吐いた。
(なんで言うかなぁ……はぁ)
程なくしてミロン君の驚く声が聞こえてくる。
「す、凄いです。まさか、そこまでの魔力圧を持つ方だったなんて。ウォーレン様ですら、190ベリアムだと言うのに……。200ベリアム越える魔法の使い手は、ディオン様やシャール様のような一部の方々だけだと思ってたので、今、物凄く驚いてます」
ディオン様とシャール様が何者かは知らないが、こうなった以上は仕方ない。
あまり言いふらさないように忠告しておこう。
「でも、あまり大きな声では言わないでくれよ。俺は注目されるのが苦手だからさ。なるべくなら、この事は黙っていてほしいんだ。静かに暮らしたいからね。いいかい?」
ミロン君は頷く。
「わかりました。でも、ウォーレン様には言ってもいいですよね?」
(まぁあまり隠すのも不自然に思われる。条件付きで認めるとするか)
「良いけど、今言った事をウォーレンさんに言っておいてくれよ」
「わかりました」
と、その時である。
ノック音と共に、扉の向こうから男の声が聞こえてきたのであった。
【ウォーレンだ。遅くなってすまない。入ってもいいだろうか?】
待つこと3時間といったところだ。
ようやく戻ってきたみたいである。
「どうぞ」
「では失礼する」
扉が開かれ、ウォーレンさんが部屋の中へと入ってきた。
中に入ったウォーレンさんは空いているソファーに腰を下ろす。
そして、俺達全員に視線を向け、居ずまいを正してから、話を切り出したのである。
「まずは長らく待たせてしまったことを詫びよう。遅くなって申し訳ない」
「ああ、気にしないでください。ミロン君が王都の事を色々と話してくれたので、中々に有意義な時間を過ごせましたから」
「そう言ってくれると助かる。ミロンを置いていって正解だったようだ」
と言うと、ウォーレンさんはミロン君に軽く微笑んだ。
ウォーレンさんは続ける。
「それで遅れた理由なんだが……実はな、今しがたイシュマリア城に行った折りに、城に出向しているアレサンドラ家の者とフェルミーア閣下の配下の者に会って、御2人の事を話してきたのだ」
「なんと、そうであったか。それでどういった感じだろう。上手くいきそうであろうか?」と、レイスさん。
「一応、向こうはその旨を報告すると言ってくれた。上手くいけば、御2人には近い内に、両家の使いの者がここにやってくる筈だ」
アーシャさんとサナちゃんは安堵の表情を浮かべる。
「ありがとうございます、ウォーレン様」
「ご迷惑おかけして申し訳ありません、ウォーレン様」
「そういうわけですので、少し時間が掛かるかもしれないが、御2人は少しの間、辛抱してもらいたい。ヴァルハイムに上がれる者は、イシュラナの神官達によって細かく管理されているので、手続きに時間が掛かるのです」
2人は頷く。
「構いませんわ」
「私も構いません」
「それを聞いて安心しましたよ。私が出来るのはここまでですからな。さて……」
ウォーレンさんはそこで言葉を切ると、今度は俺に視線を向ける。
すると、やや重い口調で話し始めたのである。
「では次に、少しコータローに話があるんだが、いいだろうか?」
嫌な予感がしたが、とりあえず、話を聞くことにした。
「……何でしょう?」
「俺は今、ヴァリアス将軍の命令で、ある調査をしているのだが、かなり難航していてな。そこで、コータローの手を少し借りたいのだ。見たところコータローは、相当に腕のある魔法使いのようなのでな」
(はぁ、やっぱりその類の話か……)
もしかすると、グスタフとかいう騎士に言っていた事かも知れない。
まぁいい……とりあえず、話を聞こう。
「先程の城塞門にいた騎士に、湖の件がどうのと言っておられましたが、それですか?」
「ああ、それの事だ。……これはまだあまり公に出来ない話なんで、できれば、今はまだ誰にも言わないでほしい。かなり不安がらせる可能性が高いのでな。まぁとはいっても、バレるのは時間の問題だろうが……」
そこで俺達は互いに顔を見合わせた。
全員が頷いたところで俺は言った。
「わかりました。皆、口は堅いので安心してください」
「では話そう。実はここ最近、王都の東に広がるアウルガム湖で、そこに生息する魚介類や動物が居なくなるという奇妙な事が起きていてな、我々は頭を悩ませているんだよ」
「魚介類や動物が居なくなる……それはまた、妙な話ですね」
「全くだ。おまけになぜかわからないが、そのアウルガム湖から水を引いて栽培される作物の出来も悪くなってきている。それで湖の調査をしているんだが、未だに原因は不明なんだよ」
「それは確かに……不味い事態ですね」
作物の出来が悪くなっているという事は、将来的な食糧危機の問題は避けて通れない。
悩むのも無理はないだろう。
「ああ、非常に不味い。アウルガム湖は内陸に位置する王都とって、貴重な水産資源の宝庫だからな。しかもここ最近は、未知なる強力な魔物が王都近辺に現れ始めている。ヴァリアス将軍は、それによって、他の地域からの物流が断たれる事を危惧しておられるのだ。今の王都の食料備蓄は、もって精々1週間程度。今の状況が続くようだと、一気に死活問題になりかねんのだよ。だから早急に、この事態を何とかしないとならないのさ」
事情は分かったが、俺がその調査に加わる理由が分からんので、それを訊ねる事にした。
「ところで、俺の手を借りたいと仰りましたけど、具体的に何をするんですか?」
「それなんだが、明後日の早朝、俺と一緒にアウルガム湖の中心にある小さな島に来てもらいたいんだよ」
「小さな島? その島に何かあるんですか?」
「そこには古代の遺跡がある。……邪悪なる魔の神ミュトラを祭ってあると云われる古代の遺跡がな。これは俺の勘だが、今回の異変、そこで何かが起きている気がするんだよ」
邪悪なる魔の神ミュトラ……か。
またこの名前が出てきたが、今は置いておこう。
「そうですか……で、俺はそこで何をするんですか?」
「俺は以前、その古代遺跡に立ち入った事があるのだが、そこには古代リュビスト文字で、こんな言葉が刻まれていた。……浄界の門に訪れし者よ。4つの祭壇に異なる力を与え、聖なる鍵を然るべき場所に納めよ。さすれば汝の前に浄界への道が開かれる……とな」
「4つの祭壇に異なる力を与え、聖なる鍵を然るべき場所に納めよ……ですか」
「ああ。まぁ早い話が、それを明後日、実際にやってみようと思っているのさ」
「という事は、それらの謎が解けたのですね?」
ウォーレンさんは頭を振る。
「いや、解けてなどない。謎のままさ……だが、何もせずに指をくわえているわけにもいかんのでな。そういうわけで、ここは先人の解釈を参考に、当てずっぽうでも構わんから、やってみようと思っているんだよ」
「つまり、俺はその実験を手伝うという事ですか?」
「まぁ簡単に言うとそうなるな」
「そうですか」
さて、どうするか。何をするのかがイマイチわからんが、今の話から見えてくるのは、魔法の使い手として俺の力を借りたいという事なのだろう。
だが、他にも宮廷魔導師がいるのに、あえて俺にお願いするのが引っ掛かるところであった。
とはいえ、アーシャさんとサナちゃんの事で面倒を掛けてしまった事を考えると、無碍に断るのも悪いのである。
(仕方ない。他にしなきゃならん事があるので迷うところだが、ここはとりあえず、手伝う事にするか……)
と、ここで、アーシャさんが口を開いた。
「コータローさん、手を貸してさしあげたらどうです。ウォーレン様は、私達に便宜を図ってくれたのですから、何もしないわけにもいきませんわ」
「ええ、俺もそう思っていたところです」
俺の言葉を聞き、ウォーレンさんは安堵の表情を浮かべた。
「おお、手伝ってくれるか。すまんな。この国の宮廷魔導師達は、イシュラナの神官に睨まれるのが嫌なもんだから、遺跡に書かれた記述を試す者は皆無なんだよ。この手続きをした時も、イシュラナの神官達は、あまり良い顔をしなかったからな」
「なるほど、だから俺にお願いしてきたんですか。実を言うと、なぜ他の宮廷魔導師に頼まないのかが不思議に思っていたんです」
「すまんな。それが理由だ」
これで納得である。
「ところでウォーレンさん、ミュトラを祭ってあるという遺跡がある島ですが、そこは誰でも入る事が出来るんですかね?」
「いや、その古代遺跡には、イシュラナの神官と魔導騎士団が常駐していて、誰も入らないよう常に監視されている。だから、まず立ち入る事が出来ない所なのだが、事前に手続きを取りさえすれば、遺跡の管理官であるイシュラナの神官と共に、中へ入る事が出来るのさ」
「そうだったんですか。では事前に手続きをとって遺跡に入るんですね?」
「ああ、その通りだ。おっと、そうだ。これをコータローに渡しておこう」
ウォーレンさんはそこでハガキのような大きさのカードを、俺の前に差し出した。
「これは?」
「それはアリシュナとラヴァナを行き来できる通行証だ。コータローの通行証だから、大事に持っていてくれ」
「え? いいんですか?」
貰えるのは嬉しいが、どうやって手に入れたのかが気になるところであった。
なぜなら、この通行証には俺の名前と共に、王家の紋章が押印されているからである。
「実はな、ヴァリアス将軍に今までの経過報告をした際、コータロー達の事も話しておいたのだ。それで少し気の早い話ではあったが、俺の助手として雇うという前提で、コータローの分を作って貰ったんだよ。そういうわけだから、遠慮せず持っておいてくれ」
「そ、そうだったんですか」
中々に抜け目がない人のようだ。
まさか既にこんな先手を打っていたとは……。
「それに通行証がないと、アウルガム湖から帰って来た時、アリシュナに入る事が出来ないからな。だから、急いで作ってもらったのさ」
「わかりました。では、ありがたく頂戴させて頂きます」
俺は通行証を手に取ると、失くさないよう道具入れに仕舞った。
と、そこで、ラティの羨む声が聞こえてくる。
「ええなぁ、コータロー。これで自由にアリシュナとラヴァナを行き来できるやんか」
「そういや、ドラキー便の配達員もいたのを忘れてたよ。もしなんなら、ここに出入りする時はコータローに連れて行ってもらったらどうだ?」
「連れて行ってもらうって、どういう事でっか? ワイ、通行証持ってへんから、一緒に付いて行ったところで、拘束されるのがオチやと思うけど」
「違う違う、そういう意味で言ったんじゃない。お前のように小さな体なら、袋か何かに忍び込めば、門を通り抜けられるってことだ。まぁコータローに運んでもらうのが前提の移動方法になるがな」
「おお、それはええ考えや。ほな、コータロー、ワイも物流組合に行って仕事を終わらせなアカンから、明日一緒にラヴァナに行こうな。ついでに街の中、案内したるわ」
「ああ、分かったよ」
これはある意味好都合かもしれない。
ラティと一緒にラヴァナへ行った際は、俺もついでにヴァロムさんの用事をすませてこよう。
俺達の話がまとまったところで、ウォーレンさんは再度念を押してきた。
「じゃあそういうわけでだ、明後日はよろしく頼むぞ、コータロー」
「わかりました。俺に出来る範囲で頑張らせてもらいます」
「ああ、それでいい」
続いて他の皆も、俺に励ましの言葉を掛けてきた。
「頑張ってください、コータローさん。私はここで貴方の帰りを待ってますわ」
「私も無事を祈って、コータローさんの帰りを待っています」
「コータローさんなら、何でもこなせそうな気がするわ。頑張ってね」
「うむ。私もシェーラと同意見だ。一緒に旅をしてきてわかったが、コータローさんは、物事を正しく見る目を持っている。貴方なら、色んな謎を解けそうな気がするから、頑張ってくれ」
「そこまで言われると俺も背中がかゆいですが、とりあえず行ってきますんで、暫く待っていてください」
とまぁそんなわけで、俺は王都にやって来た初日から、予想外の展開に巻き込まれる事となったのであった。
Lv35 ラヴァナ・アーウェン商業区
[Ⅰ]
翌日、朝食を食べ終えた俺とラティは、ミロン君と共にウォーレンさんの屋敷を後にした。行き先は勿論、第1の階層・ラヴァナである。
ちなみにだが、ミロン君には馬車の御者として、ついて来てもらう事となった。
なぜこんな事になったのかと言うと、理由は単純だ。アーシャさんが朝食の席で、俺が馬に乗れない事をウォーレンさん達にバラしたからである。
まぁ要するに、それを聞いたウォーレンさんの計らいで、俺はミロン君を貸してもらう事になったというわけなのだ。ウォーレンさんの気遣いに感謝である。
話は変わるが、ウォーレンさんの屋敷を出る時、一波乱があった。
なんと、アーシャさんとサナちゃんが一緒に来ると言いだしたのである。が、しかし、流石にそれを受け入れる事は、俺には出来なかった。勿論、ウォーレンさんも非常に困った表情を浮かべていた。
その為、俺はレイスさんとシェーラさんに協力してもらい、2人に見つからないよう、こっそりと抜け出すような形で、ウォーレンさんの屋敷を後にしたのである。
とまぁそんなわけで今の俺は、心地よい日の光が降り注ぐ爽やかな朝だというのに、とてもそんな風には感じられない状態なのであった。
まったくもって困った2人である。もう少し、自分の置かれている立場というものを理解してほしいところだ。
つーわけで、話を戻そう。
アリシュナの南側区域を暫く進み、城塞門が小さく見えてきたところで、御者席からミロン君の声が聞こえてきた。
「コータローさん、アリシュナの南門が見えてきました。アリシュナ側からラヴァナに行く場合は必要ないかも知れませんが、一応念の為、通行証を用意しておいて下さい」
「了解」
俺は道具入れから、通行証を取り出した。
「それからラティさんも今の内に、姿を隠しといた方がいいと思いますよ。近づいてからだと怪しまれるかもしれませんので」
「せやな。ほな、今の内に隠れるとするか」
ラティはそう言って、大きな巾着袋に身を隠した。
ちなみにこの巾着袋だが、ウォーレンさんから借りた物で、ただの道具袋である。
まぁそれはさておき、ラティが袋の中に入ったところで、俺は巾着袋の紐を締める。
そして巾着袋を脇に寄せ、俺は何食わぬ表情で、魔導騎士団が屯する城塞南門へと向かったのであった。
程なくして城塞南門前にやって来た俺達は、そのままスピードを緩めずに門へと進んで行く。
周囲を見回したところ、門へ向かっているのは、どうやら俺達だけであった。それに加え、門番である騎士の姿も見当たらない。昨日の城塞東門もそうだったが、これを見る限りだと、門番は外のラヴァナ側にしか配置されてないという事なのだろう。
ふとそんな事を考えながら門を潜り抜けると、今の事を裏付けるかのように、魔導騎士達が前方で道を塞いでいた。
人数は俺達が昨日通った城塞東門と同じくらいで、この南門の騎士も全員が威圧的な雰囲気であった。
というわけで、そんな厳戒態勢の中を進んで行くわけだが、実を言うと、俺は内心ドキドキだったのである。
やはり、初めての事なので、どうしてもそうなってしまうのだ。が、しかし……。
(アレ? なんでだ……道を開けてくれたぞ……)
そう……前方の騎士達は俺達の馬車を見るなり、何も言わずに道を開け、すんなりと通してくれたのである。
そして、俺達が門を潜り抜けたところで、騎士達は何事もなかったかの如く、また警備を再開したのであった。
もしかすると、アリシュナの城塞門の検問体制は、内側から来る者達は無視して、外側から来る者達のみに重点を置いているのかもしれない。
ミロン君もさっき、通行証は必要ないかもしれないと言っていたので、恐らく、他の門もこんな感じなのだろう。
まぁそれさておき、門番の騎士達が見えなくなったところで、俺は巾着袋の紐を解き、ラティを出してやる事にした。
「もういいぞ、ラティ」
と、その直後、ラティは勢いよく袋から飛び出し、大きく息を吐いたのである。
「ぷはぁ~……やっぱ、外の空気はええわぁ。袋ん中なんて入るもんやないで。なんか妙なニオイするし」
「だろうな。他に良い方法あればいいんだけど、今のところこれしか方法がなからなぁ。嫌かもしれんが、我慢してくれ」
「まぁ、しゃあないわ。調子こいて空飛んでくと、ワイの場合、仲間に連行される可能性があるしな」
「え、そうなのか?」
「昨日も言うたと思うけど、ワイ等下っ端はな、ホンマは上の階層には上がれへんねん。せやから、刻印のないドラキーやとわかった瞬間、こっ酷くお叱りを受けることになるんやわ。かなんで、ホンマ」
多分、ドラキーにもそういう監視部隊があるのだろう。
世知辛い世の中である。
「ふぅん、そうなのか。ところで今、刻印のないドラキーと言ったけど、そんなのあるのか?」
「それがあるんや。試練を乗り越えたドラキーはな、称号を得た証が身体に刻まれるんやわ。場所は左右の翼と額の3箇所やから、すぐにわかるで。ちなみに、3つ刻印があったらグラン・ドラキーや」
「へぇ、そうなのか。なるほど、刻印ねぇ……」
言われてみると、以前、ヴァロムさんに書簡を届けに来たドラキーの額や翼には、何か模様のようなモノがあった気がした。
今の話を元に考えると、オルドラン家のドラキーは3つの試練を乗り越えたグラン・ドラキーというやつなのかもしれない。宮廷魔導師の名家なので、飼っているドラキーも超一流なのだろう。
と、ここで、ミロン君の声が聞こえてきた。
「コータローさん、アーウェン商業区にこのまま向かえばいいんですね?」
「俺は構わないけど、ラティは良いのか?」
「ワイもかまへんで。物流組合はアーウェン商業区やさかいな」
つーわけで、俺はミロン君に言った。
「だって」
「わかりました。では、このまま向かいますね」――
[Ⅱ]
アリシュナの城塞門を抜けた俺達は、色褪せた石造りの建物が両脇に並ぶ大通りを南に進んで行く。
すると次第に、沢山の荷馬車や人々が行き交う、賑やかな様子が視界に入ってくるようになった。
周囲からは、人々の笑い声や怒声などが、引っ切り無しに聞こえてくる。まだ朝だというのに、ここはもう活気に包まれているのだ。この賑やかさは、流石に王都といったところである。
空に目を向けると、ラティの同僚と思われる鞄を背負ったメイジドラキー達の姿も、頻繁に見掛けるようになってきた。ドラキー達はパタパタと羽根を羽ばたかせながら、縦横無尽に空を駆け巡る。この数を見る限り、ドラキー便の利用者は相当多いのだろう。
考えてみれば、人語を話せる上に渋滞知らずなドラキーは、優秀な郵便配達員である。お誂え向きにも体色が赤なので、郵便屋としてはもってこいの逸材であった。額に〒マークとイシュマリア郵政公社の文字を貼りつけてやりたいところだ。
俺はそんな事を考えながら、喧騒に包まれたラヴァナの街並みを眺める。
と、その時、少し気になる光景が俺の目に飛び込んできたのであった。
(ン……なんだありゃ?)
それは何かと言うと、通りの至る所に、茶色い鎧を着た兵士達がいるという事であった。
しかも、その兵士達は何かを監視するように、通りを行き交う人々へと視線を向けているのである。
(……なんだ、この兵士達は……イシュマリア王家の紋章が描かれた鎧を着ているから、王城の兵士だとは思うが、治安維持部隊か何かか……。にしても、少し大袈裟過ぎる気がする。マルディラントでも、こんな光景見た事ないぞ。……何かあったのだろうか?)
俺はミロン君に訊いてみる事にした。
「ミロン君、ちょっといいかい」
「はい、何でしょう?」
「さっきから、この通り沿いに茶色い鎧の兵士達をよく見かけるけど、王都ってかなり治安が悪いのか?」
「ああ、それの事ですか。あの兵士達は恐らく、ヴァロム様の解放を訴える組織に目を光らせているんだと思いますよ」
「へぇ、そんな組織があるんだ」
もしかすると、反政府組織みたいなモノがあるのかもしれない。
「らしいですね。僕も詳しい事は知らないんですが、なんでも、イシュマリア魔導連盟とかいう組織だそうです。しかも、その組織から抗議の書簡が、王家に届いたそうなんですよ」
「抗議の書簡ねぇ……で、どんな事が書いてあったんだい?」
「それはわかりませんが、ウォーレン様の話によりますと、かなり脅迫めいた事が書かれていたそうです。ですから、何かあった時に対応できるよう、街中に兵士を配置しているのだと思いますよ」
要するにあの兵士達は、テロ活動に目を光らせているという事のようだ。
「イシュマリア魔導連盟か……。ところで、その組織って王都では有名なの?」
ミロン君は頭を振る。
「いいえ、全く。そんな組織があったこと自体、ウォーレン様も初耳だったそうですから。なので、城に出入りする者以外、殆ど知らないんじゃないでしょうか」
「つまり、突如現れた秘密結社って事か。で、誰もその素性どころか、名前すら知らなかった、と……」
「はい、そのようです」
なぜかわからないが、少し引っ掛かりを覚える組織であった。
「ちなみに、その組織から抗議の書簡が来たのって、いつの話なんだい?」
「えっと……僕がその話を聞いたのは、ヴァロム様が幽閉されて暫くしてですから、つい最近じゃないでしょうか」
「つい最近か……」
と、ここで、ラティの声が聞こえてきた。
「コータロー、お話し中のところ悪いけど、この辺りからがアーウェン商業区やで」
「お、ここがアーウェン商業区か。どれどれ」
周囲に目を向けると、沢山の商店が軒を連ねる街並みが広がっていた。
八百屋や肉屋といった食材の店から、アクセサリー等の装飾品を扱う店、武器や防具に薬などを扱う店等、それは多種多様であった。
そして、それら全ての店は今まさに、沢山の買い物客で賑わっている最中なのである。
「ヒュー……流石、王都の商業区だな。マルディラントの商業区域も賑やかだったけど、ここは輪をかけて活気があるよ」
「ま、そりゃそうやろ。この国で一番でかい商いの区域やからな。でも、ちょっとガラ悪い所でもあるさかい、色目使いよる女や、スリには注意せなあかんで。それと恐喝もな」
ラティの言うとおり、進むにつれ、人相の悪い奴等が増えていた。
北○の拳にでてきそうな、モヒカン頭の奴や、肩パットをあてたムキムキ戦士系の男達、エロい格好をした娼婦みたいな女が、時々、視界に入ってくるのである。それに加え、ドラクエの定番キャラである、荒くれみたいなのもいるのだ。
ちなみに荒くれとは、上半身が裸で、角の生えた黄色いマスクを被るマッチョ男である。一歩間違えると、ただの変態にしか見えないキャラの事だ。
「ああ、そうみたいだな。手癖が悪そうな奴が多そうだから、注意するよ」
とはいえ、貴重品の殆どはフォカールで仕舞ってあるので、それほど心配はない。
お金にしても、手元にあるのは500Gほどで、残りはフォカールで仕舞ってあるのだ。が、しかし、武具などの装備品や通行証は常に携帯しているので、厳重に注意しなければいけないだろう。つまり、盗られて困る物はその辺の類なのである。
「ああ、気ぃつけた方がええで。でもまぁコータローの場合、スリよりも、女の誘惑に注意した方がエエけどな。パフパフする? なんて言ってきても、ホイホイついてったらアカンで」
「そういうのはな、経験上、世にも下らないオチが待っているのが相場なんだよ。誰が行くもんか」
とはいうものの、パコパコする? なんて言われたら、ホイホイと付いて行くかもしれないが……。
「ほんならエエけど」
「ところでラティ、グランマージていう魔法薬売っている店だけど、どこにあるか知っているか? アーウェン商業区にあるって聞いたんだけど」
「おう、知ってるでぇ。でも、グランマージはルイーダの酒場付近やから、ここからやと、ちょっと遠いで」
「遠いのか……で、どの辺りなんだ?」
「アーウェン商業区の一番端や。簡単に言うと、王都の入り口がある城塞南門の付近やな。でもまぁ、馬車やから、そんなにかからんやろ」
「それを聞いて安心したよ」
どうやら、まだしばらくは進まないといけないみたいだ。
ついでだからラティの目的地も訊いておこう。
「それはそうと、物流組合はどの辺りなんだ?」
「オヴェリウス物流組合は、商業区の中心やから、もう少し先やな」
「て事は、ここからだと物流組合の方が近いんだな」
「せやな」
「じゃあ先に、物流組合から行くか」
するとラティは申し訳なさそうに口を開いたのである。
「あんなぁ……そこでお願いがあるんや。ワイが用事済ませてくるまで、待っててほしいんやけど、ええやろか?」
「いいけど。なるべく早くしてくれよ」
「おう、それは任しとき。鞄の中の書簡を届けるだけやから、すぐ済むさかい」
つーわけで、俺はミロン君にそれを伝えたのである。
「それじゃ、ミロン君。悪いけど、まず、オヴェリウス物流組合へ向かってくれるかい。で、ラティが帰ってきたら、今度はグランマージっていう魔法薬の店に向かってほしいんだ」
「物流組合に行ってから、グランマージですね。わかりました」――
物流組合からラティが戻ってきたところで、俺達はグランマージに向かい移動を再開した。
大通りを南下するに従い、一般住民の姿は少なくなり、変わりに、武器防具等を装備する冒険者達の姿が目に付くようになってきた。その所為か、街の様子も少し殺伐とした雰囲気になりはじめていたのである。
とはいえ、別に周囲が殺気だっているというわけではない。寧ろ、和気藹々とした感じであった。が、しかし、武器を所持する者がこうも多いと、どうしても、治安が悪く見えてしまうのである。
(ルイーダの酒場がある位置の関係上、どうしようもない事なんだろうけど……武装した冒険者が多いと、やっぱ空気が重く感じるな……。まぁ仕方ないか)
と、そこで、ミロン君の声が聞こえてきた。
「コータローさん、見えてきましたよ。あそこにある黒い看板が掛けられた赤い店が、グランマージです」
俺は馬車からひょっこり顔を出し、前方に目を向ける。
するとこの大通り沿いに、長方形の黒い看板が掲げられた、レンガ造りの赤い平屋店舗が視界に入ってきたのである。
ちなみにだが、黒い看板にはこの国の文字で『魔法薬専門店・グランマージ』と大きく書かれていた。非常にわかりやすい看板である。
「おお、あれか」
店舗の大きさはコンビニ程度なので、それほど大きくはない。が、この近辺では珍しいレンガ造りの建物なので、一際目を引く存在であった。しかも、結構繁盛しているみたいで、店に出入りする冒険者達の姿も、ここからよく見えるのである。
恐らく店内は、薬草や毒消し草などの魔法回復薬を仕入れる冒険者達で賑わっているに違いない。
(へぇ……良い感じの店だな。もっと地味なの想像してたよ。まぁそれはさておきだ。店の前にある大通りの路肩は空いているから、そこに馬車を止めてもらうとしよう。それとなるべくなら、俺1人で店に行きたい。ミロン君とラティには適当な理由をつけて、馬車で待っていてもらうとするか……)
というわけで、俺はミロン君に言った。
「ミロン君、すまないが、店の前で一旦馬車を止めて、待っていてくれるかい。すぐに戻ってくるからさ」
「わかりました。でも、なるべく早めに戻ってきてくださいね。この大通りは、あまり長い間、馬車を停車してはいけない決まりになっているんです。それに、ここはガラが悪い人達も多いので、絡まれると面倒なんですよ……」
この大通りは路駐禁止区域のようだ。どうりで空いてるわけである。
「ああ、長居はしないよ。薬を1つ買ってくるだけだからさ」
「わかりました。では、店の前で停車しますので、早めにお願いしますね」
ミロン君はスピードを弱め、店の前で馬車を止めてくれた。
そこで俺は立ち上がり、ラティにも言っておいたのである。
「ラティ、すまないけど、ミロン君と一緒に馬車で待っていてくれるか? ミロン君1人だけだと心細いだろうから」
「ええで、別に」
「悪いな。それじゃあ、なるべく早く戻るから、よろしく頼むよ」――
[Ⅲ]
六芒星の紋章が描かれたグランマージの黒い玄関扉を開くと、「チャリン、チャリン」という甲高いドアベルが鳴った。
(世界が変わっても、こういうところは同じだな……)
などと思いつつ、俺は店内に足を踏み入れる。
それからゆっくりと扉を閉め、店内に目を向けた。が、しかし……俺はそこで、思わず息を飲んだのである。
(ウッ!)
なぜなら、店内にいる殆どの客は、俺の方へと視線を向けていたからだ。注目の的というやつである。
だが俺を見て興味を失くしたのか、客達は次々と視線を戻してゆく。
そして、動画の再生ボタンを押したかの如く、店内の客達はワイワイガヤガヤと賑やかに動き始めたのであった。
俺はホッと息を吐いた。
(ふぅ……。びっくりしたなぁ、もう……。脅かすなよ。こっちは今からシビアな事しなきゃならんのだから)
いきなり注目を浴びたのでドキッとしたが、多分、ドアベルの音がしたから反射的に俺を見ただけなのだろう。
まぁそれはさておき、店内の様相だが、広さは外見と同様、コンビニ程度といった感じだ。
ただ、コンビニほど明るい店内ではない。明かりは、天井から吊り下げられた簡素なシャンデリア1つのみで、おまけに窓も無い為、若干薄暗い様相をした店内であった。
周囲の壁に目を向けると、瓶詰めされた薬が並ぶ陳列棚が幾つも置かれており、奥の壁には精算する為のカウンターがあるのが確認できる。
それから店内の中央に視線を移すと、木製の丸テーブルが幾つか置かれており、そこには今、仲間達と談笑する冒険者達の姿があるのだ。
まぁ要するにこのグランマージは、四方の壁に商品を置き、中は憩いの場という感じの店であった。
店内をさっと流し見たところで、俺は奥にあるカウンターへと向かい歩を進める。
カウンターには、ドラクエⅥのバーバラのように、頭頂部で赤く長い髪を結った黒いローブ姿の若い女性店員が1人と、赤いとんがり帽子に赤いローブという、魔法オババを思わせる出で立ちの老婆が1人いた。
そんな見た目な所為か、凄く懐かしい感じがする者達であった。久しぶり! と声をかけてやりたい気分である。
ちなみにだが、老婆は今、カウンターの隅で頬肘をつきながら居眠りをしており、女性店員は色目を使う男の冒険者達と談笑しているところであった。
若い女性店員は中々に可愛い子なので、この店の看板娘的な存在なのかもしれない。恐らく、この女性店員に群がっている野郎共は、この子狙いの常連客なのだろう。
とまぁそんな事はさておき、俺が空いているカウンターの前に来たところで、若い女性店員は野郎共との談笑を中断し、こちらへとやって来た。
「お客様、いらっしゃいませぇ。何かお探し物でしょうか?」
(さて……それじゃあ、始めるかな……)
俺はヴァロムさんからの指示を実行する事にした。
「すいませんが、ここの店主である、マジェンタさんはおられますか?」
「マジェンタですか? ええ、おりますよ」
女性店員はそう言うと、カウンターの端で居眠りしている老婆に視線を向けた。
店員は老婆に呼びかける。
「おばあちゃん、お客さんよ」
「……」
しかし、老婆は目を閉じたまま、何の反応も示さない。
そこで女性店員は仕方ないとばかりに老婆へ近寄り、少し肩を揺すりながら告げたのである。
「おばあちゃん、起きて。お客さんよ」
老婆は目を覚ました。
「ンン?、なんじゃ、メリッサ。ふわわぁ~」と、目をこすりながら、老婆は欠伸をする。
「だから、お客さんが来てるわよ」
「客? ……わしにか?」
「そうよ。こちらの方が、マジェンタさんに用があると言ってるわよ」
「ふぅ……仕方ないの」
老婆は俺を一瞥し、だるそうに返事すると、こちらにやって来た。
「お若いの。わしがマジェンタじゃが、何か用かの? 魔法薬の調合なら、孫に話してくれた方が助かるのじゃがな」
俺は一言一句間違えないよう、ヴァロムさんの指示通りに言葉を紡いだ。
「オホン、実はですね。南から来た老紳士に、パデキアの根を調合した万病に効く薬が、こちらにあると聞いたのです。本当なのでしょうか?」
俺の言葉を聞いた瞬間、老婆の目は鋭くなった。
だがすぐに元の表情へと戻り、老婆は飄々と話し始めたのである。
「ホッホッホッ、御冗談を。パデキアは幻の薬草と云われる代物じゃ。一体、何処の誰にそんな事を聞いたのか知らんが、この店にそのような物などありゃせぬわ」
「そうですか。それは残念です。では、代わりに何か良い薬は無いでしょうか? 友人が病に倒れて大変なのです」
「良い薬のぉ……まぁ、色々あるにはあるが、万病に効く薬なんぞはない。で、その友人とやらはどんな症状なのじゃ?」
「それなんですが、実は原因不明の高熱に何日もうなされておりましてね。私も非常に困っているのです」
「ふむ。何日も高熱にうなされておるのか……それは不味いのぉ。ではちょっと待っておれ。解熱の薬を探して来よう」
「ありがとうございます」
そして老婆は後ろの扉を開き、中へと消えて行ったのである。
老婆がいなくなったところで、女性店員は首を傾げ、ボソリと呟いた。
「へぇ……おばあちゃんが自分で薬を探しに行くなんて珍しい事もあるもんね。いつも大概、私に探させるのに……。明日は雨が降るかも」
どうやら、老婆が薬を探すというのは、普段ならしない行動のようだ。が、今は下手な事は言わない方がいいだろう。
(とりあえず、黙って待つとするか……)
それから待つ事、約5分。
老婆は黒い茶筒のような物を片手に戻ってきた。
そして筒をカウンターの上に置き、商品の説明を始めたのである。
「長引く高熱なら、このソルという飲み薬がいいじゃろ。これは、わしが随分前に調合した物じゃが、まだ効果はある筈じゃ。中に説明書きが入っておるから、それを見て、お主の友人とやらに飲ませてやるといい」
「ありがとうございます。御代は幾らでしょうか?」
「ふむ、そうじゃな。5Gでよいぞ」
「わかりました」
俺は5Gをカウンターに置く。
「毎度あり。その友人が元気になるといいの」
と言って老婆は意味ありげに微笑んだ。
「ええ、本当に……」
恐らくこの老婆は、ヴァロムさんの事をよく知っているのだろう。
こんな事を頼むくらいだから、親しい友人なのかもしれない。
などと考えていたその時であった。
【おい、糞ガキ! もう一度言ってみろ!】
店の外が、何やら騒々しくなり始めたのである。
老婆は玄関へと視線を向ける。
「ン、なんじゃ、店の前で喧嘩か? ったく、血の気の多い連中が最近多くなってきたのぉ」
(もしかして……この怒声は……)
俺は非常に嫌な予感がした為、とりあえず、この店を後にする事にした。
「では、私はこれで」
「うむ。お大事にの」――
[Ⅳ]
店の外に出ると、俺達の馬車の周りを数名の輩が取り囲んでいた。
そいつ等の対応に追われるミロン君とラティの姿が目に飛び込んでくる。
ちなみにそいつ等は冒険者のようで、戦士系の男が2名に盗賊系の男が1名、そして魔法使い系の男女が2名といった構成であった。
見るからに素行の悪そうな者達で、特に戦士と思われる2人は、筋肉がムキムキの上に妙なタトゥーを腕に入れており、強面の奴等であった。なので威圧感も半端ない。
しかも、1人はデカい図体でスキンヘッドであった為、如何にも悪人といった雰囲気を醸し出しているのである。啖呵を切っているのもこの戦士であった。で、残りの奴等はというと、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら腕を組み、それを眺めているのである。
とまぁそんなわけで、冒険者というよりも、ゴロツキと形容した方がいい奴等に、ミロン君達は絡まれているのであった。とんだ災難である。
(はぁ……また、面倒そうな奴等に絡まれたもんだ)
と、そこで、ラティの声が聞こえてきた。
「おい、禿げのオッサン。この兄ちゃんも今言ったけど、馬車にぶつかってきたんは、お前等の方やんけ。大体、止まってる馬車にぶつかる方がどうかしてるで。どこに目ぇつけとんねん」
「ああん、なんだとぉ! ここはなぁ、馬車を止めたらダメな決まりになってんだよ。そんな所に馬車止めた、テメェ等が悪いんだ。どうしてくれんだ、腕を擦りむいちまったじゃねェか!」
戦士はそう言って、右腕にある擦り傷を見せた。
つまりこの男の言い分は、駐車禁止の所に止めてある馬車にぶつかって腕を擦りむいたのだから、俺達が悪いということのようである。
まぁ確かに、路駐禁止区域に一時的にとはいえ停車してしまったので、こちらにも非があるのは認めねばならないだろう。
(仕方ない。穏便に済ませる為にも、ここは謝っておくか……俺も変な騒ぎになって目立ちたくはないし……)
というわけで、俺はとりあえず彼等に近寄り、まずは謝ることにした。
「あのぉ、ちょっといいですか?」
スキンヘッドの戦士は俺に振り向く。
「ああん、何だ、テメェは」
「この馬車の持ち主です。ここが、駐車禁止区域だとはつゆ知らず、止めてしまったのです。申し訳ありませんでした」
「テメェが、この馬車の持ち主か。どうしてくれんだよ、この腕の傷! テメェがここに止めるから、こんな事になったんだよ」
戦士はそう言うと、俺にかすり傷を見せつけてきた。
ちなみにだが、傷は猫が引っ掻いた程度のモノであった。
こんなんで言いがかりつけんなよ……とは思ったが、仕方がないので、とりあえず治療する事にした。
「では治療しますね。ホイミ」
傷が完全に消えたところで、俺は戦士に言った。
「これで、許してもらえないでしょうか。なにぶん、王都は初めてのものなので、勝手がわからないのです。とりあえず、次からは気を付けますんで」
「なんだと、こんな事で許すと思ってんのか」
「……では、どうしたら許してもらえますか?」
「決まってんだろ、コレだ」
男はそう言ってOKのサインをした。
多分、金を出せと言ってるのだとは思うが、俺はあえて惚けておいた。
「コレってなんですか? 何のことを言ってるのか、さっぱり分かりません」
「金に決まってんだろ。迷惑料で1000Gだ」
もしかするとこいつ等は、駐禁に止めてある馬車を狙う、当たり屋なのかもしれない。
「お金ねぇ……。1つお訊きしますが、その1000Gという額は、何を根拠にだされたのでしょうか? 正直、意味が分からないのですが」
「何を根拠にだとッ! 俺が迷惑したと思う金額に決まってんだろ。ケンカ売ってんのか、テメェは!」
「じゃあ、俺が思う迷惑料は10Gですので、それで勘弁してくれませんかね。薬草代くらいにはなるでしょ。それに、ここは短い時間なら止めても問題ない筈。俺達の馬車はついさっき止めたばかりですから、こちらにもそれほど落ち度はあると思えないんですけどね」
ミロン君とラティも俺に続いた。
「そうですよ。僕達はついさっき止めたばかりなんです。そんな事を言われる筋合いないですよ」
「せやせや、ワイ等はここに来たばっかやで、このスカタン。デカい図体して、頭カラッポかいな」
(言い過ぎだ、ラティ……)
すると案の定であった。
スキンヘッド戦士はワナワナと身体を震わせ始め、腰に帯びた鋼の剣を鞘から抜き放ったのである。
「テ……テメェ等ッ!……殺されてぇのか。俺を舐めるなよ」
この戦士が剣を抜いた瞬間、周囲の仲間達も身構えた。
どうやら、俺達の対応如何によって、武力行使をするつもりのようだ。
俺はそこで、溜め息を吐いた。
「はぁ……次は脅迫ですか。どうやら、貴方がたは冒険者のような格好をしてますが、そうではないみたいですね」
(ああ、超うぜぇ……ラリホー2発かまして、とっととトンズラしよう。馬鹿にかまっている時間がもったいない)
などと考えていると、いつのまにか周囲に集まっていた野次馬達の中から、大きな声が発せられたのであった。
【その辺にしておけ、ボルズ!】
「ああん、誰だ? 俺の名前を呼ぶ奴は」
スキンヘッド戦士は、声のした方向に視線を向けた。
俺もそこに視線を向ける。
すると野次馬達を掻き分け、茶髪の若い男の戦士が1人現れたのである。
歳は20代後半といったところだろうか。ベリーショートのように短くカットした髪型で、爽やかな雰囲気が漂う男であった。身長も高くて精悍な顔つきなので、かなり女子からモテそうなイケメンである。
また、鋼の鎧や鉄の盾といったそこそこの重装備をした戦士であり、それらは長い年月愛用されているのか、部分的に少し色褪せていた。
とまぁそんなわけで、要約すると、かなり修羅場を潜ってそうな、やり手のイケメン戦士がそこに現れたのである。が、しかし……それと同時に、見覚えがある男でもあった。
(あの男……オヴェール湿原で俺が治療した冒険者の1人だ……)
ふとそんな事を考えていると、スキンヘッドの戦士の驚く声が聞こえてきた。
「ラ、ラッセル!」
「その御仁は、俺の知り合いだ。この場を見た以上、俺も黙って見ているわけにはいかん。即刻、退いてもらおうか、ボルズ」
「グッ……」
スキンヘッドの戦士は、苦虫を噛み潰したかのように顔を顰めた。
それから俺を一瞥し、忌々しそうに口を開いたのである。
「こいつ等は、あ、あんたの知り合いか?」
「そうだ。大変世話になった恩人だ。お前がこれ以上続けるならば、俺も手を出さざるを得ん。バルジの弟とはいえ、覚悟してもらうぞ」
男は腰に帯びた剣の柄に手を掛ける。
するとそれを見たスキンヘッドの戦士は、渋々、剣を鞘に納めたのである。
「……いいだろう。この場は退いてやる。おい、行くぞ、お前達」
そして、スキンヘッドの戦士は仲間達と共に、この場から立ち去ったのであった。
ゴロツキ風の冒険者達がいなくなったところで、周囲にいた野次馬達も霧散し始める。
それから程なくして、大通りは元の状態へと戻っていった。
俺はそこでラッセルと呼ばれた戦士の前に行き、礼を言う事にした。
「ありがとうございました。いや~、お蔭で助かりましたよ。私も対応に困っていたんです」
男は柔らかい笑みを浮かべ、頭を振る。
「いえ、礼には及びません。貴方には命を救ってもらいました。こんな事では返し足りないくらいです」
「返し足りないだなんて……。そんなに気にしないで下さい。あれは偶然通りがかったからなんですし」
「そうなると、私も偶然通りがかったからという事になりますよ」
「……ですね。まぁこれも何かの縁なのでしょうか。はは」
俺はポリポリと後頭部をかいた。
男は微笑む。
「かもしれませんね」
と、ここで、ミロン君とラティがこちらにやって来た。
「あの、先程はどうもありがとうございました」
「にいちゃん、ありがとう。ごっつ助かったわ。さっきの凶暴な奴、聞く耳もたへんかったから、ワイ等も困っとったんや」
「ああ、気にしないでいいですよ。貴方がたは命の恩人ですからね」
ラティは意味が分からないのか、ポカーンとしていた。
「は? 命の恩人?」
「そういえば、ラティは初対面だな。昨日、オヴェール湿原で色々とあっただろ。この方はね、そこで俺が治療した冒険者の1人なんだよ」
「おお、そういえば、そんな事があったなぁ。なんや、そうやったんか」
「あの……お身体の方は、もう大丈夫ですか?」と、ミロン君。
「ああ。君達のお蔭で、大分回復したよ。この通りさ」
男はそう言うと、右肘を曲げて力こぶを作った。
中々の筋肉である。流石に戦士といったところだ。
ミロン君は安堵の表情を浮かべる。
「それは良かったです。安心しました」
俺も同じ気持ちである。
この人は結構出血が多かったので、少し心配だったのだ。
「おっと、そういえば自己紹介がまだでしたね。私はラッセルと言います。王都を拠点に活動している冒険者です」
俺も名乗っておいた。
「私はコータローと言います。一応、私も冒険者です」
「僕はミロンと言います。宮廷魔導師見習いです」
「ワイはラティや。よろしくな、ラッセルはん」
「ああ、よろしく。ところで、コータローさん。今、冒険者と仰いましたが、それは本当ですか?」
「ええ、そうですが……それが何か?」
するとラッセルさんは、そこで少し思案顔になったのである。
「昨日、コータローさんは魔導の手を使っておられたので、てっきり、有力貴族に仕えている魔導師の方だと思っていたのですが……違うんですか?」
考えてみれば、魔導の手はそういった事の判断材料になる装備品だ。
便利なアイテムだが、これは要注意である。
「はは、まさか。正真正銘の冒険者ですよ。ルイーダの酒場で登録もしてますしね」
俺はそこで、首に掛けたドッグタグをラッセルさんにチラっと見せた。
「冒険者登録証……本当なんですね」
「ええ。でもまぁ、私は流れ者みたいなもんですからね。ルイーダの酒場に登録してようがしてまいが、常に冒険者みたいなもんですよ。ははは」
「そうですか……。ところで、コータローさん達はこれからグランマージに?」
「いえ、それはもう終わりました。今さっき、グランマージで用事を済ませてきたところですから」
「それでは、もう帰られるのですか?」
「ええ。特別な用事もないですし、そうなりますかね」
するとラッセルさんは、大通りの先を指さしたのである。
「もしお時間があるのならですが、これからルイーダの酒場で食事なんてどうですか? もうそろそろ昼ですし」
「ルイーダの酒場ですか……」
確かに腹も減ってきたところだが、俺だけの都合で決めるわけにはいかないので、まずは同行者の意見を訊く事にした。
「どうする?」
「僕は構いませんよ。ウォーレン様からは、今日一日、コータローさんのお手伝いをするようにと言われておりますので」
「ワイもかまへんで」
話もまとまったので、俺は返事をした。
「ではラッセルさん、行きましょうか」
「決まりですね。昨日の事もありますので、お礼も兼ねて御馳走させて頂きますよ」
とまぁそんなわけで、俺達はルイーダの酒場へと向かう事となったのである。
Lv36 邂逅の酒場・ルイーダ
[Ⅰ]
グランマージから100m程行った所にルイーダの酒場はあった。
それと付近に厩舎もあったので、俺達はそこで馬車を預かってもらい、酒場へと向かったのである。
酒場の前に来たところで俺は立ち止まり、建物を眺めながらボソリと呟いた。
「へぇ、マルディラントにあるルイーダの酒場とそっくりな建物だな。まぁ、規模はこっちの方が大きいけど」
やはり、それだけ冒険者の数も多いという事なのだろう。
「ルイーダの酒場は誰が見てもわかるように、どの地域でも同じような外観なんですよ。ここは冒険者への依頼を一手に引き受ける場所であり、尚且つ、沢山の冒険者が必ず寄るところですからね」と、ラッセルさん。
「なるほど、確かにそうですね」
これは頷ける話であった。
考えてみれば、この世界における冒険者の役割は、何でも屋である。
聞いた話によると、護衛や魔物退治や捜索や探索だけでなく、危険地帯に荷物を届ける宅配業務まで請け負う事もあるそうだ。
俺が住んでいた現代日本でそれらの業務を行なうには、警察や自衛隊に私立探偵、警備保障会社、猟友会、そして運送会社等の力が必要だが、この世界においては冒険者がそれを一手に引受けているのである。
つまり、この世界における冒険者というのは、人々の生活に密接に関わっている為、社会構造的に斬っても切り離せない重要な職業なのだ。
その為、それらを一元管理するルイーダの酒場は、誰が見てもわかる存在でなければならないのだろう。
「さて、それでは中に入りましょうか、コータローさん。ここで待っていても、料理は出てきませんからね」
「ですね」――
ルイーダの酒場に入った俺達は、幾つかある空きテーブルの1つへと移動する。
ちなみに中も、マルディラントにあるルイーダの酒場とそっくりな内装であった。多分、内装も外装も統一させているのだろう。
まぁそれはさておき、テーブルに備え付けられた木製の椅子に全員腰掛けたところで、まずラッセルさんが口を開いた。
「さて、それじゃあ、遠慮せず注文してください。今日は俺が奢りますから」
「何かお勧めの料理ってあるんですかね?」
「お勧めってほどでもありませんが、ここで今、人気のある料理というと、ラパーニャですかね」
「ラパーニャ? どんな料理ですか?」
聞いた事のない料理であった。
「ラパーニャは、500年ほど前にアマツクニから伝わったと云われるコメという穀物と、この地方で採れた野菜や魚介類を使った料理です。少し辛いかもしれませんが、中々美味いですよ」
コメ……って米か?
だとしたら久しぶりに食べてみたいところである。
つーわけで、もう確定だ。
「へぇ、そうなんですか。じゃあ俺はそれにします。ミロン君とラティはどうする?」
「僕もそれで」
「ワイはそれに加えて、バンバの実の盛り合わせやな」
「わかりました。ではそれらに加えて、肉を使った他の料理を幾つかとヴィレアも一緒に注文しますね」
ヴィレアとは、このイシュマリアで庶民に広く飲まれている酒で、簡単に言うと、少し甘味のある常温のビールみたいなものだ。
冷えてないのがアレだが、弱い炭酸ガスが湧いてるので、まぁまぁなのど越しの酒である。
味もビールに似ているので、もしかすると、中世ヨーロッパで庶民によく飲まれていたという、エール酒に似た物なのかもしれない。
「ええ、お願いします」
ラッセルさんはその後、酒場の給仕を呼び、料理を注文していった。
そして俺はというと、椅子の背もたれに寄りかかり、大きく背伸びをしながら周囲に目を向けたのである。
酒場内は今が昼時という事もあり、かなり賑わっていた。
デカい口を開けて大きな笑い声を上げる冒険者達のグループが、そこかしこに見受けられる。
またそれと共に、忙しそうに駆け回る給仕達の姿も視界に入ってきた。
ゲームではパーティ編成の為にしか来なかったが、リアルだと、まさに酒場といった感じである。
「普通の酒場は夜だけが忙しいんでしょうけど、ルイーダの酒場は昼も夜も賑やかですねぇ」
「ここは酒場と名乗ってはおりますが、冒険者への仕事の斡旋所でもありますからね」
ラッセルさんの言う通りである。
酒場とついてるので、そこが紛らわしいところだ。
「ところでコータローさん、先程、マルディラントと言ってましたが、もしかして、マール地方から来られたんですか?」
「ええ、そうですよ」
「では、オヴェール湿原の敵には相当苦労されたんじゃないですか? 他の街道と比べると、アルカイム街道側はここ最近、新種の手強い魔物が増えてますからね。特に、あのオヴェール湿原の辺りは今、熟練の冒険者でも命を落とすことがある区域ですし」
今の話を聞く限りだと、どうやら俺達は、最悪な道順で王都に来たのかもしれない。
ピュレナを抜けてから他の旅人と出会う事は、ほぼ無かったので、俺もおかしいなとは思っていたのだ。
「仰る通り、凄く苦労しましたよ。魔法に抵抗力のある魔物も多かったですからね」
と、ここで、ラティが話に入ってきた。
「でも、そこまで危ない局面は無かったんちゃうか? コータローって、敵の弱い部分を見抜くの上手いから、結構すんなり倒してた気がするけどな」
「そうでもないよ。俺も戦闘の時は、ハラハラしてんだから」
(余計な事を言うな、ラティ……)
すると案の定、ラッセルさんが反応してきたのである。
「え? コータローさんは、魔物の弱点を見抜くのが得意なのですか?」
「別に得意ってわけじゃないですよ。たまたまかも知れませんから」
「そういえばウォーレン様が言ってましたよ。コータローさんは状況を的確に判断できる男だって」と、ミロン君。
「は? なんで? そんな風に思われるような事したっけか」
意味が分からん。
「昨日、ラッセルさん達の治療を終えた後に、また魔物がやって来たじゃないですか。あの時、コータローさんは魔物達の移動する速さを見て、瞬時に逃げる選択をされたからですよ」
「そんなに驚く事か? あれはどうみても俺達が不利だったからだよ」
「でもウォーレン様はあの時、戦うか逃げるか、少し迷ったらしいんです。一度追い返している上に、新たな戦力として、コータローさん達もいたので」
「いや、俺達がいても犠牲者が増えただけだよ。例え、勝てたとしてもね。大体、ベギラマを使う魔物があんなに沢山いたんじゃ、回復が追いつかない。それにウォーレンさんも言ってたじゃないか、ミロン君の魔力が尽きた上に、薬草も尽きたと。つまり、あの状況下での回復手段は限られていたわけだから、逃げられるのなら、逃げた方がいいんだよ」
「ええ、その通りです。ウォーレン様もコータローさんの忠告を聞いて、それに気付かされたと言ってました。だからですよ」
ラティはニカッと俺に微笑んだ。
「へへ、第1級宮廷魔導師にそないな事言われるなんて、やるやんか、コータロー」
「褒めても何も出んぞ」
「下心なんてないって。ワイの素直な気持ちや」
俺達がそんなやり取りをしていると、ラッセルさんは肩を落とし、悲しげな表情になったのである。
「……俺もあの時、コータローさんのようにしっかりとした判断を下す事が出来れば……。そう思うと、悔やんでも悔やみきれない。そうすれば、仲間をあんなに惨い死に方させずに済んだかもしれないんだ……何で俺は……うぅぅ」
と、その直後、俺達のテーブルだけがシーンと静まり返ったのである。
ミロン君とラティも少し表情を落としていた。
明らかに、余計な事を言ってしまったという表情である。
(流石にこの空気は重いな。話題を変えた方が良さそうだ。何の話をしよう……ン? お、グッドタイミング!)
丁度そこで、こちらに向かって料理を運ぶ2人の給仕が見えた為、俺はこれ幸いと皆に伝えたのであった。
「どうやら、料理が来たようだね」
ラティとミロン君も同じ思いだったのか、俺に続く。
「アッ、ホ、ホンマや。美味そうな料理が来たでぇ。ええニオイがしてきたわぁ。楽しみやわぁ」
「ほ、本当だ。美味しそうですね」
給仕達は俺達のテーブルにやってくると、料理や飲物にスプーン、取り皿だと思われる小皿などを次々と並べてゆく。
と、その時、俺は1つの料理に思わず目が行ったのであった。
なぜなら、パエリアのような見た目の具沢山な米料理が、大きな木の皿に盛られていたからである。
俺はこれを見た瞬間、心の中でガッツポーズをした。
(ウホッ! これ米や、ライスや、ご飯や! 久しぶりに米料理が食べられるぅ!)
そのご飯は一粒一粒に張りと艶があり、熱いのか、ほんのりと湯気も立ち昇っていた。出来立てホカホカといった感じだ。
ただ、色が少し茶色がかっていたので、やや塩辛そうではあった。が、若干カレーに似た香りがするので、もしかするとドライカレー風味のコメ料理なのかも知れない。ちなみにだが、ドライカレーは好きな料理である。
だがそうはいうものの、少し気になる点もあった。
それは何かというと、料理に使われている米は日本人が食べるジャポニカ米ではなく、東南アジアとかヨーロッパで食べられているインディカ米のような細長い品種だったからだ。
(この米、なんかタイ米みたいな形だな……が、まぁいい。本当は日本のコシヒカリが食べたかったところだが、今は贅沢は言えん。とりあえず、米が食べられるので良しとしよう)
全ての料理がテーブルに置かれたところで、ラッセルさんは仕切り直しとばかりに皆に言った。
「さっきはすいませんでした。唐突に暗い話になってしまい。さて、それでは今日は私が奢りますので、どんどん食べてください。それと、こちらの料理が先程言ったラパーニャです」
思った通り、ラパーニャは目の前にある米料理のようだ。
ラッセルさんは続ける。
「それから、もし追加で欲しい物があったならば、遠慮なさらずに言ってくださいよ」
「お気遣いありがとうございます。では、お言葉に甘えさせてもらいます」
そして俺達は料理に手を伸ばしたのであった。
俺はまず、パエリアのようでいて、仄かにカレーの香りが漂うラパーニャから食べる事にした。
皿に備え付けられた取り分けスプーンを手に取り、ラパーニャを自分の取り皿へと移してゆく。と、その際、粘りの無いパラパラとした米が、俺の取り皿に降り注いだ。予想していた事だが、やはり、インディカ米のような特性の米のようだ。
まぁそれはさておき、まずは料理の味である。
俺は早速、ラパーニャを食べてみる事にした。
木製のスプーンを使い、艶と張りがあるラパーニャを掬い上げ、口の中へと持ってゆく。
すると次の瞬間、懐かしい食感と共に、少しピリッとくるやや塩辛い味が口の中に広がったのである。
それに加え、カレーのような風味と、食材からでたであろう、ほんのりとした甘みが、俺の舌を包み込んだのだ。
初めて食べる料理であったが、一口食べただけで、美味いとわかった。
俺は思わず、感嘆の言葉をこぼしていた。
「う、美味い。……美味いわ、これ」
「本当ですね。美味しいです」
ミロン君も驚いていた。
この様子だと、初めて食べる料理なのだろう。
「そんなうまいんか。ほな、ワイも食べてみよ」
俺達の感想を聞いたラティは、そこで長い尻尾を器用に使ってスプーンを掴み、ラパーニャを自分の口へ持ってゆく。
それからモグモグと噛みしめると、俺達と同じ反応をしたのである。
「お、ホンマや。これ、美味いわ。ええやん、ええやん。素敵な味やんか」
ラッセルさんはそんな俺達を見て微笑んだ。
「皆さんのお口にあったようで、良かったです。ン?」
と、そこで、女性の声が聞こえてきたのである。
【ラッセルじゃない。身体の方はもう良いの?】
俺達は食べる手を休め、声の聞こえた方向に振り返る。
するとそこには、見覚えのある若い女性が2人立っていたのだ。
1人はボーイッシュな髪型をした金髪の女性で、もう1人は長く赤い髪をポニーテールにした女性であった。
2人共スリムな体型で、上はスポーツブラジャーのような衣服に、下はホットパンツのような物を穿いていた。また、両足には太腿まである皮のブーツを履いており、腰のベルトには道具袋と短刀が備わっているのである。
簡単に言うと、ドラクエ8のゲルダに似た、肌の露出が多い格好である。
年齢はどちらも20歳前後といったところで、背丈も良く似ていた。見た感じだと、身長150cmくらいだろうか。
また、中々に可愛らしい顔つきをしている上に、身体のラインもセクシーなので、少し小悪魔的な魅力を感じさせる女性達であった。
とまぁそれはさておき、2人は俺の顔を見た瞬間、目を見開き、驚きの声を上げた。
「あ、貴方は昨日の!」
「え? なんで、貴方がここに……」
「おお、シーマにマチルダじゃないか。丁度良かった。コータローさん、紹介するよ。こっちの髪の短い方がシーマで、髪の長い方がマチルダです。もう気づいているかも知れませんが、2人共、俺の仲間です」
とりあえず、俺は自己紹介をする事にした。
「昨日はどうも。今、ラッセルさんが仰いましたが、私の名前はコータローといいます。先程、大通りで色々とありましてね、その時の流れで昼食をご一緒させて頂くことになったんですよ」
「僕はミロンです」
「ワイはラティや」
するとシーマさんとマチルダさんは、慌てて昨日の礼を言った。
「あ、あの、昨日はどうもありがとう。貴方達のお蔭で命拾いしたわ」
「昨日はゴメンなさいね……お礼も言えなくて。改めてお礼を言うわ。助けてくれてありがとう」
「ああ、いいですよ。気にしないでください」
「それはそうと、今日はどうしたんだ? 依頼を探しに来たのか?」
2人は頭を振る。
「ううん。私達も食事に来たところよ」と、シーマさん。
「そうか……じゃあ、席はまだ3つ空いてるし、そこに座ったらどうだ?」
ここでシーマさんが俺に訊いてきた。
「ラッセルはこう言ってるけど、ご一緒させてもらってもいいかしら?」
「全然、いいですよ。気にせず、お座りになってください」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわ」
シーマさんとマチルダさんが椅子に腰かけたところで、ラッセルさんは2人に話しかけた。
「今日の夕方だったな、フェリクスやバネッサ達の葬儀は……」
するとシーマさんは少し涙ぐみ、絞り出すように言葉を紡いだ。
「ええ……。実は私達、馬車の中に置きっぱなしになっていたフェリクスの形見の剣を、さっき家族に返してきところなの。彼の愛用してた剣だったから……埋葬される前に返さなきゃと思って……」
「そうか。で、エレンは今どうしてる?」
「私達が行った時、彼の棺の前で泣き崩れていたわ」
「……無理もない。最愛の恋人に旅立たれたのだからな。今はそっとしておこう」
「ええ」
ラッセルさん達の悲しい話を俺達は黙って聞いているだけであった。
しんみりとした重い空気になっているのは言うまでもない。
だが、冗談を言って和ます空気でもないので、ここはもう黙っているしかないのである。
「ところで、ラッセルは動いて大丈夫なの? 昨日は結構酷い怪我してたけど」と、マチルダさん。
「ああ、それは大丈夫だ。コータローさん達のお蔭で、今はこの通りさ」
ラッセルさんはそう言って、ガッツポーズをした。
「よかった。じゃあ、リタの方はどう?」
「妹も体調は戻ってきたみたいだが、バネッサがあんな事になったからな……今はどちらにしろ休養が必要だ」
「リタはバネッサを姉のように慕っていたから辛いでしょうね……」
マチルダさんはそう言って溜息を吐いた。
「ああ」
どうやらラッセルさんには妹がいるようだ。
もしかすると、あの時、隣で倒れていた女戦士の事かもしれない。
というわけで俺は訊いてみた。
「妹さんというのは、俺が治療した時、隣にいた方ですか?」
「ええ、そうです」
思った通りだ。
気が強そうな顔ではあったが、中々に綺麗な女性だったのを覚えている。つまり、美男美女の兄妹ということだ。羨ましい限りである。
ラッセルさんは続ける。
「コータローさんの治療もあって、怪我の方は大丈夫だと思うんですが、あの時、大切な友人を失くしてしまいましてね……。それで、リタは精神的に参ってしまっているんです。なので、今しばらくは、そっとしておこうと思ってます」
「そうですか。……心の傷を癒すには時間が必要ですからね。お大事になさってください」
「お気遣いありがとうございます」
と、ここで、ラティが話に入ってきた。
「ごめん、話は変わるんやけど、ラッセルはん達のパーティ階級って、なんぼなん?」
「俺達のパーティは第2級だ。まぁ所謂、金の階級というやつだな」
「ほえ~金の階級なんか。凄いなぁ。ベテランやんか」
そういえば、王都に来るまでの道中、冒険者にも階級があるとアーシャさんが言っていた。
だがそれらは個人に対して与えられるものではなく、パーティに与えられるものらしい。なんでも、依頼を達成した成績によって上の階級にいける仕組みだそうだ。
そして階級が上がるに従い、実入りの良い大きな仕事を引き受ける事が出来るようになるみたいである。
また、階級は1級から4級まであり、それらは色によって区別されているらしい。
ちなみに4級が青銅で、3級が銀、2級が金で、1級が白金となっているそうだ。ある意味、某聖闘士漫画のような階級設定である。
まぁそれはさておき、ラティは話を続ける。
「しかし、ラッセルはん達みたいな金の階級の冒険者が、こないに酷い目遭うなんてなぁ……。これじゃ、皆、オチオチ旅も出来へんようになるで。一体これからどうなるんやろ、このイシュマリアは……」
ラティの言葉を聞き、テーブルにいる者達は全員、溜息を吐いた。
「ああ、全くだ。この国は、一体どうなるんだろうな……。俺達も新手の強力な魔物に対応できるよう、他の冒険者達と共同で依頼を受けたのだが、あの有様だった。あんなに強力な魔物が沢山現れたら、流石にもう、お手上げだ」
ラッセルさんはそう言うと、疲れた表情を浮かべた。
俺は今の話で気になる点があったので、それを訊ねる事にした。
「今、他の冒険者達と共同で依頼を受けたと言いましたが、普段は何名で行動しているのですか?」
「俺達ですか? 6名です。一応言いますと、俺と妹のリタ。それと、ここにいるシーマとマチルダ。それからここにはいませんが、エレンという名の魔法使いと、フェリクスという名の戦士を加えた計6名で俺達は普段行動してました。まぁ昨日、1名亡くなりましたが……」
「そうですか……。では昨日亡くなった殆どの方々は、いつも行動する方達ではないのですね?」
「まぁ確かにそうですが、全く知らない冒険者ではなく、親しい間柄の者達ですよ。以前、俺達が良く面倒を見ていた後輩の冒険者達ですから」
「後輩の冒険者達ですか……なるほど。ではもう1つ。さっき、『俺達も』と仰いましたが、王都では他の冒険者達と共同戦線を張る事が多いのですか?」
これにはシーマさんが答えてくれた。
「ええ、その通りよ。以前はそうでもなかったんだけど、ここ最近、王都では未知の強力な魔物が出現するようになって、名うての冒険者達ですら命を落としているのよ。だからルイーダの酒場では、このアムートの月に入ってからというもの、難易度の高い依頼を受ける際は、10名以上の集団で行動するように注意を促しているのよ」
「そうだったんですか。まぁ確かに、この近辺の魔物はかなり強かったですからね。俺達も王都に来るまでの道中、結構、魔物に苦労したんでわかりますよ」
マチルダさんは溜め息を吐き、ボソリと言った。
「はぁ……嫌な世の中になったものね。私達もそのお陰で酷い目にあったし。しかも最近じゃ、イシュマリア城内の様子も変だって言うしね。ほんと……どうなっちゃうのかしらね、この国は……」
「オルドラン家のヴァロム様が投獄されたという件ですか?」と、俺。
「まぁそれもだけど、王様の様子もおかしいって噂だし、おまけに、次期国王と言われているアヴェル王子も、やる気がないのかフラフラしてるっていうからね。この国の先行きが、本当に不安だわ」
「国王だけでなく、王子の様子も変なのですか?」
「アヴェル王子は元からよ。でも、幾ら王位継承権第1位とはいえ、フラフラとやる気がないんじゃねぇ……。今では、弟君のアルシェス王子の方が、国王になるのではないかという噂よ。アルシェス王子もデインを使えるしね。それに教皇や大神官達からの評判も上々みたいよ」
「え? 継承順位を飛ばすなんて事できるんですか?」
これにはミロン君が答えてくれた。
「この国の王位継承は、建国以来、戴冠式の前に教皇から事前承認を得るのが習わしなのです。ですから、アズライル猊下が望まぬ場合は、そういう事もあり得るかも知れませんね。とはいえ、今までそんな事は無かったそうですが……」
「へぇ、そうなんだ。教皇って凄い権力もってんだね。王位継承にまで影響力あるなんて」
「そうなのよ。だから、影の王と言う者までいるわ」と、マチルダさん。
「影の王ですか……」
そういえば以前、聞いた事がある。
中世ヨーロッパでも皇帝に即位となると、神から冠を戴くという名目を得る為に、教皇の承認を得ていたような事を。
今の話を聞く限り、恐らく、それに近い宗教儀礼なのだろう。
「ふぅん。ところで今、デインという名前が出てきましてけど、その魔法を使える王族って、他にもいるんですかね?」
マチルダさんは頷く。
「ええ、いるわよ。王は5人の子供を授かったのだけど、確かその内の3人が、デインを使える筈よ」
「デインを使えるのは、アヴェル王子と弟君のアルシェス王子、それから次女のフィオナ王女ですね」と、ミロン君。
フィオナ王女……確か、ピュレナで沐浴の泉を見学しに行ったときに遭遇した、あの綺麗な女性だ。
あの子もデインを使えるみたいである。
「王様以外に3人もデインを使えるのか。思ったより多いね」
ミロン君は頷く。
「過去に例がないそうですよ。今までだと、デインを使える王位継承候補者は、多くても2人だそうですから。なので、アズライル猊下や大神官達も、それを知って大変驚いたそうですよ」
「へぇ……ン?」
と、その時であった。
【ラッセル!】
またラッセルさんの名を呼ぶ声が、近くから聞こえてきたのである。
俺達は声の聞こえた方向に視線を向けた。
するとそこには、青いの鎧に身を包む、口髭をはやした男前な戦士が立っていたのだ。
身長や歳はラッセルさんと同じくらいで、長い金髪をうなじで束ね、額にはドラクエⅢの勇者を思わせるサークレットを装着していた。
鍛えられた肉体が鎧の肩口から見え隠れしており、全体的な印象としては、武人といった雰囲気が漂う男であった。
ちなみにだが、この青い鎧は多分、魔法の鎧だろう。マルディラント守護隊の鎧と非常に似ているので間違いない筈だ。
まぁそれはさておき、ラッセルさんは男に返事をする。
「おお、バルジか。どうしたんだ?」
「聞いたぞ、ラッセル……色々と大変だったようだな」
男はそう言って、こちらへとやって来た。
「ああ、酷い目に遭ったよ」
「そうか……」
と、そこで、シーマさんが男に話しかける。
「久しぶりね、バルジ」
「おお、シーマとマチルダもいたのか。久しぶりだな。ところでラッセル、ココ、今、空いているか?」
男は俺とミロン君をチラ見した後、空いてる席を指さした。
ラッセルさんは俺に視線を向ける。
「いいですよね、コータローさん?」
「構いませんよ。どうぞ」
「じゃあ、座らせてもらうか。お~い、そこにいる給仕のネェちゃん。ちょっとこっちに来てくれ」
「はい、ただいま~」
付近にいた給仕の女の子は、小走りでコッチにやって来た。
「ご注文ですか?」
「ああ。まずは酒だな。ヴィレアの特大を1つと、それから料理はここにあるのと同じのを頼む」
続いてシーマさん達も注文をする。
「ついでだから、私達も同じのをお願いするわ。そのかわり、私達のヴィレアは普通のでね」
「はい、畏まりました。では少々お待ちください」
給仕の女の子が去ったところで、男は声のトーンを少し下げ、静かに話し始めた。
「さて……昨日の今日でこんな話をするのもアレだが……お前達ほどの冒険者が手こずるなんて、一体どんな魔物と出遭ったんだ?」
ラッセルさんは暫しの沈黙の後、元気なく口を開いた。
「……ベギラマやマホトーンを使ってくる羽が生えたサーベルウルフみたいな魔物と、首に羽を生やした紫色の大蛇だ。どちらも初めて見る魔物だったが、強さは今まで見てきた魔物と段違いだった。俺達は奴等に致命傷も与えられず、成すすべなくやられたのだからな。あの時、宮廷魔導師のウォーレン様が通りかからなければ、俺達は全滅していただろう……」
「そうか……。もしやと思ったが、やはり、新種の魔物だったか」
「バルジ達は、まだ新種の魔物とは遭遇してないの?」と、マチルダさん。
「まぁ遭遇はしたことはあるが、今のところ、対応できる範囲内の魔物ばかりだ。しかし、ここ最近、上級の冒険者達が相次いで命を落としている事を考えれば、俺達も何れ、強力な魔物に出遭うのは避けられんだろうな。……嫌な世の中になっちまったもんだよ」
「本当よね……」
「それはそうとラッセル、身体はもういいのか? 怪我をしたと聞いたが」
「ああ、もう大丈夫だ。昨日、そこにいるコータローさんに治療してもらったのでな」
男は俺に視線を向ける。
「おお、貴方がラッセルの治療をされたのか。友人を助けてくれた恩人ならば、礼を言わねばなるまい。ラッセルを救って頂き、感謝する」
「いえいえ、お互い様ですから、そんな気にしないでください」
「ついでだ。名乗っておこう。俺の名前はバルジという。このオヴェリウスで活動する冒険者だ」
バルジ……そういえば、さっき大通りで、ラッセルさんがこの名前を口にした気がする。
確か、あのスキンヘッド野郎の兄貴の名前だったか……。
まぁとりあえず、本人かどうかはわからないので、今は置いておこう。
つーわけで俺も自己紹介をしておいた。
「私はコータローと言います。私も一応、冒険者です」
ミロン君とラティも、俺に続いて自己紹介をした。
「僕はミロンと言います。宮廷魔導師の見習いです」
「ワイはラティや。ヨロシクな、バルジはん」
「ああ、ヨロシクな。しかし、……面白い組み合わせだな。冒険者と宮廷魔導師見習いと、ドラキー便の配達員という組み合わせは、初めて見たよ」
「まぁ成り行きみたいなもんですよ」と俺。
「ははは、成り行きか。まぁこんな世の中だ、そう言う事もあるか。さて……」
そこで言葉を切り、バルジさんはラッセルさんに視線を戻した。
「それはそうとラッセル、お前達が受けていたオヴェール湿原の洞窟調査だが、あれはどうなった?」
「ゼーレ洞窟の調査の件か?」
「ああ」
「それなら、もう断ろうと思っている。あそこに向かったが為に、フェリクスやバネッサ達もあんな事になったからな」
「そうか……なら、今度は俺達と一緒にどうだ?」
ラッセルさんは首を傾げる。
「バルジ達と? どうしてまた」
「実はな、少し気になる話を聞いたんだよ」
「気になる話?」
そこでバルジさんは少し前屈みになり、顔をテーブルの中央に寄せ、周囲の者達に聞かれないよう注意しながら、囁くように話し始めたのであった。
「アムートの月に入ってから、幾つかのパーティがあの洞窟に向かったのは、お前達も勿論知っているな?」
「何組かの冒険者達が消息を絶ったという話の事だろ。勿論、知っているよ。それがあったから、今回の洞窟調査依頼があったんだしな」
「じゃあ、これは知っているか? その内の1人が、命からがら洞窟から逃げ帰ってきたという話を」
「それは初耳だ。……帰って来た者がいたのか?」
「ああ、それがいたんだよ」
「それって、いつの話?」と、シーマさん。
「帰ってきたのは一昨日の晩だ。しかも、薄汚れたみすぼらしい姿でな」
「一昨日の晩か……俺達と行き違いだな。で、その帰ってきた冒険者がどうかしたのか?」
バルジさんはラッセルさんに向かい、笑みを浮かべた。
「実はな、その男に俺も直接会う機会があってな、そこで色々と洞窟内での話を聞けたんだよ。それで奴の話によるとだが、どうやら魔物達の親玉みたいなのが、洞窟の奥に棲みついているらしいんだ」
「なんだって!? それは本当か」
「確証はないが、嘘を言っているようにも見えなかった。だから、俺は本当じゃないかと思っている。そこでだが……実はな、ラッセル達に頼みたい事があるんだよ」
「頼み?」
「他の冒険者達にも声をかけているんだが、俺は今、魔物の親玉を退治する為の討伐隊を作ろうと思っているんだ。それにラッセル達も加わって欲しいんだよ」
「討伐隊……」
「ああ、討伐隊だ。ここ最近、魔物も強くなってきているから、少数では危険だからな。それに親玉を倒せば、あの辺りの魔物も少しは大人しくなるだろうし。だからさ」
ラッセルさんは腕を組み、眉間に皺を寄せる。
「……でも、俺達は仲間を失ったばかりだからな」
「言っておくが、魔物の討伐自体は、ルイーダの酒場が正式に引き受けた依頼だから、ちゃんと金は出るぞ。しかも、討伐隊に参加したパーティは1組につき、10000ゴールドだ。おまけに、親玉を倒したら、さらに追加で10000ゴールド貰える事になっている。上手くいけば20000ゴールドだぞ。どうだ、悪い話ではあるまい」
「金額は確かに大きいけど、それってどこから出るお金なの?」と、マチルダさん。
「聞いて驚くな。依頼主はイシュラナ大神殿だ。実は昨日の晩、イシュラナ神殿側から正式にルイーダの酒場へ依頼があったんだよ。だから、お金の心配はしなくていい」
「まぁ確かに稼ぎは得られそうだが……俺達は沢山のパーティと合同で仕事をした事なんてないからな……」
すかさず、バルジさんは話を付け足した。
「ああ、言い忘れたが、戦闘に関しては各パーティのやり方というのものがあるだろうから、俺もそこまで干渉はしない。だから参加してくれないか? 強力な魔物が多いだろうから、腕のある冒険者が必要なんだよ」
「しかしだな……」
ラッセルさんはそこで言葉を切り、シーマさんとマチルダさんに視線を向ける。
まずシーマさんが口を開いた。
「幾ら報酬が高いといっても、大切な仲間を失ったばかりだから、私はあまり気乗りがしないわね……」
「私もシーマと同じよ。それに、20000ゴールド程度じゃ、流石に命を掛けるわけにいかないわ」
2人の言葉を聞き、バルジさんは不敵な笑みを浮かべる。
それから口元で人差し指を振り、「チッチッチッチッ」と舌を鳴らしたのである。
「そう結論を焦るな。話はまだ終わっていない。ここからが本番さ」
「本番?」
ラッセルさん達3人は首を傾げた。
「実はな、逃げ帰ってきたその男から、もっと面白い話を聞けたのさ。あの辺りにある洞窟のどこかに、大盗賊バスティアンの隠した財宝が眠っているという噂は、お前達も聞いた事があるだろう?」
するとシーマさんは、溜息まじりに言葉を発した。
「でも、それってあくまでも噂でしょ。今までその噂を信じて馬鹿を見た冒険者は数知れないわよ」
「だが今度は少し事情が違う。なぜなら、逃げ帰った男が、こんな物を持って帰ってきたんだからな」
バルジさんはそう告げた後、懐から布に包まれた細長い物体を取り出し、テーブルの上に置いたのである。
そして、バルジさんは布を解き、周囲の者達に見えないよう注意しながら、俺達に中身を見せたのだ。
包まれていたのは、眩い光を放つ金の延べ棒であった。
ラッセルさんはそれを凝視すると、驚きのあまり目を見開いた。
「……こ、これは……第33代国王・アルデバラン王の刻印……1000年前の金塊じゃないか。どこでこんな物を?」
「その男はこう言っていた。洞窟内に隠れて潜んでいた時、魔物達が沢山の財宝を発見したのを見たとな。そして、魔物達の目を盗んで、これを幾つか持ち帰ってきたと。どうだ、ラッセル? 俄然、興味が湧いてきただろう」
「本当なのか?」
「ああ、本当だ。大盗賊バスティアンが、この辺りを荒らしまわっていたのが1000年前という事を考えると、見事に合致する。これは行ってみる価値があると思わんか?」
「大盗賊の財宝……」
ラッセルさん達3人は、テーブルに置かれた金塊を食い入るように見つめながら、ボソリとそう呟いていた。
10秒程、無言の時間が過ぎてゆく。が、暫くすると、ラッセルさんは頭を振り、項垂れるように口を開いたのであった。
「残念だが……俺達は今、面子が足りない。特に魔法を使える者がいないんだ。フェリクスがあんな事になったから、エレンも来るとは言わないだろう。やはり、引受けるわけには……」
「ならコータローさんがいるじゃないか」
「はへ、俺?」
無防備で話を聞いていた為、俺は思わず気の抜けた声を上げてしまった。
「バルジ、コータローさんは駄目だ。コータローさんは、俺達とは違うパーティの方なんだから」
「そうなのか。ではコータローさん達はどうだ? といっても、討伐隊の参加資格は金の階級以上のパーティになるが」
俺は正直に言う事にした。
「残念ながら、俺達のパーティは王都についた時点で解散してるんで、討伐隊には参加できませんよ。それに階級なんてない、急造のパーティですしね」
「なら丁度良い。どうだ、コータローさん? ラッセル達のパーティに加わって、一緒に討伐隊に入ってくれないか?」
この際だ。はっきりと断っておこう。
「全然、丁度良くありませんよ。得体の知れない魔物と戦うのは、心身が疲れるんで嫌なんです。ですから辞退させて頂きます」
「ははは、まぁそう言わずにさ。ラッセル達もコータローさんが仲間になってくれるんだったら、討伐隊に参加してくれるんだろ?」
(う~ん、しぶとい……でも、ラッセルさん達はウンとは言わないだろう。あまりに強引すぎるよ)
などと思っていると、ラッセルさんはボソリと、予想外の言葉を口走ったのである。
「まぁ……コータローさんほどの魔法の使い手が仲間になってくれるのならば……」
(なぬッ!? そこは断るところだろ、おいッ!)
するとシーマさんやマチルダさんも、ラッセルさんに続いた。
「確かに、コータローさんほどの使い手が仲間なら、安心よね……魔導の手を使えるんだから、エレンよりも凄い、魔法の使い手だし……」
「そうよね……コータローさんが仲間になってくれるなら、考えてもいいかも。私も大盗賊バスティアンの財宝を、見れる物なら見てみたいし」
(アンタ達もかい!)
なんか雲行きが怪しくなってきた。
と、その時である。
よりにもよってラティが、ここでKYぶりを発揮したのであった。
「言っとくけど、コータローは凄いでぇ。ワイが見てきた中でも、そうはいない程の優秀な魔法使ッ、ンガ、クックッ……」
俺は慌ててラティの口を手で塞ぎ、抱きかかえた。
「あはは、何言ってんだよ。本当、冗談の好きな奴だなぁ。俺みたいなボンクラが、皆の役に立てるわけないだろ。ったくもう。本当、コイツは冗談の好きな奴でして」
と言いながら、俺は皆の顔を見た。
ラッセルさん達は悲しげな表情でジッと俺を見詰めていた。何かを訴えかけるような視線だ。正直、痛い視線である。
俺達の間に暫しの沈黙が訪れる。
程なくして、バルジさんが口を開いた。
「まぁ……その、なんだ。返事は今すぐってわけじゃない。一応、ゼーレ洞窟に向かうのは5日後を予定している。3日くらい悩んでくれて構わないから、よろしく頼むよ、コータローさん。ラッセル達は貴方の事を信用しているみたいだからさ」
「えぇ!? そんな事言われてもねぇ……ハッキリ言って、行きたくないんですけど」
「そう言わずにさ。この都を救うと思って、頼むよ」
ぐぬぬ、仕方ない。
断るのを前提で、考えるフリだけでもしておくか。
「はぁ……じゃあ少し考えさせてください。また後日、返事しますから。ですがその前に……幾つかお訊きしてもいいですかね?」
「ああ、何でも訊いてくれ」
「バルジさんは先程、討伐隊の参加資格は金の階級以上と仰いましたが、依頼主であるイシュラナ神殿側は、腕利きのパーティで討伐隊を組むよう指示しているんですか?」
「いや、そんな指示はしていない。だが難度の高い依頼で登録されているから、必然的に腕利きの冒険者だけになってしまうのさ。おまけに、パーティ1組につき、イシュラナ神殿側はお金を払うと言っているから、出来るだけ多くの冒険者達に参加してもらおうと思っているんだよ」
「そうですか……」
依頼内容に少し引っ掛かりを覚えるが、それが何なのかが分からない。
なので、とりあえずは置いておく事にした。
俺は質問を続ける。
「では、一昨日の晩に帰ってきたというその男ですが、今、どこにいるのですか?」
「男は今、イシュラナ大神殿にいる。なんでも、ボロボロの男を見つけた門の守衛が、イシュラナ大神殿に運んだんだそうだ。まぁそんなわけで、男は神殿で傷の手当てを受け、今は安静にしているところだな」
「という事は、イシュラナ神殿側は男からその話を聞いて、ルイーダの酒場に依頼を出したのですね?」
「ああ、多分そうだろう」
「なるほど……。ちなみに、その帰ってきた冒険者の男は戦士系ですか? それとも魔法使い系ですか?」
「魔法は少し使えるが、魔法の使い手って程でもない。そこにいるシーマやマチルダみたいな感じの冒険者だな」
つまり、盗賊系って事か。
「では最後に1つだけ。大盗賊バスティアンについてですが、私は王都に来て間もないので、今初めて知ったのです。ここでは有名なのですか?」
「ああ、有名も有名さ。バスティアンの隠し財宝伝説は、長い間、多くの冒険者を虜にしたからな。未だに冒険者達を熱くさせる伝説さ」
「へぇ、そうなんですか」
話のニュアンスからすると、徳川埋蔵金みたいな伝説なのだろう。
未だに見つかっていない眉唾伝説に違いない。
「さて、他に質問はないか、コータローさん」
他にも気になるところはあるが、断るつもりなので、これ以上はやめておこう。
「まぁ今のところは」
「じゃあ、決心がついたら、ラッセルに伝えておいてくれ」
「ええ、そうさせてもらいます」
「頼んだぜ、コータローさん」
(絶対断ろう)
とまぁそんなわけで、また妙な厄介事に巻き込まれそうになる俺なのであった。
Lv37 魔の島(i)
[Ⅰ]
翌朝、少し早めに朝食を食べた後、俺はウォーレンさんに連れられて、まず、アリシュナの兵士詰所へと向かう事になった。
移動はウォーレンさんが所有する馬車で、御者はミロン君だ。
ちなみにだが、俺達が使っていたショボイ馬車とは違い、結構高級感のあるブルジョワな馬車であった。なので、乗心地も格別なのは言うまでもない。
まぁそれはさておき、兵士詰所に向かった理由だが、ウォーレンさんの話によると、合流する兵士と、とある人物がいるとの事であった。
そんなわけで、俺達はその後、詰所で護衛の兵士数名の他に、イエスキリストみたいな髭を生やした赤く長い髪の男性騎士と合流し、目的の地であるアウルガム湖へと向かう事となったのである。
暖かい朝の日差しが降り注ぐ中、馬車は兵士詰所からゆっくりと動き始めた。
パカパカという馬の蹄鉄音と共に、細かな振動が伝わってくる。
そんな馬車に揺られながら、俺は車窓の向こうに見える外の街並みを暫しぼんやりと眺めた。
窓の向こうには、アリシュナの綺麗な街並みと共に、身なりの良い住民達のノンビリとした姿があった。それはまさに、穏やかな朝の一時といった光景であった。
マイペースに動く住民達を見ていると、時間の流れが緩やかになったかのような錯覚を覚える。
(平和だねぇ……。外に強力な魔物がいる事を忘れてしまいそうな光景だ……ふわぁぁ)
などと考えつつ、俺は欠伸をした。
と、そこで、ウォーレンさんが俺に話しかけてきた。
「眠そうなところ悪いが、今日はよろしく頼むぞ、コータロー」
「でも、あまり期待はしないでくださいよ。俺も出来る事と出来ない事がありますから。なので、今日は出来る範囲内で頑張らせてもらいます」
「ああ、それでいい。俺もそこまで無茶な要求をするつもりはないからな。まぁそれはともかくだ。しかし……今朝はビックリしたぜ。俺がお前の寝室に行ったら、アーシャ様とラミリアンの子に加えて、ラティまでが一緒に寝ていたんだからな」
ウォーレンさんはからかうように、ニヤニヤとした笑みを浮かべた。
そう……実は今朝、少し早い出発だった為、ウォーレンさんが俺を起こしにやって来たのだ。
その時、俺が2人プラス1匹と寝ているところをモロに見られてしまったのである。
ちなみにだが、俺とアーシャさんとサナちゃん達は、ウォーレンさんの配慮により、個室を宛がってもらっている。
そんなわけで、本来なら俺は1人で寝れるのだが、ここ最近の流れもあり、彼女達と一緒に寝るハメになっているのであった。嬉しいやら悲しいやらである。おまけにラティまでいるし。
まぁそれはさておき、誤解されるのもアレなので、一応、弁明はしとこう。
「あの、言っときますけど、俺はやましい事はしてませんよ。ただ、彼女達はどうも、俺と一緒にいると安心して寝れるそうなんです。だから、あんな事になっているわけでして」
「ハッハッハッ、心配するな。やましい事をしているなんて思ってはいない。お前からは、そういう色と欲を好む雰囲気が、あまり感じられんからな」
「とはいっても、俺も男ですからねぇ。流石に、年頃の可愛い女性が隣にいると、悶々とする時だってありますよ。まぁ太守の娘さんなんで、そんな事は絶対に出来ませんけどね。でもその所為で、ゆっくり寝れない日々が続いてましてね、俺も困っているんですよ。ふわわぁぁ」
と言いながら、俺はまた欠伸をした。
「まぁそりゃそうか。だが、『女に頼られる男は、有能な男』という言葉がこの国にはある。だから、そう悲観する事でもないぞ。裏を返せば、お前は有能な男という事かもしれんのだからな」
「だといいんですが……。ところでウォーレンさん、この馬車の後ろにいる、濃い髭を生やした方は一体誰なんですか? 何となく雰囲気的に、只者ではない感があるんですけど」
俺はそこで、この馬車の後方にいる、キリストのような髭を蓄えた男へと視線を向けた。
男は騎士のような格好をしており、今は馬に跨って付いて来ている最中である。
時折吹き突ける風と馬の振動で、肩よりも長い、サラッとした男の赤い髪が風と共に靡く。
男がイケメンな事もあり、かなり絵になる光景であった。
おまけに、男が装備する磨き抜かれた白銀の鎧や、厳かな意匠が凝らされた白い鞘に収まる長剣は、素人の俺が見ても高級装備とわかる代物だった為、かなりやり手の騎士にも見えたのである。
「ん? あ、ああ……あの男か。あれはヴァリアス将軍の側近でな、ハルミアという名の騎士だ」
「へぇ、側近の方なのですか……。では、あの方も、遺跡での実験に参加されるのですね」
「ああ、それで来てもらったのだからな」
「そうですか」
どうやらあの騎士は、遺跡での実験の為に呼ばれたようだ。
(一体何をさせるつもりなのだろうか……。この間の説明だと、魔法を使える者を必要としているように聞こえたが……まぁいい……あまり詮索しないでおこう。俺は自分の出来る範囲の事だけしとけばいいんだし。さて、それよりも問題なのは、ヴァロムさんの次の指示だ。はぁ……頭が痛い)
そうなのである。
実を言うと俺は、遺跡の事よりも、そっちの事で頭を悩ませているのであった。
グランマージで受け取った筒の中に、今後について書かれた指南書のような物が入っていたのだが、それには非常に面倒な事が幾つか書かれていたのだ。
(はぁ……まずは、ラヴァナ・ヴィザーク地区に住む代書屋のルグエンという人物の所に向かうんだったな。ああもう……面倒臭い事ばっか続くなぁ……ン?)
ふとそんな事を考えていると、ウォーレンさんが首を傾げて俺を見ていた。
「どうしたんだ、コータロー。浮かない顔をして?」
ヴァロムさんの指示内容に没頭しすぎて、表情に出てたようだ。
(危ない危ない。気を付けなければ……)
「え? ああ、いや、大したことではないですよ。ただ、これから向かうミュトラの遺跡とはどんな所なんだろうか? って考えていただけです」
「ああ、その事か。なら、そう心配するな。島や湖に魔物はいないから、襲われる心配は殆どない。まぁそのかわりと言っちゃあなんだが、島と湖に生息する生き物もいないがな」
「そういえばそうでしたね。忘れてました。しかし……妙ですねぇ。生き物が全くいなくなるなんて……。ちなみに生き物は、徐々にいなくなっていったんですか? それとも、ある日パッタリと?」
「漁師から聞いた話では、徐々にいなくなっていったらしい」
「へぇ、そうですか……。ところで、そうなりだしたのは、いつ頃からなんですか?」
「う~ん……確か、ゴーザの月に入りだした頃からだって言ってたな。だが、その時はまだ、気持ち少ない程度だったそうだ。顕著になり始めたのは、ヘネスの月に入ってかららしい。実際、漁獲量も、その頃から極端に減り始めているからな。漁師の言葉で間違いないだろう」
「それも、ゴーザの月からなんですか……」
なぜか知らないが、ここ最近の急な異変は、全てゴーザの月辺りから始まっているようだ。
ゴーザの月……今から半年以上前である。
ティレスさんが言っていたが、王様がおかしくなり始めたのもゴーザの月。それから、テト君達と一緒にいた商人も、半年前に来た時は、まだあの辺りの魔物も弱かったと言っていた。
それだけじゃない……昨日、ラッセルさんやバルジさん達とも食事をしながら色々と話をしたのだが、そこでも、ゴーザの月に入り始めた頃から、やたら強い魔物が徘徊し始めたような事を言っていたのだ。
そこに、このアウルガム湖の異変である。これは果たして偶然なのだろうか……。
またそう考える従い、ジュノンの月にあったあの一件が、俺の脳裏に蘇ってくるのであった。
そう……イデア遺跡群での一件だ。
思い返せば、イデア神殿を出た後、俺達はすぐに、強力な魔物共の襲撃にあった。
だが、あの時の襲撃は裏を返すと、魔物達がイデア神殿を監視していたという事の証でもあるのだ。
しかも、それを裏付けるかのように、俺達が試練を終えた後、ラーのオッサンは確か、こんな事を言っていたのである。イデア神殿の封印が解かれたのを、何者かが察知したのかもしれない、というような事を……。
これが事実ならば、イデア神殿の封印が解かれた事は、魔物達にとって脅威という事になる。
そして、ゴーザの月辺りから急に始まりだしたこれらの異変は、偶然ではなく、必然な流れとも考えられるのだ。
ここから連想できる事柄は1つである。それは、魔物達が焦っているという事だ。
ではなぜ、魔物達は焦っているのか……そう仮定して考えると、ある事が見えてくるようになる。
それは勿論、神殿の中に封印されていたモノが何なのか、魔物達は知っていたという事に他ならない。
そう……ラーの鏡の存在である。これが魔物達にとって、かなり都合が悪いに違いないのだ。
実際、ラーの鏡の能力は、人々を惑わす魔物にとって脅威である。
そう考えると、魔物達が急いで何かを成し遂げようとするのも、理解できる話なのである。
とはいえ、これはあくまでも俺の想像なので、本当のところはどうなのかわからない。が、しかし……そう考えると、全ての辻褄が合う気がするのも、また事実なのである。
そこで俺は考える。
ヴァロムさんは一体何をするつもりなのだろうか。そして、俺に何をさせるつもりなのだろうか、と……。
しかし、幾ら考えたところで、今はまだヴァロムさんの思惑が見えてこない。が、1つだけわかった事もあるのだ。
それは……十中八九、ヴァロムさんは既に、真相を見破っているという事である。でなければ、ここまで細かい指示を出す事は出来ないからだ。
どんな真相なのかはわからないが、とりあえず、今の段階でハッキリしてるのは、ここまで面倒な指示をしないといけないほど、事態は複雑化しているという事である。
恐らく、俺が考える以上に、ややこしい事態になっているのだろう。
(ヴァロムさんは手紙で、王都で大きな波紋を起こすとか書いてたけど、一体何をするつもりなんだか……)
ふとそんな事を考えていると、ウォーレンさんの声が聞こえてきた。
「まぁ何れにせよ、だ。上手くいくかどうかはともかく、今日、コイツを使って試す事で、何かがわかるかもしれない」
ウォーレンさんはそこで、小さな木箱を懐から取り出した。
「何ですか、それは?」
「今はまだ言えん。まぁとりあえず、着いてからのお楽しみってやつだな」
大事そうに持っているので、恐らく、今回の実験の要になる何かなのだろう。
「そうですか。じゃあ、楽しみにしときます。ところでウォーレンさん、話は変わるんですけど……実は昨日ですね、アーウェン商業区に行った際、オヴェール湿原でウォーレンさんと俺が治療した、あの冒険者達と出会ったんですよ」
「らしいな。ミロンから昨日聞いたよ。しかも、ゼーレ洞窟に棲みついた魔物の討伐隊に誘われたんだってな」
ミロン君から簡単な報告は受けているようだ。
なら、話は早い。ウォーレンさんの意見を訊いてみるか。
「ええ、そうなんですよ。まぁ断ろうとは思っているんですがね。でも……その魔物討伐の件で、少し気になる事があるんです……」
「気になる事? 何だ一体?」
「魔物討伐の依頼主はイシュラナ神殿らしいのですが、そこまでの経緯がですね、俺にはどうも腑に落ちないんですよ」
「経緯? ミロンの話では確か、生きて帰ってきた冒険者の1人が、魔物の親玉を見たとかなんとか言ってたが、それの事か?」
「いや、まぁ……それも気にはなるのですが、俺が今引っ掛かっているのは、なぜイシュラナ神殿側は、こんなにも早く討伐依頼を決断できたのかって事なんです」
「討伐依頼の決断? どういう意味だ?」
「3日前の晩……洞窟から帰ってきた冒険者はイシュラナ神殿で治療を受けたらしいのですが、そこで冒険者は、魔物の親玉の事を神官達に語ったそうです。ですが、その翌日の晩にはもう、イシュラナ神殿側は、ルイーダの酒場に討伐依頼を出しているんですよ。しかも、かなりの高額依頼で、です。討伐に参加したパーティ1組につき、10000ゴールドの報酬で、尚且つ、討伐した暁には追加で10000ゴールドの報酬ですからね。おまけに、何組ものパーティが討伐に参加可能らしいですし……。ちょっとおかしいと思いませんか?」
するとウォーレンさんは、アメリカ人がよくやる、お手上げジェスチャーをした。
「おいおい……報酬、10000ゴールドかよ。第1級宮廷魔導師の2か月分の給金くらいあるじゃないか。しかも、討伐に成功したら更に10000ゴールドって事は、合計で20000ゴールドって事だろ。破格の報酬だな。その上、何組ものパーティが参加出来るんなら、場合によっては、イシュラナ神殿側の支払いは凄い額になるぞ。確かに、ちょっとおかしな報酬だな。俺も参加したくなってきたじゃないか」
どうやらこの様子だと、ミロン君は報酬の事を言ってなかったようだ。
多分、簡単な報告だけをしたのだろう。
まぁいいや、話を進めよう。
「いや、まぁ報酬の額もそうなんですが……それよりもですね、帰ってきた冒険者1人の言葉を信じて、これだけの出費が伴う依頼を1日で決断するのは、少々……いや、だいぶ勇み足な気がするんですよ」
「勇み足?」
俺は頷くと続ける。
「冒険者が帰ってきたのが、3日前の晩……そして、ルイーダの酒場に依頼が出されたのは2日前の晩……つまり、冒険者の証言の裏付けをとる時間がですね、たった1日しか……いえ、魔物が旺盛を極める夜に調査する事は考えにくいので、実質、半日程度しかないんですよ。そう考えますとですね、王都から半日近くかかるオヴェール湿原に行って、冒険者の話の裏付けをとるのは至難の業だと俺は思うんです。実際問題、その親玉がいるとされるゼーレ洞窟という所は、何組ものパーティが消息を絶っている、いわくつきの洞窟ですからね。なので、その辺が俺にはどうも納得ができないんですよ。ウォーレンさんはどう思いますかね?」
ウォーレンさんは俺の話を聞き、暫し黙り込んだ。
腕を組んで視線を落としているので、多分、何かを考えているのだろう。
「……確かに、コータローの言うとおりだな。それだけの報酬を払う依頼ならば、普通はしっかりとした確証を得てからだ。もし調査をしていないのならば、安易に決断しすぎという事になる。イシュラナ大神殿がそんな事をするとは思えんが……ちょっと妙だな」
「でしょ。それとですね、昨日会ったバルジという冒険者の口振りからすると、逃げ帰ってきた冒険者が、本当に洞窟から帰ってきたのかどうかという確証もないようでした。なので、なんか釈然としない話だなぁと思って、俺は昨日聞いていたんですよ」
「ン? て事は、何か良くない事があると考えているのか?」
「ええ、まぁ……そうなりますかね」
「そうか……ちなみに、どんな良くない事が起きると考えているんだ?」
「それは流石にまだ分かりません。ですが、この世の中、美味い話なんてそう簡単にないですからねぇ……。美味い話には、ちゃんと理由があると思いますし」
そう……美味い話には何か裏があるのが世の常なのだ。
これは日本でも痛いほど経験しているので、俺はよくわかるのである。
なので、バルジさんが言っていたバスティアンの財宝伝説も、俺からすると胡散臭い話に聞こえてしょうがないのであった。
だがまぁ、バスティアンの財宝については、誰にも言わないでくれとバルジさんに念を押されているので、ここでは言わないでおくとしよう。
「確かに、コータローの言う事も一理あるな。美味い話なんて、そうそう転がってるもんじゃない」
「ええ。ですから俺は、彼等に忠告だけして、その件は断ろうと思っているんです。君子危うきに近寄らず、ってやつですね」
「くんしあやうき? なんだそりゃ?」
つい日本の諺が出てしまった。が、出てしまったもんは仕方ない。
とりあえず、適当に解説しとこう。
「旅の途中で聞いた諺なんですが、優れた人格者は、むやみに危険な事へ近づかない、という意味だそうですよ」
「ははは、中々、良い言葉じゃないか。全く持って、その通りだ」――
とまぁこんなやり取りをしながら、俺達は目的地へと向かい進んで行くのである。
[Ⅱ]
アウルガム湖は王都の東側にある為、アルカイム街道を一時的に進まねばならないが、ラヴァナの城塞東門を抜けて10分程の所にある十字路を右に進めばすぐなので、それほど時間を要しなかった。
まぁそんなわけで、屋敷を出てから30分程すれば、朝日に照らされて光り輝く、広大なアウルガム湖の美しい姿が見えるようになるのだ。そして、更に進んで行くと、今度は道の終点である木の桟橋の姿も視界に入ってくるのである。
前方の桟橋に目を向けると、ボートのような小型の舟が一艘だけ停泊しているのが見えた。
真っ白な美しい小舟で、見た感じだと、定員10名程度といったところだろうか。
オールと思わしき棒も見えるので、どうやら手漕ぎ系の舟みたいだ。
(へぇ、ちょっと小さいけど綺麗な舟だな。あれで島に向かうのだろうか? ……ン?)
と、そこで、桟橋の入口付近に3名の人影が見えたのである。
(誰かいるな……あれも今日の同行者だろうか? まぁいいや、ウォーレンさんに訊いてみよう)
つーわけで訊いてみた。
「ウォーレンさん、桟橋の所に誰かいますけど?」
「あれは、多分、俺達と同行する事になっているイシュラナの神官だろう」
「そういえば、遺跡の管理をしてる神官と一緒じゃないと、中に入れないって言ってましたね」
「ああ。だが、今日は遺跡の管理官じゃなくて、代理の神官だがな……」
「代理?」
「ああ、代理さ」
するとウォーレンさんは溜息を吐き、面白くなさそうに話し始めたのである。
「なんでも……遺跡を管理するエイブラ管理官は急用が出来たらしくてな。それでだよ。しかも派遣されるのは、遺跡に入った事すらない神官だそうだ。……ったく、遺跡に足を踏み入れた事ない神官を同行させるなんて、イシュラナ神殿側も何考えてんだか。俺達の事を馬鹿にしてんのか……っと、これは言い過ぎだな。まぁ今のは聞かなかったことにしてくれ」
「大丈夫ですよ。俺は口が堅いですから。でも、遺跡に入った事ない者を派遣するなんて、確かに変ですね……」
「ああ、全く何考えてんだか……おっと、そろそろ到着だ。お喋りはこの辺にしとくか。忘れもんの無いようにな」
「ええ」――
程なくして桟橋へと辿り着いた俺達は、そこで馬車を降り、入口で佇む3人の元へと向かった。
近くに来た分かったが、3人の内2人は、王家の紋章が描かれた灰色のマントと青い鎧、そして破邪の剣を装備した男達であった。城塞門にいる魔導騎士と同じ格好をしているので、多分、魔導騎士で間違いないだろう。歳は2人共、俺の少し上といったところだ。
ちなみにだが、髪がショートヘアということ以外、特にこれといった特徴がない騎士達であった。
で、もう1人の方だが、こちらは緑の神官服を着て、右手に祝福の杖を持つという出で立ちのイシュラナの神官であった。
普通の神官は白色の神官服だった気がするので、位が高い神官なのかもしれない。
歳は50代くらいだろうか。体型は中肉中背で、頭が光り輝くくらいツルッパゲの方であった。その為、今は朝日に照らされて発光体と化していた。早い話が、見た目は、禿げた中年のオッサンという容姿である。
他に神官の姿がないところを見ると、どうやらこの人が、代理で派遣されたという神官なのだろう。
まぁそれはさておき、俺達が彼等の前に来たところで、まず、中年の神官がニコヤカに挨拶してきた。
「これはこれは、ウォーレン殿、お勤めご苦労様でございます」
「お初御目にかかります。失礼ですが、貴方様が此度の案内をしてくださるロダス管理官であらせられますか?」
神官は頷く。
「はい、私がロダスにございます。ですが、今日の私はエイブラ管理官の代理として派遣されましたので、普通にロダス神官とお呼び下さって結構ですよ」
「わかりました。ではそうさせて頂きます。ところで……ロダス神官とは初対面だと思うのですが、私がウォーレンだと、よくお分かりになられましたね」
「貴殿の事は良く存じておりますよ。ヴァリアス将軍の元に配属されている、数少ない第1級宮廷魔導師の方ですからな」
「という事は、悪評ばかり耳に入ってそうですね。お恥ずかしい限りです……」
ウォーレンさんはそう言って、恥ずかしそうに後頭部をポリポリとかいた。
この様子だと、ウォーレンさんは結構無茶をする事が多いのかもしれない。
「いやいや、そのような事はございませぬぞ。仕事熱心な方だと、私は思っておりますのでな」
「そう言って頂けると、私も救われた気がします。さて、それではロダス神官、今日はご迷惑を掛けるかもしれませぬが、よろしくお願い致します」
「いやいや、こちらこそ、よろしくお願いしますぞ。私は今から向かう遺跡には、一度も行った事がございませんのでな。さて……」
と、そこで言葉を切ると、ロダス神官はチラッと舟の方に視線を向けた。
「ではウォーレン殿、もうそろそろ向かわれますかな?」
「ええ、時間も惜しいので」――
[Ⅲ]
2人の魔導騎士にオールを漕いでもらいながら、俺達は湖を進んで行く。
周囲の湖面に目を向けると、この舟が作りだす波紋が幾重にも広がっており、静かに波打っていた。それはあたかも、湖が俺達の侵入に対して、騒いでいるかのようであった。
そんな湖面を暫し眺めた後、俺は舟に乗り込んだ面々に目を向ける。
乗り込んだのは桟橋にいた3人と、ウォーレンさんにミロン君、そしてハルミアという騎士と俺の計7名であった。
詰所で合流した兵士達は、ウォーレンさんの馬車を見張ってもらっているので、ここにはいない。
そんなわけで、思ったよりも少ない人数での移動となったのだが、舟に乗り込んでからというもの、皆、無言であった。
なんとなくだが、皆の表情を見ていると、少し緊張をしているようにも見える。特にミロン君は不安なのか、元気がない表情であった。
今から向かう遺跡のある島は、いわくつきの所なので、こうなるのも無理はないのかもしれない。流石に、和気藹々という空気にはならないようだ。
ちなみにだが、俺自身はいつもと同じであった。
まぁ俺の場合は、皆と育った環境が違う上に、ラーのオッサンから色々と話も聞かされているので、それほど恐怖というものを感じない。
それよりも、ヴァロムさんの指示の方が気になるので、俺は舟に乗り込んだ後も、そればかり考えていたのである。
(ヴァロムさんは、俺に何をさせるつもりなんだろう……ああ、もう、気になるなぁ……)
と、そこで、不意に話しかける者がいた。
「初めまして、コータローさん」
俺は声のした方向に振り向く。
すると、話しかけてきたのはハルミアという騎士であった。
というわけで、俺もスマイリーに挨拶を返しておいた。
「いえ、こちらこそ、初めまして」
続いて騎士は、自己紹介をしてきた。
「私はハルミアと申しまして、ウォーレン殿と同じく、ヴァリアス将軍の配下の者です。今日はよろしくお願いしますね」
「お役にたてるかどうかわかりませんが、私の出来る範囲内で、尽力させて頂こうと思います」
「ええ、それで構いませんよ」
ハルミアという騎士はそう言って、爽やかに微笑んだ。
俺も微笑み返す。
(ん?)
だがその時、俺はこの男に少し違和感を覚えたのである。
なぜなら、これだけ濃い髭を蓄えているにも拘らず、女性的な素肌といった方がいいだろうか……とにかく、すべすべとしたきめ細かな素肌であったからだ。
その為、肌と髭がミスマッチしてるように思えたのである。
(なんか違和感あるな。もしかして……付け髭か? う~ん、わからん。まぁいいや、余計な事は言わないでおこう)
ふとそんな事を考えていると、またハルミアという騎士が話しかけてきた。
「ところでコータローさん。ご出身はアマツクニですか?」
あまり触れてほしくない話題だが、仕方ない。適当に答えておこう。
「いえ、私はマール地方の出にございますが、生まれが何処かは自分でもわからないのです。なにぶん、拾われた身の上ですので」
「余計な事を訊いてしまったようですね。……申し訳ない」
ハルミアという騎士は罰の悪そうな表情を浮かべた。
「ああ、お気になさらないでください。私自身、それほど気にもしてませんので」
「なら、いいのですが……おや? 見えてきましたね」
ハルミアさんはそこで前方を指さした。
俺もそこに視線を向ける。
すると俺達の前方に、木々が生い茂る大きめの島が見えてきたのだ。

「あれが、古代の遺跡があるという島ですか?」
「ええ、あれがそうです。ここでは魔の島と呼ばれ、民達に恐れられている島であります」
「魔の島というんですか。へぇ」
なんつーか、『モロだな、おい!』とツッコミを入れたくなる名前だ。
「小さな島だと聞いていたんですが、思っていたよりも大きいんですね」
「そうですね。ちなみにあの島は、円を描いたような地形ですので、今見えているのが、そのまま島の幅と思ってもらって結構ですよ」
「へぇ、円形の島なんですか」
離れた位置なので凡その検討しかつかないが、俺の見た感じだと、島の端から端まで200mはありそうに見えた。という事は、直径200m程の円形の島と思っていいのかもしれない。
まぁとりあえず、そういう事にしとこう。
それから程なくして、島に上陸した俺達は、魔導騎士の案内で移動を開始した。
桟橋から続く砂利道を、俺達は徒歩で進んで行く。
その際、俺は周囲の雑木林を見回しながら、耳を澄ましてみた。
すると、鳥や虫の鳴き声というものが全く聞こえてこなかったのである。
島に生き物がいないというのも、どうやら本当なのかもしれない。
おまけに、今は風も吹いていないので、木々のざわめきも聞こえてこないのだ。
それだけじゃない。青々とした葉をつけてはいるものの、木々の枝がやや垂れ下がっている為、少し元気が無いように見えるのである。しかも、地面に生えた雑草までもが、そんな風に見えるのだ。
目に見えておかしいわけではないが、これはある意味、不気味な光景であった。
その為、理解できない怖さのようなモノが、島全体からヒシヒシと感じられるのである。
(ウォーレンさんの言っていたとおり、生き物の気配がまるでないな。それになぜか知らんが、島全体が病気にかかってるかのように感じる。ウォーレンさんじゃないが、一体全体、何が起きているのやら……)
と、そこで、先頭を進む魔導騎士の声が聞こえてきた。
「ロダス神官、前方に境界壁と境界門が見えてまいりました。魔の神殿は、あの壁の向こうになります」
「おお、あれがそうですか」
前方に目を向けると、城塞を思わせる高さ20mはあろうかという石造りの巨大な壁と、アーチ状の門が見えてきた。
そして、その門の両脇には、魔導騎士と思われる者達が十数名おり、こちらの方をジッと窺っているのである。
やはり、かなりの厳戒態勢を敷いてるみたいだ。
こんな巨大な壁を造るくらいなので、他にも色々とセキュリティ系の仕掛けが施してあるに違いない。
境界門の前に来たところで、先程の魔導騎士がロダス神官に言った。
「ではロダス神官、我々が案内できるのは、ここまでとなります。この境界門から先は、アズライル猊下の許可を得た者のみとなりますので」
「案内、ご苦労様でした。助かりましたよ」
騎士に労いの言葉を掛けた後、ロダス神官はウォーレンさんに視線を向けた。
「ではウォーレン殿、ここからは貴殿が先に行ってくれますかな。私は初めてですので、貴殿の後に付いて行くとしましょう」
「わかりました。では」
ウォーレンさんは前に出る。
そして俺達は、更に少ない面子で、移動を再開する事となったのである。
Lv38 魔の神殿(i)
[Ⅰ]
境界門の先は若干の上り坂となっていたが、相も変わらず、砂利道の両脇には雑木林が広がっていた為、山道を歩いているかのような気分であった。
俺達はそんな林の中を無言で進んで行く。
すると程なくして、異様な様相をした古びた建造物が、前方に見えてくるようになったのである。
形状が少し変わっており、丸いドーム状の屋根に、古代ローマの神殿を組み合わせたような外観の建造物であった。
大きさは日本武道館くらいだろうか。かなり大きな建造物である。
以前、イタリア・ローマの観光雑誌を見た事があったが、それに出てきたパンテオンと呼ばれる建造物と、少し似ているように俺は感じた。が、俺はパンテオンの実物を見た事がないので、あくまでも、そんな気がしただけである。
また、建造されてからかなりの年月が経過しているのか、壁や柱は色褪せており、至るところに苔や蔓などが絡みついていた。その為、建物が森の一部と化しているようにも見えるのだ。
とりあえず、そんな感じの建造物なのだが……異様な様相としているのはソレではない。
建造物の周りに張り巡らされたとあるモノが、見る者にそう感じさせるのである。
そのあるモノとは何かというと、建造物を囲うように張り巡らされた、高さ5mはあろうかという巨大な鉄格子の柵であった。
そう……まるで牢獄のような柵に、その建造物は囲われているのだ。
(しかし、ま、なんつーか……建物が罪人みたいな感じだな。この柵は王家か、もしくはイシュラナ神殿側が作らせたのだろうと思うけど……ここまでやるかって感じだ)
ふとそんな事を考えていると、ウォーレンさんの声が聞こえてきた。
「ロダス神官、見えてきました。あれが魔神・ミュトラを祭ってあるという古代の遺跡、魔の神殿です」
「ほう、あれが……」
思った通り、あれが古代遺跡のようだ。
というわけで、俺達はその建造物に向かい、歩を進めるのである。
道を真っ直ぐに進んで行くと、柵に設けられた鉄格子の扉が見えてきた。
またそれと共に、門番のように扉の前で立ち塞がる2人の神官の姿も視界に入ってきたのだ。
神官は2人とも男で、白い神官服の上から鉄の胸当てや、剣にモーニングスターといった武器を装備をしていた。これを見る限り、どうやら武闘派の神官のようである。
また、その鉄格子の扉の近くには、守衛所と思われる石造りの四角い建物があり、そこには3名の武装した神官達が屯しているのであった。
建物の大きさは公園とかでよく見かけるトイレ程度のモノなので、そんなに大きくはない。
ここから察するに、それ程多くの神官は、この入口付近に配置されてないのだろう。
俺達が扉の前に来たところで、神官達は恭しく頭を下げ、挨拶をしてきた。
「お勤めご苦労様でございます、ウォーレン様にロダス様。エイブラ管理官より、報告は受けております」
ロダス神官が一歩前に出る。
「貴方がたも、ご苦労様です。さてそれでは、鍵を開けようと思いますので、少し下がって頂けますかね」
「ハッ」
神官達は扉の脇へと下がる。
と、そこで、あるモノが俺の目に飛び込んできたのである。
それは何かというと、扉の合わせ目に取り付けられた、丸く大きな銀色のプレートであった。
大きさは直径1m程で、中心にはでかでかとイシュラナの紋章が彫られていた。
しかも奇妙な事に、イシュラナの紋章の中心には、何かを納めるかのような丸い窪みがあるのだ。
(なんだ、あの丸い窪みは? いかにも何かありそうな感じだが……ン?)
ふとそんな事を考えていると、ロダス神官はそこで扉へと移動する。
そして、プレートの窪みにゴルフボール大の白い球体を納め、呪文のような言葉を唱え始めたのである。
【……レクーテ・イーラ……ヒヨ・ウーハ……カウツ】
すると次の瞬間、白い球体が光り輝くと共に、丸いプレートはカチャリという音をたて、横へとスライドしたのであった。
(へぇ、なるほど……魔法の鍵ならぬ、魔法の錠前ってとこだな。芸が細かい)
扉が解錠されたところで、ロダス神官は左右の扉を押して開き、俺達に中へ入るよう促してきた。
「さぁ、それでは中へとお進みください、ウォーレン殿とお供の方々」
「ありがとうございます。では」
ウォーレンさんを先頭に、俺達は柵の向こうへと足を踏み入れる。
俺達全員が柵を潜り終えたところで、鉄格子の扉は神官達によって閉じられた。
その瞬間、牢の中に放り込まれたかのような、嫌な気分になったのは言うまでもない。
(目の前の遺跡よりも、この柵の方が嫌だよ、俺は……)
と、ここで、ウォーレンさんの声が聞こえてきた。
「それでは、ロダス神官、入口はあそこになりますので、私に付いて来てください」
「ええ、では参りましょう」
そして俺達は、古代遺跡の入口へと向かい、移動を開始したのである。
[Ⅱ]
鉄格子の柵を抜け、パンテオンのような丸柱が立ち並ぶ魔の神殿へとやって来た俺達は、とりあえず、入口の手前で立ち止まる事となった。
理由は勿論、重厚な銀の扉によって入口が塞がれていたからである。
扉は両開きで、幅5m以上はある大きな物であった。
建物の古さと比べると、比較的新しい扉なので、恐らく、後世になってから取り付けられたモノなのだろう。
ちなみにだが、この扉にも、イシュラナの紋章が描かれた先程の丸いプレートが施されていた。
その為、ここでまた、ロダス神官の解錠作業が始まる事になるのである。
ロダス神官は先程と同じような手順で解錠すると、左右の扉を全開にし、俺達に中へ入るよう促した。
「さぁ中へどうぞ」
「では……」
そして俺達は、魔の神殿の中へ、恐る恐る足を踏み入れたのであった。
銀の扉の向こうには、幅5mほどの石畳の通路が真っ直ぐ伸びていた。
通路の壁に目を向けると、レンガのように幾重にも積み上げられた石の壁が視界に入ってくる。
その影響か、ここは少しヒンヤリとした冷気が漂う通路となっていた。が、しかし、それは先程までならと付け加えなければならないだろう。
なぜならば、今は入口から、外の光が良い角度で射し込んでくるので、そこまで寒さは感じないからである。
しかも、そのお蔭もあって、かなり見通しが良い通路となっているのだ。これは嬉しい誤算であった。
そんな見通しの良い暖かな通路を、俺はウォーレンさん達の後に続いて進んで行く。
だが少し進んだところで、俺は奇妙な引っ掛かりを覚えた為、思わず立ち止まったのであった。
俺は背後を振り返り、開かれた遺跡の入口と、その向こうに小さく見える鉄格子の扉へと視線を向けた。
(これはまさか……もしかすると……いや、まだわからない。もう少し様子を見てから判断しよう。とりあえず、モノの見方を変える必要がありそうだ)
と、そこで、ミロン君の声が聞こえてきた。
「どうしたんですか、コータローさん? 外に何かいたんですか?」
「ン? ああ、いや……なんでもない。とりあえず、先に進もうか」――
通路を20mほど進んだ先には、大きな四角いフロアが広がっていた。
数値で表すならば、横20mに奥行きが20m、それから高さが10mといったところだろうか。かなり広い空間である。
また、見回したところ、窓という物は見当たらなかった。
周囲の壁にあるのは、魔物との戦いを描いたであろう彫刻壁画だけで、それ以外は何もない。
俺達が入ってきた所だけが、唯一、外部と繋がれる接点であった。
早い話が、ここは行き止まりの部屋なのである。
以上の事から、少し閉鎖的なフロアなのだが、ここはそんな事など霞むくらいに、もっと目を引くモノがあるのだ。
それは何かというと、このフロアの中央にはチェスのポーンを思わせる大きな白いオブジェが1つあり、またそこから少し離れた位置には、トーテムポールを思わせる奇妙な紋様が彫りこまれた4つの灰色の柱が、オブジェを交差するように対角に立っているのである。
しかも、それぞれが人の背丈の3倍くらいありそうな大きさなので、一際目を引く存在なのだ。
おまけにそれらは、磨き抜かれたかのように色艶も良く、今は入口から射し込む日光が反射して眩い輝きを放っていた。その為、この空間は今、照明など無くても隅々まで見渡せるくらいに光が行き渡っているのであった。
(これだけ明るいと、レミーラとか松明は必要ないな。助かるわ)
俺はそんな事を思いつつ、中央にあるポーンのようなオブジェに目を向けた。
と、そこで、中央のオブジェの前に、人の背丈ほどの石版が立っているのが、視界に入ってきたのである。
石板には、古代リュビスト文字の羅列がズラズラと彫られていた。
(なんだ、あの石碑みたいなのは……。何か書いてあるが、古代リュビスト文字だからなぁ……う~ん、わからん)
何が書いてあるのかサッパリ分からないが、石碑の位置から察するに、訪問者へのメッセージと思って間違いないだろう。
つまり……超重要な事が書かれている可能性があるという事だ。残念……。
(なんて書いてあるのか知りたいところだが、読めん以上は仕方ない。後で、ウォーレンさんにでも聞いてみよう。それよりもだ……このポーンみたいなのや、あの妙な柱は、一体何なんだろう? こんなの初めて見る……でも、これ……色褪せた建物の古さとは裏腹に、綺麗な外観してるんだよな。一体何で出来てんだろうか? 石とか木ではないみたいだが……。まぁいいや、今は余計な事はせずに、周囲の確認でもしとくか)
興味は尽きないが、とりあえず、周囲の確認を優先する事にした。
俺は左側から時計回りで順に見てゆく。
だが、これといって気になるところはなかった。
強いてあげるならば、沢山の枯葉や黄化した葉が床に散らばっている事くらいだろうか。
そんなわけで、特に目を引く物はなかったのだが、正面の壁に目を向けたところで、俺はある部分に目が留まったのである。
(ん? なんだ、あの妙な紋章は? 壁画と関係ない場所にあるから、なんか気になるな……どことなく、雪の結晶を思わせる紋章だが……)

そう、それは雪の結晶にありそうな紋章であった。
それが、オブジェの丸い先端部と同じくらいの高さの所に描かれているのだ。
(わけがわからん……。近づいてじっくり見てみたいところだが、余計な事はしないでおこう)
と、そこで、ウォーレンさんの声が聞こえてきた。
「ではロダス神官、ここからは石碑の内容を試してみようと思いますので、我々の好きなようにやらせて頂いてもよろしいですかな?」
「私は立会わせてもらうだけですので、どうぞ、おやりになってください。ですが、上手くいく可能性は限りなく低いと思いますよ。数百年前に、神官の制止を振り切って試された方がいたらしいですが、全て失敗したと記録にありますからね。まぁもっとも、試されたその方は、異端審問にかけられて、処刑されてしまいましたが……」
「ええ、それは私もわかっております。ですが、此度の湖の異変は、ここから始まっているような気がしてならないのです。それに、今回の事については、ヴァリアス将軍も同意しておりますので、このまま退き返すわけにもいきません。ですから、このまま続けさせて頂こうと思います」
「そうですか。なら、これ以上は言いますまい。どうぞ、おやりになってください。その石碑に書かれている浄界の門とやらが上がるかどうかは、やってみなければわかりませんからね」
「ええ。ですので、ロダス神官には申し訳ありませんが、暫しの間、お付き合い下さいますよう、よろしくお願い致します」
ウォーレンさんはそこで俺達の方へ振り返り、これからの説明を始めた。
「さて、それでは今から、そこにある4つの柱に力を籠める作業から入ろうと思うが、その前に各自が受け持つ柱について説明しておこう。まずミロンだが、お前はあの柱へと向かってほしい」
ウォーレンさんはそう言って、左側の奥の柱を指さした。
「はい、わかりました」
「ハルミア殿は左の入り口側の柱をお願いする」
「了解しました」
「それからコータローは、右の入口側の柱をお願いしたい」
「あれですね。わかりました」
「そして、残ったあの柱は俺が向かうとしよう。さて、そこでだが……今から力を籠める作業をするにあたって、言っておかなければならない事があるので、まずはそれを話しておくとしよう。そこにある中央の石碑には、古代リュビスト文字で、こんな文章が書かれている。まずはこの一文だ。【浄界の門に訪れし者よ。4つの祭壇に異なる力を与え、聖なる鍵を然るべき場所に納めよ。さすれば道は開かれよう。……吹き荒ぶ風の力……燃え盛る炎の力……凍てつく氷の力……全てを癒す慈愛の力……それらの力が満たされし時、導きの祭壇にミュトラの紋章が姿を現す】とな」
ミュトラの紋章はともかく、前者の言葉は魔法の事だとは思うが、とりあえずはウォーレンさんの言葉を待とう。
ウォーレンさんは続ける。
「で、今言った内容だが、まず4つの祭壇とは、状況から考えて、この周りにある4つの柱と見て間違いないだろう。それから石碑は、この柱に呪文を籠めろという事を言っているのだと思う。そこでだ。今言った4つの力を魔法に当てはめるとだな、解釈としては、バギ・メラ・ヒャド・ホイミといった魔法になると思われる。なので、今から皆には、力が満ちるまで、これらの魔法を柱に籠め続けてもらいたいのだ。とりあえず、ここまでは理解してもらえただろうか?」
俺達は無言で頷いた。
「では話を進めよう。それで、籠める魔法だが、ミロンにはヒャドを柱に籠めてもらいたい。それからハルミア殿にはホイミをお願いしよう思うが、どうだろうか?」
「ヒャドなら大丈夫です」
「ホイミですね。了解しました」
「ではお願いする」
ウォーレンさんは次に、俺へ視線を向けた。
「それとコータロー、確か昨日、メラ系を使えると言ってたな?」
「ええ、まぁ……」
「ではコータローには、メラをお願いしようか。そして、俺がバギを柱に籠めるという事で、今から始めようと思う。何か質問はあるだろうか?」
俺はとりあえず、手を上げた。
「あの、ウォーレンさん、2つほど質問が」
「なんだ、コータロー?」
「まず1つ目ですが、人の魔力は無限ではありません。場合によっては枯渇する事も考えられます。どれだけ魔力を籠め続けるのかわかりませんが、その場合はどうするのですか? なにか回復できる物などはあるのでしょうか?」
「ああ、それについては対策として、魔法の聖水を沢山持ってきている。だから、魔力が尽きそうになったら遠慮なく俺に言ってくれ。まぁとは言っても、これにも限りはあるがな」
ウォーレンさんはそう言って、自身が持つ大きめの道具袋を指さした。
一応、 準備はしてあるようだ。
「ちゃんと手を打ってあるんですね。わかりました。その時は、そうさせて頂きます」
「で、もう1つの方は何だ?」
「ウォーレンさんは今、柱に魔力を籠めると仰いましたが、どうやって籠めるのですか? 籠める方法とかは、そこの石碑に書いてないのでしょうか?」
すると、ウォーレンさんは頭をポリポリとかいた。
「すまんな、ソイツを言うのを忘れてたよ。で、籠める方法だが……それが実はなぁ、石碑には書いてないんだ。だから、ここは当てずっぽうな方法になるが、皆には柱に直接触れて魔法を行使するという方法をお願いしようと思っていたのさ」
「ああ、そういう事ですか。了解しました」
まぁ分からんもんは仕方ない。
俺はウォーレンさんの指示通りにするだけだ。
「さて、他にはないだろうか?」
誰も手を上げる者はいなかった。
「じゃあ、そういうわけで、よろしく頼む。私からは以上だ。では各自、柱に向かってくれ」
その言葉を合図に、俺達は指示のあった柱へと移動を始めたのである。
[Ⅲ]
人と魔物が戦っている様子が彫られた柱に手を触れ、俺はメラを唱えた。
すると魔法は発動せずに、魔力自体が吸収され、柱は仄かに赤い光を帯び始めたのである。
それはまるで、炎として変換される前に、メラの魔力を吸収するかのような現象であった。
この柱の反応を見る限り、どうやらウォーレンさんの解釈で正しいのかもしれない。
(少し続けてみるか)
俺は何回かメラを唱えてみた。
すると、メラを行使するに従い、柱に帯びた光は、少しづつ強さを増していったのである。
(へぇ……魔法を籠め続けると蓄積されるのか……って事は、メラミもいけるのだろうか? とりあえず、試しにやってみよう)
つーわけで、俺はメラミを唱えてみた。
するとメラミも同じように、柱は吸収したのである。
しかも、メラミの場合は、光の増し具合も少し大きかったのだ。
(どうやらこの感じだと、メラミでもいいみたいだ。なるほどね……この光の強さが、力の蓄積量を表しているとみてよさそうだ。さて、それじゃあ、どれだけ籠めればいいのかわからんが、一丁やってみるか……)――
それから暫くの間、魔法を籠める作業を何度も繰り返していると、柱に異変が現れた。
なんと柱から、「ブーン」という低いモーター音のようなモノが聞こえると共に、眩い光が発せられたのである。
そして次の瞬間、柱の先端から、赤い光線のようなモノが撃ち出されたのであった。
赤い光線は、ポーンのようなオブジェの先端部にある、丸い球体へと向かって伸びていた。
(な、何だ、この光線は……)
それからさほど間をおかずに、他の皆が受け持つ柱からも同じような現象が起き始めた。
青い光線と白い光線、それから緑の光線が、中央のオブジェに向かって撃ち出されたのである。
4つの光線を浴びる中央のオブジェは、次第に、虹のような色彩鮮やかな光を発し始めた。
と、そこで、皆の驚く声が聞こえてきた。
「こ、これはッ!?」
「おお!」
「この光は何なのだ、一体……」
ハルミアさんの疑問にウォーレンさんが答える。
「恐らくですが、石碑に書かれている『力が満たされし時』とは、この現象の事なのかもしれません」
「なるほど、その可能性は大いにありそうですね」
色々と謎の尽きない現象だが、こうやって眺めていても仕方がないので、俺はウォーレンさんに問いかけた。
「それはそうと、ウォーレンさん。どうします? まだ魔法を籠め続けますか?」
「そうだな……とりあえず、これで力は満ちたと仮定して、次に行ってみるとしようか」
「わかりました」
俺は柱から手を離した。
「ではみんな、中央の石碑の前へ集まってくれ。そこで次の説明をしよう」
というわけで、俺達は一旦、中央の石碑前へ集合する事となったのである。
全員が石碑の前に集まったところで、ウォーレンさんはとある一文を指でなぞり、話を切り出した。
「さて、それでは今から、先程の続きであるこの部分を実行しようと思うのだが、まずはその前に、解読した内容を話しておこう。ここにはこう書かれている。【姿現せしミュトラの紋章に、聖なる鍵を納め、光迸る
雷の力を与えるがよい。聖なる鍵と盟約の力により、浄界の門は開かれる】とな」
今の話でどうしても突っ込みたいところがあったので、俺はとりあえず手を上げた。
「あのぉ……ちょっといいですか?」
「ン、何だ?」
「今、光迸る雷の力って言いましたけど、それってデインの事じゃないんですか?」
すると、何でもない事のように、ウォーレンさんは言ったのである。
「ああ、だろうな」
「だろうなって……デイン使えるのって王族だけなんじゃ……」
「フフフ、心配するな。そこはもう手を打ってある」
ウォーレンさんはそこで、ハルミアさんの方に視線を向けた。
するとハルミアさんはウォーレンさんに頷き、予想外の行動に出たのである。
なんと、口元や顎に生えている髭を勢いよく毟り取り、長い髪を引っ張ったのだ。
そして次の瞬間、今まで髭が生えていた箇所からは、きめ細かな白い素肌が露わになり、頭部からは、爽やかなショートヘアスタイルの赤い髪が姿を現したのであった。
そう……ハルミアさんはやはり変装をしていたのである。
しかも、凄い美形のイケメンであった。
スッと通った形の良い鼻に、細い顎と穏やかな目尻の碧眼、そしてニヒルな口元……もうこれがゲームだったならば、この人が主人公だろってくらいに美男子であった。
もし地球にいたならば、セフレには不自由しなさそうなほどである。チクショーってなもんだ。
と、ここで、ロダス神官の驚く声が聞こえてきた。
「なッ!? あ、貴方は……まさか……ア、アヴェル王子ッ! アヴェル王子がどうして此処にッ!」
神官の様子は明らかに狼狽えており、信じられないモノを見るかのように、大きく目を見開いていた。完全に予想外だったのだろう。
つーか、これは俺も予想だにしなかった事である。
変装しているとは思っていたが、まさか王子様だったとは……。
正体を現したアヴェル王子は、ロダス神官に向かい、笑みを浮かべた。
「申し訳ありませんね、驚かせてしまい。まぁ私は昔からフラフラするのが性分ですのでね。大目に見て頂きたい。それに、ミュトラの神殿というのにも少し興味もあったものですからね。だから、無理を言ってウォーレン殿に同行させてもらったんですよ」
「クッ……し、しかしですな……この地は穢れに満ちている為、古来より、王家の者は立ち入らない事になっている筈です。次期国王と目される貴方様が、ここに足を踏み入れるなんて事は、幾らなんでも……」
「ははは、申し訳ない。それはわかってはいるのですが、どうにも、興味の方が勝ってしまいましてね」と、アヴェル王子は爽やかに返した。
ロダス神官は、苦虫を噛み潰したかのように顔を歪める。
「アヴェル王子……此度の事は、アズライル猊下に報告させてもらいますぞ。私も見て見ぬフリは出来ませぬのでな」
「ええ、構いませんよ。どうぞ、報告なさってください。さて、それでは始めようか、ウォーレン」
「ええ」
ウォーレンさんはそこで、懐から小さな木箱を取り出した。
それは来る途中に見せてもらった、あの木箱であった。
ウォーレンさんは木箱の上蓋を開け、中から銀色の鍵みたいなモノを手に取ると、話を進めた。
「さて、では次にだが、コータローとミロンはとりあえず、魔力の回復でもしながら待機していてくれ。ここからは、俺とアヴェル王子でやってみようと思うのでな」
「了解です」
「はい、ウォーレン様」
「ではアヴェル王子、始めましょうか」
「ああ」
そして2人は、中央の祭壇へと向かったのである。
ウォーレンさんとアヴェル王子は、祭壇の前で一旦立ち止まると、少し上にある祭壇の中央部分に視線を向けた。
俺もそこに目を向ける。
すると、見覚えのある紋章が、視界に入ってきたのである。
(ン? あれは……正面の壁と同じやつか)
そう……祭壇の中央には、正面の壁にある雪の結晶みたいな紋章と同じモノが浮かび上がっていたのだ。
しかも、まるで何かを待つかのように、紋章は白い光を携え、ゆっくりと点滅していたのである。
それだけじゃない。その紋章の中心には、前方後円墳を思わせる鍵穴のようなモノまであるのだ。
(あれが、ミュトラの紋章とかいうやつなのだろうか? まぁ流れ的にそんな感じがするが、それにしても……真ん中の穴は、モロに鍵穴って感じの穴だな……)
と、ここで、アヴェル王子の声が聞こえてきた。
「あの紋章がそうみたいですね……」
「ええ、恐らくは。さて、それでは鍵を挿してみましょう」
ウォーレンさんはそう言って、紋章の中心にある穴に先程の鍵を挿しこんだ。
「さぁ準備は出来ました。後はお願いします、アヴェル王子」
「では、少し下がってくれ」
「ハッ」
ウォーレンさんは後ろに下がる。
そこでアヴェル王子は右手を紋章の前にかざし、呪文を唱えたのであった。
【デイン!】
その刹那、アヴェル王子の右手から電撃が迸る。
祭壇に浮かび上がった紋章は、電撃を浴び、一瞬、眩く光り輝いた。
だがその直後……なんと、雪の結晶のような紋章は、フッと祭壇から消えてしまったのである。
そして、挿してあった鍵は祭壇からはじき出され、床に落下したのであった。
それだけじゃない。今まで俺達が籠めた柱の光も、それと同時に消えてしまったのだ。
辺りにシーンとした静寂が漂う。
(あらら……失敗かな、こりゃ)
と、ここで、困惑するウォーレンさんの声が聞こえてきた。
「どうしたんだ、一体……なぜ消えた?」
「ウォーレン、これはもしや失敗という事だろうか?」
「わかりません。ですが、まだ結論を出すには早いです。とりあえず、少し周囲を調べてみましょう。何か変化があるかもしれません」
「だな。少し見てみよう」
「では、コータローとミロンも手を貸してくれ」
とまぁそんなわけで、俺達は暫しの間、この部屋の中を調べる事になったのである。
ウォーレンさん達は何か変わった所がないかと、フロアの隅々を調べはじめた。
そして俺はというと、さっきから紋章が描かれた正面の壁が気になっていたので、そこを調べる事にしたのである。
壁の前に来た俺は中腰になり、周囲の床に目を向けた。
しかし、床には枯葉や黄化した葉っぱが散乱しているだけで、特に目を引く物はなかった。
その為、周囲の調査は程々にしておき、俺は壁の方を調べる事にしたのである。
俺はそこで、壁と床の境目に目を向ける。
すると、壁際に押し寄せる沢山の落ち葉が俺の視界に入ってきた。
この様子からして、風に吹き付けられたのは容易に想像がつく光景であった。
以前、誰かがここに来た時、相当強い風がこの室内に入ってきたんだろう。
(落ち葉だらけでごちゃごちゃしてるが、とりあえず、払いながら調べてみるか。さっきのあの言葉が本当なら、何かそれらしき痕跡があるかもしれない……)
俺は四つん這いになりながら落ち葉を払い、紋章が描かれた壁と床の境目を念入りに調べた。
すると程なくして、あるモノが俺の目に飛び込んできたのである。
それは、壁と床の境目から3cmほどはみ出た、黄色い落ち葉であった。
(お、これは……もしかするとビンゴか)
と、そこで、ミロン君が俺の隣にやって来た。
「コータローさん、さっきからずっとそこにいますけど、何か見つかったんですか?」
「ン? いや、ただ、落ち葉が一杯散らばってるなぁと思ってさ」
「ですよね。僕もさっきからそう思ってました」
「ところでミロン君、これってどう思う?」
俺はそこで、はみ出た落ち葉を指さした。
「この落ち葉が、どうかしたんですか?」
どうやら何も思わないようだ。
「じゃあ、その落ち葉を引っ張ってみてくれるかい」
「え? これを引っ張るんですか?」
「ああ」
「では……」
ミロン君は首を傾げつつ、落ち葉の先端を摘まむと引っ張る。
すると当然、落ち葉は千切れてしまった。
「千切れてしまいましたね。完全に挟まっているみたいです」
「そのようだね。で、どう思う?」
「え……どういう意味ですか?」
もしかすると、鈍い子なのかもしれない。
(まだ気づいてないようだ。まぁいいや。今はとりあえず、流しておこう。さて、それじゃ調査を再開するかな。と、その前に……)
俺はそこで、黄色い落ち葉を1枚懐に仕舞い、調査を続けることにした。
「いや、なに、珍しいなと思ってさ。ただそれだけだよ。さて、他も少し調べるとするか」
「ええ」――
[Ⅳ]
魔の神殿の中に入ってから2時間後、俺達は大した発見もできなかった為、遺跡を後にする事となった。
ウォーレンさんはもう少し調査をしたかったみたいだが、太陽の位置が変わった事で、レミーラが必要なくらいフロアも暗くなってきた為、出直しという決断をウォーレンさんは下したのであった。
まぁそんなわけで俺達はもう帰るだけなのだが、先程の鉄格子の柵を潜ったところでロダス神官は立ち止まり、俺達に先に行くよう促してきたのである。
「さて、皆さん、ここでお別れです。私はエイブラ管理官の代理としてやってきましたので、こちらで仕事をしないといけませんのでね」
ウォーレンさんは深く頭を下げた。
「今日は本当にありがとうございました、ロダス神官。それとアヴェル王子の件ですが……騙すような事をして申し訳ありませんでした。反省しております」
と、そこで、ロダス神官はアヴェル王子に視線を向ける。
ちなみにだが、今のアヴェル王子はハルミアへと戻っていた。なので、髭ボーボーの顔である。
「過ぎた事を言っても仕方ありません。ですが、アヴェル王子の事は猊下に報告させてもらいますので、そのおつもりでいてください。それでは、道中お気をつけて」
「はい。では私達は、これにて」――
程なくして境界門へとやって来た俺達は、その付近にある石造りの建物へと立ち寄る事となった。
そこは魔の島に駐在する魔導騎士達の詰所で、来た理由は、帰りの舟を漕いでもらう交渉をする為である。
詰所は、コンビニを少し大きくした程度の平屋の建物で、室内には中年の魔導騎士が奥に1人いるだけであった。
騎士は今、立派な書斎机に着いて仕事をしている最中のようで、この居ずまいから察するに、ここの責任者なのだろう。
ちなみにその騎士は、白く長い髪をうなじで結った浅黒い肌の男であった。
体格も大きく、筋骨隆々といった感じであり、相当に鍛え上げられているのは容易に見て取れる。
おまけに、根性の座ってそうな眼つきをしているので、かなり強そうに見える騎士であった。
漢字で表すならば、豪傑の二文字がピッタリの男だ。
まぁそれはさておき、ウォーレンさんはその男の前へ行き、
徐に話しかけた。
「ハーディン隊長、お仕事中に失礼する」
「ン? ウォーレンか。どうした?」
「我々の用事は済んだので、帰りの舟を出してもらってもよいだろうか?」
「終わったか。じゃあ、外に行こうか」
ハーディンと呼ばれた魔導騎士はそこで立ち上がり、外へ出た。
俺達も彼に続く。
外に出たところで、ハーディンという騎士は、詰所の近くにいる2人の騎士を呼んだ。
「おい、お前達。ウォーレン殿がお帰りだ。お送りしろッ」
「ハッ」
呼ばれた2人の若い魔導騎士は、キビキビとした動作で此方にやって来た。
良く見ると、来る時に漕いでくれた騎士であった。
この扱いを見るに、ここでは下っ端なのだろう。
「さて、それではハーディン隊長、我々はこれで帰らせてもらいます。今日はありがとうございました」
「礼はいい、ウォーレン。大した事もしてないしな。それよりも、気を付けて帰ってくれよ。最近、魔物も活発になっているそうだしな」
「お気遣いありがとうございます。では、我々はこれで」
だが、俺は少し確かめたい事があったので、それを制止した。
「あ、ちょっと待ってもらえますか、ウォーレンさん」
「ン、どうした? 忘れ物か?」
「いえ、そうじゃないんです。ここにいる魔導騎士の方々に、幾つか訊きたい事があったので……。いいですかね」
「こう言ってるが、良いかな?」と、ウォーレンさん。
ハーディン隊長は頷いた。
「ふむ……まぁ答えられる範囲の事なら、答えよう。で、訊きたい事というのは何だ?」
「ありがとうございます。ではまず1つ目ですが、ここ最近、私達の前に遺跡へ訪れた方がいたと思うのですが、誰かわかりますでしょうか?」
「ウォーレン達の前か……おお、そういえば、10日程前にアズライル猊下の一団がやって来たな」
「アズライル猊下の一団ですか……。ちなみに、何名くらいだったかわかりますでしょうか?」
ハーディン隊長は目を閉じ、考える仕草をする。
「人数についてはハッキリと覚えてないが……確か、十数名だった気がする。まぁ大体そんなところだ」
「そうですか。では次に、猊下がここにやって来た時間帯なのですが、覚えてますでしょうか?」
「来た時間は、今日、ウォーレン達が来たような頃合いだ。要するに朝だな」
「その日は晴れてましたか? それと風は強かったですかね?」
「ああ、そうだ。晴れで、風の強い日だった」
思った通りだ。お蔭でだいぶわかってきた。
俺は質問を続ける。
「ではこれで最後です。話を戻しますが、先程言った猊下の一団に、王族の方はおられませんでしたか?」
「いや、いなかった気がするがな……。というか、この地は王族が来る事はまずない。だからいないと思うぞ。まぁそうはいっても、フードを深く被っていたのが何人かいたから、俺も断言はできんがな」
「そうですか。わかりました。質問は以上です。貴重なお時間、ありがとうございました。それではお仕事頑張ってください、ハーディン隊長」
「ああ」
必要な情報は大体聞けたので、俺はウォーレンさんに言った。
「じゃあ、帰りましょうか」
「ン、あ、ああ……」
ウォーレンさんとハルミアさんは少し首を傾げていた。
多分、俺の質問の意図が分からないのだろう。
とりあえず後で、俺の見解を話しておくとしよう。
[Ⅴ]
桟橋へとやって来た俺達は、そのまま舟に乗り込み、湖岸へと向かって進んで行く。
だが暫く進んだ所で、俺は妙な胸騒ぎを覚えたのであった。
それは漠然とではあるが、俺の中の何かが警告をしているように感じたのだ。
(なんだろう、この感じ……。なんか、嫌な予感がする。行くときは何も感じなかったのに……)
俺は周囲を警戒する。
と、そこで、アヴェル王子が俺に話しかけてきた。
「どうしたんです、コータローさん、ソワソワして。魔物の姿でも見たんですか?」
「いえ……そういうわけじゃないんですが、なぜか胸騒ぎがするんですよ」
理由はないのだが、なんとなく嫌な予感がするのである。
言うならば、ゲームとかでよくある、戦闘不可避イヴェントのお約束な雰囲気といったところだろうか。
とにかく、そういった嫌な感じのモノが、俺の中に渦巻いているのである。
(はぁ……足場が広く使える大きな船ならともかく、こんな小さい舟じゃ戦闘なんてまともに出来そうにない。何もなければいいが……)
などと思っていたその時であった。
―― ザッパーン ――
俺達の行く手を阻むかのように、突然、前方に水柱が立ち昇ったのである。
続いて水飛沫が俺達に降りかかると共に、舟が転覆しそうになるほど、湖面が大きく波打ったのだ。
「な、何だ一体!?」
「なぜ、水柱が……」
立ち昇った水柱は重力に従い、落ちてくる。
そして次の瞬間、なんと水柱の中から、大きさにして10mはある巨大な緑色のイカが姿を現したのであった。
それはもう、化け物と形容して問題ない程の大きさであった。
巨大イカは俺達の方へと接近してくる。
「なんだこの巨大な化け物は!?」
「魔物がなぜ、ここにッ!」
「そんな馬鹿な! 魔物はこの辺りにいない筈だッ」
「また新種の魔物か!」
「あわわ、ま、魔物が……ウォーレン様!」
この突然の事態に、皆、かなり慌てていた。
どうやら、ウォーレンさん達の知らない魔物のようである。
だが俺には見覚えがある魔物であった。
(コ、コイツはまさか、テンタクルスかッ! つーか、何で湖なのにイカがいるんだよ! コイツとこんな所で遭遇するとは……糞ッ)
疑問は尽きないが、見たところ、現れたのはこの1体だけのようだ。
しかし、まだ増える可能性がある為、俺は今、凄く焦っていたのである。
(チッ、不味い……この限られた狭い足場では、まともに戦うのは難しい。しかも、ゲームだとコイツの攻撃力とHPはかなりのもんだった気がする。今のところ1体だけみたいだが、こんな化け物が、沢山現れたら流石に不味いッ。何かいい方法はないだろうか……。ザラキが使えれば、それほど悩む必要もないが、俺はザラキを使えない。おまけに、ヴァロムさんから習った現存する魔法の名前に、ザラキなんて出てこなかった。だから恐らく、ウォーレンさん達も使えないに違いない。クッ、何かいい方法は……)
俺は短い時間で、コイツに効果がありそうな魔法を必死に思い返した。
するとそこで2つの魔法が脳裏に過ぎったのである。
(確か、コイツには……ラリホーとマヌーサがある程度利いた筈だ。今はこの2つからチョイスするしかないか……。力押しで倒すというのも1つの手かもしれないが、これはゲームではない。現実だ。こんな狭い舟の上じゃ、最悪、全滅の可能性だってある。ここは、より安全な方法を選択しよう)
俺は魔物に目を向ける。
するとテンタクルスは、もう目と鼻の先まで迫っていた。
その為、俺はすぐさま両手に魔力を向かわせ、ラリホーを2発お見舞いしてやったのである。
【ラリホー】
その刹那、白く淡い光を発する霧が、テンタクルスを包み込む。
すると、巨大イカはゆっくりと目を閉じ、眠り始めたのであった。
俺はホッと胸を撫で下ろした。
(間に合ったか……どうやら、上手くいったみたいだ)
続いて、俺はウォーレンさんに言った。
「ウォーレンさん、眠っている今の内に早く攻撃した方がいいです。多分、この図体から察するに、相当体力あると思いますから」
「あ、ああ、そうだな。助かったぞ、コータロー」
ウォーレンさんはそこで、魔導騎士とアヴェル王子に指示を出す。
「魔導騎士の2人は漕ぐ手を休めて、魔物を攻撃してくれ。それとハルミア殿も攻撃を頼む」
「了解した」
「はい」
前衛3人はウォーレンさんの指示に従い、テンタクルスに斬りかかった。
だがその時である。
今度は、ミロン君の慌てる声が聞こえてきたのであった。
「ウ、ウォーレン様ッ! 東の空から2体の魔物がこちらにやってきます」
「何ィ!? チッ、上と下からか。不味いな……」
こちらに迫っていたのは、青い衣服を着て、背中に蝙蝠のような翼を生やす、人間のような魔物であった。
手には剣を持っており、髪の無い頭部には烏天狗のような長いくちばしが飛び出ていた。そう、海でよく遭遇するあの魔物である。
恐らく敵は、ホークマンか、もしくはガーゴイルと思われる。
そいつらがこちらへと迫っていたのだ。
(今度はホークマンかよ……ったく、どちらも、ⅡやⅢで海の厳しさを教える嫌な魔物じゃないか。勘弁してくれよ。はぁどうすっかな……とりあえず、ホークマンやガーゴイルは手強い敵だが、HPはそれほど高くなかった気がする。恐らく、メラミ1発で倒せる筈だ。なので纏めて始末したいところだが、都合の悪い事に、2体はまだ俺の間合いに入っていない……)
俺はそこでテンタクルスに目を向けた。
魔物は魔導騎士の攻撃により、目を覚ましそうな気配であった。
(もうすぐ目を覚ましそうだな……どうしよう。前衛にはテンタクルスの対応をしてもらいたいが、マホトーンを使うホークマンも無視できない。それに、他の魔物が襲ってくる可能性もあるから、こんな足場の悪い状況では、戦いを長引かせたくはない。かといって、逃げたところで、この舟の遅さだと追いつかれる事は必至だ。どうするか……)
そうやって悩んでいると、1体のホークマンが俺の魔法の間合いに入ってきた。
しかし、もう1体は更に上空にいる為、まだ間合いの外であった。
(チッ、奴等はバラバラに近づいてるから、メラミで同時に始末する事は出来ないな……空でも飛ばない限り、もう1体の間合いに近づきそうもない。一度に始末できる何かいい方法はないだろうか。早くしないと、テンタクルスが目を覚ましてしまう……。せめてあのホークマンのいる辺りまで飛べたら……ハッ!?)
と、その時、俺の脳裏にある策が閃いたのであった。
(そうか、これなら上手くかもしれない。先手必勝だ。ぶっつけ本番になるが、やる価値はアリだ)
ここでウォーレンさんの声が聞こえてきた。
「クッ、仕方ない。ハルミア殿、奴等への対応もお願いできるだろうか?」
俺はそれを制止した。
「待ってください、ウォーレンさん。この舟の狭い足場では、あまり長い戦いは不利です。早く終わらせる為にも、あの2体は俺が何とかしますから、ハルミアさんには引き続き、あの魔物の対処をお願いしてもらえますか?」
「なんとかするって、お前……一体どうするつもりだ。空にいるのはかなり強い魔物だぞ。俺も奴等と戦った事があるからわかる」
「それはわかっております。まぁここは俺を信じて下さい。それと、俺が眠らせた魔物はラリホーに弱いと思いますから、目を覚ましそうになったら、すぐにラリホーで眠らせた方がいいですよ」
「ああ、それはわかったが……」
「じゃあ、そういうわけで」
ウォーレンさんやミロン君は半信半疑という感じだったが、俺は構わずホークマンへと視線を向け、閃いた策を実行する事にしたのである。
俺は間合いに入っているホークマンに目を向ける。
見た感じだと、俺の斜め上空20m程の位置にホークマンはいた。
俺はソイツに向かい、魔導の手を伸ばす。
そして、見えない手でホークマンを掴んだ俺は、そこで魔力を少し籠め、ホークマンを引っ張ったのである。
【グぇ、何だこの力は】
ホークマンは驚きの声を上げると共に、それに抗おうと羽をばたつかせた。
しかし、それが俺の狙いであった。奴に抗ってもらう事で、俺は飛ぶつもりだからである。
俺はそこで魔導の手に強く魔力を籠め、一気に空へと上昇した。
【グワァァ、見えない力に引っ張られるぅぅ】
するとホークマンは、取り乱したように慌てながら、更に激しく羽をばたつかせた。
その為、俺の接近にまったくと言っていいほど気が付いていなかった。
好機と見た俺は、奴に手が届きそうなほど近づいたところで魔光の剣を発動させ、そのまま勢いを殺さずに、奴の胴体を一刀両断したのである。
【グギャァァァ!】
奴の断末魔の声が空に響き渡る。
だがこれで終わりではない。
20m上空に滞空しているこの状態ならば、やや斜め上空にいる、もう1体のホークマンも間合いに入るからである。
俺は少し体をねじりながら左手に魔力を向かわせ、呪文を唱えた。
【メラミ!】
その刹那、左手から大きな火球が放たれ、上空のホークマンへと襲い掛かる。
そして次の瞬間、火球は爆ぜて燃え広がり、ホークマンを火達磨にしたのであった。
【ギョエェェェェェ!】
ホークマンは悲鳴を上げながら、緩やかに落下していった。
(よし、上手くいった。さて、後は舟に着地するだけだ)
俺は舟に視線を向ける。
すると、少しズレた位置にいたので、このまま落下すると、俺は湖にドボンというコースであった。
その為、俺は魔導の手の魔力コントロールを細かく行って、落下コースを修正しながら落下速度を調整し、フワリと舟に降り立ったのである。
俺はそこで魔光の剣への魔力供給を止め、光の刃を消した。
(フゥゥ……上手くいった)
一度深呼吸をしてから、俺は魔光の剣を腰のフックに引っ掛け、前方へと視線を向けた。
だがその瞬間、俺は驚きのあまり、思わず息を飲んだのであった。
なぜなら、この舟にいる全員が驚いた表情で、俺へと視線を向けていたからである。
そう……なぜか知らないが、俺は注目の的となっていたのだ。
(ウッ、何だよ一体……何で俺を見てるんだ。って、今はそれどころじゃないだろッ!)
つーわけで俺は言った。
「ちょっ……あの、俺を見るんじゃなくて、魔物を見てくださいッ。早く倒さないと、また新手の魔物が来ますよッ! 何してんですかッ!」
「あ……ああ、そうだな……皆、早く攻撃を再開するんだッ! また次が来るかもしれない」
「ええ、そ、そうですね」
ウォーレンさんの号令に従い、魔導騎士達とアヴェル王子はテンタクルスに攻撃を再開した。
そして俺は、彼等の後方支援に専念する事にしたのである。
Lv39 アリシュナでの密談
[Ⅰ]
度重なる俺達の集中攻撃を受け、テンタクルスはかなり動きが鈍くなっていた。
出現した時は10本あった触手も、今は辛うじて2本だけが動いているだけであった。もうあと一息といったところである。
しかし、少し気になる事もあるのだ。
それは何かというと、テンタクルスの触手の1つに祝福の杖が巻き付いているからである。
(あの杖のお蔭で少し手間取ったが、もうそろそろコイツも終わりだろう。でも……あの杖、最近どっかで見た気がするんだよな……どこだったっけ……)
などと思っていたその時、前衛3人が剣に炎を纏わせ、攻撃を開始したのである。
そう、ドラクエでお馴染みの特技・火炎斬りというやつだ。
3人の掛け声が聞こえてくる。
「ハァァ!」
「ムン」
「セヤァ!」
炎を帯びた3つの赤い刃は、テンタクルスに容赦なく襲い掛かる。
そして、その直後、ジュウと焼け焦げる音と共に、テンタクルスはゆっくりと動きを止め、奴の巨体はズブズブと湖の下に沈み始めたのであった。
俺はそこで安堵の息を吐いた。
(フゥゥ……これで終わりだな。思ったより時間が掛かってしまったが、危険は回避したから良しとしよう)
ウォーレンさんもホッとした表情で、肩の力を抜いた。
「ようやく倒せたか……。しかし、打たれ強い魔物だったな。初めて見る魔物だが、倒せてよかったよ」
魔導騎士の1人が相槌を打つ。
「ええ、全くです。おまけに、触手の力も凄かったですよ。私も一度だけ、攻撃を受けましたが、一瞬、気を失いかけるほど強力でしたから」
「俺も目の前で見てたから、よくわかるよ。しかし、ラリホーが効きやすい敵だとは思わなかったな。コータローの早い対応のお蔭で助かったぜ。礼を言うぞ」
ウォーレンさんはそう言って、俺に笑顔を向けた。
「別に礼はいいですよ。強そうに見えたんで、早めの対応を心がけただけですから」
「なるほどな。でも……あの状況でよくラリホーを選択できたな。新種の魔物の場合、ラリホーやマヌーサ系は中々効かないから、攻撃魔法を選択する事が多いのに」
嫌な流れになりそうなので、それっぽい事を言っておこう。
「実は以前、コイツとよく似た魔物に遭遇した事があったんですよ。で、そいつが、ラリホーやマヌーサに弱かったもんですから、物は試しにと唱えてみたんです。だから、そう驚くほどの事でもないですよ」
「へぇ、そうだったのか。まぁさっきの戦いぶりを見る限り、コータローはかなり戦闘経験がありそうだから、その辺の勘は冴えているんだろう。あんな戦い方する魔法使い、初めて見たぜ」
「そこまでのモノでもないですよ。さて、それはそうとウォーレンさん。そろそろ移動を再開しましょう。また魔物が来るかもしれませんから」
「ああ、勿論だ」
ウォーレンさんはそこで魔導騎士達に言った。
「戦闘が終わってすぐで悪いが、動かしてもらえるだろうか。それとできたら、少し速度を上げて頼む」
「ええ、勿論そのつもりです」
魔導騎士2人は先程よりも幾分力を籠め、オールを漕ぎはじめた。
舟は静かに動き始める。
と、そこで、テンタクルスがいた所に、白い杖がプカリと浮かび上がってきたのである。
(ン? あれは……祝福の杖だ。とりあえず、回収しておくか)
俺は魔導の手を使って、祝福の杖を回収し、暫しそれを眺めた。
(外観はアーシャさんのと同じ物だな。至って普通の杖といったところか。でも、つい最近、これをどこかで見た気がするんだよな……どこでだったか……アッ!?)
そこで俺は思い出した。
ついさっきまで一緒にいた人物が、祝福の杖を持っていた事を……。
(そういえば、ロダス神官も祝福の杖を持っていたが……まさか、な。とはいえ、その可能性もあると考えておいた方がいいだろう。魔物達は、人間に化けれる手段を持っているし……。だが仮に、もしそうだったならば、ここから先、イシュラナの神官達は要注意だな。それに、さっきの事もある……油断はしないに越したことはない……)
などと考えていると、そこでハルミアさん、もといアヴェル王子が俺に話しかけてきた。
「その杖がどうかしたのですか?」
「いや、戦利品としてもらっとこうかなと思いましてね」
「そうですか。……ところで、つかぬ事を訊きますが、コータローさんはアレサンドラ家に仕えておいでなのですか?」
妙な質問してきたな。
こんな事を訊いてくるという事は、多分、アーシャさんの件を知ってるのだろう。
「いや、仕えておりませんが……」
するとアヴェル王子は、少し驚いた表情を浮かべたのである。
「え、そうなのですか? ウォーレンから、ソレス殿下のご息女を王都まで護衛してきたと事前に聞いていたものですから、てっきり、アレサンドラ家に仕えているのかと思ってました。そうですか……仕えておられないのですか……」
アヴェル王子の表情は、どこか釈然としないモノであった。
まぁこうなるのも無理はないのかもしれない。
さて、なんて言っておこうか……。
とりあえず、ヴァロムさんの事には触れないように注意しながら、それとなく話すとしよう。
「アーシャ様を王都まで護衛したのは、兄であるティレス様から冒険者として依頼されたからなんです。なので、そんな大した理由ではないですよ」
「え? コータローさんは冒険者なのですか?」
「はい。実はそうなんです」
俺はそこで、首に掛けたドッグタグを見せた。
「そうだったのですか。しかし、ソレス殿下のご子息であるティレス殿から直々に依頼されるという事は、コータローさんは相当に腕が立つ冒険者なのですね」
この流れを早く断ち切りたい俺は、爽やかに笑いながら話題を変えてみる事にした。
「ははは、そんな大層なもんじゃないですよ。おや……向こう岸が薄らと見えてきましたね。ようやく、地面に足をつけられそうです」
だが、アヴェル王子はしぶとかった。
「いいえ、とんでもない。……先程の戦いを見ましたが、あれはその辺の冒険者が出来る戦い方じゃありませんよ。高い魔力と武芸を兼ね備えた我が国最精鋭の騎士・パラディンでも、あそこまで魔力制御できる者はどれだけいるか……。それに、魔法の扱いに秀でた第1級宮廷魔導師でも、あそこまで魔力を自在に制御できるのは、そうはいません。オルドラン家の現当主ディオン様やその御子息、そしてアルバレス家の才女シャール様のような、一握りの者だけだと思います。ですから、私はさっき、凄く驚いたのですよ」
「そ、そうっスカ」
う~ん……何か知らんが、とりあえず、俺はまた余計な事をしてしまったのかもしれない。
この反応を見る限り、ヴァロムさんによる鬼修行の成果の程は、凄かったという事なのだろう。しかし、今はそれが仇となっているみたいだ。痛し痒しである。
(はぁ……どう答えりゃいいんだよ)
と、ここで、ウォーレンさんが俺達の会話にログインしてきた。
「今のところ、魔物の気配はないようだな。どうやら付近にいたのは、あの3体だけだったのだろう。ところでコータロー、さっきの光の剣みたいなのは、何なんだ? あんな武器初めて見たぞ」
ナイスタイミングで話題を変えてくれたので、某奇妙な冒険漫画に出てきたギャンブラーの如く、俺は脳内で呟いたのであった。
(グッド!)
まぁそれはさておき、俺は魔光の剣を手に取り、ウォーレンさんに見せた。
「ああ、コレの事ですか。これは魔光の剣と言いまして、魔力を刃に変換する魔導器です。魔法使い専用の武器といったところでしょうか」
「ほう……ちょっと見せてもらってもいいか?」
「どうぞ。使い方は簡単で、柄を握って魔力を籠めるだけです」
ウォーレンさんは魔光の剣を手に取ると、魔力を籠め、光刃を出現させた。
「へぇ、なるほどな……」
「その剣は使用者の魔力圧と、籠める魔力量で威力が変わるんです。なので、扱いが難しいんですが、条件が揃えば、一撃必殺の威力を持っているので、俺は重宝しているんですよ。魔法が封じられても、これがあれば対処できますからね」
「どこで手に入れたんだ?」
「マルディラントの1等区域にある武器屋です。ですが、その剣はマルディラントにいる魔導器製作家が作った試作品なんですよ。しかも、あまり評判が良くなかったそうですから、正式には売りだされてないかもしれませんね」
「そうなのか? だが、あの魔物を一撃で仕留めたところを見ると、中々、良い武器だと思うがな」
「しかしその分、魔力の消費も半端じゃないんですよ。それがこの魔導器の弱点なんです。……ですが、その問題も、もう少しで改善されることになるかもしれませんが……」
「なんでだ?」
「実はこの間、その製作家の方と直接会う機会があったので、そこでこの武器の改善点を伝えたんです。そしたらですね、魔力消費を調整した物を製作してくれる事になったんですよ。まぁそんなわけで、今はそれを心待ちにしているところなんです」
「へぇ、そうなのか。なんか、俺も欲しくなってきたな。今度、その魔導器製作家に会ったら、俺の分も頼んでおいてくれよ」
この様子を見る限り、ウォーレンさんもジ○ダイ化しそうな気配だ。
仲間が増えるのはいい事である。
「いいですよ。じゃあ、受け取りに行ったとき、ついでに言っておきましょう」
「では私の分もお願いしといてもらえますか。高い魔力圧も必要なのだとは思いますが、あの威力は凄かったですからね」と、アヴェル王子。
2人には興味深い武器なのだろう。
「わかりました。頼んでおきましょう」――
とまぁそんなやり取りをしつつ、俺達は進んで行くわけだが、その途中、俺はミロン君からこんな事を訊かれたのである。
「あのぉ、コータローさん……1つ訊かせてもらってもいいでしょうか?」
妙な質問は勘弁してくれと思いつつ、俺は爽やかに訊き返した。
「ん、なんだい?」
「さっきの戦いぶりを見ていて思ったのですが、コータローさんて……魔法使い……ですよね?」
「俺か? 俺はただのジェダ……ゲフン、ゲフン。ただの魔法使いさ」
ウォーレンさんは、すかさずツッコミを入れてくる。
「いや、ただのではないだろ……。というか、その前のジェダって何だ? ジェダって……」
「な、何でもありませんよ。さっきの戦いで喉が渇いたので、舌が引っ掛かっただけです……ナハ、ナハハハ」
というわけで、相も変わらず、ケイシー・ラ○バックみたいになる俺なのであった。
[Ⅱ]
魔物と遭遇することなく、無事、桟橋へと辿り着くことができた俺達は、送ってくれた魔導騎士達に礼を言った後、付近にあるウォーレンさんの馬車へと向かった。
馬車の周囲には、出発した時と同様、見張りをする兵士達の姿があった。
見たところ、争った形跡も見られないので、恐らく、何も異変はなかったのだろう。
俺達が馬車の前に来たところで、兵士達は頭を下げ、労いの言葉を掛けてきた。
「ご苦労様でした、ウォーレン様にハルミア様」
「お前達もご苦労だったな。ところで、何か変わった事はなかったか?」
「いえ、特に何も。ここはずっと平和そのものでした」
「それはよかった。俺達は湖で、強力な魔物に襲われてしまってな。大変だったんだよ」
「なんと……そうだったのですか。御無事で何よりです」
魔物に襲われたのは、どうやら俺達だけのようだ。
もしかすると俺達は狙われたのかもしれない。確証はないが……。
まぁそれはさておき、ウォーレンさんはそこでアヴェル王子に話しかけた。
「さて、ではハルミア殿……これからどうしますかな。もう少し、あの遺跡について調べてみましょうか?」
「しかし、調べると言ってもだな……もうアレには、これ以上の事は記述されていない。その上、我々が用意した鍵でも駄目となるとな……どこから手をつければよいやら」
「ですが、このまま放っておくわけにもいきますまい。半年に及ぶ調査の結果、異変の中心があの島なのは、もはや疑いようのない事実ですからな」
「それはわかるが……」
アヴェル王子は溜息を吐き、肩を落とした。
かなり落胆の色が窺える仕草である。
イシュラナ神殿側に不快な思いをさせてまで挑んだ実験が失敗に終わったのだから、こうなるのも無理はない。
(だがまぁ、俺は自分のやれることはやったし、もういいだろう。結果はどうあれ……依頼は達成だ。ン?)
などと考えていると、アヴェル王子はそこで俺に視線を向けた。
「ところでコータローさん……帰り際、ハーディン隊長に妙な事を色々と訊いてましたが、もしかして、遺跡の謎がわかったのですか?」
「いや、流石に、遺跡の謎はわかりませんでした。ですが、それ以外に、幾つかわかった事もありましたよ」
「ほぅ……で、どんな事がわかったんだ、コータロー」と、ウォーレンさん。
俺はとりあえず、兵士達に聞こえないよう小さな声で、自分の見解を告げる事にした。
「では重要なところだけ2つ言いましょう。まず1つ目ですが、ロダス神官は初めてあの遺跡に来たと言ってましたが……違いますね。彼はあの遺跡に以前、来た事があると思いますよ」
アヴェル王子が眉根を寄せて訊いてくる。
「え……どういう事ですか?」
「どうもこうも、その言葉通りです。それともう1つ。ここが重要なんですが……浄界の門は何者かによって、既に開かれてる可能性がありますね。それを裏付けるような痕跡もありましたし」
と、その直後、3人は大きく目を開き、俺に詰め寄ってきたのである。
「何だってッ!?」
「えぇッ!?」
「そ、それは本当かッ! なぜそう思うんだ?」
「今ここで、その理由を話してもいいのですが……ここじゃ色々と都合が悪いんじゃないですか?」
俺はそう言うと、兵士達をチラ見した。
「た、確かに、そうだな……ここじゃあまり大っぴらに話すのは不味い」
「この際だ、ウォーレン。アノ場所へ、コータローさんも一緒に来てもらうのはどうだろう? アノ場所なら、そうそう人目につく事もあるまい」
「そうですな……確かに、あそこならゆっくりと話せそうです」
名前を言わずに話しているところを見ると、秘密の場所なのだろう。
(しかしこの王子……こんな変装までして外をうろついてる事を考えると、かなり裏でコソコソとしてるに違いない。一体、何考えてんだか……。そういえば、マチルダさんだったか……やる気が無くて、フラフラしてるとか言ってたのは……。だがまぁ、この人の場合、やる気がないというよりも、この人なりに国を思っての行動な気がするから、そこまでいい加減な人ではないだろう。多分……)
ふとそんな事を考えていると、ウォーレンさんの声が聞こえてきた。
「ではコータロー、とりあえず馬車に乗ってくれるか? 続きは次の所で聞かせてもらうとしよう」
「わかりました」
とまぁそんなわけで、俺達は場所を変える事となったのである。
[Ⅲ]
アリシュナへと戻ってきた俺達は、護衛の兵士達と別れた後、やや西の地域にある真っ白な四角い屋敷の前へとやってきた。
馬車の車窓から、俺はその屋敷を眺める。
屋敷は3階建てのローマ建築風の建物で、外観は白く美しかったが、周囲にある建物と比べると、それほど大きくはなかった。見た感じだと、40坪程度だろうか。
だが立派な庭をしており、そこには、美しい水を湛える丸い池や噴水に加え、綺麗に剪定された木々や、馬にまたがる白い騎士の石像といったモノが、非常に見映えよく配置されているのだ。
それはまさに、貴族の庭園といった感じの光景であった。
(良いなぁ、こういうの……建物はそんなに大きくはないけど、こんな綺麗な庭を眺めて過ごすのなら悪くない。でも、ここは一体、誰の屋敷なんだろ……)
つーわけで、俺は訊いてみた。
「ウォーレンさん、ここは誰の屋敷なのですか?」
「ン、ここか? ここはヴァリアス将軍の旧家だ。今は別邸となっている所さ」
「別邸……という事は、ここに将軍の御家族は住んでおられないのですね」
「ああ。ヴァリアス将軍の御家族は今、上のヴァルハイムに住んでいるからな。ここには屋敷を維持管理する使用人が僅かにいるだけだ。一応、自由に使えばいいと言われているんで、俺達は時々、使わせてもらっているんだよ」
「へぇ、そうなんですか」
昔、アリシュナに住んでいたという事は、出世したからヴァルハイムに引っ越したのかもしれない。
多分、将軍職は世襲じゃないんだろう……。
などと考えていると、そこで馬車は止まった。
「さて、それじゃあ、着いたようだから門を開けてくる。少し待っていてくれ」――
その後、俺はアヴェル王子とウォーレンさんに案内され、屋敷内のとある一室へと通された。
ちなみにそこは、立派なテーブルとソファーが置かれた広い部屋であった。
美術品などが飾られているところを見ると、多分、応接間として使っていた部屋なのだろう。
まぁそれはさておき、部屋の中に入ったところで、アヴェル王子は俺に座るよう促してきた。
「コータローさん、好きな所に掛けてください。私は王子ではありますが、今はお忍びです。格式ばった礼節は必要ありませんから」
「じゃあ、お言葉に甘えまして」
俺はそう言って、ソファーの1つに腰を下ろした。
続いて、他の3人もソファーに腰を下ろす。
というわけで、ここから密談が始まるのである。
まず第一声はアヴェル王子からであった。
「使用人達には用事を与え、一時的に屋敷から出てもらいました。ですから、今此処にいるのは我々だけという事になります。これならば大丈夫でしょう。さて、それではコータローさん、先程の続きを聞かせてもらってもいいでしょうか?」
「わかりました。お話ししましょう。ではまず、なぜそう思ったのかという事ですが……その前に……皆さんは祭壇のある部屋に来た時、ロダス神官が言っていた内容を覚えてますでしょうか?」
「ロダス神官が言っていた内容ですか……それは部屋の中に入ってすぐにあった、ウォーレンとのやり取りの事ですか?」
「ええ、そのやり取りです」
「あの時の内容といっても、そんなに大した話はしてないぞ。あの神官は、失敗するだろうからやめておけと言っていただけの気がするが」
「ええ、確かにそうなのですが、私が問題視しているのはそこの事ではなく、その後の言葉なんですよ」
「後の言葉?」
3人は首を傾げる。
気づいてないようなので、話を進めることにした。
「あの時、ロダス神官はこんな事を言っていたんです。『その石碑に書かれている浄界の門とやらが上がるかどうかは、やってみなければわかりませんからね』とね」
「それがどうかしたのか?」
「門が上がる……門が上がる……なんか気持ち悪い言い方じゃないですか? 普通、門は開くと表現するんじゃないですかね。ウォーレンさんが石碑の内容を解読した際も、『門が開かれる』となってましたし」
「そういえばそんな事を言っていたな……まぁ確かに語呂の悪い言い方だが、それの何がおかしいんだ?」
ウォーレンさんはそこまで疑問に感じないようだ。
仕方ない。答えを言おう。
「実はですね、その言葉を聞いてからというもの、私はこう考えてたんですよ。『おや? この人、何で門が上がると思ったのだろう』とね……。そう考えるとですね、導き出される可能性は2つしかないんですよ。1つは間違えてそう言ってしまった可能性。もう1つは門が上がる事を前から知っていたという可能性です」
【アッ!】
ようやく3人は気付いたようだ。
「まぁそんなわけでですね、それがずっと引っ掛かっていたもんですから、俺はどこかに物が上がった形跡はないかと調べてみたんです。そしたら……あったんですよ。上がった形跡が」
ウォーレンさんが前のめりになって訊いてくる。
「なんだと……それは本当かッ!? どこにそんな形跡があったんだ?」
「あの紋章が描かれている正面の壁と床の境目ですよ。そこに壁が上がったと思われる形跡がしっかりと残っておりました」
ミロン君がここで声を上げた。
「あ、そうか! あの挟まった落ち葉が、その証なんですね」
俺は頷いた。
ようやく気付いてくれたみたいだ。
アヴェル王子が訊いてくる。
「なんですか、その挟まった落ち葉というのは?」
俺はそこで、懐から1枚の黄化した葉を取り出し、テーブルの上に置いた。
「壁と床の間に挟まっていたのは、これと同じ種類の落ち葉です。外から入ってきた落ち葉が、壁と床の間に挟まるという現象は、普通有り得ませんからね。ですから、あの壁が動いたとみて、ほぼ間違いないと思いますよ」
「なるほど……確かに、コータローの言うとおりだ。落ち葉が自然に、壁と床の間に挟まるなんて事は、まずあり得ないな」
「ええ、有り得ません。それとですね、この黄化した落ち葉は、壁が上がった事を証明するほかに、もう1つ別の事も語っているんですよ」
「別の事?」
「ええ。この落ち葉は、こう言ってるんです。……壁が上がったのは、それほど前ではないという事を」
3人は俺の言葉を聞き、落ち葉を凝視した。
ウォーレンさんは落ち葉を手に取り、ボソリと呟く。
「まだ完全に枯れていないところを見ると、確かに、そんなに前ではない。そうか……だからコータローはあの時、ハーディン隊長にあんな事を質問していたのか……」
「ええ、だからです」
アヴェル王子が訊いてくる。
「……コータローさんはどう考えているのですか? ハーディン隊長は、アズライル猊下の一団が我々の前にやって来たと言ってましたが、浄界の門を開いたのはアズライル猊下だと?」
「いや、その辺はまだ何とも……。可能性はあると思いますが、断言はできません。確実な証拠がありませんからね」
一応、そう答えたが、7割方はそうだろうと考えていた。
なぜなら、あの島の厳戒体制を考えると、外部からの侵入は難しいと言わざるを得ないからだ。つまり、浄界の門を開いたのは、あの島に上陸しやすい者の可能性が高いのである。
そして更に、浄界の門を一番開けやすい条件となると、魔の島にすんなりと上陸できる人物であり、警備する魔導騎士や神官達が怪しむ事など全くない、身元のハッキリとした地位の高い人物、それから遺跡に入る為の鍵を自由に持ち出せる立場の人物であって、立会人である神官達が逆らえない人物で、それでいて、王族に影響力がある人物が、一番可能性が高いのだ。
要するに、今のところそれらの条件に適合する訪問者は、アズライル猊下の一団だけなのである。
それだけじゃない。浄界の門が開かれたと仮定してあの部屋の状況を考えると、入り口の扉が開いていて、外は強い風が吹いていたと考えるのが自然だからだ。
扉を開けっぱなしにしていたのは、恐らく、暗い神殿内に外の光を取り入れる為だろう。
さっき俺も中に入ってわかった事だが、朝の日射しならば、いい感じに光が届くので、レミーラや松明がなくても十分に明るくできるからである。
そしてこの事実が、俺がロダス神官に不審を抱くきっかけになった事でもあるのだ。
理由は勿論、厳戒態勢を敷いているにも拘らず、神殿の扉を閉めなかったからだ。
そう……あれだけ厳戒態勢を敷き、入口を開けっ放しにするという行動は、首尾一貫していないのである。
俺がそんな事を考える中、アヴェル王子は質問を続けてきた。
「そうですか……。ところで、ハーディン隊長とのやり取りで、最後に王族の者がいたのかどうかを訊いてましたが、あれはどうしてですか?」
「ああ、それはですね。遺跡で試された事は、8割がた成功しているんじゃないかと思ったからですよ」
「コータローもやはりそう思うか」
「ええ。少なくとも、『4つの祭壇の力が満ちた時』というくだりのところまでは成功していると思うんです。実際、石碑に書かれていたとおり、中央の祭壇にあの紋章が浮かび上がってきましたから。となるとですね、石碑は今のところ、嘘は言ってないということになります。で、それを元に考えるとですね、お2人が試された『聖なる鍵』と『光迸る雷の力』の解釈が間違っているのではないかと思うんですよ」
「なるほどな……ちなみにコータローは、何が間違っていると思う? やはり聖なる鍵の部分か? それとも両方か?」
「4つの力の解釈が合っていたとするならば、間違っているのは『聖なる鍵』の解釈となるでしょうね。まぁそれもあったので、私は王族の方が一団にいたのかどうかを訊いてみたんですよ。解釈が合っているのならば、浄界の門を開くには、デインが必要となりますからね」
「だからあの質問をされたのですか。まぁ確かに、石碑は今のところ嘘は言ってない気がします。しかし……そうなると、大きな疑問が浮かび上がってくるんですよ」
アヴェル王子はそう言って眉間に皺をよせ、難しい表情を浮かべた。
多分、アノ事だろう。
「それは……なぜ、魔の神殿がデインを扱う者の力を必要とするのか? って事ですかね」
アヴェル王子は頷く。
「ええ……。私達が小さい頃から教えられてきたミュトラの存在は、邪悪な魔の神とされてますからね。なので、それがわからないのです。それに、そもそもデインは、イシュマリアの血族としての証であります。イシュマリアはイシュラナの御子ですから、当然、ミュトラとは対極の存在なのです。ですから、今の解釈が正しいと仮定すると、あの神殿がイシュマリアの力を必要としている理由が、さっぱりわからないのですよ」
「まぁ確かに、そこは大きな謎ですが……何れにせよ、今のこの状況だと、間違っているのは鍵の解釈だと思いますよ」
(そして……石碑の解釈が正しいならば、必然的に、門を開けた者は本物の聖なる鍵と、デインを行使する者を手に入れているという事になる……か。門を開いたのは敵か味方か……いや、人か、魔物か、と考えた方がいいか。まぁ流れ的に、門を開いたのは後者の方だろう。つまり、魔物の手の中に、『聖なる鍵』と『光迸る雷の力』がある可能性が高いって事だ。はぁ……なんか超面倒な事になってそう……)
と、そこで、ウォーレンさんが残念そうに言葉を発した。
「フゥゥ……実は、俺もそんな気がしてたんだよ。ギルレアンが試していない事だったから、少し期待はしてたんだがなぁ……やはり、この鍵では駄目だったか」
ウォーレンさんはそう言って、鍵をテーブルの上に置いた。
期待してた分、失望も大きいのだろう。
まぁそれはさておき、聞きなれない単語が出てきたので、とりあえず、俺は訊いてみる事にした。
「今、ギルレアンと仰りましたが、何ですかそれ?」
「ギルレアンとは、500年以上前に、魔の神殿の謎を解こうとした宮廷魔導師の名前さ」
「もしかして、ロダス神官が言っていた異端審問に掛けられたという人ですか?」
「ああ、その人だ」
「そうですか……。でも、その人が試してない事だと、どうしてわかったんです? どこかに記録でも残されていたんですか?」
ウォーレンさんはゆっくりと頷いた。
「ああ、ご推察の通りだ。実はな、アムートの月に入った頃、俺が城の書庫で調べ物をしていた時に、偶然、ギルレアンの研究記録を見つけたんだよ」
「へぇ……凄いですね。異端審問に掛けられたという事は、その人の主義主張などが記述された物は、普通、焚書扱いになってそうなもんなのに……。奇跡的に残っていたんですね」
少し偶然過ぎる気もするが、今は置いておこう。
「ああ、全くだ。まぁそういうわけで、偶然見つけたその記録を元に、俺達は色々と考察をして今日は挑んだんだよ。……失敗に終わっちまったがな」
俺は今の話を聞いて、ようやく合点がいった。
「なるほど、そういう事だったんですか。これで納得がいきました。実は俺、ウォーレンさんがあの鍵を箱から取り出してからというもの、今までずっと疑問に思っていたんですよ」
ウォーレンさんは首を傾げる。
「鍵が疑問? どういう意味だ?」
「だって、ウォーレンさんは聖なる鍵を入れる鍵穴を見た事ない筈なのに、偽物とはいえ、その穴に入る大きさの鍵を用意できていたので、それが不思議だったんです。でも今の話を聞いてようやく謎が解けました。要するに、その研究記録には、紋章が浮かび上がる事の他に、そこに現れる鍵穴の大きさや、深さの事まで記述されていたのですね」
「あ、ああ、そのとおりだが……お前って、本当に細かいところまでよく見てるな。そんな事まで気にしてるとは思わなかったぞ」
ウォーレンさんはそう言って、驚いた表情を浮かべた。
「凄いですね……コータローさんて本当に凄い洞察力してます。こんなに深く物事を見れる人、私は初めて見ました」と、ミロン君。
「まぁ性分みたいなもんだよ」
「しかし、ウォーレン……隠居生活を送るバジャル殿に無理を言って作ってもらったが、その鍵は無駄になってしまったな。バジャル殿には悪い事をしてしまった」
「致し方ないでしょう。私も、そう簡単にはいかない気がしてましたし。それに、バジャル殿自身が、上手くいく保証はないと言ってましたのでな」
「バジャル殿?」
ウォーレンさんが答えてくれた。
「その昔、イシュマリア城で魔法錬成技師をしておられた方だ。今は隠居して、オヴェール湿原を越えたところにある、ラズリット荒野におられるがな」
ラズリット荒野……確か、ピュレナとオヴェール湿原の間に広がる荒野の名前だ。
「ン? という事は、3日前、俺達とオヴェール湿原で出会った時は、そこから帰る途中だったのですか?」
「ああ、そうだ。まぁその時は、コータロー達とこんな風になるとは想像もしてなかったがな」
「俺もですよ」
同感であった。
ベルナ峡谷でヴァロムさんに拾われ、今はこの国の王子と話をしているのだから、人の縁というものはよくわからないものである。
とはいえ、今はこんな話をしていても仕方ない。
それに、俺も他にしなきゃならない事があるので、今日は終わりかどうかを確認する事にした。
「ところで、これからどうされるのですか? もう今日は終わりですかね?」
するとアヴェル王子とウォーレンさんは顔を見合わせ、少し肩を落としたのである。
アヴェル王子はボソリと呟いた。
「これからか……どうするといいのだろうな。あの神殿が怪しいのは、魔物の勢力調査で間違いないと思うのだが、如何せん、その先に進む為の手がないんではな……」
「魔物の勢力調査?」
「そういえば、コータローには言ってなかったか……。まぁついでだ、話しておこう。そのかわり他言無用だぞ」
「わかりました」
俺が頷いたところで、ウォーレンさんは話し始めた。
「我々はヴァリアス将軍の命令で、半年もの間、新種の魔物の出現地域を調査していたんだが、調べてゆくうちに、ある事実が判明したんだよ」
「ある事実?」
「ああ。それはな、あのアウルガム湖を中心にして、弧を描くように、新種の魔物達は出現しているという事がわかったのさ。しかも強い魔物ほど、アウルガム湖よりでな。だから俺達は、その湖の更に中心に位置するあの遺跡に目を付けたんだよ。そしてつい最近になって、今度は湖の生き物がいなくなるという怪現象まで現れたもんだから、俺達はイチかバチか、あの石碑に書かれている事を試す事にしたのさ」
「そういう事があったのですか……。だからあの遺跡に拘っていたのですね」
「ああ、それが理由だ。まぁかなり大変な調査だったがな」
この口ぶりを見る限り、相当広範囲に渡って綿密に調査をしたのだろう。
(なるほど……新種の魔物が出現する区域の中心が、あの島だったのか……。それなら、あの遺跡が怪しいと考えるのは当然だろう。となると、ここで考えられるのは、ラーのオッサンがフィンドで言っていた『精霊王リュビストが施した浄化の結界』の話だが……ここで確認するわけにもいかないから、今は記憶に留めておくだけにしよう)
俺はそこで、ギルレアンの研究記録について訊いてみる事にした。
「ところで、そのギルレアンという方の研究記録には、他にどんな事が書かれていたのですか?」
「まぁ色々と書かれてはいたが、遺跡に関しては、あんなもんだ」
「そうですか……ちなみに、ギルレアンという方は、聖なる鍵について、どういう風に考えていたのですかね?」
「ギルレアンの研究記録には、こう記されていた。『聖なる鍵とは、恐らく、古の魔法錬成技法によって創られし鍵・アブルカーン。アブルカーンなくば、門は開けぬであろう』とな」
また新しい単語が出てきた。
「アブルカーンですか……」
「ああ、アブルカーンだ」
「なるほど。ところで……アブルカーンって、なんですか?」
【……】
すると次の瞬間、シーンとこの場は静まり返ったのである。
遠くで鳴く小鳥の囀りも聞こえるくらいに……。
暫しの沈黙の後、ウォーレンさんが口を開いた。
「ハァ!? 何言ってんだ、お前……からかってるんじゃないだろうな」
「いいえ、真面目に訊いてます」
「ア、アブルカーンとは、古代魔法王国カーペディオンの遺物として知られる魔法の鍵の事ですよ。我が国にもその昔、あったと云われております。まぁここでは一般的に、カーンの鍵とも言いますがね。というか、知らないのですか?」と、アヴェル王子。
俺はコクリと頷いた。
「ええ、全く」
古代魔法王国のくだりから察するに、多分、俺が所有しているカーンの鍵の事で間違いないだろう。
つまり、俺は今、かなりデリケートな話題をしているという事である。
(要するに……ウォーレンさん達はバジャルという人に、カーンの鍵モドキを作ってもらっていたという事か。なるほど……だが、アヴェル王子とウォーレンさんには悪いが、鍵に関してこれ以上の協力は難しいな。俺も役目というのがある。とりあえず、余計な事は言わないでおこう)
と、ここで、ミロン君は探るように訊いてきた。
「コータローさん……本当に知らないんですか? 貴方ほどの魔法の使い手が、アブルカーンの事を知らないって変ですよ。本当はからかってるんじゃないんですか?」
「いや、本当に知らない。つーか、古代リュビスト文字も俺は読めないしね。だから、さっきの遺跡では何が何やらサッパリだったんだよ。なんつーか、その……意味不明? みたいな……」
「そ、そうなんですか。なんか不思議な方ですね。コータローさんて……」
ミロン君はそう言って、微妙な表情を俺に向けた。
どうやら、俺はまたもや、この国における一般常識の欠落を露呈してしまったようである。残念!
まぁそれはさておき、アヴェル王子が仕切り直しとばかりに、俺に話しかけてきた。
「それはそうとコータローさん、話は戻りますが、魔の神殿がデインを必要としている事について、貴方はどう思われますか? 是非、貴方の意見を聞かせてもらいたい」
また難しい事を訊いてくるな。
仕方ない。とりあえず、あまり深い話はしないでおこう。
「私が今考えられるのは3つの可能性だけです。まず1つ目は、あの石碑が嘘を言っているという可能性。2つ目は、イシュラナか、もしくはイシュラナ神殿側が嘘を言っているという可能性。そして3つ目は、私達の解釈が間違っているという可能性です。しかし、今はこれらの疑問に対して確実な決断を下せる材料がありません。ですから、それらを裏付ける証拠でも出てこない限り、問題は解決しないと思いますよ。まぁ、これが俺の意見です」
俺がそう告げた瞬間、3人は無言になった。
だが程なくして、ウォーレンさんとアヴェル王子の笑い声が、室内に響き渡ったのである。
「フハハハ。コータローはハッキリと言ってくれるな。お蔭でスッキリしたよ」
「ああ、ウォーレン。やはりコータローさんは思った通りの方だ」
意味が分からんので、俺は訊ねた。
「あのぉ、どういう意味ですか?」
「決まっている。今言った2つ目の言葉は、ここに住む者なら、躊躇する言葉だからだよ。普通は中々言えない言葉だ」
それを聞いた途端、俺はサァーと血の気が引いた。
(ヤ、ヤバ……よく考えたら、コレって思っきり異端者発言やんけ……ちょっ、どうしよう……)
俺の表情を見て察したのか、ウォーレンさんは頭を振った。
「心配するな。密告したりはしない。俺もどちらかというと、イシュラナ神殿にはよく思われてない方だからな」
「それを言うなら、俺の方はもっとだ。というか、今日の一件で、俺に対するイシュラナ神殿側の覚えは最悪になっただろうから、多分、次の国王はアルシェスで決まりだな。ハハハ」
2人は腕を組みながら、豪快に笑っていた。
しかもアヴェル王子はいつの間にか、人称が私から俺に変化していたのである。
どうやら、これが素の姿なのかもしれない。
そして俺とミロン君は、若干引き気味に、そんな2人を見ていたのであった。
(なんなんだこの人達は……イシュラナ神殿の事が嫌いなんだろうか)
とりあえず、訊いてみた。
「あの失礼ですが、お2人は、イシュラナ神殿側の事をあまりよく思ってないのですか?」
「まぁそういうわけでもないんだが、何かと面倒な団体だからな。俺達も色々と衝突する事があるのさ」とウォーレンさん。
「俺はあまりではなく、大嫌いだよ。まぁついでに言うと、イシュラナ神殿側も俺の事を嫌っているから、お互い様だけどな。しかもご丁寧に、俺に仇名までつけて広めているくらいだ。お蔭で世間では、フラフラ王子と呼ばれるくらいに出世してしまったよ。全く、ありがたい話だよ、ホント」
「ハハハ、相変わらずですな、アヴェル王子は」
2人は気の合う友人のような雰囲気であった。
多分、いつもこんな感じなのだろう。
Lv40 ヴィザーク・ラヴァナ執政区(i)
[Ⅰ]
翌日の朝食後、俺はヴァロムさんの指示を実行する為、ウォーレンさんの屋敷を後にした。
屋敷を出た俺はフードを深く被り、顔を隠す。
そして、ラヴァナ・ヴィザーク地区へと向かい、移動を開始したのである。
ちなみにだが、ウォーレンさんには一応、屋敷を出る際に「王都の街をゆっくりと見てみたいので、これからラヴァナに出掛けてきます」と伝えておいた。
ウォーレンさんは、「ミロンは俺の使いで外に出ているから、今はいないんだよ。どうする? 誰か他の者を案内人として付けようか?」と訊いてきたが、今回の指示は誰にも知られてはならない事な為、俺は「適当に見てくるつもりなので、別に案内人はいいですよ。夕刻までには帰りますから」とだけ告げ、屋敷を後にしたのである。
ウォーレンさんもそれで納得していたので、不審に思うなんて事はない筈だ。
それからアーシャさんには、ヴァロムさんから秘密の指示があるので、少し出かけてくるとだけ伝えておいた。
するとアーシャさんは、少し心配そうな表情で「……気を付けてくださいね。あまり御無理をなさらずに」と言って、俺を静かに送り出してくれたのである。
少しゴネるかと思ったが、ヴァロムさんの名前を出したのが効いたのだろう。アーシャさんも流石に察してくれたみたいだ。
とまぁそんなわけで、今の俺はようやく自由に出歩けるようになったのだが、ここで1つ問題が出てくるのである。
それは何かというと、ラヴァナ・ヴィザーク地区は、ウォーレンさんの屋敷から結構離れているという事だ。そう……徒歩で行くような距離ではないのである。
というわけで、今日の移動手段は、馬車タクシーである辻馬車を利用する事にしたのであった。
ラティの話だと、王都ではよく利用されている交通機関なので、大きな通りを歩いていればすぐに停留所が見つかるそうだ。
だがとはいうものの、この辻馬車も1つ問題があるのだ。
それは、アリシュナの辻馬車はラヴァナには行かないという事であった。
その為、俺はとりあえず、ウォーレンさんの屋敷から一番近い城塞南門まではアリシュナの辻馬車で行き、そこからは徒歩で、ラヴァナへと向かったのである。
ちなみにだが、アリシュナの馬車料金は100Gであった。高いと思ったのは言うまでもない。
まぁそれはさておき、魔導騎士が屯する城塞南門を抜けてラヴァナを暫く進むと、前方に辻馬車の停留所が見えてきた。
つーわけで、俺はそこで馬車を探す事にしたのである。
停留所にやって来たところで、俺は周囲を見回した。
空港や駅のタクシー乗り場みたいに、道の端に停めてある数台の馬車が視界に入ってくる。
だが、どの馬車も今は客と交渉中であった。
(空いてる馬車がなさそうだな。少し待たないと駄目か……ン?)
と、そこで、客がいない1台の小さな馬車に目が止まったのである。
見た感じだと、人力車を少し大きくしたような馬車で、定員にしてギリ2名といったところだろうか。
周囲の馬車と比べると、かなり小さい部類である。
御者席に目を向けると、暇そうにパイプをふかす、カウボーイみたいな格好をしたオッサンがいた。オッサンは今、パイプをふかしながら、前の通りをぼんやりと眺めているところだ。
(……モロに客待ちって感じだな。少し小さい馬車だけど、どうせ俺1人だけだし、あれでいいか。とりあえず、あの馬車と交渉してみよう……)
俺は馬車に近寄り、オッサンに声をかけた。
「あの、すんません。ヴィザーク地区までお願いしたいんですけど、出せますかね?」
オッサンは驚いたのか、パイプを落としそうになりながら、慌ててこちらに振り返った。
「おわッ!? おととと、きゃっ、客か。悪い悪い。で、どこに行くんだって?」
「ヴィザーク地区です」
「ン、ヴィザークですか。……ここからだと少し遠いんで、料金は15ゴールドになりやすが、それでもいいですかい?」
(安っ……やっぱアリシュナは高いなぁ。まぁ馬車自体が高級感あるし、しゃあないか)
まぁそれさておき、俺は返事をした。
「ええ、構いませんよ」
「なら交渉成立だ。乗ってくんな」
「ではお願いします」
馬車に乗り込んだところで、俺はオッサンに言った。
「出してもらえますか」
「では行きやすぜ、出発進行~、ハイヤッ!」
そして馬車は、オッサンの陽気な声と共に、静かに動き始めたのである。
馬車が動き始めたところで、俺は王都の見取り図を広げ、自分の現在地を確認することにした。
ちなみにこの見取り図は、ヴァロムさんの指南書に同封されていた物を、俺が日本語で書き直した物だ。

(……もう少し進むと、アーウェン商業区へと続く大通りの交差点に出るな。そこを右折して、あとはラヴァナ環状通りを暫く進めば、ヴィザーク地区か……。問題はどの辺りで馬車を降りるかだが、ルグエンという代書屋はヴィザーク地区の少し外れた位置に居を構えていると、ヴァロムさんの指南書に書いてあった。ここは用心の為、その少し手前辺りで降りた方がいいか……)
ふとそんな事を考えていると、御者席にいるオッサンが俺に話しかけてきた。
「ところで旦那、ヴィザークには何の用ですかい?」
(だ、旦那……。そんな風に言われたの初めてやわ。まぁそれはともかく、適当に流しとこう)
「野暮用です」
「へへへ、やっぱり、野暮用ですかい」
「やっぱり?」
意味が分からん。
「へい。あの辺りは、ラヴァナの執政区になりますんでね。あそこに用がある者と言えば、お上にお伺いを立てに行く者か、イシュラナ大神殿に用がある者と相場が決まっておりますんでさぁ」
「ふぅん……なるほどね」
そういえば指南書にも、ヴィザーク地区はラヴァナ執政区だと書いてあった。
まぁ早い話が、役所関連の施設が多い区域なのだろう。
これから想像するに、この国の代書屋も、日本で言う行政書士や司法書士みたいな仕事をしてるに違いない。
そういえば以前、ヴァロムさんも言っていた。文字の読み書きが出来ない者も、結構いるみたいな事を……。
もしかすると、この国の識字率は低いのかもしれない。
まぁ中世のヨーロッパも、かなり識字率が低かったらしいから、案外、それが普通なのだろう。
その後、馬車は通りを右折し、ラヴァナ環状通りを真っ直ぐ進んで行った。
俺は暫しの間、流れ行くラヴァナの街並みをぼんやりと眺め続ける。その間、俺達は無言であった。
視界に入ってくるラヴァナの街並みは、朝だというのにかなり活気に溢れていた。貴族のように着飾った者はいないので、アリシュナのように品のある雰囲気ではないが、こういう庶民的な雰囲気も捨てたもんじゃないなと俺は思った。
そんな街の様子を眺めていると、御者席からまた声が聞こえてきた。
「旦那、この辺りからヴィザークになりますが、どの辺りまで行きますかい?」
俺はそこで見取り図に目を落とした。
「そうですね……では、もう少し進んでくれますか。目的の場所に近づいたら、指示しますんで」
「へい、わかりやした。って、あらら……こりゃまた、面倒な時に来ちまったもんだ」
オッサンはそういうや否や、馬車のスピードを弱めたのである。
「どうしたんです。何かあったんですか?」
「すいやせん。少しの間辛抱してくだせぇ。どうやら、今丁度、イシュラナ大神殿にアズライル猊下が降りてきているみたいなんです。なもんで、西の大通り交差点は、一時的に通行止めになってるんでさぁ」
「猊下が?」
「へい。横の窓から顔を出してもらえば見えますぜ。あそこでさぁな。今、馬車から手を振っている方が猊下ですぜ」
俺は車窓から顔を出し、御者の指さす方向に視線を向けた。
すると、沿道に詰めかけた住民達に見守られながら進む、イシュラナの神官達の大行進が視界に入ってきたのである。
大半は白い神官服の者達であったが、赤や緑や青といった高位の神官服を纏う者達の姿も確認できた。
そして、それらの行列の中に、煌びやかな金色の馬車が通るのを俺の目は捉えたのである。パッと見は、霊柩車かと思うくらい金ピカであった。
また、その馬車の窓からは、美しい顔立ちをした銀髪の美青年が顔を出しており、今は沿道の住民達に向かって、爽やかに微笑みながら、手を振っているところであった。
(へぇ、あれがアズライル教皇か……思ったより若いな。おまけに爽やかな美丈夫ときたもんだ。チッ……なんか納得いかねぇ……。宗教のトップは、ジジイじゃねぇとしまんねぇだろ!)
などと思っていると、そこで、御者のオッサンの声が聞こえてきた。
「ここ最近、魔炎公の件があってからというもの、こういう事が多いんでさぁ」
「投獄されたって話の事ですか?」
「へい。これも多分、それ絡みだと思いますぜ。今日もまた、イシュマリア司法院側とイシュラナ大神殿側とで、異端審問の採択を巡る継続審議をするんじゃないですかね」
イシュマリア司法院……。
ヴァロムさんの指南書に出てきた名前だが、ニュアンス的に、多分、日本の法務省にあたるところだろう。
「へぇ、そうなのですか。イシュラナ大神殿も色々とバタバタしてるんですね」
「そうでさぁ。ですが、それも、もうそろそろ終わるって話ですぜ」
「終わり? なぜですか?」
「いやね、あっしも噂で聞いたんですが、司法院側と大神殿側の継続審議も、そろそろ大詰めを迎えるって話なんでさぁ。しかも、火炙りの刑ってことで9割がた結論が出ているみたいですぜ」
火炙りの刑……つまり殺されるって事だ。
事の真偽はわからないが、急いだ方がいいかもしれない。
「じゃあ、近いうちに、刑が執行されるかもしれないってことですか」
「かもしれやせんね。まぁ噂では、ヴォルケン法院長が首を縦に振れば、もう決まりって話ですぜ」
「法院長が了解すれば?」
「へい。この間、チラッと耳にしたんですが、イシュマリア司法院を統括するヴォルケン法院長が、それに難色を示してるらしいんでさぁ。なもんで、ヴォルケン法院長が了承すれば、もう刑は執行されるとみていいんじゃないですかね」
「それは初めて聞きました。なるほど」
ヴォルケン法院長……ここでこの名前が出てきたか。
この人もヴァロムさんの指南書に出てきた名前だが……とりあえず、今は知らんフリをしておこう。
「でも、法院長がいくら反対したところで、イシュラナ神殿側の決定を覆すのは難しいんじゃないのですか?」
「しかし、旦那。この国に仕える有力貴族の断罪は、イシュマリア司法院が最終判決を下すことになってるんでさぁ。なもんで、イシュラナ神殿側もそこは尊重してるみたいですぜ。まぁそうはいっても、ヴォルケン法院長を含む4名の法務官の内、2名が、イシュラナ神殿側の決定に従う姿勢を見せてますんで、判決が下されるのは時間の問題だと言われてまさぁね」
「ふぅん……。じゃあ、ヴォルケン法院長の権限で、辛うじて踏みとどまっている状態ってことか」
「みたいですぜ」
なるほどね……なんとなく今の状態がわかってきた。
どうやら、このイシュマリア司法院だけが、イシュラナ神殿側の決定に抗える、唯一の機関なのだろう。
(つまり……ヴァロムさんの命は、首の皮一枚で繋がっているって事か。だがこれも、ヴァロムさんにとっては想定の範囲内なんだろう……)
御者のオッサンは話を続ける。
「まぁそんなわけで、今もイシュマリア司法院とイシュラナ神殿側で話し合いが続いている真っ最中らしいんでさぁ」
「じゃあ、もう時間の問題って事ですかね」
「と思いやすぜ。ですが……あっしはねぇ、魔炎公ヴァロム様が王家と神殿に対し、不敬を働いたって話が、今でも信じられねぇんでさぁ」
「信じられない?」
「へい。あの方はですね、アズラムド王の親友でもあり、全幅の信頼を寄せる稀代の宮廷魔導師と云われるほどの御仁って聞きます。なもんで、そんな事を本当にあの方がなさったのかと、今でも下々の民は首を傾げているんでさぁ。旦那も、そう思いやせんか?」
(そういやヴァロムさんは、不敬罪で地下牢に入れられてるんだったか。本当のところはどうなんだろ……。でも、有力貴族を適当な理由で拘束したとも思えないから、本当に不敬を働いた可能性があるんだよな。ヴァロムさんなら、その辺は計算づくでやりそうだし……。まぁいいや。とりあえず、今は置いておこう……)
俺は適当に話を合わせておいた。
「まぁ確かに、少し首を捻りたくなる話ですね」
「そうでさぁね。それに、ここ最近は陛下の御様子も変だって噂ですし、あっしは妙な胸騒ぎがしてならねぇんです。おまけに街の外じゃあ、凶悪な魔物も増えてるっていうじゃねぇですか。皆、顔には出さねぇですが、あっし等、下々の民は、不安でしょうがないんでさぁ。このままじゃあ、ラミナスみたいな事になりそうで……」
御者の男はそう言うと、大きく溜め息を吐いた。
恐らく、これがラヴァナの住民達の本音なのだろう。
大半の住民達が、不安の中で生活してるに違いない。
俺はそこで、前方にいる沿道に詰めかけた住民達に視線を向けた。
遠目で見ているので表情まではよくわからないが、住民達は皆、イシュラナの紋章を空に切り、両手を組んで必死に祈り続けていた。
住民達は今、すがるような気持ちで、女神に祈りを捧げているのかもしれない――
[Ⅱ]
ヴィザーク地区の中央にある大通りの交差点付近で馬車を降りた俺は、ラヴァナ環状通りをガヴェール工業区方面へと向かって歩き続けた。
古びた石造りの建物が沢山軒を連ねる環状通りを暫く進んでゆくと、目的の建物らしきモノが見えてきたので、俺はその建物の前で立ち止まった。
そこは、やや薄汚れた茶色い建物で、玄関扉の横には小さな木の看板が掛かっていた。
看板にはこの国の文字でこう書かれている『イシュマリア司法院認可・司法代書人 ルグエン・シーバス』と……。
ちなみに2階建ての四角い石造りの建物で、それほど大きくはない。というか、小さい。日本でも時々見かける小さめのキューブ型住宅程度の大きさである。
(ヴァロムさんの指示だと、確か、場所はこの辺てなってたから、多分、ここがそうなんだろう。さて……それじゃあ、行ってみるとするか)
俺は玄関扉を開いた。
玄関を潜ると、雑然とした事務所を思わせる空間が広がっていた。
20畳程度の床面積で、入ってすぐの所に受付カウンターがあり、そこには逆三角形の眼鏡をかけた金髪の若い女性が1人いた。
ちなみに女性は今、訪問客である俺の方へと視線を向けているところだ。
歳は20代後半くらいだろうか。眼鏡の形が逆三角形だからか、少し性格がキツそうに見える。
だが、上に着ているベージュ色のチュニックみたいな服が、それを少し和らげているので、そこまでキツイ雰囲気ではない。キツイというよりも、仕事が出来そうな感じの女性であった。
その奥に目を向けると、書斎机があり、そこには頭頂部だけが禿た50歳くらいの男がいた。
男は今、机の上に足を投げ出してイビキをかきながら昼寝をしている最中であり、おまけに服装が
草臥れているのもあってか、酷くだらしない風貌となっていた。ちなみに服装は、色褪せた灰色のローブ姿である。パッと見は、ねずみ男みたいなオッサンであった。
机の上に目を移すと、書類などが乱雑に積み上げられており、筆記用具みたいな物が所狭しと散らかっていた。
そして、男がイビキをかく書斎机の周囲には幾つもの棚があり、そこにも乱雑に積み上げられた書類等が置かれているのだ。
この男の性格が、モロに分かる光景であった。
つまり、ほぼ間違いなく……ものぐさ太郎って事である。
(しかしまぁ、えらく散らかった事務所だな。本当にここなんだろうか……。多分、あそこでイビキかいてるオッサンが、ここの主だと思うが……まぁいいや、確認すればわかるか……)
と、そこで、カウンターの女性が俺に話しかけてきた。
「あの……どちら様でしょうか?」
女性は明らかに、不審者を見るような目であった。
多分、俺がフードを深く被って、顔を隠しているからだろう。
つーわけで、俺はフードを捲りあげ、要件を告げたのである。
「あのぉ……代書人のルグエン・シーバスさんはおられますか?」
女性は居眠りしている男をチラ見する。
「おりますが……どういったご用件でしょうか?」
「クリーストの件で相談があると伝えてもらえますでしょうか? 多分、こう言えば分かると思います」
ちなみにだが、クリーストとはヴァロムさんの事だ。
知っている者にしか分からない、暗号みたいなものである。
「……わかりました。少々お待ちください」
女性は男の方へと移動し、激しく肩を揺さぶった。
「先生、お客さんよ」
オッサンは慌てふためきながら目を覚ました。
「おわぁッ!? な、何だ? じ、地震かッ!?」
「違います。お客さんがお見えになってます」
「客?」
そこで女性は俺を指さした。
「あの方が、用があるそうですよ。何でも、クリーストの件で相談があると仰ってますが」
「クリーストの件!?」
オッサンはハッとした表情になる。
その直後、オッサンは慌てて襟を正し、俺の方へと近づいてきたのだ。
「お見苦しいところをお見せてしまい、大変申し訳ありませんでした。私がルグエン・シーバスになります。ええっと、クリーストの件で相談があると今聞きましたが、間違いないですかな?」
俺は頷くと、ヴァロムさんの指示にあった言葉を告げる事にした。
「実はですね、祖父の余命がもう僅かだと医者から言われたのです。父から、ルグエンさんにクリーストの件について相談して来いと言われたので、今日はお伺いさせてもらった次第であります。今、お時間の方はよろしいでしょうか?」
「そうですか……。では立ち話でもなんですので、上で話を聞きましょうか。こちらです」――
俺は2階のとある扉の前に案内された。
ルグエンさんは早速、その扉を開く。
するとその先は、真っ暗な空間となっていた。
「では少々お待ちください。今、明かりを灯しますんで」
ルグエンさんはそう言って、ラングと呼ばれる火を起こす道具を取り出した。
話は変わるが、この国で火を起こす方法は、このラングが一般的みたいだ。
形状を簡単にいうと、ZIPPOライターを大きくしたようなもので、原理的にはオイルライターと呼べる代物だ。
魔法の使えない者でも、簡単に火を起こせるので、ここでは生活必需品だそうである。
というわけで話を戻そう。
ラングの明かりを頼りに、ルグエンさんは部屋の中へ入り、中央のテーブルにある燭台に火をつけた。
その瞬間、部屋の様相が露わになる。
そこは木製の四角いテーブルと4脚の椅子だけという、飾りっ気のない質素な部屋であった。
おまけに窓も無い。多分、人に聞かれたくない話をする為の部屋なのだろう。
ルグエンさんは明かりを灯すと、テーブルの椅子を引き、俺に座るよう促してきた。
「さて、それでは、こちらにお掛けになってもらえますかな」
「では失礼します」
俺が椅子に座ったところで、ルグエンさんは入口の扉を閉め、対面に腰を下ろす。
そしてトーンを少し下げ、静かに話し始めたのである。
「クラウス様から話は聞いております……。クリーストの件について相談に来る者が現れたら、すぐにクラウス様の元にお連れするようにと」
「ではお願いできますか?」
するとルグエンさんは、少し渋った表情になったのである。
「そうしたいのは山々なんですが、実はですね、クラウス様は今、ラヴァナ執政院にはおられないのです。ですから、少し待ってもらいたいんです」
「いない?」
「はい……今日はヴァロム様の異端審問決議の採択をめぐる継続審議の日なので、オヴェリウスにいる4名の法務官は今、イシュラナ大神殿にいるんですよ。なので、それが終わるまで少し待っていてもらいたいのです」
(クラウスって人は法務官なのか? ヴァロムさんの指示では、確か、ラヴァナ執政官となっていた気がするが……まぁいい、確認してみよう)
「あのつかぬ事をお訊きしますが、クラウス様は法務官なのですか? 執政官と聞いたのですが」
「ン、もしや王都は初めてですか?」
「はい、ついこの間来たばかりです」
「そうですか。なら、知らないのも無理はありませんな。実はですね、このオヴェリウスでは、3つの階層の執政官が法務官職も兼ねるのですよ。そして、その最高責任者がヴォルケン法院長なんです」
「ああ、そういう事ですか。なるほど……」
俺の知らない制度が、まだまだこの国にはあるようだ。
「ところで、クラウス様がお帰りになる時間帯ってわかりますかね?」
「それは流石にわかりません。ですが、今までの流れからいくと、恐らく、夕刻近くになるのではないでしょうか。いつもそのくらいまで審議をしていると、聞いた事があるものですから」
「夕刻ですか……」
話を聞いた感じだと、かなり時間が掛かりそうだ。
(はぁ……タイミング悪いなぁ。仕方ない……ここで待つのもアレだから、街で時間を潰すとするか)
「じゃあ、出直す事にしましょう。日が沈みかける頃、また顔を出す事にします」
「すいません。お手数かけます」
ルグエンさんはそう言って、申し訳なさそうに頭を下げた。
とまぁそんなわけで、俺は暫くの間、街で時間を潰す事となったのである。
[Ⅲ]
フードを深く被り、ルグエンさんの事務所を出た俺は、そこで太陽の位置を確認した。
すると、太陽はまだ昇りきっておらず、現代風に言うならば、午前10時頃の陽射しといった感じであった。
昼飯というには、まだ早い時間帯だ。
(さて、どうやって時間を潰すかな。あまり、適当にうろつき回ると、迷子になる可能性があるし……。そういえば、来る途中、広場みたいな所があったな。とりあえず、あそこまで行ってから考えるか)
というわけで、俺は今来た道を戻る事にしたのである。
それから程なくして、広場にやって来た俺は、誰も座ってない石のベンチに腰掛け、少し休むことにした。
見たところ、結構大きな広場で、美しい花を咲かせた花壇や木々等もある為、気分的にも落ち着く静かな所であった。
のんびりとベンチで寛ぐ人々の姿や、地べたに寝転がって日向ぼっこをする猫もいるので、余計にそう感じるのかもしれない。見てるだけで眠くなる光景だ。
(さて……これからどうするかな……夕刻までかなり時間があるし……ン?)
と、そこで、広場の向こうに『武具専門店・ギルダス』という看板を掲げた建物が、俺の視界に入ってきたのである。
人の出入りも多く、繁盛していそうな大きい店であった。
ちなみにだが、そこに出入りする客の中には、場数を踏んでそうな冒険者や衛兵みたいな格好の者もいたので、もしかすると、品揃えの良い店なのかもしれない。
(へぇ、こんな所にも武器屋があったんだな。暇つぶしに、あの店でも覗いてみるか。ン? ……あれは……)
すると、丁度そこで、見た事ある2人組がその店へと入って行ったのである。
それは、ラッセルさんとマチルダさんであった。
(ゼーレ洞窟に向けての買い出しだろうか? まぁいいや、ここで時間潰すのもアレだし、俺も行ってみるか)――
武器屋の中は沢山の客で賑わっていた。
店内は結構広く、重装備コーナーや軽装備コーナーといった風に、幾つかのブースが設けられていた。
奥には精算するカウンターがあり、そこには、髭を生やし、厳つい顔をしたスキンヘッドのオッサンが、腕を組みながら店内を見回しているところであった。
ちなみにだが、そのオッサンは腕っぷしの強そうなムキムキの体型なので、凄い威圧感を放っていた。このオッサンを見て万引きする奴は、そうそういないに違いない。
まぁそれはさておき、俺はとりあえず、2人の姿を探す事にした。
店内が広い上、結構人も多かったので、探すのに時間がかかりそうであった。が、しかし、予想外にも2人はすぐに見つかったのである。
ラッセルさん達は今、重装備のブースで武器を手に取り、品定めをしているところであった。
(お、いたいた。さて、それじゃあ、挨拶でもしてくるか)
俺は2人に近づき、声を掛けた。
「こんにちわ、ラッセルさんにマチルダさん。一昨日はどうも御馳走様でした」
2人はそこで俺に振り返る。
だがその直後、2人は眉根を寄せ、怪訝な表情になったのである。
マチルダさんが探るように訊いてくる。
「……あの、誰ですか?」
(そういや、フードを被ったままだった)
俺はフードを捲り、もう一度挨拶をした。
「ああ、これじゃあ、わかりませんね。すいません。一昨日はどうもありがとうございました」
「誰かと思ったら、コータローさんじゃないですか!」
「おどかさないでよ、コータローさん……ビックリしたじゃない。ところで、コータローさんもお買い物?」
俺は頭を振る。
「いえ、違いますよ。向こうの広場で休んでいたら、ここに入っていく2人の姿が見えたものですから、来てみただけです。ところで、今日はお買い物ですか?」
「ええ。討伐に向かうには、準備をしっかり整えないといけませんからね」と、ラッセルさん。
「そ、そうっスか」
行く気満々である。
とりあえず、話題を変えよう。
「ラッセルさん達は、この武器屋をよく利用するんですか?」
「そうですよ。ここは、ラヴァナで唯一、高位武具の販売を許された店ですからね。その辺の武器屋とは品揃えが違うんです。まぁとはいっても、金の階級のパーティじゃないと、そういった武具は買えませんが」
「へぇ、そうなんですか」
という事は、俺の場合、向こうの方に陳列されている胴の剣程度しか買えないのかも……。
などと考えていると、マチルダさんが訊いてきた。
「それはそうと、コータローさん。もう決心はついたの? って、ごめんなさい。返事は明後日だったわね」
すぐこの話題になるな。
まぁいいや、今は適当に答えとこう。
「はは……それについてはまだ考え中です。ところで、仮に俺が行かないと決断した場合、ラッセルさん達はどうされるのですか? 他に仲間を見つけて行かれるのですかね?」
「まぁその時は4人で行き、バルジ達のパーティと共同で事に当たるつもりでいます。バルジ達はこの王都でも1、2を争う冒険者のパーティですからね。彼等と共に行動すれば、そう滅多な事にはならないと思いますから」
「ン? という事は、バルジさん達は白金の階級なんですか?」
「ええ、そうですよ。バルジ達は数多くの危険な依頼を達成してきましたからね」
この口ぶりを聞く限り、バルジさん達のパーティは相当優秀なようだ。
「へぇ、なるほど……」
「それはそうと、コータローさん。返事を聞くのは2日後ですが、我々も無理強いはしませんので、嫌だったら断ってくださっても構いませんよ。とはいえ、来て頂けるとありがたいのは、正直なところですが……」
俺の推察が正しければ、あの依頼は恐らく……いや、今考えるのはやめておこう。
それよりも、あの依頼の不自然な点を、2人に話しておいた方がいいかもしれない。
だが、ここで話すのは流石に不味いので、場所を変えて話すとしよう。
「ラッセルさんにマチルダさん……お2人に話しておきたいことがあるのですが、今、お時間いいですかね?」
「まぁ時間は大丈夫ですが……どうしたんですか? 急に改まって」
「もしかして、大事な話?」
「ええ、大事なお話です」
2人は顔を見合わせる。
微妙な表情をしていたが、2人は首を縦に振ってくれた。
「わかりました」
「わかったわ」
「では、ここじゃなんですので、外に行きましょうか」――
武器屋を出た俺は、2人を向かいの広場へと案内した。
そして、誰もいない静かなベンチの所へ行き、俺は2人に話を切り出したのである。
「買い物の途中に申し訳ありません。お2人に、どうしても話しておきたかった事があったで」
「それは構いませんが、話しておきたい事とは、一体何ですか?」
「では単刀直入に、お2人にお伺いします。一昨日あったバジルさんの話なんですが、少しおかしいと思いませんでしたか?」
「……おかしいとは思わなかったけど、それがどうかしたの?」と、マチルダさん。
「俺もマチルダと同じです。特に何も思いませんでしたね。コータローさんは納得いかない部分があったのですか?」
どうやら、全く不信に思ってないようだ。
仕方ない。話すとしよう。
「そうですか、お2人は思いませんでしたか……。ですが、あの依頼……冷静になって考えると、おかしなところだらけなんですよ」
「おかしなところだらけ?」とラッセルさん。
「ええ。なぜなら――」
というわけで、俺は少し時間をかけ、2人に疑問点を幾つか話したのである。
話した内容はこんな感じだ。
生還した冒険者は、なぜ、離れた所にあるイシュラナ大神殿に運び込まれたのか?
本当に冒険者はゼーレ洞窟から帰って来たのだろうか?
イシュラナ神殿側は、なぜ、こんなに早く討伐依頼を決断できたのか?
突如降って湧いた幻の財宝の話は本当なのだろうか? etc……。
これらの事を大雑把にだが、俺は2人に告げたのである。
一通り話したところで、俺は2人の意見を聞いてみる事にした。
「――っと、俺は思うんですが、2人はどう思いますかね?」
ラッセルさんとマチルダさんは、何とも言えない微妙な表情を浮かべていた。
「……幾らなんでも、考えすぎなんじゃないですか、コータローさん。まぁ確かに、報酬が高額なので、そう思われるのもわかるのですが、現に魔物も増えてますからね」
「私もそう思うわ。それに、コータローさんの口振りだと、イシュラナ神殿がまるで、何かを企んでいるかのようじゃない。そんな事、幾らなんでもあり得ないわよ」
どうやら2人は、あまり疑問に思わないようだ。
ウォーレンさんも昨日言ってたが、イシュラナ神殿について、悪い方へは中々考えられないのかもしれない。
「ですが、そこまで高額な報酬を払うとなると、普通、ちゃんとした確証を得てからなんじゃないでしょうか。その確認をイシュラナ神殿側がしているのなら問題ないのですが、たった半日程度で、オヴェール湿原にある洞窟へ確認に行くなんて事は至難の業だと思うんです。いや、ハッキリ言って無理だと俺は思うんですよ。だから俺は腑に落ちないんです」
2人は互いに顔を見合わせ、渋い表情になった。
ラッセルさんが訊いてくる。
「コータローさんはどう考えているのですか? あの依頼は罠だとでも?」
「ええ、恐らくは」
「一体何の為に? イシュラナ神殿が冒険者に罠を張っていると言いたいのですか? それは幾らなんでも、話が飛躍しすぎなんじゃ……」
「イシュラナ神殿が黒幕なのかどうかは、俺にもわかりません。もしかすると、魔物と通じる神官がいる可能性もありますからね。ですが、もしそうならば、あの依頼は全く逆の意味合いを持つことになるんですよ」
マチルダさんは首を傾げた。
「逆の意味合いって、どういう事?」
「あの依頼は魔物の討伐ではなく、優秀な冒険者の討伐という事です」
「ぼ、冒険者の討伐ですってッ!?」
「コータローさん、幾らなんでもそれはないんじゃ……」
「でもコータローさん、貴方はさっき確証がないと言ったけど、それだって確証がないじゃない。結局、同じ事よ。どっちも証拠なんてないんだから」
ここを突かれると俺も痛いところである。
(さて、どうしよ……説得は諦めるか。でもなぁ、見殺しにするみたいな気がして嫌なんだよな。はぁ……何かいい方法がないだろうか。実際に洞窟へ行って調査でもすれば、ハッキリするんだろうけど、ライオンヘッドがうろついてるような所に行くのは自殺行為だしな。おまけに、実態の調査となると、気づかれずに行かなきゃならないし……。魔物でもない限り、そんな事は無理だろう。打つ手なしか。ン……魔物でもない限り……)
と、そこで、あるアイテムの事が、俺の脳裏に過ぎったのである。
(そういえば、アレがあったな……アレを使えば、洞窟の中に行けるかもしれない。ゲームでも敵地潜入によく使ったし。だがそうなると、俺も行かなきゃならないしな……ああもう、どうしよう……)
などと考えていると、ラッセルさんは勝手に総括し始めたのであった。
「マチルダの言う事も一理あるな。今は何も確証がないから、結局は同じ事なんだよ。だから、行けばハッキリするんだ。コータローさん……俺達はとりあえず行ってみる事にするよ。貴方がたとえ断ったとしてもね」
(う~ん、こういう考え方は嫌いじゃないけど、今回に限っては、自殺行為な気がするんだよな。ハァ……仕方ない。あまり気が進まんが、手を貸すとするか。ヴァロムさんの指南書だと、次の行動に移るまで少し日数があった筈だ。それに、アレを使えば、戦闘もかなり避けれるかもしれないし……)
というわけで、俺はある提案を2人にしたのである。
「ラッセルさんにマチルダさん……明日ですが、俺と一緒に、ゼーレ洞窟へ確認しに行きませんか? それから判断しても遅くはないでしょう」
「え? それはどういう……」
「どうもこうも、言葉通りの意味です」
「ちょっとコータローさんッ、何を言ってるのか分かってるのッ!? オヴェール湿原の魔物が強力なのは貴方だって知っているでしょう? 私達だけで行ったら、それこそ全滅だわッ」
「ええ、勿論わかってますよ。ですが、それを回避する良い方法があるんです」
ラッセルさんが眉根を寄せて訊いてくる。
「良い方法だって……一体どういう方法なんですか?」
「今は言えません。ですが、この方法ならば、魔物と戦わずに洞窟の内部にも入れるかもしれません……とだけ言っておきましょう。で、どうします? 調査に行ってみませんか?」
「そんな事が可能なのですか?」とラッセルさん。
「ええ上手くいけば……。ですが、絶対大丈夫というものでもありませんよ。なので、危なくなったらすぐに撤収するつもりです」
2人は半信半疑といった表情で顔を見合わせた。
「コータローさん、マチルダと向こうで少し話をしたい。待っていてくれるだろうか?」
「構いませんよ。ですが、2つばかり付け足す事があります」
「付け足し?」
「はい。まず1つ目ですが、調査に行くのは3名から4名程度にしておいて下さい。あまり大人数では行きたくないので。それと2つ目ですが、この事は他言無用でお願いします。非常に難しい問題を孕んでますので、これは必ず守って頂きたいのです。いいですかね?」
「……わかりました。では少し待っていてください」
そしてラッセルさんとマチルダさんは、少し離れたところでミーティングを始めたのである。
で、話し合いの結果だが、2人はとりあえず、俺の提案を承諾してくれた。
出発は明日の朝、イシュラナの鐘が鳴る頃で、集合場所はラヴァナ東門の前となった。
そして、調査に行くメンバーや、移動手段等の打ち合わせをしたところで、俺達は別れたのである。
とまぁそんなわけで、俺はまたもや、想定外のイヴェントをこなす事になったのだ。
[Ⅳ]
西の空が赤く染まり始めた頃、俺はルグエンさんと共に、ラヴァナ執政院へと向かった。
ルグエンさんの話によると、今回の協議は早めに終わったらしく、もう既にクラウス執政官は戻っているとの事であった。
まぁそんなわけで、ルグエンさんの事務所について早々に、俺は出掛ける事となったのである。
ラヴァナ執政院は、環状通り交差点をアリシュナ側に暫く進むと見えてくるようになる。
建物の形状はイシュラナ神殿に少し似ているが、俺からすると、日本の国会議事堂みたいな造りの建造物であった。だが、よくよく考えてみると、あれも若干古代ローマ風の建物なので、仮に、この国に存在してたとしてもそれほど違和感なかっただろう。
ラヴァナ執政院の周囲は、青々とした芝生が広がる美しい庭園となっていた。
執政院へと続く石畳の道には、女神イシュラナの石像に加え、剣を掲げた厳かな人物の石像等が飾られている。
そして、執政院の入り口付近に視線を向ければ、剣や槍を装備した衛兵が何十人もおり、今は出入りする者を静かに監視しているところなのであった。
見るからに厳戒体制といった感じである。
もしかすると、ミロン君が言っていた、イシュマリア魔導連盟とかいう団体に目を光らせているのかもしれない。
まぁそれはさておき、執政院の敷地内に入ったところで、ルグエンさんは立ち止まり、俺に振り返った。
「では、少々お待ちいただけますかな。クラウス様の秘書に話を通して参りますので」
「わかりました」
そしてルグエンさんは、執政院の中へと入っていったのである。
それから20分程経過したところで、ルグエンさんは白いローブ姿の若い男と共に、俺の前へとやって来た。
歳は20代半ばといったところで、若いのと眼鏡をかけている事以外、取り立てて特徴のない男であった。恐らくこの男が秘書なのだろう。
ルグエンさんは男に言った。
「この方がクリーストの件について相談に来られた方でございます」
すると、男はそこで、俺に質問をしてきたのである。
「不躾な質問をさせて頂きますが、貴殿は真実を見抜く神を御存じであろうか?」
俺は指南書の通り答えておいた。
「太陽神の事ですかな」
すると男は、そこでルグエンさんに振り返り、白い巾着袋を差し出したのである。
ジャラッという金属音が聞こえてきたので、多分、中身はゴールドだろう。謝礼ってやつに違いない。
「ご苦労でした。ではこれを」
ルグエンさんはその袋を受け取ると、男に深々と頭を下げる。
そして役目は終えたとばかりに「私はこれで」とだけ告げ、この場から足早に立ち去ったのである。
ルグエンさんの姿が見えなくなったところで、男は口を開いた。
「……では参りましょう。こちらです」
男は執政院の表の入り口ではなく、裏にある勝手口へと俺を案内する。
ちなみにそこは、警備の衛兵がいない所であった。
そして、その勝手口から、俺達は執政院の中へと入ったのである。
今の俺はフードを深く被る怪しい姿なので、流石に表から堂々と入るわけにはいかなかったのだろう。
俺は男の後に続き、人通りのない赤い絨毯が敷かれた通路を無言で進んで行く。
すると、程なくして男は、イシュマリア王家の紋章が彫りこまれた厳かな扉の前で立ち止まったのであった。
佇まいを見る限り、ここがクラウス執政官のいる執務室なのかもしれない。
だが、そう思うと同時に、俺は少し違和感を覚えた。なぜなら、こういう立派な扉につきものの、ある存在が見当たらないからだ。
俺はそこで床へ視線を向ける。すると思った通りであった。
床に敷かれた柔らかい絨毯の上には、2人分の足跡が残っていたのである。
足跡は扉の両脇に立つような感じであった。ここから推察するに、恐らく、警備する衛兵のモノだろう。ついさっきまで、ここに立って警備していたに違いない。
(途中、誰とも擦れ違わなかったので不思議だったんだよな。多分、人払いをしたんだろう……)
まぁそれはさておき、男はそこで扉を「コンコン」とノックした。
中から、低い男の声が聞こえてくる。
「誰だ?」
「クラウス様。スロンでございます。クリーストの使者をお連れ致しました」
「お通ししろ」
「ハッ」
男は丁寧な所作で扉を開き、俺に中へ入るよう促してきた。
「さぁどうぞ、中へ」
「では失礼します」――
俺が部屋の中へと入ったところで、扉はゆっくりと閉められた。
そこで俺は室内をサッと見回す。
すると中は青い絨毯が敷かれた、落ち着いた感じの部屋であった。
広さは20畳程度で、壁際には本棚や絵画、壺等の美術品が飾られている。それらは何れも派手さはないが、落ち着いた感じの気品ある品々ばかりであった。
部屋の奥に目を移すと、そこには黒塗りの立派な書斎机があり、その手前には来客用と思われる白いソファー2脚と、磨き抜かれた大理石の四角いテーブルが置かれていた。
書斎机には、青と白の法衣を身に纏う、白髪混じりの長い髪の男が1人おり、今は書類のようなモノに目を通しているところであった。
見た感じだと、歳は50代から60代といったところだろうか。
体型は中肉中背で、口元や顎に白い髭を生やしており、額や目尻には幾つかの皺が刻まれている。穏やかな目付きをしており、パッと見は、人の良さそうな雰囲気を持つ男であった。
物静かな政治家。それがこの男から受ける、俺の第一印象であった。
俺が執務室の中へと入ったところで、男は手を休め、こちらへと視線を向けた。
「では、まず、そなたの顔を見せてもらおうか。確認をしたいのでな」
俺はローブのフードに手をかけ、ゆっくりと捲り上げた。
素顔を晒したところで、男は上から下へと目を這わす。
すると、男は笑みを浮かべ、静かに口を開いたのである。
「どうやら間違いないようだ。失礼した」
「どういう意味でございますか?」
「事前に使者の特徴を聞いていたので、それを確認させてもらったのだよ。ヴォルケン法院長からは、アマツの民のような外見の若い男が、使者として訪れると聞いていたのでな」
「なるほど、そういうことでしたか」
どうやらヴォルケン法院長という方は、ヴァロムさんから粗方の説明は受けているのだろう。
もしかすると、ヴァロムさんが何をしようとしているのか、知っているのかもしれない。
ふとそんな事を考えていると、男は自己紹介をしてきた。
「さて、では名乗らせてもらおう。我が名はクラウス・インバルト・モードヴェン。ラヴァナを統括する執政官である」
「私はコータローと申します。クリーストの使者としてこちらに参りました。よろしくお願い致します、クラウス閣下」
「うむ、こちらこそよろしく頼む。では、そこの長椅子に掛けられよ。私もそこで話すとしよう」
「ではお言葉に甘えまして」
俺はソファーに腰かけた。
続いてクラウス閣下も俺の対面に腰を下ろす。
そして俺達は密談を開始したのである。
クラウス閣下は周囲を少し気にしながら、小声で話し始めた。
「さて、では本題に入ろう。まず、クリースト殿の現状だが……非常に不味い事になっている。貴殿も既に聞き及んでいるかもしれぬが、このままいくと、もう刑は免れぬであろう。今はヴォルケン法院長と私で、なんとか採決を遅らしているが、それも次の審議で最後になるかもしれない。10日後にある次の審議では、採択を迫られる可能性が高いのだ。つまり、もう逃げの一手は打てない情勢になりつつあるのだよ」
「そうですか……もう時間がないのですね。では一刻も早く、私はヴォルケン法院長に会わねばなりません。そちらの手筈はどうなってますでしょうか?」
「うむ。そこでだ、貴殿には7日後の夕刻、ヴォルケン法院長に会えるよう、私がこれから調整する。だからその間に、貴殿の方も準備をしておいてもらいたいのだ。もう後戻りは出来ぬ故な……」
「ええ、わかっております……」――
Lv41 ゼーレ洞窟へ
[Ⅰ]
時間は少し遡る。
これは、コータローがヴィザーク地区へと移動を始めてから、暫く後の話である――
その頃、ウォーレンは屋敷の応接室のソファーに腰かけ、1人で考え事をしている最中であった。
(……コータローとミロンの言っている事が本当ならば、門は既に開かれている可能性が高いが、その門を開いたのは一体誰だ? 魔物か? それとも猊下の一団か? ……わからん。だが、何れにせよ、あの島はかなりの厳戒態勢を敷いているから、そう簡単に魔物はおろか、我等ですらおいそれと入る事は出来ない筈だ。一体どうやってあの遺跡に侵入したのだ……。魔導騎士や神官達に見つからず、遺跡の中に入る事などできるのだろうか? しかし、守衛の魔導騎士達の様子を見る限り、侵入者はいないような雰囲気だった。となると、門を開いたのは猊下達の一団か……う~ん、わからん……頭痛くなってくるな……。とりあえず、この件については判断材料が少ない。今は置いておくとしよう。まぁそれはともかくだ。コータローは一体何者だ……洞察力や思考力も凄いが、あれだけの腕を持つ魔法の使い手なら、このイシュマリアで少しは噂になってもよさそうだが……アイツの名前は聞いたこともない。しかも、話を聞く限りじゃ、有力貴族にも仕えていないみたいだ。まぁアマツの民みたいな外見だからかもしれないが、この国にもアマツクニ出身の魔導師やラミリアンの魔導師も極少数だがいる。だが、アイツは冒険者だと言っていた。本当なのだろうか……。出身はマール地方といっていたが……まぁいい……今から来る者達に訊いてみるのが早いか)
と、その時、扉の向こうから女性の声が聞こえてきたのであった。
【ウォーレン様、アーシャ様達をお連れ致しました】
「うむ、お通ししてくれ」
扉はゆっくりと開かれる。
使用人に促され、5名の者達が部屋の中へと入ってきた。入ってきたのは、アーシャとサナ、それとレイスにシェーラ、最後にラティであった。
4人と1匹が部屋の中に入ったところで、使用人は扉を静かに閉める。
そこでウォーレンは立ち上がり、恭しい所作で手振りを交え、彼女達を迎えた。
「お休みのところを御呼び立てして申し訳ありません。ですが、早急にお伝えせねばならぬ事が出来たものですからな、ご容赦願いたい。さ、まずは、こちらにお掛けになって下さい」
「わかりましたわ」
「はい、では」
全員がソファーに腰を下ろしたところで、ウォーレンもソファーに腰掛ける。
そしてウォーレンは話を切り出した。
「さて、では、皆さんをお呼びした理由ですが……実はですね、先程、アレサンドラ家とラミナス公使から私宛に書簡が届いたのですよ。それで皆さんを御呼びしたのであります」
ウォーレンはそう言って、テーブルの上に封筒を2つ置いた。
その瞬間、4人は驚きの表情を浮かべる。
「えっ!?」
「ほ、本当ですか!」
「なんと!」
「ようやくね」
アーシャは書簡に目を落とすと言った。
「ウォーレン様、読ませて頂いてもよろしいかしら?」
「どうぞ、ご覧になって下さい」
「では早速」
アーシャとサナは封筒を手に取り、書簡に目を通しゆく。
程なくして、アーシャが口を開いた。
「これによりますと、本人かどうかを確認をする為に、明日、アレサンドラ家の使いの者が来るみたいですわね。という事は、お父様の元へ向かうには、もう少し時間が必要なのですね」
「私のにも同じような事が書いてありました」とサナ。
ウォーレンは頷く。
「ええ、申し訳ありませんが、そういう事になります。ですが、アーシャ様達の証言内容が間違いないと確認されれば、通行許可証が降りるのにそう時間はかからないでしょう。まぁそんなわけでですな、あと数日、我が屋敷に滞在して頂くことになりますので、そこは我慢して頂きたいのです」
「我慢だなんて、そんな……。私達はウォーレン様に物凄く感謝しているのです。感謝しても足りないくらいです」
「そうですわ。私達がこうしていられるのもウォーレン様のお蔭なのですから」
「それを聞いて私も安心しましたよ。ところで……アーシャ様に少し訊ねたい事があるのですが、よろしいですかな?」
「構いませんわ。何ですの?」
「……訊きたいのは他でもない、コータローの事なんですが……」
と、ここで、ラティが口を挟む。
「コータローの奴、何かやらかしたんでっか?」
「いや、違う違う。そうじゃない。純粋に好奇心から訊きたいことがあるだけだ」
「そうですか……ちなみに、コータローさんの何を知りたいのでしょうか?」
「どういう素性の男なのか、わかりますかね。昨日、コータローと行動していて、それが少々気になったものですからな」
「素性……といわれましても、マルディラントで冒険者をしているという事くらいしか、私には分かりませんわ」
どう答えるか、アーシャも悩んだが、とりあえず余計な事は言わないでおこうと考え、無難な返答に留めておいた。
ここでサナが話に入ってきた。
「不審な点でもあったのでしょうか? コータローさんは怪しい方ではないと思いますよ。私はあの方と行動を共にしてましたので、それは断言できます」
「ああ、そういう意味で訊いたのではありません。ただ……あれほどの腕を持つ魔法使いなのに、冒険者をしているというのが不思議だったものですからな。それでですよ」
「そうですか……。ですが、私もコータローさんの事はそれほど深くは知らないのです。私も兄を通じて知り合ったものですから……申し訳ありません、ウォーレン様」
アーシャはそう言って頭を下げた。
「いやいや、お気になさらないでください、アーシャ様。本人から直接訊けば良い話ですからな。さて、それはともかく、私の話は以上になります。明日、使者が訪れましたら、また御呼びする事になりますので、その時はよろしくお願いしますよ」
「はい、ウォーレン様」
「こちらこそ、よろしくお願い致しますわ」――
[Ⅱ]
翌日、朝食を終えた俺は、ウォーレンさんとアーシャさんに適当な理由を告げ、ラッセルさん達との待ち合わせ場所へと向かった。
ウォーレンさんには、ゼーレ洞窟の件について返事をしてくるとだけ言っておいた。
するとウォーレンさんは、「どういう決断を下したのか知らんが、あまり無理はするなよ」と言って、気楽に俺を送り出してくれたのである。
魔の神殿に向かう途中、この話をしたので事情を察してくれたようだ。
それからウォーレンさんは、「ああ、それから、今日も事情があってミロンはつけてやれそうにない。どうする、案内人をつけるか?」と訊いてきた。
だが、昨日出歩いたことで街の移動にも慣れたので、俺は、「いえ、街の構造も大体わかってきましたから1人でも大丈夫ですよ」とだけ答え、屋敷を後にしたのである。
話は変わるが、アーシャさんには昨日と同じ理由を話して、一応、納得はしてもらった。少し嘘を吐くことにはなるが、まぁこの際、やむを得んだろう。
とまぁそんなわけで、俺は今日も辻馬車を使い、ラヴァナへと下ることになるわけだが……今日はお供が1匹いるのである。ラティである。
今日はどうしてもラティに来てもらう必要があったので、昨晩お願いをしたのだ。
で、来てもらった理由だが……実はラティ、ドラキー便の配達エリアということもあって、この辺りの地理には精通しているらしく、ゼーレ洞窟の辺りもよく知っているらしいのだ。
しかも、普通の旅人が通らないような裏道も知っていると言ってたので、とどのつまり、ナビゲーターとして来てもらったのである。
つーわけで話を戻そう。
辻馬車に揺られながら、朝日が降り注ぐラヴァナの街並みを、俺はぼんやりと眺める。
城塞に遮られ、影となる部分が多い所為か、モノクロ写真とカラー写真を合成したかのような、なんとも言えない街並みが目に飛び込んできた。
それは正に、城塞都市ならではといった、明暗の別れる光景であった。
(城塞のお陰で強固な守りが得られるけど、考えてみれば、日当たりが悪くなるんだよな。日本に住んでた時も思ってたが、安全と快適さはなかなか両立しないのかも。まぁしゃあないか……)
などと考えていた、その時である。
【グォォォン……グォォォン】
イシュラナ大神殿の方角から、神官達の礼拝を告げる、重厚なイシュラナの鐘が鳴り響いてきたのであった。
どうやら、もう集合時間になってしまったようである。
「あらら、鐘が鳴ってもうたやん。少し遅刻やな」
「だな。でも、東門まであと少しだ。ラッセルさん達も少しくらい待っててくれるだろう」
「せやな。あの兄ちゃん、結構、心が広そうな雰囲気やもんな。ところでコータロー、今日はアーシャ姉ちゃん達についとらんでよかったんか? 上の方から使者が来るんやろ?」
「2人の確認をしに来るだけだろ。なら大丈夫だよ。それに、俺は両家に仕えているわけではないから、いようがいまいが同じさ」
「ふぅん。まぁ、ええわ。それはそうと、ワイの知ってる道を行くのはええけど、道中どうやって危険回避するつもりなんや? 敵は多分、ごっついのばかりやと思うで。ワイもここ最近、ゼーレ洞窟方面は厳つい奴等が多なってきたから、あまり行ってへんねん。まぁこの間の魔物を見た感じやと、アルカイム街道側もそろそろヤバそうやけどな」
俺はそこで、右手に持っている布にくるんだ細長いブツに目を落とした。
「ああ、それはな、コレを使うんだよ」
「実はワイ、それがさっきから気になっとったんや。なんなんやソレ?」
「へへへ、まぁ後でわかるよ」
「なんや気になる言い回しやな。まぁええわ、楽しみは後に取っておくわ」
「おう、楽しみにしててくれ」
そんなやり取りをしつつ、俺達は進んで行く。
暫くすると城塞東門が見えてきた。
門に近づくにつれ、守衛の他に、ラッセルさん達の姿も視界に入ってきた。
どうやら、少し待たせてしまったようである。とりあえず、着いたら謝っておこう。
まぁそれはさておき、ラッセルさん達は昨日の打ち合わせ通り、馬車で来てくれたようだ。
俺は馬に乗れないから、これで一安心である。
ちなみにだが、ラッセルさん達の馬車は、ヴァロムさんのと同様、オープンカー仕様である。
今日は晴れなので、日除けに屋根が欲しいところだが、まぁ仕方ないだろう。文句は言えん。
と、ここで、御者の声が聞こえてきた。
「お客さん、城塞東門が見えてきましたが、門の前まで行きますかい?」
「ええ、お願いします」
「わかりやした」――
程なくして門の前に着いた俺達は、辻馬車を降り、付近にいるラッセルさん達の元へと向かった。
そして、まずは遅刻した事を皆に謝ったのである。
「おはようございます、皆さん。すいません、待たせてしまいましたね。余裕を持って出たと思ったのですが、遅れてしまいました」
「いえいえ、そんなに待ってないですから、気にしないでください」
「そうよ。私達だって、ついさっき来たばかりなんだから」
シーマさんはそう言ってニコリと微笑んだ。
「そうっスか、ならよかった」
俺はそこでラッセルさん達の面子をチラッと見た。
今日のメンバーはこんな感じだ。
ラッセルさんと妹のリタさん、そしてマチルダさんとシーマさんといった構成である。打ち合わせ通りの面子だ。
話は変わるが、妹のリタさんはあの時の戦闘で精神的に相当参っていたようだが、一昨日辺りから大分回復してきたらしく、ラッセルさんは一応妹に声をかけてみると言っていた。なので、今日ここに来ていると言う事は、承諾したということなのだろう。
だが、とはいうものの、俺は少し不安を覚えていたのである。なぜなら、精神的なダメージからの回復はというのは、そう簡単にはいかないからだ。大抵は時間がかかるものなので、そこが少し気掛かりであった。が、しかし……現代日本と比べると、魔物が蔓延るこの世界の人々は立ち直りが早い可能性もあるので、俺はとりあえず、了承したのである。
まぁそういうわけで、今日はこの面子に、俺とラティを加えた計6名での冒険となるのであった。
つーわけで話を戻そう。
俺が謝罪したところで、ラッセルさんは妹さんを紹介してくれた。
「ではコータローさん、改めて紹介しよう。妹のリタだ」
妹さんはボーイッシュなベリーショートの髪型をした赤い髪の女性であった。
少し気の強そうな感じではあるが、結構な美人さんである。まぁ美男美女の兄妹ってやつだ。
身長は170くらい。年齢はアーシャさんと同じくらいだろうか。
それから、鋼の鎧と鋼の剣、それと鉄の盾といった武具を装備していた。
雰囲気的には、少し旅慣れてきた女戦士といった感じの見た目である。
「さ、お前も挨拶するんだ」
ラッセルさんに促され、リタさんはボソリと口を開いた。
「この間は、どうも……今日はよろしく」
少し素っ気ない挨拶だったが、とりあえず、俺も自己紹介しておくとしよう。
「コータローです。今日はよろしくお願いしますね」
俺はそう言って右手を差し出し、握手を求めた。
だが、リタさんは面白くなさそうに、プイッとそっぽ向いたのである。
(あらら、俺、もしかして嫌われたかな……理由は何だろう? 遅刻してきた事を怒っているのだろうか……う~ん)
と、そこで、ラッセルさんが慌ててリタさんに注意した。
「おい、リタッ。その態度はなんだ。失礼じゃないかッ! コータローさんは命の恩人なんだぞッ」
「だから今、お礼を言ったじゃないッ。もういいでしょッ」
リタさんはやや声を荒げ、憮然とした態度をとった。
「お、お前な……何を考えているッ!」
険悪な雰囲気になりそうだったので、俺は間に入る事にした。
「まぁまぁまぁ、俺も気にしてませんから、ラッセルさんもそう熱くならずに。それはそうと、もう挨拶はこの辺にして、そろそろ出発しませんか。明るい内に王都へ帰ってきたいですからね」
「すいません、コータローさん。後で妹にはきつく言っときます。では俺が御者をしますので、他の皆と共に、コータローさん達も後ろに乗ってください」
「わかりました。ではよろしくお願いします」
というわけで、少し妙な空気になったが、ここから今日の冒険が始まるのである。
[Ⅲ]
王都を出発した俺達は、長閑な草原に伸びるアルカイム街道を真っ直ぐに進んでゆく。
15分程度進んだが、魔物との遭遇は今のところない。
王都近辺は魔物も少ないような事をウォーレンさんも言っていたので、暫くはこんな感じで進めそうである。
(とはいえ、油断は禁物だが……ン?)
と、そこで、ラティが小声で俺に話しかけてきた。
「なぁ……ちょっとええか?」
「何だ?」
「……あのリタっちゅう姉ちゃん、時々、コータローにめっちゃメンチきっとるで。前になんかあったんか?」
そうなのである。
なぜか知らないが、リタさんは俺を時々睨みつけるのだ。
「う~ん、何もないと思うけどな……。つーか、前に会ったときは治療しただけだしね。遅刻してきた事を怒ってるとか?」
「あのメンチはただ事やないで。大体、少し遅刻したくらいで、あないな目せぇへんて。治療した時に要らん事をしたんやないんか?」
「そう言われてもなぁ」
本当に何で睨まれるのやら……。
まぁいい、今は置いておこう。
そんな事よりも、そろそろあのアイテムの出番となるわけだが、見通しの良い景色が続くので、使う場所をどこにするか、俺は今、悩んでいるのであった。
人目につくと不味いので、出来れば身を隠せるような所で、密かに使用したいのだ。
(さて、どこかに姿を隠せる良い所がないかな……)
俺はそんな事を考えつつ、前方に視線を向けた。
すると100m程先に、大きめの岩が幾つか点在している場所が見えてきたのである。
(おお、あの辺が良さそうだな。結構大きな岩がポツポツ見えるから、あそこなら周囲から目立つこともなさそうだ)
つーわけで、俺は早速、ラッセルさんにお願いする事にした。
「ラッセルさん、前方に見える岩のある所で一旦止まってもらえますか」
「え? あの岩が沢山ある所でですか?」
「はい」
「はぁ……わかりました」
ラッセルさんは首を傾げつつ、了承してくれた。
そして、目的の場所へと来たところで、馬車はゆっくりと停車したのである。
と、そこで、マチルダさんが訊いてくる。
「ねぇ、コータローさん。こんな所で止まって、一体何をするつもりなの?」
他の2人もマチルダさんと同様に首を傾げていた。
まぁこうなるのも無理はないだろう。
「ここからは、少しやらなきゃいけないことがあるんです。というわけで、早速で悪いんですが、皆、一旦馬車を降りて、あの岩の裏に行きましょうか。そこで説明をしますから」
俺はそう言うと、街道の付近にある大きな岩を指差した。
「あの岩の裏に? ……わかったわ。じゃあ、皆、行くわよ」と、マチルダさん。
その言葉を合図に、俺達は岩の裏へと移動を始めたのである。
岩の裏に来たところで、俺は周囲を見回し、魔物と人の姿がないかを確認した。
辺りは苔の生えた大きな岩がゴロゴロしているところだが、基本的に見通しの良い草原なので、そういった確認はしやすかった。
(……今のところ、人影や魔物の姿はないな。多分、大丈夫だろう。さて、それじゃあ始めるか……)
俺は用意しておいた細長いブツを手に取り、それに巻かれた布を解いた。
布の下から、紫色の水晶球と水色の水晶球が付いた杖が姿を現す。
ちなみにこれは、ザルマ達の遺品である変化の杖だ。
シーマさんが訊いてくる。
「それは……杖?」
「ええ、杖です。ですが、これは戦いに用いるモノではないですよ。変装用の杖なんです」
「へ、変装用?」
「コータローさん、どういう事ですか? わけが分からないのですが……」
ラッセルさん達は全員がポカンとしていた。
「言葉通りの意味ですよ。さて、では始めますか」
俺はそう言うと、まずは変化解除用である水色の水晶に魔力を籠めたのである。
その瞬間、水晶から水色の霧が発生し、俺達を包み込んでいった。
皆の驚く声が聞こえてくる。
「これは煙!?」
「わっ、何よこれ!?」
「なんやねん、この変な煙は!」
程なくして霧は晴れてゆく。
その結果、全員、変化無しであった。
(念の為の処置だけど、ラッセルさん達のパーティ内に、魔物はいないとみてよさそうだ。まぁ化けてたら、ラーのオッサンがどこかで忠告してくるだろうけど……)
「あの、コータローさん……妙な霧が発生したけど、何も変化が無いわよ」と、マチルダさん。
俺はとりえず誤魔化しておいた。
「あらら、すいません、間違えました。変装は逆の水晶でした。さて、では論より証拠です。もう一度、いきますよ」
俺は仕切り直しとばかりに、紫色の水晶球に魔力を籠め、紫の霧を発生させる。
すると、今度は霧が晴れると共に、皆の悲鳴じみた声が聞こえてきたのである。
「なッ!? ま、魔物になってる!? な、なんでよッ!」
「どういう事よ、何で魔物にッ!?」
「嘘ッ!?」
「コータローさん、その杖は一体……」
ラッセルさん達は初体験だから驚くのも無理はない。
一応、皆の姿を言うと、ラッセルさんとリタさんが鎧の魔物である【地獄の鎧】で、シーマさんとマチルダさんが出来の悪いマリオネットを思わせる【泥人形】、ラティが緑色のドラキーである【タホドラキー】、そして俺はドラクエ2に出てきた魔法使い系モンスターである【妖術師】といった具合だ。中々ゲームでもお目にかかれないレアな魔物パーティである。とはいえ、ラティは色以外変化なしなのが、よくわからんところであった。
まぁそれはさておき、俺は皆にタネをバラす事にした。
「これはですね、王都に来る途中、冒険者のフリをして俺達のパーティに襲い掛かってきた魔物が持っていた杖なんですよ。その魔物達を返り討ちにした後、戦利品として手に入れたんです」
「冒険者のフリをしてですって……そんな……魔物が人に化けるなんて」
マチルダさんはこの事実に驚愕していた。
無理もない。俺も奴等に襲われた時は、その事について多少なりとも驚愕したのだから。
「マチルダさんの言うとおりです。魔物の中には、人に化ける手段を持っている者もいるんですよ。ですから、こういった魔道具を所持する魔物もいると言う事を、ラッセルさん達も覚えておいた方が良いですよ。まぁそれはともかく、ここからはこの姿で移動する事にしましょうか。安全に魔物の住処に近づくには、魔物になるしかないですからね」
「た、確かに……この方法ならば危険は減りそうですね」と、ラッセルさん。
するとそこで、ラティが訊いてきた。
「なぁ、コータロー、ワイはどんな姿なんや。自分で見られへんから、ごっつい気になるんや」
「ラティは緑色のドラキーになってるよ」
だが俺の返答を聞いた瞬間、ラティは声を荒げたのであった。
「な、なんやてッ!? 緑色のドラキーって、ホンマかいなッ。嘘やろッ、嘘って言ってや!」
「嘘は言ってないぞ。どうしたんだよ、急に?」
「ホンマかいな……よりにもよってタホドラキーに変身なんて、最悪やないかッ」
よくわからんので、訊いてみる事にした。
「タホドラキーだと、何か不味い事でもあるのか?」
「大アリや。その口振りやと、コータローは知らんみたいやな。まぁええわ、この際やから教えたる。……実はな、ワイ等ドラキーは色違いの種族が幾つかあんのや。それでやな、その中でもワイ等メイジドラキー族とタホドラキー族はめっちゃ仲悪い因縁の関係なんや。それはもう先祖代々からの因縁や。理由はわからんけどな。ワイも小さい頃から、タホドラキーみたら問答無用でどついたれって教えられとるくらいやで。せやから、ワイは今、めっちゃ気分が悪いねん」
「そ、そうだったのか。でも少しの間、我慢してくれ。ここからは変身解くと危険度が増すからな」
「しゃあないから我慢したる。でも、タホドラキーに変身するのはこれが最後やで」
「ああ、勿論だ」
この様子だと、タホドラキーはメイジドラキーにとって嫌悪の対象なのだろう。
(理由はわからんと言ってたが、何で仲が悪いんだろう……。そういえば、ゲームではタホドラキーの所為でメイジドラキーの出番はなくなったなぁ……まぁ幾らなんでもこれが理由ではないだろうけど)
それはともかく、これで用は済んだ。
先に進むとしよう。
「さて、ではそろそろ移動を再開する事にしましょうか。でも、幾ら魔物に変身したといっても見た目だけですから、周囲の警戒は今まで通りですよ。道中危険な事に変わりないですから、気を緩めないでくださいね」
「ええ、勿論です」――
[Ⅳ]
変化の杖で魔物の姿になった俺達は、ゼーレ洞窟に向かい移動を再開した。
道中、魔物と遭遇する事もあったが、この姿の所為か、俺達に襲い掛かってくる魔物は皆無であった。
実を言うと、ゲームでは変化の杖を使っても、地上やダンジョンを移動している時のトヘロス効果は無かった気がしたので、少し不安だったのである。
それに、魔物に化けた状態で襲われたら撤収も考えていた為、これは嬉しい結果なのであった。
(以前プレイしたドラクエシリーズじゃ、エンカウントを減らせるアイテムは聖水くらいしかなかったからなぁ。思ったよりも良いアイテムを拾ったのかも……)
と、そこで、ラティの声が聞こえてきた。
「コータロー、ワイの知ってる近道行くんやったら、次の交差点を右に行った方がええで」
「ン? そうか。なら運転手に言っとかないとな」
つーわけで俺はラッセルさんに言った。
「ラッセルさん、次の交差点を右にお願いします」
「右ですね。わかりました」
それから程なくして交差点にやってきた俺達は、そこを右折し、暫く道なりに進み続けた。
遠くに林が小さく見えたが、右折した先も今までと同様、緑の草原が広がっていた。
王都を出発してからというもの、似たような景色がずっと続くので、眠くなってくるところである。
おまけに魔物を警戒するあまり、皆、言葉少ななので、余計にそうなるのだ。
だが、幾ら魔物に変化しているとはいえ、襲われないという保証はないので、勿論、油断は出来ない。
その為、俺も欠伸を噛み殺して、皆と同じように警戒を続けねばならないのである。
それから更に時間は経過する。
交差点を右折してから1時間ほど進むと、俺達はいつしか林が幾つも点在する景観の場所へとやってきていた。
そして、そこを更に進み続けると、前方に、緩やかな緑の丘が広がる丘陵地帯が見えてきたのである。
視界に入る丘は、森と呼べるくらいの林を形成してるものが多かった。
その為、ここはある意味、山の出来そこないが広がる所であった。
(なんか中途半端な景観の所だな。まぁ観光に来てるわけじゃないから、そんな事はどうでもいいけど。ン? そういえば……昨晩、ラティはなだらかな丘が続く所に抜け道があると言ってたな。もしかすると、この辺りなのかもしれない。訊いてみるか……)
「なぁラティ、抜け道はこの辺りか?」
「まぁ近いっちゃ近いけど、もう少し先やな。このまま道を進むと少し大きめの丘に突き当たるんやけど、抜け道はその丘にあるんや。ちなみにやけど、そこからは歩きになるさかい、馬車移動は丘の麓までやで」
と、ここで、マチルダさんが話に入ってきた。
「え? 歩きなの?」
「せやで。実はな、その丘の裏側がゼーレ洞窟のある付近なんや。ほんでな、そこへと抜けれる1本道の洞窟が、その丘にあるんやわ。1人づつしか行けへんから、少し狭い洞窟やけどな。でも王都から陸路で進むんなら、そこが一番の近道やと思うで」
「そうなの、初耳だわ。まぁこんな所に来たのも初めてだけど」
マチルダさんはそう言って周囲を見回した。
「まぁそうやろな。洞窟の入り口が分かりにくいから、冒険者でもこの抜け道知ってる奴は少ないと思うで。まぁワイも、ドラキー便仲間に静かな昼寝場所として教えてもらった洞窟やしな」
「へぇ、って事は、この辺りもドラキー便て来るのか?」
「時々やけどな。辺鄙な場所に暮らしてる方が、ほんのちょっぴりやけどいるんやわ。そういう方々の所にもワイ等は配達に行く事があるんや」
「なるほどねぇ」
よくよく考えてみたら、ヴァロムさんの所にも来てたから、それが普通なのだろう。
まぁそれはさておき、俺はラッセルさんに今の話を告げる事にした。
「ラッセルさん、馬車移動は、この道の終点となっている丘の麓までだそうですよ。そこからは歩きのようです」
「え? そうなのですか? じゃあ……馬車はどうしよう」
「ですよね」
それが問題である。
「ああ、言い忘れたけど、その丘には抜け道以外にも、幾つか浅い洞穴があるさかい、そこに馬車を隠しといたらええわ。近くに川がある洞穴もあるしな。そういう所なら馬の飲み水には困らんやろ。とはいっても、餌はないけどな」
「そんな場所があるのか。ならそこに隠すとするか。餌については、今日の分は用意してきているから大丈夫だ」と、ラッセルさん。
「なら、決まりや。そこにしとき」――
とまぁ、こんなやり取りをしつつ、馬車は進み続けるのであった。
[Ⅴ]
丘の麓に着いた俺達は、ラティの言っていた洞窟に馬車を隠した後、ゼーレ洞窟に向かい移動を開始した。
そして、ラティを先頭に、抜け道である丘の洞窟へと、俺達は足を踏み入れたのである。
洞窟の入り口は、木の根と岩に覆い隠されるような感じだったので、パッと見、そこに洞窟があるというのがわかりにくい所であった。これなら確かに、知っている者も少ないだろう。
で、洞窟の中だが、流石に光が届かないので真っ暗だ。
というわけで、ここからは俺のレミーラを頼りに進むことになるのである。
レミーラによって露わになった洞窟内部は、ラティの言うとおり、確かに狭かった。幅は1m程で、人間が1人通れる程度のモノだ。
だが、それほど内部には起伏がない上に、天井も約5mと高いので、思ったよりも楽に進める洞窟であった。とはいえ、オヴェール湿原に近い事もあってか、洞窟内部は結構湿度が高い。おまけに、天井から滴る水滴が首筋に落ちてくる事があるので、その度にドキッとするのである。
そこが少し難点ではあったが、俺達は文句を言わず、黙々と進んで行った。
ちなみにだが、今のところ魔物とは出遭っていない。恐らく、洞窟内部が狭いので、ここに魔物はあまりいないのだろう。多分……。
まぁそれはさておき、暫く進み続けると、俺達の前に、突如、開けた空間が現れた。
幅は今までの10倍以上ありそうな感じだ。
それが奥へと続いているのである。
環境が少し変わった為、俺達はそこで立ち止まった。
と、ここで、ラティが口を開く。
「ここからは広くなるんや。出口までずっとこんな感じやから、もう楽にしてええで」
「出口までは後どのくらいだ?」
「すぐそこやで。そんなにかからん」
「そうか。じゃあ行きますか」
俺の言葉に全員が頷く。
そして俺達は移動を再開した。
すると程なくして、光が射し込む出口が前方に見えてきたのである。
(ラティの言った通りだな。ようやく外に出られそうだ……ン?)
だがしかし……ここで息を飲む事態に、俺達は遭遇するのであった。
【誰だッ、そこにいるのはッ!】
声は出口の方から発せられていた。
この声は確実に、俺達へ向けられたものである。
俺達はそこで歩みを止め、前方の様子を窺う事にした。
するとなんと、洞窟の出口付近に、2体の魔物が立ち塞がっているのを俺の目は捉えたのである。
2体は共に同じ魔物であった。勿論、見覚えのある魔物だ。
全身が濃い緑色の皮膚で、死神を連想させる大鎌を両手で持ち、蝙蝠のような羽を背中から生やした悪魔みたいな姿の魔物である。
そんな容姿の為、一瞬、バルログやサタンパピーかとも思ったが、それとは違う種族であった。
頭部の造形も違う。バルログはツルッ禿げだが、この魔物は鋭利な角が4本生えているのである。
(こいつらは……ドラクエⅣで、見たことがあるぞ。確か、ベレスとかいう魔物だ……。ベギラマを使う、それなりに強い敵だった気がするが……今はそれよりも、この状況をどうするかだ。何事もなく進めるといいが……)
ラティが俺に囁いた。
「コ、コータロー……どうしよ」
「オドオドするな。構わず進むぞ。俺達の姿がわからないから、ああ言ってるんだ。俺達は今、魔物なんだから、自然に行くぞ」
「お、おう、せやな」
俺はそこで、ラッセルさん達にもその旨を伝えておいた。
そして、ここからは俺が先頭になって移動を再開したのである。
奴等の前に来たところで、1体が口を開いた。
「誰かと思ったら、仲間じゃねぇか。馬鹿な冒険者がノコノコとやって来たのかと思ったぜ。まぁいいや、さぁ通りな」
そういうや否や、ベレス2体は俺達に道を開けてくれたのだ。
少しドキドキしたが、何とか事なきを得たようだ。
というわけで、俺もできるだけ、自然に振る舞っておく事にした。
「ご苦労さん。じゃあ、通らせてもらうよ」
「おう」
俺達はベレスの横を通り、悠々とした足取りで洞窟を出る。
その直後、太陽に照らされて光り輝く広大な緑の湿原が、俺達の目の前に姿を現したのであった。
結構、ストレスのかかる行軍だったので、この光景を見て、俺は凄くありがたい気分になった。が、しかし……ベレスが門番の如くあそこに張り付いてるという事は、裏を返せば、ここは既に強力な魔物の勢力圏内という事を意味しているも同然であった。
しかも、ここからは更に危険地帯に足を踏み入れる事になる為、俺達は今まで以上に警戒しながら進まねばならないのである。
だがそうはいうものの、その前に少し休憩を挟みたいのは正直なところであった。
その為、洞窟を出た俺達は、とりあえずは進み続け、静かで見通しの良い大きな沼の畔に来たところで、一息入れる事にしたのである。
俺はその辺の岩に腰かけ、肩の力を抜いた。
と、そこで、マチルダさんがボソリと呟いた。
「はぁ……心臓に悪いわね。でも、ここは見覚えのある景色だわ。ゼーレ洞窟のすぐ近くよ」
「へぇ、そうなんですか。で、ゼーレ洞窟はどの辺りなんですか?」
するとラッセルさんが、とある方向を指さして教えてくれた。
「あそこですよ。この大きな沼地の向こう側にある、盛り上がった丘の斜面です」
ラッセルさんの指先を追うと、確かに丘があった。が、しかし……その辺りは、ヤバイ魔物が沢山徘徊している所でもあったのだ。
(ゲ……あの魔物達は……こいつはかなりデンジャラスだぞ……マジかよ)
俺はもう一度確認してみた。
「……魔物が沢山徘徊している、あの辺りって事ですか?」
「ええ、そうです。しかし、あの魔物の数を見るに、これは思った以上に不味い事になってそうですね。しかも、見た事ない魔物ばかりだ……」
「……」
俺にとっては数も然る事ながら、徘徊している魔物の方が問題といえた。
なぜならば、ゲームだと後半に入りかけた頃に現れるモンスターばかりだったからだ。
褐色の巨体を揺らしながら歩く巨人・トロル。
トロルよりも大きな、青い肌の一つ目巨人・サイクロプス。
白い毛に覆われた猿顔の悪魔・シルバーデビル。
6本の腕に剣を持った茶色の骸骨剣士・地獄の騎士。
そういった厄介な魔物の姿が、俺の目に飛び込んできたのだ。
(う~ん……流石に、このレベルの魔物と戦うのは厳しいな。戦闘になったら、まず勝てない。はぁ……やだなぁ、もう……何でこんな所に来たんだろう、馬鹿だな、俺……。でも、ここにコイツ等がいるという事は……辺りには、相当濃い魔の瘴気が漂っているに違いない。こりゃただ事じゃないぞ……)
俺はラッセルさん達に忠告しておいた。
「……皆に言っておきます。俺達は洞窟の実態調査に来たんです。ですから、奴等とは決して戦ってはいけませんよ。ハッキリ言いましょう。俺達の戦力では、かなり厳しい魔物ばかりです。戦えば全滅が待っていると思ってください」
「え? コータローさん、アイツらを知ってるの?」とシーマさん。
俺は頷くと、少し嘘も混ぜて話しておいた。
「ええ、知ってますよ。あれは、ラミナスが滅ぼされた時に襲来した魔物ですから、熟練の冒険者でも奴らを倒すのは至難の技だと思います。ですから、間違っても戦おうなどと思わないでください」
ラミナスを滅ぼされた時にアイツ等がいたという確証はないが、ザルマが引き連れていた魔物よりも強い魔物ばかりなので、当たらずとも遠からずな筈である。
「ラ、ラミナスを滅ぼした魔物……ゴクリ……」
皆の生唾を飲み込む音が聞こえてくる。
どうやら、俺達が今置かれている状況を理解したのだろう。
「そういうわけなので、進む前に約束してもらいたいのです。コチラから奴等に戦いを仕掛けるような真似は絶対にしないと。いいですね?」
「わかりました、コータローさん。貴方の指示に従います」
「わ、私も従うわ」
「私も」
「ワイも」
ラッセルさんとマチルダさん、それからシーマさんとラティが答える。
だが、リタさんは何も言わなかったので、俺は今一度言っておく事にしたのである。
「リタさん、返事は? 貴方が俺の事を嫌うのは自由だが、これだけは約束してほしいんです。でないと、ここから先は進むわけにはいきません。1人の過ちがパーティ全員の命取りになるのですから」
するとリタさんは渋々返事してくれた。
「……わかったわよ。言うとおりにするわ」
「お願いしますよ。俺もこんな所で死ぬのは御免ですからね」
ラッセルさんが念を押した。
「頼むぞ、リタ。無茶はするなよ」
「だから、分かったって言ったでしょ」
リタさんが少し不安だが、とりあえず、ここは信じる事にしよう。
「では、あと少しだけ休んでから出発するとしましょう」
そして、俺達は暫しの休憩の後、凶悪な魔物が徘徊する区域へと、移動を再開したのであった。
Lv42 グァル・カーマの法
[Ⅰ]
休憩を終え、移動を再開した俺達は、沼の畔を進み、ゼーレ洞窟がある丘へと向かった。
その際、警戒しているのがバレないよう、俺達は平静を装いながら進むことを心掛けた。
そうやって進む事、約10分。俺達はとうとう魔境と化した、あの丘へと辿り着いたのである。
つーわけで……俺達の周囲には今、あの強力な魔物達が、その辺を悠々と闊歩しているところであった。
ラッセルさん達はともかく、俺の場合、ゲームで何回も遭遇した嫌な魔物ばかりなので、ハッキリ言って生きた心地がしない。やはり、リアルなモンスターはシャレにならない威圧感だったからだ。正味の話……超コワいというのが、今の率直な気持ちであった。
(はぁ……にしても、この類の魔物達をリアル再現すると、本当に厳つくなるな。ゲームみたいにアニメチックじゃないから、可愛さは微塵も感じられん。つか、トロルとかサイクロプスなんて大きさ的に反則だろ。近くに来て分かったけど、身長5m以上あるじゃないか……おまけに、なんだよ、あの馬鹿でかい棍棒は……。あんなのでフルスイングされたら、中身が飛び出るぞ……。勘弁してよ……トホホ)
などと嘆いていると、ラティが弱々しく俺に囁いた。
「な、なぁ……ワイ、今、めっちゃ怖いんやけど……。た、たぶん、こいつ等、全員とんでもないで。ワイの第6感がそう言うてる。こ、こいつ等、絶対ヤバイて……は、はよ、帰りたいわ」
ラティなりに、こいつ等のヤバさを感じているみたいだ。
ここでは人間と共存共栄しているメイジドラキーだが、考えてみれば元々は魔物だから、本能的にそう感じとったのかもしれない。
まぁそれはともかく、俺は小声で注意をした。
「……ラティ、俺達の目的は調査だ。あまり取り乱すなよ。襲って来ないんだから、大丈夫だ。堂々としてろ」
「せ、せやな。わかった」
俺はそこでラッセルさん達の様子を見てみた。
だが、ラッセルさん達の姿は、地獄の鎧と泥人形。ポーカーフェイスな魔物なので、その表情は窺い知る事は出来ない。
とはいえ、歩く姿が微妙にぎこちなく感じた。
この様子を見る限り、俺の忠告を聞いた事で、少し委縮しているのかもしれない。
(動きは固いけど、ラッセルさん達の変装は表情に出ないから、ある意味好都合かもしれん。まぁ俺もそんな感じだけど)
ちなみにだが、先程の休憩の時、ラッセルさん達には喋らないようにと忠告をしておいた。
勿論、理由がある。これは俺の勘だが、地獄の鎧と泥人形は、何となく喋らない気がしたからである。
確証があってのことではないが、ベルナ峡谷で良く遭遇した彷徨う鎧に関しては、無言で襲い掛かって来る魔物だったので、上位互換である地獄の鎧も同系統の魔物だと思ったのである。泥人形に関しては言わずもがなだ。
まぁそんなわけで、俺達は少し緊張しながらも、凶悪な魔物が徘徊する中を進むんで行くのである。
それから暫く進み、俺達はゼーレ洞窟があるという丘へと到着した。
丘の緩やかな斜面には、一筋の砂利道が伸びている。ラティ曰く、これが洞窟へと続く道だそうだ。
というわけで、俺達はその道をまっすぐと進んで行く。
すると程なくして、丘の斜面にポッカリと空いた大きな穴が、俺達の前に姿を現したのである。
穴の大きさは、横幅が約10mに、高さが約15mといった感じだ。中々の大きさである。
そして、その穴の両脇には、フォークのような三つ又の槍を持つ、緑色の小さな可愛らしい悪魔・ミニデーモンが、門番の如く、2体屯しているのであった。
よく考えてみれば、コイツも、トロルや地獄の騎士達と同じフィールドに出現する魔物であった。
可愛い姿をしているが、中々に厄介な魔物だったのを覚えている。特に、複数で現れると、コイツの吐く『冷たい息』はともかく、メラミが強力なので、ゲーム上ではピンチになった事もしばしばあるからだ。
(ミニデーモンか……また懐かしい魔物が出てきたな。でも、コイツがここにいるという事は、この辺りは、ドラクエⅢでいうネクロゴンド周辺レベルの魔物が多いのかもしれない。実際、それに準じた魔物が多いようだ)
一応、確認できた魔物を列挙すると……トロル・サイクロプス・地獄の騎士・ライオンヘッド・ミニデーモン・ヘルバイパー・シルバーデビルといったところである。
ちなみにだが、ヘルバイパーは、ドラクエⅣに出てきた【とさか蛇】に似た魔物の方じゃなく、ドラクエⅥのテリーイベントに出てきた襟首に翼がある紫色の大蛇であった。毒を撒き散らす性質の悪い魔物だ。
(そういえば以前……アルカイム街道でラッセルさん達を治療した時、ウォーレンさんは確か、翼のある紫色の大蛇を見たと言っていた。もしかすると、コイツの事なのかもしれない……)
まぁそれはさておき、以上の事からもわかる通り、かなりの強敵揃いだ。
それに引き替え、俺達の装備はゲームでいうなら、中盤に入りかけた頃の武具である。
この装備では、奴等に歯が立たないのは明白であった。
つまり、触らぬ神に祟りなしである。
(はぁ……生きた心地がしない。何事も起きませんように……)
と、ここで、ラティの声が聞こえてきた。
「アレが洞窟の入口やで……」
(やはり、アレがそうか……ここからは慎重に行ったほうが良いな。仕方ない……不測の事態に対応できるよう、俺が先頭で行くか……)
俺はラッセルさん達に小声で告げた。
「……俺が先頭で中へ入ります。皆は俺の後に続いてください。それから不自然な行動はしないようにお願いします」
ラッセルさん達は小さく頷く。
というわけで、ここからは俺が先頭で進むのである。
それから程なくして、洞窟の入り口へと到着した俺達は、平静を装いつつ、穴へと向かい歩を進めた。が、しかし、丁度そこで門番のミニデーモンが、俺達を呼び止めたのである。
【ケケ、待て……お前達、見かけない顔だな。ソーン階層の奴等みたいだが、ここに何の用だ】
(ソ、ソーン階層? なんだそれ……。初耳だ。まぁそれはともかく、さて、どう返そう……)
俺がそんな事を考えていると、もう片方のミニデーモンが、間髪入れず話に入ってきた。
【ウケケ、こいつ等はアレじゃないか。ジェバが呼んだ奴等じゃないのか?】
【ジェバ? ああ、そういえばジェバの奴、ここにいる奴等は言うこと聞かないから、言うこと聞く奴等が欲しいとか言ってたな。ケケケ】
【ケケケ、多分それだぜ】
【確認してみるか。おい、お前達、ジェバに呼ばれたのか?】
とりあえず、俺はそれっぽく答えておいた。
「俺達はここに行けと言われたから来ました。雑用と言われたのですが、何をするのかまでは聞いてないです」
【雑用なら、多分それだぜ。ケケケ】
【ウケケ、多分、そうだろう。よし、お前達、中に入れ。俺がジェバの所まで案内してやろう】
(え? どうしよう……これは想定してなかった……)
予想外の展開になってきた。……胃が痛くなる展開である。
だが、こうなった以上、仕方ない。
とりあえず、適当に話を合わせて切り抜けるしかないだろう。
「では、お願いします」
【ウケケ、じゃ、ついて来い】――
[Ⅱ]
ゼーレ洞窟内に足を踏み入れると、中は松明が灯っている事もあり、意外にも明るかった。
だが俺は、明るさもさることながら、その様相にも驚いたのである。
なぜならば、このゼーレ洞窟は鍾乳洞を思わせる壁面だったからだ。
周囲に目を向けると、鍾乳石の柱のようなモノや、つらら状のモノが幾つも伸びている。おまけに中も広い。入り口が大きかったので予想はしてたが、中はそれよりも一回り大きな空間が続いているのである。
(まさか……この世界に来て鍾乳洞を見れるとは思わなかったよ。鍾乳洞があるって事は、この丘はカルスト地形なのだろうか? まぁそれはともかく、高校の頃、修学旅行で山口県の秋芳洞に行った事はあるが、あそことよく似ているな。自然が作り上げた美しい宮殿てとこか。でも……幾ら美しい光景でも、今は感動出来んなぁ。おまけに何やら寒いし、怖い魔物もいるし……。とっとと調べて撤収しよう……)
俺はそんな事を考えながら、ミニデーモンに続いて洞窟内を真っ直ぐ進んで行く。
すると程なくして、俺達は広々とした大空洞に辿り着いたのである。
空洞は歪な円形で、直径50m以上はありそうな床面積であった。
大空洞の中心に目を向けると、丸い魔法陣のようなモノが描かれているのが目に飛び込んできた。魔法陣の中心には、何に使うのか知らないが、大きな黒い台のようなモノが置かれている。その周囲には、不気味な模様が彫られた壺や、角の生えた魔物の石像、そして祭壇みたいなモノ等が置かれていた。
空洞の奥に目を移すと、そこには、お立ち台を思わせる石の壇があり、その壇上には玉座を思わせる大きな石の椅子が鎮座していた。恐らく、高位の魔物がそこに座ることになるのだろう。
また、空洞内には魔物達が沢山うろついており、今は魔法陣や祭壇の付近で何かの作業をしているところであった。
まぁそんなわけで、パッと見は、悪魔崇拝の宗教的儀式を行うかのような場所であった。
ちなみにだが、一応、ここにいる魔物を言うと、猪の獣人・オークや狼の獣人・リカントマムル、そして、パプアニューギニアのお面みたいな物を被った、未開の部族みたいな出で立ちのシャーマンといった魔物達である。
(こいつ等は儀式の下準備でもしてんのだろうか……。にしても、ここにいる魔物は、外にいるのと比べると、ワンランク下の魔物ばかりだな。まぁ俺達もその類なんだろうけど……)
ふとそんな事を考えていると、ミニデーモンの声が聞こえてきた。
【え~と……ジェバの奴は確か、ここにいる筈だが、どこだったか……。お、いたいた。お~い、ジェバ!】
ミニデーモンの視線の先を追うと、そこにはなんと、ラミリアンのような長耳の青い人型の魔物が佇んでいたのである。
勿論、見覚えのある魔物であった。
(あ、あれは確か……エンドゥラスとかいう種族だ。サナちゃん達は魔の種族とかいってたが……)
俺はそこで、空洞内をチラッと見回した。
すると、このジェバと呼ばれた者の他にも、数名のエンドゥラスの姿が確認できたのである。
(他にも何人か、エンドゥラスがいるな……。オーク達に指示を出してるところを見ると、現場監督といったところか……)
まぁそれはさておき、ジェバと呼ばれた者はそこで、コッチに振り向いた。
見たところ、どうやら男のようだ。歳は人間でいうなら50代くらいだろうか。
背丈は俺くらいで、少し痩せた体型であった。釣り上がった目をしており、狂気に満ちた笑みを浮かべている。
それから、肩よりも長いウェーブがかった金色の髪をうなじで束ね、黒いローブをその身に纏っていた。
というわけでパッと見た感じは、魔法使い系の出で立ちをした得体のしれない中年エンドゥラスというのが、俺の第一印象であった。
【なんだ? 用なら手短に頼む】
【ウケケ、手伝い要員を連れてきたぞ。ソーン階層の奴等だ】
ジェバと呼ばれたエンドゥラスは、俺達に視線を向け、暫し眺めると口を開いた。
【……地獄の鎧に泥人形、タホドラキーに妖術師か……ソーン階層でも、また微妙な奴らを連れてきたな。まぁいい、丁度、手が欲しかったところだ】
【ケケケ、じゃあ、後はよろしくな】
【ああ】
そしてミニデーモンは、この場から颯爽と立ち去ったのである。
ミニデーモンがいなくなったところで、ジェバは俺に話しかけてきた。
【さて、この中で話が理解出来そうなのは、ドラキーとお前だけだな。1つ訊くが、地獄の鎧と泥人形は、お前達の指示に従うのか?】
俺はとりあえず頷いておいた。
「はい」
【ほう、そうか。なら、アイツ等の持ち場を手伝ってもらうとするか。グフフフ】
ジェバは不気味に笑いながら、10体程の骸骨がうろついている祭壇の方へと視線を向けた。
そして、そこにいる2名のエンドゥラスに向かい、呼びかけたのである。
【お~い、ヴァイロンにリュシア。ちょっとこっちに来てくれ】
エンドゥラス2名はこっちに振り向く。
だが、俺はそのエンドゥラスの顔を見るなり、思わず目を見開いたのであった。
(イッ!? ア、アイツ等はッ)
なぜならば、ガルテナで遭遇したあのエンドゥラス兄妹であったからだ。
(まさか、こんな所で再会する事になるとはな……何たる偶然……)
2人はこちらへとやってくると、まずヴァイロンが口を開いた。
【ジェバ様、何でございましょうか? 我々も手一杯なので、これ以上仕事が増えるのは厳しいのですが】
【いや、そうじゃない。こいつ等をお前達に預けようと思って呼んだのだよ。まぁ早い話が、追加の要員だ】
【おお、追加要員ですか。それならば、歓迎です】
【そうか。ならば、お前達に預けよう】
そこでジェバは俺に視線を向けた。
【お前達はこれから、ヴァイロン達の指示に従って、作業に当たるのだ。しっかり働け。グフフ】
「わかりました」
と、ここで、ヴァイロンはリュシアに指示を出した。
【じゃあ、リュシア。この者達にも、グァル・カーマの儀式で使う魔導器を運んで貰おう。場所を教えてやってくれ】
【わかったわ、兄さん。貴方達、コッチよ】
とまぁそんなわけで、俺達は予想外の展開に、暫し付き合う事となるのであった。
[Ⅲ]
リュシアの後に続いて大空洞を出た俺達は、通路のような洞窟内を無言で進んで行く。
俺はその際、不自然に思われない程度に、周囲の様子を窺った。
すると、俺達が進む空洞にも至る所に松明が灯っていた。鍾乳石の瑞々しい壁面に、松明の光が反射するので、中はかなり明るい。この調子だと、ここでレミーラは必要無さそうである。
また、勿論、この空洞には魔物達が普通に行き交っていた。擦れ違う魔物達も色々で、大空洞にいる様な魔物の他に、外にいる強力な魔物の姿もあった。
その光景はまさに魔物の巣窟といったところで、中々に気が滅入る光景であった。
(はぁ……虎穴に入らずんば虎児を得ず、と言うが、正直、あまり体験したくはないな……。生きた心地がしない。ラティも俺の陰に隠れながらオドオドしてるとこ見ると、結構ビビってるみたいだ。人間と関わりが深い分、メイジドラキーとはいえ、魔物から襲われる事があるのかも……)
ふとそんな事を考えながら進んでいると、程なくして俺達は、20畳程度の床面積を持つ空洞へとやってきた。
そこには、不気味な模様が彫られた石版や箱、それから歪な形をした武具や壺などが所狭しと置かれている。恐らく、物置として利用している空洞なのだろう。
(なんか知らんが……呪いが掛かってそうな品々ばかりだな……コワッ)
と、ここで、リュシアが俺達に振り返る。
「ここよ。さて、それじゃあ貴方達には……数もいる事だし、この石版を運んでもらおうかしら」
リュシアはそう言って、台車に乗せられた石板を指さした。それは3m×4mくらいありそうな、大きい石版であった。
1人では厳しいが、台車に乗っているので、俺達全員でやればなんとか動かせそうな感じだ。が……俺は呪いが怖かったので、とりあえず、回りくどく訊いてみる事にした。
「それは分かりましたが、1つ訊かせて頂いてもいいでしょうか?」
「何?」
「我々はここに来たのが初めてなのでわからないのですが、これらは一体、何に使う物なのでしょうか? この地の者共に呪いをかける道具の一種ですか?」
「呪い? あはは、違うわよ。これはグァル・カーマの法で使う魔導器の1つよ。って……ここに来たのが初めてな上に、ソーン階層の魔物である貴方達は、知るわけないわね。まぁいいわ、教えてあげる。グァル・カーマの法はね、地上に住まう奴等の魂と、魔物の邪悪な魂を融合させる秘法の事よ」
俺は今の話を聞き、静かに息を飲んだ。
(ま、魔物の魂を融合させるだって……マジかよ。そんな事が可能なのか……)
「それは凄いですね。魂を融合させるなんて事が可能なのですか?」
「まぁ、成功率はかなり低いわね。このイシュマリアで完全に成功したのはアシュレイア様とヴィゴール様だけだし。他は今のところ失敗続きよ。でも、このグァル・カーマの法を生み出した御方がいるラミナスでは、もう少し成功例があるみたいだけどね」
「そうですか……」
アシュレイア様とヴィゴール様の部分はともかく、それをする事によって、どういった事が起きるかが気になるところである。
この際だ、とりあえず訊いてみよう。
「ところで、そのグァル・カーマの法が成功すると、どのような事が起きるのですか?」
「決まっているでしょ。この地の奴等同様、リュビストの結界内を自由に行き来できるようになるわ。しかも、ヴィゴール様の話だと、変装ではないから、例えラーの鏡を使ったとしても魔物と見破るのは困難だそうよ」
「なんと……」
(ラーの鏡でも見破れないだって……。オッサンはこの事知っているんだろうか……。とりあえず、後で確認しておこう。それよりも今は、この邪法についてもう少し知る必要がある……)
リュシアは続ける。
「それだけじゃないわよ。魔の瘴気を取り込んで、融合させた魔の魂を目覚めさせれば、濃い魔の瘴気が周囲に無くても、長時間、その強大な力を振るえるようになるそうよ。そうなったらもう、魔の世界最下層であるラム・エギドの魔物並みの力を発揮できるから、この地に住む奴等では、まず歯が立たないでしょうね」
ラムエギド?
話の感じからすると、多分、魔の世界最下層の名前だと思うが、今は置いておこう。
「そうなのですか。でも、今、長時間と仰られましたが、そんな事が可能なのですか? 用意できる魔の瘴気は限られていると思うのですが」
「アハハ、貴方勘違いしてるわよ。濃い魔の瘴気は、あくまでも魔物の魂を目覚めさせるキッカケに過ぎないわ。魔物としての力を維持するのは、その本体が持つ力らしいわよ。だから魔の瘴気が無くても力を振るい続けられるのよ。まぁそうはいっても、魔物と化している時は、体力が結構消耗するらしいから、無限に利用できるわけじゃないみたいだけどね」
「なるほど」
この話が本当ならば、ザルマは恐らく、このグァル・カーマの法というのを行ったに違いない。
人の身体を維持したまま魔物になれる邪法という事だ。
そして問題は……このイシュマリアにも、その邪法を施された者が2名いるという事だろう。
これはかなりヤバイ情報である。
(つまり……成功すれば、この世界の人々と同様に、リュビストの結界内を自由に行き来できる魔物の完成というわけか。まるで、トロイの木馬だな……ン?)
と、その時である。
なぜか知らないが、リュシアが首を傾げ、俺をジッと見ていたのだ。
もしかすると、しつこく訊いたので、変に思ったのかもしれない。
(調子に乗って、話を引き出し過ぎたか……とりあえず、平静を装おう)
つーわけで、俺はリュシアに自然な感じで訊ねた。
「どうかしましたか? 私の顔に何かついてますでしょうか?」
「……貴方、以前、私とどこかで会った事ない?」
「いや、初対面ですが……」
「そうよね。でも、なぜかしら……貴方と話していると、以前、どこかで会ったことあるような気がするのよね。しかも、ごく最近……って、アアッ!?」
するとリュシアはそこで大きな声を上げ、捲し立てるように話し始めたのである。
「お、思い出したわッ! 貴方の声、ガルテナで会った、コータローとかいうアマツの民とそっくりなのよ。ああ、もう、嫌な事を思い出しちゃったじゃないッ!」
(心臓に悪いぜ。バ、バレたのかと思ったよ……ン? イッ!?)
だが、ホッとしたのも束の間であった。
なんと、今のリュシアの言葉を聞き、今度はラッセルさん達とラティが、一斉に俺に目を向けたのである。
(コ、コッチ見んな! 怪しまれるだろッ、バレたらどうすんだ、このトンチキがッ!)
奇妙な冒険第3部に出てきた某ギャンブラーの如く、心の中で悪態を吐きつつも、俺は流れに逆らわないよう、話に付き合っておく事にした。
「そんなにそっくりなのですか?」
「本当にそっくりよ。思い出すだけで、頭に来るわッ。アイツがいなければ、私達はこんな事しなくて良かったんだからッ! ああもう、何か腹が立ってきたわッ!」
「そうなのですか。ところで、そのコータローとかいう奴と、一体何があったのですか?」
「私達はね、ガルテナでヴァナド……い、いや、なんでもないわ。とにかくよッ、貴方達はこの石版をとっとと向こうの大空洞まで運びなさい。いいわねッ」
そしてリュシアは、颯爽とこの場から立ち去ったのである。
辺りに暫しシーンとした静寂が訪れる。
ラッセルさん達やラティは、今も尚、俺にジッと視線を向け続けていた。
程なくして、ラティが俺の耳元で囁いてきた。
「な、なぁ、コータロー……あのリュシアっちゅうエンドゥラスと、前になんかあったんか?」
「ああ、ちょっとな……。さて、それじゃあ皆、面倒だけど、とりあえずコレを運ぶとしますか」
というわけで、とりあえず俺達は、リュシアに言われた仕事をこなす事にしたのである。
[Ⅳ]
石版を運んだ後も、俺達はヴァイロンとリュシアから細々とした指示を受け、暫しの間、それらの雑務をこなしていった。
だが、その途中、思いがけない大ピンチもあったのだ。
それは何かというと、杖の効果が切れかかって正体がバレそうになったという事である。
しかし、周囲に魔物が居ない時になったので、俺達はその場で変化の杖を行使して危機を回避し、何とか事なきを得たのである。
今回、長時間使用してわかった事だが、杖の力で変化していられるのは、精々3時間程度のようだ。
ゲームでフィールド移動してる時も、そんなには持たなかったので、同じような持続効果と考えてよさそうである。
まぁそれはさておき、俺達はそんな危機を乗り越えつつ、雑務をこなしていくわけだが、それを1時間程続けたところで周囲に変化が訪れたのであった。
それは、俺達が大空洞で少し休憩していた時に起きた。
俺と良く似たタイプの魔物が、突然、奥のお立ち台にフッと現れたのである。
その魔物は白い仮面を被っており、頭部には2本の角が生えていた。
今の俺と同じように、蝙蝠のシルエットが入った白いローブを着ており、その上から赤いマントを纏うという出で立ちであった。
この見た目からすると地獄の使いだと思うが、その魔物は現れるや否や、大きな声を発したのである。
【皆の者ッ! 静まれいッ! ヴィゴール様がお着きになられた。 至急、壇の前に集まるのだ】
その直後、この大空洞にいた魔物達は壇の前へと移動を始めた。
つーわけで、俺達も他の魔物達と同様に、移動する事にした。
(ふぅ……今度は一体、何が始まるんだ。それよりも、今、ヴィゴール様と言ってたな……リュシアが言っていたグァル・カーマの法が成功した魔物の名前と同一だ。この流れから察するに、多分、本人だろう。一体、どんな魔物なんだか……ン?)
するとそこで、地獄の使いと入れ替わるように、太った悪魔みたいな魔物が壇上に現れたのである。
頭部には幾つもの角が生えており、その手には、サイクロプスやトロル以上に馬鹿でかい棍棒を所持していた。
身体は群青色の鱗に包まれており、まるで爬虫類と悪魔を合成させたかのような魔物だ。
はっきり言って、威圧感が半端ない。が、俺はこれとよく似た魔物をゲームで目にした事があった。
(この姿……ドラクエⅣに出てきた鬼棍棒やギガデーモン、そして2回目バルザックに似ている……多分、同系統の魔物だろう。つまり……近距離パワー型の強大な魔物の可能性大って事だ。この威圧感から察するに、相当強いぞコイツ……。俺の中の何かが、今は絶対に戦ってはいけないと言っている……)
登壇したその魔物は、低い声色で厳かに話し始めた。
【ご苦労である、皆の衆! そなた達のお蔭で、もう準備の方は粗方出来ているとジェバより聞いておる。よって、今日もこれより、グァル・カーマの儀式を執り行なう予定だ。そなた達も、休息も兼ねて儀式を見守るがよい。ではジェバよ、こちらへ参れ】
ジェバはヴィゴールの前へと行き、跪きながら恭しく首を垂れた。
【さて、ジェバよ、今日は幾つ器を試すつもりだ?】
【2つにございます。ですが、もう器はこれで最後でございます。今後も儀式を続けてゆかれるならば、まだまだ数が必要となりますが……】
【案ずるな。既に手は打ってある。近々、まとまった数がここへやってくる予定だ】
【しかし、器には条件もございます。このグァル・カーマの秘法を成功させるには、第一の条件として、欲深い穢れた魂を持つ、生命力に溢れた強い器でなければなりませぬ。それ以外での融合は、ラミナスでも成功した例がございませぬ故……】
【それも心配無用だ。欲深い穢れた器がこぞって、ここに現れるであろうからの。グフフフッ】
ヴィゴールは舌を出して不気味に微笑んだ。
【なんと、そうでございますか。さすれば、後は儀式の成功率を上げていくだけにございますな。我々エンドゥラスも力の限りを尽くしましょう】
【グフフ、頼むぞ。グァル・カーマの法の成功率を上げる事は、アシュレイア様たっての御要望なのだ。それもあるが故に、この洞窟を拠点として選んだのだからな。それからアシュレイア様はこうも仰られた。このグァル・カーマの法の結果如何によっては、お主等エンドゥラスに、アヴェラスにおける最高の地位と名誉を与えるつもりだとな。この言葉を真摯に受け止めるのだ。精一杯励むがよいぞ】
【有難きお言葉】
【さて、では始めるがよい】
【ハッ!】――
ジェバは祭壇の前へと移動すると、魔法陣へと向き直り、大きな声で告げた。
【ではこれより、グァル・カーマの儀式を執り行なう。器を魔法陣へと持ってくるのだ】
その直後、大空洞内に、泣き喚く怯えた声が響き渡った。
【は、離せェェェ】
【女神イシュラナ様ッ、お助けをッ。我等を救ってくださいィィィ】
俺は驚きのあまり、目を見開いた。
なぜなら、大空洞に幾つかある空洞の1つから、裸にひん剥かれた2人の若い人間の男が現れたからである。
2人は今、1本の丸太に吊られた、大きな鳥籠のような檻に入れられていた。
またその檻を、前後にいる2体のトロルが運んでいるのである。それはまるで、時代劇に出てくる駕籠を運ぶかのようであった。
(チッ……予想はしてたが、器とはやはり人間だったか。助けてやりたいが、救出は不可能だ……)
檻は魔法陣の前で降ろされる。
魔物達は檻の中から2人を引っ張りだして、魔法陣の中心にある大きな台へと連れてゆき、その上で仰向けに寝かせた。
【ヒッ、ヒィィ。イシュラナ様ァァァ、お願いです! 助けて下さいィィ!】
【い、一体、な、何をするつもりだァァァ】
2人の男は半狂乱になりながら叫んでいた。
魔物達はそこで、2人の口に猿轡をして静かにさせ、手足を頑丈な拘束具で括り付けて、身動きできないよう台に固定していった。
そして、作業を終えると、魔物達は2人を残して魔法陣から出たのである。
と、ここで、ラッセルさんが俺に耳打ちしてきた。
「ア、アイツらは……行方知れずになっていた冒険者達です……ど、どうしましょう?」
「今は黙っていてください……」
「しかし……」
「彼等を助けるのは……この状況ではもう不可能です。悔しいですが……どうにもなりません。ここでバレたら俺達は一環の終わりです。今は……堪えてください」
ラッセルさんは無言で頷く。
と、その時である。
―― カチャ ――
なんと、ラッセルさんの隣にいるリタさんが、剣に手を掛けたのであった。
(ちょッ! 空気読めよッ! ここでそれはやめてくれッ!)
俺は魔導の手を使い、剣の柄を握るリタさんの手を押さえ込んだ。が、しかし、尚も彼女は剣を抜こうとする。
俺は埒があかないと思い、彼女に耳打ちした。
「……リタさん。駄目です。ここは抑えてください」
リタさんも小声で返す。
「こ、このまま黙って見殺しにしろって言うのッ!? そんな事、私にはできないわッ!」
「悔しいかもしれませんが、堪えてください。今此処で、俺達の正体がバレたらエライことになります」
「で、でも」
「お願いです。周りにいる魔物は、とてもではないが、俺達では対処できません。ハッキリ言って強すぎます。今は抑えてください。この状況で彼等を救うのは……不可能です。今、貴方が動けば、俺達は全滅です。兄であるラッセルさんや仲間であるマチルダさんにシーマさんを救うと思って……今は堪えてください」
「クッ……わかったわよ……」
渋々といった感じではあったが、リタさんは力を弱め、柄から手を離した。
俺はホッと息を吐く。
と、そこで、周囲にいるギャラリーから驚きの声が上がったのである。
【オオオ!?】
俺は魔法陣に目を向けた。
するとなんと、紫色に発色する魔法陣の中で、黒い霧に包まれる冒険者達の姿が視界に入ってきたのである。
(チッ、しまった。リタさんを説得してるうちに儀式が始まっていたのか。……仕方ない、ラティに訊いてみるか)
俺はラティに小声で訊ねた。
「ラティ、一体何があったんだ?」
「ワイもわけが分からんのや。あの2人に、ジェバっちゅう奴が妙な液体掛けた後、呪文みたいなのを幾つか唱えたら、あないな感じになったんや。ただそれだけやで」
「そうか……」
見逃した部分については、そこから想像するしかない。
とりあえず、今はリタさんを監視しつつ、この成り行きを静かに見守ろう。
冒険者達を包み込む黒い霧は、中々晴れなかった。
20分くらい経過しても一向に晴れる気配はない。
その間、ジェバは魔法陣の外から黒い液体を魔法陣に振り撒きながら、聞いた事がない呪文を唱え続けていた。
だが、儀式が始まりだしてから30分程経過した頃、黒い霧は徐々に霧散し始めたのである。
それに伴い、冒険者達の姿も徐々に見えるようになってきた。
冒険者達は少しグッタリとした様子だったが、大きな変化はなかった。が、しかし、1つだけ奇妙な現象が起きていたのである。
それは何かというと、サッカーボール大の淡く発光する白い球体が、彼等の胸の辺りに漂っていたからだ。
(なんだ、あの白い球体は……)
それから程なくして、冒険者達を覆っていた黒い霧は、完全に消え去った。
ジェバの声が響き渡る。
【器の前処理と魂の抽出は終わった。ではこれより、融合に入る。マントゴーアとヒドラの魂を用意せよ!】
指示を受けた2体のシャーマンは、不気味な模様が彫られた少し大きめの壺を2つ、ジェバの所へと持ってきた。
続いてジェバは壺の封を解き、中から深紫色の淡い光を発した水晶球のようなモノを取り出したのである。
ジェバはそれら2つの水晶球を上に掲げ、また妙な呪文を唱えだした。
【カーツ・コンレー・カーツ・イーシ……】
するとその直後、水晶球はフワフワと宙に浮き、冒険者達のところへと移動を始めたのである。
水晶球は、冒険者の胸元で漂う白い球体と接触する。
と、次の瞬間、白い球体は水晶球に吸収されたのであった。
水晶球は次第に、白と深紫のマーブル模様へと変化していった。
ジェバはそこで呪文の詠唱をやめた。
【魂の融合は完了した。ではこれより、魂を器に戻す。補助詠唱を担う者は、魔法陣の周囲にて詠唱を始めよ】
その言葉に従い、十数体のシャーマン達は魔法陣の周囲で、奇妙な踊りをしながら呪文を唱え始めた。
ジェバもそれに続いて呪文の詠唱を再開する。
と、その直後、水晶球からマーブル模様の球体が外に出てきたのである。
その球体は静かに、冒険者達の中へと入っていった。
ジェバ達の呪文詠唱は、今も尚、続いている。
(融合した魂を戻すと言ってたけど、成功した場合はともかく、失敗したら一体何が起きるんだ……ン?)
と、その時であった。
冒険者の身体に異変が現れたのである。
なんと、2人の冒険者の身体が、突如、小刻みに振るえ始めたのだ。
振るえは次第に大きくなる。
そして、次の瞬間!
―― ドッバッーン! ――
冒険者達の身体は爆発したかのように、突然、破裂したのであった。
瞬く間に、魔法陣の周囲は、真っ赤な血と肉片が飛び散る凄惨な様相となっていく。
台の上に目を向けると、骨だけとなった哀れな冒険者達が、静かに横たわっていた。
俺はこの惨状を目の当たりにし、彼等に深く懺悔した。
(……すまない。無力な俺達を許してくれ……)
ラッセルさん達も衝撃的だったのか、身動きせず、彼等の亡骸をジッと見詰めていた。
ジェバの悔しそうな声が聞こえてくる。
【クッ……失敗か……】
ヴィゴールの低い声が空洞内に響き渡った。
【ムゥ……どうやら、失敗のようだな。やはり、意思を持った魂でないと難しいか。ジェバよ、お主の見解を述べよ】
【魂の融合までは上手く行きましたが、今回も器が拒絶したようです。ですが、1つ分かった事がございます】
【ほう、して、それは何じゃ?】
【融合した魂の波長と器の波長が完全に合わないと、器は拒絶するという事です。今回、限りなく近い波長を持った魂を選んで融合したのですが、結果はこの通りでした。よって、完全に波長を合わせる方法か、もしくは、それを補う方法を確立させないと成功は難しいようです】
【フム。つまり、我等のように、己の意思で操れる状態の分けた魂を用意できねば、現状、成功は厳しいという事か】
【そう思われます】
【なるほどな。しかし、他にも何か方法があるやもしれぬ。ジェバよ、これからも引き続き、儀式を続けるのだ。その為の材料は我が用意させる故な】
【はい、ヴィゴール様】――
奴等がそんなやり取りをする中、俺は他の皆に耳打ちをした。
「……用は済みました。今のうちにコソッと撤収しましょう。もうここにいる意味はありませんから」
4人と1匹は無言で頷く。
そして俺達は、他の魔物達に気付かれないよう注意しながら、この魔窟となったゼーレ洞窟を後にしたのであった。
Lv43 魔窟からの帰還( i )
[Ⅰ]
ゼーレ洞窟から出た俺達は、徘徊するトロルやサイクロプスを警戒しつつ、来た道を戻ることにした。
だが、流石に皆も疲れたのか、暫く進んだ所でマチルダさんが俺に耳打ちしてきたのである。
「コータローさん……少し休まない? あんなモノを見た後だから、気分的にちょっと優れないのよ。……お願い」
「そうですね。もうそろそろ変化の杖の効果も切れそうですし、一度休憩挟みましょう。でも、ここはあまりにも見通しが良すぎるので、向こうに見える小さな林で休みましょうか」
俺はそう言って、少し離れたところにある林を指さした。
ここから見た感じだと、魔物の姿も確認しやすい上に、隠れるのにも丁度よさそうな林であった。
「ありがとう、コータローさん」
「じゃ、行きますか」――
林へとやって来た俺達は、周囲に魔物がいないのを確認したところで、適当な木陰に腰を下ろし、暫し休むことにした。
腰を下ろしたところで、ラッセルさんが項垂れたように、ボソリと呟いた。
「まさか……ゼーレ洞窟があんな事になっていたなんて……糞ッ。剣聖・ゼーレが魔物を掃討した洞窟に、また魔物が棲みつきだしたというのか……」
他の3人もラッセルさんに同調する。
「コータローさんの言うとおりだったわ……あんな所にノコノコ出掛けて行ったら、私達もあの冒険者と同じ目に……」
「でも、どうするの。バルジ達はこの事知らないから、あそこに行くわよ。王都に戻ったら、行くのを止める様に言わないと」
「そうよ。バルジ達に知らせないといけないわ」
俺はそこで、もう一度、4人に言っておく事にした。
「バルジさん達に忠告するのは構いませんが、変化の杖の事は伏せておいて下さいね」
ラッセルさんが訊き返す。
「え? どうしてですか?」
「これはラッセルさん達の為でもあるんですよ。これを告げる事によって、俺やラッセルさん達に危害を加えようとするモノが現れるかも知れませんからね。それ以外にも、非常に難しい問題を孕んでいるんです。噂程度ならともかく、実際にそういう道具があると知ったら、王都の住民達も人を信じられなくなり、疑心暗鬼に陥る可能性もあります。そうなると王都は少し混乱しますよ。ただでさえ、魔物に怯える日々を送っているんですから。まぁ要するにですね、今はその時ではないという事です」
そう……変化の杖の事は、今はまだ知られない方が良い。
ラッセルさん達に言った理由も然る事ながら、ヴァロムさんの計画に支障が出る事も考えられるからだ。
いや……ヴァロムさんの計画が俺の推察どおりならば、その可能性が高いのである。
「しかしですね……魔物が人に化けるというのは、流石に無視できません。俺達冒険者にとって死活問題ですから」
「言い方が悪かったですね。つまり、俺がお願いしたいのは、この杖の存在を黙っていてほしいという事なんです。ですから、魔物が人に化けるという噂程度なら構いませんよ」
「ああ、そういう事ですか。でも……となると、どうやってバルジ達に説明するといいか」
「まぁモノは言いようです。似たような事を言えばいいんですよ。魔物に変装して中を調査してきた……とかね。俺としては、変化の杖について伏せておいてほしいだけですので」
「なるほど……。ではそうします」
「でも、バルジさんに今回の事を話しても、聞き入れてくれるかどうかわかりませんよ。その事実を知ったら、なんとしてでも討伐に向かうというかもしれません。いや……冒険者階級最高峰の肩書がある彼等の事だから、そう言う可能性の方が高い気がしますね。こうなったらもう、そう簡単に説得はできないでしょう」
「そ、それは……」
4人は無言になった。
バルジさん達のパーティは冒険者階級最高峰の白金らしいから、そういったプライドもある筈だ。
なので、火に油を注ぐパターンも大いにあり得るのである。これは難しいところであった。
「まぁそういう可能性もあるという事です。それはそうと、ラッセルさん。さっき剣聖・ゼーレと言いましたが、何者ですか?」
「ああ、そういえば、コータローさんはマール地方出身でしたね。知らないのも無理ないです。剣聖・ゼーレとは、その昔、オヴェリウスにいた凄腕の魔導騎士の事ですよ」
「へぇ、魔導騎士の名前だったんですか」
ラッセルさんは頷くと続ける。
「ええ。実は今から500年ほど前、あの洞窟に魔物が棲みついてですね、オヴェリウスに脅威が迫った事があったそうなのですが、その時、魔物達を退ける為に多大なる貢献をされた魔導騎士がいたのです。その方が剣聖・ゼーレなんですよ。とはいっても、その当時は剣聖なんて肩書じゃなく、魔導騎士団長という肩書だったそうですがね。まぁ要するに、そのゼーレ騎士団長が指揮する部隊が、あの洞窟に棲みついた魔物を一匹残らず掃討した事から、後世になってゼーレ洞窟という名がついたんです」
「ふぅん……なるほどねぇ。ン?」
と、その時であった。
頭上からバサバサという羽音が聞こえてきたのである。
(魔物か……)
俺は上に視線を向けた。
すると、枝葉の隙間から、空を飛ぶ2体のライオンヘッドが視界に入ってきたのである。
(俺達に気付いたか? いや、コッチを見てなかったから違うな。何だ一体……)
程なくして2体のライオンヘッドは、俺達の休んでいる付近に舞い降りた。
俺はそこで唇に人差し指を当て、静かに、というジェスチャーをした。
4人と1匹は無言でコクリと頷く。
それから俺は木の陰に隠れ、ライオンヘッド達の様子をそっと窺う事にしたのである。
ライオンヘッドが降りた場所は、木々の間に幾つかの大きな岩が転がる所であった。
少し閉鎖的な雰囲気があるので、ある意味、休むには良さそうな場所だ。
(奴等は何しに来たんだ……昼寝か?)
俺はそんな事を考えながら、奴等が降り立った辺りに目を向ける。
だがその時、とんでもないモノが、俺の目に飛び込んできたのであった。
(イッ!? ア、アレは……)
俺は思わず息を飲んだ。
なぜならそこには、サイクロプスが1体昼寝をしていたからだ。
(う、嘘ォ……俺達の近くに、サイクロプスが昼寝してたとは……。あ、危ねぇ……俺達の話を聞かれてなかっただろうな……)
と、そこで、ライオンヘッドの1体が口を開いた。
【ガゥルルル……俺達の寝床でサイクロプスが寝てやがる】
どうやらここは、ライオンヘッドの寝床みたいだ。
早々に立ち去った方が良さそうである。
続いて、もう1体のライオンヘッドがサイクロプスの頭を蹴った。
【起きろ、このデカブツ。ここは俺達の寝場所だッ】
【ガッ! イってぇ!】
サイクロプスは今の一撃で半身を起こし、ライオンヘッドを睨んだ。
目が赤く変化しているところを見ると、かなりお怒りのようである。
【ウガァ……何すんだ、テメェら。折角、気持ちよく寝てたところをッ!】
【ガルルルぅ、そりゃ、コッチの言い分だ。テメェこそ何してやがる、俺達の寝床で!】
【知るかッ、そんなもん!】
【コッチはなぁ、5日前に街道で食い損ねた冒険者達の事で、気が立ってんだ。とっとと消えろ! このデカブツ!】
【そうだぜ。ガルルゥ、あの冒険者達を襲ったお蔭で、ヴィゴール様には怒られるしよッ。ムカムカするぜッ。どっかいけッ!】
なんか知らんが一触即発といった雰囲気であった。
(逃げるなら、内輪揉めしている今の内だな)
そう考えた俺は、皆にその旨を伝える事にした。
だがしかしッ! ここで予想外の事が起きたのである。
なんと、リタさんが剣を鞘から抜き放ち、奴ら目掛けて突進したのだ。
「オノレェ! バネッサ姉のカタキッ!」
俺はその姿を見るや否や、ムンクの叫びの如く、脳内で悲鳴を上げた。
(キャァァァァ!)
ラッセルさん達は慌ててリタさんを呼び止める。
「馬鹿なッ! 待て、リタッ!」
「ちょ、ちょっと、リタ。待ちなさいッ!」
「止まりなさい、リタッ!」
「ちょっ、ネェちゃん! ここまで来て、それはナシやッ、 アカンて!」
だが皆の声は届かなかった。
リタさんは剣を突く構えをとり、ライオンヘッドに勢いよく襲い掛かる。
その刹那!
【ギャフゥゥ!】
ライオンヘッドの苦悶の声が辺りに響き渡ったのであった。が、しかし、倒すほどではなかった。
なぜなら、突きは浅いからだ。あの様子を見る限りだと、恐らく、10cm程度しか入ってないに違いない。
やはり、このクラスの魔物になると、リタさん程度では完全に刃を突きこむ事は難しいのだろう。
それはさておき、この一撃で、3体の魔物達はリタさんに視線向けた。……万事休すである。
【ウガァ、なんだコイツは!? 何トチ狂ってやがる! 同胞を刺しやがったッ】
【地獄の鎧が何で俺を襲うッ。チッ、オノレェ!】
刺されたライオンヘッドは、右前脚でリタさんを突き飛ばした。
「キャッ!」
リタさんは勢いよく吹っ飛ぶ。
するとその直後、もう一体のライオンヘッドが、仰向けに転がるリタさんの上に飛び乗り、腹部を踏みつけたのである。
「グゥゥ……あぐぅ」
苦しそうなリタさんの呻き声が聞こえてくる。
そこでライオンヘッドは、クンクンとニオイを嗅ぐ仕草をした。
【ガルルゥ……なんか、コイツ妙だぜ。今、声を上げやがった。それに、この地の奴等のニオイがするぞ……ン? これは…】
と、その時、更によくない事が起きた。
なんと、リタさんの身体から水色の霧が発生し、元の姿へと戻ってしまったのだ。
そう……変装が解けてしまったのである。
いや、リタさんだけじゃない。
俺達の変装もここで解けてしまったのだ。
(さ、最悪な展開だ。……なんつータイミングで効果が切れるんだよ。勘弁してよ、もう……)
サイクロプスが口を開く。
【この姿……これはこの国の冒険者だ。まさか、変化の杖をつかってたのか】
【みたいだな。これは、ヴィゴール様に報告しなきゃならんな。だがまぁ、その前にだ……ガルルゥ】
【ああ、食っちまおうぜ】
涎を垂らした2体のライオンヘッドは、リタさんの真横で舌舐めずりをした。
もう迷っている時間はなさそうだ。
(……仕方ない。魔物はこいつ等だけみたいだし、助けるなら今しかないだろう。かなり魔力を消耗するが、魔光の剣を使って奴らを倒すしかないか……。それに……正体がバレた以上、こいつ等にはここで死んでもらうしかない)
俺はそう決断すると、ラッセルさんに告げた。
「ラッセルさん、今から妹さんを救出します。俺が奴等を始末しますんで、援護をお願いします」
「え? 何か手があるのですか?」
「……上手く行くかどうかはわかりませんが、やるしかないです。それから、マチルダさんとシーマさんは、ホイミを使えると言ってましたね?」
2人は頷く。
「ええ、ホイミなら少しは使えるけど」
「じゃあそれで、俺やラッセルさんの回復の方をお願いします」
「わかったわ」
「それから、ラティは周りを見張っていてくれ。他の魔物が来たらすぐに知らせるんだ」
「わ、わかったで。まかしときッ」
「じゃあ、そういうわけで、皆、よろしくお願いします」
俺はすぐに行動を開始した。
魔導の手に魔力を籠め、見えない手を、奴等の遥か頭上にある木の枝に伸ばす。
そして、一気に奴等の真上へと飛んだのである。
瞬く間に奴等の頭上へと来た俺は、魔導の手の魔力コントロールを細かに行い、そのまま真下に着地した。
そこはライオンヘッド2体のど真ん中であった。ライオンヘッド達との距離は2mといったところである。計算通りの位置だ。
ここで魔物達は驚きの声を上げた。
【なッ! また、冒険者かッ。突然、上から降ってきやがったぞッ!】
【何だコイツはッ!?】
奴等が驚く中、俺はすぐさま、魔光の剣に思いっきり魔力を籠め、輝く光の刃を出現させる。
それから問答無用で、ライオンヘッド2体を素早く斬りつけたのである。
俺はその際、一撃で仕留める為に、一体は首に、もう一体は胴を真っ二つにする軌道で剣を振るった。
そして次の瞬間!
【ギィェェ】
【ガァァ】
ライオンヘッド2体は断末魔の悲鳴と共に綺麗に切断され、切り口からは、奴等の赤い血が勢いよく飛び散ったのである。
(よし、これで残りはサイクロプスだけだ……)
俺は間髪入れずに、サイクロプスに目を向ける。が、しかし……俺は奴に目を向けるや否や、息を飲んだ。
なぜならば、奴の振るう馬鹿デカい棍棒が、もう既に、俺へと襲い掛かって来ていたからである。
もはや、直撃は避けれない状況であった。
(クッ、避けれん……。今は、これで対応するしかない。少しは軽減できる筈だッ)
俺は魔導の手に魔力を思いっきり籠め、棍棒を押し戻すよう、見えない手を伸ばした。が、その直後、俺は棍棒に吹っ飛ばされ、後方にある木の幹に打ち付けられたのであった。
「グハッ!」
全身に強い痛みが走る。
その一撃は、一瞬、息が出来ない程で、おまけに眩暈がするほどの威力があった。
ゲームならば、40ポイント越えのダメージといったところだろうか。
だが、意識を失うほどではなかったのが幸いであった。
魔導の手で、多少は、棍棒の勢いを殺せたからだろう。
とはいえ、結構なダメージは負ったのは間違いない。
(かなり強烈な一撃だったが……このダメージならまだ戦える。ダメージの浅い今のうちに、早く奴を始末しないと……)
俺はそこでサイクロプスに目を向ける。
すると奴はもう、俺の目前に迫ってきていた。
俺は慌てて魔光の剣を構える。が、しかし、ここで想定外の事が起きたのである。
さっきの棍棒の一撃で、俺は魔光の剣を落としていたからだ。
(チッ……魔光の剣は、さっき俺がいたあそこか。クッ、どうする……)
対応を迫られる中、サイクロプスが棍棒を振り上げた。
と、その時である。
「デヤァ!」
ラッセルさんがタイミングよく現れ、奴の足を斬りつけたのだ。
【ガァ】
ラッセルさんの一撃により、サイクロプスはバランスを少し崩した。
だが次の瞬間、サイクロプスは体勢を崩しながらも、ラッセルさんを棍棒で薙ぎ払ったのであった。
「グワァァッ!」
ラッセルさんは直撃を受け、10m程先に吹っ飛んでいった。
ゴロゴロと勢いよく転がり、地面に横たわる。
おまけに少しグッタリとした感じであった。相当なダメージを受けたに違いない。
するとその直後、サイクロプスは俺に背を向け、ラッセルさんの方へと歩き始めたのである。
(不味いッ! 先にラッセルさんの止めを刺すつもりだッ)
俺は魔導の手を使って魔光の剣を急いで引き寄せ、すぐさま光の刃を出現させる。
それから、奴の動きを止める為に、俺は呪文を唱えたのであった。
「メラミ!」

火球が奴の右足にヒットして爆ぜる。
【ウガァァァ】
サイクロプスは苦悶の声を上げながら、バランスを崩し、片膝を突いた。
(よし、奴の足を一時的に止めれた。今がチャンスだッ!)
俺は魔導の手を使い、奴との間合いを一気に詰める。
そして、片膝を突いて丁度いい高さになった奴の首を、背後から水平に斬りつけたのである。
その刹那、奴の首がボトリと地面に転がり落ちる。
それから、少し遅れて奴の身体もゆっくりと崩れ落ち、ドスンという音と共に地面に横たわったのであった。
サイクロプスを仕留めた俺は、そこでマチルダさんとシーマさんに視線を向けた。
すると、2人は口を開けながら、ポカンとした表情で佇んでいた。
あっという間の出来事に、呆然としているのだろう。
だが、愚図愚図している暇はないので、俺はマチルダさんとシーマさんにすぐ指示を出したのである。
「2人共、時間がありませんッ。他の魔物が来る前に、急いでラッセルさんを治療してくださいッ。リタさんは俺が治療します。終わり次第、すぐこの場を去りますよ!」
「え? う、うん。 わかったわッ」
2人は足早にラッセルさんの元に駆け寄る。
そして俺も急ぎ、リタさんの治療を始める事にしたのである。
俺は仰向けで地面に横たわるリタさんに近寄り、声をかけた。
「リタさん、大丈夫ですか?」
「……」
だが、俺の呼び掛けには答えず、リタさんは焦点の定まらない目で空を見続けていた。
「リタさんッ」
「……」
もう一度呼びかけたが、同じ反応だった。
埒が明かないと思った俺は、とりあえず、傷の具合を確認する事にした。
近くで見て分かったが、リタさんはそれほど深手は負ってないようであった。擦り傷や打撲が少々ある程度だ。
(外傷はホイミ2回程度で直りそうだが、この様子を見る限り、精神的な傷の方は深そうだな……。まぁいい。とりあえずは身体の治療だ)
というわけで、俺は早速治療を開始した。
そして、傷が粗方治ったところで、俺は再度、リタさんに呼びかけたのである。
「リタさん……治療は終わりました。帰りますよ、ここは危険だ」
「バネッサ姉……」
リタさんの瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
(心、ここに在らずって感じだな。仕方ない。強引に立たせるしかないか……ン?)
するとそこで、リタさんはゆっくりと体を起こしたのである。
リタさんはボソリと呟くように言葉を発した。
「……ごめんなさい。私の所為で迷惑をかけて……」
「もう終った事です。次は注意してください。今は王都に帰る事だけ考えましょう」
「うん……」
リタさんは元気が無かった。
鬱に近い状態なのかもしれない。これはかなり時間が掛かりそうである。
と、ここで、ラティが俺の所にやって来た。
「コータロー、ワイが見た感じやと、周りには今のところ魔物はおらんみたいや」
「フゥ……とりあえず、一難は去ったか」
「せやけど、はよ離れた方がええで。ここにいる奴等、どれも厳つすぎるわ」
「ああ、そのつもりだよ」
程なくしてラッセルさん達もこっちにやって来た。
元気なところを見ると、どうやら傷の心配はなさそうだ。
「コータローさん、ラッセルの傷はもう大丈夫よ」
ラッセルさんは申し訳なさそうに頭を下げた。
「すまない、コータローさん。……妹の所為で、こんな事になってしまって」
「それはもういいです。早いとこ、ずらかりましょう。ここは危険ですから」
「ええ」――
[Ⅱ]
戦いの治療を終え、変化の杖で魔物に再度変装した俺達は、すぐに移動を再開した。
そして、来た抜け道を戻り、隠しておいた馬車に乗り込むと、俺達は脇目も振らず帰路に就いたのである。
これはその道中の話だ。
帰りは行き以上に、皆は言葉少なであった。
リタさんに至っては、体操座りをしながら俯いたままで、一言も声を発しなかった。精神的な深い傷が、彼女を苦しめているのだろう。
他の皆はそんな彼女を気遣ってか、誰も話しかける事はおろか、一言も言葉を発しないという状況であった。
その為、この馬車内はかなり重苦しい空気が漂っているのである。
(はぁ……重い、重すぎる。まぁゼーレ洞窟の現状と、リタさんの暴走もあったから、こうなるのはわからんでもないが、この調子で王都まで帰るのは流石に気分が滅入るな。かといって、冗談を言う雰囲気でもないし……)
などと考えていると、そこで、KYのラティが俺に話しかけてきたのである。
「なぁコータロー、ゼーレ洞窟の事はどないするんや? ヤバイでアレ……多分、冒険者では手に負えんと思うわ」
(こういう時のラティのKYっぷりは助かるな……)
するとそれを皮切りに、マチルダさんとシーマさんも話に乗っかってきた。
「そうよ。あれはもう、冒険者では荷が重すぎるわ。あの魔物達は、多分、魔導騎士団でないと厳しいわよ」
「マチルダの言うとおりね。はぁ……嫌な魔物が棲みついたものだわ」
俺はそこで頭を振った。
「いや……アレはただ棲みついてるわけじゃないですよ。明確な理由があって、あそこにいるんだと思います」
「明確な理由って、あのグァル・カーマの法とかいう儀式の事?」と、マチルダさん。
「まぁそれもあるとは思いますが……恐らく、最終目標は別のところにあると思います」
「最終目標?」
「あの時、ヴィゴールという魔物は、ゼーレ洞窟の事を拠点と言ってました。つまり、そこを足掛かりにした明確な目的があるという事です。そして……その目的とは、恐らく、王都を……いや、延いては、イシュマリアを攻め滅ぼす事なのかもしれません。あのグァル・カーマの法とやらも、それを達成する手段の1つと考えると、しっくりきますからね」
そう……あの魂融合の儀式は、ある障害を取り除く為の手段なのである。
しかも、奴等は今、その手段の選択肢を増やそうとしているのだ。
と、そこで、マチルダさんの震える声が聞こえてきた。
「イ、イシュマリアを……攻め滅ぼすですって……。コ、コータローさんは、ラミナスと同じような事が起きると……考えているの?」
俺は無言で頷いた。
その瞬間、マチルダさんとシーマさんは険しい表情で、息を飲んだのである。
(また重くなったな……驚かせ過ぎたか。仕方ない、少し和らげておくとしよう)
「まぁ、これはあくまでも俺の想像ですから、本当のところはどうかわかりません。でも、そういう可能性もあると考えておいた方が良いですよ」
「そ、そうよね……さ、最悪の事態は、考えておいた方がいいものね」
マチルダさんは自分に言い聞かせるように、そう呟いた。
多分、すんなりとは受け入れられないのだろう。
「それはそうとコータローさん……怪我は大丈夫? 貴方も、あの馬鹿でかい奴から強烈なの貰ってたけど……」と、シーマさん。
「怪我? ああ、大丈夫ですよ。あの戦闘で、かなり魔力を酷使しましたが、治療できるくらいの魔力は残ってましたからね」
とはいうものの、あの戦いで魔力の3分の2は使ってしまったので、道中かなり節約しないといけない状態ではあるが……。
「そう、よかった。でも、コータローさんて強いのね……あんな戦い方する人、初めて見たわ」
「シーマはんの言う通りや。ワイも初めて会うた時、強い冒険者やなと思っとったけど、あないな魔物倒せるほど強いとは思わんかったわ」
「本当よね。アレを見てたら、コータローさんが魔法使いなのか、戦士なのか、よくわからなくなったわ。以前、魔導騎士が戦ってるの見たことあるけど、それよりもずっと凄ったわよ」
「まぁ、自分でもよくわからない時ありますからね。でも、アレはあくまでも緊急用です。一時的なモノですから、あんな戦い方、長くは出来ないんですよ。それに、普段はあんな戦い方しませんよ。俺は一応、魔法使いですからね」
「でも、一時的とはいえ、あんな魔物を倒せる冒険者なんて、王都にはそんなにいないと思うわよ。それに、変わった武器を持ってるのね」
シーマさんはそう言うと、腰のフックに引っかけた魔光の剣に目を落とした。
「ああ、これですか。これは魔光の剣といって、魔力で刃を造り出す魔導器なんですよ。まぁ切断力を上げるには、強い魔力圧と魔力量が必要ですから、そう簡単に誰でも使える武器ではないですけどね」
「へぇ、そうなの。初めて見たわ」
と、その時である。
今まで俯いていたリタさんが、顔を上げたのであった。
「コータローさん……貴方に助けられた私が言えた義理じゃないけど……そんなに強いなら、さっきの冒険者、なぜ助けなかったの? 貴方なら助けられたんじゃないの?」
リタさんの目は、少し非難している感じであった。
あの冒険者を見殺しにしたようなもんだから、正義感の強いリタさんからすると、未だに納得できないのだろう。
仕方ない、説明するとしよう。
「リタさん……それはどう考えても不可能です。だから、あの時、俺はああ言ったのですよ」
「なぜ? 貴方は魔物に変装できる杖も持っている。それを使えば、脱出できたんじゃないの?」
「無理です。理由は大きく、3つあります。まず1つ目ですが、あの空洞内には魔物が多すぎて逃走経路が確保できないという事です。あの冒険者達を儀式から救出したところで、俺達はあの場から出る事すら敵わなかったと思います。それから2つ目ですが、俺が貴方を助ける時にした戦い方は、魔力に頼ったものですから、僅かな時間しかできないという事です。貴方を救出した時のように、一度の戦闘で済むならそれも可能ですが、あの場でそれは到底不可能です。そして、3つ目……これが一番問題なのですが、まず、魔物が強すぎるという事なんです。ハッキリ言いましょう。あそこにいた魔物の多くは、王都の冒険者よりも数段上の魔物ですよ。実際、アルカイム街道で襲われたリタさんなら、肌で感じて分かる筈です。ですから、これらを考えた時、俺も辛かったですが、ああいう決断を下さざるを得なかったんですよ。助けられるものなら、助けてやりたかった……俺も苦渋の決断だったんです」
俺の説明を聞き、リタさんは暫し黙り込んだ。
マチルダさんがリタさんに話しかける。
「リタ……コータローさんを責めてはいけないわ。あの場で私達が出来る事は限られていたんだから、ああするしかなかったのよ」
「……それについては、わかったわ。じゃあ、コータローさん……もう1つ訊かせて頂戴……」
「何でしょうか?」
「5日前……貴方とウォーレン様が私達のパーティを治療してくれた時、なぜ、バネッサ姉を治療してくれなかったの……。あの時、バネッサ姉はまだ生きていたわ。酷い怪我だったけど、まだ息があったわ……何で治療してくれなかったの……何で……何で……」
リタさんの目は、見る見るうちに潤んできた。
そして、大粒の涙が頬を伝ったのである。
(俺を時々睨んでいたのは……これが理由だったのか。ようやく、わかったよ)
バネッサ……確か、3日前にあったルイーダの酒場での話だと、リタさんが姉のように慕う冒険者の名前だった気がする。
まぁそれはともかく、あの時、治療しなかった冒険者は、その殆どが、身体欠損や内臓欠損に加えて出血多量であった。
治療しても、生存の見込めない状態の者達ばかり……。
ウォーレンさんもそれがあったが故に、俺に治療をお願いしなかったのだろう。
あの状況では、命を助けられる者を優先せざるを得なかったのだ。
「リタさん……あの時、俺はウォーレンさんの指示を受けて治療に当たりました。なので、俺も偉そうな事は言えません。ですが、1つだけ確かな事があります」
「そ……それは……グス……何?」
「あの時治療しなかった方々は……例え治療をしても、もう生存は見込めない状態だったという事です。四肢や臓器の欠損、それに加えて、出血量も多すぎました。つまり……生きる為に必要なモノが欠けていたのです。ウォーレンさんもそれが為に、俺に治療を指示しなかったのだと思います。あの状況下では……治療によって生存を望める者を優先せざるを得なかったんです……」
「ヒィン……ヒィィアァァ」
リタさんは両手で顔を覆い、泣きじゃくった。
そして馬車内に、重く悲しい空気が漂い始めたのであった。
[Ⅲ]
日も少し傾き始める夕暮れ前に、俺達は王都へと帰って来れた。
もう少しかかるかと思ったが、ラティに教えてもらった近道を来たので、2時間程の短縮ができたようだ。ラティに感謝である。
まぁそれはさておき、王都へと帰ってきた俺達は、とりあえず、ルイーダの酒場へと向かう事になった。皆、流石に疲れたようで、そこで一杯やろうという事になったのである。
馬車がルイーダの酒場へ到着したところで、御者席からラッセルさんの声が聞こえてきた。
「じゃあ、俺は厩舎に馬車を預けてくるから、皆は先に入って休んでいてくれ」
「わかったわ」と、マチルダさん。
その言葉を号令に、俺達は馬車を降りた。
そして、ラッセルさんは厩舎へと馬車を走らせたのである。
馬車が去ったところで、シーマさんが口を開いた。
「じゃ、中に入ろっか」
「ええ」
するとそこで、リタさんが俺を呼び止めたのである。
「待って……コータローさん」
まだ、何か納得いかない事があるのかもしれない。
「ン、どうかしましたか?」
リタさんは少し俯き加減になり、申し訳なさそうに言葉を発した。
「あの……さっきはごめんなさい。よく考えたら……貴方の言ってる事が正しいわ。それから、今日は勝手な事ばかりして……ごめんなさい。私……バネッサ姉の事が頭から離れなくて……ここ最近、どうかしてた。その所為で、皆を危険な目に遭わせてしまって……本当にごめんなさい」
そして、リタさんは深く頭を下げたのである。
この様子を見る限り、道中、色々と思い悩んでたに違いない。
だが、忠告はしておこう。
「リタさん……大切な人の死を目の当たりにすれば、誰しも普通じゃいられませんよ。俺だって、同じような立場だったら、まともな思考が出来たかどうかわかりませんしね。ですが……だからといって、それは、他人を危険に巻き込む理由にはならないんですよ。特に、リタさんは冒険者……つまり、危険の中での集団行動をしているわけですから、1人の誤った判断が仲間の死に直結するんです。今日の事はもう終った事だけど、それだけは忘れないようにね。まぁ、俺もあまり偉そうな事言えたもんでもないけど、それだけは心掛けてるからさ」
「うん、忘れない。ありがとう、コータローさん」
リタさんは素直に頷いてくれた。
道中大泣きした事で、少しは気が晴れたのかも知れない。
続いてリタさんは、他の2人にも謝罪した。
「それから、マチルダさんとシーマさん……今日はごめんなさい。貴方達を危険な目に遭わせてしまった事を深く反省してます」
「もう終った事よ。でも、次やったら、流石に怒るわよ」とマチルダさん。
「そうよ。マチルダは怒ると怖いんだから」
「はい、気を付けます」
心なしか、マチルダさんとシーマさんの表情は、少しホッとしたような感じであった。
多分、2人はリタさんの事を相当心配してたのだろう。
「さて、それじゃあ、中に入りますか。流石に疲れましたからね」
「ええ」――
ルイーダの酒場に入った俺達は、適当に空いているテーブルへと行き、備え付けられた椅子に腰かけた。
周囲を見回すと、沢山の冒険者達の姿が視界に入ってくる。以前来た時と同様、かなりの賑わいであった。
俺達が席に着いたところで、給仕の若い女の子がオーダーを取りにやって来た。
「お疲れ様でした。御注文は何にしますか?」
マチルダさんが俺に訊いてくる。
「コータローさん達は何にする?」
「俺はヴィレアとラパーニャ、後は適当にお任せしますよ」
「ワイはバンバの実の盛り合わせと、ラパーニャでお願いできまっか」
「そう。じゃあ、私達も似たようなの頼もうかしら」
マチルダさんはそう言うと、俺達が頼んだ物の他に、幾つかの料理を注文していった。
給仕の子が去ったところで、ラティが溜息混じりに口を開いた。
「しかし、今日は疲れたわ。生きた心地せぇへんかったで、ホンマ」
「まぁな。でも、早急に手を打たないと、被害は間違いなく甚大なモノになるな。不味いぞ、アレは……」
と、ここで、シーマさんが話に入ってきた。
「ねぇ、コータローさん。この間会った時、ウォーレン様の御屋敷で厄介になってると言っていたけど、今もそうなの?」
「ええ。まぁとはいっても、一時的に身を寄せているだけですけどね」
「そう……なら、ウォーレン様にお伺い立ててみた方がいいかも。あの方は今、ヴァリアス将軍の部下だから、そういった方面に顔が効くと思うわ」
「俺も今、それを考えていたところなんですよ。ところで、討伐に行く日ですが、バルジさんは確かあの時、5日後とか言ってましたよね?」
マチルダさんは頷く。
「そうよ。あの後、バルジから詳細な日程を聞いたんだけど、出発は5日後の早朝と言ってたわ。つまり、明後日ね。そして、今日みたいにイシュラナの鐘が鳴る頃に、東門の前に集まってから出発だそうよ」
「明後日ですか……時間がないな。すぐにでも報告したいところだけど、今の時間、ウォーレンさんは王城にいる可能性が高いからなぁ……。仕方ない、今晩話すしかないか……ン?」
と、そこで、ラッセルさんが俺達のテーブルへとやって来たのである。
「待たせたな」
ラッセルさんは空いてる席に腰かけると、皆に労いの言葉を掛けた。
「今日は色々とあったけど、全員、無事に帰って来れたからよかった。収獲もあったしな。これも皆のお蔭だ。そして、コータローさん、今日は本当にありがとうございました。貴方のお蔭で、本当の姿を知る事が出来ました。感謝してます」
「まぁ問題は山積みですが……」
ラッセルさんの表情が少し曇る。
「ええ……ですが、真実を知る事が出来たので、今はそれで良しとします。それからリタ……今日の事はちゃんと反省しろよ。じゃないと、もう仲間としては呼ばないからな」
「わかってる。……私、どうかしてた。だから、さっき皆に謝ったの……」
「え!? そ、そうか、わかればいいんだ」
ラッセルさんは少しホッとした表情を浮かべた。
リタさんの様子が変わっているのに気付いたんだろう。
そこでタイミングよく、数人の給仕の子達が料理を持って現れた。
「お待たせ致しました。ご注文の料理になります」
給仕はヴィレアや料理などをテーブルに並べてゆく。
そして、料理が粗方出揃ったところで、ラッセルさんは仕切り直しの言葉を発したのである。
「さて、それじゃあ、料理も来た事だし、今日はもう、楽に行こうか。それから、コータローさん達も沢山食べて下さい。なんでしたら、今日も御馳走しますから」
「いや、流石にそれは悪いですよ」
「そんなに気にしないでください。俺はコータローさんに感謝してるんですから」
「ラッセルさんこそ、そんなに気にしなくていいですよ。それに、実は俺も、ラッセルさんには感謝してるんですから。ここで、このラパーニャという料理を食べる事が出来て、凄く懐かしい気分になれましたからね」
「へ? そうなのですか?」
「ええ。このラパーニャ、実は俺の故郷の料理と似ているんですよ。それになんといっても美味いじゃないですか。このふんだんに使われた魚介類なんか……も……!?」
俺はそこで言葉を止めた。
なぜなら、辻褄が合わない引っ掛かりを覚えたからだ。
と、ここで、給仕の声が聞こえてきた。
「ご注文の品は以上になります。また追加があれば御呼びください。では、ごゆっくりと」
「ちょっと待った!」
俺はそこで給仕の子を呼び止めた。
「は、はい……なんでございましょうか?」
少し大きな声だったので給仕はびっくりしていたが、俺は構わず続けた。
「忙しいときに呼び止めて、ごめんね。少し訊きたい事があるんだよ。……この料理に使われている食材は、どこで仕入れてるのかわかるかい?」
「ああ、この魚や貝ですか。それはラスティーアの鮮魚市場だと思いますけど」
ラスティーア……俺達がさっき帰ってくる時に通った、城塞東門がある商業区の名前だ。
(どういう事だ、一体……)
とりあえず、質問を続けよう。
「ラスティーアの鮮魚市場って事は、これらはアウルガム湖から水揚げされたモノなのかい?」
「はい、だと思いますよ。この料理に使われている魚はアウルガム湖で一番よく獲れる魚ですから」
「いつ獲れたモノかわかるかい?」
「ラパーニャに使われている食材は、鮮度の良い魚介類を使っている筈なので、多分、今朝がた獲れたモノじゃないんでしょうか」
「へぇそうなんだ。でも噂では、アウルガム湖の水揚げ量が減っているって聞いたんだけど、そんな影響はでてないのかな?」
「ああ、そういえば、最近、魚が取れなくなってきているとは聞いた事がありますね。でも、ラパーニャの値段は変わりませんから、仕入れ値が上がるほど減ってはいないんじゃないでしょうか」
「料理の値段も変化なしか……。ところで、ここ最近、王都以外で魚が大漁に獲れたとかって話、どこかで聞いた事あるかい?」
給仕は暫し考える仕草をすると、ポンと手を打ち、話してくれた。
「ああ、そういえば! アムートの月に入りかけた頃、北のウィーグ地方から来た冒険者の話を聞く事があったんですが、その時、嘗てないほど魚が獲れて、町は大賑わいといった話を聞いたことありますね」
「ちなみに、その町の名前って何ていうの?」
「え~と……何だったかしら……確か、イスタドって言ってたような……多分、そんな名前だったと思います」
「そうか。ありがとう。質問は以上だよ。ごめんね、急に呼び止めて。仕事、頑張ってね」
「はい、ありがとうございます。では」
給仕は笑顔を見せ、この場から去って行った。
と、ここで、ラッセルさんが俺に話しかけてきた。
「コータローさん……今、妙な事を訊いてましたが、ラパーニャの食材に何か問題でもあるのですか?」
「いや、ないですよ。ただ、そういう噂を聞いたので、訊いてみただけです。さ、それはそうと、食べましょうか」
「はぁ……」
ラッセルさん達は少し首を傾げていたが、暫くするとどうでもよくなったのか、またいつもの調子に戻っていた。
だが俺は、腑に落ちない部分があった為、今得た情報について暫し考える事にしたのである。
Lv44 新たな疑惑
[Ⅰ]
ルイーダの酒場で食事を楽しみながら、俺はラッセルさん達と今後についての打ち合わせをした。で、とりあえず、決まったのは、明日の昼頃、もう一度落ち合うという事で話は纏まったのである。
なぜこうなったかというと、まず1つに、バルジさん達と連絡が取れそうにない事が分かったからだ。
確認は酒場の主であるルイーダさんにお願いした。
ラッセルさん曰く、金の階級以上の冒険者は、ルイーダの酒場で、ある程度は動向を把握してるそうである。で、それを確認した結果だが……ルイーダさんの話によると、バルジさん達は今、依頼を受けてないので、王都にいる可能性が高いそうだ。が、あの依頼の件で色々と動き回っているようで、なかなかつかまらないだろうとの事であった。だが、明日の昼頃に酒場へ来ればバルジさん達に会える可能性があるそうだ。なんでも、依頼に参加するパーティの数を、酒場へ報告する事になってるからだそうである。
というわけで、俺達はとりあえず、その言葉を信じ、明日もう一度ここへ来る事にしたのである。
話は変わるが、ここのルイーダさんは、バニーさんではない。普通の格好をした美しい女性であった。
バニーがユニフォームだと思っていたので、少々意外だったが、ここのルイーダさん曰く、そんな決まりはないそうだ。
だが、酒場の主の名前だけは、誰がなってもルイーダを名乗るのが大昔からの伝統のようである。
ちなみに、このルイーダという名だが、これは創業者の名前らしい。多分、称号みたいなモノなのだろう。
というわけで、俺はまた新たなトリビアを知ることが出来たのである。話を戻そう。
ラッセルさん達とルイーダの酒場で食事を楽しんだ後、俺とラティはウォーレンさんの屋敷へと帰ってきた。今までで一番遅い帰宅だ。
すでに日も沈み、暗闇が覆う頃合いである。
日本風に言うなら、宵の口ってところだろう。
(思ったより、遅くなってしまった。ま、いいか)
屋敷へと帰ってきた俺達は、玄関扉を開け、中へと入る。
すると意外な人物が、そこに待ち受けていたのである。
なんと、アーシャさんとサナちゃんが、俺達の帰りをわざわざ待っていてくれたのだ。
「やっと帰ってきましたわね。遅いですわよ。あまり心配させないでください」
「遅くまで、ご苦労さまでした」
「2人共、待っていてくれたんですか?」
「アーシャねぇちゃんとサナねぇちゃんが、ここにいるとは思わんかったで……ビックリしたわ。コータローが心配やったんやな」
それを聞き、アーシャさんは少し恥ずかしそうに頬を染めた。
「だ、だって……今日はあまりに遅いんですもの。心配しましたわよ」
「私もです。心配だったので、待っていました」
どうやら、2人に要らぬ心配をかけさせてしまったみたいだ。
これは謝っとこう。
「そうとは知らず、すいませんでした。実はですね、ちょっと狭い道に入ると、わけわかんない所に出るもんだから、ラヴァナで迷ってたんですよ。なぁラティ?」
「ホンマやで。ワイも知らんような場所行くから、こういう事になるんや」
ラティは打ち合わせ通り、俺に話を合わせてくれた。
これには勿論理由がある。
下手に話して、一緒に行くとか言われても困るからだ。
今は余計な悩みを増やしたくないので、その為の措置であった。
それはさておき、2人の成果の方を聞いておくとしよう。
「ところで、使者の方と会えましたか? 何か進展はありましたかね」
2人は頷く。
「ええ、会えましたわよ。お父様の側近の方が見えられましたので、話は簡単に済みました。4日後にはお迎えに上がれると言っておりましたわ」
「良かったじゃないですか。で、サナちゃんの方はどうなの?」
「私もアーシャさんと同じです。でも、確認に来られた方と、その場にいたウォーレンさんは、私の正体を知って大変驚いてましたが……」
「まぁそりゃそうだろうね」
幾らなんでも、滅んだ国の王女様がここいるとは思わないだろう。
「それで、ですね。実はコータローさんにお願いがあるんです」
「お願い?」
「私達の迎えが来る日、一緒にいて頂けると嬉しいのです……駄目ですか?」
(4日後なら大丈夫か……ヴァロムさんの件とも被らないし……)
ゼーレ洞窟の件がちょっと未知数ではあるが、俺は頷いておいた。
「いいよ。その日は皆と一緒にいる事にする。それに、その日を逃すと、サナちゃん達とは暫く会えないかも知れないもんね」
「コータローさぁん……」
するとサナちゃんは、目を潤ませ、俺に抱き着いてきたのであった。
「ちょ、ちょっと、サナさん。ここでそれは、ずるいですわよ!」
「グス……先手必勝です」
2人の会話の意味が分からん。
「あの、どういう……」
「コータローさんは黙っていてくださいッ!」
「は、はい」
俺はアーシャさんの迫力にたじろいだ。
(何なんだ一体……わけがわからん)
入り込む余地がないから、とりあえず、もう触れないでおこう。
と、そこで、若い女性の使用人が、俺達の前にやってきた。
「お帰りなさいませ、コータロー様」
女性は俺に恭しく頭を下げ、話を続けた。
「帰って来られたばかりで、お疲れのところ申し訳ございませんが、ウォーレン様が御呼びでございます」
「ウォーレンさんが? わかりました。じゃあ、アーシャさんにサナちゃん、ちょっと行ってくるよ」
2人はコクリと頷く。
「ではこちらです」
そして、俺は使用人の後に続いたのである。
[Ⅱ]
使用人は、魔法陣を思わせる奇妙な紋様が描かれた扉の前に俺を案内すると、そこで扉をノックし、中に向かって呼びかけた。
「ウォーレン様、コータロー様をお連れ致しました」
「入ってもらってくれ」
「畏まりました」
使用人は扉を開き、中へ入るよう促してきた。
俺はそれに従い、そこへと足を踏み入れる。
すると中は、書斎のような空間が広がっていた。
左右の壁には本棚があり、そこには沢山の書物が並んでいる。部屋の奥には書斎机があり、中央には来客用と思われるソファーが、テーブルを挟んで相向かいに置かれていた。
そして、そのソファーには今、2人の人物が腰を下ろしており、1人はウォーレンさんで、もう1人はなんと、アヴェル王子であった。
だがとはいうものの、今はこの名前で呼ぶことはできない。
なぜなら、今のアヴェル王子は騎士・ハルミアの姿だからだ。この姿の時は、ハルミアさんと呼ばなければならないのである。
今の時間、ここにいるという事は、多分、城を抜け出してきたんだろう。
結構好き勝手やってるようである。
(う~ん……流石にフラフラ王子という称号をもらうだけあるわ)
ふとそんな事を考えていると、ハルミアさんは笑みを浮かべ、俺に労いの言葉をかけてきた。
「ご苦労でしたね、コータローさん。ウォーレンから話は聞いてますよ」
「ハルミアさんもおられたのですか。お勤めご苦労様です」
「ま、そういうわけだ。コータロー、そんな所に突っ立ってないで、ここに掛けろよ。ゆっくりと話も出来ないぞ」
「ではお言葉に甘えて」
ウォーレンさんの言葉に従い、俺もソファーに腰を下ろした。
と、そこで早速、ウォーレンさんが訊いてくる。
「ところで、コータロー。魔物の討伐依頼は、どういう決断を下してきたんだ? やっぱ、断ったのか?」
いきなり、それを訊いてきたか。
まぁいい。かえって好都合だ。
「ええ、それなんですが……実はですね、その事でちょっとご相談があるんですよ……」
「ご相談? って何だ一体?」
「少し込み入った話になりますので、順を追って話しましょう。実はですね……」――
俺はまず、イシュラナ神殿の依頼がおかしいと思った事から順に話していった。
最初は笑顔で聞いていた2人も、次第に険しい表情へと変化してゆく。
そして、俺がゼーレ洞窟の件を話し終えた時には、2人共、かなり強張った表情となっていたのである。
暫し無言の時が訪れる。
まず最初に口を開いたのは、ウォーレンさんであった。
「それは……ほ、本当なのか? 何か証拠はあるのか?」
「証拠はありません。ですが、今のは俺が確かに見てきた話です」
「し、しかしだ。どうやって、その洞窟内を見てきたんだ? さっき魔物に変装したとか言ってたが、そんな魔物だらけの所に行ったら、幾らなんでもバレるだろ」
アヴェル王子もそれに続く。
「ウォーレンの言うとおりだ。コータローさん……言っては悪いが、変装にも限界がある。1体や2体ならまだしも、魔物の巣窟と化してるような所では、流石にバレますよ。奴等だって、そこまで馬鹿ではないのですから」
俺は変化の杖を2人に見せた。
「それには、コレを使いました」
「なんだ、その杖は?」
「これはですね、俺達を襲ってきた魔物が持っていた物なんですが、そいつ等はこの杖を使って人に化け、俺達に近づいてきたんですよ」
「な、何を言っている。意味が分からないぞ、コータロー」
ウォーレンさんとアヴェル王子は、少し困惑していた。
まぁこの反応は仕方ないだろう。
この際だ。実際使って信じてもらうほかない。
「それじゃあ、論より証拠です。今からこの杖を使って、お2人を魔物にして御覧に入れましょう。ですが、決して取り乱さないでくださいね。ちゃんと、元に戻れますから」
「……わかった。やってみてくれ」
「では、いきますよ」
俺は変装用の水晶に魔力を籠めた。
その瞬間、紫色の煙が俺達を包み込む。
「な、なんだ、この煙は……」
「慌てないでください、ウォーレンさん。大丈夫です。体に害はありませんから」
程なくして霧が晴れ、2人の驚く声が聞こえてきた。
「こ、これは、魔物」
「そんな、馬鹿な……こんな事が……」
流石の2人も、これには驚いたようだ。
ちなみにだが、俺とウォーレンさんが妖術師で、アヴェル王子は悪魔の騎士といった感じである。
「これは変化の杖というらしいです。魔物達は、こういう魔導器も所持しているので気を付けた方がいいですよ。奴等は人に化けれるという事ですから。さて、では解除します。いつまでもこの格好でいたくないですからね」
俺は水色の水晶球に魔力を籠め、変装を解除した。
「さて……これで信じてもらえましたか? 俺達はこれで魔物になって移動し、ゼーレ洞窟を見てきたという事です。それとこれも付け加えておきましょう。これで姿を変えてからというもの、一度も魔物達と戦闘はありませんでした。つまり、魔物達はですね、変装した俺達を仲間だと認識していたという事です。というわけで、これが、洞窟内部まで行けた理由なんですよ」
2人は無言であった。
かなりショッキングな事実を知ったので、受け止めるのに時間が掛かるのだろう。
少し間をおいて、ウォーレンさんが訊いてきた。
「コータロー……今の話だが、俺達以外にも誰かに話したか?」
「今のところ、この杖の事を知っているのはアーシャ様とイメリア様達。それと、今日、同行した冒険者達とラティだけです。それから一応、この杖の事は他言しないように冒険者達には言ってあります。今、こういう事実が世間に知れると、王都は混乱すると思いましたので」
「ああ、そうしてくれ。もうこれ以上、余計なゴタゴタは避けたいからな」
「で、どうしますか? 奴等はあの洞窟で、冒険者を使った人体実験をしております。オヴェリウスとしても無視するわけにはいかないと思いますが?」
俺の言葉を聞き、ウォーレンさんとアヴェル王子は顔を見合わせる。
その表情はかなり険しかったのは、言うまでもない。
アヴェル王子は自分に言い聞かせるかのように、ボソッと言葉を発した。
「ウォーレン……これは国の一大事かも知れない。早めに悪い芽を摘み取らねば、国の存亡に関わる気がする……」
「それは私も同感ですが……かといって有効な手立てが思いつきません。ハルミア殿は、何かいい考えがおありで?」
「考えも何も、コータローさんの話が本当なら、もはや魔導騎士団か、雷光騎士団でなければ対応は無理だろう」
「確かにそうですが、今、魔導騎士団は、王都の警護と魔の島の警護にかなりの数を割いております。とてもではありませんが、ゼーレ洞窟にまで手が回らないでしょう。それと、雷光騎士団は王家直属の近衛騎士団です。魔物討伐に率いてよいものかどうか……」
「ああ、それは分かっている。だから、騎士はそんなに多く、ゼーレ洞窟に派遣できないだろうな」
「では一体、どうされるおつもりで?」
アヴェル王子は暫しの沈黙の後、口を開いた。
「……方法は1つだ。ギルレアンが発掘した騎士団の秘宝を使えるよう、ヴァリアス将軍とディオン殿に掛け合ってみるしかない。あの秘宝ならば騎士の数が少なくても、なんとかなるだろうからな」
「ま、まさか……アレを使うつもりですか?」
「ああ、そうだ。アレを使う以外に手はないだろう。あの洞窟で、秘宝を使うのは2度目になるがな……」
名前を伏せているところをみると、多分、口外できない秘宝なのだろう。
だがそれよりも、ここでギルレアンの名が出てくるとは思わなかったので、その秘宝とやらがなんなのか、少し気になるところだ。
答えてくれるかどうかわからないが、とりあえず、訊いてみる事にした。
「あのぉ、今、ギルレアンの名が出てきましたが、その秘宝とは一体何なのですか?」
アヴェル王子はそこで、ウォーレンさんに視線を向けた。
「ハルミア殿、秘宝の持つ力くらいなら、話してもいいのでは?」
「そうだな……。ではコータローさん、どんな形をした物かというのは話せませんが、秘宝の持つ力についてならお話ししましょう。それでいいですか?」
これはかなり気になる話である。
訊くしかないだろう。
「ええ、それで結構です。で、どんな力を持った秘宝なのですか?」
「ではお話ししましょう。実はその秘宝を使うとですね、味方の攻撃力を倍に高める事ができるのですよ。しかも、その影響力は広い為、集団戦闘における切り札として、わが国では厳重に管理をしているのです」
「味方の力を倍に高める秘宝……」
つまり、バイキルト効果のある道具って事だ。
しかも、集団戦闘における切り札と言っていたから、多くの者がその影響を受けるのだろう。
(話を聞く限りだと、凄いチートアイテムだが……そんな都合の良いアイテム、ドラクエにあったっけか? バイキルトを得られるアイテムというと、滋養強壮飲料のキャッチフレーズみたいなファイト一発というのならあった気がするけど、あれは1人用だ。Ⅷに出てきた不思議なタンバリンがそれに近いが、あれはテンション上げるアイテムだし……この他にとなると……あ!? そういえばあるわ……戦いのドラムだ。確か、あれは戦闘中のパーティ全員にバイキルト効果だった気がする。まさか……あのチートアイテムを持ってんのか? とりあえず、確認してみよう……)
つーわけで、それとなく訊いてみる事にした。
「あのぉ……その秘宝ってもしかして、叩いて大きな音を鳴らす楽器みたいな道具ですか?」
するとその直後、2人は驚きの表情で訊き返してきたのである。
「え? コータローさん、知っているのですか?」
「お前、どうしてそれを知ってる?」
どうやら、ビンゴのようだ。
まぁそれはさておき、どう答えようか。
とりあえず、それっぽい事でも言っておこう。
「実は以前、そういう魔導器が大昔にあったような事を誰かから聞いたんですよ。ま、結構前の話なので、誰から聞いたのかは忘れてしまいましたがね。名前は確か、戦いのドラムとかいうらしいですが」
「そうだったのか。まぁそれはともかく、お前の言うような代物だ」
「ですが、少々問題もあるんです」
アヴェル王子はそう言うと、表情を曇らせた。
「問題? と、いいますと?」
「今言った古代の魔導器は秘宝ですから、当然、管理も厳重です。なので、そう簡単に持ち出すことはできません。つまりですね……まずは、それを持ち出せるようにしなければならないのですよ」
ま、そんな事だろうとは思った。
「面倒な手続きが必要なんですか?」
「いや、手続きはそれ程面倒ではありません。主席宮廷魔導師と将軍の認可が必要なだけですから。ですが、これには問題があって、どちらかが駄目といったら、持ち出す事は出来ないんです」
「え? 騎士団の秘宝なのに、主席宮廷魔導師の認可も必要なんですか?」
するとウォーレンさんが答えてくれた。
「下らん話だが、これには理由があるんだよ。まぁ要するにだな、発見したのはギルレアンなのだから、これは宮廷魔導師の秘宝だという輩がいてだな、当時、宮廷魔導師側と騎士団側で結構揉めたらしいんだ。そこで、手打ちという形で、騎士団と宮廷魔導師の両方で管理をするという事になったのさ」
「ああ、そういう事ですか。なるほど」
つまり、手柄の問題のようだ。
確かに、こういうのは難しい問題である。
「という事は、その両名に認可を貰えれば、持ち出し可能なんですね?」
「まぁ確かにそうなのですが……実は今、諸事情により、そう簡単にはいかないんですよ」
「え? それってどういう……」
アヴェル王子は溜息を吐くと続けた。
「主席宮廷魔導師であるオルドラン家当主のディオン殿は今、ヴァロム様の件で、一時的に謹慎を命ぜられているからですよ。その為、今は主席宮廷魔導師としての責務を全うできない状態なのです」
「ええっと……それはつまり、肩書きだけは残っている状態ってことですか?」
「そうなりますね」
「代理の主席宮廷魔導師はいないのですか?」
「一応、今は次席の宮廷魔導師が代理をしてますよ。ですが、全権委任されたわけではないので、対応できない部分もあるのです。特に、この秘宝については、主席宮廷魔導師の認可が必須の案件なのでね。困った話ですが……」
「話の流れから察するに……今の代理宮廷魔導師では、認可出来ないということですか?」
2人はコクリと頷いた。
つまり、Exactly(その通りでございます)って事のようだ。やれやれだぜ……。
「何といいますか……その……色々とあるんですね」
「ええ。ですが……それについては私が何とかするつもりです。今の話を聞いた以上、そんな事が行われている洞窟を野放しにはできませんからね」
「その方がいいと思います。王都、いや、このイシュマリア国にとって脅威になりそうですから」
俺が出来るのはここまでだ。
後は2人に任すとしよう。
と、ここで、仕切り直しとばかりにウォーレンさんが俺に話しかけてきた。
「ま、それはそうとコータロー。アーシャ様達の件だが、恐らく、ここ3、4日の間にお迎えの者が訪れるだろうから、2人の事については安心するがいい」
「そのようですね。先程、2人から聞きました」
「しかし……まさか、あのラミリアンの少女が、ラミナスの王女様だったとはな。流石の俺も驚いたぞ」
「そうなんですよ。スイマセンでした。隠していた事をお詫びします」
俺は頭を下げた。
ウォーレンさんは頭を振る。
「別に謝らなくていい。刺客の魔物に襲われて、道中、大変だったらしいしな。身分を偽るのは止むを得んだろう」
「実際、それに巻き込まれて、俺も大変な目に遭いましたからね。ちなみに、この杖はその時の戦利品なんですよ」
俺はそう言って、右手にある変化の杖に目を落とした。
「ほう、その時の物だったのか。なるほどな」
アヴェル王子が訊いてくる。
「ではその時、魔物共は、人に化けてコータローさん達に近づいてきたという事ですか?」
「そうですよ。しかもですね、その内の一体は、先程話したグァル・カーマの法を施されたと思われる魔物だったんですよ。ですから、倒すのに苦労しましたよ。実際、全滅かと思いましたからね」
するとウォーレンさんは、大きく目を見開いた。
「お前が、そこまで言うということは、相当な魔物だったんだな」
どうやらウォーレンさんは、俺の事を買い被っているみたいだ。
変に勘違いされても困るので、臆病なヘタレと言っておかねば……。
「ええ。そりゃもう凄かったですよ。鋼の剣程度の武器では、まるで歯が立ちませんでしたからね。おまけに、口から炎を吐くわ、回復魔法を唱えるわ、補助魔法が利かないわで、散々だったんですから。臆病でヘタレな俺も、あの時ばかりは死ぬかと思いましたよ」
「……そこまでの魔物なのか。で、どうやって倒したんだ?」
「あの時は、この魔光の剣で倒したんです。これがなければ、倒すのは不可能でしたね」
俺はそう言って、魔光の剣に目を向けた。
思い返せば、鳥肌がたつほど寒い出来事であった。
ライトセーバー様様である。
「ほう、その武器が活躍したのか。それを聞いて、ますます欲しくなった。ちゃんと頼んでおいてくれよ」
「ええ、頼んでおきます」
まぁそれはさておき、ついでなのでアレの事について訊いておくか。
「ウォーレンさん、1つ訊きたいことがあるのですが」
「ン、なんだ?」
「訊きたい事というのは、他でもない、アウルガム湖についてなのですが……ウォーレンさんは以前、アウルガム湖の魚が消えたと仰っておりましたけど、どこかに移動したという線は考えなかったのですか?」
「ああ、その事か。勿論考えたさ。だが、調査を行った者の話では、その兆候はないという報告だったんだよ。だから消えたことになっているのさ」
「そうでしたか。ですが……となるとですね、少し辻褄の合わない事が出てくるんですよ」
「辻褄の合わない?」
2人は顔を見合わせる。
「今日、ルイーダの酒場に行った時に、妙な話を聞いたんです」
「どんな話ですか?」と、アヴェル王子。
「実はですね、アウルガム湖から水揚げされたとされる魚介類が、市場に出回っているのですよ」
「ああ、それはだな、近隣の町や村から王都へ回してもらっているのさ。他の地域も漁獲量が減ってはいるが、アウルガム湖みたいな事は起きてないからな。まぁとはいっても、ヒャドで氷詰めにして陸路で運ぶから、それほど多くの量ではないが」
「そうなのですか。だとすると、ますます妙ですね……」
ウォーレンさんは眉根を寄せる。
「妙? どういう意味だ、一体?」
「俺が聞いた話だと、かなりの量の魚介類が市場に流れているみたいでしたよ。それも、価格の変動が起きない程の量のようです。通常、市場に出回っている食料の数が減れば、食料の価値は上がります。ちょっとおかしいと思いませんか?」
「価格の変動が起きてないだと……馬鹿な、そんなことある筈……」
「本当ですか、コータローさん」
「ええ、間違いありません。ルイーダの酒場にいる仕入担当の方に訊いてみたのですが、仕入れ値は今までとそんなには変わらないそうです。これは、どういう事なんでしょうか? 価格の変動がないという事は、市場での取引数量もそれほど変動がないという事です。なので、それが少々気になりましてね」
2人は俺の話を聞き、顔を見合わせた。
「確かに、妙な話だ……」
俺は話を続ける。
「それから、まだ付け足す事があります」
「なんだ?」
「お2人は、ウィーグ地方にあるイスタドと呼ばれる町はご存知ですか?」
2人は頷く。
「ああ、知っているぞ。ウィーグ地方に入ってすぐにある湖畔の町だ。それがどうかしたのか?」
「今、その町は魚が面白いほど獲れて、大賑わいだそうですよ」
「イスタドがか? しかしだな……あそこの湖はアウルガム湖と直接通じてはいないぞ」
「そうなのですか。ですが、直接は通じて無くても、回り回ってという事も考えられます。この際ですから、アウルガム湖の支流となっている河川を、もう一度、調査した方がいいかもしれませんね。それと、これ程までの魚介類をどうやって市場で流せたのかという事も調べた方がいいと思います。ある筈のない量が出回っているのですから」
「ふむ……その必要はありそうだな」
「ウォーレン、漁師には箝口令を敷いてあると聞いたが、他の対応はどうしているんだ?」
「それがですね……今言ったように、近隣の街から魚介類を回してもらっているだけの筈です」
「だとすると、確かに妙だな……」
「ええ。ですが、市場がいつも通り回っているのなら、今はそれ程混乱は起きてないという事です。深刻な事態でもないですから、その辺の事は後日、漁師組合や市場の者に確認しておきますよ」
「ああ、そうしてくれ」――
その後も俺は、2人と色んな話をした。
内容は主に、この間あった魔の島での事だったが、その他にも、今の王都の状態や、ヴァロムさん関係の話も2人から聞く事ができた。
まぁそんなわけで、かなり有意義な時間を過ごせたのだが、そこで俺は少々気掛かりな話を耳にしたのである。
それは何かというと、国王だけでなく、アヴェル王子の弟君であるアルシェス王子の様子までもが、ここ最近おかしくなってきたという話であった。
王城の事は俺にはよくわからないが、色々とキナ臭い出来事が立て続けに起きている事を考えると、Xデーまで……もはや時間はそれほど残されてないのかもしれない。
[Ⅲ]
翌日の昼頃、俺はラッセルさん達と共にルイーダの酒場へとやって来た。目的は勿論、バルジさんに会う為だ。が、ルイーダさんに確認したところ、バルジさん達はまだ来てないとの事であった。
というわけで、俺達はとりあえず、空きテーブルに適当に座り、まずは昼食をとる事にしたのである。
そして、食事を始めて暫く経った頃、目的の人物がようやく俺達の前に姿を現したのであった。
「よう、ラッセル、待たせたな。ルイーダから聞いたぞ」
「おお、バルジ。待ってたぞ」と、ラッセルさん。
ちなみにだが、バルジさんは数人の仲間と共に俺達のところにやって来た。
それらは何れも修羅場を沢山潜ってそうな、かなりの手練れと思わしき者達であった。勿論、その装備品も中々の代物だ。
一応、バルジさんのパーティの構成を言うと、戦士系の男が3人、それから魔法使い系の女が2人に盗賊系の女が1人といった感じで、ある意味、王道的なパーティ編成であった。
年齢は、20代後半から30代前半くらいといったところだろうか。男は3人共、精悍な顔つきをしており、筋骨隆々といった感じだ。で、女性陣はというと、スタイル抜群の美人さん達であった。
男3人に女3人なので、もしかすると、ゴニョゴニョの関係なのかもしれない。
まぁそれはさておき、バルジさんは話を続ける。
「それはそうとラッセル、討伐には勿論参加するんだろ?」
ラッセルさんはそこで俺に視線を向けた。
多分、話してもいいかどうかを訊きたいのだろう。
というわけで、俺は頷いておいた。
ラッセルさんは話を切り出した。
「バルジ……ちょっとその件で、話したい事があるんだ」
「ン? なんだ?」
「単刀直入に言おう……あの依頼……あれは罠かもしれない。だから、行かない方が良い」
バルジさんは首を傾げた。
「罠? 何を根拠にそう言うんだ?」
「実は俺達……昨日、魔物に変装してあの洞窟を見に行ってきたんだよ」
「なんだって? それは本当か?」
「ああ、本当だ。ここにいるコータローさんに、あの依頼は不審な点が多いと言われたからな」
そこでバルジさんは俺をチラ見した。
「……で、どんな様子だったんだ?」
「この間、バルジが言っていたように、あの洞窟には確かに魔物の親玉らしきモノがいたよ。そして……見た事もない、沢山の魔物達の姿もな。依頼の通り、洞窟内は魔物で溢れんばかりだった」
「なら、問題ないじゃないか。俺達が討伐すればいいんだよ」
ラッセルさんは頭を振る。
「だが、バルジ……それだけじゃないんだよ。あの洞窟では、魔物達による恐ろしい儀式が行われていたんだ」
「恐ろしい儀式?」
「ああ……冒険者の身体を使った、恐ろしい儀式がな」
バルジさんはラッセルさんに詰め寄った。
「冒険者の身体を使った儀式だと……何だそれは?」
「魔物達は言っていた……魔物の魂と、この地上にいる者の魂を融合させる儀式だと……。一体何の為にそんな事をしているのかはわからないが……とにかく、そんな儀式が行われていたんだ」
「お前達はそれを見たのか?」
「ああ、俺達はその儀式を目の当たりにした。だが……儀式は失敗に終わった。そして……その実験台に使われた冒険者達は……無残な姿になって命を落としたんだよ……。おまけに魔物達は、その儀式を続ける為に、更に冒険者の身体が必要みたいな事を言っていた。つまり、あの依頼は、冒険者を誘き寄せる為の罠の可能性があるんだ」
この場に重苦しい空気が漂う。
バルジさんは暫しの沈黙の後、口を開いた。
「……そんな事があったのか。ところで、実験台にされたという、その冒険者は救出できなかったのか?」
ラッセルさんは身体を震わせ、絞り出すように言葉を紡いだ。
「く、悔しいが……俺達では……助ける事すらできなかった。敵はあまりにも……強大だったんだ……」
「そうか……」
「だからバルジ、悪い事は言わない。あの依頼は止めておくべきだ。でないと、被害は甚大なものになるぞ」
だが、バルジさんは頭を振った。
「ラッセル、それはできない。今の話を聞いて、尚更、行かねばならないという気持ちになったよ」
「しかしだな、バルジ……あそこはとてつもなく強い魔物達で溢れ返っているんだぞ」
マチルダさんとシーマさんも、ラッセルさんに続く。
「そうよ。私達も見たわ。しかも、私達が殺されかけた魔物みたいなのが、わんさかといたのよ。あそこは危険よ!」
「ラッセルの言ってる事は本当なのよ。やめた方が良いわ、バルジ」
と、ここで、バルジさんのパーティメンバーと思われる戦士系の男が口を開いた。
「おいおい、アンタ達は、金の階級の冒険者だろ。そんな情けない事言うなよ。ゼーレ洞窟で男達が殺されたのを見て、ビビッちまったんじゃないだろうな。こっちは総勢200名以上で洞窟に向かうんだぜ。しかも、全員、金の階級以上の王都を代表する冒険者だ。これだけ揃えば、そう滅多な事はねぇさ」
バルジさんはその男に同調する。
「ゴランの言うとおりだ。いいか、ラッセル。あの洞窟に向かうのは、精鋭の冒険者だ。そう滅多な事にはならん筈さ」
「魔物は……王都の冒険者では歯が立たないかもしれない。それくらいに強い可能性があるぞ」
するとそこで、ゴランと呼ばれた男戦士が、ラッセルさんを嘲笑ったのである。
「おいおい、一度、殺されかかったからって、何弱気になってんだよ。おい、バルジ、こりゃラッセル達は駄目だぜ。一度やられたから、腰抜けになってやがる」
「ちょっと何よ、その言い方はッ!」
流石にカチンと来たのか、シーマさんは声を荒げた。
バルジさんはゴランという戦士を諫める。
「おい、よせ。口が過ぎるぞ、ゴラン!」
「はいよ……」
ゴランは返事をすると、手をヒラヒラさせながら、ぶっきら棒な態度をとった。
結構、ムカつく仕草である。
「すまないな、ラッセル。口が悪い奴だが、許してやってくれ。まぁそれはともかくだ。何れにせよ、今の話だと、あの洞窟に魔物が居るという事には変わりない。だから、予定通り、俺達はゼーレ洞窟へと向かうつもりだ」
「しかし、バルジ……」
「まぁアレだ。嫌なら、ラッセル達は無理に参加しなくてもいい。これは強制ではないからな。それと、今の忠告も一応頭に入れておこう」
「どうしても行くのか?」
「ああ」
ラッセルさんは残念そうに肩を落とした。
「そうか……行くのか」
「大丈夫さ。王都で一番優秀な冒険者達が行くんだ。なんとかなるさ。まぁそういうわけだ。お前達はゆっくりと静養してな」
バルジさんはそう言って、ラッセルさんの肩をポンと軽く叩いた。
そして、少し離れた所にある空きテーブルの1つへと去って行ったのである。
と、そこで、ラティが俺に話しかけてきた。
「なぁ、コータロー。さっきからどうしたんや? 額に手なんか当てて……頭が痛いんか?」
「へ? ああ、違う違う。ちょっと考え事をしてたんだよ」
「なんや考え事か」
額に右手の指先を当てていたので、そう思ったのだろう。
知らず知らずの内にそんな仕草をしてたようだ。
まぁそれはともかく……どうやら俺は、思い違いをしてたようだ。これは思ったより、不味い事態のようである。
だがとはいうものの、今の現状だと、俺の推察通りとも限らない。それを裏付ける為の情報が必要だ……。それも確固たる情報が欲しい。
(仕方ない。どうにか時間と場所を作って、ラーのオッサンに訊いてみるしかないだろう。今の俺の疑問に答えられるのは、ラーのオッサンだけだからな……)
俺がそんな事を考えていると、そこでラッセルさんの弱々しい声が聞こえてきた。
「コータローさん……貴方の言っていた通りになってしまいました。どうしましょう……」
「ま、こうなった以上は仕方ないです。とりあえず、食事を終えたら、ここを出ましょうか。少し静かな所でお話ししたい事がありますんで」
この場にいる者達は皆、顔を見合わせた。
ラッセルさんとリタさんが訊いてくる。
「それは構いませんが、どうしてなんです?」
「コータローさん……何かいい方法でもあるの?」
「それは後でお話ししますよ。少々、面倒な事になってるみたいですからね」――
Lv45 落ちこぼれ冒険者
[Ⅰ]
昼食を終えた俺達は、とりあえず、ルイーダの酒場から出る事にした。が、その前に、俺はルイーダさんに確認したい事があった為、まずは受付のカウンターへと向かったのである。
確認したかったのは、ゼーレ洞窟で失踪したパーティの数や人数に加え、ジョブ的な構成や性別といった、ある程度詳細な情報であった。
そして、それらの情報を聞き終えたところで、俺達はルイーダの酒場を後にしたのである。
ルイーダの酒場を出ると、太陽光に照らされた明るい街並みが視界に入ってきた。
太陽は真上から降り注いでおり、丁度、真昼の陽射しといったところだ。
今の時期のイシュマリアは乾季という事もあってか、カラッとした空気が辺りに漂っている。
だが、暑さはそれほどでもない。俺の体感だと、外の気温は25度から30度といったところだろう。少し暑いが、まだまだ過ごしやすい範疇の気温である。
まぁそれはさておき、今まで薄暗い酒場内だったので、外に出た途端に目がチカチカしてきた。
その為、俺は酒場を出たところで立ち止まり、少し目を慣らす事にしたのである。ついでに背伸びと欠伸も。
(ふわぁぁ……酒場の中もそれほど悪くはないけど、やっぱ外の方が気持ちいいわ。さてと……どこで話をするかな。なるべく人気のない所で話したいが、この辺の事はよくわからん。ラッセルさんに訊くのが早いか……)
と、その時であった。
【なんだとオメェ! もう一度言ってみろッ!】
【ああ、言ってやるよ。テメェは出来そこないのクズ野郎だって言ったんだよッ!】
酒場の近くで怒鳴り声のようなモノが聞こえてきたのである。
どうやら、酒場の付近で喧嘩をしている奴等がいるみたいだ。
酒場から10m程離れた所に、ちょっとした人だかりができているので、多分、喧嘩してんのはそこだろう。
会話の内容から察するに、多分、下らない争いに違いない。ご苦労な事である。
だが、どこかで聞いた事がある声であった。
(最近、この声を聞いた気がするんだよな……どこだったっけか。まぁいいや、見ればわかるか)
俺は人だかりへと近づき、渦中の人物に目を凝らした。
すると、10名程の冒険者達が言い争っているのが視界に入ってきた。
だがそこで、思いがけない人物が目に飛び込んできたのである。
なんと、俺に因縁をつけてきたボルズとかいうスキンヘッド野郎が、そこにいたのだ。
(お、おう……アイツ等か……相変わらず、アウトローな事やってるな)
と、そこで、ラッセルさんとラティの声が聞こえてきた。
「あれはボルズ達……また揉め事か」
「誰かと思うたら、この間、ワイ等に因縁つけてきたスカタンやんけ。また誰かに因縁つけてんのかいな。ホンマ、ようやるわ」
「よくやるわね。あの様子だと、どうせまた、兄のバルジと比較されて、いきり立ってるんでしょ。さ、行きましょ。あんなのに関わると、後が面倒よ」と、マチルダさん。
この口ぶりから察するに、あの男の揉め事は日常茶飯事なのかもしれない。
多分、ボルズとかいうゴロツキ冒険者は、この界隈では有名なチンピラモドキなのだろう。
「コータローさん、行きましょう。気にしないでください、いつもの事ですから。それより、このままここにいると、奴等の喧嘩に巻き込まれますよ」
「ですね。行きま……」
俺はそこで言葉を止めた。
なぜなら、奴に確認したい事が脳裏に過ぎったからである。
「ラッセルさん、1つ訊きたい事があります。あのボルズという冒険者は、バルジさんの弟なのですか?」
「ええ、そうですよ。それがどうかしましたか?」
「そうですか……ちなみに、彼はバルジさんと一緒に住んでいるのですかね?」
「だと思いますが……」
「では、彼に少し確認したい事があるので、仲裁に入るとしましょうか」
「え? ちゅ、仲裁ですか……」
ラッセルさんは首を傾げた。
「はい、仲裁です。じゃあ、そういうわけで、ちょっと行ってきますね。俺が仲裁に失敗したら、ラッセルさんも応援に来てください」
「え? ちょっ、コータローさん……」
そして、俺は修羅場へと足を踏み入れたのである。
俺は奴等に近づき、フレンドリーに声を掛けた。
【はい、やめぇ~。はい、終了~。そこの冒険者達ィ~、熱くならない、熱くならない】
ボルズと、喧嘩相手の1人と思われるゴツイ髭面の男戦士が、こちらに振り向いた。
「テ、テメェは、この間のッ! 何しにきやがったッ、関係ない奴は引っ込んでやがれッ!」
「誰だ、お前は? 一体、何のようだ?」
とりあえず俺は、ボルズは無視し、ゴツイ髭面戦士の方に話しかけた。
「御取り込み中のところ、すいませんね。実はですね、私、このボルズっていうドルイドみたいな頭をした男に少し用があるんですよ。何があったのか知りませんが、ここは一度手を引いてもらえませんでしょうか?」
「ド、ドルイドみたいな頭……ガッハッハッハ」
戦士は腹を抱えて豪快に笑いだした。
俺のウィットに富んだドラクエ的比喩表現がツボに入ったようだ。
逆にボルズは怒りのあまり、ツルッパゲな頭を真っ赤に染めていた。
ドラクエ的に言うならば、ドルイドから鬼面道士に変化した感じだ。その内、メダパニを唱えてきそうである。
まぁそれはさておき、ゴツイ戦士は笑いながら話し始めた。
「ガハハハハハ、ハヒィ、ハヒィ……ドルイドのような頭か、こいつぁいいぜ……いいだろう、この場はアンタに免じて退いてやるよ。じゃあな、ドルイド野郎」
捨て台詞を吐きながら、ゴツイ戦士は背を向けて歩き出した。
【ま、待ちやがれッ! この野郎!】
ボルズは戦士に向かい駆け出す。
と、そこで、俺は両手を広げ、ボルズの前にサッと立ち塞がった。
「まぁまぁまぁ、そう熱くならない。それよりも、ちょっと貴方に訊きたい事があるんですよ。今、お時間よろしいですかね?」
ボルズは俺に血走った目を向け、吐き捨てるように言葉を発した。
【何言ってやがるッ! クソッ、全部テメェの所為だ! ぶっ殺してやるッ!】
そう言うや否や、ボルズは腰に帯びた剣の柄に手を伸ばした。が、しかし……奴が剣を手にする事はなかった。
【なッ!?】
なぜなら、奴が柄に手を掛けるよりも先に、俺がフォース……じゃなかった、魔導の手を使って剣を引き寄せたからである。
本当はこんな所で、魔導の手を使いたくなかったが、事情が事情なので、ここは割り切るしかないだろう。
まぁそれはさておき、剣がこちらに来たところで、俺は交渉を再開する事にした。
「俺は別にアンタと喧嘩しに来たわけじゃない。少し訊きたい事があるだけさ。つーわけでだ。これから俺達と一緒に来て欲しいんだが、どうだろう?」
「今のは、魔導の手……てめぇ……一体、なにモンだ……」
「俺は冒険者さ。で、返事はどうなの? 俺達に付き合ってくれるのかい? 付き合ってくれるのなら、この剣はアンタに返すよ」
ボルズは苦虫を噛み潰したような表情で、渋々ではあるが返事をした。
「チッ……返事を聞くとか言っておきながら、選択肢がねぇじゃねェか……クソッ……わかったよ」
「よし、なら、交渉成立だ。あ、そうそう、来るのはアンタ1人だけで頼むよ」
「フン……わかったよ」
そこでボルズは仲間に振り返る。
「おい、お前達、変な奴に絡まれちまったから、今日はとりあえず解散だ。また明日な」
「あ、ああ」
ボルズは俺に視線を向け、面白くなさそうに口を開いた。
「……何を訊きたいのか知らんが、しょうがねぇから付き合ってやるよ」
俺はボルズに剣を返した。
「悪いな。じゃ、これは返すよ」
「フン」
ボルズは面白くなさそうに剣を鞘に戻す。
そして、俺はラッセルさんの所へ行き、耳打ちをしたのである。
「ラッセルさん……この辺りで、人気のない静かな所って知ってますか?」
「人気のない所ですか? まぁ多少は」
「じゃあ、そこに案内してもらえますか。あまり人に聞かれたくない話ですので」
「わかりました。では、コッチです」――
俺達はラッセルさんの後に続いた。
するとその道中、ラティが俺の耳元でこんな事を囁いてきたのである。
「……さっきのやり取り、めっちゃオモロかったで。ワイ、コータローとなら上手くやってけそうや」
「オモロかったってお前……注目するとこが違うだろ」
「へへへ、ま、これからも仲良うしてこうな」
このドラキーはネイティブで関西弁喋るので、案外、お笑い芸人気質なのかもしれない。
[Ⅱ]
ボルズとの交渉を終えた後、俺達はラッセルさんの案内で、アーウェン商業区の路地裏にある、ひっそりとした区域へとやってきた。
飾りっ気のない平屋の建物ばかりが並ぶところで、表の喧騒からは考えられないほど静かな所であった。
ラッセルさんの話によると、この辺りは利用頻度の少ない寂れた倉庫街らしい。人もあまり見かけないので、内緒話をするにはうってつけの所であった。
そんな閑散とした倉庫街を暫く進み、程なくして俺達は、石造りの少し大きな建物の中へと、ラッセルさんに案内されたのである。
カマボコ型の屋根をした建物で、中は朽ち果てた木製の台車や、埃にまみれる木箱等が幾つも転がっており、どことなく寂しい雰囲気の漂う所であった。
この様相を見る限り、ココも昔は倉庫として使っていたのだろう。
「コータローさん、ここならば、そう人も来ないでしょうから、気兼ねせずに話せると思います」
「そのようですね。では、ここにしましょうか」
俺はそこでボルズに視線を向けた。
ボルズは腕を組み、倉庫の壁に背を持たれると、ぶっきら棒に言った。
「で、俺に訊きたい事ってのはなんだ?」
「訊きたい事というのは、他でもない、バルジさん達についてです」
ボルズは面白くなさそうに口を開く。
「フン……また兄貴のことか……ったく、どいつもこいつも……。で、兄貴の何が知りたいんだ? 言っとくが、俺はここ最近、兄貴と話す事なんて殆どないんでな。家でもそんなに顔は合わさねぇから、答えられることなんて、そんなにねェぞ」
「答えられることで構いませんよ。まぁそれはともかく、ここ1、2年の間でなんですが、バルジさんの周りで、何か変わった事とかは無かったですかね? 同居されている方なら、そういった事に敏感だと思うので」
「何も変わらねェよ。相も変わらず、優秀な兄貴さ。俺なんかと比べもんにならねぇくらいにな。そりゃあもう、自慢の兄だよ。どうだ、気が済んだか?」
どうやら、被害妄想に取りつかれているようだ。
長い間、優秀な兄とずっと比べられ続けてきたのだろう。今まで、結構惨めな思いをしてきたに違いない。
まぁそれはさておき、質問の意図を理解してないみたいなので、一度言っておくとしよう。
「ああ、言っときますけど、俺は別にバルジさんの優秀さを訊いてるんじゃないですよ。バルジさんの交友関係や冒険者としての行動、そして普段の行動で、妙な変化はなかったかと訊いているんです。で、何か変わったところは無かったですかね? どんな些細な事でも構いませんから言ってください」
「そういわれてもな……変わったところっつっても……あ!? そういや……でも、あれはいつもの事か……」
「何か思い出しましたか?」
「いや、そう大した話じゃないんだが、昨年のジュノンの月に入った頃だったか、兄貴のパーティは一度解散したんだよ。で、その後、今のパーティになったんだが、それからかな、やたらと大きな依頼をこなしていくようになったのは……。ま、それもあって、今じゃ、王都の冒険者階級最高位の白金だからな。お蔭で、落ちこぼれの俺との差も、凄い事になりだしたよ」
「え? じゃあ、昨年はまだ、金の階級の冒険者だったんですか?」
「ああ、そうだ。……って、こんな事はラッセル達だって知ってる事だろ」
俺はラッセルさんに視線を向けた。
ラッセルさんは頷く。
「ボルズの言ってる事は本当ですよ。バルジ達は昨年になってから難度の高い依頼を次々とこなし、白金の称号を手に入れました。なので、バルジ達のパーティは今、王都で一番勢いのあるパーティなんじゃないですかね」
どうやら、本当の事のようだ。
「へぇ、そうだったんですか、なるほど……。まぁそれはともかく、話を戻しますが、バルジさんはどうしてパーティを解散したんですか?」
するとラッセルさんが答えてくれた。
「以前、バルジから聞いたんですが、仲間達と意見が食い違い、少し揉めたような事を言ってましたね。バルジは上昇志向の強い冒険者ですから、結構、意見の対立とかもあったそうですよ」
と、そこで、ボルズがボソッと呟いた。
「フン……どうせ、志しが低い連中とわかったから、早めに手を切ったんだろ。兄貴はいつも上ばかりを目指してたからな。……アイツは自分の目標の為なら、なんだってする男だ。仲間と別れるくらい、なんでもねぇさ。……俺もそのクチだからな」
「ふぅん。で、バルジさんの目標っていうのは何なんだい?」
「アイツの考えてる事は1つだ。親父を越え、王都一の冒険者という名声を手に入れる事さ」
ここでリタさんが話に入ってきた。
「そういえば、バルジとボルズの父親って、疾風のバーンズだったわね」
「疾風のバーンズ?」
「少し前だけど、王都で名の通っていた冒険者の1人よ」とマチルダさん。
「ま、とはいうものの、俺達が子供の頃、親父は魔物との戦闘中に、崖から落ちて死んじまったがな。そういや……その頃からだったか、兄貴が冒険者としての名声に拘りだしたのは……」
冒険者としての名声に拘る、か……。
まぁいい、質問を続けよう。
「それはそうと、さっき、『いつもの事』と言いましたが、バルジさんは今までに何回もパーティを解散してるんですか?」
「今までに6回くらいはしてるぜ」
するとラッセルさんが驚きの声を上げた。
「え? バルジはそんなに何度もパーティを組みかえてるのか?」
少々意外だったようだ。
ボルズは頷く。
「ああ、俺が知る限りではな」
「へぇそうなんだ。でも、解散ってことはさ、酒場のパーティ登録とか、やり直しにはならないの?」
「ならねぇよ。パーティの責任者は兄貴だからな。ルイーダの酒場は、責任者登録してある冒険者の申し出に対応するだけだ。責任者が解散を届けなければ、パーティとして酒場に登録されたままになるんだよ」
「ふぅん、初めて知ったよ」
と、その時であった。
【おやおや、こんな小汚い所で、悪巧みする会議でもしてるのかな。俺達も混ぜてくれよ】
建物の入り口から、冒険者と思わしき奴等が4人現れたのである。
見たところ、戦士2人に魔法使い系が2人といった感じだ。
だが、人相の悪い奴等なので、あまり友好的な雰囲気ではなかった。
この見た目から察するに、ボルズと同じような、ゴロツキ系の冒険者なのかもしれない。
それはさておき、ラッセルさんとシーマさんが奴等に話しかけた。
「誰だ、お前達は? 何しに来た?」
「どこの誰か知らないけど、私達に何か用かしら?」
奴等の1人が口を開く。
「クククッ、勿論、アンタ達に用があるから来たのさ」
「何?」
「一体何の用かしら?」
シーマさんとラッセルさんは奴等に近づく。
だがそこで、予想外の所から小さな声が聞こえてきたのである。
『……気をつけろ、コータロー……あれは魔物だ』
(え!?)
声の主はラーのオッサンであった。
突然だったので少しびっくりしたが、俺は急いで2人にそれを告げた。
「ラッセルさんにシーマさん! 下がってくださいッ。そいつ等は、魔物ですッ!」
【えッ!?】
皆は一斉に俺へ振り向いた。
ラティが慌てて訊いてくる。
「魔物やって? ホンマかいな」
「ああ……」
(何れ来るだろうとは思ったが、こんなに早く来るとは……。仕方ない、どんな魔物か知らないが、出口が1つしかない以上、戦うしかないか……ン?)
と、そこで、奴等は全員、黒い水晶球を懐から取り出したのであった。
これが意味するところは1つである。今から魔物に変身するという事だ。
【ウケケケ、よくわかったな。えらく鋭い奴がいたもんだ。まぁいい、どの道、本来の姿でお前達を始末するつもりだったから、そうしてやろう。ケケケ】
その直後、奴等は水晶球から吐き出された黒い霧に包まれる。
それから数秒ほどで黒い霧は流れ、奴等の正体が明らかとなったのである。
ラッセルさん達の驚く声が聞こえてくる。
【こ、この魔物はッ!?】
奴等の正体……それは大鎌をもつ緑色の悪魔・ベレスが2体に、青い体毛に覆われた魔獣系の魔物が2体であった。
ちなみにだが、青い体毛の奴はⅣで見た事がある魔物だ。確か、ハンババとかいう名前だった気がする。
人のように2本の足で立つ魔物で、手の指先には鋭く長い爪が伸びており、頭部には長い角が2本生えていた。
また、豚のような鼻に肉食獣のような口を持つといった魔物であり、その様子はまさに野獣といった感じである。
どちらも中盤の終わりに出てくる強敵で、俺達の装備だと、まともに戦えば苦戦は必至といえる魔物達であった。
(しかし……このクラスのリアル魔物なると、厳つい奴等ばかりだな。はぁ……気が滅入る。まぁそんなことはさておき、どうやって戦うかだが……ゲームだと、ベレスはベギラマを頻繁に使ってきたから、そこは要注意だ。おまけに攻撃魔法にも耐性がある上に、マホカンタもしてきたような……正直、ウザい敵って印象しかない。それからハンババは確か、麻痺を伴う攻撃と口から火の玉を吐いてきた筈だ。とりあえず、火の玉攻撃は無視した方がいいな。全体攻撃ではあるが、所詮、ギラ以下のダメージ。コイツの場合、気をつけなければならないのは、麻痺攻撃の方だ。……さて、どうやって戦うか……って、アッ!?)
と、その時である。
【シャァァ】
なんとハンババが、近い位置にいたシーマさんとラッセルさんに飛び掛ったのである。
指先から生える鋭利な爪が2人に襲い掛かる。
2人はまだ戦闘態勢に入ってなかった為、慌てて防御した。
「グッ!」
ラッセルさんは鉄の盾で何とか爪を防ぐ。
シーマさんは避けようと、横に飛び退いた。が、しかし、避けきれず、右肩にハンババの爪が食い込んだのである。
そして次の瞬間、シーマさんの苦悶の声が、建物内に響き渡ったのであった。
【キャァァ!】
今の攻撃を終えたところで、ハンババ2体は元の位置に下がる。
するとその直後、シーマさんは全身を震わせながらパタリと倒れ、床に横たわったのである。
【シ、シーマ!?】
マチルダさんは大きな声を上げ、シーマさんに近寄ろうとした。
だが、俺はそれを制止した。
「マチルダさん、奴等の間合いに近づかないでッ! シーマさんは、あの魔物が持つ麻痺毒にやられて身動きが出来ないだけですから、死んだわけではありません。今は奴等を倒すのが先です」
「ま、麻痺毒。わ、わかったわ」
ハンババが一旦後ろに下がったところを見ると、今はまだシーマさんに止めを刺さないはずだ。
恐らく、麻痺攻撃で俺達の戦力を削りに来ているのだろう。
ある程度の人数を動けなくしたところで、じわじわ殺していくに違いない。
(チッ……ボクシングでいうHit and Awayってやつか。しかし、麻痺毒を持つ魔物からすると、かなり良い戦い方だ。俺達からすると厄介な戦い方だが……)
と、ここで、1体のベレスが口を開いた。
【ケケケ、ハンババが麻痺攻撃をしてくると、よくわかったな。だが果たして、お前等に俺達が倒せるかな、ケケケケ】
俺はベレスとハンババに視線を向ける。
(さて……まともに戦ったら、こちらがジリ貧だが、俺の記憶が確かなら、コイツ等は確か、攻撃魔法はあまり効かないが、ラリホーやルカニといった攻撃補助魔法は結構効いた筈だ。……となると、今、チョイスするのはこの魔法だろう)
使う魔法を決めたところで、俺は両手に魔力を向かわせ、早速、呪文を唱えた。
【ラリホー】
俺が選択したのはラリホー2発である。2発使ったのは2グループへの対応だ。
白く淡い霧がベレスやハンババ達を包み込む。程なくして、魔物達はゆっくりと目を閉じた。が、しかし、ハンババは1体だけ眠りに落ちなかった。
とはいえ、他の3体は良い感じで、お寝んねしてくれたので、結果オーライである。
特に、ウザいベレスを初っ端から無力化できたのは大きい。
ベギラマを連発されると、一気に窮地に陥る可能性があるからだ。
俺はそこでラッセルさん達に指示を出した。
「ラッセルさんとリタさんは、眠りに落ちなかった青い魔物を集中攻撃してください。1体づつ地道に行きましょう」
「わかりました、行くぞ、リタッ」
「う、うん」
「マチルダさんは今の内に、ホイミでシーマさんの回復をお願いします」
「わ、わかったわ」
俺はついでにボルズにも指示した。
「そうだ。ついでだから、アンタにもお願いしますよ。ラッセルさん達と共に攻撃に当たってくれませんか?」
「なな、何で俺が……」
ボルズの声は弱々しかった。
人相に似合わず、結構ビビりなのかもしれない。
「でも、アイツ等を倒さないと、アンタもここから出られませんよ。出入り口は奴等のいるところだけなんだから」
「チッ……わ、わかったよ」
ボルズは渋々剣を抜いた。
「じゃあ、お願いします。それからラティ、確か、マヌーサを使えると言ってたな?」
「ああ、使えるで」
「じゃあ、青い体毛の魔物にマヌーサを頼むよ」
「了解や」――
その後、眠りに落ちなかったハンババは、前衛3人の攻撃で絶命する。
残った3体に対しても、俺達は同じ方法を取り続けた。
ラリホーやルカニを駆使して俺は前衛を援護し、前衛は1体を集中攻撃という戦闘方法を繰り返したのである。
そして、あれよあれよという間に魔物達は息絶え、5分程度で危なげなく戦闘を終える事ができたのであった。
ラッセルさんが最後の魔物に止めを刺したところで、俺はラティに指示を出した。
「ラティ、ちょっと外の様子を見てきてくれるか。近くに不審な奴等がいたら、すぐに知らせてくれ」
「おお、わかったで」
ラティが偵察に向かったところで、俺はシーマさんの治療をする事にした。
道具袋から満月草を取り出し、彼女の上半身を抱き起こすと、シーマさんの口に、俺はゆっくりと満月草を流し込んだ。
ちなみにだが、この満月草も薬草や毒消し草と同様、小瓶に入った液体の魔法薬だ。基本的に魔法薬は液体の薬ばかりのようである。
まぁそれはさておき、満月草を服用して暫くすると、シーマさんの身体の震えは徐々に治まってきた。どうやら効いてきたのだろう。
程なくして、シーマさんは疲れたように口を開いた。
「あ、ありがとう……コータローさん」
「麻痺毒にやられたみたいだから、満月草を使ったけど、調子はどう?」
「うん……だいぶ良くなってきたみたい」
「そう、ならよかった」
初めて満月草を使ったので、少々不安だったが、まぁこの辺の効能はゲーム通りのようだ。
と、ここで、他の皆も俺達の所にやって来た。
ボルズの気楽そうな声が聞こえてくる。
「なんでぇ、思ったより簡単な奴等だったな。弱い奴等で助かったぜ」
俺はボルズに視線を向け、目を細めた。
「な、なんだよ、その目は……」
「勘違いしてるようなので言っときますが、そんな生易しい魔物ではないですよ。応手を間違えれば、全滅もあり得ました。その大鎌を持った魔物はベレスといってベギラマを得意とする強力な魔物です。そっちのハンババは麻痺を伴う高い攻撃力と火の玉を吐く魔物。まともに戦えば、こちらが窮地に陥る可能性の方が高かったです。俺がたまたま、この魔物達の弱点を知っていたから、すんなり戦闘を終わらせれたにすぎません」
「ベ、ベギラマが得意な魔物……」
ボルズは生唾をゴクリと飲み込んだ。
ラッセルさんが訊いてくる。
「コータローさん、この魔物達は一体……」
「多分、さっき酒場で、俺達の話していた内容を聞いて、ここに来たか……もしくは……殺せと指示されたんでしょうね」
「え? それってつまり……」と、マチルダさん。
俺は頷いた。
「マチルダさんの想像通りですよ。つまり、冒険者の中に魔物がいるって事です」
「そ、そんな……」
この場の空気がどんよりと沈む。
そんな中、ボルズが焦った様子で訊いてきた。
「ちょっ、ちょっと待てよ。話についていけんぞ、どういう事だ、一体!」
「言葉通りの意味ですよ。それとすいませんね、どうやら、アンタを巻き込んでしまったようだ」
「へ? ま、巻き込んだ……って、ああッ!? て、てめぇ……よくもッ、どうしてくれんだよ!」
ボルズは自分の置かれた状況に気付いたようだ。
「謝るしかないですね。申し訳ない。でも、今はそんな事を言ってる場合じゃないですよ」
と、ここで、ラティが偵察から帰ってきた。
「コータロー、外には冒険者どころか、他に人影もなかったわ。せやから、はよ、ここから撤収したほうがエエんとちゃうか」
「ああ、そうしよう」
「ですが……その前に、これらの魔物の死体はどうしましょう? 住民に見つかると大騒ぎになりますよ」
ラッセルさんはそう言って、床に散らばる魔物達の屍に目を向けた。
この世界の魔物はゲームと違ってお金にはなってくれないので、死体の後始末が難しいところだ。
とはいえ、今はそんな事に構ってられない。
「残念ですが、死体の処理までしている時間はありません。後の事はラヴァナの衛兵にでも任せましょう。それよりも、今は一刻も早くこの場を立ち去ったほうがいいです。次の追っ手が来るかもしれませんからね」
「確かに……」
「ところでラッセルさん、ここ以上に人目を避けれる、良い隠れ場所とかってありますかね?」
「隠れ場所ですか……まぁ一応、それらしい所はありますが」
「じゃあ、そこに案内してもらえますか」
「わかりました。ではついて来てください」――
[Ⅲ]
倉庫街で魔物達と戦闘を終えた後、俺達はラッセルさんの案内で、ラスティーア商業区にある少し小汚い地区へとやって来た。
そして、その地区にある、とある小さな石造りの四角い建物へと、俺達は足を踏みいれたのである。
間取りや見た目からすると、一応、民家のようだ。建物自体は古く、外壁や内壁は結構色褪せていた。
とはいえ、周りの建物が大体そんな感じなので、まぁある意味、ここでは普通の建物といったところだ。この街並みから察するに、貧困層が住む区域なのかもしれない。
まぁそんなことはさておき、建物の中に入ったところで、ラッセルさんがボソリと呟いた。
「あの頃のままだな、ここは……。あの後、誰も住んでないから当然か……」
「そうね」とリタさん。
どうやら2人がよく知る建物のようだ。
つーわけで訊いてみた。
「ラッセルさん、この建物は?」
「今から15年ほど前、俺とリタはここに住んでおりました。今はアーウェン地区に住んでいるので、ここにはもう住んでませんがね。ですが、時々、来てしまうんですよ。嫌な事や、辛い事があると、なぜか来てしまうんです。まぁ子供時代の思い出の家といったところですかね」
ラッセルさんはそう言って、感慨深そうに、埃だらけの壁に刻まれた落書きに手を触れた。
多分、ラッセルさん達が子供の頃につけたモノなのだろう。
ここには色々な思い出が詰まっているに違いない。
「なるほど、昔住んでいた家ですか」
「ええ。ま、それはそうと、コータローさん。この後ですが、どうした方がいいのでしょう……正直、かなり不味い事態なのはわかるのですが、我々の手には負えない気がするのです」
続いてボルズが話に入ってきた。
「そ、そうだぜ。俺は魔物に狙われるのなんて、真っ平御免だからな。な、なんとかしろよ」
コイツ……多分、俺以上のヘタレかもしれない。
見た目は厳ついのに……すげぇギャップだ。
まぁそれはともかく、不味い事態なのは確かである。
「ラッセルさんの言うとおり、かなり不味い事態です。早くなんとかしないと、バルジさんを筆頭に、冒険者達は実験台にされて殺されてしまう可能性が高いですからね」
「あ、兄貴が殺される? 何言ってんだオメェは。アイツがそんなヘマするかよ。俺はアイツが嫌いだが、アイツの実力は認めてるんだぞ。王都でも1、2を争えるほどの冒険者だってな」
「優秀な冒険者だというのは俺も認めますよ。実際、そうじゃなきゃ白金の称号は得られないでしょうしね。ですが……それはあくまでも、冒険者としての仕事の範囲でならという意味です。もはや事態は、そんな段階ではなくなってきています。事は、国の存亡に関わる可能性があるのでね」
「く、国の存亡……な、何言ってんだ、一体?」
「コータローさんの言っている事は事実だ。巻き込んでしまった以上、仕方がないから、お前にも話してやろう。いいですよね、コータローさん?」
「どうぞ」
ラッセルさんは簡単に説明をした。
「実はな、バルジ達を中心とした魔物の討伐隊が、明日の朝、ゼーレ洞窟へと向かうんだが、そこでは今、かなりヤバイ事が起きているんだよ。このまま行くと、恐らく、バルジ達は殺されてしまう可能性が高い。いや、バルジ達だけじゃない、他の冒険者達もそうなる可能性が高いんだ」
続いてマチルダさんも。
「ボルズ……ラッセルやコータローさんの言ってる事は本当よ。私達は昨日、魔物に変装してゼーレ洞窟の調査をしてきたんだから。このままにしておけば、バルジ達は間違いなく殺されるわ」
「なら、それを直接、兄貴に言えばいいじゃないか」
「言ったわよ。でも、聞き入れてもらえなかったわ。だからこうして悩んでいるのよ」と、シーマさん。
「じゃあ……どうするんだよ」
ボルズの言葉は弱々しかった。
コイツなりに少しは心配になったきたのかもしれない。
「方法は1つです。何とかできる人達に、何とかしてもらうしかないでしょう」
ここでラッセルさんが訊いてくる。
「コータローさん、昨日、ウォーレン様に掛け合ってみると仰ってましたが、どんな風でしたか?」
「対応の方はしてくれるみたいですよ。俺の話を聞いて、少し青褪めた表情をしてましたから、それはやってくれると思います」
「なら、安心ですね」
だが、俺は頭を振る。
「いや……事はそんな単純ではないです。どうやら、思った以上に面倒な事になってるみたいなのでね」
「え? それはどういう……」
「まぁ、その話は明日しましょう。それはさておき、この後なんですが、実はゼーレ洞窟の件で、俺も打ち合わせに参加する事になってるんです。そこで対応策を練るのですが……実はですね、非常に申しあげにくいのですが、ウォーレンさんから頼まれた事がありまして……ラッセルさん達にお願いしたい事があるんです。返事を打ち合わせまでにしないといけないので、今、確認させてもらいます」
「ウォーレン様から頼まれた事? 何ですか一体?」
「それがですね……実は、魔導騎士達の案内役として俺達に来てほしいと、ウォーレンさんに頼まれたんですよ。無理強いはしないと言ってましたが、俺も居候の身分なので、流石に断り辛くてね。で、どうしますかね? 」
そこで全員、顔を見合わせた。
すると程なくして、ラッセルさん達は快い返事をしてくれたのである。
「わかりました。乗りかかった船ですから、俺は行きますよ。それに、王都の冒険者として放ってはおけませんからね」
「私も行くわ」
「私も」
「私もよ」
「ほな、ワイも行こっかな」
「皆、ありがとうございます」
だがそこで待ったをかける者がいた。
ボルズである。
「ちょっ、ちょっと待てよッ! お、俺はいかねぇぞ。勝手に話を進めるなッ!」
俺は正直に言ってやることにした。
こんなバカでも、俺の所為で死んだとなると、気分が悪いからである。
「別に来なくてもいいですよ。でも、今のアンタの場合、王都にいたほうが危険かもよ。案外、寝込みを魔物に襲われて、ブスリとやられてしまうかも……なんてね。アハハハ」
「え……」
俺の最悪なシュミレーションに、ボルズは青褪めていた。
多分、コイツは見かけ倒しの臆病者なんだろう。
スキンヘッドにして強面にしてるのも、それを隠す為の仮面に違いない。
程なくしてボルズは、腕を組んで踏ん反りながら、偉そうに口を開いた。
「ま、待て……しかたねぇ。やっぱ俺も行ってやるよ。あ、兄貴が心配だからな」
憎めない奴である。
ある意味、長生きしそうなタイプだ。
「そういう事にしといてあげるよ」
とまぁそんなわけで俺達は、明日、この面子で、もう一度ゼーレ洞窟へ向かう事になったのである。
[Ⅳ]
俺はウォーレンさん達と細かい打ち合わせを終えた後、屋敷を抜け出し、アリシュナのとある場所へとやってきた。
理由は1つ。ラーのオッサンにどうしても確認したい事があったからだ。
人気のない暗がりの中で、俺はラーのオッサンに小さく囁いた。
「ラーさん……話がある」
「なんだ?」
「今日の昼頃、俺はルイーダの酒場にいたわけだが、そこに魔物がいたのかどうか教えてほしい」
ラーのオッサンは暫しの沈黙の後、静かに話し始めた。
「……魔の瘴気を放つ存在は何体かいたが、正確な数までは覚えていない。だが、恐らく、10体程度だろう。それほど多くは感じなかったからな」
「10体程か……。では、バルジさん達の中に、魔物と思わしき者がいたかどうか覚えているか?」
「ああ、あの者達か。あの者達からは魔物の瘴気は感じなかった。多分、魔物じゃないだろう」
「エンドゥラスとかいう種族の可能性は?」
「あの者達から感じたのはお主達と同じような生気だった。だから、エンドゥラスとかいう種族でもあるまい」
「そうか、ありがとう。お蔭で、だいぶ読めてきたよ」
これで必要な事は聞けた。
後は、ここから導き出される答えに対して、どうやって対応するかだ。
この事をウォーレンさん達にも言っておかねばならないし……。
まぁそれはさておき、事のついでなので、前からあった疑問について訊いておくとしよう。そしてヴァロムさんの事についても……。
「ラーさん、ついでだ。今後、こんな風に話せることはないかもしれないから、今の内に訊いておきたい事がある」
「なんだ? 言ってみよ」
「まずは、ずっと疑問に思っていた事からいこう。恐らく、ヴァロムさんもこの事を訊いた筈だ。女神イシュラナ……この女神について、ラーさんは知っているかどうかを訊きたい」
ラーのオッサンは暫し間を開けると、小さく答えてくれた。
「……我は遥か昔から存在するが、そんな女神の事などは知らぬ。……名前も聞いた事すらない」
「ありがとう……これでようやく、つっかえていたモノが1つとれたよ」
思った通りだ。
これが意味するところは1つ……。
そして、ヴァロムさんが何をしようとしてるのかも、これで大体見当がついた。
だがそれは同時に、かなり難しい事でもあるのだ。
なぜなら、ヴァロムさんがやろうとしてる事は、イシュマリア国の長い歴史を否定することだからである。それは非常に険しい道だと言わざるを得ないだろう。
ここまで深く、人々の中に浸透している女神イシュラナを否定するのは、かえって混乱を招くからだ。
(どうするつもりなのだろう。ま、ヴァロムさんはその辺の事はちゃんと考えてるだろうから、何か手は打ってあるはずだが……。まぁいい、他の事も訊いておこう)
俺は質問を続けた。
「それと、これも訊いておきたい。遺跡での一件以降、ラーさんとヴァロムさんはいつも一緒にいたが、主にどんな事をしていたんだ?」
「我は何もしてはおらぬ。我の持っている知識やできる事などを、ヴァロム殿に話しただけだ」
「え……それだけなのか?」
「ああ、それだけだ。後は、ヴァロム殿が色々と考えてやった事なので、我は関与しておらぬぞ。まぁ意見を求められることはあったがな」
「ふぅん、そうなのか」
考えてみれば、ラーのオッサンは鏡だから、そのくらいしかできる事はないのかもしれない。
まぁそれはさておき、後者の方が気になるので、それについて訊いてみる事にした。
「ところで、今、出来る事を訊かれたと言ったけど、ラーさんて真実を見破る以外に、何か出来る事があるのか?」
「まぁな」
「じゃあ、何ができるんだ?」
「我が出来る事は決まっておろう。1つは真実を晒す事、それからもう1つは……」――
Lv46 ヴィゴール( i )
[Ⅰ]
翌日の早朝、夜が明ける前に、俺達は魔導騎士達と共にゼーレ洞窟へと出発した。移動は勿論、馬と馬車で、ラティが教えてくれたあの抜け道を進む予定である。
まぁそれはさておき、ウォーレンさんとアヴェル王子が用意した魔導騎士は、昨日の打ち合わせで言っていたとおり、50名程であった。それに加えて宮廷魔導師が20名程来ている。
魔物の数と比べると少ない人数なので、ちょっと不安だが、騎士団の秘宝もあるので、そこに期待したいところだ。
話は変わるが、今回の行軍には、ウォーレンさんとミロン君に加え、ハルミアさんに扮したアヴェル王子も同行している。
やはり、秘宝を使う事になる以上、そこには責任が伴うので、アヴェル王子も同行する事となったようだ。
以上の事からもわかるとおり、ウォーレンさん達はガチでゼーレ洞窟の問題に対処するつもりなので、俺も少しホッとしているのである。
つーわけで、話を戻そう。
馬車に揺られながら、周囲に目を向けると、外はまだ夜明け前という事もあり、薄暗い世界がそこに広がっていた。草木や岩などは、シルエットのように浮かび上がって見える。
とはいえ、東の空から朝焼けの赤い雲が見えるようになってきたので、もう暫くすると、緑豊かな大地が見えるようになるだろう。
そんな風景をチラッと眺めた後、俺は馬車の中へと目を戻した。
この馬車には今、ウォーレンさんとアヴェル王子、そしてミロン君が乗っている。
ラッセルさん達は他の馬車に乗っている為、ここにはいない。ラティとボルズも今はラッセルさん達の馬車だ。
定員の関係上こういう構成になったのだが、本当のところは、ウォーレンさんとアヴェル王子が俺に色々と話を聞きたかったから、こうなったみたいである。
つーわけで、俺は今、彼等の質問に答えている最中なのであった――
「ところでコータロー、今から行くゼーレ洞窟の魔物だが、お前から見てどの程度なんだ? かなり強い魔物と聞いたから、魔導騎士達にはそれなりの武装をしてきてもらったが……」
「どの程度と言われると俺も難しいのですが……1つ言えるのは、王都近辺の魔物よりも数段上といったところでしょうか。少し具体的に言うと、ベギラマ等の魔法を駆使する奴や、打たれ強そうな巨人が多かったです。なので、スカラやルカ二、そしてラリホーやピオリム等の補助魔法と、ベホイミやキアリー等の回復魔法を組み合わせて、戦いに挑んだ方がいいでしょうね。それから勿論、イオラやヒャダルコ等の広範囲攻撃魔法も有効だと思います。とはいえ、攻撃魔法に耐性のある魔物もいると思いますので、その辺は慎重に組み合わせてゆく必要がありますが……。でも、秘宝の力もある事ですし、結構いけるんじゃないでしょうか」
戦いのドラムが本物なら、互角以上の戦いは出来る筈だ。
実際、前衛の魔導騎士達の装備は、かなり良い物であった。
先程あったウォーレンさんの話によると、魔法の鎧に鉄仮面、ドラゴンシールド、ゾンビキラーといった武具を装備しているらしい。ゲームならば中盤の後半辺りで装備してそうな武具である。
高い守備力も然ることながら、攻撃魔法のダメージ軽減やブレス攻撃のダメージ軽減も期待できるので、非常にバランスが取れた前衛装備である。
俺もゲームでは、前衛に装備させたことがある武具だ。
とはいえ、これらの装備には王家の紋章が刻み込まれているので、市販の物とはちょっと違うが……。
話は変わるが、アヴェル王子の装備する剣は、光の剣と呼ばれる物だそうだ。
金色の鍔と柄に美しい意匠が凝らされた西洋風の剣で、鍔の中心には青い水晶球みたいなのが埋め込まれていた。
もう見るからに主人公の装備品といった感じだが、ドラクエⅡでこれと同じ名前の剣が出てきたのを俺は覚えているのだ。確か、ペルポイとかいう街で売られていた剣である。
ゲームではかなり強力な剣だったので、稲妻の剣を手に入れるまで主力武器として使っていたのを覚えている。おまけに、強い光を発して相手に目晦ましをする事ができたので、意外と重宝した武器であった。
で、このアヴェル王子が所有する光の剣だが、話を聞く限りだと、Ⅱの光の剣と同じ仕様をもっているようだ。つまり、水晶に魔力を籠めると水晶球が眩く光り輝くそうである。
ちなみにだが、この光の剣はパラディンの称号を持つ魔導騎士も結構所持しているみたいなので、高級武具ではあるが、それ程珍しい装備品ではないとの事である。
つーわけで、話を戻そう。
俺の話を聞き、ウォーレンさんは眉間に皺をよせた。
「ってことは……持てる力を駆使して戦わねばならない魔物のようだな」
「ええ、油断は禁物ですよ」
と、ここで、ミロン君が恐る恐る俺に訊いてきた。
「あのぉ……コータローさん。今朝がた、ウォーレン様から初めて聞いたのですが……ゼ、ゼーレ洞窟の話は本当なのですか?」
「ああ、実際見てきた事だから間違いないよ」
「そ、そうですか」
ミロン君は少し怯えた表情になる。
強力な魔物と聞いて、かなり委縮してるみたいだ。
「おい、ミロン、ここまで来てオドオドするなよ。他の者達の士気に関わる。嘘でもいいから、普通にしていろ」
「は、はい、ウォーレン様」
「ところで、ミロン君。ここ2、3日ほど、とんと見かけなかったけど、ウォーレンさんの用事で忙しかったのかい?」
するとウォーレンさんが答えてくれた。
「俺の用事とミロンの用事とで、半々といったところかな。用事が重なったもんだから、ミロンにはかなり無理をさせてしまったよ。すまんな、父の命日なのに無理を言って」
「そんな、ウォーレン様。これも弟子として当たり前のことですよ」
どうやらミロン君のお父さんは亡くなっているようだ。
そういえば以前、ウォーレンさんはミロン君の事を友人の子供だと言っていた。
ここから察するに、それがミロン君を預かった理由なのかもしれない。
「そっか……ミロン君も大変だったんだね。ところで、昨夜の夕食の時はいなかったと思うけど、いつ帰ってきたの?」
「実は、ついさっき帰って来たばかりなのです」
「ええ、本当に? それはご苦労だね。大丈夫かい?」
「それは大丈夫です」
無理をしてるようには見えないが、本当に大丈夫なんだろうか。
睡眠不足は判断ミスにつながるから、少々不安なところである。
「なら、いいけどさ。でも、驚いたろう? 帰ってきてすぐに、この話を聞いたんだから」
「はい。まさか、そんな事になってるとは思いもしなかったので……」
「今朝も言ったが、別に無理して来なくてもよかったんぞ。色々と疲れていただろうからな。俺はそんな事でお前の評価を下げたりしない」
「いえ、流石にそれはできません。私も王都の住民として放っておけないですよ」
ミロン君も中々に正義感があるようだ。
と、ここで、アヴェル王子が会話にログインしてきた。
「それはそうとコータローさん、昨晩の打ち合わせで、まずは人に化けた親玉の魔物をどうにかしたほうがいいと仰いましたが、何かいい方法は閃きましたかね? 一晩考えてみると言ってましたんで、それを聞きたいのです」
(あちゃー……それを訊いてきたか)
実を言うと、何も閃いてなかったりする。
俺は後頭部をポリポリかきながら、正直に言った。
「いやぁ……それなんですがね。実はサッパリでして……。魔物の親玉が誰なのかは見当ついてるんですが、決め手がないんで追い詰めれないんですよね」
すると、ミロン君が驚きの声を上げた。
「え!? コ、コータローさん、今の話は本当なんですか?」
「ああ、そういや、ミロンには言ってなかったな。まぁコータローがそういうんだ。誰か知らないが、その可能性が高いんだろう」
「いや、そう言われると、俺も少し辛いんですが……」
(俺ってもしかして、ウォーレンさんから結構評価高いのか? まぁ悪い気はしないが……ちょっと後が怖い。あまり出しゃばり過ぎない方がいいか……とはいえ、この件に関しては俺が言い出しっぺだからなぁ……しゃあない、諦めよう。つか、今はそんな事よりも、どうやって親玉を炙り出すかだ)
俺は少しナーバスになりつつ、話を続けた。
「何か決定的な事でもあればいいんですが、今のところは何もありません。だから、こんな時間に出発をしてもらったわけなんですが……」
「おう、それだぜ。実を言うとな、なぜこんな時間に行くと言いだしたのか、気になってたんだ。一体何をするつもりなんだ? 事前に調査をしたいといってたが……」
「それは勿論、魔物達の計画を調べる為ですよ」
「冒険者を実験台にするとかいうやつの事か?」
「いや、それではなくて、今日の魔物達の動向を探る為です」
「そっちの方か……まぁ確かに、何の計画もなしに、こんな大それた事する筈ないからな」
「ええ。今日の魔物達の目的は、冒険者の捕獲です。となると、当然、魔物達は冒険者を殺さずに捕まえないといけないわけで……つまり、何らかの方法を用いて冒険者を捕獲しなきゃなりません。要はその手口を調べたいのです。向こうの出方が分かれば、事前に対処する事も出来ますので」
「なるほどな……という事は、アレを使って聞き込みをするのか?」
「ええ」
と、ここで、アヴェル王子が訊いてくる。
「そういえば、コータローさん……昨日、貴方が用意して欲しいと言っていた【魔法の玉】なんですが、これは何に使うのですか?」
魔法の玉……ドラクエⅢに出てきた爆弾である。懐かしいアイテムだ。
昨日の打ち合わせの時に爆弾はないかと訊ねたら、その名前が出てきたので用意してもらったのである。
「それは……調査を終えてからお話しさせてもらいます。ですが、冒険者の捕獲計画が俺の想像通りならば、使う事になるかもしれません」
「つまり、魔物達の計画次第という事ですね」
「ええ。というわけで、ゼーレ洞窟の見取り図を見せてもらっていいですか?」
「ン、見取り図か。ちょっと待ってくれ」
ウォーレンさんは丸めてあるA3サイズ程の紙を広げてくれた。
ちなみにだが、この図にある赤印がオヴェール湿原側の出入り口で、青印がロイアスの丘という場所にある出入り口だそうだ。

「見取り図で、何か気になる事でもありましたか?」と、アヴェル王子。
「いえ、そういうわけではないのですが……昨夜、訊きそびれた事がありましたのでね。まぁそれはともかく、これを見ますと、ゼーレ洞窟の入り口は2つあります。我々が今向かうオヴェール湿原側、そこから南西の方角にあるロイアスの丘に抜ける道。念の為にもう一度確認しますが、他に抜け道はないのですね?」
「ああ、それは間違いない。とはいえ、魔物が新しい道を作っていなければ、だがな」
「そうですか……。あと、このロイアスの丘ですが、昨日の話ではアレスティナ街道側になると言っておりました。そこからオヴェール湿原までどのくらいの距離があるかわかりますかね?」
ウォーレンさんは顎に手を当て思案顔になる。
「う~ん……正確な距離はわからないが、ロイアスの丘からオヴェール湿原までだと、馬でも半日近くかかるんじゃないか」
「半日ですか。結構掛かるんですね」
「険しい道を進まなきゃならないからな。ま、そのくらいはかかるだろう」
半日か……まぁ色々と考える事はあるが、後にしよう。
「そうですか。では、質問を続けます。昨晩の打ち合わせの時、アルカイム街道側からゼーレ洞窟へと向かう場合、手前に木々が密集する林があると言っておりましたが、そこの地面は
泥濘んでいたりするんですかね?」
「雨季に入るゴーザの月ならば、そうなるかもしれないが、今の時期ならば
泥濘みはない筈だ」
「それを聞いて安心しました。その林が重要になってくるので」
馬車にいる3人は首を傾げていた。
ミロン君が訊いてくる。
「林が重要? コータローさん、意味が分からないのですが……」
続いて他の2人も。
「そうだ、意味が分からんぞ。どういう事だ?」
「あの、コータローさん、それはどういう……」
「まぁそれについては、調査が終わった後、説明しますよ」――
[Ⅱ]
薄暗い中を進むにつれ、東の空から太陽が昇り始めてきた。
周囲に目を向けると、やや薄暗いながらも、朝露に濡れる草木が視界に入るようになっていた。いよいよ夜明けである。
ちなみにだが、これまでの道中、魔物との戦闘は一度も無かった。俺達が100名近い武装集団だったので、魔物も襲ってこなかったのだろう。やはり、数は力である。
それから暫く進み、抜け道のある丘に来たところで、俺はウォーレンさんに止まるよう指示を出した。
「ウォーレンさん、あの丘の前で一旦止まってください。あそこに抜け道があります」
「わかった」
続いてウォーレンさんは、馬車の車窓から顔を出し、魔導騎士達にその旨を伝えた。
【皆、あの丘の前で止まってくれ!】
魔導騎士達は指示に従い、丘の手前で進軍を止めた。
俺はそこで立ち上がる。
「では、暫くの間、皆さんはここで待っていてもらえますか。調査に行ってきますんで」
「え? 1人でか?」
「それだと心細いんで、あと1人、ラッセルさん達の中から来てもらう事にしますよ」
するとそこで、アヴェル王子が手を上げたのである。
「なら、私が行こう」
ウォーレンさんが少し慌てた様子になる。
「ハ、ハルミア殿……それは幾らなんでも不味いのでは」
「アレの力が本当なら、大丈夫だろう」
「しかしですな……」
「まぁウォーレンの言いたい事もわかる。だが、私も実際に見てみたいんだよ」
「ならば、私も」
「いや、ウォーレンはここにいてくれ。昨日、ヴァリアス将軍からもあった通り、一応、この件の統括責任者はウォーレンだ。責任者が不在になるのは何かと不味いだろう」
「ですが……」
ウォーレンさんは尚も渋っていた。
まぁウォーレンさんがこうなるのも無理はない。
つか、次期国王と目される人物が、こんな事をしちゃダメだろう。
「大丈夫だ。ではコータローさん、行こうか」
俺も流石に不味い気がしたので、言っておく事にした。
「あの、いいんですか? ハルミアさんの騎士としての力量は、私も認めるところなので有難いのですが、ゼーレ洞窟の中は魔物の巣窟です。幾らアレの力を使うとはいえ、何が起きるかわかりませんよ」
「構わん。その時はまた何か考える事にするよ。さ、それよりも、早くしないと時間がないんじゃないのかい?」
俺はウォーレンさんを見た。
ウォーレンさんはお手上げの仕草をする。
どうやら説得するのをあきらめたようだ。
「わかりました。じゃあ、行きますか」
と、ここで、ミロン君も声を上げた。
「あ、あの、コータローさん……私も行ってもいいですか。ウォーレン様の代わりにはなれませんが、少しは力になれる筈です」
有難い申し出だが、俺は頭を振った。
もうこれ以上、不安になる要素を増やしたくないからである。
リタさんの暴走の件で、流石に懲りたのだ。
「いや、いいよ。調査は2人で充分だ。あまり大勢でやるもんじゃないからね。さて、それじゃ、行くとしますかね、ハルミアさん」
「ああ、行こう」――
俺達は抜け道の洞窟前で変化の杖を使い、魔物へと変化した。
一応、変化した姿を言うと、俺が妖術師でアヴェル王子はスライムナイトだ。
そして、抜け道の洞窟へと足を踏み入れたのである。
俺とアヴェル王子はレミーラの明かりを頼りに、湿気た洞窟内を黙々と進んで行く。
進み始めて暫くすると、前方に出口の明かりが見えてくるようになった。
そして、そこには勿論、以前と同様、番人を務める2体のベレスの姿があったのである。
この様子を見る限り、どうやら、この間と同じ警備体制のようだ。俺が倒したサイクロプスやライオンヘッドの事は、バレてないか、もしくは、あまり気に止めてないのかもしれない。
と、ここで、アヴェル王子が俺に囁いた。
「コータローさん……魔物が2体います。どうしますか?」
「必要な情報を訊きだしたら、倒しましょう。ですが、あの魔物達はベギラマを使うので注意が必要です。とはいえ、この姿で不意打ちすれば、そう問題ない敵だと思いますよ」
「わかりました」
俺達はそのまま出口へと向かう。
奴等に近づいたところで、1体のベレスが口を開いた。
【誰だ! ……って、なんだ、仲間か。お前も早く、所定の位置に着いとけよ。今日は冒険者を捕獲する日だ。あまりその辺をウロウロしてると、ヴィゴール様に叱られるぞ】
俺はフレンドリーに返事をした。
「ご苦労さん。ところで、今日の捕獲なんだけど、それについて何か聞いてるか? 俺達、応援で来たから、細かい事は聞いてないんだ」
【応援なのか? それは初耳だな。まぁいいや、教えてやるよ。今日の捕獲は簡単だぜ。洞窟内へ冒険者共を誘き寄せるだけだからな】
どうやら俺の予想は当たりのようだ。
「やっぱりか。俺もそんな気がしてたんだよ。洞窟の奥にある大きめの空洞に誘き寄せさえすれば、もう逃げ道ないもんな」
【そうそう、あの空洞へ行きさえすれば、もう冒険者達に逃げ道は無いぜ、ケケケ。ヴィゴール様の話じゃ、冒険者の数は200名以上らしいからな。そこがそのまま、素材の保管庫になるってわけだ】
やはり、洞窟の奥にある空洞へと冒険者を誘い込む算段のようである。
「でも、どうやって誘い込むんだ。その辺の事を何か聞いてるか?」
【ケケケ、冒険者の中に紛れている仲間が案内するから簡単だろ。それに他の仲間達は今、別の空洞で待機して潜んでいるから、奴等も油断してホイホイ中に入ってくるだろうぜ】
「なるほどな。要するに、洞窟内に冒険者達が入っても、俺達と遭遇する事はないって事か」
【ああ、そうだ。ケケケケ】
「て、事はさ、外にいたトロルやサイクロプスなんかも皆、洞窟内に潜んでいるのか?」
【ケケケ、そうだぜ。仲間の姿を見たら、警戒して入ってこないかもしれないからな。しかし、儀式の素材として保管するのもいいけどよ、俺達にも少しは食料として分けてほしいぜ。この国の奴等は中々旨いからな、ジュルルル】
ベレスはそう言って、舌舐めずりをした。
お蔭で、胸糞悪くなってきたのは言うまでもない。
このクラスの魔物からすると、俺達は食料としてしか認識されてないのかもしれない。
まぁそれはさておき、今の話を要約すると、内外にいる魔物の殆どは、洞窟内部で姿を隠していると見てよさそうである。これは良い話を聞けた。
さて、もうこいつ等に用はない。後続部隊が来やすいように、ここで倒しておくとしよう。
俺はアヴェル王子に視線を向け、ゆっくりと首を縦に振った。
アヴェル王子も頷き返す。
そして、俺達は行動を開始したのである。
「そうか。ところでさ、そんなにベラベラと機密事項を喋ってもいいのかい」
【は? 何言ってんだオメェ?】
ベレスは首を傾げる。
俺は魔光の剣を手に取り、魔力を込めた。
見慣れたライトセーバーの如き、光の刃が出現する。
アヴェル王子も同時に剣を抜いた。
2体のベレスは目を大きく見開く。
【なッ!? 何だテメェ等! 仲間に刃を向けるのか】
「仲間? いや、俺はお前等の仲間じゃないよ。冒険者さ。つーわけで、悪いな」
【何だってェェ!】
俺は1体のベレスに向かい、魔光の剣を横に薙いだ。
【グギャァァ】
奴の胸元から黒い血が飛び散る。
その直後、奴の胸と下の胴は綺麗に切り離され、積木が崩れるかの如く、地面に転がったのである。
魔力は結構使うが、相も変わらず、恐ろしいほどの切れ味である。
同じくしてアヴェル王子も、片方のベレスに火炎斬りを見舞った。
【ウゲェェ】
意表を突いた攻撃だったので、縦と横にベレスは連撃を受け、地面に倒れこむ。
そして止めとばかりに、アヴェル王子はベレスの心臓に剣を突き立てたのである。
俺達の完勝であった。
アヴェル王子は剣を鞘に戻すと、俺に視線を向けた。
「流石ですね、コータローさん。一撃で葬るとは」
「いやいや、アヴェル王子こそ。俺のは我流剣術なのでアレですが、やはり、正規の剣術を習った方の太刀筋は凄いです」
これは正直な感想であった。
構えから剣を振るうまでの動作が、堂に入っているからである。
今の俺では真似できない領域だ。
「それに、その火炎斬りという魔法剣も結構凄いですよね。どうやってやってるんですか?」
これは正直、よくが分からない剣技であった。
無詠唱でこの現象が起きているので、原理がわからんのである。
俺も何度か試しては見たのだが、この魔法剣はまだ習得できてないのだ。
「ああ、火炎斬りですか。これは、少し難しい剣技なんですが、コツさえ覚えれば結構簡単にできますよ」
「え? そうなんですか?」
「火炎斬りは魔導騎士の代表的な剣技の1つなんですが、コツとしては、メラの発動直前の魔力を自身の中で作り上げた後、剣に流し込む要領で出来る筈です。ですから、メラを使える剣士なら、ある程度修練を積めばできると思いますよ」
「つまり、メラを唱えた後に起きる魔力の変化を、自分の意思できなければ、使えないという事ですね」
「ええ、仰る通りです」
なるほど、それがコツか。
メラは何度も唱えた事あるから、どういう魔力変化を辿るのかは理解できる。
ついでだし、今此処でやってみるか。
というわけで、俺はメラ発動直前の魔力変化を体内で生成した後、魔光の剣へ魔力を送り込んだ。
するとその直後、なんと、赤い光の刃が出現したのである。

それはまるで、シスの暗○卿が所持するライトセーバーのようであった。
「おわッ、なんじゃこりゃ! シスのライトセーバーみたいやんけ」
「は? し、しすのらいとせーばー? なんですかそれ?」
アヴェル王子は少し困惑した表情を浮かべていた。
これは仕方ないだろう。
だって……遠い昔、遥か彼方の銀河系であった物語を知らないのだから……。
「ああ、コッチの話です。それより、これで成功なんですかね……火炎というより、赤い刃なんすけど」
「さ、さぁ、それはなんとも……ですが、熱気を感じるんで、成功かも知れませんよ」
確かに熱気は感じる。
つーわけで、俺はその辺の岩に試し斬りをした。
すると、黒い焦げ目のついた切り口が、岩に残ったのである。
見るからに焼き切ったという感じだ。
「焦げ目がついてるって事は、どうやら成功みたいですね。フム……これは使えそうです。魔力消費もそこそこ抑えれますし」
「そのようですね。それはそうとコータローさん、そろそろ行きませんか?」
「ああ、すいません。余計な時間を食ってしまいましたね。では行きましょう」
「ええ」
というわけで、予想外にも、こんな所で火炎斬りを修得する事ができたのであった。世の中わからんもんである。
[Ⅲ]
抜け道の洞窟を出た俺とアヴェル王子は、その先に広がるオヴェール湿原を進み、ゼーレ洞窟へと向かった。
その際、周囲を確認したが、ベレスが言っていたとおり、魔物の姿は殆どなかった。見掛けたのはヘルバイパーくらいだ。
この様子だと、ベレスが言っていたように、多くの魔物は、洞窟内の待機場所で冒険者達を待ち受けているのだろう。
そんなオヴェール湿原を暫く進み、目的地であるゼーレ洞窟へやって来た俺達は、周囲を少し確認した後、中へと足を踏み入れた。
ちなみにだが、門番のミニデーモンは入口にいなかった。
多分、ミニデーモン達も洞窟内で待機してるのだろう。
(しかし……これだけ魔物がいないと、冒険者達は油断するかもな。敵ながら、よく考えたもんだ……って、感心してる場合じゃないな。まずは魔物の待機してる場所を探さないと……)
と、そこで、アヴェル王子が俺に耳打ちをしてきた。
「コータローさん、洞窟内の構造って覚えてますか?」
「まぁなんとなくですが……」
「そうですか。ではコータローさんにお任せします。好きなように進んでください。俺はそれに続きますから」
「わかりました。では、ついて来てください」
つーわけで、俺はまず、儀式が行われていた大空洞へと向かうことにしたのである。
大空洞には数名のエンドゥラスとシャーマンの姿があった。
奴等は今、何かを片づけている最中のようだ。
と、そこで、エンドゥラスの1人が俺達に目を向け、声をかけてきたのである。
【おお、丁度良いところにいた。お前達、コレを物置となっている空洞に運んでおいてくれないか】
声をかけてきたのはジェバという名のエンドゥラスであった。
まぁそれはさておき、俺達はジェバが指差している物体に目を向けた。
するとそれは、グアル・カーマの儀式で使われていたと思われる、奇妙な模様が描かれた壺であった。
数は全部で4つ。大き目の花瓶くらいあるので、何回か往復しないといけないが、俺達2人でなんとか運べそうな感じだ。
「その壺を物置の空洞に運ぶのですか?」
【ああ、そうだ。じゃあ、頼んだぞ】
ジェバはそれだけを告げ、この場から立ち去った。
俺はアヴェル王子に耳打ちをした。
「今は言われた通りの事をしておきましょう」
「ですね」――
俺とアヴェル王子は壺を抱え、この間出入りした物置の空洞へと向かった。
程なくして物置の空洞にやってきた俺達は、とりあえず、そこで周囲を見回した。
すると、沢山の魔導器が所狭しと置かれた雑然とした様相と、それらを整理するシャーマン達の姿が視界に入ってきたのである。
(どうやら、あのシャーマン達は整理整頓してるみたいだな。さて……どこに壺を置いとこうか……ま、いいや、その辺に置いとくか)
つーわけで、俺は適当に壺をその辺に置いた。
「これ、ここに置いときますね」
だがそこで、俺達に向かい激が飛んできたのである。
【オイッ、何をしているッ! ソレをそんな所に置くなッ!】
激を飛ばしたのは整頓中のシャーマンであった。
俺はとりあえず、謝っておいた。
「すいません……ここに置いては不味かったですか? 最近ここに来たので、何も知らないんです」
【なんだ、新入りか……仕方ない。ついでだから教えといてやる。この壺に入っている魂の錬成薬はな、ヴィゴール様が嫌う液体なのだ。この液体がヴィゴール様に掛かった日にゃ、ヴィゴール様に何されるかわからんぞ。命が惜しくば、取り扱いには十分注意する事だな】
「ヴィゴール様が嫌う? どうしてですか?」
【お前、何も知らないんだな……。ヴィゴール様はグァル・カーマの法が成功された御方だから、この液体を浴びてしまうと、上手く行った魂の融合が不完全なモノになってしまうんだよ。だからだ】
「そ、それは本当なのですか?」
今の話が事実なら無視できない事である。
【嘘を言ってどうする】
「ところで今、不完全なモノと仰いましたが、実際にはどんなことが起きるのですか?」
【実際にか? そうだな……ヴィゴール様の場合だと、魔物としての魂の方が強いだろうから、魔物の姿に固定されてしまうんじゃないか。多分、そうなるだろう。そうなったら最後、また一からやり直しだ。そんな失態をした日にゃ、命はないぞ】
「今の言葉忘れないようにします。ところでなんですが、この液体を普通の魔物や人が浴びるとどうなるんですか?」
【は? なにも起こらないに決まっているだろ。影響があるのは、魂を融合した者だけだ】
「そうなのですか。なるほど」
【まぁそれはともかく、命が惜しいなら、今言った事は肝に銘じておく事だな】
シャーマンはそれだけ告げると、整理整頓を再開した。
そして俺はというと、今の話を脳内で復唱しながら、心の中で、静かにほくそ笑んだのである――
その後、俺とアヴェル王子は魔物の待機場所等を確認したところで、来た道を戻り、ウォーレンさん達の所へと帰ってきた。
俺達は早速、ウォーレンさんに報告した。
ちなみにだが、俺はそこで、自分の考えや今後の展望等も話しておいた。
2人は俺の提案に少し怪訝な表情を浮かべたが、事情が事情なので、やむを得ないという決断を下してくれた。
そして、話が粗方纏まったところで、俺達は抜け道を通り、オヴェール湿原へと向かったのである。
[Ⅳ]
オヴェール湿原を進み、ゼーレ洞窟の近くにある林へとやってきたところで、俺達は進軍を止めた。
ウォーレンさんとアヴェル王子は、先程の打ち合わせ通り、魔導騎士と宮廷魔導師に指示を出し、所定の位置に人員を配置した。
そして、それらを終えた後、俺達は暫くの間、この林の中で待機となるのである。
俺はその辺にある大き目の石に腰を降ろし、空を見上げた。
太陽の位置を見る限り、今はお昼前といったところだろうか。
周囲の林に目を向けると、密集する背の高い木々と、歪んだ線のように見える細い砂利道が視界に入ってきた。
この細い道だと、馬車同士の擦れ違いは無理だろう。それ程に窮屈な道だ。
また、ウォーレンさんの言っていたとおり、この林は密集した雑木林といった風であった。
思った以上に木々が密集してるので、これは嬉しい誤算といえた。この地形ならば、俺達に有利に作用してくれそうだからである。
つーわけで、後は冒険者御一行が来るのを待つだけだ。
(バルジさん達の出発は、イシュラナの鐘が鳴る頃だから、もう少しで来る筈だ。いよいよだな……ぶっつけ本番だから不安だが、もうやるしかないだろう)
俺がそんな事を考えていると、アヴェル王子がこちらにやって来た。
「コータローさん、今になってこんな事を訊くのもなんですが、勝算はどんなものですか?」
「勝算ですか……まぁ、あると言えばありますが、こういった勝負事というのは、時の運もありますので、確実に勝てるとはなかなか言えません。ですが、現時点で出来ることはやったつもりです。後は天にまかせましょう。人事を尽くして、天命を待つってやつです」
「ジンジ……テンメイを待つ? 何ですかそれは?」
「俺の生まれ故郷にある諺ですよ。人として出来るだけの事をしたら、後は、天の意思に任せるという意味合いの言葉です」
「ああ、そういう事ですか。何か、哲学的なモノを感じる言葉ですね」
と、そこで、ラティとボルズが俺の所にやってきた。
「なぁコータロー、ここで、冒険者が来るの待つって聞いたけど、何で待つんや? 今から何かあんの?」
「おい、アンタ、今から一体何をするつもりなんだ? 魔物がいるのはゼーレ洞窟なんだろう? なんでここで、兄貴達を待たなきゃならないんだ?」
ラティとボルズはわけが分からないといった風であった。
理解してないようなので、軽く説明しとこう。
「ここで彼等を待つ理由は1つです。冒険者が来ない事には話が進まないからですよ」
「話が進まない? なんでだ」
「それは勿論……ン? おや、来ましたね」
ラティとボルズは俺の視線の先を追った。
「あ、ホンマや」
「フゥゥ……兄貴とこんな所で顔を合わす事になるとはな……」
「さて、それじゃあ、待機の時間は終了です。こっから本番なので気を引き締めてください。多分、戦闘は避けられないと思いますんで」
俺の言葉を聞き、ボルズは息を飲んだ。
「せ、戦闘って……どういう事だよ。なんで、冒険者同士で」
「時が来ればわかります」――
それから程なくして、冒険者御一行は俺達の前へとやって来た。
総勢200名以上の討伐隊なので、それはもう結構な団体さんである。
まぁそれはさておき、討伐隊は俺達が進路上にいた為、少し手前で進軍を止めた。
そして、先頭にいるバルジさん達のパーティが馬から降り、俺達の方へとやって来たのである。
まずバルジさんが口を開いた。
「魔導騎士団に宮廷魔導師……そしてラッセル達やボルズまで……これは一体、どういう事なのですかな」
俺が前に出て、彼等に説明をした。
「それは勿論、このまま貴方がたを、あの洞窟へ進ませるわけにはいかないからですよ」
「貴方はコータローさんだったか。一体どういうつもりなんだ? この間もラッセル達をそそのかして洞窟の調査に出かけたみたいだが、コレも貴方の仕業か?」
「まぁ実際は少し複雑なのですが、一応、そうだと言っておきましょう」
「一体、何なんだ貴方は……魔導騎士や宮廷魔導師まで連れてきて……。昨日の件に関しては俺の見解は伝えた筈だ。なぜこうまでして、あの洞窟に行くのを阻止しようとする」
「それは勿論、貴方がたを無駄死にさせたくないからですよ。このまま進めば、貴方がたは二度と、王都に帰る事が出来なくなるからです」
俺がこれを告げた直後、冒険者達はざわつき始めた。
ざわ、ざわ、ざわ……てなもんだ。
バルジさんは続ける。
「言ってはなんだが、俺達は王都でも有数の冒険者だ。それでも討伐は無理だというのか?」
「はい、無理です。なぜなら、魔物はバルジさんが考えている以上に強大だからです」
と、ここで、ゴランが怒りの表情で話に入ってきた。
「おい、いい加減にしろよ。何の根拠があってそういうんだ。冒険者の男達が死ぬところを見て、ビビッて帰ってきた腰抜けの癖に、えらそうな事ぬかすなよ!」
「貴方の仰る通りです。我々は冒険者達の死に様を見て恐怖しました。ある意味で、それは正解ですよ」
「コイツ、自分から腰抜けを宣言しやがった。皆、こんな奴の言う事なんか無視しろよ。ラッセル達は、ただの臆病者なんだからな」
「き、貴様!」
ラッセルさんは拳を握りしめる。流石に頭に来たようだ。
俺はラッセルさんを宥めた。
「まぁまぁ、ラッセルさん。言わせてやりましょう。さて、では、そろそろ本題に入るとしましょうかね」
するとバルジさんは首を傾げた。
「本題? どういう意味だ」
「そのままの意味ですよ。さて……ゴランさんでしたっけ。実を言うとですね、昨日からずっと、貴方に訊きたかった事があったんです」
「は? 訊きたい事? 臆病者が俺に何を訊きたいって言うんだ?」
「貴方……昨日もそうですが、今も、『冒険者の男達が死ぬところを見て、ビビって帰ってきた』と仰いました。俺はその言葉がですね、昨日からずっと引っ掛かってしょうがないんですよ」
ゴランは馬鹿にしたように笑い声をあげた。
「ハハハ、何が引っ掛かるって言うんだ? 実際、ビビッて帰って来たんだろ。お前が今、自分で認めたじゃねェか」
俺も笑いながら言ってやった。
「あははは……可笑しいですね。でも、俺が気になってるのはソコじゃないですよ。なぜ、死んだ冒険者が男だと断言できるのかが、引っ掛かっているんです」
「……」
俺の言葉を聞き、ゴランは真顔になった。
わかりやすい反応である。
俺は話を続けた。
「確かにこの間、俺達が目にしたのは、冒険者の男2人が儀式によって死ぬところでした。ですが、あの時も今も、ラッセルさんや他の皆は、冒険者の性別までは言及してないんですよ。あの後、ルイーダさんにも確認しましたが、疾走した冒険者パーティは男の比率が確かに多かったですが、女性の方もそれなりにいました。にもかかわらず、どうして死んだ冒険者が男と断言できたのかが、ずっと引っ掛かっていたんです。というわけでゴランさん、この疑問について、納得のいく説明をしてもらえないでしょうかね?」
俺達の間に無言の時が過ぎてゆく。
ここにいる者達は全員、ゴランへと視線が集まっていた。
バルジさん達も俺の話を聞き、言葉少なであった。今の話で、少しは疑念を抱いたのだろう。
程なくして、ゴランの笑い飛ばす声が聞こえてきた。
「ハハハ、突然、何を言い出すのかと思えば……。そんなもん、俺がそう思ったからに決まってんだろ。だからなんだってんだ!」
「残念ですが、それでは納得できませんね。俺はね、貴方が実際に見ていたから、そう言ったんだと思ってるんですよ」
「み、見ているわけないだろ。俺の事を魔物だとでも思っているんじゃないだろうな」
俺は即答した。
「ええ、思ってます。貴方は魔物だと」
「な、なんだとッ! テメェ!」
ゴランの表情に、少し焦りのようなモノが見え隠れしてきた。余裕がない感じだ。
というわけで、頃合いと見た俺は、そこで次の一手を打つことにしたのである。
「ハルミア殿。申し訳ございませんが、あの壺を持ってきていただけるでしょうか?」
「コレですね。どうぞ」
アヴェル王子は奇妙な模様が描かれた壺を持ってくると、地面の上に置いた。
ちなみにこれは、魂の錬成薬が入っていた壺である。
俺は壺の前に行き、ゴランに告げた。
「さて、ここにあるこの壺……この中にはですね、ある魔物にとって非常に都合の悪いモノが入っております。貴方がこの壺の中にある液体を身体にかけれたならば、俺は貴方を人として信用する事にしますよ」
ゴランは壺を見るなり、生唾を飲み込んだ。
表情も素に戻っている状態だ。
「どうしました? この壺の液体を身体にかけるだけで疑いは晴れますよ。やらないんですか?」
するとゴランは額に青筋を浮かべ、俺に食って掛かってきたのである。
「な、何を言ってやがるッ! 俺が魔物だとッ。いい加減な事言うんじゃねぇよ。テメェだって魔物かも知れないじゃないかッ! やるんならテメェが先にやれ!」
「わかりました。では俺が先にやりましょう」
俺は壺の中にある液体を手で掬い、頭に掛けた。
当然、変化なしである。
「さ、では貴方の番です。こちらに来てください」
「うぐ……」
ゴランは重い足取りで、壺の前へとやって来た。
壺を見詰めながら、ゴランは暫し無言で立ち尽くす。
「どうしました、やらないのですか? できないのなら、貴方は魔物って事になりますよ」
忌々しいといった表情で、ゴランは俺を睨み付ける。
と、その直後であった。
ゴランは壺を蹴り倒し、液体を地面にぶちまけたのである。
「馬鹿馬鹿しい! こんな事やってられるかよッ! おい、バルジッ、こんな奴等、無視して早くゼーレ洞窟に行こうぜ。付き合ってられねェよ」
「しかしだな……お前……」
バルジさんは困惑した表情を浮かべていた。
流石に怪しく思ったのだろう。
まぁそれはさておき、俺はそこでネタをバラす事にした。
「あららら、あけちゃいましたね。でも安心してください、ゴランさん。貴方のその行動は、想定済みです。良い事教えましょう。その壺の中に入っている液体ですが、実は……ただの水なんですよ」
「な、何!」
ゴランは俺に振り向く。
俺はそこで、懐から深紫色の小瓶を取り出し、蓋を開けた。
そして、奴に向かい、俺はその小瓶を投げつけたのである。
「で、これが本物の液体です!」
中の液体が奴の顔に降りかかる。
ゴランは両手で顔を覆い、苦悶の声を上げた。
【グアァァァァ!】
それと同時に、ゴランの身体も徐々に巨大化してゆく。
すると程なくしてゴランは、鬼棍棒やギガデーモンを思わせる巨大な魔物へと変貌を遂げたのである。
(やはり、コイツがヴィゴールだったか)
ゴランの正体を見たバルジさんや他の冒険者達は、目を見開き、驚愕の表情を浮かべていた。
それはアヴェル王子やウォーレンさんにしても同様であった。
やはり、少しは半信半疑だったのだろう。
と、その時、地の底から響くような低い声が、辺りに響き渡ったのである。
【クックックッ……よくぞ、我が正体を見破った。だが、見られた以上、お前達は生かしておけぬ。皆殺しよ。正体を見破った事を後悔させてやる。覚悟するがいい! 我が名はヴィゴール。アヴェラス公の片腕たる我が力を見せてやろうぞッ!】
Lv47 魔王クラスの魔物
[Ⅰ]
【我が名はヴィゴール。アヴェラス公の片腕たる我が力を見せてやろうぞ】
ヴィゴールは馬鹿デカい身体を震わせ、天に向かい、大きな咆哮を上げた。
【グォォォォォォォォン! グォォォォォォォン!】
野鳥の飛び立つバタバタとした羽音が、至る所から聞こえてくる。
サイクロプスやトロルよりも大きな身体であるヴィゴールの咆哮は、それはもう凄まじい迫力であった。
恐らく、今の咆哮で、縮こまった者もいるに違いない。
【者共! 姿を解け! この愚かな蛆虫共に地獄を見せてやれッ】
するとその直後、冒険者達の中に黒い霧を発生させる集団が現れたのである。
数にして20名程であった。
(他の魔物達も動きだしたな……。しかし、これだけの魔物が冒険者達の中に紛れていたとは……)
程なくして黒い霧は晴れる。
そこから姿を現したのは、ベレスにレッサーデーモンにホークマン、そしてゴールドオークにハンババといった魔物達であった。
トロルやサイクロプス程ではないが、それに次ぐ強さを持った魔物達である。
冒険者達から大きな叫び声が上がる。
「なッ!? 俺達の中にも魔物がいたのか、クソッ!」
「お前達まで魔物だったのか! おのれ!」
「嘘でしょ!? なんで貴方達まで!」
この反応は無理もない。驚愕の事実というやつだし。
と、そこで、ヴィゴールがホークマンに指示を出した。
【その方、ゼーレ洞窟に行き、同胞達に伝えよ! 捕獲は中止だとなッ。ここへ来て、共に、この蛆虫共を殲滅せよと伝えるのだッ】
【ハッ、ヴィゴール様ッ】
ホークマンはヴィゴールに一礼すると、空高く舞い上がった。
そして、ゼーレ洞窟の方角へと飛んで行ったのである。
俺はそこでウォーレンさんに指示をした。
「ウォーレンさんッ、向こうに合図を送ってください。例の水際作戦を実行しますッ!」
「お、おう、わかった」
ウォーレンさんは宮廷魔導師の1人に告げる。
「狼煙を上げてくれッ」
「ハッ!」
宮廷魔導師の1人が筒状の物を地面におき、下から伸びた導火線みたいなモノに火をつける。
するとその直後、【ドォォン】という大きな音が響き渡ると共に、筒から何かが打ちあがり、上空で花火の如く炸裂したのであった。
(この林からゼーレ洞窟まで、凡そ1Km……。それ程離れてないから、恐らく、これで気付いてくれる筈だ。後は……ヴィゴールと他の魔物を早目に倒すのみ。どんな力を持っているのか未知数の部分はあるが、幾ら強大な力を持つ魔物といえど、絶対という言葉はない……)
俺はそこで、アヴェル王子とウォーレンさんに視線を向けた。
「では打ち合わせ通り、行きましょう」
2人は頷く。
まずウォーレンさんが宮廷魔導師に指示を出した。
「魔導師隊第1班に命ずる! 前衛の魔導騎士にスカラを唱えて守備力の強化をせよッ。第2班はピオリムにて我々の素早さ向上を行うのだ」
宮廷魔導師達は即座に作業に掛かった。
俺も自分自身にスカラを2度掛けしておいた。
続いてアヴェル王子が指示を出す。
「守備力と素早さを強化された前衛担当の魔導騎士は、木々に紛れ込み、あの魔物を取り囲むのだ。そして後方担当は、秘宝を打ち鳴らせッ!」
【ハッ】
魔法でステータス強化をされた魔導騎士から順に、林に散らばって、ヴィゴールを包囲し始める。
それと共に【ドン、ドン、ドン】というドラムを打ち鳴らす、低い音が聞こえてきたのである。
ちなみにだが、戦いのドラムのビジュアルは、青地に金の装飾が施された太鼓であった。
マーチングドラムのように肩掛けタイプの物であり、大きさは大人一抱えくらいといったところだ。
側面には古代リュビスト文字と思わしきモノや、幾何学な模様がビッシリと彫りこまれており、奏者が打ち鳴らすたびに、それらの文字や模様が光り輝くのである。まさしく、魔法の楽器といった感じだ。
で、効果の程だが、それは不思議な音であった。
ドラムから発せられる音や振動が体に伝わるに従い、身体の奥底から力が湧いてくるような感覚があるのだ。これは、凄い効能であった。……震えるぞハ○ト……燃え尽きるほど○ート……刻むぞ、血液のビートってなもんである。
とまぁそんな事はさておき、ここまでは打ち合わせ通りだ。
ヴィゴールは騎士団と宮廷魔導師にお願いするとして、他の魔物は冒険者達でなんとかしてもらうとしよう。
つーわけで、俺はラッセルさんにお願いをした。
「ラッセルさん、バルジさん達と共に他の魔物共の掃討をお願いできますか? 親玉の方は魔導騎士団と宮廷魔導師達で対応してもらいますんで」
「わかりました。よし、行くぞ、皆!」
マチルダさんとシーマさん、それからリタさんは意を決した表情で頷き、武器を手に取った。が、ボルズはドンヨリとした表情をしていたのだ。
明らかに、ビビっているといった表情であった。
そこでラッセルさんは大きな声を上げる。
「おい、ボルズッ! お前もだッ。覚悟を決めろ。行くぞ!」
「わ、わかったよ」
ボルズは少し不安そうな表情ではあったが、そこで剣を抜く。
そして、この場にいる全員が、魔物との戦闘に入ったのである。
準備が整ったところでアヴェル王子の大きな声が響き渡る。
「前衛の魔導騎士は魔法剣による攻撃を開始せよ!」
続いてウォーレンさんの声も聞こえてきた。
「第1班は引き続き、魔導騎士全員にスカラを掛け続けよ! 2班は負傷した騎士の回復と、隙を見て攻撃魔法を放て!」
2人の指示通り、魔導騎士と宮廷魔導師達は行動を開始した。
前衛魔導騎士20名以上の火炎斬りがヴィゴールに振るわれる。
「でやッ!」
「ハッ!」
「セイッ!」
ヴィゴールの身体に刃が食い込む。
だがしかし、ヴィゴールは意にかえした素振りも無く、平然としていたのである。
ヴィゴールはニヤリと嫌らしい笑みを浮かべると口を開いた。
【グハハハッ、その程度の攻撃なんぞ、痛くもかゆくもないわ!】
その刹那、ヴィゴールは巨体に似合わぬ動きを見せる。
魔導騎士がいる一画へと一気に間合いを詰め、5m以上は優にある馬鹿でかい棍棒を軽々と振るったのだ。
奴の棍棒は、周囲に密集している木々をへし折りながら、魔導騎士達へと襲い掛かる。
「グワァ」
「ゴフッ」
その攻撃により、6人程の魔導騎士が吹っ飛んだ。が、魔導騎士達は今の攻撃を受けた後、すぐに立ち上がり、ヴィゴールと間合いを取ったのである。
あの様子だと、まだまだ戦えそうだ。
ヴィゴールの忌々しそうな声が聞こえてくる。
【チッ……生きているとはな。木で勢いを殺されたか】
ここを戦場にして正解だったようだ。
そう……この林の木々は動かないが、俺達の味方なのだ。
あの巨体にあの武器だから、これだけ木々が密集していれば奴は全力で戦えないだろう。
おまけに、これだけの木が見えていたら、無意識のうちに力をセーブしてしまう筈。
それだけじゃない。この木々に騎士達が隠れる事も出来るので、巨漢である奴との戦闘に限っては、俺達に有利に働くのである。
とはいえ、戦いは始まったばかりだ。油断はできない。
「ハッ」
「セヤァ!」
魔導騎士達は手を休めず、ヴィゴールへ攻撃を続ける。
少しづつではあるが、ヴィゴールの身体から黒い血が滴ってきていた。
だが、かすり傷程度だったので、あまり大きなダメージは与えれてないようだ。ここだけは誤算であった。
(まさか、これほど打たれ強いとは……。ゾンビキラーを装備する魔導騎士にバイキルト掛けたにも拘らず、これかよ。一体、守備力幾つなんだ……ちょっとヤバいかも……)
ヴィゴールがイライラとした様子で口を開いた。
【ええいッ、ちょこまかと、うるさい蝿共め!】
ヴィゴールは尚も、木を薙ぎ倒しながら棍棒を振るう。
先程と同じように、魔導騎士は吹っ飛ばされる。が、すぐに立ち上がり、魔導騎士達は間合いを保ちながら武器を構える。続いて、宮廷魔導師達の回復魔法が彼等に降り注ぐのである。
ここで、ヴィゴールが悪態を吐いた。
【クッ……この忌々しい木めッ!】
(とりあえず、こうやって少しづつダメージを与え続けるしかないか。しかし……思った通り、とんでもない力を持つ、パワー型の魔物だな。正直ここまでとは思わなかった。こんなのが自由に力振るえる状態だったら、幾ら魔導騎士達でも太刀打ちできんぞ……)
と、ここで、宮廷魔導師隊第2班の攻撃魔法が放たれた。
「メラミ」
「イオラ」
「メラミ」
「ルカニ」
「ヒャダルコ」
「ベギラマ」
中級クラスの魔法が、ヴィゴールに幾つも直撃する。
だがしかし……奴は雨あられのように降り注ぐ魔法攻撃を受けながら、ニタニタと笑みをこぼしていたのである。
【クハハハッ、この姿になった我を舐めるなよ。その程度の魔法なんぞ、まったく効かぬわ。ククククッ、良いだろう。ひ弱な貴様らにひとつ、魔法の手本というものを見せてやろう。我が最強の爆炎魔法を受けるがいい!】
ヴィゴールはそう告げるや否や、祈りを捧げるかのように胸元で両手を組む。
組んだ手に魔力が集まり、真っ赤な光を帯び始めた。
と、次の瞬間、ヴィゴールは両手を大きく広げ、赤い光のアーチを自身の前に創り上げると共に、呪文を唱えたのであった。
―― 【ベギラゴン!】 ――
その刹那!
赤い光のアーチから、恐ろしいほどの火力を持った爆炎が、扇状に燃え広がったのである。
奴の正面にいた前衛の魔導騎士達は、ベギラゴンの爆炎が直撃し、吹っ飛ばされる。
それと同時に、魔導騎士達の苦悶の声が林に響き渡ったのであった。
「グアァァァ」
「ウワァァァ」
「ガァァ」
直撃を受けた魔導騎士10数名は片膝を付き、ゼーゼーと肩で息をしていた。
また、彼等の装備する鎧には黒い焦げ跡が幾つも出来ており、そこからプスプスと煙が立ち昇っていたのである。
今の攻撃で死んだ者はいないが、これを見る限り、相当なダメージを受けたのは間違いないようだ。
幾ら魔法の鎧を装備しているとはいえ、ベギラゴンクラスの魔法だと、そこまで軽減できなかったのだろう。
と、そこで、ベギラゴンの威力を目の当たりにした宮廷魔導師の1人が弱々しく呟いた。
「な、なんだ、い、今の魔法は……。あんな恐ろしいほどの威力を持った魔法、み、見た事も聞いた事もないぞ……」
イシュマリアで確認されている魔法に、ベギラゴンはなかった筈だから、こう考えるのも無理はないだろう。
まぁそれはさておき、まさか、ベギラゴンを使えるとは……。
奴の姿を見て、2回目バルザックとギガデーモンを基準に考えた俺が甘かったようだ。
つーか、パワー型の魔物なのに、一級品の魔法も使えるなんて駄目だろ……。
ふとそんな事を考えていると、ここでラーのオッサンが小さく囁いてきた。
「おい、コータロー……はっきり言おう。逃げた方がいい。この魔物から放たれる魔の瘴気は、その辺の雑魚とわけが違う。魔の世界最下層でもかなりの魔物だ。ある種の魔王級といえる。コイツは危険な魔物だ」
周囲に注意しながら俺は小さく答えた。
「んな事を言ったって、ここで俺だけが逃亡するわけにいくかよ。つか、何か良い手はないか? ラーさん、物知りだから、何か知ってるだろ?」
「そんな事、我が知っているわけないだろう」
「ああもう、何でもいいから、何か思いついた事あったら言ってくれ」
「思いつく事と言われてもな……ン? そういえば……」
「な、何だ?」
「もしやすると、あの魔法ならば効果があるやもしれん」
「あの魔法って?」
「……デイン系の魔法だ。あの魔法に耐性もつ魔物はそんなにいなかった気がするからな。ライデインを試してみたらどうだ?」
「デ、デイン系か……使いたくないなぁ。使ったら、ヴァロムさんの計画に支障が出るよ」
と、そこで、ウォーレンさんの大きな声が聞こえてきた。
【魔導師隊、1班と2班は急ぎ、魔導騎士の治療を開始しろ! ボヤボヤするな!】
【は、はい】
宮廷魔導師達はベホイミを使い、ベギラゴンで負傷した魔導騎士を治療してゆく。
そしてウォーレンさんはというと、杖をヴィゴールに向け、呪文を唱えたのであった。
【マホトーン】
ウォーレンさんの杖から黄色い光が放たれる。
光の玉は奴に直撃すると、霧となって周囲を覆い始めた。が、しかし、奴は【フンッ】と魔力を身体から放出し、魔法封じの霧を振り払ったのである。
ヴィゴールは不敵に微笑むと口を開いた。
【ククククッ、先程の言葉を聞いてなかったのか? 我の身体に、貴様等程度の魔法は通じんのだ】
「チッ」
ウォーレンさんは舌打ちすると、俺の所にやって来た。
ついでにミロン君も。
「おい、コータロー……何か良い手はあるか? 秘宝を使っているにも拘らず、奴はピンピンしている。こんな化物だとは思わなかったぞ」
「コ、コータローさん。あの魔物、強すぎますよ」
「それは同意ですが、今のところ、このままの戦い方を続けるしか手はありません。ですが、1つだけ試してみたい事があります」
「試す? 何をだ?」
(デイン系は最終手段だ……まずはコイツを試そう。最高出力で振るうのが前提だが……魔導騎士の振るうゾンビキラーでの傷跡を見る限り、なんとなく行けそうな気がする……)
つーわけで、俺はそこで魔光の剣を手に取った。
「コレを使って、奴にどれだけの傷を与えれるのか試してみます」
「おお、それか。行けそうなのか?」
「わかりません。ですが、その際、魔力を相当使いますので、魔力回復できる道具を借りれるとありがたいのですが」
するとウォーレンさんは、2つの小瓶を俺に差し出してきた。
それは魔法の聖水であった。
「今、俺が持っている魔力回復薬はこれだけだ。他の魔導師達から掻き集めれば、まだまだ用意はできるだろうが、アイツ等も役目があるからな……今はこれが限界だ」
「1つですが、僕のも使って下さい」とミロン君も。
「ありがとうございます。では、ありがたく頂戴致します」
(魔法の聖水は3つか……。どうやら、最大出力の魔光の剣は1回しか使えないようだ……仕方ない、とりあえず、やるだけはやってみよう……ン?)
と、その時である。
丁度そこで、険しい表情をしたアヴェル王子も俺の所へとやって来たのだ。
多分、ベギラゴンの威力を目の当たりにして、ヤバいと思ったのだろう。
アヴェル王子は他の騎士に聞こえないよう、俺に耳打ちをしてきた。
「ちょっ、ちょっと、コータローさん……あれほどまでの魔物とは聞いてないですよッ。秘宝を使っても、奴にかすり傷程度しか与えれないじゃないですか。おまけに、あんな魔法を連発されたら、前衛騎士の体力がもちませんッ。しかもあの様子だと、まだまだほかにも色んな魔法が使えそうです。な、何か妙案は?」
少しテンパっていたので、俺は落ち着かせる意味も込めて、現実的な方法を話しておいた。
「落ち着いて下さい、ハルミア殿。奴が使用したベギラゴンという魔法は強力ですが、ベギラマと同じく、正面のみの範囲攻撃魔法のようです。なので、奴の正面に集まらず、散らばって、死角から攻撃するよう、騎士達に指示してください。あの手の範囲攻撃魔法は、ある程度まとまった数に対してじゃないと旨味が無いですから、単体に対しては、奴も使わない可能性が高いです」
俺の言葉を聞き、ハッとしたアヴェル王子は、そこで顎に手を当てる。
「……なるほど、確かに」
ウォーレンさんも俺の言葉に頷いた。
「言われてみりゃ、そうだな……。確かに、ベギラマと同じような範囲攻撃魔法だ。名前も似てるし……。もしかして、失われた古代魔法の一種か?」
「多分、そうでしょう。おまけに、奴はさっき、『我が最強の爆炎魔法』とか自信満々に言ってましたから、あれ以上の魔法は使えない可能性があります。というわけで、ハルミア殿、今の指示をお願いできますか?」
「わかりました。では早速」
そしてアヴェル王子は、騎士達の元へと戻ったのである。
俺はそこでウォーレンさんに言った。
「さて、じゃあ俺も、ちょっと行ってきます」
「あまり無理はするなよ。あの魔物は相当ヤバい感じだからな」
「気を付けてください、コータローさん」
「お気遣いありがとうございます。では」――
[Ⅱ]
俺は魔導の手を使い、木々の枝を飛び移りながら、ヴィゴールの付近へとやって来た。
ヴィゴールは周囲にいる魔導騎士に気を取られており、俺の接近には気づいていない。
魔導騎士達は今、先程のアヴェル王子の指示に従い、1つの場所に集まらず、バラけて攻撃を開始しているところであった。
片や、ヴィゴールはその攻撃を受けてはいたが、相も変わらず、ビクともしてない様子だ。恐ろしいほどの守備力である。
ゲームならば、ラストダンジョンに出てくる魔物以上の守備力なのかもしれない。
とはいうものの、流石のヴィゴールも、背後から斬りつけられる回数が多くなっている所為か、少しイライラとしている感じであった。
(魔導騎士の攻撃はゲームでいうなら10数ポイントってとこか……。塵も積もれば何とやらとはいうが、奴の様子を見る限りHPというモノがあったならば、相当高いに違いない。ゲームならば、1000は優に超えてるだろう。この魔光の剣で、どのくらいダメージを与えられるかは未知数だが、現状を打開する為にもやるしかない……。だが、中々タイミングが難しいな……。奴の死角には魔導騎士がいるから、俺が行くと邪魔になりそうだ。かといって、正面からいくとあの棍棒の餌食になってしまう。う~ん……何かいい方法はないだろうか……)
ふとそんな事を考えていると、背後から声が聞こえてきた。
「ご苦労さん、コータロー。こんな所で何してるん? 戦況でも確認してるんか?」
声をかけてきたのはラティであった。
少し、ドキッとしたのは言うまでもない。
「なんだ、ラティか。今から奴に攻撃するんだよ。ところで、そっちはどうだ? 冒険者達は上手い事やってるか?」
「おう、もう大分倒したんちゃうか。金の階級以上の冒険者ばかりやし、コッチの方が数も多いさかいな。でも、あのボルズっちゅう奴は駄目やわ。アホやで、アレ。ごっつい身体してるのに、他の冒険者の後ろに隠れて、コソコソと臆病すぎやで、ホンマ」
「言うなぁ、ラティ。まぁでも、アイツはなぁ……」
昨日のボルズを見た感じだと、多分、そうなるだろうとは思っていた。
「あれだけゴツイ図体してんだから、弱いわけないんだが……。昨日も思ったが、あの魔物達への怯えようを見る限り、以前、トラウマ的な出来事があったのかもな」
「せやな、それはあるかも」
「アイツの場合、そこを越えたら結構いけそうな気がするけど……って、今はそれどころじゃない。冒険者達の方は彼等に任せるとして、俺はすべき事をしないとな」
「ワイ、何か手伝うことあるか?」
「いや、別……」
俺はそこで言葉を止めた。
なぜなら、脳裏にある事が過ぎったからである。
「そうだ、ラティ、1つ頼めるか?」
「頼み? なんやろ?」
俺はアヴェル王子を指さした。
「あそこにいる髭を沢山生やした騎士に伝えてほしい事があるんだよ。銀色の鎧を着た騎士だ」
「おお、アソコにいる騎士団のお偉いさんやな。で、あの騎士に何を伝えるんや?」
「ハルミアさんというんだが、あの方に、『コータローが、光の剣を使って奴に目晦ましをしてほしいと言っていた』と伝えてほしいんだ」
これには理由がある。
以前、ドラクエⅡの攻略サイトを巡回してた時、光の剣の目晦ましはマヌーサと違い、ボス級の敵にも結構効くような事が書かれていた気がしたからだ。
「それを伝えるんやな。わかったで」
「じゃあ、頼んだぞ」
「ほな、行ってくるわ」――
ラティがアヴェル王子の元へ行ってから暫くの後、それは実行された。
アヴェル王子は剣を鞘から抜き、自身の前で縦に掲げ、眩い光を奴に放ったのである。
すると次の瞬間、ヴィゴールは眩しさのあまり、左手で目を覆い隠したのであった。
【グッ……目晦ましか! おのれ!】
どうやら成功したようだ。
やってみるもんである。
(さて、それじゃあ行きますか……)
俺はこの隙を利用し、奴の真上にある木の枝に魔導の手を伸ばす。
そして奴の真上に来たところで、俺は最大出力の魔光の剣を発動させ、振りかぶりながら落下したのである。
脳天に目掛けて、俺は魔光の剣を振り下ろす。が、しかし……なんと、奴はそこで俺の攻撃に気付いたのであった。
【ムッ、上か! き、貴様は!? お、おのれッ!】
奴はそこで上体を仰け反らせる。
その為、光の刃は奴の脳天ではなく、左目の辺りに振り下ろす形になってしまった。
(チッ……狙いが外れてしまった。今更、剣の軌道は変えられない。もうこのまま振り下ろすかしない。糞っ!)
光の刃は奴の左目とそれを覆う左手首へと走り抜ける。
その刹那!
【グアァァァ!】
ヴィゴールの悲鳴にも似た苦悶の叫びと共に、奴の左目と左手首から黒い鮮血が噴き上がったのである。
俺は僅かばかりの魔力を左手に向かわせ、魔導の手を使って、地面に着地する。
と、そこで、奴の左手首がボトッと地面に落ちてきた。
これを見る限り、今の攻撃はかなり効果的な手段だったようだ。
しかし、連撃は不可能な為、俺は林の中へと猛ダッシュし、奴と距離を置く事にしたのである。
木々に隠れながら、俺はヴィゴールへと視線を向けた。
ヴィゴールは斬られた左目を右手で押さえながら、叫び声をあげているところであった。
【ウグァァァ! お、おのれェェェェッ! 我が体にこれ程の傷を与えるとは! 小賢しい奴め、どこにいるッ! 我が正体を暴いた貴様は、どんな事があっても始末してくれるわ!】
と、その直後、ヴィゴールは右手で棍棒を持ち、めったやたらと振り回し始めたのである。
あまりにも滅茶苦茶振り回すので、魔導騎士達は棍棒の間合いから逃げるように後退した。
流石にあの感じだと、魔導騎士達も中々近づけないだろう。
(う~ん、凄い怒ってる……こりゃ見つかったら、俺、狙打ちされるな……どうしよ……早く次の手を考えないと……ン?)
と、そこで、慌てた様子のホークマンが上空に現れたのである。
恐らく、ゼーレ洞窟へ向かった奴だろう。
ホークマンは大きな声でヴィゴールに呼びかけた。
【た、大変でございます、ヴィゴール様ッ!】
ヴィゴールは振り回す棍棒を止めた。
【ムッ、お前か。して、首尾はどうなった?】
【そ、それが……ゼーレ洞窟の入口は魔導騎士達によって魔法の玉で爆破され、崩れてしまっており……な、中に入る事が出来ませんでした。い、如何なさいましょう?】
それを聞くや否や、ヴィゴールはワナワナと身体を震わせた。
【お、おのれェェェェ! 小賢しい奴らめッ! ゆ、許さんぞォォォ!】
どうやら、怒りはピークに達したようだ。
これはチャンスかもしれない。
というわけで、俺はこの隙に、アヴェル王子の所へと移動を開始したのである。
[Ⅲ]
俺は魔法の聖水で魔力回復をしながら、ヴィゴールに見つからないよう木々に隠れ、少し離れた所にいるアヴェル王子の元へと移動した。
ちなみにだが、魔法の聖水で回復できたのは、半分より少し下といったところであった。
魔法の聖水はゲームだと、20ポイント程度のMP回復だった気がするので、俺の全MPを数値化すると120ポイント程度なのかもしれない。とりあえず、そんなもんだと思っておく事にしよう。
まぁそれはさておき、アヴェル王子は今、魔導騎士達に細かな指示を送っているところであった。
「今の奴は、何をするかわからん。奴の間合いに迂闊に近づくな! 今まで以上に間合いを取り、隙を見て死角からの攻撃を再開せよ!」
【ハッ】
そんなやり取りをしている王子に向かい、俺は背後からコッソリと近づいた。
そして、後ろから耳打ちをしたのである。
「ハルミア殿……今よろしいですか?」
アヴェル王子はビックリしたのか、ハッと俺に振り返った。
「な、なんだ、コータローさんか。脅かさないで下さいよ。で、どうしたんです?」
「今が絶好の機会です。ホークマンの口振りを見る限り、ゼーレ洞窟の入口は、向こうで待機していた魔導騎士達が崩してくれたようです。つまり、援軍は暫く来ないという事ですから、畳み掛ける良い機会ですよ」
「確かに……。それにコータローさんの攻撃で、奴に結構な傷も負わせられましたしね」
「ええ。おまけに、他の魔物達も、冒険者達が粗方片付けてくれたようなので、残すはヴィゴールと上空のホークマンだけと見ていいと思います。ですので、手数をかけて背後から奴に攻撃を加えましょう」
アヴェル王子はそこで顎に手を当て思案顔になると、俺に訊いてきた。
「それはそうですが……コータローさん……先程のあの攻撃なんですが、あと何回くらいできそうですか?」
変に勘違いされるのもアレなので、正直に言っておこう。
「それがですね……実はあれで打ち止めなんです。全魔力と引き換えに得た切断力なので」
「そうですか。という事は、後はもう、魔導騎士の魔法剣による攻撃しか残されてないんですね」
アヴェル王子はそう言って、少し残念そうな表情をした。
今のところ効果的な攻撃方法はアレだけだし、こういう反応をするのは無理ないだろう。
「そうなりますね……でも、まだ試してない事がありますから、それを試してみるのも良いかもしれません」
「試してない事? それは一体……」
俺はとりあえず、ラーのオッサンの受け売りを話しておいた。
「デインですよ。アレならば、奴に効果があるかもしれません。デインに耐性を持つ魔物はあまりいないと聞いた事がありますから」
アヴェル王子は渋った表情をする。
「デインですか……しかしですね。私は今、こういう姿でして……」
「まぁ言わんとする事は分かりますが、一応、考えておいて下さい」
「……わかりました。状況を見て、その辺は判断します」
と、その時である。
【グアァァァ! どこまでも腸はらわたが煮えくり返る奴等よ! ブチ殺してくれるわッ!】
ヴィゴールが力任せに棍棒を振り回すのを再開したのだ。
その勢いは凄く、奴の周囲にある木々はバキバキへし折られていた。
先程と同様、魔導騎士達は迂闊に近づけない程であった。
もはや、形振り構ってられないといった感じだ。が、そこで、予想外の事が起きたのである。
【そこかッ! まずは貴様から始末してやるッ! 息の根を止めてやるゥゥゥ】
「や、やばッ」
不味い事に、奴は俺を見つけてしまったのだ。
そして、その直後、奴は信じられないような跳躍を見せたのである。
なんと奴は、魔導騎士達を飛び越え、俺達の方へと大きくジャンプしたのだ。
ドスン! という大きな衝撃音をたて、ヴィゴールは俺達のすぐ近くに着地した。その距離、20mといったところであった。
そして着地するや否や、重戦車の如く、棍棒を振り回して木を薙ぎ倒しながら、コッチに向かって突進してきたのである。
それはもう、物凄いスピードであった。しかも馬鹿デカいので、そのインパクトたるや、とんでもない迫力であった。
三崎光太郎、大ピンチである。
「せ、戦略的撤退!」
俺は後方にダッシュした。
「チッ、コッチに来た! クソッ!」
ついでにアヴェル王子も。
【まてぇ! この蛆虫がァァァ。原型留めぬくらいに、その身体を擦り潰してくれるわ!】
奴の狂ったような怒声が林に響き渡る。
俺とアヴェル王子は全速力で逃げた。
擦り身になるのは、流石に御免である。
「デカいのに、なんて速さだ! コータローさん、ど、どうしましょう?」
「あのぉ、ハルミアさん……奴は明らかに俺を狙っています。あ、貴方まで逃げる必要はないのでは?」
「この距離だと、そんな事言ってられないでしょッ。そんな事より、このままだと、すぐに追いつかれますよ! 何か良い手を考えてくださいッ!」
「い、良い手と言われましても」
俺は後ろをチラ見した。
奴と俺達の距離は10m程。少しでも気を抜けば、すぐに追いつかれる距離であった。
(クソッ、巨体の癖に、なんつう足の速さだ。怖ぇぇ……。それはともかく、このままじゃやばい。……ど、どうしよう、何か良い手ははないか……アッ!?)
丁度そこで、俺の脳裏にとある漫画の一コマが過ぎったのである。
「ハルミアさんッ、光の剣ですッ。あれで目晦ましをしてくださいッ!」
天津飯、技を借りるぜ、てなもんだ。
「あ、そうか、その手があったかッ。わかりました」
アヴェル王子は剣を奴へと向け、柄の上にある水晶球に手で触れた。
と、次の瞬間、カメラのフラッシュを思わせる眩い光が、ヴィゴールに向かって放たれたのである。
太陽拳ならぬ太陽剣といった感じだ。
【グアァァ! またあの光か! おのれェェ】
ヴィゴールは目を押さえ、勢いよく木に衝突する。
そして、木をへし折りながら、ヴィゴールは派手に転倒したのであった。
(た、助かったぁ……)
俺とアヴェル王子は、奴と少し距離を置いてから立ち止まる。
その直後であった。
「今だ! 魔導騎士隊は間合いを取りつつ、魔物を包囲するんだ。急げ!」
【ハッ】
丁度そこで、ウォーレンさん達もやって来たのである。
魔導騎士達も一緒であった。ナイスタイミング!
ウォーレンさんとミロン君は、俺達の所に駆け寄ってきた。
「ハルミア殿、お怪我は? それとコータローも大丈夫か?」
「大丈夫だ、ウォーレン」
「俺もなんとか。ン? おおッ!」
ここで更なる援軍が駆け付けた。
なんと、ラッセルさんとバルジさんのパーティも、俺達の所にやって来たのである。ついでにラティとボルズも。
「コータローさん、大丈夫ですか?」と、ラッセルさん。
「ええ、今のところ大丈夫です。ところで、他の魔物はどんな感じですか?」
「冒険者に化けていた魔物達は、先程、すべて倒しました。後はもう、この親玉の魔物だけです。なので、俺達も加勢しますよ」
頼もしい限りだ。
続いてバルジさんが、申し訳なさそうに口を開いた。
「まさか、ゴランが魔物だったとは……すまない、コータローさん。貴方の忠告を無視して……」
「その話は後です。まずはこの魔物を倒すのが先です。ですが、気を付けてください。コイツはとんでもない化け物です。恐ろしい魔法を使ってきますから、間合いを大きくとってください。それと、決して、正面から戦おうとしてはいけませんよ」
「わかりました」
俺達がそんなやり取りをする中、ヴィゴールはゆったりとした動作で立ち上がり、周囲を見回した。
ヴィゴールの周囲は既に、冒険者と魔導騎士達によって完全に包囲されていた。
状況を確認したところで、ヴィゴールは不敵に微笑んだ。
【ククククッ、なるほど……同胞達は既にやられ、残ったのはもう我だけという事か。ククク、やるではないか。蛆虫共の分際で、中々に手際がいい。まさか、ゼーレ洞窟の入口を爆破して崩すとは思わなかったぞ。お蔭で援軍は期待できそうもない。良い手だ。そこは褒めてやろう。だが……それで我を倒せると思っているのなら、それは甘い考えだ、クククッ……。とはいえ、如何に我の力が貴様等よりも強大とはいえ、これだけの数を相手するには、チト骨が折れるのもまた事実。よって……我もこの期に及んでは、不本意だが、撤退も考えねばならぬようだ。が……その前に1つだけやっておかねばならぬ事がある……】
ヴィゴールはそこで俺に視線を向けた。
【貴様……確か、コータローとか言ったか。我を見破ったその鋭い洞察力といい、我の左目と左手首を奪った先程の攻撃といい……貴様からは非常に危険な臭いがしてくる。今にして思えば……木々が密集するこの林を戦いの場とした事や、洞窟の入口を塞ぐといった、この一連の流れも、恐らく、貴様が考えた事なのだろう。……一体何者か知らぬが、貴様からは、我等の悲願に支障をもたらす、危険な気配を感じる……。この危険な気配……これは是が非でも、取り除かねばならぬなぁ。クククッ……よって、貴様だけは必ず殺すと宣言しよう。そして、その舞台へ今、貴様を招待してやるッ!】
と、その直後、ヴィゴールは棍棒を大きく振りかぶったのである。
そして、俺のいる方に向かい、高く跳躍したのであった。が、しかし……その跳躍距離は思ったほどではなかった。
なぜなら、奴が着地するであろう地点が、俺から50m以上離れた位置だったからである。
そこは誰もいない所であった。あるのは地面のみだ。
(なんで、あんな所に……わけが分からん)
と、そこで、ヴィゴールの声が聞こえてきた。
【クククッ、この林で戦う事で、貴様は有利に戦いを進めるつもりだったのだろうが、そう甘くはないッ! 地の利は我にあり! それを今、貴様に教えてやろうッ、シャァァァァ!】
ヴィゴールは着地すると共に、馬鹿デカい棍棒をこれでもかというぐらい、思いっきり地面に振り下ろした。
そして、次の瞬間!
―― ドゴォォン ――
地響きが起きると共に、なんと、大地に大きな亀裂が走ったのである。
亀裂は俺達の方にまであっという間に到達する。
そして、俺はこの突然の地割れに、成すすべなく飲み込まれてしまったのであった。
「う、嘘だろッ、こんな事が!」
アヴェル王子やウォーレンさん、そしてミロン君の悲鳴に似た声が聞こえてくる。
「な、何ィッ!」
「なんて奴だ! 地面を崩すなんて」
「ウ、ウォーレン様ァァ」
続いてラッセルさん達の声も。
「ば、馬鹿な、こんな事が!」
「なんという化け物だッ」
「ヒィィ」
「キャァァ」
「地面かち割るって、なんやねん!」
そう……運が悪い事に、俺の近くにいた面子は、殆どが地割れに引きずり込まれたのだ。
地に足のつかない感覚は、すぐに終わりを迎えた。
ドスン! と鈍い痛みが尻に走る。
「イテテテ……」
どうやら、ケツで着地したようだ。
とはいえ、それ程の痛みではなかった。
多分、一緒に降ってきた柔らかい土がクッションになったからだろう。
そこで、アヴェル王子達の声が聞こえてきた。
「なんて奴だッ」
「クッ、地割れを起こすとは」
「イッ……ン、なんだこの空間は?」
俺もそこで周囲を見回した。
すると、見覚えのある光景が目に飛び込んできたのである。
なんとそこは、鍾乳洞だったのだ。
しかも、結構広い空間であった。
「こ、ここは……一体どこだ……まさか、ゼーレ洞窟か……」
と、俺が呟いたその直後であった。
ドォォンという大きな着地音と共に、低く太い声が洞窟内に響き渡ったのである。
【……その通り、ここはゼーレ洞窟だ。よくわかったな。そして……我が地下世界にようこそといったところか、クククッ】
アヴェル王子は声高に叫んだ。
「皆、奴から距離を取れ! 迂闊に近づくな!」
その言葉を号令に、俺達は全員、ヴィゴールから距離を取る。
そして武器を手に取り、すぐに身構えたのである。
ヴィゴールはニヤニヤしながら口を開いた。
【クククッ、さて、ではそろそろお前達に引導を渡すとしよう。ココならば我の力は発揮できるからな。覚悟するがいい!】
(チッ、不味い……奴の言うとおり、ここには奴の攻撃を阻むモノがない。どうしよう……この展開は予想できんかった。ちょっとヤバいかも……)
と、その時であった。
地の底から響くようなおどろおどろしい声が、突如、この空間に響き渡ったのである。
《……ヴィゴールよ……そなたに命ずる。この者共を全て始末せよ。生かして返すな……確実に始末せよ……》
ヴィゴールは声が聞こえた方向に向かって、恭しく頭を下げる。
そして、丁寧な所作で言葉を紡いだのであった。
【ハッ、アシュレイア様の仰せのままに……。必ずや仕留めて御覧に入れましょう……】と――
Lv48 死闘の行方
[Ⅰ]
《……ヴィゴールよ……そなたに命ずる。この者共を全て始末せよ。生かして返すな……確実に始末せよ……》
【ハッ、アシュレイア様の仰せのままに……。必ずや仕留めて御覧に入れましょう……】
何者か知らないが、地の底から響くような声の主は、俺達を始末するよう、ヴィゴールに指示を出した。
そしてヴィゴールはというと、声の主に頭を垂れ、恭しい所作で敬意を表しながら、それを承諾したのである。
俺はこれに少し違和感を覚えた。
(え? ……どういう事だ、一体)
ヴィゴールの低い声が聞こえてくる。
【ククク……さて、ではお前達を確実に始末する為に、もう1つ手を打っておくとしよう……】
するとヴィゴールは、棍棒を振り回しながら、俺達にゆっくりと近づいてきたのである。
俺達は奴の動きに合わせて、ジリジリと後退してゆく。
程なくして俺達は、空洞の壁際へと追い込まれた。
と、ここで、アヴェル王子の大きな声が響き渡る。
「皆、奥に伸びている空洞へ下がれッ。奴と距離を取るんだッ!」
王子の声に従い、俺達は奥の空洞へと下がった。
するとそこは通路のような感じで、幅10mに高さ10mは優にありそうな空間であった。
それが奥に延々と続いているのだが……この空洞は俺の記憶にない所であった。恐らく、初めて足を踏み入れる場所なのだろう。
(この空洞は、今朝見せてもらった見取り図だと、どの辺りなんだろうか。俺達がさっきいた林の位置とかを考えると、多分、大空洞に入ってすぐ左にある通路状の空洞だと思うが……まぁ何れにせよ、俺の行っていない所だ。となると、この先に魔物がいる可能性も0ではない……。はぁ……悪い方にばっか転がるな。ついてない。ン?)
と、その時であった。
ヴィゴールは、俺達が今潜った空洞入口に差し掛かったところで、突然、立ち止まったのである。
そこでヴィゴールは天井を見上げた。
(なんだ一体? 何をするつもり……ま、まさかッ!?)
暫し天井を眺めたところで、ヴィゴールはボソリと呟いた。
【フム……この辺りが良いか。後ろの空洞ほど広くはないが、ここでも十分、我の力は発揮できよう。フンッ!】
と、その直後、ヴィゴールは真上に跳躍し、空洞入口付近の天井に、重い棍棒の一撃を見舞ったのである。
―― ドゴォン! ――
洞窟内に大きな激震が走る。
破壊音と共に、奴の背後にある天井がゴトゴトと音を立てて崩れ始めた。
ヴィゴールは更に何発か、天井に向かって棍棒を振るう。
俺達の頭上にある天井からも、パラパラと小さな破片や土埃が雨のように降り注いだ。
そして瞬く間に、奴の背後にある空洞入口は、降り積もった瓦礫で埋め尽くされてしまったのである。
そう……なんと奴は、通路の入口を塞いでしまったのだ。
(やはり、そうかッ。クソッ……奴の狙いは地上との接点を絶つ事だったのか……これじゃ、外の者達が、こちらに来れない。ヤ、ヤバいぞ……)
と、ここで、ヴィゴールの愉快そうな声が響き渡った。
【ククク、悪いな。お前達の策を利用させてもらったぞ。さて、これで援軍も、退路もなくなった。貴様等の奥に道は続いているが、その先は行き止まりよ。つまり……お前達はもう死への道しかないという事だ。クククッ、どうだ? 希望の道を閉ざされた気分は?】
俺は思わず、後ろを振り返った。
(この先は行き止まりかよ……さ、最悪じゃないか……。でも……この奥からわずかだが、空気の流れを感じる。どういう事だ……。この状況で、奴も嘘を言うとは思えないが……って、今はそんな事を考えてる場合じゃない)
他の皆も流石にヤバいと感じたのか、全員、青褪めた表情をしていた。
無理もない。奴の言ってる事が事実ならば、俺達の選択肢はないからである。
【いいぞ、その表情。ククククッ、その恐怖と絶望に満ちた表情が、何よりも心地よい。これから貴様等に更なる絶望を与えてやろう。我にここまでの傷をつけたのだ。その償いはしてもらうぞ。ジワリジワリと、なぶり殺しにしてくれるわッ!】
ヴィゴールは馬鹿でかい棍棒を片手に、巨体を前進させた。
奴が歩く度に、ドスンドスンという重い足音が洞窟内に響く。
そして、俺達は奴の迫力に気圧されて、ジリジリと後退したのである。
【どこまで下がるのかな……クククッ。まぁいい、下がりたいだけ下がるがいい。どの道、お前達には絶望しかないのだからな。クハハハハ】
もう完全に勝った気でいるようだ。が、とはいえ、奴に勝てる要素が見つからない。
(どうやら、『相手が勝ち誇った時、そいつは既に敗北している』という、ジ○ジョの名言みたいにはいかないようだ……現実は甘くない。はぁ、どうしよ……ン?)
と、ここで、アヴェル王子とウォーレンさんが俺の隣にやって来た。
「コータローさん……勝算はありますか?」とアヴェル王子。
俺は頭を振った。
「残念ながら、今のところは……」
2人は溜息を吐いた。
「だろうな……この化け物相手に、この面子じゃ厳しい……」
ウォーレンさんはそう言って、ここにいる者達に目を向けた。
今ここにいるのは、アヴェル王子、ウォーレンさん、ミロン君、それからラッセルさん達4人とバルジさんのパーティ5人、それに加えて俺とラティとボルズを含めた、計15名の者達だ。
地上にいた時は300名近い戦力だったので、それを考えると、今はその1割にも満たない状況である。奴の強靭さを考えると、かなり厳しいと言わざるを得ないだろう。溜め息しか出てこない展開である。
アヴェル王子は話を続ける。
「そうですか。……では、それを踏まえて、貴方に訊きたい事があるんです」
「何でしょう?」
「貴方ならこんな状況の時、どういう対応をされるのかを教えてほしいのです」
「え?」
俺は思わず、眉根を寄せた。
意外な事を訊いてきたからだ。
「僅かな間でしたが、俺はコータローさんと行動を共にして良くわかりました。貴方が鋭い洞察力と冷静な判断力を合わせ持つ、有能な魔法使いだという事を……。この場を切り抜けるには、貴方の機転や策がどうしても必要です。それに貴方は以前、コイツとよく似た魔物を倒したと言っておりました。俺やウォーレンよりも、こういった魔物に対する経験があるので、是非、貴方にお訊きしたいのです」
少し買い被りすぎな気もしたが、とりあえず、俺は自分の意見を話すことにした。
「……わかりました。では、お話ししましょう。ですが、奴に魔法が通じない以上、対応は限られます。こちらがとれる手段は……重装備の前衛戦力をスカラとピオリムで強化して、奴に挑むくらいです。ですが……その際、奴の現状を考慮する必要があります」
「現状?」
「はい。奴は今、俺の攻撃によって、左側の身体的機能がかなり欠落している状態です。おまけに、傷があのままという事は、回復魔法の類は使えないのかもしれません。なので、ここに付け入る隙があると思います。つまり、我々の攻撃は、こちら側から見て右側から行なうのが、今出来る最善の手段ではないでしょうか」
「なるほど、右側からの攻撃ですか……」
「はい。ですが、それを行うに当たり、理解しておかないといけない事があります」
「それは一体……」
「今の我々は、秘宝の恩恵が得られないという事です。よって、相当な手数が必要となりますので、そこは覚悟しておいて下さい。それからこの空洞の広さだと、奴の魔法から逃れるのは、恐らく無理だと思われます。逃げ道がありません。ですので、何れにせよ、こちらが圧倒的に不利なのは変わりません。言いづらいですが、地の利は奴にあります……。ここから活路を見出すのは、かなり難しいでしょう」
話を聞き終えたアヴェル王子は、非常に険しい表情を浮かべていた。が、覚悟を決めたのか、目を細め、すぐに意を決した表情になったのである。
「ありがとうございます……コータローさん。貴方の意見を聞いて、ようやく覚悟が決まりました。アレを使いましょう。正体がバレますが、そんな事を言っている場合ではないようですから」
多分、デインを使う覚悟を決めたのだろう。
「ハ、ハルミア殿、アレとは一体……」
「決まっているだろう、ウォーレン。王位継承者としての証を使うという事だ。もはや、四の五の言っている場合ではない。出来る事はやっておく」
「もしや、あの魔法を? しかし……奴に通じるかどうかわかりませぬぞ。地上での奴を見る限り、あれだけの魔法攻撃を受けても無傷でしたからな」
「それは承知の上だ。それに、コータローさんはさっき、アレに耐性を持つ魔物は少ないとも言っていた。だから、これに賭けてみるつもりだ」
ウォーレンさんは俺に視線を向ける。
「コータロー、今の話は本当か?」
「奴に訊くかどうかは、やってみないと分かりません。ですが、そういう話を以前どこかで聞いた事があったので、アヴェル王子に話しておいたのです」
「まぁそういうわけだ、ウォーレン。だからこれに賭けてみようと思う」
「ならば、これ以上は何も言いますまい」
「決まりだな。では、行くぞ。何もせずに死ぬのは御免だからな」
俺達3人は互いに頷く。
そしてアヴェル王子は、大きな声で皆に告げたのであった。
【ここにいる者達全員に告げる! 重装備をしている者は前衛に、軽装備の者は後衛に回れるんだッ!】
ラッセルさんやバルジさん達は今の指示を聞き、顔を見合わせた。
王宮の騎士とはいえ、見ず知らずの人に指示されたので、多分、戸惑っているのだろう。
仕方ない、俺からも言っておこう。
「皆さんッ、ハルミア殿の言うとおりにしてください。今は全員が1つにならないと、奴に立ち向かうのは不可能ですッ」
ラッセルさんとバルジさんは頷いてくれた。
「わかりました、コータローさん」
「わかった。この場は貴方達に従おう」
ラッセルさんは皆に指示を出した。
「リタとボルズは前に来るんだッ! シーマとマチルダは後方から援護を頼むッ!」
【わかったわ】
女性陣はハッキリと返事をしたが、ボルズは意気消沈していた。
「お、俺もか……」
「当たり前だろッ、早くしろッ!」
ボルズはオドオドしながら前に出てきた。
かなり不安な要素だが、この際、もうそんな事を言っている暇はない。
続いてバルジさんも指示を出す。
「コッズは前に来るんだ! アニーとクレアとノーラは後方に回れ!」
【了解】
【わかったわ】
と、ここで、ラティが俺に訊いてきた。
「なぁ……ワイは何するとエエやろ。ワイがいると、足手まといな気がするけど」
「ラティは念の為、この空洞の奥を偵察してきてくれるか。他に魔物がいる可能性があるからな」
「おう、わかったで。ほな、ちょっと見てくるわ」
「ああ、頼む」
そして俺達は臨戦態勢に入ったのである。
[Ⅱ]
俺達は前衛と後衛に分かれる。
人数的な事を言うと、前衛6名に後衛8名といった感じだ。
バランスは取れてるが、奴の強大な力に対抗するにはショボイ戦力なのは言うまでもない。
(後衛の魔法使いは、俺を含めて6名か……。となると、盗賊系のシーマさんやマチルダさんはホイミくらいしか魔法を使えないから、出来る事は限られてくる。仕方ない……このアイテムを彼女達に渡しておくか。2人には回復役に回ってもらおう)
俺は彼女達に近寄り、今持っている回復アイテムを手渡した。
「シーマさんにマチルダさん、貴方達は動きが素早いですから、この祝福の杖と薬草を使って皆の回復をお願いします」
「わかったわ」
「任せて、コータローさん」
と、ここで、アヴェル王子の大きな声が洞窟内に木霊した。
「前衛は奴の攻撃に備えよッ! 後衛にいる魔法を扱える者は、まず、前衛の守備力強化と素早さの強化を施してくれ!」
それを合図に後衛の魔法使いは前衛のステータス強化を始めた。
【スカラ】
【ピオリム】
俺もそれに続く。
魔力を分散させ、俺はまず、ラッセルさんとリタさんにスカラを唱えた。
それから、俺とボルズ、シーマさんとマチルダさんといった順で、守備力の強化を施したのである。
全員に補助魔法が行き渡ったところで、アヴェル王子は前衛の者達に指示を始めた。
「……いいか、皆。奴は左目と左手を負傷している。つまり、俺達から見て右側が奴の死角だ。そこから攻めるぞ」
前衛4名は無言で頷いた。が、ボルズは怯えた表情でシュンとしながら、ただ突っ立っているだけだったのである。
(あんの馬鹿……何考えてんだ。死ぬぞ。……仕方ない、少し焚き付けておくか)
俺はボルズの背後から耳打ちをした。
「おい、アンタ、戦う気があんのか? こんな時にボケッと突っ立ってたら、即行で死ぬぞ」
「あ、あたりめぇよ。た、たたた、戦うにきまってんだろ。なな、何を言ってんだよ」
明らかに虚勢を張ってる感じだ。
「なら、ちゃんと相手を見据えろよ。これだけデカい図体してんだから、アンタも結構強い筈だ。オドオドしてないで、覚悟を決めろ。どの道、この戦いに負けたら、俺達は終わりなんだ。あの化け物に意地を見せてやれ」
「んな事わかってるよ。やや、やってやるよ!」
ボルズは少しいきり立った。
(少々不安ではあるが、こんなのでも今は貴重な前衛戦力だから、こうして発破をかけておかないとな……)
と、ここで、アヴェル王子の声が聞こえてきた。
「まず俺が奴に魔法攻撃を加える。それが戦いの合図だ。行くぞ、皆」
全員が意を決した表情で、その言葉に頷く。
そしてアヴェル王子は、ヴィゴールに右手を突きだし、呪文を唱えたのであった。
【デイン!】
その刹那、アヴェル王子の右手から青白い稲妻の迸りが放たれ、ヴィゴールに襲い掛かった。
ヴィゴールの苦悶の声が聞こえてくる。
【ウグゥゥゥ! こ、この魔法は!? き、貴様、この国の王族かッ!】
アヴェル王子はそこで付け髭とヅラを取り、正体を晒した。
「ああ、そうとも! 我が名はアヴェル・ラインヴェルス・アレイス・オウン・イシュマリア! この国をお前達の思い通りにはさせんぞッ!」
ここで他の皆からも声が上がった。
「なッ!?」
「ええッ!?」
「う、嘘……王子だったの」
無理もない。これは驚愕の事実というやつだし。
それはさておき、デインを放ったアヴェル王子は、そこで剣を抜き、大きな声を上げた。
「皆、俺に続け!」
その直後、アヴェル王子は刃に炎を纏わせ、ヴィゴールへと駆け出したのである。
「仲間に魔物がいて、今度は王子様か……今日は驚く事ばかりだ。色々と考えさせられることばかりだが、それはこの戦いが終わって生き延びた後だ。行くぞッ、皆!」と、バルジさん。
そして、戦いの火蓋が切って落とされたのである。
前衛戦力6名の物理攻撃がヴィゴールに襲い掛かる。
「セヤァァァ」
「フン!」
「ハァァ」
しかし、ヴィゴールは微動だにしない。
地上の時と同じで、かすり傷程度のダメージしか与えれてないのは明白であった。
おまけに魔法剣はアヴェル王子のみなので、他の者達の攻撃は効果があるのかどうかすら怪しい感じだ。
(俺はさっき、物理攻撃が最善の手段と王子に言ったが……コイツに対しては多分、焼け石に水だろう。不味い……何か、他に手はないのか、クソッ……ン?)
だが、少し気になる事があった。
なぜなら、奴がまるで反撃をするような気配を見せなかったからである。
そう……ヴィゴールはただ攻撃を受けているだけなのだ。
(なぜだ……なぜ、反撃しない)
ヴィゴールはただ黙って攻撃を受け続けていた。
程なくしてヴィゴールは、ボソリと言葉を発した。
【アシュレイア様……アヴェル王子は如何しましょう?】
あの声が、俺達の少し後ろの方から聞こえてきた。
《……殺せ……代わりは他にもいる……》
(え?)
俺は思わず背後を振り返った。が、しかし、そこには誰もいなかった。
(どういう事だ……)
首を傾げつつ、俺はヴィゴールに視線を戻した。
するとヴィゴールは、俺達の背後に向かって恭しく頭を垂れたのである。
【アシュレイア様の仰せのままに……】
ヴィゴールは俺達に視線を向け、声高に告げた。
【さて……では、そろそろ蛆虫の駆除をするとしよう。さぁ、嘆け、喚け、そして恐怖するがよい! シャァァァ!】
その直後、ヴィゴールの棍棒が、右から左に向かって振るわれたのである。
前衛6名は、長い棍棒に巻き込まれるかのように吹っ飛ばされ、洞窟の壁に叩きつけられた。
「ぐふッ」
「グァァ」
「キャァァ」
6名はよろけながらも立ち上がる。
見た感じだと、まだ戦えそうな雰囲気であった。多分、力の入りにくい左側への攻撃だったからだろう。
とはいえ、結構なダメージを受けているのには違いない。
アヴェル王子はそこで右手を奴に向けた。
「デイン!」
王子の手から稲妻が放たれる。
【グッ……】
ヴィゴールは顔を顰めた。
これを見る限り、効果があるみたいだが、それ程のダメージは期待できそうもない。
理由は言わずもがなだ。数値で例えるならば、精々、30~40ポイント程度だからである。
(デインは効果があるみたいだが……まだまだ威力が足りない。……場合によっては、俺もライデインを使うしかないか……。とはいえ、俺も魔力がそれほどない上に、皆の回復もしなきゃいけない……使えて2発だ……これじゃ奴は倒せない。他に何か良い方法はないか……クソッ)
アヴェル王子のデインを皮切りに、前衛の者達は攻撃を再開する。
それと同時に後衛の回復魔法と、祝福の杖の癒しが彼等に降り注いだ。
【ベホイミ】
【ホイミ】
【ピオリム】
急造のチームだが、後衛と前衛の連携はうまく機能しているようだ。
流石に高位の冒険者だけあって、状況判断が的確である。
(俺も、皆の更なる守備力強化をしておくとしよう……そして、何か他の打開策を考えなければ……)――
こんな感じで、暫しの間、奴との戦闘が続いた。
傍目から見ると、俺達は奴と互角に戦っているようにも見えた。が、しかし……そんな戦闘を少し繰り返したところで、ヴィゴールは突如、攻撃の手を止めたのである。
ヴィゴールは不敵に微笑んだ。
【クククッ、なるほど……我の視野が狭い事を利用して、左側からの攻撃に徹しているという事か。まぁいい。では我も戦い方を変えるとしよう】
するとヴィゴールは、そう告げるや否や、左右の手を胸元で合わせたのである。
左手首がないので何をするつもりなのか一瞬わからなかったが、合わせた所に魔力が集まっていくのを感じた為、俺はそこですぐに察した。
(こ、この動作は……ベギラゴン!)
俺は叫んだ。
「皆、防御態勢に入って下さいッ! 奴の強力な爆炎魔法が来ますッ! 急いでッ!」
アヴェル王子とウォーレンさんが俺に振り向く。
「何ッ」
「何だって!?」
「時間がありません、急いでッ」
アヴェル王子は慌てて、皆に指示した。
「全員、奴の魔法に供えろッ!」
王子の言葉に従い、全員が身の守りを固めた。
(これしか、今のところ、この呪文に対抗する手段はない……ゲームでもそうだったが、防御に集中すれば、魔法ダメージもかなり軽減できる筈だ。ジリ貧だが、今はこれでやり過ごし、後で回復するしかない……)
その直後、奴の魔法は完成を迎えたのである。
ヴィゴールは赤い光のアーチを造り、呪文を唱えた。
【ベギラゴン!】
次の瞬間、物凄い爆炎が放たれた。
バーナーで炙られたかのような熱気と強烈な爆風が、前方から俺達に襲い掛かる。
俺達は手で眼前を覆い、下半身に力を入れ、その爆炎を只管耐え続けた。
(クッ……なんて魔法だ。ベギラゴンがこれ程強力だなんて……賢者の衣がある程度魔法ダメージを軽減してくれているとは思うが、それでも強烈だ……クッ)
同じくして、皆の悲鳴にも似た声が聞こえてくる。
「グッ」
「キャァ」
「ぐぉぉ」
「なんて魔法だ!」
「な、何よ、この魔法……」
「グッ……な、何という魔法だ……。これだけ防御に徹しても、ベギラマ以上に強力だとは……」
ゲームだとベギラゴンは、100ポイント前後のダメージを与える強力な魔法だから、この反応は当然だろう。
炎が消え去ったところで、ウォーレンさんはすぐに指示を出した。
「弱っている者から順に回復を急ぐんだッ! 早くしないと、奴の次の攻撃が来るぞッ」
【は、はい】
後衛の者達は指示に従い、回復魔法を唱え始めた。
俺も同じく、回復魔法を前衛に唱えた。が、しかし、今のベギラゴンは全員が結構なダメージを受けているので、手数が足りないのは明白であった。回復できない者が、どうしても生れてしまうのである。
(ベホイミクラスの回復を行えるのは、俺とウォーレンさん、そしてバルジさんのパーティの1人と祝福の杖を持つシーマさんの計4名。後はどうやら、ホイミしか使えないようだ。……手が足りない。はぁ……こんな時にベホマラーとか使えるといいんだが……)
【ほう……全員が防御に徹し、我がベギラゴンを耐えたか。良い判断だ。これで半分くらいは殺せたと思ったが、この期に及んで、中々にやりおるわ。クククッ……だが、それも僅かばかり命が伸びたにすぎん。次で終わりだ】
ヴィゴールはまたも左右の手を合わせる。
と、その時であった。
「そうはさせん! 俺が編み出した秘剣を受けるがいいッ!」
なんとアヴェル王子は、光の剣に雷を纏わせ、奴に突進したのである。
そして、魔法動作でガラ空きになっているヴィゴールの左脇腹を斬り裂いたのであった。
奴の脇腹から、黒い血が噴き出す。が、致命の一撃にはならなかった。
王子の踏み込みが浅かった為、剣を深く斬りつけられなかったからだ。
【グァァァ、き、貴様ァァ】
するとその直後、ヴィゴールは斬りつけたアヴェル王子を、左肘で吹っ飛ばしたのである。
「グアァァ」
アヴェル王子は壁に叩きつけられ、そのまま力無く地に伏せた。
今の攻撃で、かなりダメージを負ったのは間違いないだろう。
ウォーレンさんの慌てる声が洞窟内に響く。
「ア、アヴェル王子! 大丈夫でございますかッ! 今、回復を……ベホイミ!」
王子の身体にベホイミの癒しの光が降り注ぐ。
程なくして、アヴェル王子はヨロヨロと立ち上がった。
「す、すまない、ウォーレン……大丈夫だ。まだ戦える。クッ……」
とはいえ、かなり辛そうなのは明白であった。
(木をへし折るような奴の一撃だ。スカラで守備力強化してるとはいえ、無事なわけがない……)
俺はそこで周囲の様子を確認した。
(皆、かなり弱った表情をしている……もう、体力的にもかなりキツイに違いない。加えて、奴の打たれ強さと強力な攻撃に、精神的にも参っているのだろう。片や、ヴィゴールは脇腹をやられたとはいえ、まだまだ戦える感じだ。今のアヴェル王子の一撃でそれなりのダメージは負っただろうが、あの傷口を見る限り、まだまだ火力が足らない。……クッ、何か良い手はないか……)
俺は必死になって思考を巡らせた。
だが何も策は思い浮かばない。
浮かぶのは『全滅』の2文字であった。
と、ここで、ヴィゴールの嘲笑う声が聞こえてきた。
【ククククッ、アヴェル王子……今のデインを使った魔法剣……中々の威力だったぞ。流石、アレイスの末裔といったところか……だが、それでも我を倒す事はできん。あの程度の攻撃、何百回と受けたところで問題ないわ。死ぬのが少し伸びただけの事よ。クククッ、さて、では戦いを再開するとしようか】
ヴィゴールはニタニタと笑いながら、疲れの見え始めた前衛を棍棒で薙ぎ払った。
離れた所にいるボルズ以外の前衛5名は、苦悶の声と共に勢いよく壁に叩きつけられる。
「グアァァ」
「ゴフッ」
「キャァァ」
「ウワァァ」
「オエッ」
今の攻撃を受け、起き上がってきたのは3人だけであった。
それも剣を杖代わりにしながら、ヨロヨロとである。
リタさんとコッズという人は微動だにしなかった。
一応、呼吸はしているので、気を失っているだけだと思うが、あの様子だともう戦えないだろう。
(今のはモロだ。回復魔法を受けていたアヴェル王子とバルジさんとラッセルさんはまだ戦えそうだが、他の2人は気を失っている状態……不味い、不味いぞ、これは……)
と、その時であった。
【ヒィィィ! も、もう嫌だッ! こ、こんな所で死にたくねぇよ!】
なんとボルズが、涙目になって、奥へと逃げだしたのである。
ヴィゴールはボルズに視線を向けた。
【この期に及んで逃げるとはな。見苦しいモノを見た。まずは貴様から始末してやろう】
ヴィゴールはその辺の瓦礫を拾い、ボルズに投げつけた。
「グァ」
ボルズは足に瓦礫が当たって転倒する。
そしてヴィゴールは悠々とした足取りで、ボルズへと詰め寄ったのである。
ボルズは背後を振り返り、慌てて後ずさった。
「はわわわ、く、くく、来るなァァァ」
だが、悲しいかな、ボルズはもう行き場のない状況となっていた。
なぜなら、ボルズの背後は洞窟の壁だったからだ。
そう……もう後がない状況なのである。
【見苦しい蛆虫よ……貴様を見ていると、虫唾が走る。まだ、我に抗おうとするだけ、こ奴等の方が好感が持てるわッ。目障りだ! 死ねッ!】
ヴィゴールは棍棒を振りかぶる。
ボルズは亀のように身体を縮こませた。
「ヒィィィィィィィ!」
と、その時である。
「させるかァァ!」
なんとバルジさんが、ボルズとヴィゴールの間に入り、奴に向かって突進したのである。
バルジさんの剣はヴィゴールに腹部に喰いこむ。が、しかし……奴はその攻撃を受けるや否や、棍棒から手を離し、バルジさんを鷲掴みにしたのである。
【フン】
ヴィゴールは手に力を籠めた。
ボキボキと何かが折れる音が聞こえてくると共に、バルジさんの絶叫が洞窟内に響き渡る。
「グアァァァァァァァァァァ!」
【ククククッ、馬鹿な男よ。こんな蛆虫のような弟なんぞ、放っておけばよいモノを……クククッ。そういえば、貴様には礼をしとかねばならぬな。王都一の冒険者という称号を得る為に、貴様はよく働いてくれた。お蔭で我も暗躍しやすくなったぞ。ククククッ、せめてもの礼だ。そんなに死にたいなら、まずはお前から始末してやろう。死ね!】
と、その直後、ヴィゴールはフルスイングでバルジさんを洞窟の壁に投げつけたのである。
「ガァッ!」
恐ろしいほどの勢いで壁に直撃したバルジさんは、グッタリとボルズの脇に転がった。
額や鎧の隙間からジワッと血がこぼれ落ちてくる。
それはもう一目でわかるくらい、瀕死に近い状態であった。
ボルズやラッセルさん、そしてバルジさんの仲間達の声が洞窟内に響く。
「兄貴ッ!」
「バ、バルジ!」
「大丈夫か、バルジッ!」
バルジさんは吐血しながらも口を開いた。
「ゴフッ……どうやら、ここまでか……まさか、お前を庇って死ぬことになるとはな……ゴフッ。いつもそうだ……お前は肝心なところで逃げ出す。だから俺は、お前を冒険者として捨てた。早死にするのは目に見えてたからな」
ボルズはバルジさんの身体を起こす。
「なんで助けたんだ、なんで! 俺の事なんか放っておきゃいいのにッ」
「さぁ……なんでだろうな、俺もわからん。やはり、血を分けた家族だからか……ウッ、ゴフッ」
「死ぬな、兄貴ッ!」
「フフフ……皮肉なもんだな……お前を助けたところで生きながらえる可能性なんてないのに……」
「しっかりしろ、兄貴ッ」
「ボルズ……お前も一度は冒険者を目指したのなら、最後くらい足掻いてみせろ。じゃなきゃ……お前は……一生……弱虫のま……ま……」
その言葉を最後に、バルジさんの身体は事切れたかのように、ガクッと力が抜けたのである。
ボルズは悲痛な叫び声を上げた。
「ウワァァァァ、あ、兄貴ィィィィィィ!」
【ククククッ、仲睦まじい兄弟愛というやつか。面白いモノを見せて貰った。さて、ではお前もバルジと共にあの世へ行くがいい】
ヴィゴールは棍棒を振り上げた。が、しかし、予想外の事が起きたのである。
「この糞野郎ッ! よくも兄貴をッ! ウワァァァ!」
なんとボルズが剣を抜き、奴に飛び掛ったのだ。
ボルズは怒りで我を忘れていた。
そして次の瞬間、俺が斬り落とした左手首の断面に、ボルズの刃が食い込んだのである。
【グッ……おのれ、この蛆虫がぁぁ!】
ヴィゴールは顔を顰めつつ、ボルズを棍棒で薙ぎ払った。
「ガァァ」
ボルズは壁に叩きつけられる。が、すぐに立ち上がり、ボルズは攻撃を再開したのである。
「テメェはぶっ殺す!」
今のボルズは怒りでバーサク状態であった。
(バルジさんの犠牲によって、ボルズのリミッターが外れたようだな。まぁそれはともかくだ。今の内に、とりあえず、バルジさんの容体を見ておこう……。ボルズは死んだと思っているようだが、まだそうと決まったわけではない)
というわけで俺は、ヴィゴールがボルズに気を取られている今の内に、バルジさんの元へと向かう事にした。
その際、俺はキレたボルズとヴィゴールの戦闘をチラ見する。
すると思いのほか、ボルズは善戦していたのである。
ボルズはヴィゴールの棍棒を掻い潜り、奴に斬りつけていたのだ。
オドオドとしていたさっきのボルズからは、考えられない光景であった。
(中々やるじゃないか……。ここにきて、アイツは壁を越えたのかもしれない。ま、それはさておき、今はバルジさんだ。奴がボルズへと意識が向いてる内に、治療ができるならしておかないと……)
程なくしてバルジさんの元へとやって来た俺は、まず口元に耳をやり、呼吸音を確認した。
しかし、呼吸音は聞こえなかった。
(息はしてないな……。次は鼓動だが、今は鎧を脱がすわけにはいかない。手首と首筋から脈を確認しよう)
俺は手首と首筋に手をやり、触診した。
すると、トクトクと脈打つ振動が伝わってきたのである。
(やはり、まだ死んでない。今なら多分、間に合うはずだ……。とりあえず、ベホイミ2発いっとこう)
俺は魔力を両手に分散させ、バルジさんにベホイミを唱えた。
と、その直後……。
「ゴフッ、ゴフッ……ハァハァ」
バルジさんは血を吐きだすと共に、息を吹き返したのである。
出血も止まったので、傷もかなり回復したんだろう。
とはいえ、出血量が多いので重傷には違いないが……。
と、ここで、バルジさんの仲間の1人がこちらにやって来た。
それは若く美しい魔法使いの女性であった。
悲痛な面持ちで、女性はバルジさんに呼びかける。
「バルジッ、しっかりして! ねぇバルジ!」
俺はそこで口元に人差し指をやり、シーというジェスチャーをした。
「静かに……大丈夫です。バルジさんは死んではいません。ですが、出血が酷いので、今は絶対安静です」
と、ここで、バルジさんが口を開いた。
「ゴホッ……こ、ここは?」
「気が付きましたか、バルジさん」
バルジさんは眼球だけを動かし、俺を見た。
「貴方はコータローさん……ハッ!? そうだ、ゴランは! ゴホッ、ゴホッ」
「駄目よ、バルジ……今は安静にしてないと」
女性はそう言って、咳き込むバルジさんを優しく介抱した。
「クレア……ゴランに化けていた魔物はどうなった?」
女性は困った表情で俺に目を向ける。
仕方ないので、俺は正直に言っておいた。
「バルジさん……残念ですが、まだ戦いは終わっておりません。奴と戦っている真っ最中です。貴方の弟であるボルズもね」
「ボルズが?」
「俺も驚いてるところです。貴方が身を挺して庇ったのが効いたみたいですね。どうやら、アイツの中で迷いが無くなったんでしょう」
そこで俺はボルズに目を向けた。
ボルズは今、ヴィゴールの攻撃を掻い潜りながら、剣を振るっているところであった。アヴェル王子やラッセルさんと共に……。
その様子は正に戦士といった感じであった。
バルジさんは、ヴィゴールと戦うボルズを見ながらボソリと呟いた。
「そうか……アイツもようやく一皮むけたか……しかし、少し遅かったかな……」
バルジさんは残念そうに目を閉じた。
「遅い? なぜですか?」
「コータローさん……貴方ほど、頭のキレる方ならば、今がどういう状況かわかる筈だ。あの化け物には、どうやっても勝てない。恐らく、王都の冒険者……いや、魔導騎士団でも歯が立たないに違いない。だからですよ。奴には……俺達の剣や魔法は効かないんだ……」
まぁそう思いたくなるのも仕方ない。
実際、ボルズは剣で斬りつけてはいるが、ヴィゴールにダメージを与えれていないのは、明白だったからだ。
「まぁ確かに、そう思われるのも無理はないでしょう。ですが……先程のボルズの攻撃のお蔭で、俺はようやく希望が見えてきましたよ」
「希望? 何を言うかと思えば……。あの化け物は、ボルズ1人の力でどうこうできる相手ではない。貴方ほどの人ならわかる筈だ」
「ははは、そういう意味で言ったのではないですよ」
「こんな時によく笑えるな……ところで、今のはどういう……」
「……後にしましょう。それはともかく、貴方達にお願いがあります」
2人は互いに顔を見合わせる。
「お願いとは?」
「この戦いが終わるまでの間、バルジさんは死んだことにしておいてほしいのです」
「え、なぜ?」と、クレアさん。
「ボルズは今、バルジさんが死んだと思って戦っているからですよ。彼は今、貴重な前衛戦力になりました。もう直接戦えるのは、あの3人しかいません。これ以上減ると、奴の気を逸らせそうにないですからね……」
俺はそう言ってヴィゴールに目を向けた。
「コータローさん……貴方は一体何を……いや、訊くのはやめておこう。何をするつもりなのか知らないが、死んだフリをすればいいんだな?」
「ええ」
「わかった。では、俺は暫くの間、死んだフリをするとしよう。クレアもそういう事にしておいてくれ」
「わかったわ、バルジ」
「じゃあ、よろしくお願いしますね。ではクレアさん、貴方も持ち場に戻ってください」
「で、でも……」
クレアさんはバルジさんに心配そうな眼差しを送る。
恐らくこの人は、バルジさんとゴニョゴニョの仲なのだろう。
(チッ……妬かせるじゃねェッか、チクショー)
まぁそれはさておき、言う事は言っておかねば……。
「クレアさん、奴はバルジさんの事を死んだと思ってますから、これ以上、危害は加えないと思います。ですから、ここに俺達がいる方が、かえって危険なんです。だから、今は持ち場に戻ってください」
「今はコータローさんの言うとおりにしておけ」
「わかったわ、バルジ。でも安静にしてなきゃダメよ」
「ああ、わかっている。お前も気をつけろよ」
「ええ……」
2人は見詰め合う。
(だぁぁ……こんな所でラブロマンスするなぁぁぁ!)
つーわけで、俺はそんな2人に向かい、この言葉を贈ったのである。
「乳繰り合うのは、後にしてください!」と――
[Ⅲ]
戦列に戻った俺は、前衛に回復魔法をかけたところで、ウォーレンさんに耳打ちをした。
「ウォーレンさん……お話があります」
「何か気づいた事でもあったのか?」
「はい。ですが、それを確かめる為に少しお力を借りたいのです」
「……言ってみろ」
「今から俺は、奴にイオラを使います。それと同時に、ウォーレンさんも奴に向かってバギマを放ってほしいんです」
するとウォーレンさんは眉根を寄せた。
「なぜ今更、攻撃魔法なんだ? 奴に魔法は効果がないぞ」
「どうしても確認したい事があるんです」
「確認したい事……まぁいい。お前の事だ。何か考えがあるんだろう。それはともかく、お前に続いてバギマを放てばいいんだな?」
「ええ、お願いします」
俺はそこで、隣にいるミロン君にもお願いする事にした。
「それとミロン君……君は確か、ヒャダルコが使えると言ってたよね?」
「ええ、使えますが……」
「じゃあ、ミロン君も奴にヒャダルコを放ってくれるかい」
「え? でも、地上での戦闘を見る限り、あの魔物にヒャダルコは効かないと思いますが……」
「それでも構わない。お願いできるかな」
「はぁ……わかりました」
ミロン君は返事しつつも、首を傾げていた。
効かない魔法を使えと言ってるのだから、そりゃ首を傾げたくもなるだろう。
(2人には悪いが、今は説明している時間がない。とりあえず、まずは奴に魔法をぶつけてみよう。中級の範囲攻撃魔法を3発も放てば、何かがわかる筈だ)
というわけで、俺は奴に左手を向け、早速、呪文を唱えたのである。
「イオラ」
続いてウォーレンさんとミロン君も呪文を唱える。
「バギマ」
「ヒャダルコ」
その直後、俺達の魔法は奴に襲い掛かった。
するとヴィゴールは、右足を一歩前に出して半身になり、俺達の攻撃魔法を受けたのである。
奴の笑い声が、洞窟内に響き渡る。
【クハハハ、地上での俺の言葉を聞いてなかったのか。貴様等程度の魔法なんぞは効かんのだ。ククククッ】
ウォーレンさんは、苦虫を噛み潰したような表情になった。
「クッ……コータロー、やはり奴に魔法は効かない。一体、これで何を確認したかったんだ?」
「コータローさん、やっぱり駄目ですよ。あの魔物に魔法は効かないです」
俺はニヤッと笑いながら、2人に礼を述べた。
「ありがとうございます。予想以上の成果でしたよ。お蔭で色々とわかりました……」
「何!? 今のはどういう……」
「ちょっと待ってください。今、少し整理しますから」
俺は顎に手をやり、思考を巡らせた。
(今、ヴィゴールがとった行動を見る限り、奴の弱点は恐らく……。だが、そこに攻撃を加えるのは至難の業だ。どうやってやればいい……北斗○拳みたいに内部からの破壊ができれば解決できるが、そんな事できる筈……へ? 内部からの破壊!?)
ここで俺の脳裏にある事が閃いた。
またそれと共に、そこに至るまでの道筋も見えたのである。テーレッテーってなもんだ。
「ウォーレンさん、ようやく見えましたよ」
「は? 見えたって何がだ?」
「勿論、この戦いに勝つ為の道です」
2人は目を大きく見開いた。
「何だと!?」
「ほ、本当ですかッ、コータローさんッ!?」
「ええ、本当です」
「で、どうするんだ?」
「その為にはどうしても前衛の力を借りなきゃなりません。つーわけで、俺も前衛に行ってきます。後衛の方はウォーレンさん達にお任せしますね」
「は? ちょっ、ちょっと待て、どういう事だ」
ウォーレンさんとミロン君は、わけが分からないといった表情であった。
まぁこうなるのも無理はないだろう。
だが、説明している時間がないので、俺は一言だけ告げ、前に出たのである。
「まぁとりあえず、見ていてください。奴の鉄壁の防御に、大きな風穴を空けて見せますから」――
Lv49 悪鬼の最期( i )
[Ⅰ]
ヴィゴールは今、ボルズとラッセルさん、そしてアヴェル王子と戦っている最中であった。
ボルズとラッセルさんの攻撃に続き、アヴェル王子の火炎斬りがヴィゴールに見舞われる。
「デヤァ」
「ハッ」
「この野郎!」
【うるさい蛆虫共だ。クククッ、しかし、無駄な事よ。我に貴様等程度の攻撃など、通じんわッ。フンッ!】
ヴィゴールの棍棒が3人に襲い掛かる。が、3人は攻撃を受けた後もすぐに起き上がり、攻撃を再開した。
スカラとピオリムによって強化された彼等は、動きに関してはヴィゴールと互角といえた。
特に驚かされたのが、ボルズであった。動きや太刀筋には迷いといったものが感じられないのである。
これを見る限りだと、兄であるバルジさんと同様、ボルズも戦士としての素質があったに違いない。
(ボルズも良く頑張っている。だが……ヴィゴールがニヤニヤ笑いながら攻撃を受けているところを見ると、全く効いてなさそうだ。あの様子だと、3人の攻撃はハエがたかっている程度にしか思ってないのだろう。恐ろしい化け物だぜ。まぁそれはともかく、今は一刻も早く、3人に話をしなければ……)
俺はヴィゴールの間合いの外で立ち止まり、3人に呼びかけた。
「アヴェル王子にラッセルさんッ、それからボルズッ! こちらに来てもらえますか?」
程なくして、3人は攻撃を止め、俺の所へとやって来た。
3人は傷だらけではあったが、まだまだ戦える状態であった。
(前衛は既に3人が戦線離脱している。この3人が元気なうちに、奴の弱点を突かないと……)
と、そこで、ヴィゴールの笑い声が木霊する。
【クハハハハッ、なんだ、もう攻撃は終わりか。それとも、下らない悪巧みでもはじめるのかな。無駄な事よ。お前達には死以外ない、ククククッ】
(この余裕はもしや……これはチャンスかもしれない。ぶっつけ本番になるが、実行あるのみだ)
俺は3人に小声で話しかけた。
「大事な話があります。奴と対峙しながら、今は驚かずに俺の話を聞いて下さい」
「わかった」と、アヴェル王子。
これを合図に、3人は俺に背を向け、ヴィゴールに剣を構えた。
「言ってくれ、コータローさん」と、アヴェル王子。
俺は奴に気付かれないよう、口元に手を当てて言葉を紡いだ。
「……奴の弱点が分かりました。もしかすると、奴を倒せるかもしれません」
小さな声ではあったが、3人の驚く声が聞こえてくる。
「え!?」
「そ、それは本当ですか?」
「何!?」
「本当です。ですが、問題もあります」
ラッセルさんが訊いてくる。
「問題というのは?」
「そこへの攻撃は、俺以外、出来そうにないという事です。そこで3人にお願いがあります。暫くの間、3人で奴の気を引いていてもらいたいのです」
アヴェル王子はチラッと俺を見る。
「それは分かりましたが、一体何をするつもりなのですか?」
「説明している時間がないので、今は俺の言うとおりにしてください。幾ら弱点が分かったとはいえ、戦いが長引けば長引くほど、こちらが圧倒的に不利になりますから」
「……わかりました。何をするつもりなのか知りませんが、このままではどの道、我々は皆殺しになるだけです。コータローさんの言うとおりにしましょう」
と、ここで、ヴィゴールの声が聞こえてきた。
【クククッ、この期に及んで逃げる相談でもしてるのかな。クククッ】
ヴィゴールはゆっくりと前進する。
間合いを保つ為、俺達は奴に合わせてジリジリと後退した。
そんな感じで、奴の出方を窺いつつ、俺は話を続けた。
「アヴェル王子……デインの魔法剣は、あと何回くらい使えますか?」
「それが実は、俺の魔力も残り少ないので、使えても、あと1、2回といったところです」
「そうですか。では、俺が指示するまで温存しておいて下さい」
「え? それはどういう……」
「言葉のとおりです」
と、ここで、ボルズが話に入ってきた。
「コータローさん……奴を倒せると言ったが、本当なのか? 奴を倒せるのなら、俺は何だってするぞ」
俺はボルズを焚きつけておく事にした。
「ああ、本当だ。それからボルズ……お前にも話しておく事がある」
「何だ一体?」
「バルジさんは……ついさっき息を引き取ったよ。俺も何とかして助けようと回復魔法を唱えたが、無理だった。……すまん」
「あ、兄貴……クソッ」
ボルズはワナワナと身体を震わせていた。
後ろ姿なので顔は見えないが、恐らく、怒りに打ち震えた表情をしているに違いない。
「いいか、ボルズ……これはバルジさんの敵を討ちでもあるんだ。奴を倒すぞ」
「ああ、やってやるよ。やってやるとも! 奴をぶっ殺す為なら、何だってしてやるッ!」
どうやら、洗脳は成功したようだ。
狂戦士ボルズの誕生である。
「ではコータローさん、我々はもう行動を開始しますね」と、アヴェル王子。
「はい、ではお願……あ、そうだ。ついでなので、頃合いを見計らって、光の剣での目晦ましもお願いできますか」
「目晦ましですね。わかりました」
「では健闘を祈ります」
そして、俺達は行動を開始したのである。
前衛の3人は奴の気を引く為に攻撃を再開した。
「セイヤッ!」
「ハッ!」
「ウォリャァァァ!」
【グフフフ……蛆虫共の攻撃なんぞ、防御するまでもないわ! フン】
ヴィゴールは意にかえした素振りも無く、平然と棍棒を振り回した。
3人は棍棒に吹っ飛ばされる。が、すぐに後衛の回復魔法が彼等に降り注いだ。
そして彼等は即座に立ち上がり、ヴィゴールに攻撃を再開するのである。
こんな感じの戦闘が暫し繰り返される。
と、そんな中、アヴェル王子は剣を正面に立てて構え、奴に目晦ましをしたのであった。
(今だッ!)
俺は、これを合図に行動を開始した。
魔道の手を使い、俺は一気に奴へと接近する。
そこでヴィゴールの声が聞こえてきた。
【クククッ、その手はもう食わんぞ。同じ手が何度も通用するとは思わん事だ】
ヴィゴールは左腕で目を覆い、視界を遮っていた。
そう、目晦ましは失敗したのである。が、しかし……俺の計画に支障はなかった。
なぜなら、成功しようがしまいが、この目晦ましによって僅かな隙が生れるからだ。
奴の視界を一時でも奪う事が、狙いなのである。
俺はこの僅かな隙を利用して、奴の背後に回り込んだ。
そして、奴を攻略する作戦を開始したのである。
俺が今からやろうとしている事……それは、魔光の剣を使って、まずは奴の背中に切り口を作ることであった。
しかし、ここで問題がでてくる。今の俺には魔力がそんなに残ってない為、最大出力の魔光の剣は使えないという事だ。
そこで俺は考えた。そして……思いついた手段は魔法剣であった。が、しかし……火炎斬りでは心許ない。
地上で魔導騎士達が使っていたが、あまりダメージを与えれてないのは明白だったからだ。
ではどうするか? 実はこれを解決できるヒントを俺はさっき目にしたのである。
そう……アヴェル王子が使ったデインの魔法剣だ。
だが、問題がないわけではない。
それは勿論、使った事がない魔法剣だからである。
しかし、何となくではあるが、出来そうな気がした。なぜなら、デインの魔力変化は、既に俺の中でイメージできているからだ。
ライデインほど複雑な魔力変化は起きないので、俺にも出来そうな気がしたのである。
(ぶっつけ本番になるが、やるしかない。それにここならば、奴の巨体が影になって、俺がデインの魔法剣を使うところは誰にも見えない。アシュレイアとかいう奴には見られてしまうかもしれないが……とにかく、やるなら今だ)
俺は魔光の剣を手に取り、デイン発動前の魔力を体内で生成する。
そして、魔光の剣へと送り込んだ。
と、その直後! なんと、ライトセーバーのような「ピシュー」という発動音と共に、雷を纏った青白い光刃が出現したのである。
光刃に纏わりつく雷は、バチバチというスパーク音を立てていた。
それだけじゃない。俺が少し剣を動かしただけで、ブォンというライトセーバーみたいな音まで聞こえてきたのだ。
(おお、なんか知らんけど、スゲェ~! 本物のライトセーバーみたいだ。電撃付きだからライトニングセーバーって感じだけど……って、感心してる場合じゃないッ!)

俺はすぐに意識を戻し、雷を纏う光刃を奴の背中に振るった。
その刹那!
【ウグァァァ!】
奴の苦悶の声と共に、背中に50cm程の切り口がパックリと開いたのである。
(よし、成功だ)
だがこれで終わりじゃない。
ここからが本番なのである。
俺はその切り口に向かい、左腕を突き入れ、奴の体内へと潜り込ませる。
そして、奴に致命の打撃を与える呪文を唱えたのであった。
だがその直後……。
【おのれェェ、そこで何をしているゥゥゥ】
ヴィゴールの左肘が俺に襲い掛かったのである。
俺はその肘に吹っ飛ばされ、洞窟の壁に激突した。
「グハッ!」
それはかなりの衝撃であった。が、死ぬほどではなかった。
俺の正確な位置まではわからなかったので、完全にヒットしなかったのだろう。
不幸中の幸いというやつだ。
ヴィゴールの怒声が洞窟内に響き渡る。
【おのれぇ、貴様だったかッ! コソコソと小癪な!】
だが次の瞬間――
―― ドゴォォォン ――
【ウギャァァァァァァァァ!】
こもったような破裂音と共に、ヴィゴールの身体は派手に弾けたのである。
奴の肉片と黒い血が辺りに飛び散る。それは凄惨な光景であった。
程なくして、ズタズタに引き裂かれたヴィゴールの身体は、ゆっくりと崩れ落ちる。
そして、ヴィゴールは吐血しながら、怒りに満ちた赤い目を俺に向けたのであった。
【ガハァッ! き、貴様……わ、我の身体に……い、一体、何をしたァァァァ!】
俺はネタをバラす事にした。
「ヴィゴール……お前は凄いよ。物理攻撃にしろ、魔法攻撃にしろ、外部からの攻撃は殆ど効果がない。正攻法で戦ったら、今の俺達では絶対に勝てない魔物だ。だが、そんなお前にも弱点はあった」
【じゃ、弱点だとォ……グハッ】
「お前の弱点……それは、その強靭な皮膚の下にある。だから……俺はそこを破壊する事にしたのさ、イオラでな」
【皮膚の下だと……ま、まさか……その前に使った3つの攻撃魔法は……カハッ】
「ああ、それを確かめる為だ。案の定、お前は、深い傷がない右半身で魔法を受けたからな。お蔭で、俺も自信をもてたよ」
【グッ……しかし、イオラ程度の魔法に、ここまでの威力がある筈は……】
「そう、確かに……空中で爆発させたならここまでの威力はない。だが、お前の体内で爆発させたという事は、イオラの持つ破壊力を、お前自身が全て受け止めたという事。その威力は空中爆発の比ではない。それに加え、無数の傷がついた外皮が、内部からの圧力に耐え切れずに引き裂かれ事も、そうなった理由の1つだ。つまり、今までの積もり積もった小さな傷によって、お前は致命的な傷を負う事になったのさ。どんなに強度のあるモノでも、僅かな傷によって、一気に瓦解する場合があるって事だ」
【グッ、お、おのれェ】
俺はそこで、残った全魔力を両手に向かわせ、話を続けた。
「そして……もう1つ重要な事がある。今のお前は弱点がむき出し状態って事だ。だから、この魔法も、今のお前なら効果がある……というわけで、喰らえ、メラミ!」
両手から2つの火球が放たれ、奴の引き裂かれた傷口に襲い掛かる。
その直後、火球は爆ぜ、ヴィゴールの全身に火の手があがった。
【グギャァァァ】
メラミの炎に焼かれ、ヴィゴールは狂ったような悲鳴を上げながら、もがき苦しむ。
その光景を見ながら、俺は片膝を突いた。
(ハァハァ……これで魔力は尽きた……俺に出来る事はもうない。……後はアヴェル王子に任せよう)
俺はアヴェル王子に向かい叫んだ。
「アヴェル王子! デインの魔法剣で奴の脳天を貫いて下さいッ。今の奴ならば、それで止めを刺せる筈ですッ」
「わかりましたッ」
王子は光の剣を構え、刀身に雷を纏わせる。
そして、炎に焼かれる奴に飛び掛かり、脳天にデインの魔法剣を突き立てたのである。
「デヤァァ!」
【アギャァァ……モウシ……ワケ…アリ…ン…アシュ…レイア…サマァ……】
ヴィゴールは弱々しい悲鳴を上げながら、動きをゆっくりと制止する。
程なくしてメラミの炎も消え去り、黒い肉塊と化したヴィゴールの哀れな姿だけが、そこに残ったのであった。
[Ⅱ]
奴が事切れたのを確認したところで、アヴェル王子はヴィゴールの頭部から剣を抜いた。
するとその直後、ヴィゴールの亡骸はドロドロと溶け始め、骨だけを残して蒸発していったのである。
それから更にその骨も、パラパラと音を立てて崩れてゆき、砂とも灰ともいえない白い粉状の物へと変貌を遂げたのであった。
(ヴィゴールの身体が消滅した……どういう事だ一体……。他の魔物達はこういう事にならないし、以前倒したザルマも遺体は残っていた。わけがわからん……)
と、ここで、アヴェル王子が訊いてくる。
「コータローさん……魔物が消えてしまいました。これは一体……」
「う~ん、その辺はなんとも……。ですが、何れにせよ、ヴィゴールはこれで死んだと思います。肉体自体が崩壊してましたから」
「では、俺達の勝利というわけですね?」と、ラッセルさん。
「ええ……恐らくは」
少し釈然としない部分はあるが、俺はとりあえず頷いておいた。
すると安心したのか、他の皆は安堵の表情を浮かべると共に、ヘナヘナと力が抜けたかのように、地べたに座り込んだのである。
今まで相当気を張っていたのだろう。緊張の糸が一気に緩んだに違いない。
と、そこで、ウォーレンさんの声が聞こえてきた。
「よし、では疲れているところ悪いが、俺達後衛の最後の仕事だ。負傷した者達の治療を始めるぞ。魔力が残っている者は、すぐに治療を始めてくれ」
(そういや、それがまだ残ってたな。皆、魔力がかなり消耗してるから、俺だけがサボるわけにはいかないか……。仕方ない……あまり使いたくはないが、祈りの指輪を使おう……)
というわけで、指輪が壊れないよう祈りながら魔力を少し回復した後、俺も負傷した者達の治療に取り掛かったのである。
―― それから約20分後 ――
負傷者の治療は割とすぐに終わった。
なぜなら、そこまでの怪我人はいなかったからだ。
あんな恐ろしい魔物と戦ったにも拘らず、俺達の中から戦死者は出てこなかったのが幸いであった。
この中では一番重傷と思われるリタさんとコッズさんであったが、酷い打撲程度だったので、魔法で十分回復させれたのである。めでたしめでたしだ。
と、その時である。
「ヒィ、ヒィン、ヒィ……兄貴……ごめんよ、兄貴……お、俺が……アホな所為で」
幽霊のように啜り泣く声が聞こえてきたのである。
俺は発生源に目を向けた。
声の主は勿論ボルズであった。
ボルズは仰向けになったバルジさんの前で、四つん這いになり、泣きじゃくっていた。
そして他の皆はというと、それを見て、気まずそうな表情を浮かべているのである。
(あ……そういや忘れてたわ、バルジさんの事……う~ん、なんかこの空気の中だと切り出しづらいなぁ……)
と、そこでクレアさんと目が合った。
クレアさんは微妙な表情をしていた。
多分、どうしていいのか、わからないのだろう。
(仕方ない。俺がやった事だし、自分で始末つけるか)
俺はボルズに近づくと声を掛けた。
「あのさ、ボルズ……ちょっといいか」
ボルズは振り向く。
その表情は、鼻水と涙で凄い事になっていた。
「なんだ……グズ……コータローさん」
「その……なんだ……言いにくいんだが……ちょっとバルジさんに用があるんだ」
「は? 兄貴に用?」
「ああ」
俺はポリポリと後頭部を書きながら、バルジさんに告げた。
「あの、バルジさん……もう死んだフリは良いですよ。とりあえず、一難は去りましたので」
バルジさんはゆっくりと瞼を開け、口を開いた。
「そ、そうですか」
「へ?」
ボルズはポカンと口を開けながら、鳩が豆鉄砲を喰らったような表情をしていた。
他の皆も驚いたのか、ボルズと同じような表情をしている。
ここから察するに、全員、死んだと思っていたのだろう。
つーわけで俺は、誤魔化す意味も込めて、爽やかに事の顛末を説明したのである。
「ははは、いやぁ~、実はですね、バルジさんは俺の治療が間一髪間に合ったので、死んではいなかったんですよ。ははは、すまないな、ボルズ、驚かせちまったか。なははは」
「あ、兄貴が生きていた……」
ボルズはこの事実を知り、力が抜けたのか、後ろにゆっくりと倒れ、仰向けになった。
それから大きく息を吐き、安堵の表情を浮かべたのである。
「すまんな、ボルズ……。コータローさんに頼まれて死んだフリをしていたんだ」
「もう脅かさないでくれよ……ズズズ」
ボルズは笑みを浮かべ、鼻を啜った。
「良かったじゃないか、ボルズ。ちゃんとコータローさんに礼を言っとけよ」と、ラッセルさん。
「ああ、勿論だ」
そして、ボルズはサッと起き上がり、俺に深く頭を下げたのである。
「ありがとう、コータローさん。アンタのお蔭だ。もう何言っていいのかワカンネェくらいに感謝してるよ。命の恩人だ。いつか、何らかの形で、礼はさせてもらうよ」
「いいよ、別に。こんな事態での話だしな。その辺は気にしなくていい」
「そうはいかねぇよ。ところでコータローさん、なんで兄貴に死んだフリをさせたんだ?」
「なんでって、そりゃ決まってるだろ。アンタが、ようやくやる気を出してくれたからだよ」
「へ、やる気? って……あッ!?」
ボルズも気付いたみたいだ。
ラッセルさんはポンと手を打った。
「ああ、そういう事だったんですか。確かに、あの魔物と戦ってるときのボルズは、別人のようでしたからね。俺も驚きましたよ」
バルジさんも同調する。
「俺も驚いたよ。ようやくお前も一皮むけたな。見直したぞ、ボルズ」
ボルズはポリポリとコメカミをかいた。
「いや、あれはな……兄貴が死んだと思っちまったから、怒りで何もかもが吹っ飛んじまってたんだよ。もう、奴に斬りつける事ばかりで頭が一杯だったんだ」
「そうなのか……ま、何れにしろ、さっきのお前を見て俺も安心した。もう少し、自分の力を信じろ、ボルズ。そうすれば、さっきのような力を出せるんだからな」
「兄貴……」
バルジさんの励ましを聞いて少しウルッと来たのか、ボルズは手の甲で瞼を擦った。
今まで色々とあったようだが、これでこの2人も仲良くなるに違いない。雨降って地固まるというやつだ。
と、ここで、アヴェル王子が話に入ってきた。
「お話し中のところすまないが、私からも一言言わせてもらいたい。皆、よく頑張ってくれた。君達のお蔭で、このイシュマリアは救われたようなものだ。イシュマリア王家を代表して、私からも礼を言わせてもらうよ。貴殿らの働きに感謝いたします」
アヴェル王子は皆に深く頭を下げた。
と、その直後、バルジさんと俺を除いた冒険者達は皆、王子の前で跪き、恭しく頭を垂れたのである。
まずラッセルさんが口を開いた。
「これまでの非礼、お許し下さい、アヴェル王子。まさか王族の方がおられるとは思いもしませんでしたので」
「皆、顔を上げてくれ。今回はお忍びで来たのだから、そこまでの儀礼は必要はない。今まで通りで構わないから」
「え、ですが……」
「構わない。それに俺も、堅苦しいのはあまり好きではないのでね」
「しかし……」
ラッセルさんは尚も、微妙な表情をしていた。
やはり、王族となると中々割り切れないものもあるのだろう。
つーわけで、割り切れる俺が話に入る事にした。
「ラッセルさん、アヴェル王子はこう言ってくれてるんです。今まで通りで行きましょう。それに、そんな小さい事をイチイチ気にする方ではないですよ。器の大きい方ですから。ねぇ、アヴェル王子?」
「コータローさん、褒めたところで何も出てきませんよ。ところで、これからどうしましょうか? 洞窟を塞いだ瓦礫は1日や2日では撤去するのは難しい量です。おまけに、この先は行き止まりだと先程の魔物は言ってました。となると、我々は閉じ込められたという事になりますが……」
アヴェル王子はそう言って、奥へと続く空洞に目を向けた。
「ええ、それなんですが……実はですね、この戦闘が始まる前、ラティにこの奥の調査をお願いしたんですよ。その内、ラティも戻ってくると思いますので、暫しの間、休憩をしておきましょう。あれだけの魔物と戦ったんですから、休む事も必要ですよ。それに、今はバルジさんをあまり動かさない方が良さそうですしね」
「わかりました。では、ここはコータローさんの言うとおりにしましょう」
アヴェル王子は皆に告げた。
「それじゃあ、皆、ラティが戻るまでの間、暫く休憩としよう。各々は今の内に身体を休めておいてくれ」
つーわけで休憩タイムである。
[Ⅲ]
アヴェル王子の休憩宣言の後、俺はその辺にある凸凹とした鍾乳石の1つに腰かけ、大きく息を吐いた。
(はぁ……今回はマジで疲れた……魔力が底つくまで戦ったのは初めてやわ……。砕けても構わんから、もう一度、祈りの指輪を使っとこ……)
俺は祈るように手を組み、指輪に付いている青い宝石に触れ、魔力を僅かに籠めた。
と、その直後、俺の身体の中に優しい魔力が入り込んできた。
どういう原理でこうなるのか分からないが、一応、これが指輪の効果である。
(この感じだと……回復したのは4分の1ってところか。指輪も砕けてないから、今はこのくらいにしておこう。この指輪は貴重だしな……)
ふとそんな事を考えていると、ラッセルさん達が俺の傍にやって来た。
「コータローさん……貴方は凄い方です。あんな魔物を前にしても、冷静なのですね。正直驚きました」と、ラッセルさん。
「まぁ俺も死にたくないですからね。その為にも、物事はよく見ておかないと。判断を誤るとエライことになりますから」
続いてマチルダさんも。
「でもコータローさん、よくあんな事を思いついたわね。感心するわ」
「そんなに凄かったの? 私、気を失っていたから、あの後の事、全然覚えてない……」と、リタさん。
シーマさんが答える。
「だって、普通思いつかないわよ。あの化け物の体内でイオラを発動させるなんて。本当によく見ているわ、コータローさんは」
なんか知らんが、エライ褒められようだ。しかし、悪い気はしない。
と、ここで、アヴェル王子が話に入ってきた。
「皆さんの言うとおりですよ」
すると俺達の話を聞いていたのか、他の皆もコチラへとやってきたのである。
多分、さっきの戦いについて色々と訊きたいのだろう。
まぁそれはさておき、アヴェル王子は俺の隣に腰を降ろし、ニコヤカに話を続けた。
「コータローさんがいなければ、俺達は全滅でした。しかし、よく奴の弱点を見抜きましたね」
「まったくだぜ。お前って、本当に物事をよく見てるな。あんな化け物を前にして、普通は出来ないぞ」と、ウォーレンさん。
続いてミロン君も。
「本当ですよ。まさか、あの魔物の弱点まで見抜くなんて思いもしませんでした。凄いですよ、コータローさん」
俺は金田一耕助の如く、後頭部をボリボリとかいた。
「そんな風に言われると、いやぁ~なんか照れるなぁ~。でもまぁそれに関しては、実はボルズのお蔭なんですよね」
するとボルズは自分を指さした。
「へ? 俺のお蔭?」
わけが分からんといった表情だ。
「ああ、お前のお蔭だよ。ボルズが逆上して、奴の左手首を攻撃してくれたおかげで、それに気づいたんだからな」
「そういや、そうだったっけか……で、なんでそれが弱点に繋がるんだ?」
「あの時、奴がお前の攻撃で顔を顰めたからだよ。奴の左手首は俺の攻撃によって、中身がむき出しの状態だったからな。今まで平然と俺達の攻撃を受け続けていたやつが、あそこを攻撃された時は痛がったから、そう考えたんだよ」
「あ、そうか!」
ボルズは気付いたようだ。って遅ッ。
ウォーレンさんが訊いてくる。
「俺とミロンに魔法を放ってほしいと言ったのは、それを確認する為なのか?」
「ええ、まぁそれもそうなのですが……実はあそこで魔法をお願いしたのは、別の理由があるんです」
「別の理由?」
「はい。あれは、攻撃魔法も効果があるのかどうかを調べる為だったんです。そしたら奴は、わざわざ右半身で魔法を受けましたからね。それで俺は確信を持てたというわけです」
ウォーレンさんは顎に手をやり、感心したように頷いた。
「なるほどな……そういうことか」
「凄いですね……あの戦いの最中に、そこまで考えていたなんて」と、ミロン君も。
「俺も必死だったんだよ」
「でも、運も味方しましたよね。あの魔物が、ベギラゴンとかいう魔法を連続して使ってこなかったので助かりました。あんな魔法を続けざまにやられたら、流石にやばかったですもん」
ミロン君の言葉に、アヴェル王子とボルズが同調する。
「確かに、アレは運が良かった。君の言うとおり、奴が使ってこなかったから、勝てたようなものだからな」
「おお、アレは確かにヤバかったぜ。あんな魔法立て続けに使われたら、たまんねぇよ」
どうやら皆、『使ってこなかった』と思っているようだ。
水を差すようで悪いが、俺の見解を話すとしよう。
「皆さんはやはり、使ってこなかったと思っているのですか?」
するとミロン君は首を傾げた。
「え、違うんですか?」
「これは俺の推察だけど……あれは、使ってこなかったのではなく、使いたくなかったんだと思うよ。少なくとも……アヴェル王子が生きている間はね」
アヴェル王子は眉根を寄せた。
「ど、どういう意味ですか、コータローさん」
「アヴェル王子……奴があの魔法を使った後の事、覚えておりますか?」
「勿論、覚えているよ。デインの魔法剣で攻撃した時の事だろう?」
「ソレです。奴はあの時、アヴェル王子の攻撃によって傷を負ったんですよ。アレは多分、奴にとって予想外だったんじゃないでしょうか。その証拠に、魔法発動前の動作に入っていたにも拘らず、魔法を使うのを止め、アヴェル王子への攻撃へと切り替えましたからね」
「あ、確かに……」
「それに加えて、その後の行動はあまりにも矛盾してました」
「矛盾?」
「ええ。奴はあの時、アヴェル王子の攻撃を中々の威力と認めつつも、何百回と攻撃されても問題ないような事を言っておりました。ですが、それからというもの、奴はまた棍棒による攻撃に徹し、あの魔法は二度と使わなかったんです。そこがまずおかしいんですよ。王子の攻撃が何ともないなら、魔法を連続で使って、俺達を倒せばいいんですから。しかし……奴はそうしなかった。つまり……使いたくても使えなかったのではないかと俺は思っているのです」
ウォーレンさんが訊いてくる。
「という事は……アヴェル王子の魔法剣は奴にとって脅威だったって事か?」
「ええ。俺はそう思っています。そこでアヴェル王子にお訊きしますが、あの時、もう少し踏み込めたらイケそうだと思いませんでしたか?」
アヴェル王子は頷いた。
「今思い出したよ。あの時、踏み込みが浅かったから、次はもう少し深くと思っていたんだ。しかし……奴の言葉を聞いてガックリときたのを覚えてるよ。何百回と受けても問題ないなんて言われたからね……」
「それが奴の狙いだったと思いますよ。大体、奴の身体を切り裂けたのは、俺の持つ魔光の剣とアヴェル王子のデインの魔法剣だけです。アレは恐らく、奴なりの駆け引きだったんじゃないでしょうか。あの魔法を使うとき、奴はかなり無防備になりますからね。ま、今となってはその本人もいないですから、確認のしようがないですが……」
「なるほど……あの魔物は見た目に似合わず、結構慎重な魔物だったという事ですね」と、ミロン君。
「まぁそうなるのかな。でも……さっきミロン君も言ったけど、俺達は運が良かったと思うよ」
「弱点を知る事ができたからですか?」
「それもあるけど、奴が有り得ないくらい、余裕でいてくれたからさ。それで勝てたようなモノだからね。奴がもし、死に物狂いで俺達に襲い掛かってきたら、多分、全滅してたと思うよ」
アヴェル王子は顎に手をやり、ゆっくりと首を縦に振る。
「言われてみると、確かにそうだ……奴は終始、余裕綽々といった感じだったからな。俺達にかなり油断していたに違いない」
「いえ、そういう意味で言ったのではありません。奴は油断はしていたのではなく、無理をして、余裕な態度を取っていたんじゃないですかね……」
俺はそう言って、空洞の奥へと視線を向けた。
アヴェル王子とウォーレンさんは首を傾げる。
「は? どういう意味だ一体……」
「あの、意味が分からないのですが……」
この感じだと、皆は気付いてないようだ。
大事な事なので話しておこう。
「この洞窟に落とされてすぐのこと覚えてますか? 謎の声とヴィゴールのやり取りです……」
「ええ、覚えてます。それがどうかしましたか?」と、アヴェル王子。
「ヴィゴールはアシュレイア様と言ってましたが、あの時のやり取り……少し妙だと思いませんでしたか?」
「妙?」
「ええ。ヴィゴールのあの話し方と仕草、あれはまるで、どこかで見ている者に話しかけているようでした。それを裏付けるかのように、アヴェル王子を如何するかと、わけのわかんない事も訊いてましたからね」
するとここで、皆はハッとした表情になり、周囲を見回したのである。
ボルズは恐る恐る口を開いた。
「ちょ、ちょっと待てよ。って事は……今も俺達は見られているのか?」
「ああ、多分な。でも、未だに何もしてこないって事は、多分、声の主は俺達に何もできないのだろう。恐らく、手出しできない状況なのかもしれない。だがまぁ何れにしろ、見られているとは思うよ」
俺の言葉を聞き、皆はソワソワとし始めた。
気にするなというのが無理な話である。
まぁそれはさておき、俺は話を続けた。
「で、奴が余裕ぶっこいてた理由ですが……このアシュレイアの存在が大きく起因してるんじゃないかと、俺は思っているんです」
「あの、コータローさん……ますます、わからなくなってきました」と、ラッセルさん。
「簡単な事ですよ。早い話が、見られていたからです」
「も、もう少し、分かりやすく」
「ではラッセルさんにお訊きします。仮にですが、貴方は、敬愛する偉大な王様に仕えていたとしましょう。その王様の前で魔物と戦う時、貴方ならどういう風に考えますかね?」
「どういう風に考えるかですか……う~ん、そうですね……倒すのは当然ですが、少なくとも、みっともない戦いは見せたくないですね……やはり、王様に安心してもらえるように……って、あ!?」
ようやく気付いたようだ。
「そうです。自分が敬愛する主の前では、普通、そう考えてしまうんですよ。どんな奴だって、まずはそう考えてしまうんです。ヴィゴールも恐らく、声の主に対して、無様な戦いは見せられないと考えたんじゃないでしょうか。でないと、あそこまで意味不明に余裕な態度はとらないですからね」
ウォーレンさんが唸る。
「ムゥ……そうか……だから奴は余裕たっぷりに行動してたのか。いや、実を言うとだな、俺も不思議だったんだよ。あれだけ強い奴なら、もっとガンガン来てもよさそうな気がしてたからな」
「だと思いますよ。ま、これは俺の推察ではありますがね。でも当たらずとも遠からずじゃないでしょうか。アヴェル王子の魔法剣に対する駆け引きも、そこから来てる気がしますしね。まぁとにかく、俺達はアシュレイア様に感謝しないといけないですね。何者か知りませんが、その御方が見ていてくれたお蔭で勝てたようなもんですから。俺達は運が良かったんですよ」
俺はそう告げた後、空洞の奥へと視線を向けた。
(どうだ、アシュレイアとやら。見えているなら、こう言われると悔しいだろう……)
そして俺は静かにほくそ笑んだのである。
Lv50 隠された道標
[Ⅰ]
俺達が休憩を始めて30分くらい経過した。
ラティはまだ姿を見せない。未だに戻らないところを見ると、この先は長く険しい道となっているか、もしくは、途中で何かがあったのかもしれない。
(遅いな、ラティの奴……奥でトラブルでもあったのか……まぁいい、もう少し待とう……)
ふとそんな事を考えていると、またアヴェル王子が質問してきた。
「コータローさん、質問ばかりで悪いですが……あの魔物は戦いの最中『俺の事をどうするか?』と、謎の声に問いかけてました。これについて、貴方の意見が聞きたい」
「それなんですが……実を言うと、俺も引っ掛かっているんです。しかも、謎の声はその後、『代わりは他にもいる』と答えてましたからね」
あの会話の流れからすると、考えられる可能性としては……デインを使える者か、王位継承候補者としてか、はたまた直系の王族の1人としてか……ま、大体こんなところだろう。
その中でも可能性が高いのは、言わずもがなだ。
「……となると、代わりというのはやはり……デインを使える者の事を指しているのでしょうか?」
「断言はできませんが……その可能性は十分あると思います」
「やはり、そうですよね……」
アヴェル王子は神妙な面持ちになり、口を真一文字に結んだ。
と、ここで、ウォーレンさんが話に入ってきた。
「それはそうとコータロー、あの声の主もそうだが、今回の一連の出来事について、お前はどう考えている? 俺は漠然とだが、非常に嫌な予感がしてならないんだが……」
「ウォーレンさんの言う通り、嫌な予感はしますね。そして……得体の知れない何かが裏で蠢いているのは、まず間違いないでしょう。ですが、釈然としない部分も多すぎますから、今はまだ、安易に結論を出すのは避けたほうがいいと思います」
「確かに……我々は、まだまだ知らないことが多すぎる。冒険者の中に魔物が紛れているという事も、昨夜、知ったばかりだし……。これは、相当気を引き締めてかからないといけないぞ、ウォーレン」
「ええ、仰る通りです。この分ですと、冒険者のみならず、王城内の者や、イシュラナ神殿の神官の中にも、魔物が紛れている可能性が否定できません」
2人は険しい表情になり、互いに顔を見合わせた。
「ウォーレン……ここから生還した暁には、早急に、ヴァリアス将軍に知らせねばな」
「ええ、勿論です。事は、イシュマリア国の存亡に関わります……」
「ああ……」
ウォーレンさんはそこで俺に視線を向ける。
「ところで、コータロー……あの謎の声、確かアシュレイアとかいう名前だったか……この魔物について、お前はどう思う? この近くにいると思うか?」
「それは流石にわかりませんね……近くにいるのかもしれませんし、いないのかもしれません。ですが、結構時間が経っているにもかかわらず、何も起きないところを見ると、今すぐ俺達に手出しは出来ないのかもしれませんね……」
アヴェル王子はそう言って、洞窟内をチラリと見回した。
「言われてみると、確かに何の変化もないな……とはいえ、これから先、どうなるかはわからないが……」
「ええ。ですから、楽観はしないでおきましょう。この先、時間が経過すればどうなるかはわかりません。魔物達も手出しせずに静観しているとは考えにくいですからね。それに……あのアシュレイアとかいう魔物が、ヴィゴールを倒した俺達の事をこのままにしておくなんてことは考えにくいですし」
「コータロー……単刀直入に聞く。今回の件の黒幕は、このアシュレイアとかいう魔物だと思うか?」
俺はゆっくりと首を縦に振った。
「恐らくは……。ですが、このアシュレイアが親玉と決めるのは早計かもしれません。他にも同じような存在がいるとも限りませんので」
「他にも、か……確かにな……」
ウォーレンさんは険しい表情で溜息を吐いた。
アヴェル王子も肩を落とす。
まぁこうなるのは無理ないだろう。
(ちょっと現実的な話をし過ぎたか……でも、現実逃避したところで、何も解決せんからなぁ。2人には、この深刻な状況を受け止めてもらわないと。それに……ヴィゴールが正体を現した時に言っていた内容も気になる。奴はあの時、こんなことを言っていた……『我が名はヴィゴール。アヴェラスコウの片腕たる我が力を見せてやろうぞ』と……。このアヴェラスコウとやらが、アシュレイアの事なのかはわからないが、何れにせよ、奴が仕えている主とみて良さそうだ。そして、もしかすると……このアヴェラスコウとやらよりも、更に強大な力を持つ存在がいるのかもしれない。あぁ……やだなぁもう……勘弁してよ。打倒、大魔王! なんていう冒険ファンタジーは、ゲームで十分だよ。リアルでは遠慮したいわ……)
俺が脳内でナーバスになっていると、ミロン君が訊いてきた。
「あの、コータローさん……さっき、アシュレイアという魔物が見ていると仰いましたが、どうやって見ているんでしょうか? この洞窟にはそれらしきモノが何も見当たらないのですが……」
「どういう手段で見ているのかは、流石に俺もわからないよ。でも、俺達の少し後ろの方から、あの声が聞こえてきたから、その辺りに秘密があるかもしれないな……ついでだし、ちょっと調べてみるか」
俺はそこで重い腰を上げた。
続いてアヴェル王子も立ち上がる。
「コータローさん、俺も行きますよ。ウォーレン、我々も調べてみよう」
「ええ」
ウォーレンさんとミロン君も立ち上がる。
と、ここで、ラッセルさんの声が聞こえてきた。
「ン? もう出発しますか?」
「いや、まだです。この先をちょっと調べてくるだけですから、皆はまだ休んでいてください」
「わかりました。では、そうさせてもらいます」
俺は3人に言った。
「では行きましょうか」
「ええ」――
[Ⅱ]
俺はアヴェル王子達3人と共に、周囲を警戒しながら空洞の奥へと歩を進める。
洞窟内は壁に設けられた松明のお陰で、視界は良好であった。この松明は恐らく、魔物達が設置したモノだろう。
ユラユラと不規則に揺れる明かりが、周囲の鍾乳石を怪しく照らし出す。
それはあたかも、この洞窟そのものがモゾモゾと動いてるようであった。ハッキリ言って不気味である。
そんな光景を眺めながら、俺は謎の声の主・アシュレイアについて考えていた。
(……アシュレイアとやらが、どうやって俺達を見ていたのか知らないが、仮に全てを見通せていたのなら、俺がデインの魔法剣を使ったところも見られていた筈だ。という事は……多分、俺はロックオンされたとみて間違いないだろう。王族にしか使えないデインを俺が使ったのだから……)
デインが使えるのはバレたと見て良さそうだ。
まぁ致し方ないところである。
(とはいえ、あれで結果的に命拾いしたわけだから、今は良しとするしかないか……。それよりも……あの謎の声だ。なんとなくだが、あの時聞こえた声の響き具合を考えると、この付近から発せられた様な気がする……とりあえず、この辺を調べてみよう)
というわけで、俺はそこで立ち止まった。
ざっと見て、休憩していたところから30m程離れた所だ。
アヴェル王子が訊いてくる。
「どうしました、コータローさん。何か見つけましたか?」
「いや、あの声の響きを考えたら、この辺りから発せられたモノのような気がしたので……」
「そうか。なら、とりあえず、この辺りを調べてみるか?」と、ウォーレンさん。
「ええ。まずはこの辺を少し調べてみましょう。ですが、罠が仕掛けられているかもしれませんので、慎重にですよ……」
「それは勿論です。では、ウォーレン、我々も少し調べてみよう」
「ええ」――
俺はまず外壁を調べることにした。
視界に入ってくるのは、壁面に設けられた松明によって怪しく照らす出される鍾乳石の壁面であった。
周囲を見渡すと、どれも同じように、横に幾重にも波打つ鍾乳石の壁だが、少し気になる事があった。
なぜなら、握り拳大の黒く丸い物体が、松明のある付近の壁面上部に埋め込まれていたからである。
それは、壁面の天井付近にあるため、結構高い。高さにして7mから8mくらいの位置だろうか。
ユラユラと揺らめく松明の明かりの影響で、最初は鍾乳石の影か何かだと思ったが、確かに黒い球状の物体が埋め込まれているのだ。
(なんだありゃ……丸い黒石? ここからじゃよくわからんな。もう少し近づいて見てみるか)
と、そこで、俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
「コータローさん、ちょっとこれを見てもらえますか?」
声を発したのはミロン君だった。
ちなみに、ミロン君は地面に這いつくばって、何かを眺めているところだ。
つーわけで、とりあえず、俺はミロン君の所へと向かった。
他の2人もミロン君の所にやってくる。
「ミロン君、何か見つけたの?」
「ミロン、何か見つけたのか?」
「はい。これなんですけど……一体、何なのでしょうか?」
ミロン君は四つん這いで、地面にある黒い物体を指さした。
そこには、砕けた黒い破片のような物が散らばっていた。
砕けている為、歪な形になっているが、所々面取りされ、艶のある部分も確認できる。
面取りされた部分は、球のように滑らかにカーブしていた。
この破片の感じから察するに、砕ける前は球状の何かだったのだろう。
俺はそこで壁面の黒い物体に目を向けた。
(この砕けた物体は、もしや……)
目の前の砕けた黒い物体と壁面の黒い物体は、どうやら同じ物のようであった。
「なんだ、この黒い破片は……どことなく、砕けたような感じだが……」
「見たところ、丸い何かが割れたような感じだな……なんだこれは」
アヴェル王子とウォーレンさんは、怪訝な表情で首を傾げていた。まぁこの反応は当然だろう。
と、そこで、ミロン君は割れた小さな破片を人差し指と親指で摘み、それを不思議そうに眺めたのである。
「こんなの……初めて見ます。何なのでしょうか……コータローさんはどう思いますか?」
ミロン君はそう言って、破片を俺に差し出した。
俺はその黒い破片を掌にのせ、暫し眺めた。
(……まさか……この破片が意味するモノとは……)
と、その時であった。
パタパタという羽音と共に、聞きなれた声が洞窟の奥から聞こえてきたのである。
【お~い、そこにいるのは誰や? コータローか?】
ようやく帰ってきたようだ。
俺は道具入れに黒い破片を幾つか仕舞い、奥へと視線を向けた。
すると、ラティの元気な姿が視界に入ってきた。どうやら、無事なようだ。
「やっと帰って来たか。待ってたぞ、ラティ」
「まいど~。ただいま到着や」
ラティはそう言ってニカッと笑った。
相変わらず、人懐っこい笑顔である。
「えらい時間かかったな、ラティ。どこかでサボってたんじゃないだろうな」
「まぁそう言わんといてや、コータロー。この奥、結構、長くて歪んでるさかい、ワイも苦労したんやって。あッ! そんな事より、あのヤバい魔物はどうなったんやッ! あのヴィゴールとかいうごっついのッ!」
「何とか倒したよ。かなり苦労したけどな」
ラティは目を大きく見開いた。
「ホンマかいな! すごいやんかッ! よう倒せたな、あんなのッ!」
「コータローさんが奴の弱点を見抜いてくれたお陰で、何とかね……」と、アヴェル王子。
「やるなぁ~、コータロー。流石やわぁ~」
「褒めても何も出んぞ」
「そんなんやないって、ワイの素直な気持ちや」
と、ここで、ウォーレンさんがラティに話しかけた。
「ラティもご苦労さんだったな。それはそうと、この奥はどんな感じだった? 抜け道みたいなのはありそうだったか?」
するとラティは目尻を下げ、少し元気なく口を開いたのであった。
「実は……それなんやけどな……この奥、魔物とかはおらへんのやけど、あのヴィゴールとかいう魔物が言ってた通り、行き止まりなんや……。ワイもどこかに出口ないかと思うて、隈なく調べたんやけど、何もないんやわ……。鼠が出入りするような穴すらないんや……」
「行き止まり……」
その報告を聞き、俺以外の3人は肩を落とし溜息を吐いた。
どんよりとした空気である。まぁこうなるのも無理ないだろう。だが、諦めるのはまだ早い。
少し気になることもあるので、俺はそれを皆に告げることにした。
「まぁまぁまぁ、そう気を落とさないでください。それに、まだ脱出できないと決まったわけじゃないですよ」
「しかしですね……出口がなければ、我々はここから出られないという事になりますよ」
「そうだぞ、コータロー。今朝も言ったが、この洞窟は2か所しか出入り口がないんだ。そこに行けないなら、俺達は洞窟から出られないんだよ」
「そうですよ、コータローさん」
ラティが訊いてくる。
「で、どうするつもりなん、コータロー。ワイが今言ったのは嘘やないで」
俺はそこで右手の人差し指を立て、唾を付けた。
「皆、洞窟内の空気の流れに意識を向けてもらえますか?」
「空気の流れ?」
3人と1匹は首を傾げた。
「この奥からわずかですが、空気が流れているんですよ。風とは言えないほどの流れですがね」
アヴェル王子はハッとした表情になり、奥に視線を向けた。
「本当だ……かなり緩やかですが、確かに、空気の流れを感じる……」
続いてウォーレンさんも。
「コータローの言う通りだ……という事は……」
「ご想像の通りですよ。この流れは奥から来ています。という事は、この流れの元が必ずあるはずです。なので、ここはとりあえず、奥に進んでみましょう。そこが外と通じているのならば、もしかすると、道が開けるかもしれませんからね」
3人と1匹は顔を見合わせた。
「そうですね……コータローさんの言う通り、ここは前に進んでみましょう。ここでジッとしていても仕方がないですからね。魔物達も、このまま俺達を放っておくなんて保障はどこにもないですから……」
「そうしましょう、王子」
「では、一旦、皆の所に戻りましょうか。善は急げです」――
[Ⅲ]
休憩場所に戻った俺達は、先程のやりとりを一通り皆に説明し、洞窟の奥へと移動を開始した。
ちなみにだが、本調子ではないバルジさんはボルズが背負うという形になった。
その時、ボルズが勢いよく「兄貴は俺が背負うから心配すんなよ」と告げた為、バルジさんは少し驚いていたが、まぁとりあえず、ボルズの中で兄に対する見方が変わったのだろう。ヴィゴールではないが、美しき兄弟愛というやつである。
それはさておき、俺達は周囲を警戒しながら、ゆっくりと前に進んで行く。
洞窟内はラティの報告通り、魔物の気配というのは皆無であった為、それに対する懸念はなかったが、閉じ込められているという閉塞感がある所為もあってか、全員が暗い表情であった。
まぁこればかりは仕方がない。今は一縷の望みをかけて行軍しているに等しいからである。
だがとはいうものの、進むにつれ、はっきりと空気の流れが感じられるようになってきてはいるので、心なしか、皆の表情は少し和らいでいる風であった。
(今はとりあえず、この流れの元に向かうしかないだろう。もしかすると新しい道が見つかるかもしれない……ン?)
と、そこで、ラティが耳元で囁いてきた。
「なぁコータロー……さっきは空気の流れの話で希望が湧いてたさかい、ワイは言わんかったけど……この奥に出口なんてないと思うで。ワイは隈なく調べたんやから」
「かもな……でも、何か別の方法が見つかるかもしれない。とりあえず、行ってみなきゃわからんよ」
「でも……何も見つからんかったら、どうするんや?」
「ま、それはその時に考えるしかないだろ。ン?」
俺達がそんなやり取りをする中、先頭を進むアヴェル王子が立ち止まった。
そして、俺に視線を向け、とある壁面を指さしたのである。
「コータローさん……流れの元に着きました。ココです」
俺はアヴェル王子の所へ行き、その指先を追った。
するとそこは、これまでと同様、鍾乳石が一面に広がる壁面であった。が、一つだけ周囲の壁と違うところがあったのである。
なぜならそこには、奇妙な一筋の亀裂があったからだ。
奇妙なと表現したのには理由がある。それは、稲妻が走ったかのような歪な亀裂ではなく、縦に真っ直ぐスジを引いたような亀裂だったからだ。
亀裂は長さ3mくらいで、幅は広いところで4cmくらいであった。まぁまぁの大きさの亀裂である。
アヴェル王子はそこで、亀裂に手をかざした。
「間違いなく、この亀裂が流れの元です。残念ですが……この程度の亀裂では外に出れそうにはありませんね」
「そのようですね……ですが、ちょっと待ってもらえますか。少し気になる事がありますんで」
「気になる事? なんだ一体?」と、ウォーレンさん。
「ちょっと調べさせてください」
俺は亀裂の前に行き、その近辺を見回した。
(この亀裂はもしかすると、ヴィゴールの破壊行動によって、二次的に起こったものかもしれない。しかし……妙だ。普通、こんな風に真っ直ぐに亀裂はいるだろうか……。壁の鍾乳石自体が横に波打つ表面だから、こんな綺麗に縦に亀裂はいらんと思うが……ン? これは……)
俺はそこで奇妙な事に気が付いた。
なぜなら、亀裂の入った個所を境に、鍾乳石の色が微妙に違っていたからである。
(どういうことだ、一体……よく見ると亀裂の右側部分の色が少しおかしい……じっくり見ないとわからないが、この亀裂から右に2m程だけ微妙に色が違っている……これは自然に出来たものではないな……恐らく、何者かが手を加えたモノだろう。こうやって眺めていても仕方ない。とりあえず、直に触れて確認してみるしかないか。はぁ……何も起きませんように……)
俺は壁に近寄り、恐る恐る亀裂部分に手を触れた。
触れた瞬間、ヒヤッとした冷たさが指先に伝わってくる。
とはいえ、触った感じは普通の鍾乳石という感じであった。
(とりあえず、変化なしだ。触っても大丈夫そうだな)
俺は亀裂部分へと手を伸ばし、その割れた面を指先でなぞってゆく。
すると、亀裂の一部分が剥がれ落ち、ポロリと地面に転がったのである。剥がれ落ちたのは、色の違う箇所の物であった。意外と脆そうな壁である。
俺はそれを手に取り、周囲の鍾乳石と見比べた。
(やはりそうだ……。この破片と周囲の鍾乳石は違うモノだ……)
と、ここで、アヴェル王子が訊いてくる。
「コータローさん……何かわかりましたか?」
俺は色の違う箇所を指さした。
「ココなんですけど、この亀裂を境に色が微妙に違うと思いませんか。じっくり見ないとわからないほどの違いですが……」
「え?」
俺の言葉を聞き、この場にいる全員が壁に目を向けた。
「本当だ……この部分だけ色が違う」
「言われないとわからないくらいだが、コータローの言う通り、この部分だけ、微妙に色が違うな……」
そう言って、アヴェル王子とウォーレンさんはマジマジと壁を凝視した。
他の皆も同様であった。
「本当だわ……」
「あ、ホンマや」
「コータローさんの言う通りね……色が違うわ」
「本当ですね……確かに色が違う。コータローさん、これは一体……」
「パッと見だと見分けがつかないくらいですが、これは自然に出来たものではないと思います。恐らく、何者かが手を加えたのでしょう……」
「という事は……魔物達が?」と、アヴェル王子。
俺は頭を振る。
「それは流石にわかりません。ですが……なんとなく、魔物ではないような気がします」
「じゃあ、なんなんだ一体?」
ボルズはそう言って、首を傾げた。
「さあね……だが、これは多分、何かを隠しているんだと思う。これを施したのが、魔物か人かはわからないけどね」
俺はそこでアヴェル王子に進言した。
「アヴェル王子……とりあえず、今触った感じだと危険はなさそうです。それに、少し脆い感じでしたので、この色の違う壁の部分を剥がしてみましょう。何かが出てくるかもしれませんよ」
「そうですね……よし、皆、その辺の石や武器を使って、この壁を剥がしてみよう」
というわけで、俺達は壁の掘削作業に取り掛かったのである――
それから30分程で、俺達は作業を終えた。
壁は意外にも分厚かったが、思った通り脆かったので、30分程度で、あるモノを掘り当てることができたのだ。めでたしめでたしである。
で、掘り当てたあるモノだが……それはなんと、1枚の扉であった。無骨な木製の古い扉で、このイシュマリアに住む平民の家の玄関に取り付けられていそうな代物だ。
大きさは縦に2m、横に1mといった感じで、扉の左側には取っ手がついており、そこには鍵穴のようなモノが空いていた。まぁ大体そんな感じの扉である。
アヴェル王子が訊いてくる。
「……コータローさん……この扉は一体……」
「わかりませんが……とりあえず、開くか確認するしかないですね」
と、そこで、ミロン君がぼそりと言葉を発した。
「でも……こんな風に隠してあるという事は、罠のようなモノが仕掛けてあるかもしれませんよ」
「その可能性は否定できないね。まぁとりあえず、言い出しっぺの俺が確認してみる事にするよ」
「気を付けろよ、コータロー」と、ウォーレンさん。
「ええ」
俺はそこで扉の前へと行き、恐る恐る取っ手に手をかけた。が、異常はない。どうやら触れただけで発動する罠の類は無いようだ。
(罠はないか……なんとなく、その手の罠はないと踏んでいたから、それほどの驚きはないけどね。とはいえ、この扉の奥についてはわからないが……。それはともかく、取っ手は回すタイプのようだ……とりあえず、回してみるか。慎重に……)
だがしかし! 取っ手は右にも左にも回らないのであった。
ここから想像するに、鍵が掛かっているという事なのだろう。残念!
(はぁ……取っ手に鍵穴ついてるから、触れて発動する罠の類はないと思ったが、やはり、鍵はかかっていたか……どうすっかな……)
「コータローさん、開きませんか?」と、アヴェル王子。
「ええ、開きません。たぶん、鍵が掛かっているんだと思います」
「それでは、力業で開けてみますか?」
「いや、それはやめておきましょう。この奥がどうなっているのかわかりませんからね。とりあえず、他の方法をさが……ア!?」
と、そこで、俺の脳裏に、あるアイテムの事が過ぎったのである。
それは、リジャールさんから貰った、とあるアイテムの事であった。
(そういや、一度使うと壊れる魔法の鍵があったな。あれならこの局面を打開できるかも……。それにあの鍵は道具袋に入ってるから、すぐに取り出せるし。でも、皆にはどう説明すっかな……まぁいいや、適当に誤魔化しておくか)
というわけで、俺は腰に装備した道具袋をあさり、中から魔法の鍵を1つ取り出したのである。
俺は白々しく皆に告げた。
「そういや、コレがあったの忘れてました。この鍵を使って試してみます」
アヴェル王子が首を傾げて訊いてきた。
「へ? なんですか、それ?」
とりあえず、もっともらしい嘘を吐くことにした。
「これは以前立ち寄った街の行商人から買ったんですが、なんでも、色んな扉を開ける事ができるという優れモノの鍵らしいんですよ。一度使うと壊れてしまうみたいですがね。でも、値段が安かったので幾つか買っておいたんです。とはいえ、試すのは初めてですが」
「へぇ……そんな鍵があるんですね」
ミロン君はそう言って鍵をマジマジと見た。興味深々という感じだ。
「とりあえず、コレを試してみますよ」
俺は早速、取っ手に鍵を差し込み、右に回した。
カチッという音が聞こえてくる。
そして俺は、取っ手を右にゆっくりと回したのである。
ガチャリという音と共に扉が少し前に出てくる。
すると次の瞬間、鍵は役目を終えたかのようにパラパラと崩れたのであった。
(よし、成功だ……ありがとう、リジャールさん。助かったよ)
俺はリジャールさんに感謝しながら、そのまま取っ手を引いた。
扉はギィィという、蝶番が擦れる音と共に開かれる。
その直後、カビ臭い空気と共に、暗闇の空間が俺達の前に姿を現したのであった。
アヴェル王子が訊いてくる。
「上手くいきましたね。奥はどんな感じですか?」
「奥は真っ暗ですね。明かりを灯しますんで、ちょっと待ってください」
つーわけで俺は呪文を唱えた。
【レミーラ】
鮮やかに白く輝く光球が、俺の右手から出現し、辺りを照らし出す。それにより、奥の様相も露になった。
どうやら、この扉の向こうは通路となっているようだ。とはいえ、壁面は鍾乳石ではなく普通の岩肌となっている。幅や高さは扉と同じくらいだ。
壁面と天井が四角く切り出されているので、明らかに人の手が加わった洞窟といった感じである。
地面に目を向けると、灰のような鼠色の埃が雪のように沢山積もっていた。
「コータローさん、どんな感じでしょうか?」
「何か見えるか?」
アヴェル王子とウォーレンさんがこちらへとやってくる。
2人は目を細め、覗き込んだ。
「どうやらこの先は通路のようだな」
「これは……魔物達が作った抜け道なのだろうか?」
「さぁどうでしょうね……ただ……」
「ただ?」
俺はそこでしゃがむと、地面に降り積もった埃を人差し指でなぞった。
埃の厚さは2cmほどといったところである。
「……この埃の量を見る限り、ここはかなりの年月が経過していると思われます。1年や2年ではないでしょう。それこそ、何十年……いや、何百年といった事も考えられます。そして、これだけの埃があるにも関わらず、この通路には足跡というものがどこにもありません。恐らく、相当長い間、ここに立ち入った者はいないのでしょうね」
「コータローさん……貴方はどう思いますか?」と、アヴェル王子。
「誰が作ったモノかはわかりませんが、今言えるのは、ここ数年の間に作られた通路ではないという事です。相当昔に作られたとみて、まず間違いないでしょう。まぁ何れにせよ、行き先は不明ですが、道は見つけることができました。今は進むかどうかだけです」
暫しの沈黙の後、アヴェル王子が口を開いた。
「何が待ち受けているかわかりませんが……今は進みましょう。いや、進むべきです」
その言葉に他の皆も頷く。
そして俺達は、新たに出現した通路へと、恐る恐る、足を踏み入れたのであった。
[Ⅳ]
無数の埃が舞う、カビ臭くて狭い通路を俺達は慎重に進んで行く。
30mほど進んだところで変化があった。そこからは少し開いた空間となっていたからだ。
それとどうやら、空気の流れの元はこの空間からのようであった。
天井付近の壁から、微風にも似た空気の流れが出来ているのを感じられたからである。
(……あの壁が外と通じているのだろうか? いや、今はとりあえず、前に進んだほうが良いか。道が無いときにそれは考えよう)
そこを更に進むと、また1枚の扉が俺達の行く手を遮っていた。
扉は先程と同じような木製の扉で、取っ手は鍵穴付きであった。勿論、扉に鍵が掛かっていたのは言うまでもない。
というわけで、ここでもまた、俺が持つ魔法の鍵が活躍するのである。
その後、俺達は扉を恐る恐る開き、向こうへと慎重に足を踏み入れた。
扉の向こうは、ホールみたいな空間となっていた。広さは20畳程度。埃も少ない上に、空気も幾分綺麗な感じの所であった。
しかも、妙に生活感が漂うところとなっており、周囲の壁際には棚のようなモノが幾つも並んでいるのである。
棚には酒樽のようなモノやガラスの瓶が沢山陳列されている。床には大小さまざまな木箱が幾つか置かれていた。
また、空間の真ん中には木製のテーブルがあり、そこには木製のカップが1つだけ置かれているのである。
まぁ大体そんな感じの様相であった。
ラッセルさん達の声が聞こえてくる。
「なんだ……ここは……誰か住んでいるのか……」
「それにしては埃っぽいわよ。さっきの通路ほどじゃないけど……」
「ちょ、ちょっと、この棚の酒見てよ……イシュマリア歴1996年て書いてあるわよ!」
今の言葉を聞き、全員が棚の方へと向かった。
何人かが棚の瓶を手に取り、マジマジと眺める。
アヴェル王子が驚きの声を上げた。
「こ、これは……1000年以上前の物じゃないか……なんなんだ……ここは一体……」
「ホンマや……でも、これ飲まんほうがええな。飲むとエライ目に遭うと思うで」
と、その時であった。
【ちょ、ちょっと、皆ッ! こっちに来てくれッ!】
ボルズの大きな声が聞こえてきたのだ。
少し離れた所にある大きな木箱のところで、ボルズはバルジさんを背負いながら、何かを指さしていた。
俺達はボルズの元へと向かう。
「こ、これは……」
すると、そこにはなんと、ミイラ化した遺体が椅子に座っていたのである。
遺体は盗賊っぽい軽装備の者で、性別は男のようであった。
また、遺体の前には、木製の古びた小さな机があり、そこには1枚の羊皮紙みたいなモノが置かれていたのである。
紙には幾つもの文字が刻み込まれていた。
アヴェル王子はその紙を手に取り、目を通す。
すると程なくして、アヴェル王子は信じられないものを見るかのように、ぼそりと言葉を発したのであった。
【最初の一文はこう書かれている……我が名はバスティアン。ここに我が遺言を書き記す。いつの日か、ここを訪れる者に、イシュマリアの真実を伝える為に……と……】
Lv51 そして地上へ……
[Ⅰ]
【最初の一文はこう書かれている……我が名はバスティアン。ここに我が遺言を書き記す。いつの日か、ここを訪れる者に、イシュマリアの真実を伝える為に……と……】
アヴェル王子の言葉を聞いた直後、ラッセルさん達やバルジさん達が驚きの声を上げた。
「なッ!?」
「バスティアンだってッ!?」
「嘘……」
「ほ、本当なの?」
「じゃあ、この遺体は、あの大盗賊バスティアンだというのか……」
「てことは、ここが大盗賊の隠れ家ってこと!?」
バスティアンという言葉を聞いて、皆がざわついていた。
この辺りで有名な大盗賊と同じ名前だから、こうなるのも無理ないだろう。
アヴェル王子は頭を振る。
「いや、大盗賊で有名なバスティアンかどうかはわからない。同名の別人ということもある。とりあえず……次を読んでみよう」
少し間を置いて、アヴェル王子は朗読を再開した。
【……訪問者の為に、まずは自己紹介として私の事を記すとしよう。先程も記したが、名はバスティアン。イシュマリア歴1974年のオヴェリウスにて生まれたが、孤児の為、両親はいない。そして、元はイシュラナ大神殿の神官であった者だ。官位は神殿書記官。だが、わけあって、イシュラナの神官職から離れる事になった。その理由こそが、この遺言を記す最大の目的である。
これを見た者の時代が、どうなっているのかはわからない。もしかすると、遺言の内容は解消されているかもしれない。
しかし、解消されていようがいまいが、どうか、最後まで読んでもらいたい。……それでは始めよう。
その日の事は忘れもしない……そう、イシュマリア歴1996年・アレスの月に入って5日目の事だ。
この日は年に一度の光誕祭を翌日に控える忙しい日であった。
光誕祭は、イシュマリア王家と太守である八支族や八名の大神官に加え、各地の神官長等が揃うという日でもある。その為、前日は、神官達が1年で最も慌ただしくなる日でもあった。
私も例外ではなかった。当時、神殿書記官であった私は、大神官の身の回りをお世話する役を仰せつかっており、朝から光誕祭の準備に追われていた。
だが、その日の夜……私は世にも恐ろしいモノを目の当たりにする事となったのである。
光誕祭の準備も粗方終えた頃、外は闇が覆う時間となっていた。外に出ると月が美しく輝く夜の為、薄明りを灯したような星空であった。
もう既に就寝の時間も過ぎていたので、私は神官宿舎に戻り、寝床に着いた。
だが、その日はなぜか寝付けなかった。何かを忘れているような気がしたからだ。
その為、床に着いてからも、私はその事ばかりを考えていた。そして暫くすると、私はある事をやり忘れていたのを思い出したのである。
私は起き上がると、職務に使う書記道具一式を抱え、他の神官達を起こさぬよう、そっと宿舎を後にした。行先は勿論、イシュラナ大神殿である。
大神殿へとやってきた私は、物音を立てないよう静かに進み、目的の大神官控えの間へとやってきた。
だが、控えの間の付近に来たところで、首を傾げる事があったのだ。
なぜなら、扉の隙間から明かりが漏れていたからである。
私は退出する時、確かに明かりを消した筈だと思いつつ、扉の前にやってきた。
するとそこで、中から話し声が聞こえてきたのである。
中にいるのはどうやら2名で、両方とも男のようだ。声の感じからして1人はジルド神殿管理官のようだが、もう1人は初めて聞く声であった。
こんな夜中に一体何を話しているのだろうか? と思った私は、好奇心から扉を少しだけ開き、中の様子を窺った。
控えの間には、ジルド神殿管理官とフードを深く被った黒いローブを纏う者がいた。
私は静かに耳を傾けた。
最初は意味の分からない内容であったが、次第に、俄かには信じがたい衝撃的な会話が聞こえてくるようになったのである。
私は持っていた書記道具を手に取り、その内容を思わず記録した。
はっきりと聞き取れなかった箇所もあるが、普段、神殿書記官という職務についている私は、なんとかそれらの内容を、途中からではあるが記録することができたので、まずはその内容を書き記そう。
「……ジルドよ……この国の宝物庫から、雨雲の杖を上手く盗み出せたか?」
「ハッ、アシュレイア様……こちらにご用意してございます」
「ウム……では、我がアヴェラス城から送った危険な品物は届いておるか?」
「届いております。2度召喚に失敗しましたが、リュビストの結界がこの1000年の間で最も弱まる昨日の夜、こちらの世界への召喚が無事成功致しました」
「それは良い知らせだ。して、物はどこに?」
「こちらにございます」
「フッ……計画通りだ……この雨雲の杖と、ディラックの魔境から湧きだすマグナを用いれば、リュビストの結界を弱めずとも、アレイスの末裔共の身体も魂も全てを封印できる」
「いよいよ、我らの悲願が形になり始めるのですね」
「うむ……」
「明日の光誕祭が楽しみですな……クククッ。光の女神イシュラナなどという、居りもしない偽りの女神を信仰している、この地の愚かな民共は青褪めるでしょうな……クククッ」
「フッ……下らぬ茶番ではあったが……信仰とは残酷なモノよ……この地の者達は信ずるモノに裏切られ、そして滅びゆくのだ……少しくらいは憐れんでやろうではないか……」
「クククッ、確かに……しかし、ディラックのマグナをよく採集できましたな……全てを石に変える、あの死のマグナを……」
「採集できたとはいえ、少量だ。おまけに、そこで複数の部下の尊い命を失ってしまった……出来れば犠牲なくいきたかったが、仕方あるまい」
「ディラックの魔境はサンミュトラウスにおける最も危険な地の1つですからな……あの地はラム・エギドに住まう同胞でさえ、恐れる場所……しかし、これがうまくいけば、他の地を侵攻している大公達は焦るでしょうな。アヴェラスの大公であるアシュレイア様が、頭一つ抜きんでることになります故……」
「口が過ぎるぞ、ジルド……」
「も、申し訳ありませぬ、アシュレイア様……」
「……向こうには向こうのやり方があろう……我らには関係のない事……」
「しかし、ミュトラと交わしたとされる盟約の系譜の1つ、ラトゥーナの末裔がいるグアルドラムーンの地では、我らと同様、リュビストの結界にかなり手こずっていると聞いた事がございます。噂では結界を解くのに、あと1000年ほどかかるとか……。それを考えますれば、この地も同様の可能性がございます。ヴィゴール様もこの間仰っておられましたが、リュビストの結界が弱まらないと本格的な侵攻は難しいと……」
「フッ、だろうな……だが、我らは我らのやり方で行けばよい。それより、お前にコレを渡しておこう。受け取るがよい……」
「黒い玉……これは一体……」
「それは試作品だが……ラム・エギドに漂うマグナと闇の魔力を合成し、封印したモノらしい。これを用いれば、我らの持つ本来の力を一時的に開放できるそうだ……」
「なんと……それは誠でございますか?」
「試してみるがよい。使い方は普通の魔導器と同じらしい」
「ハッ……では、早速」
私が会話を記録できたのはここでまでである。
これ以上記録するのは不可能であった。
なぜなら、私はこの後、身の毛もよだつくらいの悍ましいモノを見てしまったからだ。
ジルド神殿管理官は黒い霧に包まれた後、恐ろしい魔物へと姿が変わってしまったのである。
銀色の毛並みに猿のような顔。頭には二つの角と背中には蝙蝠のような羽。そんな姿をした悍ましい化け物に……。
恐怖で私は暫く身動きできなかった。
だが、ここにいては危険と考えた私は、震える手を押さえつけながら扉をそっと閉め、この場から離れる事にしたのである。
その後、私は、控えの間から死角になる位置に身を潜め、様子を窺った。
暫くすると、控えの間の扉が開き、中からジルド神殿管理官と黒いローブを纏う者が姿を現した。
彼等は扉を閉めた後、周囲を確認し、この場から立ち去った。
そして私は、今の出来事を思い返し、恐ろしさのあまり、身体をブルブルと震わせたのである。
ジルド神殿管理官は人ではないのか……。
なぜ醜悪な魔物に変化したのか……。
国宝である雨雲の杖をなぜ盗んだのか……。
ディラックのマグナとは一体何か……。
あのアシュレイアと呼ばれていた者は、一体何者なのだろうか……。
アレイスの末裔とは王家の事なのだろうか……。
そして……光の女神イシュラナが、居りもしない偽りの女神とはどういう事なのだろうか……。
こういった疑問が私の頭の中を埋め尽くす。
だがそこで、ある事が、私の脳裏をかすめた。
それは出てきた時の彼等の姿であった。
彼等は何も持っていなかったのである。
そこで私はこう考えた。
控えの間には、雨雲の杖とディラックのマグナと呼ばれるモノが、まだがあるかもしれない、と……。
先程の会話を盗み聞き、イシュマリアの行く末を案じた私は、意を決し、行動を開始した。
周囲を警戒しながら控えの間へとやってきた私は、扉をそっと開き、中へ足を踏み入れる。それから静かに扉を閉め、室内を見回した。
中は私が退出した時とそれほど変わりはない様相であったが、イシュラナの紋章が刻まれた煌びやかな来客用の長机の上に、2つのモノが置かれているのが視界に入ってきた。
1つは奇妙な模様が描かれた布にくるまれており、大きさは小さめの花瓶程度の物。もう1つは、イシュマリア王家の刻印が押された美しい魔法銀製の細長い箱であった。
私はこれらをどうするか、必死に考えた。
ジルド神殿管理官達が戻って来る可能性もある為、短時間で必死に悩んで出した私の結論は『これらが先程の会話に出ていた物ならば、私以外に彼らの計画を止められる者はいない』という事であった。
私は覚悟を決め、行動を開始した。
これら2つを近くにあった布でくるみ、小脇に抱えると、私は控えの間を出た。
そこで周囲を見回し、確認する。
どうやら、この近辺には誰もいないようだ。
だがそう思った次の瞬間、大きな声が辺りに響き渡ったのである。
【貴様ッ! そこで何をしているッ!】
少し先にある柱の陰から、なんとジルド神殿管理官が現れたのだ。
【なッ、お前はバスティアン! その脇に抱えてるのは、ま、まさか……オノレ! 貴様、さては見ていたなッ!】
ジルド神殿管理官の表情が恐ろしい形相に変わる。
私は恐怖のあまり、脇目も振らず、駆け出した。
【待て、貴様ァァ!】
ジルド神殿管理官も追いかけてきた。
私は全力で走り続ける。
大神殿を出た私は、そのままラヴァナの大通り出て、神官達の少ない東方面へと向かって走り続けた。
なぜ神官達を避けるのかというと、神殿関係者すべてが、この時の私には信頼の置けるものではなくなっていたからだ。
夜中の平民街に入った私は、人混みに紛れながら走り続けた。
周囲の人々は怪訝な表情で私を見ていたが、そんなことはどうでもよい事であった。
東のラスティーア商業区に来たところで、私は背後を振り返った。
すると、ジルド神殿管理官の姿はなかったのである。
どうやら、撒くことができたようだ。
私はとりあえず、一息つく為に、休む場所を探すことにした。
暫く進むと宿屋が見つかったので、私はそこで今晩は休むことに決めた。
宿に入ると道具等も売っていたので、私は今後の事を考え、そこで旅人の服や短剣等も購入しておいた。
その後、宿の2階の部屋をあてがわれた私は、中に入り、すぐに神官服から旅人の服に着替えたのである。
だがそれから程なくして、階下でざわつく声が聞こえてきたのであった。
私は部屋の扉を少し開け、耳を澄ました。
階下から兵士のモノと思われる声が聞こえてきた。
「……宿の主人よ。質問は1つだ。今晩、イシュラナの神官服を着た男がここに来なかったか?」
「はい、先程、2階に上がられましたが……」
「その者は、国宝を盗みだした賊だ。今から捕獲をする。少し騒ぎになるだろうが、我らに従うように」
「は、はい……か、畏まりました」
間違いなく賊とは私の事だろう。
恐らく、ジルド神殿管理官が根回ししたに違いない。
今ここで捕まるわけにはいかないと考えた私は、荷物を脇に抱え、部屋の窓をそっと開けた。
眼下には隣の家屋の屋根が見えた。隣は平屋の為、何とか飛び移れそうであった。また、見回したところ、そこに兵士の姿はなかった。
私は覚悟を決め、その屋根に飛び移った。
続いて私は屋根を飛び降り、地面へと着地したのである。
平屋とはいえ、結構な衝撃が着地時に来たが、そんな事を考える余裕はない。
私はすぐにこの場を後にし、ラスティーア大通りの先にあるラヴァナ城塞東門へと向かった。
そして、その先に続く、月明かりに照らされるアルカイム街道を延々と走り続けたのだ。
それからの私は、死と隣り合わせの逃避行であった。
魔物達が私を狙って、容赦なく襲い掛かってくるからである。
戦闘に向いていない私は、魔物に見つからないよう、隠れながらの移動しかできなかった。
それでも魔物達からの攻撃は避けられなかった。しかし、傷だらけになりながらも、この2つの荷物だけは奪われないよう守り続けた。
そんな状態で、なんとかオヴェール湿原まで逃げてきたが、絶体絶命の危機がこの後すぐにやってきたのである。
この時の私は出血多量の為、意識が朦朧となっていた。その為、普段ならなんでもないような場所で足を取られ、転倒してしまったのだ。
これが私の体力の限界であった。魔物達はそんな私を見逃すわけもなく、逃げ道を塞ぐかのように、周りを取り囲んだ。
出血も多く、もう成す術などない状態。もう終わりだ……私がそう考えた次の瞬間、なんと、大きな火球が魔物達に襲い掛かったのである。魔物達は断末魔の悲鳴を上げながら、紅蓮の炎に焼き尽くされる。続いて、幾つもの氷の刃が魔物達に襲いかかった。
だが……その後の事は覚えていない。
なぜなら、それを見たところで、私は意識を手放したからである。
私が次に目を覚ましたのは、洞窟の中であった。
地べたに枯草を敷いたところに、私は寝かされていた。
目は覚めたものの、身体が重く起き上がれなかった。
私は首だけを動かし、周囲を見回した。
すると、私のすぐ傍に、茶色のローブを身に纏う、長い銀髪の老人が1人いたのである。
老人はそこで私に話しかけてきた。
「安心なされ。ここに魔物はおらん。儂はアムクリストという変人魔法使いじゃ。まぁ人によっては賢者と呼ぶ者もおるがの。しかし、お主、災難じゃったの」
このアムクリストという老魔法使いに対し、私は少し警戒したが、とりあえず、自己紹介はしておいた。
「私の名は……バスティアン」
「バスティアンというのか……ふむ」
「貴方が私を救ってくれたので?」
「まぁそうじゃが、まだ動かぬ方がよいぞ。死んでいてもおかしくないくらいに出血しておったからの」
「……あの、私の荷物は?」
「荷物ならそこにある。心配せぬでもよい。儂は何もしておらんよ」
「そうですか……」
「……で、お主、魔物に襲われて死にかけておったが、一体、何があったのじゃ? 何匹もの魔物が1人の人間をあそこまで執拗に狙うなんて事は、あまりないからの」
私は今までの事を、このアムクリストという老魔法使いに話してもよいものかどうか迷ったが、一縷の望みをかけて、この老人にすべてを話すことにした。
「貴方にお願いがあります……」
「なんじゃ一体?」
「実は」――
私はこれまでの事をできるだけ詳細に話し、老人の言葉を待った。
突然こんな話をして信じる奴はいないと思ったが、暫しの沈黙の後、老魔法使いはこう答えたのである。
「……わかった。お主の願いを聞き入れよう。この壺の始末は儂に任せるがよい」
「どうか……どうか……よろしくお願いします」
「そちらの王家の紋章が描かれた箱の方はよいのか?」
「これは王城から盗まれた物です。これを持つことによって、貴方に盗賊の嫌疑がかかるかもしれない。なので、これは私が何とかしようと思います」
「そうか……ン?」
するとその時、この洞窟内に魔物達の声が木霊したのであった。
【者共! 聞くがよいッ。この洞窟内にバスティアンと妙な老人が逃げ込んだ筈だッ! 隈なく探せッ! バスティアンは見つけ次第殺せ! そして杖と壺を回収するのだッ!】
【ハッ、ジルド様!】
老魔法使いは険しい表情で呟いた。
「むぅ……この声の数……こりゃ、かなりの数の魔物が入ってきたのぅ……洞窟側は隠し扉じゃから、そう簡単には見つからんじゃろうが……もしバレたら、流石に儂だけでは厳しい数じゃな……」
私はここで覚悟を決めた。
「ご老人……私に遠慮する事はありません。どうか、貴方だけでも生き延びて、壺の始末をお願いします」
「しかしじゃな、お主……」
「構いません。どの道、私はこの場から動けません。ここに留まる以外できないのです。気にせず、先程のお願いを実行してください」
「お主……ここに留まるという事は、どういう事かわかっておるのか? お主は死ぬという事なのだぞ。魔物によってではない。餓死するという事だ。ここには食料がない。お主の出血量……あれは死んでいてもおかしくないほどの量じゃった。何も飲まず食わずでは、その血も作られんという事じゃ。わかっておるのか?」
「わかっております……神殿関係者にバレたときから、何れこうなるだろうとは思っておりました。ですから、お願いです……私は、この国が魔物達に滅ばされるなどという事があってほしくはないのです……どうかお願いします」
老人は静かに頷いた。
「わかった……お主の覚悟見せてもらった。お主の願い、必ずや達成しようぞ……」
「よろしくお願いします」――
それから暫くして、老人はあの壺を持ち、洞窟を後にした。
その際、老人はこう告げて出て行った。
「一切、物音をたてるでないぞ。そうすれば、恐らく、魔物達には気づかれん筈じゃ。壺を始末したら、儂はまた帰って来る。お主はそれまで頑張るんじゃぞ。良いな」
私はゆっくりと頷いた。
そして、私は息を潜め、静かにこの場に留まったのである。
私は岩の天井を見上げながら、ぼんやりと考えた。今どこにいるのだろうと……。
恐らく、オヴェール湿原のどこかにある洞窟だろう。
耳を澄ますと魔物達の声が聞こえてくるが、この空洞内に入ってくる気配はなさそうであった。
そして更に時間が経過すると、魔物達の声も聞こえなくなり、不気味な静寂だけが辺りに漂うようになったのである。
恐らく、魔物達は撤収したのだろう。
私はそこで気力を振り絞って、なんとか体を動かした。それは勿論、私がすべき、最後の仕事をする為である。
私は老人が出てゆく際、3つのお願いをした。
1つは、懐にある書記道具を机の上に置いてもらうという事。もう1つは、明かりをできるだけ長く灯してもらうという事。そして最後に、ある物をこの部屋の最も暗い場所に隠してほしいというお願いである。
私は這いつくばりながらも、なんとか机に向かい、そこにある椅子に腰かけた。
そして、最後の気力を振り絞って、遺言を書き記すことにしたのだ。
いつの日か、この場所に訪れし者に、私が見た真実を伝える為に……。
最後になるが、私が隠したある物を見つけれたならば、イシュマリア王家に返却してもらえないだろうか。それが私からの最後のお願いである。
願わくば、訪れし者がイシュマリアの民であらんことを……】――
アヴェル王子はそこで紙を持つ手をおろした。
「……ここで終わりだ」
全員無言であった。
皆、信じられないような目でアヴェル王子の持つ紙に視線を向けていた。
程なくして、ウォーレンさんが恐る恐る口を開く。
「イ……イシュラナが……偽りの神だと……なんなんだ、この手記は……それにアムクリストだと……馬鹿な……こんな事がある筈……」
「そ、そうですよ。こんな話デタラメですよ。こんなことある筈……ないです」と、ミロン君。
「なによ……これ」
「どういうことだ、一体……」
ラッセルさん達やバルジさん達はそれ以上何も言葉を発しなかった。
この場に沈黙が訪れる。
そんな中、俺は少し引っかかる点があった為、それを訪ねる事にした。
「アヴェル王子、大盗賊バスティアンというのは、王城の方でも有名なのですか?」
「はい、有名です。後にも先にも、厳重な宝物庫に忍び入り、国宝を盗んだのはバスティアン以外おりません。稀代の大盗賊としてイシュマリア城でも記録されておりますから」
「そうですか……ですが、ここに記述されている事が正しければ、その考えは改めたほうが良いかもしれませんね。濡れ衣という可能性もありますから」
「しかし……しかしですよ……グッ……という事は……光の女神とは一体……」
アヴェル王子はそれ以上は言わなかった。恐らく、考えたくもないのだろう。
それは他の皆にしても同様で、誰一人として、この事に触れる者は皆無であった。
信じたくないに違いない。これは無理もない。
イシュマリアが建国されて3000年もの間、国を挙げて皆が信仰してきた女神だ。今の内容を受け入れられられよう筈もない。
(……もう、この話題について考えるのは止めておこう。ここにいる者達は皆、冷静に考えられないに違いない。それより、今はここを出る事と、もう1つの謎を解明しないといけない)
俺は話を進めた。
「アヴェル王子、その遺言について今考えるのはやめましょう。それよりも、ここを出る方法を探すべきです。ですが、その前に……その遺言の中で1つ確認したい事があります」
「確認したい事? それは一体?」
「最後の方に書かれていたアムクリストへの3つのお願いについてです。3つ目はなんて書いてありましたか?」
アヴェル王子は紙に目を落とし、読み上げる。
「3つ目は……ある物をこの部屋の最も暗い場所に隠してほしいというお願いである……と書かれています」
「この部屋の最も暗い場所……」
ラッセルさん達の声が聞こえてくる。
「最も暗い場所……」
「ここは元々真っ暗なのよ。どういう事かしら」
「わけが分からないわ」
「なんや、エライ、遠回しな言い方やなぁ~。元々暗いのに、最も暗いって意味不明やで……」
皆、首を傾げていた。
俺はそこで、室内を見回した。
(視界に入るのは壁際の酒瓶が置かれた棚と大きな木箱や小さい木箱、それとテーブルに椅子、それから遺体の座った椅子と机だけか……後は岩肌の壁と床と天井だけ……ン、そうか!)
「アヴェル王子、謎が解けました。ある物が隠されているのは、そこにある一番大きな木箱の下です」
「え!? 本当ですか、コータローさん……」
「コータロー、それはどういう……」
わけが分からないのか、皆、口をポカンと開けていた。
「とりあえず、今は大きな木箱をどかして、その下を調べましょう」
「はぁ……」
というわけで、俺達は一番大きな木箱の下を調べることにした。
木箱を移動させると、地面に何かを埋めた形跡が微妙にあったので、そこを掘り返してみた。
するとそこから、イシュマリア王家の紋章が刻まれた、美しい銀色の細長い箱が出てきたのである。
アヴェル王子は驚きの眼差しで言葉を発した。
「こ、これは、王家の紋章……まさか、この箱は……」
「中を開けてみましょう。先程の遺言の内容が正しければ、恐らく、これは雨雲の杖だと思いますから」
「あ、雨雲の杖……」
アヴェル王子は生唾を飲み込みながら蓋を開けた。
その直後、ここにいる者達は皆、感嘆の声を上げたのである。
「こ、これは!?」
「すごい綺麗……」
「ほえ~、ごっつい綺麗な杖やんか」
箱の中に納まっていたのは、眩い銀の柄の先端に、純白の雲のようなオブジェが取り付けられた杖であった。
そのオブジェは見る角度によっては灰色や虹色のようにも見える。その為、見る者を魅了する美しさがあったのだ。
俺はアヴェル王子に確認した。
「アヴェル王子……遺言の内容が正しければ、これは雨雲の杖だと思いますが、王城の方ではどんな杖であったかという記録とかはあるんですか?」
「ええ、記録されておりますが、この杖がそうなのかは、今は流石にわかりません。これを持ち帰り、王城で調べる必要がありますね……」
と、ここで、ウォーレンさんが訊いてくる。
「ところでコータロー……どうしてこの木箱の下に隠されているとわかったんだ?」
「その手記には、この部屋の最も暗い場所に隠したと書かれてます。この3つのお願いは一種の謎かけなんですが、逆の発想で考えれば解きやすいんですよ」
「逆の発想?」
「はい。この場所は、今はレミーラの光があるので明るいですが、なければ真っ暗です。つまり、これを隠した時、彼等も俺達と同様、明かりを使用した筈なんです。2つ目の願いで、謎を解く手がかりとして、その事を指摘しています。そう考えるとですね、最も暗い場所とは、最も光が届かない場所と考える事ができるんですよ」
俺はそこで周囲を見回すと続けた。
「そして……この空洞内で、最も光が届かない場所とは、すなわち、光を遮る物の置かれた下の地面となります。ですから、光を遮る面積が一番広い、この大きな木箱の下が最も暗い場所となるんです」
アヴェル王子とウォーレンさんは納得したのか、ウンウンと頷いていた。
「なるほど……そういう風に考えると、確かに、この木箱の下になりますね」
「そういうことか……しかし、なんでこんな謎かけをしたんだ? 普通に書けばいいと思うが……」
「恐らくですが、魔物達に見つかった場合の対策としてという側面と、浅はかな考えの者には渡さないという、彼の気配りなのでしょう」
「確かに、そうなのかもしれないな……」
「この人なりに、精一杯、この国の事を思って最後を生きたんでしょうね……敬意を表しますよ、俺は」
俺はそう告げた後、この遺体に対し、手を合わせて合掌した。
ついつい日本の弔い方が出てしまったので、他の皆は不思議そうに俺を見ていた。が、まぁ仕方ない。しみついた癖というのは、どうにもならないものだ。
黙祷を捧げたところで、俺は皆に言った。
「さて、それじゃあもうそろそろ、ここを出る方法を探しましょうか」
「でも、どうやらここで行き止まりのようです。この空洞には入ってきた扉以外ありません。どこかに抜け道があるのかもしれないが……」
アヴェル王子はそう言って、周囲を見回した。
「抜け道はあると思いますよ。先程の遺言の内容から察するに、洞窟側の隠し扉以外にも、老魔法使いが出入りしていた抜け道が必ずある筈です」
「コータローさんはどこだと思いますか?」
俺は扉の先を指さした。
「たぶん……ここには抜け道はないと思います。恐らく、その手前の空洞でしょう。ここには、空気の流れがないですからね。空気の流れがあるのは手前の空洞までです」
「た、確かに……」
「とりあえず、ここを出て、向こうに行きましょう」――
[Ⅱ]
遺体のある空洞から出た俺達は、空気の流れがある場所まで移動する。
そこで立ち止まり、俺は天井付近に目を向けた。
「どうやら空気の流れはあの辺りですね……」
位置的に俺達から15mほど上であった。
「あんなに高い位置からですか……どうしましょう? 壁はほぼ垂直ですから、行くのも至難ですよ」
「魔導の手を使えば、たぶん、いけると思います。つーわけで、ちょっと待っていてください」
俺はそこで、空気の流れている付近にある岩のでっぱりに、見えない手を伸ばし、自分を引っ張り上げた。
そして、空気の流れる箇所に来たところで、俺は暫しの間、壁に目を凝らしたのである。
(……微妙に薄明かりが見える……ってことは、この向こうは外かもしれない……とりあえず、壁を破壊してみるか)
というわけで、俺は下にいる皆に告げた。
「皆、少し離れていてください。今からこの壁を壊してみます」
「わかりました」
全員、距離を取ったところで、俺は魔光の剣を発動させ、光刃を壁に向かい深く切りつけた。
するとその直後、壁の一部が崩れて落下し、外の眩い日光が射し込んできたのである。
下から、皆の安堵の声が聞こえてくる。
「ああ、外の明かりだ!」
「間違いない、その壁の向こうは外だ」
「やっと出れるのね……」
「助かったぁぁ」
俺は人間が通れるくらいに大きく穴を広げた後、一旦、下に着地した。
アヴェル王子が労いの言葉をかけてくる。
「ありがとうございます、コータローさん。貴方のお陰で、なんとか脱出ができそうです」
「いや、ここにいる皆のお陰ですよ。それより、丈夫な紐のようなモノって誰か持ってますか?」
するとボルズの背中にいるバルジさんが声を上げた。
「持っているとも。コッズ、宝探し用に準備した昇降用の綱があるだろ。それをコータローさんに渡してくれ」
「ああ」
コッズという男戦士が、束ねられた綱を俺に差し出した。
「ありがとうございます。では、お借りしますね」
そして俺は、魔導の手を使って上昇し、今開けた穴から外に出たのである。
外に出た俺は、周囲を警戒しつつ、大きく背伸びした。
眩しい日の光と、暖かな優しい風が俺の頬を撫でる。
それもあり、外に出た瞬間、ホッとした気分になった。
俺は背伸びをしながら、周囲を見回した。
見たところ、外は少し盛り上がった丘のような場所であった。
周囲は木々がまばらに生えている為、日光がよく届く。その所為か、辺りは青々とした雑草が茂っており、草原のような感じになっていた。
魔物の気配も感じられない。今のところ、危険はなさそうな場所であった。
まぁそれはさておき、俺は近くにある木に綱を括り付け、残った綱を穴に垂らした。
「皆、綱は括りましたんで、どうぞ上がってきてください!」
アヴェル王子の元気な声が聞こえてくる。
「わかりました。では行くぞ、皆!」
それから程なくして、全員がこの綱を伝って地上へと上がってきた。
そして到着するや否や、皆は安堵の言葉を発したのである。
「ようやく地上か」
「ふぅ……流石に疲れたぜ」
「やったぁ、生きて帰れたぁ」
「こんなに外の空気って澄んでいるのね」
「ホンマや、めっちゃ空気美味いわぁ……」
「もうしばらく、洞窟には行きたくないわ」――
地上に帰ってこれたという安心感からか、皆はその場に倒れるかのように腰を下ろし、横になった。ある者は大の字になり、またある者はうつ伏せになっていた。
ここにきて緊張が緩んだこともあり、どっと疲れが来たのだろう。まぁ俺もだが……。
Lv52 仲間との別れ
[Ⅰ]
地上に出た俺達は暫しの間、脱出した穴のある丘で体を休めた。
空を見上げると日も傾き始めていた。感覚的にだが、日没2時間前といったところだ。
(……もう少し休みたいところだが、あまり長くここに留まるのは良い選択ではないな。冒険者や魔導騎士団は、まだあの林にいるのだろうか……。何れにしろ、そろそろ動いたほうが良いな……)
俺はアヴェル王子にその旨を伝えた。
「アヴェル王子、日が少し傾いてきました。明るい内に移動をした方が良いと思うのですが、あの林はどの辺りなのか、わかりますかね?」
「すいません、俺はこの辺には少し疎いんですよ。ウォーレン、わかるか?」
ウォーレンさんは周囲を見回しながら、困った表情で答えた。
「それが、今どの位置にいるのかがわからないので、私も少し困っているところなのです」
と、ここで、バルジさんがある方向を指さした。
「多分、この先でしょう。この方角を暫く進むと林が見えてくる筈です。そこが、先程の林だったと思います。だろ、ラッセル?」
「バルジの言う通り、このまま真っすぐ進めば、先程の林ですよ」
アヴェル王子はその方角を見詰めた後、神妙な面持ちで皆に告げた。
「ここにいる皆に話がある……」
全員がアヴェル王子に注目する。
「今日……この洞窟で見たあの遺言についてだが……あれは他言無用でお願いしたい。今は王都を混乱させたくないのだ。この約束を守ってもらえるだろうか」
暫し、無言の時が過ぎてゆく。
程なくしてバルジさんが口を開いた。
「わかっております、アヴェル王子。絶対に他言はしません。皆も良いな? これは絶対だぞ」
その言葉に皆が頷く。
アヴェル王子は安堵の表情を浮かべた。
「……ありがとう、皆。さて、では疲れているところ悪いが、コータローさんの言う通り、日も傾き始めている。そろそろ戻るとしようか」
「ええ、そろそろ移動を始めましょう」
俺達は頷き、のっそりと立ち上がる。
そして、戦闘のあった林に向かい、行軍を開始したのであった。
俺達は道無き雑草地帯を進んでゆく。
周囲に目を向けると、葦のような背の高いイネ科の植物が、至る所に群生していた。
その為、ローブなどが引っかかって進みにくかったのは言うまでもない。
(はぁ……地上にでてホッとしたが、正直、こういう所は進みたくないなぁ……)
俺はそこで、斜め上にいるラティに目を向けた。
ラティは涼しそうな顔で、パタパタと羽ばたいていた。
(……考えてみると、ラティはこういう時って良いよな。何の障害もないし……)
ふとそんな事を考えていると、ラティと目が合った。
「どうかしたん、コータロー。ワイの顔になんか付いてるん?」
「いや、そうじゃないよ。こういう時、ラティは飛べるから良いなと思っただけさ」
「へへへ、まぁそら、しゃあないわ。ワイの能力やもん。でも、ワイらドラキー族は、コータロー達みたいに力はないさかい、そこが逆に羨ましいけどな」
俺達がそんな会話をしていると、シーマさんが話に入ってきた。
「でも本当、コータローさんの言うとおりね。ラティが羨ましいわ」
「なんや、ネェちゃんもかいな。まぁこればっかりは種族の違いっちゅうやつや。どうにもならへんで」
「確かにね……」
と、そこで、シーマさんは俺に視線を向けた。
「コータローさん……さっきの遺言だけど……アレって、貴方はどう考えているの? 本当だと思う?」
「本当かどうかは、流石に、今の段階で断言はできませんよ」
「そ、そうよね」
「ですが……物事というのは、原因があって、必ず結果があります。これは、世の絶対的な法則と呼べるモノです。例を挙げるなら、俺達が今、こういう結果になっているのも、あの林でヴィゴールと戦ったという原因があって発生したものです。ですから、最終的に彼が洞窟であのような姿になってしまったのも、必ず原因があるのですよ。その原因とは、あの遺言の中にあるのかもしれませんし、そうじゃないのかもしれない。ですが、彼の遺言に記されている謎かけを解いて、あの杖が出てきた事は無視できない事実です。とはいえ、それだけでは断定できません。何しろ、1000年前の事ですからね。その原因を特定するのは並大抵な事ではありません。でも、可能性はあります。ですから、あの遺言で彼が訴えたかった事が間違いないと裏付けがとれた時に、あの内容が真実だったのかどうかが、わかるんだと思いますよ。長々と話しましたが、問題はどうやってその裏付けをとるのかって事です」
話し終えると、皆が俺に視線を向けていた。
(な、なんだ一体……俺、なんか変なこと言ったか……)
アヴェル王子のしんみりとした声が聞こえてくる。
「……原因があって……結果がある。そうか……俺は大事な事を忘れていた」
と、ここで、ボルズに背負われるバルジさんが、俺に話しかけてきた。
「コータローさん……1つ聞きたい。俺にバスティアンの財宝話をしたのはゴランではなく、イシュラナ大神殿で治療していた冒険者だ。もしかして、その冒険者も……魔物なのか?」
「恐らく、その可能性は高いでしょう。これは俺の想像ですが、あの話は冒険者達を呼ぶ為の餌の1つだったのではないでしょうか」
バルジさんの表情が曇る。
「……かもしれないな。バスティアンの隠し財宝伝説は、多くの冒険者が挑んだ伝説だ。そこを魔物達に付けこまれたのかもしれない……」
と、ここで、ラッセルさんが訊いてくる。
「コータローさん……貴方はこの間、ゼーレ洞窟にいる魔物達を見て、知っていると言いました。正直に答えてください……貴方から見て、あれらの魔物達に、王都の冒険者は太刀打ちできると思いますか?」
これは難しい質問である。
戦い方で変わるからだ。
「1対1ならまず無理でしょうね。単純な力や能力は魔物達の方が上です。ですが、どんな強い魔物でも、数の力と弱点を攻められる事は脅威だと思いますよ。要するに、戦い方次第だという事です。力が強くても、ラリホーのような眠りの魔法に弱い魔物もおりますしね。その辺の事を見極めるには、経験も必要ですが……」
まぁ俺の場合、ゲームでおぼえた経験が殆どだが……。
「そう考えると、コータローは相当経験があるのだろうな……。アウルガム湖やあの林での戦闘もそうだったが、コータローは魔物達の弱点をよく知っている。どんな魔物と遭遇しても、慌てずに淡々と弱点を突き、そして、戦いを有利に進めてゆく。王都の第1級宮廷魔導師や魔導騎士でも、あんな芸当ができる者は、そうはいない……」と、ウォーレンさん。
続いてミロン君も。
「コータローさんはすごく優秀な魔法使いだと思います。どこかで見ていたかもしれないアシュレイアという魔物も、あの戦闘で脅威に感じたんじゃないでしょうか……」
確かに、そこが懸念事項であった。
(ミロン君の言う通り……俺はアシュレイアにロックオンされたかもしれない。が……俺の推察が正しければ……アシュレイアはあの時、俺が使ったデインの魔法剣を見る事が出来なかった筈……ン?)
ふとそんな事を考えていると、アヴェル王子の声が聞こえてきた。
「前方に林が見えてきた。あれがそうなのかい?」
「はい、あの林がそうです」
「まだ皆いるかな……」
「いるといいわね。あんな事があった後だから、今日は賑やかな所にずっといたい気分だわ……」
「私も……今は1人でいたくない」
今日は色々と嫌な事を経験した日だから、皆、心細くなったのだろう。
「魔導騎士団と宮廷魔導師は、多分、まだいるとは思うが……冒険者達はどうだろうな」
「……いてくれると助かるな」
と、そこで、アヴェル王子は困った表情で1人呟いたのであった。
「帰ってこれたのは良いが、俺の今の姿を見ると、皆、驚くかな……」
「まぁ確実に驚かれるでしょうな」
「ふぅ……今は変装道具がないし、諦めるしかないか」――
そんなやり取りをしながら、俺達は暫く草原を進み、林の中へと入っていった。
そして、ヴィゴールと戦闘のあった場所まで行くと、魔導騎士団や宮廷魔導師に加えて、冒険者達もちゃんと待機していてくれたのである。
俺達の姿を見た魔導騎士や宮廷魔導師に冒険者達は、ホッとした表情を浮かべると、こちらに駆け寄ってきた。
だが、アヴェル王子の姿を見た魔導騎士や宮廷魔導師達は驚くと共に、慌てて跪き、頭を垂れたのである。それは、冒険者達にしても同様であった。
予想していた事ではあるが、アヴェル王子はその光景を見るなり、苦笑いを浮かべていた。
ちなみにだが、アヴェル王子はこの時、残念そうにこんな事を言っていたのである。
「ふぅ……ハルミアとして活動する事はもうできないな。仕方ない……騎士ハルミアはもう終了だ。暫くは、王城で静かに公務をこなすか……」と。
今回はバレた数が凄いから、こうなるのも無理ないだろう。っていうか、それが本来の王族の姿じゃないの? と思ったのは言うまでもない。
まぁそれはさておき、その後、アヴェル王子とウォーレンさんの口から、ヴィゴールを倒したという報告が皆にされた。
その場にいた者達は皆、歓喜の声を上げた。あのとんでもない魔物が倒されたと聞いて、皆、心底ホッとしたのだろう。
そして、粗方の報告を終えたところで、俺達は王都へと移動を開始したのである。
[Ⅱ]
山に日が落ち、辺りが薄暗くなり始めた頃、俺とラティは屋敷へと帰ってきた。
アヴェル王子とウォーレンさん、そしてミロン君はそのまま王城へと向かうようだ。ヴァリアス将軍という方に、今回の一件を報告するためだろう。
ちなみにだが、アヴェル王子はフードを深く被って顔を隠しながら、オヴェリウスに入った。
とはいうものの、アリシュナに入る時だけは言い訳が通じないので、アヴェル王子も素顔を晒していた。その後、どうなったのかは言うまでもない。
まぁそれはさておき、屋敷へと帰ってきた俺とラティは、そのまま寝室へと行き、とりあえず、休む事にした。
あんな化け物と戦った上に、洞窟に閉じ込められてしまったのだから、もう動きたくないのだ。
つーわけで、俺は寝室の扉を開け、中へと入った。
するとその直後、2人の女性が俺達を迎えてくれたのである。
「おかえりなさい、コータローさんにラティさん」
「お疲れ様でございました、コータローさん。それからラティさんも」
アーシャさんとサナちゃんだ。
俺も笑顔で答えた。
「只今、戻りました」
「ありがとう、アーシャねぇちゃんにサナねぇちゃん」
「朝早く出ていかれましたが、今日はウォーレン様達と何をされたんですの?」
(……今は2人に、あの話は出来ないな。適当に誤魔化しておこう……)
俺はラティに目配せした。
ラティは小さく頷く。
「以前言っていた、アウルガム湖関連のやつですよ。まぁそれほど大したことはしてないです」
「せやで。湖の調査手伝ってただけや」
アイコンタクトがうまく通じたようだ。
「あら、そうでしたの」
と、ここで、サナちゃんが訊いてくる。
「明日はどこにも行かれないんですよね?」
「うん、明日はどこにも行かないよ。2人と一緒にいられる最後の日だから、予定は入れてない」
2人共、ホッとした表情になった。
「ここ最近、コータローさんは忙しそうでしたから、もしかしたら明日も……と考えてしまいましたわ」
「私もです……」
「それは大丈夫ですよ。ところで、明日はいつ頃、使者がお見えになるんですか?」
「私は昼過ぎと聞いておりますが」
「私もそのくらいです」
どうやら同じような時間帯に、お迎えが来るみたいだ。
「昼過ぎですね。了解しました。それまではどこにも行かず、皆と一緒に過ごす事にしますね」
「コータローさん……」
サナちゃんはそこで俺に抱き着いてきた。
「あ!? サナさん、またですか!? なら……」
「へ?」
するとアーシャさんも俺に抱き着いてきたのである。
なんか知らんが、両手に花の状態? であった。
(……お、俺ってもしかして……今、モテてるのか……ふわぁ~、2人共、良い香りだな……)
「鼻の下伸びてるで、コータロー」
「ほっとけッ……ン?」
と、そこで、扉がノックされたのである。
続いて、扉の向こうから声が聞こえてきた。
「コータローさん。レイスにシェーラだ。お疲れのところ申し訳ないが、今、良いだろうか?」
その声が聞こえるや否や、2人はササッと俺から離れ、身なりを整えだした。
流石の2人も、この状態は恥ずかしいのだろう。
「ええ、構いませんよ。どうぞ、お入りになってください」
「では失礼する」
扉が開かれ、レイスさんとシェーラさんが中に入ってきた。
2人はサナちゃんに気付き、頭を下げる。
「やはり、こちらにおられましたか、イメリア様」
「はい」
サナちゃんは屈託のない笑みを浮かべる。
レイスさんとシェーラさんはそんなサナちゃんを見て、穏やかで優しい表情を浮かべていた。
なんとなく、我が子を見守るような表情であった。
これまでの逃亡生活で、こんな風に微笑むサナちゃんを見る事がなかったのかもしれない。
まぁそれはさておき、要件を聞いておこう。
「どうされました、レイスさんにシェーラさん。留守中に何かありましたかね?」
2人は、いつにない畏まった表情で口を開いた。
「コータローさん……我々は明日の昼過ぎ、この屋敷を出て、イメリア様をフェルミーア様の元へとお連れする。貴殿とアーシャ様のお陰で、我々は無事、任務を達成する事できそうだ。こんな間際になって申し訳ないが、礼を言わせてほしい。……王都まで我々と共に旅して頂き、誠にありがとうございました。我々は貴方がたに救われました」
「レイスさん、そんな畏まった礼は必要ないですよ。俺達は目的を共有した旅の仲間だったんですから」
「そうですわ」
シェーラさんは頭を振る。
「そういうわけにはいかないわ、コータローさん。私達はザルマの一件で、貴方がたに大変な迷惑をかけてしまったのだから。あの時は本当に申し訳ありませんでした」
2人は深く頭を垂れた。
「お顔を上げてください、2人共……それについては、もう良いです」
「しかし……」
「良いんです……それに俺、実は皆に感謝しているんですよ。楽しい旅ができましたからね……。短い間でしたけど、気の合う仲間とする旅って、良いもんだなぁって……ずっと考えてました。また、こんな風に旅が出来たらいいな、てね。だから、礼を言いたいのは俺もなんですよ。皆にね……」
この場にいる俺とラティ以外の4人は、少しジーンときているようだった。
「確かに、楽しい旅だった。今までで一番……」
「本当ね……楽しかった。実は私も……コータローさんと同じ事を思ったわ」
レイスさんとシェーラさんは少し目が潤んでいた。
続いてアーシャさんとサナちゃんも。
「私も、皆さんと旅が出来て、本当に楽しかったですわ」
「私もです……今までで一番楽しい旅でした。本当に、一番……」
サナちゃんは大粒の涙を流す。
そして、俺に抱き着き、身体を震わせて、静かに泣き続けたのであった。
「サナさん……」
アーシャさんはそれ以上何も言わなかった。
もの悲しくもあり、感慨深くもある静寂が、この部屋に漂い始める。
だが次の瞬間、ラティがKYぶりを発揮したのであった。
「そっかぁ……皆、そないに涙出るほど、楽しい旅やったんか……ワイも今度、コータローと旅してみよっと」
これを聞いた瞬間、皆がガクッと肩を落としたのは言うまでもない。
相変わらず、空気を読まない奴である。
まぁそれはさておき、ここで仕切り直しとばかりにレイスさんが言った。
「コ、コータローさん……まぁそういうわけでだ。我々は明日、フェルミーア様の元へ向かうわけだが、この屋敷を出る前に貴方に渡したいモノがあるのだ」
「渡したいモノ? いいですよ、別に……。そんなに気を使わないでください」
「そういうわけにはいかないわ。これはイメリア様からの贈り物だから、絶対に! 受け取ってもらうわよ!」と、シェーラさん。
「え、サナちゃんから?」
俺はそこでサナちゃんに目を向けた。
サナちゃんは頷く。
「私にはもう必要ないモノなので、是非、コータローさんに受け取ってもらいたいのです。レイス、お渡ししてください」
「ハッ、イメリア様」
レイスさんは懐から、純白の布に包まれた何かを取り出す。
そして布を解き、小さな水差しを思わせる小瓶を俺に差し出したのである。
瓶の中には、仄かに光を放つ黄色い液体が入っていた。
何の液体かはわからないが、どことなく魔法薬のような印象を受けた。
「これは?」
サナちゃんが答えてくれた。
「これはラミナスに伝わりし、古の魔法薬であります。消耗した魔力をすべて回復させる魔法薬で、【エルフの飲み薬】という名で伝わる、非常に貴重なラミナスの秘薬であります」
「エルフの飲み薬……」
「はい。古代魔法王国カーペディオンより更に昔……グアルドラムーン大陸に豊かな森が広がっていた頃、そこにはエルフと呼ばれる種族が住んでいたそうです。ラミナスの伝承では、我等ラミリアンの祖先は、古の種族・エルフであると伝えられております。そして、この魔法薬は、その祖先が残した遺物の1つなのでございます」
「エルフが祖先……」
ある意味、納得の話である。
見た目がモロにそんな感じだからだ。
(まぁそれはさておき……エルフの飲み薬か……そういえば、こんなのあったな。懐かしいなぁ……でも、これって物凄いレアアイテムやったような……。まぁそれはともかく、この魔法薬は、サナちゃんの言っている通りの効能だったな。これが手に入るのなら凄いことだが……いいのだろうか)
とりあえず、確認した。
「これ……かなり貴重な魔法薬だと思うけど、俺が貰ってもいいモノなのかい?」
「構いません。お収めになってください。私にはもう必要ないモノですので、どうぞ、役立ててください」
「そうですか……では、有難く頂戴いたします」
ここでアーシャさんが話に入ってきた。
「よかったですわね、コータローさん。次は私の番ですわね。私も、貴方に渡すものがございますの」
アーシャさんはそう言うと、部屋の片隅に行き、青い布に包まれた何かを持ってきたのである。
(なんだろう、一体……長細い箱みたいだが……」
俺がそんな風に考える中、アーシャさんは布を解いた。
すると中から、美しい銀色の箱が姿を現したのである。
「これは兄からの贈り物ですわ。どうぞ受け取って、中をご覧になってください」
「では、早速」
箱を受け取った俺は、上蓋を捲る。
すると中には、銀色に光輝く美しい像が入っていたのだ。
「お兄様曰く、これは銀の女神像と呼ばれるものだそうですわ。どうぞ、お受け取りになってください」
「銀の女神像……」
これまた懐かしい名前である。
ドラクエⅣの第3章における金策アイテムだ。
とはいえ、ゲームに出てきた銀の女神像と同じ物ではないだろう。だって、女神イシュラナの像だし……。
「良いのですか? こんな高価そうな物をもらって……」
「ええ、構いませんわよ。それから、お兄様が言ってましたけど、女神イシュラナ像の収集家に売ると30000ゴールド以上になるそうです。ですから、お金に換えてくださって結構だと言ってましたわよ。というか、お金に換えてくれってお兄様は言ってましたわ」
「30000ゴールド以上ですか……すごいですね」
どうやらこの世界でも、金策以外の何物でもない扱いになりそうだ。
つーわけで今度売ってしまおう。
「なんか悪いですね……俺ばかり、皆から、こんな貴重な物を頂いてしまって……」
4人は頭を振る。
「気になさらないでください。貴方がいたからここまで辿り着けたのですから」
「コータローさんの機転に何度救われたことか」
「そうよ、コータローさん。これじゃ足りないくらいよ」
「シェーラの言う通りです。それに私は、日を改めて、コータローさんにお礼をしたいと思ってるのですから」
サナちゃんはそう言って、また俺に抱き着いてきた。
「あぁ!? サナさん、またですか? さっきのは良いですけど、この空気の中では駄目ですわよ!」
「先手必勝です」
「なら私も」
俺は2人に抱き着かれた。
(なんか複雑な気分だ。嬉しいような……悲しいような……まぁいいか)
と、ここで、サナちゃんが俺に話しかけてきた。
「コータローさん、それはそうと、昨晩の話の続きが聞きたいです。今いいですか?」
「へ? 昨晩の話の続き……何の話だったっけ?」
「忘れたんですか。昨晩話してくれたじゃないですか。確か……ローレシアとかいう国の王様が、実の息子に50ゴールドと銅の剣だけを渡して、お供も付けずに、1人で魔物討伐に行かせたという、凄い話の続きですよ」
「あ、それ、私も気になってましたの。確か、サマルなんとかという国の王子と、どっかの街でようやく合流したところで終わってましたわ。その続きを聞かせてください」
そういえば、昨晩、そんな話をしたのを思い出した。
ここでラティがボソリと呟く。
「なんやねん、その話……王様が息子に、50ゴールドと銅の剣だけで魔物討伐って……ある意味、虐待やがな。ワイが寝た後、そないな恐ろしい話してたんか」
「ほ、本当ね」
ゲームだからあまり気にならないが、リアルだと、ラティとシェーラさんの反応が普通だろう。
まぁそれはともかく……。
「ああ、あの話の続きか。いいよ。ええっと合流した2人の王子はね、その後……」――
とまぁそんなわけで、俺は彼女達に、悪霊の神々という物語の続きを語る事となったのである。
[Ⅲ]
翌日の昼食後、晴れ渡る空の元、ラミナス公使とアレサンドラ家の使者がウォーレンさんの屋敷に訪れた。
一緒に旅をしてきた仲間達とも、とうとう別れの時がやってきたのである。
その去り際、俺はアーシャさんとサナちゃんに、この言葉を贈った。
「またお会いする事になると思うので、その時はよろしくお願いしますね、2人共」
「ええ。こちらこそ、よろしくお願いしますわ」
「私も、その時は、よろしくお願いしますね」
アーシャさんとサナちゃんは、目が潤んではいたものの、涙は流さなかった。昨晩の話が効いたのだろう。
実は昨晩、俺は2人だけに、とあるお願いをしたのだ。そこで今後についての話を色々としたので、また会えると安心したのかもしれない。とはいえ、詳細を語れないので、かなりボカシた話にはなったが……。
(2人には言えなかったけど……恐らく、次に彼女達と再開するのは、かなり意外な形でとなるだろう。ヴァロムさんの計画通りにいけば、だが……)
その後、アーシャさんとサナちゃん達は、ウォーレンさんと屋敷の使用人達に挨拶をし、使者達と共に、第3階層のヴァルハイムへと向かった。
そして、俺とラティは、2人を乗せた馬車が見えなくなるまで、ずっと手を振りながら見送り続けたのである。
馬車が見えなくなったところで、ラティの声が聞こえてきた。
「あ~あ……2人共、行ってもうたな。なんか、寂しくなるなぁ」
「まぁな。でも仕方ないよ」
と、そこで、ウォーレンさんが俺に話しかけてきた。
「コータロー……話がある。ラティと一緒に、ちょっと俺の部屋まで来てもらえるだろうか」
「わかりました」
「ン、ワイも?」
「ああ。では行こうか」
俺とラティは、ウォーレンさんの後に続いた。
ウォーレンさんの部屋に入ったところで、俺とラティはソファーに座るよう促された。
「そこに掛けてくれ」
「では」
「ほな」
俺達がソファーに腰を下ろしたところで、ウォーレンさんは話を切り出した。
「話というのは他でもない、昨日の件についてだ……」
「そうだろうと思いました。で、何についてでしょう? やはり、遺言の内容についてですか?」
ウォーレンさんはコクリと頷いた。
「ああ……実を言うとな……あの遺言に関しては、まだヴァリアス将軍の耳には入れてはいない。あまりに衝撃的すぎるのでな」
「でしょうね。俺もその方が良いと思います」
「ワイも正直、信じられへんもんなぁ……」
「まぁそれでだな、俺と王子は、あの手記の対応について悩んでいるのだよ。正直、どう手を付けていいのかがわからんのだ。何か妙案はないか」
「妙案と言われましてもねぇ……」
ウォーレンさんが悩むのも無理ないだろう。
なぜなら、あの手記はモロに異端審問案件だからである。存在そのものが危険なのだ。
「あの遺言は今、アヴェル王子が保管しているのですか?」
「ああ、今はな。だが、あれは非常に危険な代物だ。どうしたもんかと思ってな……」
「今はどこかに隠しておいた方が良いでしょうね。ところで、あの杖について、何かわかりましたか?」
ウォーレンさんは溜息混じりに答えた。
「……遺言の通りさ。アヴェル王子が昨夜、宝物の管理記録を調べさせたよ。そしたら、盗まれた雨雲の杖で、まず間違いないだろうとの報告が、今朝がたあったそうだ」
なんとなく、ウォーレンさんは面白くなさそうな感じであった。
多分、間違いであって欲しかったのだろう。
「雨雲の杖であった事が不味いのですか?」
「……あれがただの杖だったならば、俺も深く考えずに済んだが……本物という事になると、話が違ってくるんでな……フゥ」
そう言って、ウォーレンさんは疲れたようにソファーに背をもたれた。
「ところで、あの魔物達の事は、将軍に報告されたんですか?」
「ああ、したよ。俺達の報告を聞いて、ヴァリアス将軍も頭を押さえていた。どうしてこう、次から次へと問題が出てくるんだ、と嘆いていたよ」
「確かに……そうなるでしょうね」
「ああ。ン? おっと、そうだった……」
何かを思い出したのか、ウォーレンさんはそこで背を戻した。
「これを言うのを忘れてたよ。ラティ、お前は暫く、俺の屋敷にいてもらうからな。今後、俺が良いと言うまで外に出ることは厳禁だ」
今の言葉を聞き、ラティは目を丸くした。
「ええ、何ででっか!?」
「理由は勿論、あの一件を一部始終見ていたからだよ。おまけに、あの遺言も見ていたし。だからだ。それに、お前なんとなく、口が軽そうだし」
「そんな殺生なぁ。ワイ、口は固いですって。ホンマですって。なぁ、コータローもなんか言ってや」
俺は頭を振った。
「今回は諦めろ、ラティ。それに、こうなった以上、ここにいた方が安全かもよ」
「安全て、どういう……ア!?」
自分の置かれた状況に気づいたようだ。
「お前、今まで気づいてなかったろうけど、結構、危険な事に片足突っ込んでるんだぞ。魔物達にとって色々都合が悪いことを見てきたからな」
「せ、せやった……ワイ、ごっつ危ないやんか……」
「だから、ここはウォーレンさんに従っておくといい」
ラティはしょんぼりと返事した。
「はぁ……そうするわ」
「ところで、ウォーレンさん。ミロン君はどこかに出かけてるんですか? 朝から見ないですが」
「ああ。ミロンには、ちょっと調べ物をお願いしたんでな」
「そうですか」
「ミロンに何か頼み事でもあったのか?」
「はは、まぁそう思いましたが、大したことじゃないんで自分で調べる事にしますよ」
「すまんがそうしてくれ。さて……」
ウォーレンさんはそこで手帳のようなものを取り出すと、何かを確認し始めた。
「コータロー……今晩、夕食が終わって暫くしたら、何か予定があるか?」
「いえ、何もないですよ」
「では今晩、俺の部屋にもう一度来てくれ。恐らくその場に、アヴェル王子も来られると思う。色々とお前の意見を聞きたいそうなんでな。よろしく頼む」
「わかりました」――
Lv53 クリーストの使者として
[Ⅰ]
夕食を終えた俺は、暫しラティと寛いだ後、使用人に案内され、ウォーレンさんの部屋へと向かった。
部屋の中に入ると、ウォーレンさんとアヴェル王子がソファーに腰掛けていた。
アヴェル王子の脇には白い布に包まれた物体が2つ置かれている。それらは細長い物とこじんまりとした物であった。
ちなみにだが、今日のアヴェル王子は変装していない。どうやら、素顔のままで来たようだ。とはいえ、魔法使いのように茶色いローブを纏っているので、王族っぽい出で立ちではないが……。
それからミロン君の姿はなかった。夕食の時も居なかったから、多分、何らかの用事をしているのだろう。
扉が閉められたところで、ウォーレンさんは口を開いた。
「休んでいたところ、すまんな。ではまず、ここに掛けてくれるか」
俺はウォーレンさんに促され、ソファーに腰かける。
そこでアヴェル王子が話を始めた。
「コータローさん、先日はどうもありがとうございました。まずは先に礼を述べさせてもらいます。それから、報酬としてこれをお受け取りください」
アヴェル王子はそこで、脇に置かれた細長い物を手に取り、巻かれている布を解いた。
すると中から、美しい杖が姿を現したのである。
アヴェル王子は、その杖を俺に差し出した。
杖の先端には、黄金に輝く大きな三日月の装飾があり、それに寄り添うように、青い水晶球のような物が取り付けられていた。三日月の装飾部には、古代リュビスト文字と思われるモノが幾つか刻まれており、青い水晶球からは、清らかな魔力の波動が発せられている。俺の見立てでは、かなり高位の杖だと感じた。
杖を受け取った俺は、王子に訊ねた。
「これは?」
「この杖は、イシュマリアの北部地方にある古代遺跡から出土した杖だそうで、所謂、イシュマリア誕生以前の古代の遺物というモノです」
「古代の遺物……」
「ですが……どういったモノなのかは、未だにわかっておりません」
「え? わからない?」
「はい。実は、城の古代遺物の研究者達も、よくわからないとこぼす杖なのです。しかし、この杖からは只ならぬ気配を感じます。それは研究者達も言ってました。もしかすると、コータローさんなら解明できるかもしれないと思ったので、報酬と言っては変ですが、これを持って来たのであります」
なんかよくわからんが、古代の杖を報酬にくれるみたいだ。
喜んで良いのか悪いのか、判断しかねるところである。
「そうですか。ところで、ここに古代リュビスト文字みたいなのが刻まれてますが、なんて書いてあるか解読されてるんですかね?」
「研究者の話では、そこにこう書かれているそうです……暗黒の瘴気に蝕まれし時……杖に祈りを捧げよ……精霊ストロスの力が邪悪な穢れを浄化する……と。研究者達も結局何のことを言ってるのか、わからずじまいだったそうです」
「精霊ストロス!?」
「ん? 知ってるのか、コータロー」
「……いえ、知りません。どこかで聞いた事があったような気がしただけです。よく考えたら、知らない名前でした」
俺はとりあえず、そう答えておいた。
下手に知ってるとでも言おうものなら、質問攻めに遭うのは目に見えているからだ。
(しかし……精霊ストロスねぇ。もしこれがドラクエⅤに出てきたストロスの杖なら、結構なレアアイテムをゲットしたことになるな。確か、ゲームでの効能は麻痺回復と石化解除だったっけ……とりあえず、ありがたく貰っとこう)
「では、ありがたく頂戴させていただきます」
「遠慮せず、お受け取りください」
続いてアヴェル王子は、もう1つの方をテーブルの上に置き、包まれた布を解いた。
すると中から、あの遺言状が姿を現したのである。
アヴェル王子は、それをテーブルの中央に置き、話を切り出した。
「さて……では本題へと行くとしよう。コータローさん、ウォーレンからもう聞いているとは思いますが、あの洞窟で発見された杖は、雨雲の杖で間違いないだろうとの事です。そこでお聞きしたい。この遺言について……貴方はどう考えているのかを……」
俺は手記に目を落とすと言った。
「……昨日もお話ししましたが、裏付けが取れない限り、あの遺言を鵜呑みしてはいけないというのが、今の私の考えです」
「ではお聞きします。どうやって裏付けを取ればいいと思いますか?」
「この遺言は、バスティアンという神官の体験記となっておりますが、彼は手記の中で7つの疑問を提起しています」
俺はそこで疑問の記述を人差し指でなぞった。
「1つ目は、ジルド神殿管理官は人ではないのか、という疑問。2つ目は、なぜ醜悪な魔物に変化したのか、という疑問。3つ目は、国宝である雨雲の杖をなぜ盗んだのか、という疑問。4つ目は、ディラックのマグナとは一体何か、という疑問。5つ目は、あのアシュレイアと呼ばれていた者は、一体何者なのだろうか、という疑問。6つ目は、アレイスの末裔とは王家の事なのだろうか、という疑問。そして7つ目は……光の女神イシュラナが、居りもしない偽りの女神とはどういう事なのだろうか、という疑問です。裏付けをとるには、これらの疑問を調べるしかないですが……彼の記した疑問は、もう少し簡単に考える事もできるんですよ」
2人は首を傾げる。
「簡単に?」
「……どういうことだ、一体?」
「7つもありますが、この疑問は大きく3つに纏められるんです。まず1つ目……雨雲の杖と、全てを石に変えるというディラックのマグナを使って、魔物達は何をしようとしていたのか、という疑問。2つ目は、アレイスとは王家の事なのか、という疑問。そして3つ目は……イシュラナは魔物達が作り上げた偽りの女神なのか、という疑問です。とはいえ、これらすべての謎を解く必要は、今はありません」
「今はない?」
「はい。今、俺達が知らなければならないのは、この3つの内、たった1つだけで良いんです」
「1つだけ……ま、まさか」
生唾を飲み込む音が2人から聞こえてくる。
俺は頷くと言った。
「ええ、1つだけです。もうお分かりですね、2人共。それが解明できれば、ほぼ全ての辻褄が合うことになります。ですから、この遺言が真実かどうかがわかると言っても、過言ではありません」
「し、しかし……どうやってそれを調べればいいのかが……俺にはわかりません」
アヴェル王子はそう言って項垂れた。
ウォーレンさんも同様であった。
「お前、簡単に言うがな……そんな事調べたら、間違いなく異端者と認定される。この国は官民一体で3000年もの間、それを続けてきたんだぞ……」
2人は苦悩に満ちた表情であった。
こうなるのも無理はないだろう。
重苦しい静寂が、この室内に漂い始める。
暫しの沈黙の後、アヴェル王子が静かに口を開いた。
「……物事には原因があって、必ず結果がある……。コータローさんは昨日、そう仰いました……。今、イシュマリアで起きている異変……俺は、こうなった原因を知り、何とかしたい。そう考えると、この遺言は決して無視できるものではない。これが事実なら、今起きている異変に密接に関わってくるからです。イシュマリア国3000年の歴史を否定する事になるかもしれないが、俺は国を治める王の嫡男……真実が知りたい。だから、俺は……この疑問をなんとしてでも解明しようと思います」
アヴェル王子の目は真っ直ぐであった。
強い意思持つ者の目となっていた。
だがしかし……俺は王子のこの目を見て、少し後悔したのであった。
なぜなら、ヴァロムさんのやろうとしている事は、恐らく、遺言の疑問を解明する事に、他ならないだろうからだ。
(アヴェル王子に嘘を吐いてるような気分で辛い……だが、ヴァロムさんの計画は他言できない。それに……このままだと、ヴァロムさんの計画に支障が出る可能性がある……どうすればいい……)
俺が悩む中、ウォーレンさんが意を決したように口を開いた。
「王子……私も手をお貸しますよ」
「すまない、ウォーレン」
(不味い……2人はやる気だ。この様子だと、止めるのは難しい。余計なことを話したか……。仕方ない。なんとか、引き伸ばしてみよう)
俺は見えない交渉を開始した。
「良いのですか? これを調べるという事は、かなり危険な道を進む事になりますよ。失敗すれば、幾ら王族といえども、異端審問裁判に掛けられるかもしれません。それでも調べるのですか?」
2人は頷く。
「覚悟の上です」
「俺も覚悟を決めた」
予想通りの答えが返ってきた。
「……そうですか。では、私から1つ提案があります」
「提案?」
「なんだ一体……」
「今、このオヴェリウスは、魔炎公ヴァロム様の異端審問決議の真っ最中です。よって、神殿側もかなりの厳戒態勢を敷いてると思われます。ですから、決議が終わってから調査を開始しませんか。私もお手伝い致しますので」
2人は腕を組み、暫し考える。
程なくして、アヴェル王子が口を開いた。
「……確かに、コータローさんの言う通りかもしれない」
「今の神殿関連施設は、イシュマリア魔導連盟の妨害を懸念して、警備にかなり動員かけてます。コータローの言うように、決議が終わるまで待った方が良いかもしれません」
「決まりだな。では、神殿側の調査は決議が終わってから始めよう。コータローさんも、よろしくお願いします」
どうやら、交渉は成功のようだ。
「微力ながらお手伝いさせて頂きます」
俺は脳内でホッと胸を撫でおろした。
この話題は危険だから、もう終わらせよう。
というわけで、俺は白々しく話題を変えた。
「あ、そうだ。魔炎公ヴァロム様の話が出たついでに、お2人にお訊きしたいんですけど、異端審問決議で刑が執行されることが決まった場合、どういう風な流れになるんですかね?」
ウォーレンさんが答えてくれた。
「刑の執行の流れか……確か、有力貴族の場合は、ラヴァナのイシュラナ大神殿にある審判の間で、王家や八支族、それから、教皇や大神官に神官長といった有力な神殿関係者の立ち合いの元、異端証明がなされる筈だ。そして、その後に、贖罪の丘で刑が執行されるという流れだった気がするが……」
「なるほど。ちなみに、異端審問決議が出たら、すぐに刑は執行されるのですかね?」
「う~ん……どうだったかな。その辺は、異端審問官とイシュマリア司法院が決める事だ。早かったり、遅かったりだと思うがな」
「そうですか……」
「ん、どうした? 何か気になる事でもあるのか?」
「いえ。ただ、どういう流れになるのかなって思っただけですよ。深い意味はありません」
「ヴァロム様の件か……フゥ」
と、ここで、アヴェル王子は溜息を吐き、疲れた表情を見せた。
「どうされました、王子?」
「……ヴァロム様の一件を見てもそうだが……ここ最近、父の様子がより一層おかしい……。俺が話しかけても上の空といった日々がずっと続いている。以前にも増して酷くなっているような気がするんだよ……」
「王子……よいのですか?」
ウォーレンさんはそこで俺を見た。
機密事項なのかもしれない。
アヴェル王子は頷く。
「構わないよ。コータローさんは信頼できる方だ。それに……この事は既に、民達の噂になっている。それより、どう思う、ウォーレン? 妙だと思わないか?」
「確かに……ここ最近の陛下は、以前の様な覇気が感じられません。どこか、虚ろな感じです。しかし……原因がわかりません。身体に異常も無いそうですから」
「しかもここにきて、アルシェスの様子も変だ。俺が話しかけても、反応しない時がある……。何か漠然とだが、嫌な予感がしてならない……。近い将来、このイシュマリアに未曾有の危機が訪れそうな気がして……」
この間、ゼーレ洞窟に行く前の夜も、こんな事を言っていた。
とりあえず、幾つか訊いてみよう。
「アヴェル王子、国王陛下に異変が現れ始めたのは、アムートの月に入ってからですか?」
「ええ。その通りです。よくわかりましたね。民達の噂で知ったのですか?」
ティレスさんに教えてもらった事だが、今は誤魔化しとこう。
「まぁそんなところです。ちなみにですが、異変が現れる前と後で、陛下の身の回りで変化はなかったですかね。例えば、侍従が変わったとか、普段飲んでる薬が変わったとか」
「侍従は変わりないですね。護衛者も変わりないです。ここ何年かは、ずっと同じ者ですから。それと父は健康そのものですから、薬は飲んでいませんよ」
「そうですか。では、普段身に着けている物とか、部屋の模様とかも変化はないですか?」
「身に着けている物と部屋の模様ですか……それは変わり……あ、そういえば……」
アヴェル王子はそこで顎に手を当て、思案顔になった。
「何か思い出しましたか?」
「いや、うろ覚えなので自信ないんですが、異変が現れる前と今とでは、額のサークレットの形が微妙に違うような気がするんです。とはいえ、目の錯覚かもしれませんが……」
怪しいが、確証がない。
一応、頭の片隅に入れとこう。
「なるほど、サークレットですか……。ちなみに、アルシェス王子にも、そういった変化はないですかね?」
「アルシェスですか……う~ん……どうだったかな。違うところと言えば、眼鏡くらいかな」
「眼鏡?」
「ええ。ですが、アルシェスは気分で眼鏡を結構変えますからね。今に始まった事ではないですよ」
これもかなり怪しいが、確証がない。
とはいえ、眼鏡に呪術的細工がしてある可能性も否定はできない。
これも頭の片隅に入れとこう。
「そうですか。まぁ何れにしろ、今までと様子が違うという事は、何か原因があってそうなっているのだと思います。その原因が、病的なモノなら致し方ないですが、呪い的なモノでそうなっているのならば、当然、話は違ってきます。その辺は注意した方が良いかもしれません……」
「確かに……少し調べる必要がありますね」
「呪い的なモノか……。おっと!? そういえばコータローに訊こうと思ってた事があるんだった」
するとウォーレンさんはそこで立ち上がり、奥にある書斎机の上に置かれた大きな板を持ってきたのである。
ウォーレンさんは、俺達の前にあるテーブルに、その板を置いた。
見たところ、どうやら地図のようだ。
「何か、いわくのある地図ですか?」
「違う違う。これはアルカイム地方の北に位置する、サントーラ地方の地図だ。ちょっと、お前の意見を訊いてみたかったんでな」
「意見?」
「ああ」
ウォーレンさんは頷くと、地図に描かれた湖らしき場所を指さした。
「これはウィーグ地方にあるローハル湖と言うんだが、この湖の畔に街が1つある。ここが、この間の話にでていたイスタドだ。で、ここから更に湖を東へ進み、支流となった川をずっと下るとラルゴの谷があるんだが……今、この地で妙な事が起きているそうなんだよ」
(ラルゴの谷……ラルゴとは、神話上でイシュマリアが倒した事になってる、破壊の化身だろうか? まぁいい。後にしよう)
アヴェル王子が話に入ってきた。
「昨日、ヴァリアス将軍からあった話か」
「ええ」
また厄介な話なのかも……。
ヴァロムさんの事があるから、手を貸すことはできないだろうけど、聞くだけ聞いてみるか。
「妙な事とは?」
「実はな……一昨日、サントーラ地方の太守・サムエル様から、ヴァリアス将軍に相談があったそうなんだが、最近、このラルゴの谷に、沢山の魔物が棲みつき始めたらしいんだ。それも見た事がないような魔物がな……。しかも、日に日に増えているそうだ。どう思う? ゼーレ洞窟の件と似てないか?」
俺は地図に目を落とし、暫し考えた。
(見た事もない魔物……ラルゴの谷……そしてイスタド……イスタドは確か、大漁で大賑わいとかいう街だったか……。なんだろう、この気持ちの悪さは……場所が違うから一概には言えないが、一方で嬉しい悲鳴がでていて、もう一方で本当の悲鳴がでている……)
「ウォーレンさん、イスタドって大漁で賑わっている街ですよね。イスタドとラルゴの谷は近いんですか?」
「いや、近くない。地図だと近くに見えるが、その2つは結構離れてるぞ。ラルゴの谷は巡礼地の1つで、サントーラ地方とアルカイム地方を結ぶ主要街道に近いところにある。イスタドは、そこからかなり離れているからな。馬車でも丸2日は掛かるほどの距離だ」
「陸路だと遠いんですね……。ところで、ラルゴの谷って破壊の化身ラルゴと何か関係あるんですか?」
2人は頷く。
アヴェル王子が答えてくれた。
「そこは破壊の化身ラルゴの根城があった場所です。そして、イシュマリアがイシュラナの加護を受けて、ラルゴと対峙した最初の地でもありますね」
「ラルゴの根城だったという場所なのですか……なるほど。そこには、やはり、イシュラナの神殿があるんですかね?」
「ええ、あります。それほど大きくはありませんがね」
イシュラナの巡礼地の1つらしいから、神殿が管理してるのだろう。
色々ときな臭いが、今は他の事を訊いとこう。
「ウォーレンさん、イスタドで獲れた魚介類は、どの市場に卸してるのかわかりますか?」
「それは、色んな所に卸してるだろう。近隣の町や村は勿論の事、王都にも来ているかもしれないし、当然、北部地方最大の都市であるサントレアラントにも行くだろうしな」
「ですよね……」
以前、ウォーレンさんは、ヒャドで氷詰めにして運ぶって言ってたから、結構色んな所に流通してるのだろう。
「ちなみにですが、アウルガム湖の支流と、このローハル湖は繋がってるんですかね?」
「まぁ繋がっていると言えば繋がっているが……そのまた支流になるぞ。一応、ここがそうだ」
ウォーレンさんはそこで、枝分かれする幾つかの川の1つを指さした。
「一応、繋がってはいるんですね……」
色々と気になる事もあるが、後にしよう。
「ラルゴの谷の周辺に出没する魔物って、どのくらいの強さですか?」
「ん、この辺りか……そういや、この谷の辺りだけ、王都周辺と同程度の強い魔物が出るな。他はそうでもないんだが……」
どうやらラルゴの谷の辺りだけ、スポット的に強い魔物が出るようだ。
多分、瘴気がそこだけ濃いのかもしれない。
俺は質問を続けた。
「そういえば、今、アウルガム湖は漁場として閉鎖してますが、船の出入りはどんな感じなんですか?」
「漁師達の船は出すことを禁じているが、イシュマリア王家の船とイシュラナ神殿側の船だけは出入りできる。つまり、アウルガム湖に出入りできるのは、それらに属している船だけだ」
「へぇ、イシュラナ神殿の船も出入りできるんですか。ちなみに、王家と神殿側の船は何隻くらいですかね? それと、どの程度の規模ですか?」
「う~ん、そうだな……確か、王家も神殿側も、大きいのが1隻、小さいのが2隻……だったかな。あ、王家のは中型が1隻あったか。だが、大きいとはいっても、定員は30名ほどだ。海で使う大型船と比べると小さいモノだぞ」
「30名ですか……」
定員の数から察するに、たぶん、大航海時代の帆船より、かなり小さめのモノだろう。
まぁ問題はそこではないが……。
「ウォーレンさん、話は変わりますが、他の街で獲れた魚介類を市場に卸す時は、どこかを介するんですかね? それとも、持ってきた業者が直接、市場に卸すんですか?」
「ああ、この間言ってた話の事か。えぇと、そうだな……確か、普段なら業者が市場に直接卸すんだが、今は箝口令を敷いてる手前……他の街で獲れた魚介類は、オヴェリウスの漁師組合を介してる筈だ」
「そうですか……なるほど」
やはり、今のオヴェリウスは、他の街の魚介類も漁師組合を介すようだ……。
ぼんやりと何かが見えてきたが、これだけの情報では確実なモノはでてこない。
だが……スタート地点は見えた気がした。
そんな事を考えながら地図を眺めていると、アヴェル王子が話しかけてきた。
「どうしました、コータローさん? 何かわかったのですか?」
「まぁ……1つだけ」
「なんだ、それは?」
ウォーレンさんは身を乗り出してきた。
「前に言っていた魚介類の件ですよ。恐らく、漁師組合の誰かが、大量の魚の出所を知っていると思います。何が出てくるかわかりませんが、まずはそこから調べていった方が良いでしょうね」
するとウォーレンさんは、少しがっかりした表情になった。
「なんだ、魚の件か……。魔物の件について何かわかったのかと思ったぞ」
誤解しているようなので言っておこう。
「違いますよ、ウォーレンさん。俺が言ってるのはラルゴの谷の話です」
2人は少し驚いた表情を浮かべた。
「なッ、どういう意味だ?」
「コータローさん、それはどういう……」
「俺も今の時点では、まだハッキリとしないんですが……ただ……イスタドの件とラルゴの谷の一件……もしかすると、無関係ではないかもしれませんよ」
「無関係じゃないだと……」
「俺にはなんとなくそう感じるんです。なので、それを知る為にも、漁師組合に魚の出所を教えてもらう必要があると思いますよ。そこが、この問題を解決する出発点の気がしますから」――
[Ⅱ]
アーシャさんとサナちゃん達を見送った3日後の夕刻。俺は辻馬車で、ヴィザーク地区へと向かってラヴァナ環状通りを進んでいた。
空に目を向けると、太陽は結構傾いていた。夕日が差し込む時間帯だ。
城塞に囲まれている事もあってか、日影も多く、空の感じと比べると、最下層のラヴァナはやや薄暗い街並みとなっていた。
そんなラヴァナの環状通りを暫く進むと、ヴィザーク地区の手前にあるアーウェン商業区交差点に差し掛かる。
するとそこは、夕食前という事もあり、沢山の買い物客で賑わっていた。
人々は付近にある露店で楽しそうに買い物をしている。路肩で談笑する冒険者みたいなのや、店の主人と値段交渉をする者、また、支払いをする者、周囲の商品を眺め続ける者等々……様々であった。
(アーウェン商業区は本当に活気があるな……ラヴァナで一番の繁華街というのも頷けるよ)
それから程なくして、馬車は目的のヴィザーク地区へと到着した。
馬車はゆっくりと路肩の停留場所へ停まる。
そこで、御者の威勢の良い声が聞こえてきた。
「着きやしたぜ。15ゴールドになりやす」
「ありがとう」
俺は15ゴールド払って馬車を降りる。
「まいどあり」
そして俺は、ローブのフードを深く被り、ラヴァナ執政院に向かって歩を進めたのである。
ヴィザーク地区のラヴァナ環状通りも結構な人混みであった。
(アーウェン商業区ほどではないけど……思ったより人が多いな。多分、ラヴァナの執政区だからだろう。ここはラヴァナ行政の中心地だし……ン?)
と、そこで、意外な所から、囁くような声が聞こえてきたのである。
「……コータロー……背後に気を付けろ……尾行けられておるぞ……」
声の主はラーのオッサンであった。
オッサンはそれ以上、言葉を発しなかった。
俺は小さく返事をした。
「了解……」
とりあえず、俺はこれまで通り、普通に歩き続けた。
(……この間、ゼーレ洞窟で色々とやらかしてきたから、道中何かあるだろうとは思ったが……。さて、どうするか……このまま執政院に行くのは不味い。とりあえず、煙に撒くしかないか……。どこが良いだろう……ン?)
そんな風に思案しながら歩いていると、前方に十字路が見えてきた。
周囲をチラ見すると、人通りも少しまばらな感じであった。
(人通りも少なくなってきたし、とりあえず、あの十字路を左に曲がるか。ここは背の高い石造りの建物が並ぶ区域だから、色々と方法もある……)
程なくして、十字路に差し掛かった俺は、そこを左折した。
その先は狭い路地が続いていた。人の姿は全くない。
今がチャンスと思った俺は、魔導の手を使い、すぐ近くにある2階建ての建物の屋上へ、一気に上がったのである。
屋上に来た俺は屋根の縁から、そっと下を窺った。
すると、慌てたように周囲を見回す、数人の者達が視界に入ってきたのだ。
数は5人。灰色のローブを着た者が3名と、旅人の服を着た者が2名であった。何れも、普通の格好をした一般人風の者達だ。
そして、暫くすると5人は、見失った俺を探そうと、路地の奥へと移動を始めたのである。
俺はラーのオッサンに小声で確認した。
「……ラーさん。念の為に訊くが、今の奴等は魔物か?」
「ああ」
「そうか……ありがとう。助かったよ。ちなみに、いつから尾行けられていた?」
「……この階層に来てからずっとだ……。ここからは気を付けた方が良い。ヴァロム殿の計画に支障が出るからな」
「わかってるよ」――
俺はその後、若干遠回りではあったが、周囲を警戒しながら進み、ラヴァナの執政院へとやってきた。
そして、この間会ったクラウス閣下の秘書と共に、裏口から執政院の中へと入っていったのである。
執務室へと案内された俺は、そこで、クラウス閣下にこれからの指示を受けた。
まず受けた指示は、秘書と同じ衣服に着替えてもらうという事、それから、顔を隠す為の変装をしてもらうという事だ。
要するに俺は、クラウス閣下の秘書として今から行動するのである。
また、武器等は持ってきてもよいとの事であった。
というわけで、俺は早速それらの指示に従うわけだが、その際、俺は2つお願いをした。
まず1つに、着替えの為に個室を貸してほしいという事、それから、俺1人で着替えと変装をさせてほしいというお願いである。
なぜこんなお願いをしたのかというと、装備品を幾つかフォカールで収納しておきたい為だ。
クラウス閣下はその願いを快く了承してくれた。
その後、俺は作業に取り掛かり、再度、クラウス閣下の前へとやってきたのである。
クラウス閣下は暫し俺を眺めると、首をゆっくりと縦に振り、口を開いた。
「ふむ。準備はできたようだな。では参ろうか、クリーストの使者……いや、テリー秘書官よ」
「御意に」
ちなみにだが、この名前は、前回、クラウス閣下に会った時に訊かれたので、言った名前だ。
理由は、前もって秘書官として登録しておきたいから、だそうである。
言っておくが、その場で適当に決めたモノなので、あまり深い意味はない。
ドラクエⅥのるろうに戦士やワンダーランドとも全く関係ない。関係ないったら、ない! 以上。
執務室を後にした俺とクラウス閣下は、そのまま執政官専用の馬車に乗り、ラヴァナ執政院を後にした。
目的地は第3階層のヴァルハイム。ヴォルケン法院長の屋敷である。
話は変わるが、執政官専用馬車は乗り心地が最高であった。中は広々で、振動も少ない。その上、椅子のクッションはフカフカで、内装は煌びやかであった。
まぁ早い話が、V・I・P CARというやつである。
話を戻そう。
馬車が進み始めて暫くしたところで、クラウス閣下が俺に話しかけてきた。
「テリー秘書官、そなたはここに来るまで、かなり長い距離を旅してきたと思うが、他の地方の様子はどんな感じであった?」
「マール地方とバルドア地方の事しかお答えできませんが、2つの地方ともに、魔物の数が増えて苦しんでおりました。加えて、強い魔物の出現で、命を落とす者も増えているようです」
クラウス閣下は大きく溜息を吐いた。
「フゥ……やはり、何処も同じか。景気の良い話は聞かぬな。ここ最近、頭の痛い事ばかりが続く。この間も、奇妙な報告があった」
「奇妙な報告?」
「うむ。つい3日前だったか……ラヴァナの警備兵長から報告が上がってきたのだが、アーウェン商業区の路地裏にある古びた倉庫で、魔物の死骸が4体見つかったらしいのだ。見つかったのは死骸であったが、今までオヴェリウスに魔物が入り込むなどという事はなかったのでな。これは異常な事態と言わざるを得ない。……漠然とだが、悪い方向に物事が動いておる気がしてならないのだ、私は……」
「アーウェン商業区で魔物の死骸……」
まず間違いなく、俺とラッセルさん達で倒した、あの魔物達の事だろう。
今は余計なことは言わないようにしよう。
俺はとりあえず、当たり障りのない、気休めを言っておいた。
「確かに、事態は日に日に悪くなっているかもしれません。しかし、物事には終わりが必ずやってくるものです。何れ、良い方向に変わるかもしれませんよ」
「だといいが……」
クラウス閣下はそう告げた後、目を閉じ、暫し黙り込んだ。
眉を寄せ、唇を噛み締めるその表情は、不安と疲れが入り混じったモノであった。
今の状況を色々と憂いているのだろう。
馬車は暫く進むと魔導騎士が屯する門を潜り抜け、アリシュナへと入ってゆく。
俺はそこで、車窓から外に目を向ける。すると、すでに日は落ち、辺りは闇が覆っていた。
そんな夜の街を更に真っすぐと進み、馬車はヴァルハイムへと続く門を抜けて行った。
ちなみにだが、検問の際、執政官本人の確認だけで進んでいるので、俺に対する尋問等は全くなかった。
これらの対応を見る限り、恐らく、この執政官専用馬車はかなり信用されているのだろう。
まぁそれはさておき、ヴァルハイムに入った馬車は、大きめの十字路を右へと曲がり進んでゆく。
そこを暫く進み、馬車は大きな屋敷の格子門の前で停車した。
程なくして、使用人と思われる者が門を開く。
門が完全に開ききったところで、馬車は敷地内へと進みだした。
そして、馬車は屋敷の玄関前で、ゆっくりと停車したのである。
クラウス閣下はそこで、俺へと視線を向けた。
「さて、私ができるのは、ここまでだ。あとは貴殿の仕事。上手くいくように、私はイシュラナに祈るとしよう。……貴殿にイシュラナの加護があらんことを……」
「ありがとうございました、クラウス閣下。ご助力感謝いたします。またいつの日かお会い致しましょう」
「うむ。また会おう」
「では、行って参ります」
俺はそこで馬車を降りた。
そして、馬車の近くで待機する使用人に案内され、俺は屋敷の中へと足を踏み入れたのである。
Lv54 老賢者との再会
[Ⅰ]
使用人と共に屋敷の玄関を潜ると、大きなエントランスホールとなっており、そこには紺色のガウンを身に纏う執事っぽい中年男性が立っていた。
その男は丁寧な所作で頭を下げ、俺に挨拶をしてきた。
「お待ちしておりました、テリー殿。奥の応接間にて、ヴォルケン様がお待ちでございます。では参りましょう」
「ええ、お願いします」
俺は男の後に続く。
程なくして俺は、蔦のような意匠が施された、西洋アンティーク調の大きな扉の前へと案内された。
男はそこで扉をノックし、中に向かって呼びかける。
「ヴォルケン様、テリー殿が到着しましたので、お連れ致しました」
「うむ。入ってもらってくれ」
「ハッ」
初老の男は一礼し、扉を静かに開く。
「どうぞ、お入りください」
それに従い、俺は室内へと足を踏み入れた。
俺が入ったところで、扉は閉められる。
中は30畳くらいある大きな部屋で、起毛タイプの赤いカーペットが一面に敷かれていた。天井には美しい宝石がちりばめられたシャンデリアが吊り下げられており、それが室内を鮮やかに照らしだしていた。
また、両脇の壁には絵画や甲冑等が並んでおり、入口正面には、黒光りする立派な書斎机が鎮座している。書斎机の後ろには窓が1つあり、その前には煌びやかなソファーが2脚と、それらの間に朱色の美しいテーブルが1つ置かれていた。
シンプルではあるが、全体的に豪華な装いの部屋であった。まさに応接間といった感じである。
そして、その書斎机には今、白髪混じりの赤い髪を後ろに流した初老の男が1人おり、俺へと視線を向けているところであった。
年齢は60歳半ばといったところだろうか。衣服は紺と白の法衣を着ている。
リンカーンの様な顎髭を携えており、皴もそれなりに刻まれてはいるが、年の割に、なかなか精悍な顔つきをした男であった。身体も大きく、俺と同じくらいの上背がありそうだ。
まぁそれはさておき、扉が閉まったところで、初老の男は口を開いた。
「厳戒態勢の中、ご苦労であった。さ、まずは、そこに掛けられよ」
男はそう言って、手前のソファーを指さした。
「では、お言葉に甘えて……」
俺はソファーに腰掛ける。
男もこちらへと来て、向かいのソファーに腰を下ろした。
そこで男は話を切り出した。
「さて、まずはそなたの素顔を見せてもらおうか」
「はい」
俺は顔の変装を解いた。
「ふむ……確かに、アマツの民のような外見の者だ。ではもう1つ、確認させてもらおう。クリースト殿の紋章はあるかな?」
胸元からオルドラン家の紋章を取り出し、俺は男に見せた。
「よかろう……そなたを信じるとしよう」
少し間を空け、男は話を続けた。
「……我々はクリースト殿の導きで会う事になったわけであるが、初対面でもある。よって、まずは名乗るとしよう。我が名はヴォルケン・アンドレア・ヴァラール。すでに知っておろうが、イシュマリア司法院の法院長を担う者だ」
「ご挨拶が遅れました。私はテリー……いや、コータローと申します。クリースト様の使者でございます」
「さて、では早速、本題に行くとしよう。まず、貴殿が持っているクリースト殿の指示書を見せていただこうか」
「こちらになります」
俺はグランマージでマジェンタさんから受け取った指示書を、ヴォルケン法院長に手渡した。
「では、拝見させてもらおう……」
ヴォルケン法院長は、暫し無言で、指示書に目を落とし続けた。
そして、読み終えたところで、俺とヴォルケン法院長は指示書に記かれている内容を1つ1つ確認していったのである――
確認作業が一通り終わったところで、ヴォルケン法院長は部屋の外へと出て行った。
それから暫くすると、ヴォルケン法院長は、中東の某テロリストを思わせる長い髭を生やした魔導騎士と共に戻ってきたのである。
部屋に入ったところで、ヴォルケン法院長は連れてきた魔導騎士に指示をした。
「ラサム殿……今暫く、そこの窓辺に立って居てくれぬか?」
「ハッ」
ラサムと呼ばれた魔導騎士は、指示に従い、ヴォルケン法院長の後ろにある窓辺に立つ。
なぜ魔導騎士をそこに立たせたのか、俺にはわからなかった。
だが、俺はこの後、その意味を知る事になるのだ。
ヴォルケン法院長は渋い表情を見せ、俺に向かって、厳かに告げた。
「さて、コータローとやら……残念だが、話はこれまでにしようか」
「え? それはどういう……」
するとそこで、ヴォルケン法院長は扉に向かって、大きな声を発したのである。
【ここに異端者がいるぞッ! 皆の者、異端者だッ!】
その直後、勢いよく扉が開き、武装した兵士達が部屋に雪崩れ込んできたのである。
(この兵士達の迅速な行動……部屋の外に待機させてたな……さっき退出した時に手配したに違いない……)
俺は叫んだ。
「なッ……これはどういう事ですかッ!? う、裏切るつもりですかッ!?」
するとヴォルケン法院長は、先程の話し合いとは打って変わり、厳格な表情でこう告げたのである。
「裏切る? ……違うの。私はこのイシュマリアにおける法の番人だ。私の職務だよ。コータローとか言ったか……お主、ヴァロム殿と共謀して、このイシュマリアを陥れようとしておるなッ! 司法を預かる者として見過ごせぬ所業! こやつを捕らえよッ。ヴァリアス将軍に引き渡すッ!」
【ハッ!】
ここでラサムという騎士が、大きな声を上げた。
【こやつは魔法使いだ。念の為に魔封じの杖を使え!】
【ハッ!】
1人の兵士が、先端に黄色い玉が付いた杖を、こちらに向かって掲げた。
その直後、俺の周囲に黄色い霧が纏わりついてゆく。
(魔法封じか!……チッ……あの、髭面のオッサン騎士、嫌な事をしやがる……。音が鳴るから、魔除けの鈴を装備から外したが……こんな事なら装備しとけばよかった……まぁいい。ならば……」
俺はそこで魔光の剣を発動させた。
剣を中断に構え、沢山の騎士達と対峙する。
と、次の瞬間、騎士の1人が、鋼の剣で俺に斬りかかってきたのである。
俺は魔力圧を上げて光の刃を強化し、鋼の剣と斬り結んだ。
その刹那!
鋼の剣は、豆腐でも切るかのように、光の刃にスパッと切断されたのである。
「なッ!?」
「なんだ、あの武器はッ! け、剣が簡単に切断されたぞッ!」
それを見た他の兵士は、驚きの表情と共に、俺と間合いを取った。
この切れ味を見て、少し恐怖したのだろう。
と、そこで、ヴォルケン法院長の檄が飛んだ。
「狼狽えるな、皆の者! 周りを取り囲むのだ!」
法院長の指示に従い、兵士達が俺の周りを囲む。
「チッ」
俺は思わず舌を打った。
(兵士の数が多すぎる……部屋の外にいるのも含めると、多分、30人以上いる気がする。ここからの逃げ道は法院長の背後にある窓のみ……。今、ラサムという魔導騎士は窓から少しズレた位置にいる。……その隙を突いて、なんとか逃げるしかない)
ふとそんな事を考えていると、ヴォルケン法院長が大きな声を張り上げた。
【こ奴に逃げ道はない。早く、この異端者を捕らえよッ!】
俺が動けるスペースは上だけであった。
(クッ……もうやるしかないッ!)
俺は魔導の手を使い、天井のシャンデリアに見えない手を伸ばす。
そして、自身の体を引っ張り上げ、振り子の要領で窓の方へと飛び、俺は法院長の背後に着地したのだ。
包囲網をなんとか抜けた俺は、すぐに窓へと駆ける。が、しかし……そこで髭面のオッサン魔導騎士がサッと反応し、退路を遮ったのである。
魔導騎士は窓辺に立ち、剣を抜いた。
「フン……残念だったな、異端者よ。逃がしはせぬ。この魔力を帯びた剣は、そう簡単に切れぬぞ。異端者めッ、観念するがいいッ!」
魔導騎士の言葉に呼応するかのように、他の兵士達は俺を取り囲んだ。
それは、逃げ道が無くなった瞬間であった。
ヴォルケン法院長の声が聞こえてくる。
「武器を捨てよ……お主にはもう逃げ道はない。……お主の行動によって、ヴァロム殿の未来が決まると思うがよい」
(……これまでか。もう、逃げ道は……ない)
俺は大きく息を吐き、魔光の剣と魔導の手を床に投げた。
兵士の1人がそれを拾う。
その後、俺は兵士達に拘束された。
ヴォルケン法院長はそこで、兵士に指示をした。
「この男は魔法使いだ。あの拘束具を用いるがよい」
「ハッ、ヴォルケン様」
すると兵士達は、紫色をした不気味な拘束具を持ってきたのである。
そして、それらの拘束具を、俺の手足と胸に装着していったのだ。
拘束具は胸当てや手錠のようなモノであったが、この拘束具が装着されたことにより、魔力の出口が塞がれるような感覚が現れた。
恐らくだが、対魔法使い用の拘束具なのだろう。
(まさか……こんな拘束具があったとは……恐らく、ヴァロムさんも同じ物をつけられて拘束されているに違いない……)
最後に猿轡をされたところで、ヴォルケン法院長はラサムという魔導騎士に告げた。
「ではラサム殿、そなたの主、ヴァリアス将軍の元に向かうとしようか。私も共に行き、事の経緯を説明しようと思う」
「ハッ、ヴォルケン様」――
[Ⅱ]
拘束された俺は、その後、馬車に乗せられ、ヴォルケン法院長の屋敷を後にした。
ガラガラと無機質な車輪の音が聞こえてくる。他に馬車は走っていないのか、聞こえるのはこの馬車の音だけであった。車窓は閉じられており、外の景色を窺い知ることはできない。
俺は拘束具で身動きが取れない上に、魔法だけじゃなく、話す事まで封じられている。
その為、今の俺にできる事と言えば、見る事と聴く事だけであった。
ちなみにだが、馬車の中にいるのは、ヴォルケン法院長と、ラサムとかいうオッサン魔導騎士、そして俺の3名だけで、後は使用人と思われる御者が1人だ。
(……クッ……まさか、こんなハメになるとは……俺はどこに連れていかれるのだろう……ヴァリアス将軍の屋敷か……ン?)
ふとそんな事を考えていると、馬車は停まった。
外から声が聞こえてくる。
「これより先はイシュマリア城だが、城門を潜るには通行証がいる。王城の通行証を見せてもらえるだろうか?」
ここで、ヴォルケン法院長が窓を開け、外の者を呼んだ。
「ここにある」
程なくして、窓の向こうに若い騎士が現れた。
装備品から察するに、恐らく、魔導騎士だろう。
「これが通行証だ。そして、私は法院長のヴォルケン・アンドレア・ヴァラールだ。通してもらたい。ヴァリアス将軍に用があるのでな」
若い魔導騎士は、通行証と法院長を確認した後、恭しく敬礼し、中へと誘った。
「失礼いたしました、ヴォルケン法院長。通行証に間違いはございません。どうぞ、中へとお進みください」
「うむ」――
その後、馬車はすぐにイシュマリア城へと到着した。
俺はそこで、ヴォルケン法院長とオッサン騎士と共に馬車を降りた。
ちなみにだが、馬車を降りる際、俺は拘束具の上からローブを着せられ、フードを深く被らせられた。
多分、異端者の扱いは普通の犯罪者とは違うのだろう。
馬車を降りたところで、ヴォルケン法院長はラサムに視線を向け、城を指さした。
「では行こうか、ラサム殿」
「ハッ、ヴォルケン様。……行くぞ、異端者よ」
そして、俺は2人に連行されたのである。
俺は移動しながら、薄明りの中のイシュマリア城を見上げた。夜とはいえ、それは迫力がある建造物であった。
高さは60mくらいはあるだろうか。夜にもかかわらず、見渡す限りの白い壁が異様な存在感を放っていた。大きな白い石を幾重にも積み上げて城壁は作られており、外郭となる城塞の隅には監視用の塔が確認できる。
また、中心部には、この城を彩る円錐型の屋根を持つ塔が幾つかあり、その内の1つは、天を指し示すかのような背の高い塔であった。
まさに西洋のお城といった感じの建造物である。
現実世界の城で例えるならば、ドイツのノイシュバンシュタイン城をもう少し大きくしたような感じだろうか。とにかく、そんな感じの城であった。
だが、今の俺には、こんな物に見とれている余裕などはない。
(俺は……このまま、異端者として投獄されるのだろう……こんなところで、こんな目に遭うなんて……ツイてない)
それから程なくして2人は、とある鉄の扉の前で立ち止まった。
なんとなく、城の裏口みたいな所である。
ヴォルケン法院長とラサムという騎士は、鍵を解錠し、扉を開いた。
「さ、行くぞ、異端者よ。ここから行けば、ヴァリアス将軍の職務室はすぐだからな」
俺達は鉄の扉を潜り、中へと足を踏み入れた。
すると、扉の先は階段となっていた。
照明はないが、上の明かりが漏れてくる事もあってか、そこまで視界は悪くなかった。
そんな薄暗い階段を上ると、赤いカーペットが敷かれた広い通路に俺達は出た。
そこを更に真っすぐと進んでゆくと、魔導騎士が両脇に立つ、大きな両開きの扉が見えてきたのである。
ヴォルケン法院長とラサムという魔導騎士は、そこで立ち止まった。
扉の前にいる魔導騎士の1人が口を開く。
「これはこれはヴォルケン法院長、お勤めご苦労様でございます」
「うむ、ご苦労。ヴァリアス将軍はおられるかな?」
「はい、おられますが……どのようなご用件で?」
そう言って、魔導騎士は俺をチラ見した。
「異端者の件で話がしたいのだ」
「少々お待ちください」
そこで魔導騎士は扉をノックし、中にいるであろう人物に呼び掛けた。
「ヴァリアス将軍、ヴォルケン法院長がお見えになりました」
中から声が聞こえてくる。
「……お通ししてくれ」
「ハッ」
魔導騎士はキビキビとした動作で、静かに扉を開く。
「では、お入りください」
「うむ」
そして、俺達は騎士に促され、中へと足を踏み入れたのである。
俺達が室内に入ったところで扉が閉じられた。
扉の向こうは20畳ほどの四角い部屋となっていた。
壁際には甲冑や剣に本棚、それから地図といった物が置かれている。
正面には、ヴォルケン法院長の部屋にもあったような、黒光りする書斎机があり、そこには50代半ばと思われる中年の騎士が座っていた。いるのはこの人だけだ。
茶色い髪をオールバックで流し、彫の深い眼鼻ではあるが、整った顔立ちの男であった。
顎や口元にはワイルドな髭を生やしており、また、やや浅黒く日焼けしている事もあってか、年の割に精力がみなぎる風貌をしていた。
上背もかなりあり、首はかなり太い。相当に鍛えられているのだろう。
金と銀の鎧を装備している事もあり、気品も同時に感じられる。
全体的な雰囲気は、知的な武人といった感じだろうか。それに加えて、非常に物静かな雰囲気を持つ男であった。
(部屋にいるのはこの男だけ……つまり、この人がヴァリアス将軍だろう……ウォーレンさんやアヴェル王子との会話でよく出てくる、あの将軍だ)
俺達が室内に入ったところで、書斎机の男は立ち上がり、ヴォルケン法院長に一礼した。
「これはこれは、法院長。ようこそ御越しくださいました」
「お仕事中に申し訳ない、ヴァリアス将軍」
「……して、今日はどのようなご用件で?」
「この男の事で……ヴァリアス将軍に話があるのだ」
ヴォルケン法院長はそう言って、俺のフードを捲り上げた。
「アマツの民……。この者……拘束具をつけられておりますが、一体何をしでかしたのですか?」
「うむ。実はの……」――
[Ⅲ]
ヴァリアス将軍とヴォルケン法院長の会談は20分程度で終わった。
「……では、後の事はよろしく頼みましたぞ、ヴァリアス将軍」
「ご安心ください、ヴォルケン法院長。私共で、この男の件は、しっかりと対処致します。お気をつけて、お帰りください」
「うむ。では、これにて失礼しよう」
そしてヴォルケン法院長は、ここから退出したのである。
残ったのはヴァリアス将軍と、ラサムという魔導騎士だけであった。
重苦しい静寂が漂う中、ヴァリアス将軍は厳しい表情を俺に向けた。
「さて……では行こうか。……異端者、コータローよ」
ラサムは俺に括られたロープをグイッと引く。
「行くぞ、異端者よ」――
部屋を出た俺は、前後を2人に挟まれる形で通路を連行された。
すると程なくして、開けた部屋に出る。
そこはホールみたいな感じになっており、それなりに高級そうなテーブルや椅子などが幾つも並んでいた。
周囲の壁には、王家の紋章と王の肖像画と思わしきモノが掲げられており、天井には周囲を明るく照らす、煌びやかなシャンデリアが吊り下げられている。
また、テーブルや椅子には、魔導騎士や宮廷魔導師と思われる者達が沢山おり、談笑したり、真剣に何かを話し合ったりしている最中であった。
恐らくこのホールは、騎士や魔導師達の憩いの場なのだろう。
俺達は、そんなホール内のど真ん中を進んでゆく。
するとその直後、至る所から激励の言葉が、こちらに向かって飛んできたのである。
【お勤めご苦労様でございます、ヴァリアス将軍】
周囲に目を向けると、この場にいる全員が、ヴァリアス将軍に頭を垂れていた。
やはり、将軍なだけある。この様子を見る限り、かなり人望が厚いのだろう。
と、その時であった。
良く知る声が、どこかから聞こえてきたのである。
「ヴァリアス将軍、お勤めご苦労様でございます」
「お勤めご苦労様でございます、ヴァリアス将軍」
声の主は、やはり、ウォーレンさんとミロン君であった。
「ああ、そなた達か」
ヴァリアス将軍はそこで立ち止まった。
それと共に、ラサムと俺も立ち止まる。
2人はこちらへとやって来た。
ウォーレンさんは俺の方をチラ見した後、ヴァリアス将軍に話しかけた。
「この者が、何かやらかしたのでございますかな?」
フードを深く被っているので、俺とわからないのだろう。
ウォーレンさんはそこで、まじまじと俺を見る。
と、その直後、ウォーレンさんは目を大きく見開き、声を震わせながら、恐る恐る、俺の名を口にしたのであった。
「コ、コータロー……な、なんで、お前がここに……なんで……」
「知り合いか、ウォーレン?」と、ヴァリアス将軍。
「ええ……この間、私が報告した……調査の協力者です」
「何ッ!? この者がか!?」
ヴァリアス将軍は驚きの声を上げ、そこで俺のフードを捲った。
「やはり……コータロー」
「コータローさん……」
「……」
俺は猿轡をされている為、話すことはできない。目を逸らす事しかできなかった。
できれば2人にこんな姿を見せたくなかったが、こうなった以上は仕方ない、諦めよう。
「ウォーレン、この者で間違いないか?」
「……ええ。い……一体……何をしたのですか?」
「この者は、ヴァロム様の使者……つまり……異端者である」
「異端者……コータローが……」
「コータローさんが、ヴァロム様の使者……」
ウォーレンさんとミロン君は、この突然の展開についていけないのか、明らかに狼狽していた。
無理もない。俺もだからだ。
「そういうことだ。よって……これより、この者を地下牢に投獄する。2人には聞きたい事がある。後で、私の職務室に来てもらおうか」
「は、はい……」
ウォーレンさんは力ない返事をした。
「では行くぞ、ラサム」
ラサムという魔導騎士は俺をグイッと引く。
「さぁ来るんだ、異端者よ」
「……」
そして俺達は移動を再開したのである。
ホールを抜けた後、俺は2人に連れられ、階段を幾つも降りて行く。
程なくして俺は、鉄格子の扉で閉ざされた薄暗いフロアへと連れて来られた。ここが地下牢なのだろう。
また、地下という事もあってか、静かで重苦しい雰囲気の所であった。
上の華やかさは全くない。無機質な石の壁と鉄格子だけの世界である。
階段を降りたところで、ラサムは鉄格子の扉を開く。
扉の向こうにはカウンター型の机があり、そこには茶色い鎧を着たイシュマリアの兵士が3人いた。
彼らの背後には壁があり、そこには鍵らしきモノが吊り下げられている。
数はそれほど多くない。見た限りだと3つほどであった。多分、牢はそれだけなのだろう。
まぁそれはさておき、兵士は将軍を見るなり、慌てたように深々と頭を下げた。
「ヴァ、ヴァリアス将軍、お勤めご苦労様でございます」
「ご苦労、諸君。これより、異端者をここに収監する。魔炎公がいる房の鍵はどれだ?」
「少々、お待ちください」
兵士の1人が、奥の壁に掛けられた鍵の1つを持ってきた。
「こちらになります」
将軍は鍵を受け取ると、兵士に言った。
「さて、諸君らは、ここで待機していてくれ。万が一ではあるが、この者が逃げ出す事もあるかもしれぬのでな」
「ハッ、畏まりました」
「では行くぞ、ラサム」
「来い、異端者」――
俺達は牢獄の通路を進んで行く。
それから程なくして、ヴァリアス将軍とラサムは立ち止まった。
場所的に一番奥の房だ。手前に2つの牢があるが、そこは無人であった。
ちなみにだが、奥の房だけは普通の牢とは違い、鉄格子の色が不気味な紫色となっていた。
拘束具と同じ色をしてるところを見ると、魔法が使えないように対策された牢なのだろう。
そして……その牢には今、腰を下ろして静かに瞑想する、ローブ姿の老人が1人いるのであった。
ラサムは鍵を解錠し、鉄格子の扉を開いた。
将軍はそこで、俺の猿轡を外してくれた。
口の自由が得られた俺は、暫しの沈黙の後、恩人でもあり、師でもある、この友人の名をボソリと口にした。
「……お久しぶりです。ヴァロムさん」
ヴァロムさんはゆっくりと瞼を開き、俺に目を向けた。
「コータローか……久しぶりじゃの。残念じゃが……捕まってしまったようじゃな……」
「すいません、ヴァロムさん……捕まってしまいました……」――
[Ⅳ]
俺が投獄されて3日が経過した。
誰もここには来ない。来るのは食事を運んでくる兵士だけであった。
物音などは殆どなく、聞こえてくるのは、入口にいる兵士達の途切れ途切れの会話くらいだ。勿論、地下という事もあって、外の音などは全く聞こえない。
また、視界に入るモノも、冷たい石の壁と紫色の鉄格子、寝床として敷かれた藁、それと汚物を入れる壺、そして、ずっと瞑想を続けるヴァロムさんだけであった。おまけに、牢の中に照明などはなく、通路を照らしている松明のおこぼれをもらうだけなので、当然、薄暗い。ハッキリ言って、最悪な空間なのである。
こんな所に何か月もいたら、流石に気が狂ってしまいそうだ。
話は変わるが、出された食事は一応食べている。
配給されるのは、神官食であるルザロとガラムーエというスープだが、目の前で兵士が毒見と称して、一応、少し食べていくからだ。
完全に信用はできないが、両方とも、毒の部分を選り分けるのは難しい食事なので、とりあえず、食べているのである。
つーわけで、話を戻そう。
俺はやる事がない為、藁の上で横になり、静かに考え事をしていた。
(はぁ……この先どうなるんやろ……。今日は確か、異端審問の継続審議の日だった筈……。恐らく、今回の件でヴォルケン法院長は、異端審問決議で刑の執行を認めるだろう。つまり……俺とヴァロムさんはこのままいくと、そう遠くない将来、処刑されるに違いない。……はぁ処刑か……死にたくねぇ……。ン?)
と、その時である。
丁度そこで、カツン、カツンと、階段を降りる足音が聞こえてきたのである。
(誰か来る……1人じゃないな。複数の足音が聞こえる)
程なくして鉄格子の扉が開く、キィィという甲高い擦れ音が聞こえてきた。
俺はそこで耳を澄ました。
途切れた話し声が聞こえてくる。
【ここに……運ばれ……異端者の……房に……】
【ハッ……アズライル猊下……異端……こちらでござ……】
聞こえてくる単語から察するに、やって来たのはイシュラナ教の教皇のようだ。
たぶん、取り巻き連中も来ているのだろう。
暫くすると、こちらに向かって歩いてくる、複数人の足音が聞こえてきた。
それから程なくして、足音は俺達の牢の前で止まったのである。
牢にやってきたのは7人。ここの管理をしている兵士が1人。ヴォルケン法院長とヴァリアス将軍と若いイケメン魔導騎士が1人。高位のイシュラナ神官が2人。そしてもう1人は……いつぞや、アーウェン商業区の交差点で見た美丈夫、アズライル教皇その人であった。
アズライル教皇は、白地に金の刺繍が施された豪華な神官服に身を包んでおり、手には青く美しい杖を所持していた。
その杖の先端には、透き通った無色の水晶球が付いており、青い柄の部分には金色の装飾が施されている。それは非常に美しい杖であった。
まぁそれはさておき、牢の前に来た者達は皆、こちらへと視線を向けていた。
まるで見世物小屋といった感じだ。
ちなみにだが、この団体がお着きになっても、ヴァロムさんは静かに瞑想をしていた。寝てはいない筈だ……多分。
まず、ヴォルケン法院長が口を開いた。
「アズライル猊下、このアマツの民の男が、コータローという異端者でございます。ヴァロム殿の使者として、我が屋敷に来たのでありますが、聞いたところによると、ヴァロム殿が教えた最後の弟子とか。そして、今日の決議でお渡した指示書を、私の元に持って来たのでございます。ヴァロム殿がまさか、こんな姑息な手を使うとは思いもしませんでした」
それを聞き、アズライル教皇は人の好さそうな笑みを浮かべた。
だが、どこか小馬鹿にしたような微笑みであった。
「ヴァロム殿の使者としてね……しかも弟子ですか。どうやって、ヴァルハイムまで来たのか、非常に興味がありますね」
「どうやらこの男は、クラウス殿の秘書として潜り込んだようです。しかも、顔を隠す為に、かなり凝った変装をしておりました。クラウス殿もすっかり騙されたようですな」
「クラウス殿の秘書としてか……中々に手の込んだ事をしていたのですね。しかし……捕まってしまっては意味がありませんが……」
神官の1人が話に入ってきた。
「このコータローという異端者……噂では相当腕の立つ魔法使いと聞いておるが、よく捕らえられましたな」
「逃げ道のない、部屋にて捕えましたからな。魔法を封じられ、尚且つ、周りを兵士に囲まれれば、いかにヴァロム殿の弟子とはいえ、成す術はありますまい。ま、そうは言いましても、強力な武具を持っていましたので、少しヒヤッとしましたがな」
するとアズライル教皇は興味深そうに、法院長に振り返った。
「ほう、強力な武具ですか……いささか、興味がありますね」
「ヴァリアス将軍。この間、引き渡した時に、こやつの装備品も渡したと思うが、ありますかな?」と、ヴォルケン法院長。
「こちらにございます」
将軍はそこで、そばに控える魔導騎士に目配せする。
魔導騎士は頷くと、俺の装備品をアズライル教皇の前へ差し出した。
「ヴォルケン法院長から預かっているのは、この妙な武具と、魔導の手でございます」
「魔導の手はともかく、これは初めて見る武具ですね」
アズライル教皇はそう言って、魔光の剣を手に取った。
それから柄を握り、光の刃を出現させたのである。
【おお!】
ギャラリーから驚きの声が上がる。
教皇は色んな角度から、光の刃を見ていた。
そんな中、俺はアズライル教皇に向かい、今湧いた疑問を口にしたのである。
「へぇ……初めて見る武具なのに、よくその武器の発動方法がわかりましたね。俺は捕まった時に、発動方法まで説明した覚えはないですが……」
アズライル教皇は一瞬、射抜くような眼差しで俺を睨んだ。が、すぐに元の表情に戻り、爽やかに話し始めたのである。
「フッ……このような武具など、使い方も何もないでしょう。……おかしな男だ」
俺は厭味ったらしく言ってやった。
「猊下は迷わず、それに魔力を籠められたので、私は少し驚いたのですよ。その武器の事を前から知っているかのような、淀みのない動作でしたからね。いやぁ~、さすがはアズライル猊下でございますな。普通の者ならば、試行錯誤すると思いますから」
アズライル教皇から笑みが消える。
その直後、教皇は手に持っている青い杖を俺に向けたのである。
「よく口の回る男だ。しかし……今の自分の置かれた立場というモノをまるでわかっていない。少々、お仕置きをした方がよさそうですね!」
すると次の瞬間! 杖の水晶球が眩く光り輝き、なぜか知らないが、俺の身体が宙に浮き上がったのである。
「なッ!? グッ……これは……」
見えない何かに持ち上げられているような感じであった。
「少し頭を冷やすがいい、この異端者めがッ!」
教皇は杖を勢いよく十字に振るった。
俺は物凄い勢いで、牢獄の壁に叩きつけられる。
右へ。
「グハッ」
左へ。
「ゴフッ」
天井へ。
「グッ」
そして床へ。
「ウワァァァ!」
宙に十字を描くかのように、俺は石の壁に叩きつけられた。
床に叩きつけられたところで止んだが、そのあまりの衝撃に、俺は立ち上がれなかった。
(……少し馬鹿にし過ぎたか……しかし、なんだ、あの杖は……。グッ……魔導の手を強力にしたような杖だな。クソッ……)
額から血が流れ出る。
どうやら頭に傷を負ったようだ。
骨折はないが、恐らく、打撲は至る箇所にあるだろう。
勝ち誇ったような教皇の声が響き渡る。
「そうそう、そうやって大人しくしていればいいのですよ。最後の時までね。あ、そうそう、言い忘れてましたが、貴方がた異端者の処遇が決まったので、今日は報告に来たのですよ」
ここでヴァロムさんが反応した。
「ほぅ……で、どのような処遇になったのじゃ?」
教皇はそこで神官の1人に視線を向けた。
「説明して差し上げなさい」
指示を受けた神官が前に出て、淡々と話し始めた。
「貴方がた異端者は、今日より5日後の朝……贖罪の丘にて火刑となります。ですがその前に、イシュラナ大神殿・審判の間にて、異端証明がなされてからの執行となりますので、そうお考え下さい。それまでの間、己の過ちを反省し、イシュラナに懺悔を続けるのです。それが異端者である貴方達の贖罪となるのですから」
「え? 俺もその日?」
神官はニヤッと笑みを浮かべた。
「当たり前でしょう。寧ろ、喜んだらどうですか、師と共に贖罪できるのですから」
どうやら俺も、ヴァロムさんと一緒に火刑のようだ。
「なるほどの。良かったのぅ、アズライル猊下。イシュラナ教団の天下が、これからも安泰そうでの……」と、ヴァロムさん。
そこで神官の1人が激高した。
「貴様、猊下に向かってなんと失礼なッ! 今の発言は、オルドラン家の者全員に悪い影響を及ぼすことになるぞ!」
アズライル教皇はそれを窘めた。
「フッ、言わせて差し上げなさい」
「しかしですな……」
「放っておきなさい。この者達は懺悔なんてするつもりは、全く無いのですから。罪の償いは、贖罪の丘でさせればよいのです。それよりも……」
教皇はそこでヴァリアス将軍に視線を向けた。
「ここの警備体制を今以上に強化するのです。ここから脱出するなんて事はないでしょうが、万が一という事がありますからね。よろしく頼みましたよ、ヴァリアス将軍」
「ハッ、猊下」
ヴァリアス将軍はアズライル教皇に向かい、恭しく頭を垂れた。
その後、アズライル教皇は人の好さそうな笑みを俺達に向け、捨て台詞を吐いてから、この場を立ち去ったのである。
「では、貴方がたが女神イシュラナに贖罪する日に、またお会い致しましょう」と――
Lv55 怒涛の羊たちの沈黙
[Ⅰ]
投獄されて4日が経った。
昨日はアズライル教皇がゾロゾロと取り巻きを連れて来たので、少し騒がしかったが、今日は恐らく、静かな1日になるのだろう。
俺は藁の上で胡坐をかきながら、ヴァロムさんに目を向けた。
ヴァロムさんは目を閉じて、静かに瞑想している最中であった。
俺が牢に入ってからずっとこんな感じだ。
(あと3日で処刑か……ヴァロムさんはどうするつもりなんだろう。まさか、このままという事はないよな……今、一体何を考えているんだろうか……ン?)
ふとそんな事を考えていると、階段の方から足音が聞こえてきた。
(……飯はさっき来たから、食事の配給ではないな。今度は一体誰だ……また教皇か?)
程なくして、入口でのぼそぼそとしたやり取りが聞こえてくる。
声の感じ的に、どうやら女性のようだ。が、声が小さいので内容は聞き取れなかった。
そして暫くすると、こちらへと向かう足音が聞こえてきたのである。
(俺は、イシュマリア城にいる女性の知り合いはいない。誰か知らないが、多分、ヴァロムさんに用があるんだろう。無関係の俺は不貞寝でもしとくか……)
というわけで、俺は鉄格子を背にして、藁の上で横になった。
その直後、足音はこの牢の前で止まったのである。
男の声が聞こえてくる。
「こちらでございます」
続いて、か細い女性の声が聞こえてきた。
「ヴァロム様……どうしても教えてほしい事がございます。貴方様はなぜ……あの場で、父と猊下にあのような事を仰ったのですか? それが……知りたいのです」
ヴァロムさんは目を閉じたままで、返事もしなかった。
もしかすると、瞑想という名の睡眠状態なのかもしれない。
女性はもう一度呼びかける。
「お願い致します、ヴァロム様! 私の恩人でもある貴方が、なぜ、このような事をしたのか、理由が知りたいのです!」
ヴァロムさんの瞼は開かない。
「ヴァロム様!」
しかし、ヴァロムさんは尚も無反応であった。
(何か知らんが、悲痛な訴えだ。どこの誰だか知らないが、仕方ない……俺も少し付き合ってやるか……)
俺は後ろを振り返らず、ヴァロムさんに声をかけた。
「ヴァロムさん……お客さんだよ。返事くらいしてあげたらどう?」
「……」
無視である。
俺は続けた。
「ヴァロムさん、俺にも無視を決め込むつもりかよ。返事くらいしてよ」
しかし、ヴァロムさんは無反応であった。
「おい、ヴァロムさん」
「……」
多分、寝てはいない筈だ。
このまま無視し続けるつもりなのだろう。
「おい、ヴァロムのオッサン。呼んでるよ!」
「……少しうるさいぞ、コータロー……静かにしておれ」
ようやく反応してくれた。
と、ここで、タイミングよく女性も呼び掛けた。
「ヴァロム様、お願いします。なぜあのような事を言われたのか、教えてほしいのです……」
「……答える必要はないの。すまんが、お引き取り願おうか」
「ヴァロム様……どうして……」
女性は今にも泣き出しそうな声であった。
(なんか色々と事情がありそうだけど、ヴァロムさんはこれ以上何も言わないだろう……。残念だけど、諦めてもらうしかないか……。でも……どこかで聞いた事がある声なんだよな……どこだったっけ? まぁいいや、確認してみるか……)
つーわけで、俺は上半身を起こし、女性へと振り返った。
だがその直後、俺と女性は互いを指さして、驚きあったのである。
「あ、貴方は、あの時のッ!?」
「ああッ!?」
なんと女性は、巡礼地ピュレナの沐浴の泉で出会った、あのフィオナ王女だったからだ。
フィオナ王女は純白のドレスに赤いショールのようなモノを肩にかけるという姿をしていた。
赤く長い髪を後ろに流し、その上に金のカチューシャが載っている。首や手には、光り輝く金のブレスレットやネックレスを身に着けており、高貴な佇まいをしていた。
一糸まとわぬ姿しか見た事ないので、ある意味新鮮な姿である。
ちなみにだが、王女の両脇には女性の騎士と中年の神官が佇んでいた。
鉄格子の前にいるのはこの3人だけだ。
また、神官の服は緑色であった。恐らく、高位の神官だろう。
「貴方は……ピュレナで私を救ってくれた方ですね。まさか、このような場所で、貴方とお会いする事になるとは……。その節は、本当に、ありがとうございました。あの後、無事、オヴェリウスに帰ってくることができました。これも貴方のお陰でございます」
すると、傍に控える女性の近衛騎士が口を開いた。
「フィオナ様、この御仁が、あの魔物を倒したのでございますか?」
「ええ、ルッシラ。この方です」
「なんと……」
近衛騎士はマジマジと俺を見た。
なんとなく、品定めをしているかのような目であったのは言うまでもない。
と、ここで、神官が話に入ってきた。
「ピュレナで魔物? ……どういう事ですかな」
ルッシラという近衛騎士が答えた。
「実はこの間、フィオナ様はピュレナで神託を受けたのですが、その後、魔物に襲われたのです」
「ほう……魔物ですか。そして……この者がそれを倒したと」
神官はそこで俺を見た。
フィオナ王女は頷く。
「ええ。それは恐ろしい姿をした魔物でした。この方が来なければどうなっていた事か……」
「なるほど。それは命拾いをされましたな。しかし……この男は異端者。それを、ゆめゆめお忘れなきよう……」
「ですが、救ってくださったのは事実です。感謝する事もいけないのですか?」
「私はフィオナ様の為に申しておるのです。いくら沐浴の泉で助けられたとはいえ、その事実に変わりはないのですからな。あまりこの者に肩入れなさると、いらぬ誤解を招くと私は申しておるのです」
「わ、私は別に、肩入れなど……」
フィオナ王女はそう言って、力なく俯いた。
この場に気まずい空気が漂う。
というわけで、俺がそれを打破することにした。
「あの~、そこの神官さん、ちょっと良いですか?」
神官は俺に振り向く。
「なんだ、異端者よ。私に懺悔でもするつもりかな?」
「いや、今の話で、1つだけ気になったところがあったんで、質問させてください」
「申してみよ」
俺は言ってやった。
「貴方さっき、フィオナ王女が、どこで襲われたと言いましたっけ?」
「どこで? 沐浴の泉であろう。それがどうかしたのかな」
「あれ……おかしいな。フィオナ王女もそこの近衛騎士も、襲われた場所までは言わなかった気がしたんですけどね。なんで貴方が、襲われた場所を知ってるんですか?」
神官の表情が強張る。
「な、何を言うかと思えば、おかしな事を……い、今、フィオナ様がそう言われたではないか。言いましたよね、フィオナ様?」
「え? あ、えっと……そういえば言ったような……」
突然話を振られたので、フィオナ王女はしどろもどろになっていた。
まぁこれは仕方ないだろう。人の記憶なんてあやふやなモノだし。
対して、神官は明らかに狼狽していた。
この様子だけで怪しさ満載である。
まぁそれはさておき、神官はそれを聞き、勝ち誇ったように告げた。
「ほ、ほれみろ! 言った通りではないか。おかしな事を言う異端者だ、まったく……」
「ふ~ん、まぁいいや。そういう事にしておきましょうか」
俺はこれ以上、追及はしなかった。
こんなアホな神官を弄ったところで、何も事態は変わらないからだ。
と、ここで、フィオナ王女が話しかけてきた。
「あの……お名前は確か、コータロー様でしたでしょうか?」
「はい、コータローです。でも、よく覚えていてくれましたね。ちょっと嬉しいです」
「命の恩人ですから、忘れよう筈がありません。ところで、コータロー様はなぜ、ヴァロム様と同じ牢に入れられているのですか?」
答えにくい質問をしてきたな。
詳細を話すと、この子に危険が及ぶ気がする。
とりあえず、おおざっぱに話しとこう。
「牢に入れられた理由ですか……そうですねぇ……まぁ簡単に言うと……俺はヴァロムさんの弟子なんですよ。このオヴェリウスでヴァロムさんのお使いを色々としてたんですが、そこを捕らえられて、異端者になってしまったというのが経緯ですかね。ま、そんなところです」
「そうだったのですか……ヴァロム様の……。あの時、ただの魔法使いではないと思いましたが、ヴァロム様の弟子と聞いて納得しました」
すると神官が横槍を入れてきた。
「フィオナ様、このような異端者の言う事など、あまり信用しない方が良いですぞ。猊下を侮辱するような発言をした者ですからな」
俺は神官を無視して、フィオナ王女に質問をした。
「あの、フィオナ王女。俺からも1つ訊いていいですか?」
「私でお答えできるものでしたら」
「先程、そちらの近衛騎士の方が、ピュレナで神託を受けたと仰いましたが、あの巡礼地ではそんな事ができるのですか?」
「はい。巡礼地は王位継承の資格を持つ者ならば、神託を受けられるのです。いや……神託を受けなければならないと言った方が正しいでしょうか……」
フィオナ王女はそう言って複雑な表情を見せた。
「神託を受けねばならない? どういうことですか?」
「王位継承の資格を持つ者は定められた巡礼地に行き、半年に1度は神託を受けなければならないのです。建国以来ずっと続いている王家のしきたりです」
「へぇ……なるほどね。という事は、アヴェル王子やアルシェス王子も神託を受けられているのですね?」
「はい。ですが、兄達は別の場所になります」
「別の場所?」
どうやら別々の場所で神託を受けているようだ。
なんか釈然としないが、とりあえず、話を聞こう。
「はい、別の場所です。アヴェルお兄様はヴァルハイムの光の聖堂にて、アルシェスお兄様はラルゴの谷で神託を受けております」
「へぇ……。ちなみに、神託を受ける時というのは、どういう状況でなされるのですか? 密室に入って1人でされるのですかね?」
「密室といえば密室ですが、神託を受ける時は、神授の間という王位継承候補者しか入れない聖域にて行われます」
「王位継承候補者しか入れない聖域ですか……なるほど。では、もう少し訊かせてください。その神授の間でしたか……そこはどんな所でしたか? 神殿のように、イシュラナの女神像とかが置いてあるんですかね?」
フィオナ王女は頭を振る。
「いえ、ありません。そこにはイシュラナの紋章が描かれた石板が置かれているだけです」
「……という事は、その石板の前で祈りを捧げると、神の声が聞こえてくるのですか?」
「いえ、違います。祈りの後、石板に手を触れると、女神の言葉が聞こえてくるのです」
「石板に手を触れると、女神の言葉が聞こえるですって……それは本当ですか?」
と、ここで、横槍が入った。
「オホン……フィオナ様、そろそろお時間でございますぞ」
「もう、時間なのですか……」
「時間?」
俺は首を傾げた。
すると、神官が嫌らしい笑みを浮かべて答えてくれた。
「今まで異端者との面会は禁じていたが、刑の執行日が先日決まったのもあり、ごく限られた者のみ、僅かな時間の面会が許される事になったのだ。これも慈悲深い猊下の計らいによるものよ。感謝するがいい、異端者よ」
俺は丁寧にお礼を言ってやった。
「はい、感謝してますよ。ありがたい、お心遣い、痛み入ります。すぐに癇癪を起こす、気の短いアズライル猊下にも、そうお伝えください」
「この異端者め……なんと無礼な……」
フィオナ王女は名残惜しそうに言葉を発した。
「あの……また来ます。ヴァロム様……その時は、先程の問いにお答えください」
「さ、行きますぞ、フィオナ様」
神官に促され、フィオナ王女と近衛騎士は出口へと足を向けた。
俺はそこで、近衛騎士に向かい、1つだけ忠告をした。
「あ、ちょっと待った。そこのルッシラという近衛騎士の方、くれぐれも、フィオナ王女の警護は厳重にね」
近衛騎士は俺に振り向く。
「そんな事、貴殿に言われるまでもない」
「俺が言ってるのは、いつも以上にって事ですよ」
「どういう意味だ……」
「そのままの意味ですよ。お願いしますね」
「……考えておこう」
神官は忌々しそうに、俺を睨んだ。
「さ、行きますぞ。ここは穢れた場所ですからな」
そして3人は去って行ったのである。
3人が去った後、シンとした地下牢の静寂が訪れる。
俺はそこでヴァロムさんに話しかけた。
「ヴァロムさん……今の石板の話だけど、どう思う?」
「……手で触れると聞こえる石板か。そういえば……コータローも経験しておるんじゃないのか」
「ああ、例の試練の時にね……」
「もしかすると、同じようなモノかもしれぬの」
「かもね」
「そんな事より……アレを開く瞑想をしたらどうじゃ?」
アレとは魔生門を開く修行の事だろう。
処刑待ちのこの状況で、それを指示するヴァロムさんは中々の強者つわものである。
「はいはい、やりますよ」――
[Ⅱ]
フィオナ王女が来た翌日、今度はアヴェル王子とウォーレンさんが牢へとやってきた。
牢の前に来た2人は、こちらを無言で見詰めていた。なんとなく2人は気まずい表情をしていた。
まぁこんな状況だ。こうなるのも仕方ないだろう。
ちなみにだが、今日のアヴェル王子は正装であった。
その姿はまるで、いつか見た映画に出てきた古代ローマ帝国の皇帝のような出で立ちである。
金の装飾で彩られた赤と白の衣を身に纏っており、まさしく王族といった佇まいだ。
また、牢の前にいるのはこの2人だけであった。神官の姿はない。向こうも色々と考えての事だろう。
(今日は神官がいないな……だが、どこかで聞いてるに違いない。猊下が許可したというこの面会……恐らく、俺やヴァロムさんから、色々と情報を聞き出すためだろう。都合の悪い芽を早めに摘み取る為に……)
重苦しい沈黙の後、まずアヴェル王子が口を開いた。
「……コータローさん、ヴァリアス将軍から話は聞きました。貴方が、ヴァロム様の最後の弟子だというのは、本当ですか?」
「ええ、本当です……そして、ヴァロムさんの指示を受けて動いていたのも事実です。すいません、黙っていて……」
俺は2人に頭を下げた。
「そうだったのですか。ただの魔法使いではないと思ってましたが……これで謎が解けました」
続いてウォーレンさんが話しかけてきた。
「コータロー……アーシャ様やイメリア様は、この事を知っていたのか?」
俺は頭を振る。
「いえ、彼女達は知りませんよ。無関係です。俺が単独で動いていた事ですから……。レイスさんやシェーラさん、それからラティもね。しかし、色々と利用はさせてもらいました。そういう意味では……彼女達には迷惑をかけたかもしれません」
「そうか。しかし……なぜだ、なぜなんだ! お前は俺達に色々と協力してくれた。ゼーレ洞窟では、このイシュマリアを救うほどの活躍をしてくれた。そんなお前が、異端者として捕まるだなんて……。俺にはもう、何が何だかわからなくなってきたよ」
ウォーレンさんはそう言って項垂れた。
「俺もです……何が何だか……」
アヴェル王子も同様であった。
この場に重苦しい空気が流れる。
俺は話題を変える事にした。
「なんだか湿っぽくなっちゃいましたね……。あ、そうだ。前からウォーレンさんに聞きたかったことがあったんですよ」
「聞きたい事? なんだ一体?」
「ミロン君の事です。ミロン君のお父さんとウォーレンさんは、どういう関係だったのですか?」
「ああ、その事か……。ミロンの父親は俺の師だった人さ。だが、今から2年前……魔物との戦闘で命を落としてしまってな。まぁそんなわけで俺が、当時10歳でまだ幼かったミロンを、弟子として預かることにしたんだよ」
ウォーレンさんはそう言って、大きく息を吐いた。
昔を思い出したのだろう。
「そうだったんですか……。10歳という事は、その報告を聞いてミロン君はさぞや悲しんだでしょうね」
「まぁな。でも、ミロンもその場にいたんだぞ」
「え? ……その場にいたんですか?」
「そりゃそうだ。ミロンは父親に師事してたんだから」
「……なら、相当辛かったでしょうね」
「まぁそれはな……。だが、幸か不幸か、ミロンも意識不明の重体だったから、それを知ったのは少し後だったがな……」
「そうだったのですか。ミロン君も大変だったんですね……」
そして、また暗い雰囲気が漂い始めるのであった。
(……話題変えた意味が全くないな……余計に暗い雰囲気になってしまった。もう一回、話題変えよう……)
「ところで、魚の方はどうでした? 誰か知っている人はいましたか?」
「え? あ、ああ、その事か……。お前の言う通り、知ってる者はいたよ。責任者が知っていた。金で懐柔されていたから、簡単には口を割らなかったがな」
「そうですか。では納入業者の正体はどうでした?」
「……それも、お前の言う通りだった」
思った通りのようだ。
「そうでしたか。なんとなくですが、奴等の思惑がわかりましたよ」
「何!? どういう事だ一体……」
「今は言えません。俺が死んだら、そこの藁の下でも調べておいてください。一応、俺の考えを書き記しておきますから」
俺はそう言って寝床の藁を指さした。
2人は怪訝な表情をする。
「貴方は今、書く物を持っていないのでは?」
「石の床なんで、傷くらいはつけれますから大丈夫です。ですが、早めに見てくださいね。誰かが消しに来るかもしれませんから」
アヴェル王子とウォーレンさんは顔を見合わせる。
と、そこで、何者かの声が聞こえてきた。
「アヴェル王子、面会の終了時間です」
「もうか?」
「仕方ない。行きましょう、王子」
「コータローさん、また来ます」――
[Ⅲ]
投獄されて6日後、またフィオナ王女がこの牢へとやってきた。
ここ最近、自分がハン○バル・レクターのポジションになってきている気がする、今日この頃である。
まぁそれはさておき、今日は前回と面子が違っていた。ルッシラという近衛騎士は同じだが、もう1人、金髪の若いイケメンを連れてきたのである。
ワンレンの女性かと思うくらいサラッとした長い髪の男で、かなり整った顔のパーツを備えていた。体型は長身の痩せ型で、あまり力はなさそうな感じだ。女のように見える男である。しかし、結構高い魔力の波動を感じるので、なかなかの使い手なのだろう。
また、その男は、イシュマリア王家の紋章が描かれた魔法の法衣を纏っており、手には祝福の杖を装備していた。
というわけで、早い話が、魔法使い系のイケメンがやってきたのである。
フィオナ王女は俺達に、軽く会釈をしてきた。
「あの、コータロー様……ヴァロム様はどんな様子でしょうか?」
俺はヴァロムさんに視線を向けた。
ヴァロムさんはいつも通り、瞑想中であった。
「ずっと、あんな感じですかね。ここ最近は、俺が話しかけても、返事すらしてくれないです」
「そうですか……」
「ところで、こちらの方は?」
「あ、紹介が遅れました。こちらは第1級宮廷魔導師のレヴァンです。私の側近の1人なのですが、コータローさんの事をお話ししましたら、ぜひ一度お会いしたいとの事でしたので……」
するとレヴァンという男は、一歩前に出て、恭しく自己紹介を始めた。
「お初お目にかかります、コータローさん。私はレヴァンと申しまして、フィオナ様の元にお仕えする宮廷魔導師でございます。色々と貴方のお話を聞きまして、ぜひ一度会っておかねばと思いましてね、今日はご一緒させていただいた次第であります」
死刑囚に対して、この丁寧な挨拶……ハッキリ言って嫌味以外の何物でもない。
俺的には嫌いなタイプの人間といえた。というか、嫌いだ。
イケメンで礼儀正しく、地位も名誉もあり、どことなく俺を見下すその仕草が、癇に障る奴であった。
「確かに、見るなら今の内ですかね。私は2日後には、贖罪の丘にて、この世からいなくなりますから」
「ハハハ、これは失敬。言い方が悪かったですね。申し訳ない。ただ……貴方を一目見たかったという事に嘘偽りはないですよ」
「俺なんか見ても、時間の無駄だと思いますけどね」
「私はね……貴方が、魔炎公ヴァロム様の最後の弟子だという事を聞いて、興味が湧いたのですよ。ヴァロム様は実子であるディオン様とアルバレス家の天才・シャール様以外、手解きした事はないのですから。ですよね? 魔炎公ヴァロム様」
レヴァンはそう言ってヴァロムさんを見た。
多分、わざとヴァロムさんが嫌う魔炎公という言葉を使ったのだろう。が、ヴァロムさんは微動だにしなかった。
「あのレヴァンさんでしたっけ……そんな言葉じゃ、ヴァロムさんは反応しませんよ。俺が何言ってもあの状態ですから。まぁそれはさておき、俺を見た感想はどうでしたかね? 面白かったですか?」
「俄然興味が湧きましたよ。貴方はこの状況においても、自分を見失っていないですからね。只者ではないとお見受けしました」
「そんな大層なモンじゃないですよ。只者じゃないのなら、こんな場所におりません。と、私は思いますがね……。つまらん、男ですよ、私は」
「私はそうは思いませんね。フフフッ」
レヴァンはそう言って爽やかな笑顔を浮かべた。
と、ここで、フィオナ王女が訊いてきた。
「あの、コータロー様……ヴァロム様はあの後、何か言っておりませんでしたか?」
「特に何も言ってないですね。ずっとあの調子です」
「そうですか……。ところで、コータロー様……この間来た時も気になっていたのですが、その額の傷は一体どうされたのですか?」
フィオナ王女はそこで、俺の額をマジマジと見た。
「額の傷? ああ、これですか。これはアズライル猊下をからかったら、癇癪を起されてね。それで出来た傷です」
「ア、アズライル猊下をからかっただと……何という事を……」
ルッシラさんはドン引きしていた。
フィオナ王女も少し引き気味であった。
「げ、猊下に、一体何をされたんですか?」
「妙な杖で壁に叩きつけられたんですよ。ピカッと光る青い杖でね」
するとレヴァンが話に入ってきた。
「それは恐らく、光の王笏だと思いますよ。アズライル猊下にしか扱えない特別な杖です」
「光の王笏?」
「魔導器製作の名家であるクレムナン家の当主、レオニス・ヴィドア・クレムナンの手によって、アズライル猊下の為に作られた杖です。貴重な魔鉱石をふんだんに使った杖で、魔導の手とよく似た機能を持っているみたいですね。とはいえ、その力は魔導の手を軽く上回るそうですが」
「ふぅん……なるほどね。猊下専用の武具って事か……」
「らしいですよ。レオニス殿の話だと、猊下の魔力以外反応しない特別製の杖だそうです」
「へぇ……」
その後、俺達は色々と話をしたが、ヴァロムさんが無視を決め込んでることもあり、他愛ない会話をするだけであった。
そして面会時間も終わり、フィオナ様はこの場を後にしたのである。
[Ⅳ]
面会時間が終わり、1階に上がってきたフィオナは、2人の従者と共に、イシュマリア城内の通路を無言で進んでゆく。
通路を歩くフィオナの表情は冴えなかった。肝心な事が何も聞けずじまいだったからだ。
そしてフィオナは歩きながら、尚も考えていたのである。地下牢の2人の事を。
(ヴァロム様とコータロー様はこのままだと……明後日の朝、処刑されてしまう。私の命を救ってくれた2人の恩人が殺されてしまう……。本当に、このままでいいの? ……なぜかわからないけど、私達は間違った事をしているような気がしてならない……。確かに、ヴァロム様は、お父様と猊下の前で不敬な発言をされたわ。イシュマリアとイシュラナを侮辱するような発言を……。私も目の前で見ていたから、それは知っている。でも、ヴァロム様は何の理由も無しに、そんな事をするお方ではないわ。何か理由があるのよ……私達が知らない理由が……)
フィオナは苦悩していた。
先頭を歩くレヴァンは、そんなフィオナの表情を見て、立ち止まった。
レヴァンは言う。
「フィオナ様……お考え中のところ申し訳ございませんが、お話があります」
2人は立ち止まる。
フィオナは訊ねた。
「お話? 何でしょうか、レヴァン」
レヴァンは周囲を気にしながら、フィオナに耳打ちをした。
「……あまり大きな声では言えないのですが、あの者達を牢から救い出す方法がありますよ。上手くいけば、誰も捕まることなく、彼らを逃がす事ができるでしょう」
レヴァンの言葉を聞き、フィオナは大きく目を見開いた。
「馬鹿な、そんな事できる筈……」
「できます。フィオナ様とルッシラ殿……そして私だけで。とはいえ、明日でなければ無理ですが……」
フィオナはそこでルッシラを見た。
ルッシラはそんなフィオナを見て、首を傾げる。
「どうされました、フィオナ様」
「ルッシラ……」
フィオナはどうしようか悩んだが、とりあえず、話を聞いてみようと考えた。
「レヴァン、聞かせてください」
「では、場所を変えましょう」――
[Ⅴ]
投獄されて7日経った。明日はとうとう、処刑の日である。
ヴァロムさんは相変わらず、牢内で瞑想中であった。投獄されてからというもの、俺達にはほとんど会話がない状況だ。
一体何を考えているんだろうか。
(さて……今日で牢獄生活ともおさらばか……というか、このままいくと、この世とおさらばって感じだが……ン?)
ふとそんな事を考えていると、鉄格子の扉が開く音が聞こえてきた。
どうやら、また誰か来たようだ。
(投獄されてから面会が続くな……まぁといっても、来るのはフィオナ王女かアヴェル王子くらいだが……)
だが、今日は少し様子が違っていた。
なぜなら、いつもなら聞こえてくる兵士とのやりとりが、全く聞こえてこないからだ。
(変だな……話し声が聞こえない。小声で話すなんてしないだろうし……なんか妙だ)
暫くすると、こちらに向かって歩いてくる足音が聞こえてきた。
(誰だ、一体……)
俺は少し身構えた。
すると程なくして、フィオナ王女とルッシラさんが牢の前に現れたのである。
どうやらここに来たのは2人だけであった。
ルッシラさんは何かを監視してるのか、しきりに出入り口の方向を気にしている。
そんな中、フィオナ王女は真剣な表情で、話を切り出したのである。
「ヴァロム様、そしてコータロー様……今日は御2人の為に私は来ました」
「俺達の為? どういう意味ですか?」
するとフィオナ王女は、俺達に鍵を見せたのである。
「ヴァロム様にコータロー様、ここから逃げてください。後は私達が上手くやっておきます」
「ちょっと、待ってくださいッ。そんな事をしたら、貴方の身に危険が降りかかますよ!」
「大丈夫です。待っていてください。今、牢の鍵を開けますから」
フィオナ王女はそこで鍵を向かわせた。
「やめてください。貴方の身に危険が及びますッ」
「だ、大丈夫です」
フィオナ王女は鍵を穴に差し込む。
ここで瞑想中のヴァロムさんが口を開いた。
「コータロー! フィオナ王女を今すぐに止めるんじゃッ!」
「わかってるよッ」
俺は格子の隙間から腕を出し、鍵を持つフィオナ王女の手首を掴んだ。
「なッ、コータローさん……どうして!?」
「いいんです……俺達の事は気にしないでください。他人を犠牲にしてまで助かろうなんて、俺とヴァロムさんは思っていない……だから、やめてください」
「で、ですがッ、このままでは……。私は、命の恩人である御2人に、生き延びてもらいたいのですッ!」
フィオナ王女の瞳から大粒の涙が、頬を伝う。
だが、鍵を持つ手の力は緩めなかった。
俺はルッシラさんに助けを求めた。
「ルッシラさん……王女を止めてください。お願いです」
「し、しかし……」
ルッシラさんは、俺とフィオナ王女を交互に見て、複雑な表情を浮かべていた。
どうやら、本来の職務を忘れているようだ。
(チッ、仕方ない……)
俺は大きく息を吸い、ルッシラさんに強い命令口調で告げた。
【近衛騎士ルッシラよッ! 貴殿の仕事は王女を守る事であって、言う事を聴く事ではない筈だッ! 目を覚ませッ! こんな事をして、どうやって王女を守るつもりだッ! 職務を放棄するつもりかッ!】
辺りにシンとした静寂が漂う。
ルッシラさんは力なくボソリと呟いた。
「わ、私は……」
「コータロー様……」
フィオナ王女は泣き崩れた。
と、そこで、聞き覚えのある声がこのフロアに響き渡ったのである。
【フィオナ……コータローさんの言う通りだ。そこまでにしておけ!】
2人は出入り口に目を向ける。
その直後、2人は大きく目を見開き、驚きの声を上げた。
「お兄様!?」
「ア、アヴェル殿下」
程なくしてアヴェル王子は、この牢の前にやってきた。
見たところ、ここに来たのは、どうやらアヴェル王子だけのようだ。
「フィオナ……今は俺の言う事を聞くんだ。ルッシラよ、フィオナを頼む。それと、お前達が眠らせた兵士も起こしておいてくれ」
「ハッ、アヴェル殿下」
ルッシラさんは泣き崩れるフィオナ王女を抱き起こす。
そして、2人は重い足取りで、この場から去って行ったのである。
暫し気まずい空気が漂う。
俺とアヴェル王子はずっと無言であった。
1分、2分と、静かな時間が経過してゆく。
そんな中、まず最初に口を開いたのは、アヴェル王子であった。
「……貴方は、いや、貴方がたは、これからどうするつもりなんだ? このままでは間違いなく処刑されてしまうが……」
「そうですね……処刑されてしまいますね」
アヴェル王子は俺の目を見ながら続ける。
「コータローさん……言っては何だが……貴方を見ていると、とてもではないが、これから死に行く者の顔には見えない。それが気になってね……」
「死に行く者の顔には見えないですか……でも、明日の事を考えると、俺だって怖いですよ。今まで幸運が重なって、何度か危機を乗り越えてきましたが、明日は流石に……天変地異でも起きない限り、死ぬ可能性の方が高いですからね……」
「では、どうするおつもりですか?」
「どうなるんでしょうね……」
「答えになってませんよ」
王子は憮然とした表情であった。
「ですね……。ところで話は変わりますが、有力貴族が処刑される時って、沢山の偉い人が来るんですね」
「話を逸らしましたね。まぁいいでしょう。……確かに、権力者が沢山来ますね。光誕祭以上に権力者が集まります。それというのも、有力貴族の断罪は、国の威信に関わりますからね。見せしめという部分と、権力者の結束を強める意味合いも込めて、そうなっているのだと思いますよ」
「俺もそう思います」
「話を戻しましょう。……貴方がたは、どうするつもりなのですか? このままでは殺されてしまうのですよ」
俺はそこで少し微笑んだ。
「別に何もしませんよ。ただ……テンメイを待つだけです」
アヴェル王子は眉を寄せ、怪訝な表情になる。
「テンメイを待つ? 一体、何の……ハッ!?」
アヴェル王子は鋭い眼差しを俺に向けた。
するとその直後、アヴェル王子は出口へと身体を向けたのである。
そして最後に、これだけを告げて、この場から立ち去ったのだ。
「そうですか。まぁ何れにしろ、俺は貴方がたの最後を見届けるつもりです。明日、またお会いしましょう」と――
Lv56 真実の姿 ( i )
[Ⅰ]
地下牢を出たアヴェルは、そのまま自分の部屋へと向かった。
程なくして、部屋の前へとやって来たアヴェルは、扉の取っ手に手をかける。
と、そこで、アヴェルを呼ぶ声が聞こえてきたのである。
「アヴェルお兄様、お待ちください」
意気消沈した表情で、フィオナは物陰から姿を現した。
現れたのはフィオナだけであった。
「フィオナか……なんだ一体?」
「……先程は、申し訳ありませんでした」
「それはもういい」
「あの、お兄様……今、お時間よろしいでしょうか……」
アヴェルは暫し思案した後、自室の扉を指さした。
「……少しならな。とりあえず、中に入れ。どうせ、あまり人前ではできぬ話だろう?」
「は、はい」
そして、2人は部屋の中へと入って行った。
扉を閉めたところで、アヴェルは話を切り出した。
「お前がコータローさんと知り合いだったとはな……。で、一体、どういう知り合いなんだ?」
「コータロー様とは、ピュレナでお会いしました」
「ピュレナで、か……。まぁ確かに、あそこは巡礼地だから、色んな旅の者がいる。だが……旅の者と、我々王族が知り合うなんて事はまずない。……あそこで、何かあったのか?」
フィオナは頷くと、静かに話し始めた。
「実はこの間……私はピュレナへ神託を受けに行ってきたのですが、その時、沐浴の泉で魔物に襲われたのです」
「なんだと……あの神聖な泉でか!?」
「はい……それは恐ろしい姿をした魔物でした。私も魔法を使って応戦しましたが、まるで効果がありませんでした。後で知ったのですが、護衛についていたルッシラ達も、その魔物が持つ奇妙な武具で眠らされ、成す術がなかったそうです。……あの時ばかりは私も死を覚悟しました。ですがその時……コータロー様が現れ、あの魔物を退治してくださったのです」
「そういう事があったのか……。で、コータローさんはその後、どうしたんだ?」
「コータロー様は1つだけ私に忠告して、そのまま去って行きました」
「忠告?」
「あの時、コータロー様は、誰が敵かわからないから、神殿内にいる者に気を許すなと言っていました。そして、私はその言葉を肝に銘じて、ピュレナから王都へと帰ってきたのです」
アヴェルは顎に手をやり、暫し思案した。
(……神殿内にいる者に気を許すな、か)
「で、その後は何もなかったのか?」
「はい。ですが、次の日の朝、妙な出来事があったのです……」
「妙な出来事?」
「実は、ピュレナを管理するグスコー神殿管理官が、昨夜、突然いなくなったそうなんです。どこかに外出する予定などはなかったそうで、神殿の者達も首を傾げておりました」
そこでアヴェルは、ヴィゴールと戦った時の事を思い出した。
アヴェルはボソッと呟く。
「もしかすると……いなくなったのではなく、グスコー神殿管理官が魔物だったりしてな……」
それを聞き、フィオナは少し頬を膨らませた。
「お兄様! 私は真面目な話をしているのですッ。こんな時に冗談を言わないでください」
アヴェルは真剣な眼差しをフィオナに向けた。
「俺は真面目に言っている……。まぁいい。それより、お前に訊きたい事がある……なぜあんな馬鹿な真似をしたんだ?」
「そ、それは……ヴァロム様もコータロー様も、私の命の恩人だからです。あの2人には死んでほしくなかったからです……」
フィオナの頬に一筋の涙が落ちる。
「それはわかった。だが、あれは、お前1人で考えたわけではないだろう。地下牢へと降りてゆく入口には、常に魔導騎士とイシュラナの神官がいる筈なのに、あの時は、なぜか誰もいなかったからな。あまりに不自然だ。フィオナ……そこへ手引きしたのは、一体誰だ?」
「あ、あの計画を考えたのは……レヴァンです」
「レヴァンだと……シャール殿に匹敵する天才魔導師と言われる、あのレヴァンか!?」
フィオナは無言で頷く。
「なんでレヴァンがそんな事を……」
「それは恐らく、私が悩んでいたからだと思います」
「しかしだな、お前とレヴァンはそんなに親しくはないだろ?」
「それが、実は……ピュレナから帰ってきた後、お父様の指示により、レヴァンが私の側近に加わったのです」
「なんだって、父が……」
今の話を聞き、アヴェルの中で、得も言われぬ不安が渦巻き始めた。
「お兄様……ヴァロム様とコータロー様を救うのは、もう無理なのでしょうか……」
「普通に考えれば無理だろう……。だが、俺の知っているコータローさんは、そんな簡単に生きる事を諦める人ではないよ」
フィオナは驚きの表情を浮かべた。
「あの、お兄様……コータロー様とお知り合いなのですか?」
アヴェルはフィオナに近寄り、耳打ちをした。
「あまり大きな声では言えないが……知り合いだ。といっても、ここ最近知り合ったばかりだがな。それはともかく、ココだけの話だが……コータローさんは俺が今まで出会った中で、一番諦めの悪い人だ。俺達が無理だと諦めるような圧倒的不利な状況でも、冷静に物事を見定め、必ず何らかの道を見つけ出す……そういう人だよ、コータローさんは。だから……明日は恐らく……何かが起きるかもしれない……」
「お、お兄様、それはどういう?」
「……」
声を上げるなと言わんばかりに、アヴェルは口元に人差し指を立てた。
それを見たフィオナは、慌てて口元を手で覆った。
アヴェルは続ける。
「今、聞いた話は、誰にも話すんじゃないぞ」
フィオナは無言で頷く。
そして、アヴェルはフィオナに微笑んだのである。
(コータローさんはさっき、テンメイを待つと言っていた。あれは確か、ヴィゴールとの戦闘前に、コータローさんが言っていた言葉の一部だ。テンメイがあの事を言っているのならば……それが意味するところは、恐らく……)
漠然とだが、この時、アヴェルは予感していた。
明日はイシュマリア建国以来最大の出来事が起きるかもしれない、と……。
―― 一方その頃 ――
とある薄暗い部屋の中で、密会する2つの人影があった。
1人は窓辺に立って外の景色を眺め、もう1人は、その者に跪いている。つまり、2人は主従の関係であった。
また、2人は共に、黒いローブを深く被る姿をしており、その表情は窺い知れない。不気味な雰囲気が漂う者達であった。
まず跪いている者が先に、言葉を発した。
「申しわけありません……アシュレイア様。アヴェル王子の乱入により、王女があの男達を連れ出す事に失敗したようです。……拷問して鏡の
在処を吐かすのは難しいかもしれませぬ。いかがなさいましょう?」
窓辺に立つ人影は、少し間を空け、言葉を発した。
「……投獄の際、あの者達が所持しているモノは、すべて取り上げたのであったな?」
「ハッ、全て取り上げてあります」
「という事は……ラーの鏡は恐らく、他の者が持っているのだろう。当日は、審判の間に入る者達の所持品を厳重に確認しろ。怪しい荷物や装飾品があったら、全て取り上げるのだ」
「王族や太守もですか?」
「ああ、全てだ。それから明日は、異端者達の身体も、もう一度確認をするのだ。何者かがあ奴等に、鏡を手渡しているとも限らんからな」
跪く者は頭を垂れる。
「畏まりました。アシュレイア様の仰せのままに……」
「それと、もう1つ、そなたにお願いしたい事がある」
「ハッ、なんなりと」
窓辺に立つ人影は、跪いてる者に近寄り、一枚の紙を手渡した。
「これは?」
「そこに書かれている者達を今日中に見つけ、拘束するのだ」
「畏まりました」
「では行くがよい」
「ハッ」
跪いていた人影は立ち上がり、この部屋を後にした。
そして、窓辺に佇む人影は、静かにほくそ笑むのであった。
「フフフッ……悪い芽は早めに摘まねばな。明日は絶望してから死ぬがいい、愚か者どもよ」――
[Ⅱ]
シャリン、シャリンという鈴の音が聞こえてきた。
その音で俺は目を覚ます。それが食事の合図でもあり、起床の合図でもあるからだ。
(朝か……。投獄されて8日経過した。……今日は刑が執行される日だ。とうとうこの日が来たって感じだな……)
俺は欠伸をしながら上半身を起こし、背伸びをする。
そこでヴァロムさんに目を向けた。
すると、相も変わらず、座禅を組んで瞑想を続けているところであった。
(一晩中、よくあの態勢を続けられるな……すごいわ……)
そんな事を考えながら背伸びしていると、こちらへと向かう複数の足音が聞こえてきた。
程なくして足音は俺達の牢の前で止まる。
多分、兵士達が配給の食事を持ってきたのだろうと思い、俺は鉄格子へと視線を向けた。が、しかし……そこにはなんと、意外な人物の姿があったのである。
ヴァリアス将軍と魔導騎士、それからイシュラナの高位神官が立っていたのだ。
俺は思わず、将軍の名を口にした。
「貴方は……ヴァリアス将軍」
「さて、朝だが、気分は如何だろうか?」
瞑想中のヴァロムさんが、ここで口を開いた。
「……こんな薄暗い牢の中で、気分が良いわけなかろう……ヴァリアス将軍よ」
「これは失敬……ヴァロム様。しかし、今日でそれも終わりでございます。心のご準備はよろしいだろうか?」
「ふん、さぁの」
面白くなさそうにヴァロムさんは返事をした。
俺は今日の予定について訊いてみた。
「ヴァリアス将軍……俺達はいつ頃、大神殿に移送されるのですか?」
「これより、貴殿らは我々の監視下の元、大神殿へと参る予定だ」
「そうですか。という事は、今日は食事はないのですね」
ここで神官が話に入ってきた。
「そなた達は今より、イシュラナに懺悔せねばならぬ身だ。不純物を体内に入れての祈りは、女神様への侮辱に他ならない。祈りは清らかな身で行われるべきもの。理解されたかな……異端者よ」
「ええ。理解しましたよ」
どうやら、飯抜きのようだ。少し残念である。
「さて、では双方とも、そろそろ参ろうか」――
その後、俺とヴァロムさんは、雲一つ無い晴れ空の元、鉄製のコンテナみたいな馬車に乗せられ、イシュラナ大神殿へと移送されたのである。
[Ⅲ]
俺とヴァロムさんは大神殿へと移送された後、窓が1つもない6畳程度の小部屋に幽閉された。
この部屋は石の壁のみ。出入りする為の鉄の扉が1つあるだけで、他に目に付くモノは何もない。
俺達はその部屋の中で、身体検査をされた後、神官達の手によって、純白の衣を羽織らされた。それは神官服を簡素化したものであった。
神官曰く、清めの衣というモノだそうだ。異端者用の衣だとも言っていた。つまり、死刑囚用の囚人服みたいなモノなのだろう。
そして、それを着せられた後、俺達は暫く間、ここで待機となるのである。
ヴァリアス将軍の話だと、審判の間の準備が整うまでだそうだ。
(……準備ねぇ……恐らく今、審判の間とかいう場所に、高位神官や権力者達の入場が行われているのだろうな。入場する際は、厳重なセキュリティーチェックなんかも行われているに違いない。アーシャ様はアレを持って、無事に入場できただろうか……)
俺はそこで、ヴァロムさんに目を向けた。
ヴァロムさんはここでも大人しく瞑想している。
今、何を考えているのだろうか。
何れにせよ、もうここまで来たら、後はもう天命を待つだけだ。
それから30分程度経過したところで、鉄の扉が開いた。
扉の向こうから、ヴァリアス将軍と魔導騎士、そして数名の神官達が現れ、部屋の中へと入ってきた。
ヴァリアス将軍はそこで、俺達に告げた。
「向こうは準備ができたようだ。ここからは我々が案内しよう」
どうやら、ヴァリアス将軍がエスコートしてくれるみたいである。
やはり、著名な有力貴族という事もあり、その辺は気を使っているのだろう。
座禅を組んで瞑想をしていたヴァロムさんは、そこでゆっくりと立ち上がった。
「では運命の地へと参ろうか……ヴァリアス将軍よ」
「参りましょう、ヴァロム様」
ヴァリアス将軍は頷くと、待機している魔導騎士と神官に目配せをした。
数人の魔導騎士と神官達が、俺とヴァロムさんの周りを取り囲む。
そして、俺とヴァロムさんはこの者達と共に、部屋を後にしたのである。
部屋を出た俺とヴァロムさんは、先頭を進むヴァリアス将軍に案内され、幅2mほどの狭い石壁の通路を進んでゆく。
その通路は直線であった。十字路やカーブは全くない。
また、通路の先は、イシュラナの紋章が描かれた銀の扉となっていた。
つまり、そこが俺達の行き先である。
程なくして、俺達はその扉の前へとやって来た。
そこで、ヴァリアス将軍が俺達に振り向る。
「……この先が審判の間になります。ヴァロム様にコータロー殿、覚悟はできましたかな? もう後戻りはできませぬ故……」
俺達は頷いた。
「覚悟はとうに出来ておる」
「私もです。参りましょう」
「……では、ご武運を」
ヴァリアス将軍は扉をゆっくりと開いた。
そして、俺とヴァロムさんは審判の間へと足を踏み入れたのである。
[Ⅳ]
審判の間は、広々とした四角いホールのような空間であった。天上も高く、10mくらいはありそうだ。
そこには宝石を葡萄の房のように散りばめた、美しいシャンデリアが吊り下げられており、煌びやかに辺りを照らしていた。
壁や天井には美しい女神の絵が、色彩鮮やかに描かれている。それはまるで、ヨーロッパの寺院に描かれているようなフレスコ画のようであった。
床は磨き抜かれた大理石のようなモノで出来ており、部屋の真ん中辺りには、大きなイシュラナの紋章が描かれていた。また、その奥は祭壇となっている。
ホール内の2階部分にあたる場所は、左右ともに観覧席になっており、そこには沢山の貴族や神官がいた。クラウス閣下やヴォルケン法院長の姿もある。その隣には、俺を拘束した魔導騎士ラサムの姿もあった。
また、俺達から見て、2階部分の正面はバルコニーのような出っ張った観覧席になっており、そこにはアズライル教皇や高位神官、それから王族や太守がいるのである。
そこには勿論、アヴェル王子やフィオナ王女の姿もあった。そして、ソレス殿下やアーシャさんの姿も。それからよく見ると、不安げにこちらを見ているサナちゃんの姿もあった。ちなみにだが、その隣には美しいラミリアンの女性もいる。多分、この方がラミナス公使であるフェルミーア様なのかもしれない。
まぁそれはさておき、観覧席にいる者達は皆、悲しそうな目で、こちらをジッと見つめているところであった。
(注目の的ってやつだな……でもここからは、ちょっと気を引き締めないとな……)
俺達が中に入ったところで、扉は閉められる。
するとその直後、美しい調べがどこからともなく聞こえてきたのである。
それはオルガンのような優しい音であったが、どこかで聞いたことがあるような旋律であった。
(……悲しさと優しさと美しさがある旋律だな……そういや、日本にいた頃、両親の事で精神的に参っていた時、よく聞いていた癒しのクラシック音楽集に、これと似た音楽があったな。確か……バッハのカンタータ第106番・ソナティーナだったか……あれに似た旋律だ。この場面で弾かれるという事は、もしかすると、この国で使われる葬送曲みたいなモノなのかもしれない……)
音楽が流れ始めたところで、ヴァリアス将軍は俺達に目配せをし、前へと進んでゆく。
俺達はヴァリアス将軍の後に続いて、美しい調べの中を静かに歩き始めた。
俺は歩きながら周囲をチラッと見回した。
観覧席にいる者達は皆、悲しみと憐れみの入り混じったような複雑な表情で、俺達を見ていた。
また、俺達がいるフロアの壁際には、魔導騎士と宮廷魔導師、それから神官が沢山待機しており、こちらに向かい、警戒の眼差しを向けているところであった。
(……上にいる者達とは対照的な目だな……俺達の挙動を監視しているのだから当然か……ン?)
と、その時、見た事ある顔が、俺の視界に入ってきたのである。
なんと、ウォーレンさんとミロン君がそこにいたのだ。
ウォーレンさんとミロン君は悲しい目で俺達を見ていた。
俺はそんな2人に向かい、軽く会釈をした。
向こうも会釈を返してくる。
(ウォーレンさんにはお世話になりっぱなしなのに、騙すような事をしてしまった……生き延びれたら謝んなきゃな……)
その後、程なくして俺達は、目的の祭壇へと辿り着いた。
祭壇の前に着いたところで、俺達の背後にヴァリアス将軍と魔導騎士が回った。多分、逃走防止の措置だろう。
それと同じくして、バッハのような曲も止まった。
重苦しい静寂が辺りに漂い始める。
そこで、アズライル教皇の隣に佇む、赤い神官服を着た高位神官が、声高に告げたのである。
【光の女神イシュラナの慈愛の元に生まれし、この国を代表する敬虔なる信徒諸君! 本日はお忙しいところ、この儀に御参加いただき、誠にありがたく思っております。皆様の御参加に、アズライル猊下も大変喜んでおられます。さて……それでは、時間になりましたので、これより、この罪深き者達の異端証明の儀を執り行いたいと存じます! 儀の進行はイシュラナ大神殿・神殿管理官である私、ザムドが担います。では、主任異端審問官・マスケラン殿、罪状の報告を!】
このフロアの壁際に佇む、紺色の衣を着た神官の1人が、巻物みたいなモノを手に持ち、祭壇へとやってきた。
俺達と祭壇の間に割って入る形で、その神官は立ち止まる。
そして巻物を広げ、正面の観覧席に向かい、声高に読み上げたのである。
【では主任異端審問官である私、マスケランが、罪状の報告さていただきます。まず、異端者ヴァロム・サリュナード・オルドランの罪状について……光の女神イシュラナと光の御子イシュマリアへの度重なる暴言による冒涜行為であります。ヴァロム殿の行動は、多数の目撃者のいる中で行われており、言い逃れできる余地のないモノでございます。そしてこれは、光の聖典に記されている女神の意思全てを否定する、重大な異端行為にあたります。よって、我等、異端審問官とイシュマリア司法院との審議の結果、この者を異端階級で最も重い『破戒の徒』と認定する事と相成りましたので、ここに報告させて頂きます。また、もう1人の異端者コータローは、ヴァロム殿の異端である策謀に加担し、組み従う者である為、これも共謀の破戒の徒として認定した次第であります。私からは以上でございます】
異端審問官は読み終えると、元の位置に下がった。
そこで、最初の神殿管理官が口を開いた。
【マスケラン殿、ご苦労であった。さて、諸君! 罪状は以上である。異論のある方は、挙手を持って示していただきたい】
手を上げる者は皆無であった。
明日は我が身と考えているのが殆どだろう。
異端審問官とイシュマリア司法院の名の元に下された判決である為、これに逆らうのは、この国のすべてを否定するに等しい行為なのかもしれない。
事実、彼らの表情は沈痛な面持ちではあるが、神官達に目をつけられないよう、下を俯く者ばかりであったからだ。
誰も手を上げないのを確認したところで、神殿管理官は声高に告げた。
【では異論もないようなので、皆様の信任を得たという事で進めさせて頂きます。さて、では次に、この罪深い異端者にふさわしい贖罪の方法ですが、これはアズライル猊下を始め、八名の大神官や各神殿の神官長等とで検討を重ねた結果、次のようになりましたので、私から皆様にお伝えをしたいと思います】
神殿管理官はそこで周囲の者達の表情を見回すと、簡潔に告げた。
【……異端者ヴァロム・サリュナード・オルドランと、その弟子、異端者コータロー。両名共に、贖罪の丘にて火炙りの刑とする……。以上でございます】
この言葉を聞いた直後、周囲がざわつき始めた。
【静粛にッ! 皆様、静粛にッ! まだ儀は終わっておりませぬぞッ!】
神殿管理官の言葉を聞き、また先程の雰囲気へと戻っていった。
静かになったところで、神殿管理官は続ける。
【オホン! では最後に、アズライル猊下より、お言葉がございますので、皆様、静粛にお聞き頂けますよう、よろしくお願いいたします】
神殿管理官と入れ替わり、アズライル教皇が俺達の正面にやってきた。
アズライル教皇は俺達を見た後、天井に描かれた女神の絵に向かって両手を大きく広げ、厳かに言葉を紡いだ。
【……遥かなる天上より、慈愛の光にて世を包み、我等を見守りし女神イシュラナよ……今ここに、貴方様の意思を踏みにじる者が現れました。しかし、ご安心ください。この者達は必ずや悔い改め、貴方の忠実な子となり、貴方様の元へと戻る事でしょう。願わくば……この者達に貴方様の加護と祝福の光があらんことを……】
教皇はそこで両手を下げ、俺達に向き直った。
そして、人の良い笑顔を浮かべ、俺達に告げたのである。
【さて、異端者ヴァロム・サリュナード・オルドラン、そしてコータローよ。そなた達は、異端階級で最も忌むべき破戒の徒という認定を受けたわけであるが、恐れる必要はありません。そなた達はこれより、女神イシュラナがいる天上界へと旅立つのですから。心より贖罪し、過ちを悔い改めなさい。さすれば、女神は必ずや、貴方達を受け入れてくれる事でしょう。ですがその前に……】
するとアズライル教皇は、ニヤッと嫌らしい笑みを浮かべたのである。
【貴方がたの口から、ここで懺悔の言葉が出てくるのであれば、私の権限を持って、贖罪方法を軽くすることを検討しても良いと思っております。どうしますか?】
ヴァロムさんは即答した。
「懺悔なんぞ、するつもりないわい」
【そうですか……それは残念です、ヴァロム殿。では、そちらのアマツの民の方はどうですか?】
「そうですねぇ、俺も……」
と、言いかけた時であった。
遠くから、イシュラナの鐘の鳴る音が聞こえてきたのである。
俺は思わず、その方向へと視線を向けた。
教皇の声が聞こえてくる。
【どうしました? 鐘の音がどうかしたのですかね?】
この鐘の音を聞いて、思い出した言葉があった。
それは小学校の頃に暗記した言葉であった。
今の心境にピッタシだったので、俺はそれを少しアレンジして、教皇に告げたのである。
「……イシュラナ大神殿の鐘の声、諸行無常の響きあり……沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす……おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし……たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ……」
アズライル教皇はキツネにつままれたような表情をしていた。
それはここにいる者達全員がそうであった。
まぁこの反応は当然だ。平家物語の冒頭部分なんぞ知る由もないだろう。
教皇が怪訝な表情で訊いてくる。
【……何ですか、今のは?】
「俺が住んでいた所に伝わる、古い格言みたいなもんですよ」
【ほう……それはそれは……で、どのような意味の格言なのですか?】
「言葉は長いですが、簡単な意味ですよ。……どんなに力を持った者でも、いつかは衰えて塵のように消えゆくという、昔の人が残したありがたいお言葉です」
それを聞き、アズライル教皇は真顔になった。
言わんとする意味が分かったのだろう。
俺は続けた。
「あ、そうそう、懺悔の言葉でしたね。……ねぇよ、んなもん。以上」
辺りにシンとした静寂が漂う。
【フッ……フハハハハ……どうやら、この異端者達には、贖罪の炎以外、救う手段は無いようですね。では、これまでにしましょうかッ!】
アズライル教皇はそう告げるや否や、光の王笏を真上に掲げた。
するとその直後、杖の先端にある水晶球から、眩い光が放たれたのである。
【女神イシュラナの代弁者たる教皇アズライルの名によって命ずる! これより、この異端者達を火炙りの刑とする! 続いて、この異端者達の協力者をここに連れて参れ!】
教皇がそう告げた後、俺達がやってきた後ろの扉が開く。
そして、扉の向こうから、俺のよく知る人々が現れたのである。
「クソッ、離しやがれ!」
「なんで俺達がこんなところに連行されるんだ」
「ちょっと、どこよ、ここ!」
「なんで俺達がこんな目に!」
「儂のような年寄りに、一体何をするつもりじゃ!」
「おばあちゃん、怖いよう……」
それは、俺が一度は関わった人達であった。
ラッセルさん達やバルジさん達、そしてボルズにグランマージの店主と孫娘。それらの人々が手錠に繋がれ、神官や魔導騎士達によって、連れて来られたのである。
(まさか、こんな手を使ってくるとは……)
全員が俺の顔を見て、驚きの表情を浮かべた。
「あ、貴方はコータローさん。なんで貴方がここに!」
「コータローさんも捕まったの!?」
「ちょ、ちょっと……ヴァロム様までいるわよ!」
「ここはまさか……」
神殿管理官の大きな声が響き渡る。
【静粛に! 異端者達よ、口を噤むのだ!】
ピタッと静かになる。
と、ここで、ボルズが声を荒げた。
「どういうことだよ、一体! なんで俺達がこんな目に遭わなきゃいけないんだよ!」
【そなた達は、この異端者と行動を共にしていた。よって、そなた達も異端者と認定することにした。つまり、同罪ということだ!】
ラッセルさん達は非難の声を上げる。
「なんで俺達まで!」
「そうだよ、ふざけんなよ!」
「こんなの横暴よ!」
周囲がざわつく中、俺はヴォルケン法院長の隣にいる髭面の魔導騎士ラサムへと視線を向けた。
ラサムはゆっくりと頷く。
そんな中、ラッセルさんとボルズが、俺に詰め寄ってきた。
「ちょっとコータローさん! これは一体どういうことなのですか!?」
「そうだよッ、コータローさんッ! どういうことだよッ」
(もう、ここでやるしかない……)
俺は2人に言った。
「こうなった以上、仕方ありません……皆、俺に命を預けてください」
「え!?」
「コータローさん、それはどういう……」
俺はそこで、大きく息を吸って、大声を張り上げた。
【アズライル教皇ォォ! 最後に、少しだけ言わせてほしい事があるッ!】
その直後、ざわつく声が静まった。
この場にいる全員が俺に注目する。
教皇は俺に向かい微笑んだ。
【フッ……言っておきたい事? なんですかそれは……この期に及んで、懺悔でもする気になったのですか?】
俺はゆっくりと周囲を見回した後、ここで戦いの火蓋を切る事にした。
【今日はここにいる皆様に、見ていただきたいモノがあるのです】
【見ていただきたいモノ? なんですかそれは?】
【では、今からそれをお見せします】
俺は隣にいるヴァロムさんに目を向けた。
ヴァロムさんは、ゆっくりと首を縦に振る。
そして俺達は、役目を果たす事にしたのである。
これで俺の大役は終わりだ。
俺の役目……それは勿論、あるモノをここまで運んでくることであった。
だが事はそう簡単にはいかない。厳重な警戒態勢の中を運ばなければならないからだ。
その上、ヴァロムさん自身、このオヴェリウスで、まだまだやらなければならない事もあった。
恐らく、今回のこの計画……ヴァロムさんは相当悩んだに違いない。それをどのタイミングで使うかという事と、その為に起きるであろう問題に、どうやって対処するのかという事を……。
そして、それを解消する方法が見つかった。
それは……ラーのオッサンの持つ能力であった。
そう……これはラーのオッサンの持つ能力によって、始めて可能になる計画なのである。
アリシュナで交わしたラーのオッサンとの会話が思い起こされる。
―― 我が出来る事は決まっておろう。1つは真実を晒す事、それからもう1つは……偽りを見せる事だ ――
俺はあの時、2つの能力を聞いて、ヴァロムさんの計画に気づかされたのだ。
皆がこちらに注目する中、俺はオッサンに合図を送った。
「どうやら外の準備は整ったようだ。行くぞ……ヴァロムのオッサン!」
その直後、ヴァロムさんは光に包まれる。
それと共に、ヴァロムさんから【オッサンて言うなァァァァ!】という、断末魔のような声が聞こえてきた。
まぁそれは放っておくとして、オッサンはそこで鏡へと変化してゆく。
そして……金色に縁取られた丸く美しい鏡が、この場に姿を現したのであった。
教皇や神官は、鏡を見るなり、大きく目を見開いた。
【これは鏡……まさか、その鏡は!?】
俺はそこで、送り主に向かい、配達完了の報告をした。
【ご注文の品、確かに届けましたよ、ヴァロムさん!】
次の瞬間、ラーの鏡は周囲に眩い光を放つ。
「なんだこの強烈な光は!」
「これは一体……」
光は暫くすると消えてゆく。
そして……真実の姿が、この場に露になったのである。
【魔物がなぜここに!?】
【イ、イシュラナの神官達が魔物に変わったぞ! どういうことだ!?】
【神官達が魔物に!?】
【キャァァ、ま、魔物がなぜここに!?】
至る所から悲鳴にも似た絶叫が響き渡る。
この場は阿鼻叫喚の様相と化していた。
銀色の体毛を纏う猿のような魔物……シルバーデビル、緑色の小さな悪魔……ミニデーモン、3つ目の鳥人モンスター……サイレス、一つ目のお面をかぶった魔法使い……地獄の使い……そんな魔物達の姿が確認できる。
高位神官に化けているだけあって、それなりに知性のありそうな魔物が多いようだ。とはいえ、貴族の中にも魔物がいるようだが……。ちなみに、王家の者は全員人間であった。
俺はそこで、教皇へと視線を向けた。
(な!? アイツは!?)
すると、なんと驚くべきことに、アズライル教皇の正体は、以前見たレヴァンとかいう宮廷魔導師だったのである。
と、ここで、大きな声が響き渡った。
【皆の者! よく見るがよい! これが長年、我らのすぐそばで起きていた真実じゃ! ここにいるイシュラナの神官達は魔物だ! 今こそ武器を手に取り戦う時じゃぞ、皆の者!】
声を発したのはラサム……いや、ヴァロムさんであった。
続いて、ヴァリアス将軍が大きな声で指示をした。
【魔導騎士並びに宮廷魔導師は総員、直ちに戦闘態勢に入るのだ! 雷光騎士は王家や来賓の方々の護衛態勢を整えよ!】
【ハッ!】
それを聞き、魔導騎士達は武器を手に取り、戦闘態勢に入る。
審判の間は一気に戦場へと傾いていった。
と、そこで、ヴァリアス将軍は俺の手錠や足枷を外してくれたのである。
「大役、ご苦労であった。これよりは貴殿も戦いに加わってもらうぞ。ヴァロム様からも、そう指示されておるのでな」
「まぁなんとなく、そんな気はしてましたよ」
「コレを渡しておこう」
ヴァリアス将軍は俺に魔導の手を返してくれた。
「ありがとうございます。って、あれ……魔光の剣は?」
「それが、誰かが持ち出したのか、見当たらなくてね……すまない」
どうやら、魔光の剣は無くなってしまったようだ。
(多分、誰かが意図的に持ち出したのかもな……。まぁいい、すでに別の手を打ってある)
と、ここで、ヴァロムさんの声が聞こえてきた。
【コータロー! アレを一発かましてやれ! 今こそ使う時じゃぞ!】
【了解!】
俺は左手を真上に掲げた。
そして、あの定番である雷撃呪文を俺は唱えたのである。
―― 【ライデイン!】 ――
その刹那!

俺の頭上に光が迸る雷球が発生し、邪悪なる者達へと目掛け、聖なる雷の矢が一斉に放たれたのであった。
Lv57 魔物の逆襲
[Ⅰ]
ライデインの雷の矢が、狙いすましたかのように、このフロアにいる魔物全てに突き刺さってゆく。
止めを刺すまでには至らないが、それでもこのクラスの魔物にとっては大ダメージを期待できる魔法である。
事実、悲鳴にも似た魔物達の苦悶の声が、至る所から聞こえてきた。
【グギャァァ】
【まさか、この魔法はァァァ! ギョエェェ】
ギャラリーからも驚く声が聞こえてくる。
【な、なんだ、この魔法は!】
【アイツは、一体何者だ!】
宮廷魔導師達の何人かは、俺をガン見していた。
恐らく、初めて見る魔法なのだろう。
この戦いが終わったら、面倒くさいやり取りが待っているに違いない……。
まぁそれはさておき、ライデインが魔物達に行き渡ったところで、ヴァリアス将軍が大きな声を上げた。
【魔物への攻撃を開始しろ! それから、護衛の騎士は、陛下や太守の皆様を安全な場所へ避難させるのだ!】
【ハッ!】
将軍の言葉に従い、全体が動き出した。
王族や太守、そしてサナちゃん達は、近衛騎士や魔導騎士に守られる形で、移動をし始めた。
時を同じくして、戦闘班の魔導騎士達は一斉に魔物へと攻撃を開始する。
と、その直後、王族達がいる観覧席から、大きな声が発せられたのである。
【なッ!? お前はレヴァン! なぜお前がアズライル猊下の法衣を着ている!】
声を発したのはアヴェル王子であった。
【レヴァン! 貴様、どういうことだ!】
他の者達も、それによって気付いたようだ。
多分、魔物達が衝撃的すぎて、肝心な部分に目がいかなかったのだろう。
レヴァンはライデインの直撃を受け、顔を歪めていた。
ゲームだと、80ポイント前後のダメージが期待できる魔法だ。並みの魔法使いなら死んでいてもおかしくない。つまり、奴は並み以上って事なのだろう。
と、ここで、神殿管理官に化けていたシルバーデビルが、忌々しそうに言葉を発した。
【き……貴様ァァァ! 今の呪文は、盟約の呪文だなッ。オノレェ……こんなところでミュトラに認められし者が現れようとは……。貴様は絶対に殺さねばならん! ベホマ!】
ライデインで焼け焦げたシルバーデビルの傷が、みるみる塞がってゆく。
するとその直後、シルバーデビルはどこからともなく角笛を取り出し、それを吹き鳴らしたのである。
それと連動するかのように、後ろの扉が開き、黒い水晶球を持った神官の集団が現れた。
神官達は水晶球から黒い霧を発生させ、真の姿を曝け出してゆく。
現れたのは、トロル3体とサイクロプス2体にライオンヘッドが3体、そしてミニデーモンと地獄の騎士が数体であった。またよく見ると……バルログも2体いた。結構、強力な魔物達だ。
そこで、シルバーデビルはライオンヘッドに指示をした。
【お前達は、そこにいるコータローの魔法を封じるんだ! 盟約の呪文の使い手だ! 早くしろ!】
(ゲッ! いきなりかよ)
ライオンヘッド数匹は俺に向かい、すぐさま呪文を唱えた。
【マホトーン】
程なくして、黄色い霧が俺に纏わりついてゆく。どうやら、相手のマホトーンは成功したようだ。
つまり、今この時を以って、俺は魔法を使えなくなったという事である。残念!
(ちょっ……マジかよ……。賢者の衣とか魔除けの鈴とか装備してないと、こんなにアッサリかかるんか……とほほ。俺もう、何もできることないやんけ。いきなり戦線離脱かい!)
と、そこで、ヴァロムさんの大きな声が聞こえてきた。
【ディオンよ! 陛下達をお守りしろ! こちらは儂等がなんとかしておく】
【畏まりました!】
どうやら、ヴァロムさんの息子さんもここに来ているようだ。
俺が投獄されたのも狂言みたいなもんだし、かなり根回しはしてあるのだろう。
ちなみにだが、ヴァロムさんはもう変装を解いており、いつものローブ姿へと戻っていた。
中々の早業である。すぐ戻れるように変装していたに違いない。
【頼んだぞ! そりゃ、メラゾーマ!】
ヴァロムさんはそう告げると、戦闘を開始した。
杖の先から馬鹿でかい火球が出現する。メラミの3倍近い大きさだ。
それがトロルに向かって放たれる。
そして、モロに命中し、トロルは炎に焼かれながら、10m以上も後方に吹っ飛んだのであった。恐ろしい威力である。
(相変わらず、メラゾーマはスゲー威力だな。あんなん食らったら、俺、死んでしまうわ。まぁそれはともかく、あちらさんは、もう形振り構ってられなくなったみたいだ。こうなった以上、何してくるかわからんから、気を引き締めないと……つっても、魔法封じられているから、何もできんな……。俺も今の内に避難すっか……)
などと考えていた、その時であった。
【コータローさん! これを受け取ってください!】
アーシャさんが2階観覧席から、筒状の物体を俺に向かって投げてきたのである。
それはこの間、俺がお願いしておいた魔光の剣であった。
俺は魔導の手を使って魔光の剣を引き寄せる。
手に収まったところで、アーシャさんの大きな声が聞こえてきた。
【コータローさん! お兄様に頼んで、グレミオさんの工房から取り寄せてもらいましたわ! グレミオさんによると、今までの半分程度の魔力で、同等の切れ味が出せるとの事ですわよ!】
【ありがとうございます、アーシャさん!】
俺は礼を言った後、早速、ライトニングセーバーを発動させた。
次の瞬間、ピシューというライトセーバーのような起動音が発生し、雷を纏う青白い光の刃が姿を現した。
(いいねぇ~、このライトニングセーバーの起動音……って感動してる場合か!)
【コータローさん! 無理したら駄目ですわよ!】
【了解です!】
俺はアーシャさんにサムズアップした。
アーシャさんは微笑み返す。
そしてアーシャさんは、他の太守達と共に、魔導騎士や近衛騎士に護衛され、左側の観覧席の方へと避難を始めたのである。
話は変わるが、他の王族達は右側の観覧席へと移動し始めたところだ。
出口は左右の観覧席側にしかないこともあり、別々のルートを行くことにしたのだろう。
サナちゃん達はアーシャさんと同じ左側ルートだ。
つーわけで、話を戻そう。
戦闘準備が整ったところで、ラーのオッサンの声が聞こえてきた。
「おい、コータロー! 我をこのままにしておくな!」
「あ、悪い悪い、忘れてたよ」
「我を何だと思っとる……たく。小さくなるから、ちょっと待っておれ」
ラーのオッサンはそう言って、ネックレスのような形状になった。
俺はそこでオッサンを拾って首にかけ、戦闘モードへと突入した。
(……魔法使えないから、ジェ○イの騎士スタイルで行くかな。魔導の手をうまく使えば、守備力と素早さはなんとかカバーできる。さて、まずは危険な魔物から除去していくとしよう……)
俺はバルログに照準を合わせた。
奴等は今、羽をバタつかせ、鞭で宮廷魔導師達を攻撃しているところであった。
だがその時、1体のバルログが、鞭を振る手を止め、両手を突き出したのである。
(あ、やばッ……あの動作は!)
俺はそこで魔導の手を使い、見えない手でバルログを掴むと一気に間合いを詰めた。ピュレナの時と同じ攻略法である。
【な、何だ……引っ張られ……】
バルログはわけがわからないと言った感じで、たじろいでいた。
当然、俺の接近にも気づいてない。
(隙あり! 魔力圧高めのライトニングセーバーを喰らえ!)
そして俺は、バルログの左腰の辺りから右肩へと、一気に、電光の刃で斬り上げたのである。
【グェェ、なんで貴様らなんぞにィィ!】
バルログは断末魔の悲鳴を上げて崩れ落ちた。
(まずは1体……)
俺はそこで、もう1体のバルログに視線を向ける。
すると、もう1体は既に俺の頭上におり、怒りの表情で、鞭を振りかぶっているところであった。
【貴様ぁ! よくも同胞を!】
俺はそれを見て、少し安心した。
(ホッ……ザラキじゃない)
と、その時であった。
思いもよらぬ援軍が、そこで現れたのである。
【コータローさん、俺も戦いますよ!】
なんと、武装したアヴェル王子が観覧席に現れ、そこからバルログへと飛び掛かったのである。
王子の光の剣が、バルログの背中に突き刺さる。
【グァッ! オノレェ】
バルログは予想外の所から攻撃を受け、俺に背を見せた。
俺は今がチャンスとばかりに魔導の手を使って飛び上がり、ライトニングセーバーで、奴を背後から斬りつけた。
と、その直後、バルログは羽ばたくのをやめ、主の名前を告げながら、地面へと落下したのであった。
【ア、アシュレイア様ァァァ!】
バルログが事切れたところで、俺は王子に礼を言った。
「ありがとうございます、アヴェル王子」
「いえ、礼を言うのは俺の方です」
「というか、いつの間に武装したんですか?」
「何か起きそうな予感がしたので、念の為にね。さて、色々と訊きたい事が山ほどありますが、まずはこの事態を解決してからですかね」
と言って、アヴェル王子は俺に流し目を送ってきた。
「はは……ン?」
するとそこで更なる援軍が現れたのである。
なんとウォーレンさんやラッセルさん、そしてバルジさん達が武装して、俺の所にやってきたのだ。
「おい、コータロー! この事態を切り抜けたら、色々と聞かせてもらうぞ! さっきの魔法の事もなッ!」
「コータローさん! 俺達も戦いますよ!」
「私もよ、イシュラナの神官が魔物ばかりだったなんて、許せないわ!」
「俺も戦うぞ!」
「俺達もだ!」
どうやら、ヴァリアス将軍が彼らの武具も用意しておいたのだろう。これは心強い。
「儂も久しぶりに戦うぞい! このグランマージをコケにしおってからに! 目にモノ見せてくれるわ!」
「お、おばぁちゃん……あまり無理しないでよ」
俺は皆に、戦いの注意点を簡単に伝えておくことにした。
「皆、戦うときはベギラマとマホトーン、それとメラミに注意してください。ここにいる魔物はそれらを使うのが多いです。それと、奴等の攻撃力は半端ないので、スカラを使える人は守備力強化を、そして回復魔法を使える人は回復を忘れずにお願いします。行きますよ、これはこの国の存亡を賭けた戦いになると思いますから!」
【オオッ!】
とまぁそんなわけで、この場にいる全員が、戦闘態勢に入ったのである。
[Ⅱ]
アヴェル王子やウォーレンさん、そしてラッセルさんやバルジさん達は、魔物との戦闘を開始した。
俺はそこで黒幕の動向を探るべく、王家の観覧席に視線を向けた。
近衛騎士達と対峙する、シルバーデビルとレヴァンの姿が視界に入ってくる。
王族達はそこにはいないが、魔物が多いせいか、まだそれほど進めてはいなかった。
不味い事に、神官が多いルートを選んでしまったのだろう。
ちなみにだが、今ようやく、右側の観覧席通路へと差し掛かったところだ。
まぁそれはさておき、レヴァン達に視線を戻すと、シルバーデビルは甘い息を吐いて、近衛騎士の何人かを眠らせており、またレヴァンはこの場から立ち去ろうと、魔導の手を使ってスパイダーマンのように、少し離れた所にある右側の観覧席へと向かっているところであった。
(レヴァンの奴……王族達よりも先に、右側の観覧席出口から逃げる気だな……。俺の方が出口に近い。させるかッ!)
俺は魔導の手を使い、2階観覧席へと飛び上がり、通路へと着地した。
レヴァンはそれに気づき、足を止めた。
「どけッ! 貴様に構っている暇なんぞないッ!」
「それはできないね」
「ならば死ね!」
と、その直後、レヴァンは光の王笏を俺に向け、呪文を唱えたのである。
【メラミ!】
透き通った水晶球の先端から、巨大な火球が出現し、俺に目掛けて飛んできた。
俺は腕をクロスさせ、腹に力を入れて腰を下ろし、防御に徹した。
1mはあるかという大きな火球が俺に直撃する。
火球は爆ぜ、炎が俺を包み込む。それは物凄い強烈な炎であった。
ゲームならば、ダメージにして40ポイントといったところだろう。
俺が今着ている白い囚人服が焦げ焦げになっていた。当然、火傷も負ったのは言うまでもない。
(メラミは防御に徹しても、流石にキツイな……。さて、今度はこっちの番だ!)
俺は魔導の手を使い、奴の体を思いっきり押した。
「グッ、何ッ」
レヴァンは仰け反るように、体勢を大きく崩す。
この隙を逃さず、俺はレヴァンとの間合いを詰める。
そして、魔光の剣を発動させ、奴を斬りつけたのである。
(とりあえず、ジ○ダイのように、腕を切り落とそう……。人を殺すのは、まだ少し抵抗がある……)
だがしかし!
レヴァンはなんとか踏み止まり、不格好ながらも、光の王笏で魔光の剣を受け止めたのであった。
俺達は鍔迫り合いの状態となった。
どうやら魔力を帯びた武具というだけあり、そう易々と切断できないようだ。
(ならば!)
俺はそこで更に魔力圧を上げた。
光の刃は輝きを強める。
そして次の瞬間! 光の王笏の柄は魔光の剣によって、スパッと切断されたのであった。
「なッ!?」
杖の先端部分が「カラァン」という甲高い音を立てて、観覧席通路に転がる。
レヴァンは目を見開き、即座に後ろへと飛び退いた。
「そんな馬鹿な! ……なんだその武器は一体!」
俺はそこで、右手に持つ魔光の剣を顔の付近にまで持っていく。そして、ビリヤードでキューを突くハスラーのように構え、左手を奴へと向かって伸ばした。
俺は自然とこの構えをしていた。多分、両方の動作がしやすいからだろう。
案外、魔導の手と魔光の剣の組み合わせは、この構えが一番シックリくるのかもしれない。
ちなみにだが、この構え……俺の記憶が確かなら、ジェ○イのライトセーバーフォームの1つであるソーレスという型だった気がする。映画では、オビ=ワン・ケ〇ービが得意としている型だ。とはいえ、映画では語られない設定の話だが……。
まぁそれはさておき、俺はレヴァンに軽く悪態を吐いてやった。
「さぁね。でも、知ったところで意味ないかもよ。どの道、お前の人生はここで終わりだろうしね」
「チッ……」
レヴァンは後ろを振り返る。
すると奴の背後には、数名の王族と、それを誘導する護衛者達が迫っていたのである。
つまり、レヴァンは挟み撃ちの形に嵌ってしまったのだ。
話は変わるが、後ろにいるのは多分、国王だろう。
他の王族と違って、装飾がまるで違う。金で縁取られた赤いマントを羽織り、その下にある白地のローブには、金と銀で刺繍された王家の紋章が描かれている。そして頭には、光を象った豪華な冠とサークレットのようなモノを被っているのである。
体型も長身であり、おまけに結構筋肉質であった。髭を生やしているが、アヴェル王子のように端正な顔立ちをしている。
しかし、今はどこか虚ろな表情をしている為、威厳というものは全く感じられない。恐らくこれが、おかしいと言われる所以なのだろう。
話がそれたが、誰が見ても王様と答える出で立ちをしていると言いたかっただけである。
つーわけで、話を戻そう。
国王を護衛する最前列の近衛騎士が剣を抜いた。
【レヴァン! 貴様、魔物に国を売ったな! この場で償ってもらうぞ!】
続いて、紺色の法衣を身に纏う、位の高そうなアラフィフの宮廷魔導師が口を開いた。
【主任宮廷魔導師として、お前を討たねばならん。覚悟してもらおう……レヴァンよ】
さっきヴァロムさんとやり取りしてた人だ。
恐らく、この人が、ヴァロムさんの息子であるディオンという人だろう。
ちなみにだが、赤毛の長髪で、長さはヴァロムさんと同じくらいであった。口や顎に髭を生やしているが、ヴァロムさんみたいな長い顎髭ではない。欧米人がよくやる普通の髭である。
全体的に中肉中背の体型で、顔の輪郭や口元等はヴァロムさんとそっくりであった。その辺は流石に親子といった感じだ。
まぁそれはさておき、レヴァンはディオンさんの言葉を聞くなり、意外にも不敵な笑みを見せた。
「クククッ……ディオン様もいらしてたのですか。謹慎中でしたので、てっきり、屋敷で寝ているのかと思ってましたよ。しかし、残念ですね……オルドラン家をもう少しで失墜させることができたのに。クククッ」
「それは残念だったな。では逆賊として、討たせてもらうとしようか!」
ディオンさんの体がオレンジ色に輝く。
と、次の瞬間、レヴァンの周囲に黄色い霧が纏わりつくと共に、メラミと思われる1つの火球が襲い掛かったのである。
だがしかし、ここで意外な事が起きた。
なんと、黄色い霧と火球が奴に到達した瞬間、突如フッと消え去ったからだ。
(今のは魔生の法か……。だがそれよりも、レヴァンの前で魔法そのものが消え去った……何なんだ一体……)
ディオンさんは眉間に皺を寄せた。
「どうやら本物のようだな……その法衣は」
「クククッ、ディオン様、これは紛れもなく本物ですよ。私が教皇なのですからね。この法衣は、デインを除き、如何なる呪文も効果がないという事はご存知の筈。とはいえ、先程の雷の呪文にはしてやられましたがね……」
と言って、レヴァンは俺に視線を向けた。
レヴァンは不気味に微笑みながら、話を続ける。
「さて、コータロー……貴様のその表情、私が追い詰められたとでも思っているようだな。クククッ、頭の回るお前でも、まだ知らぬ事があるのを教えてやろう!」
レヴァンは懐から、タクトのような黒い杖をサッと取り出すと、背後にいる国王へと向けた。
そして、奇妙な呪文を唱えたのである。
すると次の瞬間、タクトから紫色のレーザー光線みたいなのが発生し、国王のサークレットに命中したのであった。
その直後、国王の目が赤く輝きだした。
また、口や耳から黒い霧が吹きだし始めると共に、国王は両手を大きく広げ、呻き声を上げたのである。
【ヴヴヴヴァァァァァァァ】
それはまるで、何かに憑りつかれたかのようであった。
周囲の近衛騎士や他の王族達は、そのあまりの変わりように慌てていた。
【陛下! 一体どうなされたのですか! アズラムド陛下!】
【お、お父様ッ! どうされたのですか!】
近衛騎士の1人がレヴァンに食って掛かる。
【貴様ァッ! 陛下に一体何をしたァァッ!】
レヴァンは不敵に微笑んだ。
「クククッ……アズラムド陛下はもう、私の操り人形になったという事よ。それを今から見せてやろう」
するとレヴァンは俺を指さした。
【アズラムドよ、あの者にデインを放て!】
その言葉を聞き、国王は俺へと赤く輝く目を向けた。
と、次の瞬間、国王は俺に向かって右手を伸ばし、呪文を唱えたのである。
【デイン!】
国王の手から、シスの暗黒卿を思わせる雷が放たれた。
この行動を予想していた俺は、即座にライトニングセーバーを発動し、それを光の刃で受け止めた。
バチバチというスパーク音と共に、フラッシュのような閃光が発生する。
まるで、ジ○ダイの騎士VSシスの暗黒卿を思わせる構図である。
とはいえ、デインの雷はライトニングセーバーで無効化されたので、これはやって正解だったようだ。
と、ここで、アヴェル王子とウォーレンさんが俺の所へとやってきた。
アヴェル王子は叫ぶ。
【レヴァン! お前、父に一体何をしたッ!】
「クククッ、これはこれは、アヴェル王子。ちょっと貴方のお父様をお借りしてるだけですよ。アズラムドよ、こっちに来い!」
その直後、国王は信じられないような大ジャンプを見せ、レヴァンの隣へと着地したのである。
7m以上は飛び上がっていた。明らかに人間離れした跳躍力である。
「クククッ、見ましたか、今の動きを。アズラムド国王はもう、私の意のままに操れるのですよ。その動きはもはや人の領域を超えている。つまり、今の私にはこれ以上ない相棒であり……人質でもあるのだ」
そしてレヴァンは、アズラムド国王の首筋に、悠々と短剣を添えたのである。
「言っておきますが、このアサシンダガーは、ただの短剣ではありませんよ。この刃に使われている魔法銀は、即死もあり得る毒を常時出してますからね……さぁ、道を空けるんだッ!」
ウォーレンさんは声を荒げた。
「レヴァン……お前、なんてことを! イシュマリアを裏切るつもりか!」
「ええ、そうですよ。いけませんか?」
「なッ!?」
「魔の世界の方が、私を正当に評価してくれるんですよ。ここでの下らない上下関係に、飽き飽きしていた私には願ってもない話でした。オルドラン家とアルバレス家という2大勢力がある限り、それらの分家の出である私のような者達は、如何に才能があろうと、それ以上にはなれまんせんからね。……わかりますか、この虚しい気持ちが」
「貴様、気でも違ったか!」と、アヴェル王子。
レヴァンは平然と言い放った。
「いいえ、私は極めて冷静ですよ。さぁ、そこを退いていただこうか。アヴェル王子にウォーレン殿……そしてコータローよ」
アヴェル王子とウォーレンさんは、苦虫を噛み潰したように顔を歪ませた。
俺は2人に言った。
「アヴェル王子にウォーレンさん……あまり刺激をしないでおきましょう。……今のレヴァンは、陛下を殺す事に、躊躇いはないと思います」
「クッ…」
2人は渋々、道を開けた。
俺も魔光の剣を仕舞い、道を開ける。
レヴァンはそれを見て、愉快そうに微笑んだ。
「そう、それでいい」
次にレヴァンは後ろへと視線を向けた。
「さて、では後ろの者達も、そこで大人しくしていてもらおうか。少しでも動けば、アズラムド国王の命はない! そのつもりでいてください」
【クッ……貴様】
ディオンさんや近衛騎士達は顔を歪ませた。勿論、他の王族達も……。
【それでは諸君、失礼するよ】
レヴァンと国王は観覧席の出口へと向かい、悠々と歩を進めてゆく。
と、その時、1人の美しい女性が出口から現れたのである。
少しウエーブがかったブロンドの長い髪をした女性で、赤いドレスのような魔法の法衣を纏っていた。
年は俺より幾つか上だろうか。見た感じ、20代半ばから後半といったところだろう。大人の女性といった感じだ。
また、手には少し変わった杖を装備していた。先端に黄色い水晶球と曲がった角を組み合わせたようなモノが付いており、どことなく、ストロスの杖に似た形をしている。もしかすると、古代の遺物なのかもしれない。
まぁそれはさておき、レヴァンはその女性を睨みつけ、忌々しそうに口を開いた。
「シャールか……見ての通り、私は今、取り込み中だ。下がってもらおうか」
「貴方……自分が何をしているのかわかっているの! 貴方の行動は、お父様やお母様の名誉を汚す事になるのよ!」
「父や母は、もうこの世にいない。この世にいない者の名誉に、何の価値がある……。俺はそんな名誉にすがるつもりはない。自分の道を行く……例えそれが、魔物達に組する事だとしてもな。失せろ、シャール!」
「どうやら……本当に魔物達に魂を売り渡したようね。でも、ここで引くわけにはいかないわ……」
「それは宮廷魔導師としてか? それとも、我がストレイン家を生み出した本家としての責任か?」
「両方よ!」
シャールと呼ばれた女性は、一歩も引く様子は見せなかった。
どうやら奴と対峙するつもりなのだろう。
なんか知らんが、妙な展開になってきた。
だがそこで、奥の観覧席から大きな笑い声が聞こえてきたのである。
【ケケケケ……アシュレイア様、もうすぐ使いの者がこっちに来ますぞ。今暫しお待ちくだされ……】
声を発したのは神殿管理官に化けていたシルバーデビルであった。
シルバーデビルは正面にある観覧席の手摺りの上に乗り、俺達を嘲笑っている。
奴の付近には眠っている近衛騎士が何人もいた。
(奴と戦っていた近衛騎士は全て眠らされたようだ。シルバーデビルはベホマを使える上に、甘い息を使うから厄介なんだよな……おまけに、ベギラマも使ってくるし……)
などと考えていると、シルバーデビルは奥にある誰もいない壁に手を向け、まさにその呪文を使ったのである。
【ベギラマ!】
シルバーデビルの手から火炎が吹き荒れる。
俺はベギラマの行き先を目で追った。
そして驚愕したのである。
なぜなら、10個ほどの魔法の玉がそこに置かれていたからだ。
(あ、あれは魔法の玉! チッ、いつの間に……しかもあんなに沢山……不味いぞ……大爆発が起きる)
俺は叫んだ。
【皆、伏せるんだァァ!】
と、次の瞬間!
――【ドゴォォン】――
大爆発が起き、物凄い破壊音と共に、石の破片を周囲に撒き散らしたのであった。
【キャァァ】
【ウワァァァ】
悲鳴が至る所から聞こえてくる。
爆発の影響による煙で、審判の間は視界が悪くなっていた。
だが程なくして、どこからともなく吹いてくる風が煙をかき消していき、周囲の様相がわかるようになってきたのである。
俺はそこで伏せた体を起こし、風の吹く方向に目を向けた。
するとなんと、観覧席の奥にある壁はほぼ崩れ去っており、そこから外が見渡せる状況となっていたのだ。
煙が晴れたところで、シルバーデビルの大きな声が響き渡る。
【ケケケケ……アシュレイア様、迎えの者が参りました】
と、その直後、物凄い雄たけびと共に、キューブ状の牢獄のようなモノを吊りさげる6体のドラゴンライダーが、崩れた壁の向こうに現れたのであった。
(チッ……また厄介な奴が来やがった……ン? あ、あれは!?)
俺は目を見開き、驚愕した。
なぜなら……吊られた牢獄の中には、俺のよく知る人達が入っていたからだ。
アーシャさんにサナちゃん、それからフィオナ王女と王族と思われる青年、それに加えてミロン君の計5名の者達がいたのである。
5人は全員眠らされているのか、目を閉じて横になっており、微動だにしない。
(なんで、アーシャさんやサナちゃん達まで……まさか、この面子をさらった理由は! クソッ……ここにきて、この展開かよ……。つか、一体なにがあったんだ……この中にいる人達は、近衛騎士や魔導騎士が護衛していたんじゃなかったのか。どうなってる……)
アヴェル王子は叫んだ。
【なんでアルシェスとフィオナが、そこにいるッ!】
続いて他の皆も。
【ア、アルシェス殿下!】
【あれは、フィオナ様!】
【ミロン、なんでお前が!】
と、そこで、シルバーデビルの勝ち誇ったような声が聞こえてきた。
【ウケケケケッ、この者達の命が惜しいのなら、武器を下ろせ! さぁ早くしろ!】
【グッ……】
全員が苦渋の表情であった。
この場にいる者達の武器を持つ手が、ゆっくりと下がる。
レヴァンだけは笑みを浮かべていた。
【クククッ、でかしたぞ、ザムド。アズラムドよ、私についてこい】
レヴァンは魔導の手を使って、シルバーデビルがいる崩れた壁の方へと向かう。
アズラムド国王もそれに続いた。
程なくして壁の前に着いたレヴァンは、俺達に振り返り、小馬鹿にしたように言い放ったのである。
【クククッ、さて、では迎えが来たようなので、私はここら辺で失礼させてもらうとするよ。だがその前に……愚かなお前達も退屈するだろうから、少し遊び相手を用意しよう】
レヴァンはそう言うや否や、シルバーデビルに黒い杖とアサシンダガーを手渡した。
【これをお前に渡そう。後は好きにするがよい】
【ハッ! アシュレイア様】
シルバーデビルはニヤニヤしながら杖を受け取る。
そしてレヴァンは俺達に振り返り、大きな声で、別れの捨て台詞を吐いたのであった。
【クククッ……お前達が、もしこの場を切り抜けられたならば、魔の島に追ってくるがいい。そこで決着をつけてやろう】と――
[Ⅲ]
レヴァンはドラゴンライダーの後ろに跨り、この場から去って行った。
アーシャさん達が中に入ったキューブ型の牢獄も、6体のドラゴンライダーに吊り下げられて動き始める。
この場に残った魔物は、トロル1体とサイクロプス2体、ライオンヘッド3体、そしてシルバーデビルが1体だけであった。他の魔物は、魔導騎士と宮廷魔導師達が倒したみたいである。
戦力はこっちが明らかに上……しかし、頭の痛い事に、シルバーデビルに操られるアズラムド国王という最大の悩みの種がある為、こっちがある意味、劣勢と言える状況であった。
【ケケケケッ、さて、私はお前達の始末をせねばな。我等の悲願を邪魔してくれた礼をたっぷりしてやるぞ。ウケケケッ】
シルバーデビルはアヴェル王子へとタクトを向けた。
【アズラムドよ、あの者にデインを使え】
【デイン】
国王の手から放たれた雷がアヴェル王子に直撃する。
「グァァァ」
アヴェル王子は苦悶の表情を浮かべた。
と、その時であった!
メラゾーマと思われる馬鹿でかい火球がトロルとサイクロプスに、イオラとベギラマがライオンヘッドに放たれたのである。
同時に4つの魔法が放たれたところを見ると、今のはヴァロムさんが魔生の法を使ってやったのだろう。
それとどうやら、トロルとサイクロプスは今の攻撃で絶命したようだ。
(残りはライオンヘッド3体とシルバーデビル1体……そしてアズラムド国王だが……さてどうするか)
と、ここで、シルバーデビルが激高した。
【貴様ぁ! オノレェ……おい、お前! あのジジイの魔法を封じるんだッ!】
指示を受けたライオンヘッドが魔法を唱えた。
【マホトーン】
ヴァロムさんの周りに黄色い霧が纏わり始める。が、しかし、ヴァロムさんが纏うオレンジ色のオーラがその霧を消し去ったのである。
「今の儂に、そんな魔法は利かぬわ!」
と、その直後、無詠唱のメラゾーマ2発がライオンヘッドに放たれたのである。
ライオンヘッド2体は直撃し、断末魔の悲鳴を上げる間もなく、絶命した。ライオンヘッドは残り1体となった。
だがそこで異変が起きる。
オレンジ色のオーラが消え、ヴァロムさんはその場で片膝を付いたのである。
俺は魔導の手を使い、ヴァロムさんの傍へと駆け寄った。
「大丈夫ですかッ、ヴァロムさん!」
「ああ……なんとかの」
そう答えるヴァロムさんの額からは、沢山の汗が流れ出ていた。
かなり無理をして、魔生の法を行使していたのだろう。
「フゥ……さすがにこの歳で、何回も魔生の法を行うのは厳しいの……寄る年波には勝てんか」
ヴァロムさんは杖にもたれるように立ち上がる。
と、ここで、シルバーデビルの大きな声が響き渡った。
【動くな! それ以上動けば、アズラムドを殺すぞ!】
シルバーデビルは国王の首筋にアサシンダガーを当てがった。
俺達はそれを見るや否や、全員動きを止めた。
【動くなよ。ウケケケケ】
嘲笑うシルバーデビルは、そこで角笛を吹いた。
奥の扉から、魔物達が現れる。
やってきたのは6本の手を持つ骸骨の剣士・地獄の騎士が2体と、ミニデーモンが1体、そして崩れた壁からドラゴンライダーが2体であった。
数の力はこちらに分があるが、人質がいる為、そういうわけにはいかない状況だ。
【クケケケケッ、このジジイのお陰で大分戦力が減ったが、これで少しはマシになった。それからわかっていると思うが……少しでも動いたら、国王の命はないと思えよ!】
【クッ……なんと卑怯な!】
アヴェル王子はワナワナと拳を握り締める。
それは他の者達も同様の反応であった。
シルバーデビルはそんな俺達の様子を嘲笑いながら、やってきた魔物達に指示をした。
【ケケケッ、さぁて、それじゃあ、まずは厄介なヴァロムとその息子ディオンから行こうか。いや……ここは盟約の血統であるコータローやアヴェル王子の方がいいかな……ケケケ】
ニタニタ笑いながら、シルバーデビルは俺達を見回した。
もう勝った気でいるのかもしれない。
(非常に不味い状況だな。とはいえ、今が事態打開のチャンスのような気がするんだよな。何も思い浮かばんけど……)
と、ここで、ヴァロムさんが小声で話しかけてきた。
「さて……弱ったのぅ……概ね、予定通りの展開だが、ここで少し想定外の事が起きた。どうやって切り抜けるか……。コータロー、お主ならどう切り抜ける?」
「それがですね……まだなにも思いつきません」
「ラーさんはどうじゃ?」
「我も同じく」
「……」
俺達は言葉をなくした。
(はぁ……今のところ打つ手無しか……。不味いな……チッ……あのシルバーデビルさえなんとかすれば、一気に事態は好転するんだが……何か良い方法はないか。奴に気づかれずに近寄る良い方法は……ン? そ、そうだ!)
俺はラーのオッサンに囁いた。
「おい、ラーさん。聞きたい事がある。以前、偽りの姿を見せる事ができると言ってたけど、レムオルって魔法は使えるのか?」
「ああ、使えるとも。透明にする魔法の事であろう? ……というか、なんでその魔法の事を知ってる? ……それも書物に記してあるのか?」
「その話は後だ。使えるなら、とりあえず、俺の言う通りにしてくれ」
ヴァロムさんが訊いてくる。
「コータローよ、何か閃いたのか?」
「はい。ラーさんの力を借りれば、この場は切り抜けれるかもしれません」
「そうか。ではラーさん、コータローに力を貸してやってくれ」
「うむ。で、我は何をすればよいのだ?」
「真実を曝け出す時に強烈な光を放ったと思うけど、アレをやりながら、モシャスで俺の姿に化けて、尚且つ、俺をレムオルで消すなんて芸当はできるか?」
「……まぁやってやれんことはないが、レムオルは、ある程度移動すると効果が切れるぞ」
「あの魔物の所までなら大丈夫か?」
「少し遠いな……だが、なんとか行けるだろう」
「なら、すぐにやってくれ。あのシルバーデビルさえ、なんとかすれば、この場は切り抜けられる」
「わかった。では行くぞ」
と、その直後、俺の胸元に掛かっている鏡が眩く輝きだしたのである。
シルバーデビルは叫ぶ。
【グアァァ! 何だこの光は! オノレ、またあの鏡か、忌々しい!】
【こ、これはさっきの光か!】
ここにいる者達全員が腕で顔を覆い、光を遮っていた。
その為、俺達のところで起きている現象は、皆から死角になっていた。
というわけで、レムオルで透明になった俺は、早速、行動を開始したのである。
程なくして光は消えてゆく。
シルバーデビルの怒声が響き渡る。
【オノレェ! 今の光はそこからだな! 小賢しい奴め……おい、そこにいるコータローとヴァロムから先に血祭りにあげろ!】
魔物達は動き始める。
そして俺はというと、すでに奴の真下に来ていたのである。
俺は上を見上げた。
観覧席の手摺りの上にいる奴は、前にしか注意を向けていなかった。
モシャスの俺を本物と認識しているようだ。
(よし、今がチャンス!)
俺は魔導の手を使って観覧席へと着地すると、奴の真横へと忍び寄った。が、しかし……なんとそこで、レムオルの効果が切れたのである。
【なッ!? 貴様は!】
当然、奴も気づいた。
(だぁ! こんな所で切れんなよ! もうイチかバチかだ!)
後に引けない俺は、そこで魔光の剣を発動させ、問答無用で、アサシンダガーを持つ手へと剣を振るった。
その刹那!
【ギャァァ!】
シルバーデビルの腕は、綺麗に切り落とされたのである。
(う、うまくいった)
この隙を逃さず、俺は畳みかけた。
更に一歩踏み込み、俺はシルバーデビルの胴を横に薙いだ。
【アガ……ガ】
少し遅れてシルバーデビルの胴体は切り離される。
そして次の瞬間、2つに分断されたシルバーデビルの身体は、手摺りから1階の床へと落ちていったのである。
奴が死んだと同時に、国王は気が抜けたように、観覧席の床に横たわる。
俺はそれを見たところで、ヴァロムさんに告げた。
【ヴァロムさん! アズラムド陛下は呪縛から解放されました! 残った魔物どもをやっちゃってください!】
【ようやった、コータロー。後は任せよッ。 皆の衆! もはや障害は取り除かれた。魔物を討つのじゃ!】
【オオッ!】
ヴァロムさんの号令を合図に、魔導騎士と宮廷魔導師達は一斉に魔物へと攻撃を開始した。
数の力は圧倒的にこちらが上であった為、魔物達は次々と倒されてゆく。
そして暫くすると、アヴェル王子の勝利宣言が、この審判の間に響き渡ったのであった。
Lv58 眠れる城の貴族
[Ⅰ]
審判の間にいる魔物達の掃討が終わったところで、俺は眠っている近衛騎士達を起こしていった。
負傷している者もいたが、とりあえず、全員、無事なようであった。
またその際、俺は責任者と思わしき近衛騎士に、国王のサークレットを外すよう進言しておいた。
魔物達に操られていた原因が、それにあるような気がしたからだ。
近衛騎士は快く俺の言葉に頷いてくれた。
色々とあったので、俺の言う事でも信用してくれたのだろう。
そして、近衛騎士達は横たわる国王を介抱し、周囲を警戒しながら、この場を後にしたのであった。
話は変わるが、俺にモシャスしたラーのオッサンは、既に鏡へと戻っており、ヴァロムさんに回収されていた。
戦いのドサクサに紛れてモシャスを解いたようだ。
つーわけで、話を戻そう。
俺は国王を見送った後、崩れた壁の向こうに広がる外の景色に視線を向けた。
壁の向こうは大神殿の中庭となっていた。
中庭には、たくさんの魔導騎士がおり、魔物達と交戦しているところであった。
ちなみに魔物は、レッサーデーモンやオーク、そして、キラーエイプといったところだ。
それほど数も多くない上、強くもない魔物なので、すぐに戦闘も終わる事だろう。
(さて、これからどうするか……。アーシャさんやサナちゃん、アルシェス王子にフィオナ王女、そして、ミロン君……早く助けたいところだが……魔物達の思惑は恐らく……。とにかく、ヴァロムさんと相談するしかない)
俺はそこで、ヴァロムさんのいる方向に視線を向けた。
と、その時である。
(ン?……なんだありゃ……)
艶のある紺色のロープみたいなモノが、俺の視界に入ってきたのである。
場所は、教皇が演説していた辺りであった。
気になった俺は、そこへと移動し、恐る恐るそれに手を触れた。
(見たところロープのようだが、何に使ったモノだろう……。この観覧席は王族がいた所だから、何かのセッティングで使ったモノだろうか……)
このロープの伸びている先を目で追うと、観覧席の手摺りの所から1階へと降りていた。
俺は手摺りへと移動し、ロープの行先に目を向けた。
すると、ロープは1階の右側壁伝いに伸びており、中間付近まで行ったところで、終わりとなっていたのである。
(あそこまで伸びているが……一体何のロープだ? 反対の左側の壁にはこんなロープはない……。何か引っかかる……あの辺りは確か……ハッ!?)
そこで俺の脳裏にある事が過ぎった。
それは、俺が今、一番疑問に思っている事についてであった。
(もしかすると、このロープは……)
俺は魔導の手を使い、レヴァンと対峙した場所へと移動した。
そして、その場に転がっている、あるモノを拾い上げたのである。
と、ここで、アヴェル王子が俺の所にやってきた。
「コータローさん、さっきの光を放った鏡の事と、レヴァンの件でお話があるんですが……ン? ソレは……ソレがどうかしたのですか?」
「ええ、少し気になる事が……」
「それは一体……」
「まだ確証は持てませんので、なんとも言えないです。が、その前に、ちょっと確認したい事があるんです」
「確認したい事?」
俺はそこでアヴェル王子を見た。
王子の額や腕には、戦闘で出来たであろう、傷や火傷が幾つか確認できた。
ある意味、うってつけの人物であった。
(この際だ……アヴェル王子に少し手伝ってもらおう)
「ところでアヴェル王子、陛下のデインや魔物の攻撃を受けたようですが、治療の方はまだしてないようですね」
「ええ、そうですが……」
「ではちょっと、回復魔法の実験に付き合ってもらってもいいですかね?」
アヴェル王子は首を傾げた。
「回復魔法の実験? 一体何をするのですか?」
「それは、実験が終わった後、お話しします」
「そうですか、わかりました。で、一体何をすれば?」
俺は王族がいた観覧席を指さした。
「教皇が演説していた所に、紺色の太い紐のようなモノがありますんで、それを握ってもらえますかね?」
「紺色の太い紐? よくわかりませんが、良いですよ。それを握ればいいんですね?」
「はい、お願いします」
「では」
アヴェル王子は早速、観覧席へと向かった。
続いて俺は、魔導の手を使って観覧席の手摺りから1階へと飛び降り、ロープの終端部へと移動したのである。
俺が目的地に着いたところで、アヴェル王子の声が聞こえてきた。
「コータローさん、コレですね?」
王子は紺色のロープを手に取り、俺に見せた。
「ええ、それです。ではちょっと待っててくださいね」
俺はロープに魔力を込め、呪文を唱えた。
「ホイミ」
するとその直後、アヴェル王子の身体が、淡い癒しの輝きに包まれたのである。
アヴェル王子の驚く声が聞こえてくる。
「こ、これは回復魔法……今のはコータローさんが?」
「はい。俺が今、ホイミを使いました。ありがとうございます、アヴェル王子。これで実験は終了です」
俺はそこで右手のブツに目をやった。
(……今の実験結果が意味するところは1つ。あとは……コイツが俺の思った通りならば……謎は解けたも同然だ……ン?)
と、その時、数名の慌てた魔導騎士達が、観覧席の出入り口に姿を現したのである。
現れた魔導騎士の1人が、大きな声で呼びかけた。
【ヴァリアス将軍ッ!、ディオン様ッ! た、大変ですッ! 太守の皆様がッ!】
「何があった?」と、ヴァリアス将軍。
【至急、こちらに、いらしてください!】
ヴァリアス将軍とディオンさんは顔を見合わせた。
「……行ってみよう、ヴァリアス将軍。騎士の様子を見る限り、只ならぬ事が起きておるようだ」
「そのようですな」
2人は魔導騎士達の後に続いた。
と、そこで、アヴェル王子とウォーレンさんが、俺の所へとやってきた。
「何かあったようですね……それはともかく、アーシャ様やイメリア様、そしてアルシェス達が魔物に攫われてしまいました。一刻も早く、救出について、ヴァリアス将軍と話し合わねばなりません」
「ええ……レヴァンは魔の島に来いと言ってましたが、確実に、罠の類があると思いますからね。とはいえ、罠を承知で行かなければ、彼女達を救う事は不可能ですが……」
「でしょうね……」
ウォーレンさんが声を荒げる。
「それにしても、クソッ! どういうことなんだ一体ッ!? まさか、レヴァンが、あのアシュレイアだったなんて……」
「コータローさんが倒したあの白い魔物は、レヴァンの事をアシュレイアと言っていた。つまり、奴が……魔物達の親玉という事なのか……わけがわからない」
アヴェル王子はそう言って、苦悩に満ちた表情で額を押さえた。
あまりに急な出来事なので、2人は整理が追いつかないのだろう。
だが、俺の推察通りならば……真実はもっと過酷かもしれない。
(とはいえ……まだ確証がない。この一連の謎を解くには……コレを作った人に、どうしても訊かなければならない事がある……)
俺はそこで、手に持っているブツに視線を向けた。
と、その時である。
【ヴァロム様! ディオン様とヴァリアス将軍が御呼びです!】
先程の魔導騎士達が、また観覧席の出入り口に現れたのである。
シャールさんやヴォルケン法院長達と話をしている最中だったヴァロムさんは、そこで呼びに来た魔導騎士に視線を向けた。
「ん? 何じゃ、儂もか?」
「はい。ディオン様が、至急いらしてほしいと仰っておられます」
「ふむ……」
ヴァロムさんは顎髭を撫でながら、俺に視線を向けた。
「コータローよ、お主も来い」
「え? 俺もですか」
今のやり取りを聞き、ウォーレンさんがアヴェル王子に言った。
「あの様子だと、かなり不味い事態のようです。我々も行きましょう、王子」
「ああ、行こう、ウォーレン」
続いてシャールさんも。
「では、私もお供させていただきます、ヴァロム様」
「うむ。よし、では行くぞ」――
[Ⅱ]
審判の間を出て、暫く通路を進むと、巨大な空間が俺達の目の前に姿を現した。
それは物凄く広い空間であった。床面積は、学校の体育館10個分くらいありそうである。
美しい大理石調の床と、磨かれた白い石を綺麗に積み上げた壁、そして、両脇の壁際と真ん中に立ち並ぶ、大きな丸い石柱は、壮大であり、迫力があった。
その光景は、以前テレビか何かで見たサン・ピエトロ大聖堂のような感じでもあった。
壁には幾種類もの女神像が安置されており、それと共に、煌びやかな装飾や彫刻等が至る所に施されていた。
天井も高く、30mくらいありそうな高さだ。また、天井には一面に、美しい女神に見守られる人々が細かに描かれており、壮大な眺めとなっていた。
その光景は、まさしく、宗教施設の総本山といった佇まいであった。
(すげぇな……よくこんなの造ったわ……って、観光気分で見とれてる場合じゃないか)
俺はそこで空間の中心部に目を向けた。
そこには魔導騎士や宮廷魔導師達の人だかりが出来ており、少し慌ただしい雰囲気になっていた。
ヴァリアス将軍の姿もそこにあった。
そして俺達は、その将軍の所へと案内されたのである。
「ヴァリアス将軍、ヴァロム様をお連れ致しました」
「うむ、ご苦労であった」
続いてヴァリアス将軍は、ヴァロムさんに一礼する。
「ヴァリアス将軍よ、何があったのじゃ?」
「ヴァロム様、こちらをご覧ください」
将軍は困った表情で、人だかりの中心を指さした。
すると、そこにはなんと、沢山の貴族達がバタバタと倒れていたのである。
見たところ、倒れているのは、王族や太守、そして高位の貴族達であった。それらに加えて、護衛の近衛騎士達も倒れていた。
そして今、魔導騎士達と、ディオンさんと始めとする宮廷魔導師達が、それらの方々を起こしている最中なのである。
また、よく見ると、ソレス殿下やラミナス公使と思わしきラミリアンの美しい女性もいた。それから、レイスさんやシェーラさんの姿も。それは異様な光景であった。
(ここで、なにがあったんだ一体……)
ちなみにだが、ここで倒れている者達には、外傷などは見当たらない。呼吸もしているので、死んではいないようである。
まぁそれはさておき、程なくして、ディオンさんがこちらへとやってきた。
「父上、ヴァリアス将軍、ダメだ……どうやっても、目を覚まさない」
「全員ですかな?」と、ヴァリアス将軍。
「ああ、全員だ。眠っている近衛騎士の顔を強く叩いてもみたが、それでも目を覚ます気配はない……」
ディオンさんとヴァリアス将軍は困った表情をした。
どうやら、眠っている者達が目を覚まさないようである。
俺は2人の会話を聞き、ピュレナでの出来事を思い出した。
もしかすると、あの忌まわしき杖が使われたのかもしれない。
「父上……どう思われますか? これは私の勘ですが、恐らく、ラリホーや甘い息のような方法で眠らされたのではないような気がします。何か得体の知れない方法で眠らされたのかもしれません」
「誰も目を覚ますぬのか……ふむ……弱ったの。とりあえず、少し時間を置いて、もう一度、起こしてみよ。何らかの強力な魔法によって眠らされておるのならば、いずれ効果は切れるかもしれぬ」
「わかりました」
ヴァロムさんはそこで、俺に耳打ちをしてきた。
「コータローよ、お主はどう思う?」
俺も小声で返した。
「断言はできませんが……もしかすると、魔物達の魔導器によって眠らされたのかもしれません」
「ふむ、何か心当たりがあるのか?」
「はい……実はここに来る途中、とある魔物と戦ったのですが、その時に、タチの悪い呪いの杖を持っていたんです。ラーさんの話だと、夢見の邪精を封じたという杖らしいですが……ラーさん曰く、この杖を使われたら、呪いを解かない限り、目を覚ます事はないそうですよ」
「ほう、ラーさんがの……。コータローよ、場所を変えて、ラーさんに訊いてみてくれぬか? この症状が、それかどうかを知りたい」
ヴァロムさんは懐からラーの鏡を取り出し、俺に手渡した。
「了解です」
そして、俺は静かにこの場を離れたのである。
俺は人気のない場所へと移動し、そこでラーさんに小声で確認をした。
「おい、ラーさん……あそこで眠らされてるのって……もしかして、例の杖か?」
「お主の想像通りだ。夢見の邪精に憑かれておる」
「マジかよ……じゃあ、眠らせた張本人がいなきゃ無理ってことやんけ」
「まぁそうだが……別の方法で解除することができるやもしれん」
「別の方法? って、なんだ一体……」
「お主が持つあの杖で、眠っておる者達をもう一度眠らせて、お主がそれを解除すればよい。それで目を覚ますかもしれぬぞ」
今の話を聞いて、頭が痛くなったのは言うまでもない。
「ええっと……つまりあれか。俺が呪いの上書きをして、それを解除するって事か?」
「上手い事言うな、お主。まぁそんなところだ」
「でも、夢見の邪精って、使用者の魔力に紐づけされるんだろ? そんな事できんのか?」
「わからん、やってみないとな。だが……以前、そんな事をしていた魔物を見た事があるんでな。もしやすると、あの者達に憑いた邪精は、お主が持つ杖の影響下に置くことができるやもしれぬぞ」
俺達には他に選択肢がなさそうだ。
確証がない話ではあるが、試してみるしかないだろう。
しかし、重要な問題が1つある。
「ラーさん、1つ聞きたい。あの杖を使う事によって、俺に呪いがかかるなんて事ないだろうな?」
すると、ラーのオッサンは平然と言いやがったのである。
「確実に呪われるな。おまけに、お主の手から、杖は離れなくなるだろう。その杖は基本的に、魔の世界に住まう者しか使わぬからな。この世界の者達が使えば、呪いが降りかかる事になろう」
「なんだよそれッ! そんな事を俺にしろというのかよ!」
俺は思わず激高した。
当たり前だ。誰だって呪われたくはない。
おまけに、この世界には教会がない。
早い話が、呪いを解いてくれる施設なんてないのである。
「まぁ待て待て、落ち着け、コータローよ。言葉が足らなかったな。呪いは我が解呪できるから、そこは心配せんでいい」
「え? ラーさん、シャナクを使えんのか!?」
「ああ、使え……って、ちょっと待て……なぜお主が、その呪文の事を知ってる? まさか……その魔法の事も、例の書物に記してあるのか?」
「……まぁね」
「信じられん……あれは、この地上では秘法扱いだった筈……。いや、そもそも、あれは魔法ではない。あの秘法は、ミュトラの力を借りて、初めて成功するモノだ……この地上では行使する者すら、発動の呪文までは知らぬだろう。なぜその発動呪文まで記されているのだ?」
ラーのオッサンの口振りを見るに、書物に掛かれている事自体、あり得ない魔法のようだ。
この世界におけるシャナクは、通常使える呪文ではないのかもしれない。
(また余計な事を言ったようだ……つか、この非常事態だと、そんな事もいっておれんしな……とりあえず、適当に流して、先に進もう)
つーわけで、俺は白々しく言った。
「といってもなぁ……そう書かれてたんだから、仕方ないだろ。それより、本当に呪いは解けるんだな?」
「ああ、解呪はできる。しかし、付け加えておく事が1つがある。解呪を施すと共に、その杖は消滅するかもしれぬから、それは覚悟しておいてくれ」
「消滅する可能性があるのか……」
ロト三部作だと消えていたが、ⅤとかⅥだと、呪われた武具も普通に外せた気がする。
もしかすると、この世界における呪いは、前者に近いのかもしれない。
ラーさんは続ける。
「呪われた魔導器は、消滅するモノとしないモノがあるのだ。この杖がどちらの魔導器かは、流石に我もわからんのでな。まぁ我の予想では、消滅せぬとは思うが、断言はできんのでな」
「ふぅん……やってみてからのお楽しみって事か……了解。ところで、杖の使い方なんだけど、ラーさんはわかるか?」
「我もうろ覚えだが……発動するときは、杖の柄に魔力を込めていた気がする。そして、解呪する時は、先端の水晶球に触れて、魔力を込めていたように記憶しているがな……。以前、我が見た時は、だが……」
「何だよそれ……不安だな。つか、以前見たって、一体何時の話だよ」
「確か、1000年ほど前だ」
「ふぅん、1000年前か……ン? あれ……ラーさんて、5000年前に、イデア神殿に封印されたって言ってなかったか? なんで、1000年前の出来事を知ってるんだよ」
「へ? あ、ああ、そういや、そうだったな。ええっと、つまりだな……我は時々、精霊界から地上を見ることもあるのだ。だからだ。ハハハハ」
あからさまに怪しい返答である。
終始、動揺した物言いであった。
(前から思っていたが……このオッサンは何かを隠してる節があるんだよな……もしかすると、このオッサン……いや、詮索はやめておこう。とりあえず、このゴタゴタが終わった後だ。まずは杖を出そう……)
俺は周囲を確認した後、フォカールを唱え、深紫色の水晶球が付いた怪しい杖を取り出した。
(はぁ……俺が呪いを施す事になるとはな……。あんまやりたくないけど仕方ない。……覚悟決めるか)
とまぁそんなわけで、杖を取り出した俺は、そそくさとヴァロムさんの元へ戻ったのである。
現場に戻った俺は、ヴァロムさんに話し合った内容を報告した。
「――というわけです。どんな反動が来るかわかりませんが、この杖で試してみようと思います」
ヴァロムさんは申し訳なさそうに言葉を紡いだ。
この杖を使う反動で、呪いが掛かると聞いたからだろう。
「そうか……お主には苦労をかけっぱなしになるの。すまぬが、試してみてくれぬか。先程から時間が経過しているにもかかわらず、起きる気配がないからの」
「ええ、とにかく試してみます」
そして、俺は眠り続ける人達の元へと向かったのである。
と、そこで、俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
「コータローさん、一体何をされるのですか?」
声の主はアヴェル王子であった。
俺は王子に杖を見せ、簡単に説明をした。
「この杖を使ってみます。以前、とある魔物と戦って得た戦利品なのですが、もしかすると、この方々に掛けられた眠りは、これと同じような魔導器によってもたらされたモノかもしれませんので……」
ディオンさんの訝しげな声が聞こえてくる。
「父上、良いのですか? あの捻じれた杖からは……なにやら、禍々しい雰囲気を感じるのだが……」
「構わぬ。じゃが、今はコータローに近寄るでないぞ。コータローの話によると、あれは魔物達が作った呪われた武具のようじゃ。力を開放することによって、何が起きるかわからぬからの」
【なッ!?】
それを聞くなり、全員が息を飲んだ。
そして、この場にいる者達は、そそくさと、俺との距離を取り始めたのである。
なんとなく、ボッチになった気分であった。
(なんかすげぇ悲しい……俺が避けられてるみたいな気分やわ。しゃあないか……呪いなんて聞いたら、誰だってこうなるわな。はぁ……さて、やるか……怖いけど……)
俺は恐る恐る、眠っている群衆に杖を掲げ、柄に魔力を籠めた。
と、次の瞬間!
杖の先端部にある紫色の水晶球から、黒い煙のようなモノが噴出したのである。
水晶球から現れた煙は、眠らされている人達に覆いかぶさるように纏わりついてゆく。
周囲から、驚く声が聞こえてきた。
【杖から、禍々しい何かが出てきたぞ!】
【なんなんだあの杖は……】
あんな話聞けば、誰だってそう思うだろう。
まぁそれはさておき、変化は俺にも現れた。
背筋にゾゾッと寒気がくるような、冷たい何かが、俺の身体に纏わりついてきたのである。最悪な気分であった。
(こ、これは……なんだ、急に身体が重たくなってきたぞ。頭もボーっとしてきた。おまけに寒気も……。まるで風邪で高熱をだした時のような感覚だ……。まさか、これが呪いというやつか……クッ)
ゲームならば、今確実に、あのトラウマ効果音が流れていた事だろう。
(クソ……意識をしっかり持て!)
俺は自分にそう言い聞かせ、眠っている者達へと視線を向けた。
すると黒い煙は消えており、杖を使う前の状態へと戻っていた。
どうやら煙は、俺の前にいる全ての人に行き渡ったようだ。
(……これ以上は変化がなさそうだし、もうそろそろいいかな。さて……ではやってみるか……あ~体が重い……)
俺は怠い身体を何とか動かし、先端に付いている水晶球に手を触れ、魔力を籠めた。
と、その直後、眠っている人達から先程の黒い煙が現れ、まるで動画を逆再生したかの如く、杖の水晶球へと吸い込まれるように戻ってきたのである。
(お、おう……なんか知らんが、凄い光景だな。多分、夢見の邪精というのを杖が回収してるんだろう……)
先程と同様、ギャラリーから声が上がる。
【おお、何だあれは……杖にさっきの煙が吸い込まれてゆくぞ!】
驚くのも無理はない。使った俺自身も驚いているのだから。
それはさておき、黒い煙は1分ほどですべて回収された。
シンとした静寂が、辺りに漂い始める。
ここにいる者達は皆、眠っている太守達を無言でガン見していた。
10秒、20秒と時間が過ぎてゆく。
と、その時であった。
【……ううう……うう……】
倒れている人々の中から、寝言のような呻き声が聞こえてきたのだ。
またそれと共に、ゴソゴソと動く者や、寝返りをうつ者も現れたのである。
(……うまくいったのかな……さっきまでは微動だにしなかったし……)
俺はラーさんに小声で確認した。
「ラーさん……成功か?」
「ああ、成功だ。この者達からは邪精の気配はなくなっている。思った通り、うまくいったようだな」
俺はそこでヴァロムさんに視線を向け、無言で頷いた。
ヴァロムさんは頷き返す。
そしてヴァロムさんは、隣に佇むヴァリアス将軍に告げたのである。
「将軍、もう呪いは解かれたようじゃ。皆を起こすとしよう」――
その後、王族や太守、そのほかの貴族達は、魔導騎士と宮廷魔導師達によって、全員が目を覚ました。
俺はそのドサクサに紛れてここを離れ、ラーさんに呪いを解いてもらった。
すると、まるで憑き物が落ちたかのように、身体は軽くなり、熱っぽい感じも嘘のように消えていったのである。
それから杖だが、呪いを解いても、俺の手に残っていた。
さっきラーさんは、消滅するモノとしないモノがあると言っていたから、これは後者に該当するアイテムのようである。……という事にしておこう。
[Ⅲ]
王族や太守の方々を全員起こした後、ヴァロムさんとヴァリアス将軍は彼等から事情聴取を行っていた。
そこでの話によると、避難中に鞭を持つ翼の生えた茶色い魔物が1匹現れ、奇妙な形をした杖を掲げたらしい。
その時、杖から黒い煙が現れたらしいのだが、そこから後の記憶はないそうである。
恐らく、考える余裕すらないほど、あっという間の出来事だったのだろう。
と、そこで、太守の1人が慌てたように声を上げた。
【ア、アーシャがいない! どこにいった!】
声を上げたのはソレス殿下であった。
続いて、他の王族達も慌てだした。
【フィオナ様がいない!】
【アルシェス様もだ!】
【イメリア様! イメリア様がいない!】
王族や太守達がざわつき始めた。
時間が経つにつれ、事態が呑み込めるようになり、他の事を考える余裕が出てきたのだろう。
ここで、ヴァリアス将軍が言いにくそうに言葉を発した。
「皆様……申し訳ございません。アルシェス殿下にフィオナ様、そしてアーシャ様とイメリア様は魔物達によって人質として、魔の島に連れて行かれてしまいました。今、魔物の討伐と救出に向かう部隊を編成しているところです」
【な、何だって……】
それを聞き、ここにいる者達はどんよりとした表情になった。
【ア、アーシャ……なぜお前まで……】
ソレス殿下は祈るかのように、身体を震わせながら膝を床に付けた。
そして他の王族達は、ヴァロムさんや将軍に食って掛かったのである。
【ヴァリアス将軍! すぐにアルシェス様とフィオナ様を助けに向かうのだッ! 急げッ!】
【そうだ、早く救出に行かねば、魔物達に殺されてしまうぞッ! 何をしているッ!】
【ヴァロム殿! 貴公が始めた事だ! 早く救出に向かえッ!】
王族や太守の方々は、パニックになりかけていた。
そんな中、レイスさんとシェーラさんが俺の所へとやってきたのである。
「コータローさん! 教えてくれ! イメリア様が連れて行かれた魔の島という場所はどこなのだッ?」
「教えて、コータローさん! イメリア様はどこにいるのッ」
今にも探しに行きそうな勢いであったのは、言うまでもない。
「場所はわかりますが……とりあえず、落ち着いてください」
「落ち着いてなんかいられるか!」
「そうよッ!」
レイスさんとシェーラさんは、俺に飛び掛かるような勢いで迫ってきた。
「ちょ、ちょっと、2人共、落ち着いて」
「教えてくれ! どこなんだ!」
「教えて、コータローさん!」
どうやら、何を言ってもダメな感じだ。
立て続けに起きる非常事態のせいで、少し正気を失っているのかもしれない。
(これじゃ、話にならない。とりあえず、正気に戻ってもらおう)
俺はレイスさんの目の前で、猫だましの如く、柏手を1回だけ、大きく打ち鳴らした。
―― パァン! ――
この厳かな空間に、乾いた柏手の音が響き渡る。
レイスさんは面食らったのか、キョトンとした。
他の皆もビックリしたのか、同じような感じであった。
というか、なぜか俺は注目の的になっていた。
そして、妙な静寂が辺りに漂い始めたのである。
(あ、あれ……なんか知らんけど、皆、俺に注目してる……レイスさんとシェーラさんだけでいいのに……。まぁやってしまったものは仕方ない……話を進めよう)
レイスさんは幾分控えめに言葉を発した。
「な、何の真似だ……コータローさん」
「落ち着いて話をしましょう……熱くなりすぎると、何事も上手くいきませんよ。敵の術中に嵌まるだけです。まずは冷静になってください。話はそれからです。魔物達も、今はまだ、彼女達の命までは取らないでしょうから……」
「しかし……フゥ……わかった」
レイスさんはそこで大きく息を吐き、気を落ち着かせた。
それから少し間を空け、話を続けた。
「コータローさん……貴方は今、命までは取らないと言った。なぜそう言い切れるんだ?」
「それは勿論、魔物達は理由があって、彼女達を人質として攫ったからですよ。無作為に選ばれたわけではありません。とはいえ、彼女達を攫うとまでは、俺も予想できませんでしたがね……」
するとここで、アヴェル王子とウォーレンさんが話に入ってきた。
「無作為に選ばれたわけではないだって……コータローさん、それは本当ですか!」
「馬鹿な……ミロンは魔物達に選ばれたというのか」
俺は2人に頷いた。
「そうですよ。アルシェス王子とフィオナ王女、アーシャ様にイメリア様、そして……ミロン君。魔物達がこの5名を攫ったのは、魔の島に、ある者達を誘き寄せる為なのです。つまり、それが成功するまで、魔物達は命までは取りません。断言しても良いです。ですよね……ヴァロムさん?」
俺はそう言ってヴァロムさんに視線を向けた。
ヴァロムさんはゆっくりと頷いてくれた。
(ホッ……どうやら、通じたようだ……)
ヴァロムさんは王族や太守達に向かい、穏やかに説明を始めた。
「今、我が弟子も申しましたが、この事態は予想外ではあるが、何も心配はござらぬ。魔物達は人質としてアルシェス殿下達を攫ったが、これは理由あってのものですじゃ。ですから、目的が達成するまでは、魔物達も命までは奪わぬでしょう。問題はそれをどう解決するかじゃが……もうそれに関しては手を打ってありますのでな。あとはそれを実行に移すのみですから、皆様は安心してくだされ。このヴァロム・サリュナード・オルドランが命に代えて、必ずや、無事、救出いたしますからの」
その直後、王族や太守達から安堵の声が聞こえてきた。
【な、なんだ……そうであったか】
【ヴァロム殿がそう言われるのであれば、それほど心配はなさそうだ】
【うむ。我が国が誇る賢者ヴァロムが、ここまで言うのだ。そこまで心配した事ではないのかもしれぬ】
【オルドラン卿よ、娘を頼んだぞ!】
なんでもない事のようにヴァロムさんが話してくれたので、とりあえず、この場はなんとか治まりそうだ。
イシュマリアきっての最強宮廷魔導師の肩書は、今も尚、健在である。
ヴァロムさんが積み上げてきた信用は、伊達じゃないようだ。
と、ここで、貴族の男が1人、ヴァロムさんに近寄った。
「ヴァロム様がそう仰るという事は、かなり自信がおありなのですね。我が父リジャールが、以前、言っておりました。ヴァロム様は、出来ないことは絶対に口にしないと……。今の話を聞いて、私は希望が持てましたよ」
「うむ。レオニス殿にそう言っていただけると、私もありがたいですな」
「これよりは、私も及ばずながら、ご助力致します。共に、この困難を乗り切りましょうぞ」
「ありがとう、レオニス殿」
どうやら、この人が、リジャールさんの息子なのかもしれない。
体型や顔立ちはリジャールさんと似ている。髪型もリジャールさんと同じで坊主頭であった。髪の色は白ではなく、流石に赤い色だが……。
(この人が息子さんならば……あの謎が解けるかもしれない。とにかく訊いてみよう……)
俺はそこでレオニスと呼ばれた人に近づき、声をかけた。
「あの、すいません。ちょっとお聞きしたい事があるのですが」
「ン? そなたは確か……」
レオニスさんは俺を見て少し戸惑っていた。
面識がないから、この反応は仕方がないだろう。
と、ここで、ヴァロムさんが話に入ってくれた。
「ああ、この男はコータローといいまして、弟子の1人ですわい。ところで、コータローよ、聞きたい事とはなんじゃ?」
「聞きたいのは、コレについてです……レオニス様が製作したとお聞きしたので」
俺はそこで、審判の間で回収したブツをレオニスさんの前に出した。
「ン? コレは……確かに、これは私の作ったモノだが……コレの何が知りたいのかね?」
「実はですね……」――
俺はそこで疑問に思ったことを幾つかレオニスさんに訊ねた。
すると俺の予想通りの答えが返ってきたのである。
俺は念の為に、もう一度確認しておいた。
「そ、それは間違いないのですね? 仕様上、必ずそうなるのですね?」
「うむ。無論だ。あれは猊下の為に作ったモノなのでな。逆に言えば、猊下以外は使えぬ代物だ」
「そうなのですか。ありがとうございます」
(思った通りだ……これで謎は解けた……)
ここで不思議そうにヴァロムさんが訊いてきた。
「コータローよ、ソレがどうかしたのか?」
「ええ、それなのですが……」
と、そこで、ヴァリアス将軍の大きな声が聞こえてきたのである。
【護衛の近衛騎士と魔導騎士達は、皆様を安全な王城へと避難させてほしい。ここはまだ危険なのでな。それと、道中はくれぐれも気を付けてくれ】
【ハッ!】
その直後、王族や太守達は、魔導騎士や近衛騎士達に護衛され、この場を後にしたのであった。
王族や太守達が去ったところで、ヴァロムさんは俺に耳打ちをしてきた。
「コータローよ、先程のレオニス殿との話は、後で聞かせてもらうぞ。それはともかく、さっきは見事な機転じゃったぞ。助かったわい」
俺は小声で謝罪をした。
「すいません。ヴァロムさんに嘘を吐かせるような真似をしてしまい……。ああでも言わないと、混乱が起きそうでしたので……つい」
「よい。それに、お主の言ってた事もあながち間違いではなかろう。いずれにせよ、ここで魔物達を抑え込めねば……この国は滅びる。後は……嘘を誠にすればよいだけじゃ」
「ですね……」
「さて、問題はここからじゃな」
「はい」
ヴァロムさんの眼つきが変わった。
そう……ここからが、本番なのである。
今までは、謂わば、序章に過ぎないのだ。
「コータローよ、ヴァリアス将軍とディオンに、これからの事を今から説明する。その後、お主の意見も聞きたい」
「わかりました」
ヴァロムさんは2人に声をかけた。
【ヴァリアス将軍、そしてディオンよ、こちらに来てくれぬか。今後の話がしたい】
するとそこで、他からも声が上がったのである。
「ヴァロム様、我々も話を聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」
それはアヴェル王子とウォーレンさんであった。
「我々も戦う準備はできています。是非、話を聞かせてください、ヴァロム様」
「私からもお願いします。攫われたミロンは、弟子であり、そして……我が師の子息でもあるのです」
続いて、レイスさんとシェーラさんもこちらにやって来た。
「我々も話を聞かせてもらいたい。必要とあらば我等も手を貸そう。フェルミーア様から許可は頂いている。国は滅んだが、我々の姫君が、攫われたのだ。黙って見ている事などできない」
俺はヴァロムさんに進言した。
「この方々には、話を聞いてもらった方が良いと思います」
ヴァロムさんは頷いた。
と、そこで、もう1人、声を上げる者がいたのである。
「お待ちください、ヴァロム様。私も聞かせてもらいます。レヴァンの件もございますのでね」
シャールさんである。
だが意外にも、ヴァロムさんは、微妙な表情を浮かべたのであった。
「ほう、手を貸してくれるのか? お主ほどの使い手が力を貸してくれるのならありがたい。じゃが、どういう風の吹きまわしじゃ? お主は古代魔法や紋章魔法の研究には熱心じゃが、こういった荒事は嫌いだと思うたが……」
「今回ばかりは別です。アルバレス家の当主代理として話を聞かせてもらいます。私の知らないところで、国が滅ぶような事態になってもらっては困りますのでね。それに……」
そこでシャールさんは俺に向かい、何とも言えない妙な視線を投げかけてきたのであった。
シャールさんは微笑を浮かべ、話を続けた。
「なかなかに面白そうなお弟子さんをお連れですので、少し興味が湧きました。今の一件もそうですが、デインのような雷魔法や、妙な鏡の事も気になりますしね、ウフフ……」
ヴァロムさんは、やれやれといった感じで溜息を吐いた。
「フゥ……まぁその辺の事は無事に終わってからじゃ。では、お主にも聞いてもらうとしようか」
この2人のやり取りを見て、嫌な予感がしたのは言うまでもない。
(なんか知らんが……これを乗り切った後が怖い……はぁ……)
そしてヴァロムさんは、皆の顔を見回しながら、話を切り出したのである。
「さて、それでは、これからの事を話そうかの……」――
Lv59 決戦の地へ
[Ⅰ]
【さて、それでは、これからの事を話そうかの……】
ヴァロムさんがそう告げたところで、また別の所から声が上がった。
「お待ちくださいッ、ヴァロム様! わ、私にも、お話をお聞かせください!」
俺達は声の主に目を向けた。
それは、ルッシラというフィオナ王女に仕える近衛騎士であった。
ルッシラはヴァロムさんの前に来ると、懺悔するかのように両膝を落とし、苦悶の表情で言葉を紡いだ。
「わ、私は……またもや、フィオナ様を御守りすることができなかった。1度ならず、2度までも危険な目に遭わせてしまったのです。この命に代えましても、フィオナ様をお救いしたいと考えておりますッ。ヴァロム様、どうか、何卒、私も話に加えて頂きたいのです。どうか、何卒!」
ヴァロムさんはゆっくりと首を縦に振った。
「……よかろう。今は非常事態。近衛騎士も魔導騎士も宮廷魔導師も、今は立場を超え、皆が力を合わせる時じゃ。ただし……ここからは、この国の運命を左右する戦いとなる故、儂の指示に従ってもらう事になる。よいな?」
「ありがとうございます、ヴァロム様」
「うむ。さて、それでは続けようかの」――
ヴァロムさんは皆に、これからの事を説明していった。
内容は主に3つで、魔の島へと向かう移動方法と、それに伴う危険への対処方法、そして、魔の島に上陸した後の事であった。
そして、この場で話を聞いた者達は、ヴァリアス将軍を除いた全員が、魔の島へと向かう事となったのである。
ヴァリアス将軍は騎士系統の最高指揮官でもある為、王都に残る事となったのだ。まぁ当たり前と言えば、当たり前である。
また、ディオンさんは主任宮廷魔導師ではあるが、魔導師の指揮権は前もって次席の宮廷魔導師に委任してある事もあり、そのまま俺達と行動を共にすることになった。この辺は怪我の功名と言えるところだろう。
ちなみにだが、俺達の他にも同行する者達がいる。それは50名程の魔導騎士や宮廷魔導師であった。これが道中の危険への対処法だ。これに、ヴァロムさんの話を聞いていた者達を足した人数が、決死隊の構成人員であった。
本当はもっと人的支援がほしいところだが、魔の島への移動手段を考えると、これだけしか連れていけない為、致し方ないところであった。
で、その移動手段だが、それは勿論、王家が所有する大型と中型の船である。
一応、船の定員を言うと、大型が30人で、中型が15人程度となっている。
よって、今回は定員オーバーでの船出となるわけだが、ヴァリアス将軍曰く、なんとか行けるそうである。
話は変わるが、俺は出発する前に人目を避け、フォカールで防具を取り出し、自分の装備を整えた。
装備内容はこんな感じだ。
武器 新・魔光の剣
盾 魔導の手
鎧 水の羽衣
兜 疾風のバンダナ
装飾品 魔除けの鈴
祈りの指輪
今回は流石にヤバそうな相手なので、水の羽衣を装備しておいた。
魔力を帯びた淡い水色の衣で、形状は賢者の衣やみかわしの服と同じようなローブ型の衣服である。
また、水飛沫と波の模様が裾の辺りに描かれており、ちょっとしたアクセントとなっていた。
天露の糸と聖なる織機で作られているのかどうかはわからないが、非常に軽い上に、かなり丈夫な生地で、且つ、清涼感が漂う着心地の良い衣である。
ゲームでは攻撃呪文と炎に耐性のある優れモノの防具なので、この世界でも同じであってほしいところだ。
それから疾風のバンダナだが、これは、さっきヴァロムさんから貰ったモノである。
ベルナ峡谷での俺の修行や、さっきの戦闘を見て、これを渡そうと思ったらしい。
色は青色で、少し大きめのハンカチみたいな正方形の布だ。真ん中には魔法陣みたいなものが描かれており、そのさらに中心には赤いビーズのような宝石が散りばめられていた。
多分、これがドロウ・スピネルという魔力供給源なのだろう。ヴァロムさん曰く、ピオリムの魔法発動式を組み込んである魔法の布だそうだ。
俺はDQⅧの主人公のように頭に巻いたが、使い方は色々で、腕に巻く奴もいれば、首に巻く奴もいるそうである。
というわけで、話を戻そう。
俺達は打ち合わせを終えた後、王都を出て、アウルガム湖へと向かった。
だが、行き先は、この間の桟橋ではない。城壁の近くを流れる河川であった。
ヴァロムさんの話によると、王家の所有するアウルガム湖の船は、城壁の付近にある河川に停泊してるそうなのだ。
つーわけで、俺達はそこへと向かうわけだが、外は流石に魔物も多く、難儀な道のりとなった。
とはいえ、精鋭で組んだ部隊の為、襲い掛かってきた魔物達は皆、返り討ちとなっていた。
まぁ襲い掛かってくる魔物も、レッサーデーモンみたいな魔物ばかりなので、それほど苦ではないというのも勿論あるが、魔導騎士でもパラディンの称号を与えられている騎士や、第1級宮廷魔導師もいるので、その程度の魔物に後れを取ることはそうそうないのだ。ヴァリアス将軍も、敵地に乗り込む人選という事で、その辺は気を使ったのだろう。
そんなこんなで、魔物を蹴散らしながら、船の停泊しているところまでやって来たわけだが、俺達は船着き場に到着すると、早速、停泊している船に乗った。
先程の打ち合わせを聞いた者達は大型船の方に乗り、中型船には大型船に乗り切れない魔導騎士や宮廷魔導師が乗るという具合だ。
そして、全員が船に乗ったところで、俺達は魔の島に向かい、移動を始めたのである。
話は変わるが、船はそこそこの大きさだが、あまり大きくはない。
また、船の動力は人力であった。つまり、ガレー船というやつである。
漕ぎ手は魔導騎士の方々が担ってくれた。
俺は漕がなくてよかったので、少しホッとしているところである。
つーわけで話を戻そう。
船が動きだしたところで、ヴァロムさんが俺に耳打ちをしてきた。
「コータローよ、一緒に来てくれぬか。ラーさんと共に、話したいことがある……」
「わかりました」
「では、ゆこう。こっちじゃ」
ヴァロムさんは船室がある一角に向かって歩き出した。
俺はヴァロムさんの後に続く。
ヴァロムさんは、甲板上に設けられた船室の1つへと行き、扉を開く。そして、中に入るよう促してきた。
俺はそこに足を踏み入れる。
するとそこは、6畳ほどの飾りっ気のない簡素な部屋であった。幾つかの木箱みたいなモノが、部屋の片隅に置かれている。多分、物置として使っている場所なのだろう。
ヴァロムさんは扉を閉めた後、木箱に腰かけ、囁くように言葉を発した。
「……では、コータローよ。早速で悪いが、ラーさんを出してくれぬか」
俺は頷き、胸元からラーさんを取り出した。
「さて、ラーさん……魔物達は貴方の予想通り、魔の島へと進路をとった。そこで聞きたいのだが、魔の島に渡った後、我らはそのまま魔の神殿……いや、ミュトラの聖堂に向かえばよいのじゃな?」
「ああ、そのままミュトラの聖堂に向かってほしい。恐らく、そこが決戦の地となろう」
「そうか。ならば、確認したい事がある……もうこの先、悠長に話し合う事は出来ぬであろうからの」――
[Ⅱ]
俺達が話を始めて10分ほど経過した。
魔の島までは30分くらい掛かるらしいから、まだそれほど進んでいない。
だが、さっきから少し気掛かりな事があった。
それは何かというと、船内が静かという事であった。全くといっていいほど、慌ただしい雰囲気を見せないのである。
(これだけ進めば、普通は何回か戦闘がありそうなもんだが……全然そんな気配はないな。どうなってんだ、一体……後で甲板の方に行ってみるか)
ふとそんな事を考えていると、ラーのオッサンの檄が飛んだ。
「――恐らく、中はそういう事態になっておる筈だ。って……コラッ、聞いてるのか、コータロー! 我は今、重要な話をしてるのだぞ!」
「ああ、ちゃんと聞いてるよ」
「フン……なら、我が何の話をしていたか、言ってみろ」
居眠りしてる奴を見つけた時の先公みたいな事を言ってきやがる。
まぁいい。話は聞いてたから、言ってやろうじゃないか。
「疑り深いな……ちゃんと聞いてたよ。魔物達が施した魔の世界とこちらを繋げる結界が、ミュトラの聖堂の中にあるって事と、広大な範囲に影響を与えるその結界の発動は、基本的に、結界を施した者以外には発動できないって事、そして……これほどの結界を発動させる術者は、普通の魔物ではなく、魔王級の魔物の可能性があるって事だろ?」
「フン。一応、聞いてはいるようだな。だが、もうちょっと真剣な態度で聞くがよい。ここからは、失敗は許されないのだからな」
「はい、了解……」
ラーのオッサンはよく見ている。
というか、恐らく、雰囲気や気配でそういった事を察知してるのだろう。ある意味、面倒くさいオッサンである。
しかし、言ってることは正しい。ここが正念場なのは間違いないからだ。
「では続けてくれぬか、ラーさん」
「うむ。それで浄界の門を潜った後だが……以前言った通りの手順でやってもらいたい。ヴァロム殿がソレを行っている間、残った者達に、魔物を引き付けて貰うと良いだろう。特に、魔物達の首領はコータローに目を付けておるから、この役はコータローが適任であろうな。まぁいずれにせよ、準備が整うまで、魔物達を封じる事はできぬ。それまでは辛抱するか、何とか魔物達と交渉でもしながら、引き延ばすしかあるまい」
溜息が出る話である。
まぁとはいえ、ここに来るまで、敵の親玉にロックオンされるような事を一杯してきたから、この役は仕方ないだろう。
「それから、コータローよ……イデア神殿で、お主が得た武具や道具を出すがよい。この先、装備を整える機会はないだろうからな」
「全部か?」
「地図を除いて全部だ。これから戦う魔物は、恐らく、魔の世界を統べる魔王の1体だろう。恐ろしく強大な力を持つ魔物だ。この地にある武具では、太刀打ちできぬ可能性があるのでな」
「魔王の1体か……嫌な響きだな」
(まさか、リアルで魔王と戦う日が来るとは……とほほ……つか、魔王の1体ってことは、まだ他にもいるんだろう。このオッサン……色々とまだ隠し事してんな。これを乗り切ったら、問いただしてやる)
俺はフォカールを唱え、イデア神殿で得た品々を全部取り出し、とりあえず、床に並べた。
出したのは、以下の道具だ。
キメラの翼×10枚
世界樹の葉×1枚
世界樹の滴×1個
祈りの指輪×1個
よく分からん指輪×1個
氷の刃×1振り
炎の剣×1振り
名称不明の杖×1本
炎の盾×1個
水鏡の盾×1個
精霊の鎧×1着
水の羽衣×1着
よく分からん腕輪×1個
命の石×4個
古びた地図×1枚
よく分からない黄色い水晶球×1個
イデア神殿で手に入れた品々は、これの他に、賢者のローブが1着と風の帽子が1個、それと祈りの指輪があと2個あったが、それらは俺とアーシャさんが今所持しているので、フォカールで収納しておいたのは、これが全部である。
「コータローよ、これらの内、命の指輪とイエローオーブをヴァロム殿に渡してほしい」
「は? なに言ってんだよ。そんなの持ってないぞ」
「そういえば……まだ伏せたままであったな。もうよかろう……その名称不明の指輪と、黄色い水晶球がそうだ。今まで黙っていたが……これらはリュビストの結界を発動させる為に必要な鍵なのだよ」
「な、なんだって……」
俺はそれを聞き、指輪と水晶球に視線を向けた。
指輪の造形は、銀色のリングに、エメラルドグリーンのような色をした小さな宝石がついているシンプルなモノであった。
非常に美しい指輪で、豊かな大自然の生命力を感じさせるエメラルドグリーンの宝石が印象的だ。とはいえ、そういう風に見えるのは、若干プラシーボ効果もあるのかもしれない。まぁとにかく、そんな指輪である。
また、水晶球の方はソフトボールくらいの大きさで、透き通った球体の中には、淡く光り輝く黄色い霧のようなモノが、絶えず、中で渦巻いていた。
どういう素材で作られているのかわからないが、羽のように軽いオーブである。
(命の指輪……イエローオーブ……まさか、このタイミングで、その名前が聞けるとは思わなかった。というか、既に持っていたとは……。オーブがあるってことは、ラーミアみたいな存在がいるんだろうか……)
などと考えていると、ラーのオッサンの声が聞こえてきた。
「コータローよ、それらをヴァロム殿に渡してくれ」
「あ、ああ……了解」
色々と訊きたい事もあるが、この事態を乗り切った後にしよう。
「ヴァロムさん、どうぞ」
俺はヴァロムさんに命の指輪と、イエローオーブを手渡した。
ヴァロムさんは、それらをマジマジと眺めながら、オッサンに訊ねた。
「ふむ、これが結界の鍵か……未だかつて感じた事のない雰囲気を持つ魔導器じゃな。ところで、ラーさん、確認じゃが、手順は以前聞いたとおりじゃな?」
「うむ。手順は以前言った通りだ。その2つと、アブルカーンがあれば……リュビストの結界を起動させられるであろう」
「そうか……では、これよりは、儂の役目を果たすとしよう」
ヴァロムさんは神妙な面持ちになり、命の指輪とイエローオーブを道具袋へと仕舞った。
「よろしく頼む、ヴァロム殿。それから、コータローよ。これらの他に名称不明の杖と腕輪があると思うが、それらは、これよりお主が持つのだ。肌身離すでないぞ」
「え、これもか? って事は、これにもちゃんとした名前があるのか?」
俺は金色に輝く腕輪と、名称不明の長い杖に目を向けた。
金色の腕輪は、幅広のメタルバングルのようなタイプで、奇妙な模様が幾つも彫り込まれていた。なにやら得体の知れない威圧感を放つ腕輪である。
また、杖の方は造形的に、密教僧や修験者が持つ錫杖に似ている感じであった。艶のある青い柄の先端に、大きな金色の輪が付いており、その中心には多面体加工された透き通る水色の宝石が付いている。非常に高貴な佇まいを見せる杖であった。とはいえ、先端部の輪は密教僧の錫杖より、かなり大きいが……。
ラーさんは言う。
「勿論だ。それらは光の杖と黄金の腕輪といってな、非常に強力な魔導器だ。言っておくが、扱いは注意しろよ……特に、黄金の腕輪はな……」
「お、黄金の腕輪だって……」
(まさか、ここでこの名前が出てくるとは……Ⅳの進化の秘法に使われたのと同じ物じゃないだろうな……そんな秘法がこの世界にあるのかどうか知らんけど)
と、そこで、ラーのオッサンの怪訝な声が聞こえてきた。
「む……知ってるのか? まさか、黄金の腕輪の事も、例の書物とやらに記されているのではあるまいな……」
「いや、書いてないよ。ただ、そのまんまやなぁって思っただけさ」
なんとなく嫌な予感がしたので、とりあえず、誤魔化しておいた。
「そうか……ならいい。この腕輪は、少々、危険な代物なのでな」
「危険?」
「ああ。この腕輪は魔力そのものを増幅させるのだが、魔物が使っても同じような効果がある。つまり、使い手を選ばんのだ。魔物の手に渡れば、大変な事になると理解しておいてほしい」
「魔力の増幅ね……わかったよ」
話を聞く限りだと、どうやら、ゲームと同じような性質を持つ腕輪のようだ。が、微妙にゲームとは違うのかもしれない。
この腕輪が出てきたドラクエⅣでは、闇の魔力を増幅するとなっていたが、ここでは光も闇も関係なく、全ての魔力を増幅させるようである。
まぁ何れにせよ、危険な代物には変わりない。
「ところで、この光の杖というのは、どういう魔導器なんだ?」
「それは、精霊王リュビストの力を宿した杖だ」
「へぇ……って事は、精霊王リュビストって光の精霊なのか?」
「ああ、そうだ」
ラーのオッサンはあっさりと返事した。
今の言葉を聞き、俺の中で渦巻く1つの疑問が解けた気がした。
「ふぅん……なるほどね。それはともかく……これで、本当に魔物達の結界を封じれるのか?」
「上手くいけばな。だが、我には気掛かりな事があるのだ……」
ヴァロムさんが首を傾げた。
「気掛かりな事とはなんじゃ?」
「ヴァロム殿は知らぬかもしれぬが……以前、コータローと共に、魔物が巣食う洞窟に行った時、そこにいた魔物が言っていたのだ。ラーの鏡でも見破れぬグアル・カーマの法という、秘法があるとな……」
今の話を聞き、ヴァロムさんは眉根を寄せた。
「ラーの鏡でも見破れぬじゃと……」
「うむ。しかもその時、魔物達は、秘法を施した魔物は2体いると言っていたのだよ。その内、1体はコータロー達が始末した。つまり、その秘法を施された魔物が、まだあと1体いるのだ」
ヴァロムさんはそこで、俺に視線を向ける。
「今の話は本当か? コータローよ」
「はい……本当です」
「なんとの……敵も色々とやっておるようじゃな。今、1体は倒したと言ったが、どうやって見破ったのじゃ?」
「コータローが様々な状況を分析して、それを見破った。この男は、そういうのを見抜くのに長けておるんでな」
今のやり取りを聞き、俺の脳裏に1つの疑問が過ぎる。
つーわけで、ラーのオッサンに訊いてみる事にした。
「今の話を聞いて思い出したよ、ラーさん。さっきはレヴァンという奴が教皇だったわけだけど、アイツからは魔物の気配がしたか?」
「いや、何も感じない。よって、あの者は魔物ではない……と言いたいところだが、ヴィゴールという魔物の件もあるから、断言はできぬな。それに奴は、あの白い魔物から、アシュレイア様と呼ばれていた。例の秘法を施された残りの1体なのかもしれぬ」
ラーのオッサンが魔物の気配を感じないという事は、つまり、人という事なのだろう。
「コータローよ、秘法が施されたというもう1体は、アシュレイアという名の魔物なのか?」
「はい、恐らくは……。以前、魔物に変身して、ゼーレ洞窟に侵入した時、そこにいたエンドゥラスの女が言っていました。このイシュマリアで、グアルカーマの法が完全に成功したのはアシュレイア様とヴィゴール様だけだと……」
「なるほどの……。ところで、グアルカーマの法とは一体何なのじゃ?」
「そのエンドゥラスの女が言うには、地上に住まう者の魂と、魔物の魂を融合させる秘術だそうです。恐らく、存在そのものを書き換えるような秘法なので、ラーの鏡でも見破れないんだと思います」
多分、グアル・カーマの法というのは、PC操作でいう所の上書き保存てやつなんだろう。
とどのつまり、真実の書き換えってやつだ。
「存在そのものを書き換えるような秘法か……なるほどのぅ……」
と、その時である。
【お話し中のところ申し訳ない。レイスだが、少しお話したい事がある】
扉の向こうから、レイスさんの声が聞こえてきたのである。
俺はそこでヴァロムさんと顔を見合わせた。
すると、ラーのオッサンは、小さな声で俺に言ったのである。
「コータロー……かまわん、入ってもらえ。それと、あの者達に、剣と鎧と盾を渡すがいい……カーペディオンの民の末裔ならば、これらの武具の力をうまく引き出せよう」
「どういう意味だ?」
「これらは今から5000年前、カーペディオンで作られた高位の武具だからな」
「マジかよ……」
(この武具が、遥か昔のカーペディオンで作られたモノだったとは……)
意外な事実を聞けた。
まぁそれはさておき、俺は扉に向かい返事をした。
「どうぞ、入ってください」
「では、失礼する」
扉が開き、レイスさんとシェーラさんが中に入ってきた。
シェーラさんが扉を閉めたところで、俺は2人に話しかけた。
「レイスさんにシェーラさん、どうしました? 何かありましたか?」
「話は他でもない……イメリア様を攫った魔物についてだ」
「さっき、アヴェル王子に訊いたら、細かい事はヴァロム様やコータローさんに訊いたほうが良いと言われたの」
「そうですか。で、魔物の何を知りたいのですかね?」
レイスさんは少し言いにくそうに訊いてきた。
「この国の宮廷魔導師が魔物の親玉だと、アヴェル王子から聞いた……それは本当なのか?」
「ある意味では……そうかもしれませんね」
するとヴァロムさんが反応した。
「何じゃとッ!? どういう意味じゃ、コータロー」
続いてラミリアンの2人も。
「コータローさん、どういう意味だ、一体!?」
「ある意味って、どういう事……」
「今はお話しできません……非常に際どい話ですのでね。この件については、後ほど、アヴェル王子達を交えてお話ししましょう」
「アヴェル王子達を交えて?」
ヴァロムさんは今の言葉を聞き、ニヤッと笑みを浮かべた。
「お主のその表情……何か掴んだようじゃな」
俺は頷いた。
「今までは疑心暗鬼でしたが……大神殿での戦いのお陰で、ようやく、つっかえていた謎が解けました」
「ほう、謎が解けた、か……。では、後ほど聞かせてもらおうかの」
「ええ、後ほどお話しします。それはともかく……良いところに、レイスさんとシェーラさんが来られたので、コレを渡しておきましょう」
俺はそこで炎の剣と氷の刃、そして精霊の鎧と炎の盾、水鏡の盾を2人の前に置いた。
2人は首を傾げる。
「これは?」
「コータローさん、どういう事? 武具ならもう装備してるわよ」
レイスさんとシェーラさんは今、魔法の鎧に破邪の剣、それと魔法の盾を装備していた。
一般的な魔導騎士の装備と同じなので、中々の武具ではあるが、これから戦う事になる敵には、やや心許ない武具であった。
この際なので、これを装備してもらうとしよう。
「これらは古代魔法王国カーペディオンの遺物で、今、レイスさんやシェーラさんが装備しているモノよりも、数段上の強力な高位武具です。なので、これらを装備することを、俺は2人に強くお勧めします」
2人は大きく目を見開いた。
「カーペディオンの武具だって!? なぜそんなモノをコータローさんが持っているのだ」
「そ、そうよ、なぜコータローさんが……」
ここで、ヴァロムさんが話に入ってくれた。
「コータローはのぅ、精霊王リュビストの試練を乗り越えたのじゃよ。そして、来たるべき時の為に、これらの武具を精霊王から託されたのじゃ」
今の話を聞くなり、2人は俺をガン見した。
「せ、精霊王リュビストの試練だって……な、なにを言ってるのだ」
レイスさんは話に付いていけないのか、少し狼狽えていた。
無理もない。突然、こんな話されたら、誰だってこうなるだろう。
「今の話は事実です。これらは、精霊王から、来たるべき決戦に備えて、私に託された武具なのです。ですから、カーペディオンの末裔たる貴方がたに受け取ってもらいたいのです」
2人は顔を見合わせる。
シェーラさんは武具と俺の顔を交互に見ながら、ゆっくりと口を開いた。
「せ、精霊王リュビストに託されたって……コータローさん……貴方、一体何者なの?」
「そんな大層なもんじゃないですよ。基本的に、ただの魔法使いですから」
すると2人は、『何を言ってるんだ、お前は』とでも言いたそうな表情で、俺を見詰めていたのである。
とはいえ、ただの魔法使いというのも、ある意味では事実なので、致し方ないところであった。
(まぁそんな事はともかく……そろそろ、俺の見解をヴァロムさんや王子達に話しておこう。魔の島に到着したら、そんな暇はないだろうから……)
というわけで、俺は2人に言った。
「さて、レイスさんにシェーラさん……アヴェル王子は今、甲板にいるのですかね?」
「ああ、その筈だ」
「そうですか。では、お2人にこんな事をお願いするのは恐縮ですが、アヴェル王子とウォーレンという宮廷魔導師の方をこちらに呼んできてもらって良いですかね? 先程の魔物についての見解を彼等にしないといけませんので……」
「それは構わないが……今の魔物の話をするのなら、我々も話に参加させてほしい」
「ええ、勿論、そのつもりです。お願いできますか?」
「わかった。では私が呼びに行ってこよう」
そしてレイスさんは足早に、この部屋を後にしたのである――
[Ⅲ]
レイスさんは、アヴェル王子とウォーレンさんを連れてこちらに戻ってきた。
扉が閉められたところで、俺はこの場にいる全員に、他言無用と念押ししてから、静かに話を切り出した。
俺が解いた謎の説明は5分程度。少し端折った部分もあるが、根拠と結論はしっかりと伝えておいた。
そして、俺が話し終えると共に、いつにない重苦しい沈黙が訪れたのである。
この場にいる者達は皆、呆然と無言で佇んでいた。
そんな重苦しい空気の中、第一声を発したのはアヴェル王子であった。
アヴェル王子は振り絞るように、ゆっくりと言葉を発した。
「コータローさん、な、なな、何を言ってるんです……そ、そんな馬鹿な……そんな事が、ある筈……」
続いてウォーレンさんが恐る恐る口を開いた。
「う、嘘だろ……そんな馬鹿な事がある筈……か、確証はあるのかッ!?」
「いえ、残念ながら、確実な証拠はありません。ですが、全ての状況が、そう指し示しています」
「し、しかしだ……クッ、そんな馬鹿な事が……」
ウォーレンさんはそう言って肩を落とし、苦しそうな表情で額に手を当てた。
それはアヴェル王子やレイスさん、そしてシェーラさんも同様であった。
(こんな話を聞けば、誰だって嫌な気分になるだろう。無理もない。だが……これは避けて通れない話だ。皆には半信半疑でも、今は受け止めてもらうしかない……)
「コータローさん……あ、貴方は……確信を持って仰っているのですか?」と、アヴェル王子。
「はい、確信を持っています。それ以外に考えられませんから」
俺がそう答えた直後、この場は更に重苦しい雰囲気へと様変わりした。
アヴェル王子やウォーレンさん、そしてレイスさん達は、まるで死の宣告を受けたような表情であった。
そんな中、ヴァロムさんが口を開いた。
「しかし、コータローよ……今の話が本当だとして、どうやってそれを暴くつもりじゃ? 何か手はあるのか?」
俺はそこで、謎を解くカギとなるアイテムを道具袋から取り出した。
ちなみにだが、そのアイテムは今、布で包まれている状態である。
ヴァロムさんが訊いてくる。
「なんじゃ、それは?」
「これが、今の話を証明してくれる筈です」
そして、俺は布を解き、この場にいる者達に、鍵となるアイテムを晒したのである――
[Ⅳ]
話し合いを終えた俺達は、周囲の警戒にあたる為、船室を出て甲板へと戻った。
外は雲一つない青空が広がっており、穏やかなそよ風が、俺の頬を優しく撫でてゆく。
そこで、のんびりと背伸びしたい気分になったが、ここはもう魔物が支配する領域。常に周囲に気を配らねばならない所である為、俺は気を引き締めた。
(魔物の姿は見えないが、とりあえず、いつでも魔法を使えるよう、魔力のコントロールはしておこう……)
周囲に目を向けると、キビキビとした動作で警戒にあたる魔導騎士達の姿があった。
全員が手練れの騎士なので、頼もしい事この上ないが、少し気がかりな事があった。
それは何かというと、この甲板には魔物と戦った形跡がないという事である。
俺は隣にいるアヴェル王子に確認をした。
「アヴェル王子、見たところ、戦った形跡がないですが、魔物とはまだ遭遇していないのですかね?」
「ええ、実はまだ一度も現れてないのです。変だと思いませんか?」
「一度もですか……確かに妙ですね」
湖を進み始めて20分ほど経過したが、魔物が1体も襲ってこないというのは、少し変である。
「王子、魔の島まで、あとどのくらいでしょうか?」
「もう少しですよ……アレがそうです」
アヴェル王子はいつにない険しい表情で、斜め前方を指さした。
王子の指先を追うと、黒い点のように見える小さな島が俺の視界に入ってきた。
(あの位置だと、到着まで、恐らく、10分くらいか……そろそろだな……)
と、そこで、アヴェル王子は面白くなさそうに言葉を発した。
「このままいけば、魔物と戦闘することなく島に上陸できそうですね。何か釈然としませんが……」
「ええ……」
王子の言う通り、どこか釈然としない。が、しかし、別の見方もできる。
以前、ウォーレンさんは確か、こんな事を言っていた……このアウルガム湖は、魚介類だけでなく、魔物もまったくいない湖だと。
理由はわからないが、魔物が避けたくなる何かが、この湖にはあるのかもしれない。
だが、とはいうものの、俺達は以前の調査で、テンタクルスとホークマンに襲われたのである。これは無視できない事実であった。
(俺達が以前襲われたのは、無理して行動に移したという解釈もできなくはないが……そう決めつけるには早計だ。ラーのオッサンなら、何かわかるかもな。後で訊いてみよう)
ふとそんな事を考えていると、ヴァロムさんの声が聞こえてきた。
【魔の島はすぐそこじゃ! 総員、装備を整え、いつでも戦えるように備えよ!】
【ハッ!】
魔導騎士と宮廷魔導師達は武器を手に取り、臨戦態勢に入った。
(そういや、この部隊の指揮権は今、ヴァロムさんがもっているんだったな……忘れてたわ。まぁそんな事はともかく……いよいよだ。俺も戦闘態勢に入ろう)
程なくして、船は船着き場へと到着する。
そして、ヴァロムさんの大きな声が、この場に響き渡ったのであった。
【我々はこれより、島の中心に位置する魔の神殿へと向かう! 敵はそこじゃ! 島に上陸した後、説明した通り、隊列を整えよ! 道中、警戒を怠るでないぞ!】
【ハッ!】
【では、いざ行かん!】――
Lv60 暗黒の瘴気
[Ⅰ]
魔の島に上陸した俺達は、林の中に伸びる道を進み続ける。
それは怖いくらいに順調であった。なぜなら、魔物達は一向に姿を現さないからだ。
一緒にいる者達は皆、どこか釈然としないに違いない。
その証拠に、これだけ順調に進んでいるのもかわらず、全員、何とも言えない表情をしていた。
(妙だ……何か嫌な予感がする……)
ふとそんな事を考えていると、隣にいるアヴェル王子が俺に囁いた。
「コータローさん……ちょっと静かすぎると思いませんか? 船で移動を始めてから、ここまで、魔物が1体も現れません。……なにか、胸騒ぎがします。我々は既に、魔物達の罠の中に入っているような気さえしますよ……」
「……かもしれませんね。何れにしろ、ここは敵地ですから、この先、何があるかわかりません。気は緩めないでおきましょう」
「ええ」
ここにいる者達は皆、こういった不安を抱いているに違いない。
(さて……この先、一体、何が待ち受けているのやら……このまますんなりと、ミュトラの聖堂内に入れるわけはないとは思うが……)
魔物が現れない違和感を抱きながら道を進んでゆくと、俺達はいつしか境界門へとやってきていた。が、しかし……俺達はそこで、異様な光景を目にする事となったのである。
全員、そこで足を止めた。
至る所から、驚きの声が上がる。
【なッ、これはッ!? なぜこんなところに、騎士の石像がある!?】
【なんだ、この石像は!?】
【騎士だけじゃないッ、魔物の石像もあるぞ! なんだこれは……】
そう……なんと、境界門の周辺には、魔導騎士の石像や、彷徨う鎧のような魔物の石像が、幾つも置かれていたのである。
それは生々しい石像群であった。
ある騎士は勇ましく剣を構え、ある騎士は魔物に向かって呪文を唱えるような仕草をしている。また、とある騎士は、魔物を剣で斬りつけるような動作をしていた。それはまるで、今にも動き出しそうなほど、不気味でリアルな石像達であった。
それだけではない。なんと、これらの周囲には、草や木の石像まで置かれていたのだ。
その為、この一帯が石像といっても過言ではない状況となっていたのである。
(まるで等身大サイズのジオラマだな……なんつー生々しい石像群だ……つか、なんでこんなモノがここに……)
と、そこで、魔導騎士の1人が石像に近づき、驚きの声を上げた。
【こ、これは、ラースラじゃないか! なんでラースラの石像が、こんな所に……】
どうやら、知り合いの騎士の石像のようだ。
(って……まさか、この石像は!?)
と、その時である。
不気味な笑い声が、境界門の奥に広がる前方の林から、聞こえてきたのであった。
【クククッ、素晴らしく美しい石像だろう。これほどのモノはないという程にな】
その直後、カシャカシャという金属音を立てながら、俺達の背後にある林と、境界門の奥に広がる林から、魔物の集団が姿を現したのである。
現れたのは100体近くはいるであろう地獄の鎧と、6体のドラゴンライダーであった。
俺達は挟み撃ちという状況となっていた。
(……このドラゴンライダーの数を考えると、コイツ等はアーシャさんやフィオナ様達を運んだ奴等か……)
ドラゴンライダー達を先頭に、魔物の集団はゆっくりと俺達に近づいてくる。
そこで、ヴァロムさんの大きな声が響き渡った。
【総員、直ちに戦闘態勢に入るのじゃッ! 敵は背後にもおる! 魔物達の動きに注意せよッ!】
【ハッ!】
全員が武器を手に取り、そして身構えた。
と、そこで、前方にいるリーダーと思わしきドラゴンライダーが右手を上げた。
【止まれ!】
魔物達の進軍が止まる。
リーダと思わしきドラゴンライダーは、そこでニヤリと笑みを浮かべ、口を開いた。
【待っていたぞ、お前達が来るのをな。どうだ? 美しい石像だろう。言っておくが、これらは、ただの石像ではない。クククッ……お前達もこうなるのだからな】
「何ッ!?」
「一体、何を言っている……」
魔導騎士や宮廷魔導師達は、魔物の言葉に少し翻弄されていた。
恐らく、あの有名な状態変化を知らないのだろう。
(コイツ等が言っているのは、恐らく、石化……チッ、厄介だな。しかし、どうやって……これだけの者達を石化させたんだ。この石像群の様子を見る限り、全て同時に石化したような感じだ。一体どうやって……Ⅴのジャミみたいな石化ガスでも使ったのか……にしては範囲が広すぎる気がする……)
俺はそこで石化している魔物へと視線を向けた。
すると、石化してるのは彷徨う鎧系の魔物達だけであった。
続いて俺は、ドラゴンライダー達に目を向ける。その姿はゲームと同様、獰猛な翼竜に跨る騎士という感じだ。が、違う箇所もあった。ドラゴンライダー達の首にはネックレス上になった黒い水晶球のようなモノが、ぶら下がっていたからである。
それだけではない。その内の1体は、俺達が発見したあの美しい杖を所持していたのだ。
(あれは……雨雲の杖! なんで奴らが……ン?)
そこで、リーダー格のドラゴンライダーが所持している物体に目が留まった。
それは奇妙な模様が描かれた黒い壺のような物体であった。
(壺と雨雲の杖……なんか最近、これと同じようなのをどこかで見聞きした気が……アッ!?)
次の瞬間、俺の脳内に、あの遺言の記述が蘇ってきたのである。
またそれと共に、奴等の思惑が、おぼろげながら見えてきたのであった。
(そ、そういえば……アヴェル王子はこの間言っていた……雨雲の杖はその名の通り、雨雲を呼び寄せ、限定的ではあるが、雨を降らせる、と……まさか、奴等がやろうとしている事とは……)
俺が想像したモノ……それはドラクエⅦにでてきたトラウマイベントを彷彿させるモノであった。
と、その時である。
【行け! 者共! 奴等を殲滅しろッ!】
黒い壺を手にしたドラゴンライダーが号令をかけたのである。
地獄の鎧が剣を抜き、ガシャガシャと金属音を立てながら、こちらへと動き始める。
翼を大きく広げ、ドラゴンライダー達は、一斉に空へと飛び上がった。
(ヤ、ヤバい……奴等は石化の雨で、地獄の鎧ごと、俺達を一網打尽にするつもりだ……は、早くなんとかしないと……)
ドラゴンライダー達は、瞬く間に、上空50mくらいの高さへと舞い上がる。
ヴァロムさんは皆に指示をした。
【魔導騎士隊は前と後ろの魔物だけじゃなく、空の魔物の動きも注視せよ! 敵は得体の知れぬ攻撃手段を持っておる! 迂闊に間合いに飛び込む出ないぞ!】
【ハッ!】
続いて、ディオンさんの指示が飛ぶ。
【奴等は上からも来るぞ! 攻撃魔法が得意な魔導師は魔法で迎撃をしろ! 他の者は回復と守備力強化に専念するのだ!】
【ハッ!】
この場にいる者達は皆、武器を抜いた。
そして、魔物達との戦いが始まったのである。
俺も魔光の剣を手に取り、身構える。が、しかし、俺の意識は、上空にいるドラゴンライダーへと向いていた。
ドラゴンライダー達は何もせず、様子を窺うかのように、上空で旋回しているところであった。
恐らく、雨を降らせるタイミングを探っているのだろう。
(あのドラゴンライダーを一刻も早く、何とかしなければ……だが、バスティアンの遺言内容が正しいならば、あの壺は下手な扱いはできない……どうすればいい……魔導の手の間合いに入りさえすれば、奴を捕まえれるだろうが、今は圏外だ。何か手はないか……)
俺は急ぎ、周囲を見回した。
すると、あるモノが俺の視界に入ってきたのである。
それは境界の壁であった。
(境界壁の高さは20m以上はあるな……この高さなら、いけるかもしれないが……とりあえず、ヴァロムさんにこの事を話しておかなければ……)
俺は近くにいるヴァロムさんの元へ行き、奴らの思惑を簡単に説明した。
「奴らの思惑が分かりました、ヴァロムさん。魔物達は地上の魔物を囮にして、上空から雨雲の杖を使い、全てを石に変える呪いの雨を降らせるつもりです」
ヴァロムさんは眉根を寄せる。
「何ッ……全てを石に変える呪いの雨を降らせるつもりじゃと……」
「はい。この石像達は皆、それで石化させられたのだと思います」
「俄かには信じがたいが、お主の言う事じゃ、何か根拠があるのだろう。しかし、だとすれば厄介じゃ……早く、何か手を打たねば」
それが問題であった。
(あまり、やりたくはないが……仕方ない。今のこの状況だと、細かい説明してる暇がないから、俺が何とかするしかないか……それに、遺言の内容が正しければ、あの黒い壺は下手な扱いができない……)
俺はそこで覚悟を決めた。
「ヴァロムさん……うまくいくかどうかわかりませんが、俺に考えがあります」
「なんじゃ、言うてみよ」
俺はそこで、リーダー格のドラゴンライダーを指さした。
「この魔物達の計画は、恐らく、指揮官と思われるあの魔物が要だと思います。なので、俺が奴を抑えに行ってきます」
「しかし、あの高さじゃ。空を飛ばん限り無理じゃぞ。とてもではないが、地上からでは魔法は届かぬ。どうするつもりじゃ」
「これはある種の賭けになりますが、魔導の手を使って気付かれないよう境界壁の天辺に行き、あの魔物を捕まえるしかないでしょう。上空にいる魔物は、俺の予想だと、地上には近づかないと思いますから」
「……できるか?」
「我々には空を飛ぶ手段がありませんから、やらなければ道が開けません。ですが、確実にうまくいく自信もありません。なので、雨が降りそうになったら、すぐに逃げてください。背後にも魔物がいるので難しいですが、それしか回避する方法がありません……残念ですが……」
「確かに賭けじゃな……何人必要じゃ?」
「俺1人でやります。敵に気付かれるとやりにくいので」
「そうか……ならば、任せたぞ、コータロー」
「はい。では行ってきます」
そして、俺は魔物達に気づかれないよう、境界壁へと向かったのである。
魔導騎士と地獄の鎧が入り乱れて戦う中、俺は境界門の近くにある壁に辿り着いた。
と、そこで、アヴェル王子とウォーレンさんがこちらへとやって来た。
「コータローさん、何をするつもりなのですか?」
「おい、コータロー。何かするのなら手伝うぞッ」
この2人にも簡単に説明しておこう。
「奴等の思惑が分かりましたので、今からこの壁をよじ登って、リーダー格と思わしき魔物を倒しに行ってきます」
「思惑が分かっただって!? 奴等は一体、何をするつもりなんだ?」
「奴等は恐らく……雨雲の杖を使い、全てを石に変える雨をこの場に降らせるつもりです。つまり、これらの石像と同じように、俺達を石にするつもりなんですよ。そして……バスティアンの遺言に記述してある魔物達の会話は、恐らく、これの事を指しているんだと思います」
「な、なんだって……」
「俺達を石にするだとッ!」
今の内容が衝撃的だったのか、2人は大きく目を見開いていた。
俺は構わず続ける。
「そういうわけですんで、ちょっと行ってきます。雨が降りそうになったら、すぐに逃げてください」
それだけを告げ、俺は魔導の手を使い、境界壁を登り始めたのである。
俺は魔物達に気づかれないよう、静かに魔導の手を伸ばして壁を登ってゆく。
その途中、ヴァロムさんの大きな声がこの場に響き渡った。
【皆の者! 敵は雨雲の杖を使い、得体の知れない雨を降らせるつもりじゃ! 戦闘中で難しいかもしれぬが、雨雲ができたらすぐに退避せよ!】
【ハッ】
ヴァロムさんはとりあえず、皆に忠告してくれた。
だが、これだけ入り乱れるように戦闘していると、離脱するのはなかなか難しいだろう。
(その前に、なんとか、あのドラゴンライダーを対処できるといいが……)
程なくして境界門の天辺へとやってきた俺は、そこで恐る恐る下を見た。
蟻のように小さく見える魔導騎士や宮廷魔導師、そして地獄の鎧達の姿が視界に入ってくる。
高所にいる為、身の竦む思いであったが、俺は無理やり意識を切り替え、上空のドラゴンライダー達へと視線を向けた。
奴等との距離は凡そ、30m。まだわずかに魔導の手が届かない距離であった。
(まだ少し遠いな……壺を持ったドラゴンライダーはアレか、ン?……1……2、3、4……5……あれ、もう1体はどこだ……)
と、そこで、絶叫にも似た、ウォーレンさんの大きな声が聞こえてきたのである。
【コータロー! 後ろだァァッ!】
俺は慌てて振り返る。
その刹那、俺の眼前に、大きく開いたドラゴンの顎が迫っていたのである。
(どわぁぁ! ヤ、ヤバいィ、喰われるゥ!!)
涎に塗れた鋭利なドラゴンの牙が、俺に目掛けて襲い掛かる。
【クククッ、バカめッ! 竜の餌食になるがいいッ!】
咄嗟の出来事に、俺は後ろへ倒れながら仰け反った。
当然、俺はバランスを崩し、壁から落下し始める。が、しかし、ドラゴンライダーの攻撃をなんとか間一髪でかわす事ができた。
(チッ……こうなったら、イチかバチかだ。このドラゴンライダーをハイジャックして、ピンチをチャンスに変えてやる……うまくいくかわからんけど)
俺は落下しながらも、攻撃してきたドラゴンライダーへと魔導の手を伸ばした。
そして、見えない手でドラゴンの足を掴んだところで、俺はドラゴンライダーと共に空を飛んだのである。
(まさか、こんなスタントまがいのアクションをする羽目になるとは……とほほ……)
下を見ると、何体もの地獄の鎧と戦う魔導騎士達が、さっきよりも更に小さく見えた。
距離にして、恐らく、上空50mといったところである。
(めっちゃ高いやんか……怖ッ……って、ビビってる場合じゃない。早くあの壺を何とかしないと……。まずは、この竜に騎乗してる騎士に退場してもらうとしよう……)
俺は魔導の手を使い、ドラゴンの腹に接近する。
そこで魔光の剣を発動させ、騎乗する騎士の足を斬りつけた。
【グァ! オノレェ、貴様! そんな所にいたのかッ、しぶとい奴め! ぶち殺してくれる!】
苦悶の声と共に、騎士は前屈みになり俺を睨みつける。そして、剣を抜いた。
(今だ!)
俺は魔導の手を使い、前傾姿勢になった騎士の首に見えない手を伸ばし、思いっきり引き寄せた。
【かッ、身体が引きずられる!】
魔導の手によって、磁石のように俺と騎士は急接近する。
この突然の現象に、騎士は俺の接近にも気づかないくらいに慌て、竜から落ちないように踏ん張っていた。
その為、奴は隙だらけであった。
(胴がガラ空きだよ)
俺は間合いに入った瞬間、魔光の剣を発動させ、騎士の胴を薙いだ。
【ギョェェ】
断末魔の声と共に、騎士はゆっくりとドラゴンから落下してゆく。
そして俺は、手綱に魔導の手を伸ばし、ドラゴンの背へよじ登ったのである。
乗っ取り成功ってやつだ。が、しかし……そう思ったのも束の間であった。
なぜなら、ドラゴンは俺を振り落とそうと、激しく上下左右に蛇行し始めたからだ。
「うわっ……ちょっ……チッ、暴れんなッ、この糞ドラゴン!」
それはまるで、悪路を走行する車の中にいるような感覚であった。
俺は振り落とされないよう、跨る両足の太ももをギュッと締め、踏ん張った。
暫くすると、ドラゴンは大人しくなってゆく。
だがそれと共に、今度は妙な耳鳴りがし始めたのである。
(な、何だこの耳鳴りは……グッ……眩暈がする……)
と、そこで、胸元にいるラーのオッサンの声が聞こえてきた。
「コータローよ、気を付けろ。この竜は、お前の心を乗っ取ろうとしておる。我を外に出せ、まやかしを解いてやろう」
「た、頼む」
俺は頭を押さえつつ、ラーのオッサンを外に出した。
ラーの鏡は眩く一瞬光輝く。
するとその直後、あの嫌な耳鳴りもスッと消えていったのである。
今の光で、まやかしを打ち消したのだろう。
「た、助かったよ……ラーさん。しかし、まさか、竜が俺の心を乗っ取ろうとしてくるなんて……」
「この竜は、魔の世界の戦士しか乗りこなせんのだ。あまり無茶をするな。例の書物とやらには書いてなかったのか?」
「ごめん、初めて知ったよ」
こんな設定は初耳である。
「まぁいい。とにかく、この竜を操ろうなどとは思わぬ事だ。この世界の者には乗りこなせん」
「マジかよ……ここにきて手詰まりなのか……クソッ」
俺達がそんなやり取りをしていると、前方にいるドラゴンライダー達の話し声が、風に乗って聞こえてきた。
【チッ……コータローとかいう、面倒な奴が空に来やがった。グズグズしておれん。おい、ディラックのマグナを使うぞ! 雨雲の杖の力を解き放てッ!】
【マグナはあと1回分があるかないかだった筈……この散らばり具合では1度で始末できんぞ。いいのか?】
【構わん。もう、ここでしか喰い止められん。それに、アシュレイア様からは、最低でも奴等の半分は削るように言われている。だから、やるぞ!】
【わかった!】
(ヤ、ヤバい……奴等はもう行動に出るつもりだ。チッ、どうすればいい……)
程なくして、俺の下に、どんよりとした雨雲が広がり始めた。
その直後、リーダー格のドラゴンライダーは雨雲の上に素早く行き、妙な呪文のようなものを唱えると共に、手に持った壺を逆さにしたのである。
すると次の瞬間、壺から黒っぽい液体のようなモノが、少しづつ下の雲へと注がれたのだ。
その黒い液体は雨雲に到達するなり、ドライアイスのように気化して雲の上を這うようにして広がってゆき、そして消えていった。
それは、あっという間の出来事であった。
「ま、不味い……あの禍々しい瘴気を浴びたら、大変な事になるッ。コータロー、下の者達に、すぐに逃げるよう、指示するのだ!」
俺は大きく息を吸い、下に向かって目一杯に叫んだ。
【全てを石に変える、呪われた雨が降りますッ! 早く逃げてくださいッ!】
ヴァロムさんの声が聞こえてくる。
【皆の者! 呪われた雨が降るぞッ! 一時退却じゃ! 一刻も早く、雨雲の外に出るのじゃ! 急げ!】
程なくして、ザーという、雨が地上に降り注ぐ音が聞こえてきた。
そして次第に、悲鳴のような叫び声が、聞こえてくるようになったのである。
【か、身体がァァァ! 石にィィィ】
【馬鹿な! こ、こんな事がァァ! こんな事がァァァッ!】
どうやら、逃げ遅れた者達がいたという事なのだろう。
悲鳴のような声は至る所から上がっていた。
もしかすると、被害者はかなり多いのかもしれない。
それから暫くすると、雨雲は晴れてゆく。
そして、その下には、敵と味方が入り混じった幾つもの石像群が、不気味に佇んでいたのであった。
退却中の者や、魔物と戦っている最中の者……そういった生々しい石像達が……。
(クッ……このままじゃジリ貧だ……今の雨で半数以上は石化したと見て良いだろう……どうすりゃいい。ここからじゃリーダー格のドラゴンライダーは、魔導の手の圏外だ。おまけに、乗っ取ったはいいけど、ドラゴンは言う事聞かないし……完全にお手上げだ……)
と、そこで、ラーのオッサンの声が聞こえてきた。
「コータロー、ラーの鏡にあの魔物を写せ」
「何をするつもりだ?」
「この距離ならばモシャスを使える。我がお主の翼となろう」
「その手があったか! 頼む、ラーさん」
俺はラーの鏡をドラゴンライダーに向けた。
その直後、鏡は眩い光を放ちながら、ドラゴンライダーへと変身したのである。
「乗れッ、コータロー! あの魔物達を倒すぞ!」
「ああ、とっととやっちまおう」
俺が竜に乗ったところで、ラーのオッサンは、翼を大きく羽ばたかせて上昇した。
それから程なくして、俺達はリーダー格のドラゴンライダーの真上へとやってきた。
奴等は今、石化攻撃の戦果を確認している最中で、俺達の接近には気にも留めていない。
つまり、今が好機というやつである。
「さて、ここからは、お主に任せる。我はお主の指示通りに動こう」
「奴は俺が倒す。壺の方は頼んだよ、ラーさん」
俺はそれだけを告げ、竜から飛び降りた。
落下しながら、俺は魔導の手を奴の肩に伸ばし、一気に真下のドラゴンライダーへと近づいた。
当然、奴もそこで俺の接近に気付いた。
【グッ、引っ張られる……だ、誰だ!……な、貴様は! なぜ貴様がここにいる!】
俺は一撃で仕留める為に、高出力の魔光の剣を発動させた。
そして、眩く輝いた光の刃で、奴を頭から一刀両断したのである。
【グギャァァ】
騎士の体は真っ二つに分断され、左右に落下していく。
それと共に、騎士が脇に抱える黒い壺も落下していった。が、しかし……そこで、1体のドラゴンライダーが下に回り込み、黒い壺を回収したのである。
勿論、これはラーのオッサンだ。中々の連携プレイである。
「コータローよ、壺は回収した。さぁこっちにこい」
「了解」
俺は真下にいるオッサンドラゴンライダーへと飛び乗った。
「よし、これでもう、あの雨は降らん。このまま奴等を全部始末するぞ、コータロー」
「おう!」――
俺とオッサンは、上空にいる残ったドラゴンライダーを1体づつ仕留めていった。
1度に3回も攻撃できるので、奴らは反撃する間もなく、俺達の刃に倒れていった。
そして、全て倒し終えたところで、俺達は地上に着地したのである。
ラーのオッサンもそこでモシャスを解いた。
ちなみにだが、雨雲の杖も回収しておいた。杖は今、フォカールで仕舞ったところだ。
またあんな使われ方されたらたまらんので、一時的に俺が預かるつもりである。
まぁそれはさておき、周囲に目を向けると、どうやら地上の方も、既に戦闘は終わっているようであった。
一応は俺達の勝利といえるだろう。が、しかし……あの雨の爪痕は、甚大なモノであった。
なぜなら、部隊の約3分の2以上が石像と化していたからである。生き残ったのは僅かしかいなかったのだ。
生存者は、ヴァロムさんとディオンさん、そしてアヴェル王子とウォーレンさん、それからシャールさんとルッシラさん、その他の魔導騎士と宮廷魔導師が数名いるだけであった。
また、残念な事に、レイスさんとシェーラさんは石化していた。これは誤算であった。
(あの2人は後ろの方にいたから、雨から逃れていると思ったが、まさか、石化していたとは……。多分、装備している武器が強力だったから、前に出てしまったんだろう……はぁ……どうしよう、貴重な戦力が……ン?)
と、そこで、ヴァロムさんが俺の所にやって来た。
こちらに来たのはヴァロムさんだけで、他の者達は皆、周囲の石像を見て、意気消沈の様子であった。
完全に士気が下がっている状態だ。
無理もない。こんな光景を目の当たりにすれば、こうなるのも当然だろう。
俺だって逃げ出したい気分である。
「コータローよ、よくやった。怪我はないか?」
「はい、なんとか……」
「そうか、それはよかった。しかし……大変な事になってしもうたの。まさか、あのような手段で我等に襲い掛かろうとは、考えもせなんだ」
「ええ」
ヴァロムさんはそこで、俺の首にぶら下がるラーの鏡に視線を向けた。
「さて、ラーさん……ここで想定外の事が起きたが……この者達を治す方法はあるのか?」
「方法はあるにはある……」
「ほう、あるのか。……して、どのように治すのじゃ?」
「コータローが持っている、ある杖を使えば、恐らく、治せる筈だ」
多分、あの杖の事だろう。
石化解除となるとあれしかない。
「もしかして、ストロスの杖の事か?」
「うむ。あれならば……って、お主、なぜその杖だとわかった?」
面倒だから流しとこう。
「消去法だよ。それしか該当するのがないじゃないか。それはともかく、あの杖を使えば、治せるんだな?」
「多分な」
「多分かよ……。でも、何れにしろ、杖を用意しなきゃな。……フォカール……」
俺は呪文を唱え、空間からストロスの杖を取り出した。
と、そこで、オッサンは言う。
「ただし、その杖で使用できる精霊の力は限りがある。一度に治せるのは3名程だろう」
「3人治したら、もう杖はずっと使えないのか?」
「いや、今日は使えんというだけだ。時間が経てば、また精霊の力は満たされる。そうすれば、使えるようにはなる」
俄かには信じがたいのか、ヴァロムさんは少し怪訝な表情をしていた。
「今、多分というたが、ラーさんも確証は持てぬのか?」
「まぁ我も試したことがないんでな。ただ、我の予想では、ストロスの力ならば、恐らく、治せるだろうと思っている。あの状態は、暗黒の瘴気に蝕まれた結果なのでな。ただし、石像が欠損したりすると、完全な復活は出来ぬから、衝撃を与えぬようにな」
ドラクエでは石化イベント自体が少ないから、あまり気にはしなかったが、今のは説得力がある話だ。
とりあえず、他の人達にも、話しておいたほうが良いだろう。
「ふむ、3人程か……ならば、まずは、あの者達で試すしかあるまい」
ヴァロムさんはそこでレイスさん達を指さした。
「ですね……ン?」
と、そこで、回避できた他の者達も、こちらの方へとやって来たのである。
皆の表情は暗く、明らかに、怯えのようなモノが見え隠れしていた。
「ヴァロム様……騎士や宮廷魔導師達が、石になってしまいました。わ、我々は……これからどうすれば……」
アヴェル王子はそう告げると共に、元気なく項垂れた。
それは他の者達にしても同様であった。
とはいえ、シャールさんはそうでもなかったが……。今は石像群を興味深そうに見ているところだ。
まぁそれはさておき、ヴァロムさんは皆に言った。
「生き残ったのは我々だけじゃ……このまま進むしかあるまい。戻ったところで、これだけの精鋭はもう連れて来れぬ。それに……そんな時間は、魔物達が与えてくれぬじゃろうからの」
「しかし、父上……我々だけで倒せるのですか。あのような非道な手段を用いてくる魔物を相手に……。この先どのような罠が待ち受けているかわかりませぬぞ」
ディオンさんは肩を落とした。他の者達も元気なく俯いている。
この場にいる者達は、一部を除き、魔物に対して畏怖している状態であった。
重苦しい沈黙が訪れる。
(これだけ士気が下がると不味いな……多分、今のまま進むと悪い方向に向かう気がする……うまくいくかどうかわからんが、俺が鼓舞してみよう)
俺は皆に告げた。
【確かに……甚大な被害が出てしまいました。ですが、アシュレイアと戦うまでは……これ以上大きな罠はないと私は見ています。それに、あのような手段を用いてくるという事は、裏を返せば、魔物側が追い詰められているという事の証だとも言えます。ですから、進みましょう、皆さん】
すると、宮廷魔導師の若い男が、俺に食って掛かってきたのである。
「これ以上、罠はないだと……何を根拠にそんな事が言えるッ! 大体、お前は何様のつもりだッ! ヴァロム様の弟子であるというだけで、偉そうに言うなッ! 俺は……し、親友が……目の前で石にされてしまったんだぞ……わかるか、この気持ちが……ウウゥゥ」
その男は両膝を地面に付け、頭を抱えて蹲った。
ここにいる者達は皆、悲痛な面持ちで、その男に視線を向けていた。同じ気持ちなのだろう。
(士気をあげるには、希望の光が必要だ。また賭けになるが……杖の力を試すしかない……今度は上手くいってくれよ……)
俺は内心祈りながら、ポーカーフェイスで話を続けた。
「この石化は……恐らく、治せます。ただし、一度に何人もは治せないので、時間は掛かります。ですから、その為にも、魔物を今すぐ倒さないといけないんです」
蹲る宮廷魔導師の男は、勢いよく顔を上げた。
「な、治せるだって……一体、どうやって!?」
「本当ですかッ、コータローさんッ!」
「本当か、コータロー!」
俺はストロスの杖を皆の前に出した。
「以前、アヴェル王子から頂いた、この杖を使えば、治せる筈です」
「え? こ、この杖が……」
アヴェル王子は首を傾げていた。
(論より証拠だ……もう実践するしかない)
俺はそこでヴァロムさんに視線を向けた。
「やってみよ、コータロー。まずは、あの者達で試してみるがよい」
ヴァロムさんはレイスさん達を指さした。
高位武具を装備している外せない前衛戦力なので、ヴァロムさんもそこは汲んでくれたようだ。
「わかりました」
俺はレイスさんとシェーラさんの前に行き、ストロスの杖を前に掲げた。
そこで、俺は小さく囁いた。
「ラーさん……使い方を教えてくれ」
「コータローよ……杖の水晶球に触れて祈るのだ。そして、邪悪な穢れを祓い、清め給え、と心から願うがいい。さすれば、精霊ストロスは答えてくれよう」
俺はただただ祈った。
(精霊ストロスよ……この者達の邪悪な穢れを祓い、清め給え……)
するとその直後、杖の先端にある青い水晶球が輝き、光のシャワーのようなモノが発生したのである。
そして、それらが雨の如く、レイスさんとシェーラさんに降り注いだのだ。
光の雨は程なくして消えてゆく。
と、次の瞬間、彼らに変化が現れた。
なんと、石像が淡く輝き、石化が洗い流されてゆくかのように、本来の姿を取り戻していったのである。
全身の石化が解けたところで、レイスさんとシェーラさんはポカンとしながら、ボソリと言葉を発した。
「あ、あれ……我々は一体……」
「なんか頭がボーとするわ。って、あれ、ここは?」
2人は夢でも見ているかのような表情であった。
そこで、皆の驚く声が聞こえてくる。
【ほ、本当に治ったぞ……】
【あの杖は一体……】
俺は皆に振り返り、声高に告げた。
【御覧の通りです。この杖の力があれば、ここにいる者達は治せます。ですが、杖の力は限りがあるので、治せても、あと1名といったところでしょう。しかし、時間が経てば、また杖は力を取り戻します。ですから、我々は進まなければいけないんです。魔物達に勝たなければ、犠牲になった彼等を救う事さえできません。行きましょう、皆さん。休んでいる暇はありませんよ。時間が経てば、魔物達は、また新たな罠を仕掛けるに違いありませんから】
ここでヴァロムさんが、皆を鼓舞してくれた。
【皆の者、今、我が弟子が言った通りじゃ! 我々は進まねばならぬ! 友を石にされ、辛い者もおるじゃろう。じゃが、我が弟子が今見せたように、救済する手段はある。ここが正念場じゃぞ。魔物達に勝利せねば、我等に未来はないのじゃからな!】
ヴァロムさんは、そこでアヴェル王子に視線を向けた。
【アヴェル王子! 魔物を倒す好機は今ですぞ!】
先程と打って変わり、アヴェル王子は出発前の強い眼差しへと戻っていた。
ストロスの杖の力を見て、希望の光が見えたからだろう。
アヴェル王子は皆の顔を見回すと、剣を天高くに掲げた。
【行くぞ、皆! すべての元凶は魔物だッ! 魔物を倒さねば、我らに未来はない! 行こう! そして、必ず勝ち、このイシュマリアに平穏を取り戻すんだッ!】
【オオッ!】
アヴェル王子の宣言により、残った者達は完全に士気を取り戻した。
そして俺達は、気を引き締め直し、進軍を再開したのである。
話は変わるが、進軍を開始したところで、シャールさんが俺の隣にやって来た。
そこでの会話は以下のとおりである。
「フフフ……貴方、なかなかやるわね。さっきの戦いぶりも見事だったわよ。それに……面白そうな魔法や魔導器を一杯持ってるのねぇ……ウフフフ」
「いや、まぁそんな大層なもんじゃないですよ……ナハハ」
嫌な予感がしたので、俺は笑って誤魔化しておいた。
「あらあら、謙遜しちゃって……でも……あんな魔法見た事ないわよ」
「へ? あんな魔法?」
ライデインの事だろうか? とも思ったが、彼女の口から出てきたのは予想外の魔法名だった。
「フフフ……さっき、貴方、妙な呪文を唱えて、空間に切れ目を入れて、あの杖取り出してたじゃない……確か、フォカールとか言って……フフフ。本当に面白い人ね」
「え!? み、見てたんスか?」
「一部始終見てたわよ、ウフフフ。中に色んな道具が入ってるのもね。ヴァロム様とだけ秘密を共有してるようだけど、貴方とは一度、ゆっくりとお話ししたいわね。この件が片付いたら、よろしくお願いしますわ。ウフフフ」
「ナ、ナハ……ナハハ……」
この時のシャールさんは満面の笑顔であったが、なんとなく怖い微笑みであった。
そして俺はというと、暫しの間、微妙な気分での行軍となったのである。
[Ⅱ]
頬に感じる冷たい感触で、アーシャは目を覚ました。
「ン……ここは……」
アーシャは瞼を開く。
薄明かりに照らしだされた無機質な石畳の床が、アーシャの眼前に広がっていた。
「どこですの、ここ……」
アーシャは体を起こし、周囲を見回した。
すると、四方を囲う牢獄のような格子状の柵が、目に飛び込んできたのである。
それは檻のようなモノであった。
「ここは……牢の中ですの?」
檻の内側を見回すと、横たわる数名の者達がいた。
それはアーシャのよく知る人物であった。
「サナさん、それからミロンさん……あれは……フィオナ王女にアルシェス殿下……なぜこんな所に……皆、眠っているんですの?」
と、その時である。
檻の向こうから、不敵な笑い声が響き渡ったのである。
【クククッ……お目覚めですかな、アレサンドラ家のお嬢様】
「だ、誰ですの!?」
アーシャは声の聞こえた方向に振り返る。
するとその先には、禍々しく歪んだ形をした黒い玉座のようなモノがあり、そこに何者かが座っていたのである。
だが、少し遠い為、アーシャの目には、何が座っているのかまではわからなかった。人なのか、魔物なのかが……。
声の主はアーシャに優しく語り掛けた。
【我が名はアシュレイア。サンミュトラウスのアヴェラス地方を治める大公とでも申しておきましょうか。まぁ貴方がたが言う、魔王といったところです……クククッ】
「ま、魔王……な、何を言ってるんですの……それに、サンミュトラウス? アヴェラス?」
アーシャが狼狽する中、とある方向から、猛々しい獣のような声が発せられた。
【ガルゥ……薄汚い、この地のゴミ共が! 我が主に対する無礼は許さんぞッ!】
「ヒッ……」
アーシャは声に振り返るや否や、息を飲んだ。
なぜなら、そこには恐ろしい形相を浮かべる魔物達の姿があったからである。
アーシャに声を荒げたのは、山羊のような大きな角と、背中に蝙蝠のような翼を生やした大きな体躯の魔物であった。上半身は赤い肌をした人間のような体型だが、下半身は牛のような蹄を持つ獣のような姿をしている。非常に獰猛な雰囲気を持つ魔物である。
その他にもいたが、その内の何体かはアーシャも見た事がある魔物であった。4本の腕と足を持つ、黄色いライオンのような魔獣……アームライオンである。
魔物達は檻へと近づき、アーシャに睨みを利かせ、威嚇した。
「ま、魔物!」
アーシャは条件反射で、慌てて呪文を唱えた。
「ヒャダルコ」
だが、檻が淡く輝くだけで、何も起こらなかった。
「な、なぜですの……魔法が発動しない……」
【馬鹿めッ! その中では、呪文はかき消えるようになっているのだ。拘束してはおらぬが、貴様等は捕らわれの身だという事を忘れるなよ。ガルゥ】
魔物は大きな口を開け、威嚇するかのように吼えた。
(コータローさん……た、助けて……)
アーシャが怯える中、玉座に座る者は、毅然とした口調でそれを諫めた。
【よい。お前達は下がれッ】
【ハッ、アシュレイア様……】
魔物達は頭を垂れ、檻から少し離れる。
そして、玉座に座る者は話を続けた。
【さて、では時間もある事ですし、貴方の疑問に答えるとしましょう。サンミュトラウスとは、貴方がたが言う魔の世界の事ですよ。そして、アヴェラス地方とは、サンミュトラウスの南方にある地名のようなモノです。まぁとはいっても、貴方がたが、我が世界に来る事は未来永劫あり得ませんから、覚えなくても結構ですがね……クククッ】
と、そこで、他の者達も目を覚まし始めた。
「ンン……ど、どうしたんですか……大きな声を出して……って、え!? ここはどこだッ!」
声を上げたのはミロンであった。
「ミロンさん、私達はどうやら、魔物に捕まってしまったみたいですわ」
「え、ど、どういう事ですか!?」
続いてイメリアやフィオナ、そしてアルシェスも目を覚ました。
「何かあったのですか、アーシャさん……って、ここは一体!?」
「なぜ私が、こんな檻の中に……」
「どこだここはッ!?」
その様子を見て、玉座に座る者は微笑んだ。
【おやおや、全員、お目覚めの様ですね、クククッ】
ミロンは声に向かって叫んだ。
【だ、誰だ! そこにいるのは!】
フィオナは格子の前に行き、目を凝らした。
そして、玉座に腰掛ける者を確認するや否や、驚きの声を上げたのである。
【な! お、お前は……レヴァン! なぜ、お前がここにいる!】
【愚問ですね……私がここにいる理由は1つです。貴方がたを攫ったのが、この私だからですよ。そして私が……此度の黒幕という事です。御理解頂けましたかな、フィオナ王女……クククッ】
フィオナは怒りに任せて声を荒げた。
【私達を攫ったですって! 一体何の為に! この裏切り者!】
【貴方がたは餌なのですよ……クククッ……まぁ最も、彼等がここに辿り着けるかどうかすら、わかりませんがね……今頃、美しい石像と化してるかもしれませんので。クククッ】
と、その時であった。
この空間のある方角から、大きな声が響き渡ったのである。
【残念だったな……レヴァン。我々は石像にはなってはいないぞ】
【神妙にしろ、レヴァン! お前の悪事もそこまでだ!】
程なくして、声の主達が、この場に姿を現した。
アヴェルを筆頭に、1人、また1人と、この空間内に武装した者達が入って来る。
そして、ある人物が姿を現したところで、アーシャは嬉しさのあまり、涙を浮かべ、その名を口にしたのであった。
「コ、コータローさん……」――
Lv61 魔王アシュレイア( i )
[Ⅰ]
ミュトラの聖堂に入った俺達は、以前来た時と同様、行き止まりの空間へと足を踏み入れた。するとそこで、驚く事が起きていたのである。なぜなら、紋章が描かれている壁の真ん中部分が上がっていたからだ。
これが意味するところは1つであった。浄界の門は既に開かれているという事である。恐らく、わざと開けっ放しにしたのだろう。
誘っているのは明らかな為、俺達は少し悩んだが、全員が覚悟を決め、その向こうへと足を踏み入れた。
浄界の門を潜った先は長い通路となっていた。
その通路を進んで行くと、途中、二手に分岐する箇所があり、そこで俺達は、ヴァロムさんとディオンさん、それから数名の魔導騎士達と別れる事となった。
ここからは、ヴァロムさんが自分の役目を遂行しなければならないからである。
俺はそこで、カーンの鍵をヴァロムさんに手渡した。これはラーさんの指示によるものだ。
そして、互いの成功を祈りながら、俺達は別の道を進んだのである。
ちなみにだが、アヴェル王子やウォーレンさん、そしてレイスさんにシェーラさん、それとシャールとルッシラさんは、俺と同じグループである。
まぁそれはさておき、そんな面子で俺達は聖堂内を進むわけだが、中は意外にも静かであった。
魔物と遭遇するなんて事もない。しかし、得体の知れない邪悪な気配だけは、ヒシヒシと感じられた。
(……なんだろう、この威圧的であり、息苦しいほどの空気は……。なぜか知らないが……俺達が進むこの先は、別の世界のように感じる。どうやら、ラーのオッサンが言っていた通りの事態が起きているのかもしれない。もしくは……これからそれが起こるのかもしれない。……嫌な予感がする。はぁ……なんとか生きて帰れますように)
そんな事を考えつつ、俺は皆と共に、聖堂内の通路を進み続ける。
通路の壁や床は、イデア神殿のような石造りで、5mくらいありそうな天井には、古代の魔法照明器具と思われる光る石みたいなのが確認できた。その為、松明やレミーラなどを使わなくても、視界は良好だ。
(イデア神殿の時もそうだったが、あの光る丸い石は一体何なんだろう……ン?)
と、そこで、前方に入口のようなモノが見えてきたのである。
距離にして30m。扉はないが、両脇に丸い柱みたいなのがあるせいか、どことなく、門みたいな感じであった。
(……邪悪な気配は、あの向こうから感じる。いよいよかもしれない……)
先頭のアヴェル王子は、それを見て立ち止まった。
恐らく、雰囲気の違う入口だったからだろう。
他の者達も、王子に続き、足を止める。
そこで、アヴェル王子は俺に視線を向けた。
「コータローさん……あの場所……少し雰囲気が違います。どう思いますか?」
「確かに、雰囲気は違いますね。それに……嫌な気配を感じます。ここからは今まで以上に周囲に警戒しながら、ゆっくりと進みましょう。罠の類があるかもしれませんから」
「ええ」
物音を立てないよう注意しながら、俺達はゆっくりと静かに進んでゆく。
ちなみにだが、先頭は俺とアヴェル王子だ。
後ろを振り返ると、皆の表情はいつになく、険しい表情であった。
アヴェル王子やレイスさん達は、いつでも抜けるよう、剣の柄に手を掛けた状態で、静かに足を前に出している。
俺も彼等と同じで、いつでも呪文を唱えれるよう、常に魔力コントロールしている状態であった。
そんな感じで入口に近づいてゆくと、向こうから話し声が聞こえてくるようになった。
俺は右手を横に伸ばし、『止まれ』のシグナルを後ろの者達へと送った。
全員、そこで立ち止まる。
そして、俺は話し声に耳を傾けたのである。
「な、なぜですの……魔法が発動しない……」
【馬鹿めッ! その中では、呪文はかき消えるようになっているのだ。拘束してはおらぬが、貴様等は捕らわれの身だという事を忘れるなよ。ガルゥ】
今の会話を聞き、俺達は顔を見合わせた。
俺はそこで、口元に人差し指をやり、静かにというジェスチャーをする。
そして、忍び足で入口の方へと行き、壁を背にしながら、俺はそっと中の様子を窺ったのである。
入口の向こうは、丸いドーム状の空間となっていた。
今見た感じだと結構広い。円形の床は直径が50mくらいはありそうで、天井は高い所で10mはあるように見える。
また、床や壁はこの通路と同様、全て石造りであった。
それと、中はやや薄暗いが、あの丸い石みたいなモノによって照らされている事もあり、そこまで視界は悪くないようである。
とまぁ、そんな感じの様相だが……それ以上に目を引く存在がこの空間にはあった。
それは何かというと、この空間内には、人の入った鉄格子の檻と魔物、そして……不気味な椅子に腰掛ける人物が1人いるという事である。
位置的な事を言うと、俺達から見て左端には四角い檻があり、その付近には魔物が数体、それから右端に、歪な形をした真っ黒い玉座のようなモノが置かれていた。
ちなみにだが、俺達のいるこの入り口は、それらの間に位置している。また、他に出入り口は無いようだ。つまり、この空間は行き止まりという事である。
で、その檻だが、中にはアーシャさんやサナちゃん、それから、ミロン君やフィオナ王女達の姿があった。
檻の中にいる者達は皆、目が覚めたばかりといった風だが、全員起きているところを見ると、夢見の邪精による呪いからは、どうやら解放されているようだ。
恐らく、この空間の中にいる誰かが、呪いを解いたのだろう。まぁ誰かは見当ついているが……。
それから、反対にある玉座だが、そこには教皇の衣に身を包むレヴァンがおり、檻の方へと向かい微笑んでいるところであった。多分、彼女達を嘲笑っているに違いない。
それと、檻の付近にいる魔物だが、全部で6体いた。
魔物は3種類おり、1つはアームライオンで、もう1つはバルログ、それからもう1つは、人間のような上半身に、牛のような下半身を持つ魔物であった。その魔物の上半身は、筋肉質なゴリゴリマッチョで、日に焼けたような赤い肌しており、頭部には山羊風の角、背中には蝙蝠のような翼が生えていた。顔は人間風だが、野獣のような赤く鋭い目と、青い色をした豪快な顎鬚が、人間にはない野蛮な雰囲気を醸し出している。
俺の記憶が確かなら、ゲームではアンクルホーンと呼ばれている魔物であった。
(さて……少しだが、魔物がいるな……バルログが1体にアームライオンが3体、アンクルホーンが2体か。……アンクルホーンとバルログが少し厄介だが、今の俺達の戦力なら倒せる。コイツ等は中に突入したら、不意打ち気味で、すぐに倒したほうがいいだろう。それと、さっきの会話の内容を聞く限りだと……あの檻の中では、どうやら魔法が使えないようだ……これは好都合かもしれない)
などと考えていると、アヴェル王子が俺に近寄り、小声で訊いてきた。
「コータローさん……中はどんな感じですか?」
「一応、この向こうに、攫われた方々とレヴァンがいます……それから、魔物も」
「魔物は何体くらいいるのですか?」
「6体です。奴等は檻の付近で、フィオナ様達を監視しているようですね」
アヴェル王子は意外だったのか、少し驚いていた。
「え? ……それだけしかいないのですか?」
「ええ、それだけです。先程の境界門では、味方を犠牲にした手段を用いておりますし……魔物達も急な事で、迎え撃つ態勢を整えられなかったのでしょうね。もしかすると、この建物には今、魔物はこれだけしかいないのかもしれません」
「確かに、そうも考えられますね。それはそうと、コータローさん……ここからはどう動くといいですか? 今は建前上、俺が指揮官ですが、ヴァロム様の代弁者である貴方の意見を優先します。そう、ヴァロム様にも言われてますので」
ヴァロムさんの代弁者とまで言われると、ちょっと辛いが、そうしてもらうと助かる。
ここからは、ラーのオッサンの指示通りに、俺とヴァロムさんは動かなければいけないからだ。
俺は王子に耳打ちした。
「ありがとうございます、アヴェル王子。では早速ですが、これからタイミングを見計らって、中に突入しましょう。で、入ったらすぐに、檻の付近にいる6体の魔物を始末して、まずは人質救出です」
「しかし、中は魔物達の支配領域です。罠の類もあると思いますが……それらはどうしましょうか?」
「今回ばかりは、罠に飛び込まねば、何も得られません。覚悟を決めて、行くしかありませんよ」
「敢えて、罠に掛かる……って事ですか?」
「はい、その通りです」
それを聞き、アヴェル王子は笑みを浮かべた。
「何か……策があるのですね。そして、それは……ヴァロム様達が関係していると見ていいですか?」
俺は無言で頷いた。
と、その時である。
【な! お、お前は……レヴァン! なぜ、お前がここにいる!】
フィオナ王女がレヴァンに向かって叫んだのである。
レヴァンは頬肘をつき、ニヤニヤしながら口を開いた。
【愚問ですね……私がここにいる理由は1つです。貴方がたを攫ったのが、この私だからですよ。そして私が……此度の黒幕という事です。御理解頂けましたかな、フィオナ王女……クククッ】
【私達を攫ったですって! 一体何の為に! この裏切り者!】
【貴方がたは餌なのですよ……クククッ……まぁ最も、彼等がここに辿り着けるかどうかすら、わかりませんがね……今頃、美しい石像と化してるかもしれませんので。クククッ】
2人がそんなやり取りをする中、俺はアヴェル王子に言った。
「さて……では、そろそろ行くとしますか」
「ええ」
アヴェル王子は背後を振り返り、他の者達に目配せする。それから入口を指さした。
この場にいる者達は察したのか、緊張した面持ちで口を真一文字に結び、ゆっくりと頷いた。
そして俺達は、アヴェル王子を先頭に、向こうの空間へと足を踏み入れたのである。
【残念だったな……レヴァン。我々は石像にはなってはいないぞ】――
[Ⅱ]
俺達はアヴェル王子を先頭に、魔物達の支配する空間へと足を踏み入れた。
全員が空間内に入ったところで、俺は王子に耳打ちした。
「行きますよ、アヴェル王子」
王子は頷くと、皆に告げた。
「レヴァンは後だ! まずはあの魔物達を倒す! 行くぞ!」
そして、俺達は武器を構え、檻の付近にいる魔物達を急襲したのである。
空間に入る前から、既に呪文を唱えられる態勢でいた俺は、不意打ちのライデインを一発お見舞いしてやった。
【ライデイン】
この部屋の魔物達全てに雷の矢が降り注ぐ。
【グギャア】
【グアァァ!】
倒すまでは至らないが、魔物達はかなり辛そうに顔を歪めていた。
このクラスの魔物だと、ライデインはかなりきついだろう。ゲームならば、HPをかなり削れたに違いない。
魔物達は怒りの形相で声を荒げた。
【オ、オノレェェェッ! このゴミ共がァァ! ハラワタ裂いてくれるわッ!】
だが間髪入れず、奴等に魔法が襲い掛かる。
【イオラ】
【バギマ】
シャールさんのイオラが奴等に炸裂し、続いて、ウォーレンさんのバギマによる真空の刃が、アームライオンを切り刻んだのである。
アームライオンはそこで絶命する。
だが、アンクルホーンとバルログは、しぶとく生き残っていた。
とはいっても、それも時間の問題だろう。
なぜなら、アヴェル王子とルッシラさんの魔法剣に加え、レイスさんとシェーラさんの鋭い斬撃が、容赦なく、奴等に振り下されたからである。
4人の剣は、2体のアンクルホーンに深く突き刺さる。
そして最後に、俺が振るう魔光の剣が、バルログを斬り裂いたのである。
アンクルホーンとバルログは激しく吐血する。
【グハァッ……まさか、貴様等のようなゴミにやられようとは……ア……アシュレイア様……申し訳ございません……】
魔物達はゆっくりと床に崩れ落ちる。
と、その時……。
―― パチ、パチ、パチ ――
俺達の背後から拍手する音が聞こえてきたのである。
発生源は勿論、あの男からであった。
不気味な椅子に腰かけるレヴァンは、優雅に柏手を打ち鳴らし、満面の笑みを浮かべていた。
【クククッ……お見事です。素晴らしい腕前ですね。そして、よくぞ、ここまで辿り着きました。まずは、褒めて差し上げましょう】
アヴェル王子はレヴァンに振り返り、鋭い眼差しを向けた。
【次はお前の番だ! レヴァン!】
「レヴァン……貴方はもうこれまでよ……大人しく、投降したらどう? といっても、そんな言葉を聞く耳持ってないわね、貴方は……」
シャールさんはそう告げた後、残念そうに溜息を吐いた。
もう説得は諦めたのだろう。
レヴァンは小馬鹿にしたような笑い声を上げた。
【クハハハッ……これはいい。投降ですか……ククククッ……本当に愚か者達ですね。負ける要素がないのに、なぜ投降する必要があるのだ……クククッ。まぁいいでしょう、お前達にも見せてやろうではないか、魔の世界を統べる王の力をな……】
俺はそこで奴に言ってやった。
【下らない茶番はもういいよ、偽魔王さん……お前にそんな力はない】
するとレヴァンの表情は一変し、険しい表情で俺を睨みつけてきたのである。
【に、偽魔王だと……】
【ああ、お前は偽教皇にして偽魔王……そして、ただの裏切り者だ。本物は別にいる】
【クハハハッ、何を言うのかと思えば……お前の方こそ、下らん妄想ではないか! 馬鹿馬鹿しいッ! ならば本物は一体どこにいるというのだッ! 言ってみろッ!】
両手を大きく広げ、レヴァンは挑発してきた。
俺は奴を無視し、アーシャさん達が捕らわれた檻へと移動する。
そして、高出力の魔光の剣で、檻の扉の錠前を破壊したのである。
ちなみに錠前は南京錠タイプのモノであった。
俺は檻の扉を開く。
「では、まずは女性陣からいきましょう。フィオナ王女にアーシャさん、それからサナちゃん、檻の外に出てください」
彼女達はホッとした表情で、フィオナ王女を先頭に檻の外へと出てきた。
フィオナ王女は俺達に深く頭を下げる。
「コータロー様、そして皆様……助けに来ていただき、本当にありがとうございます」
ルッシラさんは王女に跪き、頭を垂れた。
「フィオナ様、よくぞ、御無事で」
「ルッシラ……ありがとう。私は大丈夫です」
アーシャさんとサナちゃんは涙を浮かべ、俺に抱き着いてきた。
「コータローさん……」
「コータローさぁん……ヒグ……」
「2人共、無事でよかった」
俺は彼女達を優しく抱きしめた。
続いて、レイスさんとシェーラさんが、サナちゃんの元で跪く。
「イメリア様、ご無事で何よりです」
「申し訳ございません、我等が至らないばかりに、このような目に遭わせてしまい……」
「レイスにシェーラ……気にしないで……私は貴方達に、感謝してもしきれないのですから」
【イメリア様……】
レイスさんとシェーラさんは、その言葉を聞き、少し涙ぐんでいた。
と、そこで、痺れを切らしたのか、レヴァンが声を荒げたのである。
【私を……無視するなァァァァァァッ! 貴様ァッ! 私の質問に答えろッ! 私が偽物だというのなら、本物はどこにいるというんだッ! 答えろッ!】
俺はレヴァンに振り向き、穏やかに言ってやった。
【まぁ、そう慌てるなよ。モノには順序ってもんがある。さて、では次にアルシェス王子、外に出てください】
「あ、ああ……」
眼鏡をかけた赤髪のイケメン青年が、若干キョドリながら返事をし、檻の外へと出てきた。
アルシェス王子はセミロングのストレートな赤髪で、今は、古代ローマの貴族風の衣に身を包んでいた。
背丈は俺より少し低い。全体的に痩せ型で、筋肉質なアヴェル王子と比べると対照的な体型であった。
なんとなくだが、アヴェル王子が戦士系で、アルシェス王子は魔法使い系といった感じである。
まぁそれはさておき、レヴァンがまた喚わめきだした。
【順序があるだと……わけのわからん事を言ってないで、早く答えろッ! それとも、ただ単に、デタラメを言っただけなのかッ、クハハハハッ】
レヴァンの笑い声が響く中、俺はそこで皆の顔を見回した。
アヴェル王子とウォーレンさん、そしてレイスさん達は俺をジッと見ていた。
俺は4人に向かい、ゆっくりと首を縦に振る。
4人は真剣な表情で、俺に頷き返した。
他の者達は、心配そうに俺を見詰めている。
シャールさんだけは、興味深そうに、俺へと視線を向けていた。
隣にいるアーシャさんとサナちゃんは、不安げな表情で俺を見上げている。
「コータローさん……」
この場に静寂が訪れる。
そんな重苦しい空気の中、頃合いと見た俺は、そこで真実を告げることにしたのである。
【いいだろう……本物の教皇にして、魔王が一体誰なのかを教えてやるよ。……イシュマリアが建国されて以来、3000年もの間、イシュラナという女神を隠れ蓑にし、この国に災いをもたらし続け……この国を間接的に牛耳ってきた黒幕……それは、イシュラナ教団の最高責任者たる教皇だ。そして……その教皇は今、魔王でもあり、この地に更なる大きな災いを起こそうとしている。その災いの元凶である教皇とは、一体誰なのか? それは…………お前の事だッ!】
俺は檻の中に残っている人物を指さした。
この場にいる全員が、檻の中にいる人物に視線を向ける。
その人物は、驚きの表情で俺を見ると、非難の声を上げた。
「ちょ……ちょっと、コータローさん! こんな時に、一体何を言ってるんですかッ! ぼ、僕が教皇で、魔王だなんて、そんな事ある筈ないでしょッ! 酷いですよッ!」
「いや、君だよ……君が教皇にして魔王だ」
レヴァンの嘲笑う声が聞こえてくる。
【クハハハッ……何を言うのかと思えば……よりにもよって、そんなガキが魔王だと! 馬鹿にするにもほどがあるぞ、コータロー! 魔王はこの私だ! クハハハッ】
そこで、アーシャさんが話に入ってきた。
「コータローさん、ミロンさんが魔王だなんて、そんなことある筈ないですわ。だって、私達にあれだけ尽くしてくれたのですよ。幾らなんでも、それはないですわ」
続いてサナちゃんも。
「コータローさん……ミロンさんは私達と一緒に捕らわれていたんですよ。それが魔王というのは……」
「そ、そうですよ。アーシャ様やイメリア様の言う通りです。僕が魔王なわけないじゃないですかッ! 幾らなんでも酷過ぎますよ! コータローさんが、こんな酷い事を言う人だなんて、思いもしませんでしたッ!」
ミロン君は軽蔑の眼差しを俺に向ける。が、俺は構わず言った。
「いや、君だよ」
他の者達は黙って、俺とミロン君のやり取りを見ている。
と、ここで、ミロン君は泣きそうな表情でションボリと肩を落とし、ウォーレンさんに助けを求めたのである。
「ウ、ウォーレン様! コータローさんが僕の事を教皇にして魔王だなんて言ってます。ウォーレン様からも言ってくださいよ……そんな事あるわけないって……こんなのってないですよ」
ウォーレンさんは悲痛な面持ちで、俺に視線を向けた。
「コータロー……ミロンはこう言っている……なぜミロンが教皇だと思うんだ?」
「彼じゃないと説明がつかないからですよ。逆に言えば、彼が教皇ならば、全ての辻褄が合うということです」
ミロン君は俺を睨みつける。
「そこまで言うのなら、聞きますけど、僕が教皇だという証拠はあるんですか? ないなら話になりませんよッ」
俺は彼に微笑んだ。
「証拠なら、ちゃんとあるよ」
「馬鹿な……そんなものあるわけがないッ。だったら見せてくださいッ! その証拠をッ!」
「いいとも。でも、その前に、1つお願いしてもいいかい?」
「お願い?」
「ああ」
俺はそこで、道具袋の中から、布に撒かれたあるモノを取り出した。
ミロン君は首を傾げる。
「なんですか、それは?」
「これがその証拠なんだけど……その前に、ちょっとお願いがあるんだ。俺さ、さっき手を怪我しちゃったんだよね。ミロン君のホイミで治療してくれないか?」
俺はそう言って、ブツを持つ右手の甲を指さした。
右手の甲には、かすり傷が少しある。ちなみにだが、これはドラゴンライダーとの戦闘でついた傷だ。
「なんで僕が、そんな事を言う、貴方の治療をしないといけないんですか……」
「ま、そういわずにさ、頼むよ。いいだろ、ホイミくらい」
「……わかりましたよ……ホイミ」
ミロン君は面白くなさそうな表情で、檻の入り口に来ると、そこから手を伸ばし、渋々ホイミを使ってくれた。
檻の中だと、呪文を無効化させるからだろう。
まぁそれはさておき、俺の右手の傷はホイミによって癒されてゆく。
「ありがとう、ミロン君。では、証拠を見せてあげるよ」
そして俺は、右手に持つブツに撒かれた布を解いたのである。
中身が露になる。
布を解くと、そこには光を発する物体があった。
ミロン君はそれを見るや否や、目を大きく見開いた。
「そ、それは……まさか……」
アヴェル王子は驚きの眼差しで、その物体の名を口にした。
「光の王笏が……か、輝いている……コータローさんの言った通りになった……」
この現実を目の当たりにし、ウォーレンさんは額に手をやり、苦しそうに言葉を紡いだ。
「や、やはりそうなのか……ミロン……お前が……」
「クッ……」
ミロン君は悔しそうに下唇を噛んだ。
「これが証拠だよ、ミロン君。今は切れ端みたいな感じだけど……君もこの杖についてはよく知っているよね。ここに来る前、この杖を作ったレオニスさんに聞いたよ。そしたら、レオニスさんはこう言っていた……光の王笏はアズライル猊下の為に作られたモノだとね。そして、こうも言っていたよ。この光の王笏は、猊下の魔力によってのみ水晶球が光り輝く、教皇の証たる杖だとね……」
俺はそこで話を一旦切った。
程なくして、水晶球から光が消えてゆく。
それを見届けたところで、俺は話を続けた。
「そう……この杖はね、アズライル教皇以外には使いこなせない杖なんだよ。では、なぜ今、この杖は光り輝いたのか? それは即ち、たった今、アズライル教皇の魔力に反応したから、という事に他ならない。では一体いつ、そんな魔力とこの杖は接触したのか? ……それは、今しがた、ミロン君が唱えたホイミの魔力によって、反応したと考えるのが自然だ。言っておくけど、俺の魔力では反応はしないよ。論より証拠だ。ピオリム!」
杖から淡く輝く緑色の霧が放たれ、味方全員に纏わりついてゆく。
当然、先端の水晶球は何も反応しない。
「ね? 俺が唱えても何も起こらない。だからね、この杖が反応したのは、ミロン君の魔力としか考えられないんだよ。さて……そこで、問題です……教皇の魔力にしか反応しない杖が、なぜ、ミロン君の魔力に反応したのか? ……答えは簡単だよね。君が教皇本人だからだよ。もうこれ以上の証拠はないだろ、ミロン君?」
ミロンはずっと俯いたままであった。
俺はそこでレヴァンに視線を向ける。
【チッ……】
レヴァンは舌を打ち、苦虫を噛み潰したような表情になっていた。
と、ここで、シャールさんが話に入ってきた。
「コータローさんでしたっけ、1ついいかしら?」
「なんでしょう?」
「先程、審判の間で、レヴァンがあの杖を掲げた時は光り輝いてましたわよ。それについては、どうなるのかしら?」
今の質問は、俺も疑問に思ってた事だ。
あの場面では光り輝いていたが、その後、奴が魔法を使った時は何の反応もなかったので、俺も少し混乱したのである。が……蓋を開けてみれば単純な仕掛けであった。
「その謎は簡単ですよ。レヴァンが杖を掲げたところまで、魔力を送る道があったからです。しかも、ウォーレンさん達がいた辺りまでね。それについてはアヴェル王子と共に実験も行いましたので、まず間違いないでしょう。王子がその証人です」
シャールさんは王子に視線を向ける。
アヴェル王子は頷いた。
「シャール殿……コータローさんの言っている事は本当ですよ。俺自身が、それを体験しましたから」
「そうなの。なら……もう決まりね」
シャールさんはそう告げると、杖を手に取り、いつでも魔法を行使できる態勢に入った。
と、その時である。
ミロン君がゆっくりと顔を上げ、不敵に微笑むと、容姿に似つかわしくない低い声色で、別人のように話し始めたのであった。
【フッ……光の王笏を出されては、流石に、もう言い逃れはできないか……。そうだ、コータロー……私が教皇にして魔の世界の王だ。よくわかったな……いや、流石というべきか……いつから気付いていた? 今の口振りじゃ、ついさっき気付いたというわけでもあるまい】
「お前に疑念を抱いたのは……ヴィゴールを倒した後……俺とアヴェル王子とウォーレンさん、そして、お前の4人で、洞窟を調べていた時だよ」
【ほう……そんな頃から気付いていたとはな……で、何が原因で気付いたんだ? あの時は、そんなヘマはやらかしていない筈だが】
俺は道具袋の中から、黒い破片を取り出し、奴の前に投げた。
「いや、お前はとんでもないヘマをしていたよ。あの時、これを無造作に拾って、俺に見せたのだからな」
アシュレイアは俺の投げた物体を拾い上げる。
【これは……念話の魔石の破片……これがどうしたというのだ?】
「それが何なのかは、この際どうでもいい。お前の失敗は、あの時の状況を考えなかったってことだ。俺達はヴィゴールとの死闘で、勝つには勝ったが、手酷い傷を負っていた。おまけに洞窟内は魔物達の支配域だった。その状況の中で、魔物達が用意したであろう得体の知れない物体が転がっていたら、普通の者ならば、直接手で触れるなんてことはしないだろう。何があるかわからないからな。しかし、お前はその辺の石でも拾うかのように、何の抵抗もなく、ソレを手に取り、俺に見せてくれた。俺はその時、疑いを抱いたんだよ。これが手で触れても大丈夫な物だと、ミロン君は前から知っていたのではないか、とね……」
それを聞き、アシュレイアは笑みを浮かべた。
【フッ、たったそれだけの事で疑われるとはね……では、魔王であると疑いを持ったのはいつなんだ?】
「それもあの時だよ。今のが切っ掛けでな。ヴィゴールは戦闘中、アシュレイアの声に頭を下げていた。俺はあの時、アシュレイアはどこか別の場所で見ていると考えていたが、それにしては妙な方向にヴィゴールは頭を下げているなと思っていた。なぜなら、俺達のいる方向に頭を下げていたからな。つまり、頭の下げる方向に奴の主であるアシュレイアがいたと仮定すると、2つの選択肢しかないってことになる。それは……俺達の背後に続く洞窟の奥か……もしくは、俺達の内の誰かって事にね。俺は君に疑念を抱いた事で、後者の方で考えたよ。他の理由からも、その方がシックリと来たんでね」
【ほう……では、あの時、私がお前達に攻撃するとは考えなかったのか?】
「その可能性も勿論考えたが、お前はやらないだろうと踏んでいた」
【なぜだ?】
「俺が魂の錬成薬を持っていると、お前は思っていたからだ。アレを浴びると、お前の計画に支障が出るんだろ? また相性のいい身体を探さないといけないらしいからな。それを裏付けるかのように、あの件があって以降……お前は俺に近づかなくなったしね」
ちなみにだが、魂の錬成薬は、もう持ってない。
あの時、もう少し確保しときたかったが、入れる器がなかったのだ。残念……。
【フッ……まぁそれもあるが、それだけではない……もう1つある】
「……俺達がヴィゴールを倒してしまったからか?」
【半分当たりだ】
「半分か……残り半分はなんなんだ?」
【コータロー……お前が予測不可能だったからだよ。お前があの逆境を、まさか、ひっくり返すとは思いもしなかったのでな。だから、あの場面では、無理はしない事にしたのだ。幾らグアル・カーマの法で力を得たとはいえ、本来の私の力には程遠いのでな。フッ……私にここまで思わせたのだ。誇るがいい】
「そりゃどうも……」
と、ここで、ウォーレンさんが話に入ってきた。
「ミロン……ミロンは生きているのか?」
【フフフッ……安心しろ。死んではいない。この体の持ち主は、私であり、ミロンだ。とはいっても、それはあくまでも魂の話だがな。奴の記憶と身体は、私がそのまま引き継いでいる。今の私はアシュレイアであり、ミロンだ】
「クッ……1つ訊きたい。ギルレアンの研究記録を城の書庫からお前は見つけてくれた……あれもお前の筋書きなのか……」
アシュレイアは鼻で笑う。
【フッ……そういえば、そんなモノを渡したこともあったな……まぁ今となってはどうでもいい話だ。が、まぁ一応、そうだっと言っておこう】
「一体何の為に、あんな事を……」
【自分で考えろ……もうどうでもいい話だ】
俺が答えておいた。
「ウォーレンさん……奴があの研究記録を持ち出したのは、恐らく、アヴェル王子とウォーレンさんを異端審問に掛ける為の仕込みですよ。ヴァロムさんの件が片付いたら、お2人を捕らえるつもりだったんだと思います」
「何!?」
【流石に頭の回転が速いな……その通りだ。お前達は、余計なことを調べていたんでな】
「我々は……ずっと……お前の掌の上で踊らされていた……というわけかッ」
アヴェル王子はそう言って、ワナワナと握り拳を震わせた。
【ああ、そうだ。もう少し踊っていてもらうつもりだったが……想定外の者が現れたのでな。今にして思えば、あんなモノをお前達に渡したことが悔やまれる。その所為で、コータローを招き入れたようなモノだからな】
そこで言葉を切り、アシュレイアは俺に視線を向けた。
【コータロー……お前は厄介な奴だ……僅かな綻びから全てを紐解き、真相に辿り着いてしまう。お前のような奴がもっと昔に現れていたならば、我々の計画は、こうもすんなりとはいかなかったであろう。それについては、私も素直に、賛辞の言葉を贈ろうではないか。敵ながら、感心するよ】
アシュレイアはゆっくりと柏手をし、俺を称える仕草をした。
そして、懐から黒い水晶球を取り出したのである。
俺はそこで魔光の剣を手に取った。
他の皆も武器を構える。
そんな俺達を見て、アシュレイアは歪んだ笑みを浮かべた。
【だが……そんなお前も、今回ばかりは詰めを誤ったようだな。何れにせよ、ここでお前達は終わりだ。フッ……正体を明かさずにお前達を始末するつもりだったが……こうなった以上は仕方あるまい。魔の世界の王であるアシュレイアとして、私が直接、お前達を始末してやろう……】
俺はそこで奴に訊ねた。
「1つ訊きたい……お前は仮にも魔の世界の王だ……王がわざわざ前線に出向いてまで、こんな面倒な事をする理由はなんなんだ?」
【フッ……聞きたいか、ならば冥途の土産に教えてやろう。エアルスが薄汚いお前達に与えた、この美しき世界……それを我等の物とする為だよ。これが太古の時代からの我等の悲願。だがその為には、乗り越えねばならぬ、高い壁がある。ミュトラやリュビストといったエアルスの化身が施した結界は、流石に強大だ。そう簡単には解けぬ。故に、強大な魔力を持つ私自身が、直に動かねばならん事もあるのだよ。まぁとはいっても、分け身ではあるがな】
「分け身だと……」
【そう……分け身だ。本体の私は、魔の世界……サンミュトラウスのアヴェラス城にいる。フフフッ……丁度良い機会だ。お前達にも、魔の世界がどんなモノなのかを体験させてやろう。レヴァン! 門を閉じよ! 結界を発動させる!】
【ハッ、アシュレイア様!】
レヴァンはそこで漆黒の杖を手に取り、奇妙な呪文を唱えた。
すると次の瞬間、杖の先から、漆黒の球体が現れ、入口に向かって放たれたのである。
ソレは入口に到達したところで弾け、霧状になる。
その直後、入口は瞬く間に、黒い霧のようなモノで覆われていったのである。
そんな中、今度は檻の中で黒い煙が発生した。
そして、アシュレイアの不気味な声が、この空間内に響き渡ったのであった。
【フッ……これでもうお前達に逃げ道はない。これよりは存分に、魔の世界の力を堪能するがよい。そして、愚かな貴様達に見せてやろうではないか……魔王たる我が力をな】
檻の中で渦巻く黒い煙は、程なくして晴れてゆく。
そして煙の中から、ローブのような赤いマントに身を包む、高貴な佇まいをした魔人が姿を現したのであった――
Lv62 浄化の結界
[Ⅰ]
黒い煙が晴れてゆき、アシュレイアは正体を曝け出した。
煙の中から姿を現したのは、人間に近い姿をした者であった。が、明らかに人間と違う部分があった。サラッとした長く黒い髪が伸びる頭部の左右から、牛のように湾曲した角が伸びているからだ。
アシュレイアはローブのような赤いマントを優雅に纏い、左右の肩には、鋭利な爪のようなモノが幾つも伸びる、金色の肩当てを装備していた。
左右の肩当ての間には、やや色白の肌をした首があり、その上には顔がある。顔立ちは端正で、かなりのイケメン……というより、美丈夫と言った方が良いだろうか。まぁとにかく、そんな感じの容姿をしていた。
ビジュアル系のバンドマンとかで、こういうのがいそうだ。
背も高く、2mはありそうである。とはいえ、デカさで言ったら、サイクロプスやトロル、それからヴィゴールの方が大きいので、そういった面での威圧感というモノはない。
だが、奴から感じられる強い魔力が、その辺の魔物とは違う為、俺は奴を見た瞬間から、冷や汗が止まらないのであった。
そう……俺の中の何かが、とてつもなくヤバい奴だと訴えているのである。
(ヴィゴールなんか比較にならんくらいに、魔力圧が強い……チッ、化け物め……)
俺は魔導の手を使って檻の扉を閉め、皆に言った。
「戦闘準備に入ってください! この中では奴も魔法は使えない筈です。奴がここから出てきた瞬間、総攻撃を仕掛けます!」
全員が身構える。
だがそんな俺達を見て、アシュレイアは不気味に微笑んだのである。
【ほう……なるほど、この状況を利用するというわけか。フッ……まぁいい。正面から出て行っても別に問題はないが、姿を晒して早々、我が衣に埃がつくのも癪だ。よって、これを利用させてもらうとしよう……】
するとアシュレイアは、懐から筒状のモノを取り出したのである。
俺はそれを見るなり、思わず舌を打った。
「チッ……それは、魔光の剣。やはり、盗んだのはお前達だったか……」
アシュレイアは光の刃を出現させ、弧を描くように頭上の格子を斬りつけた。
パラパラと切断された格子が落ちてくる。
そして、まるで羽でも生えたかの如く、アシュレイアはフワリと宙に舞い上がり、檻から出てきたのである。
この予想外の展開に、俺達はただ黙って見ているだけであった。
檻から出たアシュレイアは、玉座のある所へ優雅に舞い降りる。
そこで奴は俺に振り返り、ニヤリと笑ったのである。
【フッ……悪くない。中々の切れ味だ。一応、礼を言っておくぞ、コータロー。さて……では始めるとしようか。レヴァン……例のモノをここへ】
【ハッ、アシュレイア様】
レヴァンはそこで、サッカーボール大の深紫色に輝く水晶球をアシュレイアに差し出した。
アシュレイアは手を触れずに水晶球を浮き上がらせる。
続いて、アシュレイアは両掌を合わせて幾つかの印を組み、奇妙な呪文を唱え始めたのである。
【ケーラ……ヒーカツィ・ヨガーク・ラー……】
程なくして、水晶球から得体の知れない深紫色の煙が出てきた。
水が湧き出てくるかのように、煙は下へと落ちてゆき、床に到達すると、這うようにして広がってゆく。当然、俺達の足元にも、その煙は広がっていった。
深紫色の煙が全て行き渡ったところで、アシュレイアは呪文詠唱を止めた。
【フッ……準備は整った。では、約束通り、お前達に魔の世界を堪能させてやろう! ヨーディ・サンミュトラウス!】
と、次の瞬間! 俺達と奴等の間にある床に、怪しく光る六芒星の魔法陣が浮かび上がったのである。
そして、地響きと共に、床に漂う煙の至るところから、怪しい発光が始まったのであった。
それはまるで、稲光を放つ雷雲のようでもあった。
発光現象は次第に強さを増してゆく。地響きも同様に大きくなっていった。
皆の慌てる声が聞こえてくる。
「な、なにが起きている!」
「クッ、一体、何が始まるんだ!」
アヴェル王子は皆に呼びかける。
「狼狽えるな! 皆、敵の攻撃に備えるんだッ!」
それから程なくして、光は消えてゆき、地響きも治まっていった。が、しかし……そこで、背筋に悪寒が走るほどの不気味な気配が、辺りに漂い始めてきたのである。
時間が経つにつれ、その気配はより濃くなっていった。
それだけではない。まるで全身に重石でもつけられたかのように、俺の身体も重くなってきたのである。
「か、体が動かない……グッ」
「何よ、これ……か、身体が、お、重い」
「な、なんですの、この異様な空気は……」
「コータローさん……さ、寒いよぉ……」
「グッ……か、身体が重い……なんだこれは……」
「こ、これは一体……グッ……」
「コータローさぁん……助けて……」
どうやら、他の皆も同じ状況のようだ。
(まさか、これは……グッ、不味いぞ……今、奴に襲われたら一巻の終わりだ。早く、準備をしないと……)
俺はなんとか身体を動かし、光の杖と黄金の腕輪を装備した。
と、そこで、アシュレイアの嘲笑う声が聞こえてきたのである。
【フッフッフッ……お気に召したかな……サンミュトラウスの最下層ラム・エギドに漂う、我が故郷の空気は……。貴様等がこれまでに経験したことがないほど、穢れに満ちているだろう。満足に、手足も動かせないほどにな……フッフッフッ】
恐らく、これが魔の世界の瘴気というやつなのだろう。
(ラーのオッサンが以前言っていた通り……魔の世界と、この世界は勝手が違うようだ。にしても……まさか、これほどの瘴気だとは……こんな状況では、戦闘なんてまともに出来ないぞ……)
俺はそこでアシュレイアに視線を向け、奴の出方を窺った。
するとアシュレイアは、悠々とした足取りで不気味な玉座に歩み寄り、そこに腰を下ろしたのである。
(なんだ……なぜ椅子に腰かける。なにをするつもりだ……)
レヴァンはそこで玉座の脇に控え、跪いた。
主従の関係がしっかりとできているようだ。
まぁそれはさておき、腰を下ろしたアシュレイアは、俺達に視線を向け、優雅に話を始めた。
【さて……このまま、身動きの出来ないお前達を始末しても構わんが……その前に1つだけ、確認をしておくとしよう】
アヴェル王子が声を荒げる。
「か、確認だとッ! 今更、何を確認するというのだ!」
【フッ、貴様に用はない。私が用があるのは……コータロー……お前だ】
「俺に用……なんだ、一体?」
【このまま死んでは、後悔もできぬだろうからな……今の内に訊いておこう。コータローよ……私に仕える気はないか? お前ほどの者をみすみす殺してしまうのは、少々、勿体無いのでな。こちらに寝返る気があるのならば、それ相応の椅子は私が用意しよう】
これを聞き、ドラクエ1を思い出したのは言うまでもない。
(正直、この展開は予想してなかったが……今の状況じゃ、戦闘は不味い。とりあえず、交渉はするとしよう)
俺はなるべく平静を装いながら、奴の勧誘に付き合う事にした。
「へぇ……ちなみに、どんな椅子を用意してくれるというんだ?」
【お前には、我が参謀としての地位を用意しよう。どうだ、悪い話ではあるまい】
「確かに……そんな悪い話ではないね。でも、いいのかい。魔物でないモノを招き入れて」
【フッ……私はそんな事には拘らぬ。私に忠誠を誓う者は、広く受け入れるつもりだ。其方のような、この世界の民でもな】
「そうか。じゃあ、どうするかなぁ……」
と、その直後、アーシャさんのお叱りの声が聞こえてきたのである。
「コ、コータローさん……貴方、何を言ってるんですの! 魔物の元になんて行かせませんわよ! 目を覚ましなさいッ!」
続いて他の皆も。
「コータローさんッ! ここにきて何を言ってるんですかッ!」
「おい、コータロー! 何、馬鹿な事を言ってる!」
「気でも違ったか、コータローさんッ!」
この反応は当然だろう。
まぁそれはさておき、俺は皆を無視して話を続けた。
「返事をする前に、幾つか聞きたい事がある」
【ほう……申してみよ】
「以前、ヴィゴールが、アンタの事を魔の世界の大公と言っていたが、他にも大公はいるのかい?」
【フッ……おかしなことを聞いてくる奴だ。が、まぁいい。答えてやろう。お前の言う通り、サンミュトラウスには私を含め、5名の大公がいる。それぞれが、サンミュトラウスの各地域を支配する王だ】
「ということは、ラミナスを滅ぼしたのも、その中の誰かって事かい?」
【フッ、その通りだ。言っておくが、もうこの世界の半分は、我等の手に落ちている。そして、ここを含め、他の地も、あと少しで我等の支配域となろう。……私の言っている意味が分かるな。もうこの世界は、我等のモノになりつつあるのだよ。遅かれ早かれ、お前達は負けるのだ。我等の元に来るのが、賢明な判断だと思うがね】
「なるほどね……じゃあ、もう1つ聞いておこう。アンタは自らの手勢で、この国を支配しようとしているようだが、他の大公達とは連携はしないのかい?」
【連携だと……馬鹿馬鹿しい。なぜそんな事をせねばならぬのだ。我等は我等のやり方で、この地に侵攻し、そして、支配するだけよ】
アシュレイアはそう言って、少し憮然とした表情を浮かべた。
少々気分を害したようだ。が……この様子を見る限り、そこまでの仲間意識はないのかもしれない。
「なるほどね。どうやら、他の大公達とは、それほど仲が良いというわけではなさそうだ。ついでだから、これも訊いておこう。……魔の世界には、アンタ達大公以上に大きな存在はいるのかい?」
するとアシュレイアは、目を細め、真顔になったのである。
【……何が言いたい】
「ただ思った事を口にしたまでだよ。それと……その口ぶりだと、どうやらいるみたいだね。ちなみに、その大公以上の存在は何て呼ばれてんだい?」
【貴様……】
アシュレイアは射抜くような鋭い視線を俺に投げかけていた。
どうやら、地雷を踏んだようだ。
俺達の間に、暫し無言の時間が過ぎてゆく。
程なくしてアシュレイアは、不気味に微笑んだ。
【フッフッフッ、なるほどな。そうやって交渉するフリをしながら、我等の情報を引き出すつもりか。愚かな……お前は今の状況を分かっておらぬ。身体も満足に動かせないこの状況で、お前達に何が出来るというのだ。フッ……まぁいい。これ以上の交渉は終わりだ。答えを聞こうか……コータロー】
「まぁ確かに、俺達は圧倒的不利な状況だ。このまま戦ったところで、俺達は成す術無く、やられてしまうだろう。生き延びる為には、寝返った方が良いのかもしれない」
皆から非難の声が上がる。
「コータローさん!」
「なんだと、コータロー!」
「裏切るつもりか、コータローさん!」
そんな中、ラーのオッサンの囁く声が聞こえてきたのである。
「コータロー……来たぞ」
と、そこで、アシュレイアが確認してきた。
【ほう……という事は、こちらに来るという事か?】
俺は某漫画家の如く、交渉を打ち切ることにした。
「アンタと仲間になるのも悪くない選択のようだ……だが、断る! 俺は魔物に魂を売り渡してまで、生き延びようとは思わないんでね」
【フッ……交渉決裂だな。ならば仕方ない。終わりにするとしよう】
するとアシュレイアは、そこでまた印を組み、奇妙な呪文を唱えたのであった。
【ヨーディ・ヨーチ・ベルモ・シガ・ワール! いでよ、我が下僕達よ!】
と、次の瞬間、辺りに漂う深紫色の煙が怪しく輝き、雷鳴のような轟音と共に、幾つもの黒い渦がアシュレイアの前に出現したのである。
それはまるで、鳴門の渦潮の如く、螺旋を描いていた。
黒い渦は次第に大きくなってゆき、そこから黒煙が立ち昇る。
そして、黒煙の中から大きな何かが、瞬間移動でもしてきたかのようにフッと現れたのである。
黒煙はそこで霧散し、その正体が露になった。
(コ、コイツ等は……)
渦から現れたのは魔物であった。
だが、俺はその魔物を見た事により、愕然とした気分になったのである。
なぜなら、そこに現れたのは、ゲームでもラストで現れる強力な魔物達だったからだ。
緑色の肌をした1つ目の巨人・ギガンテス。5つの頭を持ち、紫色の鱗に覆われた巨竜・キングヒドラ。三つ又の槍を持ち、牛のような顔をしたピンク色の巨大な悪魔・アークデーモン。それらが複数体現れたのである。
(あぁ……とうとう、こんなのが出て来た……ハッキリ言って、今の俺達のレベルでは太刀打ちできる魔物ではないぞ。ほ、本当に大丈夫なんだろうな……もうこうなったら、ラーのオッサンを信じてやるしかない)
そこでアシュレイアは俺に視線を向け、歪んだ笑みをこぼした。
【フッ……アヴェラス城より、我が精鋭をこちらに召喚した。この者達だけでも十分、其方達を始末する事ができるが……念には念を入れておくとしよう。ヨーディ……ヨーダ・ラーカ……】
アシュレイアは呪文を唱えながら、また印を幾つか組み始める。
と、その直後、またもや床が怪しく輝き、今度は奴の足元に黒い渦が発生したのである。
(な、なんだ一体……奴の足元に渦がある。また強力な魔物を召喚するのか……)
黒い渦から、先程と同じように黒煙が立ち昇り、奴の身体を覆っていった。
すると程なくして、禍々しい邪気と共に轟音が鳴り響き、物凄い閃光が放たれたのである。
俺は、そのあまりの眩しさに、思わず目を閉じた。
「キャァァ」
「なんだ、この光は! グッ」
眩い光は徐々に消えてゆく。
辺りには不気味な静寂と共に、今まで以上に邪悪な気配が漂っていた。
俺は恐る恐るアシュレイアの方へと視線を向ける。
(なッ!?)
そして、俺は奴の姿に恐怖したのである。
そこには、6つの手を持つアシュレイアが佇んでいた。
奴の手は阿修羅のように、左右に3本づつ生えている。が、全てが同じ手ではない。
人間のような手や竜のように鱗がついた手、そして、堕天使を思わせる大きな黒い翼の手といったモノが生えているのである。
変化はそれだけではない。奴の身体自体も2倍以上になっていた。しかもその上、奴の全身は、赤く輝くオーラで包まれており、それがとんでもない魔力の波動を放っているのである。
先程の姿の時とは、比べモノにならない魔力の強さであった。
俺は今の奴を見ただけで、身体を小刻みに震わせ、金縛りにあったような感じになっていた。
他の皆も俺と同様、信じられないモノを見るかのように、大きく目を見開き、プルプルと身体を震わせていた。
アヴェル王子も何かを言おうと口を動かしていたが、声になっていなかった。
それはウォーレンさんやシャールさんにしても同様だ。
恐らく、皆も本能で悟っているのだろう。コイツがとんでもない化け物だという事を……。
(な、なんだよ、コイツの魔力は……桁違いじゃないかッ。コイツはヤバい……さっきよりも遥かにとんでもない魔力を感じるぞ……もう絶望しか感じない)
アシュレイアの目が赤く輝く。
【フフフッ……これが私の本来の姿だ。容赦はせん……徹底的にやらせてもらう】
俺達を全力で叩き潰すつもりのようだ。
獅子は兎を捕らえるにも全力を尽くす、を実行するのだろう。
俺はそこで奴に言った。
「アシュレイア……アンタは強すぎる。ハッキリ言って、今の俺達では相手にすらならないだろう。いやそれどころか、この魔物達ですら、俺達は太刀打ちできない。それは素直に認めるよ」
アシュレイアは俺を睨みつける。
【その口ぶり……油断ならぬな。この状況をひっくり返す策があるというのか? ヴィゴールの時とは違うぞ】
「……策はある」
俺は右手に持つ光の杖の後端部を床に着けた。
「上手くいくかどうかは、俺もわからない。アンタはおろか、そこにいるアークデーモンやギガンテス、キングヒドラにすら、効果があるのかどうかもわからない。でも……俺はこれを計画した者の言葉を信じて、それを実行するよ」
俺はあえて魔物の名を口にした。
役目をこなす隙を作る為である。
アシュレイアは今の言葉を聞き、眉根を寄せた。
【貴様……なぜ、この者達の種族名を知っている! 一体、何者だ!】
ラーのオッサンは最後の打ち合わせで、こう言っていた。
―― ヴァロム殿がリュビストの結界を起動した後、お主は光の杖の後端をどこでもいいから床に当てるのだ。そして、先程教えた稼働呪文を唱えよ。さすれば浄化の結界は、本来の働きを取り戻す ――
俺は与えられた役目をこなすことにした。
【リューズ・メイティナ・ノウン・リュビスト】
呪文を唱えた、次の瞬間!
俺の右腕に装備した黄金の腕輪が淡い光を放ち、増幅された大きな魔力が光の杖に注がれたのである。
続いて、光の杖の先端部にある水色の宝石から青白い光線が放たれた。
と、その直後、この空間全体が黄金色にキラキラと輝きだしたのだ。
それに伴い、この空間に変化が現れる。
なんと、床に漂っていた深紫色の煙が、部屋の中心で渦を巻き始めたのである。
アシュレイアの驚く声が聞こえてくる。
【グッ……なんだこの光はッ!】
光は強さを増してゆく。
渦を巻く煙のスピードも速くなり、周囲に満ちていた邪悪な気配が消え始めていた。それだけではない。それと入れ替わるかのように、神聖な気配が、辺りに満ちてきたのである。
おまけに身体も段々と軽くなってきた。
それはまるで、徐々に重石が軽くなっていくかのような現象であった。
反対に魔物達は、苦悶の表情を浮かべていた。
流石のアシュレイアも、この状況を前にして険しい表情であった。
【グッ……なにィッ! リュビストの結界が動いているだとッ! そんな馬鹿な事がある筈……グァァァ】
【ギィィエェェェ】
【ウガァァ】
魔物達の悲鳴がこの空間内に響き渡る。
と、ここで、ラーのオッサンの声が聞こえてきた。
「よし……上手くいったぞ。浄化の結界は、これで完全に動き始めた。この空間に漂う魔の瘴気も、全部、奴等の世界へと戻ってゆくだろう」
それを裏付けるかのように、魔物達に異変が現れた。
なんと、アークデーモンやギガンテス、そしてキングヒドラは、濁流にのみ込まれるかのように慌てふためきながら、渦に吸い込まれていったのである。
どうやら、このリュビストの結界は、不純物を取り除く作用があるのだろう。
だが、それに抗おうとしている者が1名いた。アシュレイアである。
アシュレイアは必死の形相で印を組み、またあの呪文を唱え始めたのだ。
【オノレェェ! させるかァァ! ケーラ……ヒーカツィ・ヨガーク・ラー……】
するとその直後、渦を巻く煙のスピードが弱まっていったのである。
それから程なくして、渦は形を保ったまま、止まってしまった。
とはいえ、渦は完全には止まってはおらず、ピクピクと震えている感じであった。
それはまるで、相反する2つの力が、押し合い引き合いを繰り返しているかのようであった。が、しかし……程なくして渦は、少しづつ逆回転し始めたのである。
(あら……渦が逆に動き始めた。これはもしかして……奴の魔力に負けてる?)
今度はオッサンの驚く声が聞こえてきた。
「むぅぅ……なんという奴だ……己の魔力で、結界を元に戻そうとしておる。あのアシュレイアとかいう魔物……まさか、これほどの魔力があるとは……不味いぞ……」
どうやらこれは、ラーのオッサンも予想していなかった事態のようだ。
不安になってきたので、俺は小声で確認した。
「オイ……不味いってどういう事だよ」
「決まっておろう……魔物を封印できぬという事だ。このままだと、魔物達を魔の世界に帰せぬぞ。あの魔物をなんとかせん限り、浄化の結界は完成しない……」
「え? ……それって、つまり……」
「そうだ、コータロー。お前達で奴を何とかしろ。今の奴は、魔力の大部分を結界の発動へと割いてる。おまけに、浄化の結界も発動しているこの状況だ。恐らく奴は、本来の力は使えまい。うまくいけば、お主達で何とかなるやもしれん。2つの結界は今、互いに凌ぎを削っている。この均衡が崩れれば、あの魔物を魔の世界へと帰す事ができる筈だ」
「はぁ……やっぱり、そんな展開か。でも、俺がやっている役目はどうすんだよ」
「後は我が何とかしよう。これだけ光の力が満ちておれば、もう十分だ」
「なんとかするって……杖と腕輪はどうすんだよ。全部、ここに置いてけばいいのか?」
「杖は必要ない。ラーの鏡と黄金の腕輪だけをこの場に置いてゆけ。それで結界は操れる」
俺はこの言葉を聞き、今ままでの疑念が確信に変わった。
(そういうことか……まぁうすうす、そうじゃないかとは思ってたけどね……)
「わかった。なんとかやってみるよ」
「うむ。頼んだぞ」
「こちらこそ、頼んだよ。精霊王のオッサン!」
「え? って……オッサンて言うなァァ」
というわけで、俺は3つの道具を床に置き、行動を開始したのである。
[Ⅱ]
ラーのオッサンはその後、巨大な鏡へと変化した。
鏡の中心には、光り輝く後光のようなモノが映り込んでおり、その何かが、黄金の腕輪を宙に浮かせ、結界を持続させていた。
(この結界はもう、完全に俺の手を離れた。あとはオッサンに任せよう……)
俺は魔光の剣を装備し、皆に視線を向けた。
すると、この展開についていけないのか、皆は呆然と立ち尽くしていたのである。
というわけで、まずは皆に、現実へと戻ってもらう事にした。
「皆ッ! リュビストの結界が発動したことによって、敵はもうアシュレイアとレヴァンだけです! そして、俺達を動けなくしていた魔の世界の瘴気も、かなり薄くなりました。戦うなら、今ですッ! この結界の力で、アシュレイアは本来の力を発揮できません。今のアシュレイアならば、俺達でなんとかできる筈です!」
皆も状況を察したのか、真剣な表情になり、無言で首を縦に振った。
アヴェル王子とレイスさん、それと、シェーラさんにルッシラさんは剣を抜く。
同じくして、ウォーレンさんとシャールさんも杖を構え、臨戦態勢へと入った。
俺はそこで他の4人に言った。
「フィオナ王女とアーシャさん、それからサナちゃんとアルシェス王子は、危険ですのでここから離れてください」
だが、アルシェス王子以外の3人は頭を振ったのである。
「いいえ、私も戦います。今は、この国の一大事なのです。女も子供もありませんわ」
「そうですわよ。なに言ってるんですの、コータローさん。私も戦いますわよ。貴方が戦うというのに、私だけ安全な所で見ているわけにはいきませんわ」
「私も戦います。今まで逃げてばかりでしたけど、もう逃げたくはないです」
フィオナ王女とアーシャさん、サナちゃんは覚悟を決めたような意志の強い目をしていた。
「わかりました。ですが、無理は禁物ですよ。3人は後衛に回って、魔法で俺達を援護して下さい」
3人は真剣な表情でコクリと頷く。
そんな中、アルシェス王子が弱々しく、ボソリと言葉を発したのである。
「じゃ、じゃあ……僕は君の言う通り、後ろで見守らせてもらうよ」
「それで構いませんよ。ですが、その前に……」
俺はそこで魔導の手を使い、アルシェス王子の眼鏡を外しておいた。
「あ!? ……僕の眼鏡が」
国王がサークレットで操られていた可能性があるので、これはその為の予防措置であった。
(この眼鏡がそうかどうかはわからないが、今は少しでも、懸念を取り除いておくに越したことはない……)
眼鏡を回収したところで、俺は一応、アルシェス王子に謝罪しておいた。
「すいません、アルシェス王子……今は緊急事態ですので、この眼鏡は預からせてもらいます」
「え、でも……」
「理由は、この戦いが終わったら、お話しします。では、下がってください」
「わ、わかったよ……じゃあ、頑張ってくれたまえ」
そしてアルシェス王子は、そそくさと戦列を離れていったのである。
(逃げ足、早ッ! ……まぁいっか。さて、では始めるとしよう)
俺は魔光の剣に魔力を籠め、ライトニングセーバーを発動した。
「行きましょう、アヴェル王子」
「ええ」――
俺はアヴェル王子達と共に、アシュレイアへと慎重に近づいていった。
と、ここで、アシュレイアは苦虫を噛み潰したような表情になり、レヴァンに指示を出したのである。
【チッ……仕方がない。レヴァン! 計画変更だッ。あの杖を使い、奴等の相手をしてやれ!】
【ハッ、アシュレイア様】
レヴァンは返事をすると、俺達の前に立ち塞がり、歪な形をした黒い杖を取り出した。
その杖は岩のように表面がゴツゴツしており、先端にはソフトボール大の深紫色の玉が付いていた。
見るからに邪悪な意思を感じる杖である。恐らくこれが、アシュレイアが言う『あの杖』なのだろう。
俺達はそこで歩みを止め、武器を構える。
するとレヴァンは、そんな俺達を見て、歪んだ笑みを浮かべたのである。
【クックックッ……ここからは、私が諸君等の相手をしよう】
アヴェル王子は声を荒げた。
「我等を前に、貴様だけで何が出来るというのだッ! この裏切り者がッ!」
【それができるんですよ。その代わり……私はもう、この世界の民ではなくなってしまいますがね。論より証拠です。我が転生した姿をとくと目に焼き付けるがよいッ! 身も心もサンミュトラウスの戦士となり、貴様等を始末してくれるわッ!】
レヴァンは黒い杖を頭上に掲げた。
杖が怪しく輝き、先端の玉から深紫色の霧が発生する。そして、奴の身体を包み込んでいった。
と、次の瞬間! 禍々しい深紫色の光が放たれ、奴の姿が露になったのだ。
レヴァンは青白い肌をした魔人となっていた。
アシュレイアに似たタイプの人型の魔物で、額には鬼のような角が2つあり、口には吸血鬼のような犬歯が見え隠れしている。
また、教皇の衣の袖部分が破れていることもあり、その異様な腕に目が留まった。
なぜなら、奴の腕はカラスのような黒い翼となっており、その先端に伸びている手の指先には、鋭利な爪が伸びているからである。
胴体と足の形状は、奴が教皇の衣を纏っていることもあり、ここからではよくわからない。が……2本足で立っているところ見ると、恐らく、人間に近い体型なのだろう。
アシュレイアと同様、ゲームでは見た事がない魔物であった。
今のレヴァンを何かに例えるならば、ギリシャ神話に出てくるハルピュイアと呼ばれる怪物だろうか。とにかく、そんな感じの魔物になって現れたのである。
レヴァンは翼を大きく広げ、咆哮を上げる。
【グォォォォン! アシュレイア様の邪魔はさせぬッ! 八つ裂きにしてくれるわッ!】
そして奴は俺達に向かって翼を羽ばたかせ、強烈な風を巻き起こしたのであった――
Lv63 狭間の門( i )
[Ⅰ]
レヴァンは左右の翼を勢いよく羽ばたかせ、強烈な風を巻き起こした。
風は唸り声をあげて俺達に襲い掛かってくる。
と、その直後、前目の位置にいたシェーラさんとウォーレンさん、そしてルッシラさんが、その風によって、後方へと一気に吹っ飛ばされたのである。
「キャァァ!」
「ウワァァァ」
「何ィッ!」
3人は30mくらい後方の壁に激突し、床に落ちてきた。
一時的にに戦列を離れる形になったので、ある意味、DQⅥのトロルとかが使う『つきとばし』のような効果である。
他の者達はなんとか踏ん張っていた。
俺とシャールさんは、前衛が壁になる位置にいたので、今の攻撃からはなんとか逃れた格好である。
フィオナ王女とアーシャさん、それとサナちゃんは少し離れた位置にいた為、風の影響はそれほどないみたいであった。
(あの攻撃……結構厄介だな。気を付けなければ……)
レヴァンが愉快そうに口を開いた。
【クククッ……これはほんの挨拶代わりだ。次は面白い魔法を使ってやろう……イシュマリアでは誰も見た事のない魔法をな……喰らうがいい!】
レヴァンは胸の前で両手をクロスした。
【バギクロス!】
呪文を唱えた次の瞬間、奴は両腕を目一杯に広げたのである。
奴の前に、X状にクロスする強烈な2つの竜巻が発生する。
その2つの竜巻は、勢いよく、俺達へと襲い掛かってきた。
アヴェル王子にレイスさん、そして、俺とシャールさんは、成す術無く、竜巻の餌食となってしまった。
竜巻の中は強烈な風の刃が吹き荒れており、俺達を縦横無尽に切り刻んでゆく。
「グァァァ!」
「キャァァ」
「何よ、この呪文は……」
「グッ……これが、バギクロスか……」
そして2つ竜巻は、俺達を散々斬りつけた後、役目を終えたかのように消えていったのである。
直撃を受けた俺達は、肩で息をしながら、そこで片膝を付いた。
俺達4人はバギクロスによる深い切り傷が、至る箇所に出来ていた。
特に前衛の2人は酷く、顔や腕から真っ赤な血が滴っている。それが、今の攻撃の凄惨さを物語っていた。早く治療しないと不味い状態である。
レヴァンの嘲笑う声が響き渡る。
【ククククッ、どうだ、バギクロスの威力はッ! お前達の使う貧弱な魔法とは、一味違うだろう。クハハハッ】
俺は急いで、後ろの3人に指示をした。
「フィオナ王女にアーシャさん、それとサナちゃんは、皆の回復をお願いします!」
「は、はい」
「わかりましたわ」
3人はベホイミと祝福の杖で、前衛の回復を始めた。
(まさか、バギクロスを使ってくるとは……厄介な敵になったもんだ……)
続いて、レイスさんとアヴェル王子がレヴァンへ攻撃を開始した。
2人は一気に間合いを詰め、掛け声と共に、レヴァンへ力強く剣を振るう。
「許さんぞッ! この裏切り者がァッ!」
「デヤァッ!」
レヴァンはニヤリと笑い、翼を広げて飛翔した。
その刹那、2人の剣は空を斬る。
そして、レヴァンは少し離れた位置に舞い降りたのである。
【クククッ、単純な奴等だ。今までの私と思うなよ、このマヌケがッ!】
「オノレ……」
「チッ、素早い……」
アヴェル王子とレイスさんは、悔しそうに下唇を噛んだ。
魔物に転生した事で、奴の能力は飛躍的に上がったのだろう。
(今の奴を考えると、魔法攻撃が最善の手か……じゃあ、コレを使って奴等の反応を見てみるとしよう……)
俺は光の杖を真上に掲げ、呪文を唱えた。
【ライデイン!】
雷球が発生し、雷の矢が、レヴァンと、玉座に腰掛けるアシュレイアに直撃する。
【グッ!】
レヴァンは苦悶の表情を浮かべ、顔を歪めた。が、しかし……アシュレイアは直撃したにもかかわらず、平然と呪文詠唱を続けていたのである。
恐らく、ライデイン程度の呪文では、焼け石に水状態なのだろう。
(予想はしてたが、やはり、アシュレイアにはこの程度の呪文では駄目か……何か、もっと強力な攻撃方法をとらないと、奴の結界魔法は止められそうにない……ン?)
と、その時であった。
アシュレイアは呪文詠唱を止め、自身の正面とレヴァンに向け、左右の竜の手を突き出したのである。
その直後、部屋の中心で渦巻く煙は、元の回転へと戻り始めた。
ちなみにだが、黒い翼の手はそのままで、人間の手は印を組んだままであった。
(竜の手だけを自分の正面とレヴァンに向けた……奴は一体何をするつもりだ?)
アシュレイアの口が動く。
【マホカンタ!】
呪文を唱えた次の瞬間、自身の正面とレヴァンの前に、青白く輝く半透明の丸い何かがフッと一瞬だけ現れ、消えていった。
それはまるで、ガラスの板が一瞬だけ現れたかのような現象であった。
(チッ……ここでマホカンタかよ……なんて厄介な……)
【レヴァンよ、奴等の魔法は気にせず、存分に戦うがよい】
【ハッ、アシュレイア様】
そして、アシュレイアは呪文詠唱を再開したのである。
この戦況変化に、俺は溜息を吐きたい気分であった。が、これのお陰で、少しわかったこともあった。
それは何かというと、奴が呪文詠唱を中断した途端、リュビストの力に押されたということだ。
これが意味するところは1つである。
(マホカンタは厄介だが……奴は今、気の抜けない状況と見て良さそうだ。とりあえず、この状況に合わせて、戦いを進めないと……って、アアッ!?)
そこで予想外の事が起きた。
なんと、シャールさんの全身が、オレンジ色に淡く発光したのである。
(こ、これは魔生の法! 不味いッ!)
俺は慌てて叫んだ。
【シャールさん待ってッ! 魔法を使うのは不味いッ!】
だが、俺の静止は間に合わなかった。
俺が叫ぶと同時に、シャールさんの正面にメラミと思われる火球が1つと、ルカニと思われる紫色の霧が現れたからである。
それら2つの魔法は、俺が制止する間もなく、レヴァンへと放たれた。
そして、その直後、奴の正面が青白く輝き、魔法は俺達へと跳ね返されてしまったのである。
跳ね返されたメラミの火球は、アヴェル王子へと襲い掛かる。
続いて、俺の周囲には、跳ね返された紫色の霧が纏わりついてきた。
そう……つまり、俺とアヴェル王子が、シャールさんの魔法を受ける羽目になってしまったのだ。
メラミに焼かれ、アヴェル王子は苦悶の表情を浮かべた。
「グァァ!」
時を同じくして、俺は守備力の低下被害を被る事となった。
全くもって、残念な展開である。
この現象を前にして、シャールさんは顔を顰めていた。
「な、なんで、魔法が跳ね返されるのよッ!?」
俺は大きな声で忠告をした。
【シャールさん……いや、皆、聞いてくださいッ! レヴァンとアシュレイアに魔法は厳禁ですッ! 今、アシュレイアが使ったマホカンタという魔法は、全ての魔法を跳ね返してしまいます。こうなった以上、物理攻撃主体の戦い方に切り替えるしかないです】
皆は驚きの声を上げる。
「なんだって!?」
「魔法を跳ね返すですって!?」
続いて、なぜかレヴァンも。
【おお……なるほど。今のは、魔法を跳ね返す呪文なのですね。流石はアシュレイア様だ。これは心強い。しかし……】
レヴァンはそこで言葉を切り、俺に鋭い視線を向けた。
【それにしても、貴方は物知りですね……先程のアークデーモンやギガンテスの事といい、この魔法の事といい……一体何者なのですか? その調子だと、失われた古代の魔法の事も、かなり知ってそうですね。まさか、イシュマリアに、こんな奴がいるとは思いませんでしたよ】
動揺を悟られないように、とりあえず、ケイシー・ラ〇バック調で答えておいた。
「俺か? 俺はただの魔法使いさ」
【ただの……クククッ、喰えない奴だ。まぁ良いでしょう。何れにしろ、今の状況ですと、貴方が一番危険な気がします。ですから、まずは貴方を排除する事にしましょうか!】
レヴァンはそう告げるや否や、俺に向かって翼を大きく広げ、先程のように強烈な風を巻き起こした。
だが、この攻撃が来るのを予想していた俺は、その前に魔導の手を使い、天井にある出っ張り部分へ見えない手を伸ばしていた。
そして、それを命綱にして、奴の暴風を凌いだのである。
【チッ……小賢しい奴だ】
レヴァンは面白くなさそうに、眉間に皺を寄せた。
ちなみにだが、俺の身体は鯉のぼりのように浮き上がったが、それ以上後退することはなかった。魔導の手様様である。
(とりあえず、なんとか凌いだが……奴がいる限り、アシュレイアには簡単に近づけそうにない。まずは奴を何とかしないと……。今のレヴァンに対抗するには、基礎能力の底上げしかない……)
というわけで、俺はまず、素早さを上げる呪文を唱えた。
【ピオリム!】
仲間全員に緑色の霧が纏わりつく。
続いて俺は、後方の2人に指示をした。
「アーシャさんとサナちゃんは、レイスさんとアヴェル王子にスカラをお願いしますッ!」
彼女達はコクリと頷き、指示通り動いてくれた。
【スカラ!】
前衛の2人に、守備力を上げる青い霧が纏わりついてゆく。
そして、アヴェル王子とレイスさんは、レヴァンへ攻撃を開始したのである。
スピードが更に強化された事もあり、2人の動きはかなり俊敏であった。
「デヤァ!」
「セアァァ!」
【グッ……】
レヴァンも流石に避けきれず、2人の斬撃を受けていた。
とはいえ、奴の素早さや守備力もかなり高い為、完全には入ってない。恐らく、そこまでのダメージは望めないだろう。
【チッ、オノレェェェェッ!】
レヴァンは左右の翼で弧を描くように、2人へと反撃した。
風圧を伴う攻撃の所為か、アヴェル王子とレイスさんは派手に吹っ飛ばされる。
「なッ……ウワァァッ」
「グアァァ」
そして、その直後、レヴァンは翼を更に大きく仰ぎ、俺達に向かって、またもや暴風を巻き起こしたのである。
【クハハハッ、下がれ下がれ、愚か者共よ! アシュレイア様の邪魔はさせぬわ!】
轟々と音を立て、風が吹き荒れる。
だが、今の奴が巻き起こす風は、台風のような風圧なので、飛ばされるような事はなかった。
とはいえ、まともに立っていられないほどの風ではあった為、俺達は後退を余儀なくされた。
アヴェル王子は悔しそうに呟く。
「クッ……これでは近づけない……」
と、そこで、戦列を離れた者達がカムバックしてきた。
ウォーレンさんが腕で風除けをしながら、険しい表情で俺に訊いてくる。
「どんな状況だ、コータロー」
「残念ですが、形勢はよくないです。アシュレイアが魔法を跳ね返す呪文を唱えてから、奴等の流れになってます」
「ま、魔法を跳ね返すだと……なんて厄介な……」
「という事は、武器による攻撃しか奴にはできないのね……」と、シェーラさん。
「ええ、そうなります」
アヴェル王子はそこで俺に視線を向けた。
「コータローさん……何か良い手はないですか?」
良い手は無い……というのが正直なところであった。
今の俺達が取れる方法は1つだけだ。が……それを行ったとして、効果があるのかどうかさえ怪しい。それに加えて、俺はさっきから感じる奇妙な違和感を拭えないでいた。その為、俺はその方法を取る事に、少し躊躇しているのである。
しかし、俺達に残された時間はそれほど無い。悠長に構えている内に、奴の結界魔法が完成してしまうからだ。
(この部屋に入ってから、ずっと違和感があるが……それを考える時間がない。もうイチかバチかで、やるしかない、か……)
俺はアヴェル王子に耳打ちをした。
「それなんですが、アヴェル王子にお頼みしたい事があるんです」
「頼み……なんですかそれは?」
「今から俺と共に、アシュレイアに直接攻撃をしてほしいのです。但し、デインの魔法剣を行使して、ですが……」
「デインの魔法剣で直接攻撃……」
「今のこの状況を打破するには、アシュレイアが行使している結界魔法を止める以外にありません。上手くいくかどうかはわかりませんが、俺達が奴に直接攻撃するしか、現状、方法がないのです」
アヴェル王子は疑心暗鬼な眼差しを俺に向ける。
「そんな事……できるんですか? 今のレヴァンはかなり厄介ですよ。レヴァンを倒さずに、奴の所に行くのはかなり厳しいのでは……」
「レヴァンの相手は、俺達以外の皆にお願いするしかないでしょう。何れにしろ、この事態を打開するためには、やれる事をする以外にありません」
「ですが、コータローさん……レヴァンの注意を逸らせたとしても、あのアシュレイアという魔物は、俺と貴方だけでは絶対に倒せませんよ。貴方が発動した結界のお陰で、奴も本来の力は出せないかもしれないが、それでも、あのとんでもない魔力の波動は、まだまだ健在です。それと、これは俺の見立てですが……あのアシュレイアという魔物は、俺達が束になっても、いや……イシュマリアの全魔導騎士を向かわせたとしても、倒せない気がします。さっきの奴を見て……俺はそう思いました。悔しいですが……俺達は敵の力量を見誤っていたんですよ。まさか……あんな魔物がいるなんて……」
アヴェル王子は消え入りそうな声でそう告げると、力なく肩を落とした。かなり憔悴した表情であった。
まぁこうなるのも無理はないだろう。
他の皆も戦い続ける気力はあるが、ホントは内心、こう思ってるに違いない。
だが……今すべき事は、それではない。
「勘違いしてるようなので言いますが……倒す必要はありませんよ、アヴェル王子」
アヴェル王子は眉根を寄せる。
「え? 倒す必要はない……どういう意味ですか、それは……」
「俺達が一刻も早くしなければならないのは、アシュレイアの結界魔法を止める事なんです。そうすれば奴等は、俺が発動させたリュビストの結界によって、魔の世界へと帰るしかなくなります。ですが、今、リュビストの結界は奴の結界魔法によって少しづつ押されています。このままでは、リュビストの結界は完成しません。それどころか、またさっきの状況に逆戻りです。ですから、一刻も早い対処が必要なのです」
アヴェル王子はそこで、アシュレイアと巨大化したラーの鏡に視線を向けた。
「そ、そういうことか……」
「恐らく、奴の結界術は、あの2つの手が組む印が肝なんだろうと思います。それを解く事ができれば、一気に流れは変わる筈です。そして……それが可能な手段は、魔法が使えない現状だと、デインの魔法剣だけなのです」
「それはわかりましたが……デインの魔法剣は、奴に効果があるのですか? ヴィゴールには効果がありましたが……」
「奴は俺がライデインを使った直後、マホカンタを自分とレヴァンに使いました。それを見る限り、恐らく、多かれ少なかれ効果はあると思います。でなければ、自分にまで掛ける必要がないですからね。それとこれも言っておきましょう。ライデインはデインを強化した魔法なので、同じ系統の魔法です」
アヴェル王子は目を大きくした。
「え? そうなのですか?」
「ライデインとデインは同じ系統の魔法です」
「という事は……コータローさんも我々と同じ魔法を使えるのですか?」
「今まで黙ってましたが、使えます」
「そうだったのですか……では、その件については後で訊かせて貰うとして、今は奴の対処を優先しましょう」
俺の言葉を聞き、アヴェル王子は目つきが変わった。
少しは希望の光が見えたからだろう。
「コータローさん、どうするといいですか? 貴方の指示に従います」
俺はそこで、床の中心で渦巻く紫色の煙をチラッと見た。
煙はゆっくりとではあるが、逆回転を続けていた。かなり良くない兆候である。
(チッ、不味い……アシュレイアの魔力に押され続けている。見た感じだと、あと数分しか持たなそうな感じだ。なんとかして、早く奴の魔法を止めないと……)
レヴァンに視線を向けると、今も尚、俺達を近づけまいと翼を豪快に仰いでいた。
あの調子だと、まだまだ仰ぎ続けられそうな気配である。
俺はアヴェル王子に耳打ちした。
「王子……まずは皆と共に、レヴァンの相手をするフリをしてください。敵を騙すには、まず味方からです。それから、頃合いを見計らい、光の剣を使って、奴等の隙を突きましょう」
「目くらましをするという事ですか?」
「ええ。あの強烈な光を浴びれば、例え、目くらましが失敗したとしても、奴等の視界は一時的に死角ができることになります。そこを突いて、アシュレイアへ一気に接近するしかないです」
「アシュレイアへ攻撃するのは我々だけで?」
「ええ、我々だけです。あまり人数をかけると、いくら目くらましをしたとはいえ、レヴァンも流石に気づくかもしれませんので」
「ですが、今のレヴァンは素早いですよ。我々の動きについてくるかもしれません。それに、これだけ翼を仰がれると、近づくのは至難の業です」
「奴の仰ぐ風は確かに厄介ですが……強風なのは正面だけです。なので、目くらましをした後は、風が弱い左右のどちらかから近づくしかありません。それと素早さですが、それについてはこれで対処します……ピオリム!」
俺達全員に緑い色の霧が纏わりついてくる。
3度の重ね掛けを施したので、皆の身体は緑色のオーラを発しているかのようであった。
つまり、俺達は今、かなり素早さが上がっているということである。恐らく、倍以上の底上げはされてるに違いない。
「先程のアヴェル王子とレイスさんの戦いを見る限り、これだけピオリムを使えば、レヴァンの素早さにも、そうそう後れを取ることはないでしょう」
「確かに……では行きますか?」
「ええ。まずは皆と共に戦うフリです。それから、私が合図を送ったら、光の剣を使ってください」
アヴェル王子は首を縦に振ると、大きく息を吸い、声高に告げた。
【皆、気を緩めるな! 幾ら魔物になったとはいえ、レヴァンの体力も無限ではない。いつまでもこんな風は起こせ続けない筈だッ!】
レヴァンの嘲笑う声が聞こえてくる。
【クククッ、馬鹿め! 私の仰ぐ力が尽きるまで待つだとッ、この間抜け共がッ! その前にアシュレイア様の結界は完成するわッ! 貴様等は成す術無く死ぬんだよッ! クハハハッ!】
レヴァンはそう告げるや否や、更に強く翼を仰いだ。
アシュレイアの結界が完成するまで、これを続けるつもりなのだろう。
(風は強力だが……ある意味、好都合だ。始めよう……)
俺は光の杖と魔光の剣を握り締め、アヴェル王子に言った。
「アレをお願いします、アヴェル王子」
王子は無言で頷くと、自身の胸元で光の剣を縦に構えた。
その刹那、太陽の如き閃光が、奴に向かいに放たれる。
【グアァァ、これは光の剣かッ! オノレェェ】
あまりの眩しさに、レヴァンは瞼を閉じていた。
どうやら、目くらましは成功したようだ。今が好機である。
「王子、行きますよ!」
「ええ!」
俺達はこの隙を利用して、風の弱い箇所を駆け抜けた。
レヴァンは目くらましの影響で、俺達の行動には全く気付いてない。
その為、俺達はすんなりと、奴の暴風圏を突破する事ができた。
俺とアヴェル王子はそんなレヴァンを横切り、その後方にいるアシュレイアへと間合いを詰める。
ちなみにだが、奴との距離は俺が一番近かった。理由は勿論、俺の方が早いからである。軽装備と重装備の差が、ここで出ているのだ。
(このままいくと、アシュレイアへの最初の攻撃は俺からになりそうだ。しかし……リュビストの結界が発動してるにもかかわらず、なんつー魔力の波動だよ。波動自体はさっきより弱まっているが、まさか、こんな化け物だったとは……。おまけに身体も、トロルやサイクロプスくらいはありそうだ。魔光の剣が通じるかどうかは賭けになるが……もうやるしかない……)
アシュレイアは玉座に腰掛けたまま、目を閉じて印を組み、呪文を唱え続けていた。
俺達の接近に気付いているとは思うが、なんのアクションも起こさないのが気掛かりであった。
(恐らく、俺達の事よりも、結界の方を優先してるのだとは思うが……なぜ座ったまま動こうとしない……何か引っかかる。が……今はそんな事を考えている暇は無い。攻撃対象は印を組む奴の手だ……最大魔力圧のライトニングセーバーをお見舞いしてやる!)
アシュレイアに10mくらいまで接近したところで、俺は魔導の手を奴の身体に伸ばして引き寄せ、一気に間合いを詰めた。
そして、最大魔力圧のライトニングセーバーを発動し、雷を纏う眩い光の刃を振り被ったのである。が、しかし……奴はそこで呪文詠唱を止め、二ヤリと笑ったのであった。
【フッ、掛かったな、コータロー】
と、次の瞬間、奴が腰掛ける玉座から、刺々しい芋虫みたいな魔物が突如現れ、口から無数の白い糸みたいなモノを吐きだしたのである。
俺は成す術無く、その糸に絡めとられてしまい、身動きが出来なくなってしまった。
(なんで魔物が玉座から……ハッ!? わ、わかったぞ、違和感の正体がッ! 俺は物事を見誤っていた。奴の魔力の波動で、ソレに気付かなかったんだ……ここで謎が解けるなんて……クソッ、予定変更だッ)
糸を振りほどこうと、俺は必死にもがいた。
だが、思うようにいかない。
「チッ、なんだよこの糸はッ!」
糸は粘着力があり、良く伸びるのである。
しかし、それほど強度はないのか、俺がもがく度に、糸はプツプツと切れていた。
とはいえ、振りほどくには少々時間が必要であった。
だがそれは……致命的な時間を敵に与えているに等しい行為だったのである。
【フフフッ……お前なら、そう来ると思っていた。どうだ、コータロー、サンドワームの糸は? そこまで絡みつくと、そう簡単には取れんぞ。だが、安心するがよい。お前はもう動かなくて良いのだからな……さぁコレを受け取るがよいッ】
玉座に腰掛けるアシュレイアの竜の手がグンと勢いよく伸び、俺に襲い掛かる。
俺はその瞬間、奴の手の中にある物体に、思わず目が行った。
なぜなら、そこにあったモノは、俺が長い間苦楽を共にしてきた武器であったからだ。
そう……旧型の魔光の剣が、奴の手に握られていたのである。
だが、魔光の剣はまだ発動していない。その為、剣の柄だけが襲い掛かるという感じであった。
魔光の剣を握る奴の手は、瞬く間に、俺の鳩尾へと到達する。
そして、奴が発する声と共に、魔光の剣はその力を解き放ったのである。
【死ねッ、コータロー! 自らの武器で果てるがよいッ!】
鳩尾に鋭い激痛が走り、俺の喉元を生暖かい何かが逆流してゆく。
それから程なくして、口から真っ赤な液体が、勢いよく吐き出された。
【ガハッ……】
どうやら俺は、奴の行使する魔光の剣によって、モロに鳩尾を貫かれたようだ。
吐き出された真っ赤な生暖かい液体は、口から顎へ、そして胸元へと伝って、ポタポタと床に落ちてゆく。貫かれた箇所からも、同様に……。
俺はそこで理解したのである。これは致命傷だと……。
【コ、コータローサァァァァンッ!】
【コータローォォォォ!】
【コータローさんッ!】
悲鳴にも似た、皆の絶叫が聞こえてくる。
そんな中、アシュレイアの勝ち誇る声が、俺の耳に響き渡ったのである。
【フッ……コータローよ、選択を誤ったな。我が配下となれば、生き延びられたモノを……。だが、今回ばかりは私もヒヤッとさせられたよ。まさか、リュビストの結界をお前が発動するとは思わなかったのでな。ここまで我等を苦しめたお前に、私も敬意を表そうではないか。せめてもの礼だ。今、楽にしてやろう。永遠の眠りにつくがよいッ……メラゾーマ!】
もう片方の竜の手から、奴の身体と同じサイズの巨大な炎の塊が現れ、俺に襲い掛かる。
炎の塊は物凄い圧力で俺を吹っ飛ばし、飲み込んでいった。
俺は火達磨になりながら、皆の後方に位置する床を勢いよく転がり、そこでぐったりと横たわる。
そして、俺の目は最後に、隣で眩い光を携えるラーの鏡を映したのであった。
(……この世界に来てから、いつかこんな日が来るんじゃないかとは思っていたが、とうとうその日が来たようだ。ここで、俺の冒険は終わりか。あっけない幕切れだな……本当はもっと生きていたかったが、これも運命と思ってあきらめるしかないか。ごめん、ヴァロムさん……俺ができるのはここまでのようです。後は皆で何とかしてください。結局、日本には帰れずじまいだったな……せめて最後くらいは家族に会いたかった。この世界で死んでも、向こうで死んだ親父に会えるんだろうか……会えるといいな……)
程なくして、今までの俺の人生が、ダイジェストのように脳内で再生されてゆく。
これが走馬灯というやつなのだろう――
[Ⅱ]
気がついたら、辺り一面に白い雲が漂う場所で、俺は1人ポツンと佇んでいた。
「あれ……雲の上……どこだ、ここ? つか、なんでこんな所にいるんだ……って、あ!?」
俺はそこで、今まであった出来事を思い出した。
「そういや……アシュレイアと戦っていて、俺は奴に殺されたんだっけ。って事は……ここは死後の世界か?」
足元にはどこまでも続く白い雲の世界があり、上を見上げると、青く清々しい大空が壮大に広がっていた。
解放感がある所為か、凄く気分がいい。が、周りに誰もいないので、ちょっと心細い空間でもあった。
この場所を何かに例えるならば、果てしなく続く雲海といった感じだろうか。とにかく、俺が今いるのはそんな所であった。
「俺は一体……どこに行けばいいんだろう。誰もおらんから、訊く事もできないな。死後の世界なら、誰か迎えに来ても良さそうなもんだけど、そんな気配ないし……ン?」
周囲をキョロキョロと見回していると、俺の視界に、あるモノが入ってきた。
それは現実世界にあるパルテノン神殿のような建造物であった。
なぜか知らないが、この白い雲の世界に、それだけがポツンと建っていたのだ。
「おお……なんか知らんけど、あんな所に神殿みたいなのがあるじゃないか。あれが天国への入り口かも。まさかとは思うが、天空城とかいうオチじゃないだろうな……まぁいいや、ちょっと遠いけど、行ってみるか」
つーわけで、俺はそこへと歩を進めた。
程なくして建造物の前へとやって来た俺は、そこで立ち止まり、まずは建物に目を凝らした。
モロにパルテノン神殿のような建築様式で、色が白っぽいせいか、この白い雲の世界に異様にマッチしていた。
また、入口は少し高い所にあり、厳かな白い石の階段がそこまで伸びている。
佇まいは、まさに神殿といった感じであり、周囲の雰囲気とも相まって、中には神様みたいな存在がいそうであった。
(入口は上みたいだな。ここで見ていても仕方ない……行くとするか。悪い事はそんなにしてないから大丈夫だとは思うが……万が一って事もある。どうか、地獄に落とされませんよーに……)
そんな事を考えつつ、俺は白い階段を上り始めた。
階段を上ると、大きな丸柱が幾つも立ち並ぶ、建物の入口が見えてきた。が、しかし……俺はそこで、思わず立ち止まったのである。
なぜなら、入口の手前には、黒いローブを纏う不気味な存在が佇んでいたからだ。
それは頭の部分まで黒いフードに覆われている為、この白い世界に似つかわしくない存在であった。
(なんだあれは……以前、イデア神殿で遭遇した影とソックリな奴だ。また攻撃してくんじゃないだろうな……って、もう死んでるし、さすがにそれは無いか。ちょっと怖いけど……とりあえず、近づいてみるか……)
俺は恐る恐る、黒いローブ姿の存在へと近づいた。
黒い存在は俺が近づいているにも拘らず、微動だにしない。
その為、置物のようにも感じられた。
だが、得体が知れない存在なので、俺はとりあえず、10mくらい手前で立ち止まったのである。
見るからに不気味ではあるが、不思議と嫌な感じはしなかった。
(向こうから話しかけてくる気配はないな……こちらから訊いてみるか……)
つーわけで、俺はやんわりと話しかけてみた。
「あのぉ……すいませんが、貴方は、ここの関係者の方ですか?」
「……」
その黒い存在は無言であった。
もしかすると、本当に置物なのかもしれない。
(無反応だな……もう少し近づいて見るか……)
俺は更に数歩、その存在へと近づいた。
と、その時である。
【長い間……君がここに来るのをずっと待っていた……】
不意にその存在は言葉を発したのだ。
それは若い男の声であった。
この予想外の言葉に、俺は少し戸惑った。
「何を言ってるんだ、一体……というか、誰だよ、アンタは」
【私は……
嘗ての君だ】
「はぁ? 嘗ての君って……どういう」
【君に渡すモノがある。これを受け取ってほしい】
黒いローブ姿の存在は、両腕を大きく広げた。
と、次の瞬間、黒いローブの奥に見える暗闇から、眩い光が放たれたのである。

俺の眼前は、その眩い光によって真っ白になる。
またそれと共に、幾つかの情報が俺の中に入り込んできた。
それはまるで、以前経験した魔法を覚える儀式と同じような現象であった。
(こ、これは……魔法……いや、他にも何かが入ってくる……)
眩い光は程なくして消えていった。
【私の盟約は、これで君へと引き継がれた……後は君に任せよう……】
と、その直後、黒いローブ姿の存在は、まるで煙のように消え始めたのである。
俺は慌てて呼び止めた。
「ちょっ、ちょっと待てッ……君に任せるって、一体何なんだよ! 俺はもう死んでるんだぞ! 今更、何が出来るっていうんだ!」
【君はまだ死んでいない。さぁ……この奥にある門へと進むんだ】
「死んでいない? 門? 何言ってんだよ……さっきから、わけがわからんぞ」
【ここは君の中にある精霊界と現実世界をつなぐ狭間の門……門を開いた時、君は新たな力に目覚め、現実世界に戻るだろう……さぁ時間がない……急ぐんだ】
黒い存在はそれだけを告げ、この場から消えてしまった。
辺りはシンとした静寂が漂っている。
俺はそこで、神殿みたいな建物に視線を向けた。
「精霊界と現実世界をつなぐ、狭間の門だって……いいだろう。よくわからんが……行ってやろうじゃないか」――
Lv64 戦いの勝者
[Ⅰ]
神殿みたいな建物の中に入った俺は、静かな回廊を真っすぐに進み続けた。
暫く進むと、ドーム状の奇妙な空間へと俺は辿り着いた。
奇妙なと表現したのには、勿論、理由がある。
なぜならそこは、水のように透明な液体が周囲を囲う不思議な空間だったからだ。
その向こうには大小様々な光の玉が、生き物のように幾つも飛び交っていた。
しかも、それら全てが魔力を放っており、且つ、それぞれが違った魔力の波動を発していたのである。
それはまるで、水族館の海底トンネルを思わせるような光景であった。
ちなみにだが、それらの魔力の波動は、普段の生活で感じられるモノのように俺は感じた。
例えるならば、人が持つ魔力の波動や、獣が持つ魔力の波動、虫や水生生物が持つ魔力の波動といった感じだろうか。
周囲の水のような空間には、そんな光が幾つも飛び交っているのだ。
(ここは、一体……。わからんが、とりあえず、進もう)
俺は空間の中心まで進み、そこで立ち止まると、周囲を見回した。
(どうやら、これ以上先は無いようだ。ここで行き止まりのようだな。さて……さっきの黒い存在は門があるとか言っていたけど、そんなモノはどこにもない。まさかとは思うが、ガセか……ン?)
などと考えていた次の瞬間、異変が起きたのである。
(ちょ、マジかよ!)
なんと、周囲の透明な液体みたいなモノが全方位から一斉に、俺へと向かって押し寄せてきたのだ。
俺は成す術無く、その液体に飲み込まれてしまった。
(どわぁぁ! お、溺れるぅぅぅ!)
この突然の事態に、俺は手足をバタつかせ、必死にもがいた。
だが程なくして、俺の中に周囲と同化するかのような感じが現れたのである。
それは何とも形容しがたい気分であった。未だ嘗て経験した事のない現象である。
あえて表現するならば、使っていなかった魂の歯車が繋がり、そして動く感じだろうか。
そう……そんな霊的な繋がりのようなモノを俺はこの時感じていたのだ。
(なんだろうこの感じ……なぜか知らないが、俺の魂が周囲の光達と繋がったような気がする。それによくよく考えてみれば、溺れるなんて事はないよな。ここは現実世界じゃないんだし……でも、この感じは一体……さっきの黒い存在は、ここは俺の中だと言っていた。その後……精霊界と現実世界を繋ぐ狭間の門だとも……ハッ!? そうか……わかったぞ。ここが、ヴァロムさんが言ってた、魔生門なんだ!)
この状況に身を任せるに従い、俺は冷静に今の状況を考えれるようになっていた。
またそれと共に、魔生の法についても、徐々に理解できるようになってきたのである。
(見える……俺が行使できる魔法の発動式が……)
それは不思議な現象であった。
なぜなら、俺が扱える魔法の回路図のようなモノが、眼前に広がっているからである。
(そうか……わかってきたぞ、魔生の法の秘密が……そういうことだったのか……。魔生の法とは、魔力を生み出す霊体を精霊界とリンクさせる秘法なんだ。言うなれば、術者自身が一時的に精霊に近づく秘法。そして更に、この魔法発動式を用いれば、呪文を唱えずとも、魔法を発動させられるに違いない。だから、発動に必要なキーコードとなる呪文詠唱が必要ないんだ。う~ん……なんたるチート技能……ン?)
と、その時、どこからともなく、俺を呼ぶ声が、小さく聞こえてきたのである。
その声は、こう言っていた。
―― 「コータローさんッ、目を覚まして! ……お願いですから、目を覚ましてくださいッ!」 ――
この声がはっきりと聞き取れた次の瞬間、俺の目の前は眩い光で埋め尽くされた。
そして、俺は物質界へと呼び戻されたのである。
[Ⅱ]
これは、コータローがアシュレイアに止めを刺された後の話――
【今、楽にしてやろう。永遠の眠りにつくがよいッ……メラゾーマ!】
アシュレイアの放つメラゾーマの炎に焼かれながら、コータローはラーの鏡の付近にまで吹っ飛ばされ、そこに横たわった。
程なくして、炎は役目を終えたかのように消えてゆく。焼け焦げたコータローの哀れな姿を残して……。
コータローは身動きしなかった。
アーシャはそれを見るや否や、横たわるコータローに慌てて駆け寄った。
「コータローさんッ! コータローさんッ! しっかりしてくださいッ! 死んじゃ駄目ですわよッ! 今、回復しますわッ!」
アーシャは祝福の杖をコータローに掲げ、魔力を込めた。
だがしかし……無情にも杖は、何の反応も示さなかったのである。
「な、なぜ、回復しないですの……も、もう一度」
そこでサナも傍へと駆け寄ってきた。
「私もお手伝いします、ベホイミ!」
しかし、結果は同じであった。
2人の回復魔法を受けても、コータローに変化は一向に現れないのだ。
「なぜですの……なぜ」
「コータローさぁん……」
アーシャとサナは、ガクリと肩を落とす。
と、そこで、2人に語り掛ける者がいた。
「残念だが、ホイミやベホイミのような回復手段ではもう無理だ。今のコータローは、ほぼ死んでいる状態……肉体から魂が離れつつあるこの状況では、そんな魔法では効果はない」
2人はその声に振り向く。
すると、声の主はラーの鏡であった。
サナは目を見開き、驚きの声を上げる。
「か、鏡が喋った……」
アーシャの瞳が潤む。
「そんな……では……も、もう助からないんですの、ラー様……」
「いや、方法はある。アーシャよ、コータローの道具袋の中から、急いで世界樹の葉を取り出すのだ。今なら、まだ間に合う」
「世界樹の葉……」
その言葉を聞き、イデア神殿での出来事が、アーシャの脳裏に蘇ってきた。
アーシャはコータローの道具袋へと手を伸ばし、中を調べ始めた。
道具袋の中は色々な道具類が所狭しと入っている。
それらの道具を見ながら、アーシャは過去のやり取りを思い返した。
(確かあの時、ラー様は、緑色の葉のようなモノの事を世界樹の葉と言ってた気がしますわ。それにしても、色々と入ってますわね…………これでもない、これじゃない……あっ、あった。これですわ)
そしてアーシャは、道具袋の中から、緑色の広葉を取り出したのである。
アーシャはラーの鏡に確認をした。
「こ、これですわよね?」
「ああ、それだ。急いで、その世界樹の葉をコータローの胸の上に置くのだ」
「わかりましたわ」
アーシャは世界樹の葉をコータローの胸の上に乗せた。
すると次の瞬間、世界樹の葉は白く淡い輝きを放ち、コータローの全身をその光で包み込んでいったのである。
コータローの傷はその光によって、まるで汚れを落とすかのように、元の状態へと癒されていった。
「間に合ったようだな。これでコータローは助かるだろう」
「ラー様、これは一体……」
「この世界樹の葉は、死者を蘇らせる力があるのだ」
アーシャとサナは目を大きく見開く。
「死者を蘇らせるですって……」
「そ、そんなことが可能なのですか!?」
「ああ、可能だ。まぁとはいっても、魂が肉体に宿っている間でないと駄目だがな。まぁそれはともかく、コータローもそろそろお目覚めのようだぞ」
それを聞き、2人はコータローに視線を戻した。
すると、コータローを覆っていた白い光は、消えようとしているところであった。
程なくして、白い光は完全に消え失せる。と、次の瞬間、コータローの身に異変が起きたのである。
なぜなら、コータローの身体は先程と打って変わり、淡いオレンジ色の光を発し始めたからだ。
「え? また光りました……」
「ど、どういうことですの……」
そこでラーの鏡はボソリと呟いた。
「そういうことか……ここにきて、ようやく探していたモノを見つけられたようだな」
「探していたモノ? ラー様、それはどういう……」
「アーシャさんッ! コータローさんがッ」
サナの声を聞き、アーシャはコータローへと視線を戻す。
すると、コータローは胸を動かし、呼吸を始めていたのである。
アーシャは慌てて呼びかけた。
「コータローさんッ、目を覚まして! ……お願いですから、目を覚ましてくださいッ!」
それに呼応するかのように、コータローは瞼をゆっくりと開く。
そして、コータローはアーシャとサナへ視線を向けた後、上半身を起こし、その場に立ち上がったのである。
コータローは、オレンジ色の光をその身に纏ったまま、2人に微笑んだ。
「ありがとう、アーシャさんにサナちゃん。お陰で、死の淵から戻れたよ」――
[Ⅲ]
2人の呼びかける声によって、俺はまた現実へと帰ってくることができた。
前方に視線を向けると、レヴァンと対峙するアヴェル王子達の姿と、玉座に腰掛け、印を結びながら呪文を唱えるアシュレイアの姿があった。
ここから察するに、俺がメラゾーマを喰らってから、さほど時間が経っていないに違いない。
(状況は、俺がやられた時とほぼ変わりなしか。……とりあえず、誰も戦線離脱はしてないようだ。アヴェル王子も他の皆と共に、レヴァンと対峙している。この様子を見る限り、アシュレイアも俺を始末した後は、付近にいたアヴェル王子を無視し、結界の完成に力を向けたのだろう……ン?)
と、その時、胸から灰色の葉が床へと落ちていった。
葉は、床に舞い落ちた瞬間、霧散する。
俺はそれを見た事により、自分の身に何が起きたのかを理解した。
(どうやら俺は、一度死んだようだ。世界樹の葉で蘇生されたのだろう。ラーのオッサンが2人に指示したに違いない……)
そんな事を考えていると、背後からラーのオッサンの声が聞こえてきた。
「コータローよ……残念だが、まだ戦いは終わっておらぬ」
「そのようだね。で、何か良い方法はあるのか?」
「方法はない。我が言えるのは先程と同じよ。奴をなんとかせん限り、我等の運命は変わらぬという事だ。で……お主はどうなんだ? 何か策はあるのか? 向こうで何かを手に入れたのだろう?」
「まぁね……でも、うまくいくかどうかはわからんよ」
ラーのオッサンは、俺について何かを知っている。
もしかすると、俺がこの世界に来た理由や、あの黒い存在についても知ってるのかもしれない。
(今までの状況証拠から見て、このオッサンは恐らく、精霊王リュビスト本人だ。知っていても不思議ではない。が……今はまず、この状況をどうにかしないとな。うまく生き延びられたら、あの黒い存在について問い質してやるとしよう……)
俺は雑念を振り払い、アシュレイアへと視線を向けた。
「その口ぶり……お主、何かに気付いたな」
「ああ、お陰さんでね」
「そうか……何れにしろ、このままでは何も変わらぬ。ならば、賭けになるが、それをやってみるしかないだろう……」
流石のラーさんも少し弱気のようだ。
つーわけで、いつぞやのラティに告げた言葉をラーさんにも送っておいた。
「ラーさん……やるか、やらぬかだよ。試しなんて必要ない」
と、ここで、アーシャさんとサナちゃんが話に入ってきた。
「コータローさん、一体何をするつもりなんですの?」
「私にも、何かできる事があるなら言ってください」
「2人は先程と同様、後方で皆の支援をお願いします」
「ですが……コータローさんの身体が心配ですわ。本当に大丈夫なんですの?」
「コータローさん、遠慮せずに私達を使ってください」
彼女達は心配そうな眼差しを俺に向けていた。
「大丈夫……とは言えないですが、ここは俺に任せてください。それとサナちゃん、コレを使わせてもらうよ」
俺は道具袋から、黄色い液体が入った小瓶を取り出した。
「それはエルフの飲み薬……」
俺は頷くと、小瓶の蓋を開け、一気に口の中へと流し込んだ。
その瞬間、魔力が全身に漲ってくる感じが現れた。魔力全快である。
「これで準備完了です。では、行ってきます。2人は後方で皆の支援をお願いしますね」
俺は2人にそれだけを告げ、前線へと歩を進めたのである。
[Ⅳ]
アヴェル王子達は今、レヴァンと対峙しているところであった。
その奥にいるアシュレイアは、目を閉じて印を組み、今も尚、呪文詠唱を続けているところだ。
王子がここにいるという事は、俺がメラゾーマでやられた後、すぐに引き返したのだろう。賢明な判断である。
まぁそれはさておき、戦況は相変わらずのようだ。レヴァンは今も尚、左右の翼で暴風を巻き起こし続けていた。時間稼ぎをするのならば、これほど使い勝手のいい能力は無いだろう。
皆の近くに来たところで、まずレヴァンが俺に気付いた。
【馬鹿なッ! なぜ、貴様が生きているッ! アシュレイア様のメラゾーマを喰らって生きているなんてッ!】
それを聞き、アシュレイアの目が開く。が、奴の口は呪文詠唱を続けていた。
アシュレイアは目を細め、俺をジッと睨みつけていた。表情を見る限り、腑に落ちないといった感じだろうか。
始末したと思った奴が生きていたのだから、この表情は当然だろう。
また、アヴェル王子達もそれを聞き、俺の方へと振り返った。
「コータローさんッ!」
「コータロー様!」
「ウソ……本当にコータローさんなの、オレンジ色に光ってるけど……」
「大丈夫だったんですかッ、コータローさんッ!」
「コータロー、お前、何ともないのかッ!」
「貴殿は……無事なのか?」
「幽霊……ではなさそうね」
死んでいて当然の状況を目の当たりにしたのだから、まぁこうなるのも無理はないだろう。
「一度死に掛けましたが、なんとか生き返る事ができました。ところで、戦況はどんな感じですか?」
アヴェル王子は眉間に皺を寄せ、険しい表情を浮かべる。
「状況は……何も変わっておりません。最早、打つ手無しです……」
王子の言葉を聞き、他の皆も肩を落とした。
そんな重苦しい空気の中、俺は話を切り出した。
「そうですか……では、1つだけ方法があるので、私が今から、それを実行します」
「え? どういう意味ですか」と、アヴェル王子。
他の皆も首を傾げている。
「私は死の淵を彷徨ったことで、新たな力を手に入れる事ができました。それを使うつもりです」
「一体、何をするというのですか。言っては何ですが、レヴァンはともかく、アシュレイアは我々がどうこうできるような相手ではないですよ。それは先程、コータローさん自身が身をもって体験した筈です。我々はこのまま……死を待つだけしか出来ないんですよ」
「そうだぞ、コータロー……とてもではないが、もう我々ではどうすることもできない。奴等の勝ちだ……」
アヴェル王子とウォーレンさんは項垂れるように、そう言葉をこぼした。
それはもう絶望を感じさせる落胆の声色であった。
他の皆も言葉には出さないが、同じ意見なのか、表情は暗いままであった。
もう気持ちは諦めに入っているのだろう。が、俺は構わず、話を続けた。
「俺も皆と同じ意見ですよ。今の俺達の力量では、アシュレイアと戦って、この状況をどうにかするなんて事は無理だと思います」
「なら、一体何をするというのです。魔法も使えない上に、奴等に近づく事すらできないこの状況で、一体何が出来るというんですかッ」
「理由は1つです。この状況を打破できる力を手に入れたから、やるんですよ」
「ですが、貴方は今、アシュレイアと戦っても、状況は打破できないと仰ったじゃないですか。一体どういう……」
「我々は闘う相手……いや、戦うべきモノを見誤っていたんです」
「戦うべきモノを見誤っていた……それは一体……」
「説明は後でします。アヴェル王子、この場は私に任せてもらえませんか」
暫しの沈黙の後、アヴェル王子は頷いた。
「……わかりました。何をするのかわかりませんが、この場は貴方に任せましょう。で、我々は何をするといいですか?」
「皆は、ここで待機していてください。もしレヴァンが私の邪魔をしに来たら、それの対応をお願いします」
「待機ですね……わかりました。貴方の指示通りにしましょう」
「では、よろしくお願いします」――
俺は王子達の間を通り抜け、奴等の前で立ち止まった。
早速、レヴァンが悪態を吐いてくる。
【クククッ、お前のその姿……どうやら、大賢者の秘法も使えるようだな……だが、それが何だというのだ。魔法の使えぬ状況で、そんな秘法など全く役に立たぬわッ! なぜ貴様が生きているのか気になるところだが、そんな事は大した問題ではない。お前達はもうすぐ死ぬのだ! アシュレイア様には指一本触れさせぬッ! さっきみたいなマネはもうさせぬぞッ!】
そして、レヴァンは翼を更に強く仰いだのである。
俺は心を落ち着かせ、黒い存在から継承した力を発動させる準備を始めた。
その力は、死の淵で黒い存在から受け継いだ魔法であった。
とはいうものの、普通の魔法ではない。唯一、マホカンタの壁を打ち破れる攻撃魔法だ。ゲームでもレベルアップで覚えられるような魔法ではなかった。
そう……俺はその魔法について知っている。
だが、この魔法は呪文を唱えれば行使できるというモノではない。
まず大前提として、今の俺のように魔生門を開いた者でないと使えないという事だ。
そして、この状態を維持したまま、空中に複雑で幾何学な魔法発動式を術者の指先で描き、最後に発動コードとなる呪文を唱えて、その魔法は完成するのである。
(さぁ……時間がない。始めよう……)
俺は精神を研ぎ澄ませ、指先に魔力を集中させた後、発動の為の魔法陣を描き始めた。
目の前の空間をキャンバスにして、指先をマジックペンの如く使い、俺は受け継いだ記憶を元に、幾何学な模様を描き続ける。
すると程なくして、アシュレイアの詠唱が止まった。
奴は険しい表情で俺を睨んでいた。
【まさか……その魔法陣はッ! なぜ貴様がその魔法を使えるッ! クッ……いかんッ! レヴァンよッ、コータローの魔法を止めろッ! あの魔法は完成させてはならんッ!】
【ハッ、アシュレイア様】
レヴァンは仰ぐ翼を止め、宙に飛び上がり、俺へと目掛けて突進してきた。
だがそこで、アヴェル王子とレイスさん、それとシェーラさんとルッシラさんが、俺とレヴァンの間に割り込み、立ち塞がってくれたのである。
「続けてください、コータローさんッ。レヴァンは我々が対処しますッ」
「コータローさん、奴は我等で喰い止める」
「こちらは任せて、コータローさん」
俺は無言で頷き、そのまま発動式を描き続けた。
レヴァンはアヴェル王子達の前で立ち止まる。
【チッ、うるさい蠅共めッ! まずはお前達からだッ! 喰らえッ、バギクロス!】
「グアァァ」
「クッ」
「キャァァ」
アヴェル王子達を風の刃が切り刻む。が、俺には届かない。
続いて、シャールさんとウォーレンさん、そしてフィオナ王女が即座にベホイミを唱えた。
王子達の傷はみるみる塞がってゆく。
そして、すぐに4人は、レヴァンへと攻撃を開始したのである。
「レヴァン、コータローさんの邪魔はさせんぞッ。デヤァッ!」
アヴェル王子の振るうデインの魔法剣が、奴の足を斬り裂いた。
その刹那、奴の足から鮮血が滴り落ちる。
続いてレイスさんとシェーラさんの斬撃が振るわれる。が、しかし、それは宙を舞い、レヴァンはなんとか逃れた。
レヴァンは苦虫を噛み潰したような表情で、吐き捨てるように声を荒げた。
【グアァァ……オ、オノレェェッ! ウジ虫共がァァァッ!】
と、そこで、アシュレイアの声が響き渡った。
【レヴァン! 奴を使え!】
【ハッ、アシュレイア様】
返事をしたレヴァンは、そこで、先端に紫色の水晶球が付いた黒い杖を取り出した。
レヴァンは杖を俺の背後に向け、奇妙な呪文を唱えた。
杖の先から紫色の光が一閃する。
(一体、何をするつもりだ。前もこれに似たような光景を見た気がするが……)
などと考えていた次の瞬間、右脇腹に鋭い痛みが走り抜けたのである。
「な、なんだッ一体……グアァッ」
俺は恐る恐る、そこに視線を向かわせた。
すると、そこにいたのはなんと、アルシェス王子だったのである。
「グッ……アルシェス王子……なぜ……ま、まさか……クッ」
「ア、アルシェス王子ッ!」
「なんでアルシェスが、コータローさんをッ!」
「お兄様! なんてことをッ」
アルシェス王子は目を赤く輝かせ、俺の右脇腹に鋭利な刃物を突き立てていた。
どうやら、回収した眼鏡は、俺の見立て違いだったようだ。
【クククッ、アルシェスよ! そのままコータローを殺してしまえッ!】
その言葉を号令に、アルシェス王子は物凄い力で更に刃を突きこんできた。
「グッ……」
(ま、不味いッ……なんて力だ。あと、もう少しなのに……ン?)
俺が苦悶の声を上げる中、眩い光がラーの鏡から放たれた。
すると、アルシェス王子は事切れたかのように床に横たわったのである。
ラーのオッサンが鏡の力を使って、操る魔力を断ち切ってくれたのだろう。
【何ィッ! なぜ倒れるッ。クッ……操れないッ! オノレェェッ!】
流石のレヴァンも焦りの表情を浮かべていた。
(サンキュー……ラーのオッサン。さて……あと少しだ。最後の発動式を描くとしよう……)
俺は怪我の治療を後回しにし、魔法陣の完成に力を注いだ。
出血の続く右脇腹を左手で押さえながら、俺は魔法陣を描き続ける。
それから程なくして魔法陣は完成した。が、脇腹の出血が予想以上に多く、俺は少し朦朧としていた。その為、俺はなんとか気力を振り絞って、最後の仕上げに取り掛かったのである。
意識が朦朧とする中、宙に描いた魔法陣に向かって、俺は呼吸を整えた後、掌を広げて両腕を真っすぐに伸ばした。
そして……魔法発動のキーコードとなる呪文を唱えたのである。
―― 【マダンテ】 ――
その刹那! 魔法陣が俺の全魔力を両掌から吸い上げていった。
魔法陣は閃光を放ち、眩く輝きながら、俺の全魔力を暴走させてゆく。
するとその直後、魔法陣は、魔力が荒ぶる光の球体へと変貌を遂げたのである。
それは肌で感じ取れるほど、荒々しく高ぶる魔力の球体であった。まるで沸騰をしている水の如く、光の球体は荒々しく揺れている。
大きさは直径1m程だが、その波動は凄まじく、球体の周りは暴風を巻き起こしていた。
床に無数に散らばる小石が、まるで無重力状態になったかのように宙に浮かび上がり、風によって球体の周りを飛び回っている。
それは恐ろしいほどの威力を感じさせる魔力の球体であった。
出現した魔力の球体はアシュレイアへと向かって突き進む。
そして次の瞬間、球体は物凄い閃光を放ちながら、轟音と共に弾け飛んだのであった。
暴走した魔力の大爆発が、容赦なく、奴等に襲い掛かる。
【グッ! やはり、マダンテかッ】
【グギャァァ】
流石のアシュレイアも魔力の暴走に巻き込まれ、後方の壁に激突する。レヴァンも同様であった。
また、アシュレイアが腰掛けていた玉座も魔力の暴走により、幾つもの亀裂が走っていた。
その爆発の威力は、イオラなどとは比較にならないモノであった。その何倍ものエネルギーが放たれたに違いない。恐らく、このマダンテの威力は、まだ見ぬイオナズンをも軽く凌駕する規模のモノだろう。
しかも、爆風は俺達にも影響を与えるくらいで、地に足をしっかりと着けていないと、吹き飛ばされそうになるほどの威力だったのである。
アヴェル王子達の驚く声が聞こえてくる。
「なんて魔法だ……コータローさんが、こんな魔法を使えるなんて」
「ちょっと……何よ、この魔法……」
だが、それも束の間の事であった。
程なくして、魔力の暴走による大爆発は終わりを迎える事となる。
辺りは静けさを取り戻してゆく。
前方には、壁に打ち付けられたアシュレイアとレヴァン、そして、亀裂が幾重にも走る玉座の姿があった。
レヴァンは身動きしない。が、アシュレイアは暫くすると起き上がってきた。
わかっていた事だが、やはり、マダンテで奴を倒すのは無理だったのだろう。
アシュレイアは玉座をチラッと見た後、俺に向かって二ヤリと笑みを浮かべた。
【フフフッ……まさか、マダンテを使えるとはな。だが、あの不完全なマダンテでは、私を倒す事などは出来ぬ。無駄な悪足掻きよ。しかし……不完全とはいえ、マダンテを使える奴は捨てておけぬ。二度と生き返れぬよう、貴様は確実に始末してやろう】
俺はアシュレイアに笑みを返した。
「いや、悪足掻きではない……目的は達せられたよ」
【何だと……】
「俺の目的は、お前を倒す事ではない。お前達の結界術を止める事だ。その為には、結界の基点を破壊せねばならない。そして……俺はようやくソレを見つける事が出来た。お前がいる位置からではわからないだろうが……それはもう壊れる寸前だよ」
【ま、まさか……】
アシュレイアは慌てて玉座の正面へと回り込む。
するとそこには、今にも砕けそうなほど亀裂が走る、歪んだ黒い玉座が佇んでいた。
玉座の正面を見た瞬間、アシュレイアは息を飲む仕草をする。ゴクリという音が聞こえてきそうな感じだ。
そう……俺が破壊したかったのは、この玉座なのである。これが奴等の結界術の基点なのだ。
「俺はこの部屋に入ってから、ずっと違和感があった。なぜ、この部屋に、こんな大層な椅子が置いてあるのだろうか……とね。その後も、お前の不自然な行動が、あまりにも目についた。戦いの最中、わざわざ玉座に腰掛けたり、自分の本体を召還したり、挙句の果てにマホカンタを使ったり、とね。でも、それらの行動は、玉座を守るための行動だったと考えると納得がいく。本来の姿になったのは、自分の持つ強大な魔力の波動で、玉座を中心とした魔力の流れを隠すためなんだろ? ついでに最大の防御にもなるしね」
アシュレイアは額に皺をよせ、苦虫を噛み潰したような表情であった。
どうやら、当たらずとも遠からずといったところだろう。
俺は話を続ける。
「だが、決め手になったのはそれではない。俺を糸で絡めとる為に、お前が召還したサンドワーム……あれで、ようやく、謎が解けた。リュビストの結界が発動しているあの時点で、魔の世界と繋がっていられる箇所は、もう基点となる場所以外ありえないからな。だがまぁ……俺はその所為で、命を落としかける羽目になってしまったから、そこは反省だがね。さて……それはそうと、早く結界を発動させないと、リュビストの結界に負けてしまうよ。いいのかい?」
俺が長々と話している間に、この空間内は清らかなる力で満たされ始めていた。
これが意味するところは1つである。
リュビストの結界が、奴等の結界術を押し続けているのだ。
【き、貴様ぁッ!】
俺の言葉を聞き、アシュレイアは急いで玉座へと手を伸ばす。が、しかし……座ることは叶わなかった。
なぜならば、マダンテによって無数の亀裂が走っていた玉座は、その触れた衝撃で無残にも砕けてしまったからである。
基点を失った奴等の結界術は一気に崩壊し、均衡はリュビストの結界へと傾いていった。
そして、この場は瞬く間に、リュビストの結界が支配する所となっていったのである。
と、その直後、アシュレイアとレヴァンは、リュビストの結界の大きな渦によって、成す術無く飲み込まれていった。
アシュレイアの断末魔にも似た絶叫が、この場に響き渡る。
【グアァァァァッ、わ、我等の悲願がァァァァッ! 許さんぞッ、コータロー! この屈辱は決して忘れんからなッ! 覚えておけッ!】
それから程なくして、奴等は完全に渦に飲み込まれ、魔の世界へと強制送還された。
すると役目を終えたかのように、大きな渦も消えていったのである。
暫しの静寂がこの場に訪れる。
そして、俺はそれを見届けたところで、意識を手放したのであった。
(これで、終わりだ……あぁ、もう限界……)――