広島のご当地グルメは? そう聞かれたら、多くの人はお好み焼き、カキ、穴子料理を思い浮かべるのではないだろうか。ここ数年の間にこの一角に急浮上してきたのが「汁なし担々麺」だ。辛みを効かせた醤油(しょうゆ)ダレや胡麻(ごま)ダレをゆであげた麺に何度も混ぜて食べるこの料理。広島市内には多くの専門店が登場し、新しい料理ジャンルに育っている。
なぜ広島にこの新種のグルメが広がったのか。店を訪ね歩くうちに、偶然がいくつも重なって生まれた「奇跡」であることがわかってきた。
発祥の店は広島市の市街地のやや外れに位置するきさくだ。1999年の開業時はラーメン店だったが、1年近くたったころ、知り合いの中国人留学生の女性に「料理教室で故郷の四川省の味を振る舞いたいので麺を譲ってもらえないか」と頼まれた。
それを店主の服部幸一さん(60)が食べさせてもらったところ「うまい。なんだこれは」。ちょうど店はお客の入りが落ち始め、立て直し策を考えていたタイミングだった。さっそく四川省に飛び本場の味を研究、独自の改良を加えて新メニューが誕生した。2001年1月、まさに21世紀の始まりと同時だった。
テーブルに置かれるやいなや、ツーンと鼻の奥に届く香り。口に運べば体は火照り、額からじわり汗が出る。くせになる味がたちまち評判を呼び行列店になっていった。
お客の中にたまたま長野県から遊びに来ていて、先輩に「うまい店がある」と連れてこられた一人の若者がいた。後に専門店チェーン最大手のくにまつを率いることになる松崎司さん(46)だ。
くにまつの開店は2009年。松崎さんは長野でラーメン店を開いていたが、移転の必要が生じたため、思い切ってきさくの味が忘れられない広島市へ。市内中心街にラーメン店を構え、自らレシピを考えた汁なし担々麺も当然メニューに加えた。当初は1日数食しか注文がない日もあったが、マイルドな辛さで食べやすく、580円という安さも相まって常連のビジネスマン客らが増えていった。
「広島に恩返ししたい」とレシピを無償で公開したところ、「私も店を出したい」と新たな店が次々と続くようになった。こうして「汁なし担々麺の街・広島」が形作られていった。
市内に4店舗構える武蔵坊もその一つ。花椒の種類も増やし個性を打ち出した店だ。今年春にはJR広島駅ビル内にくにまつとのコラボ店も開き、観光客らでにぎわっている。このほか広島市役所近くのキング軒も人気の店だ。
「汁なし」といっても、具やネギを盛った麺の下には少量の汁があり、これを何度も混ぜ合わせてから食べるのが基本。辛さは好みに合わせゼロ辛から激辛まで指定でき、花椒を加えてしびれも楽しむ常連も多い。麺を完食した後はライスを追加注文して残った汁や具と再度混ぜ合わせて食べてもおいしい。これは「お客が勝手にライスも混ぜるようになったのが始まり」(きさくの服部さん)という。汁なし担々麺店は広島県外にも広がっており、東京・神保町にも、くにまつが出店している。
(広島支局長 北村順司)
[日本経済新聞夕刊2018年12月27日付]