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【サッカー】

鹿島・小笠原が引退会見 「育ててもらった恩返ししたい」

2018年12月29日 紙面から

記者会見する鹿島・小笠原=カシマスタジアムで

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 今季限りでの現役引退を表明した鹿島の元日本代表、MF小笠原満男(39)が28日、茨城県鹿嶋市のカシマスタジアムで記者会見し「ピッチに立ってチームを勝たせることができなくなってきた。身を引くときが来た。正直、まだまだサッカーをやっていたいという気持ちもあるが、チームがさらに強くなるには、これからの若い選手が試合に出た方がいい」などと理由を明かした。今後は「鹿島に育ててもらった。恩返しがしたい」と何らかの形でクラブ運営に携わっていくという。

 チャコールグレーのスーツ、胸ポケットにはアントラーズレッドのチーフ-。無精ひげはそのままだったが、夏場の試合後はTシャツに短パン姿で帰路に就くことも多い小笠原も、節目の日は、さすがにかしこまった感じだった。報道陣の“変化球”気味の質問に苦笑し「あまり過去を振り返るのは好きじゃない」などとかわしつつ、鹿島のジーコ・テクニカルディレクター(65)との関わりや思い出話の途中、言葉を詰まらせるなど、ピッチ上で見せる勝負師のそれとは違った一面も見せた。

 Jリーグで一番印象に残るゴール、という問いには、ならではの答え。1999年ナビスコ杯決勝でのPK失敗を挙げ「ゴールではないが、すぐ浮かぶのはあのシーン。インサイドで狙ったところに強く蹴ることの大事さを学んだ」とプロ2年目での挫折に触れた。鹿島の20冠中17冠に貢献したことには「一人で取ったわけではない。(優勝で)いい思いもたくさんしたけど、逃したタイトルも何十個もある。その悔しさの方が大きい」と常勝軍団に身を置いた実感を込めた。

 代表での一番の思い出は、99年の世界ユース(現U-20W杯)での準優勝。当時のメンバーだった小野、稲本、鹿島でも同期だった中田、曽ケ端らに負けたくないという気持ちが21年間に及んだプロ生活を支える動機付けになった。「みんなすばらしい選手たちばかり。最初から最後まで勝てなかった。(先にユニホームを脱ぐことになった)自分の完敗です」と言いつつ、現役組に「彼らにはまだまだ頑張ってほしい」とエール。今後についてはクラブと具体的な話し合いはしていないというが、チーム強化につながるような役割を「自分なりに見つけたい」と語った。 (内田修一)

 

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