【西日本豪雨】「70年以上前の枕崎台風と同じ光景」 広島・呉の高齢被災者 - 産経ニュース

【西日本豪雨】「70年以上前の枕崎台風と同じ光景」 広島・呉の高齢被災者

「枕崎台風と同じ光景」
土砂で埋まった井手原潔さんの自宅=11日、広島県呉市天応地区
 西日本豪雨で多くの犠牲者を出した広島県呉市の天応西条地区は、山に囲まれた谷間にあり、坂道に沿って住宅が並ぶ。山崩れを警戒していた多くの住民にとって、街を流れる川の水があふれるのは想定外だった。ただ、終戦直後の枕崎台風を経験した高齢者は「70年以上前と全く同じ光景」と打ち明ける。経験をきちんと伝えておけば犠牲を減らせたのでは、と悔やんだ。
 「まさかこの川があふれるとは」。天応西条地区の男性会社員(36)が崩落した道路を眺めてつぶやいた。普段は穏やかな大屋川が6日夜は一変。土砂を含んだ水が次々と住宅に流れ込んだ。
 一方、同地区で自宅の1階部分が土砂で埋まった井手原潔さん(77)は、幼い時に遭遇した枕崎台風を思い出した。当時も川があふれ、大量の土砂が押し寄せた。「裏の山へ逃げたことを覚えている」
 西日本を襲い、3千人以上の死者・行方不明者を出した昭和20年9月の枕崎台風は、同地区にも深刻な被害をもたらした。経験者の西本大行さん(80)は、大きな石が下流に多く流れ出した今回の豪雨の方が「枕崎よりひどい」と感じた。
 井手原さんによると、戦時中、周辺に群生していたマツの木を燃料として使うため、伐採が進んだ。はげ山となったことで被害が拡大した可能性があるとみている。
 当時とほとんど変わらない川の姿を見るたびに「また起きるんじゃないか」と不安を覚えたが、存命の経験者も少なくなり、「周囲に話すと笑われるのでは」という思いから、被害や教訓を伝えられなかった。
 呉市のハザードマップでも土石流の警戒区域などに指定されていた。それでも、もっと何かできたのではと思う。「例えばダムを造るなどして水量を調節できていれば」。上流を見つめ、声を落とした。