広河隆一さんの性暴力に関する報道を受けて
週刊文春1月3日/10日新春特別号(2018年12月26日発売)
フォト・ジャーナリスト 広河隆一さんに関する「世界的人権派ジャーナリストの性暴力を告発する」を受けて―。
「フォト・ジャーナリスト」という生き方を知り、「原発」という問題意識を持ち、私が、フリーランスとして歩み始めた理由そのものであり、師と仰ぎ、全面的に支持をしてきた人間として、広河隆一さんの今回の報道について、触れないわけにはいきません。
分かっていながらも、恩師が「加害者」として語られるのは、とても、本当にとても辛いことです。
正直に申し上げて、報道を初めて知った時には、被害者の方々に気持ちを寄せることができず、せめて、全文を読んでからにしたいという思いで、一晩過ごしました。
しかし、一夜明け、掲載記事全文を読み、
断ることが難しい女性達に対してなされたこと、広河さんが発したとされる言葉に触れ、ようやく報道の内容、広河さんがしてきた長きに渡る人権蹂躙と身勝手極まりない犯罪に向き合う気持ちを持つことができました。
広河さんはきちんと犯罪として認め、その罪を償うべきです。
また、何より、広河さんのそうした側面を、私自身がまったく知らなかったわけではなかった加害者の一人として、黙認してきた自らの罪を深く、深くお詫び申し上げる所存です。
被害に遭われ、告発をされた7名の方々の長年に渡る恐怖、混乱、自責の念、孤独、苦しみがどれほどのものだったか…。むしろ、私自身がそうさせてしまった要因の一つであり、私自身が皆さんの被害を防げたかもしれない…。そう思うと、皆さんが経験されたことがより一層苦しくてなりません。辛く苦しい経験をさせてしまい、本当にゴメンなさい…
どうしても一言で、ましてツイートで済ますということはできず、到底謝って済む話ではなく、これまでの恩義と報道された出来事の間で迷いながら、告発して下さった方々に対し、今、私に何ができるかを、この間ずっと考えていました。
そして、今、私にできることと言えば、私自身の加害性を明らかにすること、知っていることを語ることだと思うに至りました。
決断までに時間を要してしまい、申し訳ありません。
これ以上時間をかけるわけにはいきません。
もしかすると、理解されないことや、批判を受けるようなこともあるかと思いますが、無自覚な犯罪者を作ってしまった一端を担った一人の責任として、私の知る広河隆一さんと、今の私の率直な気持ちを、できる限り丁寧に言葉にして、綴りたいと思います。
このことが、少しでも今回告発された被害者の方々の勇気に報いるものとなれば…と願うばかりです。
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私が『DAYS JAPAN』の編集部に出入りをしていたのは、2000年頃の数年間だったと思います。
ボランティアとして関わり始めて本当に間もない頃、編集部のドアを叩くのにも緊張していて、なかなか開くことができず、ドアの前で数分立ち尽くしていると、広河さんがちょうど後ろからいらして、代わりに扉を開けてくれたのを、今でも覚えています。
ボランティアとしてお手伝いをして数年経ったある日、広河さんが<働かないか>と言って下さったのですが、広河さんの激昂の程は知っていたので、給与が絡む関係性になった時を考えるとどうなるか分からなかったので、「良好な関係を保ちたいので」と言って断りました。
そして、引き続き、ボランティアとして続けました。
ある日、海外で『DAYS JAPAN』のブースを開くという時に、スタッフの一人として参加しました。
夜、海外のジャーナリスト達が集まるということで、ジャーナリストの方にお声がけ頂き、私もそれに一人でも参加したかったのですが、私達スタッフは広河さんに呼び止められて、スタッフ数名と広河さんの部屋で飲むことになりました。
私はそのことに納得がいかずに、あからさまに機嫌を損ね、文句を言っていると、
回りの人に「まぁまぁ」と言われ、<そんな感じだと男も大変でしょ>という趣旨のようなことまで言われて、途方に暮れました。
私自身が取材をするようになり、腕章がないと入れない現場の取材があったので、広河さんに相談すると、DAYS JAPANの腕章を貸して下さったこと、
しかし、結局取材をできず、本当に申し訳ないと泣く私に、<ぼくも昔…>と言って、ご自身の失敗をさらして下さったこともありました。
一生懸命、慰めようとして下さっているのが、よく分かりました。
そして、5〜6年経った頃、自身の取材に専念すべく、ボランティアからは自然と離れましたが、一取材者として、『DAYS JAPAN』に記事を掲載する形で関わるようになりました。
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暫くは連絡も取ることもなかったのですが、震災後、またやり取りする機会が少しできました。
数年前のある日、広河さんから食事のお誘いを頂きました。
食事だなんて珍しいと思いましたが、何か話があるんだと思い、食事をすることにしました。
ただ、何となく心配で、<急で申し訳ないんですが、20時までに出ないといけなくなった>と言って、終わる時間をこちらから提示すると、<物凄く忙しい中出てきたのに>と言われて少し驚きました。
食事をしていると、私の恋愛経験やコンプレックスについても、色々と聞かれて違和感を覚え始めるも、まぁ、お酒の席だし…と思いましたが、<これからも連絡を取り合いたい>というような趣旨のことを言われ、戸惑いながらも、「食事だけなら」と答えると、「食事だけ?」と言われて、食事の趣旨を察しました。
その際、ヌードの撮影についても広河さんは言及されていましたが、今回記事にでてきた内容と異なる文脈だったので、それを素直に信じていました。(言葉を記述してもいいほど正確に覚えていないので、具体的な記述は控えます。ただ、この時の会話が、広河さんとの出来事を話してはいけないことだと認識し、今回公開するか否かを迷った一因でもあります。)
<僕の気持ちは教えてしまったから、僕からはもう連絡しない。心に穴が空いたら連絡して。>と言われ、別れました。
今思えば、記事にあった現場のほど近いバーでした。
そう思うと、私が時間を限らなければどうなっていたか…。そんな気持ちが湧いてしまいます。
その後、私から一度電話をしたことがありますが、「何を言っているか分からない」と言われて、電話を切られてからは、連絡をしていません。
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告発した方々の被害に比べたら、比にもならないできごとですが、今も繋がるDAYSの仲間にも、このことは勿論、広河さんの違う側面は、言ってはいけないことだと感じていて、ずっと言えずにいました。また、広河さんの名誉のためにも、こういった出来事については言及ないし他言しないよう、心にしまったまま、公に対しては支持を続けました。
しかし、それが今、大きな誤りだったということに気づくと同時に、取り返しのつかないことをしてしまっていたのだと気づきました。
被害と加害の責任の一端は私にあります。
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記事にあった広河さんが発したとされる言葉の言い回しなど、読んでいて、その様子を想像できました。ゆえに、一層、恐ろしく吐き気がしました。しかし、実際に強要(というか記事の内容通りであれば「レイプ」と言うべきですね)された方々が、どれほどの恐怖であったか…これには、想像に及びません。
ボランティアで出入りする人は、私が当時いた頃の範囲で言えば、老若男女いましたが、若い女性も多く、よく<広河さんのところは女性がよく集まるね>という趣旨の言葉を、他の関係者から、かうように言われたこともありました。
また、社員の入れ替わりも多い印象でした。
一方で、広河さんのことについては、耳にはしていたし、自分もその一端に触れたのに、どうして、「それはハラスメントだから、やめたほうがいい」と言わなかったのか…。他の子達に思いを寄せ、聞き取りをしなかったのか…。
申し訳ない気持ちで一杯です。
恐らく、他にも私と同じような思いを抱いている人達も少なくないのではないかと、推察している次第です。
もっともっと早く、編集部も関係者も、そして私も、対応すべきことでした。
私達はその罪を認識し、心から反省しなくてはなりません。
この間、親好があったと思われる著名な方々や専門性を伴った職業につく方々の本件にかかる衝動的、瞬間的、単発的な言葉には、未だ気持ちが追いついていきません。
立場の表明等は自由ですし、大切なことだと思いますが、誠実な気持ちを感じません。
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もし、声なき被害者がいるとしたら、というより、いると考えるほうが自然、恐れず言うならば、いると考えたほうがいいと思っていますが、私はその方々に対して「立ち上がろう」と呼びかけるつもりはありません。私の軽度な経験でさえ、今綴りながらも、もし広河さんが見たらどうしよう…などという不安が拭えないでいるからです。
しかし、黙認してきた一人という立場としては、告発者の方々の経験を思えば、こんな不安など、取るに足らないものです。
声なき被害者からの声を上げてもらうことよりも必要だと思うのは、被害女性達が告発する勇気を振り絞ったように、あるいは、その勇気を無駄にしないために、黙認してきた人達がなすべきことをきちんとすることだと思います。
多少なりとも知っていた関係者も相当数いるのではないかと推測します。
このことの根深さは、無自覚な加害者と同等のように感じます。
著名な方々ほど難しいかと思いますが、告発した被害女性の方々、声なき被害者の方々を孤立させないために、できることをしてください。立ち上がるべき立場の人は、被害者以外に、もっといるはずです。
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広河さんのような無自覚な加害者を生んでしまったことについて考える時、自身の経験と切り離して考えることができません。
広河さんとは関係ない話になりますが、私自身、いわゆる上司等による職場の組織ぐるみでの、また、指導者からの性的強要、部屋からの脱出、口止め、デートレイプは、今までもあって、その中で、人を大切にする立場の人に、気持ちを踏みにじられた、と感じたことがあります。特に、信頼を寄せる人からの蹂躙は、言葉になりません。
そのため、記事にあった、NOという選択肢はない、ということも、こなす(やり過ごす)ということも、そして、その後一人になった時にさまざまな感情がわき起こるということも、とてもよく理解できます。
きっと誰からも理解されないと思いますが、誤解を恐れずに言うならば、次第に、とにかく何も考えず、笑って状況を前向きに捉え、楽しそうにやり過ごすくせを覚えてしまいました。好意を持たない相手からの接触や、身動きできない状況を作られた時、そして、少し相手に力が入った瞬間、無意識に思考が止まるような気がします。ただ、できる限り、せめてもの愛情を求めることはあると思います。自分でもよく分かりません。だから余計に誤解を生むのかもしれません。でもその後、一人になると、起こったことに対する物凄い嫌悪感に襲われる。その後、愛情など欠片もなかったことを知る。もう絶望すらしなくなりました。
もうそのように対処することに慣れてしまって、これまでのことについて、「被害」だったかすら考えたくないし、認めたくもありません。
今回の報道に際し、こうした私自身の対処の積み重ねが、無自覚な加害者を生むことに繋がっているのかもしれないと初めて感じました。私の対処によって、相手は「同意」と捉え、「強要」「加害」などとは一ミリも感じないし、一生理解できない。
※これはあくまでも私自身の体験に基づく私自身の見解なので、被害者は一切関係ありません。
記事にあった広河さんが発したという「僕のせいじゃないでしょ」という言葉…
私自身にとっても、大きなショックでした。
自身の経験が重なり、すべてを物語った言葉で、今までの暗示が解かれたような感覚と、改めて、おぞましさを感じました。
同時に、これを被害者の方々が目にした時、どう感じるのか、どうなってしまうのか、心配でなりません。
こうした負の流れを、私自身がきちんと断ち切らないといけないことに気づきました。
そのためにも、私自身が、笑ってやり過ごすことなく、今後はきちんと断る、凛とした女性に変わりたいと思います。
結論づけ方がズレているかもしれませんが、長年、ハラスメントの環境が常態化した社会で生きてきた私自身にとっては、そういうことしかできないし、それが最善かつ最も難しいことのように思います。
最近になって、ようやく嫌な時や困った状況の時にも断れるようになってはきましたが、とても時間がかかったように思います。それでも、未だに恐怖を覚えることも少なくありません。(もっと恐いのは、女性がどういうことに恐怖を覚えるのかすら、理解していない人が多いということです。)
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しかし、今回の被害者の方々は少なくとも、私のように人や物事を諦めていない、広河さんのもとで学びたいと願った、夢や希望に満ちた学生などの若い女性達です。どれほど絶望したことか…。悔しくてたまりません。
そうした女性達の気持ちにつけ込み、セックスの強要、レイプ、裸にさせ写真を撮るなどという卑劣極まりない行為が許されるはずはなく、あまりに非人道的なことです。
もうこれ以上、性暴力被害を経験する人や、罪の意識を持つことなく、加害を与える人、そして加害に慣れてしまう人を増やしてはいけないと心底思います。
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「弱い立場」を利用して、ということの他に、女性の自己肯定度の低さにつけ込んでいる側面もあるのかと感じています。
女性が自分を大切に感じることのできない社会を、私達は作ってしまっているということ、
そこで生きる難しさ。
被害女性に対して<非がない><あなたはわるくない>と伝えることももちろん大切だと思います。それと同時に、これはあくまでも個人的な思いですが、<私達はもっと自信を持とう。もっともっと自信を持っていいんだ>と言い合って支え合い、周囲は、努めて相手の価値を認めていくことも、必要のような気がしています。
それが、私自身にできる、女性の人権が蹂躙されない社会を作る第一歩のように感じています。
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最後になりますが、私自身、これほどの勇気を得たことは未だかつてありません。
私に勇気をくれたのは他でもない、被害を受け、告発した方々です。
感謝を申し上げるとともに、今回告発された被害女性の方々、そして、声なき被害者の方々の深い傷が一日も早く癒えること、心身ともに平穏が訪れることを切に願ってやみません。
もし、被害を受けていたのかもしれないという心当たりがある方々がいたら、もう何も恐れる必要はなく、「被害」として受け取っていい、ということを知って頂けたら…と思います。
そして、本当にごめんなさい…
フリーランス ライター/エディター
稲垣 美穂子