―バハルス帝国首都アーウィンタール、帝城―
バハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、魔導王の力と、何よりも、その使い方の上手さをまたしても思い知らされた。
「久しぶりだな。その、爺、なのだな?」
ジルクニフは、元宮廷魔術師を名乗る男に自信なさげに問いかける。
「勿論ですとも陛下。ご無沙汰しております、フールーダ・パラダインでございます」
「そ、そうか。それで、その姿は?」
ジルクニフの前に立っているのは、どう見ても精々20代の青年だ。
「ほっほっほっ、魔導王陛下のお力によって若返らせていただきましてな。いや、若い体というのは良いものですな。いくら働いても疲れる気がしませんわ」
周りの秘書官たちが、ゴクリと喉を鳴らす音が聞こえた気がする。
魔導王がフールーダを若返らせたのはこの為か。
フールーダが帝城に帰還するとなると、一対一で会うわけにはいかない。
どうしても、帝国の高官たちも交える必要が出てくる。
帝城に務めるもので、フールーダの、長い髭を蓄えた老人の姿を知らないものなどいない。
それが、魔導国から帰ってきた時には、20代の青年の姿になったのだ。
帝国の高官達には、どのように映るだろうか。
魔導国の王は、国に貢献した者には、永遠の若さを授けてくれると考えるだろう。
人のままで若さを取り戻せると知れば、誰もが望んで魔導国に仕えようとするだろう。
人の口に戸は立てられ無い。
今でさえ、魔導国での待遇は知れ渡っている。
給料でも労働環境でも、魔導国には遠く及ばない。
更に、永遠の若さまで手に入るかもしれないとなれば、優秀な人間ほど魔導国に行くことを望むだろう。
これからは帝国で最も優秀な人間たちは、間違いなく魔導国を目指すようになる。
国力を削ぐのに、人材の引き抜きほど有効なものは無いだろう。
魔導王や部下たちが、直接引き抜くのではなく、自分から行こうとするのであれば抗議することも出来ない。
「いやあ、手紙でも書きましたが、毎日が充実しておりましてな。今度は友人も連れてきて良いですかな?」
フールーダに悪気が無いのは良く分かっている。長い付き合いだ。
しかし、こいつが出て行ったせいでどれだけ苦労したことか。
しかも―分かっているか怪しいが―こいつの存在自体が、魔導国の宣伝になっているというのに。
少しは、殊勝な態度を取れないものだろうか。
「ああ、こっちはお前が居なくなってから散々苦労したぞ。全く、どれだけ爺に頼っていたか、思い知らされたよ」
「若い頃の苦労は買ってでもしろと申しますからな。なあに、陛下ならば何の問題もありますまい」
そうだった、フールーダという男には、少しでも遠回しな表現の嫌味は通じなかった。
「して、今回はですな」
この爺、何事もなかったかのように話を続けてきやがる。
「魔導王陛下のご命令で、儂の弟子たちの中から何人か、魔導国に留学させてみてはと言われましてな」
「ま、待て。今、魔法省の中心人物を引き抜かれるわけにはいかん」
「いやいや、流石にそんなことは致しませんとも。若手の一部に1年程、経験を積ませようということです」
「経験だと?」
「左様、魔導王陛下だけでなく、陛下の側近の方々も神代のお力を持った方々です。そのお近くに仕えることが出来るというのは、どれ程貴重な経験となることか。また、色々な研究にも関わらせようと考えております。帝国の魔法技術の底上げにもなりますぞ」
確かに、フールーダの言っていることは間違いではない。
しかし、魔法省の連中とは本質的にフールーダに似た性質を持っている。
1年も魔導国に居たら、間違いなく魔導王に心酔していることだろう。
そんな人間を、中枢に置くわけにはいかない。
最悪、戻ってきたら閑職に飛ばすか。
いや、それなりの予算を与え、研究職に就けるとしよう。
人との接触機会を減らせば問題はあるまい。
閑職に飛ばして捨扶持を与えるよりはずっとマシだろう。
「それにしても陛下、少し見ないうちに一段と風格が出て参りましたな。随分と精悍さが増して男振りがあがりましたわ」
「ん? そうか、まあ、髪もバッサリ切って短く揃えるようにしたしな」
薄くなってきた頭を誤魔化すのは、短髪にするのが一番だ。
事実、男女問わず、現在のジルクニフの外見は受けが良い。
以前は優男というイメージだったが、今はフールーダが言うように、精悍さが増して皇帝としての風格が出てきたと評判だ。
……老けただけではないか、という考えは頭の端に追いやることにする。
「うむうむ、よく似合っておりますぞ。いよいよ御父上に似てこられた」
懐かしそうに先代皇帝に想いをはせる爺の姿は、恐らく裏も表も無いのだろう。
「それで、これからどうするのだ?」
「ええ、まずは弟子たちのところに顔を出そうと考えております。それから若い者を何人か選抜しまして、そうですな、一月ほどで魔導国に戻ろうかと」
「そうか、まあ勝手知ったる帝城だ。ゆっくり羽根を伸ばしていくが良い」
―帝城内、ジルクニフの執務室―
「お前たち、何人抜けると思う?」
ソファーに横になったまま気怠げに、今では片手の指で足りる程になった側近に問う。
「10や20なら良い方でしょうな。いくつかの部署が丸ごとゴッソリ無くなるってこともありえます」
「バジウッド殿!」
「良い、ニンブル。バジウッドの言ってることは正しい」
魔導国に追いつく為、帝国内の改革は最優先で進めている。
それでも手が足りない。
優秀な文官は高給で雇っているが、人材流出が絶えない。
国民の生活に影響が出ないように、何とか誤魔化しながら国を運営しているのが現状だ。
属国になったからといって、王国のように官僚の大半を魔導王のアンデッドにさせるつもりはない。
あくまでも、帝国としての自治を守らなくてはならない。
これは連綿と続く、帝国の皇帝としての意地だ。
「ところでニンブル。例の女性はどうだった? レイナースから紹介されたのだろう?」
気分転換に話題を変えよう。
「残念ながら、お断りしました」
「何故だ? アインドラ家といえば王国でも有数の名家だぞ? 冒険者として、魔導王陛下の覚えも良いと聞く」
「陛下、勘弁して下さい。確かに美しい方でしたが、何というかその、強引なところがありまして」
「チームメンバーが結婚して引退。自分も、そろそろ10代が終わりそうだということで焦りが出たのかもな」
「あの調子だと苦労すると思いますよ。変なのに引っ掛からなければ良いですが」
「ははは、もし彼女が結婚できなかったら、お前は一生恨まれるかもな」
苦労するのが自分一人とは、実に不公平だ。
女は拗らせると非常に厄介だ。
順風満帆な人生を歩んでいるニンブルにとっても、きっと良い経験になるだろう。
「レイナースから聞いたんだがよ。あの嬢ちゃん、仲間からは来世に期待しろって慰められてるらしいぜ」
「来世? あの転生の秘術という奴か?」
「それですよ。望むなら、記憶も容姿も才能も維持したまま、生まれ変わることが出来るって奴です」
「まるでおとぎ話ですね。あのフールーダ様を見てなければ、とても信じられなかったでしょうね」
「あの魔導王陛下だからな。正直、出来ないことを探す方が難しいだろうよ」
きっと、あれ程の絶対支配者ならば、女性で苦労したことなど無いのだろう。
彼の妃たちは美しく、お淑やかで、夫に従順な良妻であるように見えた。
全く、羨ましいことだ。
「そう言えば、銀糸鳥と漣八連は結局どうなった?」
「はい、2チームとも、魔導国に向かったという報告が入っております」
「都市国家連合ではなくてか?」
「間違いありません。既にエ・ランテルに到着している頃かと」
「未知を探索する、真の冒険者という奴か?」
「ええ、腕に覚えがある冒険者でも、あの戦いを目にしてしまっては、魅せられることでしょうね」
あらゆる分野から、優秀な人材が居なくなっていく。
この前は、闘技場の支配人であるオスクが、武王を連れて魔導国に向かったらしい。
準備を終えたら、遠からず河岸を替えるつもりだろう。
帝国の闘技場をどうするかは分からないが、どちらにしても目玉となる戦士が居なくなるのだ。
往年の盛り上がりは、もう期待できないだろう。
「ふう、仕方あるまい。例の、あの鉄道という奴を導入しよう。」
鉄の道を敷き、その上を何台も連結した貨物車を走らせるという大量輸送計画。
貨物車は魔法により軽量化されているらしい。動力は複数のソウルイーター。
将来的には客車なども作って、人の移動も簡単に出来るようにするそうだ。
エ・ランテルと、世界中の都市を繋ぐという計画らしい。
既に法国、王国では工事に着手しているとか。
鉄道をアーウィンタールまで敷設することで、資源を集中し、都市国家連合との貿易を活発化させよう。
帝国から減った分は、都市国家連合から補填すれば良い。
それにしてもジリ貧だ。何か逆転の目はないものか。
ジルクニフは、癖になった大きな溜息を一つ吐いた。
―帝国魔法省―
帝国から魔導国に降った元宮廷魔術師、フールーダが突然帰還したという報せは、あっという間に魔法省内に知れ渡った。
「お帰りなさいま、せ、フールーダ、さま?」
すっかり別人のような姿になったフールーダを見たものの反応は、大体同じだ。
フールーダが若返りの説明をする度に、弟子たちの間に怪しい雰囲気が漂うのも。
「さて、お前たちの内、優秀なものを5名程魔導国に留学させるつもりだが、我こそはというものは居るかな?」
「師よ、それは魔導王陛下の魔法を、間近で目にする機会があるということでしょうか?」
「ふふふ」
フールーダがニヤリと笑う。
集められた弟子たちが途端にざわめく。
あの神の魔法を目にする機会など、どれだけの財産になるだろうか。
「それだけではない。今、儂はルーン工匠と共に新たなマジックアイテムの開発なども行っておる」
「何と! 魔導国にはルーン工匠もいるのですか!」
「うむ、魔導王陛下御自ら招聘されたのじゃ。儂は今、ルーンの研究にも携わっておる。じゃが、どうしても手が足らんでな」
これは、一年の留学などという話ではない。
恐らく、これは試用期間のようなものだ。
もし、ここで実力を認められれば、最高の環境で、世界最先端の魔法を研究出来るのだ。
しかも、至高にして深淵の、魔法の神のすぐ側で。
「師よ。そのお役目、この私こそが相応しいと愚考致します」
「何を言う。お前はまだ第三位階までしか使えんだろうが! 師よ! 私はこの一年で第四位階を使用出来るようになりました! 成長を考えると、私こそ師の助手を務めるに相応しいかと」
弟子たちは皆、我こそはと自身のアピールに必死だ。
当然だが、一年後、留学した者たちが魔法省を退職して、魔導国に向かったところで、誰も咎めることは出来ない。
アインズは、帝国にもある程度の技術を流してやるつもりでこの留学を計画したのだが、フールーダを始め、そう考えるものは一人もいなかった。
前世同様、感謝されるだろうと思った親切心は、相手の心を折るだけの結果しか生まなかった。
ジルクニフの悩み、髪と人材の流出はまだまだ終わりが見えない。
フールーダ「今回の留学は、魔導王陛下の親切心によるものですじゃ」
ジルクニフ「しんせつ…だと……(しんせつ、心…折…ハッ! 俺の心を完全にへし折ると言いたいのか! くっ、負けるものか!)」