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【サッカー】

柴崎、引退・小笠原の東北人魂受け継ぐ アジア王座奪還も誓う

2018年12月28日 紙面から

日本代表合宿に合流した日本代表・柴崎岳。右は槙野智章=千葉県内で(堀内翔撮影)

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 サッカーのアジア・カップ(来年1月5日開幕・アラブ首長国連邦)に臨む日本代表は千葉合宿2日目の27日、寒空の下で約1時間20分、基礎トレーニングやボール回しなどで汗を流した。MF柴崎岳(26)=ヘタフェ=は、鹿島時代に師弟関係にあった小笠原満男の現役引退を受け、東北人魂の継承とアジア王座の奪還を誓った。

 柴崎が、大先輩から受け継いだ東北人魂を胸に、アジアの舞台へと挑む。この日、2011年から6季に渡ってともに鹿島でプレーした小笠原が、今季限りで引退すると発表。柴崎は「(引退は)知らなかったので驚いた」としつつも、小学生時代から憧れた男の引退を惜しんだ。

 「小学生のころからのアイドルで、(当時は)満男さんのリストバンドを着けて練習をしていた。鹿島に入って同じチームでプレーすることが、うれしかった先輩の一人だった」

 同僚となってからは“常勝・鹿島”の中盤でコンビを組み、試合や練習で勝利への厳しさをはじめ、多くを学んできた。

 柴崎は青森で小笠原は岩手と、同じ東北出身。ともに口数は多くないが、「試合や練習の空気を察するのは、すごく上手で。流れを読んだり、緩い空気を察知するのが人一倍早くて、ゲキを飛ばすことも多々あった」。また、分厚い背中から学んだことの一つひとつが、「自分を一人の選手として成長させてくれた。多くを語らなかったが、プレーの中からも得るものがたくさんあった」と言う。

 小笠原譲りのゲームメークで日本の司令塔として君臨するまでになった今、柴崎は「アジア杯は優勝しか見えていない。その自信と、決意を固めてきた」と力を込める。大先輩から学んだ勝負への厳しさで、難敵ぞろいのアジアを勝ち抜き、頂点へとチームを導く。 (馬場康平)

◆震災経て成長した 関塚技術委員長

 鹿島コーチ時代に小笠原を指導した日本サッカー協会の関塚技術委員長は、前日26日に直接連絡があったといい、「鹿島でレジェンドとして一時代を築いた男。お疲れさまと伝えた」としみじみと語った。イタリア移籍や2011年の東日本大震災を経て、「素晴らしい人間性を持った選手に成長した」と指摘。その存在感や影響力は大きく、「柴崎や他の選手が成長できたのは、彼が横にいたことが大きかったんじゃないかな」と話した。

◆青山「憧れの存在」

 青山が「憧れで、目指すべき存在だった」という小笠原の引退を惜しんだ。J1でしのぎを削った思い出を「話したことはないですし、話すべきじゃないと思っていた。そういうオーラを出していた。

 プロとして、常勝軍団で先頭に立ってきたので、そういう厳しさは絶対必要なんだなと、いつも思っていた。負けたくなかったし、その分、自分も成長させていただいたと思う」と青山。どこか寂しげな表情を浮かべた。

 

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