オーバーロード ~経済戦争ルート~   作:日ノ川
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取りあえず聖王国編の本編はこの話で終わりです
魔神や従属神に関する設定をイビルアイがどれほど知っているかなどは不明なところも多いので独自設定が多くなります


第74話 戦いの終演

 破壊の痕跡を追いかけながら、モモンを捜すラキュースだったが、未だその姿は見つからない。

 戦いの最中に発生したこの霧のせいで視界が悪く、発見が困難となっていた。

 

(モモンさん)

 声を出して捜したいところだが、ヤルダバオトが連れてきたのがあの亜人たちだけとは限らない為、それもできない。

 

(水神よ、どうか私をモモンさんの下までお導き下さい)

 せめて心の中でだけ、祈りを捧げる。

 祈るのは自分が信仰する四大神信仰の最高位神の一柱である水神。

 小神とは異なり、名は伝わらず、ただ水神とだけ呼ばれるその神は、この世界を作り出し統治しているとされる四大神の一柱にして、魔法を使う際、常に傍らに感じる大いなる存在。

 その神の導きがあると信じて、ラキュースは道を進む。

 早くしなければ仲間たちの命が危ない。

 いくらルーン武器というヤルダバオトに効果の高い武器や防具を持っていてもモモンですら敵わなかった悪魔が相手ではそう長くは持たないはずだ。

 早くモモンを救出し、自分も戻らなくては。

 

(それにしても邪魔な霧)

 そう、考えた瞬間だった。

 

「え?」

 まるでラキュースの言葉を聞いたかのように、あれほど濃く都市中を覆っていた霧が晴れ、雲すら消えて、代わりに青空が広がった。

 

「これは……魔法?」

 第四位階の魔法に雲を操る〈雲操作(コントロール・クラウド)〉があるが、あれは雲を動かす物でこのように霧や雲そのものを消すほどの力はなかったはずだ。

 

「〈天候操作(コントロール・ウェザー)〉? まさか──」

 森司祭(ドルイド)が使用する信仰系の魔法にそんな魔法があると聞いたことがあるが、あれは第六位階。

 おとぎ話の中の英雄や、大儀式を持ってなんとか使用できる伝説の魔法の筈。

 イビルアイですら、使用できる魔法の最高位階は第五位階。

 当然彼女もこんな魔法は使えない。この場でそれを使えるとすれば、思い当たる相手は一人しかいない。

 

「ここに居たか。モモンは見つかったか? 復活魔法の使い手よ」

 背中から声が聞こえた瞬間、ラキュースは地面に雑納を投げ捨て、キリネイラムを構えた。

 

「ヤルダバオト!」

 

「良い反応だ。人間にしては、な」

 やはりこれだけの魔法を行使するのはヤルダバオトしか存在しないと思っていた。

 魔力系の魔法だけではなく、森司祭(ドルイド)の信仰系魔法まで使いこなす。

 この事実は重要だ。

 王国の為にも、何とかして外部に伝える必要がある。

 そう思いながら改めてヤルダバオトを見ると、その手に何かが握られていることに気が付いた。

 

「少し短いが、その分軽くて使いやすい。何より頑丈な良い武器だ。そうは思わんか?」

 ローブごと足を握られ、長い金色の髪がだらりとぶら下がっていた。

 いつも付けている仮面は外れ、幼い少女の顔が覗いている。

 

「イビルアイ!」

 思わず声をあげてしまった。

 

「に、げろ。ラキュー、ス」

 イビルアイは肉体へのダメージを魔力に変換する魔法が使用できるが、既に魔力が切れているのか、顔には傷が残り、足からは体が燃えるイヤな臭いが漂っている。

 とはいえアンデッドである彼女には痛みは無いらしく、話すことはできるようだ。

 

「貴様ァ! 私の仲間を離せ!」

 だからと言って、仲間が傷つけられて冷静でいられるはずもなく、声を上げるが同時に微かに残った理性が落ち着け。と頭の中で告げている。

 イビルアイを武器と呼び、捕らえられている以上、このまま戦うことは得策ではない。

 それ以前にヤルダバオトは自分一人でどうこうできる相手ではないのだ。

 一度退き、モモンを捜すべきだ。

 

「良いだろう。ほら、傷を癒してやると良い」

 ラキュースがその考えを実行に移し掛けた瞬間、ヤルダバオトは巨大な口を横に広げ、笑みらしきものを形作ると、イビルアイをラキュースに向かって投げ捨てた。

 

「っ!」

 剣を下げ、イビルアイを受け止める。

 隙を作るのが目的か、とも思ったが何を考えているのかヤルダバオトは悠然と腕を組み、こちらを見下ろしている。

 

「どうした? お前の魔法で治してやれ。他の者たちもあちらに転がっているぞ? 助けに行ったらどうだ?」

 

「聞く、な。ラキュース、奴はお前が復活魔法を使用できることに、気づいている。魔力を使わせて……モモン、様を蘇生させないつもりだ」

 イビルアイにそう言われ、何のために。という疑問が浮かぶ。

 そんな手間をかけずとも、ラキュースを殺すか、それとも復活魔法を必要としているのなら、捕らえれば良いだけだ。

 わざわざ魔力を消費させて魔法を使用できないようにするような、回りくどい方法を取る意味はない。

 もっともアンデッドの特性上、ラキュースの信仰系魔法では彼女を癒すどころかダメージを与えるだけなのだが。

 

「ふん、余計なことを。だがどうする? モモンの復活さえしなければ貴様等を生かして帰しても良い。しかし、尚もモモンを捜すというのなら、ここで全員殺すまで」

 

「生かして? どういう意味?」

 ラキュースの問いかけにヤルダバオトは再度笑みを浮かべる。

 

「そのままだ。この地で我が悲願が叶った後、それを世界中に知らせる必要がある。お前たちが王国の冒険者ならばその役目が最も相応しい。それだけだ」

 ヤルダバオトが言っている言葉の真意を探ろうとするが、その顔からは何の感情も読みとれない。

 

「アイツの言っていることは、おそらく本当だ。少なくともガガーランたちは生きている。手加減をされた……わざわざ生かしたところを見ると──」

 

「本気ということね」

 しかし何のために。

 確かにヤルダバオトの想像を遙かに超える力を目の当たりにしたのが、自分たちアダマンタイト級冒険者なら、いくら愚かな王国の貴族たちでも、ある程度信用するだろう。

 だがその意図は読めない。

 何故わざわざそんなことをするのか。敢えて聖王国を征服した事とヤルダバオトの強さを伝え、恐怖を煽るためだろうか。

 どちらにせよ、奴の力を正確に伝えることができれば国の枠を超え、対ヤルダバオトの包囲網を形成することも可能だ。なにより、そのヤルダバオトを一度は撃退したアインズ・ウール・ゴウンは無傷。

 今度こそ、そちらに助けを求めれば勝ち目はある。

 

「さて、返答を聞こう。どうする? ここでモモンを見捨てれば命を救ってやる。国を出るまで亜人どもにも手を出させん。もはやお前たちには万に一つの勝ち目もないのだ。選択の余地はないと思うがな」

 ヤルダバオトから目を離さずに、唇を噛みしめる。

 恐らく奴の言っていることは本当だ。例え何か意図があっても、ここでモモンを、そして聖王国を見捨てれば自分たちは王国に帰れる。

 そして、ラナーに事情を伝え、王国で対策を取る時間も確保できる。

 だが──

 

「イビルアイ」

 

「……いいさ。お前の好きにしろ、リーダー」

 何とか立ち上がり、ヤルダバオトを睨み付けていたイビルアイはラキュースの言葉に、優しく微笑みを浮かべた。

 いくら外見が幼くとも、普段の言動が子供っぽいとしても、彼女は二百年を超える月日を過ごした伝説の吸血鬼。

 それだけにラキュースの言いたいことを直ぐに理解し、覚悟を決める。

 確かにヤルダバオトは自分たちを生かして王国まで逃がすつもりかもしれない。

 どんな策略があろうと、王国や人類全体のことを考えれば、それが最も正しい選択であるのは言うまでもない。

 だが、自分は、自分たちは冒険者なのだ。

 依頼人である聖王国や命の恩人とも言えるモモンを見捨てて、安全策を選ぶような真似をしては、それこそかつてアインズ・ウール・ゴウンがモンスターの退治屋と揶揄した、安全を第一に考え、冒険することを止めてしまった今の冒険者そのものではないか。

 モモンは自分を冒険者と言った。

 だからこそ、確実な勝ち目が無くともこの地に出向き、アイテムを失い不利な状況になってもヤルダバオトと正面から戦った。

 その彼に救われ、憧れて、追いかけると決めた自分たちが、安全策など取れるはずがない。

 僅かでも可能性があるなら、それに掛ける。

 

「冒険開始と行きましょう」

 

「ああ!」

 ラキュースとイビルアイが構えを取ると、ヤルダバオトはこちらを嘲笑うように鼻を鳴らした。

 

「愚か。実に愚かだ。聞こえないのか? この音が、悲鳴が」

 言われて初めて遠くから、大群同士がぶつかり合って起こる戦争の音が響いていることに気が付く。

 亜人軍と城壁に集まっていた聖王国軍の戦いが始まったのだ。

 

「感じるぞ。我が軍の亜人どもが死んでいく。随分と早い、このままでは全滅も直ぐだな。人間どもめ、余程必死になっているのだろう。良いことだ。もっとだ、もっと死ね。その血で、屍で、この地を埋め尽くせ」

 ただでさえ数の上で圧倒している上、攻城戦を仕掛ける亜人と、防衛する聖王国軍では、聖王国に分がある。

 いくら亜人が強くとも無策ではただ死ぬだけだ。

 無駄な犠牲でしかない。

 本来包囲した側は攻撃などせずにただ包囲して、時間を稼ぎ兵糧責めにするのがセオリーだ。

 だが恐らく、あの亜人たちはヤルダバオトの命で無理な攻城戦を仕掛けさせられている。

 そうして死にゆく自分の配下を、何故ヤルダバオトは嬉しそうに語るのか。

 

「何を、言っている?」

 

「言っただろう。この地は我が悲願が達成する約束の地。亜人軍五万の命、そして聖王国軍十万の命、十五万の命を生け贄とする。今まで殺した分と合わせればここで必要な数が揃う。貴様等にはそれを見届け全世界に知らせる役目を与えるつもりだったが、もう良い。後はスレイン法国の者にやらせよう」

 

「法国? なにを──」

 

「……そうだな、せめてそれぐらいは知ってから死ぬのも良かろう。もはや私の宿願を邪魔する者はいないのだから──お前は信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)だな? 信仰する神は誰だ?」

 

「──私は最高位神である水神の加護を受けている」

 冒険者として覚悟を決めたばかりだというのに、ヤルダバオトの提案に乗るのは癪だが、ラキュースにとって冒険とは玉砕することではない。

 どんな状況でも勝つ道筋を探し、それを手繰り寄せることだ。

 ヤルダバオトが何故ここまで自分たちにそれを聞かせたがるのか知らないが、それで少しでも油断してくれれば、勝率も僅かとは言え上がる。

 同時に後ろではイビルアイが急速に魔力を回復させる特殊技術(スキル)を使用しているのが分かる。ならばなおのこと時間稼ぎは有効だ。

 

「水の神か。なるほど……貴様が王国の人間ならば信仰するのは四大神信仰だな?」

 

「だったらなんだと言うんだ!」

 

「くくく。愚かな、偽りの伝承を信仰するなど、本物の神に対する冒涜でしかない。四大神は所詮、光と闇より生まれた存在に過ぎん。故に本当の最上位神とは光と闇の神のみだ」

 

「六大神信仰? 悪魔が?」

 ラキュースを初めとした近隣諸国の者たちは土、水、火、風をそれぞれ統べる神がこの世界を作り出したとされる四大神信仰が基本だが、スレイン法国だけはその上に光と闇の二柱の神が存在するという六大神信仰を唱えている。

 そのため四大神を信仰している者とは教義的に合い入れないのだが、ここで問題なのは悪魔が神を信仰しているということだ。

 邪悪な存在である悪魔が、四大神にしろ六大神にしろ、聖なる存在である神を信仰する。

 その異常さに言葉を失った。

 だが同時に先ほど奴が森司祭(ドルイド)の信仰系魔法を使えた理由も分かった。悪魔が神への信仰が必要な信仰系魔法を使うなどおかしいと思っていたが、これで説明が付く。

 

「やはり、貴様は魔神の生き残りだったか」

 

「ほう。どうやら少しは事情を知っているようだな」

 

「イビルアイ。どういうこと?」

 

「……お前たちに言ったことは無かったが、元々魔神とは、神に仕えた小神が地上に降りたせいで堕落し、悪に染まった存在らしい。だからこそ、魔神も人と同じように最上位神を信仰し、時には信仰系の魔法を使用する。あの言いぶりでは光、いや闇の神に仕えた従属神というところか」

 確かに時折イビルアイが語る十三英雄との冒険譚に魔神が登場することはあったが、魔神はあくまで倒すべき敵としてであり、詳しく語られるのは仲間である十三英雄ばかりだった。

 

「魔神が、元は従属神?」

 最高位神にはそれぞれ小神、または従属神と呼ばれる存在が付き従い、それらを個別で信仰する者もいる。

 そうした神々は何も全てが善神では無い、例えばあの王国に蔓延る犯罪シンジケート八本指は土神の従属神である盗みの神が八本指であることからその名が付いたとされている。

 悪神であっても、信仰の対象として魔法を使用する際に力を貸してくれる程度ならば、この世界にさほどの影響はないと言える。

 だが地上に降り、実体として直接害を成しているのならば、その影響力は計り知れない。世界中を暴れ回った魔神の力もこれなら納得できる。

 そして墜ちたとは言え、ヤルダバオトが元は神であったのなら、これだけの力を持っていることも、それぞれが別の種族である亜人を纏め上げるだけのカリスマ性も説明がつく。

 

「墜ちた? 下らん、それは貴様等の理屈。今も昔も我らは変わってなどいない。我が宿願はすなわち──神の再臨である」

 如何にも不愉快そうに笑った後、告げられた言葉にラキュースは再度言葉を失う。

 

「な!?」

(神の再臨? 待って、こいつはさっきなんと言った? 確か必要な生け贄が揃うと言っていた、それはつまり──)

 

「人と亜人の魂で神を復活させるつもりか?」

 ラキュースの代わりにイビルアイが口を開く。

 考えてはいたが、言葉にされるとそれはなんとおぞましい響きを持っているのだろう。

 

「その通りだ。今まで何度となく我らはそれを願ったが、その悉くがお前たちのような者どもに打ち砕かれてきた。だが今度はそうはいかぬ。見よ、命を失った魂がここに集う。先ずは亜人の魂。そして、ここにいる人間どもを殺し、その魂を捧げさえすれば、我が主、光の神アーラ・アルフ様の復活が叶う!」

 ヤルダバオトが手を広げると、どこからともなく拳よりも小さな光の球が集結する。それらはヤルダバオトの元にたどり着くと、そのまま吸収されるように消えていった。

 それが何であるか、今の話を聞けばイヤでも想像がつく。

 人、いや亜人の魂だ。

 ヤルダバオトはここにいる全ての者を殺し、その魂を以て神を復活させようとしている。

 

「光の神の従属神が悪魔か。いよいよ笑えんな。ラキュース、ある程度回復した。動くぞ。全ての魂が集まる前に奴を叩く!」

 

「ええ! 神の復活のためでもあっても、こんなことは許されない!」

 怖じ気付きそうになる自分を奮い立たせる。

 神に仕える神官である自分が、例え異教であろうと別の神とも呼べる存在を倒していいのか。という思いが微かに体を鈍らせる。

 だがそれでもやらなくてはならない、あの邪悪な魔神によって復活した神が善神である保証はない。聖王国だけではなく、この世界のためにも何としても阻止しなくてはならない。

 

「お前が光の神の従属神であるというのなら是非もない。我が剣は無限の闇を凝縮し生み出された最強の暗黒剣、キリネイラム。その暗黒の根源たる力を以て討ち滅ぼしてやる!」

 キリネイラムとルーン武器を二刀を構えつつ、キリネイラムの方を前方に突き出しながら、ラキュースは言い放つ。

 あえてキリネイラムを強調したのは、もう一つの剣がヤルダバオトに効果のあるルーン武器であると悟られないようにするためだ。

 キリネイラムに意識を向けさせ、ルーン武器で攻撃する。

 ヤルダバオトは傷つき、魔力も消費している今ならば、ラキュースの攻撃でも通るかもしれない。

 

「来るか人間ども。そもそも弱小種族である貴様たち人間は、我らが神の守護によって今日まで生きながらえたのだ。ならばその命、神のために捧げることに何の不満がある。神が存在しなければ生存すらできなかった者どもに、抵抗する権利などない!」

 口を大きく開いて人間そのものを嘲笑うヤルダバオトの言葉に、怒りを覚えラキュースは叫ぶ。

 

「ふざけないで! その話が本当であったとしても、今を生きている私たちには関係ない。例え神であっても、私たちは私たちの意志で生きている。お前の好きになどさせない!」

 

「その通りだ」

 聞き覚えのない、いやどこかで聞いた覚えがある声が辺りに響き渡り、飛び出しかけたラキュースはその動きを止め、声の方に目を向けた。

 何もなかった空間が歪み、その場に二つの影が現れる。

 一つは地面に膝を突き、ぐったりと体を降り曲げた、漆黒の鎧を身に纏った剣士。

 

「モモン様!」

 イビルアイが声を張り上げ、駆け寄って行く。しかしラキュースはもう一つの影から目が離せなかった。

 

「貴様! 何故、何故ここにいる! 魔導王。いや、アインズ・ウール・ゴウン!」

 ヤルダバオトが狼狽え、悲鳴のような声を上げる。

 漆黒のローブに光輝く杖、白と黒と左右非対称の小手を身につけ、そして泣き笑いの表情を浮かべる不思議な仮面を身につけた魔法詠唱者(マジック・キャスター)が、悠然と立っていた。

 

「ゴウン、殿?」

 

「久しいな。ラ……んんっ! アインドラ殿。良く時間を稼いでくれた。お陰でモモンを捜し出すことができた」

 何か言い掛けてから慌てて咳払いをし、取りなすようにモモンに顔を向けるアインズに、ラキュースは慌ててそちらに顔を向けなおした。

 片膝を突き、鎧ボロボロになりながらも、剣を支えになんとか倒れるのを防いでいる。

 隣に移動したイビルアイが体を支えようとするが、力も回復して切っていないのか、二人とも崩れそうになり、急ぎラキュースは反対側に移動して彼の体を支えた。

 

「すまない。不覚を取った」

 弱々しい掠れた声で言うモモンに、イビルアイは大きく首を横に振った。

 

「何を言うモモン様。貴方が居たからここまで……良かった、生きていて本当に良かった」

 

「ええ。後は──」

 合わせるようにラキュースも頷いてから、顔を持ち上げ、線の先にいる男に目を向けた。

 

「そう。後は私に任せておけ」

 ローブをマントの如く翻して、杖を向けるアインズの姿は、何故かかつて蒼の薔薇を救い、ドラゴンを一刀両断したモモンの後ろ姿に重なって見えた。

 

 

 ・

 

 

「興味深い話を聞かせてもらった。神の復活か、なるほど例の悪魔を召喚する悪魔像を欲していたのもそれが理由か」

 少し離れた位置からアインズから掛けられた魔法の力で姿と音を消し、様子を見届けていたネイアは二人から目が離せなかった。

 

「如何にも。捧げる魂は弱者ではダメだ。一定以上の力を持った者の魂。それこそが我が神を呼び覚ます。その意味でこの国は実に都合が良かった。近くに亜人の集落が存在し、民の大部分が徴兵制によって戦う力を持つ。大量の強き魂を集めるためにこれ以上相応しい国は存在しない」

 ヤルダバオトの話を聞き、その本当の狙いを知って背筋が冷たくなる。

 二百年以上前に世界中を暴れ回った魔神、それが聖王国でも信仰される四大神の従属神が堕ちた存在であり、ヤルダバオトは法国で最高神とされている光の神の僕。

 そして聖王国に地獄をもたらせたのは、全てその神を復活させるためだという。

 

(そんな、そんなことの為に)

 ここまで何度も見てきた地獄。

 収容所に囚われ、満足に食事も与えられず、様々な実験と称した拷問を受け続けた人々や亜人。その泣き叫ぶ声や悲鳴、怯えた瞳。

 その全てが異教の神を復活させる為のものなど、決して許されない。

 いや例え、ネイアも信仰する四大神を復活させるためであったとしても許してはならないのだ。

 

(ゴウン様。お願いします。その悪魔を、必ず)

 祈りながらアインズに目を向け、合図を待つ。

 今か今かと逸る気持ちを抑えながらネイアは預かったアイテムを握りしめた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン。確かに貴様は強い。傷ついた今の私では敵わないだろう」

 確かに顔の半分が潰れかけ、そこから流れる高温の血が地面に落ちて音を立てて蒸発する、その音が止むことなく鳴り続けていた。

 モモンがあの収容所で大量のアイテムを使用した状態でそこまで追い詰めたのだ。対してアインズは無傷で数々の武具やアイテムで対策も施しているのだから、勝利は確実に違いない。

 だが、ならば何故ヤルダバオトは未だに余裕の態度を崩さないのか。ネイアの胸に言いようのない不安が広がる。

 

「そうだな。モモンの付けた傷、何より今回は念入りに貴様対策を施している。お前に勝ち目はない、諦めろ」

 

「──だからこそ提案だ。魔導王、我が仲間となれ」

 

(ふざけるな! いきなり何を)

 叫び出しそうになる自分を抑え、ネイアは唇を噛みしめた。

 音も消えているはずだが、熟練した気配などを察知することも出来ると聞く、ヤルダバオトがそれを使えないとも限らない。

 

「ほう? どういう意味だ?」

 

「簡単なことだ。私と共に聖王国の者どもを殺し、神の復活を手助けしろ」

 

「……私にどんなメリットがある?」

 

「ゴウン殿! 何を言うの!?」

 一蹴するかと思われたアインズだが、持ち上げていた杖を一度下ろし、話を聞くとばかりの格好を取る。

 当然、それを聞いたラキュースが反応し、咎めるような声を出すが、ネイアの心は落ち着いていた。

 事前にアインズからこんな展開もあるかもしれないと話を聞いていたお陰だ。

 

「例えお前がここで私を殺したとしても、必ずやスレイン法国が神々を復活させる。その準備は着実に進んでいる。確かにお前は強い、だがそれでも神には勝てん。復活した我らの神々は堕落した貴様ら人間を間引くはずだ。その中にはお前も含まれよう」

 ドキリと心臓が鳴る。

 神が復活すれば、人は間引かれる、今の言い方では法国だけが生き残るということか。

 つまりヤルダバオトを倒しても終わりではない。今の話をなんとしても聖王女に伝えなくては。と心に刻み込む。

 そんなネイアに気づくこともなくヤルダバオトは続けた。

 

「だがここでお前が私の仲間になれば、お前は神の復活を手助けした功労者。当然殺されることもなく、私と同格の存在として召し上げられることとなるだろう。定命の人間から従属神になれるのだ。断る理由など存在しまい?」 

 

「ほう。私を従属神にすると?」

 

「人を辞め、悪魔やアンデッド、魔法生物に成る方法は幾らでもある。貴様ほどの強者ならば問題ない。どうだ? 悪い話ではあるまい」

 アインズの動きが止まる。

 ネイアが聞いていたのは、ヤルダバオトから情報を引き出すため、話に乗る振りをするところまでだ。

 どんな条件を出されるかまでは聞いていないし、分かるはずもなかった。

 まさかアインズを神にする提案とは思わなかった。

 

(ゴウン様、どうして。即答してくださらないの? まさか──)

 信じたいが、もし本当ならば魅力的な提案なのかもしれない。ネイアは他の生き物になるなんて想像もつかないが、魔神とすら互角に戦う力を持ったアインズならば、神として崇められてもおかしくはない。そして人が本物の神になれるのなら、それを選んだとしても不思議はない。

 

「断る!」

 そんなネイアの心配を余所にアインズは一度鼻を鳴らした後きっぱりと言い放つ。

 

「なに?」

 

「何かと思えば……下らん。魅力の欠片もない実に下手な提案(プレゼン)だな。お前は商人に向いていないようだ」

 

「貴様、なにを──」

 

「私は誰の下にもつかない。神の復活? 魔神であろうと法国であろうとそんなことはさせん。ここで貴様を滅する。法国の企みにしても、各国がそれを許すはずもない。故に、そんなことは一考する価値も無い。ヤルダバオト、貴様は魔神でも、まして神に仕える従属神でもない、ただの邪悪な悪魔としてここで滅びるのだ!」

 

「ッ! ならば、ここは一度」

 

「ネイア!」

 突然、一度も呼ばれなかった名を呼ばれ、心臓が跳ねる。

 合図は別のものだったはずだが、予想以上に素早くヤルダバオトが動き出したためだろう。

 

「はい! 〈次元封鎖(ディメンショナル・ロック)〉!」

 その場でアインズから預かった魔封じの水晶を発動させる。

 中に込められた魔法が発動し、周囲に何かが広がっていく気配が伝わる。

 一定の空間内に置ける転移を阻害する魔法だと聞いていた。

 

「何!? バカな、転移が発動しないだと。貴様か!」

 突然、こちらに視線が向けられ、ネイアは竦み上がる。

 未だ姿と音は消えているはずだが、ヤルダバオトは明らかにこちらに気付いている。

 

「〈火球(ファイヤー・ボール)〉」

 燃え盛る火の玉がネイアに一直線向かって飛んでくる。

 隠れやすい狭い場所にいたせいで逃げることが出来ず、咄嗟に矢筒から矢を取り出そうとするがそれも間に合わない。

 

(あ……)

 頭の中に一瞬で多数の記憶が巡る。

 父と母の笑顔、自分と故郷を同じくする友人たち、そして──

 

(弓、使えなかったな──)

 カルカと合流した後も、使って宣伝をしてくれと借りたままになっていた弓。手に持った矢を放つ間もなく自分は死んでしまうのだろう。

 死の直前にそんなことを考えている自分がおかしく笑ってしまう。

 一瞬の後に訪れるであろう痛みに備えるように、ネイアは目を閉じる。

 しかしその時は訪れず、代わりにネイアの体はふわりと浮かび上がる気配を感じた。

 

「え?」

 

「しっかり捕まっていろ」

 目を開けるとそこには、泣き笑いの顔を模した仮面があった。

 

「ゴウン様!」

 自分に火球がぶつかる直前にアインズに助けられ、空を飛んでいるのだと理解する。

 

「あ、ありが……」

 礼の言葉を告げようとするネイアの視界の端で炎の翼を広げて飛び上がるヤルダバオトの姿が見えた。

 

「ヤルダバオトが!」

 転移阻害の範囲から逃げようとしているのだと瞬時に悟った。

 自分を助けたばかりにその隙を作らせてしまったのだと思うと、ネイアは自分のふがいなさを悔やむが、アインズは慌てない。

 

「バラハ嬢。弓だ」

 自分に言われているのだと気付き、ネイアはアインズに言われるままに手にした矢を番え、弦を引き絞る。

 照準を合わせる間もなく、一気に放つ。

 しかし突然だったこともあり放った瞬間、一直線に飛んでいく矢の軌道がヤルダバオトの移動速度と噛み合わないことを理解する。

 やはり自分では父のようにはいかない。あの矢は外れる。次の矢を撃つべく背中に手を伸ばした瞬間、何故かヤルダバオトがこちらに顔を向け、狼狽したように動きを鈍らせた。

 

「クッ。ルーン武器か!」

 ヤルダバオトの鈍った動きと矢の軌道が奇跡的に噛み合い、放たれた矢が炎の翼を貫いて消えていく。

 瞬間、バランスを崩したヤルダバオトは動きが止まった。

 その一瞬の隙を見逃さずアインズは杖をヤルダバオトに向け、魔法を放つ。

 

「これで終わりだ。喰らえ! 〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)〉」

 何本もの雷を束ねて作ったような巨大な豪雷が三本、ヤルダバオトの体を貫いた。

 

「グ、アアアアァァァ。法国! 必ずや、我らが神を、光の神の再臨をォォォオォォ!!」

 最後まで神の復活を願う叫びを上げて、ヤルダバオトの炎が散り、その存在は跡形もなく消え失せた。

 

「倒した、の……ですか?」

 十万の亜人を束ねて聖王国をさんざん苦しめ、漆黒の英雄モモンを破り、蒼の薔薇をも一蹴した大悪魔、いや魔神。

 それをただ一撃の魔法で倒したのだという事実が受け入れられず、ネイアは何度も目をしばたかせ、周囲を見回す。

 だが、何度見てもそこには、突き抜けたような青空があるばかり。

 

「そのようだな。それほどモモンとの戦いがギリギリだったということか」

 それもあるだろう。確かにヤルダバオトは初めから全身が傷つき、血も止まらず、瀕死と言っても良い状態だった。

 だが、それでもアインズの魔法が規格外すぎたのだ。と断言できる。

 あんな魔法は見たことがない。

 

(凄い。なんて凄い御方。でも、これで終わりではない)

 ヤルダバオトは自分を魔神、かつて最上位神に仕えた従属神であると語った。

 ネイアたち聖王国の民にとって神に仕える従属神もまた最高位神同様に聖なる存在であり正しいもの、それこそ正義の形であるとされた。

 神ではなく神に仕えるものこそ、聖騎士が目指すべき形だと言われることもあった。

 無論聖騎士たちが信じる従属神はあのような悪に染まった者ではないと信じたいが、そうした従属神もいつかまた地上に落ちて神を復活させようと企むかもしれない。

 その時自分は聖王国はどうすればいいのだろう。

 

「それと、バラハ嬢の放った矢のおかげだ」

 不意に自分の働きを褒められて、ネイアは慌てる。

 確かにネイアが放った矢がヤルダバオトの動きを止めたのも事実だろうが、それはネイアの技術によるものではない。その前に行動が鈍ったのは恐らくルーン武器がヤルダバオトにとっての弱点だったからだ。つまりはこの武器を貸してくれたアインズのおかげに他ならない。

 

「いえ。私の力ではありません。ゴウン様に貸していただいたこの素晴らしい弓があってこそです」

 ネイアのような聖騎士見習いの従者でもあれほどの威力を発揮する強い武器、そして、それをネイアに貸し与え、正しいタイミングで使うように指示を出してくれたアインズのおかげだ。

 そう思った瞬間、ネイアは先ほどの疑問の答え、そしてこれまでずっと考えていた答えが見つかった気がした。

 

「ゴウン様、私、わかりました」

 

「む? 何がだ?」

 ゆっくりと下降を始めるアインズは、ネイアに仮面を向ける。

 その下でどんな顔をして自分を見ているのか気になりつつ、ネイアは続けた。

 

「正義です。私がずっと探していた、そして聖王女陛下に見つけるように命じられた、正義の形が見えたんです」

 

「ああ。先ほどそんな話をしていたな。それで? どんなものなんだ?」

 優しげなその声に導かれ、ネイアははっきりと断言する。

 

「ゴウン様です。ゴウン様こそが正義なのです」

 

「んん?」

 

「神に仕える従属神ですら魔神に堕ちて正義とはほど遠い存在に成り果てました。神が正義ではないんです。力だけでも正義ではないんです。大いなる力を持って、それを正しいことに使うことこそが正義なんです。私の知る限り、それができているのはゴウン様だけなのです!」

 この弓のように、強い力は使う者次第で正義にも悪にもなる。だからこそ力だけではなくそれを正しく使える者こそが本当の正義だと気付いた。

 ネイアの言葉を聞き、アインズは得心言ったというように頷いてから、ゆっくりと首を横に振る。

 

「……いやバラハ嬢、私は正義などではない。私は正義を成すつもりなどない。全ては商売のため、そして私の仲間たちを守るためのものだ。それは正義などと呼べるものではない」

 いつか、アインズはシズや他の家族を守るために力を欲し商売をしているとは聞いた覚えがあった。

 そのことを言っているのだろう。

 

「いいえ! そんなことはありません。それこそが正義なんです。力を正しく使って自分の大切なものを守る。それこそが本当の正義なんです」

 誰かの正義が誰かの悪であるのは当然だ。

 光の神を信奉する法国の人間からすれば、神を再臨させようとしたヤルダバオトこそが正義であり、それを邪魔した聖王国やアインズこそ悪だと言うのかも知れない。

 だからこそ理想の正義とは難しく、人々は互いの正義をぶつけ合い、戦いが起こってしまう。

 その中で、神の誘いすらきっぱりと切り捨て、自分の大切なものを守ると決めたアインズには、確固たる信念とそれを可能にする力がある。その二つが合わさって初めて正義と呼べるのだ。

 

「あの……だから、とても図々しいと分かってはいるのですが、私も大切なものを守るためゴウン様のように強くなりたいんです。私にも、できるでしょうか?」

 アインズほどの強さは絶対に無理だと分かってはいながらそんなことを口にしてしまったのは、ネイアが見つけた正義、つまり自分の中に正しさを抱いたまま強くなろうと努力すること。

 それをアインズに認めて欲しかったからだ。

 

「──ああ、そうか。そう言うことか……そうだな。きっとできるとも、バラハ嬢のように遠距離武器が得意な聖騎士候補生は見たことがないからな。変わった組み合わせはレア職への道、そしてレア職は大抵何かしらの強力な力を持つものだ」

 ネイアの言葉に、うんうん。と何度も頷きながら言うアインズの言葉の意味は良く理解できなかったが、質問の意図から外れていることだけは分かった。

 叡智に溢れたアインズがネイアの言葉の意味を理解していないはずがないため、これは彼なりの冗談なのだろう。

 アインズは何でもできる完全無欠の偉大な方だと思っていたが、一つだけ苦手なこともあるのだと知る。

 

(この方に、冗談のセンスは無いみたい)

 自分の真剣な言葉に冗談を返されたのは少しばかり悲しいが、あれだけ遠くに感じていたアインズが、少しだけ近づいたような気がして、ネイアは思わず笑ってしまう。

 不意に遠くから歓声が響き渡った。

 外の亜人は全てアインズのアンデッドに葬られたはずなので、城壁の上に集結した兵たちが、アインズを讃えているのだ。

 霧が消えた空の下では、あの雷はきっとこの都市のどこからでも見えたに違いないのだから。

 ヤルダバオトを倒しても全てが終わったわけではない、未だ解放されていない都市は多い。

 光の神の再臨を阻止された法国が、今後どんな動きをするかも分からない。

 だが、今だけは気を抜いても大丈夫だろう。この偉大なる魔法詠唱者(マジック・キャスター)の腕の中以上に安全な場所など、この世のどこにも存在しないのだから。




書籍版と同じ結論とはいえ、この話におけるネイアはアインズ様の狂信者ではなく、あくまでアインズ様を尊敬し、自分もああなりたいという目標になったということです
次は後始末ということで一話で終わらせる予定でしたが、今回の作戦の説明も兼ねて書いていたら長くなったので、二話に分けます




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