堕天使のちょこっとした冒険 作:コトリュウ
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終わりの始まり。
そして二人は決別する。
ユグドラシルのサービス終了が数日後に迫ったある日、ナザリック地下大墳墓第九階層円卓の間では、いつものようにコンソールを眺めているギルド長の姿があった。
「今日の稼ぎはこんなものかぁ。ソロだと効率が悪いな~って、あと三日で全てが消え去るっていうのに何やってんだか……」
自虐的な独り言が円卓の上を通り過ぎていくものの、反応してくれる者は一人も居ない。もう慣れた光景だが、最後の時が迫るにつれ焦燥感を募らせてしまう。
誰も居ない。
誰一人として居ない。
空虚な空間に豪華な座席のみが数多く存在し、座るべき存在が居ない事を如実に醸し出している。
――いっその事、引退した者達の席を排除すべきか。
「はは、馬鹿なことを……」
自分のくだらない妄想を自分で砕く。こんなやり取りも何回目になるであろうか。そして昔を思い出し、その輝かしい記憶に浸る行為も毎度の事だ。
「もうこんな時間かぁ。……明日は、ってもう今日かな? ふああぁぁ~ぁ、四時起きだし早く寝ないと」
【モモンガはログアウトしました】
たった一人の住人がナザリックから姿を消し、その場はいつものようにデータだけの空間と成り果てた。本来ならこの状態のまま、仕事帰りのモモンガがインしてくるまでAI制御の御飯事と休眠閉鎖が繰り返されるだけだ。
今更侵入者が来ることもない。
しかしサービス終了間際のこの日、一人の堕天使が降り立った。まるでギルド長のログアウトを待っていたかのように……。
【パナップがログインしました】
「居ない……よね。……よし、さっさと済まそう」
久しぶりに見る自分のアバターを懐かしむように、六枚の黒い羽をピコピコさせたパナップは、円卓の間から即座に飛び出し、メンバー全員に割り当てられている自室へと足を向けた。
半年以上足を踏み入れていない場所である。
宝物殿に放り込むまでも無い装備品や消耗品、個人の課金アイテム。そして――自分の分は必要ないと言ったにも拘らず、半ば強引に創る事を強いられて製作する事となった拠点防衛用NPC一体。
それらが全て、中世貴族の住まうような豪華な大部屋に押し込められているのだ。と言っても部屋自体が大きいので窮屈になっている訳では無いが、ベッドの傍にまでアイテムが転がっているのはあまり好ましい状態では無いだろう。
もし第九階層をうろついているメイドNPCに自由意思があったら、何が何でも片付けさせてほしいと訴えてくるに違いない。まぁ、部屋を勝手に覗かれたりしなければ分からないので、どっちにしろ乱雑に放置されるままかもしれないが……。
「あ~ぁ、この豪華な部屋もたくさんのアイテムも、あと数日で消えてなくなるのかぁ。もったいないな~。……っと昔を懐かしんでいる場合じゃなかった」
パナップは気を取り直すと、コンソールを操作して――身に着けていた装備品を切り替えていった。
通常では有り得ない装備変更ではあったが、パナップが外していく品には共通点があった。それらは全てパナップがアインズ・ウール・ゴウンに加入してからメンバーの力を借りて造り上げた
唯一、一振りの忍刀だけが今も昔もパナップの手に収まったままだ。
パナップが一人で、ギルド潰しの報酬をかき集めて造り出した珠玉の
その名も『
ちなみに、ここまでやっても弐式炎雷の不意打ちクリティカルダメージより低いのだから、ドリームビルダーの大変さが分かってもらえるだろう。モモンガみたいな存在は例外中の例外なのだ。
「結局、最後までこの武器でやり通しちゃったなぁ。モモンガさんやぷにっとさんには迷惑かけっぱなしで……ほんと、わたしって、こんなときになっても……」
パナップはその場で座り込むと、両手で顔を隠した。
アバターの表情は変わらないのだから、リアルで赤くなろうが青くなろうが隠す必要は無い。そう――フルフェイスヘルメットの中で号泣していたとしても……。
「――んぐ、ご、ごめんなさいモモンガさん。全部……、ぜんぶ置いていきます。私はやっぱりアインズ・ウール・ゴウンに相応しくないプレイヤーでした。最後の最後でギルド長を一人にするなんて……。わたしを……許さないで下さい」
ユグドラシルはゲームでも、そこで出会った人々は本物だった。
あまりに素晴らしい人達ばかりで、つい自分もそんな凄い人々の一員になったつもりで数年を過ごしてしまった。他の皆はそれぞれ夢を掴んで次のステージへと歩みを進め、私はその後ろ姿を見送るばかりだったというのに……。
それでもモモンガさんと一緒だから気にはならなかった。でも違う、モモンガさんはギルド長の使命として皆を送り、纏め役の責務として仲間の築き上げてきたものを保持していただけなのだ。
何処にも行けず残っていた私とは違う。
でも! そうであったとしてもモモンガさんと共にいる事で、彼の寂しさを癒せるのなら私にも価値はあると信じていた――あの日までは。
「たった一つの私に与えられた役目だったのに――。自ら望んでその立場になったっていうのに!」
楽しかった。
貴方の傍に居て、役に立っている自分が誇らしかった。二人きりの時間を手放したくないほど、私にとって大切な存在だった。いや――今でもその気持ちは変わらない。
「……悟さん」
部屋に置かれた大きなベッドの傍まで足を運んで、パナップは横たわっている機能停止状態のNPCに声を掛けた。そのNPCは男性型竜人種で、短い黒髪の中肉中背、顔は仮面に隠れていて見えない。と言うよりパナップが誰にも顔を見せなかったのだから、その素顔を知っている存在はギルド長を含め一人も居ないはずだ。
「ほんとこんなNPC創るんじゃなかったよ。誰かに顔を見られたら、恥ずかしいなんて騒ぎじゃ収まらなかっただろうし……。でも、あと少しで消えちゃうと思うと寂しいなぁ」
言葉の内に悲しさを滲ませつつ、パナップは左手の人差し指から一つの指輪を外し、NPCの胸に置いた。それはアインズ・ウール・ゴウンのメンバー全員に配られた特殊な指輪であり、ナザリック地下大墳墓の円卓の間をホームタウンとして登録できるギルド専属の品である。
そんなアイテムを外すという事は――
「さようならモモンガさん、……悟さん。さようならアインズ・ウール・ゴウン」
パナップの表情に変化は無く、初期設定のまま軽く微笑んでいる。口から零れる悲痛な叫びとは対照的だ。
コンソールを操作する指が微かに震え、その先に至る結果を望んでいないかのようにパネルタッチの邪魔をする。それでも慣れ親しんだ何時もの操作だ。本当なら目を瞑っていても出来てしまうだろう。
しばしの逡巡の後、堕天使パナップは自室から姿を消した。
一つの機械的メッセージをその場に残して……。
【パナップはログアウトしました】
◆
栄枯盛衰。
十二年もの歳月は、絶大な人気を誇った『ユグドラシル』でさえも劣化させてしまう。いや、劣化と言うのは言い過ぎか――。この時、サービス終了となる最後の一日がやってきても、大騒ぎするお馬鹿さん達が大勢いるのだから……。
「
「そんな選択肢ある訳ねーだろ! どんだけ経験値消費すればいいんだよ!」
「うっせー! どうせ終わりなんだから、今日で全て使い切ってやる!!」
「んじゃ俺もやるぜ! 『
「無茶言うな! ってかてめえ、
「ギルド長が渡してきたんだよ! もう仕様変更は受付されないから、使っても無駄なゴミだぞ――ってな!」
「
「あ~、んなことより閉鎖されてねぇギルドを潰しに行こうぜ~」
「おっけ~」
今までもったいなくて出来なかった魔法やアイテムの行使。無人となり、費用が枯渇してトラップすらまともに動かなくなったギルド拠点の蹂躙。はてはカップルのみを標的としたPK祭り。
中には十八禁行為を積極的に行って、アカウント停止によるユグドラシル強制引退を敢行する者までいた。もっともサービス終了最終日の運営側も、絶頂期ほどの人員をそろえておらず、不届き者を誅するまで幾ばくかの時間を要するのであったが……。
ペロロンチーノが居たなら、「我が人生に一片の悔いなし!」と何処かのヴァンパイアにルパンダイブをかましていたかもしれない。
そんなエロいバードマンが所属していたアインズ・ウール・ゴウン――その拠点ナザリック地下大墳墓は、他所の喧噪とは全くの別世界に居るような静けさを保って、不気味な死の気配を漂わせていた。
最後の時を迎えても、大墳墓の荘厳な気配は一片たりとも失われておらず、ユグドラシルに伝説を残した最悪最強ギルドの佇まいそのままである。
だが中身はそうじゃない。
つい先ほど
「――ふざけるな!」
円卓に両手を叩きつけダメージゼロの表示をポップさせても、モモンガの気は晴れない。そんな事をしても意味は無いし、罵声を浴びせた相手の事情も理解しているからだ。
故に、叫んだのはモモンガの我儘でしかない。
ユグドラシルサービス終了日にアインズ・ウール・ゴウンの仲間を再集結させて、最後まで語り明かしたい――それが叶わなかった事への不満をぶつけただけだ。
「もう終わりか……。誰も来ないのか」
自虐的に呟いて、モモンガはコンソールを開く。
二年ぶりにインしたというヘロヘロの言葉を受けて、そんなに前だったのかと少しばかりショックを受けていたのだ。いやそんなはずはない、そんなに前からアインズ・ウール・ゴウンが崩壊していたなんて認めるのは嫌だ。
モモンガはナザリックの活動ログを表示させながら、自身の積み重ねてきた栄光の記憶を思い起こそうとしていた。
「……俺のログばっかりだ。インして狩場へ出掛け、帰って宝物殿、そしてアウト。毎日毎日そればかり……って、ん?」
スクロールさせていたログを止めて、ある人物の名前を見つめる。
『タブラ・スマラグティナ』
前日にモモンガと重ならないようインしており、円卓から宝物殿、そして玉座の間でアウト。僅かな時間の行動だが一体何をしに来たのか? モモンガには皆目見当がつかなかった。
「あの人の事だから理解に困る何かをやりに来たのだろうけど……。はぁ、アウトした玉座の間に行けば分かることか……」
会えなかったのは残念だけど、ナザリックを忘れずにいてくれた事が少し嬉しい。それだけで、この場を維持してきた苦労が報われる。――いや、苦労なんて言うものではないか。誰かに言われて拠点を支えてきた訳じゃない。自分から進んで選んだ道であり、ギルド長としての最後の意地だ。
「やり残した事があって、ナザリックに足を向ける。それだけで俺は、俺は……」
仲間の為に残してきたナザリック地下大墳墓。だがそれは自分の為であったのかもしれない。
素晴らしい仲間達と創り上げてきたアインズ・ウール・ゴウンの栄光、それが形となって残っているギルド拠点――決して簡単に手放せるものではない。現実世界に、より価値のある何かを持っていない者にとっては珠玉の宝物だ。
「さて、そろそろ行くと……は? えっ? な、なんだよこれ?」
自分の名前ばかりが表示される活動ログにうんざりし掛けていたその時、モモンガはその者の名を凝視していた。
『パナップ』
三日前の夜だ。モモンガがログアウトした直後にインしている。まるで避けているかのように……。
「そんな馬鹿なっ、この時間差ならログインメッセージが俺にも届くはず! いったいどうして?」
ギルドメンバーのログイン情報は仲間全員に伝わるものだ。たとえログインしていなくとも、ネットにアクセスさえしていればユグドラシルニュースに目を通している時でもメッセージを受け取る事が可能である。そしてモモンガは仲間のログインメッセージこそ待ち望んでいたのだ。見落とすことも、見逃すはずもない。
「まさかパナップさんブロックしたのですか? 情報をブロックして、ギルドメンバーに伝わらないようにしたというのですか?!」
知らずに声が大きくなる。我慢しきれない怒りが含まれているかのようでもあった。それもそのはずであろう、ギルドメンバーが仲間に対し情報をブロックするなど聞いた事も無い。
相手が迷惑行為を行う余所者なら話は分かる。ブロック機能はその為のモノなのだから……。ログイン情報も
「そんな――俺をリストに入れたのか? ……このっ、……ふ、ふざけるな、ふざけるなよ!」
そんなにログインしたことを知られたくなかったのか? 突然姿を見せなくなって半年以上、何か深刻な状況になってゲームどころではなくなった。そう思ったからこそ、近況を窺う挨拶程度のメールを数回送るだけにして、ユグドラシルの事は気にしないよう気遣ったというのに――。
そのお返しがブロックか。
「そこまでして何をしに来たんだ! くそっ!」
パナップの活動ログには――円卓の間を出て自室に向かった後、コンソールを操作しながらウロウロし、その後ログアウトするという奇妙な行動が残っていた。
ナザリック地下大墳墓の第九階層にはメンバー各員の自室が用意されているが、ロールプレイ用の施設であり寝泊りするようなものではない。中世貴族が住まう豪華な屋敷を丸ごと詰め込んだ部屋が標準設定だが、各々魔改造している為、実態は中に入るまで分からないし分からない方がいい。
「……入りますよ、パナップさん」
当人が居ないとは言え他人の部屋だ。最初から押し入るつもりではあるが、一応礼儀として声を掛ける必要はあるだろう。
モモンガは花々の彫刻が入った見事な扉を開くと、魔法の明かりを灯すコマンドを口にした。無論、真っ暗闇でも見通せるのだが、人としての習慣が闇の中の行動を拒否してしまうのだろう。アバターは
ようやく原作に追いつきました。
今後はなるべく原作のイメージを壊さないよう進めるつもりです。