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【野球】

東松、松井裕ら育てた吉田コーチ 次の目標は豊川高で甲子園

2018年12月26日 紙面から

巨人にドラフト1位で入団し、後にソフトバンクに移籍。左の中継ぎとして活躍した現役時代の吉田コーチ(1994年5月11日神宮で)

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 プロ野球、巨人にドラフト1位で入団し、ソフトバンクでも活躍した吉田修司さん(52)が11月、豊川高(愛知)の硬式野球部コーチに就任した。愛知県江南市出身の吉田コーチは、主に中継ぎ左腕としてプロで19年間プレー。引退後はソフトバンク、楽天で投手コーチを務めた。豊富な経験を生かして豊川投手陣を整備し、2014年春から遠ざかる甲子園を目指す。

 就任から約1カ月。みるみる成長する選手を、まぶしそうに見つめていた。「本格的に教えたら、もっと良くなる。時間が足りないくらいですよ」。現役時代、タフな中継ぎ左腕として活躍した吉田コーチが、充実の表情で手応えを口にした。

 吉田コーチは1989年にドラフト1位で巨人に入団した。94年途中のダイエー(現ソフトバンク)移籍後は、中継ぎで大活躍。引退後はコーチとして、ソフトバンクで東浜、楽天で同じ左腕の松井らを育てた。

 2015年の楽天退団後は、福岡で中学生を教え、東大では臨時コーチとして宮台(現日本ハム)を指導。豊川からは、今井監督が社会人時代の1年先輩だった縁もあり、コーチ就任依頼が舞い込んだ。「OBではないので、想像もしていなかった。ありがたい話です」。学校の事務職員となり、先月16日から練習に合流している。

 指導の効果は目に見えて表れている。指導開始以降、練習試合を10試合行ったが、以前は1試合平均で6、7個あった四球は、3個に減った。

 「四球は駄目という制限が、四球につながっていた。打者との勝負なので、攻める気持ちが大事。『前に飛ばないと、野手は助けてくれないよ』という話もした」

選手のフォームをチェックする吉田修司コーチ(右)=愛知県豊川市の同校グラウンドで(麻生和男撮影)

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 指導法も巧みだ。例えば、「球を前で放せ」と指示して、選手がうまく飲み込めなければ、「捕手の後ろまで投げるつもりで投げろ」と言い方を変える。「言い方は違っても、やることは同じ。引き出しは、いくつも持っているつもり」。現役、コーチとしての豊富な経験を高校生に注ぐ。

 豊川は、甲子園初出場した14年のセンバツで4強入り。以降は甲子園から遠ざかり、今夏の東愛知大会も準決勝で敗退した。「打線は県内でも上位レベルと聞いている。投手さえ良くすれば、近づくと思う。全力でやりたい」。投手陣を育成した先に、目指す甲子園がある。 (麻生和男)

人としても高評価 今井監督

 吉田コーチについて、豊川・今井監督は「投手がうまくいかず、専門のコーチが欲しかった。彼はプロでも一流で、人としても素晴らしい。安心して任せられる」と早速、頼りにしている様子。吉田コーチのアドバイスで、上手投げからスリークオーターに変えた左腕の米庄は「教えてもらったフォームがハマった。驚くくらい、球が走るようになった」と心酔している。

 ▼吉田修司(よしだ・しゅうじ) 1966(昭和41)年11月29日生まれ、愛知県江南市出身の52歳。滝高から北海道拓殖銀行に進み、88年ソウル五輪で銀メダルを獲得。同年ドラフトで巨人に1位指名された。94年途中にダイエーに移籍し、3度の優勝に貢献。98年から6年連続50試合以上に登板し、2000年には城島と最優秀バッテリー賞を受賞。最優秀中継ぎ賞も2度受賞した。07年にオリックスに移籍し、この年限りで引退。13、14年にソフトバンク、15年に楽天で投手コーチを務めた。通算533試合37勝32敗23セーブ、防御率3.57。

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