【首都スポ】ホッケー男子日本代表・落合大将 52年ぶり五輪へ夢舞台に立つ2018年12月26日 紙面から
2020年東京五輪に、開催国枠での出場が決まっている団体競技の一つに、ホッケー男子がある。1968年のメキシコ五輪以来、実に52年ぶりの五輪だ。今夏のアジア大会(インドネシア・ジャカルタ)で、劇的な初優勝の主人公となったリーベ栃木の落合大将(24)は、GKを除く全ポジションを担えるというオールマイティーな特性を武器に大舞台を目指している。 (平野梓) ◇ 日本ホッケー史に語り継がれるであろう壮絶な試合だった。今夏のアジア大会でマレーシアとの決勝に挑んだ日本は、前半の1-4から試合終盤で5-5に追いつくも、残り1分で勝ち越しを許す。最後はGKも参加する全員攻撃を仕掛け、残り13秒で、相手の反則を誘い、ペナルティーコーナー(PC)を奪った。 PCはサッカーのCKのように、敵陣深いところでのセットプレー。得点が生まれる確率が高くなる。この好機に、一度は相手に阻まれたシュートを、ゴール前で押し込んだのが落合だった。 「いつもと違うところにいて、たまたまボールが来ただけ。あとは無心の状態で。『持ってたな』って感じです」。フィールドに歓喜を呼び込んだ瞬間を、恥ずかしそうに笑いながら回想する。同点とし、23メートルラインからドリブルして1対1でシュートを打ち合うシュートアウト(SO)戦に持ち込んだ日本は初優勝。「チームで下を向かずに開き直って攻撃できたから」と謙遜するが、学生時代からFW、MF、DFをこなして身に付けた万能性が究極の土壇場で生きた。 生まれ育った島根県奥出雲町は「ホッケーの街」と言われている。町内で唯一の高校である横田高のホッケー部が、全国強豪だからだ。落合が小学生だったころの習い事と言えば、ホッケー、剣道、そろばんしかなかったという。大将少年は小3のとき、体を動かしたくて、ホッケーを選んだ。 中3のときに、3冠(全国高校選抜、全国高校総体、国体)を獲得した横田高ホッケー部に憧れて、進路先に選んだ。3年夏に全国制覇を成し遂げると、その活躍が認められてU-18日本代表に選ばれ、初めて日の丸を背負うことになる。ところが、同代表の海外遠征は11年3月11日に起きた東日本大震災の影響で、中止となった。 進学した天理大でも全日本選手権優勝などを経験し、15年から本格的に日本代表入りも果たした。しかし、卒業後の進路には悩んだ。「就職してホッケーをやめようか…」。そもそも国内には、プロリーグも、実業団チームもない。一般企業などで働く社会人がプレーするチームは点在するが、ホッケーを生業にはできない現実がある。 アスリートにとって最大の目標である五輪も「遠いものだと思っていた」。04年アテネ大会から4大会で連続出場してきた女子と違い、男子は1968年メキシコ大会を最後に半世紀も五輪に出場できていない。13年に東京開催が決まったものの、長年五輪出場のなかったハンドボール男子やバスケットボール男子と同様、数年間は開催国枠獲得の見通しが立っていない状態だった。 ホッケーを続ける決断ができたのは、卒業間際だった。「開催国枠で(東京五輪に)出場できる可能性が高まっている、というのを聞いたんです。こんな機会はない。せっかく今までやってきて、目指せるチャンスがあるのなら」。栃木県内の企業から出資を募ってできたチームで、選手の就職も世話してくれるリーベ栃木から誘いを受けて入団。現在は北関東綜合警備保障で事務の仕事をしながら、夜間にチームの練習に参加している。代表活動で社内にいる時間は少ないが、「職場の人は理解してくれている。ありがたい環境です」と感謝をかみ締める。 代表でも、チームでも、ポジションが確定していないことが強みである。「3つのポジションをこなせて、確立していないのが自分の生きる道だと思っている。まずは東京五輪で代表に選ばれること、それを成し遂げないと何も始まらない」と強調する。アジア王者の称号を手に、東京五輪では、半世紀の空白を埋める活躍が期待されているホッケー男子代表。その一員となる覚悟を決めている。 ◆大将のアラカルト◇「ひろまさ」なんですけど… 「小学生のときから、タイショウって呼ばれています。(正しい)名前で、呼ばれたことがないので(苦笑)」 ◇好きな食べ物 「焼き肉。ホルモン、ハラミも好きですが、タンを一番食べますね」 ◇好きな異性のタイプ 「海猿のときの加藤あいさんとか。篠原涼子さんも、あの年(45歳)でもキレイだなと思います。基本、キレイ系が好きなんで」 ◇ホッケー以外の時間の過ごし方 「人のインスタグラムを見たり、Tik Tok(テッィクトック、ショート動画配信アプリ)を見たり。あとはお風呂に入ったり、寝たり…」 ◇座右の銘 「自分は自分でありたい、ですかね。他の人はとてつもない武器を持っているけれど、自分は全てを平均以上できれば、と」 <落合大将(おちあい・ひろまさ)> 1994(平成6)年2月9日生まれ、島根県奥出雲町出身の24歳。177センチ、71キロ。GKを除く全ポジションをこなす。横田高、天理大を経て、2016年からリーベ栃木(日本リーグ1部)に所属。2015年から日本代表で本格的にプレーする。 <日本リーグ> 男子は各6チームずつの1・2部制、女子は全10チームの1部制。女子にはソニーやコカ・コーラなど企業チームがある。男子は1部・2部とも、クラブチーム3、大学チーム3で構成。今季の男子1部は岐阜朝日ク、女子はソニーがそれぞれ連覇した。 <五輪初出場で銀> ホッケー男子の日本は五輪に過去5回出場。32年は初出場で銀メダル(出場3チーム)。36年は5位タイ、60年は14位、64年東京五輪は7位タイ、68年は13位。 <リーベ栃木> 2015年に前身の栃木ホッケークラブを母体として誕生。本拠地は栃木県日光市。東京五輪への選手輩出と22年栃木国体優勝を目指し、15年から日本リーグに参戦。1部昇格を果たした今季はレギュラーステージ3位で、上位3チームが進むファイナルステージは準決勝で敗退。今年9月の全日本社会人選手権は初優勝した。 ◇ 首都圏のアスリートを全力で応援する「首都スポ」。トーチュウ紙面で連日展開中。
|