- このグラフを先入観なく見たら
以下のグラフを架空の国の漁業の推移として、先入観を持たず見ていただきたいと思います。青線が漁業者数、赤線が漁船数です。
(水産庁資源管理のあり方検討会第2回配布資料)
おそらく、多くの方は「わー、ずいぶん衰退しているなー」「このままいけば消えてなくなるんじゃないか」と感じられるでしょう。
しかし、これこそIQ・ITQ推進派が理想とし、日本が見習うべき「経済成長を続けている漁業国」ノルウエーの姿なのです。
- 減った資源が回復しても・・・
過去のピーク時からすると1/10近く(1940年12万人→ 2007年1.3万人)まで漁業者が減り、しかも現在も減り続けているのに、どうしてIQ・ITQ推進派が、これを「成長を続ける」というのでしょう。その根拠は以下のグラフにある漁獲量と金額の推移にあるようです。赤線が漁獲量、青線が漁獲金額です。
(水産庁資源管理のあり方検討会第2回配布資料)
たしかに、漁獲量は1990年ころに最も減少し、その後以前のような300万トンを超えることはないものの、もとのレベルに回復したようです。ただし、最近漁獲量が再び減り始めているのが少し気になるところですが。このグラフの3回にわたる漁獲量のピーク時のみに着目すると、1950年代終わり、1970年代終わり、1990年代終わりと20年間隔で増減を繰り返しているように見えます。ノルウエーも漁獲対象がサバやニシンのような浮魚が主体と聞いています。IQ・ITQ学者は「日本と違いしっかり管理している」といつも言っておりますが、やはり自然変動には勝てないようです。
一方、漁獲金額は過去最高のレベルにあり、しかも、漁獲量が減少し始めても金額が維持されているところは確かに注目すべき点かと思います。漁獲物のほとんどが輸出に回るノルウエー漁業において、近年の水産物の国際価格の上昇が貢献しているのではないかと思います。20年にわたるデフレ不況という規制改革路線による経済施策の失敗のおかげで、魚価の低迷に苦しめられた日本漁業とはえらい違いですね。
以上、総合すればノルウエーの漁業は「かつてのレベルに漁獲量が戻り、特に金額は過去最高に達し、この10年間そのレベルを維持している」と思いますが、「成長を続ける」とまでは言えないと思います。
しかし、この二つのグラフから、「漁業者一人あたりの漁獲金額」を推定すると、漁獲金額が変わらず、漁業者が減少しているので、間違いなく増加していると思います。
これこそが、IQ・ITQ推進派が「成長を続けるノルウエー漁業」と称賛している根拠でしょう。
では、どうして漁獲金額が過去最高を維持し続けているのに、漁業者が減り続けているのでしょうか。これでは、せっかく漁獲量や漁獲金額が回復しても、昔のように再び漁村に活気が戻ることはないということでしょうか。
減少した漁業者はどこに行き、今何をしているのでしょうか。
一体、何のためにノルウエーの漁業は存在するのでしょうか。
- 国によって異なる漁業の存在意義
2014年3月に東京で開催された「海の恵みと食糧安全保障を考える国際シンポジュウム」に、世界的に著名な資源学者であるレイ・ヒルボーン教授が、来日し講演されました。そこで、教授は、2011年に科学雑誌「ネイチャー」で発表した共同研究の成果などを基に、漁業の目的を以下の5つに分類しました。
①食糧供給
②雇用
③利益
④地域共同体
⑤生態系・環境
また、その目的が対極にある典型的な2つの事例が紹介されました。シンポジュウムの議事録からその内容を以下に引用します。
まずニュージーランドですが、この国は、まず法律のもとで経済的な利益が漁業の目的であると定めました。ですから、基本的には社会的な目標、例えば雇用とか共同体ということは全く考えず、ニュージーランドの漁業管理制度のもとにおいては、1隻ですべての魚をとってもいいと。もしそれが一番利益の上がる形なら、それでよいと考えています。 これとは対照的に、別の例としてアラスカを挙げたいと思います。ここではその唯一最大の目的は、漁業は家族経営で行われている先取権漁業者を維持するということです。州が管理する漁業のもとでは、5隻ですべての魚をとるのではなく 100隻で生計をあがなうために魚をとることができればそのほうがよいという、ニュージーランドとは対極的な考え方です。 |
このように、漁業の存在意義は国において大きく異なります。これから考えれば、おそらく、ノルウエーも、ニュージーランドと同様に③利益が重視され、漁業者の数を維持してこそ達成される②雇用や④地域共同体の価値観は軽視されているのでしょう。また、漁獲量の90%が輸出されるとのことですので、①食糧供給の重要性も低いのでしょう。
それにしても、人口が500万人程度の国で、ピーク時には10万人以上も漁業者がいたノルウエーでは、漁業によって支えらえた雇用や地域共同体はどうなったのでしょうか。私のこの疑問に答えてくれるのは、どうも1980年代に盛んになった北海油田が、漁業からの離職者の雇用の受け皿になったという情報だけで、共同体がどうなったのかわかりません。もともとノルウエーは国民一人当たりのGDPが世界第2位で、24位の日本の約2.6倍もある豊かな国なので、何とか維持できているのかもしれませんが、興味ある点です。
- 我が国漁業の目的は?
では、我が国の漁業は何のために存在し、これからどこに向かうのでしょうか。③利益重視の「ニュージーランド」タイプでしょうか、それとも②雇用④地域共同体重視の「アラスカ」タイプでしょうか。
私の意見は、日本の漁業は、これまでも、そしてこれからも、何が何でも「アラスカ」タイプであるべきと思います。
その理由は二つあります。
一つ目は、過疎の漁村に1年半住んだ実体験から得られた、私の信念に基づくものです。今以上に、漁村の人口を減らすことには絶対間違っていると思うからです。国全体としては、高度成長を遂げ豊かになったかもしれませんが、自由貿易拡大の見返りとしての国内市場開放の犠牲になった第一次産業従事者を、これ以上減少させるのは、地方の雇用、共同体維持、環境保全の面から決して認められるものではないと思います。
二つ目は、日本には太平洋油田も日本海油田もありません。一体、今以上に漁業者を減らして、漁業・漁村で生活できなくなった人々はどこに住み、どう生きていけば良いのでしょうか。都会に出て小さなアパートに住み、ブラック企業で奴隷のように働けとでもいうのでしょうか。それとも漁村に住み続けたければ、生活保護費に頼りながら最低限の生活で生きて行けというのでしょうか。
今の低成長下にある日本経済において、だれが新たな雇用の場など責任をもって提供でるでしょうか。できるはずがありません。
それがないからこそ、大型定置網やまき網など雇用型漁業には、若者が都会から戻り始めているではありませんか。
資源回復の目的は、一人でも多くの人が漁業で、漁村で生活できるようにするためではないでしょうか。
漁業とは人間のために存在するのであって、人間が漁業のために存在するのでありません。
- 規制改革会議の農業・漁業に対する基本理念は「人減らし」
規制改革会議のメインターゲットは農業改革ですが、漁業改革に対しても、基本理念は同じと考えてよいと思います。私が読んだ本のなかで、それが最も明確に示されていたのは、東京大学経済学部長の伊藤元重教授の著書「日本経済を創造的に破壊せよ -衰退と再生を分かつこれから10年の経済戦略―」(2013年3月ダイヤモンド社)であったので、ご紹介したいと思います。
彼は、テレビの経済ニュース番組のコメンテーターを務めていたので、ご存知の方も多いと思います。今は規制改革会議の委員ではありませんが、
小渕内閣「経済戦略会議」、森内閣「IT戦略会議」で委員を務める、竹中平蔵氏とも旧知の間柄、TPPに賛成(ウィキペディア)。
とのことで、規制改革派の有力な学者と言っても良いでしょう。
その著書で、彼は、
・農村人口の減少が地域経済の空洞化を克服する
・農村人口の減少が農業活性化への道
という、思わず口をあんぐりさせてしまいそうな見出しを掲げ「農村の人減らし」を訴えております。なお、当該部分を、そのまま引用すると長くなるので、私なりにポイントを絞り以下の枠内に要約します。
「日本経済を創造的に破壊せよ -衰退と再生を分かつこれから10年の経済戦略―」伊藤元重著より
・戦後の日本は、田舎から都市への人口移動を続けてきた。 ・ただ、こうした人口移動にも関わらず、農村地域にも多くの人が残ったという点が重要である。だから農業だけで食べていけない人たちが兼業農家となったのだ。 ・海外の先進国の農業地域を見ると日本の農村地域との違いが分かる。米国や豪州のような広大な土地がある国だけではなく、オランダ、フランス、デンマークといった欧州の農業大国でも、農村地域は広大な農地に少ない農家が点在している。 ・今後も農村地域から都市部への人口移動が続くことが想定される。農村地域の人口が減少する――これだけとってみると、農村がますますさびれてしまうような印象を受けるかもしれない。たしかに、コミュニティとして見たとき、人口が減少してしまうことのダメージは大きい。だが、これまでのものが破壊されることは、ある程度は避けることはできない。 ・逆説的に聞こえるかもしれないが、農村人口の減少は日本農業が活性化する大きな起爆剤となりうる。農地の集約化が可能になるからだ。 ・日本の農業が国際競争力を持てないのは、農家一戸当たりの農地があまりにも小さいため。 農家の平均経営面積の国際比較(2010、単位、ha)
・よって、農業人口が減ることが日本農業の活性化する鍵になる。 ・外国の農村地域はすばらしい景色だ。集落の人口は少ない。農家が密集している感じの日本とはすいぶん景色が違う。 ・農村部の人口移動先としては、それぞれの都市の中核都市。人口50万人以上の規模であれば、集積を生かして国際競争力のある都市を作ることができるかもしれない。 |
この本を読んで、正直心配になりました。東大の経済学部長ともあろうという人が、このような金銭というか効率性だけの価値観でしか、今後の経済戦略を語れずに、よく勤まるものだと。おっしゃられていることは、国土の形状が大きく違う外国の物まねをして、農家一戸当たりの農地を増やしましょう、だけではないですか。
特にがっくりしたのは、外国のような「集落の人口が少なくすばらしい景色」を見たいがために、日本の農家を減らせと言っているところです。これはまったくの都会人からの視点。そこに住む人間への思いなどかけらも出てきません。
私は、伊藤教授に言いたい。一度過疎の村に住んで、静かにアダム・スミスの「道徳情操論」や、マーシャルの「経済学原理」の巻頭の「経済学は、日常の生活における人間を研究する学問である」を読み直したらいかがかと。
●経済界の本音は第一次産業つぶしにあるのではないか
上の国際比較表を見ていただければわかりますが、多少の農地の集約が進んだところで、豪州やアメリカには逆立ちしても敵いません。日本が農業を完全自由化すれば、規模の大きい専業農家から真っ先につぶれていくという話を聞いたことがあります。そのことを聞いたとき素人の私には理解できず、なぜなのか驚きました。しかし、すぐ納得がいきました。ここまでの面積の格差があれば集約だけでは到底太刀打ちできないと思います。
一方、兼業農家のコメつくりはお金ではない、別の価値観から成り立っており、専業農家がつぶれても生き残るでしょう。逆説的に言えば、世界一競争力があるコメ農家と言っても良いのでは。
例えば、つい先日のニュースで地方公務員の方が、相続した水田を職場に無許可で耕作し、収入を得ていたとして停職6カ月の懲戒処分を受けたとか。「赤字であれば許可を得なくていいと思った。耕作放棄地を何とかしたかった。農機具の購入費などで経費がかさみ、収支は毎年赤字だった」とのこと。この場合は公務員としての副業禁止に当たりますが、とりあえずそれを脇に置けば、このように赤字でも耕作を続けていただいている多くの農家にこそ、国民は感謝しなければならないと強く思います。
欧州に対しても、どの程度規模が大きくなれば互角に戦えるのでしょうか。昔、モスクワ勤務時代に休暇をとって、よく欧州各地を旅行しました。行けども行けども農地の連続、ところどころ林、スイスなど一部を除くと山などめったにない。欧州は本当に農業に恵まれた地形とつくづく思いました。
加えて、農業所得に占める税金からの直接支払は、日本が15.6%に対しフランス90.2%、英国95.2%、スイス94.5%(「よくわかるTPP48の間違い」鈴木宣弘・木下順子著 農山漁村文化協会)とのこと。これらの国と競争せよというなら、お得意の「イコール・フッティング」のために、その格差を経済界が自分の金で埋めますと、確約してからにしていただきたい。
口先では、農業の活性化などと言っていますが、経済界の第一次産業に対する本音は、経済評論家の内橋克人氏がいうように「作るな、買え!」というものではないでしょうか。3だけ主義(今だけ、金だけ、自分だけ)の彼らにとって、将来国民が飢えに苦しむ危険性が高まろうが、地方がどうなろうが、当面の輸出の邪魔者(輸出の見返りに相手国から要求される農産物の輸入拡大に反対する国内農家のこと)がいなくなったほうがよいのでしょうか。
それから「人口50万人以上の規模であれば、集積を生かして国際競争力のある都市を作ることができるかもしれない」て、本当でしょうか。ではお聞きしますが、東京、大阪、名古屋の3大都市圏以外の50万人以上の都市部でも、経済が低迷しているのはどうしてですか。いかにも簡単に雇用の場が創造できる「かもしれない」という無責任なことは、言わないでほしいと思います。
後編に続く・・・