★純な心を求めて★

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★森田正馬の言葉

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「不眠でも、赤面恐怖でも、神経症をなんでもかんでも治そうと思う間は、どうしても治らぬ。治すことを断念し、治ることを忘れたら治るのである」

これはいわゆる『思想の矛盾』を表しています。

「~ねばならない」「こうでないといけない」という考え方に陥ると、思想の矛盾を起こし、とらわれが強まるということでしょう。

神経症は「症状へのとらわれ」の状態にあります。

症状をなくそうという思いが「とらわれ」を産み、益々強めてしまうものなのです。

一般に、向上心の強いかたほど自分には厳しいものですね。

かくありたい、理想の自分と、現実の自分との違いに激しく悩み、自分の感情を受容せず、自責的になることも多いものです。

同時に、向上心が強ければ強いほど、自己に要求する課題が大きい余りに、不安や緊張を乗り越えなければならない場面も増えてきます。

その状況で自分に完全を求めすぎてしまえば、緊張や焦燥感が強まり、その結果として神経症の症状が出現することもあり得るでしょう。

しかし、理想を持つことに伴う不安や緊張といったネガティブな感情も当然のこととして受け止め、自分を責めず、完全を求めすぎず、行動の優先順位を考えていく姿勢があれば、理想の自分へ近づいていくことも可能でしょう。

時には寝込んだり、症状を感じたりする自分も許してあげながら、行動の優先順位をつけて生活に取り組んでいけたらいいですね。

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慌てないで待つ

「一波をもって一波を消さんと欲す、千波万漂交々起こる」

心の水面に起こった波を消そうとして別の小石を投げ込めば、ざわざわと波立つばかり。
波を静めようと思ったらそのままじっと見つめているしかないのです。



パニック障害に限りませんが、良い経過のあとに、ふいに症状に襲われると、「元に戻ってしまった」とショックを受け、落胆してしまう方が多いようです。

これは長い苦しみを抜けて、「このいい状態をいつまでも保ちたい」と願えばこその自然な気持ちですね。
ここで大切なのは、積み木が崩れてしまったかのように、「元に戻ってしまった」と捉えるのではなく、「今、調子が悪いんだな」と事実をそのままに見ること(不安で膨らませてしまうのでなく)。
そして「これも長いプロセスの一部なのだな」と捉えることだと思います。
ゆるやかに回りながら登っていくらせん階段をイメージしてみるのも良いと思います。


そして大切なのは、「慌てないこと」不安の波が収まっていくのを「待つ」ことなのです。
不安は必ず自然と消失していきますから。

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人であるが故に

森田正馬先生の言われた言葉の中で、これはというものを上げてみました。

皆さんはこれらの言葉の意味をどのように解釈されるでしょうか。

少し難しい表現をされているから、理解するのに大変かもしれませんね。

皆さんそれぞれ感じ方は違うかもしれませんが、自分なりに考えてみて下さいね。σ(-ω-`)ウーン





●自己本位の立場から相手を見ると、気が利かないとか、拙劣(セツレツ)であるとかいうように、その人の欠点が多く見える傾向にある。

それは相手が自分の思い通りにならないからである。





●事物の全体を認識不足のないように正しくありのままにみることを事実唯真という。

自己本位の立場から離れて相手の立場からみるときに、はじめて全体が見える。

これが人間関係における事実唯真である。





●「こうしなくてはならぬ」ということが葛藤になり、抵抗によって、自然の心の流動を閉塞してしまう。




●自分は何の目的でそのようなことをするのか、何を目当てに生きているのか、などと自分の本心を知るのが自覚である。




●人生の目的は幸福である。

単に安楽となるのが、幸福ではない。

気分を人生の第一の条件においても、幸せにはなれない。

幸福とは、個体の機能発揮、すなわち努力である。





●人を愛し、他をたすけ、社会の一員として貢献することが自己をまっとうすることであり、人生の発展向上の道程にあることである。



どうですかぁ、何かハッと気がつかれたことはありましたでしょうかね。(*・ω・*)

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森田の一言 3

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森田療法で有名な森田正馬先生の名言その3です。

かくあるべしという、それでもなお偽りである。
あるがままに行動する、それこそ真実である。


天気はいつもカラッと晴れているべきだと決めている人にとっては、空の一角に見える小さな雲の一片も気になることであろう。

頭はいつでも澄んでいて、気分はいつも爽やかであるべきだと決めている人は、頭の重い感じやだるい気分もただ事ではなくなる。

こうあるべきだという誤った理想主義者は、こうであるという事実に裏切られて悩みを深くする。

こうであるという事実と、こうであるべきだという独断や、こうでありたいという念願との間の食い違いを思想の矛盾という。 

完全主義者はこの矛盾によって罰を受けるはめになる。

(森田療法のすすめより抜粋)

みなさんの完全欲は如何ほどのものでしょうかねぇ~。

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森田の一言 2

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森田療法で有名な森田正馬先生の名言その2です。

極楽をあこがれて、地獄に苦しむ

これは気分本位の記事でも書きましたが、気分を基準にしているとどうなるのか。

例えば今日は気分が悪いと思うとすると、これでは駄目だとか、良くない事だというような判断をしてしまうかもしれませんね。

ゆえに常に落ち込んでしまうということになるのでしょうか。

気分が悪いだけならまだしも、これではもっと酷い状態に陥ります。

ここで言う極楽とは気分が晴々して調子がよい状態のことです。

地獄とはこの状態になりたくて気分や症状をいつも気にして、一旦悪くなると落ち込みが酷くなって、悩み苦しむことになる状態です。

だから症状に対して気分で物事を判断してはいけないと言ってるのだと思います。

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